>> 日本郵政、米アフラックと提携強化=がん保険、直営全郵便局で販売コメント欄、行ってみましょうか。
時事通信 7月25日(木)0時0分配信
日本郵政が、米保険大手アメリカンファミリー生命保険(アフラック)との業務提携を抜本的に強化することが24日、明らかになった。傘下のかんぽ生命保険がアフラックと代理店契約を締結。同社のがん保険販売を、同じ郵政傘下の日本郵便が直営する約2万カ所の全郵便局に拡大する。アフラックは2014年秋に日本郵政グループ専用のがん保険を供給する。26日にも基本合意し、両社トップが記者会見して発表する。
米政府は長年、日本の保険市場の閉鎖性を指摘し、日本郵政の郵便局ネットワークをかんぽ生命以外の民間保険会社にも全面開放するよう求めてきた。今回の提携強化は、環太平洋連携協定(TPP)交渉と並行して行われる保険分野などの日米2国間協議にも影響を与えそうだ。 <<
>> 2013年7月25日 0時17分 12300000(k00...)さん日本においては「努力」という言葉がとても好まれるのは、皆様もよくご存知かと思います。かつてはこのワードが、いわゆる「新自由主義」的な思想と共鳴し、人口に膾炙していたことから、「努力」という言葉を新自由主義のキーワードであるかのように捉えるむきも多かったし、今も根強い捉え方だと思います。「努力」というワードは「自らの能力を遺憾なく発揮し、勝利を獲得すべきだ」という彼らの基本原則を端的に言い表すものである点、それは強ち間違いではないと思います。
私もそう思う2,352点 私はそう思わない64点
労せずして販売網を手に入れるか。
自らは努力せず、自由化障壁と言い張ってね。 <<
ところで、世間ではよく誤解されていることですが、新自由主義は、政府介入を全く否定するリバタリアニズムとは異なります。以下の記事が端的に指摘されていたので、引用してご紹介します。
http://d.hatena.ne.jp/simmel20/20100409/1270799822
>> (前略)このように、新自由主義の思想は、秩序と成長、公正で活発な競争がその核心をなしており、それゆえ、たとえばビジネス・インフラの整備を政府の任務とすることは否定しません。それどころか、それが公正で活発な競争を促進するのであれば、自ら要求するのです。世間一般では、新自由主義というと規制緩和とか小さな政府とか、そういった部分ばかりが目にいくと思いますが、それだけでは決してないのです。
新自由主義が「秩序と成長」のために「自由」を求めるのに対し、一方のリバタリアニズムは、あくまでも「原理的な自由」を求める立場なのだ。新自由主義は福祉国家を容認し、市場が活性化するのであれば、政府支出が多くなることもかまわないとする場合もある.対して本来のリバタリアニズムは、たとえ経済システムが衰退しようとも個人の自由を擁護する社会を望む.
(後略)<<
※その点、世間一般で行われている「新自由主義批判」の少なくない部分は、正確には、リバタリアニズム批判と言ったほうが良いかもしれません、また、たとえば昨今話題の発送電分離も、送電事業の自由化が電力供給の不安定化をもたらす可能性が高いと思われるのであれば、その点についは公有を続けるというのも新自由主義的発想であると言えます。
それゆえ、日本郵政とアフラックとの提携強化は、新自由主義の哲学と矛盾するものではないと言えます。新自由主義の哲学によれば、日本郵政が持つ郵便局ネットワークは、まさにビジネス・インフラであり、それを市場開放することは、公正で活発な競争を促進する手段であると位置づけることが出来るからです。
さて、翻って我らがYahooニュースのコメント欄。どうもアフラックが日本郵政のネットワークを利用することが気に食わないようです。「努力が足りない」そうです。冒頭でも触れましたが、「努力」という言葉を新自由主義のキーワードであるかのように捉えるむきが世の中では多かったですし、いまでも根強い捉え方だと思います。しかし、このコメントを見る限り、「努力」を信奉(信仰?)する努力至上主義的な昨今の世論と、本来的な意味での新自由主義は、重なる部分はあるとはいえ、同一のものであるとは言えないと思います。「努力」という言葉を新自由主義のキーワードとするのには限界があるのです。努力至上主義は新自由主義以上に過激な思想なのです。
もっとも、前掲コメントは、「努力」とか「公正で活発な競争」と言いつつ、実際には自分の都合に合わせて二枚舌を使っているアメリカ資本への皮肉・不満とみることも十分に可能です。そういう考えの下、あのコメントに賛同している方については、私もある程度の共感をいたします。ただ、この記事の主題とは異なるので、最後の補足として述べたいと思います。