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>> 意外な?「日本共産党が五輪成功決議案に賛成」の理由ヲチャや元関係者にしてみれば驚くに値しない「いつもどおり」の展開です。そう、「ブレない共産党」「筋を通す共産党」というのは「後から如何とでも解釈できるようなコトしか言わない」というのが実態なわけです。
2013年10月21日
本当に「今はひとり」となってしまった山本太郎氏もビックリしたかどうかは不明だが、臨時国会開会の15日に衆参両院の本会議で採択された「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功に関する決議案」には、両院で1人しか反対者がいなかった。それが参院議員の山本氏で、これまで五輪招致に反対していた共産党は全員が賛成した。
山本氏は20年五輪の東京開催決定を受けて、9月10日付ブログで「この国に生きる人々は、一部の金儲けの為に、またしても切り捨てられる」と憤りを示している。成功決議案への反対がただ1人だったことには、支持者とみられる人がツイッターに「これは異常だ、ありえない。山本議員が反対したのが、異常なのではない。山本議員しか反対しなかった、ということが異常なのだ」と投稿した。
そこで日本共産党である。同党は東日本大震災前に展開された16年五輪招致にも反対し、今回も3月に発議された招致決議案には反対票を投じた。6月の東京都議選のころには「共産党は反対だけど、それを前面に出さなくなった」(都幹部)と評され、参院選でも同様に受け止められた。今回の賛成は、五輪に対するスタンスを変えたのか。植木俊雄広報部長に聞いた。
「前回(の国会決議)、招致については反対した。『そんな状況ではない』ということが理由だった。今回はIOC(国際オリンピック委員会)が日本でやると決めた。ある意味、国際的な意思が定められたので、それは尊重しようというのが基本姿勢。こっちから(五輪を)呼び込むことには反対。ただ、IOCという機関が総意として日本に決めたことは尊重するというのが第一」
ただ、もろ手を挙げて五輪推進にかじを切ったわけではないという。
「文言については、政府が上から国民に五輪開催を押しつけるのでなく、国民の総意で行うようなものにするという風に、基本的な姿勢をただした。五輪を口実に公共事業を拡大するようなことにも歯止めをかけた。環境破壊や、今も続く放射能汚染にもきちんと対応し、安全な環境のもとで(五輪が)成功するようにという立場を(決議に)反映させた」
決議案は、衆院では「2020年オリンピック・パラリンピック日本招致議員連盟」の幹事長を務め、15日に同議連が衣替えして設立された「2020年東京オリンピック・パラリンピック大会推進議員連盟」でも幹事長に就いた遠藤利明議員(自民党スポーツ立国調査会会長)ほか13人の議員が発議。参院では自民党の中曽根弘文議員ほか8人が発議を行った。植木氏によると、決議文は「裏話になるけれど、最初はイケイケドンドンみたいな内容だった」。つまり採択された決議文は、原案に共産党の意見が反映される形で“修正”が施されたものだという。
決議文は衆参両院のホームページなどで読める。短い文章だ。「我が国が元気な日本へと変革していく大きなチャンス」「国民に夢と希望を与える」「これからの新しい日本の創造と我が国未来への発展」といったあたりが、イケイケドンドン的にも読みとれる。一方、「環境の保全に留意しつつ」「国民の理解と協力のもとに、その推進を図るべき」といった文言が、共産党的な意見の反映なのか。
もっとも、支持者から「招致に反対してきたので当然、『なぜそうなったのか?』という素朴な疑問が(共産党に)きているのは事実」(植木氏)。さらに、文言のイケイケ度を弱めたとはいうものの、決議の直後に開かれた招致議連・推進議連の会合では、このところ関心が高まっている国立競技場の改築計画への異論や、かねて反対の意見が表明されているカヌー会場・葛西臨海公園の環境保護についても、まったく言及がなかった。 <<
そもそもマルクス主義自体が、どんなことがあっても「歴史は共産主義に向かって進んでおり、反動的な流れも『長い目』で見れば一時的なものに過ぎない」などと強弁しているわけです。どれだけ反証を並べても「長い目」だとかそういうマジックワードで誤魔化す。どれだけ強い反革命現象も「産みの苦しみ」だとか言ってまったく逆の意味を付加する(何か指標となる現象があるのならまだしも、そういうわけでもない)。徹頭徹尾、そんなことばっかりです。
「こっちから(五輪を)呼び込むことには反対。ただ、IOCという機関が総意として日本に決めたことは尊重するというのが第一」なんてもう無茶苦茶ですよね。よくもまあ、こういう無理筋を堂々といえたものだと思います(いやまあ、共産党員から面と向かってゴネられたことがあるので、個人的には「またか」としか思いませんけどww)。じゃあ国連が武力制裁を命じたら憲法9条をかなぐり捨てて殺るんですか? そうしたら今度は「国の自主権」とか言い出すんでしょうな。
共産党員としては、「何があっても絶対反対とは最初から言っていない」の一点張りでしょう。あたかも「『絶対反対』と読み間違えるお前が悪い」と言わんばかりに。しかし、ここが共産党世界の特殊性というか、党員の精神年齢というかそういうものが如実に現れるところ。一般の大人社会であれば、よほど受け手が馬鹿でない限りは「真意が伝わらないような書き方・言い方をするほうが悪い」わけです。ましてや宣伝部署なんて「言葉」を商材にしているプロであり、さらに「前衛」はそもそも愚かな人民大衆を教化するのが役割であるはず。そんな「前衛党の宣伝部署」が「『絶対反対』と読み間違えるお前が悪い」と言わんばかりの自己中心的な反応をみせるとは、共産党の何たるかがよく現れていると思います。あんなもん、何処からどう見ても「絶対反対」にしか見えません・聞こえませんって。
もし東京オリンピックが何かの拍子で大コケしたら、共産党は今度は「一貫して反対してきました!」と言うんでしょう。かつて「(原子力エネルギーは慎重に扱わねばならぬが)反原子力は反科学」などといっていたのに、いまや「即時原発ゼロ(※ただし基礎研究は続ける)」と言っているように。「拉致事件は疑惑に過ぎない」と言っていたのに「最初に拉致問題を取り上げたのは我が党です!」と言っているように。当初(1946年)は憲法9条に反対していたのに、いまや「9条護憲の旗手」を演じているように。
もはや、共産党の病巣は「前衛意識」というよりも「自己無謬信仰」の塊のようにも思えてきました。「前衛意識」は、うまくいけば「面倒見のいい教師」に化けないこともありません。面倒見のいい教師は、生徒がいかに出来が悪くても、それを生徒のせいにすることは決してなく、むしろ自分の指導力のなさを責めるものです。では共産党が「自分の指導力のなさ」を責めたことがあったか。ほとんどの場合は「反共攻撃」のせいになり、ごくまれに反省したかと思っても、「党勢拡大大運動(=主義主張の押し売り)」です。
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