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>>> 記事 キャリコネニュース■経済は円環的相互作用システムなのだから、一箇所だけ対応しても意味がない
2016年04月15日 19:13
渋谷で「ファストフード・グローバルアクション」開催 「時給1500円」求めてセンター街で参加者100人が声をあげる
4月15日、世界40か国以上で「ファストフード・グローバルアクション」が行われた。アメリカ発のこの世界連帯行動は今回が3回目。当初はファストフード産業で働く労働者が中心となっていたが、今では低賃金で働く労働者全体にうねりが広がっている。
東京渋谷では、複数の労働組合からなる「最低賃金大幅引き上げキャンペーン委員会」が主催し、アクションに参加した。約100人(主催者側発表)がセンター街で、「1500円なければ生活できないぞ!」「賃金上げろ」と声をあげて通行人にアピールをした。
ニューヨークやカリフォルニアに続き、日本でも最低賃金大幅アップを目指す
スタート地点となったのはセンター街入口。「誰でも最低時給¥1500」と書かれたのぼりや、マクドナルドのマスコットキャラ、ドナルドに扮した参加者が珍しかったのか、多くの通行人や外国人観光客がスマホで写真を撮っていた。小学生の男の子が「なんでこんなところにドナルドがいるの?」と参加者に話しかける一幕もあった。
参加者は15時に出発し、約20分間、センター街を練り歩きながら、拡声器を使って通行人に訴えた。
「日本の最低賃金低すぎます。東京でも907円。年間フルタイムで働いても年収200万円にもいきません。これでは低すぎる」
「世界40か国以上で行動が行われています。低賃金の労働者が、最低賃金をあげようと声をあげています。アメリカではその結果ニューヨーク市やカリフォルニア州で次々と時給15ドル、最低賃金アップが実現しています。私たちはその戦いに続いて、日本でも最低賃金の大幅アップを目指したいと考えています」
また、世界各国の最低賃金事情が書かれたリーフレットを配布。さらに、アピール行動の様子を写真に撮ってネットに拡散することも呼び掛けていた。その後、センター街のマクドナルドまでたどり着くと、参加者が集合し、
「最低賃金を大幅にあげましょう!」「時給1500円にしろ」「我々は声をあげるぞ!」
「まともに暮らせる賃金よこせ」「世界の労働者と連帯して戦うぞ!」
とシュプレヒコールをあげた。
(以下略) <<<
経済システムは、生産局面・分配局面・支出局面の3局面が循環することによって成り立っています。経済システムで歪みが発生しているというのは、この循環のどこかで不具合が発生していることとイコールです。しかし、ここで重要なのは、チュチェ102(2013)年2月21日づけ「「鶏が先か卵が先か」が経済である」を筆頭に以前から述べてきたように、原因と結果が円環状に相互作用しているので、どこか一点にピンポイントで処置を行っても、システム全体の健全化には繋がらないという点があります。上記過去ログを再掲します。
>>> 良くも悪くも経済はシステムとして変動しています。そして、その相互依存関係は円環状に絡み合っており、複雑です。それが経済の正体だと思うんですが、どうも「『変動の中心』というものが何処かにあって、それが経済を支配している」という考えが根強いように思います。ちょうど、「身体の不調は、体内の何処かにある病巣のせいだ!」みたいな感じで。しかし、「病巣」が身体のバランスの崩れのなかから発生してくるように、経済の「変動の中心」と思われているものもまた、経済システム全体のバランスのなかから発生してくるものです。諸法無我なのです(ちょっと意味が違うか?)。
ちょっと上手く表現しにくいんですが、経済政策を西洋医学みたいに「病巣を切除すれば病気は治る」みたいな発想ではなく、東洋医学のように「病気は結局のところ身体のバランスの崩れだから、トータルに体質改善してゆく」といった発想でやったほうがいいんじゃないかと思います。 <<<
「円環的相互作用のシステム」という観点から経済システムを捉える立場で今回の「最低賃金大幅引き上げキャンペーン」を検討すると、「生産性の向上」という生産局面でのアプローチが全く欠けており、分配局面での主張に限定されていることに気がつきます。これではシステムとしての経済における歪みの改善には至り得ません。
日本経済の生産性の低さは、以前から指摘されている通りです。Googleで「日本 生産性 低い」と検索してみてください。いくらでも出てくるでしょう。もちろんそうした主張の中には、「生産性が向上すれば全て解決する」といわんばかりの生産局面に主張が限定されている主張、本キャンペーンと根底において大して変わらない主張もありますので注意が必要ですが、重要な指摘ではあります。
■一箇所への対応が予期せぬシステム全体の障害を引き起こし得るが、そうした想定が見られない
上述の経済システム観を持った私に言わせれば、「最低賃金大幅引き上げキャンペーン」は「経済オンチの主張」と言わざるを得ません。おそらく彼らに言わせれば、「分配が健全化され消費者の購買力が上がることが刺激となって、生産が拡大され、経済循環が回るようになる。分配・支出⇒生産なのだ」といったところなのでしょうが、分配局面の健全化のためには生産局面の健全化が必要である(生産⇒分配・支出)のも事実です。また、分配局面に変化が起これば、それに対応した新しい・予期せぬ変化が他の局面で新規に発生するでしょう(円環的相互作用のシステムなのだから)。「上に政策あれば下に対策あり」。よく危惧される「時給が上がったので、商売たたみます」という展開は、分配局面の変化を受けて生産局面に新規の影響が発生する典型例です。
たとえ円環的相互作用システムの立場ではなく、直線的なドミノ倒し的因果関係システムに立ったとしても、そうした主張は「分配問題以外に経済システムには問題がない」という前提に立っています。もちろん、現実はそうではありません。経済シテスムは、あちこちズタボロです。
■「経済オンチ」の背後に見える危険な哲学レベルでの世界観的誤り――設計主義に繋がる思考
熊本地震の翌日とはいえ主催者発表で参加者100人では世間的にもあまり相手にされていない運動なのでしょうから、現時点ではそこまで深堀りする必要のない主張なのかもしれません。しかし、単なる経済オンチに留まらぬ「根本における哲学レベルでの世界観的誤り」について、やはり予防・警戒線的に述べておかなければならないと思います。経済を論じるときに危険な思考・思い違いが見え隠れしています。
本キャンペーンのように「分配問題にしか注目しない言説」の根底にはどういう思考回路があるのでしょうか? それは、「事物には単一・究極的な原因がある」という見方であり、そして「究極の原因に対応する究極の真理を掴み、改善実践を行えばよい」という考え方が見受けられます。これは、最終的には設計主義に繋がる危険な考え方です。
現実世界の実相はそうではありません。因果関係は相互作用的であり、単一・究極のものはありません。よって、現実世界への対応は、相互作用システムを踏まえたトータルなものでなければなりません。経済分野における対応について言えば、「分配も生産も、そして勿論支出も同時にトータルに」なのです。前掲過去ログでも述べたように、東洋医学のように「病気は結局のところ身体のバランスの崩れだから、トータルに体質改善してゆく」といった発想に立つことが求められているのです。
■カオスという実相と設計主義的思考
また、この相互作用的な経済システムは、「初期入力値に鋭敏なカオス的性質」があります。一人ひとりの生産者・消費者の僅かな経済活動の変更の波紋が市場メカニズムの複雑な作用を通して雪だるま式に膨れ上がってゆき長期的には大きな変動が発生するという意味です。カオス理論(カオス力学)における「バタフライ効果」が経済システムにおいても観察されます。
こうしたカオス的性質をもった経済システムにおいては、マクロレベルでの一括した組織的対応といった設計主義的アプローチは原理的に不可能です。経済システムを一段上から「設計・指導」し、それを「長期的に徹底」することはできないのです。となれば、次善の策として、ミクロレベルでの市場活用型アプローチしかあり得ません。ミクロレベルでの諸活動が市場メカニズムを通して、ベクトルの合成の形でマクロ的な変動をもたらします。
設計的・計画的対応を織り込むにしても、あくまで市場変動の内でのミクロレベルでの即応的な形態、「市場の一員」としての立場で臨むしかあり得ません。もっとも、市場活動自体がそもそも「バタフライ効果」を起こしているのだから、市場システムを破棄して完全なマクロレベルでの設計主義経済に移行するというラジカルな主張も理論的にはあり得る立場でしょう。しかし、計画経済に対するハイエクの予測がことごとく当たったことが明白な現代において、そういうことを言う人はもういないでしょう。経済システムのベースは市場主義しかあり得ません。そして、市場変動の調整は上述の通り、市場を中心に据える大前提で臨むほかないのです。
■まとめ
つまり、「事物には単一・究極的な原因がある」という思考は、「究極の原因に対応する究極の真理を掴み、改善実践を行えばよい」に繋がり、それは設計主義に発展してゆくが、現実世界の実相は設計主義的アプローチが有効な仕組みになってはおらず、むしろ著しく悪い結果に帰結になりかねないのです。「事物には単一・究極的な原因がある」は破滅的結果をもたらしかねないスタートラインの危険な思考なのです。
4月15日に東京で行われた「最低賃金大幅引き上げキャンペーン」の「根本における世界観的問題」の重大性、世界観(哲学)レベルでの誤りとその危険性がお分かりいただけたのではないかと思います。
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