>>> “退社8分後に出勤”で考える過労社会の処方箋「インターバル休息」制度労働環境を改善するにあたって「制度」が話題になるとき、たいていは、「規制を強化せよ!」で終わってしまいます。「弁護士ドットコム」の記事や、労組関係者の言説などはその典型例です。
THE PAGE 2月28日(日)14時5分配信
(中略)
そのEUにも満たない規制では長時間労働防止に効果がないのでしょうか。私はそうは思いません。
注目したいのは、インターバル休息の考え方です。1日24時間のライフサイクルを考えたとき、まず休息時間を確保した上で、残りの時間で一日のスケジュールを決めていく。それは休息時間を生活の中心に据えた発想です。かつて米国などから「エコノミック・アニマル」と揶揄された日本の企業戦士たちからすれば、真逆の発想でしょう。
会社側に導入を働き掛けたKDDI労働組合の春川徹事務局長は、「これまでの長時間労働削減の取り組みでは、私たち自身も残業を前提とした発想から抜け切れていなかった」と明かします。
勤務時間外のトラブルへの対応は?
KDDIは通信インフラに関わる企業だけに、通信トラブルが発生すれば、勤務時間外であっても直ちに復旧作業に当たらなければなりません。
「業務が回らなくなるのでは」「お客さまに迷惑がかかるのでは」。社員の健康を守るための制度にもかかわらず、インターバル休息の導入に対し、経営側からだけでなく社員たちからも慎重な意見が寄せられたそうです。
KDDI労働組合によると、導入してから半年以上たちますが、制度が足かせになって仕事が滞るような事態は起こっていないといいます。逆に社内で働き方に対する意識が変わりつつあるというのです。
春川事務局長は、「会社が労働時間ではなく、休息時間に注目するようになったことで、社員の健康確保という意識が高まりはじめました。深夜に通信トラブルが発生しても交代要員を手配したりして、職場のマネジメントにもいい影響が出てきています」と説明します。
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長時間労働からの「意識改革」迫る
仕事と家庭の両立を意味する「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が広がりつつあります。「ワーク」に偏りすぎていた社会を「ライフ」のほうに比重を移す。「仕事ありき」から「休息ありき」への発想転換。インターバル休息は、長時間労働が染みついた私たちに意識改革を迫るものです。
社員の健康を害してまで仕事をさせることを是としていいのか――。その発想に立てば、「退社して8分後に出社」といった異常な働き方はありえません。国内の労働人口が減少していく中、長時間労働によって貴重な労働力を過労死や職場うつなどで失うことは、社会にとっても大きな損失です。
(以下略) <<<
そうした流れに対して私は、チュチェ104(2015)年6月24日づけ「「修行中の若手労働者」の労働環境を守るのは「よい師匠探し」。つまり「辞める」こと。」をはじめとして、「警察を呼ばなければ目の前の泥棒は捕まらないのと同じで、「住民の防犯協力」の如きミクロ的対応が不可欠」と述べたように、マクロ的・法的規制は大切であるものの、「住民の防犯協力」「捜査協力」の如き、一人ひとり個人の協力が基盤になると考えています。いくら立派な規制があったとしても、その規制が活用される場面はあくまでミクロのフィールドなのです。防犯協力のない町では犯罪は抑止されませんし、捜査協力のない事件・泣き寝入り事案は解決には至りません。
一人ひとりの個人が防犯協力・捜査協力を決意する上で、何が基準となるのでしょうか? たとえば、立小便(軽犯罪法違反)を全て逐一通報する人はいないでしょう。なぜなら、立小便が犯罪であることを知らない人もいるでしょうが、その程度は警察に伝えるほどのものではないという意識があるからでしょう。同僚のオフィスのデスクにおいてあるティッシュボックスから、鼻をかむためにティッシュペーパー数枚を無断で拝借することだって、構成要件的には窃盗罪ですが、それをいちいち通報する人もいないでしょう(まあティッシュペーパー「窃盗」事件程度では、法的にも、可罰性は阻却されると思いますけど)が、それが無用心に放置された財布の中身だったら事態は異なってくるでしょう。ティッシュペーパー数枚と財布の違いは、一人ひとりの意識です。同じ財布でも、10円しか入っていない場合と1万円の場合では、対応は異なってくるでしょう。同じ10円でも、明治28年と平成28年では大違いです。やはり意識です。
昨今は、「住民の防犯協力」「捜査協力」という基礎的要素を欠いたものであると言わざるを得ない言説が、残念ながら流行ってしまっています。法律家や左翼的労働運動活動家には親和的な「社会構造原因論」や「労働者階級被害者論」の立場に立てば、「労働者階級には既に不満が充満しているが、階級的力関係で押さえつけられてしまっている。意識改革は観念論であり、労働者階級が自ら手中にしている手段では手詰まり状態である。そこに法的手段による支援があれば、きっと労働者階級は立ち上がる。」ということになるのでしょうから、私のような「防犯協力」は検討にも値しないのでしょう。
しかし、記事中の「「業務が回らなくなるのでは」「お客さまに迷惑がかかるのでは」。社員の健康を守るための制度にもかかわらず、インターバル休息の導入に対し、経営側からだけでなく社員たちからも慎重な意見が寄せられたそうです。」というくだりにもあるとおり、労働者もこの長時間労働文化を支えているのです。もちろん、消極的な支持でしょうが、かといって積極的な変革に加わることも――事実として――ないでしょう。
また、こうした見方は「社会変革の局面」にのみ注目した不十分なものでもある点、二重に間違っています。仮に新しい社会を法が救世主的に切り開いたとしても、「新社会を建設・維持する局面」においては、労働者一人ひとりの意識的協力が必要不可欠です。社会は構成員人ひとりのミクロ的な活動のベクトル合成として成り立つものです。
記事中の「KDDI労働組合によると、導入してから半年以上たちますが、制度が足かせになって仕事が滞るような事態は起こっていないといいます。逆に社内で働き方に対する意識が変わりつつあるというのです。 春川事務局長は、「会社が労働時間ではなく、休息時間に注目するようになったことで、社員の健康確保という意識が高まりはじめました。深夜に通信トラブルが発生しても交代要員を手配したりして、職場のマネジメントにもいい影響が出てきています」と説明します。」というくだりは、新社会を建設・維持する局面において明るい方向性が見えつつあることを示しているといえるでしょう。
長時間労働文化を支えている労働者の意識を指摘し、その意識を変革することこそ、新社会を建設・維持する上で鍵となる。その意味で、この記事の指摘は、まったく正しい指摘だと思います。
ところで、新社会の建設・維持において、人民大衆の思想意識を重視するのは、チュチェ思想の基本原則です。その意味では、この記事の主張は、チュチェの主張に沿うものです。チュチェの視点に立つと、この記事では、さらに以下のくだりが重要になってきます。
>>> 社員の健康を害してまで仕事をさせることを是としていいのか――。その発想に立てば、「退社して8分後に出社」といった異常な働き方はありえません。 <<<キムジョンイル総書記は、次のように指摘されています。
>>> 生産の組織においては、単位時間の生産性向上に基本をおくべきです。(略)地下の宝物がいくら大切であっても、けっしてそれを党と革命のもっとも貴重な宝である労働者の健康と引き替えるわけにはいきません。鉱夫を大切にしなければなりません。切羽で戦闘するのも、結局は労働者階級のためです。労働者を空気の悪い切羽で寝かせないで、かならず坑外に出てきて自宅で休むようにさせるべきです。 <<<김정일(1991)『3대혁명을 힘있게 벌려 생산에서 새로운 앙양을 일으키자』평양(和田春樹(2012)『北朝鮮現代史』岩波書店、p139)
当ブログでは、労働問題を論じるときには「自主権の問題としての労働問題」というタグを用いています。チュチェ思想は人民大衆の自主性を実現させるための思想です。日本における労働問題の解決にあたっては、チュチェ思想の自主化論が一定の方向性を与えることでしょう(革命党組織論は・・・ノーコメント)。その認識を新たにしました。