http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu240/sokuho/kaihyo_data_10.html
西成区以外の市内全区で維新系候補が多数、西成区でも差は僅かでした。
半年前の「大阪都構想」否決のとき、維新シンパの負け惜しみの中に「大阪の南北格差」という論点があり、そのなかで「貧乏人たちがその日暮らしを選んだ!」などという罵倒がありました。典型的なのが、下記にて引用する古谷経衡市氏の「「大阪都構想住民投票」で浮き彫りになった大阪の「南北格差問題」」でした。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150518-00045813/
>> (前略)まずはじめに断っておきますが、そもそも今回の市長選挙は、大阪都構想の賛否とは直接的には関係ないことは十分に承知しています。昨日の記事でも書いたとおり、「リーダーは維新系しかあり得ないけど、大阪都には反対」という層はいるでしょう。「民主党政権はあり得ないけど、自民党の政策だったら何でもマンセーではない」と同じことです。でも、維新シンパは同じことだと思っているみたいなんで、ここは敢えて彼らの土俵に乗りましょうw ぜーんぜん性質の違う選挙結果を単純に比較しちゃうところ、ますます共産党っぽくて嫌(←詳細は筆坂秀世氏『日本共産党』参照)ですねえ・・・
・改革を拒否した低所得地域
大阪都構想は、大阪市を排して大阪都を置き、市と府の二重行政を一挙に解消して合理化を図ろうという大胆な構想であった。その実効性を巡っては百花繚乱の議論状況を呈していたし、冒頭から繰り返すように私は大阪府民ではないので、この「都構想」の実際の予想効果の判定については、ここで敢えて評価する立場にない。
しかし、一般的には、所得の高い地域の層、つまり比較的生活に余裕のある層は、橋下氏の訴えたような改革的な風潮に一抹の心地よさを感じたことであろう。一方、所得の低い地域の層、つまり生活に余裕の無い層は、実際的な「都構想」の実効性はともかく、何事にも「急進的改革」には拒否反応を示すのは、古今東西の歴史が示すとおりである。
1959年にキューバで「キューバ革命」に成功し、親米独裁のバティスタ政権を打倒したチェ・ゲバラは、次なる革命を「輸出」すべく南米ボリビアで革命運動を行ったことは良く知られている。しかしゲバラは、現地の農民が僅かのばかりのカネで政府軍に買収され、その居場所を密告されたため捕らえられ、ボリビアで処刑され没した。
なぜゲバラはキューバでは成功して、ボリビアでは失敗したのだろうか。それは巨視的にはボリビア人民が貧しすぎて改革を拒否したからである。スティーブン・ソダーバーグ監督の映画『チェ・39歳別れの手紙』(2008年)では、その時の模様が克明に再現されている。
貧しさに耐えかね、その日の日銭もままならない、キューバよりも圧倒的に後進的だったボリビアでは、革命や改革の機運は起こらなかった。人民は貧しさの中、遠大で崇高な目標よりも、その日の晩飯を喰らう日銭を重視したのである。貧しすぎると人々は却って保守的になり、革命や改革は起こらない。フランス革命やロシア革命の主導層が、貧困に苦しむ農奴や都市労働者ではなく、中産階級のインテリであった事と似ている。このことは言葉を慎重に選ばなければならないが、まさに「皮肉」という他ない。
(以下略)<<
さて、今回の市長選挙と大阪都構想の賛否が直接リンクするものと仮定して、今回の市長選挙結果を評価するとき、「南北格差」論はどういう風に整合性をとるのでしょうか? 「貧乏人が報道をうけて自発的に革命精神に目覚めた」? 「維新の会が、毛沢東大衆主義路線に立って、人民の中に入って行って教育した」? あるいは、頬かむり?
ちなみに、「南北格差」論と並ぶ負け惜しみの一つだった「シルバー民主主義にしてやられた」は、データから否定されているようです。
http://www.asahi.com/articles/ASH7K6FXFH7KPTIL03F.html
>> 大阪の住民投票、実は30〜40代多数 シルバー上回るそもそも、地域格差や世代間格差があったとしても、それがそのまま何らかの政治行動の原動力になるとは限りません。なぜならば、世代要素は、生まれて60年たてば誰もが等しく「60代」になるんですから本人の思想意識とは無関係であるし、居住地域要素についても、必ずしも本人の意志で完全に自由に決められる事柄ではなく、また住んでいる地域によって思想意識に差異が出るほど日本は「階級」化していないからです。
南彰
2015年7月17日21時04分
5月にあった大阪都構想の住民投票では、30〜40代の投票者が計48万5579人で、65歳以上の高齢者の46万2403人を上回っていたことがわかった。報道各社の出口調査では、都構想反対の割合が高齢者層で高く、若い世代にツケを回しがちな「シルバーデモクラシー(高齢者の民主主義)」との見方も出たが、そう単純ではなさそうだ。
大阪市選挙管理委員会が17日に発表した、年代別の投票行動分析で判明した。
住民投票の投票率は66・83%。橋下徹市長と平松邦夫前市長が都構想の是非で争った2011年の市長選を、5・91ポイント上回った。
全投票者が対象のため、約5%のサンプル調査だった11年市長選と単純比較はできないが、年代別で投票率が最も伸びたのは40代の9・17ポイント増(今回68・64%)で、30代が8・15ポイント増(同60・93%)。50代は7・81ポイント増(同74・66%)、20代が7・69ポイント増(同45・18%)と続く。70代は1・42ポイント増(同78・53%)、80代以上は1・7ポイント増(同55・26%)だった。 <<
ちなみに、所得要素については、前掲の古谷氏言説中にも「フランス革命やロシア革命の主導層が、貧困に苦しむ農奴や都市労働者ではなく、中産階級のインテリであった事と似ている」とあるとおり、改革の行動とは必ずしもリンクしないでしょう。また、現体制の成功者は別に大阪なんかには興味ないと思いますよ。
世代要素や居住地域要素のような、当人の思想意識とは独立的な要素を切り出し、かなり大雑把にグループ化するところ、かつての「階級論」と類似した思考回路が見て取れます。20世紀を通して明確になったとおり、労働者階級・資本家階級だからといって決して一枚岩ではありません。階級は好きでやっているわけではなく、色々な事情の結果としてそういった立場に置かされているがゆえのグループ分け、それもかなり大雑把なグループ分けだからです。いまや階級分析は、少なくとも大幅な刷新は避けられない古めかしいツールとなっており、生命力が減じています。そんなツールと瓜二つの発想で大阪を分析する維新シンパ。本人たちは、自分たちの方法論が、共産主義者が身を以ってその不十分さを実証した方法論であることに気がついているのでしょうか? 社会は階級で分析できるほど単層的で単純なものではありませんよ。
ちなみに、もしそれでも階級的に分析したいのならば、「公明党が自主投票にしたことが自民党にとって誤算だった」という要素があるかもしれません。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151123-00000044-san-pol
>> (前略)公明党というのも、支持者(というか学会員)二世・三世が引き続き支持し続けている点、必ずしも完全な自由意志にもとづく政治勢力とは言いがたいかもしれません(いわゆる創価学会・公明党=カルト論ですね)。しかし、世代要素や居住地域要素よりはよっぽど意味のある政治行動要素です。「大阪新市長は創価学会・公明党の宗教票が大きく作用した当選した!」
◆動かなかった公明
ただ、誤算が生じる。公明党が選挙戦直前の2日、自主投票を決めたのだ。
自民党側は「維新弱体化の決定的チャンス」(党幹部)として、何度も公明党と、その支持母体の創価学会に支援を要請してきた。しかし公明側は表だった支援を見送った。大阪に強い支持基盤を持つだけに、来年夏の参院選をにらんで、大阪維新の会との全面衝突を避けたかったようだ。
実際、斉藤鉄夫選対委員長は22日夜、「新知事、新市長が『対立から統合』に向け、リーダーシップを発揮されることを期待する」とそっけなくコメントした。
自民党執行部は公明党の姿勢に憤りを募らせた。
「なぜ公明の多くに維新支持が広がっているんだ」
(後略) <<
大阪都が成立するか、大阪の二重行政がどうなるかというのは、正直私はそんなに関心はありません(私には関係の無いことですから)。ただひたすらに、その思考回路と政治手法、現代に復活したマルクス・レーニン主義的思考と文化大革命路線。そして、それが全国区の勢いになろうとしている現実(大阪府内で留まるなら好きにやってもらっていいんですがね、こっちには来ないで 文革を輸出しないで)。これに強い懸念をもつのです。