http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160430-00001860-besttimes-soci&p=1>>> ブレない千葉麗子さん 極左(パヨク)から極右(ウヨク)へ360度の大回転
BEST TIMES 4月30日(土)18時0分配信
・「パヨク」を「保守」「右派」「ウヨク」と読み替えると…
一部で話題(? )の元アイドル千葉麗子氏による著書『さよならパヨク』(青林堂)を読んだ。私が生涯の中で読んだノンフィクションの中でもベスト5に入る出来である。何と素晴らしい理路整然とした美文であるのだろう、と読了後にひとしきり感激にむせび泣いた。というのは嘘だが、この本の中に出てくる「パヨク(“左翼”の揶揄表現)」は、それをすべて「保守」「右派」「ウヨク」と置き換えても全く意味が通じるところに驚愕した次第である。
(中略)
このように、「パヨク」を「保守派」「右派」に置き換えただけでその意味がすべて通じるという奇文を読んだのは、当方としては、はじめての読書経験であったので逆説的に極めて貴重と言わなければならない。さらに千葉氏の「パヨク斬り」は続く。
(中略)
・極左から極右へ 360度の大回転でスタート地点に戻る
本書を読んだ結論としては、「地球は丸い」という当たり前の事実を再確認できたという単純だが重要な真実に改めて気付かさせてくれた、という点である。
極左の方向(千葉氏曰く、“パヨク”)にドンドンと進むと、地球は丸いのでいつの間にか極右側に進むが、はからずも最終的には360度回転して出発点に戻っている。「極左」と「極右」のイデオロギー的回転もこれと全く同じもので、千葉氏は本書の中で繰り返し「パヨクと決別した=さよならパヨク」といっているが、彼女の本心は一向に、まったくブレていないということがわかる。180度回転して極右になったつもりが、実際には360度の回転であり、結果、出発点は同じ地点から一歩も動いていないのだ。
いみじくも千葉氏本人が述懐するように、「彼氏が変わるごとに趣味が変わる」というニュアンスの思想遍歴を持つ彼女の思想地図は、現時点に至るまで全く変更されていないと感じた。
(中略)
文/古谷 経衡<<<
まさにその通り! 直感的には感じていたことで、いつかまとめたいと思っていた現象を、みごとに実体験に基づいて報告してくれた千葉氏、そしてそのエッセンスを抽出してくださった古谷氏に感謝感謝です。
■なぜ私はネトウヨ・パヨクを取り上げなかったのか
旧ブログ時代、私は、
光市事件問題を筆頭に、刑事事件・刑事裁判に関する世論を継続的に分析してきました。また、現ブログでは
日本共産党の主張について、政策面はもとより哲学面からも批判的に検討してきました。他方、
「ネトウヨ」も「パヨク」もほとんど言及してきませんでした。「パヨク」は最近の事象ですが、「ネトウヨ」、「ネトウヨ世論に感化されたウヨク」、「ネトウヨ活動に飽き足らず現実世界に飛び出てきてしまった『重症患者』」(本稿では一括して「ネトウヨ」とします)は、少なくとも10年以上前から蠢いていた連中です。しかし、
私は10年間一貫して、ほとんど触れて来ませんでした。
これは、「世論」「共産党」「ネトウヨ」は、三者三様の危険性はあるものの、(1)刑事事件・刑事裁判を巡る世論は、本当に「山が動きそう」で、特に光市事件は「世論が山を動かしてしまった」事案であったこと、(2)日本共産党は、一見して「正論」を述べつつ、
とんでもない主張を抱き合わせ商法的に混ぜ合わせてくる党である点、特に昨今は、強固な組織票をチラつかせて民進党に擦り寄り間接的影響力を及ぼそうと画策をめぐらせており、依然として危険性が高いのに対して、(3)ネトウヨは、政治権力を担える力量は到底なく、「山を動かす」気配もまったくなく、その主張を「抱き合わせ商法」的に混ぜ込める余地もなさそうだったからです。
要するに、ネトウヨには現実的危険性がない、「ハリコの虎」でしかないと思われたからです。
やっていることは「現代日本に甦った紅衛兵」ですが、結局、なんら建設的なことはできないと判断したからでした。
パヨクは、「カウンター」を主要な活動としています。たしかに、ネトウヨ言説に感化された連中が現実世界に繰り出してきてヘイトデモをしているところには、往々にしてパヨクが出現します。これはすなわち、
パヨクはネトウヨと同じ土俵で取っ組み合っている連中である、同じレベルの連中であるということです(「チョンをぶっころせー」と叫んでいるヘイトウヨが、本当に在日コリアンを殺害した例ってありましたか? なんでそんなに目の色を変えてカウンターするんでしょうね? 精神攻撃だから? 私は、共産党員の人格攻撃で精神的に参ってしまった人を何人も知っており、支援してきましたが、ホント「棲み分け」が特効薬だと思いますよ。人格攻撃するような人たちは、右も左も「治りません」からね)。
ネトウヨが上述の通りのウルサイだけの現実的危険性がない連中であれば、そんな連中と同じ土俵で戦うことを活動のメインにすえているパヨクも、客観的に見れば同じ程度の連中でしかないことは容易に推測できます。
また、ネトウヨ同様、
政治権力を担える力量は到底なく、「山を動かす」気配もまったくなく、その主張を「抱き合わせ商法」的に混ぜ込める余地もなさそうです。その点において、
「ネトウヨなど取り上げる価値もない」と見なしていた私は、同様に
「パヨクなど取り上げる価値もない」と判断したのでした。
おそらく、ネトウヨ同様「現代日本に甦った紅衛兵」であるパヨクは、「上級指導機関」からいいように使われる駒でしかないのでしょう。用済みになれば「下放」される、切られるでしょう。
ただ、これはあくまで「ネトウヨとパヨクの外観的類似性からの推測」に過ぎませんでした。そんな中で舞い込んできたチバレイ本と、それに対する古谷まとめ。
おかげさまで、あくまで外観からの類推でしかなかった「ネトウヨ=パヨク=ハリコの虎」説に確信を持つことができました。■パヨク・サヨクが伸びないのは民族主義に対する正しい認識がないから
今後もネトウヨ・パヨクを積極的に取り上げる予定はないので、この機会に特にパヨクについて更に言及しておきたいと思います。
パヨクは偏狂で陰湿、およそ市民的ではない言動を見せる点、ネトウヨよりも凶暴・危険です(ぱよぱよちーんの人とか)。しかし
パヨクは、ネトウヨよりも思想的基盤が脆弱で、そのため人的ボリュームが薄いと思われます。
ネトウヨは大衆的なパッション・ダイナミズムがあります。彼らのアクションには地に足がついた自生的な部分があるように思われます(ちょっと表現が難しい・・・)。また、こちらから熱心に「捜索」せずとも、ネトウヨ的言説に接触することは容易です。これはすなわち、(脳みそが低クオリティな)人々をひきつける一定の「魅力」があること、それゆえの「人的ボリューム」があることを意味します。
しかし、パヨクの言説は、どうも観念的で浮世離れしている部分が否めません。パヨクの主張は、当人たちにしてみれば感情的同一化しうる理想論なんでしょうが、
傍から見れば何がそんなによいのか、まったく理解できない独善的な言説です。ネトウヨに引っかかるような「脳みそ低クオリティ人士向けの魅力」すらありません。ホンマモンの狂信的信者以外にその主張が広がっていません。そのため、
パヨクの言説に接するためには、こちらからそれなりの努力をして「捜索」しなければなかなか出会えません。人的ボリュームは相当薄いと思われます。
この差異は、「ナショナリズム・民族主義」と「インターナショナリズム・地球村」との「人気度」の差異なのでしょう。右翼が依拠する「ナショナリズム・民族主義」はパッションに訴えかけるものがありますが、左翼が依拠する
「インターナショナリズム・地球村」は、どうも
フワフワしているというか、
パッションに訴えかける要素に欠けます。
思想的基盤が脆弱です。あの赤軍派の連中が、朝鮮民主主義人民共和国に渡ってすっかり民族主義に染まったように、
やはり、ナショナリズム・民族主義というのは人間の心に訴えてくるものがあるのでしょう。
もし左翼が活路を探るのであれば、ナショナリズム・民族主義に対する肯定的配慮が必要でしょう。その点、
キムジョンイル総書記の『民族主義にたいする正しい認識をもつために』は、たいへん
示唆深いものがあります。いくつか抜粋してご紹介します。
>>> もちろん、民族を構成する各階級、各階層はかれらの相異なる社会的経済的地位からして、階級的要求と利害関係が異なります。しかし、各階級、各階層の利害を超越して民族の自主性と民族性を固守し、民族の隆盛と発展を遂げることに関しては民族の構成員全体が共通の利害関係をもっています。それは、民族の運命はすなわち民族構成員の運命であり、民族の運命そのものに個人の運命があるからです。民族の構成員として、民族の自主権と尊厳が踏みにじられ、民族性が無視されても構わないと考える人はいません。自民族を愛し、民族の特性と利益を重んじ、民族の隆盛と発展を求めるのは、民族構成員の共通の思想・感情であり、心理でもあります。民族構成員のこうした思想・感情と心理を反映しているのが、ほかならぬ民族主義なのです。言い換えれば、民族主義は自民族を愛し、民族の利益を擁護する思想です。 <<<
>>> 民族を愛し、民族の利益を擁護する真の民族主義と、ブルジョア階級の利益を擁護するブルジョア民族主義は峻別しなければなりません。ブルジョア民族主義は他国、他民族との関係においては民族利己主義、民族排外主義、大国主義として現れ、それは国家や民族の間に反目と不和をまねき、世界の人民間の友好関係の発展を阻害する反動的な思想です。 <<<
>>> 民族主義は国際主義とも矛盾しません。国家や民族の間で互いに援助し、支持し連帯し合うのが、国際主義です。国ごとに国境があり、民族の区別があり、国家と民族をよりどころにして革命と建設が進められている状況のもとで、国際主義は国家間、民族間の関係であり、民族主義を前提としています。民族と民族主義を抜きにした国際主義は実際、なんの意味もありません。自国、自民族の運命に無関心な者が国際主義に忠実であるはずはないのです。それぞれの国の革命家はなによりも自国、自民族の富強、繁栄のためのたたかいをりっぱにおこなうことで、国際主義に忠実であるべきです。 <<<
キムジョンイル総書記の民族主義論は、
民族主義に対する認識を新たにする必要を強く提起しています。マルクス主義の化石的主張に固執する余り、いまだに民族主義を「世界人民の連帯を妨害する反動的イデオロギー」と見なす筋がいますが、
総書記が指摘するように、民族を基礎単位にし、そして民族が相互に尊重しあうことこそが本当に必要なことなのです。
「民族相互尊重を基礎としたナショナリズム・民族主義」を目指すべき、「ヘイトなき民族主義」を目指すべきなのです。
ネトウヨと同じ土俵で取っ組み合いをしているレベルであり、かつ、ネトウヨよりも支持が得にくい主張を核心にすえているパヨクが浮上する要素はまったく見当たらない点、彼らが政治権力を握って社会を指揮する可能性はほぼゼロです。各種産業・業界に潜入した隠れパヨクにたいする公安上の監視・取り締まりは一層強化する必要はあると思いますが、それ以上の心配は必要ないと思われます。
■パヨク・サヨクは反革命的な成金的プチブル
最後に一言。パヨク・サヨクと左翼をぜひとも区別してください。私のようにチョソン労働党支持を明確にし、社会主義の本質は集団主義であり、社会主義の優越性は集団主義の優越性である」という総書記が提示された命題を信奉している身からすると、
パヨク・サヨクの身勝手な主張は、「成金的プチブル根性」にしか見えません。あのように、基本的な秩序をも守らず、他人の迷惑を顧みず、ただ自分の権利だけを追求し、自分だけが正しいと思い込んでいる独善性は、
まさにブルジョア≪自由主義≫思想=動物的放蕩に他なりません。ほんと、一緒にされるのは迷惑千万です。