2013年10月29日

「筋を通す共産党」の実態は「後から如何とでも解釈できるようなコトしか言わない」だけ

やや旧聞に属する話になってしまい恐縮ですが、あえて。
http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/11214/
>> 意外な?「日本共産党が五輪成功決議案に賛成」の理由
2013年10月21日

 本当に「今はひとり」となってしまった山本太郎氏もビックリしたかどうかは不明だが、臨時国会開会の15日に衆参両院の本会議で採択された「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功に関する決議案」には、両院で1人しか反対者がいなかった。それが参院議員の山本氏で、これまで五輪招致に反対していた共産党は全員が賛成した。

 山本氏は20年五輪の東京開催決定を受けて、9月10日付ブログで「この国に生きる人々は、一部の金儲けの為に、またしても切り捨てられる」と憤りを示している。成功決議案への反対がただ1人だったことには、支持者とみられる人がツイッターに「これは異常だ、ありえない。山本議員が反対したのが、異常なのではない。山本議員しか反対しなかった、ということが異常なのだ」と投稿した。

 そこで日本共産党である。同党は東日本大震災前に展開された16年五輪招致にも反対し、今回も3月に発議された招致決議案には反対票を投じた。6月の東京都議選のころには「共産党は反対だけど、それを前面に出さなくなった」(都幹部)と評され、参院選でも同様に受け止められた。今回の賛成は、五輪に対するスタンスを変えたのか。植木俊雄広報部長に聞いた。

 「前回(の国会決議)、招致については反対した。『そんな状況ではない』ということが理由だった。今回はIOC(国際オリンピック委員会)が日本でやると決めた。ある意味、国際的な意思が定められたので、それは尊重しようというのが基本姿勢。こっちから(五輪を)呼び込むことには反対。ただ、IOCという機関が総意として日本に決めたことは尊重するというのが第一」

 ただ、もろ手を挙げて五輪推進にかじを切ったわけではないという。

 「文言については、政府が上から国民に五輪開催を押しつけるのでなく、国民の総意で行うようなものにするという風に、基本的な姿勢をただした。五輪を口実に公共事業を拡大するようなことにも歯止めをかけた。環境破壊や、今も続く放射能汚染にもきちんと対応し、安全な環境のもとで(五輪が)成功するようにという立場を(決議に)反映させた」

 決議案は、衆院では「2020年オリンピック・パラリンピック日本招致議員連盟」の幹事長を務め、15日に同議連が衣替えして設立された「2020年東京オリンピック・パラリンピック大会推進議員連盟」でも幹事長に就いた遠藤利明議員(自民党スポーツ立国調査会会長)ほか13人の議員が発議。参院では自民党の中曽根弘文議員ほか8人が発議を行った。植木氏によると、決議文は「裏話になるけれど、最初はイケイケドンドンみたいな内容だった」。つまり採択された決議文は、原案に共産党の意見が反映される形で“修正”が施されたものだという。

 決議文は衆参両院のホームページなどで読める。短い文章だ。「我が国が元気な日本へと変革していく大きなチャンス」「国民に夢と希望を与える」「これからの新しい日本の創造と我が国未来への発展」といったあたりが、イケイケドンドン的にも読みとれる。一方、「環境の保全に留意しつつ」「国民の理解と協力のもとに、その推進を図るべき」といった文言が、共産党的な意見の反映なのか。

 もっとも、支持者から「招致に反対してきたので当然、『なぜそうなったのか?』という素朴な疑問が(共産党に)きているのは事実」(植木氏)。さらに、文言のイケイケ度を弱めたとはいうものの、決議の直後に開かれた招致議連・推進議連の会合では、このところ関心が高まっている国立競技場の改築計画への異論や、かねて反対の意見が表明されているカヌー会場・葛西臨海公園の環境保護についても、まったく言及がなかった。
<<
ヲチャや元関係者にしてみれば驚くに値しない「いつもどおり」の展開です。そう、「ブレない共産党」「筋を通す共産党」というのは「後から如何とでも解釈できるようなコトしか言わない」というのが実態なわけです。

そもそもマルクス主義自体が、どんなことがあっても「歴史は共産主義に向かって進んでおり、反動的な流れも『長い目』で見れば一時的なものに過ぎない」などと強弁しているわけです。どれだけ反証を並べても「長い目」だとかそういうマジックワードで誤魔化す。どれだけ強い反革命現象も「産みの苦しみ」だとか言ってまったく逆の意味を付加する(何か指標となる現象があるのならまだしも、そういうわけでもない)。徹頭徹尾、そんなことばっかりです。

こっちから(五輪を)呼び込むことには反対。ただ、IOCという機関が総意として日本に決めたことは尊重するというのが第一」なんてもう無茶苦茶ですよね。よくもまあ、こういう無理筋を堂々といえたものだと思います(いやまあ、共産党員から面と向かってゴネられたことがあるので、個人的には「またか」としか思いませんけどww)じゃあ国連が武力制裁を命じたら憲法9条をかなぐり捨てて殺るんですか? そうしたら今度は「国の自主権」とか言い出すんでしょうな。

共産党員としては、「何があっても絶対反対とは最初から言っていない」の一点張りでしょう。あたかも「『絶対反対』と読み間違えるお前が悪い」と言わんばかりに。しかし、ここが共産党世界の特殊性というか、党員の精神年齢というかそういうものが如実に現れるところ。一般の大人社会であれば、よほど受け手が馬鹿でない限りは「真意が伝わらないような書き方・言い方をするほうが悪い」わけです。ましてや宣伝部署なんて「言葉」を商材にしているプロであり、さらに「前衛」はそもそも愚かな人民大衆を教化するのが役割であるはず。そんな「前衛党の宣伝部署」が「『絶対反対』と読み間違えるお前が悪い」と言わんばかりの自己中心的な反応をみせるとは、共産党の何たるかがよく現れていると思います。あんなもん、何処からどう見ても「絶対反対」にしか見えません・聞こえませんって。

もし東京オリンピックが何かの拍子で大コケしたら、共産党は今度は「一貫して反対してきました!」と言うんでしょう。かつて「(原子力エネルギーは慎重に扱わねばならぬが)反原子力は反科学」などといっていたのに、いまや「即時原発ゼロ(※ただし基礎研究は続ける)」と言っているように。「拉致事件は疑惑に過ぎない」と言っていたのに「最初に拉致問題を取り上げたのは我が党です!」と言っているように。当初(1946年)は憲法9条に反対していたのに、いまや「9条護憲の旗手」を演じているように。

もはや、共産党の病巣は「前衛意識」というよりも「自己無謬信仰」の塊のようにも思えてきました。「前衛意識」は、うまくいけば「面倒見のいい教師」に化けないこともありません。面倒見のいい教師は、生徒がいかに出来が悪くても、それを生徒のせいにすることは決してなく、むしろ自分の指導力のなさを責めるものです。では共産党が「自分の指導力のなさ」を責めたことがあったか。ほとんどの場合は「反共攻撃」のせいになり、ごくまれに反省したかと思っても、「党勢拡大大運動(=主義主張の押し売り)」です。

関連記事;チュチェ102年9月22日 2020年東京オリンピックと左翼――左翼を辞めた社民共産、革命的朝鮮総連
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2013年10月17日

無意識と事実の継ぎはぎ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131017-00000514-san-soci
>> 携帯操作で気付かず踏切進入?電車にはねられ男性死亡 東京・板橋

産経新聞 10月17日(木)9時15分配信

 16日午後8時10分ごろ、東京都板橋区大山東町の東武東上線大山駅近くの踏切で、40代とみられる男性が小川町発池袋行きの上り快速急行電車にはねられ、死亡した。男性が携帯電話を操作しながら歩いているのが目撃されており、警視庁板橋署は男性が遮断機が下りるのに気付かずに踏切内に進入したとみている。

 同署によると、現場の踏切は両側から遮断機が下りるタイプ。警報機が鳴り、遮断機が下りてきたが、男性は真ん中の隙間を通り抜けて踏切内に入ったとみられる。電車は大山駅を通過するため、速度が出ていたという。
<<
コメ欄。
>> ながらスマホ
法的な処罰を検討すべきでは!?
<<
最近のヤフーニュースのコメ欄は、記事の内容とは直接的には関係ない「連想ゲーム」のようなコメントが寄せられることが、かなり増えてきたので、あるいはこのコメントも、「携帯電話を操作しながら歩いているのが目撃されており」という報道記事からの連想で書き込まれたものかもしれません。じつは私も、最初にこのニュースを目にしたとき「ああ、スマホをいじっている人が遂に・・・」と思ったものです。つい最近はアメリカでスマホに熱中する余り、通り魔が近づいていることに気がつかず、犠牲になった人がいましたしね。

しかし、以下の記事によると、被害者はスマホユーザーではなかったとのこと。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20131017-00000029-fnn-soci
>> 踏切で電車にはねられ男性死亡 携帯に気を取られ進入か 板橋区

フジテレビ系(FNN) 10月17日(木)17時9分配信
 東京・板橋区で16日夜、携帯電話を操作しながら踏切内に入った男性が、電車にはねられて死亡した。警視庁は、男性が携帯電話に気を取られ、誤って踏切内に入ったとみて調べている。
 16日午後8時15分ごろ、板橋区大山東町の東武東上線・大山駅近くの踏切に、
(ブログ編集者の判断により実名部分はカット)が侵入し、電車にはねられて死亡した。
 警視庁によると、当時、踏切は遮断機が下りて、警報機が鳴っていたが、
(ブログ編集者の判断により実名部分はカット)さんは、携帯電話を操作しながら、遮断機の間を通って踏切内に入ったという。
 
(ブログ編集者の判断により実名部分はカット)さんの携帯電話は、スマートフォンではなかったが、警視庁は、携帯操作に気を取られ、誤って踏切内に入った可能性があるとみて調べている。 <<
自戒もこめてなんですが、どうして被害者がスマホユーザーだと思い込んだんでしょうね? それだけ日ごろからスマホユーザーの傍若無人っぷりに対する不満が募っているのかもしれません。少なくとも私はそうですww

日常のちょっとした不満や出来事の積み重ねが、あるとき妙な結合を起こし、都合の良い事実の断片を取り上げて「そうだ、そうに違いない!」という勘違いを起こすんでしょうね。無意識と事実の継ぎはぎとの結合、おそろしいことです。
posted by s19171107 at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月15日

革命的誰得

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131012/k10015233931000.html
>> 共産「ブラック企業」対策の法案提出へ
10月12日 5時19分

共産党は、極端に離職率が高いなど、いわゆるブラック企業への対策として、サービス残業が明らかになった場合、規定の2倍の残業代の支払いを企業側に義務づけるなどとした法案を取りまとめ、来週召集される臨時国会に提出する方針です。

共産党は、極端に離職率が高いなど苦情や相談が多く、若者の使い捨てが疑われる企業への対策を盛り込んだ「ブラック企業規制法案」を取りまとめました。

それによりますと、企業側に労働環境の改善を促すため、▽年間の残業時間の上限を360時間とし、▽サービス残業が明らかになった場合、規定の2倍の残業代を従業員に支払うことを義務づけるほか、▽終業から始業まで連続11時間以上の休息時間を保障するとしています。

さらに離職率が高いかどうか、求職者が事前に分かるよう、採用者数と退職者数を企業に公表させるとしています。

共産党は、先の参議院選挙で党所属の参議院議員が11人となり、党単独で法案を提出できるようになったことから、来週15日に召集される臨時国会にこの法案を提出し、ほかの政党にも協力を呼びかけて成立を図りたいとしています。
<<
まず、成立するはずがありませんし、もし仮に何かの拍子で成立したとしても、「年間の残業時間の上限を360時間」を墨守するとすれば、雇用は増えたとしても一人頭の賃金は減るでしょうね。分母が増えるんですから。デメリットの方が大きいように思います。

もっとも、日本共産党の言っていることは、この件に限らず、以前から個人的体験談含めて繰り返し指摘しているように、要するに「うるさい! オレの言うとおりにしろ!」ですから、何を言っても余り意味はないんですけどね。特に彼らによると、経済分野には「巨悪」なる存在がいるそうで、そうした存在が一国の経済を意識的に牛耳っているそうですから、そうした命令口調は一層強くなります。実際には、相互作用的な諸力の合成で経済は成り立っているわけで、「巨悪」なる存在を除去すればよいといった簡単な話ではないんですけどね。

すくなくとも、百歩譲って「巨悪」なる存在がいたとしても、それはたぶん日本資本ではないと思います。インターナショナリズムにのっとった階級闘争が必要なはずですが、ご存知のとおり、日本共産党はいまどき珍しい一国社会主義政党です。TPP反対運動なんて、むしろそのまま国際共産主義運動に転化するくらいの気迫が大切でしょうに、単なる保護主義に終始している無様さ。まことに情けない。毛沢東・キムイルソンを読もうぜ!

