2026年02月07日

ネオリベが相手にされず影が薄い衆議院選挙論戦

衆議院選挙の投票日が目前に迫ってきています。

今回の「超短期決戦」、いったい何が争点になっているのか今一つハッキリしません。自民党が国民民主党などの政策に似た政策を打ち出してきたため、保守政党間での政策の違いが見えづらくなっています。また、非保守政党も含めてほぼすべての政党が減税や積極財政っぽいことを主張していることも、政党間の違いが分かりづらくなっている原因であると考えます。

もちろん、その具体策には各党のカラーが顕れているわけですが、超短期決戦と言われるだけあって肝心かなめの具体的方途の議論が深まっているとは言い難いものがあります。どの政党も同じような御題目を掲げているようにしか見えないのです。「高市早苗を信任するか否か」というのが唯一の争点であるという見方も、あながち間違いではない状況になっているのかも知れません。

それにしても、非保守政党も含めてほぼすべての政党が減税や積極財政っぽいことを主張していることには隔世の感があります。こんなことは、ここ四半世紀にはなかったことです。必ずネオリベ的なカウンターが出て来、一般世論の中でも呼応する層が出てきたからです。

たとえば、小倉健一氏はこんなことを言っています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f101934ce2d1bc74e90fbfcbedb881b7677ba58e
積極財政は破滅の道!稲盛和夫が28年前に警告した“悪夢のシナリオ”とたった1つの解決策
1/27(火) 11:00配信
ダイヤモンド・オンライン

 突然の選挙でバラマキ公約が乱立し、かつて安全資産とされた日本国債は暴落している。この未曾有の事態を、誰よりも早く見抜いていた人物がいる――「経営の神様」稲盛和夫だ。いま私たちが直面するのは、その“警告”が現実になった姿にほかならない。(イトモス研究所所長 小倉健一)

(中略)
 ここで耳を傾けたいのが、「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏の言葉だ。

 京セラやKDDIを創業し、破綻した日本航空を見事に再生させた稀代の経営者は、数字の向こうにある「人間の心」と「道徳」を重視した。

 稲盛氏は、バブル崩壊後の日本が借金漬けになっていく姿を深く憂慮していた。困ったらすぐ国に頼る。国は借金をしてそれに応える。こうした依存の構造が、日本人の精神を腐敗させ、国を滅ぼすと警鐘を鳴らしていたのだ。

● 「経営の神様」はこんな時代に何を言うか

 今から28年前、まだ日本の借金が今よりもずっと少なかった時期に、稲盛氏は『文藝春秋』(1997年12月号)に掲載された論文「景気回復への緊急提言」の中で、次のように述べている。

 《これまで、日本は企業も個人も何か問題があるとすぐに政府に救済を求めた。海外から強力なライバルが現れると、国内に入って来られないよう政府に依頼した。景気が悪くなると緊急対策を求めた》

 《こうしたなにもかも政府に頼る企業や個人が、結果として日本の政府を肥大化させてきたのである。 しかし、現在日本は国の長期債務だけでも350兆円ほど抱えている》

 《日本は年収の7倍の借金を抱えていることになる。企業であっても、個人であっても、困ったときに一時的に銀行等から借入れをすることはあろう。しかし、いつまでも借金を続けることはないはずである。もし、債務総額がこれほどの規模になれば、早晩破綻してしまうことは明らかなので、従業員や家族が一致協力して、どのような無理をしてでも、リストラを行ない、支出を減らそうとするのが当然である。

 現在の日本にも同じことが言える。日本の国家財政は破綻寸前にあるのだから、政府と国民は一緒になって、歳出の削減に努めなくてはならないはずである。そのことが分かっていながら、まだ国債を発行してでも、公共事業を増やそうというのは、自ら破滅の道を歩むことと同じである》

 この提言が書かれた当時、国の借金は約350兆円だった。それが今や1200兆円を超えようとしている。「年収の7倍」どころではない。桁違いの借金を抱えながら、まだ「もっと借金をして景気を良くしよう」と叫ぶ人々がいる。

 稲盛氏が生きていれば、烈火のごとく怒ったに違いない。

 稲盛氏が示した処方箋は、極めてシンプルだ。そして、シンプルだからこそ厳しい。「歳出の削減」である。

 入りを量って、出ずるを制する。これは家庭でも企業でも、経済活動の基本中の基本だ。収入以上に使っていれば、いつか必ず行き詰まる。国だけが例外であるはずがない。

● 稲盛氏が示した“覚悟”は今の日本にない

 「歳出削減」という言葉は、不人気だ。誰もが、もらえるはずの補助金が減ったり、サービスが低下したりすることを嫌がる。政治家も、選挙に落ちるのが怖いから、口が裂けても言いたがらない。

 しかし、嫌われることから逃げ、甘い顔をして借金を重ねることは、優しさではない。未来の世代に対する虐待だ。

 稲盛氏の言葉にある「従業員や家族が一致協力して、どのような無理をしてでも」という覚悟が、今の日本にあるだろうか。

 借金で買った見せかけの繁栄は、長続きしない。むしろ、借金が増えれば増えるほど、将来の増税やインフレへの不安が高まり、人々は財布のひもを固くする。企業も投資を控える。結果として、経済の成長は阻害される。

 国債発行による景気対策は、一時的なカンフル剤にはなっても、体を健康にする栄養にはならないのだ。

 補助金や給付金は、天から降ってくる恵みではない。誰かが汗水たらして働いて納めた税金か、将来の子どもたちが背負わされる借金だ。安易に「国に何とかしてほしい」と願う心根こそが、財政破綻への道を舗装している。

 今こそ、甘えを捨てなければならない。自分たちの生活は自分たちで守るという気概を持ち、国に過度な要求をしないことだ。

 そして、耳当たりの良いバラマキ政策を掲げる政治家ではなく、不人気であっても「借金を減らす」「無駄を削る」と堂々と主張する政治家を支持する賢明さが求められている。

 国債発行は、破滅への道である。稲盛和夫氏が遺した金言を、今一度噛みしめるべきだ。

 「歳出削減」という苦い薬を飲む勇気を持てるかどうかに、日本の未来はかかっている。痛みを避けて死に至るか、痛みを耐えて再生するか。選択の時は、すでに目の前にある。
 
小倉健一
小倉健一氏というと、「ポンコツすぎる高市政権ブレーン「お前らのせいで日本経済は崩壊だ」“社会主義者”が政治に関わる日本の保守政権の摩訶不思議「エドマンド・バークが泣いている」」なる記事を書いているような人物で、上掲記事でも「入りを量って、出ずるを制する。これは家庭でも企業でも、経済活動の基本中の基本」としたうえで「今こそ、甘えを捨てなければならない。自分たちの生活は自分たちで守るという気概を持ち、国に過度な要求をしないことだ」という論法を展開しているように、まさしく往年のネオリベ言説の旗振り役のような人物であります。

今回はこのような言説はまったくといってよいほど影響力がありません。「入りを量って、出ずるを制する。これは家庭でも企業でも、経済活動の基本中の基本」というくだりは、政策論に詳しくない一般の人々にも分かりやすい身近なたとえであり、ネオリベ政策論宣伝の基本的な「手口」でしたが、それが今回はまったく響いていないわけです。あの維新でさえ静かにしています

※ちなみに、人民大衆の目的意識性を重視するチュチェ思想の立場から考えると「入りを量って、出ずるを制する」というのは逆立ちしていると言わざるを得ません。人間は生産物の消費によって物質的・精神的な生活を営む存在なのだから、その満ち足りた自主的な生活のためには十分な支出が必要になります。支出によって得られる物質的・精神的充足が目的であり、そのために労働をして稼得しているわけです。つまり、「出を量って、入りを制する」のが目的意識的な人間の行動なのです。ミクロ経済学の予算制約線と無差別曲線の理論を表面的に舐めれば「入りを量って、出ずるを制する」になるでしょうが、この理論は所与の予算制約線に対して効用を最大化させる理論的枠組みを提供するものであり、実際の人間存在は、予算制約線そのものを目的意識的に改変するものです。

当然でしょう。まず、目下の状況は、個人の努力で打開できるものではありません。ここでなお「甘え」だのなんだのと宣うのは、あまりにも生活実感から懸け離れた戯言であり、もはや「そもそも国家など必要ない」ということにさえなりかねないものです。

また、より根源的な問題として家計と資本主義企業及び資本主義国家は根本的に異なるものですが、それをこの四半世紀の実体験から学び取ったという考え方ができるでしょう。

家計すなわち家庭は、財産の共同体であり運命共同体です。もちろん、そうではない家庭もあるでしょうが、そうである家庭も少なくはありません。しかし、資本主義企業・資本主義国家は決してそうではありません。資本主義企業は、その所有者である特定の人々の経済的利益を実現するための手段であり、財産の共同体ではありません。運命共同体でもありません。そして、資本主義国家はこのような資本主義企業の利益を代表し実現させるための組織です。それゆえ、負担の押し付け合い・付け替え合いが基本的な姿です。

稲盛氏の言葉にある「従業員や家族が一致協力して、どのような無理をしてでも」という覚悟が、今の日本にあるだろうか」などと宣う小倉氏ですが、財産の共同体である家計や昭和的雇用慣行の日本企業であればまだしも、現代の資本主義企業・資本主義国家でそんなことをしたところで、正直者がバカを見る話でしかないのです。

さすがにこの四半世紀でこうしたネオリベ言説のインチキさが知れ渡り、いよいよ相手にされなくなってきたのではないでしょうか? 今回は埋没気味の参政党が中間層の復活を掲げて、ちょっと前まで自民党を脅かすほどの勢いだった源泉の一つも、ここにあるように思われます。

稲盛氏の言葉にある「従業員や家族が一致協力して、どのような無理をしてでも」という覚悟が、今の日本にあるだろうか」というのは、「今だけ金だけ自分だけ」の現代資本主義では実現不可能な理想論です。これを実現させるためには、負担と利益を等しく分かち合う社会制度設計が欠かせません。キム・ジョンウン同志は共産主義社会を《모든 사람들이 기쁨과 슬픔을 함께 나누는 사회》(「すべての人々が喜びと悲しみを共に分かち合う社会」)であると位置づけられましたが、このような社会でのみ公益のために一心団結することができるでしょう

当ブログは、以前にはベラルーシを引き合いに出したことがあったように、人民生活の安定化のために国家が大きな役割を果たすことは国家の存在意義に関わることであると考えているので、昨今の風潮、ネオリベ退潮の風潮は好ましいものであると考えています。

もちろん、「外為特会ホクホク」発言を鑑みるに高市自民党にはちゃんとした経済ブレーンがいるようには見えず、その「責任ある積極財政」談義の内実には不安を覚えるしかありません。政府系ファンドの運用益の活用を唱える中道改革連合については、公的年金では既に大々的に運営されており、個人レベルでも「貯蓄から投資へ」の掛け声のもとに金融資産を活用した「自助努力」が求められていることを考えれば、理屈としてはそう突飛なことを言っているわけではないと頭では分かるのですが、粗削りな主張であるように思われます。減税分の穴埋めをする政府系ファンドであるはずのところ、実際には減税の実施が先行して政府系ファンドの制度設計が後回し・見切り発車になりそうな気がします。その他の党の主張は、乗数効果論の亜種で新味が乏しいように見受けられます。

諸手を挙げて歓迎できる状況ではありませんが、しかし、ネオリベ言説がまったく影響力を持っていないという状況は、そのことだけでも大きなことであります。国家が人民大衆の生活のためにどのように奉仕すべきなのか、できるのかを主たる政党が競いあう日が来たのです。こんなことは、この四半世紀なかったんですよ!

ネオリベが一般世論において相手にされておらず、また、相手にされそうもないのでネオリベ論者が自ら静かにしている今回の選挙だからこそ、人民生活向上における国の役割を位置づける総路線における具体的方途を競ってほしかったのですが、超短期決戦となってしまったがゆえに議論がまったく深まっていないのが残念でなりません。
ラベル:政治
posted by 管理者 at 02:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2026年01月14日

오늘을 위한 오늘에 살지 말고 래일을 위한 오늘에 살자!

当ブログは、かつては「新年の辞」、最近は朝鮮労働党中央委員会総会報道を取り上げ学ぶことを新年最初の記事としてきましたが、今年はもう間もなく党大会が開かれる見込みであることから例年とは書くことを変えてみようと思います。

1月14日は、キム・ジョンイル同志の談話≪오늘을 위한 오늘에 살지 말고 래일을 위한 오늘에 살자≫(今日のための今日を生きるのでなく、明日のための今日を生きよう)が発表されてから30年になる日です。当該談話の日本語訳は、小林よしおの研究室様で読むことができます。

論文ではなく談話であり分量もそう多くはないのですが、ポイントを要約しておきましょう。

「今日のための今日を生きるのでなく、明日のための今日を生きよう」というのはキム・ジョンイル同志の人生観です。これは、「自分は楽ができなくても、祖国の明日と子孫万代の幸せのために一身をささげる覚悟をもって生きるべきだ」という意味です。「抗日革命闘士たちは、このような人生観、このような信念をもってたたかった」ものでした。

キム・ジョンイル同志は、革命は「一世代で終わるのではなく、世代を継いで続けられる長期的な事業」だが「楽をするために革命に投じようとしてはなりません」と仰います。「今日の楽を望む人は、革命を続けることができず、時代の落伍者になってしま」うからです。社会主義建設を進めて人民にこの世に羨むもののない生活をさせるようにし、また、祖国統一の歴史的偉業を必ず成就させるべきだと仰っています。

このとき「人民の生活が豊かでなく、全同胞が民族分裂の苦痛をなめているときに、一個人の安逸を追求するのは時代の良心にもとる行為」であるとキム・ジョンイル同志は指摘なさいます。「金日成同志は、革命家は、飯にみその粗食をしても、革命ができるならそれでよしと思わなければならないと教えています」としながら「活動家は、こうした覚悟と決意をもって、革命任務の遂行に一意専心しなければなりません」と教えておられます。

いま敵は、社会主義のとりでであるわが国を侵略しようと狂奔しています」。しかし「真の革命家、共産主義者は、死するとも革命の道で誉れ高く死ぬべき」だと仰います。「「死を覚悟した者にかなう者はこの世にいない」、これが、我々革命家がもつべき信念であり気概です」と仰います。「たとえ、骨が折れ、難関にぶつかろうとも、将来のことを考えて勇敢に突き進む人であってこそ、信念があり、チュチェの人生観が確立した活動家」なのです。

チュチェの人生観をもって歩んでいくためには、「党生活を強め、みずからを絶えず革命的に鍛えなければな」らないと仰います。また「幾多の試練を乗り越えて美しい未来を生み出していくためには、楽天的に生活し働くことが必要」だとも仰います。「確たる信念をもっている人は未来を愛し、未来を愛する人は悲観し」ません。「革命的ロマンなくしては、困難と試練に打ち勝つことができず、未来のために一身をささげることもでき」ないのです。「党組織と勤労者団体組織は、実情に即してさまざまな形式と方法で大衆文化・芸術活動を展開し、全国に革命的ロマンが満ちあふれるようにすべき」だとしてキム・ジョンイル同志は談話を終えていらっしゃいます。

さて、ざっと調べた限り、当該談話の発表30周年を記念する記事などは『労働新聞』では出ていないようです。「金日成同志があれほど願っていた祖国統一の歴史的偉業を必ず成就しなければなりません」といったくだりは現在の政策とはまったく一致しないし、「金日成同志は、革命家は、飯にみその粗食をしても、革命ができるならそれでよしと思わなければならないと教えています」という部分については、正式に否定はされていませんが、最近の人民大衆第一主義に基づく「人民生活に実際の変化をもたらす」路線とは些か異なるものであると言わざるを得ません。「党生活を強め、みずからを絶えず革命的に鍛えなければならない」という指摘については引き続き、近しいお言葉を耳にすることがありますが、だからといって清貧であるべしとは言ってはいない、革命の遂行のために清貧であることを必須条件とはしていないのがキム・ジョンウン同志の方針だといえるでしょう。そういうわけで、当該談話を特段記念していないものと思われます。

≪오늘을 위한 오늘에 살지 말고 래일을 위한 오늘에 살자≫は本当によいスローガンで個人的にもっとも気に入っているものです(他にもたとえば≪가는 길 험난 해도 웃으며 가자≫も良いですよね!)。談話では最後に「革命的ロマン」という言葉が登場していますが、この談話を一言で言い表すとすれば、まさしく「革命的ロマン」でしょう。

いまキム・ジョンウン同志が掲げている対韓関係の抜本的見直しと人民大衆第一主義を当ブログは全面的に支持していますが、革命的ロマンにも、どこか心を惹かれるところが依然としてあります。「人民生活に実際の変化をもたらす」路線によって消費生活が改善・発展することは本当に望ましいことです。しかし、それによって人々が「今日のための今日を生きる」ようにならないでしょうか。東欧社会主義圏の思想的変質は、今振り返ればまさにこのことが入口でした。消費生活を改善・発展するのは重要なことだが、同時的に取り組むべきだった思想的変質の抑止を怠ったわけです。共和国が東欧社会主義圏の轍を踏まぬことを切に願うものです。

経済建設のことだけを考えるのならば、朝鮮式の社会主義建設だけではなくベトナムやラオスの(広義の)同志たちが採用している「社会主義を志向した市場経済」でもよいかも知れません。しかし、一昨年6月に『労働新聞』に掲載された『共産主義へ行こう! 偉大な党中央がくださったスローガンとともに、互いに助け合い導く共産主義の美風が一層高く発揮されている我が祖国の激動的な現実を抱いて』(当ブログでは2024年7月8日づけ「キム・イルソン同志逝去30年と政論《공산주의로 가자!》について」で取り上げました)で論じられた「すべての人々が喜びと悲しみを共に分かち合う社会」としての雄大な共産主義論を考えたとき、やはり思想性にこだわりたいものです。ベトナムやラオスの社会主義についてそれほど詳しくないのに言うべきではないかもしれませんが、朝鮮式社会主義とベトナムやラオスの社会主義との大きな違いは、社会における人間関係の在り方の理想をどのように描くのかにあるのではないかと考えます。

今後、消費生活の改善・発展に伴い、いかにして革命的ロマンを日常生活の中に織り込んでゆくのかが論点として浮上してくるのではないかと考えます。来る党大会を筆頭にどのように舵取りをしてゆくのか、注目したいと思います。
posted by 管理者 at 22:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年12月31日

2025年を振り返る(2):人間観・人生観そして死生観に基づいて社会制度を考え抜くことが一層重要になってきている

毎年恒例の年末総括記事の第2弾です。今回は、チュチェ思想を指針として日本の世相について論じた記事を読み返します。

■経済活動の根本目的、そして国家の存在意義を見失っている――正しい経済政策を支える根本が失われている
以前から申し述べてきたとおり、当ブログの根本目的は「チュチェ思想を指針として日本の自主化の道を探る」というところにあります。久々に日本情勢について取り上げたのが7月27日づけ「令和の米騒動と「市場」主義」でした。人々の間から経済活動の根本目的、そして国家の存在意義に対する正しい認識が失われているのではないかという疑念が生じざるを得ない世相になっています。正しい経済政策を支える根本が失われているのではないかという疑念が生じざるを得ないのです。

米価が高騰した今年。政府は米価高騰を抑えるための備蓄米放出を渋りました。ようやく出したかと思えば「市場をゆがめる」だの「米価は市場価格であるべきだ」といった文句が出てきたものでした。市場という制度は、あくまでも手段に過ぎないはずです。経済活動の根本目的、そして国家の存在意義を見失っていると言わざるを得ません。

最近のブルジョア経済学は、経済学の核心を「意思決定理論」などと抽象化を深めていますが、本来経済活動は、人間存在の自主化を目的として、その基盤整備としての人間の生存と生活に必要な財貨やサービスを生産・分配・消費する活動を指すものであり、経済学はそうした活動及びそれを通じて形成される社会関係を研究する学問と位置づけるべきものであります。また、経済という言葉の由来は経世済民ですが、これは「国を治め民を救済すること」です。

庶民の生活必需品が軒並み高騰している中、ついに主食たるコメの価格までもが高騰するに至りました。ここにおいて経済活動の根本目的を差し置いて、あくまでも手段に過ぎない市場という制度の「原則」を墨守することは本末転倒なのです。補助金の導入によって生活必需品の価格を低く抑えることで民生を安定化させているベラルーシのルカシェンコ政権の方がマシです。

今般の米価高騰においては、「JA悪玉・黒幕論」をしばしば目にしてきました。ある層は、今般の事態を奇貨としてJA解体につなげようとしたものと思われたものです。

そもそも論として理解しがたいのですが、仮に今回の米価高騰の原因がJAの存在だったとすれば、公益のためにこそJAに対する国民的な統制・民主的ガバナンスの強化が正道であるはず。そこでなぜ、JAを解体して自由化するという話になるのでしょうか? ただ目障りな巨大既存組織を解体し「自由」の名のもとに分捕り合戦を展開しようとしているようにしか見えませんでした。

当ブログは、以前から申し述べてきたとおり、特定の個人や集団が全体社会を牛耳り操作しているとは考えません。事態はシステムとして全体として起こった結果だと考えています。JAのような特定団体が単独で市場を操作しているとは考えず、関係する業界全体において、それぞれ個々の事業体がそれ単独としては自然な合理的行為が積み重なった結果として米価が高騰するに至っていると考えます。

それであれば、JAを悪玉・黒幕としてその解体を期したところで事態は解決しないでしょう。むしろ、巨大な小売企業とバラバラになった個別農家が直接接触することになりますが、ここにおいて対等な価格交渉はあり得るのでしょうか? この四半世紀繰り返してきたことの再現にしかならないでしょう。

■もっぱら金銭で人びとを動かそうとする路線の行く末――正しい経済政策を支える根本が失われている
9月15日づけ「もっぱら金銭で人びとを動かそうとする路線の行く末――資本主義は、その個人主義ゆえにドツボに嵌ってゆくだろう」では、新入社員は成果主義より年功序列に回帰しつつあるのではないかという報道記事を取り上げ、それは資本主義の個人主義的本質に根ざす必然的な現象である、もっぱら金銭で人びとを動かそうとする路線の行く末がこれであると述べました。やはり、正しい経済政策を支える根本が失われているのではないでしょうか。

20世紀社会主義の失敗原因を「人々にインセンティブを与えなかったからだ」とする言説が、主にブルジョア経済学者たちによって唱えられ、すっかり人口に膾炙しています。ブルジョア連中は、「個人へのインセンティブの付与」という教義こそが労働生産性を向上させ、企業業績向上のカギであるとしてきました。いまそれが崩れつつあるのです。

その理由は、端的に言えば、個人の能力を個人的な動機や目的にのみ発揮する限りは、その結果は個人的な範囲でしか表出され得ないというものです。

会社がいくら勤め人たる社員個人にインセンティブを与えようとしても、社員個人が自分自身の生活の安寧つまり、少しばかり余裕のある安定した暮らしを動機・目的としている限りは、すでに経済的に豊かな日本社会においては、あくせく働く必要性はそこまで高くはありません。漠然とした「能力」に基づく評価、「成果」に基づく評価のためにあくせくするよりも、勤続年数に応じて昇給していってくれた方が個人的には都合がよいというのは、きわめて合理的な発想なのです。

そもそも勤め人のマネジメントにインセンティブ云々を持ち込むのが間違いです。その理由については当該記事で詳しく論じましたが、結局のところインセンティブ云々の土俵に敢えて立てばこそ労働者は熱心に働く「インセンティブ」がないのです。

個人主義に基づきインセンティブに反応しているとする限りは、合理的に自己利益を追求する経済主体の選択は「ぼちぼち働く」になるのは当然のことです。勤め人はインセンティブ談義の対象には馴染まないのです。

当該記事では、キム・イルソン同志がかつて「人びとのあいだで個人主義・利己主義を助長させ、もっぱら金銭で人びとを動かそうとしたのでは、かれらの集団的英雄主義と創造的積極性を呼び起こすことはできず、したがって技術革命の課題も、経済建設の課題も成功裏になしとげることはできません」と仰ったことを引きつつ、この教示の意味を、ますます複雑化・高度化する産業社会において改めて噛みしめつつ「個人へのインセンティブの付与」という方法の行く末が今日の事態であることを認識する必要があると述べました。そして、人間の行動動機には個人志向の動機だけでなく集団志向の動機もあるということを踏まえ、集団志向の動機付けを刺激する道にもスポットライトを当てるべきであると述べました。個人の運命は集団の運命と分かち難く結びついているのだから、集団への貢献が個人的な利得にもつながるという好循環を作り上げる必要があります。インセンティブを刺激する方法は、こうした文脈においてこそ採用されるべきです。そして、そうした施策の哲学的基礎をチュチェ思想が提供していると述べました

■市場経済に対する正しい認識が失われているのではないか――正しい経済政策を支える根本が失われている
9月30日づけ「所詮は営利企業に過ぎないものに対して国家的・社会的な期待・要請をかけることはできない」では、市場経済に対する正しい認識が失われているのではないかという疑念を生じさせる事態について取り上げました。

大手商社の三菱商事が秋田県内で計画していた洋上風力発電所建設からの撤退意思を示したことについて、秋田県知事が「国家のプロジェクトで、国を代表する企業の撤退はないと思っていた」としたことについて、「いくら国の代表的大企業とはいえ、国家的・社会的な期待・要請に対する受容度合いは比較的高めとはいえ、本質的には営利企業」と述べて、その見識の甘さを批判しました。

当ブログは左翼(極左?)であるからこそ、所詮は営利企業に過ぎないものに対して国家的・社会的な期待・要請をかけることはできず、人民的統制が必要であると当該記事にて主張しました。

同記事では、火葬料が他地域と比較して突出して高い東京都区部の問題について、読売新聞が「人生で誰もが利用する火葬場には高い公共性があり、本来公営とすべきだ」とする識者の指摘を報じたり、公明党東京都本部が法改正して火葬場の公営化をするよう厚生労働大臣に申し入れたりしたことについて取り上げ、毛沢東の『新民主主義論』を彷彿とさせる意見が保守紙や政権与党の地方組織(当時)から聞かれるようになったことの意味合い、このことが示す目下の世論の実相に注目する必要があるとも述べました

その後、高市内閣が発足して「積極財政」が取り沙汰されるようになりました。政府を小さく小さくしてゆく30年来の方向性が、少なくとも掛け声の上では転換されるようになったわけです。高市内閣はいまも高い支持率を維持することに成功しています。

当ブログは左翼の立場をとるものですが、正しい市場経済観を欠いた状態での公的部門の地位と役割を高めることは、それはそれで問題があると考えます。今後も市場経済観を巡る日本の世相をよく観察してゆく必要があると考えています。

■社民党の選挙候補者までもが「『資本主義の中で民主主義が本当に行き渡る国』を作りたいと思っている」と口にしている重大事態――人間観・人生観そして死生観に基づいて社会制度を考え抜くことが一層重要になってきている
8月24日づけ「人間観・人生観そして死生観に基づいて社会制度を考え抜くことが一層重要になってきている――ラサール石井さんの共生社会論をチュチェ思想的に考える」では、日本の世相のうち特に左翼陣営の状況として、今夏の参議院選挙で社民党から立候補して当選したラサール石井さんの発言から見受けられる日本左翼陣営の深刻な現状を取り上げました。

今夏の選挙は「日本人ファースト」を掲げる参政党が非常に大きな勢いを持っていたことから外国人問題が争点に上がるようになりました。多くの党・候補者が「日本人ファースト」に真っ向から対抗することに二の足を踏んだものでした。そんな中で、社民党から出馬して当選したラサール石井さんの、「何が『日本人ファースト』ですか?人間にファーストもセカンドもないんですよ。隣人が自分とは違うってことを認めればいい。なぜなら、あなたも隣の人とは違うから。そして強い者が弱い者を、富める者が貧しい者を助ける。自分のことばかり考えて他人を省みない、そんな国がいい国ですか?」という熱弁は、非常に勇気がいるものであり、また、共感を覚えるものであります。

そうであるだけに、「社民党は社会主義や共産主義の国を作ろうなんて思っていませんよ。『資本主義の中で民主主義が本当に行き渡る国』を作りたいと思っている」という、それに続く彼の発言には疑問符を付けざるを得ませんでした。チュチェ思想派として当ブログは、論理が破綻していると考えざるを得ません。資本主義においてそうした社会を作ることはできないと考えるからです。

いわゆる共生社会をラサール石井さんは目指しているものとお見受けしますが、このことをチュチェ思想の文脈でとらえ直すと、社会的存在としての人民大衆の自主性を実現することであると言えます。当該記事では、キム・ジョンイル同志の不朽の古典的労作『社会主義は科学である』に基づいて、「人間にファーストもセカンドもない」とか「民主主義が本当に行き渡る国」を作るためにこそ当ブログは、集団主義に基づく社会主義社会の道を歩む必要があると述べました

ラサール石井さんが集団主義に基づく社会主義の道から遠い位置にいらっしゃることは、無理もないことでしょう。キム・ジョンイル同志は『反帝闘争の旗をさらに高くかかげ、社会主義・共産主義の道を力強く前進しよう』において、「革命的教育を系統的に受けることのできない資本主義制度のもとで、多数のインテリがブルジョア思想と小ブルジョア思想に毒されるのは避けがたいこと」であり「かれらを革命の側に獲得することは困難な問題」であると指摘されているからです(「金正日選集」第9巻、1997年、外国文出版社、p34-35)。

その観点からラサール石井さんの発言を振り返るに、社民党の選挙候補者までもが「社会主義や共産主義の国を作ろうなんて思っていませんよ。『資本主義の中で民主主義が本当に行き渡る国』を作りたいと思っている」と口にしている点において、事態がどれほど重大深刻なのかが見えてきます人間観・人生観そして死生観に基づいて社会制度を考え抜くことが一層重要になってきています

■社会的・政治的生命体はどのように形成すればよいのか
冒頭でも述べたとおり、当ブログの根本目的は「チュチェ思想を指針として日本の自主化の道を探る」というところにあります。日本において社会的・政治的生命体(社会政治的生命体)を形成したいと考えています。その過程においてまずは協同社会を形成する必要があると述べてきましたが、では、何を以って協同社会そして社会的・政治的生命体が形成されたと言えるのでしょうか?

そのことを考えるにあたってのヒントが、11月7日づけ「人々が一つの家族のような感覚を抱くようにことが特に大切である――十月社会主義大革命の経験を記念して」では、十月社会主義大革命を記念するベラルーシメディアの報道記事を取り上げた中にあったと考えます。

報道記事は、ソビエト時代は「『一つの家族という感覚』が社会意識の中で支持され、強化された」と指摘していました。そう、ここなのです。

チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長も同様の指摘をしていましたが、集団主義のなかでも、人々が一つの家族のような感覚を抱くようになることが特に大切でなのでしょう

■総括
「チュチェ思想を指針として日本の自主化の道を探る」ことをブログの目標としつつも今年はそれを十分には実践できませんでした。しかし、人々が一つの家族のような感覚を抱くようになることが特に大切であることを改めて認識しなおせたことは、すべてのスタートラインを正確に引くことができたものと考えます。スタートラインは絶対不変なものではありませんが、それはある程度において固定的で確固たるものでないと現実に対する評価・判断ができないものと考えます。

上述のとおり、人間観・人生観そして死生観に基づいて社会制度を考え抜くことが一層重要になってきていると考えます。来年はこのスタートラインから様々な世相を斬っていきたいと考えています。
posted by 管理者 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年を振り返る(1):朝鮮労働党の歴史は社会主義そのものの革新の歴史、社会的・政治的生命体形成の歴史

毎年恒例の年末総括記事です。過去ログの読み返しを通して一年間の出来事を振り返りたいと思います。

■チュチェ思想が明らかにした社会的存在としての人間の本性に合致した正しい人間観、そしてそれに基づく豊かな人生観に基づいた社会主義が厳然として存在し続けている
過去一番に投稿が遅れた今年は、4月29日が初回投稿になってしまいました。

4月29日づけ「「党と人民の血縁的きずな」の強化と後代育成を最優先課題として位置付け、人民大衆の生活水準における実際的変化の実現を実現させつつ、社会主義そのものをも革新させてゆく共和国――朝鮮労働党中央委員会第8期第11回総会拡大会議について」では、2024年末に開催された朝鮮労働党中央委員会第8期第11回総会拡大会議に関する報道を取り上げました。

朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』によると、キム・ジョンウン同志は綱領的な結語において、2024年に発生した大水害における被災者救援を朝鮮労働党が掲げる人民大衆第一主義の筆頭出来事として取り上げ「党と人民の血縁的きずなをより一層厚くし、党政策に対する大衆の支持と信頼を強固にする貴重な結果を生んだ」と位置づけられたとのこと。このことについて当ブログは、朝鮮労働党が「党と人民の血縁的きずな」の強化を、国防事業や経済建設よりも先んじて2024年の事業総括の筆頭として取り上げたことの意義は大である」としつつ「いま進みつつある政策の根本には、チュチェ思想が明らかにした社会的存在としての人間の本性に合致した正しい人間観、そしてそれに基づく豊かな人生観に基づいた社会主義が厳然として存在し続けていることが分か」るとしました

■科学的農法と科学技術強国路線、科学技術と経済の一体化路線は社会主義でこそ花開く
また、当該記事では、経済建設に関する総括、とりわけ科学的農法というキーワードが浮上してきた意味合いについて考えました。キム・ジョンウン同志は現在、科学技術強国路線、科学技術と経済の一体化路線を歩んでおられます。科学的農法もまた、この流れの中に位置づけて理解すべきものと考えます。

共和国の科学技術強国路線は、科学的な技術開発と自単位への導入のみならずそれを全社会的に交換し合い普及することに重点が置かれています。科学的農法というキーワードは、個別具体的な農業に関する学問分野に依拠することを要求するのに留まらず、それらに基づく実践結果を全社会に広めるまでも含めたものであるという見方もできるでしょう。

当該記事では、個別の生産単位が開発した新しい技術・新しい知見を全社会的に広めることは集団主義原則に基づき共同発展・共同富裕を目指す社会主義社会であればこそ存分に実践できるだろうと述べました。これは国家の「向いている方向」、つまり基本的な性質によるものであると考えます。このことについては、後述する12月30日づけ記事でも改めて論じています。

■人民生活優先は、諦観が社会を支配することを防ぎながら社会主義建設において更なる飛躍に繋げる宝剣
更に、建築部門の成果と人民生活における実際的な変化が見られることについても取り上げました。基礎食品と必須消費財の質を改善することに力を入れ、特に子供と児童・生徒のための社会主義的施策を責任をもって実行することが強調され、水産部門の物質的土台を強化するための実践方途が明示されたとのこと。また近年では、消費者の反応・評価が生産に反映されるようになってきており、多様で刻々と変化する消費者の嗜好を追って西側企業が対応するのと同じことが展開されるようになってきつつあることも取り上げました。

人民の住まいや日用品などの生活水準において実際的な変化を実現させることで、諦観が社会を支配することを防ぎながら社会主義建設において更なる飛躍に繋げようとしているものと考えられます。また、経済建設と並んで教育、保健医療、文学・芸術分野にも注力する朝鮮労働党の姿勢は、政治・経済・思想文化の各生活局面を均衡的に発展させるという主体的社会主義の本旨に沿ったものであると考えます。

■社会主義経済と消費者主権、社会主義経済と労働インセンティブ賦与
消費者の反応・評価が生産に反映されるようになってきたことについては、消費者の嗜好に対応するために各企業が試行錯誤をする余地や、うまくいったときの経済的利益の処分権が社会主義企業責任管理制によって保障されているとしたうえで、社会主義企業責任管理制の下での消費財の品質改善についても継続的に注目する必要がありそうだとも述べました。

なお、当該記事では経済学者(?)の池田信夫氏が「正しいデータを提供するインセンティブが働かないので社会主義は、中央集権的なものは勿論のこと分権的なものでも実現できない」とかつて主張したことについて、本来的に社会主義は、集団の利益と個人の利益を結び付けて共に実現させることを目指す点において個人の私的な経済的利益を否定するものではなく、現に朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』がコラムにおいて「社会主義社会を競争の結果にかかわらず等しく分け与える悪平等の制度と見做すのは間違いだ。労働と社会貢献に応じた分配と評価が与えられなかったとしたら、それは社会主義を建設する過程で生じた偏向であって、社会主義の本旨ではない」と断言したことを以って反論しました。インセンティブの賦与は、社会主義の枠内で位置づけることができるのです。

このように共和国は、社会主義の旗の下、その核心である集団主義原則を礎として、知識の社会的活用において新しい試みを展開していると当ブログは考えます。2024年末の党中央委員会第8期第11回総会拡大会議でのキム・ジョンウン同志の演説は、そうした流れを一層顕著なものにする、まさに綱領的な演説であったといえるでしょう。

■私的利益と公的利益との両立を模索し朝鮮式社会主義を不断にアップデートなさるキム・ジョンウン同志――朝鮮労働党の歴史は社会主義そのものの革新の歴史
12月30日づけ「穀物管理法と知的所有権法について」では、最高人民会議第14期第13回総会(9月20日及び21日開催)で採択された穀物管理法と知的所有権法について取り上げました。

穀物管理法については、最近新たに登場した糧穀「管理」所は、糧穀「販売」所の管理を一層強化したものであるが、同時に、農民らの利益により配慮した形で食糧の円滑な供給を政策として推進するという方向性を宣明してものではないかとし、これこそが個人と全体との利益を調和させる集団主義としての社会主義の本態に根ざしたものだと言えようと述べました。また、このことに関するキム・ジョンウン同志の演説を引いて、生産者の私的な利益に寄り添うことこそが党の政策を絶対的に信じる民心の獲得に不可欠であるという党の公式見解を読み取ることができるのではないかとも指摘しました。

知的所有権法については、個別の生産単位が開発した新しい技術・新しい知見を全社会的に広めることは、社会主義社会であればこそ存分に実践できるものであると以前から述べてきたことの繰り返しではありますが、再論しました。

勤労人民大衆の利益とは、具体的には集団主義原則に基づく共同発展・共同富裕であります。個別労働者の利益にも勿論配慮しますが、集団主義原則に基づき共同発展・共同富裕を目指すからこそ社会的に有用な知見は共同で用いる方向性が基本です。オープンイノベーションと社会主義は親和的であると言えるだろうと述べました。

穀物管理法と知的所有権法とに共通するのは、私的な利益追求を社会主義の枠組みに位置づけることだと考えますキム・ジョンイル同志がかつて仰ったように、私的利益と公的利益との両立を模索することは、集団主義としての社会主義の本態です。キム・ジョンウン同志は集団主義としての社会主義の正道に沿って朝鮮式社会主義を不断にアップデートなさっていると当ブログは考えます

■党大会へ
2025年は朝鮮労働党第8回大会で採択された国家経済発展5カ年計画の最終年度であることから、キム・ジョンウン同志は、これら経済建設にかかる諸課題と政策方向性の提示を提示した上で、共和国の経済構造と具体的実情に合致した経済全般を統一的に管理するシステムの導入や、経済計画化事業と価格事業を改善することなどに関する方法論的問題の解決に注力し、経済成長目標を成功裏に達成することについて重要に強調なさいました。

また、私的利益と公的利益との両立を模索することは集団主義としての社会主義の本態ですが、穀物管理法及び知的所有権法に顕著にあらわれているとおり、キム・ジョンウン同志は集団主義としての社会主義の正道に沿って朝鮮式社会主義を不断にアップデートなさっていると当ブログは考えます。

つまり朝鮮労働党は、社会主義の原則を固守しながらも、社会主義制度そのものを不断にアップデートしているわけです。この道筋が来る党大会でどのように新たなロードマップ提示として現れるか注目です。

■朝鮮労働党の歴史は社会的・政治的生命体形成の歴史
今年は朝鮮労働党創建80周年の記念すべき年です。10月10日づけ「朝鮮労働党創建80年慶祝大会でキム・ジョンウン同志が行った演説について」では、記事名どおり、朝鮮労働党創建80年慶祝大会でのキム・ジョンウン同志の演説を取り上げました。

当該演説においてキム・ジョンウン同志は「事実上、政権を維持し制度を守ることだけでも奇跡」と仰いましたが、このお言葉は誇張されたものではなく、まさしく真実であるといえます。それゆえ、朝鮮革命の道筋と不滅の功績は、朝鮮労働党の革命思想と路線の科学性と生活力の発現であるといえると当ブログも考えます。

また、キム・ジョンウン同志は、基層党組織の強化が優先されたと指摘なさいましたが、このことに当ブログは注目したいと述べました。このことは、人民の革命的熱意と創造力を最大限動員する方法論と工作風貌を誇っている点を鑑みるに、単に上意下達の命令系統が整備されたことを意味するものではないでしょう。革命的熱意は上から押し付けるものではないし、人民の創造的能力は上から降ってくるノルマを単にこなす仕事方式では発揮され得ないものです。

かねてより当ブログは、共和国は、一方において首領を頭脳、党を神経とする中央集権体制でありながら、他方において自力更生・自力自彊という強固なイデオロギー的基盤に支えられた分権的体制という側面もあり、このことが朝鮮式社会主義の強靭さの秘訣であるのではないかとしてきました。トップダウンだけではなくボトムアップを正統化できる理論も具有しているのが朝鮮式社会主義の強みであると考えています。そうした朝鮮労働党の組織としての在り方の特徴が「基層党組織の強化」という一文に凝縮されているように当ブログは考えると当該記事では独自見解として述べました

キム・ジョンウン同志は演説で今回も人民への感謝、人民への報答の義務に言及した上で、感情を揺さぶるような結びをなさいました。キム・ジョンウン同志が感情を揺さぶるような名演説をなされるようになった契機は、当ブログは、正面突破戦及び非常防疫大戦であったと考えています。2020年の総括記事で述べたとおり、長年続く経済封鎖と年初からのコロナ禍、その上に襲い掛かった台風被害というあまりにも重すぎる三重苦を「正面突破」するためにキム・ジョンウン同志は、社会的・政治的生命体(社会政治的生命体)の構築という共和国・朝鮮式社会主義の原点を踏まえ、共和国における人間関係の基本としての「情」に立ち戻られたのです。情の重要性については、このあと振り返る党機関紙『労働新聞』掲載の政論《공산주의로 가자!》(2024年6月27日づけ紙面掲載)でも力点が置かれています。この方法は、当ブログがコロナ禍時節に繰り返し取り上げてきた日本の世相を振り返るに、高度な団結を維持できた点において大成功だったと考えます。

この方法はキム・ジョンウン同志の政治姿勢としてすっかり定着したものであり、キム・イルソン同志そしてキム・ジョンイル同志が生涯をかけて形成なさってきた社会的・政治的生命体の系譜に連なるものですが、今回もそうした政治姿勢が顕著にあらわれていたと述べました。

■社会的・政治的生命体は海を隔てても形成される――朝鮮総聯結成70年
当ブログは社会的・政治的生命体に魅力を感じるからこそチュチェ思想を支持していると以前より立場を鮮明にしてきました。このテーマに沿って6月24日づけ「海を隔てつつ形成されている社会的・政治的生命体――在日本朝鮮人総聯合会結成70周年」では、在日本朝鮮人総聯合会結成70周年に際してキム・ジョンウン同志が総聯活動家と在日同胞にあてた書簡について取り上げました。

当該記事で当ブログは「雄大な理想を掲げる運動でありながら、個々人の個人的な思いや事情とも深く結びついている総聯を中心とした在日朝鮮人運動」であると僭越ながら指摘しました。すなわち、キム・ジョンウン同志の「私は、資本主義の日本でいかなる試練や難関が横たわってもひるむことなく、組織的基盤をさらに磐石のごとく打ち固めて愛国事業を大胆に展開する総聯活動家と在日同胞の姿を見るたびに、総聯に対する自負と共に、どこの国の海外同胞も歩めなかった未曽有の道を屈することなく歩み続けた総聯の結成世代に対する尊敬の念でおのずと胸が熱くなります」とか「平穏な環境と裕福な状況下ではなく、困難を極める試練の中で築かれた結成世代の伝統が、次の世代が歩んでいく愛国・愛族の大路に貴い布石として敷かれているため、総聯の誇るべき歴史は永遠に不滅でしょう」といったお言葉に対して、在日本朝鮮民主女性同盟活動家の「金正恩総書記が総聯活動家と在日同胞に寄せた書簡を読み、胸を熱くした同胞は少なくはないであろう。青二才の私ですらジーンと込み上げるものがあった。今はこの世にいない無数の活動家たちや恩師、先輩たちの埋もれていたものが、すうーっと日の目をみたような感覚があった」とするコラムを掲載した『朝鮮新報』記事を取り上げました。雄大な理想を掲げる在日朝鮮人運動が極めて個人的な出来事と不可分に結び付けられている、それもキム・ジョンウン同志のお言葉を契機に紡ぎ出されているのです。

ここに当ブログは、共和国の旗を掲げて総聯を中心として展開される在日朝鮮人運動の生命力・強靭さを強く感じるところです。雄大な理想を掲げる運動でありながら、個々人の個人的な思いや事情とも深く結びついている、感情レベルで結びついているのです。まさしく、血縁的関係を紐帯とする社会的・政治的生命体が海を隔てつつ形成されていると言えるでしょう。

■永遠の社会的・政治的生命を授かることができた人物の生涯は如何なるものか
12月15日づけ「故キム・ヨンナム同志の哀悼辞について」では、故キム・ヨンナム(金永南)同志の逝去(11月5日)にかかるパク・テソン(朴泰成)同志の哀悼辞を取り上げました。

朝鮮音楽に≪생이란 무엇인가≫(生とは何か)という曲があります(https://www.youtube.com/watch?v=TYpOhCnl7Ms)が、キム・ヨンナム同志の追悼行事を報じる朝鮮中央テレビ報道では、佳境においてこの曲がBGMとして流されています(https://www.youtube.com/watch?v=ZtLP9M1JXWQ)。

故人の業績を激賞する哀悼辞です。昨年当ブログでは死生観について何度か言及しましたが、このような哀悼辞を墓前で読み上げられるような生涯こそが、永遠の社会的・政治的生命を授かることができた人物の生涯であると言えるでしょう

■反帝自主の大道を歩む
反帝自主については、9月21日づけ「朝ロ包括的戦略パートナーシップ条約が実際に軍事同盟として機能し、反帝自主の共同戦線が虚勢ではないことが実証された」で取り上げました。

誰もがロシア領だと認めるクルスク州の奪還作戦に、朝ロ包括的戦略パートナーシップ条約を根拠として朝鮮人民軍が参加しロシア軍と共に戦ったという事実は、もし米側が朝鮮民主主義人民共和国に手出しを企図すれば、これとまったく同様にロシア軍が介入してくるということを意味します。朝鮮人民軍のクルスク作戦参加の意義・位置づけは、朝ロ包括的戦略パートナーシップ条約が実際に軍事同盟として機能し、反帝自主の共同戦線が虚勢ではないことが実証した点にあります。

当該記事では、先だってキム・ジョンウン同志が大韓民国を第一の敵対国と定義した意味合いが戦争回避であることがますます明確になってきましたとしました。大韓民国を敵対国と位置づけることの要点は、「大韓民国が実効支配している地域は我が共和国の領土ではない」です。思いもよらないことが口実となって戦争が仕掛けられかねないのが朝鮮半島の現実の安保現状であります。敵側に付け入る隙を絶対に与えないためには、あくまでも停戦でしかない祖国解放戦争(朝鮮戦争)の戦火が再び燃え上ることを絶対に阻止するためには、大韓民国を敵対国と位置づけることは、むしろ必要なことだと言えるだろうと述べました。

6月24日づけ「海を隔てつつ形成されている社会的・政治的生命体――在日本朝鮮人総聯合会結成70周年」では、「総聯の活動家たちは反帝・反植民地主義のポジションを貫いてきた。活動家たちが持っていたこのような政治意識と、在日同胞の生活は切り離して考えられない。むしろ活動家たちはこの両方を結び付けるために奔走した」とする在日本朝鮮民主女性同盟活動家の記事を掲載した『朝鮮新報』の記事を取り上げました。日々の総聯活動の方向性を、大きくは反帝自主の方向性と結び付けているわけです。

キム・ジョンウン同志は、総聯結成70周年を記念する書簡で権益の擁護、新しい世代の育成、そして民族性の固守という三大注力事業を堅持すべき事業であると指摘なさいましたが、このことは突き詰めると自主的に生きるということです。自主的に生きる上での最大の障壁は、支配と隷属の構造です。個人の運命は集団の運命と分かち難く結びついており、現代においては自主化のための闘争は国と民族を単位に展開されるのが実相であるため、個人が自主的に生きるということは、突き詰めると国際的に反帝自主の闘いを展開するということになると言えます

■数年来の流れを総括して
さて、数年来、当ブログでは共和国において展開されている社会主義そのものの変革共産主義の発展的な復活について継続的に取り上げてきました。また、社会的・政治的生命体論の構築状況についても継続的に取り上げてきました。

社会主義そのものの変革については、集団的革新・社会主義的競争のモデルの定式化と、人民生活を社会主義建設の進捗バロメータとしたことが挙げられるでしょう。

集団的革新・社会主義的競争のモデルの定式化について2019年の年末総括記事では、「お互いに助け、導きあいながら集団的な革新を起こしていくこと」と「たち遅れた単位は、優れた単位に追いつくために拍車をかけ、先進的単位はさらに高い目標を立て駆け抜ける」ことを二本の大黒柱とする集団的革新・社会主義的競争のモデルが、イデオロギーに留まらず憲法レベルで法的にも位置づけられたと指摘しましたし、個人の能力と努力に対する評価が、集団主義精神の強化:社会主義の核心的価値観を実現・強化することに寄与していると積極的に位置づけられて評価されたとも指摘しました。しばしば「悪平等主義」とも表現される社会主義に競争概念を定式化させた社会主義企業責任管理制とその実運用は、社会主義の思想的発展史においても画期的出来事なのです。2024年の総括記事でも述べたとおり、ともに手を取りつつ競う集団主義的競争を社会主義建設の有力な推進力としつつ、分権制というと語弊があるが中央集権一辺倒とも異なる革命的大衆路線の現代的形態が展開されているのです。

このことは、人類史的意義を持つものと考えます。2019年の総括記事でも述べたとおり、弱肉強食の生存競争としての資本主義的競争が過熱化し、社会の分断が深まっている昨今であるからこそ、社会的人間の本質を正しく捉えた人間観を基礎とする本来あるべき競争に立ち返る必要があります。社会的人間の本質を正しく捉えた人間観を基礎とする本来あるべき競争のモデルであり、協業を必要とする高度に発展した現代産業社会に合致する競争のモデルでもある朝鮮式競争モデルは、社会主義運動内部だけに限定されない人類史的意義を持つでしょう。

人民生活を社会主義建設の進捗バロメータとしたことについて、2022年には、国家核武力開発が、民生の中でも特に子どもたちの笑顔や未来のためであるという位置づけが強調されていた点を取り上げ、「子どもたちの笑顔や未来を守るため」といった生活の匂いに満ちた現在の宣伝は、現代主体的社会主義の真髄が非常によくあらわれているのではないかとしました。

2023年には、この年、人民生活に密接にかかわる諸部門での成果が大々的に取り上げられるようになったことを指摘しました。すなわち、住宅建設や余暇・娯楽施設建設、軽工業などの人民生活に密接にかかわる諸部門にスポットライトが当たるようになったのです。

日常生活が変化・向上するからこそ「よりよい暮らしが可能だ」と希望を持って更なる生産活動に従事できるようになります。ソ連末期の社会状況を鑑みるに、人々の生活上の「諦め」が西側を崇拝する意識を強めて社会主義を放棄し連邦崩壊に繋がったことを考えると、人々の日々の生活に潤いと楽しみを与える諸事業への注力は、非常に重要な取り組みなのです。

人民生活に密接にかかわる諸部門での成果宣伝は、諦観が社会を支配することを防ぎながら社会主義建設において更なる飛躍に繋げようとしているものと考えられます。

共産主義の発展的な復活については、2021年には、キム・ジョンウン同志が、先代の頃から依然として厳しい状況にある対米関係に加えて先代の頃にはなかったコロナ禍という新たな課題にも直面しているが、それでも戦時統制的な経済政策を採用なさらなかったという事実はいくら強調してもし過ぎることはなく、それどころか今や個人や企業の個別的な利益を保護する法制度を整備しつつ同時的に共産主義の旗印を再度掲げ始めるという非常に興味深いことが起こりつつあると述べました。2021年の共和国は「共産主義を発展的に復活させるスタートラインについたと言えるかもしれません」とも述べました。

共産主義論については、党機関紙『労働新聞』掲載の政論《공산주의로 가자!》(2024年6月27日づけ紙面掲載)に見られたように、その後さらに発展したと言えるでしょう。同政論は、共産主義社会とは、すべての人々が喜びと悲しみを共に分かち合う社会であり、それは人間が望むことができる最高の理想社会であるとし、共産主義社会を建設する上では、経済発展や物質的満足を論じる前にまず人間に注目し人間の思想意識と道徳的格式を何よりも重視しなければならないとしました。また、共産主義における徳と情の重要性を強調しつつ、困難が共産主義に対する確信を深めるともしました。

人間どうしの関係を再構築することを共産主義運動の主たる目的として正しく据えているこのビジョンとプランは、チュチェ思想に基づく社会的・政治的生命体論をまっとうに継承しており、また、まさしく人類の歴史とほぼ同じくらい古い共産主義思想の歴史における正統な系譜に位置していると僭越ながら評価できるものであります。

また、2024年の総括記事でも指摘したとおり、かつて共産主義者と言えば聖人君子のような人物というイメージがあったが、政論《공산주의로 가자!》に則れば完璧な人間・立派な人間でなくとも、人間としてごく自然な道徳感情を大切にしていれば、共産主義者の端くれくらいにはなれそうな気がするものです。これは、「革命家の経済」から「普通の人の経済」へ、「超人的な人たちがつくる社会主義」ではなく「普通の人たちがつくる社会主義」への移行期に差し掛かりつつあることを示すものと考えます。「普通の人たちがつくる社会主義運動」、つまり社会主義・共産主義運動が無理のない現実的な運動として再生しつつあるものと当ブログは考えます

2022年の総括記事では、国防、インフラ建設、そして急場しのぎのジャガイモ生産などに一段落がついたと言えると述べました。このことはすなわち、ようやく朝鮮労働党が、その確固たる信条を実現させるために注力できる基盤が整い、生活の質向上に直結する農業振興に集中できるようになったことを意味すると述べました。

このことが、2022年というコロナ禍のさなかに起こったことは特筆的なことでした。当該記事では、朝鮮人民の潜在力がこのタイミングで引き出された要因には、キム・ジョンウン同志の仁徳という道徳的刺激もあるでしょうし、社会主義企業責任管理制による物質的刺激もあったものと思われます。指導者の卓越した仁徳と政策が根本にあると述べましたが、このことは2025年末の今もまったく変わりなく言えることです。

反帝自主については、率直に言って近年、当ブログではあまり積極的には取り上げなくなってきていました。しかし、上述のとおり、現代においては自主化のための闘争は国と民族を単位に展開されるのが実相であるため、個人が自主的に生きるということは、突き詰めると国際的に反帝自主の闘いを展開するということになると言えるので、来年以降は反帝自主の問題についても意識して取り上げることにします。

来る党大会ではどのような指導者の卓越した仁徳と政策が提示されるのか。それによって人民生活はどのように発展していくのか。それによって社会主義思想をどのように革新し共産主義社会を切り開くものになるのか。社会的・政治的生命体の形成はどのように進捗するのか。反帝自主運動はどのように展開されるのか。それらがどのように日本を含めた世界の自主化にとっての財産になるのか。期待は高まるばかりです。
posted by 管理者 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

最近の共和国の電力生産について李相哲・龍谷大学教授の反共和国言説の逆を読む

前回の記事では、最高人民会議第14期第13回総会(9月20日及び21日開催)で採択された穀物管理法と知的所有権法を取り上げ、私的な利益追求を社会主義の枠組みに位置づける方向性が見られるとしました。私的利益と公的利益との両立を模索することは集団主義としての社会主義の本態なので、この道筋が来る党大会でどのように新たなロードマップ提示として現れるか注目であると述べました。

穀物管理法と知的所有権法は、ともに経済政策を規定する法制度です。法制度は社会経済活動の土台があって初めて成り立つもの(※当ブログはチュチェ思想の立場をとるので、教条的マルクス主義のように下部構造が一方的に上部構造を規定していると言うつもりはありません)なので、今回は、穀物管理法と知的所有権法を支える社会経済的土台にスポットライトを当てるべく、特に最近の共和国の電力生産について考えてみたいと思います。

なお今回は、「邪道」とも言える方法で筆を進めたいと思います。李相哲・龍谷大学教授の反共和国言説の逆を読む形です。2024年4月に読売テレビで放映された番組の文字起こし記事(2024年6月公開)を取り上げます。
https://www.ytv.co.jp/miyaneya/article/page_pcq7jevk67a8fkog.html
【独自取材】最近の金正恩総書記が“おかしい”!? ブレまくりの方針に北朝鮮国内が右往左往か…専門家指摘「このような調子でやっていくと国が大変なことになるのではないか」
2024年6月22日 UP

 2024年もその動向が注目を集めている北朝鮮の金正恩総書記。朝鮮半島専門家の龍谷大学・李相哲教授はここ数か月の動向から“異変”を感じているという。

(中略)

(中略)
(【ミヤネ屋Pが全部聞く】2024年4月24日公開)
この手の記事には読み方があります。この手合いはケチをつけることが目的です。「本当はxxしなければならないのに、北朝鮮の指導者は愚かだから、…に現を抜かしている」といった構文で、党と政府が何をやっても必ずケチをつけてきます。それを逆手にとって「…に現を抜かしている」の部分の変遷を時系列で整理することで「ケチをつけることが目的の連中でさえ認めざるを得ないこと」を見出すのです。

上掲記事を読み込む前に、一例をお示ししておきましょう。元帥様肝いりの山林造成・国土緑化整備についてです。

共和国では長く農業生産拡大のために大々的な開墾が展開されてきましたが、山の保水力が大きく失われるほどに山林が伐採されてしまっていました。その結果、ちょっと多めの雨でも水害が発生し、農作物を土壌ごと押し流してしまう事態が発生していました。このことについては長く「まず植林すべきなのに、北朝鮮の指導者は愚かだから、ますます山を切り開いて事態をさらに悪化させている」などと指摘されてきました。「北朝鮮の禿山」は日本では一時期、失政の代名詞として言及されてきたものでした。

元帥様は最高指導者に就任して以来、山林造成・国土緑化整備に尽力されてきました。その結果、近年は、まだ完遂には至っていないものの以前に比べれば相当程度に整備が進んできました。ケチをつけることが目的である連中もそのことを認めざるを得ないのでしょう。2023年4月9日づけ「『社会主義強盛国家建設の要求に合わせ国土管理事業で革命的転換をもたらすことについて』から元帥様の統治の重要な要素を学ぶ」において取り上げたとおり、コ・ヨンギ(コウ・ヨンギ、高英起)氏の「デイリーNKジャパン」は、元帥様の執政開始からまだ日が浅かった2016年には「北朝鮮「緑化事業」で山林が減る理由」なる記事を書き立てましたが、2023年には「山に緑が戻るほど人々が飢える北朝鮮の植林事業」などと書き立てたものでした。

コ氏の記事によると、2016年時点で「「緑化事業」で山林が減」っている理由は「植林に反対する地元住民などが苗木を勝手に引っこ抜いている」からなんだそうで、2023年時点で「山に緑が戻るほど人々が飢え」ている理由は「かつて開墾した山間耕作地が山林に戻った」からとのこと――山を切り開いて耕作地にすると「禿山が水害の原因だ、失政だ」として叩く、反対に禿山に植林しても「耕作地が減った、失政だ」と叩く、この逆を読んでみましょう。まず、「緑化事業で逆に山林が減っている」と書き立てられた2016年の段階。「植林に反対する地元住民などが苗木を勝手に引っこ抜いている」ということは、逆にいうと山林造成・国土緑化整備事業が頓挫することなく推進し続けられていたということです。そして「山に緑が戻ったのに逆に人々が飢えている」と書き立てられた2023年。「かつて開墾した山間耕作地が山林に戻った」ということは、山林造成・国土緑化整備事業の政策目標が達成されつつあるということになります。

このようにすると「ケチをつけることが目的の連中でさえ認めざるを得ないこと」を見出すことができます。

その観点から李相哲教授の今次言説について、次のくだりに注目したいと思います。
あるときはスマートファームで野菜を育てて、『人民の生活に力を入れている』と報じられていますが、問題は北朝鮮の発電量は、室内で野菜を育てられる状況じゃないんですよ。今北朝鮮が大至急解決しなければいけない問題は、まず発電所を何とかすることです。しかも、発電所はタービンなどの部品を交換で済むレベルの問題ではなくて、そっくり入れ替えないと使い物にならない、もはや修正が利かなくなっている状況なんです。そのような基本的な問題を解決せずに、電気をたくさん食う野菜工場を作れとか、彼がやっているのは経済原理に全く合わないと私は思っています。
「発電所そのものを建て替えなければならないのに、北朝鮮の指導者は愚かだから、タービンなどの部品の交換しかしていない」という典型的なケチ付け構文です。「発電所の部品交換」がピンポイントで槍玉にあげられているのは、朝鮮労働党が第8回党大会で掲げた「整備・補強戦略」の成功例として、電力工業部門で火力発電機用タービンブレードの交換工事を進めたことで発電効率が向上したことを政策の成功例として特筆的に言及していることを意識してのことでしょう。

整備・補強戦略に対するじゅうぶんな理解が必要です。そもそも整備・補強戦略とは、「より大きな飛躍を遂げるために、自立経済の土台を再整備する」(「整備・補強事業の教訓」 『朝鮮新報』 2023年07月05日)ものです。そしてこれは、「経済事業体系と部門間の有機的連携を回復整備し、自立的基盤を固めるための事業を推進して朝鮮経済をいかなる外部的影響にも揺らぐことなく円滑に運営される正常軌道に乗せる」ためのものです(「〈朝鮮経済 復興のための革新 7〉不合理な体系・秩序の刷新」 『朝鮮新報』 2021年09月01日)。また、「経済建設の過程にはその能力が早いスピードで向上する部門や単位があり、そうでないものもある。結果、それらの均衡関係は絶えず変化する。既存の事業体系や秩序が変化した条件と環境に適合していない場合もある。連鎖的な循環の輪をなす部門と単位の間に不均衡が生じ、事業体系と秩序が現実に合致しなくなれば、生産と消費の連携が適切に実現されず、結果的に経済を円滑に運営することができない。5カ年戦略の遂行目標が未達に終わった原因の一つがまさにそれだった」と指摘しています。さらに、「一部の生産工程や設備だけでなく、国家レベルで経済事業体系と部門間の有機的連携を回復・復旧させる、そして新たな高みで「連帯的革新」を成し遂げるということだ。その作業は膨大なものになる。それは一朝一夕では実現せず、一定の期間にわたって段階的に推し進められる戦略的な事業だ」とも指摘しています。部門間の均衡がとれた生産活動を展開させるには一朝一夕では成し遂げられるものではないので、まずは自立経済の土台を再整備するというのが整備・補強戦略の基本的な狙いなのです。これは現実的な方策であると言えます。

李教授は「今北朝鮮が大至急解決しなければいけない問題は、まず発電所を何とかすることです。しかも、発電所はタービンなどの部品を交換で済むレベルの問題ではなくて、そっくり入れ替えないと使い物にならない、もはや修正が利かなくなっている状況なんです」、つまり「発電所を新設しろ(できやしないだろうけど)」と主張しています。李教授は、一朝一夕では成し遂げられぬ均衡のとれた自立経済の土台を再整備するという整備・補強戦略の基本的な狙いをまったく理解していないと言わざるを得ません

李教授が言うように発電所を「そっくり入れ替え」るとすれば、その建設のためには相当期間を要する話ですが、建設期間も人民生活は一分一秒連綿と続いています。この瞬間も途絶えることなく続いている人民生活にとって必要とされる電力需要には、新しい発電所の完成を待つことはできず、その需要を満たすためには既存の発電所を整備・補強することで支えるのが正道だと言えます。そうした観点から当ブログは、タービンブレードの開発と交換を整備・補強の重要目標とした党と国家の判断は英明であると考えます。

いつになるかも分からない新しい発電所の建設を待ってはいられないのです。

もしかすると「発電所への投資がタービン部品の交換くらいでしかないのに、方や、大量の電力を消費する野菜工場を作っているという『バランス』の問題なんだ。露地栽培の野菜を増産するために肥料工場を建設するくらいなら文句はない。野菜工場のような先端技術をどうしても取り入れたいのなら、それに見合った新しい発電所を作るべきだと言っているんだ」というのかもしれません。

このことについては、『朝鮮新報』の「経済建設の過程にはその能力が早いスピードで向上する部門や単位があり、そうでないものもあ」るが「連鎖的な循環の輪をなす部門と単位の間に不均衡が生じ、事業体系と秩序が現実に合致しなくなれば、生産と消費の連携が適切に実現されず、結果的に経済を円滑に運営することができない」という指摘を踏まえる必要があるでしょう。仮に李教授の言うように新しい発電所を建設したところで、今度はそこで生産される膨大な電力を有効に活かせる経済各部門の生産設備の建設が追いつかないでしょう。まさにバランスの問題です。

目下の状況では野菜工場の稼働率を最初から高くはできず、段階的に生産量を増やして行くことにならざるを得ないかもしれません。しかし、李教授の言うとおりの順序で建設をすれば、今度はせっかく作った新しい発電所がしばらく開店休業状態になってしまうでしょう。部品を交換して発電能力を徐々に向上させながら、その電力を使う工場等の整備も進め、電力生産と電力消費を螺旋階段式の関係で上げてゆくという方法が現実的な方法であると考えます。

このことについては、また、人民生活に実際の変化をもたらすという元帥様の政策目標を踏まえる必要があるでしょう。

2023年12月30日づけ「諦観とソ連崩壊、その轍は踏むまいとする朝鮮労働党」でも書いたとおり、日常生活が変化・向上するからこそ「よりよい暮らしが可能だ」と希望を持って生産活動に従事できるものです。人民の住まいや日用品など、生活水準において実際的な変化を実現させることで、諦観が社会を支配することを防ぎながら社会主義建設において更なる飛躍に繋げようとしているわけです。当該記事では日用品のパッケージデザインが洗練されてきたことを取り上げました。日用品のパッケージデザインが変わったところで腹が膨れるわけではないし金属工業や化学工業といった国の重点産業の生産量が増えるわけでもありません。しかし、人民生活に実際の変化が起こる予感をもたらす点において大きな意味があります。

その観点から考えると、野菜工場で作られた新鮮な野菜が食卓に並ぶとすれば、これは生活水準が大きく向上しつつあると実感させるには大きな効果があります。サンケイ新聞は、リョンポ(連浦)温室農場着工式での元帥様の演説を報じる記事において「北朝鮮の気候で十分な野菜を人々に供給するには「温室を多くつくり栽培の現代化と集約化を実現しなければならない」と強調した」としています(「金正恩氏がくわ入れ 北朝鮮、軍動員し農場建設」2022/2/19 12:30)。じゅうぶんな量の野菜が供給されるということは共和国においては大変化です。また、同温室農場の竣工式について朝鮮中央通信は、「東部戦線の空軍基地を大規模な温室農場に転換させ」たと報じています(「련포온실농장 준공식-김정은총비서 참석」2022年10月11日)。軍民転換にわざわざ触れた宣伝意図は明白です。新しい時代が到来したことを強く印象づけるためです。

そもそもこの論点は、野菜工場の電力消費量と発電機の部品交換によって増え得る電力生産量の具体的な値が外部からは観察できないので議論し難いのですが、野菜工場の建設自体が目的なのではなく人民生活に実際の変化をもたらすという至上命題がある以上は、まったく意味のない・見込みのない部品交換や工場建設のために多額の投資は為されないでしょうから、ある程度の経済実務上の計算はたっているものと思われます。前述のとおり、野菜工場の稼働率を最初から高くはできず、段階的に上げていくという形は取らざるを得ないかもしれません。しかし、それは決して「身の丈に合わない愚かなこと」ではありません。共和国の農業研究員平壌野菜科学研究所のナム・ムンス研究士によると「温室野菜生産の現代化や集約化、工業化は世界的な流れ」であり、「両耕斜面連結式ガラス水耕温室をはじめとする水耕・土壌温室は、現代化、集約化、工業化の側面から先進的な農業技術を普及する実物教育農場の母体」となっており「肥料節約と生産正常化に貢献してい」るとのこと(「北朝鮮で広がる温室野菜技術」2023年01月31日(火))。歌謡≪돌파하라 최첨단을≫で≪지식경제시대인 오늘날 떨어지면 기술의 노예되리≫と歌われているように、むしろ世界から遅れているからこそ多少無理してでも先端技術を追わなければならないでしょう。共和国では「苦難の行軍」の時期にも光ファイバー通信ネットワークの敷設は続けられたものでしたが、その投資がいま大きく花開いています。それよりは余程早く効果があらわれるでしょう。

なお、新発電所建設について申せば、たしかに計画に対する遅延が著しいものの、オランチョン(漁郎川)やタンチョン(端川)なとで水力発電所建設を進めてきており、前者は全工事が完工しており後者も建設が進んでいます。最近も「NKニュース」を引いた形で「ことしの6月26日から29日の間に端川水力発電所の調圧水槽の上段から水が噴き出し、スイッチヤード(発電所の電気を送電線に供給したり受給する設備)2か所と、すでに完成している6号発電所が破損した」と報じています(「北朝鮮が意欲的に準備していた水力発電所が「深刻な故障」」 2025年11月25日 16時34分 WoW!Korea)が、建設工事が進んでいること自体は認める形となっています。李教授の言いようについて言えば、まったく建設に着手していないのならばまだしも決してそんなことはありません。「発電所そのものを建て替えなければならないのに、北朝鮮の指導者は愚かだから、タービンなどの部品の交換しかしていない」と言わんばかりの彼の主張には大きな疑問符をつけざるを得ないでしょう。

このように考えると、いずれにせよ、李教授は典型的なケチ付け構文を展開していると言わざるを得ませんが、この主張を逆読みすると「発電所の部品交換が進んでいる」こと、つまり整備・補強戦略が頓挫することなく推進し続けられていること、そして「野菜工場の建設が進んでいる」ことは彼でさえも認めていることが分かるのではないでしょうか。

地方発展20×10政策が力強く推進されています(李教授がケチをつけた2024年春〜初夏の時点では既に地方発展20×10政策が提唱されていたはずですが、彼がこのことについて言及せず、野菜工場=温室農場に限って言及したことは、今となっては不可思議に意外なことです)。すべての地方の均衡的かつ全面的発展を目指しつつ、各地方の特色を生かす地方工場等が、国家の強力な後ろ盾をうけつつ次々に建設されています。地方発展20×10政策の目標は地方工場等の建設そのものではなく人民生活に実際の変化をもたらすことにあります。現に、人民生活に実際の変化をもたらすことができていないイルクンたちは元帥様から幾度となく強い指導を受けてきました(反共和国言説の表現を借りれば「激怒されてきました」)。共和国の電力生産量がじゅうぶんだとは当ブログも考えません。日本などと比べれば依然として厳しいものがあると思います。しかし、整備・補強戦略が頓挫することなく推進し続けられており、地方発展20×10政策を支えることができる程度には段階的に増産されつつあると言えるのではないでしょうか。

さて、冒頭でも述べたとおり、この方法は「邪道」とも言える方法です。ちゃんとした論証になっていないことは百も承知です。しかし、反共和国言説で商売をしている手合いは、商売のためだからこそ日々の情報収集に余念がないとも言えます。彼らの反共和国言説の根底には、それなりの量の元情報・元ネタがあるわけです。彼らのビジネスとしての反共和国言説に敢えて乗っかることで彼らが集めてきた情報を「批判者でさえも前提としている・認めているので事実である可能性が高い情報」という形で効率よく頂戴し、そうした情報をもとに展開される主張の裏を読んだり論理的矛盾を突いたりすることで推測し得る知見は、まったく無ではないと当ブログは考えます
ラベル:共和国
posted by 管理者 at 23:52| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年12月30日

穀物管理法と知的所有権法について

まもなく朝鮮労働党第9回大会が開かれる見通しです。整備・補強戦略及び社会主義強国15年構想の道筋に沿った新しい方向性の提起が期待されるところです。西側諸国による経済封鎖、非常防疫大戦そして自然災害という三重苦を克服し、整備・補強戦略によって経済体系、サプライチェーンそして技術的土台を固めることで内的動力を強化・活性化して全般的発展への展望が開かれた今日、アメリカ一極支配が崩壊し世界が多極化するという外的環境の変化を反映する形で、いかなる社会主義建設の具体的なロードマップが示されるかが注目点であると言えます。

それを考えるにあたって、今回は遅ればせながら、最高人民会議第14期第13回総会(9月20日及び21日開催)を振り返りたいと思います。朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』が≪최고인민회의 제14기 제13차회의 진행/ 김정은원수님께서 연설≫において報じています(今回はこの記事をベースにします。和訳はしないので朝鮮語が分からない方はGoogle翻訳なりネイバーのPapago翻訳を使ってください)。当該総会は、日本では対米・対韓関係にかかる立場表明ばかりに注目が集まりましたが、当ブログは、穀物管理法と知的所有権法について注目したいと思います。

■穀物管理法
まずは穀物管理法について取り上げましょう。

糧穀「管理」所――糧穀「販売」所は従前からその存在を知られていたものですが、糧穀「管理」所は比較的新しい概念です。初出は昨夏の元帥様の地方現地指導であったと思われます。日本大学の川口智彦教授が運営する個人ブログ「北朝鮮報道で書かれないこと」様は、「「敬愛する金正恩同志が地方工業工場建設事業を現地で指導」:「元帥様」が「地方発展20×10政策」拡大版指示、病院、科学技術普及拠点、糧穀管理所の同時建設を指示、10年後の農村を思い描く (2024年8月26日 「朝鮮中央通信」)」において取り上げています。
また、穀物を加工し、保管する各施設を通称する「糧穀管理所」という概念を作ることに関する教示をされながら、糧穀管理所も既にあった施設を補修するという消極的な態度ではなく、国家が直接取り組み、新たに建設してやり、苦労して収穫した穀物を一粒も無駄にしないように保管管理をきちんとし、特に人民に質が良く加工された食料を供給できるようにしなければならないと言われた。
또한 낟알을 가공하고 보관하는 여러 시설들을 통칭하여 《량곡관리소》라는 개념을 만들데 대한 가르치심을 주시면서 량곡관리소도 이미 있던 시설들을 보수나 하는 소극적인 태도가 아니라 국가에서 직접 틀어쥐고 새로 건설해주어 애써 거두어들인 낟알을 한알도 허실없이 보관관리를 잘하며 특히 인민들에게 질적으로 가공된 식량을 보장해줄수 있게 해야 한다고 말씀하시였다.
一般的な語感からも上掲記事からも推察できますが、糧穀「管理」所は、糧穀「販売」所の管理を一層強化したものであると言えるでしょう。糧穀「販売」所については、「デイリーNK」"を下敷きとしているあたりその言説は慎重に取り扱う必要があるものの、平井久志氏が2023年5月時点の記事で割とコンパクトにまとめています。
https://gendai.media/articles/-/109741?page=2
北朝鮮の食糧供給は配給品を渡す「食糧供給所」と「市場」が共存することで成り立っていた。北朝鮮当局はこの「市場」の機能を「糧穀販売所」へ移管し、食糧供給全体を国家統制下に置こうとしたとみられた。

完全な配給制を復活することはできないが、配給制度を補完するための主食の売買は国家が統制しようとしたとみられた。

このため、北朝鮮当局は国営の「糧穀販売所」のコメの価格を当初は市場の価格よりも低く設定し、住民の購入を誘導した。住民たちも安くコメを買えると当初は人気だったという。しかし、コメを安く売ると国が経費を負担しなければならない。これを避けるために農場からの購入価格を安く抑えた。

すると農場側は生産物を国に安く買いたたかれるために、拠出を渋り出した。さらに、品質の悪いものを糧穀販売所に出し、品質の良いものを市場に出すようになった。農場は国にコメなどを買いたたかれるくらいなら、高くなるまで貯蔵しようとし、市場の流通が妨げられるようになった。

糧穀販売所で売られるコメの質が低下し、消費者から不満が出た。消費者は糧穀販売所での購入を止め、再び市場で購入するようになった。このため、こうした動きを阻止するために昨年10月ごろから、市場での穀物売買を統制する動きを強めた。

金徳訓首相が全国の食糧供給所と糧穀販売所の視察を続けた背景には、こうした状況を把握しようとするものだったとみられた。

2022年12月に最高人民会議常任委員会常務会議が開かれ、「農場法」、「糧政法」の修正、補充が行われた。「糧政法」の修正は、先述の穀物販売所の設置を決めた2021年9月ごろの修正に続くものだった。

『労働新聞』(昨年12月8日付)は、農場法について「社会主義農業企業体としての農場の定義、穀物予想収量の判定、穀物義務買付け計画の示逹、農場活動の条件保障に関する条項が修正された」とした。糧政法については「糧穀の買い上げや加工、販売などにおいて制度と秩序を厳格に打ち立て、糧政事業を発展させるための重要な諸問題が補充された」とした。

農場を「社会主義農業企業体」とするのはこれまでにあまりない表現だった。北朝鮮が農村を思想革命する中で生まれた言葉だけに、市場経済的な意味合いを強めたというよりは、収穫から流通の全段階で当局の統制を強めることで、農場経営の効率化や生産性の向上を目指したものである可能性が高い。
主食の売買を国家の統制下に置こうとする文脈で登場したのが糧穀「販売」所であるが、国の調達価格が安すぎたために農民らが売り惜しみ・横流しをするようになったので、穀物流通の国家統制が強化され、農場経営の効率化や生産性の向上を目指しているというのが平井氏の整理・見立てです。

その見立てが正しいとすると、朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』が報じた元帥様の下記演説の意味合いが際立ちます
https://chosonsinbo.com/2025/09/22-347/
지금 적지 않은 단위들에서 근로자들의 로동조건,생활조건에 관심을 돌리지 않고 생산계획이나 건설과제를 수행하는데만 치중하는 편향들이 보편적으로 나타나고있습니다.
いま、少なくない単位で、勤労者たちの労働条件、生活条件に関心を払わずに生産計画や建設課題を遂行することのみを重視する偏向が普遍的に現れています。

우리는 어떤 환경에서도 인간중심의 사회주의본태를 흐리게 하여서는 안되며 생산에 앞서 사람을 먼저 보고 생산자들의 건강과 편리를 도모하기 위한 초보적인 문제부터 하나하나 해결해나가야 합니다.
我々は、いかなる環境においても人間中心の社会主義の本態を曇らせてはならず、生産に先立って人間を見て、生産者たちの健康と便利を図るための初歩的な問題から一つ一つ解決していかなければなりません。

현재 전국적으로 농사결속을 위한 사업들이 본격적으로 진행되고있는데 계획수행을 구실로 농장원들의 분배몫을 떼내거나 알곡을 이리저리 부정처리하는 현상이 없도록 하여야 합니다.
現在、全国的に収穫事業(直訳:農業結束のための事業)が本格的に進行していますが、計画遂行を口実に農場員たちの分配の取り分を取り除いたり、穀類をあちこち不正処理する現象がないようにしなければなりません。

우리에게는 계획되여있는 알곡생산량도 필요하지만 농장원들의 권익이 더 중요하며 당정책을 절대적으로 믿는 민심이 더 귀중합니다.
我々には、計画されている穀物生産量も必要ですが、農場員たちの権益がより重要で、党政策を絶対的に信じる民心がより貴重です。

정책집행과정에 세도와 관료주의를 부리고 인민들의 리익을 침해하는것과 같은 우리 국가의 인민적성격에 배치되는 사소한 요소도 허용하지 말아야 하며 모든 국가사업을 일심단결을 강화하는데로 철저히 지향시켜야 합니다.
政策執行過程で権力と官僚主義を振るって人民の利益を侵害するような、我が国家の人民的性格に反する些細な要素も許容してはならず、すべての国家事業を一心団結を強化することに徹底的に指向させなければなりません。
国の調達価格が安すぎたがゆえに農民らが売り惜しみ・横流しをするようになったこと、そして≪계획수행을 구실로 농장원들의 분배몫을 떼내거나 알곡을 이리저리 부정처리하는 현상≫という表現を鑑みるに、地方によっては権力を振りかざすような方法で穀物の調達が実施されてきたこと、これらを総和しつつ、新しい糧穀「管理」所が農民らの利益により配慮した形で食糧の円滑な供給を政策として推進するという方向性を宣明したものであると言えるでしょう。

これこそが個人と全体との利益を調和させる集団主義としての社会主義の本態に根ざしたものであると言えると考えます。その意味で今回の穀物管理法は、その詳しい具体的内容までは外部観察者からは分からないものの食糧政策において集団主義としての社会主義原則を打ち立てるために農民らの利益に寄り添う形での新たな試行錯誤の一ページであるとは言えるでしょう

そして、≪계획되여있는 알곡생산량도 필요하지만 농장원들의 권익이 더 중요하며 당정책을 절대적으로 믿는 민심이 더 귀중합니다.≫という元帥様のお言葉を鑑みるに、そうした生産者の私的な利益に寄り添うことこそが党の政策を絶対的に信じる民心の獲得に不可欠であるという党の公式見解を読み取ることができるでしょう。私的利益を公的利益との両立を模索することは、集団主義としての社会主義の本態であると当ブログは考えます

■知的所有権法
続いて知的所有権法について。

当ブログの今年最初の記事でも取り上げたとおり、いま共和国は科学技術強国路線・科学技術と経済の一体化路線を歩んでいますが、科学的な技術開発と自単位への導入のみならずそれを全社会的に交換し合い普及することに重点が置かれています。その筆頭が2020年12月に採択された「科学技術成果導入法」です。これは端的に言うと、知的財産権を国際的基準で保護するための法律です。他単位が開発した新しい技術・新しい知見を自単位に導入する際の手続きとしての契約の段取りを定めているのです。

知的財産を巡る制度設計は、強く保護し過ぎると新技術・新知見が広く社会的に活用できず悪影響が大きくなるが、保護が弱すぎると誰も技術革新に取り組もうとしなくなるので、その匙加減が経済学的に非常に興味深いテーマです。当ブログは、個別の生産単位が開発した新しい技術・新しい知見を全社会的に広めることは、社会主義社会であればこそ存分に実践できるものであると考えます。これは国家の「向いている方向」、つまり基本的な性質によるものであると考えます。

資本主義国家は資本家階級の利益を代表する国家ですが、資本家階級の要求とは具体的には、個人主義原則に基づく個別資本家の要求の妥協点です。個別資本家は自分たちの儲けの種を独占したがるので、さまざまな口実を設けて「所有」権を主張します。私有財産に基づく個人主義社会においては、社会的に有用な知識が知的財産の名目のもとに、それを考案した人やその権利を購入し所有する人といった一握りの人々の独占物となり得ます。

これに対して社会主義国家は勤労人民大衆の利益を代表する国家であり、勤労人民大衆の利益は具体的には、集団主義原則に基づく共同発展・共同富裕であります。個別労働者の利益にも勿論配慮しますが、集団主義原則に基づき共同発展・共同富裕を目指すからこそ社会的に有用な知見は共同で用いる方向性が基本です。オープンイノベーションと社会主義は親和的であると言えるでしょう。

たとえば中国は、社会主義国ならではの政府の強力な支援の下、大手企業がスタートアップ企業にリソースを提供する形でオープンイノベーションが展開されています。このことは日本と比較すると顕著です。みずほリサーチ&テクノロジーズの「イノベーション環境の日中比較と日本のイノベーション政策の新たな展開」は次のように解説しています。当該レポートではいくつか要因を挙げていますが、本稿の文脈に即してここでは2点のみ取り上げます。
@企業の「自前主義」と「閉じたイノベーション推進体制」
中国においては、政府主導で大企業やスタートアップ、研究機関との密な連携体制が築かれているが、日本においては、自社単独での研究開発を重視する「自前主義」や、他社と連携する際も系列内や関連企業内での連携に留まる「閉じたイノベーション推進体制」がイノベーション創出の課題となってきた。経済産業省「企業の研究開発投資性向に関する調査」*15によれば、研究開発全体に占める自社単独での開発の割合は61.4%に上る一方で、国内のベンチャー企業との連携は0.9%に留まっている。日本企業は、企業グループ等系列内での連携に留まる場合も多い(連携先の内訳は、グループ内企業8.4%に対して、同業他社は2.7%に留まる)。

(中略)
B人材の流動性における課題
また、イノベーション活動の担い手は、高度な専門性を持つ人材である。中国の深センの事例では、大学や研究機関の人材が企業でパートタイマーとして働くことが奨励されることで、流動化が促進され、イノベーションにつながっていた。一方、日本では、大学や研究機関と企業の人材の交流は活発ではなく、こうした要因として大学組織における利益相反や秘密漏洩への懸念や兼業・副業についての規則が明確ではないこと等が挙げられる*17。
日本においては、自社単独での研究開発を重視する「自前主義」や、他社と連携する際も系列内や関連企業内での連携に留まる「閉じたイノベーション推進体制」がイノベーション創出の課題となってきたが、それは詰まるところ、利益相反や秘密漏洩への懸念などがあるというわけです。

なお、中国の知的財産権保護というと、いまだに「パクったもん勝ちの無法地帯」という印象が日本世論では根強いところです。しかし、本当にそうであれば中国はここまで経済発展しているはずがありません。知識経済時代である今日において知的財産権保護は私有財産権のもっとも重要な部分を法的に保護するものであり、現代の経済活動の根底を支えるものです。もちろん、個別企業にとっては死活的な権利侵害の例はあるでしょう。しかし、経済システム全体を揺るがせるほどの「やりたい放題」ではないと言わざるを得ません。現代中国が高度に経済発展しているという紛れもない事実は、中国の知的財産権保護がイメージほどは杜撰ではないことを示しています。

もとより、苦労して考案・発見した新しい技術・新しい知見をタダで使わせろというのは、専門家に対する著しい欠礼です。キム・ジョンイル同志が『チュチェ思想教育における若干の問題について』(1986年7月15日)において「社会的集団の統一をはかるからといって人間の自主性と創意性をおさえるならば、集団内の真の統一ははかれず、逆に人間の自主性と創意性を保障するからといって集団の統一を破壊するならば、個人の生命の母体である社会的集団の生命が弱体化され、個人の自主性と創意性そのものを保障することができなくな」ると指摘なさっているとおり、集団主義原則に基づく共同発展・共同富裕に反するものです。その点、知的財産権の保護は私的な経済的利益を法的に保護するという意味では資本主義的な側面もありつつ、しかし、決して集団主義としての社会主義と矛盾するものではないのです。

その意味で今般「知的所有権法」が≪지적소유권사업에 대한 정연한 체계와 질서를 수립하여 지적소유권보호제도를 강화하는것은 광범한 근로대중이 기술개발과 창조에 주인답게 참가하게 하며 지식과 기술로써 일하고 사회적진보와 발전에 이바지하는 사람들,과학기술인재들에게 실제적인 리익이 차례지게 하여 온 나라에 새 기술,새 제품개발열풍을 일으키고 생산력을 증대시키는데서 중요한 의의를 가진다고 한결같이 인정하였다.≫と評価されつつ全員賛成によって成立したことが、共和国の社会主義建設において大きな意味を持つものと当ブログは考えます

共和国は社会主義の旗の下、その核心である集団主義原則を礎として、知識の社会的活用において新しい試みを展開していると言えるでしょう。

■総括
穀物管理法と知的所有権法とに共通するのは、私的な利益追求を社会主義の枠組みに位置づけることであると言えるでしょう。上掲のとおり、キム・ジョンイル同志がかつて仰ったように、私的利益と公的利益との両立を模索することは、集団主義としての社会主義の本態です。キム・ジョンウン同志は集団主義としての社会主義の正道に沿って朝鮮式社会主義を不断にアップデートなさっていると当ブログは考えます。この道筋が来る党大会でどのように新たなロードマップ提示として現れるか注目です。
posted by 管理者 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年12月15日

故キム・ヨンナム同志の哀悼辞について

http://www.rodong.rep.kp/ko/index.php?OEAyMDI1LTExLTA2LTA0NUAyQEBAMUAx==
애도사
哀悼辞

동지들!
同志諸君!

우리는 오늘 우리 당의 위업을 충직하게 받들어온 로혁명가이며 명망높은 국가정치활동가였던 김영남동지와 영결하게 됩니다.
私たちは今日、我が党の偉業を忠実に奉ってきた老革命家であり、名望高い国家政治活動家だったキム・ヨンナム同志と永訣することになります。

혁명원로의 령전에 선 이 시각 우리들의 마음속에 갈마드는것은 기나긴 세월 이 나라와 운명을 함께 하면서 당과 국가의 중책을 지녀온 동지의 관직이나 경력에 대한 추억만이 아니라 조국과 혁명을 위한 헌신을 가장 보람있고 영광스러운 삶으로 간주하고 일순의 탈선도 없이 애국충성의 한길을 꿋꿋이 걸어온 결곡한 모습입니다.
革命元老の霊前に立った今、私たちの心の中に去来するのは、長い歳月に渡りこの国と運命を共にしながら党と国家の重責を担ってきた同志の官職や経歴に対する思い出だけでなく、祖国と革命のための献身を最もやりがいがあり栄光ある生とみなし、一瞬たりとも逸脱することなく愛国忠誠の一筋をまっすぐに歩んできた端正な姿です。

김영남동지는 근 80성상 우리 당을 따르고 당과 함께 영광의 일대기를 새겨오면서 위대한 혁명사상과 로선의 정당성을 지키고 우리 국가의 정치사상적위력과 권익을 수호하는데 뚜렷한 자욱을 새겨온 조선인민이 낳은 우수하고 열렬한 혁명가, 참다운 애국자의 한사람이였습니다.
キム・ヨンナム同志は、80星霜我が党に従って党と共に栄光の一代記を刻んできながら、偉大な革命思想と路線の正当性を守り、我が国家の政治思想的偉力と権益を守護することにおいて際立った足跡を刻んできた朝鮮人民が生んだ優秀で熱烈な革命家、真の愛国者の一人でした。

조선로동당과 조선민주주의인민공화국의 저명한 정치가, 오랜 지도간부로서 조국과 혁명을 위해 한평생을 바쳐 분투하였으며 고매한 풍모와 인격, 이룩한 공적으로 하여 전체 인민의 깊은 존경과 사랑을 받아온 김영남동지의 전 생애는 조국과 인민에게 무한히 충직한 참된 아들의 빛나는 행로였습니다.
朝鮮労働党と朝鮮民主主義人民共和国の著名な政治家、長年の指導幹部として祖国と革命のために一生涯を捧げて奮闘し、高邁な風貌と人格、成し遂げた功績により、すべての人民の深い尊敬と愛を受けてきたキム・ヨンナム同志の全生涯は、祖国と人民に無限に忠実な真の息子の輝かしい行路でした。

지금도 우리 인민들의 기억속에는 젊은 시절로부터 고령에 이르는 장장 수십성상 존엄높고 권위있는 공화국의 유능한 정치활동가로서의 고상한 인품과 당당한 실력을 과시하던 김영남동지의 모습이 새겨져있습니다.
今も我が人民の記憶の中には、若い頃から高齢に至る長い数十星霜、尊厳高く権威ある共和国の有能な政治活動家としての高尚な人格と堂々とした実力を誇示していたキム・ヨンナム同志の姿が刻まれています。

혁명을 하자면 더 많이 알고 더 많이 배워야 한다는 지론을 간직한 김영남동지는 한생토록 자신을 정치실무적으로 튼튼히 준비하기 위한 노력을 쉬우지 않았습니다.
革命をしようとすれば、より多くを知り、より多くを学ばなければならないという持論を持っていたキム・ヨンナム同志は、一生涯にわたって自分を政治実務的にしっかりと備えるための努力を軽んじませんでした。

김영남동지가 고백한것처럼 위대한 수령 김일성동지와 위대한 령도자 김정일동지의 가까이에서 직접적인 가르치심을 받던 뜻깊은 날과 달들은 자기의 두뇌와 심장을 완전히 새로운 주체의 두뇌와 심장으로 바꾸는 운명전환의 과정이였으며 세월이 흐를수록 더욱 귀중히 간직되는 정신적자양을 받아안은 잊지 못할 나날들이였습니다.
キム・ヨンナム同志が告白したように、偉大な首領、キム・イルソン同志と偉大な領導者、キム・ジョンイル同志の近くで直接的な教えを授かった意義深い日々は、自己の頭脳と心臓を完全に新しいチュチェの頭脳と心臓に変える運命転換の過程であり、時が経てば経つほど、より尊く思い出される精神的滋養を授かった忘れられない日々でした。

순간을 살아도 오직 수령의 사상과 의지대로만 사고하고 행동하여야 한다는 투철한 신념과 결곡한 실천이 결합된 본보기적인 지도간부, 높은 정치적안목과 저력있는 활약으로 우리당 혁명사상의 진리성과 공화국의 위상을 세계에 떨친 강직하면서도 로숙한 외교관으로서의 훌륭한 자질과 명예는 결코 타고난것이 아니라 자신이 맡고있는 혁명임무가 당과 수령의 절대적권위와 직결되여있다는 정치적자각을 가지고 피타게 노력한 결과였습니다.
瞬間を生きるにも、ただ首領の思想と意志のとおりに思考して行動すべきだという透徹した信念としっかりとした実践とが結びついた模範的な指導幹部、高い政治的眼目と底力のある活躍で我が党の革命思想の真理性と共和国の位相を世界に轟かせた剛直であり老熟した外交官としての立派な資質と名誉は、決して生まれつきのものではなく自分が受け持っている革命任務と党と首領の絶対的権威に直結しているという政治的自覚を持って全身全霊努力した結果でした。

김영남동지는 그 어떤 조건과 환경속에서도 자기의 사명을 완벽하게 수행할수 있는 사상정신적, 실천적준비의 끊임없는 제고로써 강한 자주적대와 혁명적원칙성을 생명으로 하고있는 우리 당과 국가의 대외활동을 원만히 보장하고 세계적판도에서 우리 위업에 대한 진보적력량의 지지와 성원을 이끌어내는데 기여하였습니다.
キム・ヨンナム同志は、いかなる条件と環境の中においても自己の使命を完璧に遂行できる思想精神的そして実践的準備の絶え間ない向上により、強力な自主敵対(注:自主的原則に基づいて外部勢力の干渉等に対して敵対的に対応すること)と革命的原則性を生命としている我が党と国家の対外活動を円満に保障し、世界的版図において我が偉業に対する進歩的力量の支持と声援を引き出すことに寄与しました。

세계사회주의운동의 발전을 저애하는 온갖 반혁명세력과 투항분자들과의 견결한 투쟁속에 우리 당의 혁명적성격과 권위를 수호하고 우리 혁명에 유리한 국제적환경을 조성한 중대한 성과들에는 정치외교활동의 전초를 굳건히 지켜온 김영남동지와 같은 우리당 외교전사들의 줄기찬 투쟁과 불멸의 위훈이 깃들어있습니다.
世界の社会主義運動の発展を阻害するあらゆる反革命分子と投降分子との堅実な闘争の中で、我が党の革命的性格と権威を守り、我が革命に有利な国際的環境を作った大きな成果には、政治外交活動の前哨をしっかり守ってきたキム・ヨンナム同志のような我が党の外交戦士たちの弛みない闘争と不滅の偉勲が宿っています。

투철한 혁명적신념과 높은 정치리론수준, 세련된 외교술로 사회주의위업의 필승불패성을 옹호하고 우리 국가의 대외정책을 철저히 구현해온 혁명원로들의 로정과 더불어 공화국정치외교사의 자랑스러운 페지들이 씌여질수 있었습니다.
透徹した革命的信念と高い政治理論水準、洗練された外交術で社会主義偉業の必勝不敗性を擁護し、我が国家の対外政策を徹底的に具現してきた革命元老たちの路程と共に、共和国政治外交史の誇らしいページの数々が記されてきました。

우리당 대외전략실현과 인민정권의 강화발전에 뚜렷한 공적을 쌓은 동지를 국가의 원로로 항상 존경하고 내세워주시며 생일 아흔돐을 맞는 동지에게 두번째로 되는 로력영웅칭호를 안겨주시고 아흔다섯돐 생일축하의 따뜻한 인사도 보내주신데 이어 지난해 7월에는 운신하기 힘들어하는 그의 손을 꼭 잡으시고 숭고한 화폭을 남기며 기울여주신 경애하는 김정은동지의 뜨거운 사랑은 날이 갈수록 강렬해지는 신념으로 장구한 정치활동경력을 빛내여갈수 있게 한 귀중한 활력소였습니다.
我が党の対外戦略の実現と人民政権の強化発展に際立った功績を築いた同志を国家の元老として常に尊敬し推し立ててくださり、生誕90周年を迎える同志に2回目の労力英雄称号を抱かせ、95歳の誕生祝いの温かい挨拶も送ってくださったのに続き、昨年7月には、動くのもやっとな彼の手をしっかり握って崇高な画幅を残してくださった敬愛なるキム・ジョンウン同志の熱い愛は、日増しに強烈になる信念で長久な政治活動経歴を輝かせていけるようにした貴重な活力源でした。

당과 국가의 중요직책에서 사업한 년한으로 보나 쌓은 공적으로 보나 여생을 편히 보내여도 결곡한 생에 흠이 없을 동지였지만 받아안은 신임과 사랑에 보답하자면 아직도 멀었다고 늘 외우면서 병석에서도 수령의 위대한 국가정치경륜과 불멸의 혁명활동업적을 구가하는 저서집필에 혼심을 다 바치였습니다.
党と国家の重要職責において、働いてきた歳月から見ても積み上げてきた功績から見ても、余生を楽に送っても一本気の生涯に傷がつかない同志であったが、抱き取った信任と愛に報いようとすれば、まだまだであるといつも思い起こしながら、病床においても首領の偉大な国家政治経験と不滅の革命活動業績を謳歌する著書の執筆に渾身を捧げました。

수령의 위대함을 담기에는 너무도 보잘것없는 글이지만 후대들이 우리 수령의 위대성을 읽을수 있고 이 나라를 빛내여나갈 신념을 더욱 억세게 벼릴수 있는 량식이 되기를 바라는 마음으로 글 한자, 표현 하나에도 심혈을 쏟은 김영남동지였습니다.
首領の偉大さを盛り込むにはあまりにも取るに足らない文章だが、後代たちが我が首領の偉大性を読み取ることができ、この国を輝かせていく信念をさらに強く鍛えることができる糧になることを願う気持ちで、文字ひとつ、表現ひとつにも心血を注いだキム・ヨンナム同志でした。

한생 높은 직책을 지니고 오래동안 국정에 참가하였지만 인생말년에 차례진 우대도 마다하고 가족, 친척들이 남들과 조금이나마 다른 티를 내는것을 불허한 정직하고 청렴결백한 품성은 자손들모두가 숭고한 그 세대와 빛나는 귀감들을 무한히 존대하고 따라배우게 하였습니다.
一生涯を高い職責を持って長い間国政に参加したが、最晩年には順当な優待も拒み、家族や親戚たちが他人と少しでも違う素振りを出すことを許さない正直で清廉潔白な品性は、子孫たち皆が崇高なその世代と輝く亀鑑を無限に尊敬し見習うようにさせました。

동지의 령전에 빛나는 공화국의 최고훈장들과 로력영웅메달들을 비롯하여 년대와 세대를 이어 빛내여온 충성의 나날에 지닌 그 모든 영예는 삶의 순간순간을 량심과 의리에 살며 당과 국가의 존엄과 영예를 떨치고 그 강화발전을 위함에 고스란히 바쳐진 혁명가의 한생이 얼마나 긍지높은 행로를 이어왔으며 얼마나 값높은 언덕에 올라있는가를 설명하고있습니다.
同志の霊前に輝く共和国の最高勲章と労力英雄メダルをはじめ、年代と世代を継いで輝かせてきた忠誠の日々に持つすべての栄誉は、生涯の瞬間瞬間を良心と義理に生き、党と国家の尊厳と栄誉を轟かせ、その強化発展のために余すことなく捧げられた革命家の一生涯が、いかに矜持高い行路を歩んで来、いかに高い丘を登っているかを物語っています。

당과 수령의 믿음속에 성장하며 당과 수령을 진심으로 받드는 길에서 인생의 행복과 영광을 누려온 김영남동지의 심장은 고동을 멈추었으나 청사에 력력히 깃든 자취들은 지워지지 않을것이며 충심으로 높뛰던 동지의 고결한 혁명정신은 우리모두의 마음속에 길이 살아있을것입니다.
党と首領の信頼のうちに成長し党と首領を心から奉る道において、人生の幸せと栄光を享受してきたキム・ヨンナム同志の心臓は鼓動を止めたが、青史に刻み込んだ足跡は消えることはなく、忠心から高く跳躍した同志の高潔な革命精神は、私たち皆の心の中に長く生きるでしょう。

조국과 인민은 동지의 이름과 모습을 영원히 잊지 않을것입니다.
祖国と人民は、同志の名前と姿を永遠に忘れません。

우리는 공화국의 강화발전과 주체위업의 줄기찬 전진을 위하여 모든것을 바친 김영남동지의 빛나는 삶의 흔적들을 기억할것이며 동지가 일구월심 바라던대로 경애하는 김정은동지의 사상과 령도를 충직하게 받들어 국가부흥의 휘황한 래일을 앞당겨나갈것입니다.
私たちは、共和国の強化発展とチュチェ偉業の弛まぬ前進のためにすべてを捧げたキム・ヨンナム同志の輝かしい生の跡を記憶し、同志がひたすら願っていたとおり、敬愛なるキム・ジョンウン同志の思想と領導を忠実に奉り、国家復興の明るい未来を早めて行きます。

고 김영남동지여,
故キム・ヨンナム同志よ、

동지가 그처럼 이루고싶어하던 필생의 념원과 목표를 간직하고 우리는 위대한 새 승리를 향해 억세게 나아갈 맹세를 이 시각 당신의 령전에서 더욱 굳히나니,
同志が斯くも成し遂げたいと望んでいた畢生の念願と目標を胸に秘め、私たちは偉大な新しい勝利に向かって力強く進むという誓いを今、あなたの霊前でさらに固めるので、

존경하는 동지여, 사랑하는 조국의 대지에 안겨 편히 잠드시라.
尊敬する同志よ、愛する祖国の大地に抱かれて安らかに眠りなさい。

2025년 11월 5일
2025年11月5日
故キム・ヨンナム(金永南)同志の逝去にかかるパク・テソン(朴泰成)同志の哀悼辞を拙い日本語訳ですがお送りしました。一部、直訳すると変に思えたので私なりに意訳した部分もあります。ご了承ください。

故人の業績を激賞する哀悼辞です。個人の業績が如何に大きいかの証左でありましょう。

朝鮮音楽に≪생이란 무엇인가≫(生とは何か)という曲があります(https://www.youtube.com/watch?v=TYpOhCnl7Ms)が、キム・ヨンナム同志の追悼行事を報じる朝鮮中央テレビ報道では、佳境においてこの曲がBGMとして流されています(https://www.youtube.com/watch?v=ZtLP9M1JXWQ)。

叶い難い夢とは悟りつつも、このような生を送って終えたいと思うのは、私も主体的な革命家の端くれでしょうか・・・
posted by 管理者 at 19:42| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年11月21日

인터나쇼날

https://www.youtube.com/watch?v=J0AlKG11Ryg
党創建80周年慶祝大会のインターナショナル(인터나쇼날)です。なお、動画概要では10月10日づけになっていますが、実際には慶祝大会は9日開催でした。

元帥様の時代になったからインターナショナルの位置づけが上昇したのか、節目の行事ごとに生演奏や生合唱のインターナショナルを聴くことができるようになりました。党8次大会では素晴らしい生演奏がありました。まもなく開催されるであろう9次大会では、どんな素晴らしい演奏になるでしょうか? 期待です。
posted by 管理者 at 22:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年11月07日

人々が一つの家族のような感覚を抱くようにことが特に大切である――十月社会主義大革命の経験を記念して

https://www.sb.by/articles/smysly-spravedlivosti-pobezhdayut.html
Данилович − о значении Октябрьской революции в нашей истории
(中略)
Сохранить историческую память
Строительство социалистической системы открыло перспективу и смысл жизни для широких народных масс. В общественном сознании поддерживалось и укреплялось ≪чувство единой семьи≫. Многонациональный советский народ, объединенный большой идеей строительства первого в истории человечества справедливого общества, демонстрировал многочисленные примеры трудового героизма и самоотверженности. Более того, он в годы Великой Отечественной войны в кровопролитной борьбе со вскормленной правящими элитами коллективного Запада нацистской Германией и ее союзниками отстоял с оружием в руках советскую государственность!

История свидетельствует, что именно после Октябрьской революции белорусская государственность приобрела мощный общественно‑политический, социально‑экономический и духовно‑культурный базис, на основе которого мы развиваемся и сейчас. Современная Беларусь − суверенное демократическое правовое социальное государство, историческая правопреемница БССР.

Благодаря принципиальной позиции нашего национального лидера − первого Президента страны Александра Лукашенко мы не отказались от наследия той эпохи и сохранили все лучшее, что было в Советском Союзе. Поэтому, с одной стороны, мы заявляем о своем миролюбии, неприемлемости всяких революций, мятежей и бунтов. С другой − Беларусь остается единственной страной на постсоветском пространстве, где на государственном уровне празднуется День Октябрьской революции.

Главный урок 1917 года в том, что политика государства должна быть мудрой, взвешенной, учитывающей интересы всех слоев населения. Именно она и проводится руководством Беларуси. Мы уверенно идем по пути развития справедливого социального государства, который выбрали в начале прошлого века наши предки. К тому же праздник 7 ноября мы традиционно наполняем созидательным содержанием, открывая к этой дате новые социальные и культурные объекты. Убежден, что именно так и надо сохранять историческую память об одном из ключевых событий истории.

(以下略)
В общественном сознании поддерживалось и укреплялось ≪чувство единой семьи≫. ≫――「『一つの家族という感覚』が社会意識の中で支持され、強化された」(Google翻訳を使ったら「国民意識」と翻訳されたが、ここはやはりGesellschaftliches Bewusstseinを踏まえて「社会意識」としました)はソビエト時代を振り返るときに、しばしば指摘されることです。

当ブログは社会政治的生命体論に魅力を感じるからこそチュチェ思想の立場を取っていると以前から申し上げてきました。ソビエト連邦はもちろん社会政治的生命体論を掲げたことは一度もありません。しかしながら、キム・ジョンイル同志が『社会主義は科学である』において社会主義と資本主義との対立軸を集団主義と個人主義との対立であると定式化なさったとおり、社会主義は本質的に集団主義です。ソ連も集団主義を模索してきました。共和国の集団主義とソ連の集団主義は同一のものではありませんが、両者がまったく無関係のものでもありません。

上掲記事は「ソビエト時代の遺産を放棄することなく、ソビエトと連邦の最良の部分をすべて守ってきた」とするベラルーシのメディアによる十月社会主義大革命を記念する記事です。周知のとおり、ベラルーシはソビエト連邦が瓦解することによって独立した国であり、ロシアほどではないもののソ連崩壊後の苦難を経験しており、「酸いも甘いも噛み分けて」います。そのベラルーシの経験から語られる上掲記事は、集団主義のなかでも、人々が一つの家族のような感覚を抱くようになることが特に大切であると改めて考えさせる記事でしょう。
posted by 管理者 at 21:08| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年11月04日

いただいたコメントに返信しました

下記の記事に対していただいたコメントに、遅ればせながら返信させていただきました。
相変わらず記事投稿・コメント返信が遅々として進んでおらず、わざわざご訪問いただいているにも関わらず、申し訳ございません。
月に数回程度は更新しつづける所存です。今後ともよろしくお願いいたします。

9月21日づけ『朝ロ包括的戦略パートナーシップ条約が実際に軍事同盟として機能し、反帝自主の共同戦線が虚勢ではないことが実証された』
http://rsmp.seesaa.net/article/518224806.html

9月30日づけ『所詮は営利企業に過ぎないものに対して国家的・社会的な期待・要請をかけることはできない』
http://rsmp.seesaa.net/article/518340488.html

10月10日づけ『朝鮮労働党創建80年慶祝大会でキム・ジョンウン同志が行った演説について』
http://rsmp.seesaa.net/article/518532514.html
posted by 管理者 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 運営連絡 | 更新情報をチェックする

2025年10月10日

朝鮮労働党創建80年慶祝大会でキム・ジョンウン同志が行った演説について

10月10日は朝鮮労働党創建80年の記念すべき日です。9日、キム・ジョンウン同志は慶祝大会で演説されました。朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』が「조선로동당창건 80돐 경축대회에서 하신 김정은원수님의 연설」で報じています(朝鮮語)。拙いながら当ブログ独自の邦訳をもとに元帥様の重要演説を読み解きたいと思います。

■朝鮮労働党の革命思想と路線の科学性と生活力の発現としての朝鮮革命の道筋と不滅の功績
まず元帥様は、現代朝鮮の歴史として次のように朝鮮労働党の80年の歴史を表現されています。
우리 당의 창건은 비단 한 나라에서 하나의 정당이 태여난것만을 의미한것이 아니라 사회주의의 정의성을 증명하고 그 특유의 우월성과 위력을 과시하게 될 새형의 혁명적당이 력사무대에 출현하였음을 알린 정치적사변이였습니다.
我が党の創建は、ただ一国で一つの政党が生まれたことだけを意味するのではなく、社会主義の正義性を証明し、その特有の優越性と偉力を誇示することになる新しい型の革命的党が歴史の表舞台に出現したことを知らせた政治的事変でした。
そしてより詳細に次のように論じられました。
그 로정에는 제국주의련합세력의 무력침공을 격파하고 조국의 촌토와 존엄을 수호하는 가렬한 전쟁도 있었고 빈터우에서 건국을 하고 생활을 다시 창조하는 복구과정도 있었으며 심각한 계급투쟁과 당내종파의 청산을 동반한 사회혁명들도 있었습니다.
その路程には、帝国主義連合勢力の武力侵攻を撃破し、祖国の寸土と尊厳を守護する激しい戦争もあり、すべて破壊されて何もないところから建国して生活を再び創造する復旧過程もあり、深刻な階級闘争と党内宗派の清算を伴う社会革命もありました。

사회주의제도를 수립한 다음에는 진보와 반동,사회주의와 제국주의간의 대결에서 가장 첨예한 전초선에 위치한 지정학적환경으로부터 수호의 사명에 더욱 견결하여 자위국방건설의 위업을 강력히 추진해야 했고 세기를 넘어 끈질기게 감행되는 경제적인 고립압살에도 항시 주동적으로,공세적으로 대처하면서 방대한 사회주의건설사업들을 진척시켜야 했습니다.
社会主義制度を樹立した後は、進歩と反動、社会主義と帝国主義との対決において最も尖鋭な前哨線に位置する地政学的環境により、守護の使命をさらに堅牢にし、自衛国防建設の偉業を強力に推進しなければならず、世紀を越えた執拗な経済的孤立圧殺にも常に主導的かつ攻勢的に対処しながら、膨大な社会主義建設事業を進めなければなりませんでした。

특히 1990년대의 세계적인 대정치동란속에서 우리의 사상과 제도를 고수해야 하였고 새 세기에는 미제의 가증되는 핵전쟁위협에 대처하여 경제건설과 핵무력건설을 병진시키면서 사회주의건설의 새로운 도약기를 열어야 하였습니다.
特に、1990年代の世界的な大政治動乱の中で、我々の思想と制度を固守しなければならず、新世紀には米帝の高まる核戦争脅威に対処し、経済建設と核武力建設を並進させながら社会主義建設の新しい跳躍期を開かなければなりませんでした。

력사적으로나 현실적으로 우리 나라에서와 같이 이렇게 외부세력의 상시적이고 집요한 압력과 간섭,침략위협이 가증되는 속에서 수호와 건설의 어렵고 방대한 과업들을 동시에 수행해야 했던 례는 세계 그 어디에서도 찾아볼수 없습니다.
歴史的にも現実的にも、我が国のように、これほど外部勢力の常時的で執拗な圧力と干渉、侵略の脅威が増す中で、守護と建設の難しく膨大な課題を同時に遂行しなければならなかった例は、世界のどこにも見当たりません。

사실상 정권을 유지하고 제도를 수호하는것만도 기적이라고 할수 있는 상황에서 우리 당은 그 모든 시대적과제들을 기꺼이 떠메고 누구도 걸어보지 못한 길을 개척하면서 세기적인 전변의 력사를 아로새겼습니다.
事実上、政権を維持し制度を守ることだけでも奇跡といえる状況で、我が党はそのすべての時代的課題を喜んで担ぎ、誰も歩んでみることができない道を切り開きながら、世紀的な転変の歴史を刻み込みました。

우리 당은 혁명과 건설의 매 시기,매 단계마다 과학적인 로선과 방략으로 중중첩첩의 도전을 타개하면서 사회주의의 불변궤도를 따라 줄기차게 걸어왔으며 이 길에서 자주적이며 강력한 국가건설의 력사적위업을 빛나게 수행하여왔습니다.
我が党は、革命と建設の時期と段階ごとに科学的な路線と方略で幾重にも重なった挑戦を打開し、社会主義の不変の道筋に沿って弛みなく歩んできながら、この道で自主的で強力な国家建設の歴史的偉業を輝かしく遂行してきました。

청사에 기록된 의의깊은 사변들과 세월을 주름잡은 경이적인 변혁들은 우리 당의 혁명사상과 로선의 과학성과 생활력의 발현으로서 그것이 정치와 군사,경제,문화는 물론 대외관계에서도 거대하고 급진적인 발전을 안아왔다는것을 여실히 보여주고있습니다.
青史に記録された意義深い事変と歳月を席巻した驚異的な変革は、我が党の革命思想と路線の科学性と生活力の発現として、それが政治と軍事、経済、文化はもちろん、対外関係でも巨大で急進的な発展を背負ってきたということを如実に示しています。

그 불멸할 공적으로 하여 조선로동당은 로숙하고 세련된 혁명적당,백전백승하는 강철의 당,인민을 위하여 복무하는 진정한 인민의 당이라는 값높은 명함을 지니였습니다.
その不滅の功績により、朝鮮労働党は老熟し洗練された革命的な党、百戦百勝の鋼鉄の党、人民のために服務する真の人民の党という誉れ高い尊名を持ちました。
事実上、政権を維持し制度を守ることだけでも奇跡」――このお言葉は誇張されたものではなく、まさしく真実であるといえます。それゆえ、朝鮮革命の道筋と不滅の功績は、朝鮮労働党の革命思想と路線の科学性と生活力の発現であるといえると当ブログも考えます。

■基層党組織の強化がトップダウンだけではなくボトムアップの組織化をも可能にし朝鮮式社会主義の強みを形成したのではないか(独自見解)
元帥様は次のように仰いました。
이 모든 업적과 명함은 우리 당건설에서 이룩된 고귀한 성과들과 떼여놓고 생각할수 없습니다.
このすべての業績と尊名は、我が党の建設において成し遂げられた高貴な成果と切り離して考えることはできません。

우리 당이 당대렬과 혁명대오의 사상적일색화와 조직적단결을 혁명위업의 승리적전진을 위한 근본문제로 내세우고 그 실현에 첫째가는 힘을 넣은것은 당의 집권력을 높이고 령도활동의 목적의식성과 일관성을 담보한 중요한 요인이였습니다.
我が党が、党の隊列と革命隊伍の思想的一色化と組織的団結を革命偉業の勝利的前進のための根本問題として打ち出し、その実現に一番の力を入れたのは、党の執権力を高め、領導活動の目的意識性と一貫性を担保した重要な要因でした。

창당이후 우리 당안에서 사상과 령도의 유일성을 확고히 보장하는것은 자기의 혁명적본태를 고수하고 거창한 사회혁명과 국가건설전반을 승리에로 인도하기 위한 중대하고 급박한 문제로 제기되였습니다.
創党以後、党内で思想と領導の唯一性を確固に保障することは、自己の革命的な本態を固守し、雄大な社会革命と国家建設全般を勝利に引導するための重大で急迫した問題として提起されました。

우리 당은 건국초기는 물론 전쟁시기와 전후에도 사상에서 주체를 확립하고 전당의 당원들과 전체 인민을 당의 지도사상과 혁명로선으로 무장시키는 사업에 선차적인 힘을 넣는 동시에 기층당조직들의 강화를 우선시하고 당의 대렬을 정예화하며 각급 당조직들의 전투력과 활동성을 적극 제고하면서 당안에서 사소한 분파적경향도 불허하는 투쟁을 강력히 전개하였습니다.
我が党は、建国初期はもちろん、戦争の時期と戦後にも思想における主体を確立し、全党員と全人民を党の指導思想と革命路線で武装させる事業に先次的な力を入れると同時に、基層党組織の強化を優先し、党の隊列を精鋭化し、各級党組織の戦闘力と活動性を積極的に高め、党内で些細な分派的傾向も許さない闘争を強力に展開しました。

혁명과 건설에서 중대한 과제들이 제기되고 난관이 조성될 때마다 우리 당은 조직사상적공고화에 더욱 주력하면서 어떤 정치풍파에도 끄떡없이 사상적순결성과 조직적전일성을 고수하였으며 강철의 전투력과 원숙한 령도력으로 사회주의건설에서의 혁명적전환과 앙양을 인도하여왔습니다.
革命と建設において重大な課題が提起され、難関が造成されるたびに、我が党は組織思想的強固化に一層注力し、いかなる政治風波にもびくともせず思想的純潔性と組織的専一性を守り、鋼鉄の戦闘力と円熟した領導力で社会主義建設における革命的転換と高揚を導いてきました。

혁명을 이끄는 당의 견인기적역할은 현실적이고 구체적인 령도활동을 통하여 실현됩니다.
革命を導く党の牽引機としての役割は、現実的で具体的な領導活動を通じて実現されます。

우리 당은 혁명과 건설에서 제기되는 문제들을 처리하고 부닥치는 난국을 돌파하는 활동과정에 다름아닌 인민의 혁명적열의와 창조력을 최대한 동원하는 방법론과 공작풍모를 적극 탐구하고 실천하였습니다.
我が党は、革命と建設において提起される問題を処理し突き当たる難局を突破する活動過程に、他ならぬ人民の革命的熱意と創造力を最大限動員する方法論と工作風貌を積極的に探求し実践しました。

우리 당에 의하여 창조된 수많은 혁명적인 령도방법들과 인민적인 사업작풍들은 대중을 하나의 기치아래 묶어세우고 혁명열,애국열을 세차게 분출시켰으며 서로 돕고 이끄는 집단주의와 대중적영웅주의로 온갖 장애를 이겨내면서 끊임없는 혁신과 놀라운 기적을 이룩하게 하였습니다.
我が党によって創造された数多くの革命的領導方法と人民的事業作風は、大衆を一つの旗印の下に結束させ、革命熱、愛国熱を激しく噴出させ、互いに助け導く集団主義と大衆的英雄主義として、あらゆる障害を乗り越えながら絶え間ない革新と驚くべき奇跡を成し遂げるようにしました。
党建設において思想的一色化と組織的団結を革命偉業の勝利的前進のための根本問題として打ち出したからこそ、党の執権力を高め、領導活動の目的意識性と一貫性が担保されたのです。思想における主体の確立、全党員と全人民の党の指導思想と革命路線での理論武装化、そして基層党組織の強化に取り組んだからこそ党の隊列が精鋭化され、各級党組織の戦闘力と活動性が積極的に高まったのです。しっかりとした思想体系を確立することによって目的意識性と一貫性のある政治を執行することの重要性は、特に目的意識性が欠けがちな日本を見ると切に感じるものです。

基層党組織の強化が優先されたこと、そしてそれが強調されたことに当ブログは注目したいと思います。このことは、「人民の革命的熱意と創造力を最大限動員する方法論と工作風貌」を誇っている点を鑑みるに、単に上意下達の命令系統が整備されたことを意味するものではないでしょう。革命的熱意は上から押し付けるものではないし、人民の創造的能力は上から降ってくるノルマを単にこなす仕事方式では発揮され得ないものであるというのは、他でもない党自身が強調してきたことです。

かねてより当ブログは、共和国は、一方において首領を頭脳、党を神経とする中央集権体制でありながら、他方において自力更生・自力自彊という強固なイデオロギー的基盤に支えられた分権的体制という側面もあり、このことが朝鮮式社会主義の強靭さの秘訣であるのではないかとしてきました。トップダウンだけではなくボトムアップを正統化できる理論も具有しているのが朝鮮式社会主義の強みであると考えているのです。そうした朝鮮労働党の組織としての在り方の特徴が「基層党組織の強化」という一文に凝縮されているように当ブログは考えます(独自見解です)。

■권위주의(権威主義)との闘争
元帥様は次のようにも仰います。
당의 집권력사가 길어지고 세대가 교체됨에 따라 일군들속에서 권위주의가 싹트고 당과 대중을 분리시키는 일련의 문제들이 산생될수 있다는데 대해서도 항상 각성,경계하면서 인민을 위한 절대적인 복무정신이 전당을 지배하게 한것은 당이 인민의 변함없는 신뢰를 획득하고 인민들자신이 사회주의국가에 모든 운명을 전적으로 의탁하게 한 중요한 요인으로 되였습니다.
党の執権歴史が長くなり、世代が交代するにつれて、活動家たちの中で権威主義が芽生え、党と大衆を分離させる一連の問題が産生されることに対しても常に覚醒、警戒しながら人民のための絶対的服務精神が全党を支配するようにしたことは、党が人民の変わらぬ信頼を獲得し、人民自身が社会主義国家にすべての運命を全面的に依託させた重要な要因になりました。
平生であれば관료주의(官僚主義)と表現されるであろうことを권위주의(権威主義)と表現した意図については、他の談話などと併せて慎重に読み解く必要がありそうです。この点については保留するとして、党の執権歴史が長くなるにつれて党内にも変節的な者が出てきていることを正面から認めつつも、大多数の党員はそうではないので、党は人民の変わらぬ信頼を受けていると仰る元帥様。たしかに、他の国であれば既に何度も政権崩壊しているような大事変をすべて乗り越えてき、いまこうして党創建80年を盛大に祝えているのだから、このことは虚偽誇張の類であるとは言えないでしょう。

当ブログは何度でも主張しますが、2022年11月23日づけ「世界に先駆け人類の理想社会:共産主義社会を実現することを現実的な課題として掲げている共和国」などでも述べてきたとおり、統制や弾圧だけでこんなにも長く権力を維持することはできません。積極的な体制への反抗に至らずとも、ひとりひとりの人民が自分自身の日々の暮らしにだけに関心を寄せるようになれば、共和国のように高度に組織化され、人民を政治的な象徴的行事に頻繁に動員する政治体制は続きません。個々人の内心はどうであれ、現体制に順応して結果的に支えている人民が多くいるわけです。

■世界の自主化の堅固な堡塁
온갖 험로역경속에서 자주성과 사회주의의 기치를 높이 든 우리 당의 투쟁은 정의와 평화를 위한 인류공동의 위업수행에 거대한 력사적공헌을 하였습니다.
あらゆる険路逆境の中で、自主性と社会主義の旗印を高く掲げた我が党の闘争は、正義と平和のための人類共同の偉業遂行に巨大な歴史的貢献をしました。

사회주의위업의 정당성과 승리의 필연성에 대한 확고한 신념을 견지하고 그 리념의 과학적진리성을 리론적으로나 실천적으로 완벽하게 증명한 우리 당의 수범은 제국주의련합세력의 반사회주의책동에 강력한 저지선을 조성하고 세계진보력량의 련대련합에 적극적인 기여를 하였습니다.
社会主義偉業の正当性と勝利の必然性に対する確固たる信念を堅持し、その理念の科学的真理性を理論的にも実践的にも完璧に証明した我が党の垂範は、帝国主義連合勢力の反社会主義策動に強力な阻止線を造成し、世界の進歩力量の連帯・連合に積極的に貢献しました。

오늘도 적수국들의 흉포한 정치군사적압력책동에 초강경으로 맞서나가는 우리 당과 정부의 견결한 원칙성과 과감무쌍한 대응은 전쟁과 패권을 반대하는 진보진영의 장성을 강력히 촉진하고있으며 사회주의력량의 충실한 일원,자주와 정의의 굳건한 보루로서의 우리 공화국의 국제적권위는 날로 더욱 강화되고있습니다.
今日も、敵国の凶暴な政治軍事的圧力策動に超強硬に立ち向かってゆく我が党と政府の堅牢な原則性と果敢無双な対応は、戦争と覇権に反対する進歩陣営の長城を強力に促進しており、社会主義力量の忠実な一員、自主と正義の堅固な堡塁としての我が共和国の国際的権威は日増しに強化されています。
アメリカ一極主義と多極主義との闘争がますます激化しつつある今日ですが、超大国アメリカと建国以来一貫して対決してきた共和国、反帝自主の総本山といっても過言ではない共和国の経験と権威は、たしかに日増しに高まっています

必ずしも朝鮮民主主義人民共和国で実際に展開されている社会主義建設が日本においてもそのまま適応できるものではなく、日本の自主化のためには朝鮮における社会主義建設を参考にしつつ日本独自の道筋を探る必要があると当ブログは、かねてより主張してきましたが、共和国は、世界の自主化の堅固な堡塁であることは間違いないと考えています

■一心一体が勝利と栄光の秘訣である
元帥様は、党が偉大な人民とすべてを共にしてきた(≪당이 위대한 인민과 모든것을 함께 하여왔다≫)としつつ、人民のための歴史、人民の力に依拠してきた歴史、ここに我が党のすべての勝利と栄光の秘訣があります(≪인민을 위한 력사,인민의 힘에 의거하여온 력사,여기에 우리 당의 모든 승리와 영광의 비결이 있습니다≫)とした上で次のように仰いました。
오늘 우리 인민은 극복하지 못할 난관이 없고 이루지 못할 위업이 없는 강대한 모습으로 세계앞에 서있습니다.
こんにち、我が人民は克服できない難関がなく、成し遂げられない偉業がない強大な姿で世界の前に立っています。

인민의 념원과 의지,힘을 모아 전인미답의 길을 열고 인민들속에서 인민과 함께 강국념원을 실현해온 우리 당의 80년집권사는 하나의 진리를 시대와 력사우에 다시금 뚜렷이 새기고있습니다.
人民の念願と意志、力を結集し、前人未踏の道を開き、人民の中で人民とともに強国念願を実現してきた我が党の80年の執権史は、一つの真理を時代と歴史に改めて、はっきりと刻んでいます。

인민우에 있는 당이 아니라 인민속에 있는 당,인민과 지향과 포부를 같이하고 인민과 지혜와 힘을 같이하고 인민과 생사고락을 같이하는 당은 절대로 와해될수 없으며 무궁토록 생기와 활력을 잃지 않는 법입니다.
人民の上にある党ではなく、人民の中にある党、人民と志向と抱負を同じくし、人民と知恵と力を共にし、人民と生死苦楽を共にする党は絶対に瓦解することはないし、無限に生気と活力を失うことがないのが道理です。

인민을 떠나 우리 당이 있을수 없고 인민이 위대하기에 우리 당도 위대하다는것은 어제도 오늘도 래일도 영원불멸할 철의 진리입니다.
人民を離れては我が党はあり得ず、人民が偉大だから我が党も偉大だということは、昨日も今日も明日も永遠不滅の鋼鉄の真理です。

나는 장장 80성상 간고하고도 성스러운 사회주의위업의 초행길을 헤쳐오면서 언제나 우리 당에 힘과 슬기가 되여주고 당과 함께 승리를 믿어 순결한 마음과 근면한 노력을 바친 위대한 우리 인민에게 다시한번 감사를 드리고저 합니다.
私は、長き80星霜にわたり艱苦しても神聖な社会主義偉業の初めての道を切り抜て来ながら、いつも我が党の力と知恵になってくれて、党と共に勝利を信じて純潔な心と勤勉な努力を捧げた偉大な我が人民にもう一度感謝を申し上げます。

동지들!
同志諸君!

오늘 뜻깊은 이 시각 인민들의 시선을 마주하고보니 우리 당에 대한 무한한 신뢰와 하늘같은 기대를 다시금 온몸으로 느끼게 됩니다.
こんにち、意味深いこの時刻、人民の視線に向き合ってみると、我が党に対する限りない信頼と天のような期待を再び全身で感じることができます。

온갖 어려움을 인내하면서 당에서 결심한 일이라면 무조건적으로 지지하고 따라주는 그 마음들이 있기에 우리 당은 모든 사업에 확실한 자신심을 가지고있으며 승리를 굳게 믿고있습니다.
あらゆる困難を忍耐しながら、党が決心したことならば無条件に支持し従ってくれるその心があるので、我が党はすべての事業に確実な自信を持っており、勝利を固く信じています。

우리가 지금과 같은 기세로 몇해동안 잘 투쟁하면 얼마든지 우리 손으로 우리 생활을 눈에 띄게 개변할수 있고 우리가 리상하는 목표에 보다 가깝게 가닿을수 있습니다.
私たちが今のような気勢で数年間よく闘争すれば、いくらでも私たちの手で私たちの生活を目に見えて改変でき、私たちが理想とする目標により近づくことができます。

이 자리를 빌어 나는 언제나 인민에 대한 사랑을 깊이 간직하고 보답의 의무를 잊지 않을것이며 인민의 믿음에 충실하기 위해 더 열심히 분투할것을 확언하는바입니다.
この場を借りて私は、いつも人民に対する愛を深く心に秘め、報答の義務を忘れず、人民の信頼に忠実であるためにもっと熱心に奮闘することを確言いたします。

우리 당을 지지해주는 인민을 믿고 인민과 항상 일심일체가 되여 반드시 이 나라를 더욱 풍요하고 아름답게 가꾸고 세상에서 제일 훌륭한 사회주의락원으로 일떠세울것입니다.
我が党を支持してくれる人民を信じ、人民と常に一心一体となって、必ずこの国をより豊かで美しくし世界で最も立派な社会主義楽園として築き上げます。
人民への感謝、人民への報答の義務に言及されることは、元帥様の政治姿勢としてすっかり定着したものですが、今回もそうした政治姿勢が顕著にあらわれています。일심일체(一心一体)という言葉は、折に触れて元帥様が多用されていますが、これは일심단결(一心団結)とはまた違う新時代のキーワードなのでしょうか? 用語の使いどころに注目したいと思います。

この点、翻って日本を見ると、自民党総裁選挙で候補者は国民に感謝する言葉を口にしていたか、正直あまり記憶に残っていません。"JAPAN is back"も結構なことですが、大きな夢を語る前に感情的な一心一体を進めることから始めるのがよいのではないか、あまたの困難を乗り越えてきた朝鮮労働党の80年の歴史を踏まえるとそのように考えざるを得ません

■感情を揺さぶる演説
元帥様は、次のように仰って演説を締めくくられました。
동지들!
同志諸君!

우리 당의 영광스러운 80년사가 우리를 고무하고있으며 더 거창하고 더 보람있을 투쟁에로 떠밀고있습니다.
我が党の栄えある80年史が私たちを鼓舞しており、より雄大でよりやりがいのある闘争に呼んでいます。

당과 인민이 한뜻이 되고 한몸이 되여 개척하고 승리로 빛내여온 위대한 80년에 이어 보다 영광스럽고 긍지높을 위대한 력사의 총화를 위하여,우리 인민의 꿈과 리상이 실현될 사회주의위업의 종국적완성을 위하여 용기백배,신심도 드높이 나아갑시다.
党と人民が同じ志となって開拓し、勝利で輝かせてきた偉大な80年に続き、さらに栄光があり矜持高い偉大な歴史の総和のために、我が人民の夢と理想が実現される社会主義偉業の終局的完成のために勇気百倍、信心高く進みましょう。

이 자리를 마치면서 사랑하는 우리 인민들에게 안녕과 복리를 기원하는 마음을 삼가 전합니다.
この場を終えながら、愛する我が人民たちに安寧と福利の祈念を謹んでお伝えします。

온 나라 가정들에 따스한 화목과 행복이 넘치기를 충심으로 바랍니다.
全国の家庭に暖かい和睦と幸せがあふれることを心から願います。

위대한 조선로동당,위대한 조선인민 만세!
偉大な朝鮮労働党、偉大な朝鮮人民万歳!
感情を揺さぶる演説でした。 朝鮮労働党の栄えある創建80周年を謹んでお祝い申し上げます。
posted by 管理者 at 23:04| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年09月30日

所詮は営利企業に過ぎないものに対して国家的・社会的な期待・要請をかけることはできない

https://www.yomiuri.co.jp/economy/20250828-OYT1T50041/
秋田知事「国家の事業で国を代表する企業、ないと思っていた」…三菱商事の洋上風力撤退
2025/08/28 08:51

 三菱商事(東京)が27日、秋田県内の二つの海域で計画していた洋上風力発電所の建設事業からの撤退を発表した。県の新たな基幹産業としての発展が期待されていたことから、県内に落胆の声が広がった。

(中略)
 2海域を巡っては、三菱商事社長の中西勝也が今年2月、コスト上昇を理由に「ゼロから見直す」と発言したが、知事の鈴木は27日に県庁で報道陣の取材に応じ、「国家のプロジェクトで、国を代表する企業の撤退はないと思っていた。大変な衝撃を持って受け止めている」と述べた。その上で「地元が振り回されることのないよう実現可能な制度を作っていただきたい」と国に注文を付けた。

 三菱商事の中西は27日の会見で、「期待を裏切る結果になって大変申し訳ない」と陳謝した。(敬称略)
国家のプロジェクトで、国を代表する企業の撤退はないと思っていた」――なぜ?w いくら国の代表的大企業とはいえ、国家的・社会的な期待・要請に対する受容度合いは比較的高めとはいえ、本質的には営利企業ですよ?w

しばしば思うのは、現代日本は、所詮は営利企業に過ぎないものに対して国家的・社会的な期待・要請をかけ過ぎなのではないかということ。このようなことを言うと、一方において「ルールある経済社会を目指すべき左翼にあるまじき言説」というお叱りを左翼陣営から受け、他方においてブルジョア弁護人連中から喝采を受けそうなものですが、当ブログは左翼(極左?)であるからこそ、所詮は営利企業に過ぎないものに対して国家的・社会的な期待・要請をかけることはできず、人民的統制が必要であると考えます

https://www.yomiuri.co.jp/national/20250924-OYT1T50248/
火葬料9万円と突出して高い東京23区、都が負担減に積極関与へ…従来は「監督権限は23区」と慎重姿勢
2025/09/25 05:00

 東京23区の火葬料金が高騰しているとして、東京都は24日、火葬場への指導監督を担う区側と連携して料金の安定化を目指す方針を明らかにした。全国の火葬場の多くが公営で火葬料を無料とする自治体もある中、東京23区では歴史的な経緯もあって大半が民営で、火葬料は9万円にも上る。都は火葬場の指導強化などを通じて、都民の負担軽減を図る考えだ。(岡本立、柏木万里)

(中略)
 火葬を巡る問題に詳しい「シニア生活文化研究所」の小谷みどり代表理事は「歴史的な経緯はあるが、人生で誰もが利用する火葬場には高い公共性があり、本来公営とすべきだ。国と都・区は議論を急ぎ、対策を練る必要がある」と指摘した。
人生で誰もが利用する火葬場には高い公共性があり、本来公営とすべきだ」――さらっと報じている読売ですが、国の経済的骨格に関わる重大論点です。「独占的性質をもつか、もしくは規模が大きすぎて私的な力では経営できないもの、たとえば銀行、鉄道、航空事業などのたぐいは、国家がこれを経営管理し、私有資本制度が国民の経済生活を左右できないようにする」とする毛沢東の『新民主主義論』を彷彿とさせるご意見。共和国の社会主義企業責任管理制とも通底するものがあると考えます。当ブログは小谷みどり氏のご意見に共感的です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b4353af7a2d15039505049c95082fcd432ca9c99
「法改正で火葬場公営化を」公明党東京都本部が厚生労働相に要望 都内の料金高騰問題
9/26(金) 20:32配信
産経新聞

公明党東京都本部の「葬祭業に関するプロジェクトチーム」(会長・加藤雅之都議)は26日、東京23区内の民間火葬場の火葬料金の高騰を踏まえ、墓地埋葬法(墓埋法)を改正し、火葬場の経営主体を民間ではなく、地方自治体などに限定するよう福岡資麿厚生労働相に申し入れた。火葬料金の設定を認可制にすることや料金について都道府県が立ち入り調査できる制度にすることも求めた。

(中略)
申し入れ後、都議会公明党の東村邦浩幹事長は、人件費や燃料費などの高騰を理由に民間の火葬料金が値上げされてきたことについて、「民間の火葬事業者が経営主体となっている限り、この問題は解決しないだろう」と記者団に語った。
確固たるイデオロギーの欠如は公明党の特徴であると言っても過言ではないでしょう。このことは、よく言えば生活者の実感に寄り添う柔軟性であり、悪く言えば節操のなさですが、そうであるからこそ、公明党の言い分は世論の実相を比較的よく反映しているものと当ブログは考えます。

結党当時は「人間性社会主義」を公言し「書記長」が党を率いていたのに、いつの間にかそれらを取り下げ、ネオリベ全盛期の頃から一貫して連立政権の枠内で自民党に追随している公明党が「民間の火葬事業者が経営主体となっている限り、この問題は解決しないだろう」などとしつつ火葬場公営化を主張し始めた――このことが示す目下の世論の実相に注目する必要があると考えます。
ラベル:経済 経済学
posted by 管理者 at 21:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年09月21日

朝ロ包括的戦略パートナーシップ条約が実際に軍事同盟として機能し、反帝自主の共同戦線が虚勢ではないことが実証された

https://news.yahoo.co.jp/articles/7177804b38e2e39c9745bef4b9cb18ca0aabcd17
ロシアで戦死した兵士も国威発揚に動員する北朝鮮 抜け落ちた英雄の論理
9/2(火) 13:15配信
Forbes JAPAN

(中略)
では、ウクライナ軍と戦った北朝鮮軍兵士にどのような大義名分が与えられるのか。「北朝鮮当局は、ロシアに侵攻した韓国軍と戦ったと市民に説明している」と伝える北朝鮮専門メディアもあるが、真偽はわからない。金正恩氏は第2回の授与式で「朝鮮民族の力と朝鮮人民軍の尊厳と名誉を守った偉大な戦士」と語ったが、「何のために誰と戦ったのか」について詳細な説明は避けた。前日の元党幹部によれば、抗日パルチザンの子弟も3代目、4代目に移っている。最近では、朝鮮戦争の戦死者の遺族はもちろん、対南工作の功労者の遺族など、「体制を守ったと認定された人物の遺族を広く受け入れている」という。

亡くなった兵士の遺族は気の毒と言うほかないが、結局は、「金正恩体制を維持するための功労者」として位置づけられたということなのだろう。

牧野 愛博
では、ウクライナ軍と戦った北朝鮮軍兵士にどのような大義名分が与えられるのか」――はい。反帝自主です。重要なのは「ウクライナ軍と戦った」ことではなく「ロシア領内に侵入した外国軍隊を相手にロシア軍と共に戦った」というところにあります。戦場がロシア領内であったこと、そしてロシア軍と共に戦ったことが肝心なのです。戦った相手がウクライナ軍であったことは問題ではないのです。

元帥様の演説は、朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』が全文掲載しています(朝鮮語)。内容を搔い摘んだ記事は、日本語版で「朝鮮人民軍海外作戦部隊に国家表彰/金正恩総書記の参席のもと授与式」で読むことができます。日本語版記事は次のように報じています。
総書記は、参戦勇士らが収めた勝利は、わが国家の存立と発展に確固たる保証をもたらした大きな功績であり、われわれの建軍史と反帝革命闘争史に奇跡として記録される勝利であると同時に、数千年間存在した強者の論理を再定立した世界戦争史の出来事になると指摘。世界の焦点が集中した戦場において、朝鮮武力を代表した海外作戦部隊の戦闘活動は人民軍の威力を遺憾なく立証したと述べた。

総書記は、最も重視、評価しているのは、朝鮮人民軍の名声が70余年の歴史で最も厳しい検証を受け、戦争に万全の準備を整えた軍の実相が明確に確認されたことだとし、今はどの国の軍隊であれ、わが軍と対決すれば無縁仏となる運命を免れないということが定説となったと言及。異国の地で戦い、占めている塹壕は国土の外にあるが、みんなは祖国の地に守護の壁を高く築き上げたとし、その功績は朝鮮国土での戦争で勝利したことよりさらに高貴かつ大切なものだと強調した。
元帥様はかねてより、共和国にとってはアメリカなどの特定の国が敵なのではなく、戦争そのものが敵であると言及されてきました。

朝鮮労働党中央軍事委員会が朝鮮人民軍のクルスク作戦への参加にかかる立場を表明した記事を振り返りましょう。朝鮮新報の「朝鮮部隊のクルスク解放作戦参戦について/朝鮮労働党中央軍事委員会が立場表明」(2025年04月28日 11:28)が明確に報じているとおり、朝ロ包括的戦略パートナーシップ条約を履行」したことが当該作戦への参加の意味合いのもっとも大きな部分であるといえます。

誰もがロシア領だと認めるクルスク州の奪還作戦に、朝ロ包括的戦略パートナーシップ条約を根拠として朝鮮人民軍が参加しロシア軍と共に戦ったという事実は、もし米側が朝鮮民主主義人民共和国に手出しを企図すれば、これとまったく同様にロシア軍が介入してくるということを意味します。

朝鮮人民軍のクルスク作戦参加の意義・位置づけは、朝ロ包括的戦略パートナーシップ条約が実際に軍事同盟として機能し、反帝自主の共同戦線が虚勢ではないことが実証した点にあります。

ここにおいて、先だって元帥様が大韓民国を第一の敵対国と定義した意味合いが戦争回避であることがますます明確になってきました。

従前どおりに韓国領も含めた朝鮮半島全体を朝鮮民主主義人民期共和国の領土であると定義すると、米軍が駐留している共和国の南半分はクルスク州と同じ状態にあると言わざるを得なくなります。自国領土が敵対的な他国の軍隊に占拠されているということになり、朝ロ条約第4条との整合性が直ちに問題になります。

ここにおいて在韓米軍の存在を第4条解釈の例外として現状を維持するのは、当座の戦争はもちろん回避できるでしょう。しかし、ロシアを対米対決の確固たる後ろ盾とし、いざ北進統一の軍事行動が始まったときの備えにしたい共和国にとっては、いかにもまずい。変に例外を作ってしまうと、いざというときに期待どおりにならなくなってしまう可能性があります。その点、もともと統治権が及んでいない軍事分界線以南をいっそ「敵国の領土」としてしまえば、朝ロ条約第4条との整合性はまったく問題なくなります。

大韓民国を敵対国と位置づけることは、一見すると無用な対立を煽る行為であるようにも見えます。しかし、この敵対国認定の要点は、「大韓民国が実効支配している地域は我が共和国の領土ではない」です。それはすなわち、自ら主導的に軍事的な赤化統一を目指してはいないという立場表明であると考えます。ユン・ソギョル前大統領のクーデター・プランを鑑みるに、思いもよらないことが口実となって戦争が仕掛けられかねないのが朝鮮半島の現実の安保現状であります。敵側に付け入る隙を絶対に与えないためには、あくまでも停戦でしかない祖国解放戦争(朝鮮戦争)の戦火が再び燃え上ることを絶対に阻止するためには、大韓民国を敵対国と位置づけることは、むしろ必要なことだと言えるでしょう。

例によって共和国側の論理を追わず、ご自分が理解なさっている範囲の事柄を寄せ集めて繋ぎ合わせた牧野愛博氏らしい記事だったわけですが、「亡くなった兵士の遺族は気の毒と言うほかないが、結局は、「金正恩体制を維持するための功労者」として位置づけられたということなのだろう」などと結んだは、少しばかり進歩したと言えるのでしょうか? 少し前なら彼お得意の「白頭の血統」談義を必ず捻じ込んできたはずのところ、最近は努めて封印しているようです。
posted by 管理者 at 22:49| Comment(3) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年09月15日

もっぱら金銭で人びとを動かそうとする路線の行く末――資本主義は、その個人主義ゆえにドツボに嵌ってゆくだろう

(2025年9月17日に、ブルジョア的所有権談義と協同主義について論点補充しました)
https://news.yahoo.co.jp/articles/03a8658866292c35600698adaa32a5a2003c1b01
新入社員は成果主義より年功序列に回帰? 調査開始から36年で初めて逆転 「意識の保守化」と見なす前に企業が取り組むべきことは
8/22(金) 7:31配信

「成果主義よりも年功序列」。2025年度入社の新入社員に対する調査でこんな結果が浮かび上がった。背景に何があるのか。

 学校法人「産業能率大学総合研究所」(東京都世田谷区)が今年度入社の新入社員を対象に実施した調査で、旧来の年功序列型の人事制度を望む声が成果主義を上回った。

 同研究所が1990年度から毎年実施している恒例の調査。定番の「年功序列的な人事制度と成果主義的な人事制度のどちらを望むか」という設問に対し、2025年度版の最新調査で年功序列を望むと回答したのは「年功序列」(14.6%)、「どちらかといえば年功序列」(41.7%)を合わせて56.3%。一方、成果主義を望んだのは「成果主義」(6.5%)、「どちらかといえば成果主義」(37.1%)を合わせて43.6%だった。

 選択肢が「年功序列」と「成果主義」の二者択一だった22年度までの結果を含め、「年功序列」を望む派が「成果主義」を望む派を上回り、過半数を占めるのは36回目となる今回が初めてという。

「年功序列」を望む新入社員の割合は、22年度の38.9%から徐々に上昇。24年度に48.5%で過去最高となった。25年度はさらにこの割合が高まり、記録を更新した。また、「終身雇用」を望む割合は69.4%、「同じ会社に長く勤めたい」とする回答も51.8%といずれも増加傾向にあり、新入社員の“安定志向”の強さが浮かんだ。

(中略)
 新入社員の意識にどんな変化が起きつつあるのか。

「長く成果主義が優勢だった中で今回得られた調査結果は、価値観の変化を感じさせるもので、(調査主体の)私たちも興味深く受け止めています」

 こう話すのは、調査を担当した同研究所マーケティングセンターの丸山夏子さんだ。

 年功序列型を望む声が成果主義を上回った背景要因について丸山さんは、「やりたいこと」よりも「働きやすさ」や「待遇面」を重視して就職先を選ぶ学生が増えていることを挙げ、こう指摘する。

「プライベートの充実を前提とし、『働く場所を合理的に選ぶ』という姿勢が、結果として年功序列や終身雇用といった既存の雇用慣行との親和性を高めている可能性も考えられます」

 その上で、丸山さんは新入社員の特徴として3点を挙げる。一つは「生活設計リスクへの敏感さ」だ。

「東日本大震災やコロナ禍を児童期・青年期に経験した Z 世代は、『予測不能な環境変動』を身近に感じてきました。こうした経験は、将来の生活に対する不確実性や不安感を意識するきっかけとなり、安定した基盤を求める意識に影響を与えている可能性があります。その結果、雇用・収入の長期安定を確実に担保する制度への期待が強まったと考えられます」

 もう一つは「待遇面重視へのシフト」。今回の調査で就職先の選定理由について「福利厚生」(56.4%)や「給与水準」(42.8%)などの条件面が上位を占めた一方、「職務内容」や「職種」を重視する人の割合は年々減少している。

「『職務内容』や『職種』より“働きやすさ”を優先する傾向が、年功的処遇との親和性を押し上げたと考えられます」(丸山さん)

 3つ目の特徴が「挑戦よりも“長く続けられる安心”」を選択する傾向だ。調査では「会社勤めは 65 歳まで」が30.9%で、「70 代」や「生涯」を含めると45.8%が 60 歳超の就労を想定していることも浮かんだ。

「長期就業を前提にするほど、評価変動の大きい成果主義よりも年功序列への支持が高まりやすいと推察されます」(同)

設問はすべて選択式で自由記述がないため、年功序列を求める理由や背景に関する個別の声は今回の調査では吸い取れていない。ただ、数値から読み取れる“潜在的な声”はあると丸山さんは言う。

「例えば、『終身雇用を望む』が69.4%に上ったことからは『雇用の長期保証を重視』する傾向、35 歳時点での『理想年収の平均値は716万円』という結果からは『着実に上がる給与カーブを期待』する傾向がうかがえます。これらは『着実に伸びる処遇・キャリアへの安心感』を求めていると解釈できます」

 年功序列志向は是正すべきなのか、それとも肯定的に受け止めるべきなのか。そう丸山さんに問うと、こんな答えが返ってきた。

「今回の調査結果は、新入社員の価値観や期待の変化を示しています。一義的に良し悪しを判断するより、『現実としての価値観変化』と捉え、企業側が戦略的に向き合うことが重要と考えます」

(以下略)
■「個人へのインセンティブの付与」に腐心してきたからこその必然的結果
20世紀社会主義の失敗原因を「人々にインセンティブを与えなかったからだ」とする言説が、主にブルジョア経済学者たちによって唱えられ、すっかり人口に膾炙しています。ブルジョア連中は、他方において年功序列的な昇給体系に代わって成果主義を導入し「若くても『実力』次第、『成果』次第で高収入もあり得る」などとしてきました。「個人へのインセンティブの付与」という教義こそが労働生産性を向上させ、企業業績向上のカギであるとしてきました。

今起こっていることは、その教義の立場に立つ限りは説明不可能なことになります。しかし、チュチェ思想派たる当ブログは、「個人へのインセンティブの付与」に腐心してきたからこそ、その必然的結果として今日の事態が生じていると考えます。もっぱら金銭で人びとを動かそうとする路線の行く末がこれであると当ブログは考えるのです。

チュチェ思想が個人主義に対する集団主義の優越性を説いていることは当ブログもかねてより言及してきたことですが、今回もその観点から説明できます。端的に言えば、個人の能力を個人的な動機や目的にのみ発揮する限りは、その結果は個人的な範囲でしか表出され得ないということです。

会社がいくら勤め人たる社員個人にインセンティブを与えようとしても、社員個人が自分自身の生活の安寧つまり、少しばかり余裕のある安定した暮らしを動機・目的としている限りは、すでに経済的に豊かな日本社会においては、あくせく働く必要はそこまでありません。勤め人は通常、生活のために働いていると言えます。生活動機以上のものを秘めているとすれば、すでに自ら起業しているでしょう。

漠然とした「能力」に基づく評価、「成果」に基づく評価のためにあくせくするよりも、勤続年数に応じて昇給していってくれた方が個人的には都合がよいというのは、きわめて合理的な発想でしょう。

「成果主義より年功序列を望む声が増えつつある」程度で済んでいる日本は、中国の「寝そべり族」のような現象が見えつつある中国よりは、まだよい方でしょう。しかし、「個人へのインセンティブの付与」する方法論に固執し激化させると、今度は次第に社会に諦観が蔓延るようになるでしょう

■合理的に自己利益を追求する経済主体の選択は「ぼちぼち働く」になるのは当然
そもそも勤め人のマネジメントにインセンティブ云々を持ち込むのが間違いです。勤め人は組織の歯車であり、その裁量幅は限られています。もともと資本主義社会におけるインセンティブ談義は、裁量権を持った者がリスクを被ってリターンを目指して試行錯誤すること(まさに起業家のそれ)を説明するものであり、それが転じて報酬を「ニンジン」にして他人を動かすという勤め人のマネジメントになったものと考えますが、組織の歯車でしかない勤め人は自ら主体的にリスクを取る立場にはないし、「ニンジン」といっても高が知れています。自社の社員に高額の報酬を「ニンジン」としてぶら下げるというのは、一部の投資銀行などでもない限り難しいことです。無理にインセンティブだ成果主義だと持ち込んでも組織の歯車に過ぎない勤め人は裁量を持って働きようがないし、用意できる「ニンジン」は高が知れているので、意味がないのです。

また、組織の歯車でしかない勤め人は、失敗したところで個人的に損するわけではありません。そうなると、自分の懐が痛まない、つまり責任を取る必要がないのをいいことに漫然とリスクのあり過ぎる行為に手を出す危険性が生じます。松尾匡氏が指摘しているように、「ソフトな予算制約」を特徴とするソ連型計画経済と、そごう破綻問題、そしてサブプライムローン問題をきっかけとする世界金融危機は、「投資決定者が責任をとらない」「リスクと決定と責任が一致していない」という点において問題の根底は同一であるとしています。ちまたの通俗的インセンティブ談義は、本来一番大切なことであるはずの「自分の選択と行動の結果責任を取る」ということが抜け落ちているがために、単に「ニンジンをぶら下げるべきだ」だけで終わってしまっている観があります(できれば失敗の結果責任なんて取りたくないというのが人情というものなので、実務家がニンジン談義に終始して結果責任の問題について積極的に語ろうとしないのは理解可能ですが、少なくないブルジョア学者――自分自身がこのことに直面しているわけではない――が通俗的インセンティブ談義に終始しているのは、彼らの浮世離れした生態を示すものなのでしょう)。逆に個人の仕事上の失敗を個人の評価や給与に反映させようとすれば、勤め人は通常、自分自身の生活の安寧を第一義としているので、危ない橋を渡ろうとはせずに今度は過度に保守的になるでしょう。

さらに言えば、労働力が過剰になりがちな現代資本主義においては、生産要素としての労働力よりもマネーの方が希少性が高いので、企業活動の経済的成果の分配においては、労働者よりも投資家の方が優先順位が高くなりがちです。つまり、労働分配よりも株主配当が優先されがちです。勤め人がいかに創意工夫して利潤機会を拡大したとしても、その果実の大部分は投資家に配分されてしまいます。インセンティブ云々の土俵に敢えて立てばこそ、労働者は熱心に働く「インセンティブ」がないのです。

なお、「労働分配よりも株主配当が優先されがち」という事象についてブルジョア経済学者などは、生産要素の希少性云々ではなく所有権の所在から説明することでしょう。「所有者が一番多くの経済的利益をもっていかなければ、そもそも企業を所有している意味がないから」という私有財産制度の原理原則から説明しようとするでしょう。それは理論的には正しい見解です。当ブログが協同主義の立場をとることも、所有権がブルジョア的権力の源泉であると考えるからです。

しかし、理論の問題ではなく現実の問題を考えたとき、焦点は程度の問題になります。「所有者が一番多くの経済的利益をもっていく」というのは原理の問題です。そんなことは当たり前のこと。問題は「実際にどのくらい労働分配されるのか」です。それは結局のところ、そのときの力関係です。ここに待遇改善闘争としての労働運動を位置づけることができます。当ブログは、究極的には所有権の問題に切り込まねばならないが、まずは待遇改善闘争としての労働運動に取り組むべきと考えています。

たとえば、現実的には、自分の取り分よりも従業員の給与を優先する零細企業のオーナー社長の存在しています。これは原理からすると奇異なことですが、力関係から考えると説明できます。こうした社長さんは、もちろん個人として人情味のある人格者なのだとは思います。しかしながら少々捻くれた見方かも知れませんが、こうした零細企業は、現在の従業員に退職されるといよいよ事業が成り立たなくなる、つまり労働力が極めて貴重な環境に置かれており、それゆえに自分の取り分よりも給与を優先して従業員を繋ぎとめているとも言えるでしょう。

個人主義に基づきインセンティブに反応しているとする限りは、合理的に自己利益を追求する経済主体の選択は「ぼちぼち働く」になるのは当然のことです。勤め人はインセンティブ談義の対象には馴染みません。

■自己発展の動機を人民大衆の運命開拓事業に寄与することに見いだせばこそ創造的活動に情熱を燃やし続けることができる
このことに対する「最近の若者は、大志も野望もないのか」という嘆きは、成果主義的ではありません。勤め人に大志や野望を抱くよう要求すること自体が筋違いですが、それ以前に、大志や野望と「個人へのインセンティブの付与」とは直接関係ありません

大志や野望とは何でしょうか? 資本主義経済において大志や野望を持ってビジネスを展開している、いわゆる企業家精神(この文脈では「起」業家でもよいが、一般的には「企」業家と表現するでしょう)の持ち主のことを念頭に置いてみると、あくまでもビジネスなので金銭動機は大きな部分を占めているものの、自分のアイディアが世の中に好意的に受け入れられるか試してみたいという動機にも突き動かされています。モノ作り関係の起業や、特定の技術・技能を提供するサービス業での起業の場合、敢えてその商材で市場で勝負するという決断の背景にはそのモノやサービスに対する並々ならぬ思い入れの存在が強く推察できます。単に大儲けしたいだけなら、起業するよりも適切にポートフォリオを組んで財テクしたほうが余程儲かるでしょう

つまり、そこには他者の存在があります。「個人」では完結していません。先に「個人の能力を個人的な動機や目的にのみ発揮する限りは、その結果は個人的な範囲でしか表出され得ない」と申しましたが、いわゆる企業家精神の持ち主は、「個人的な動機や目的」と「社会的な課題の解決」とが重なっている部分があると言えます。もとより資本主義経済の基盤である商品経済は「他人のための使用価値」を生産することであり、ビジネスは他者の存在を前提とするものですが、敢えて起業するということは「社会的な課題の解決」に対するアンテナが殊更に高くないとできない行為です。

チュチェ思想においては、自己発展の動機を人民大衆の運命開拓事業に寄与することに見いだすとき、高い使命感を基づいて自分に対する要求を絶えず高めながら創造的活動に情熱を燃やし続けることができるとします。その結果、個人的な動機に基づくときには想像すらできない創造力を発揮して人民大衆の発展のために意義ある貢献をすることができるのです(ハン・ドンソン『哲学への主体的アプローチ』、白峰社、2006、p180)。

資本主義経済における企業家精神はあくまでもビジネスなので金銭動機は大きな部分を占めています。それゆえ、資本主義経済における企業家精神は、自己発展の動機を人民大衆の運命開拓事業に寄与することに見いだしているとは言えません。しかし、自分のアイディアが世の中に好意的に受け入れられるか試してみたいという動機が存在している点において、他者の存在をまったく顧みていないわけでもありません。前述のとおり、個人的な動機や目的と社会的な課題解決とが重なっている部分があるわけです。集団主義としての社会主義・共産主義の立場からは甚だ不十分ではあるものの、まったく無縁・無関係とまでは言い難く、育て方次第では伸び得る萌芽のようなものがあるという評価もできるでしょう。

■集団主義としての社会主義・共産主義の経済活動の二つの道
そう考えると、集団主義としての社会主義・共産主義の経済活動には、少なくとも二つの道が考えられるでしょう。ひとつは、集団志向の動機(人民大衆の運命開拓事業に寄与することに繋がる、自分のアイディアが世の中に好意的に受け入れられるか試してみたいという動機)と、個人志向の動機(金銭動機)とが、できれば前者(集団志向の動機)優先、少なくとも同程度の優先順位になることを要求する道になるでしょう。キム・イルソン同志の労作『社会主義経済のいくつかの理論的問題について』をこの観点と関連させつつ読み解くことは興味深いことだと考えます。

もうひとつは、集団志向の動機と個人志向の動機とを前者優先ないし同程度とさせることを奨励しつつも、(人民大衆の運命開拓事業に寄与することをまったく考えないことは論外だが)個人レベルでの金銭動機を優先させていたとしても多少は大目に見、むしろそうした個人志向の動機を上手く組織化することで社会全体レベルでは集団主義を実現させる道になるでしょう。

集団主義としての社会主義・共産主義の本旨、社会的・政治的生命体の形成を踏まえれば前者こそが正道です。社会主義企業責任管理制及び圃田担当責任制を推進している社会主義国家たる朝鮮民主主義人民共和国は、前者の立場から集団と個人の関係を慎重に調整しています。しかしながら、日本のような現代資本主義経済からの変革を考えたときは、後者であっても十分に目指すに値するでしょう。後者を達成するにも相当の時間と労力がかかるはず。後者を経由して前者を目指すという段階論もあり得るでしょう。

■インセンティブを刺激する方法が完全なる間違いだというわけではない
ここで強調しておくべきは、個人志向の動機を追求すること自体は、個人主義ではないことです。人間には肉体的生命と社会的・政治的生命体があるという生命観がチュチェの生命観ですが、個人が肉体的生命と社会的・政治的生命を具有している以上は、個人がそれに関心をもたずにはいられません。ハン・ドンソン氏は、「個人主義と利己主義の誤りは、個人では、世界と自己の運命の主人として自主的で創造的に生き発展することができないにもかかわらず、(中略)個人の欲望と名誉だけを追求するところにあります。個人主義は、(中略)個人の自由と平等を主張しますが、それは、集団を尊重するからではなくて、そうすることが個人の利益を実現するのに有利だからです」と指摘しています。そして、「集団の利益を優先するというのは、個人の要求を放棄するとか、他人のために一方的に犠牲になるという意味ではありません」としています(前掲書p181。引用部分での太字化は当ブログ編集によるもの)。

もっともハン氏は、それを「人間は、他人のための手段となってはな」らないからであると根拠づけています。人間はあくまでも自主的存在であって、他人のための手段では」ないのです。ブルジョア経済学者お得意の安っぽいインセンティブ談義に基づくものでは決してありませんが、結論的に、インセンティブを刺激する方法が完全なる間違いだというわけではない、ということになります。

通常、ブルジョア経済学は、究極的なインセンティブは所有権から生じると指摘します。所有権とはすなわち処分権であります。自分自身の利益になるからこそ熱心に働くというのは否定しがたいことです。自分ひとりだけで事業を行うわけではなく誰か他人と共同で事業を行うのであれば、インセンティブ談義に則ればこそ、処分権もまた共同で持つべきでしょう。当ブログはかねてより協同主義を提唱してきましたが、これは「所有権こそが強力なインセンティブである」というブルジョア経済談義の最奥義に敢えて乗ればこそのものです。当ブログは、この意味からもインセンティブを刺激する方法が完全なる間違いと主張するつもりはなく、むしろ、インセンティブを刺激する方法をも採用せんとするからこそ協同主義の立場を取るものです。

チュチェ思想は、個人の運命は集団の運命と分かち難く結びついているとします。集団への貢献は自分自身のためでもあります。インセンティブを刺激する方法は、こうした文脈においてこそ採用されるべきです。

なお、前者については、仏教の「自利利他」と相通ずるところがあるように見えます。チュチェ思想と仏教思想との関連については、当ブログはそのことを論じるほどチュチェ思想にも仏教にも通じていないので、ここでは何も語りません。しかしながら、もとより科学的社会主義は人類の英知を科学的・合理的に総合した思想です。それゆえ、仏教が宗教であるとしてもその主張のうちの筋が通った部分と似通った意見になることは結果としてあり得るでしょう。この意味において当ブログは、科学的社会主義は、何か突拍子もないことを主張するものではないと訴えたいと思います。現社会を根本的に作り変えるという意味で革命的であっても、その指導思想は、人類が積み重ねてきたものに拠っていると考えます。

■資本主義は、その個人主義ゆえにドツボに嵌ってゆくだろう
さて、かつてキム・ジョンイル同志が指摘なさったように、社会主義と資本主義との対立軸は、集団主義社会と個人主義社会の対立軸であり、それは集団主義的な人生観と個人主義な人生観との対立軸であります。集団主義的な人生観の根本には、人間には肉体的生命の他に社会的・政治的生命体があるという生命観の存在があります。社会的・政治的生命体は、キム・ジョンイル同志が指摘なさったように、チュチェ思想が初めて明らかにしたものです。資本主義社会では決して発見しえないものです。

果たしてこの記事が指摘する事態を個人主義を基礎とする資本主義を当然視している人々はどのように捉え、対策を講じてゆくのでしょうか? 「個人へのインセンティブの付与がまだ足りていないからだ!」といった言説が出てくるのでしょうか? それとも、「資本主義はその成功ゆえに『社会主義』化し、硬直して滅びる」というシュンペーター的な嘆きが出てくるのでしょうか?

いずれも個人主義の枠を脱しないものです。歴史的に資本主義は、山師のような冒険家が切り開いた道をプロテスタンティズム的なエートスをもつ実業家たちが広げてゆくという経路を辿ったと当ブログは考えます。伸びしろが豊かな時代においては、このような、個人主義を前提とする資本主義でも十分に創造的でした。しかしながら、これからも山師のような起業家やそれを引き継ぐ堅実な実業家は一定数現れるでしょうが、そうした企業家たちについてゆく勤め人がどれほど現れるでしょうか? これからの産業社会は、少数の実業家だけでは高度に発展した現代経済は維持できないでしょう。産業社会が複雑化・高度化すればするほど、まさに中央集権的計画経済が行き詰っていった一因がそうだったように、一握りの天才的な野心家や少数精鋭集団だけでは対応し切れなくなります。

キム・イルソン同志はかつて「人びとのあいだで個人主義・利己主義を助長させ、もっぱら金銭で人びとを動かそうとしたのでは、かれらの集団的英雄主義と創造的積極性を呼び起こすことはできず、したがって技術革命の課題も、経済建設の課題も成功裏になしとげることはできません」と仰いました。この意味合いを、ますます複雑化・高度化する産業社会において改めて噛みしめつつ、「個人へのインセンティブの付与」という方法の行く末が今日の事態であることを認識する必要があるでしょう。そして、人間の行動動機には個人志向の動機だけでなく集団志向の動機もあるということを踏まえ、集団志向の動機付けを刺激する道にもスポットライトを当てるべきであると考えます。個人の運命は集団の運命と分かち難く結びついているのだから、集団への貢献が個人的な利得にもつながるという好循環を作り上げる必要があります。インセンティブを刺激する方法は、こうした文脈においてこそ採用されるべきです。そして、そうした施策の哲学的基礎をチュチェ思想が提供していると考えます。

興味深い一例として、日本の高度経済成長期の雇われ技術者が挙げられるでしょう。NHKの「プロジェクトX」などで取り上げられるようなモノづくり大国ニッポンを象徴するような事例の主人公は、大企業であったり町工場のような中小零細企業であったりと会社の規模はさまざまでしたが、おしなべて雇われ人でした。彼らはサラリーマンでありながら、まるで現代のスタートアップ企業の創業者であるかのように全力を尽くしてきたのです。

≪Reinventing the Bazaar: A Natural History of Markets≫という本があります。スタンフォード大学ビジネススクール教授であったジョン・マクミラン氏(故人)が2002年に著したもので、2007年に瀧澤弘和氏と木村友二氏の訳でNTT出版から『市場を創る―バザールからネット取引まで』として邦訳版が出ています。2021年に慶應義塾大学出版会から新版として出版されています。当該書籍は「一般向けの読み物」と訳者あとがきにもある(2007年版のp336)とおり、さまざまな事象を切り口にしつつ、それを平易な筆致でありながら理論的に整理している良書です。しかしながら、持論に都合の良いエピソードの寄せ集めになっている観もある書でもあります。

当該書籍は、著された時代もあったのでしょう。所有権がイノベーションの強力なインセンティブになるとし、「契約の下で誰かのために働くことと、自分自身のために働くことの違いは何だろうか。なぜ所有権はもっとも強い動機づけとなるのだろうか」と問いを立てます(同p131)。その答えをマクミラン教授は「企業所有者が残余請求権を持っている」からだとします。マイクロソフトがIBMに買収され、ビル・ゲイツ氏が事業部門長のひとりでしかなかったら1億ドルものボーナスは得られなかっただろうとしています。そして「所有者でないこと、つまり残余収益に対する権利がないことは、創造的に投資し、大きなリスクを取る動機に水を差してしまう」(同p134)としつつ、製薬業界の例を挙げて、製品開発では大企業は明確な優位性を持っているが、研究段階については「通常のパターンでは、研究はスタートアップ企業によって遂行される」といいます。「目の前にある問題への執念は所有権とともに発生する」そうです(同p135〜136)。

マクミラン教授の説明は虚偽ではないでしょうが、持論に都合の良いエピソードを持ってきているように思われます(ちなみに当該書籍は、この直後に人民公社の例を取り上げ、通俗的なインセンティブ談義を始めています・・・上掲した松尾匡氏の提示論点などは見られません)。日本の高度経済成長期の雇われ技術者が見せた献身性を説明できないように思われます。この献身性は、幾つかの企業の何人かの技術者が例外的に見せたものではなく、まさに一つの時代における日本企業を象徴するものでした。もちろんボランティアでは決してありません。会社の成長・収益と自分自身の成長・収益を一体化させたものだったと言えます。それゆえ、この記事で論じてきた当ブログの主張は、決して突拍子のないことではないと考えます。

もっとも、残念ながら現代のブルジョア連中にそれができるとは考えにくいところです。個人主義はあまりにも当然のこととして観念され過ぎています。資本主義は、その個人主義ゆえにドツボに嵌ってゆくことでしょう
posted by 管理者 at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年08月24日

人間観・人生観そして死生観に基づいて社会制度を考え抜くことが一層重要になってきている――ラサール石井さんの共生社会論をチュチェ思想的に考える

https://news.yahoo.co.jp/articles/9433c4f03c51517acf565e20d8b0ea00663914c0
ラサール石井「日本人ファースト」に危機感「富める者が貧しい者を助ける」「人間にファーストもセカンドもない」
7/4(金) 7:40配信
よろず〜ニュース

 参院選(20日投開票)に社民党から比例区で出馬した俳優・タレントのラサール石井(69)が3日、東京・JR新宿駅南口で第一声を上げ、「日本人ファースト」に疑問を投げかけた。

 石井は「日本人ファースト」を掲げる政党や政治家が支持を集めている状況について「何が『日本人ファースト』ですか?人間にファーストもセカンドもないんですよ。隣人が自分とは違うってことを認めればいい。なぜなら、あなたも隣の人とは違うから。そして強い者が弱い者を、富める者が貧しい者を助ける。自分のことばかり考えて他人を省みない、そんな国がいい国ですか?」と、持論を展開した。

(中略)
 石井は「社民党は社会主義や共産主義の国を作ろう…なんて思っていませんよ。『資本主義の中で民主主義が本当に行き渡る国』を作りたいと思っている。社民党がなくなったら日本の底が抜けてしまいます」と解説。「政党要件の2%になるように必死で頑張って、なんとか社民党をなくさないでください。社民党も崖っぷちだけど、日本も崖っぷち。道を歩いているだけで笑みをうかべられる国にしようじゃありませんか」と呼び掛けた。
参議院選挙と日本の世相についての2回目です(そして選挙総括としてはこれが最後です)。今回は、社民党から出馬して初当選したラサール石井さんの選挙期間中の演説について。

■「社民主義は社会主義を目指していない」?
今般の選挙は、「日本人ファースト」を掲げる参政党が非常に大きな勢いを持っていたことから外国人問題が争点に上がるようになりました。多くの党・候補者が「日本人ファースト」に真っ向から対抗することに二の足を踏む中、ラサール石井さんの発言は非常に勇気のあるものだったと言えます。上記引用前段の「何が『日本人ファースト』ですか?人間にファーストもセカンドもないんですよ。隣人が自分とは違うってことを認めればいい。なぜなら、あなたも隣の人とは違うから。そして強い者が弱い者を、富める者が貧しい者を助ける。自分のことばかり考えて他人を省みない、そんな国がいい国ですか?」という発言には共感を覚えます。

そうであるだけに、引用後段には疑問符を付けざるを得ません。「社民党は社会主義や共産主義の国を作ろう…なんて思っていません」――「社民主義は共産主義を目指していない」というのは理論的に正しい主張ですが、「社民主義は社会主義を目指していない」というのは、共産主義の立場から社民主義に対してなされる罵倒でこそあれ、社民主義者が自ら口にすることではないでしょう。「『資本主義の中で民主主義が本当に行き渡る国』を作りたい」だけならば、わざわざ「社会」民主主義と名乗る必要はないはずです。

このあたりの話は理論的な整合性の話であり、ラサール石井さんにはあまり興味のない分野なのかもしれませんが、基本的な部分の話でもあるのでしっかりと整合性を取る必要があると思います。

■「資本主義の中で民主主義が本当に行き渡る国」?
また、引用前段で高らかに謳いあげた「何が『日本人ファースト』ですか?人間にファーストもセカンドもないんですよ。隣人が自分とは違うってことを認めればいい。なぜなら、あなたも隣の人とは違うから。そして強い者が弱い者を、富める者が貧しい者を助ける。自分のことばかり考えて他人を省みない、そんな国がいい国ですか?」と言いつつ、引用後段の「社民党は社会主義や共産主義の国を作ろう…なんて思っていませんよ。『資本主義の中で民主主義が本当に行き渡る国』を作りたいと思っている」と繋げるのは、チュチェ思想派として当ブログは、論理が破綻していると考えざるを得ません資本主義においてそうした社会を作ることはできないと考えるからです

■共生社会論をチュチェ思想からとらえ直すと集団主義に基づく社会主義社会の道を歩む必要が出てくる
隣人が自分とは違うということを認めあって共に生きる社会、いわゆる共生社会をラサール石井さんは目指しているものと考えますが、このことをチュチェ思想の文脈でとらえ直すと、社会的存在としての人民大衆の自主性を実現することであると言えます。その意味では、ラサール石井さんが目指す社会像とチュチェ思想が目指す社会像には、重なるところがあると言えるでしょう。

チュチェ思想は社会主義を志向する思想体系ですが、チュチェ思想が志向する社会主義像は、キム・ジョンイル同志の不朽の古典的労作『社会主義は科学である』に明らかにされています。

キム・ジョンイル同志は、人類の歴史について「人民大衆は歴史的に長いあいだ、自主性の実現をめざして力強くたたかいつづけ、その過程で階級社会の交替がなされ、自主性をめざす人民大衆のたたかいが発展してきた」と指摘なさいます。しかし同時に「敵対的階級社会の交替は、人民大衆の自主性を抑圧する形態上の変化をもたらしただけで、人民大衆は社会的・政治的従属から解放されなかった」とし、その理由として「いずれも個人主義にもとづく社会であったから」と指摘なさいました。「私的所有とそれによって生まれる個人主義にもとづく社会は、必然的に社会を敵対する階級に分裂させ、階級的対立と社会的不平等を生みだし、人民大衆にたいする少数支配階級の搾取と抑圧を随伴するようになる」からです。その上で「資本主義は個人主義をごく少数の資本家の際限ない貪欲にかえ、個人主義にもとづく社会の敵対的矛盾をその極にいたらしめた」と指摘なさいます。

ウチとソトを峻別するところに私的所有制度及び個人主義の存立基盤があります。一般に、富はソトから持ち込むからこそ蓄積することができます。富に関する経済学的な見解は様々ありますが、重商主義は貿易差額から、重農主義は大地から、労働価値説に基づく剰余価値学説(つまりマルクス経済学)は労働者階級の労働から、効用価値説に基づく現代経済学は財に対する個人の主観的な評価の違いからといった具合に、富の源泉に関する主張こそ違いはありますが、いずれもソトから持ち込むものとして捉えています。私的所有制度とは、彼我を峻別しソトから持ち込んだ富を排他的に利用することです。そして資本主義は、無限に自己増殖する価値の運動としての資本の運動を経済活動の主たる目的とするシステムを指します。彼我を峻別しソトから持ち込んだ富を元手に、それを増やし続けること(いわゆる資産運用)自体が目的と化している経済システムと言い換えることもできるでしょう。資産を増やすこと自体が目的である中で、アガリを他人に分け与えていては資産運用のパフォーマンスが下がるので、彼我を峻別はますます厳格になり富へのアクセスはますます排他的になるのは必然的なことです。

キム・ジョンイル同志は、他方、「自主性をめざす人民大衆のたたかいは新たな発展段階に入っている」とし個人主義にもとづく社会の集団主義にもとづく社会への移行が歴史発展の必然的要求となっている」と現状分析なさいます。その根拠は「集団主義は人間本然の要求である」からです。「人間は個別的にではなく社会構成員の集団的協力によってのみ自然と社会を改造し、自主的要求を実現することができ」るものです。

キム・ジョンイル同志は、「人間が社会的集団をなして生きていくためには、集団の自主的要求と個人の自主的要求を実現していかなければならない」とした上で集団主義のみが集団の団結と協力を強め、集団の全構成員の創造的熱意を高め、集団の自主的要求と個人の自主的要求を正しく結合し、ともに満足に実現していけるようにする」と指摘なさいます。そして、社会的集団をなして活動するのが人間の生存方式であり、人間の自主的要求が集団主義によってのみりっぱに実現するのであるから、集団主義にもとづく社会、社会主義・共産主義社会は、人間の自主的本性にかなったもっとも先進的な社会である」とし、社会主義こそが人間の自主的本性にかなったものであると位置づけていらっしゃいます。

伝統的に社会主義運動は集団主義と個人主義とを対立軸として設定してきましたが、キム・ジョンイル同志はそれを受け継ぐ形で、集団主義と個人主義との対立軸を社会主義と資本主義との対立軸に関連付けられました。その上で、必然的に社会を敵対する階級に分裂させ、階級的対立と社会的不平等を生みだし、人民大衆にたいする少数支配階級の搾取と抑圧を随伴する私的所有とそれによって生まれる個人主義にもとづく社会を乗り越え、集団主義に基づく社会主義社会への道筋を位置づけたのです。これが『社会主義は科学である』の骨子であり、当ブログもこのビジョンに賛同するものです。「人間にファーストもセカンドもない」とか「民主主義が本当に行き渡る国」を作るためにこそ当ブログは、集団主義に基づく社会主義社会の道を歩む必要があると考えます

もちろん、チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長が指摘するように、国の制度を社会主義化すれば自然と人間の行動が社会主義に見合ったものになるわけではありません。集団主義は人間本然の要求であるからといって、人々が自然と覚醒して集団主義的な社会主義の建設に向かうわけではありません。尾上事務局長は「マルクスは、社会主義制度的生産様式が樹立されれば、人間関係も豊かになっていくとしましたが、現実にはそのようにはなりませんでした。生産関係をかえればおのずと人間がかわるわけではないということは明らかなことです」(『自主・平和の思想』2015年、白峰社、p8)などとかなり辛辣な指摘をしています。また、ソビエト連邦については「政権を奪取するまえの労働者たちの闘争課題は、賃金を上げることを中心とする労働条件の改善でした。労働者たちは、政権につくまえは、社会主義思想を身につけていたわけでもなく、国家全体のことを考えたこともありませんでした。主に個人の要求を実現するためにたたかってきたため、運動の過程で民衆のことを思う気持ちは十分に形成されませんでした」とか「ソ連は政権をとった直後から帝国主義とたたかいながら社会主義を建設しなければなりませんでした。平和的に社会主義を建設する余裕がなかったため、ソ連の指導者は民衆に対する教育に力を投じることができなかったのです」とも指摘しています(同)。

■チュチェの集団主義的人間観から共生社会を考える
キム・ジョンイル同志がこのような論法で社会主義の正当性を主張する根本には、チュチェ思想特有の人間観、集団主義的人間観の存在があります。より詳しく『社会主義は科学である』を読み込んで行きましょう。

チュチェ思想は人間を社会的存在であると定義します。これは、人間が人間たるのは社会関係を結び、社会的教育や社会的実践といった社会的活動するからだという意味です。人間を特徴づける自主性・創造性・意識性は、生物としての進化の結果として自然に獲得したものではなく人間が社会的な関係を取り結び活動する中で形成されるものです。

人間にとって、社会的関係を取り結ぶ中で形成される属性の中でも自主性が特に重要です。人間は自主的な社会的存在として、他者と社会的関係を取り結びつつ、なにものにも従属したり束縛されることなく自主的に生きることを求めます。そしてそのために目的意識性を持って創造的能力を発揮します。このような意味で、社会的・政治的自主性を社会的存在としての人間の生命、社会的・政治的生命(社会政治的生命と表記することもある)と言います。社会的・政治的生命をもってこそ人々は、社会的集団とともに世界と自らの運命の共同の主人となり自主的で創造的に生き発展することができるようになります。

自然環境が人間に肉体的生命を付与しますが、社会環境が人間に社会的・政治的生命を付与します。社会的・政治的自主性は、社会的関係を取り結ぶ中で形成されるからです。このため人間は、肉体的生命と社会的・政治的生命の二つを持っていると言えます。肉体的生命は人間以外の生命体も持っていますが、社会的・政治的生命は人間だけが持ちます。それゆえ、社会環境が人間に付与する社会的・政治的生命こそが人間が人間たる特徴・根拠になります。

人間が社会的・政治的生命の要求をぬきにして肉体的生命の要求のみを追求するならば、いくら豊かな物質生活を営むとしても、それは決して有意義な生活とはいえず、そうした物質生活は人間の本性に反する動物の生活にひとしい奇形的で変態的な生活になりさがってしまいます。人間が自主性を失い、他人に従属しているなら、命はあっても社会的・政治的には屍にひとしいものです。

社会的・政治的生命をもってこそ個人は、社会的集団とともに世界と自らの運命の共同の主人となり自主的で創造的に生き発展することができるので、社会に背を向け放蕩する人は、社会的・政治的生命を得ることができず社会的集団とともに世界と自らの運命の共同の主人になることができません。

そして、ここが非常に大切なのですが、人間の社会的・政治的生命がこのような本質的特徴を有しているがゆえに、人間の生の価値は、人間が社会的集団とどう結合するかにかかっていることになります。社会的・政治的生命を輝かし尊厳ある生を営むことこそが人間の自主的要求を満たすことであり、それはすなわち人間の自主的本性に適うのです。キム・ジョンイル同志は「人間のもっとも誉れ高く甲斐ある生き方は、自己の運命を社会的集団の運命と結びつけ、社会的集団に献身的に奉仕し、社会的集団に愛され信頼されながら、自主的で創造的な生活を営むことである」と定式化し、チュチェ思想として人生観の問題に解答を与えました

人間のもっとも誉れ高く甲斐ある生き方は、自己の運命を社会的集団の運命と結びつけ、社会的集団に献身的に奉仕し、社会的集団に愛され信頼されながら、自主的で創造的な生活を営むことである」という定式は、まさしく隣人が自分とは違うということを認めあって共に生きる社会、いわゆる共生社会像そのものであります

こうした生は、私有財産制度と個人主義に基づく敵対的階級社会では、決して実現され得ません。階級的対立と社会的不平等を生みだし人民大衆にたいする少数支配階級の搾取と抑圧を必然的に随伴するようになるからです。また、特に資本主義段階としての敵対的階級社会においては、人間の人格的価値が交換価値にかえられ、それが金銭と財物によって評価されるので、このような社会では、人々の間の愛情と信頼について論ずることはできないからです。

私有財産制度と個人主義によって基礎づけられる資本主義社会は、社会的集団とともに世界と自らの運命の共同の主人となることに価値を見いだしません。また、人間に社会的・政治的生命があるという見方をしないため、資本主義的人間観においては、人間を本能によってのみ生きる動物との質的差異を説明することができません。

人民大衆が国家主権と生産手段が人民のものとなっている社会主義社会でのみ、こうした誉れ高い生は実現可能です。国家主権と生産手段とを人民大衆が自ら所有する社会主義社会は、集団主義に基づいており人びとがあらゆる搾取と抑圧、支配と従属から解放されるので、社会・政治生活をはじめすべての分野で自主的で創造的な生活が営めるようになるからです。人間が社会的集団をなして生きていくためには、集団の自主的要求と個人の自主的要求を実現していかなければなりませんが、それは集団主義に基づく社会主義社会においてのみ立派に実現されるのです。

このことをキム・ジョンイル同志は端的に「社会的集団をなして活動するのが人間の生存方式であり、人間の自主的要求が集団主義によってのみりっぱに実現するのであるから、集団主義にもとづく社会、社会主義・共産主義社会は、人間の自主的本性にかなったもっとも先進的な社会である」と表現なさいました。

2024年12月31日づけ「2024年を振り返る(1):『社会主義は科学である』発表30年――正しい人間観、そしてそれに基づく世界観、社会歴史観、さらに人生観そして死生観に基づいた社会主義理論を日本の自主化においてどのように参考にするか」でも書きましたが、もしかすると、「社会主義でなくとも集団主義は実現できるのではないか? 何故社会主義でなければならないのか?」という疑問を持つ方もいらっしゃるかも知れません。ラサール石井さんが当ブログの記事を読んでいるとは思っていませんが、おそらく彼もそう思うでしょう。しかし、集団主義を具体化・具現化させようとしたとき、つまり、個人と社会との自主的要求を調整しつつ共に実現させようとしたとき、すべての人々が自然と社会と自分自身の主人となるためには国家主権と生産手段とを共同で管理する道を歩まざるを得なくなると当ブログは考えます。敵対的階級社会を必然的に作り出す私有財産制度を基づく個人主義を克服し集団主義を実現させるためには、国家主権と生産手段とを人民大衆が自ら所有する社会主義の道を歩まなければならないのです。

集団主義か個人主義かの対立は、社会主義と資本主義との社会体制上の対立であり、それはつまり、人間を社会的存在であるとする人間観と人間をたんなる自然的・生物学的存在とみなす人間観との対立に行きつくと言えます。そして、このように考えればこそ、隣人が自分とは違うということを認めあって共に生きる社会、いわゆる共生社会を作るため、「人間にファーストもセカンドもない」とか「民主主義が本当に行き渡る国」を作るためにこそ当ブログは、集団主義に基づく社会主義社会の道を歩む必要があると考えます

■社会的・政治的生命体論に基づく人生観・死生観と共生社会
社会主義制度が樹立すれば階級的対立は一掃され、人びとの関係は対立と不信の関係から愛情と信頼の関係にかわるようになります。人民大衆の自主性を擁護してともにたたかい、創造的活動を共同で進める人たちのあいだには、愛情と信頼を交わす関係が生まれ得るからです。資本主義がカネと権力を社会の紐帯としているとすれば、社会主義社会では愛情と信頼が社会の紐帯となるわけです。

社会主義社会の紐帯である愛情と信頼は、領袖と戦士のあいだでもっとも崇高な発現をみます。領袖と戦士、党と人民が愛情と信頼によって結びつき、社会そのものが一つの社会的・政治的生命体となります。一つの社会的・政治的生命体となった社会では、人々は、社会的集団に献身的に奉仕することで社会的集団から愛され信頼されるようになり、それゆえに自主的で創造的な生活を営むことができます。社会の全構成員がそれぞれの社会的・政治的生命を限りなく輝かす最も貴く美しい生を送っており、人々が愛と信頼で結びついているからこそ、もっとも強固で生命力のある社会となります。これを社会的・政治的生命体論(社会政治的生命体論と表記することもある)と言います

集団主義か個人主義かの対立は、社会主義と資本主義との社会体制上の対立であり、それはつまり、人間を社会的存在であるとする人間観と人間をたんなる自然的・生物学的存在とみなす人間観との対立に行きつくと先に述べましたが、この対立はまた、愛と信頼を紐帯とする社会的・政治的生命を基本とする人生観とカネと権力を紐帯として肉体的生命を基本とする人生観との対立であるとも設定できるでしょう。

さらに、このような生を送る人は、社会的集団と愛と信頼の絆で結ばれているので、たとえ肉体的生命が尽きたとしても、その思想と業績は、社会的集団が続く限りそのなかで引き継がれます。そうした生を送った人に対する愛と信頼は、世代を越えて人々の心のなかに残るのです。それゆえ、そうした人は、社会的・政治的には永遠に生き続けることになります。チュチェ思想の社会的・政治的生命体論に基づけば、社会的・政治的生命は永遠の命であり、空間的な共生に留まらず時間を超えた共生をも可能にします。資本主義社会がいかに高度な生産力を誇っていたとしても、それが実現できるのは個人の肉体的生命の保証にとどまるので、このような死生観・共生観は、個人主義に基づく社会・資本主義社会では到底実現不可能なものです。

集団主義か個人主義かの対立軸は社会主義と資本主義との社会体制上の対立軸であり、それはつまり、人間を社会的存在であるとする人間観と人間をたんなる自然的・生物学的存在とみなす人間観との対立軸であり、愛と信頼を紐帯とする社会的・政治的生命を基本とする人生観とカネと権力を紐帯として肉体的生命を基本とする人生観との対立軸でもあり、そして個人として生き肉体の死滅とともに終わる生命の見方と、集団とともに生き社会的・政治的に永生する生命の見方との死生観上の対立軸として設定できるのです。

このように、共生社会に結び付く人間観・人生観そして死生観を実現させうるのは、集団主義に基づく社会主義だけであり、個人主義に基づく資本主義ではあり得ないと当ブログは考えるのです。修正資本主義的対応では足りず社会的・政治的生命体の形成を目指す社会主義・共産主義運動が必要だと考えます。

■無理もないことではあるが・・・
もっとも、ラサール石井さんが集団主義に基づく社会主義の道から遠い位置にいらっしゃることは、無理もないことでしょう。なぜならば、社会主義は未来社会論ですが、通常、未来社会論は自らの眼前に広がる現実を出発点とし、思索を展開することによって深化するものです。その点、キム・ジョンイル同志は『反帝闘争の旗をさらに高くかかげ、社会主義・共産主義の道を力強く前進しよう』において、革命的教育を系統的に受けることのできない資本主義制度のもとで、多数のインテリがブルジョア思想と小ブルジョア思想に毒されるのは避けがたいこと」であり「かれらを革命の側に獲得することは困難な問題」であると指摘されています(「金正日選集」第9巻、1997年、外国文出版社、p34-35)。

キム・ジョンイル同志が指摘なさるとおり「問題は、社会的・階級的構成の変化した現実に即応して、共産党、労働者党が広範な勤労者大衆を革命化し、獲得する政治活動をいかにおこなうかにあります」(同)。その観点から今般の参議院選挙を振り返るに、社民党候補者までもが「社会主義や共産主義の国を作ろう…なんて思っていませんよ。『資本主義の中で民主主義が本当に行き渡る国』を作りたいと思っている」と口にしている点において、事態がどれほど重大深刻なのかが見えてきます

人間観・人生観そして死生観に基づいて社会制度を考え抜くことが一層重要になってきていると考えます。
posted by 管理者 at 21:31| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年07月27日

令和の米騒動と「市場」主義

更新頻度がかつてに比べて激減している当ブログですが、徐々に調子を取り戻す必要があると思っています。以前から申し述べてきたとおり、当ブログの根本目的は「チュチェ思想を指針として日本の自主化の道を探る」というところにあるので、日本の話題について取り上げることから始めたいと思います。

参議院選挙の結果は重要ですが、その問題を語るにはそこに至る経緯から論じる必要があると考えます。今般の選挙で有権者は物価・経済対策を最も重視したとNHKの出口調査は伝えているので、その代表的事象として、米価高騰及び備蓄米放出問題から取り上げます

■経世済民という根本目的を忘れた本末転倒
自公政権は随分と米価高騰を抑えるための備蓄米放出を渋りました。ようやく出したかと思えば、「市場をゆがめる」だの「米価は市場価格であるべきだ」といった文句が出てきたものでした(「“小泉コメ劇場”にムネオ氏の娘・貴子氏が物申す「政治が価格に介入をすることは慎重であるべき」「小泉大臣と対立軸を作るのは不毛」」6/9(月) 6:51配信 ABEMA TIMES)。

自生的秩序としての市場環境及びそこで形成される市場価格に、よかれと思っても安易に手を入れるべきではないという主張には確かに一理はあります。しかし、今般においては、経済活動の根本目的、そして国家の存在意義を見失っていると言わざるを得ません市場という制度は、あくまでも手段に過ぎないはずです。

驚き呆れたのは、備蓄米が当初、「通常どおり」競争入札で放出されたこと。たしかに昨今の行政契約は、透明性確保の要請などの関係もあって競争入札で行うことが基本になってはいますが、ならばリバースオークションを採用すればよく、「通常の」競争入札を採用する必要はなかったはず市場制度の原則を墨守することが最優先課題になっていたと言わざるを得ません

最近のブルジョア経済学は、経済学の核心を「意思決定理論」などと抽象化を深化させていますが、本来経済活動は、人間存在の自主化を目的として、その基盤整備としての人間の生存と生活に必要な財貨やサービスを生産・分配・消費する活動を指すものであり、経済学はそうした活動及びそれを通じて形成される社会関係を研究する学問と位置づけるべきものであります。また、経済という言葉の由来は経世済民ですが、これは「国を治め民を救済すること」です。

庶民の生活必需品が軒並み高騰している中、ついに主食たるコメの価格までもが高騰するに至りました。ここにおいて経済活動の根本目的を差し置いて、あくまでも手段に過ぎない市場という制度の「原則」を墨守することは本末転倒です。

■日銀の公開市場操作と何が違うのか
だいたい、「市場をゆがめる」といっても、かつてジンバブエが行ったような価格上限を設定したわけではありません。政府が備蓄しているものを放出することで市場供給量を増やし、まさに市場メカニズムを利用して価格を下げようとしているわけです。日銀の公開市場操作と何が違うというのでしょう?

かつて首領様は、闇市での取引をなくす方途として「この問題を解決するためには、品物を多く生産しなければなりません。産卵養鶏工場をより多く建設し、人民の需要をみたすほど大量に生産するならば、卵の闇取引はなくなるであろうし、農民市場で売買されることもおのずとなくなるようになるでしょう」と仰いました(「社会主義経済のいくつかの理論的問題について」)。長期的には生産量を増やす、短期的には備蓄を切り崩す、こうして供給量を増やすことで対応するのが正道でありましょう

■参議院選挙で与党が歴史的惨敗のニッポン。ベラルーシに学んだらどうか
NHKは今春、「プーチン氏盟友 ルカシェンコ氏率いる“白いロシア”どこへ?」(2025年4月11日 18時52分)なる記事を公開していました。先のベラルーシ大統領選挙に立候補し落選した人物のインタビューについて「今回の選挙に立候補しなければ、ベラルーシの現状を追認するのと同じだと考えました」としつつ「ただ、「ルカシェンコ大統領は、本当に多くのことを成し遂げました。客観的に見ても、彼は国民のリーダーであり、支持されています」と付け加えるのを忘れなかった」と書き立てていました。「自由にものが言えない社会の雰囲気は、どこからくるのだろうか」などという書き出しで始まっていたことを鑑みるに「政権からの弾圧を逃れるため、外国メディアのインタビューに対して心にもない予防線を張っておかなければならないほどに抑圧的だ」という印象を読者に植え付けようとしているのでしょう。しかし、ルカシェンコ政権が演出しているほどではないにせよ、やはりベラルーシの政情は現時点で安定しており、それはなによりも補助金の導入によって生活必需品の価格を低く抑えることで民生を安定化させている点が大きいと言えます。

NHKは、米欧諸国の金魚のフンのように追随してベラルーシを悪しざまに言うのではなく、学べるところは学んだどうなのでしょうか。このことは、与党の歴史的惨敗で参議院選挙を終えた今日ますます思いを強くするところです。

経世済民という根本目的を忘れ、手段でしかない「市場」を優先させる言説は、繰り返しになりますが本末転倒です。國体護持談義の現代版と言ってもよいかもしれません。「政権と市場原理はゴジされたぞ ワレはウラガネでタラフク食ってるぞ ナンジ国民 自己責任 ジミントウ」。

■米価高騰の原因がJAだというのなら、公益のためにこそJAに対する国民的な統制・民主的ガバナンスの強化が正道なのでは?
今般の米価高騰においては、「JA悪玉・黒幕論」をしばしば目にしてきました。さすがに自公両党の敗色が早くから濃厚だった今回の参議院選挙直前のタイミングで自民党の票田である農村票を徒に減らしたくないからか、郵政民営化のときほどのバッシングには発展しませんでしたが、ヤフコメを見るに、おおもとの記事本文の趣旨や文脈とは無関係にJAを叩くコメントが氾濫していたのを見るに、ある層は、今般の事態を奇貨としてJA解体につなげようとしたものと思われます

そもそも論として理解しがたいのですが、仮に今回の米価高騰の原因がJAの存在だったとすれば、公益のためにこそJAに対する国民的な統制・民主的ガバナンスの強化が正道であるはず。そこでなぜ、JAを解体して自由化するという話になるのでしょうか? 権力分立的・相互牽制的な考え方に基づくJA解体・流通自由化だとしても、必ず、林立する各主体を上から監督する存在は欠かせないはずですが、その点にはまったくといってよいほど言及がありません。レーニンを持ち出さずともGAFAを見てもわかるとおり「自由」は競争淘汰をもたらし再び寡占独占に繋がるものです。ただ目障りな巨大既存組織を解体し「自由」の名のもとに分捕り合戦を展開しようとしているようにしか見えないのです。

大手ディスカウントストア「ドン・キホーテ」を展開する運営会社の社長は先般、「コメの流通には“消費者の視点”が抜けている」などと発言しました(「ドン・キホーテ運営会社社長“コメ流通シンプルで価格低下に”」2025年6月9日 6時54分)。必ずしも既存の流通を破壊した上で資本力で個別農家から買い叩こうと意図しているものではありません(もしそう企んでいても正直に告白するわけがない)が、2000年代を思い起こさせる「なつかしい」言説です。あの頃もこんな感じで始まり、あれよあれよという間に「自由」化され、資本力のある企業が、本来であればそれなりの値段が付くべきよい商品を安く買い叩いたものでした。その結果、「良い品はそれなりの値段がする、よい仕事にはそれなりの報酬が要る」という世の理が破壊され、高品質と低価格を同時に要求し続けたために社会が疲弊していき、日本の経済・社会が失われた10年、20年、そして30年になっていったものと当ブログは考えています。

■政権と生産手段をの主人としての勤労人民大衆の立場から新技術を見よう
ちなみに、「ドン・キホーテ」運営会社の社長は、日経新聞のインタビューに答えていますが、この中で「例えばメキシコ料理チェーンの米チポトレ・メキシカン・グリルは何千という農家と契約しているが、RFID(無線自動識別)を使い、どこのモノがどこにあるかを把握している。コメもいまの技術を使えばどこに何があるか分かる世界をつくれるはずだ」としています。技術の社会実装としては興味深い指摘だと思います。社会主義的商業・社会主義的流通管理にも応用できそうです。折しもいま、共和国では商業における社会主義の復元と確立が展開されているとのこと(「商業分野を特集/『季刊 朝鮮経済資料』2025年第2号」2025年07月13日)。ここにおいては新技術の導入が社会主義の復元と確立を推進しているそうです。

いつの時代もブルジョアは新しい技術を駆使して利潤拡大を目指しています。これが資本主義におけるイノベーションの原動力であるわけですが、同時に、資本主義経済の終焉をもたらす――「資本主義は自らの墓堀人を生み出す」というマルクスの格言――ものです。それゆえ、資本主義におけるイノベーションをいかに社会主義に繋げるのかを常に考えて機会を捉える必要があります。

マルクスが想定したようには社会主義革命は起こらなかった事実を考えると、社会主義への体制転換への道を理論的に再検討する必要がありますが、それ以上に重大なのは、体制転換後の国家運営の基本的見通しを立てることであると当ブログは考えます。もちろん、いわゆる青写真主義になってはなりませんが、具体的な展望がないものが人々を魅せて引き付けることはできないでしょう。

いかに現体制が矛盾に満ちていたとしても、次の体制の見通しが立っていないようでは、人民大衆は積極的には体制転換を求めることはないでしょう。新しい技術については常に、政権と生産手段をの主人としての勤労人民大衆の立場(たんなる「労働者階級の立場」ではなく主人としての立場が重要)から関心を持つことが必要だと考えています。

■ミクロ経済学に立てばこそ、ますます個々の農業生産者は結束する必要がある
米価高騰の問題に話を戻しましょう。もし「市場の原理」を重視するというのであれば、ますます個々の農業生産者は結束する必要があるという結論に至ります

ミクロ経済学の部分均衡理論によれば、需要曲線及び供給曲線の傾きは価格弾力性、つまり消費者または生産者の当該財・サービスに対する依存度の高さに依ります。言い換えれば、需要曲線及び供給曲線の傾きは「どうしても買い付けなければ/売り切らなければならないか」の度合いに拠ります。そして、市場における力関係は需給双方の価格弾力性の高い方(価格変化に機敏に対応して取引量を変化させられる方)になります。どうしても買い付けなければ/売り切らなければならない方が足許を見られやすいので弱い立場に立つからです。

通常、個々の売り手(農業生産者)はそれほど多種多様な農産物をたくさんは生産していません。また、農産物は食料品なので早い時期に売り切る必要があります。そして、零細あるいは家族規模の農業生産者が多いので経営多角化にも限度があります。つまり、限られた種類の農産物を早期に売り切ることで生計を立てている農業生産者が多いわけです。こうなると、「価格が下落傾向だから、しばらく在庫に退蔵して様子見しよう」としにくく、価格の上下変化に対して供給量の上下変化は鈍いものと考えられます。また、「儲かりにくい農業部門を縮小させ副業を拡大する」という経営上の体力に乏しいと考えられます。それゆえ、個々の売り手にとって価格弾力性は比較的硬直的であると考えられます。

これに対して卸売りや消費者など個々の買い手は、野菜や果物などがあった方が食事のバランスが取れるものの、毎食絶対になければならないというほどではありません。また、特定の農業生産者からどうしても買わなければならないということは一般的にありません。売り手がバラバラになればなるほど、特定の農業生産者からどうしても買わなければならない事態は稀になってゆきます。それゆえ、個々の農業生産者よりは価格弾力性は比較的高いと考えられます。

市場における力関係は、価格弾力性は高い方が強く、価格弾力性が低い方が弱い立場に立ちます。どうしても買い付けなければ/売り切らなければならない方が足許を見られやすいので弱い立場に立つわけです

上述のとおり、農産物市場においては一般的に個々の売り手よりも個々の買い手の方が立場が強くなりがちですが、とりわけ現代資本主義経済においては、事業の多角性とその資本力が力関係を左右するので、経営多角化といっても限度がある農業生産者よりも流通業者の方が強い立場に立ち得るものと考えられます。それゆえ、もし「市場の原理」を重視するというのであれば、ますます個々の農業生産者は結束する必要があると言えます

■事態はシステムとして全体として起こった結果
当ブログは、以前から申し述べてきたとおり、特定の個人や集団が全体社会を牛耳り操作しているとは考えません。事態はシステムとして全体として起こった結果だと考えています。JAのような特定団体が単独で市場を操作しているとは考えず、関係する業界全体において、それぞれ個々の事業体がそれ単独としては自然な合理的行為が積み重なった結果として米価が高騰するに至っていると考えます

それであれば、JAを悪玉・黒幕としてその解体を期したところで事態は解決しないでしょう。むしろ、巨大な小売企業とバラバラになった個別農家が直接接触することになりますが、ここにおいて対等な価格交渉はあり得るのでしょうか? この四半世紀繰り返してきたことの再現にしかならないでしょう。
ラベル:経済 経済学
posted by 管理者 at 18:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年06月24日

海を隔てつつ形成されている社会的・政治的生命体――在日本朝鮮人総聯合会結成70周年

■在日本朝鮮人総聯合会結成70周年
在日本朝鮮人総聯合会は、さる5月25日に結成70周年を迎え、キム・ジョンウン同志が総聯活動家と在日同胞に書簡「結成世代の愛国精神を受け継いで、在日朝鮮人運動の偉大な新しい歴史を記していこう」を送られました。その日本語訳は、総聯機関紙『朝鮮新報』が「金正恩総書記が総聯活動家と在日同胞に書簡」(2025年05月25日 08:19)で報じています。今回は元帥様の書簡を取り上げます。

キム・ジョンウン同志は、「資本主義のど真ん中に共和国旗を高く翻し、朝鮮の不屈の精神と気概を誇示してきた総聯は、その結成から今日に至る長い各年代に、母なる祖国と運命を共にして歴史に深い足跡を残しました」とし「複雑多難な歴史の渦中でも、愛する自分の祖国に運命を委ね、世紀と世代を継いで民族的愛国運動の一路を揺るぎなく歩んできた総聯と在日同胞の功績は、主体的海外同胞運動史と共に永久に輝いています」と総聯の歴史を高く評価なさって書簡を始められました。

民族的差別と不平等がまかり通る他国の地で、在日同胞が歴史の嵐を乗り越え、愛する母国と70年の一路を共に歩んできたということは、それ自体だけでも奇跡だ」とし、その理由として「まさに在日同胞に総聯のような愛国組織があったから」だとされました。「総聯の結成により、在日同胞は異国の地で祖国に代わって自分たちの尊厳と権益を守り保護する強力な組織体を持つようになり、共和国の初の主体的海外同胞組織の一員という貴い栄誉も担うことができ」たと指摘なさるキム・ジョンウン同志。それゆえ元帥様は、「主体的海外同胞組織の誕生と共にその歴史の当初から結成世代が身に付けていた理想と精神が、今日も寸分の狂いもなく次の世代に綿々と受け継がれているということが何よりも貴重で」あるとされます。

キム・ジョンウン同志は、「総聯の結成世代が立てた功績中の最大の功績は、異国の地で忠実性の伝統、団結の伝統、愛国・愛族の伝統を生み出したことです」と指摘なさいます。「総聯の結成世代は、金日成同志と金正日同志の懐の中で団結の伝統、愛国・愛族の伝統を創造して睦まじく力強い同胞社会の滋養を培養し、総聯の輝かしい全盛期をもたら」し、「結成世代が次の世代にこのような貴い伝統を精神的遺産として譲り渡した」からこそ「総聯は長い歳月の厳しい風波の中でもそのあり方と本来の姿を純潔にしっかりと守ることができ」たのです。

キム・ジョンウン同志は、「総聯の結成世代は、他民族に対する憎悪と偏見に満ちた民族排外主義がはびこる中でも、朝鮮人の尊厳と権益を守るたたかいを果敢に繰り広げました」と指摘なさっています。「尊厳と権益は寸分の譲歩も許されない民族の自尊心であるだけに、先代の同胞は決して権益擁護闘争を中断せず、この日々の血の教訓と貴い伝統を遺産として譲り渡」し、また、「今も同化と帰化を許さず、子孫の魂に朝鮮民族の精神を植え付けようとする在日同胞のたたかいは続けられてい」ると指摘なさっています。

さらに、「総聯の結成世代が積み上げた功績の中で特出した位置を占めるのは、民族教育の手本となる歴史と伝統を築いたこと」だとも指摘なさいます。在日朝鮮人運動の歴史は民族教育の歴史であると断言なさる元帥様。在日朝鮮人は、解放後、在日朝鮮人組織の建設に先立って民族教育学校の建設から始めたと総括なさいます。「総聯の民族教育は、次の世代を愛し、未来に真心をこめる人々がいかなる奇跡を生み出すかを朝鮮学校の実体をもって、異国の地でも堂々たる朝鮮人として明るく育つ学生たちの姿を通じて歴史にありありと証言してい」るのです。

■雄大な理想を掲げる運動でありながら、個々人の個人的な思いや事情とも深く結びついている総聯を中心とした在日朝鮮人運動
キム・ジョンウン同志は、このように総聯結成世代の業績を取り上げ、「私は、資本主義の日本でいかなる試練や難関が横たわってもひるむことなく、組織的基盤をさらに磐石のごとく打ち固めて愛国事業を大胆に展開する総聯活動家と在日同胞の姿を見るたびに、総聯に対する自負と共に、どこの国の海外同胞も歩めなかった未曽有の道を屈することなく歩み続けた総聯の結成世代に対する尊敬の念でおのずと胸が熱くなります」とし「平穏な環境と裕福な状況下ではなく、困難を極める試練の中で築かれた結成世代の伝統が、次の世代が歩んでいく愛国・愛族の大路に貴い布石として敷かれているため、総聯の誇るべき歴史は永遠に不滅でしょう」と仰いました。

こうしたくだりは総聯活動家たちに非常に感銘を与えたようです。総聯機関紙『朝鮮新報』の「ニョメン・オーガナイジングK5・25書簡におもうこと/ 文・イラスト=張歩里」(2025年06月13日 08:58)は、「金正恩総書記が総聯活動家と在日同胞に寄せた書簡を読み、胸を熱くした同胞は少なくはないであろう。青二才の私ですらジーンと込み上げるものがあった。今はこの世にいない無数の活動家たちや恩師、先輩たちの埋もれていたものが、すうーっと日の目をみたような感覚があった」とする在日本朝鮮民主女性同盟活動家の記事を掲載しています。当該記事では、キム・ジョンウン同志のお言葉を受けて「総聯70年の歩みは、同化圧力への抵抗の70年ともいえるのではないか」としています。同感です。同化圧力に抵抗しながら異国の地でしっかりと自分たちらしさ・自分たちの自主性を固守してきた闘争の歴史であったと考えます。

当該記事については、「書簡とアボジと私」の節を是非お読みいただきたいと思います。

ノーベル文学賞受賞者のスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチは、多くの戦史に見られる英雄豪傑物語風の描写(「大文字の歴史」)が取りこぼしてきたものを拾うべく「小さな人間の声」に注目する証言文学というジャンルを創造しました。彼女の代表作である『戦争は女の顔をしていない』は、大祖国戦争の女性兵士を取材対象に選んだ証言文学ですが、東京外国語大学名誉教授の沼野恭子氏(ロシア文学)が指摘するように、『戦争は女の顔をしていない』を含む彼女の作品を一連のものとして評価したとき、彼女には「共産主義とは何だったのか」「ソ連とは何だったのか」を問うというテーマがあったといえます。アレクシエーヴィッチが『戦争は女の顔をしていない』を上梓した1985年はまだ検閲があり、当時の検閲官は、「小さな人間の声」を拾う当該作品について「あなたの小さな物語など必要ない。我々には大きな物語が要るんだ。勝利の物語が」と罵倒したといわれています。大祖国戦争におけるソ連の勝利は、雄大な理想を掲げる共産主義運動にとって不可欠な一部分なので、どうしても「大文字の歴史」になりがちではあります。雄大な理想を掲げる運動は「大文字の歴史」になりがちであることは否めないところです。

その点、当該記事の「書簡とアボジと私」の節は、「かなり個人的で感覚的ではあるが」というくだりに顕著にあらわれているように、油断すると「大文字の歴史」になりかねない雄大な理想を掲げる在日朝鮮人運動を、きわめて個人的な出来事、つまり「小さな人間の声」と不可分に結び付けています。そして、当該記事の執筆者である関東地方女性同盟員を名乗るかたは、それをキム・ジョンウン同志のお言葉を契機に紡ぎ出しているのです。

ここに当ブログは、共和国の旗を掲げて総聯を中心として展開される在日朝鮮人運動の生命力・強靭さを強く感じるところです。雄大な理想を掲げる運動でありながら、個々人の個人的な思いや事情とも深く結びついている、感情レベルで結びついていると言えます。たしかに「結成世代が遺産として残した愛国の伝統は、ただの史書の記録ではなく、継承の使命を担った次の世代の精神に宿り、彼らが作っていく同胞社会の姿に映るようになります」という元帥様の書簡のくだりは、個人の感情レベルでの結びつきに訴えかけるくだりです。まさしく、血縁的関係を紐帯とする社会的・政治的生命体(社会政治的生命体)が海を隔てつつ形成されていると言えるでしょう。

キム・ジョンウン同志は「わが党と国家は、すぐる年代と同じように総聯を重視し保護し、その地位を強固にすることを変わらない戦略的課題とし、終始一貫堅持しています」とし「第8回党大会を契機に、数百万の党員の意思を反映して海外同胞の民族的権益擁護を朝鮮労働党の規約に明記し、共和国制憲史上初めて海外同胞権益擁護法を発布したのは、在日朝鮮人をはじめとする海外同胞の永遠なる保護者としての使命に忠実であろうというわが党と政府の確固不動の意志の発現であります」や「われわれは今後も、朝鮮民主主義人民共和国の海外同胞組織である総聯の合法的権利を守り、在日朝鮮人により大きな尊厳と栄光を抱かせるために全力を尽くすでしょう」と仰る形で総聯を重視する党と共和国政府の姿勢を改めて示されました。

■総聯が一貫して堅持すべき三大注力事業――@権益の擁護
つづいてキム・ジョンウン同志は、「総聯結成80周年までの10年間を新たな闘争期とし、総聯を同胞大衆に真に奉仕する同胞第一主義組織に強化・発展させる上で確実な進展をもたらさなければなりません」として、総聯活動の指針をお示しになられました。すなわち、@権益の擁護、A新しい世代の育成、B民族性の固守です。元帥様は総聯が一貫して堅持すべき三大注力事業ですと定義なさいました。

権益の擁護については、これは総聯組織の最優先課題であり、現状が「教育権、企業権、母国自由往来権をはじめとする中核的な利益は相変わらず侵害されてい」ると指摘なさいます。「朝鮮同胞が祖国に自由に行き来できない胸の痛む状況が持続しており、日本の国民と等しく納税義務を履行しているにもかかわらず、その子女が「高校無償化」や「幼保無償化」のような教育制度の適用から排除される悲劇的現実は根絶されてい」ないのです。

いつまでも在日同胞が差別の悪循環の中で生活と未来を脅かされるのを放置するわけにはいきません」と言明なさるキム・ジョンウン同志は、総聯は、全体大会を起点にして権益擁護の闘争を段階別に拡大させ、同胞により安定・向上した生存権と発展権が実際に提供されるようにすべき」だと活動方針を端的に提示なさいました。

とりわけキム・ジョンウン同志は、民族教育の権利を重視なさいます。「総聯は、全ての同胞の家庭の共通の利害が集約されている民族教育擁護闘争を引き続き拡大・発展させ、学父母の教育費の負担を軽減するための対策も講じて、同胞の子女の幼い心に絶対にかげりが生じないようにすべきです」と特筆的に言及なさいました。「歴史と伝統がいかに優れていても、それを受け継ぐ世代が準備されていなければ、継承はおろか組織そのものの凋落を避けることができません」。在日朝鮮人運動の未来を確実に保証するためには、「民族教育を通じて愛国的で優れた、責任感の強い総聯の次の世代を手塩にかけて健全に育てるべき」と仰いました。この文脈で元帥様は、「祖国で母親大会、少年団大会を党大会に劣らず重視するのは、次の世代を真の革命の継承者に育て上げて祖国の明るい未来を確実に保証するため」とし、これに準じた対応を求められています

■総聯が一貫して堅持すべき三大注力事業――A新しい世代の育成
民族教育にかかる権利擁護の流れでキム・ジョンウン同志は、「総聯は、民族教育を通じて愛国的で優れた、責任感の強い総聯の次の世代を手塩にかけて健全に育てるべきです」と切り出す形で、新しい世代の育成について言及を始められます。「民族教育の基本は、朝鮮学校を通じた正規の教育網により多くの同胞の子女が加わって朝鮮の言葉と文字、民族文化を学び、愛国心を培い、同胞社会の関心の中で健全に成長するようにさせること」となさいます。そして、「ここでも基本となるのは、朝鮮大学校の教育土台の強化です」と課題を提示なさいます。

また、「各級朝鮮学校は教育事業だけでなく、学生教育活動にも深い関心を払わなければなりません」とも指摘なさいます。正しい成長を目指す学生教育は知識の伝授よりも重要であるため、学校生活、少年団活動、朝青活動が学生の愛国・愛族の心を芽生えさせ、育ませる積極的かつ肯定的な手段になるようにすべき」だからです。この点は、日本の教育こそ反省して模範にしなければならないことであると考えます。

このように指摘されたうえでキム・ジョンウン同志は「総聯組織と同胞は、新しい世代の育成を自分の本業、所管として受け止め、真心を尽くさなければなりません」と方向性を定められました。

キム・ジョンウン同志は「毎年、祖国の全ての学生少年に新しい制服や新しいかばんを提供するときも、また全国の学校を近代的に改築するときも、常に目に浮かんでくるのは、在日朝鮮学生少年の可愛い顔です」と仰いました。これは国内向けの後代愛の表現と同じだと言えます。在外同胞にも同じ愛を注いでいらっしゃるわけです。また元帥様は「総聯組織と同胞社会の未来は、オモニの心に支えられて立派に育まれるものです」と仰います。母親の役割重視は、これも国内での政策に準じたものであると言えます。

この他権利の問題としてキム・ジョンウン同志は、在日商工人の経営活動に加えられる不当な干渉や規制の問題や、「祖国往来の船の汽笛が再び朝鮮東海の青空に力強く響き渡るようにすべき」などとも言及なさっています。

■総聯が一貫して堅持すべき三大注力事業――B民族性の固守
続いてキム・ジョンウン同志は、民族性の固守について言及なさいます。「民族性は、今日、同胞間の和睦と団結、きずなを強固にし、愛国・愛族へ導く同胞社会の公分母で」あると仰います。

民族性を固守する問題についてキム・ジョンウン同志は、「民族文化運動は当然、新しい世代が朝鮮民族の悠久の歴史と燦然たる文化、高尚な良風美俗についてよく知り、輝かせていくようにすることに集中されるべき」と指摘なさいます。そのためには文芸団体が創作活動や芸術活動を強力に展開し、同胞社会の民族性の固守を先導すべきだとされます。大衆文化スポーツ活動の重要性にも言及なさっています。

■総聯組織の強化について
そしてキム・ジョンウン同志は総聯組織強化について言及なさいます。

すべての在日朝鮮人に対して、在日朝鮮人運動を推し進める主人公としての役割を果たすべであると言及なさり、総聯強化のための闘争は総聯活動家役割にあるとも言及。「陰日向なく同胞のために献身する愛国者中の愛国者がわれわれの総聯活動家」であるとなさいます。総聯結成世代の献身性、高尚な道徳的品性と厚い人情味、慈愛深い母親の愛を受け継ぐよう求めていらっしゃいます。「一歩だけ退けば自分のための人生を生きることができるが、祖国と組織に立てた誓いを守って、時には近しい人に理解してもらえないながらも、陰日向なく同胞のために献身する愛国者中の愛国者がわれわれの総聯活動家です」というくだりに非常によく表現されています。こうした徳性の要求水準は、党員に対する徳性の要求水準に等しいと言えるでしょう。まさに総聯活動家は、在日朝鮮人運動における有能な幹部たれと仰っているわけです。

全ての総聯活動家たちに再三頼みます」としたうえで「総聯活動家という貴い称号を生の最も誉れ高い名誉と見なし、在日同胞を真心を尽くして仕え、支え、彼らの福祉のために懸命に努力し、走りに走る真の奉仕者、肉親になってほしいと願います」とキム・ジョンウン同志は仰いました。また、総聯活動家の家族にも「私の心まで合わせて総聯活動家の健康によく気を遣い、志と情を共にして、同胞社会の「家和万事成」の声が総聯活動家の家庭から響き出るように心から祈ります」となさいました。

サンケイ新聞などは、ことあるごとに「総聯冷遇」とか「本国との溝」などと書き立てますが、キム・ジョンウン同志が「全ての総聯活動家たちに再三頼みます」としつつ総聯活動家とその家族に対して在日朝鮮人運動の有能な幹部たれと重ねて求めている点を鑑みるに、誤った解釈であると考えます。そもそも総聯は、党そのものではなく党指導下の一組織。党の周りには総聯のほかにも様々な組織があり、それらが時局に応じて役割を果たすわけなのだから、より重要な役回りを期待される局面もあればそれほどでもない局面も当然あります。それをいちいち取り上げて「冷遇」だのなんだのと書き立てるのは、価値のない駄文であると言わざるを得ないでしょう。

キム・ジョンウン同志は、総聯組織そのものに対しても言及なさいます。「総聯組織は、全ての活動家と在日同胞を愛国主義の精神とわが民族第一主義精神を身に付けた真の朝鮮人になるようにねばり強く教育し、導かなければなりません」と。また、「愛国主義教育をわが民族第一主義教育と結び付けてより実質的に、積極的に展開しなければなりません」とも仰いました。その上で元帥様は、「新しい世代をはじめとする同胞が百度聞くより祖国の発展ぶりを一度実際に肌で感じられるように、機会あるごとに祖国訪問を実現させて、それがとりもなおさず愛国者になる修養と成長の必須過程になるようにすべきです」として、在日朝鮮人子弟の祖国訪問を積極的に受け入れる姿勢を鮮明になさいました。

■反帝自主の大道を
このように、@権益の擁護、A新しい世代の育成、B民族性の固守という総聯が一貫して堅持すべき三大注力事業を挙げてきたキム・ジョンウン同志ですが、前掲のニョメン・オーガナイジングK5・25書簡におもうこと/ 文・イラスト=張歩里」(『朝鮮新報』6月13日づけ)は、「総聯の活動家たちは反帝・反植民地主義のポジションを貫いてきた。活動家たちが持っていたこのような政治意識と、在日同胞の生活は切り離して考えられない。むしろ活動家たちはこの両方を結び付けるために奔走した」としています。日々の総聯活動の方向性を、大きくは反帝自主の方向性と結び付けています。「「反帝・民族自主」を貫いてきた祖国と総聯の姿勢は、これまで以上に歴史的意味を持つはず」という見通しを当ブログも共有するものです。

権益の擁護し、新しい世代の育成しつつ民族性の固守ということはすなわち、自主的に生きるということです。自主的に生きる上での最大の障壁は、支配と隷属の構造です。個人の運命は集団の運命と分かち難く結びついており、現代においては自主化のための闘争は国と民族を単位に展開されるのが実相であるため、個人が自主的に生きるということは、突き詰めると国際的に反帝自主の闘いを展開するということになると言えます

■心を傾ける同胞であるなら、誰でも国籍にかかわらず偉大なわが人民の一員である
書簡も終盤になってきました。キム・ジョンウン同志は、「われわれが建設して守ろうとする国は、祖国人民と共に在日同胞をはじめ全ての海外同胞がなんぴとも侵すことのできない尊威を持ち、無病息災で睦まじく暮らす強国です」と前置きし、「常に海外同胞の平安を最重視してきたわが共和国政府は、国権死守の確実な保証と絶対的な強大さによって全ての朝鮮人を守り、保護するでしょうし、その道であくまで自分の責任を果たすでしょう」と宣言なさりました。その上で元帥様は、「われわれは朝鮮人の根本を忘れず、祖国と同胞社会に少しでも気を遣い、心を傾ける同胞であるなら、誰でも国籍にかかわらず偉大なわが人民の一員として受け入れて守り、気を配り、強国の尊威と利益を共に享受していくでしょう」と言明なさいました。

このくだりについて、共同通信記事を引く形でサンケイが反応しました。
https://www.sankei.com/article/20250525-5ROVCNXJ4BN6HE7MX4S6POG4UE/
朝鮮総連結成70年で金正恩氏が書簡、同胞の祖国訪問を奨励 「愛国者として成長する工程」
2025/5/25 09:25
北朝鮮メディアは25日、金正恩朝鮮労働党総書記が同日の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)結成70周年に合わせて書簡を記したと報じた。
(中略)
「祖国と同胞社会に少しでも心を傾けてくれる同胞であれば、国籍にかかわらず偉大な国民の一員として守る」とし、主敵とみなす韓国の出身者を同胞として受け入れる姿勢も明らかにした。
案の定。対南政策の根本的転換としての主敵宣言ですが、その指し示すところを正確に読み解くのが難しいのは確かです。しかしながら、2024年1月15日づけ「共和国の対大韓民国新路線について」で検討したとおり、キム・ジョンウン同志の主敵宣言の要点は、「大韓民国は話せば分かり合える相手ではない」であり「もうお前たちには、身内としての特別扱いをしない」であります。その理由は、2023年末の朝鮮労働党中央委員会総会で元帥様が仰ったとおり、「われわれの体制と政権を崩壊させるというかいらいの凶悪な野望は「民主」を標榜しても、「保守」の仮面をかぶっていても少しも異なるものがなかった」からです。保守政治家はもちろんのこと革新政治家たちも結局は親米であり吸収統一を目論んでいる点において、根本のところは何も変わらないのです。

キム・ジョンウン同志は「長きにわたる北南関係を振り返りながらわが党が下した総体的な結論は、一つの民族、一つの国家、二つの体制に基づいたわれわれの祖国統一路線と克明に相反する「吸収統一」「体制統一」を国策と定めた大韓民国の連中とは、いつになっても統一が実現しないということである」とか「われわれを「主敵」と宣布して、外部勢力と結託して「政権崩壊」と「吸収統一」の機会だけをうかがう一味を和解と統一の相手に見なすのは、これ以上、われわれが犯してはならない錯誤」だと仰いました。吸収統一を目指す大韓民国の連中は、自主統一を掲げる共和国としては交渉相手にはなり得ず、また、機会があれば武力による吸収統一も辞さない輩どもはもはや同族とは言えないと仰っているわけです。

たしかに、自主統一路線と吸収統一路線は決して相容れないので交渉にはなりようがないし、いくら生物学的に血がつながっているとはいえ自分を殺すことも厭わない人間は、もはや家族とは言えないでしょう。むしろ敵であると見なすべきでしょう。このように、キム・ジョンウン同志の主敵発言は、そのお言葉を論理的に読み解けばこそ大韓民国側の行動に端を発したものであることが分かります。

ここで注意しなければならないのは、上掲過去ログで主張しましたが、こうして否定されるに至った「統一」「和解」「同族」という概念は、大韓民国を対話・交渉の相手だと認める文脈での表現であり、必ずしも一般的意味でのそれではないということです。このことは、「われわれを「主敵」と宣布して、外部勢力と結託して「政権崩壊」と「吸収統一」の機会だけをうかがう一味を和解と統一の相手に見なすのは、これ以上、われわれが犯してはならない錯誤」というくだりから明らかです。「大韓民国を対話・交渉の相手に見なしてはならない」と仰っており、それ以上でもなければそれ以下でもありません

それゆえ、大韓民国においてアメリカのくびきから脱するような根本的かつ革命的な事変・体制転覆級の事件があれば再び対話の相手になりうるということであり、未来永劫にわたって統一を完全に放棄したとか、大韓民国が実効支配している領域とそこに住む人民のことを諦めたなどとまでは言えないのです。

とはいえ、共和国が大韓民国の体制を積極的に転覆させようとしているわけではありません。「朝鮮半島で戦争が起こる場合には、大韓民国を完全に占領、平定、収復し、共和国領域に編入させる問題を反映することも重要」という発言は、つまるところ、「韓国側が先に手を出せば容赦はしないが、こちらからは先に手出しはしない」というメッセージであります。

この意味するところは2024年の年頭時点ではハッキリとはしませんでしたが、ユン・ソギョルによるクーデター未遂事件により、ユン・ソギョルが荒唐無稽な陰謀論にハマった上で企てていたバカバカしくも恐るべきプランが徐々に明らかになってきている今日においては、敬服する情報収集能力であったと位置づけることができるでしょう。キム・ジョンウン同志はかねてより戦争そのものが主敵であると仰り、社会主義建設のためにこそ全力で戦争を回避しなければならないと強調されてきました。共和国は、ユン・ソギョルが右翼ユーチューバーの動画を熱心に視聴してき、相当に歪んだ現状認識の持ち主であることを早い段階から察知していたからこそ、大韓民国を主敵と見なしながらも、2024年の韓国軍機と思しき無人機による領空侵犯に対して抑制的な対応を取って来られたのでしょう

「統一」「和解」「同族」といった言葉をNGワードに指定したことは、「大韓民国を対話・交渉の相手に見なしてはならない」という理由に加えて、何を口実にするか分からないユン・ソギョル一味に付け入る隙を与えないために、開戦のリスクになりかねない要素をすべて引き下げたという見方もできるでしょう。このことは、「膨大な双方の武力が対峙している軍事境界線地域でいかなる小さな偶発的要因によっても物理的激突が発生し、それが拡大しかねないということは周知の事実であり、現在の朝鮮半島に最も敵対的な両国が並存していることに対しては誰も否定できない」という当時の発言から伏線的に伺い知ることができるでしょう。

前掲過去ログでも述べたとおり、キム・ジョンウン同志が主敵だとしたのは一貫して大韓民国、つまり韓国政府です。社会主義・共産主義者は政府と人民大衆とを区別・峻別しますキム・ジョンウン同志は、大韓民国政府については、もはや同胞としての特別扱いはしない、大韓民国政府は話せば分かり合える相手ではないと突き放していますが、彼の地に住む人民大衆については詳しくは言及していません。

当該記事で「「8千万同胞」のように、北と南を同族にまどわす残滓的な単語を使用しない」と言明されているので、今後は「同胞だから」というだけの理由で無条件に身内扱いはしないでしょうが、だからといって無分別に敵扱いするとも言えないのではないかと思われます」としましたが、まさに今回の書簡で「朝鮮人の根本を忘れず、祖国と同胞社会に少しでも気を遣い、心を傾ける同胞であるなら、誰でも国籍にかかわらず偉大なわが人民の一員として受け入れて守り、気を配り、強国の尊威と利益を共に享受していく」と仰ったように、元帥様は共和国に対して敵対的態度を取らない人物については包摂するという社会主義・共産主義者としての正道を歩まれていると言えるでしょう

前掲過去ログで「「大韓民国は話せば分かり合える相手ではないので、もう身内としての特別扱いをしない」という新路線の基本に対する理解を柱としつつ、政府と人民大衆とを区別・峻別する社会主義・共産主義者の基本姿勢を底流として踏まえて理解すべきものと考えます」と当ブログは主張しました。やはりこの意味において、共和国は北南関係をすべてのチャネルで完全に遮断したわけではないと言えるでしょう。

■祖国はいつも総聯を忘れず、総聯はいつも祖国を思いながら
書簡の最後にキム・ジョンウン同志は、「総聯活動家と在日同胞は、自分たちの後ろにはいつも強大な祖国、朝鮮民主主義人民共和国があるということを常に意識し、胸を張って正々堂々と生活と未来を切り開き、純潔無垢の心で母なる祖国と総聯組織を支えなければなりません」とし、「総聯は、全ての活動家と同胞、育ちゆく新しい世代が自分の生活の基盤である同胞社会と総聯組織、ウリ学校を愛し、あくまで守ることに格別の関心を払わなければなりません」と仰いました。特に、「新進世代の教育に力を入れて、彼らを熱い愛着心を持って同胞社会の権益と総聯組織の強化のために積極的に活躍する新時代の在日朝鮮人運動の主人公として立派に育てなければなりません」と仰り、なによりも新進世代の教育に力を入れることが重要であると位置づけられました。

そして、「祖国はいつも総聯を忘れず、総聯はいつも祖国を思いながら、強大な総聯を建設するために奮闘しましょう。愛する全ての在日同胞に幸福と繁栄があるよう祈ります」として書簡を締めくくられました。

■総括
このようにしてキム・ジョンウン同志は、在日本朝鮮人総聯合会結成70周年に際しての書簡において、総聯活動家たちの感情に訴えかけるキーワードを散りばめながら総聯が一貫して堅持すべき三大注力事業を提唱なさいました。ここにおいて当ブログは、血縁的関係を紐帯とする社会的・政治的生命体が海を隔てつつ形成されていると言えると考えます。また、元帥様は政府と人民大衆とを区別・峻別する社会主義・共産主義者の正道を歩まれていることを宣明なさいました。

在日本朝鮮人総聯合会を取り巻く環境は依然として厳しいものがありますが、固い結束を以ってこれからも前進することでしょう。
posted by 管理者 at 22:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年05月28日

김정은원수님께서 현철해동지 서거 3돐에 즈음하여 신미리애국렬사릉을 찾으시였다

https://chosonsinbo.com/2025/05/19-271/
김정은원수님께서 현철해동지 서거 3돐에 즈음하여 신미리애국렬사릉을 찾으시였다
2025년 05월 19일 06:11
김정은원수님의 활동

(中略)
조선로동당 총비서이시며 조선민주주의인민공화국 국무위원장이신 경애하는 김정은동지께서 우리 국가의 저명한 군사정치활동가였던 현철해동지의 서거 3돐에 즈음하여 5월 18일 신미리애국렬사릉을 찾으시였다.

김정은동지께서는 참다운 공산주의적품성과 고결한 인간미,다문박식한 실력과 완강한 실천력을 지니고 주체혁명위업의 완성을 위한 영광스러운 투쟁에 헌신하여온 혁명전우를 추억속에 그려보시며 현철해동지의 묘소에 꽃송이를 진정하시였다.

김정은동지께서는 조선민주주의인민공화국의 참된 아들이며 견실한 혁명가,애국자의 귀감인 현철해동지를 추모하여 묵상하시였다.

김정은동지께서는 《언제나 위대한 장군님의 곁에 늘 함께 있던 현철해동지의 모습이 아직도 눈에 선하다. 그는 장군님의 그림자였다. 그는 원칙성이 강하고 정치실력과 조직적수완이 뛰여난 군사정치일군의 전형으로,항상 소탈하고 가식을 모르며 견실하고 결곡한 참된 인간의 초상으로 모두의 기억속에 남았다. 그는 영생할것이며 언제나 장군님시대를 떠올리며 우리의 성스러운 투쟁을 위대한 승리에로 고무하여줄것이다.》라고 하시며 현철해동지를 뜨겁게 회억하시였다.

김정은동지께서는 한생을 변심없이 당과 혁명앞에 충직해온 현철해동지의 고귀한 넋과 특출한 공적이 가장 높은 명예와 존엄의 단상에서 영원토록 빛나기를 기원하시였다.

(以下略)
3回忌に接し親しく墓参なさる元帥様・・・感涙禁じ得ず。

え? 「『親しく墓参なさる』だなんて個人崇拝だ!」って? 勝手に称えている分には私の自由でしょ?

そもそも論として、人民大衆の首領は人民大衆の代表。人民大衆の首領の言行は人民大衆の言行の代表。人民大衆の首領たる元帥様がヒョン・チョルヘ同志の3回忌を追悼なさることは、すなわち、人民大衆がヒョン・チョルヘ同志の3回忌を追悼することとイコールであります。

人民大衆の首領たる元帥様の敬意表明は、すなわち人民大衆による敬意表明です。それゆえ、人民大衆の首領たる元帥様の敬意表明に対する賞賛は、決して「個人崇拝」などではなく、元帥様が代表なさっている人民大衆に対する賞賛なのです。
posted by 管理者 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2025年04月29日

「党と人民の血縁的きずな」の強化と後代育成を最優先課題として位置付け、人民大衆の生活水準における実際的変化の実現を実現させつつ、社会主義そのものをも革新させてゆく共和国――朝鮮労働党中央委員会第8期第11回総会拡大会議について

今年最初の記事は、例年どおり、昨年末に開催された朝鮮労働党中央委員会第8期第11回総会拡大会議に関する報道とします。今年は過去一番に年始のスタートが遅れ、新年最初どころか新年度最初になってしまいましたが、当ブログはやはり、党中央委員会総会報道からでないと始まらないと思うところです。

ニュースソースは、朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』の「朝鮮労働党中央委員会第8期第11回総会拡大会議に関する報道」とします。朝鮮中央通信12月29日づけの日本語訳記事です。

■「党と人民の血縁的きずな」の強化を、国防事業や経済建設よりも先んじて2024年の事業総括の筆頭として取り上げたことの意義
記事によると、総会では「2024年度の党および国家政策実行状況総括と2025年度の闘争方向について」が第一議題として提起されました。キム・ジョンウン同志が綱領的な結語をおっしゃいました。

この結語にかかる報道では、何よりもまず、つぎのくだりが記されたことに当ブログは注目するものです。
今年、わが党の人民大衆第一主義政治史にはもう一つの前例のない記録が記された。

今年に一部の地域で洪水による災害が発生したとき、わが党は適時の決心を下して膨大な復旧事業を展開すると同時に、水害被災者を首都平壌に呼び寄せて、安定した便利な生活条件を提供し、児童・生徒には授業を施す非常システムを稼働させた。

この重大措置は、人民に奉仕する本然の使命に忠実であり、不幸に見舞われた人々を失ったもの以上にいたわりたい真心と誠意、次世代の育成を第一の国事とする教育重視の現われとして、党と人民の血縁的きずなをより一層厚くし、党政策に対する大衆の支持と信頼を強固にする貴重な結果を生んだ。
昨年の大水害における被災者救援を、朝鮮労働党が掲げる人民大衆第一主義の筆頭出来事として取り上げ「党と人民の血縁的きずなをより一層厚くし、党政策に対する大衆の支持と信頼を強固にする貴重な結果を生んだ」と位置づけた総会報道。キム・ジョンウン同志の執権下において諸改革が進む共和国ですが、この報道ひとつ取っても、いま進みつつある政策の根本には、チュチェ思想が明らかにした社会的存在としての人間の本性に合致した正しい人間観、そしてそれに基づく豊かな人生観に基づいた社会主義が厳然として存在し続けていることが分かります

2024年12月31日づけ「2024年を振り返る(1):『社会主義は科学である』発表30年――正しい人間観、そしてそれに基づく世界観、社会歴史観、さらに人生観そして死生観に基づいた社会主義理論を日本の自主化においてどのように参考にするか」で取り上げたとおり、キム・ジョンイル同志は、1994年11月1日に不朽の古典的労作として『社会主義は科学である』を発表され、チュチェ思想に基づく社会主義理論を展開されています。

当該労作でキム・ジョンイル同志は、「人間は社会的存在である」という意味を追究し、そこから人間の生命の本質と生の価値を主体的に解明しておられます。人間には肉体的生命のほかに社会的・政治的生命(社会政治的生命)があり、それゆえ、人間にとって最も誉れ高く甲斐のある生き方は、自己の運命を社会的集団の運命と結びつけ、社会的集団に献身的に奉仕し社会的集団に愛され信頼されながら、自主的で創造的な生活を営むことなのです。社会主義社会では人民大衆は国家主権と生産手段の主人となっており、私的所有に基づく個人主義と階級対立が清算され、社会のあらゆるものの真の主人となっています。このことから、社会主義社会では、愛情と信頼が社会的集団とその構成員間・社会の個々の構成員間に生まれ、全社会が一つの社会的・政治的生命体となって社会の全構成員が社会的・政治的生命を限りなく輝かしていく、もっとも強固で生命力のある社会になるとされました。

キム・ジョンイル同志の労作を踏まえると、「党と人民の血縁的きずなをより一層厚くし、党政策に対する大衆の支持と信頼を強固にする貴重な結果を生んだ」として大水害被災者救援を総括することは、朝鮮式社会主義の正道に沿ったものであると言えるでしょう。現在共和国では、社会主義企業責任管理制と甫田担当責任制の導入によって個々の労働者の賃金体系などが変化が生じつつあります。まだ社会を不安定化させるほどの所謂「格差」は生じてはいないとはいえ、この新制度導入の行方には注意を要するものでしょう。その点、キム・ジョンウン同志が率いる朝鮮労働党が「党と人民の血縁的きずな」の強化を、国防事業や経済建設よりも先んじて2024年の事業総括の筆頭として取り上げたことの意義は大であると考えます。

■科学的農法というキーワードが浮上してきた意味合いと朝鮮式社会主義の現況
経済建設に関する総括について見てみましょう。例によって計画に対する達成率の公表であり外部からの評価が難しいところですが、昨年大成果として宣伝された穀物生産が今年も計画比107パーセントと報告されています。整備補強戦略も成功裏に推し進められて自立経済の発展原動力と潜在力が一層打ち固められたとされています。

順当にいけば来年1月には朝鮮労働党第9回大会が開かれ、新たな経済計画が提示されるはず。第9回党大会で提示された整備補強戦略の進展がどうにも芳しくないとすれば、「一年間の闘争結果を総括する場で党中央は当然、成果よりもそれが細部的で一部に過ぎない欠点をもっと多く見つけ出し、解決策を導き出すのが正しい態度であり、革命的な姿勢である」のだから当然、このことに対する手厳しい批判が出てくるはずのところ。しかし、特にそういった内容になっていないことを鑑みるに、党中央としては十分に満足できる達成状況であることが推察されます

農業部門と建設部門が特筆されています。今般、党が特にどの分野に特に大きな関心を寄せているのかが、それぞれ一段落ずつではありますが見て取ることができます。

一昨年末の党中央委総会について当ブログでは、2024年1月15日づけ「朝鮮労働党中央委員会第8期第9回総会拡大会議について」において、農民の熱意や努力といった精神論を単独で持ち出すのではなく、灌漑等の農業インフラ整備に言及した上で農民の熱意や努力を持ち出していること、及び、農民たちの努力の物質的な成果が農民たち自身に還元されていることを強調していると指摘しましたが、今年はそれらへの言及は見られず、代わって「科学的農法を積極的に導入して再び豊作をもたらし」たという文面が登場しました。「科学的農法」が今年のキーワードであると言えます。科学的農法は、ここ数年しばしば耳にするキーワードです。遅くとも2016年の『新年の辞』では言及されているキーワードです(https://chosonsinbo.com/jp/2016/01/20160112suk-2/)。

共和国の農業というと、どうしてもチュチェ農法との関連性が気になるところです。科学的農法とチュチェ農法との関係性は依然として今一つはっきりしませんが、どうやら同じものではないようです。近年の農業生産の急激な上昇は、チュチェ農法の継続では説明がつかないからです。また、大量投入できるほどの化学肥料を生産したとか輸入したとかいう話も聞かないからです。とはいえ、チュチェ農法は過去のものになったのかといえば、正式に撤回されたという情報はありません。テアンの事業体系が社会主義企業責任管理制と取って代わられたような、チュチェ農法が科学的農法に置き換えられたという情報がないのです。

率直に申して、科学的農法というキーワードをチュチェ農法との関係で探ることは、もはやあまり意味のあることではないのかも知れません。科学的農法というキーワードが浮上してきた意味合いは、キム・ジョンウン同志が掲げる科学技術強国路線、科学技術と経済の一体化路線と関連した農業生産路線として認識する必要があるものと考えます。

そのような観点から見たとき、「北朝鮮分析」様の「「科学技術重視」を北朝鮮の農場はどう実践しているか」は、短いながらも興味深い内容です。共和国の科学技術強国路線・科学技術と経済の一体化路線においては、科学的な技術開発と自単位への導入のみならずそれを全社会的に交換し合い普及することに重点が置かれています。2020年12月の最高人民会議常任委員会第14期第12回総会で、これら科学技術に基づく知見を自単位の生産活動に導入し、また、他単位が開発した新しい技術・新しい知見を自単位にも導入する際の契約手続きなどを定めた「科学技術成果導入法」が採択されている点に明白ですが、このことは、単なるスローガンではなく実務レベルで進んでいるものです。IT分野についてはかねてより「全国情報化成果展覧会」が毎年開かれていますが、同様のことが農業分野でも展開されているわけです。

科学的農法というキーワードは、単に園芸学や植物生理学、害虫学、土壌学、はたまた農業気候学といった個別具体的な農業に関する学問分野に依拠することを要求するのに留まらず、それらに基づく実践結果を全社会に広めるまでも含めたものであるという見方もできるでしょう。チュチェ農法には、そこまでの内容は含まれてはおらず、新時代を象徴する新しいスローガンとして「科学的農法」というキーワードが必要になったという考え方ができるのではないでしょうか。

個別の生産単位が開発した新しい技術・新しい知見を全社会的に広めることは、社会主義社会であればこそ存分に実践できるものであると考えます。これは国家の「向いている方向」、つまり基本的な性質によるものであると考えます。

資本主義国家は資本家階級の利益を代表する国家ですが、資本家階級の要求とは具体的には、個人主義原則に基づく個別資本家の要求の妥協点です。個別資本家は自分たちの儲けの種を独占したがるので、さまざまな口実を設けて「所有」権を主張します。それゆえ資本家階級の利益を代表する資本主義国家は、知的財産権の問題がもっとも顕著ですが、極力その「所有」権を保護しようとします。私有財産に基づく個人主義社会においては、社会的に有用な知識が知的財産の名目のもとに、それを考案した人やその権利を購入し所有する人といった一握りの人々の独占物となり得ます。

これに対して社会主義国家は勤労人民大衆の利益を代表する国家であり、勤労人民大衆の利益は具体的には、集団主義原則に基づく共同発展・共同富裕であります。個別労働者の利益にも勿論配慮しますが、集団主義原則に基づき共同発展・共同富裕を目指すからこそ社会的に有用な知見は共同で用いる方向性が基本です。特に、共和国のように生産手段の私有が原則として認められていない高度な社会主義国家では、一握りの人々が社会的に有用な知識を独占することは原理的に不可能なので、知的財産権は個人や少数の集団のものではなくなります。

朝鮮大学校研究員のチャン・キョンソ(張景瑞)氏は、2025年1月16日づけ『朝鮮新報』(電子版)の「〈朝大専門家の深読み経済15〉中国独自のイノベーション(下)/張景瑞」で、「知識や技術をIPRとして囲い込んでその利益を独占し、技術による支配=隷属に向かう資本主義・帝国主義の道を辿るのか、IPRを社会的に、国際的に有効かつ積極的に活用し、技術による共同発展・共同富裕を目指す社会主義の道を切り開くのか。科学技術・イノベーションにおいて世界をどのようにリードするのか、改めて社会主義中国の真価が問われている」と指摘しています。非常に鋭い指摘だと考えます。

もちろん、苦労して考案・発見した新しい技術・新しい知見をタダで使わせろというのは、インセンティブの問題云々以前に、専門家に対する著しい欠礼です。キム・ジョンイル同志は『チュチェ思想教育における若干の問題について』(1986年7月15日)において、「社会的集団の統一をはかるからといって人間の自主性と創意性をおさえるならば、集団内の真の統一ははかれず、逆に人間の自主性と創意性を保障するからといって集団の統一を破壊するならば、個人の生命の母体である社会的集団の生命が弱体化され、個人の自主性と創意性そのものを保障することができなくな」ると指摘なさっているとおり、集団主義原則に基づく共同発展・共同富裕に反するものです。

その点、共和国の知的財産政策においては、前掲の科学技術成果導入法が、他単位が開発した新しい技術・新しい知見を自単位に導入する際の手続きとしての契約の段取りを定めているといわれます。知的財産を巡る制度設計は、強く保護し過ぎると新技術・新知見が広く社会的に活用できず悪影響が大きくなるが、保護が弱すぎると誰も技術革新に取り組もうとしなくなるので、その匙加減が経済学的に非常に興味深いテーマです。共和国は、社会主義の旗の下、その核心である集団主義原則を礎として、知識の社会的活用において新しい試みを展開していると言えるでしょう。

■建築部門の成果と生活水準における実際的変化の実現
総会報道記事に戻りましょう。建築部門については、「多くの市・郡で近代的な農村の建設が完工して全国の人民に大きな喜びと喜悦を抱かせた」とのことですが、このことの強調は、2023年12月30日づけ「諦観とソ連崩壊、その轍は踏むまいとする朝鮮労働党」で取り上げましたが、人民の住まいや日用品などの生活水準において実際的な変化を実現させることで、諦観が社会を支配することを防ぎながら社会主義建設において更なる飛躍に繋げようとしているものと考えられます。

記事では、「経済各部門の生産成長と人民生活の向上に切実な科学技術上の問題を解決する上で進展が遂げられ」たとしつつ、それと並列的に「教育、保健医療、文学・芸術分野でも革新を起こすための積極的な努力が傾注された」と成果を総括しています。前者に比べて後者に言及する紙幅は小さいものの、経済建設と並んで教育、保健医療、文学・芸術分野にも注力する朝鮮労働党の姿勢を見て取ることができます。社会主義の本旨に沿ったものであると考えます。

記事では続いて「地方発展20×10政策」に言及しています。キム・ジョンウン同志は、地方発展20×10政策の今年分の目標を完遂したことによって全国の人民に希望と勇気を与え、創造的意欲と確信を倍加させたと誇り高く言明なさったといいます。そしてキム・ジョンウン同志は、党中央の思想と指導に従って困難を乗り越え、5か年計画遂行の決定的な一年間に力強い奮闘と愛国献身の有意義な創造的・革新的成果をもって輝かせた全国の党員と勤労者、人民軍将兵と青年に党中央委員会を代表してあつい感謝を送られたと記事は報じています。

■新年度の課題と社会主義そのものの革新
さて、2025年は朝鮮労働党第8回大会で採択された国家経済発展5カ年計画の最終年度であり、いよいよ来年は朝鮮労働党第9回大会が開催されることでしょう。記事によると、キム・ジョンウン同志は、今次の5か年計画を成功裏に完結するとともに次の段階の発展道程に入るための準備工程を実質的に推し進めることを2025年度の事業の総体的方向として打ち出し、その実現のための政策的課題を明示なさったといいます。金属、化学、電力、機械、石炭及び鉄道運輸をはじめとする基幹工業部門が達成すべき目標を提示なさいました。その具体的な内容は総会報道記事からは読み取れませんが、引き続き、基幹工業部門の整備補強が2025年度の経済建設の主要戦線であることは間違いないようです。

各地での住宅建設について特別に言及があったようです。ピョンヤン市のファソン地区第4段階住宅建設を推進し、市内に5万世帯分の住宅を建設する事業を完了させるとともに、コムドク地区での住宅建設を終え、農村住宅の建設を引き続き推し進める必要があると言及がありました。また、シンポ市浅海養殖事業所の建設で得た経験に基づいて他の地域にも試験的に浅海養殖事業所を建設する必要があるとの新しい課業が提示されました。朝鮮労働党第8回大会で「人民生活に実際の変化をもたらす」ことを基本課題として提示したので、それをハッキリとした形とすることが何よりも重要なのでしょう。

キム・ジョンウン同志は、これら経済建設にかかる諸課題と政策方向性の提示を提示した上で、共和国の経済構造と具体的実情に合致した経済全般を統一的に管理するシステムの導入や、経済計画化事業と価格事業を改善することなどに関する方法論的問題の解決に注力し、経済成長目標を成功裏に達成することについて重要に強調なさったといいます。つまり、社会主義の原則を固守しながらも、制度そのものを不断にアップデートする必要があるし、そうして行くつもりだと宣言なさったわけです。この発言は非常な関心をもってチェックしておく必要があると当ブログは考えます。

この他、キム・ジョンウン同志は、森林造成と国土管理、生態環境保護活動を改善し、災害防止活動に関連する国家的統一的指揮システムと秩序(行政組織編制)を確立すること、災害救助用装備と救護物資の備蓄などを抜かりなく整え、洪水警報の科学性と正確性・迅速性をはかって災害を最小化することについても言及なさったといいます。災害防止活動に関連する国家的統一的指揮システムの構築は、先般の新型コロナウイルス対応における各種システムや行政組織編制を応用できるものと思われます(上野遼、「科学技術――保健医療へのIT活用:COVID-19対応を中心に」『北朝鮮を解剖する 政治・経済から芸術・文化まで』礒ア敦仁編著、慶應義塾大学出版会、2024 に詳しい)。管見では、これは社会主義的な秩序ある経済管理にも応用し得るものであると考えます。

農業分野にも特別に言及がありました。キム・ジョンウン同志は、朝鮮労働党第8回党大会が人民生活に実際の変化をもたらすことを基本課題として示したので、人民生活に関して策定し進めてきた主要政策的課題を一層頑強に推し進めて、2025年はよりハッキリした成果を収めなければならないと述べられた上で、2025年の農業部門の課題は、党が示した穀物生産目標を達成し、新たな展望計画期間に農業生産量を画期的に高められる土台を構築することであると指摘なさいました。

結語では、農業部門の物質的・技術的土台を強化し、科学的農業を重視し、社会主義農村を変革させる人材を体系的に多く育成することをはじめ、国の農業生産を安定的かつ持続的な発展軌道に乗せるための対策に言及があったといいます。科学技術重視・人材育成重視で農業部門の発展を開拓してゆくという姿勢は、かつての精神論的な農業政策とは全く異なるものであります。

■社会主義経済において消費財の品質改善に取り組む共和国
また、「人民生活に実際の変化をもたらす」に関連して、軽工業部門での質の向上についても言及がありました。基礎食品と必須消費財の質を改善することに力を入れ、特に子供と児童・生徒のための社会主義的施策を責任をもって実行することが強調され、水産部門の物質的土台を強化するための実践方途が明示されたといいます。

消費財の質の改善に社会主義執権党が本腰を入れて取り組む様に当ブログは注目したいと思います。ソ連などでも消費財の品質の改善がまったく謳われなかったわけではありませんが、消費財の品質は資本主義諸国のものと比べて低かったというのが専らの評価です。

このことについては「社会主義制度が抱える欠陥である」という指摘が、昔からよく指摘されてきたものです。たとえば、経済学者(?)の池田信夫氏は、ちょっと古い本ではありますが『ハイエク 知識社会の自由主義』(PHP研究所PHP新書、2008年)で、「企業のプロジェクトでは、与えられた目的を最適化することだけを考え、あとはできた商品が市場で売れるかどうかをみて目的関数を変更すればよいが、計画経済では最初の目的を決めるところで挫折してしまう」(p59〜60)などと主張していました。中央集権的な指令経済では多様で刻々と変化する消費者の嗜好をフォローし切れないが、私有財産が保障され営業の自由が存在する市場経済では個々人が自由に経済活動を展開できるので、市場での消費者の反応を見ることでその嗜好をフォローすることができる、ということらしいです。

しかしながら、4月2日づけ『朝鮮新報』の「顧客ニーズ捉えたヒット商品/朝鮮の最新トレンド」等で報じられているとおり、社会主義朝鮮でも消費者の反応・評価が生産に反映されるようになってきており、多様で刻々と変化する消費者の嗜好を追って西側企業が対応するのと同じことが展開されるようになってきました。計画経済である共和国でも、いったん決まった生産計画、池田氏が言うところの「目的関数」とやらが実践からのフィードバックによって変更対応されているわけです。

最高指導者自らが、生産者に消費者の嗜好をフォローするよう指導している共和国。消費者の嗜好に対応するために各企業が試行錯誤をする余地や、うまくいったときの経済的利益の処分権は、社会主義企業責任管理制によって保障されています。「朝鮮は決心すればやる」(조선은 결심하면 한다)。社会主義経済における消費財の品質改善についても継続的に注目する必要がありそうです。

なお、池田氏は前掲書で「正しいデータを提供するインセンティブが働かない」ので社会主義は、中央集権的なものは勿論のこと分権的なものでも実現できないとも断じています(p59)。たしかに、経済計画立案のための正しいデータを提供するインセンティブの問題は非常に重大なテーマです。ソ連ではノルマに対してトゥフタがあったし、中国では「上に政策あれば下に対策あり」という言葉がありました。しかし、本来的に社会主義は、集団の利益と個人の利益を結び付けて共に実現させることを目指す点において、個人の私的な経済的利益を否定するものではありません。たとえば、2024年2月7日づけ「共和国の経済人事と社会主義そのものの革新について」で取り上げましたが、『朝鮮新報』の2024年1月17日づけコラムは次のように指摘しています。
ともに手を取りつつ競う集団主義的競争は社会主義建設の有力な推進力のひとつである▼社会主義社会を競争の結果にかかわらず等しく分け与える悪平等の制度と見做すのは間違いだ。労働と社会貢献に応じた分配と評価が与えられなかったとしたら、それは社会主義を建設する過程で生じた偏向であって、社会主義の本旨ではない
個人の努力に対する正当な報酬、つまりインセンティブの賦与は、社会主義の枠内で位置づけることができるのです。それゆえ、「正しいデータを提供するインセンティブが働かないので社会主義は、分権的なそれでも実現できない」と断じるのは早計であると言わざるを得ないでしょう。

ところで、そうなると「社会主義とは一体何なのか」という問題が浮上してきます。それこそがいま当ブログが探究していることですが、最近の記事でも述べたとおり、やはり社会的・政治的生命体(社会政治的生命体)の形成になると思われます。冒頭でも論じたとおり、「党と人民の血縁的きずな」の強化を、国防事業や経済建設よりも先んじて2024年の事業総括の筆頭として取り上げたことの意義は大であります。

■科学技術と経済の一体化路線を推進しつつ、社会主義国家らしく文化部門の役割も増大させ、社会的人間の本質的要求させる
総会報道記事に戻りましょう。結語でキム・ジョンウン同志は、社会主義の全面的発展への第一段階の開拓闘争、変革闘争を締めくくることになる2025年度においては、科学と文化部門の役割を増大させることを重要な課題として提示なさいました。科学技術と経済の一体化路線を推進しつつ、社会主義国家らしく文化部門の役割も増大させ、社会的人間の本質的要求させるわけです。かつてキム・ジョンイル同志は『反帝闘争の旗をさらに高くかかげ、社会主義・共産主義の道を力強く前進しよう』(1987年9月25日)において、「人間は、豊かな物質生活を営みながら肉体的に健康に暮らし発展することを求めるだけでなく、みちたりた精神生活を享受し、精神的、文化的に発展することを求めます」(金正日選集第9巻p32)とおっしゃったものです。この点からも、目下展開されている政策が社会主義の正道に位置するものであると言えると考えます。

またキム・ジョンウン同志は、青年同盟の活動家と同盟員を革命の真の継承者としてしっかり準備させることについて指摘なさいました。

キム・ジョンウン同志は対外政策についても力点を置いて綱領的結語を仰ったと総会報道記事は伝えていますが、本稿では取り上げず別稿で考えることとします。

■地方発展20×10政策が体制を安定化させるだろう
総会は、第3の議題として「わが党の新しい地方発展政策と今後の課題について」を討議したと記事は伝えました。

目下遂行中である地方発展20×10政策についてキム・ジョンウン同志は、全国の人民に10年間という短期間で裕福で文化的な新生活を提供し、全ての地域の発展水準を飛躍的に向上させることを目的とした前例のない創造闘争であると改めてその意義を強調。国の全ての地域を均衡的・同時的に振興させることは、朝鮮式社会主義建設の全面的発展における重要な戦略的課題であり、人民大衆第一主義を具体的に発揚させるための喫緊の政治的課題でもあると明言なさいました。そして、先に完成したシンポ市の浅海養殖事業所を具体的に取り上げながら「地方経済の特色のある発展と成長を成し遂げられるように積極的に図り、促す活動も各方面から推し進められた」と指摘なさいました。

朝鮮労働党第8回大会が整備補強戦略を提示し、経済建設と人民生活の飛躍の土台をつくることを宣言したのだから、2025年末までの5年間は生産力の整備と補強に注力すると思われたところ、計画途中の2024年に突如として党を中心として「地方発展20×10政策」が始まったという事実、そしてその中核として軍を投入したという事実が何を示すのか――整備補強の完了を待ってばかりはいられない、闘争目標に対する無条件絶対性やその組織性の高さをゆえに最も信頼のおける革命的軍人らを投入して今すぐに事業を始めなければならないというキム・ジョンウン同志の危機感であると考えます。

各地方の特色を生かす形で、それぞれの地方ごとに発展の在り方があるという前提に立つ地方発展20×10政策は、中央の承認の枠内という制約があるとはいえ地方が自らの意志を挟み込む余地が生まれます。企業所等の裁量権を拡大した社会主義企業責任管理制などと政策理念において通底するものがあると考えます。3月5日づけ『朝鮮新報』は、地方発展20×10政策について「地産地消の新モデル創造へ」という見出しをつけました。

また、地方発展20×10政策は単に地方に働き口を作るだけではありません。記事によると「地方工業工場と共に追加的に先進的な保健医療施設と科学・教育および生活文化施設、穀物管理施設まで並行して建設することを党の新しい地方発展政策に正式に含めることを総会に提議した」とのこと。社会主義の本旨であります。

このようにして、首都だけでなく地方にも発展の波・生活向上の波が波及することは、2023年12月30日づけ「諦観とソ連崩壊、その轍は踏むまいとする朝鮮労働党」で論じたとおり、人民の住まいや日用品など、生活水準において実際的な変化を実現させることで、諦観が社会を支配することを防ぎ社会主義建設において更なる飛躍に繋がるものになると考えます。日常生活が変化・向上するからこそ「よりよい暮らしが可能だ」と希望を持って更に精力的に生産活動に従事できるものです。

また、社会学のアノミー理論を鑑みるに、目標と手段の不整合が生じると社会的逸脱が発生する、つまり「豊かな暮らしを送りたい」という願望とそれを実現しえない社会環境との間の矛盾があるところに社会規範から逸脱した方法での願望充足が発生するわけですが、地方発展20×10政策によって「我が国でも豊かな暮らしを送ることができる!」と実感できるようになれば、願望と社会環境との間に矛盾はなくなるので、体制は安定することでしょう。「外国の豊かな生活」の情報が入ってきたとしても、故郷が自ら発展する道が明確であれば、むしろ外国からの一定の情報流入は「ああいう生活を送りたいから、党の指導の下でもっと頑張って働こう」という「ニンジン」にさえなりうるでしょう。

■教育事業は第一国事である――ニッポンと比較して
第4議題「国の教育土台の強化のための一連の措置を実施することについて」について取り上げましょう。記事によると「この8月、教育事業はどんなことがあっても絶対に揺るがせにできない第一の国事であるとし、水害地域の全ての児童・生徒を平壌に連れてきて勉強させる特別措置を取り、自ら4・25旅館に設けられた臨時教室を訪ねて新学期の教育準備状況を確かめ、限りない心血を注」いだとのこと。「労苦を費やしてきた金正恩総書記の崇高な次世代観は、われわれに学生教育問題、教育条件保障問題をどのような姿勢と立場に立って対するべきかを改めてはっきり刻み付けさせてい」ます。

日本でも先般、高等学校授業料無償化が議題になりましたが、根本的に「誰に対する支援なのか」が共有されていなかったことから「高所得者の子弟にも無償化が必要なのか」という声が上がりました。子どもの未来に対する支援であるという明確な位置付けがあれば、親の所得などそもそも議題に上がらないはず。日本という国には次世代観がしっかりと根付いていないことがハッキリと示されました

また、たとえば中央大学の中北浩爾教授は、「短期的に言えば、無償化の方向性は国民にメリットがあるかもしれないが、財源が十分示されないまま議論が進む傾向にあり、財政規律を損なう形を取ってしまう」などと宣っています(「【1からわかる】授業料無償化で高校は?」2025年3月11日 11時32分)。まったく倒錯した主張です。財政規律の枠内で教育無償化の財源を探すのではなく、教育無償化を前提として財政を組みそして財政規律を図るのが筋です。教育事業はどんなことがあっても絶対に揺るがせにできない第一の国事です。これを蔑ろにして一体何になるのでしょうか、まったく何のための財政なのでしょうか。完全に目的を見失った主張になっており「財政規律のための財政規律」に陥っていると言わざるを得ないでしょう。当ブログではかねてより「日本人の発想には目的意識性が欠けている、『何のため』が抜け落ちている」と指摘してきましたが、このことからも、日本言論においては次世代観がしっかりと根付いていないことがハッキリと示されたと言わざるを得ません

最近日本では、減税が政治的イシューとして浮上してきていますが、例によって「将来世代にツケ回しをしてはいけない」なる言説が大手を振っています。ご立派な心掛けです。しかし、そういう割には教育予算が増えません。教育費は高騰を続けているにも関わらず! 本気で後代のことを考えているわけではないことは明白です。

もっとも、かといって日本国家が資本の利益実現のために徹底して仕えているのかといえば、当のブルジョア階級からアレコレと注文を付けられ時に罵倒されている点を鑑みるに、そういうわけでもなさそうです。必ずしも、うすらぼんやりと仕事をしているわけではないでしょう。新型コロナウイルス禍のときもそうでしたが、雁字搦めになってしまっているのでしょう。各方面・各階級階層から批判ばかりされる日本国家は、気の毒といえば気の毒であります。目的意識性を持ちたくても持ち得ないという見方もできるかもしれません。もちろん、気の毒とはいえ、国家なのだからそんなようではダメですが。

キム・ジョンウン同志は結語において「世界的に教育を一番重視し、教育が一番発達した国家建設を目標にした以上、われわれは学用品と教具・校具、教育機材の問題を国家が全面的な責任をもち、教育者と児童・生徒・学生に最大限の活動条件、学習条件を保障する方向に確固と進まなければならない」とし、「今回の総会に上述の議題を特別に上程させた意図と、最短期間内に国の教育土台を新たな高さに引き上げるための実行方途を明示」なさったとのこと。国の経済規模が日本とは比べ物にならないくらいに小さく、また、アメリカとの対決のための軍事費の負担が重くのしかかっている共和国がここまでやっています。どれだけ教育を重大事として認めているのかが分かります

■組織問題と朝鮮労働党第9回大会
組織問題つまり人事については、キム・ドックン同志が政治局常務委員と内閣総理を解任され、中央委員会書記と部長に起用されたことがやはり注目されていますが、降格ではあるが大左遷というほどではなさそうです。チェ・ソニ同志が政治局員になったことについては、今後の動向を注視する必要があるでしょう。今回の人事は、総じて大きな入れ替えではなく、いままでの陣容で2025年も事業を進めるということなのでしょう

キム・ジョンウン同志は総会締め括り演説で「来年はわが党が創立80周年を迎える意義深い年であると同時に、第8期党中央委員会が自分の活動を時代と人民の前で総括する年である」とした上で「2025年をわが党の指導史に最も光り輝く地位を占める歴史の分水嶺につくらなければならない」と仰いました。そして、「第9回党大会を勝利者の大会、栄光の大会として堂々と迎えようと熱烈に呼び掛け」られました。記事によると「党中央指導機関のメンバーは、総会に対し無条件的な実行を誓った革命課題の重みを銘記し、果敢な勇気と発奮力、尽きせぬ熱情と献身力を発揮して、2025年をより高い発展段階への上昇局面を開く驚異的な年、偉大な転換の年として輝かせる厳かな意志を固め」たとのこと。

「党と人民の血縁的きずな」の強化と後代育成を最優先課題として位置付け、人民大衆の生活水準における実際的変化の実現を実現させつつ、社会主義そのものをも革新させてゆく共和国。いよいよ党大会です。
posted by 管理者 at 23:12| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2024年12月31日

2024年を振り返る(2):主体的・朝鮮式共産主義の核心探究をテーマとして優先的に取り上げてきた2024年

「2024年を振り返る」の第2弾です。

■主体的・朝鮮式共産主義の核心探究をテーマとして優先的に取り上げてきた2024年
2024年も朝鮮民主主義人民共和国(共和国)では、キム・ジョンウン同志の指導下、大きく躍動しました。「地方発展20×10政策」を筆頭とする人民生活向上のための国内政策、水害対策に見られた人民的な施政、「包括的戦略パートナーシップ条約」が示す歴史的な朝ロ接近、国歌の歌詞までも改訂した北南関係の根本的転換・・・これらはいずれも共和国の十年二十年先を見通すにあたって一つとして外すことのできないテーマです。

しかし今年当ブログは、それらはそこそこに、主体的・朝鮮式共産主義の核心を探究すべく、このテーマを取り上げてきました。北南関係の根本的転換があったとはいえ、依然として共和国が共和国である最も重要な要素は、チュチェ思想を基礎として社会主義・共産主義を展望するところにあると考えるからです。社会主義・共産主義を国是・ビジョンとして掲げるからこそ人民大衆を組織化し国家的に動員することができます。キム・ジョンウン同志が最高指導者に就いてから共和国では、社会主義企業責任管理制と甫田担当責任制が導入され、従来の大安の事業体系と青山里方法は取りやめになりました。これはかなり大きな転換です。これらの新しい政策が如何なる意図により行われており、そして如何なる効果をもたらすのかを考えるには、これら具体的政策の根本にあるはずの国是・ビジョンをしっかりと把握する必要があると考えます。

また、以前から申し述べているとおり、共和国は当ブログ管理者にとって掛け替えのない存在ですが生活の本拠は日本にあるので、当ブログの主たる関心と目的は、「日本の自主化」にあります。チュチェ思想に基づく社会主義・共産主義運動は、日本の自主化を目指すにあたって指針として大いに参考になるものと考えています。かつてキム・ジョンイル同志が「車はエンジンをかけなければ走らないように、人間も思想にエンジンがかからなければ目的を遂げることはできない」と仰いましたが、社会主義・共産主義運動は高度に目的意識的な運動なので、その思想的本質を正確に把握することは極めて重要なのです。

前述のとおり、今年の出来事は共和国の十年二十年先を見通すにあたって一つとして外すことのできないテーマです。本来であればすべてについて等しく取り上げるべきでしたが、残念ながら事情より満足に記事編集できない日が続いてしまいました。乏しい編集余力を何に優先的に割くべきか考えたとき、上述のとおり、具体的政策の根本にあるはずの国是・ビジョンをしっかりと把握する必要性、及び日本の自主化を目指すにあたって指針を思想的に把握することが優先的であると考えたため、主体的・朝鮮式共産主義の核心探究をしてきたわけです。

■社会主義そのものの変革
2月7日づけ「共和国の経済人事と社会主義そのものの革新について」は、朝鮮労働党中央委員会総会及び最高人民会議で決定された組織問題(人事異動)を取り上げつつ共和国の経済政策の布陣について推察する記事でしたが、この中で社会主義社会について「競争の結果にかかわらず等しく分け与える悪平等の制度と見做すのは間違い」と断言する朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』のコラム≪메아리≫(1月17日づけ)を取り上げました。また、「全国の均衡的同時発展が画一化を意味しない」とする2月1日づけ同コラムも取り上げました。

当該記事でも書いたとおり、朝鮮総聯が朝鮮民主主義人民共和国と朝鮮式社会主義を支持していることは、彼ら自身がアイデンティティとして言明しているとおり一寸の疑いもないことです。そうした組織の機関紙が、おそらく本国の承認があってしたためたと思われる当該コラムは、朝鮮民主主義人民共和国政府の立場であると言ってよいでしょう。すなわち、ともに手を取りつつ競う集団主義的競争を社会主義建設の有力な推進力としつつ、分権制というと語弊があるが中央集権一辺倒とも異なる革命的大衆路線の現代的形態が展開されているわけです。朝鮮民主主義人民共和国において社会主義そのものの革新が続いていると言えるだろうと書きました。

では、このような社会主義そのものの変革は、さらに思想的に追究したとき、どのような本質に基づいているものなのでしょうか? 当ブログでは6月14日づけ記事及び7月8日づけ記事を通して考えました。

■ついに自らを現代共産主義運動の指導者であると宣言なさったキム・ジョンウン同志
6月14日づけ「元帥様が自らを現代共産主義運動の指導者であると宣言なさった朝鮮労働党中央幹部学校の開校式」では、朝鮮労働党中央幹部学校の開校式において、マルクスとレーニンの肖像画を背景にしたキム・ジョンウン同志の現地指導の様子を写真に収めた朝鮮中央通信配信記事、及び「式は、歌「インターナショナル」の奏楽で終わった」と明記した同記事を取り上げました。

記事を成立させるためには、何もマルクス・レーニンの肖像画を写真に写り込ませる必要はなく、そもそもマルクス・レーニンの肖像画を朝鮮労働党中央幹部学校に掲示する必要も絶対的ではありません。意味があるから掲示しており、意図があるから写真に写り込ませているわけです。「インターナショナル」も絶対に演奏しなければならない曲ではありません。たしかに諸々の中央報告大会などでは「インターナショナル」が演奏されることは多々ありましたが、共産党党歌であったソ連とは異なり絶対欠かせないというほどの曲ではありません。まして、言及しなければ記事が成立しないほどのことではありません。これも意味と意図があっての演奏・記載です。

6月14日づけ記事では、キム・ジョンウン同志の肖像画がキム・イルソン同志及びキム・ジョンイル同志の肖像画と並んで掲示されるようになったことに言及しつつ「先代首領たちに元帥様が並ばれたことに今回の朝鮮労働党中央幹部学校の開校式を関連づけるとすれば、マルクスとレーニンの肖像画を党中央幹部学校の校舎に掲げたことを内外に示し開校式を「インターナショナル」の奏楽で終わらせたことは、元帥様は、マルクスやレーニンという共産主義運動におけるビッグネームの系譜に自らを位置づけつつ、自らを現代共産主義運動の指導者であると宣言なさったと言ってよいと考えます」としました。そして、「元帥様がいよいよイデオロギー解釈権を確固たるものにした」ともしました。つまり、キム・ジョンウン同志はついに自らを現代共産主義運動の指導者であると宣言なさったわけです。

キム・ジョンウン同志の共産主義ビジョンを政論《공산주의로 가자!》から読み解く
それでは、現代共産主義運動の指導者となられたキム・ジョンウン同志はいったいどのような共産主義のビジョンとプランを提示なさっているのでしょうか? そのことについては7月8日づけ「キム・イルソン同志逝去30年と政論《공산주의로 가자!》について」で考えました。

7月8日づけ記事は、6月27日づけ朝鮮労働党機関紙『労働新聞』1面に掲載された『共産主義へ行こう! 偉大な党中央がくださったスローガンとともに、互いに助け合い導く共産主義の美風が一層高く発揮されている我が祖国の激動的な現実を抱いて』という政論に学ぶ形の記事です。

当該政論は「共産主義への第一歩は何から始まるのか」という問いを立てる形で始まります(当該政論中の具体的な記述は上掲リンクから7月8日づけ当ブログ記事をご覧ください。この年末総括記事では要点だけを振り返ることにします)。政論によると、共産主義社会とは、すべての人々が喜びと悲しみを共に分かち合う社会であり、それは人間が望むことができる最高の理想社会であるといいます。それゆえ、共産主義社会を建設する上では、経済発展や物質的満足を論じる前にまず人間に注目し人間の思想意識と道徳的格式を何よりも重視しなければならないといいます。その上で政論は、共産主義における徳と情の重要性を強調しています。

これは、社会政治的生命体論の系譜に位置するキム・ジョンウン時代の朝鮮式社会主義の宣言であると言って然るべきでしょう。一般に共産主義は富の分配方法に関する一つの原則とし見なされがちですが、本来は単なる分配論に留まるものではありません。キム・ジョンウン時代の朝鮮式社会主義は、共産主義運動の正統な系譜に位置していると当ブログは考えます。

政論はまた、困難が共産主義に対する確信を深めると指摘します。ここには、「厳しい闘争を通じて自らを共産主義的に改造してゆく」という伝統的な共産主義的思想闘争の考え方が非常によく現れていると言えるでしょう。共和国では、共産主義に対する確信と、徳と情とが車輪の両輪となって相互作用しながら朝鮮式社会主義を前進させているといいます。そして政論は、人間を育てること自体を一つの革命であると見做すキム・ジョンウン同志こそが共産主義に最も早く進むことができる近道を明確にしてくださったと称えています。自己の偉業の勝利を信じて、偉大な首領に続いて共産主義の未来に向かって最後まで進もうとする絶対不変の信念がすべて人民の信条となるとき、徳と情が全社会の国風・民心の潮流になり、共産主義建設が早まることになるのです。

政論は結論部分において、共産主義は決して遥か遠くのものではなく共産主義者になれるのはごく一部の人だけではないとします。「自分自身の胸の中に社会と集団のための献身の心が宿るとき、隣人と同志に対する愛の感情が溢れるとき、毎日満開になる徳と情の大きな花園に一輪の花として咲く場所を探すとき」に「共産主義に向かって力強く進んだと堂々と誇れる」とします。その上で、「喜びと悲しみを分かち合い、祖国と人民のために献身する真の人間、立派な美風の持ち主になろう。互いに助け合って導く共産主義の美風が、我々の社会の国風としてさらに高く発揮されるようにしよう」と呼びかけ、「我々が望み我々の後世代が福楽を享受することになるこの世で一番美しくて立派な社会主義・共産主義は、夢や理想ではなく生きた現実として、我が祖国の地に輝かしく広がることだろう」と締めくくっています。

■共産主義思想の歴史における正統な系譜に位置するキム・ジョンウン同志の共産主義ビジョン・プラン
7月8日づけ記事においても書きましたが、全世界がほぼ資本主義で一色化され、共産主義は過去のものと見なされている今日です。左派と言っても社会民主主義がせいぜいのところであり、結局は修正資本主義でしかなく、よって本質的には個人主義社会以外の何者でもないものが幅を利かせている今日において、ここまで共産主義を理想社会として雄弁に語る政論は貴重なものです

首領様逝去30年の節目の年に、名実ともに朝鮮式の社会主義建設のリーダーであり現代共産主義運動の首領になったと宣言なさったキム・ジョンウン同志は、「すべての人々が喜びと悲しみを共に分かち合う社会」を共産主義社会像として掲げ、人間の思想意識と道徳的格式の問題を重視しつつ、困難を乗り越えることを通して自らを革命化することで共産主義建設を進めようとする道筋を提示なさいました。通俗的な共産主義理解すなわち経済的分配論に留まるものではなく人間どうしの関係を再構築することを共産主義運動の主たる目的として正しく据えているこのビジョンとプランは、チュチェ思想に基づく社会政治的生命体論をまっとうに継承しており、また、まさしく人類の歴史とほぼ同じくらい古い共産主義思想の歴史における正統な系譜に位置しているとも言えるものです。

■普通の人たちがつくる社会主義運動の流れ
当ブログが注目したいのは、「共産主義は決して遥か遠くのものではなく共産主義者になれるのはごく一部の人だけではない」というくだり。共産主義者というと禁欲的で無私の人間、聖人君子のような人間でなければ成ることができないという漠然としたイメージを持ちがちですが、「自分自身の胸の中に社会と集団のための献身の心が宿るとき、隣人と同志に対する愛の感情が溢れるとき、毎日満開になる徳と情の大きな花園に一輪の花として咲く場所を探すとき」に「共産主義に向かって力強く進んだと堂々と誇れる」とする政論の指摘を踏まえると、完璧な人間・立派な人間でなくとも、人間としてごく自然な道徳感情を大切にしていれば、共産主義者の端くれくらいにはなれそうな気がしてきます。

2021年7月17日づけ「「革命家の経済」から「普通の人の経済」への移行期、「超人的な人たちがつくる社会主義」ではなく「普通の人たちがつくる社会主義」への移行期としてのキム・ジョンウン総書記の時代」で「キム・ジョンウン同志の時代とは、「革命家の経済」から「普通の人の経済」への移行期、「超人的な人たちがつくる社会主義」ではなく「普通の人たちがつくる社会主義」への移行期であると言える」とか「チュチェ110年の共和国は、共産主義を発展的に復活させるスタートラインについたと言えるかもしれません」などと書きましたが、今般の政論における上掲部分もまた、「普通の人たちがつくる社会主義運動」を示唆するものと考えます。

■『社会主義は科学である』から学ぶ主体的社会主義
12月31日づけ「2024年を振り返る」第1弾としての「2024年を振り返る(1):『社会主義は科学である』発表30年――正しい人間観、そしてそれに基づく世界観、社会歴史観、さらに人生観そして死生観に基づいた社会主義理論を日本の自主化においてどのように参考にするか」についても、早くも総括しておきたいと思います。

当該記事は、キム・ジョンイル同志が1994年11月1日に労作:『社会主義は科学である』を発表なさってから30周年となるのを記念して、当ブログなりに『社会主義は科学である』の内容を読み解いたものになります。当該記事でも書いたとおり、かねてより当ブログでは社会主義・共産主義の何たるかを追究してきたところですが、キム・ジョンイル同志の『社会主義は科学である』は非常に内容豊富で学び甲斐のある労作であると考えます。それは、世界と人間の関係そして集団と個人の関係を追究したことにより得られた、正しい人間観と豊かな人生観に基づいた社会主義理論を展開されているからです。

※かなり長い記事になったので、本稿では要点のなかの要点だけを取り出します。なお、当該記事を基に『社会主義は科学である』の内容を手っ取り早く知りたいという読者の方は「おさらい」をお読みください。

『社会主義は科学である』は、第1節において社会主義運動の正統系譜として、集団主義と個人主義との対立軸を設定したうえで、チュチェ思想に基づく社会主義が何を問題視して何を解決しようとして運動を展開しているのかを冒頭に明確になさっています。そして、正しい人間観に立脚してこなかった社会主義の従前理論の限界を説いたうえで、チュチェ思想によって社会主義は新たな科学的土台のうえに引き上げられ、人民大衆中心の社会主義となったと指摘なさいます。

第2節でキム・ジョンイル同志は、人間の本質を捉えることは何故重要なのかをまず解説なさいます。人間は社会的存在であるという意味、そして人間の生命の本質と生の価値を主体的に解明します。ここでキム・ジョンイル同志は「チュチェ思想は史上はじめて、人間は肉体的生命とともに社会的・政治的生命をもって生きる存在であることを明らかにした」として、社会的・政治的生命(社会政治的生命)という概念を提示なさいます。この社会的・政治的生命論を柱として、「人間のもっとも誉れ高く甲斐ある生き方は、自己の運命を社会的集団の運命と結びつけ、社会的集団に献身的に奉仕し、社会的集団に愛され信頼されながら、自主的で創造的な生活を営むことである」と定式化。チュチェ思想として人生観の問題に解答を与えました

第3節では、前節の最後に「集団主義社会としての社会主義社会でのみ、価値のある生を送ることができる」と指摘したのをさらに掘り下げる形で、「人民大衆はもっぱら国家主権と生産手段が人民のものとなっている社会主義社会でのみ、社会のあらゆるものの真の主人となる」とか「革命と建設において主観主義を避け、紆余曲折をまぬかれる唯一の道は、人民大衆のなかに入り、かれらの意思と要求を聞き取ることである」などと指摘し、その上で、人民大衆が社会のあらゆるものの主人としての地位を占め権利を行使するには、自主意識を高めて責任と役割を果たしつつ創造的能力を養う必要があるとしました。さらに、第2節の内容を繰り返す形で「人民大衆の誉れ高い幸せな生活において本質的内容をなすのは、社会的集団の愛情と信頼のもとで社会的・政治的生命を輝かし、尊厳ある生を営むことである」と再言及したうえで「社会主義社会では、愛情と信頼が社会的集団とその構成員間、社会の個々の構成員間に生まれ、全社会が一つの社会的・政治的生命体となり、社会の全構成員が社会的・政治的生命を限りなく輝かしていく、もっとも強固で生命力のある社会となる」とすることで、社会有機体論の一種としてのいわゆる社会的・政治的生命体論(社会政治的生命体論)を展開なさいました。

資本主義がカネと権力を社会の紐帯としているとすれば、全社会が一つの社会的・政治的生命体となった主体的社会主義社会では愛情と信頼が社会の紐帯となるわけです。そしてそうした社会であるからこそ、社会の全構成員が社会的・政治的生命を限りなく輝かす最も貴く美しい生が実現した強固で生命力のある社会が実現するのです。チュチェ思想に基づく社会主義・共産主義運動とは社会的・政治的生命体を形成するための運動であるということが、『社会主義は科学である』において示されていると言えます。

さらに当該記事では、『社会主義は科学である』においては直接的には言及されてはいないものの、チュチェ思想学習においては一つの論点となっている主体的な死生観の問題についても論を展開し、集団主義と個人主義との対立軸は、個人として生き肉体の死滅とともに終わる生命の見方と、集団とともに生き社会的・政治的に永生する生命の見方との対立軸にも発展するものであると補足的に述べたところであります。

当該記事の結論部分において述べたとおり、『社会主義は科学である』は、人間観の再定立に始まり、人間は肉体的生命と社会的・政治的生命の二つを持っていることを指摘したうえで、より重要な社会的・政治的生命すなわち自主性:自主的本性を輝かしうる生活の在り方、すなわち主体的な人生観と、それを実現し得るのは集団主義に基づく社会主義社会であることを論証しているものと言えます。

集団主義か個人主義かの対立軸は社会主義と資本主義との社会体制における対立軸であり、それはつまり、人間を社会的存在であるとする人間観と人間をたんなる自然的・生物学的存在とみなす人間観との人間観における対立軸であり、愛と信頼を紐帯とする社会的・政治的生命を基本とする人生観とカネと権力を紐帯として肉体的生命を基本とする人生観との人生観における対立軸でもあり、そして個人として生き肉体の死滅とともに終わる生命の見方と、集団とともに生き社会的・政治的に永生する生命の見方との死生観上の対立軸として設定できます。

人生観そして死生観にも踏み込んでいる点において、当ブログは、
人間中心の社会主義運動、つまり「人間は、互いに社会的関係を結んで自主性、創造性、意識性をもって生き活動する社会的存在である」という人間観、そしてそれに基づく世界観、社会歴史観、さらに人生観そして死生観に基づいて社会的・政治的生命体を構築することを目指す主体的な社会主義運動は、単に労働者階級の生活水準を向上させ経済的利益を実現するといった水準にとどまる問題ではなく、人間が本来的に持つ人間性を取り戻すことであると言ってよいと考えます

人間性の本質は、その自主性にあります。愛とはお互いの自主性の尊重です。人間が自主的な生を送るためには、自然・社会・自分自身の主人、政治・経済・思想文化の各生活分野の主人となり、人々が愛と信頼に基づいた道徳義理的な一心団結をなす必要があります。そしてそのためには、修正資本主義的対応では足りず社会的・政治的生命体の形成を目指す社会主義・共産主義運動が必要だと考えます。

■現代日本の問題に引き付けて
当該記事でも何度も強調したとおり現代日本社会は、人間の人格的価値が交換価値にかえられ、それが金銭と財物によって評価される社会、つまり、人間を「自分にとって使えるか否か」という商品選びの水準で評価し交際する人間関係が当然化してしまっています。日本の自主化を目指す当ブログとしては、日本人を変革の主体であると考えるので、正しい人間観に立脚し、社会的人間の属性が如何にして形成されるのかを踏まえた上で情勢分析する必要があると考えますが、まず、現状が異常であることを理解することから始める必要があります。より広い視野で言えば、そもそも社会のサブシステムに過ぎないはずの経済生活が、逆に社会全体を呑み込んでいるという現代社会が異常であるという自覚が必要です。

温故知新という言葉があるように、自主性を生命とする人民大衆が代を継いで創造してきた人類史、とりわけ愛情と信頼に関する蓄積を振り返り、人間の生の本質とその価値を見つめ直し、如何なる生活が真の意味で誉れ高い幸せな生活であるのかを今一度考え直すことが必要だと考えます。古今東西の古典的文学作品をよく読み、それを自分自身の自主性を照らし合わせ、現状が極めて異常であることを自覚することから始める必要があるのです。そして、そうした営みを通じて体得した自主的思想意識と創造的能力、目的意識性を組織的力量に具体的に転換することが肝要になるでしょう。

ものすごく時間がかかることではありますが、社会的集団の愛情と信頼のもとで社会的・政治的生命を輝かし尊厳ある生を営む道は地道なものにならざるを得ないでしょう。人間が本来的に持つ人間性を取り戻すためには、人類が代を継いで積み重ねてきたものを再発見し再評価することから始めるべき地道なものであり、そこで培った「人間は、互いに社会的関係を結んで自主性、創造性、意識性をもって生き活動する社会的存在である」という人間観、そしてそれに基づく世界観、社会歴史観、さらに人生観そして死生観に基づいて具体的な組織的力量を形成してゆく運動を展開する必要があります。チュチェ思想に基づく社会主義・共産主義運動とはすなわち、社会的・政治的生命体を形成する運動であると当ブログは考えます。

■総括
振り返れば、「主体的・朝鮮式共産主義の核心探究をテーマとして優先的に取り上げてきた」と言いつつ、たった4本の記事しか書いていませんでした。とはいえ、ほとんど記事を書いていなかった2024年において、いずれの記事もそれなりに長文だった点において、内容の出来はさておき、力を入れて執筆したことは感じていただけるのではないでしょうか。

当ブログとしては、世界と人間の関係そして集団と個人の関係を追究したことにより得られた、正しい人間観と豊かな人生観に基づいた運動指針を理論的に提示している点にこそチュチェ思想に基づく社会主義・共産主義運動の特長があると考えます。そうした特長を、自分自身の学びも兼ねて文章化することに努めてきたつもりです。

そしてそうした運動を日本社会で展開するためには、上掲のとおり、まず、現状が異常であることを理解することから始める必要があります。そもそも社会のサブシステムに過ぎないはずの経済生活が、逆に社会全体を呑み込んでいるという現代社会が異常であるという自覚が必要だと考えます。

死生観の問題については、特に12月31日づけ年末総括第1弾でかなり突っ込んで論じました。チュチェ思想の重要論点の一つではあるが最近はあまり積極的には言及されていない(否定もされていない)論点に傾注したのは当ブログ管理者の関心ゆえのものです。現在共和国では「革命の世代継承」は特に問題になっていないので、死生観の問題を敢えて取り上げる必要がなく、それゆえこの問題がそれほどクローズアップされていないのだと理解していますが、当ブログ管理者には重大な関心事であります。

共産主義運動というものは生涯をかけ、さらに代を継いで続けなければならないものです。そんなに簡単に成就するものではありません。

政論《공산주의로 가자!》で定式化された「すべての人々が喜びと悲しみを共に分かち合う社会」という共産主義の定義が、同時代的な「空間的共産主義論」であるとすれば、死生観の問題は「時間的共産主義論」と言えます。老いた者は当然、時間的共産主義論を意識しなければなりませんが、若い人も「生涯をかける必要がある」がゆえに時間的共産主義論を意識する必要があると考えます。日本社会は現時点で資本主義社会であり、それゆえ共産主義運動には格別な目的意識性をもって自発的に参加する必要があります。自分から動かなければ資本主義社会の歯車の一つにしかなり得ません。資本主義日本において共産主義運動に身を投じる決意を固めるにあたっては、自らの一生の送り方と絡めて考える必要が特にありますが、死ぬまでに何を成し遂げるかを考えることは、死生観の問題を考えることと密接な関係にあります

主体的な死生観においては、全社会が一つの社会的・政治的生命体になり、個々人はその中で有機的に結びついているがゆえに、個々人は、生物学的な意味での死によって肉体的生命を終えたとしてもその社会的・政治的生命は、一つの社会的・政治的生命体の中で永生するとされます。朝鮮大学校学長のハン・ドンソン氏は2007年の著書で「崇高な精神をもって人民大衆のために生涯をささげた人々は、社会的集団と、愛と信頼の絆で結ばれて」おり、「このような人々は、たとえ肉体的生命が途絶えたとしても、その思想と業績は、社会的集団が続く限りそのなかで引き継がれ、かれらにたいする愛と信頼は、世代を越えて人々の心のなかに残」るので、「人民大衆の運命を開拓する偉業にすべてを尽くして献身するとき、肉体的には死んでも、社会政治的には永遠に生き続ける」としています(ハン・ドンソン、2007、p169)。

また、ハン氏は、社会的・政治的生命の永生は「歴史の流れとともに限りなく引き継がれ、歴史的価値をもち続け」るとも言います。「個人の一生には限りがありますが、社会と集団は限りなく存在し発展」するので、「人々は、社会と集団の未来の創造に寄与することによって、人間の生の大きな歴史的流れに合流することにな」るからです。これに対して「自分のためだけに生きる生活は、個人の一生で終わる生活で」であり「そのような生活は歴史に残りません」(ハン・ドンソン、2007、p185)。

資本主義社会で、ほどほどの生活を送る選択肢もある中で、敢えて生涯をかけ代を継いで続けなければならない共産主義運動に身を投じるにあたっては、共産主義運動に参加することによって個々人が人間の生の大きな歴史的流れに合流できるという考え方は大きなポイントになるでしょう。主体的な死生観を持てばこそ敢えて共産主義運動に身を投じる決意が固まるものと考えます。このような理由で当ブログは、特に日本が資本主義社会であるからこそ、その自主化を目指すにあたっては主体的な死生観の問題が重要になると考えています

他方、政論《공산주의로 가자!》でも指摘されていたように、完璧な人間・立派な人間でなくとも人間としてごく自然な道徳感情を大切にしていれば、共産主義者の端くれくらいにはなれそうなものであるのも事実です。偉業に身を捧げる革命的ロマンも大切ですが、今を生きる生身の人間の生活もまた大切です。とりわけキム・ジョンウン同志はそうお考えでいらっしゃるとお見受けするものです。あまり堅苦しいことをいうのもキム・ジョンウン時代の共産主義者としては不適切なのでしょう。その点、こうしてこの1年間書いてきた記事を総括すると、当ブログ管理者は些か古いタイプの共産主義者である気がしてきました。キム・ジョンウン時代の共産主義者たらねばならぬと思いを新たにしたところです。

2025年以降も、正しい人間観と豊かな人生観に基づいた運動指針を理論的に提示しているという点にチュチェ思想に基づく社会主義・共産主義運動の特長を見い出しつつ、あまり堅苦しいことを言い過ぎず、キム・ジョンウン時代の共産主義者として日本社会の自主化を目指す道筋を引き続き考えたいと考えています。
posted by 管理者 at 23:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする