2016年02月29日

長時間労働文化を支えている労働者の意識を変革することこそ、新社会を建設・維持する上で鍵となる

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160227-00000002-wordleaf-soci&p=1
>>> “退社8分後に出勤”で考える過労社会の処方箋「インターバル休息」制度

THE PAGE 2月28日(日)14時5分配信


(中略)

 そのEUにも満たない規制では長時間労働防止に効果がないのでしょうか。私はそうは思いません。

 注目したいのは、インターバル休息の考え方です。1日24時間のライフサイクルを考えたとき、まず休息時間を確保した上で、残りの時間で一日のスケジュールを決めていく。それは休息時間を生活の中心に据えた発想です。かつて米国などから「エコノミック・アニマル」と揶揄された日本の企業戦士たちからすれば、真逆の発想でしょう。

 会社側に導入を働き掛けたKDDI労働組合の春川徹事務局長は、「これまでの長時間労働削減の取り組みでは、私たち自身も残業を前提とした発想から抜け切れていなかった」と明かします。


勤務時間外のトラブルへの対応は?

 KDDIは通信インフラに関わる企業だけに、通信トラブルが発生すれば、勤務時間外であっても直ちに復旧作業に当たらなければなりません。

 「業務が回らなくなるのでは」「お客さまに迷惑がかかるのでは」。社員の健康を守るための制度にもかかわらず、インターバル休息の導入に対し、経営側からだけでなく社員たちからも慎重な意見が寄せられたそうです。

 KDDI労働組合によると、導入してから半年以上たちますが、制度が足かせになって仕事が滞るような事態は起こっていないといいます。逆に社内で働き方に対する意識が変わりつつあるというのです。

 春川事務局長は、「会社が労働時間ではなく、休息時間に注目するようになったことで、社員の健康確保という意識が高まりはじめました。深夜に通信トラブルが発生しても交代要員を手配したりして、職場のマネジメントにもいい影響が出てきています」と説明します。
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長時間労働からの「意識改革」迫る

 仕事と家庭の両立を意味する「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が広がりつつあります。「ワーク」に偏りすぎていた社会を「ライフ」のほうに比重を移す。「仕事ありき」から「休息ありき」への発想転換。インターバル休息は、長時間労働が染みついた私たちに意識改革を迫るものです。

 社員の健康を害してまで仕事をさせることを是としていいのか――。その発想に立てば、「退社して8分後に出社」といった異常な働き方はありえません。国内の労働人口が減少していく中、長時間労働によって貴重な労働力を過労死や職場うつなどで失うことは、社会にとっても大きな損失です。


(以下略) <<<
労働環境を改善するにあたって「制度」が話題になるとき、たいていは、「規制を強化せよ!」で終わってしまいます。「弁護士ドットコム」の記事や、労組関係者の言説などはその典型例です。

そうした流れに対して私は、チュチェ104(2015)年6月24日づけ「「修行中の若手労働者」の労働環境を守るのは「よい師匠探し」。つまり「辞める」こと。」をはじめとして、「警察を呼ばなければ目の前の泥棒は捕まらないのと同じで、「住民の防犯協力」の如きミクロ的対応が不可欠」と述べたように、マクロ的・法的規制は大切であるものの、「住民の防犯協力」「捜査協力」の如き、一人ひとり個人の協力が基盤になると考えています。いくら立派な規制があったとしても、その規制が活用される場面はあくまでミクロのフィールドなのです。防犯協力のない町では犯罪は抑止されませんし、捜査協力のない事件・泣き寝入り事案は解決には至りません

一人ひとりの個人が防犯協力・捜査協力を決意する上で、何が基準となるのでしょうか? たとえば、立小便(軽犯罪法違反)を全て逐一通報する人はいないでしょう。なぜなら、立小便が犯罪であることを知らない人もいるでしょうが、その程度は警察に伝えるほどのものではないという意識があるからでしょう。同僚のオフィスのデスクにおいてあるティッシュボックスから、鼻をかむためにティッシュペーパー数枚を無断で拝借することだって、構成要件的には窃盗罪ですが、それをいちいち通報する人もいないでしょう(まあティッシュペーパー「窃盗」事件程度では、法的にも、可罰性は阻却されると思いますけど)が、それが無用心に放置された財布の中身だったら事態は異なってくるでしょう。ティッシュペーパー数枚と財布の違いは、一人ひとりの意識です。同じ財布でも、10円しか入っていない場合と1万円の場合では、対応は異なってくるでしょう。同じ10円でも、明治28年と平成28年では大違いです。やはり意識です。

昨今は、「住民の防犯協力」「捜査協力」という基礎的要素を欠いたものであると言わざるを得ない言説が、残念ながら流行ってしまっています。法律家や左翼的労働運動活動家には親和的な「社会構造原因論」や「労働者階級被害者論」の立場に立てば、「労働者階級には既に不満が充満しているが、階級的力関係で押さえつけられてしまっている。意識改革は観念論であり、労働者階級が自ら手中にしている手段では手詰まり状態である。そこに法的手段による支援があれば、きっと労働者階級は立ち上がる。」ということになるのでしょうから、私のような「防犯協力」は検討にも値しないのでしょう。

しかし、記事中の「「業務が回らなくなるのでは」「お客さまに迷惑がかかるのでは」。社員の健康を守るための制度にもかかわらず、インターバル休息の導入に対し、経営側からだけでなく社員たちからも慎重な意見が寄せられたそうです。」というくだりにもあるとおり、労働者もこの長時間労働文化を支えているのです。もちろん、消極的な支持でしょうが、かといって積極的な変革に加わることも――事実として――ないでしょう

また、こうした見方は「社会変革の局面」にのみ注目した不十分なものでもある点、二重に間違っています。仮に新しい社会を法が救世主的に切り開いたとしても、「新社会を建設・維持する局面」においては、労働者一人ひとりの意識的協力が必要不可欠です。社会は構成員人ひとりのミクロ的な活動のベクトル合成として成り立つものです。

記事中の「KDDI労働組合によると、導入してから半年以上たちますが、制度が足かせになって仕事が滞るような事態は起こっていないといいます。逆に社内で働き方に対する意識が変わりつつあるというのです。 春川事務局長は、「会社が労働時間ではなく、休息時間に注目するようになったことで、社員の健康確保という意識が高まりはじめました。深夜に通信トラブルが発生しても交代要員を手配したりして、職場のマネジメントにもいい影響が出てきています」と説明します。」というくだりは、新社会を建設・維持する局面において明るい方向性が見えつつあることを示しているといえるでしょう。

長時間労働文化を支えている労働者の意識を指摘し、その意識を変革することこそ、新社会を建設・維持する上で鍵となる。その意味で、この記事の指摘は、まったく正しい指摘だと思います。

ところで、新社会の建設・維持において、人民大衆の思想意識を重視するのは、チュチェ思想の基本原則です。その意味では、この記事の主張は、チュチェの主張に沿うものです。チュチェの視点に立つと、この記事では、さらに以下のくだりが重要になってきます。
>>> 社員の健康を害してまで仕事をさせることを是としていいのか――。その発想に立てば、「退社して8分後に出社」といった異常な働き方はありえません。 <<<
キムジョンイル総書記は、次のように指摘されています。
>>> 生産の組織においては、単位時間の生産性向上に基本をおくべきです。(略)地下の宝物がいくら大切であっても、けっしてそれを党と革命のもっとも貴重な宝である労働者の健康と引き替えるわけにはいきません。鉱夫を大切にしなければなりません。切羽で戦闘するのも、結局は労働者階級のためです。労働者を空気の悪い切羽で寝かせないで、かならず坑外に出てきて自宅で休むようにさせるべきです。 <<<
김정일(1991)『3대혁명을 힘있게 벌려 생산에서 새로운 앙양을 일으키자』평양(和田春樹(2012)『北朝鮮現代史』岩波書店、p139)

当ブログでは、労働問題を論じるときには「自主権の問題としての労働問題」というタグを用いています。チュチェ思想は人民大衆の自主性を実現させるための思想です。日本における労働問題の解決にあたっては、チュチェ思想の自主化論が一定の方向性を与えることでしょう(革命党組織論は・・・ノーコメント)。その認識を新たにしました。
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2016年02月22日

「労働市場を通した自主化の高まり」の前に空しく響く「要求実現型労組活動家の訴え」

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160222-00086687-diamond-bus_all
>>> ディズニー値上げ・満足度低下の裏にバイト時給の低迷

ダイヤモンド・オンライン 2月22日(月)8時0分配信


(中略)

その一方で、最近のパークは「顧客満足度の低下」が指摘されている。例えば国内最大規模の消費者調査「日本版顧客満足度指数」(サービス産業生産性協議会)において、長年、ランキング上位に君臨していたが、2015年はトップ10からも外れてしまった。


(中略)

● 待遇変わらぬ現場は悲鳴

 こうした事態を招いた要因は、アルバイトスタッフの不足だ。

 長年パークで働く現役アルバイトによると、「ベテランバイトの離職率が高まっており、頭数を補うため土日に高校生・大学生バイトを増やしているものの、全く追い付かない状況」という。

 背景には時給の安さなどがある。リクルートの調査によると、首都圏のアルバイト・パートの平均時給は1027円(15年12月)で、この数年で大幅に上昇。それに対し、パークの基本時給は長らく1000円(8〜22時)のままだ。

 「かつては千葉で時給1000円といえば高く、ディズニーで働く魅力もあったが、今はそうでもない。しかも、激務かつ最高レベルの接客が求められる。舞浜駅から10分程度の東京駅に出れば、もっと時給が良くて楽なバイトがごろごろある」(前出のアルバイト)

 こうした状況を踏まえ、オリエンタルランドは昨年11月、人材強化策を発表。研修の充実や時給の引き上げを打ち出した。

 ところが、「時給が100円以上上がるのは、バイトのうちほんの一部であるため、士気など上がるはずがない」(同)というのだ。

 東京ディズニーリゾートは現場スタッフによる高度なホスピタリティーに支えられ、独自の進化を遂げてきた。入園料を値上げしたぶん、スタッフの充実を図り、サービスを向上させなければ、客の足は遠ざかる。
<<<
生産過程すなわち労働環境の質は、商品品質に直結するのですから、当然すぎる帰結です。そして、昨今の情勢を見れば、そうした劣悪な労働環境は、労働市場における転職活動によって淘汰される方向性にあります。オリエンタルランド社側も、そうした因果関係自体は理解しているので、人材強化策という形で労働市場への対応を進めているが、まだまだ十分とはいえないという内容の記事です。要するに、「労働市場の市場メカニズムが作用し、労働環境改善の方向性が見えつつある」状況であるといえます。

コメント欄に目を移すと、NPOほっとプラス代表理事で聖学院大学客員准教授の藤田孝典氏のコメントが寄せられています。藤田氏というと、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」においてもご紹介したとおり、労働市場の有効な作用という事実を意図的に無視し、無理矢理に従来型の要求実現型労働組合運動にゴシツケた挙句に、労組運動によってブラック体質の企業を正すことが労働者の義務であるなどという珍説をぶち上げたことで記憶に残っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。要するに、事態の本質を見誤った「観念論者」、思い込みに基づく処方箋を提示した「ヤブ医者」、ブラック経営者・資本家が「奴隷の陳情」に応じるなどと思い込んでいる甘っちょろい「ブルジョア博愛主義者」でした。

そんな藤田氏の今回の主張は、ますます有効に作用している労働市場の前に、従来型・要求実現型労働組合運動が存在感を見せ付けられていない情けない姿、かといって、陳情で如何にかなると思っている甘っちょろい「ブルジョア博愛主義」から脱し切れていない中途半端な姿が目立つ、ある意味「没落の姿」が見て取れます。
>>> 藤田孝典 | 2016/02/22 17:10
NPOほっとプラス代表理事 聖学院大学客員准教授

ブラック企業対策プロジェクトで取り組みをしています。
一般論ですが、従業員の離職率が高い場合には、継続した良いサービスが提供されることは少ないです。
時給や待遇面の不満が背景にあるのなら、すぐに改善をしてほしいと思います。
良いサービスが高額になるのは仕方がないことですが、そのサービスを安い賃金の労働者が請け負い、顧客にもサービスが還元されないのであれば本末転倒です。
オリエンタルランドが築いてきた顧客第一ではなく、一部の人や株主などが利潤を上げるシステムに変容しているのであれば、ファンとしても見直しをお願いしたいです。

利潤を上げていないならどうしようもないですが、オリエンタルランドグループは財務諸表や株価など極めて良好な運営です。
現場の労働者の生活改善などに寄与いただきたいです。
<<<
一つずつ検討してゆきましょう。
一般論ですが、従業員の離職率が高い場合には、継続した良いサービスが提供されることは少ないです
そんなこと大学教授に言われなくとも、生活者は肌で知っていることですw

時給や待遇面の不満が背景にあるのなら、すぐに改善をしてほしいと思います。
だから今、労働市場が自然発生的にアツくなっています。
その高まりを、労組運動の立場はどう評価し、どう対応するのかが問われているのです。それができないのならば、労働市場の活性化の前に労組運動は没落しつづけることでしょう。
まさか、「ブラック企業に要求すれば待遇が改善します!」? さすが「ブルジョア博愛主義者」ですねw

オリエンタルランドが築いてきた顧客第一ではなく、一部の人や株主などが利潤を上げるシステムに変容しているのであれば、ファンとしても見直しをお願いしたいです。
そこを暴露するのが大学教授の仕事ではないのでしょうか?
また、「ファンとしても見直しをお願いしたい」とは?
まさか、署名活動?!wwwそれじゃブラック経営者・資本家の財布は痛まないでしょう。
彼らにとってはゼニが一番大切なんですから、「ギャーギャー騒ぐけど、結局は買いに来る」のであれば、インセンティブ面でのインパクトは乏しいものです。

利潤を上げていないならどうしようもないですが、
ブラック企業対策を自称しいてる人が、こんなことを言うとは思いませんでした。
利潤を上げていないのに労働者をこき使っているというのは、つまるところ、「社会的生産力の浪費」です!
スウェーデンの「好景気・高福祉」サイクル、そのための徹底的なスクラップ・アンド・ビルドを研究してきた身からすると、こういうこと言っているから、いつまでたってもブラック企業のような非効率的な企業が生き残ると強調したいところです。
大学教授ならば、どうせズレているんだし、あまり「世論」におもねずに、既成観念を打ち破るような提案をしたほうがよいのではないでしょうか?

前掲過去ログでご紹介した際にも、藤田氏の主張は既定の結論へのコジツケが目立つ内容でしたが、今回は記事の中心に「労働市場」が据えられているのが明白なのに、主題から強引に回避しようとする余り、ますます観念的な内容になっています。他方で中途半端に「世論」に沿っているせいで、実効性にも欠けています

労働市場の作用はいつだって自動的に有効に働くとは限らないのは、私も以前から認めているとおりです。市場メカニズムが円滑に作用するための補助的な役割としての労働組合運動は必要だと思います。しかし、当の組合側がこうも現実に対して的確な立場表明ができず、意味不明な観念論、中途半端な実効性に欠ける主張を展開しているとなると、次に労働市場が機能不全に陥ったとき、それを下支えできる勢力が既に滅び去っているのではないかと心配になります。
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2016年02月11日

「北朝鮮だけが「衛星」を打ち上げてはいけない理由」の本音;馬脚が自爆的に表れる日は近い

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160209-00010002-socra-int
>>> 北朝鮮だけが「衛星」を打ち上げてはいけない理由
ニュースソクラ 2月9日(火)18時0分配信


(以下略) <<<
最近になって、急にこういう「解説」が増えてきたように思います。共和国の「宇宙開発はすべての国が持つ権利」という主張が、それなりの説得力を持っていることに対する西側の危機感なのでしょう。

たしかに、この記事が指摘する安保理決議の解説は正確なものです。安保理決議は、要するに「他の国のロケット開発は平和目的だが、北朝鮮のは軍事転用できるからダメ」と言うものであり、その立場に立てば、共和国のロケット開発は禁止されるでしょう。

しかし、ではアメリカやロシアの「ロケット開発」が、真に平和目的だと言えるでしょうか? 本人たちはそう言うでしょうが、まさかそれを額面通りに受け取る馬鹿はいないでしょう。多くの技術は軍事転用可能です。日本のインドへの原発輸出は、印パ核対立への燃料補給にならないのでしょうか?

つまり、安保理決議は、結局「のび太のくせに生意気な!」の類いのものに過ぎないのです。

もっとも、「国際的取り決め」というものは、そういうものです。後述しますが、私は、「現在の国際社会」の共和国に対する仕打ちは不満ですが、「不平等で不正義だ!」などとブーブー言うつもりはありません。日本はアメリカ追従のケースが多いので、「国際的取り決め」の被害者側になることが少なく、その本質に気づきにくいのですが、たとえば捕鯨問題は、日本が「オマエだからダメ」の被害者側に立っている珍しいケースです。捕鯨問題(イルカだったかな?)において、かつて、日本の捕鯨関係者(和歌山の漁協だったと思う)は、「国際会議は日本側の言い分をほとんど聞いてくれなかった!」と憤慨していましたが、それは当たり前です。ああいう国際会議は、自国の利益を「それっぽい体裁」に整えてごり押しすることが目的であり、虚心坦懐の姿勢で利害調整することは決して目的ではありません。形式上は「会議」というスマートな見立てですが、魂胆は帝国主義全盛期と大して変わってはいないのです。

共和国のロケット開発もこの構図です。結局、アメリカに敵対しており、ロシアほど実力がないから安保理決議が出されているわけであり、その魂胆はまさに、帝国主義そのものなのです。

「北朝鮮だからダメ」という西側の魂胆が明らかになればなるほど、共和国にとっては実は有利になっていきます。自主・平和・親善の旗手を自任し、帝国主義者との対決の最前線にいるという位置づけが真実味を更に増しますし、「アメリカが核武力をも以って脅迫している上に、『北朝鮮だからダメ』などという殺る気満々の姿勢を隠しもしなくなってきているので、我々も自衛手段を整える必要がある」という主張に正当性が増すのです。いま共和国が熱心に宇宙開発はすべての国が持つ権利と宣伝しているのは、将来的にアメリカの帝国主義的本性を暴露するための布石かもしれませんよ(それくらい戦略的にプロパガンダを打つ国ですから)。

前述したように、事実として現在の国際社会の支配論理はこうなっている以上、ブーブー言ったところで仕方ありません。もちろん、それは共和国がもっともよく分かっているはずです(私自身、この認識は共和国から学びました)。キムジョンイル総書記逝去時の訃報電にあった「우리 당과 인민은 자주, 평화, 친선의 리념에 기초하여 세계 여러 나라 인민들과의 친선단결을 강화하며 지배와 예속, 침략과 전쟁이 없는 자주적이며 평화로운 새 세계를 건설하기 위하여 적극 투쟁할것이다.」というくだりを思い起こします。

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チュチェ106(2017)年7月29日づけ「ICBM発射実験は安保理決議違反だが正当防衛
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2016年02月07日

「なぜ共産党は嫌われているのか?ー設立から振り返る」に、ここ15年の新事情を付け加える

http://www.huffingtonpost.jp/yuki-murohashi/history-of-jcp_b_9137468.html
>>> なぜ共産党は嫌われているのか?ー設立から振り返る

投稿日: 2016年02月03日 17時04分 JST 更新: 2016年02月03日 17時04分 JST

民主党が大敗し、自民党・公明党が政権に返り咲いた2012年総選挙。

政権交代は「一強多弱」の始まりとなったが、同時に90年以上続く「長寿政党」共産党の新たな興隆の始まりでもあった。2013年参院選では改選3に対し8議席獲得。2014年総選挙では8議席から21議席と、まさに躍進続きだった。

そんな「波に乗る」共産党が、2015年9月に国会を通過した「安全保障法制」を廃止にするべく、「国民連合政府」構想を打ち上げた。民主党をはじめとする全野党に協力を呼びかけ、「安保法制廃止」一点に絞って本年7月の参院選で選挙協力をしようというのである。

しかし民主党保守派を中心に抵抗感が強く、「あり得ない」(民主党 岡田克也代表)、「シロアリみたいなもの」(民主党 前原誠司元外相)、とまで言われてしまい、構想は進んでいない。

一体、なぜ共産党はそこまで嫌われるのだろうか?(特に若い世代は知らない人が多いだろう)


そもそも共産主義とは何か

(中略)

日本共産党の発足

(中略)

ぬぐえない暴力に対する不信感

(中略)

共産圏の世界的な退潮

(中略)

独自路線の貫徹が独善的との批判を招いた

(中略)

変革への本気度が問われる共産党

以上、共産党につきまとうネガティブなイメージは、主に党が実現しようとする「共産主義」そのものに対する嫌悪感と、これまでの歴史で積み上げてきた様々な不信感が基盤となっているようである。

上記で紹介したように、近年は暴力事件も起こしていなければ、綱領も現実路線に切り替わってきている。しかしそれがどこまで「共産党の本心」なのか、共産党は本当に変わる気があるのか、多くの人がいまだ疑心暗鬼であることの表れが、冒頭の「国民連合政府」構想の否定につながっているのだろう。

結党94年を迎える老舗政党の本気度が、今問われている。
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いずれも正しい指摘ではあります。しかし、いささか古い情報を基に「なぜ共産党は嫌われているのか」を論じているように思われます。おそらく日本共産党側もこうした切り口に対する反論――かなり巧妙なレベルにまで作りこんでいるはずです――は用意しているでしょう。ソ連崩壊以降の日本共産党は、ソ連体制全面否定は勿論、市場経済の肯定を以前にも増して積極的に行っていますし、また、部分的ではあるもののレーニン批判にも踏み込んでいます。そうしたここ最近の動向を踏まえた上で、「それでも日本共産党は信用ならない」という切り口で掛からなければなりません。

独自路線の貫徹が独善的との批判を招いた」というくだり。日本共産党の唯我独尊っぷりは、原水協や同和問題といった古い例を出す必要はありません。たとえば、2001年〜2012年の国政選挙において日本共産党は連戦連敗であったにも関わらず、党最高幹部は引責辞任しようとせず、懲りもせずに同じような主張を繰り返すだけでした。その1点を取るだけでも党の体質が独善的・教条的であることの説明には十分ですし、責任観念の欠如という論証にもなります。もはや宗教の域にも達しつつあります。

そして、この「己の間違いをなかなか認めない無謬の党」という振る舞いは、まさにソ連共産党や中国共産党などの振る舞いと一致するものであり、こうした独善性は、独裁を心理的に許容する致命的な脇の甘さに繋がります。「絶対に正しいのだから、反対意見など最終的には踏み潰しても問題ない」という理屈です。事実、「科学的社会主義」が、すでにレーニン時代から妥協なき独裁政治であった理由は、そこにありました。スターリン以降はそこに「腐敗」が混じって事の本質が霞んでいますが、20世紀の経験から見えてくる共産党独裁の根底は独善です

2月10日追記
京都市長選挙におけるダブルスコア惨敗にたいする党中央の強弁は、久々の敗戦の弁でありながら、党の体質がまったく変わっていないことを自ら証明してくれました。
http://www.sankei.com/politics/news/160208/plt1602080038-n1.html
>>> 2016.2.8 21:03

ダブルスコアで惨敗なのに「国民的共同が大きく発展」と強弁 京都市長選で共産・山下書記局長
<<<

視点を変えます。この記事では一切触れられていませんが、経済政策のレベルの低さも人々の判断材料として大きなウェイトを占めているものと思われます。前述のとおり日本共産党は、市場経済の活用を肯定し「市場経済を通じた社会主義の実現」を説いています。これは、「たとえ自由市場を認めていたとしても、経済全体に影響をあたえるような『瞰制高地(管制高地)』を社会主義勢力が掌握していれば、その経済は社会主義的であるといえる」という理屈であり、もともとはレーニンが戦時共産主義からネップへの転向を正当化するために繰り出した「瞰制高地(管制高地)」論に基づく主張です。日本共産党的には、レーニン由来である以上は「正統」であり、これを以って彼らは「もはや計画経済は信奉していない」ことの論拠だとしています。

しかし、この瞰制高地論は、依然として計画経済的な発想であり、彼らの自由市場観がいかに本質から外れた貧相なものであるかを如実にあらわしています。自由市場というものは決して、単なる資源の効率的配分機構ではありません(その意味では新古典派的市場観も日本共産党の主張と同じくらい間違っています)。市場において個々人が自由に商取引を行うことにより、需要と供給に多様性が担保され、それによって全く新しいアイディアが生まれ、ニーズが掘り起こされるという点が自由市場の本当のメリットです。換言すれば、自由市場というものは、与えられた条件を最適化するメカニズムではなく、未知の解を探査しながらそれ自身が進化しつづけているメカニズムなのです。

そうした進化論的市場観に立てば、瞰制高地などという考え方のインチキさはご理解いただけるでしょう。未知の解を探査しながら常にダイナミックに進化しているシステムにおいて、いったい何処のポイントが「高地」だと言えるのでしょうか? ましてや、どうして社会主義的に掌握していられるのでしょうか? もし、正確に瞰制高地を認識でき、かつ、長く掌握できる秘策があるのならば、いますぐ立派な党本部ビルを売り払ってその代金で瞰制高地の企業株を買ったほうがいいですよ! それ以前に、そんなものがあったら投資家が既に買占めているでしょうに・・・

日本共産党が、競争を否定的に捉え、場合によっては切磋琢磨も嫌がるという点も、彼らへの支持を減らす要因として作用していると思われます。伝統的に日本左翼は、たとえば教育現場での「順位づけ」を否定してきたように、競争を否定的に捉える傾向にありました。そうした傾向を保ったままの状況において、近頃、「コモンズ」をはじめとした新しいミクロ的な共同体思想や、「定常社会」といった成長路線とは距離を置いた立場が注目されることが増えて来、そうした波に乗っかる形で日本共産党が自党の政策を位置づけ宣伝する場面がここ数年、とくに東日本大震災以降に見られるようになって来ました(まだ全党レベルの動向というよりは、下級組織レベルの動向ですが)。「地域の中小商工業者・農家が連合し、全国企業を排斥し、高い参入障壁と互助的産業保護によって経済成長は目指さずボチボチやってゆく」といった青写真、ムラ社会的・人民公社的な地域共同体の青写真といえば、私の言いたいことが伝わるでしょうか。

日本共産党は前衛政党なので、こうした人民公社的共同体の瞰制高地を共産党員が占めることは当然の前提ではあるものの、それぞれのミクロ共同体はそれなりに独立して活動する想定のようで、その意味では旧来的な中央集権制とは若干様相が異なるようです。その点は一歩前進かもしれません。しかし、競争を否定的に捉える人々が「高い参入障壁と互助的産業保護」を掲げることは、結果的に切磋琢磨も排斥してしまいます。これでは、幾ら中央集権制から脱しても、停滞社会をもたらすだけです。

世界が前進している中で日本だけが立ち止まれば、相対的に立ち遅れることは明白です。また、豊かさというものは、前進し続けてようやく現状維持できる類のものです。完全自給自足社会ならまだしも、「立ち止まるだけなら現状は維持できるだろう」などというのはド素人の発想。立ち止まる=ジリ貧なのです。

結局、ソ連崩壊以降、特にここ15年の日本共産党は、
(1)負けた選挙結果を受けての党幹部の言動を見るに独善的かつ無責任。もはや宗教の域にも達しつつある。
(2)経済の瞰制高地論を見るに依然として計画経済的発想に立っている。
(3)最近の、人民公社的なミクロ共同体論・非成長主義論を見るに停滞社会の萌芽が見える。
以上の点において、やはり以前から変化はなく(3)に至っては悪い方向に歩み始めている傾向さえも見られるのです。

記事中、「どこまで「共産党の本心」なのか、共産党は本当に変わる気があるのか、多くの人がいまだ疑心暗鬼である」としていますが、いくら「躍進」しているとはいえ、いまだ多くの人は「疑心暗鬼」どころか、明確に「ダメ」だと見ているのではないでしょうか。
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