それはさておき、話を戻すと、他の部分はまだしも(離職率情報とかは面白いと思いますよ)、やはり「年間の残業時間の上限を360時間」については、当の労働者自身が心配するでしょうし、嫌がるでしょうね。冒頭でも述べたように、おそらく一人頭の賃金が減るのが帰結でしょうし、それ以前の問題として残業できなくなるわけですから、残業代込みで生活設計している労働者の反発は少なくないでしょう。

大方、「基本給をあげればいいんだ」とか「企業は社会的責(ry」といった「反論」が用意されているんでしょうけれども、いままで数時間の時間外労働(労働力提供)の対価として得ていた賃金をタダで得られるようになるわけですから、そんな怪しい話はありません。もし、勤労人民大衆を納得させるカタチ、つまり持続可能な形で行うとすれば、生産性アップが必要でしょう。しかし、ココこそが日本共産党の政策において決定的に甘い(まったく考慮されていないとは言いませんよ)ところであり、原始的なケインズ主義のレベルから脱しきれないポイントです。なお、日本共産党お得意の「内部留保の活用」については、以前から述べているように、「ストックの切り崩し」に過ぎないわけですから、今度は消費活動が大いに鈍ると思われます。残業代は恒常的に入ってくると期待できるフローですから、消費活動の主たる原資になりえます(また来月入ってくると期待できれば、その範囲内は支出しようと思う)が、内部留保の活用は要するに「貯金の切り崩し」ですから、いつか枯れ果てる。「これが尽きれば、次はいつになるか分からない」と思えば、おのずと財布の紐は固くなるものです。

なお、仮に年々の生産から得られるフローをダイレクトに狙うとすれば、これは「内部留保活用論」なんかより遥かにマトモだと思いますが、全世界規模の階級闘争を視野に入れる必要性が出てきます。しかし、既に述べたように、いまどき珍しい一国社会主義政党の日本共産党にそんなことができるでしょうか?

まあ、生産性アップのプランはそう簡単に出てくるものではないので仕方ないといえば仕方ないのですが、一国社会主義政党の日本共産党としては、そうなると必然的に「ストックの切り崩し」路線になる。しかしそれは勤労人民大衆の目にどう映るでしょうか? 誰得感が漂う政策です。
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2013年10月10日

チュチェ思想と自由主義

今日は朝鮮労働党(조선로동당/チョソン ロドンダン)創建記念日です!

ちなみに以前、「ピョンヤン語とソウル語の違いを時機を見計らって触れる」といいましたので少しだけ触れますと、労働党(로동당)という単語も北南で差異があります。ピョンヤン語では로동당(ロドンダン)、ソウル語では노동당(ノドンダン)です。いわゆる「頭音法則」で、これは比較的有名な知識だと思います(あまり偉そうに講釈たれるのが恥ずかしいくらいの知識)。もっとも、朝鮮中央テレビを見ていると「チョソン ノドンダン」って聞こえるんてすけどねwww

共和国の弾道ミサイルに「ノドン(蘆洞)ミサイル」と呼ばれるものがありますが、「蘆洞」と「労働」がソウル語では同音であるがゆえに、「蘆洞ミサイル」のことを「労働ミサイル」と書く韓国人が時々いますが、誤りです。ピョンヤン語では「労働」は「ロドン」であり、「ノドン」とはしません。だいたい、「ノドンミサイル」は西側がつけたコードネーム(ソ連攻撃機Yak38のことを"Forger"と呼ぶのと同じ。さすがに自国攻撃機に"Forger"は命名しないよなw)ですし。

それはさておき、本題に移りましょう。

http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2013/10/post-739.php
池田氏の主張内容については、「第10段落(最後から一つ前の段落)の主張は、実際には簡単には行かないだろうなあ」とだけ述べておこうと思います。ただし、派遣労働の規制緩和・雇用形態の多様化については、失業時生活保障や再雇用斡旋といった社会政策と完全にワンセットで実行されるのであれば、これはアリだと思います。いわゆるフレキシキュリティのことです。もちろん問題点がないとは言いませんが、日本よりはマシでしょう。

それよりも私が注目したのは、第8段落。「供給をいくらコントロールしても、需要はコントロールできない。これが社会主義の失敗した理由である」。まったくそのとおりだと思います。そして、さらに突っ込んで述べるとすれば、「消費者の需要(主体としての人民大衆の必要)が供給を生み出す」。チュチェ的な見解です。

チュチェ思想は人間中心の世界観ですが、なぜ人間を中心に据えているかといえば、人間が自主性・創造性・意識性をもつ社会的な存在であるがゆえに、換言すれば、人間は自主的な要求をもち、そしてその要求を単なる観念で終わらせるのではなく、現実のものにすることができる創造的能力をもっているがゆえに、物質世界の諸運動を解明する上で注目に値する存在になるからです。なお、自主的要求と創造的能力は、人間が意識をもつことに裏打ちされています。「意識」というと、頭の固いマルクス主義者はすぐに「観念論だ!」と騒ぎ出すでしょうが、チュチェ思想における意識は、「物質としての脳の作用」という定義であり、それは外部(自然と社会)からの刺激に対する反応であるという唯物論的な定義になっています。

もちろん人間も動物であり、自然の被造物なのですから、全てが思い通りに創造してゆけるわけではないでしょう。いくら「死にたくない」と思っても、死を克服すること、死者を復活させることは永遠にできないと思います。その点においては、主体としての人民大衆の必要は、客観的条件の影響から完全に脱することはできません。しかし、人間の創造的能力が向上するにしたがって、可能な範囲も広がり、主体の側から客体の側に作用し返す場面も増えてゆくでしょう。また、人間の創造的能力が向上した結果として、自主的要求が刺激され、そうした要求が増大・多様化してゆくことでしょう。つまり、次第に「客観的条件をどのように凌いでゆくか」という動物的・受動的な発想から、「客観的条件をスタートラインとして、どのようにやりたいことを実現してゆくか」という人間的・主動的発想が動機となるケースも増えてくるのです。客観的条件の圧倒的な影響下で形成されていった主体的要求が、次第に主体的要求の実現のために客観的条件を改造してゆくという相互作用の段階に移行してゆくのです。

人間は自主的要求と創造的能力、そして物質としての脳の作用である意識をもつがゆえに、自らの要求にしたがって創造的能力を発揮し、外部世界を改造し、必要なものを生み出してゆく、そしてその結果として人間は自主的要求が更に進化・発展し、自主的要求を実現させるために創造的能力を更に発揮させてゆく――そうしたチュチェの人間観・世界観は、経済の分野においては、つまるところ「消費者の需要(人民大衆の必要)が供給を生み出す」という結論に向かってゆくと思われます。生産力の発展、すなわち人間の創造的能力の結晶の発展は、消費者の選択肢を豊かにし、選択の自由の幅を広げています。そうした状況に刺激を受ける形で、消費者の需要は増大し多様化しています。それがますます進化・発展してゆき、消費者の選択肢を客観的に規制する側面が強かった生産力が、選択肢を増やすために主体的に利用されるという側面を強くしてゆくと考えられるのです。

ここからは私の考えであり、本家の正統派チュチェ思想の見解とは異なる(と思う)のですが、それはまさに「社会主義の失敗した理由」に行き着くのではないか。おそらく池田氏がこの文脈でいう社会主義とは、統制経済・計画経済のことを指していると思います。池田氏の『ハイエク 知識社会の自由主義 』(PHP新書)を以前読んだことがありますが、だいたいそんなようなことが書いてありました。私もそう思います。人間の情報集計能力が、計画経済を実現できる程度にまで現実として発展すればいいのですが、それはさすがに困難なレベルだと思います。すくなくとも、近い将来にそうなる展望は見えておらず、計画経済は空想の段階を脱していないのが現状でしょう。

もちろん、人間は単なる自主性・創造性・意識性をもつ存在ではなく、自主性・創造性・意識性をもつ社会的な存在です。チュチェ思想における「社会的存在」は、マルクス主義的な意味ではなく、「社会的関係性をもって生存・発展してゆく」といった意味あいです。チュチェ研の尾上健一氏はかつて、そうした面を強調し、人間の特徴として自主性・創造性・意識性に加えて集団性を加えて説明していました。私もそう思います。その点、ハイエク主義(って言うのかな?)的な自由主義を100パーセント支持するつもりもありません。しかし、少なくとも「社会主義の失敗した理由」に対するハイエクの説明、これには一理あるのでは無いかと思うのです。

当ブログでは以前から、チュチェ思想と自由主義がごっちゃになりつつ、ときどきユーゴスラビアまで出てきた挙句に結論として社会主義的市場主義支持(ただし中共政権のは羊頭狗肉)といった、傍から見れば支離滅裂な主張を繰り返してきました。このブログは元々、すでに確立した考えを主張するものではなく、考えながら書いていくものですので、ある程度の「支離滅裂」さは許容していただきたいのですが、それにしても書いている自分でも「支離滅裂だなあ」と思うことがあるくらいのシロモノですwwしかし、既に述べたように、いろいろと摘み食いしているとこういう結論になると思うのです。

チュチェ思想と自由主義の接合――いままでも、これからも「変人の暇つぶし」程度の認識でお読みいただければと思います。朝鮮半島情勢については純粋に関心があるので、今後も折に触れてご紹介してゆきますが、本家の正統派チュチェ思想の見解と、私の「反革命的修正」は区別できるように留意して書き進めてゆく所存です。ちなみに「供給をいくらコントロールしても、需要はコントロールできない」という池田氏の言葉はまったくそのとおりだと思うのですが、この話題に関しては、需要を無視して供給してゆきますwwwwブログ執筆は商売ではないので良いのです! 過剰生産しても恐慌にはならないのです!!

ちなみに私はチュチェ研や総連には補足されていないし、される予定も無いし、たぶんチュチェ研や総連も包摂してくれない(笑)、全く自生的かつ勝手に色々と解釈をしているケシカラン輩ですw通報はしないでくださいw

とまあ、朝鮮労働党創建記念日に何を書いているんでしょうね、私は。
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2013年10月07日

チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ

あいかわらず無慈悲シリーズのラインナップを充実させている朝鮮民主主義人民共和国(以下、共和国)ですが、静かに進行しつつある経済改革措置が注目され始めました。本日発売の『週刊東洋経済』では、「金正恩の経済学」という特集記事が第2特集として掲載されています。

当該記事をものすごーく雑に、見出し単位でまとめると・・・
・安定した生活を営める水準に回復しつつあり、人々表情も明るくなりつつある。
・まだ実態がつかめない部分は少なくないが、経済発展には原資が必要であり、開放は既に始まっているといえる。
・現場権限を拡大が進みつつあるが、その背景には、すべての工場・企業所の国家管理ができなくなってきたことがある。
・今後の方向性として、石炭、金属、電力、鉄道輸送、農業、軽工業に注力する。
・こうした政策を支える理念として、「自国の地に足を据え、目は世界に向ける」がある。前者は先代までの継承、後者は新しい時代を象徴している。「理念の開放」の準備は整っているといえる。
・核武装が完了したので経済に力を注げるようになった。逆に言えば、アメリカから体制の保障がなされない限り、核の放棄はない。
・実は昨年から既に経済改革は進んでいたのだ。
・果たして圧力一辺倒で何か我々(西側諸国)は得たものがあっただろうか?
・ちなみに、北朝鮮のミサイル開発には既に日本の技術力がふんだんに利用されています^^ 京浜工業地帯の失業した熟練工のおかげ!^^
...といった内容でした。

さらに詳しくは書店でお買い求めいただきたいと思いますが、良くも悪くも「いろいろな経緯」があるビナロンや、本当にそんなものができたのか親朝派の私でも怪しいと思っているチュチェ鉄を留保無く載せているあたり、いままで散々バッシングに明け暮れてきた日本メディアにしては、なんだか気味が悪い転向劇でした。

それはさておき、今回の経済改革措置については、いろいろ注目すべき点はあると思います。読者によっては「自国の地に足を据え、目は世界に向ける」の「開放政策の理念」に目が行くかもしれません。それも大切でしょう。しかし私としては、「純粋計画経済」の看板を最後まで掲げてきた共和国(もちろん、実際には内実は伴っていなかったと思います)にあっては、「現場権限の拡大」がもっとも注目に値するものだと思います。今回のブログ記事では、『東洋経済』『朝鮮新報』そして『東亜日報』(&産経新聞)の報道をまとめて記録しておきたいと思います。

まず『東洋経済』の特集記事について。この記事では、「すべての工場・企業所の国家管理ができなくなってきた」ことが、国家統制を弱め現場権限を拡大する理由の一つであるとしています。「やっと気がつきましたか・・・」といったところですが、いまからでも遅くはないと思います。『東洋経済』が報じた経済改革措置のこの側面は、「経済社会の管理技術的側面による改革理由」であるといえると思います。

朝鮮総連機関紙『朝鮮新報』チュチェ102(2013)年5月17日づけでは、以下のように報じられています。
http://chosonsinbo.com/jp/2013/05/0517th/
>> 内閣事務局のキム・ギチョル副部長は、「経済管理方法を改善するうえで、われわれが堅持していることは、第1に社会主義原則を徹底的に守ることであり、第2に国の統一的指導の下ですべての経済活動を行うことだ。集団主義に基づいて工場、企業所に責任と権限を与え、彼らが主人としての立場で働ける方法を模索している」と語る。 <<
ここでは、「国の統一的指導」や「集団主義」という角度から、今回の改革措置を見ています。「国の統一的指導」や「集団主義」は、ある種の「懸念材料」であるとも言えますが、「集団主義に基づいて工場、企業所に責任と権限を与え、彼らが主人としての立場で働ける方法を模索している」というのは、まさにチュチェ思想的な見解だと思います。

私の浅知恵・思いつきと比較するのは余りにも、おこがましい話ではありますが、「自主管理」というとユーゴスラビア的に聞こえて語弊があるかもしれませんが、「工場や企業所の現場が権限を持つこと、これは果たして反チュチェ思想的なのか、そうしたあり方もまたチュチェ思想的であると言えるのではないか」とか「首領の領導や党の領導がチュチェ思想の命というのはそのとおりだが、政治宣伝のなかでも首領・党は人民大衆の中に入り込み、人民大衆と共に考えて有機的・一体的に行動すると描かれているではないか」と長く思ってきました。 

当ブログではしばしば、チュチェ思想派を名乗りながらも経済の分権化・自由化を力説するという、傍から見れば支離滅裂なことを述べてまいりました(たとえば、6月17日づけ『「子供の視点」は「子供の視点」なのか』は、書き始め時にはチュチェ思想に基づいて書く予定では無かったのですが、書いているうちにどんどんと「わたしの かんがえた チュチェしそう ふうみの しじょうけいざい」が鮮明になり、結果的にかなり色濃く現れたなと自分でも驚いていますw)が、そうした思いによる部分が大でした。そんな私としては、このままこの方向で改革が進むことを切に願っています。

『朝鮮新報』が報じた経済改革措置のこの側面は、「経済社会のイデオロギー的側面による改革理由」であると言えると思います。そして、特に共和国にあっては、イデオロギー的正当性が最も重要な要素です。

そうした背景を認識した上で、前回ご紹介した東亜日報の報道記事の記事を読み返すと、既に述べた「技術的・イデオロギー的な事情」から、共和国において何らかの変革が起こる確からしさは増大するものの、東亜日報の報道記事から感じさせられるレベルの変革が一挙に起こるわけではなさそうだなということが分かります。

今後も、チュチェの市場経済・ウリ式市場経済の動向をじっくりと情勢を観察してゆきたいと思います。
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2013年10月01日

ウリ式市場経済

ついにこの日が・・・!
http://sankei.jp.msn.com/world/news/131001/kor13100112050004-n1.htm
>> 北朝鮮、独立採算制の拡大準備か 韓国紙「市場経済へかじ」と分析
2013.10.1 12:01 [韓国]

 韓国紙、東亜日報は1日、北朝鮮が来年1月から、全国の工場などで独立採算制を導入する計画を立て、首都平壌や近郊の工場などの責任者を集め新制度についての集中的な教育を行っていると伝えた。消息筋の話としている。

 新制度は「経済管理改善体系」と呼ばれ、工場などの責任者に生産や販売計画にとどまらず、経営方針や雇用にもほぼ完全な裁量権を与え、海外輸出も責任者の決定で行えるようにするという。同紙は、北朝鮮が事実上、市場経済にかじを切る動きだと分析している。

 北朝鮮では、金正恩第1書記が昨年6月28日に、農業分野を中心とする段階的な経済改革措置を取るよう指示している。昨年8月からは一部企業で独立採算制が試験的に導入されているとの報道もある。(共同)
<<
東亜日報の拙訳も記録しておきます。
http://news.donga.com/Main/3/all/20131001/57932525/1
>> [単独] 北 「計画経済 → 市場経済」 方向転換推進

記事入力 2013-10-01 03:00:00 記事修正 2013-10-01 10:20:55

消息筋 「来年1月 すべての企業が自立経営」
工場300箇所 試験運営 成功と判断… 雇用・輸出まで企業に任せる
専門家 「北朝鮮式市場経済の第一歩」

北朝鮮が、工場と企業所の自律性全面的に保障する大々的な改革を推進している。来年から実施される今回の改革は、生産と販売、経営と雇用は勿論のこと、海外輸出までも全ての企業所と工場の責任者が決定できるように自律権を与えるものであり、北朝鮮が事実上、「計画経済」から「市場経済」へと方向を転回する「北朝鮮政権の発足後、もっとも画期的な経済改革」になると見られる。専門家は、北朝鮮の今回の措置は、1978年に中国の改革開放に次ぐマイルストーンになるだろうと見ている。

30日、北朝鮮消息筋によると、北朝鮮は最近、ピョンヤンで工場と企業所の責任者と財務責任者を対象に、新しい「経済管理改善体系」(以下、新経済体系)に対する集中教育を受けさせているとのことだ。教育は中央から始まり、今後、道・市・郡単位へと展開されていく予定だ。今回の措置は、来年1月から全面的に導入されることが知らされた。

新経済体系の核心は、国家機関と軍需産業を除外し、北朝鮮のすべての工場と企業所に経営の自律性を100パーセントに近く付与することにある。

まず、原料と資材の仕入れと生産、製品の販売価格を国家の承認なく工場と企業所が自律的に決定できる。また、生産品目に対する決定権を生産単位に付与し、企業の業種転換が可能になった。生産工程を新設することも許容される。「労働力管理」の自律化も、今回の改革の核心内容だ。工場と企業所が自主的に不必要に人員を削減し、新しい労働力を補充することができるようになった。社会主義国家において、もっとも重要な雇用と解雇を企業が決定できるようになったのだ。現在は、労働局(労働部)の承認を必ず受けなければならない。労賃も企業所が直接決定でき、インセンティブは勿論のこと、生産督励のための労賃差別化が全面的に可能になった。さらに、すべての工場と企業所に「内貨口座」と共に「外貨口座」開設も許可した。企業が独自に輸出入を決定し、海外投資を誘致することもできるのだ。

チョ・ボンヒョン企業銀行経済研究所北朝鮮経済チーム長は、「今回の措置は北朝鮮の歴史上、もっとも画期的な経済改革」だとし、「北朝鮮が計画経済を放棄し、市場経済を変形させた「我々式市場経済」へと進むための第一歩になると見ることが出来る」と分析した。

北朝鮮は、昨年6月28日の経済管理改善措置の開始以降、昨年8月から全国の優秀な工場300余箇所に完全独立採算制を導入し、1年間試験運用してきた。新経済体系は、試験運用を通してこのような措置が成功であると評価した結果であり、より拡大された改革措置を北朝鮮全域で施行するために最終決定されたことによるものであるとのことだ。

チュ・ソンハ記者
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思い起こせば、朝鮮総連系雑誌『セセデ(새세대)』のチュチェ101(2012)年12月号に掲載されたチュチェ思想特集では、「市場経済においては、需給法則は法則であり、それに従うことは一概に非難できるものではない。しかし、チュチェ思想の集団観・社会観を起点として考えれば、それを補完する非市場的役割は重要であり当然だ」といった主旨(うろおぼえ)の記事がありました。私も同感でした。「早く共和国も、そういう意味での社会主義国にならないかな」と思ってから半年でこのニュースに接することが出来たのは、喜ばしいことです。

とはいっても、いくらなんでも急展開すぎて、「そうであってほしい」と思いつつも、俄かには信じがたい内容であることも確かです。まあ、文化大革命終結の2年後に改革開放をはじめた中共政権の前例は、今回の共和国の改善措置以上に急展開でしたから、そうした前例がある以上は、まったくあり得ない話ではないとは思いますが。。。うーむ。

東亜日報の記事について少し考えてみましょう。同記事は「北朝鮮の今回の措置は、1978年に中国の改革開放に次ぐマイルストーンになるだろうと見ている」とし、今回の共和国の改善措置を中共政権の改革開放に次ぐものと評価しています。しかし、中共政権と共和国は事情がことなると思われます。共和国は正真正銘の分断国家ですが、中共政権は事実上の単独国家という点において大きく違うからです。

分断国家は、分断理由(イデオロギー的原則)が国家の存在理由です。東ドイツは社会主義の看板が朽ち落ちた瞬間に存在理由を失い、あらゆる面で優越していたライバルの西ドイツに吸収されて消滅しました。この事情は、共和国も同様です。対して単独国家はそれほどイデオロギー的原則に厳しい必要はありません。競合する相手が居ないからです。

今回の記事だけ見ると、どの点において「社会主義」が残るのか、いまひとつ分かりません。「国家の存在理由」を維持することは国家にとって死活的に重要です。それゆえ、あるいは今後、そうした論点から「揺り戻し」があるも知れません。

しかし、共和国の場合は東ドイツの場合とことなり、幸運な事情があります。東ドイツの場合、競合していた西ドイツは、きわめてマトモな市場主義国家であり、東ドイツは勝てる要素が全くといって良いほどありませんでした。しかし、共和国の場合、競合する南朝鮮政権は、いびつな市場主義国家です。「我々式市場経済」が南朝鮮の混沌とした市場よりも高いパフォーマンスを誇る可能性は無いとは言えないと思います。

まあ、まだ始まっても居ない話ですから、あまり論評しても意味が無いので、このくらいにしておきますが、今後も動向を注視したいところです。
posted by s19171107 at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする