>> 女を殺しても警察は動かない 別れるヨメは殺せという地域もさて、イスラム圏の一部におけるこういう風習は、良く知られた話です。この手の話題においては、以下のようなコメントがほぼお決まりのように出てきます。
NEWS ポストセブン 8月24日(土)7時5分配信
パキスタンの女子中学生、マララ・ユスフザイはイスラーム主義組織によって生活が脅かされている様子を英国の放送局・BBCに投稿し、そのため銃撃され生死の境をさまよった。奇跡的に回復したマララは国連本部で「世界のすべての子どもたちが無料の義務教育の機会を確実に得られるよう、お願いします」と訴えた。彼女の願いの背景について、ジャーナリストの常岡浩介氏が体験した現場の言葉を山藤章一郎氏が訊き、報告する。
(以下略)
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>> Yukiko Isawa ・ 自営業 経営者おっしゃること、よく分かるのですが、こうした問題意識は、しばしば「注入的直接介入」を勢いづける根拠になる点において、慎重に扱わなければならないものです。今回は、このテーマについて、キムジョンイル総書記の論文を手がかりに主体的に考えてみたいと思います。
「文化が違うのだから、一概に悪い事とは決めつけられない。西洋人の正義感を押し付けるのはいかがだろうか」
よく言われる事だけれど、殺される人に同じセリフを言えるかしら?
ある国で虐殺が起きれば国際社会が動くけれど、これは面ではなく点で長年続いている虐殺行為に間違いはないと思うわ。
・ 8月23日 20:31 <<
8月18日づけの朝鮮中央通信は、ルーマニアのメディアがキムジョンイル総書記の論文『社会主義建設の歴史的教訓と我が党の総路線』を掲載したと報じました。同論文はチュチェ81(1992)年1月3日に発表されたもので、ソ連・東欧諸国における社会主義体制の崩壊の原因と、それを教訓としたチュチェの社会主義建設理論、そして朝鮮労働党の革命路線の正当性について論じられています。日本語版の全文は、こちらで読むことが出来ます。
総書記は同論文の中で、ソ連・東欧諸国における社会主義体制の崩壊の原因を「制度を支える主体的な基盤の強化を怠ったこと」にあるとしています。ある特定の社会体制は、「制度」という客観的条件が出来たからと言って確立されるのではなく、それを支える主体(人間)があって初めて磐石なものになるからです。ソ連・東欧諸国は、人民大衆の思想革命という社会主義建設における主体的力量の強化を怠り、生産力の強化といった客観的条件の整備にばかり注力した結果、人民大衆を社会主義体制を積極的に支える主人にさせることに失敗し、社会の各分野において停滞を引き起こしてしまったのだと指摘しています。同様の理由から、人民大衆が社会主義に対する絶対の信念を持たなくなり、その結果、多少の動揺に対しても脆弱になってしまったと指摘されています。
私は、総書記のこの指摘は、社会主義に限ったものではないと思います。総書記が指摘するように、社会主義体制は、特に主体的力量のレベルが問われますが、どんな社会体制であったとしても、多かれ少なかれ、そうした要素があるからです。社会は人間が主体的に形成するものであり、客観的条件からの多大な影響は避けられないものの、社会変動の決定的要因は、物質としての人間自身である――それが社会に対する主体的な理解です。
そうした理解からこうした問題を考えると、たしかに前掲コメントの指摘するところは私としても同感なのでありますが、こうした問題意識からしばしば容易に導出される「注入的直接介入」――そして、ほとんどの人は、注入的に直接介入して「人道主義的な制度」を作れば問題は、ほぼ解決すると思い込んでいます――に対しては、「それだけでは決定的に足りないどころか逆効果」と指摘せねばなりません。
たとえ「人道主義的な制度」を注入的に作ったところで、それを支える主体(この場合は「パキスタンの頑迷な男性たち」)に対する思想革命がなければ実効的な意味はないし、下手をすればそういう人たちの「巻き返し」もありうるわけです。特に注入的に「人道主義的な制度」を作ることに対しては反発が根強いものです。パキスタンの隣国であるアフガニスタンの、ここ40年余りの歴史は、「注入的人道主義伝道の歴史的教訓」につて余りに多くの教訓を提供しています。すなわち、アフガニスタン人民民主党(="ソ連共産党アフガニスタン支部")政権下における外部注入的な女性解放と、それに対する反動としてのタリバーン体制の歴史です。
短期的・緊急的な政策としての外部からの注入は一概には否定しません。しかし、物事を観察する際には、あくまで主体に注目すべきであり、物事を改造する際には、その主体に対して作用を及ぼすことが最大にして最高、そして長期的に見れば唯一の方法であるという視点を忘れてはならないと思います。正義感が先走るばかりの注入的人道主義の伝道は、私は、長期的に見て決して成功しないし、それどころか逆効果であると理論的にも歴史的にも思うのであります。あくまで内発的・自生的な形態、主体の積極的で全幅の支持に基づく形態にすべきです。