2015年11月23日

西成区以外全てを維新系候補者が制す! 「大阪の南北格差」論は何処へ?

大阪市選挙管理委員会発表の、大阪市長選挙結果が出ました。
http://www.city.osaka.lg.jp/contents/wdu240/sokuho/kaihyo_data_10.html
西成区以外の市内全区で維新系候補が多数、西成区でも差は僅かでした。

半年前の「大阪都構想」否決のとき、維新シンパの負け惜しみの中に「大阪の南北格差」という論点があり、そのなかで「貧乏人たちがその日暮らしを選んだ!」などという罵倒がありました。典型的なのが、下記にて引用する古谷経衡市氏の「「大阪都構想住民投票」で浮き彫りになった大阪の「南北格差問題」」でした。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/furuyatsunehira/20150518-00045813/
>> (前略)

・改革を拒否した低所得地域

大阪都構想は、大阪市を排して大阪都を置き、市と府の二重行政を一挙に解消して合理化を図ろうという大胆な構想であった。その実効性を巡っては百花繚乱の議論状況を呈していたし、冒頭から繰り返すように私は大阪府民ではないので、この「都構想」の実際の予想効果の判定については、ここで敢えて評価する立場にない。

しかし、一般的には、所得の高い地域の層、つまり比較的生活に余裕のある層は、橋下氏の訴えたような改革的な風潮に一抹の心地よさを感じたことであろう。一方、所得の低い地域の層、つまり生活に余裕の無い層は、実際的な「都構想」の実効性はともかく、何事にも「急進的改革」には拒否反応を示すのは、古今東西の歴史が示すとおりである。

1959年にキューバで「キューバ革命」に成功し、親米独裁のバティスタ政権を打倒したチェ・ゲバラは、次なる革命を「輸出」すべく南米ボリビアで革命運動を行ったことは良く知られている。しかしゲバラは、現地の農民が僅かのばかりのカネで政府軍に買収され、その居場所を密告されたため捕らえられ、ボリビアで処刑され没した。

なぜゲバラはキューバでは成功して、ボリビアでは失敗したのだろうか。それは巨視的にはボリビア人民が貧しすぎて改革を拒否したからである。スティーブン・ソダーバーグ監督の映画『チェ・39歳別れの手紙』(2008年)では、その時の模様が克明に再現されている。

貧しさに耐えかね、その日の日銭もままならない、キューバよりも圧倒的に後進的だったボリビアでは、革命や改革の機運は起こらなかった。人民は貧しさの中、遠大で崇高な目標よりも、その日の晩飯を喰らう日銭を重視したのである。貧しすぎると人々は却って保守的になり、革命や改革は起こらない。フランス革命やロシア革命の主導層が、貧困に苦しむ農奴や都市労働者ではなく、中産階級のインテリであった事と似ている。このことは言葉を慎重に選ばなければならないが、まさに「皮肉」という他ない。


(以下略)<<
まずはじめに断っておきますが、そもそも今回の市長選挙は、大阪都構想の賛否とは直接的には関係ないことは十分に承知しています。昨日の記事でも書いたとおり、「リーダーは維新系しかあり得ないけど、大阪都には反対」という層はいるでしょう。「民主党政権はあり得ないけど、自民党の政策だったら何でもマンセーではない」と同じことです。でも、維新シンパは同じことだと思っているみたいなんで、ここは敢えて彼らの土俵に乗りましょうw ぜーんぜん性質の違う選挙結果を単純に比較しちゃうところ、ますます共産党っぽくて嫌(←詳細は筆坂秀世氏『日本共産党』参照)ですねえ・・・

さて、今回の市長選挙と大阪都構想の賛否が直接リンクするものと仮定して、今回の市長選挙結果を評価するとき、「南北格差」論はどういう風に整合性をとるのでしょうか? 「貧乏人が報道をうけて自発的に革命精神に目覚めた」? 「維新の会が、毛沢東大衆主義路線に立って、人民の中に入って行って教育した」? あるいは、頬かむり?

ちなみに、「南北格差」論と並ぶ負け惜しみの一つだった「シルバー民主主義にしてやられた」は、データから否定されているようです。
http://www.asahi.com/articles/ASH7K6FXFH7KPTIL03F.html
>> 大阪の住民投票、実は30〜40代多数 シルバー上回る
南彰
2015年7月17日21時04分

 5月にあった大阪都構想の住民投票では、30〜40代の投票者が計48万5579人で、65歳以上の高齢者の46万2403人を上回っていたことがわかった。報道各社の出口調査では、都構想反対の割合が高齢者層で高く、若い世代にツケを回しがちな「シルバーデモクラシー(高齢者の民主主義)」との見方も出たが、そう単純ではなさそうだ。

 大阪市選挙管理委員会が17日に発表した、年代別の投票行動分析で判明した。

 住民投票の投票率は66・83%。橋下徹市長と平松邦夫前市長が都構想の是非で争った2011年の市長選を、5・91ポイント上回った。

 全投票者が対象のため、約5%のサンプル調査だった11年市長選と単純比較はできないが、年代別で投票率が最も伸びたのは40代の9・17ポイント増(今回68・64%)で、30代が8・15ポイント増(同60・93%)。50代は7・81ポイント増(同74・66%)、20代が7・69ポイント増(同45・18%)と続く。70代は1・42ポイント増(同78・53%)、80代以上は1・7ポイント増(同55・26%)だった。
<<
そもそも、地域格差や世代間格差があったとしても、それがそのまま何らかの政治行動の原動力になるとは限りません。なぜならば、世代要素は、生まれて60年たてば誰もが等しく「60代」になるんですから本人の思想意識とは無関係であるし、居住地域要素についても、必ずしも本人の意志で完全に自由に決められる事柄ではなく、また住んでいる地域によって思想意識に差異が出るほど日本は「階級」化していないからです。

ちなみに、所得要素については、前掲の古谷氏言説中にも「フランス革命やロシア革命の主導層が、貧困に苦しむ農奴や都市労働者ではなく、中産階級のインテリであった事と似ている」とあるとおり、改革の行動とは必ずしもリンクしないでしょう。また、現体制の成功者は別に大阪なんかには興味ないと思いますよ。

世代要素や居住地域要素のような、当人の思想意識とは独立的な要素を切り出し、かなり大雑把にグループ化するところ、かつての「階級論」と類似した思考回路が見て取れます。20世紀を通して明確になったとおり、労働者階級・資本家階級だからといって決して一枚岩ではありません。階級は好きでやっているわけではなく、色々な事情の結果としてそういった立場に置かされているがゆえのグループ分け、それもかなり大雑把なグループ分けだからです。いまや階級分析は、少なくとも大幅な刷新は避けられない古めかしいツールとなっており、生命力が減じています。そんなツールと瓜二つの発想で大阪を分析する維新シンパ。本人たちは、自分たちの方法論が、共産主義者が身を以ってその不十分さを実証した方法論であることに気がついているのでしょうか? 社会は階級で分析できるほど単層的で単純なものではありませんよ

ちなみに、もしそれでも階級的に分析したいのならば、「公明党が自主投票にしたことが自民党にとって誤算だった」という要素があるかもしれません
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151123-00000044-san-pol
>> (前略)

 ◆動かなかった公明

 ただ、誤算が生じる。公明党が選挙戦直前の2日、自主投票を決めたのだ。

 自民党側は「維新弱体化の決定的チャンス」(党幹部)として、何度も公明党と、その支持母体の創価学会に支援を要請してきた。しかし公明側は表だった支援を見送った。大阪に強い支持基盤を持つだけに、来年夏の参院選をにらんで、大阪維新の会との全面衝突を避けたかったようだ。

 実際、斉藤鉄夫選対委員長は22日夜、「新知事、新市長が『対立から統合』に向け、リーダーシップを発揮されることを期待する」とそっけなくコメントした。

 自民党執行部は公明党の姿勢に憤りを募らせた。

 「なぜ公明の多くに維新支持が広がっているんだ」


(後略) <<
公明党というのも、支持者(というか学会員)二世・三世が引き続き支持し続けている点、必ずしも完全な自由意志にもとづく政治勢力とは言いがたいかもしれません(いわゆる創価学会・公明党=カルト論ですね)。しかし、世代要素や居住地域要素よりはよっぽど意味のある政治行動要素です。「大阪新市長は創価学会・公明党の宗教票が大きく作用した当選した!」

大阪都が成立するか、大阪の二重行政がどうなるかというのは、正直私はそんなに関心はありません(私には関係の無いことですから)。ただひたすらに、その思考回路と政治手法、現代に復活したマルクス・レーニン主義的思考と文化大革命路線。そして、それが全国区の勢いになろうとしている現実(大阪府内で留まるなら好きにやってもらっていいんですがね、こっちには来ないで 文革を輸出しないで)。これに強い懸念をもつのです。
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2015年11月22日

「ベクトルの合成としての無党派層の力」を借りて「文化大革命」?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151122-00000124-jij-pol
>> 大阪維新が2勝=都構想再挑戦へ―橋下新党に勢い・ダブル選

時事通信 11月22日(日)20時5分配信


 任期満了に伴う大阪府知事と大阪市長のダブル選が22日投開票され、知事選は地域政党「大阪維新の会」(代表・橋下徹大阪市長)公認で現職の松井一郎氏(51)が再選、市長選は同会公認の新人で前衆院議員の吉村洋文氏(40)が初当選を確実にした。
 大阪維新は、5月の住民投票で否決された「大阪都構想」に再挑戦する。ダブル選での勝利は、橋下氏が旗揚げした国政新党「おおさか維新の会」の党勢拡大に向け一定の存在感を示した形で、野党再編や来夏の参院選にも影響を与えそうだ。
 松井氏は記者会見し、都構想について「市民から納得を頂けるような新たな設計図づくりをしていきたい」と述べた。
 ダブル選は大阪維新と、自民党など都構想に反対する非維新勢力が対決する構図。政界引退を表明した橋下氏の路線継続の是非も争点となった。
 大阪維新は、職員の給与カットや府議会の定数削減、私立高校の一部無償化など、約8年間の橋下改革の成果をアピール。大阪の副首都化を掲げ、大阪市を廃止して府に広域行政を一元化する都構想の再提案に理解を求めた。反維新で連携する既成政党を「考え方が違う党が政策ではなく、組織票で勝とうとしている」と批判し、支持を集めた。
 自民党は、知事選で前府議の栗原貴子氏(53)、市長選で前市議の柳本顕氏(41)の無所属新人を推薦。党幹部や閣僚らが連日応援に入るなど組織戦を展開し、「破壊的改革から創造的改革を」と大阪維新主導の政治からの転換を主張した。民主、共産両党も自主的に支援したが、及ばなかった。 
 <<
僅差からの敗戦から半年。今回は勝ったようです。

半年前にも書きましたが、「投票で否決された=お客さまに選ばれなかった」わけであり、これは逆に言うと、「投票で支持された=お客さまに選ばれた」ということに他なりません。それが民意です(もっとも、「リーダーは維新系しかないけど、やっぱり都構想には反対」というものあるかもしれませんが、それは再度の住民投票をしてみなければ分かりません)。

さて、今回はこの先について考えてみたいと思います。記事中で、「(維新の会は、)反維新で連携する既成政党を「考え方が違う党が政策ではなく、組織票で勝とうとしている」と批判し、支持を集めた。」と指摘されているとおり、今回の維新の勝利は、既成政党勢力ではない、いわゆる「無党派層」の支持の賜物です。しかし、無党派層の支持とは、まさに「ベクトルの合成」のようなものであり、何か明確なビジョン・方向性の下に人々が糾合したわけではありません

もちろん私は、現代の多元化した社会はそういうものだと考えています。それは、社会に明確な方向性があると見ているマルクス・レーニン主義的世界観を否定し、ハイエク的世界観に理解に共感している部分からもご理解いただけるものと思います。

そんな世界観をもつ私としては、社会の変革というものは、生活の現場から湧き上がる多種多様のミクロ的なベクトルが合成された結果として自生的に生じるものと考えています。政治家ごときのオツムでは、人民大衆が真に求めているものを理解し、その実現のビジョンを設計することなど出来るはずもないと考えています。多種多様の事情を抱える生活各人の利害を対話によって調整すること、さまざまな事情を抱えた一人ひとりの生活者のミクロ的アクションをサポートし、マクロ的に調整すること、それこそが唯一ありうる政治だと考えてます。ハイエクが言うところの「庭師」とも通ずるところがあると自負しています。「僕の感覚は庶民の感覚」などと前衛意識丸出しにしている橋下氏の呼びかけに対して市民が「エイエイオー」と応える構図には、どうしても世界観的に違和感を感じざるを得ないのです。

他方、維新支持者は、無党派層を「一つの実体ある階級」のように捉えており、維新が提示している明確なビジョン・方向性の下に人々が団結していると見ている向きがあります(ほんと共産党みたいですね)。果たして、「大阪文化大革命」の政策路線は、「大阪都の構想」を実現させ得るのでしょうか? あくまで「ベクトルの合成の結果でしかない無党派層の支持」を基盤に、何か明確なビジョンを推進し得るのでしょうか? 無党派層の支持が基盤だからこそ、闘争路線ではなく調整路線しか活路はないのではないでしょうか? そういう疑問が生じてきます。

その答えは、私にはまだ分かりません。前掲過去ログにも書きましたが、「未来は、どんな天才であっても設計し、約束することはできない」のです。やってみないとわからない。もっとも、橋下氏と同時期に政治家に転身した東国原氏が、利害調整路線で成果を挙げた一方で、闘争路線を貫いた橋下氏には大した実績がない点、なんとなく行く末は見えるような気もしますが・・・

いずれにせよ、大阪の政治には、世界観的な観点からも注目してゆくべきでしょう。
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2015年11月20日

現代帝国主義の本性と、『現代ビジネス』誌に寄稿する帝国主義代弁者の妄言は30年前から変わらず

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151120-00046454-gendaibiz-int&p=2
>> (前略)

企業経営者であれば、これは実感として理解できるはずだ。国と国の関係も同じである。自国の繁栄のためには貿易相手国の繁栄が不可欠だから、相手との平和が大事になる。西側はグループ内の仲間同士で共存に加えて共栄も目指していた。

ここが冷戦期を支配した「敵対関係」と決定的に違う点である。共存共栄の相互依存関係の下では、本質的に相手と敵対しない。相手を叩き潰せば、自分も共倒れになってしまうからだ。企業でも国同士でも、原材料や部品を供給してくれる取引相手を破滅させれば、自分が製品を作れなくなる。

西側は冷戦期、仲間同士でそういう共存共栄関係を築きあげて繁栄した。冷戦に勝利した後はロシアや東欧も暖かく仲間に迎え入れた。


(後略)<<
ものは言いよう。「西側はグループ内の仲間同士で共存に加えて共栄も目指していた」は一定の真理があるものの、「冷戦に勝利した後はロシアや東欧も暖かく仲間に迎え入れた」の真実は、単に「帝国主義者にとっての植民的市場拡大」を体よく隠蔽しているに過ぎないゴマカシです。

西側はグループ内の仲間同士で共存に加えて共栄も目指していた」に「一定の真理」を認めつつ、「帝国主義者にとっての植民的市場拡大」を指摘するのは、伝統的な帝国主義論においては異端的と思われるでしょう。伝統的に「帝国主義」は、「独占資同士のハルマゲドン」と見なすきらいがありました。そうした伝統的帝国主義論を刷新したのが、キムジョンイル総書記でした。今回は、キムジョンイル総書記の現代帝国主義論を「반제투쟁의 기치를 더욱 높이 들고 사회주의, 공산주의길로 힘차게 나아가자」(反帝闘争の旗をさらに高く掲げ、社会主義・共産主義の道を力強く進もう)からご紹介します。
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=rozak&no=840
>> (前略)

제2차 세계대전전에는 자본주의렬강들이 상품시장과 세력권을 쟁탈하기 위하여 치렬한 경쟁을 벌렸으며 그것은 파괴적인 무장충돌과 전쟁으로까지 번져졌습니다. 제1차 세계대전과 제2차 세계대전도 자본주의렬강들의 격화된 모순과 대립의 폭발이였다고 말할수 있습니다. 그러나 제2차 세계대전후 자본의 국제화가 추진됨에 따라 자본주의렬강들은 경제기술적으로 서로 의존하고 결탁하게 되였습니다. 자본주의렬강들이 이전에는 서로 경쟁하고 꺼꾸러뜨리기 위하여 커다란 힘을 소모하였다면 이때부터는 사회주의를 반대하고 자본주의적착취와 략탈을 강화하기 위하여 서로 힘을 합치게 되였습니다. 자본주의렬강들사이의 관계가 서로 결사적으로 물고뜯는 관계로부터 서로 결탁하여 협력하는 관계에로 넘어간것은 제2차 세계대전후 자본주의세계에서 일어난 가장 큰 변화라고 볼수 있습니다. 물론 자본주의렬강들사이에 모순이 없는것은 아니지만 현시기 그 모순은 부차적인것으로 되고 오히려 결탁관계가 주되는것으로 되였습니다. 제2차 세계대전후 오늘에 이르는 40여년동안에 170여차의 크고작은 전쟁이 있었으나 자본주의렬강들사이에서 벌어진 전쟁은 한번도 없었으며 도리여 군사쁠럭을 통하여 자본주의렬강들의 군사적결탁관계가 더욱 강화되였습니다.

미제국주의를 중심으로 하여 자본의 국제화가 추진되고 세계제국주의가 결탁하는 방향에서 재조직화됨으로써 파멸에 직면하였던 자본주의는 되살아나게 되였으며 경제기술적으로 급속히 발전하게 되였습니다.

제2차 세계대전후 제국주의자들이 정치, 경제, 군사적으로 서로 결탁되였을뿐아니라 그들의 통치수법과 략탈방법도 더욱 교활해졌습니다. 이것이 또한 현대제국주의의 중요한 특징의 하나입니다.

제국주의자들은 사회주의력량의 급격한 장성과 로동운동, 식민지민족해방운동의 앙양에서 커다란 위협을 느끼지 않을수 없었습니다. 이로부터 제국주의자들은 사회주의의 영향력을 약화시키고 로동운동과 식민지민족해방운동을 무마하기 위하여 보다 교활한 새로운 통치수법과 략탈방법을 고안해내게 되였습니다.

국내에서 로동운동을 와해시키지 않고서는 자본주의제도자체를 유지할수 없다는것을 절실히 느끼게 된 제국주의자들은 로동귀족을 대대적으로 길러내는 한편 자본주의적착취를 은페하고 실업과 빈궁으로 인한 근로대중의 반항을 무마하는데 힘을 기울였습니다.

제국주의자들은 식민지를 략탈하는 방법도 바꾸지 않을수 없었습니다. 제국주의의 생명선은 어디까지나 식민지를 착취하며 략탈하는데 있습니다. 제2차 세계대전의 결과 민족해방운동이 전례없이 앙양되고 식민지체계가 붕괴됨으로써 제국주의는 치명적인 타격을 받았습니다. 제국주의자들은 잃어버린 식민지를 되찾기 위하여 교활한 신식민주의적방법에 매달리게 되였습니다. 제국주의자들은 로골적인 강압적방법으로 식민지를 통치하고 략탈하던 지난날과는 달리 새로 독립한 나라들과 발전도상나라들의 자주권을 명목상 인정해주고 이른바 《원조》를 제공하는 방법으로 이 나라들을 정치경제적으로 예속시키고 착취와 략탈을 감행하였습니다.

신식민주의는 제국주의자들이 발전도상나라들에 쉽게 침투할수 있는 방법으로 되였습니다. 제국주의렬강들이 지난날에는 식민지를 둘러싸고 치렬한 싸움을 벌렸으나 신식민주의에 의거하면서부터는 공모결탁하여 발전도상나라들에 침투하게 되고 특히 《원조》를 미끼로 하여 이 나라 인민들의 반항을 무마시킴으로써 손쉽게 상품시장과 원료자원을 차지할수 있었습니다.

자본주의나라들이 경제기술적으로 결탁되고 발전도상나라들의 방대한 시장과 원료자원을 장악하게 됨으로써 자본주의세계에서 생산의 사회화수준이 급격히 높아지고 생산과 기술이 빨리 발전하게 되였습니다.

자본주의세계에서 일어난 이와 같은 변화는 제국주의대변자들에게 자본주의의 기본모순이 해결되고 자본주의가 더는 죽어가는 자본주의가 아니라 장성하고 번영하는 자본주의라고 떠벌일수 있는 구실을 주었습니다.

그러나 자본주의의 기본모순은 결코 해결된것이 아니며 제국주의의 략탈적본성이 변화된것도 아닙니다. 자본은 아무리 국제화되여도 자본외의 다른것으로 될수 없습니다. 다국적기업체는 세계적범위에서 자본주의적착취를 강화하며 제국주의의 지배권을 보장하는 대독점자본의 존재방식에 지나지 않습니다. 변화된것은 자본주의적착취와 략탈방법이 보다 교활해진것이며 자본주의의 모순이 국내적범위를 벗어나 국제적범위로 더욱 확대된것입니다. 자본주의적착취로 말미암아 지난 시기에는 매개 자본주의나라 범위에서 부익부, 빈익빈의 현상이 지배하였다면 이제와서는 세계가 부유한 자본주의나라들과 가난한 발전도상나라들로 갈라져 세계적범위에서 부익부, 빈익빈의 현상이 심화되고있습니다.


(後略)<<
和訳は、ほぼ正確なものが先行して存在するので、そちらをご紹介いたします。
http://kcyosaku.web.fc2.com/kj1987092500.html
>> (前略)

 第2次世界大戦以前、資本主義列強は商品市場と勢力圏を争奪するための激しい競争をくりひろげ、それは破壊的な武力衝突や戦争にまで拡大しました。第1次世界大戦や第2次世界大戦はいずれも、資本主義列強の激化した矛盾と対立の爆発であったといえます。しかし第2次世界大戦後、資本の国際化が促進されるにつれ、資本主義列強は経済的、技術的に相互に依存し、結託するようになりました。資本主義列強はかつては互いに競争し打ち負かすことに大きな力を消耗したとすれば、このときからは社会主義に反対し、資本主義的搾取と略奪を強化するため協力しあうようになりました。資本主義列強間の関係が、必死になって角逐する関係から互いに結託し協力する関係にかわったことは、第2次世界大戦後、資本主義世界で起こった最も大きな変化だといえます。もちろん、資本主義列強間に矛盾がないわけではありませんが、現在、その矛盾は二次的なものとなり、むしろ結託関係が主なものとなっています。第2次世界大戦後今日にいたる40余年間、 170回以上の大小の戦争が起きましたが、資本主義列強間の戦争は一度もなく、かえって軍事ブロックをつうじて資本主義列強間の軍事的な結託関係がさらに強化されました。

 アメリカ帝国主義を中心に資本の国際化が促進され、世界帝国主義が結託する方向で再編された結果、滅亡に直面していた資本主義は復活し、経済的、技術的に急速な発展をとげました。

 第2次世界大戦後、帝国主義者は政治、経済、軍事の各分野で互いに結託したばかりでなく、その支配方法と略奪方法もいっそう狡猾になりました。これがまた現代帝国主義の重要な特徴の一つです。

 帝国主義者は、社会主義勢力の急激な成長と労働運動、植民地民族解放運動の高揚に大きな脅威を感じざるをえなくなりました。それで帝国主義者は、社会主義の影響力を弱め、労働運動と植民地民族解放運動をなだめるために、より狡猾な新しい支配方法と略奪方法を考案しました。

 国内の労働運動を瓦解させることなしには資本主義体制そのものの維持が不可能であることを切実に感じた帝国主義者は、労働貴族を大々的に育てる一方、資本主義的搾取をおおいかくし、失業と貧困による勤労者大衆の抵抗をなだめることに力を傾注しました。

 帝国主義者は、植民地に対する略奪の方法も変えざるをえませんでした。帝国主義の生命線はあくまでも植民地を搾取し略奪するところにあります。第2次世界大戦の結果、民族解放運動がかつてなく高揚し、植民地体制が崩壊して、帝国主義は致命的な打撃をうけました。帝国主義者は失った植民地を取り戻すため、狡猾な新植民地主義的方法を追及しました。帝国主義者は、むきだしの強圧的な方法によって植民地を支配し略奪した以前とは異なり、新興独立諸国と発展途上諸国の自主権を名目上認め、「援助」を提供する方法でこれらの国を政治的、経済的に従属させ、搾取と略奪を強行しました。

 新植民地主義は、帝国主義者が発展途上諸国に容易に浸透できる方法となりました。帝国主義列強は、かつては植民地をめぐってはげしい争奪戦をくりひろげましたが、新植民地主義に依拠するようになってからは共謀結託して発展途上諸国に浸透し、特に「援助」をエサにしてこれらの人民の抵抗をおさえ、容易に商品市場と原料資源を手に入れることができました。

 資本主義諸国が経済的、技術的に結託し、発展途上諸国の膨大な市場と原料資源を掌握するようになった結果、資本主義世界では生産の社会的水準が急激に高まり、生産と技術は急速な発展をとげるようになりました。

 資本主義世界におけるこのような変化は、帝国主義の代弁者たちに、資本主義の矛盾は解決され、資本主義はもはや滅びゆく資本主義ではなく、成長し繁栄する資本主義であるとうそぶく口実を与えました。

 しかし、資本主義の基本的矛盾は決して解決されたのではなく、帝国主義の略奪的本性が変わったわけでもありません。資本はいくら国際化されようと、資本以外の他のものにはなりえません。多国籍企業は、世界的範囲で資本主義的搾取を強化し、帝国主義の支配権を保障する大独占資本の存在方式にすぎません。変わったのは資本主義的搾取と略奪の方法がより狡猾になったことであり、資本主義の矛盾が国内の範囲から国際的な範囲にさらに拡大されたことです。資本主義的搾取によって、以前は個々の資本主義国の範囲で「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」傾向が支配したとするなら、今では世界が富める資本主義諸国と貧しい発展途上諸国とにわかれ、世界的な範囲で「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」傾向が強まっています。


(後略) <<
そう、「資本の国際化が促進されるにつれ、資本主義列強は経済的、技術的に相互に依存し、結託するようになりました」。「第2次世界大戦後、資本主義世界で起こった最も大きな変化だといえます。もちろん、資本主義列強間に矛盾がないわけではありませんが、現在、その矛盾は二次的なものとなり、むしろ結託関係が主なものとなっています」。そのため、「第2次世界大戦後今日にいたる40余年間、 170回以上の大小の戦争が起きましたが、資本主義列強間の戦争は一度もなく、かえって軍事ブロックをつうじて資本主義列強間の軍事的な結託関係がさらに強化されました」が、「資本主義の基本的矛盾は決して解決されたのではなく、帝国主義の略奪的本性が変わったわけでもありません。資本はいくら国際化されようと、資本以外の他のものにはなりえません」。その点、本記事の執筆者は「資本主義世界におけるこのような変化は、帝国主義の代弁者たちに、資本主義の矛盾は解決され、資本主義はもはや滅びゆく資本主義ではなく、成長し繁栄する資本主義であるとうそぶく口実を与えました」。

まさに典型的。総書記の論文はチュチェ76(1987)年9月25日のものですが、30年近く前の見解がまだまだ生命力を誇っていること。キムジョンイル同志マンセー!
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2015年11月17日

宮崎日日新聞・西日本新聞が決め付けて掛かった「認知症」は事故原因とは関係ありませんでした

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151116-00000095-mai-soci
>> <宮崎暴走死傷>73歳男を危険運転致死傷容疑で逮捕

毎日新聞 11月16日(月)21時24分配信

 ◇「事故はてんかんの発作で」と供述、容疑認める

 宮崎市で軽乗用車が歩道を暴走し、7人が死傷した事故(先月28日)で、宮崎県警は16日、運転していた鹿児島県日置市東市来町、無職、
(被疑者実名は当記事の論旨においては不必要なので引用しない)容疑者(73)を自動車運転処罰法違反(危険運転致死傷)の疑いで逮捕した。「事故は私がてんかんの発作を起こしたため」と容疑を認めているという。事故で受傷し入院していたが、県警は回復したと判断した。

 逮捕容疑は、先月28日午後2時52分ごろ、宮崎市のJR宮崎駅前付近の県道(通称・高千穂通り)沿いの歩道を、てんかん発作の影響で意識障害の状態に陥ったまま軽乗用車で約700メートル暴走し、歩行者ら6人をはね、うち2人を死亡させ、4人に重軽傷を負わせたとしている。

 県警は
(同上不引用部分)容疑者の家族から事情聴取し、道路沿いの防犯カメラの映像も分析するなどして、事故当時、軽乗用車を運転していた事実を裏付けた。さらに数年前にてんかんと診断され、投薬治療中の今年2月に免許更新をしていたことが判明。てんかんは薬で発作を抑えることができ、適切な治療を受ければ運転に支障はないため、県警は投薬内容や服用状況などを詳しく調べることにしている。

 
(同上不引用部分)容疑者は認知症の治療も受けていたが、県警は「今回の事故は認知症が影響したとは判断していない」としている。

 また県警によると、(同上不引用部分)容疑者は事故当日の朝、家族の気づかないうちに自宅を出たが、熊本県内に立ち寄った後に宮崎市に来ていたことも分かった。近所の住民によると、(同上不引用部分)容疑者の家族は持病などを理由に、遠方まで車で出かけないようにしたり、同乗するようにしたりしていた。【尾形有菜、宮原健太】 <<
上記引用部分において、太字化処理部分は、当方の編集によります。

さて本件、当初は「運転手に認知症通院歴」などと称して、医者でもないくせに事故の原因を「高齢者の認知症」と勝手に「診断」した上で、「高齢ドライバー規制問題」のキャンペーンが展開されたことは、記憶に新しいかと思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151030-00010000-miyazaki-l45
>> 宮崎市の車暴走 運転手に認知症通院歴

宮崎日日新聞 10月30日(金)9時42分配信

 宮崎市中心部の高千穂通りで軽乗用車が歩道を約700メートル暴走し、通行していた男女6人がはねられ死傷した事故で、運転していた鹿児島県日置市東市来町の職業不詳
(不引用)さん(73)が、認知症の症状で通院していたことが29日、捜査関係者への取材で分かった。てんかんの病歴もあるとみられ、宮崎県警は病気と事故原因との関連を慎重に捜査している。

 県警によると、歩道上に複数設置された車止めのポールにぶつかった形跡はなく、ポールをよけながら走行したとみられ、ブレーキ痕もなかったという。「(
(同上不引用部分)さんが)前をしっかり見て運転していた」という複数の目撃者の証言もあり、県警は、(同上不引用部分)さんは車を走行中、意識はあったとみている。捜査関係者によると、故意に人をはねた可能性は低いという。

 
(同上不引用部分)さんの自宅近くに住む70代主婦は、以前から車に家族や孫を乗せて運転する姿を見掛けており「よく車を利用する人だったが、危険な運転をして事故を起こしたという話は聞いたことがない」と語った。
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宮崎日日新聞社
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151031-00006138-miyazaki-l45
>> 認知症発症後に複数事故 宮崎市車暴走

宮崎日日新聞 10月31日(土)11時22分配信

 宮崎市中心部の高千穂通りで軽乗用車が歩道を約700メートル暴走し、通行していた男女6人がはねられ死傷した事故で、運転していた鹿児島県日置市東市来町の無職
(同上不引用部分)さん(73)が、認知症の症状が出始めた後、鹿児島県の商業施設の駐車場などで複数回にわたって事故を起こしていたことが30日、複数の関係者への取材で分かった。 <<

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151031-00010001-nishinp-soci
>> 地方生活「車は不可欠」 高齢ドライバー規制悩ましく【宮崎・歩道暴走】

西日本新聞 10月31日(土)8時30分配信

■認知機能検査強化へ

 宮崎市中心街で軽乗用車が歩道上を暴走し、7人が死傷した事故は、運転していた鹿児島県日置市の男性(73)が数年前から認知症の治療を受けていたことが明らかになった。事故との因果関係はなお捜査中だが、運転に支障があるような病気を持つ高齢者の事故をどう防ぐのかが大きな課題となっている。
 現行の道路交通法では、75歳以上の高齢者には3年ごとの免許更新時に認知機能検査が行われているが、過去1年間に認知症によるとみられる交通違反がなければ医師の診断なしで更新ができる。


(以下略) <<
10月30日付けの宮崎日日新聞は、「てんかんの病歴もあるとみられ」などと述べてはいるものの、論旨は「運転手に認知症通院歴」であることは、タイトルからも明々白々です。10月31日の配信記事にいたっては「認知症発症後に複数事故」などとして続報を報じています。もう「事故原因は認知症」と決めて掛かっています。しかし、宮崎県警は「今回の事故は認知症が影響したとは判断していない」と断言しています(もちろん県警発表だから正しいなどと言うつもりはありません)。なんの根拠があって「癲癇ではなく認知症」と決め付けたんでしょうか?

そもそも、病歴・通院歴があったからといって、実際の事故の原因であるとは限りません。医者が患者に直に接し、慎重に診察した上で症状を判定するのに、所詮は「他人から聞いたことの寄せ集め」に過ぎない「取材」を基に、なぜ早々に「診断」できるのでしょうか? 「センセーショナルな見出しで売れれば良い」というのが魂胆なのでしょうか?

「認知症だって癲癇だって、結果として危険なことには変わりないからいいんだ!」という主張もあるでしょう。一般人の感想文レベルだったらそれでも構わない、というか、どーでもいいです(どうせ正確に記述してもマトモに読まずに妄想全開に解釈するんですから)。しかし、報道機関が「結果が同じであれば、理由などはどうでもいい」などと言ってしまったら、それはもはや報道機関と名乗るべきではありません

今回の宮崎市での軽自動車暴走事故の報道において、事故原因の誤報が発生したことは否定できない可能性がかなり高まっています。それも「勝手に決め付けた上で間違える」という、振り返ってみればかなり恥ずかしい間違いっぷりでした。報道機関がほんの少し、深く物事を考えるようにしていれば、こんなことにはならなかったはずです。

たしか裁判員制度が始まるとき、マスコミ業界は「刑事事件被疑者・被告人について、予断を与えるような報道はしないようにする」と言っていたと思うんですが、あれってどうなったんでしょうか? かなり心配になる間違いっぷりです。

ところで、勝手に決めつけ調で記事を書きなぐったこと、特に宮崎日日新聞は訂正・反省するんでしょうか? 所詮は地方紙ですから、紙面上で反省文を書いたところで宮崎県民以外は気がつきもしないでしょうね。私も敢えて探す気になりませんし。その意味では、たまーにニュースサイトに掲載される程度の地方紙が引き起こす誤報・誤ったイメージの流布がもたらす影響は、かなり長く持続しそうです。
posted by 管理者 at 20:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする