2016年01月26日

木村草太氏こそ何かの冗談ではないのか?――ブルジョア「憲法学」者の正体みたり

利己主義社会を支えるブルジョア自由主義法を有難がる「憲法学」者のレベルって、こんなもんなんですか?w
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160126-00047434-gendaibiz-soci&p=1
>>> これは何かの冗談ですか? 小学校「道徳教育」の驚きの実態 法よりも道徳が大事なの!?

現代ビジネス 1月26日(火)11時1分配信

 文/木村草太(憲法学者)


(中略)

骨折という事故はスルー?

 一例として、少し前からインターネット上で話題になっている道徳教材について検討してみよう。


(中略)

 読者の皆さんは、この教材を見てどう思うだろうか。シッカリトシタ学校教育を受けたリョウシキアル方々は、「人の失敗を許すのは大切だ。これを機にクラスの団結力を高めよう」と思うのかもしれない。

 実際、この教材の解説にも、「相手を思いやる気持ちを持って、運動会の組体操を成功に導こう」という道徳目標が示されている。教材の実践報告にも、「この実践後の組体操の練習もさらに真剣に取り組み、練習中の雰囲気もとてもよいものになった」と誇らしげな記述がある。そこには、骨折という事故の重大さは、まるで語られていない。

学校は治外法権?

 これが交通事故だったら、運転者は十分に注意をしていたのか、車はきちんと整備されていたのか、道路の整備に不備はなかったのか、など、原因がしっかりと追究されるだろう。そして、原因に対して誰かが責任をとり、そのような事故の再発をいかにして防止するかが議論されるだろう。

 なぜ、学校が舞台になると、「骨折ぐらいは仕方ない。お互いに許して団結しよう」という話になってしまうのだろうか。この教材を見た時、私は、「法とは何なのか」をあらためて真剣に考えなくてはならないと思った。

 法的に見ると、つよし君が参加した組体操は、違法の可能性が高い。


(中略)

 しかし、この教材は、「困難を乗り越え、組体操を成功させる」という学校内道徳の話に終始する。学校内道徳が、法規範の上位にあるのだ。いや、もっと正確に言えば、学校内道徳が絶対にして唯一の価値とされ、もはや法は眼中にない。法の支配が学校には及んでいないようだ。これは治外法権ではないのか。

(中略)

 ただ、今必要な「法とは何か」という問いの答えは、いたってシンプルだ。法の本質は、法と法以外の規範(例えば、道徳や校則、会社規則など)との違いを考えれば分かる。つまり、法の本質は、「普遍的な価値を追求する規範だ」という点にある。

(中略)

法以外の規範とはなにか?

 もちろん、法以外の規範がすべて悪いものだ、ということではない。

 ただ、法以外の規範の特徴は、「普遍性を持たない」ことにある。つまり、特殊集団のための規範だ。

 道徳は同じ道徳観をもつ人たちの間のルール、校則は学校に通う人たちの間のルール、会社規則は会社に勤める人たちの間のルールだ。特別な集団の中で、独自のルールがあった方が、コミュニケーションがスムーズに進むということはよくある。「みんなで団結してがんばるのが好き」な人が集まって、辛い試練に耐えて頑張るのは、それはそれですばらしいことだろう。
 しかし、内部の人にとっては守るべきルールであっても、その外部にいる人たちには自分たちのルールを押し付けることは許されない。

 さらに、「そのルールに従う集団に入るか否かは、当人の自由な意思に委ねなければならない」のが大前提だ。逆に言えば、参加するか否かの自由が保障されない集団では、内部ルールにも普遍性が要求されることになる。

 また、内部ルールはいくらでも自由に定めてよい、というものではない。あくまで法に違反しない範囲で定めなければならない。たとえば、ある会社で、残業手当を払わないという規則があったとしても、それは労働基準法違反で許されない。


(中略)

 もちろん、「嫌いだから」というだけで、学校のカリキュラムをすべて拒否して良いはずはない。ただ、学校が子どもたちに義務付けてよい教育内容には、普遍的な価値が要求される。

 そして、教育内容は、その普遍的な価値を実現するのに効果的で、かつ、弊害の生じないものが選ばれなければならない。これを行政法の世界では、「比例原則」とよぶ。

 では、組体操への参加を強制することに、普遍的に説明できる価値はあるのだろうか。また、それは、組体操以外の安全な競技では得られないものなのか。

 組体操は、骨折はもちろん、場合によって死の危険もあるほど危険な競技だ。それを強要するなら、これらの疑問に誠実に答える必要がある。「クラスの団結力を高める」、「困難を努力で乗り越える」という程度の教育目的では、あえて、組体操という危険な競技を選ぶことを正当化することは不可能だろう。

 しかし、今回紹介した道徳教材には、こうした問題意識は微塵も感じられない。その原因は、学校内道徳を絶対的な価値と思い込んでいることにあるだろう。その盲目的な態度は、一般社会であれば当然に思い至るべき疑問を持つこと自体を圧殺してしまう。


(中略)

 組体操事故を教材にするなら、子ども達に、次のような問いを投げかけるべきだ。

「この事故の原因は何だと思いますか?」
「骨折は、その子から、どのような可能性を奪いますか?」
「この事故について、指導をしていた先生は、どのような責任を負うべきですか?」
「学校がいくらの賠償金を払えば、骨折したことに納得できますか?」
「骨折という重大事故にもかかわらず、組体操を中止しない判断は正しい判断ですか?」
「バランスが崩れても、一人もケガをしないようにピラミッドを作ることはできますか?」
「運動会で組体操を行わせることは、適法だと思いますか?」

こうした問いについて考えれば、それぞれの人が異なる価値観を持っていること、異なる価値の共存のために普遍的なルール作りが必要であることを学ぶことができるだろう。また、実際の民法や刑法が、これらの問題にどんな答えを出しているかを学ぶ機会にもなる。 こう言うと、「法学の授業が大事なのは分かるが、法学は難しすぎて、道徳の授業と置き換えるのは無理だ」と思う人もいるかもしれない。しかし、法学の基本となる考え方や法律の基本的な内容は、それほど難しいものではない。


(以下略)<<<
■木村草太センセーの特殊な「普遍的」価値論
組体操での骨折事故をテーマにした広島県の道徳教材が「普遍的価値」に基づかない「特殊集団の価値観」に基づく教材であり、そんな教材を道徳教育に使っているのがケシカラン、そもそも道徳教育など不要で、法教育だけでいいという要旨の話です。筆者の木村草太センセーは、道徳教育など必要なく「原因・責任・賠償」といった法教育こそが「普遍的価値」に合致する必要な教育だとしています。

私は「普遍的価値」という考え方にそもそも反対なのですが、仮に普遍的価値を論じるのならば、「運動会で組体操を行わせることは、適法だと思いますか?」」に留まるべきではなく、「そもそも何で運動会なんて、もともとは海軍兵学校のイベントに参加しなければならないの?」「なんで頼んでもいないのに、あのハゲが担任なの?」「どうして○○町に住んでいるという理由だけで、××中学校に通わなければならないの? 学区制って何なの? 選択の自由の侵害ではないの?」という自主権の問題にこそ議論が行くべきではないのでしょうか? 他人の責任を追及するというのは近代的な発想ですが、自主的要求は、ローマの奴隷反乱や中華王朝の農民暴動まで含めれば、さらに幅の広い発想(恐らく奴隷たちには自主という自覚はなく、「21世紀の視点で解釈すれば、それは『自主』と言い得るモノ」でしょうけど)であり、より「普遍的」な発想といいうるものです。

私としては、旧ブログの頃から繰り返しているように、事物には多面性・多層性があり、そして社会の総体はシステムとして相互作用的に成立していると考えていますので、広島県教材も木村センセーの言説もいずれも正しいと考えています。法規範が特殊集団規範を形成するのは勿論、特殊集団規範が法規範を突き上げることもあるでしょう。むしろ、法規範が「普遍的」かといわれれば、私のような「法進化論者」には、とても首肯できるものではありません。

■広島県教材は、世間一般基準で「カルト」的なのか? そういうことを言い出す方がカルト的ではないのか?
広島県教材は、たしかに木村氏が言うように、「骨折という事故の重大さは、まるで語られてい」ません。しかし、では広島県教材が語る「相手を思いやる気持ちを持って、運動会の組体操を成功に導こう」という道徳目標」は、カルト的な価値観に基づく異常な主張でしょうか? 「不十分」かもしれませんが、「異常」とまではいえないと思います。少なくとも、憲法学業界のことは知りませんが、世間一般の価値観としては異常ではありません

また、「学校内道徳が絶対にして唯一の価値とされ、もはや法は眼中にない」と批判しますが、「絶対にして唯一の価値」と言っているのでしょうか? 単に「論題に対応した結論」でしかないのではないでしょうか? 木村センセーはピント外れの結論を要求しているようにしか見えません。もし現実世界でこんなことを言ったら、「今はそういう話をしているんじゃないんだよ」と一蹴されそうですね。もちろん、私の自主権の問題だって一蹴されるでしょう(まあ、そんな私はバカな切り出しはしませんけどねw)。

■責任追及を主軸にすえる「憲法学者・木村草太」の中途半端な論点設定――人間的未熟さを露呈している
旧ブログ時代に刑法問題、加害者問題・被害者問題について考察してきた身からすると、事件は法的問題を追及すれば終わりではないと強調したいと思います。たとえ加害者が法的に――事によっては死刑によって――罰せられたとしても、決してそれは終わりではありません。むしろ、法的制裁は事件の核心を解決するにはあまりに非力です。研究時代に接したキリスト教牧師の「罪人であっても、赦しをあたえなければなりません」という教えや、犯罪被害者であり冤罪被害者でもある河野義行氏の「私は恨まない」という指摘は、刑事事件問題を考える上で本当に大きな示唆がありました。その意味では、広島県教材の切り口も重要であり、法教育と道徳教育は、両輪の関係にあるのではないかと思います。

おそらく、「憲法学」者には「赦し」などという観点はないんでしょうね。法を問題にしている割には、木村センセーの主張の程度の低さには驚愕します。まあ、ここまでくると、「法学」というより「人間学」になってくるので、あまりハイレベルな要求をしてはいけないのかも知れません。思い起こせば、刑法問題を研究していた頃、「法学」とか「刑法学」の立場に立っていることを自称していた人たちも、「人間学」的にはとても幼稚で、庶民感情よりも刑法の立場にたつ私としても、「味方」の粗雑な主張には本当に苦慮したものです。

■敵対的利己主義の枠内に留まる狭い法観念を「普遍的価値」と言ってのける木村草太氏の「底の浅い独善的正義論」
「普遍的価値」なる観念のもと、自分が感じる「正義」、それも程度の低い「正義」のみが本当の正義であり、それ以外の教育は必要ないという底の浅い独善性。それだけでも危ない発想ですが、原因・責任・賠償といった「他人に如何に責任を負わせるか」という敵対的利己主義社会の発想に基づく観点に終始し、自主権の問題に全く切り込まない、敵対的利己主義・ブルジョア自由主義の枠内に留まる法観念。木村センセーの「法」は、敵対的利己主義に基づく社会、責任の擦り付け合いで「個人」として生き延びるブルジョア社会に特異な法観念です。人間ってそういうモノなんでしょうかね? 敵対的利己主義社会・ブルジョア社会って普遍的な社会なんでしょうか? 2016年現在では「主流」かもしれませんが、「普遍的価値」ってそういう意味なんですか(時空を超えた価値って意味ですよね)? 木村センセーの「学校内道徳が絶対にして唯一の価値とされ、もはや法は眼中にない」は、「法は法でも敵対的利己主義社会を支えるブルジョア自由主義法を絶対・唯一の価値とし、人民大衆の本質的要求としての自主権の問題は、もはや眼中に無い」として、お返ししたいと思います。

幸いにして、木村センセーの言説に違和感を感じる人は、少なくないようです。敵対的利己主義観念・ブルジョア自由主義観念は、日本人の心には浸透し切っていないようです。救いです。

■自論を「普遍的価値」などと言ってしまうこと自体の誤り
自分の思いつきを「普遍的価値」なんて言わないほうがいいですよ。一世代の流行は勿論、伝統だって「普遍」とまでは言えません。あらゆる人間の知恵は時代の産物であり、未来永劫有効とは限りません
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2016年01月20日

「オーナーの私有財産としての芸能事務所」という事実に切り込まずして「ジャニーズの民主化」を語る認識の混乱

http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20160118-00053560/
>>> 存続するSMAP、民主化しないジャニーズ――SMAP解散騒動の煮え切らない結末

(中略)

ジャニーズの“民主化”

結果的に、飯島氏が離れ、SMAPは軍門にくだることになりましたが、今回の一件で広く知られることになったのは、メリー喜多川副社長の強権的な姿勢と、ジャニーズ事務所の強い封建性です。今後もジャニーズ事務所には大きなマイナスイメージがつきまといます。ファンからの不信感は、そう簡単には収まらないでしょう。


(中略)

今後も必要とされるのは、ジャニーズ事務所の“民主化”にほかなりません。それには、ファンの多くが声を上げることが必要となってきます。実際「世界に一つだけの花」のCDが売れることによってSMAP解散を阻止する運動が見られましたし、それは大きな影響力を持ったと思います。しかし、ジャニーズの民主化は達成されませんでした。

(以下略) <<<
ジャニーズ事務所の“民主化”」のために「ファンの多くが声を上げることが必要」だそうです。ふだんから自主権の問題としての労働問題の解決策として、「市場メカニズムを活用した棲み分け」を提唱している私としては、ファン=消費者が声をあげ、場合によっては不買運動などを起こすことによって、あるべき方向に誘導してゆくことは、方法論は正しいと考えます。しかし、それは「民主化」とはいいません。語句の定義として間違っています。

市場を活用し、特定の人物に対するインセンティブを与えることによって誘導することは、「自由化」の範疇に入ります。民主化とは、人民の支配であり、人民が指揮権を掌握することです。インセンティブ付与による誘導は、あくまで誘導であり指揮権の掌握には至っていません

前回の記事の文脈で述べれば、「移籍を支援する棲み分け型労働組合」は「自由化の組織」であり、「自主管理・協同経営型の労働組合」は「民主化の組織」です。棲み分けによって自由市場原理が働き、人々が相互牽制的な関係性になることで、相対的な自立度があがります。そして、自主管理によって相互牽制としてではなく、真に自らの足で立てるようになり、他人に依存することなくなります。自由化と民主化はまったく異なります。

チュチェ103(2014)年10月5日づけ「資本家の権力の源泉を踏まえた自主化闘争――自立的な自主化であるために」でも述べたとおり、労働者階級の自主化のためには資本家階級の権力の源泉に迫る必要があります。会社組織の私有制に切り込まないで「民主化」を語るとは、何かの冗談なのでしょうか? それとも、自由化と民主化を本気で混同しているのでしょうか?

筆者の松谷氏は、別の記事で「法的規制」を紹介しています。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20160120-00053615/
>>> テレビで「公開処刑」を起こさないための“JYJ法”――SMAP騒動から考える芸能界の将来

(中略)

そもそもこの問題の根幹には、自由に芸能プロダクションを移籍できない、日本の芸能界独特の商慣習があります。つまり、もしSMAPメンバー4人が独立したり他の事務所に移ったりすれば、干されるリスクがあるということです。過去にも実際そういう事例は見られました。現在生じている視聴者やネットの反応は、こうした閉鎖的な芸能界およびテレビ局に対する強い不信感です。

そんななか隣の韓国では、昨年末に芸能界に公正性をもたらす画期的な法改正が行われました。それが、通称“JYJ法”です。


(以下略)<<<
まったく笑止千万な内容です。自主化を法律、それも罰金などという手段で実現しようとする他力本願っぷり。結局、「オーナーの私有財産としての芸能事務所に雇用される関係性」にはまったく変化はありません

「ゼニがもらえればよい」というのであれば、これでも十分でしょう。「野生動物」よりは「家畜」の方が何かと楽ですしね。しかし、それを「民主化」の文脈で語ってしまう松谷氏の認識の混乱っぷりあくまで、オーナーの私有財産としての芸能事務所という事実に切り込まない不自然な「手加減」。ちなみに、ジャニーズ事務所が自主管理化したとしたら、「ジャニーズ」という看板はおかしいでしょうねwwそれとも「象徴天皇制」?www
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2016年01月19日

テンプレの域に達しつつある「労働組合結成の勧め」――中世的芸能界の近代革命のために必要な組織とは?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160119-00004185-bengocom-soci
>>> SMAP謝罪中継「ブラック企業の退職妨害と通じる面がある」労働弁護士が批判

弁護士ドットコム 1月19日(火)16時54分配信


(中略)

もっとも、SMAPは日本でも有数の人気グループで、収入もかなり高いでしょうし、一般の労働者とは単純に比較できません。ただ、事務所が圧力をかけるようなことがあったのだとすれば、ブラック企業と構造的には同じです。

芸能人は、労働基準法上の労働者性はケースバイケースなのですが、労働組合法上の労働者性はあると言っていいと思います。日本では、俳優の西田敏行さんが理事長を務める「協同組合日本俳優連合」という組合があります。また、最近では俳優の小栗旬さんが、「俳優にも労働組合が必要だ」と発言したことが話題になりました。海外に目を向けると、アメリカには「SAG-AFTRA」という俳優のための労働組合があり、活発に活動しています。

このように、「事務所の枠組みを超えてモノを言えるタレント」を作っていくためには、タレント間の労働組合を結成することが必要なのではないでしょうか。SMAPの「謝罪」会見を見て、そのように強く思いました。
<<<
芸能界が「ブラック」なのは、常識だと思っていたんですが、法曹界にはそういう認識はなかったのでしょうか? 「何を今更?」という感想が第一に沸いてきました。

それはさておき、「タレント間の労働組合を結成することが必要」だそうです。労働問題があれば一言・二言目には「労働組合の結成」。もはやテンプレの域に達しつつあります。

はたして、この「タレント間の労働組合」は、従来型・要求実現型の労働組合;産別組合のタレント版を指しているのでしょうか? それとも、移籍を支援する棲み分け型労働組合を指すのでしょうか? はたまた、シガラミだらけの古い業界を刷新する自主管理・協同経営型の労働組合でしょうか?

日本の芸能界は「人と人との仁義」を極めて重視する特殊文化空間であるという事実を重視すべきです。「究極のムラ社会」であり「現代のギルド」であるというべきでしょう。いまだに中世社会が残っているとみるべきです。ムラ社会で「労働組合運動」を展開したらどうなるでしょうか? 記事では「事務所が圧力をかけるようなことがあったのだとすれば、ブラック企業と構造的には同じ」などとしていますが、一般企業社会の人間関係から単純に演繹した底の浅い分析です。

究極のムラ社会でできることは、「事務所とタレントは持ちつ持たれつ、お互い様じゃないですか」という意味での「陳情」が関の山です。記事中で紹介されている「協同組合 日本俳優連合」も、公式HPで「「日俳連」に入っていれば守られる「最低条件」が、そこに存在します。もし、その条件が守れなかったときは、「日俳連」は皆さんとともに問題解決のために動きます。」としているように、特定の事務所・特定の現場との契約継続を前提とした要求実現のための組織です。しかし、今回SMAPが求めていたのは、「陳情」だったのでしょうか?

産別組合のタレント版だとすれば、現下の芸能界の環境においては、ただの御用組合以上のものにはなり得ませんし、SMAPのように自主的な思想意識をもったタレントを満足させることはできないでしょう。

ではどうするべきでしょうか? 芸能界が究極のムラ社会・現代のギルド・中世社会の残滓であるという前提にたち、ムラ社会とギルドの崩壊史・中世から近代への社会変動を辿るところに糸口が見えてくるものと思われます。いずれも、単純な団結ではなく、自由化の文脈の中での離合的な人間関係を基盤とし、そうした新しい人間関係の中での自立・自活の進化・発展によって、ムラ社会とギルドは崩壊の道を歩み近代化されてゆきました。人々は、ムラ社会の束縛からは農漁村共同体から都市部への人員流出によって脱し(脱中世の自由化)、ギルドの束縛からは親方−徒弟の関係性を基礎とするギルド制手工業から新進気鋭の企業家が新しく設立した工場制手工業そしてのちに工場制機械工業に産業が進化してゆくことによって脱しました(近代的な新関係での自立・自活)。決して、旧来のムラ社会・ギルドの中で闘争したから近代化したわけではありませんでした。

そうした歴史的事実を現代の日本芸能界に応用して考察すると、必要とされるのは「移籍を支援する棲み分け型労働組合+自主管理・協同経営型の労働組合」であることが見えてくるでしょう。単に移籍するだけでは「干される」可能性があるので、自主的な思想意識を一致点としてタレントたちが自主管理・協同経営型に集結する必要があります。そして、旧勢力との競争の中で勝ち残ってゆくのです。

もちろん、絶対に一筋縄ではいかない厳しい厳しい道です。要するに「中世から近代への革命」なのですから。史実の方ではおびただしい流血があったくらいです。しかし結局、自由化・自主化とはそういうことです。既得権力者に要求しているだけで社会が変わると思ったら大間違い。独立し自立するのが自主化;自らの主人になることなのです

もちろん、上記はあまりに「長期的・革命的」なものです。短期的には、円満退社の方法で移籍することが現実的でしょう。その点においては、移籍を支援する棲み分け型労働組合がまず必要とされるでしょうが、産別組合のタレント版は、役に立たないというべきでしょう。
posted by s19171107 at 20:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2016年01月17日

共産党の「参入規制強化論」の真意――スキーツアーバス転落事故の「原因」論から

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160116-00000105-mai-soci
>>> <スキーバス転落>運行代金、基準下回る ツアー会社提案か

毎日新聞 1月16日(土)23時32分配信

 14人が死亡した長野県軽井沢町のスキーツアーバス転落事故で、バス運行会社の「イーエスピー」(東京都羽村市)が、ツアーを企画した旅行会社「キースツアー」(東京都渋谷区)から、道路運送法が定める貸し切りバスの基準運賃を下回る19万円でバス運行を受注していたことが、国土交通省の特別監査で分かった。イ社を巡ってはずさんな運行管理が相次いで発覚しているが、国交省は利益率の低い受注がイ社の安全運行体制に影響した可能性もあるとみて調べる方針。


(中略)

 観光庁などは16日、バスを手配した「トラベルスタンドジャパン」(東京都千代田区)に事情を聴いた。ト社側は「キ社から運賃提案があった。最初から基準を下回っていた」と説明。「キ社から『今冬は雪が少なく客も少ない。当面は低い値段でやってほしい』という要望があった」と明かしたという。料金についてはイ社も「キ社と設定した」と話している。

 キ社の福田万吉社長は16日、報道陣の取材に「基準以下の契約とは思っていないが確認する」と話した。

 ツアーバスを巡っては、旅行会社側がバス会社に安価で発注し、バス会社が利益を出すために安全にかかるコストを軽視する実態が指摘されてきた。このため国は45人が死傷した2012年の関越道ツアーバス事故後、貸し切りバスの運賃基準を引き上げた経緯がある。国交省の担当者は「今も下限を下回る運賃が設定されたのは残念。安全を軽視している」と指摘した。
<<<
前回の記事で私は、「規制」を「生産過程における規制」と「流通過程における規制」に分割し、前者(サービス品質基準)は厳格にしつつも後者(参入規制)は最小限にすべきであると述べました。参入規制をいくら強化したところで、サービス品質を手抜きするインセンティブを抑えることとは直結しないからです。

上掲引用記事によると、「『今冬は雪が少なく客も少ない。当面は低い値段でやってほしい』という要望があった」そうです。たしかに今年は暖冬と言われていますから、スキーツアー事業での収入は思うようには行かないのでしょう。暖冬によるスキーツアー事業の売上減が今回の運行管理の杜撰さにつながったのであれば、たとえ参入規制を強化したところでスキーツアー事業自体が儲からない一種の「斜陽産業」なのですから、コスト切り詰め・手抜きの誘惑は振り払うことは出来ません。やはり、いかなるときでもサービス品質基準を満たしているかそのものを問うべきなのです。

案の定、共産党が参入規制が緩和されたことを中心に本件を報じています。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2016-01-17/2016011701_01_1.html
>>> ずさんな運行管理
事故のバス会社 指示書にルート記載なし

(略)
規制緩和 新規参入容易に

 川村雅則北海学園大学経済学部教授(労働経済論)の話 貸し切りバス業界では2000年に規制緩和が行われた。今回事故を起こしたバス会社も一昨年に異業種から貸し切りバス事業に新規参入してきた例だ。

 規制緩和では一定の条件を満たせば誰でも参入できる「許可制」になり新規参入業者は改正前の2倍近くになった。

 零細会社では経営基盤が脆弱(ぜいじゃく)で、賃金水準も低く、労務運行管理上の不備が懸念されてきた。

 しかも今回、国交省の監査結果が出てもすぐに事業者が改善しているわけでないことが分かった。規制のあり方が問われている。

 運転手の労働状態をみると、重大事故のうち「健康状態に起因する事故」が2010年〜11年で1・4倍に増加。「貸切等」でも8件から21件に急増している。今回の運転手も60代と50代で高齢化が進んでいる。夜間の勤務自体が負担を大きくするものだ。

 バス事業の規制とあわせて、労働条件の見直しが必要だろう。職業運転者は過労死が最も多い職種。長時間、深夜、不規則労働、拘束時間と休息期間など労務実態の改善が求められている。
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バス事業の規制とあわせて、労働条件の見直しが必要だろう」ではありません。百歩譲っても「労働条件の見直しとあわせて、バス事業の規制」です。主従が逆転しています。

零細会社では経営基盤が脆弱(ぜいじゃく)で、賃金水準も低く、労務運行管理上の不備が懸念されてきた」のであれば、運行管理に対する指導(=生産過程における規制)を随時行えばよいし、「一定の条件を満たせば誰でも参入できる「許可制」」なのですから、それに従って「不許可」にすればよいだけです(こうした参入規制は「流通過程における最小限の規制」に含まれる認識です)。だいたい、暖冬でスキーツアー事業自体が厳しいのだから、参入規制したところで如何にかなる話ではありませんまったく論理的につながっていない「参入規制強化論」であり、無理筋を通そうとしている点には、何か別の意図すら感じられます。あるいは、本当にただの馬鹿なのか。

同じ主張をかつての自民党が口にすれば、おそらくそれは「業界の利権を守ろうとしている」だけでしょう。民主党も「御用組合経由での業界利権確保の陳情」と見るべきでしょう。社民党だったら、本筋を外して認識を混乱させている「ただの馬鹿」です。では、共産党だったら?

私としてはチュチェ104(2015)12月20日づけ「共産党員の振る舞いから見て取れる「前提とする人間関係」と「政策の身内共同体的性質」」で述べたように、「身内共同体原理に基づく人間関係を前提とした理想社会構想」の一環と見ています。上述引用記事の批評を裏返せば、「利己主義的資本家階級を追放した上で人民的管理下で産業を保護すれば、経営基盤が磐石になり、労務運行管理上が改善されるに違いない」という想定が導出されます。その背景には、ムラ社会的保護観が見て取れます。

結局、こういう大惨事をネタに無理筋を展開し、理想社会実現の突破口にしようとしているわけです。
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2016年01月15日

「生産過程における厳格な規制」と「流通過程における最小限の規制」――自由交換経済の真の優越性を踏まえた規制

>> 軽井沢スキーバス転落 バス運行会社、事故2日前に行政処分 健康診断受けさせず

産経新聞 1月15日(金)11時54分配信

 長野県軽井沢町のスキーバス転落事故で、事故を起こしたバス運行会社「イーエスピー」(東京都羽村市)が、運転手に健康診断を受けさせていなかったなどとして、国土交通省関東運輸局から13日に道路運送法に基づく行政処分を受けていたことが15日、分かった。


(中略)

 同社は、バス計12台を運行しており、使用禁止中の車両以外の車両を運行することはできるという。 <<
「規制」の方法には2種類あると思われます。すなわち、「生産過程における規制」「流通過程における規制」です。前者は、商材・サービスの品質や労働環境、廃棄物処理等の関する規制が代表例であり、後者は、参入障壁・参入規制が代表例となるでしょう。

今回の事例も受けて、早くも「規制緩和原因論」――路線バスが死傷事故を起こしても誰も規制緩和のせいにはしないのに、ツアーバスが事故を起こすとすぐに規制緩和のせいになるのは何故?――が出始めています。しかし、上の分類に従えば、規制緩和を十把一絡げにするのは適切ではなく、生産過程における規制の緩和方法に問題があったと問題提起するべきでしょう。事件・事故は、分析向けに換言すれば、商材・サービスの品質問題です。

もちろん、生産過程は流通過程に大きく制約されます。いわゆる「プライステイカー」は、流通過程の事情に応じて生産要素を需要し生産過程を組織するからです。「流通過程における過度な規制緩和=参入障壁撤廃が、過当競争を通じて、生産過程の状況を悪化させている」という因果関係はあり得る話ですし、現にある話です。

しかし、だからといって話は、流通過程における規制の強化には直結しません。流通過程における規制は必ずしも、生産過程を改善するとは限りません。参入規制によって保護された業者が保護の上に胡坐をかいて手抜きをする可能性があります。公企業や寡占業界が引き起こした事件事故は枚挙に暇がありません。また、いくら参入規制をやったところで、需要が無く儲からないときは儲からないわけで、そうした場合のコスト切り詰め・手抜きインセンティブは参入規制では予防できません。生産過程の整備は、あくまで正攻法で行わなければなりません。手抜きは、「競争の強制法則」に由来するケースと「緩み・弛み」に由来するケースがあり、「規制か保護か」や「官か民か」といったような単純二分法で分析できるようなものではありません(関連過去ログもご参照いだければと思います)。

目的が商材・サービスの品質保証であるのならば、あくまでも生産過程における規制こそが正道・本筋です。特に昨今は、消費者の評判が業者の命脈を握っている「評判経済」です。流通過程の権力的規制が必要とされる事態はめったにありません。そのようなことに注力するよりも、消費者の眼に晒されにくい生産過程を行政が審査すべきであり、その結果を積極的に情報公開し、消費者行動に資する情報提供するべきです。あくまで生産過程における規制が主軸です。

そして、現下の競争的価格環境では利益を上げられない業者は、すでに市場から引導を渡されているわけですから、手抜きで生き残りを図る往生際の悪い業者は「処刑」すべきです。「市場の活力を用いる」という規制緩和論の文脈からも、こうした生産過程における規制は、「市場原理の正常な動作を執行している」と言い得るものであり、正しいといえます。

別の角度から考えてみましょう。以前から述べているように、自由交換経済の真の優越性は、「供給の効率性」ではなく「供給の多様性」です。供給の効率性という点においては、ソ連の急激な工業化のように、実は自由交換経済よりも規制的・計画的経済の方が優れている場合も少なくありません。

供給の多様性という新しい視点を議論に組み込むと、特定業者のみに対する特権的営業許可のような参入規制、商材・サービスの多様性を害する流通過程における規制はさらに慎むべきです。生産過程における規制・基準を満たす業者であれば原則として参入を許すべきです。商材・サービスの多様性と、商材・サービスの品質保証を両立させるためには、「生産過程における厳格な規制と流通過程における最小限の規制」という方法論を、かならずセットにして臨むべきです。

その視点で、引用記事を読み進めると、現状は、特定企業のみを特権的に営業許可しているわけではないという意味では、「流通過程における最小限の規制」の文脈であるとはいえるかもしれませんが、「生産過程における厳格な規制」とは到底いえません。「使用禁止中の車両以外の車両を運行することはできる」などというのは、生産過程における規制としては不十分です。このような中途半端な行政処分をみるに、当局の規制に対する認識には、大変に懸念すべきものがあると言わざるを得ません。規制の本来的な姿を見誤っています。

二度と同じような事故を起こさず、そして、より自己選択の余地のある質の高い生活のために持つべき視点です。
ラベル:経済学 経済 社会
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2016年01月08日

「新年辞」と「水爆実験」と「経済作戦」――朝鮮民主主義人民共和国の内的論理から

친애하는 동지들, 새해를 축하합니다!

共和国が水爆実験を成功裏に行いました。
今年の新年辞において、キムジョンウン同志が、急に祖国統一について熱弁を振るわれたのは、この伏線だったのでしょうか?
遅ればせながら、新年最初の更新として、キムジョンウン同志の新年辞から、祖国統一論を和訳いたします。
http://www.kcna.co.jp/calendar/2016/01/01-01/2016-0101-019.html
>>> (前略)

조국통일은 가장 절박하고 사활적인 민족최대의 과업입니다.
祖国統一は、もっとも切迫した死活的な民族最大の課業です。

조국해방 일흔돐이 되는 지난해에 우리는 온 민족이 힘을 합쳐 자주통일의 대통로를 열어나갈것을 호소하고 그 실현을 위하여 적극 노력하였습니다. 그러나 조국통일과 북남관계개선을 바라지 않는 반통일세력들은 전쟁책동에 광분하면서 교전직전의 위험천만한 사태까지 몰아와 내외의 커다란 우려를 자아냈습니다. 남조선당국은 북남대화와 관계개선의 흐름에 역행하여 우리의 《체제변화》와 일방적인 《제도통일》을 로골적으로 추구하면서 북남사이의 불신과 대결을 격화시켰습니다.
祖国解放70周年となった昨年、我々は民族皆が力を合わせ自主統一の大道を切り開いてゆくことを訴え、その実現のために積極的に努力してきました。しかし、祖国統一と北南関係改善を望まない反統一勢力どもは、戦争策動に狂奔し、交戦寸前の危険な事態までも起こして内外に大きな憂慮をもたらしました。南朝鮮当局は、北南対話と関係改善の流れに逆行して、我々の「体制変化」と一方的な「制度統一」を露骨に追求し、北南間の不信と対決を激化させました。

우리는 올해에 《내외반통일세력의 도전을 짓부시고 자주통일의 새시대를 열어나가자!》, 이 구호를 높이 들고 조국통일운동을 더욱 힘차게 벌려나가야 합니다.
我々は今年、「内外反統一勢力の挑戦を叩き潰し、自主統一の新時代を開いてゆこう!」、このスローガンを高く掲げ、祖国統一運動をより力強く広げてゆくべきです。

외세의 간섭을 배격하고 북남관계와 조국통일문제를 민족의 지향과 요구에 맞게 자주적으로 풀어나가야 합니다.
外国勢力の干渉を排撃し、北南関係と祖国統一問題を民族の志向と要求に合わせて自主的に解決してゆくべきです。

우리 민족을 분렬시킨것도 외세이며 우리 조국의 통일을 가로막고있는것도 다름아닌 미국과 그 추종세력입니다. 그럼에도 불구하고 남조선당국자들은 외세와 야합하여 동족을 반대하는 모략소동에 매여달리면서 우리 민족내부문제, 통일문제를 외부에 들고다니며 청탁하는 놀음을 벌려대고있습니다. 이것은 외세에 민족의 운명을 내맡기고 민족의 리익을 팔아먹는 매국배족행위입니다.
我が民族を分裂させたのも外国勢力であり、我が祖国の統一を遮っているのも他でもないアメリカとその追従勢力です。それにもかかわらず、南朝鮮当局者たちは、外国勢力と野合して同族に反対し、謀略騒ぎに隷属しながら、我が民族の内部問題:統一問題を外部に持ち出し、託しています。これは、外国勢力に民族の運命を任せ民族の利益を売り込むための売国・排族行為です。

북남관계와 조국통일문제는 어디까지나 우리 민족끼리의 리념에 따라 민족의 자주적의사와 요구에 맞게 민족자체의 힘으로 풀어나가야 합니다. 그 누구도 우리 민족에게 통일을 가져다주지 않으며 또 가져다줄수도 없습니다.
北南関係と祖国統一問題はどこまでも、我が民族同士の理念に従って民族の自主的意思と要求に合わせて民族自体の力で解決してゆくべきです。誰も[いかなる外国勢も]我が民族に対して統一を持ってきてはくれませんし、また、持ってくることも出来ません。

온 겨레는 반통일세력의 사대매국적인 외세와의 공조책동을 반대하여 견결히 투쟁하여야 합니다. 남조선당국은 민족내부문제를 외부에 들고다니며 《공조》를 구걸하는 수치스러운 행위를 그만두어야 합니다.
すべて同胞は、反統一勢力の事大・売国的な外国勢力と協力した策動に反対し、強く闘争すべきです。南朝鮮当局は、民族内部問題を外部に持ち出し、「協力」を求める恥ずべき行為をやめなければなりません。

조선반도에서 전쟁위험을 막고 평화와 안전을 수호하는것은 나라의 통일을 실현하기 위한 근본조건입니다.
朝鮮半島において、戦争の危険を阻止し平和と安全を守ることは、国の統一を実現させるための根本条件であります。

오늘 미국의 침략적인 대아시아지배전략과 무분별한 반공화국전쟁책동으로 말미암아 조선반도는 세계최대의 열점지역, 핵전쟁발원지로 되고있습니다. 미국과 남조선호전광들은 해마다 공화국을 반대하는 대규모의 핵전쟁연습을 련이어 벌려놓으면서 조선반도정세를 극도로 격화시키고 북남관계에 엄중한 장애를 조성하고있습니다. 지난해 8월사태는 북남사이의 사소한 우발적인 사건도 전쟁의 불씨로 되고 그것이 전면전으로 번져질수 있다는것을 보여주었습니다.
こんにち、アメリカの侵略的な対アジア支配戦略と無分別な反共和国戦争策動によって、朝鮮半島は世界最大の熱戦地域、核戦争発源地となっています。アメリカと南朝鮮好戦者どもは、毎年共和国に反対し、大規模な核戦争演習を用意しながら、朝鮮半島情勢を極度に激化させて北南関係に厳しい障害をつくりあげています。昨年8月の事態は、北南の間の些細な偶発的事件も戦争の火種となり、これが全面的に拡大しうることを明らかにしました。

미국과 남조선당국은 위험천만한 침략전쟁연습을 걷어치워야 하며 조선반도의 긴장을 격화시키는 군사적도발을 중지하여야 합니다.
アメリカと南朝鮮当局は、危険千万な侵略戦争演習をやめるべきで、朝鮮半島の緊張を激化させる軍事的挑発を中止すべきです。

조선반도의 평화와 지역의 안정을 위해 인내성있게 노력하는것은 우리의 일관한 립장입니다. 그러나 침략자, 도발자들이 조금이라도 우리를 건드린다면 추호도 용납하지 않고 무자비한 정의의 성전, 조국통일대전으로 단호히 대답해나설것입니다.
朝鮮半島の平和と地域の安全のために忍耐強く努力するのは、我々の一貫した立場です。しかし、侵略者・挑発者どもが少しでも我々に手を出すのであれば、すこしの容認もせぬ無慈悲な正義の聖戦、祖国統一大戦で断固として応えてゆくものです。

조국통일3대원칙과 북남선언들을 비롯한 민족공동의 합의들을 귀중히 여기고 그에 토대하여 북남관계개선의 길을 열어나가야 합니다.
祖国統一3大原則と北南宣言をはじめとする民族共同の合意を重んじ、そのもとに、北南関係改善の道を開いてゆくべきです。

조국통일3대원칙과 북남선언들은 민족공동의 통일대강이며 온 겨레는 그것이 하루빨리 리행되여 통일의 전환적국면이 열리기를 바라고있습니다.
祖国統一3大原則と北南宣言は、民族共同の統一大綱であり、すべての同胞はこれが一日も早く履行されて統一の転換的局面が開かれることを願っています。

남조선당국이 진정으로 북남관계개선과 평화통일을 바란다면 부질없는 체제대결을 추구할것이 아니라 민족의 총의가 집대성되여있고 실천을 통해 그 정당성이 확증된 조국통일3대원칙과 6. 15공동선언, 10. 4선언을 존중하고 성실히 리행해나가려는 의지를 보여야 합니다. 남조선당국은 지난해 북남고위급긴급접촉의 합의정신을 소중히 여기고 그에 역행하거나 대화분위기를 해치는 행위를 하지 말아야 합니다. 우리는 북남대화와 관계개선을 위해 앞으로도 적극 노력할것이며 진실로 민족의 화해와 단합, 평화와 통일을 바라는 사람이라면 누구와도 마주앉아 민족문제, 통일문제를 허심탄회하게 론의할것입니다.
南朝鮮当局が心から北南関係改善と平和統一を願うならば、つまらない体制対決を追求するのではなく、民族の総意の集大成であり、実践を通じてその正当性が確証された祖国統一3大原則と6.15共同宣言、10.4宣言を尊重し、誠実に履行してゆく意志を見せるべきです。南朝鮮当局は昨年の北南高位緊急接触の合意精神を重んじて、これに逆行したり、対話の雰囲気を害する行為をやめるべきです。我々は北南対話と関係改善のために、これからも積極的に努力しますし、真に民族の和解と団結、平和と統一を願う人であれば誰とでも向き合って民族の問題、統一の問題を虚心坦懐に議論します。

북과 남, 해외의 전체 조선민족은 내외반통일세력의 도전과 방해책동을 물리치고 우리 민족끼리의 기치밑에 이 땅우에 존엄높고 부강번영하는 통일강국을 기어이 일떠세우고야말것입니다.
北と南、海外のすべての朝鮮民族は、内外反統一勢力の挑戦と妨害策動を退け、我が民族同士の旗の下に、この地に尊厳高く強く豊かな統一強国を必ずや打ち立てなければなりません。

미국은 정전협정을 평화협정으로 바꾸어 조선반도에서 전쟁위험을 제거하고 긴장을 완화하며 평화적환경을 마련할데 대한 우리의 공명정대한 요구를 한사코 외면하고 시대착오적인 대조선적대시정책에 계속 매여달리면서 정세를 긴장격화에로 몰아갔으며 추종세력들을 내세워 반공화국《인권》모략소동에 미쳐날뛰였습니다. 그러나 적들의 그 어떤 모략과 책동도 삶의 터전이고 행복의 보금자리인 인민대중중심의 우리 식 사회주의를 굳건히 수호하고 빛내이려는 우리 군대와 인민의 불굴의 의지를 꺾을수 없었습니다.
アメリカは、停戦協定を平和協定にかえ、朝鮮半島において戦争の危険を除去し緊張を緩和して平和的環境を用意することについて、我々の公明正大な要求を頑なに無視し時代錯誤的な対朝鮮敵視政策に固執しながら、情勢を緊張激化へと追いやり、追従勢力どもを担ぎだして反共和国「人権」謀略騒動に熱中していました。しかし、敵どもの如何なる謀略と策動も、生の基盤であり幸福の棲みかである人民大衆中心の我々式社会主義を堅く守り輝かせている我が軍隊と人民の不屈の意志を挫くことはできませんでした。

적대세력의 도전은 계속되고 정세는 의연히 긴장하지만 우리는 혁명의 붉은기를 높이 들고 자주, 선군, 사회주의의 한길을 따라 변함없이 나아갈것이며 조선반도와 세계의 평화와 안전을 수호하기 위하여 책임적인 노력을 다할것입니다.
敵対勢力の挑戦は続いており、情勢は依然として緊張していますが、我々は革命の赤旗を高く掲げ、自主・先軍・社会主義の道に従い変わることなく進むのであり、朝鮮半島と世界の平和と安全を守るために責任ある努力を尽くすものです。

우리 당과 공화국정부는 침략과 전쟁, 지배와 예속을 반대하는 세계인민들과의 련대성을 더욱 강화하며 우리 나라의 자주권을 존중하고 우리를 우호적으로 대하는 모든 나라들과의 친선협조관계를 확대발전시켜나갈것입니다.
我が党と共和国政府は、侵略と戦争、支配と隷属に反対する世界人民たちとの連帯性をより強化し、我が国の自主権を尊重して我々と友好的に向かい合うすべての国々と親善協調関係を拡大・発展させてゆきます。

(以下略)<<<
共和国の路線について、「何を考えているのか理解不能」という声が日本国内では珍しくはありませんが、私に言わせれば、「共和国ほど分かりやすい国はありません」。社会主義国である朝鮮民主主義人民共和国は、「社会主義」と「朝鮮」という、「正統」を何よりも重視する2大要素を具有しているからです。「科学的社会主義の前衛党」は、その科学的見地から常に正しい路線を提示し推進します。あらゆるアクションが科学的であり、すべての実績ストーリーは正統性の発露です。そして「朝鮮」は、正統性を重視する伝統的・文化的発想を持っています。「正統」を証明するためのストーリーを重視する、それが共和国の内的な論理です。

朝鮮民主主義人民共和国の新年辞は、その「正統重視」の内的論理の発露であり、共和国が自ら、そのストーリーを内外に宣言している最高の資料です。共和国はプライド賭けて実現しようとするので、「考え」という意味では信憑性が高い(失敗しても成功したと言いはりますしね)ものです。上述のとおり、1月1日の新年辞が1月6日の水爆実験とモノの見事にリンクしていることからも十分にご理解いただけるものと思います。

さて、ではそのほかに注目すべき点はあったでしょうか? 私は以下のくだりに注目しました。
>> 내각과 국가경제기관들에서 경제작전과 지휘를 결정적으로 개선하여야 합니다. 경제지도일군들은 당정책으로 튼튼히 무장하고 근로자들의 무궁무진한 창조력과 현대과학기술에 의거하여 모든 부문을 빠른 속도로 발전시켜나가는 원칙에서 경제사업을 혁신적으로 작전하고 완강하게 밀고나가야 합니다. 조건이 불리하고 애로가 많을수록 경제발전의 중심고리를 정확히 찾고 거기에 력량을 집중하면서 경제전반을 활성화해나가야 합니다. 주체사상을 구현한 우리 식 경제관리방법을 전면적으로 확립하기 위한 사업을 적극 조직전개하여 그 우월성과 생활력이 높이 발휘되도록 하여야 합니다.
内閣と国家経済機関の経済作戦と指揮を決定的に改善しなければなりません。経済指導活動家たちは、党政策で堅固に武装して、勤労者たちの限りない創造力と現代科学技術に依拠し、全部門を早い速度で発展させてゆく原則において、経済事業を革新的に作戦して、強力に推し進めなければなりません。条件が不利で困難が多いほど、経済発展の軸を正確に探してそこに力量を集中し、経済全般を活性化して行かなければなりません。チュチェ思想を具現した我々式経済管理方法を全面的に確立するために事業を積極的に組織展開して、その優越性と生活力が高く発揮させるようにしなければなりません。 <<
以前から、経済管理を軍組織から内閣・関係機関の管轄に移し、機動的な運営に転換することが、伝統的計画経済からの脱却の方法論として語られてきました。外部条件の変化や国内諸勢力の権力闘争で、この変化は一進一退――2002年の改建、2000年代後半の先軍――が続いていました。

いま、キムジョンウン同志――よくもわるくも強力な指導力をもつリーダー――は、あらためて改建の路線を提示されました。次の党大会までにこの路線が、どこまで制度的に整備されるのでしょうか。

共和国の歴史を紐解くと、建国初期の土地改革に代表される大変革の例も勿論あるものの、新しいアイディアが実験的に実践されてから全面的に導入される例も多いことに気がつかされます。たとえば、共和国において民法が法典的に整備されたのは、80年代後半以降です。建国後40年近く、民法典がありませんでした。しかし、その間に同等の機能を持つ法がなかったわけでは決してありません。たとえば家族関係を規定する法律は、個別に立法されていました。そのほかの人民間の関係性を規定する法律も個別の法律として立法されていました。これらが一般法として統一整備されたのが80年代後半以降だったので、「朝鮮民法は80年代になってやっと制定された」のです。社会主義国は一般的に「設計主義的方法論による制度建設」の路線を歩むものですが、共和国は、意外なことに、「実験的・試行錯誤的方法論による制度進化」という部分が見て取れます。国家の根幹を成すチュチェ思想も形成史を振り返ればそうでした。

そうした歴史的経験則を踏まえて、こんにちを見返すと、経済管理制度変更の「実験」はどこで行われているでしょうか? 「社会主義企業責任管理制」が困難のなかでも撤回されることはなく、徐々にではありますが進化している事実――日本ではほとんど注目されていませんが――は、注目すべき要素です。

「社会主義企業責任管理制」を初めとする最近の「実験的経済政策」が、きたる党大会でどのような位置づけを与えられるのか。きわめて興味深いところです。
posted by s19171107 at 22:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする