2016年06月28日

「いちば」は根絶できても「しじょう」は根絶できない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160628-00000006-mai-soci
>>> <ベビーシッター>無届け野放し 規制強化も実効性なく

毎日新聞 6月28日(火)7時20分配信

 インターネットでベビーシッターと親を仲介する「マッチングサイト」の登録者の大半が、今年4月から個人シッターに義務付けられた都道府県への届け出をしていないことがサイト運営者への取材で分かった。シッターを名乗る男に預けられた男児が死亡した事件を受けて制度が改正されたが、サイト側に対する規制がないこともあり、実効性を伴っていない実態が明らかになった。【宇多川はるか】

(中略)

 だがガイドラインに法的拘束力はなく、5運営者は新制度を知りながら届け出をしていない登録者がいるとした。届け出の有無が分かるよう表示しているサイトもあるほか、2運営者が無届けの人の登録を消す意向を示し、別の2運営者は仲介成立時に届け出の有無を確認するとした。一方で「マッチングサイトへの規制を強化すれば、質の悪いシッターは闇サイトに流れるのではないか」と指摘する運営者もあった。

 厚労省の担当者は「シッターの指導監督権は自治体にあり、届け出を促してもらうほかない」としている。これに対し、ある自治体の担当者は「どの自治体が掘り起こし、届け出を促したら良いのか判断できない」と説明した。

 専門委の委員長を務めた松原康雄・明治学院大学長(児童福祉論)は「無届けシッターの情報を掲載するサイトの規制は難しい。自治体が優良サイトに補助金を出したり、利用者に推薦したりしながら、質の低いサイトを市場から駆逐するしかない」と話す。

 ◇質の確保、対策が急務


(中略)

 だが、そもそも個人シッターに特別な資格は必要とされておらず、行政のチェックも行き届いていない。ある運営者は「届け出の有無では安全かどうか判断できない。自治体が面談などをして質をチェックしたうえで、研修などを通じてフォローを続ける仕組みにしてくれれば」と提案した。保育実績や事故時の保険の加入状況などを自治体などが審査すべきだという指摘も出ている。

 質の低い個人シッターがネット上に居残り続ければ、再び事件が起こりかねない。子どもの安全を守るために、シッターの自己申告だけに頼らない仕組みを構築することが急務だ。
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無届けベビーシッター問題。一昔前であれば、市場メカニズムへの基本的な事実解明的理解(「である」の理解)が乏しいこともあって、「規制強化をすべきだ!」といった言説が横行していたでしょう。しかし、最近は風向きが変わってきたようです。

無届けベビーシッターへの法的規制を強化したと仮定しましょう。「マッチングサイト」への強力な行政処分ができるようになったとしましょう。記事にもあるとおり、「質の悪いシッターは闇サイトに流れる」のがオチです。

マッチングサイトは、人々が一定の「場所」に集合している点において、「いちば」のようなものです。歴史的事実が示すとおり、仮に「いちば」を規制しても、「闇市」ができるだけです。需要と供給の双方が存在するとき、「しじょう」は自生的に発生します。「いちば」の存在は権力的に根絶できても、自生的な「しじょう」の存在を根絶することは原理的に不可能です。「しじょう」は一件一件の人間関係・交渉から発生するものです。1対1の人間関係・交渉を一つ一つ検閲することなど到底できません

「しじょう」は決して大袈裟なものではありません。「あまったから安く譲ってあげるよ」や「どうしても必要なんだ! 10000円出すから譲っておくれ!!!」といった日常的にありがちな会話は、まさに自生的な「しじょう」が誕生する瞬間です。

その点、明治学院大学の松原康雄学長の指摘は、経済学的には「半分正しい」といえます。「自治体が優良サイトに補助金を出したり、利用者に推薦したりしながら、質の低いサイトを市場から駆逐するしかない」のです。ただし、無届けシッターの情報を掲載するサイトの規制は「難しい」のではなく、「規制したところで根絶は原理的に不可能」と言うべきでした。この書き方だと、「営業の自由に触れるから」といった誤った解釈を読者に提供しかねず、バカ左翼や公営原理主義者に「子どもの命がかかっているんだ! くたばれ自由主義!」といったアジテーションの口実を与えかねません。

しかし、「自治体が優良サイトに補助金を出」すことや「利用者に推薦」することも、究極的な解決策にはなりません。前述のとおり、「しじょう」は一件一件の人間関係・交渉から発生するものだからです。「質の推薦」といった行政的措置は、一見して「しじょう」に親和的に見えますが、現実論として、基準が曖昧です。一見して、需要者・消費者の利益になるアドバイスの装いをしつつ、曖昧な理屈で需要者・消費者の自主的意思決定の眼を惑わす逆機能の影が見え隠れします。なによりも、行政の「質の推薦」を需要者・消費者が信用するかはまったく未知数です。

また、「しじょう」は単に需要と供給のマッチングを行う場所だけではありません。何がホンモノで何がマガイモノなのかを、換言すれば、サービスの質を「競争」という方法を通して審査する場所でもあります。行政は、「しじょう」を通す前にどうやってホンモノなのかを審査するのでしょうか? 結局、事前に「しじょう」での競争で明らかになった実績・評判をベースに「質の推薦」をするほかないでしょう。「しじょう」の後追いしかできないでしょう。

市場メカニズムへの基本的な事実解明的理解が間違いなく一歩進んでいます。昔ながらの権力的規制主義者・公営原理主義者の支持基盤は間違いなく掘り崩されています。しかし、新たな形態の「非『しじょう』的方法論」が生まれつつあるといえるでしょう。
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2016年06月24日

EU離脱派の主張こそ「生活の現実」に立脚した政治的主張

イギリスが、国民投票の結果、EUを離脱することになりました。
どういう階層が離脱支持者だったのかという点について、以下のような分析が提出されています。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160622-00093510-diamond-bus_all&p=2
>>> 5分でわかる英EU離脱の争点と世界経済への影響

ダイヤモンド・オンライン 6月22日(水)8時0分配信


(中略)

 総じて見れば、低所得層、低学歴層に離脱支持者が多く、富裕層あるいはリベラルな考えを持つ人たちに、残留支持者が多いとみられる。2大政党である保守党、労働党の中でも、離脱派と残留派に意見が分かれており、特にキャメロン首相が率いる保守党は離脱派も多く、国民投票でどちらが勝つか、だれにも分からない。確かなことは「英国が二分されてしまった」(クレイグ氏)ことだけだ。

(以下略) <<<
■離脱支持者・残留支持者の人的構造
「離脱支持者=低所得層または低学歴層、残留支持者=富裕層またはリベラル派」という構図だそうです。「そんな簡単な図式ではない」という指摘もありますが、以下ではこの図式に乗っかることにします。

週刊ダイヤモンド編集部のEU離脱派に対する評価は明示的には書かれていませんが、この図式に接した読者のうち、少なくない人々は、「馬鹿な貧乏人が目先の利益に走った」「学のある人、成功している人が正しい選択をしたのに衆愚民主主義によって偉大なEUの発展に水が差された」という感想を持ったのではないでしょうか。

■政治の立脚点、政治の目的とは何か
さて、政治は現実に立脚しなければならないことは、議論の余地はないと思います。たとえ理想を追求するにしても、「国家百年の計」を考えなければならないにしても、「今の現実」の上に据え付けなければなりません。では、政治がまず考慮に入れなければならない「今の現実」とは何でしょうか? 人々は何を求めているのでしょうか?

以前から繰り返し述べているように、それは「生活」です。人々は「日々の生活」を営みながら、「よりよい明日の生活・自主的な生活」を追求しています。よりよい明日の生活を追求する上では様々なビジョン・理想社会論が出てきますが、それらはすべて「生活のためのビジョン」です(生活を目的としない理想論は無意味・空虚です)。人々が立脚する現実は生活であり、人間活動の目的は生活であり、すべては生活のための道具です。「生活の現場こそが現実」なのです。

■生活上の事件は(下層の)現場で起きている
「生活の現場こそが現実」という認識に立つと、低所得層・低学歴層の生活現場は、「社会を支える下層部」という意味において、生々しいリアルな現実であるといえると思います。「高所得・高学歴層の生活は虚偽の観念的生活」というつもりはないのですが、もっぱら頭脳労働に専念している人々は、どうしても実際の現場との「距離」が生まれてしまいます。某映画のセリフではありませんが、生活上の事件は(下層の)現場で起きているとみるべきです。

となれば、「馬鹿な貧乏人が目先の利益に走った」などと一概に否定できるものではないでしょう。「学のある人、成功している人」の「正しい選択」は、長期的に見れば正しいのかもしれません(私自身もEUには「大きな改革」は必要だとは思いますが「離脱」は違うと思っています。「残留派が小数点ポイントレベルの僅差で辛勝したがイギリス国民の不満は相当溜まっている」という事実を以ってEUに改革を迫るのがベストだったと思います)が、「まずは今日の生活があってこそ」という政治の大前提をスッ飛ばしてしまっているのです。もしかしたら、下層の人たちが肌で感じている「変化」に、上層の人たちが気がついていないということもあるでしょう。

たとえば以下の記事は、生活者視点でのEUを論じています。
https://wirelesswire.jp/2016/06/54327/

■「馬鹿な貧乏人」は、悠長に未来社会論に期待している余裕はなく、現路線に託す希望はない
また、そうでなくとも(=どう見ても残留がベストというほかない)、「馬鹿な貧乏人」だって、いや、だからこそ、日々の生活に必死です。いくら「国家百年の計」と言っても、まずは今日明日の生活あってこそです。EU残留が長期的に見て最も合理的な路線であり、今の苦境はEUの発展によって長期的には解決されることが確実だとしても「長期的には我々は皆死んでいる」のです。目の前の生活に目処が立ってこそ未来社会論を考える余裕が出てきます。どんなに合理的な未来社会論だとしても、目の前の生活の目処が立たないのならば、その未来社会論を選択することはできません。生活は不断に連綿と続くものであり、ひとっ飛びに進むことは出来ません

また、どんなにエリートが「EUを離脱したらイギリス経済はまっさかさまだ!!! 生活が成り立たなくなるぞ!!!」と叫んでも、どっちにしてももうダメな人たちには関係ありません。むしろ「もしかしたら何か変わるかもしれない」という一縷の望みに掛けたほうが「合理的」でしょう。「馬鹿な貧乏人」は本当にカツカツに追い詰められているのです。悠長に未来社会論に期待している余裕はありませんし、現路線が示す未来社会のビジョンに託す希望はないのです。

■高学歴者の陥りがちな「感覚」
高学歴者は高い教養、広く長期的な視野、歴史への造詣の深さなどのために、往々にして「日々の下世話な話題」を忘れがちです。チュチェ105(2016)年4月7日づけ「自称「革命家」の観念的時間感覚と、生活者の現実的時間感覚――日本共産党の数年以内の認可保育所「緊急」増設」においても述べましたが、たとえば「共産主義」のような超理性主義・超未来社会論の立場に立つ人々は、「理想の未来社会」の基準に立脚してしまうために、「生活者の感覚」とは異なる「革命の感覚」でモノを語ってしまいます。

また、歴史オタク、たとえば「幕末の志士」に憧れを持っている人々も、「歴史年表の感覚」で物事を考えるために、やはり短くて半年、長ければ10年単位の時間軸で「夢」を語り、その「夢」に従うように要求します(「吉田松陰マインド」って言うんでしたっけ? 「共産主義思想改造」と何が違うんでしょうね?)。しかし、それは政治ではないのです。

■「誇り」だって無視できない
EU離脱派は、右派思想と親和的です。日本でもそうですが、右派思想はどうも、「誇り」を重視する傾向があるようです。誇りは、突き詰めると「打算」というよりは「感情」に近いものがあります。この点を取り上げて、「感情的なEU離脱論が勝ってしまった。感情を取って経済を捨てた。愚かという他ない」という主張も一定の正当性はあると思います。

しかし、経済はあくまで手段であり、それ自体は目的ではありません。離脱派が「誇り高い生活」を追求する人たちであれば、彼らにとっては「誇りの追求」こそが生活の目的です。あくまで道具にすぎない経済などは、それに従属するものという位置付け以上にはなり得ません。何に価値を見いだしウェイトを置くかは、部外者が口出しできる問題ではありません(そこまで国の誇りに忠実であれるのは、「向こう見ずだなあ」と思いつつも、ちょっと羨ましいかも)。もちろん、その選択の結果は責任をもって受け入れていただきましょう(当然)。逆に、仮に経済を優先する選択をし、大切な伝統と価値、誇りを失い、カネと売春、頽廃的享楽しか残らなくなったとしても、それは甘んじて受け入れる他ありません(EU離脱では、まず、そうはならないでしょう。経済打算主義を貫徹すればの話です)。

■高所得で高学歴だった残留派の致命的ミス
カツカツに追い詰められている「馬鹿な貧乏人」への有効な対策が打てなかったこと、これは残留派の致命的ミスだったのかもしれません。馬鹿でも貧乏でも一票は持っています。いくら「愚民」と罵ったところで負けは負けです。それは民主主義体制を選択したときから分かりきっていたことのはずです。

「学のある人、成功している人が正しい選択をしたのに衆愚民主主義によって偉大なEUの発展に水が差された」などと憤っている人がいるとすれば、その理屈に乗っかれば、そんな「貧乏人ども」なる人々を教育・指導できなかった高学歴層の力不足を反省すべきでしょう。たいへんご優秀な高学歴層の皆々様におかれましては、判断力のある低所得者層向けに論理的な教育・指導をすべきでした。また、その理屈に乗っかれば、「馬鹿共」に意思表明の機会を与えてしまった判断ミスを反省すべきでしょう。国民投票を約束すべきではありませんでした。仮に国民投票せざるを得なかったとしても、ビジネスの才覚に優れた人生の勝ち組・低所得者とは人間の格が全く異なる高所得者の皆々様におかれましては、ケチケチせず資金に糸目をつけず、アメリカ大統領選挙のようにネガキャンを含めたメディア・イメージ戦略を打つべきでした。「低学歴の馬鹿共」にイメージを刷り込んでおけばよかったのです。

それをしなかった、たいへんご優秀な高学歴層の皆々様、ビジネスの才覚に優れた人生の勝ち組・低所得者とは人間の格が全く異なる高所得者の皆々様は、EU残留の努力が足りなかったのであり、負けたのです。残念ながらそれが事実なのです。まあ、これ日本語で書いても仕方ないんですけどね。
ラベル:社会 政治
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2016年06月19日

マクドナルドの「殿様商売」「ブラック労務」に改善を強いたのは労働組合ではなく市場メカニズムのチカラ

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160614-00010007-bjournal-soci
>>> バイト集まらない…マック、人手不足深刻で客スカウト!

Business Journal 6月14日(火)6時4分配信

 日本マクドナルドホールディングスが6月6日に発表したところによると、5月の既存店売上高は前年同月比21.3%増で、6カ月連続プラスとなった。「クラブハウスバーガー」や「ロコモコバーガー」といった比較的単価の高い期間限定メニューを発売したことが功を奏したかたちだ。


(中略)

 そんな上り調子に見えるマクドナルドだが、極めて大きな懸念を抱えている。

 それは人材不足だ。全体を統括する幹部クラスの人材も十分とはいえないが、現場は極めて深刻な人手不足に陥っている。

 マクドナルドは、店舗を運営させるにはクルーと呼ばれるアルバイトスタッフが3人以上必要と定めている。24時間営業をしている店舗のうち、深夜帯に3人を確保できずに営業時間を短縮しているところが続出している。3人確保して営業しても、誰かが清掃や休憩などをすると、ほかのクルーの負担が非常に重くなる。

 また、当然ながら昼どきなど忙しい時間帯には多くのクルーを確保する必要があるが、それもままならない状況だ。アルバイトが確保できない場合には、社員のマネージャーや店長も現場に出て対応するが、限界がある。

●マクドナルドの人手不足の原因

 この人手不足は一部の店舗に限ったことではなく、全国的な問題となっている。その原因としては、以下の3つが挙げられる。

(1)マクドナルドへの信用失墜

 期限切れの食肉使用から始まり、相次ぐ異物混入などでマクドナルドの商品は「安かろう、悪かろう」の代名詞となった。そのような企業は、積極的に働きたいと思う対象ではなくなっている。

 また、若者の間では、「パワハラがすごい」「労働環境が悪い」「長時間労働させられる」などの情報が流れ、「マクドナルド=ブラック企業」というイメージが強い。実際にはすべての店舗がそのような悪い労働環境ではないはずだが、悪い情報はネット上で拡散されやすいうえ、業績の悪さに乗るかたちで広まった。

(2)業界全体の人手不足

 昨年、商工会議所が全国の企業を対象に調査したところによると、飲食店業界では「人手が足りない」と答えた企業が約半数に上った。つまり、今は売り手市場となっているため、条件の良い店でなければ働き手は集まりにくくなっているのだ。

(3)給与の低さ
 
 マクドナルドのアルバイト時給は、それぞれの地域の最低時給に近い。全国で700〜800円台がほとんどだ。東京都内でも900円台だ。今や飲食店のアルバイトは都内であれば1000円を超すところが多くなっているなかで、900円台で人手を集めるのは厳しいだろう。


(以下略) <<<
■殿様商売が動いた!
マクドナルドが、労働者(従業員)が思うように集まらない現実に対して漸く危機感を覚え、対応を始めました。マクドナルドといえば、対労働者は勿論、一般消費者をも軽視している「超殿様商売企業」です。あれだけの圧倒的・独占的なネームバリューがあると、やはり驕りが隠せないということなのでしょう。

しかし、彼らの驕りに驕った観念とは異なり、現実には、一般消費者にとってマクドナルドの商品に代替財がないわけではありませんし、労働者はマクドナルド以外に働き口がないわけではありません。それゆえ、一般消費者の「マック不信・マック離れ」は未だに深刻な水準で、「マック殿」もあの手この手で対応することを迫られています。また、引用記事にもあるように、求職者の「ブラック・マックでは働きたくない」という自主的選択が折からの景気回復・求人数増加を背景にますます有効に作用し、「殿様」がこうして「家臣(奴隷?)」対策に乗り出すことを余儀なくされました。

■「殿様」に改善を命じたのは市場メカニズムのチカラ
この現実を踏まえれば、今回こうして「マック殿」が改善に乗り出さざるを得ない環境を創出したのは、「市場メカニズムを通して合成・増幅された一人ひとりの消費者・労働者の自主的選択」であると言う他ありません。そう、世界的大企業であるマクドナルドの、日本における圧倒的・独占的な立場を掘り崩し、その「殿様商売」に転換を強いたのは、「市場メカニズムを通した兵糧攻め」という方法論だったのです!

以前にも述べたように、あの「すき家」がワンオペを中止したのも、従業員応募の激減という労働市場における評判の低下によるものでした(当該過去ログ)。今回のマクドナルドの対応着手も、すき家同様、当ブログで以前より繰り返し述べてきた「嫌だから辞める」「ブラックだから応募しない」路線の有用性、労働市場における市場メカニズムの作用を積極的に活用する形での労働自主化の方法論を補強する事実です。

■相変わらず甘っちょろい労組運動家の認識
こうした情勢にも関わらず、NPO法人POSSE代表の今野晴貴氏が、「ワタミメンバーズアライアンス(ワタミ労組)」や「介護・保育ユニオン」の結成を取り上げて、相変わらず無邪気な言論を展開しています。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/konnoharuki/20160619-00058992/
>>> ワタミだけではない。介護・保育でも労組結成 労組は何ができるのか?

今野晴貴 | NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。 2016年6月19日 12時47分配信


(以下略) <<<
記事中の「労使の力の格差を埋める、労働組合(ユニオン)」で始まる段落は正しい指摘です。「民法を補完する労働法」という歴史的に正しい位置づけを踏まえています(以前にも述べたように、バリバリの化石左翼だと「社会主義・共産主義を目指す労働者階級による階級闘争の獲得物」といった勝手な理屈をつけます)。「ぜひ労働組合に相談にして労働組合法上に定められた「対等交渉」の権利を行使してほしい。」というくだりも、一概には否定できるものではありません。しかし、やっぱり甘い。ブラック企業の経営者・資本家に対して「要求すれば改善される」という幻想を持っているのです。

■労組の交渉よりも強力な市場の圧力を経済学的に分析すると・・・
なんども繰り返し繰り返し述べていますが、ブラック企業の経営者・投資者たちが「改心」するはずありません。要求したくらいで改心するなら最初からやりません。また、労働者階級に強硬な立場を取れる圧倒的に有利なポジション、労働市場における労働需要独占者のポジションを予め確保してから強度の搾取に乗り出しています。労働者が団結して反抗したくらいで崩れるような立場に立っているはずがありません。磐石で、さらに二の矢・三の矢をも準備しているというべきです。ことによっては政治権力と結託していることもあるでしょう(ブルジョワ的階級国家・国家独占資本主義)。

労働者階級に強硬な立場を取れる圧倒的に有利なポジション、労働市場における労働需要独占者のポジションを予め確保したブラック経営者・ブラック資本家の立場の経済学的意味は以前にも述べましたが、重要なので再掲します。
http://rsmp.seesaa.net/article/427429066.html
>>> (前略)労働者が真の意味で自主的になるためには、企業側に足許を見られないために特定の勤め先に対する依存度を下げることが必要です。なぜ電力会社が一般電力消費者に対して殿様商売ができる(できていた)のかといえば、他に売り手がいないからです。なぜ、自動車メーカーが下請け工場の部品をふざけた値段にまで値切ることができるのかといえば、他に買い手がいないからです。他に売り手/買い手相手が居ないとき、買い手/売り手は、売り手/買い手に対して依存的立場・弱い立場に置かれます。前述の競争市場の基本原理に対して独占市場の基本原理です。

労働者は同時に一企業でしか働けないのに対して、企業は同時に複数の労働者を雇用し得ます。いくら労働者が束になったところで、労働者が「できればその企業で勤め続けたい」という願いを前提として団体交渉に臨んでいる限り、最終的には企業側の掌の上に居続けます。企業は需要独占者の立場に居続けます。ミクロ経済学における「価格弾力性」を思い浮かべてください。ミクロ経済学によれば、需要者に対して供給者の価格弾力性が硬直的であった場合、たとえそれがマーシャリアン・クロスが成り立つ非独占・非寡占の市場であっても、取引の主導権は需要者側にあるといいます。
(中略)これはすなわち、こうした前提で臨む限り、団体交渉における労働者の立場は弱いということを示します。

価格弾力性の決定要因は代替財の存在の有無です。代替財があればその商品にこだわる必要は無いので、価格弾力性は弾力的になります。代替財がなければ何としてでも取引を成立させなければならないので、価格弾力性は硬直的になります。

ミクロ経済学的考察に基づけば、労働者の立場と為すべきことも見えてくるでしょう。真に交渉力を持つためには、「辞めるよ?」という脅しが必要なのです
(以下略) <<<
労働者の自主化は、ブラック企業側の経済的基盤を掘り崩して初めて達成されるものなのです。

歴史的に見て、大ブルジョワジーの権力基盤を掘り崩し、彼らに何らかのアクションを強制するには、国家権力の強権的発動が定番でした。甚だしい例が、スターリン体制・毛沢東体制における「銃殺刑」「吊るし上げ・なぶり殺し」「シベリア送り」「農村追放」でした。しかし、そうした階級的暴力を行使せずとも(そもそも現代日本では階級的暴力は行使できません)、「嫌だから辞める」「ブラックだから応募しない」路線の有用性、労働市場における市場メカニズムの作用を積極的に活用する形での労働自主化の方法論が大きく浮上しています。

市場経済における「競争淘汰」は、企業にとっては「死」そのものです。となれば、市場を上手く活用することによって、企業相手に「兵糧攻め」できないでしょうか? 市場経済社会に暮らす労働者階級の一人ひとりが「嫌だから辞める」「ブラックだから応募しない」という自主的選択をすることによって、「市場メカニズムを通した兵糧攻め」という結果を導くのです。一人ひとりの自主的な態度表明をうけた「市場メカニズムによる自動的な経済的な死刑執行」を活用するのです。

「ブラック企業が改心するはずがない」「企業側の経済的基盤は強固である」――こうした厳然たる事実を踏まえれば、やはり今野晴貴氏の労組期待論は「甘い」と言わざるを得ません。自主化を目指す労働者は、企業の労働需要独占者としての立場を掘り崩すことをメインに据えなければ勝利はおぼつかないでしょう。労働者階級は交渉力を持つべく「辞めるよ?」という牽制手段、「非暴力的で市場的な階級闘争」が必要なのです。今野晴貴氏の言説には、そこが足りていないのです。

■要求実現型労組は堕落する
そうした戦略を欠いた労組運動は、中途半端に要求を実現することによって、企業側と「お互い様の利権分配関係」に堕落し、癒着を強め、御用組合化・労働貴族化することになるでしょう。経営状態が順調であれば問題ないかもしれませんが、ひとたび経営が悪化すればすぐに労使対立が先鋭化するでしょう。しかし、長く企業の労働需要独占者としての立場を掘り崩すことを怠ってきた労働者側は、急には交渉力を持ちえず、結果的に企業側の言いなりに成り下がるでしょう。また、平時においても御用組合化は、部署・店舗レベルでのパワハラ・セクハラを揉み消す方向性を持つことでしょう。ちょっとしたトラブルを解決するために、せっかく獲得した利権を手放すことは考えにくいものがあります。

■介護・保育業界は労組を結成している場合ではない!
「介護・保育ユニオン」について言えば、この場合は業界内で階級闘争;労使交渉以前に、業界が正常に維持・発展してゆけるように、もっと上のレベルでの活動を優先する必要があります。いま、介護業界・保育業界で求められているのは、労働組合でなく業界団体・支援してくれる族議員でしょう。

旧態依然なタイプの階級闘争系の方々は、社会を分断して観察することばかりしがちですが、社会は全体としてシステムです。そうした世界観レベルでの認識に誤りがあると、かつての「炭労」の失敗を繰り返すことになるでしょう。斜陽産業内での分配闘争に明け暮れているうちに、産業自体が消滅することになりかねません。

■要求実現型労組運動への幻想はブラック企業を利する裏切り行為
将来的には、労働者階級から突き上げられることなく十分な待遇をあらかじめ提示してくる良心的企業家(こういう人たちは存在すると思います)による企業と、自主管理的企業のみによる集団主義的な市場社会を目指している私のような立場から言えば、「ブラック企業相手でも粘り強く要求すれば如何にかなる」などという幻想を振りまく手合いは、まったく甘っちょろい「ブルジョワ博愛主義者」「安っぽいヒューマニズム物語信奉者」であり、有害であるとすら言いえます。

とまあ、ここまで書いてきて、チュチェ104(2015)年12月19日づけ「今野晴貴氏の無邪気なユニオン論――ユニオンに「強制力」と「階級的矜持」はあるのか? ユニオンにも警戒せよ!」を読み返してみたところ、まったく同じようなことを書いていましたww今野晴貴氏の「甘さ」は全然かわっていないということですね。
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2016年06月14日

「舛添公私混同問題」がもし、石原慎太郎氏だったら?

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160614-00000537-san-soci
>>> 舛添氏公私混同疑惑 不信任案成立へ 全会派が賛同、舛添氏「辞職」を受け入れず
産経新聞 6月14日(火)15時22分配信

 東京都の舛添要一知事の政治資金「公私混同」問題で、都議会自民党は14日、舛添氏の不信任決議案を提出することを決めた。都議会の全会派が不信任に賛同しており、不信任案が成立する。都議会が閉会する15日の本会議で審議される見通し。舛添氏は不信任案の可決後、10日以内に辞職か、都議会解散の選択を迫られ、解散しない場合は自動的に失職する。


(以下略) <<<
公私混同。猪瀬氏とは比べ物にならない、一番アカン事案です。たとえ法律的には問題ない(そもそもザル規制だし)にしても、政治世界の視点としても勿論ですが、「他人の財布でコッソリと、ステークホルダーの同意を得られないような自己利益を図る」という意味では、経済・経営の視点からでも擁護することはできません。以前、ホリエモン氏が舛添氏擁護の言説を展開していましたが、ムショで何を勉強していたんでしょうね?

このまま、「なるほど、それは政治活動だ」と誰もが納得できるような支出であったと弁明できなければ、舛添氏が辞任不可避になるのは当然です。「私は悪くない!」「これは政治資金。使途は自由だ!!」として、都民の信を問いたいなら問えばいいでしょうが、結果は見えているでしょう。だって都民が一番、「舛添やめろ」って言ってるんだから。

ちなみに、「ヨハネによる福音書」のくだりが最近、ちょっとした流行りのようです。女に石を投げる話。教養があって冷静な雰囲気を醸し出せるので、インテリっぽく見えるからでしょうか? しかし残念ながら、我欲の塊、煩悩の塊である人間が一定の組織を形成して社会を成立させるには「タテマエ」が必要です。幾ら似たり寄ったりのことをしている人が多くとも、舛添問題をスルーするわけには行かないのです。「バレたのが不運」というのは、あながち間違いとは言い切れないかも知れません(こういうのって、学校教育段階での「校則の存在と校則破り」を通じて学ぶことだと思いますがね)。

ところで、ふと思ったのが、「これが石原慎太郎氏だったらどうなるだろう?」ということ。チュチェ96(2007)年の都知事選シーズン、都議会共産党が、石原氏による公権力を用いた身内への利益供与をすっぱぬきました。どうも事実だったようですが、にもかかわらず、結局、石原氏は、民主党(当時)候補と共産党候補の得票数を大きく上回り、得票率で50%以上を獲得して完勝しました。つまり、石原氏の公私混同問題は、石原氏の政治生命・知事生命にはまったく影響しなかったのです。

たぶん、今回の件の登場人物が石原氏だったら、圧倒的に少数派の都議会共産党・都議会民進党が幾ら騒いでも、なんてことなかったでしょうね。

さらに思い起こせば、橋下・元大阪市長が「風俗発言」で失速した一方で、石原氏はもっとヤバい発言を連発しても決して落選しませんでした。石原慎太郎とは一体何者なのか・・・舛添問題の本筋とはまったく関係ありませんが、へんに思い出してしまいました。

ちなみに、舛添氏が辞任したら、政治の注目点は一気に参院選に移るでしょう。おそらく、「政治家の公私混同にたいする監視の目が甘かった」という、有権者側の「落ち度」は、またしても省みられないでしょう。たぶん、3年もすれば、次の都知事が似たような問題を起こしていますよ。経費の濫用なんて程度の差こそあれ、あちこちでやっているんですから(http://diamond.jp/articles/-/92654)。腐敗した権力者も、非権力者も、根底の倫理観・思想意識レベルでは同じ人間です。ショボい流用をするような人間は、権力を握るようになれば、その権力レベルに応じた流用をするもんです。
ラベル:政治 社会
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2016年06月09日

労働党の組織固めの次は政府機構の組織固め――脱先軍の道?

下記は原文は朝鮮語、邦訳は当方によります。
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=gisa2&no=227933
>>> チュチェ105(2016)年6月9日 労働新聞

朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議召集に対する公示

朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会は、最高人民会議第13期第4回会議をチュチェ105(2016)年6月29日、ピョンヤンにおいて召集することを最高人民会議代議員に知らせる。

代議員登録は、チュチェ105(2016)年6月27日と6月28日に行う。

朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議常任委員会

チュチェ105(2016)年6月7日 ピョンヤン
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朝鮮労働党大会につづき共和国最高人民会議です。順当な流れだと思います。

党大会で確認された労働党としての基本方針;並進路線の下での経済改革・競争改革を、最高人民会議=政府の立場でも定義するのでしょう。イデオロギーと組織人事面で注目すべきですが、「党の指導性」という観点から党大会を越えるような発表はないでしょう。

共和国南半分を筆頭に、キムジョンウン同志の肩書きが変わる可能性があるとしています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160609-00000038-wow-int
>>> 統一部、最高人民会議で”金正恩の国家職責”変更の可能性を示唆

WoW!Korea 6月9日(木)15時1分配信

韓国政府は、来る29日に北朝鮮が最高人民会議を開催すると発表したことと関連し、金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長の国家職責が変更される可能性があると9日、明らかにした。


(以下略)<<<
「リヨンギル(李永吉)処刑」の一件で、その情報収集能力が「キムイルソン銃撃死亡説」(チュチェ75:1986年)にまんまと引っかかった頃から進歩していないことが白日の下に晒されている昨今、南側の見解を取り上げるのはタイミング的に不適当かもしれませんが、この指摘は例外的に正しいかもしれません。

共和国は明らかに「先軍政治」から脱皮しようとしています(もともと先軍政治は、内外の厳しい状況を克服するための措置です)。党大会でキムジョンウン同志が、かつてキムイルソン同志が就いていた「党委員長」に就任しました。先軍政治の時代を大幅に遡り1960年代をも思い出させる「党の肩書き」です。となれば、今度は政府機構改変の番です。先軍体制の確立に際して廃止された「中央人民委員会」の復活が考えられます。名称がそのままではないにしても、「国防委員会」がいつまでも政府機関の中枢であり続けるとも思えません。

そうなってくると、人民軍組織との調整が重要な政治的課題に上ってきます。「苦難の行軍」をはじめとする厳しい時代に共和国を支えてきたのは、間違いなく人民軍でした。その自負心、手に入れた各種の努力の成果に配慮した調整手腕が問われるでしょう。もっとも、体制の守護者・支持基盤は人民軍ですから、そんなに無配慮なことは起こらないでしょうけども。
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2016年06月06日

朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会

先月開催された朝鮮労働党第7回党大会については、もっぱら「核問題」にばかり注目が集まり、経済問題については「変化は見られなかった」といった調子の報道が圧倒的多数でした。「アメリカを中心とする≪国際社会≫の経済制裁で苦境にある北朝鮮」という物語の筋書きに則った報道であるといえましょう(もちろん、一部報道が明らかにしているように事実と異なりますが、こうした報道はまだ少数です)。しかし、そうした流れに敢えて逆らうような形で、『サンデー毎日』が「北京の北朝鮮研究者」の「「核開発の堅持」が経済より注目されがちだが、実は「経済成長を持続させ、国民の生活向上が第一」という指摘を報じました。正しい指摘だと思います。

たしかに今般の党大会では、「目新しい」経済新政策は打ち出されませんでした。これはすなわち、従来の漸進的改革を今後も変わることなく推進してゆくことを明確に表明したメッセージです。以下で述べてまいります。

■イデオロギー的側面
まず、イデオロギー面から検討してみましょう。

キムジョンウン体制発足以来の経済改革の基本は、今回の党大会で否定されることはありませんでした。党大会前後の共和国を巡る国際的情勢は、中国も西側諸国と同調するかの如き姿勢を見せるなど厳しいものがありましたが、そうした情勢下であっても、党大会で経済引き締め・先軍体制強化への「逆戻り」はついに発表されることなく、従来どおりの路線を継続することが明確に示されました。長い間、独立採算制導入等の経済改革と先軍的統制は、綱引きを続けて来ましたが、改革が優先される傾向が強まっています。大きな意味があります。

また、党大会に先立って公表された「集団主義的競争」というスローガンを見るに、キムジョンウン改革は単に「継続」するに留まらず「深化・拡大」していくことが期待できます。『労働新聞』の3月19日づけ社説の拙訳を以下に掲載します。
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=gisa2&no=222870
>>> チュチェ105(2016)年3月19日 労働新聞
社説

集団主義的競争の熱風を激しく巻き起こし、より高く、より早く飛躍しよう

現在、全国では敵対勢力の悪辣な制裁圧殺策動を打破し、自力自強にて強く豊かな祖国を堂々と打ち立ててゆく千万軍民の革命的気性が力強く羽ばたいている。

忠情の70日戦闘に入った3月上旬、全国的に工業生産が昨年同時期と比べて1.2倍に成長した。これは、千万大衆の高まる敵愾心と仇敵撃滅の意志の非常に激しい噴出である。集団主義的競争の熱風が果敢に展開されている、先進に続き学ぶ運動、経験交換運動の力強い生命力の発露である。

こんにちの総進軍は、大衆的英雄主義による大飛躍、大革新を起こしてゆくための大進撃であり、競争の熱風で幸福からより大きな幸福を、勝利からより大きな勝利を成し遂げてゆく猛烈な攻撃戦である。全国が革命熱、闘争熱、競争熱を沸きたて、どこにおいても新しい基準、新しい記録、新しい奇跡が続々と創造される時、極悪の制裁封鎖と無謀な戦争狂気で最後のあがきを行う敵どもに滅敵の鉄槌を振り下ろし、強盛繁栄の峰へと突き進むペクドゥ山大国の力が更に強化される。

我々は、「ひとりは皆のために、皆はひとりのために!」という共産主義的スローガンを高く奉じて、党第7回大会を勝利者の大会、栄光の大会として輝かせるための70日戦闘の徹夜の進軍において、大衆的英雄主義を高く発揮し、前例のない労力的成果を成し遂げるべきである。

敬愛なるキムジョンウン同志は、次のように仰った。
「すべての部門、すべての単位において、国家的利益、党と革命の利益を優先し、進んだ単位の成果と経験を広く一般化し、集団主義的競争の熱風をより高く、より早く飛躍させるべきです。」

集団主義的競争の熱風は、社会主義社会の発展の強力な主動力である。誰もが競争心を持ち、互いに先んじるために利ざとく
(注:"서로 앞서기 위하여 이악하게"?!?!)努力すれば、社会主義建設の全般が停滞と足踏みなき非常なる速度で発展できる。競争の熱風のうちに近道があり、奇跡創造の秘訣がある。

現在、すべての活動家、党員と勤労者は、ペクドゥの赤い革命精神と愛国忠情の献身的闘争で70日戦闘の一日一日を、奇跡と革新で継いで行っている。3月上旬の10日間だけとっても、各地の火力・水力発電所では党が提示した電力生産目標を超過達成、石炭工業部門では生産計画を113%の超過遂行した。チョルリマ製鋼連合企業所の鋼鉄戦士
(注:製鉄所作業員)は、圧延鋼材の生産実績を132%に高め、黄鉄鉱の労働者は約半月の期間に最高の実績を連続突破し、チュチェ鉄生産量を2.1倍以上に成長させた。兄弟工場、企業所間の社会主義増産競争が熾烈(注:"치렬하게"!!)に繰り広げられて軽工業工場にフル回転の起動音が高く響き、今年の穀類生産目標を達成するための農業勤労者の献身的な闘争で社会主義協同農場が熱く盛り上がっている。すべての部門、単位、哨所で繰り広げられている果敢なる突撃戦と猛烈なる追撃戦、これは集団主義的競争の熱風で沸く我が祖国の激動的な姿だ。

集団主義的競争の熱風は、安逸と緩みを排撃し、事大主義・要領主義・保身主義・保守主義をはじめとする古い思想的残滓を掃き出す激しい炎であり、我々自身の力を強化してくれる強風である。

マルリマ(万里馬)時代の新しい時代精神を創造してゆく我が闘争は、あらゆる反革命的雑音との激しい闘争を伴っている。安逸と緩みは、人々を思想精神的に武装解除させる恐るべき敵であり、事大主義・要領主義・保身主義・保守主義をはじめとする古い思想的残滓は、我々の前進を阻害する障害物である。高温の中でこそ鉄の中の不純物がなくなるように、激しい競争の熱風の中でこそ様々な雑音が消え、自力自強の精神が翼を広げるようになる。

社会主義競争は、大衆の革命的熱意と創造的積極性を余すところなく発揚させる最も効果的な方法だ。すべての潜在力と余裕を最大限に動員利用して継続革新・継続前進・連続攻撃してゆく競争過程を通して、人々は革命的・戦闘的に仕事し生活するようになり、自己の力だけを信じて力強く立ち上がる強固な意志の所有者、意志の体現者と育つようになる。輸入病という癌を完全につまみ出し、すべての部門、単位を自力自強で発展させ、不可能を知らない我が祖国の力強い前進に飛躍の拍車をかけるのが正に集団主義的競争の熱風である。

集団主義的競争の熱風は、大衆的英雄主義を高く発揮して、積み重なる苦難や難関を果敢に乗り越えてゆく原動力である。

こんにちの民族史的な大壮挙・特大事件で世界を揺るがせ、党中央が与えた勝利の方向性に従って猛進する先軍朝鮮の不屈の気性の前に、敵どもは戦慄し、我々の前進を妨げようと最後のあがきをしている。極悪の経済封鎖によって我々の行く手を妨害し、膨大な侵略武力で我々の信念を挫こうとする帝国主義者たちの策動は極度の域に達している。70日戦闘は、強くて活気ある良い暮らしを我々が送ることを願わない敵どもとの激戦であり、集団の威力、大衆の無限の力で強盛国家建設の全盛期を切り開いてゆくための名誉ある闘争である。

大衆的英雄主義の思想精神的原点は、党と首領に対する燃え上がるような忠誠心だ。敵対勢力どもの挑戦が悪辣になるほど、党の思想と領導を戴き、強盛国家建設において奇跡を創造してゆこうとする千万軍民の足取りは更に強くなっている。首領擁護、祖国死守、革命保衛の信念と仇敵撃滅の気性を力強く誇っているうちにおいて、いたるところに大飛躍的革新の炎が激しく燃え広がっている。無比の英雄的闘争で敵どもの極悪無道の策動を水泡と帰させ、他の人々が一歩歩むときには十歩百歩も歩むようにする飛躍の嵐が、まさに集団主義的な競争の熱風なのだ。

全国で燃え上がる集団主義的競争の熱風は、強靭大胆な総突撃戦で試練の難関を強行突破してゆく我が祖国の非常に強烈な活力であり、党と一体をなした千万軍民の血沸きたつ心臓にて燃え上がる忠誠心の熱である。

すべての活動家、党員、勤労者は、大衆的英雄主義、集団主義的競争の熱意で70日戦闘の徹夜進軍でマルリマ時代の新たな時代精神を創造し、疾風怒涛に走る我が人民の革命的気性と姿を力強く発揮すべきだ。

すべての部門・すべての単位で国家的利益、党と革命の利益を優先すべきだ。

競争は、単に生産能率を高め、生産量を増やす実務的な事業ではなく、党の政策を決死貫徹し革命を強く推し進めてゆくための政治的事業である。

社会主義的競争は、本質において、共同の目的と理想を持って闘争する勤労者たちがお互いに助け合って導いて集団的に革新を起こすための競争である。機関や企業所ではお互いに緊密に連携して積極的に協力しながら、自分たちが成し遂げた成果と経験を不断に交換すべきだ。そうしてこそ、国が発展することができる。われわれの全事業は、国家経済力をはじめとする全般的な国力を強化するための事業であり、そうであるからこそ、社会主義的競争を国家的利益、党と革命の利益の見地から進めてゆかなければならないのだ。本位主義
(注:본위주의、要するにセクト主義)や利己主義をはじめとする集団主義と対立する古い思想の残滓は、社会主義競争運動の主たる障害物である。(他単位との間に)壁をつくり、機関本位主義・単位本位主義で情報交流しない現象を徹底的に根絶しなければならない。

互いに助け合って導く集団主義的な美風を高く発揮してゆくべきだ。

社会主義的競争の威力は、革命的同志愛に基づいて互いに助け導いてくれる集団主義の威力である。人々を思想意志的に更に固く団結させ、集団の結束した力で更に高く飛躍し、更に早く発展してゆくところに社会主義的競争の優越性と牽引力がある。

集団主義の威力によって前進するわが社会の姿・風貌を積極的に生かしてゆくべきだ。同志的な協調と助け合いを強化する点に弱肉強食の法則が作用する資本主義社会の生存競争と根本的に異なる社会主義的競争の本質的な特徴がある。千里馬大高潮時代の集団主義精神と大衆的英雄主義の伝統を脈々と継承し、人々が暮らし働くすべての場所で時代を激動させる高尚なる美風が花開いており、革命的熱意と戦闘的雰囲気が溢れるようにすべきだ。隘路や難関にぶつかるたびに革命的同志愛を高く発揮し、互いに助け合い、学びあい、力を合わせて集団的革新・連帯的革新を起こしてゆくことで、遅れた単位・遅れた人なく共に発展し、共に前進し、いたるところで新しい英雄神話が絶えることなく創造されるようにすべきだ。

活動家は、集団主義的競争の熱風を激しく巻き起こす「送風機」になるべきだ。

活動家たちの闘争意欲が、集団の競争熱風である。活動家が率先して競争に対する観点と態度を持ち、社会主義競争運動に積極的に参加すべきだ。

活動家は、大衆が確信をもって競争に参加できるように競争目標をはっきり明白にし、具体的な現実性があるように立案し、その貫徹のための事業を緻密に、断固として突き進めなければならない。主軸に力を集中して勝利の進撃路を切り開き、事業全般を押し立てて競争を主導的に、活気をもって拡げてゆかなければならない。スピードと質とを共に保障することは、社会主義的競争の重要な要求だ。活動家は、スピードのために質を落としたり、逆に質を高めるためにスピードを落とす現象が現れないように責任と要求を高めてゆかねばならない。

社会主義的競争は、すなわち、実力の競争であり、実力なき競争心は欲望にすぎない。全活動家は、偉大な首領様たちの遺訓と党政策をしっかり貫徹し、科学技術に精通するための学習を生活の習慣としてゆかねばならない。党の恩情のうちに用意された科学技術普及室の運営を活発に進め、大衆的技術革新運動を果敢に繰り広げて、誰であっても創意工夫の名手、発明家になるようにしなければならない。「オレに続け!」のスローガンを掲げて大衆を競争に喚起する隊伍の旗手、先進的単位を追いかけて自らの単位を先陣に力強く走らせてゆける有能なる騎手たち、これがわが党が必要とする一群である。

党と労働団体組織の役割を決定的に高めてゆかねばならない。

各階層の党組織や労働団体組織では、党員・労働者を大衆的英雄主義へと力強く喚起してゆくための思想教育を反帝階級教育と関連して深化させ、生産者大衆が自分たちの生産する一つ一つの製品を敵どもの息の根を止める砲弾一発、銃弾一発と見なして増産競争を協力に広げてゆくようにしなければならない。赫々たる成果をあげ先鋒を走っている単位、活動家、勤労者を広く宣伝し、競争の熱意が全国を沸きたて、彼らに学ぶ運動、経験交換運動が至るところで果敢に猛烈に展開されるようにしなければならない。

日ごと、週ごと、月ごとの総和と中間総和を実りあるよう進め、政治的評価と物質的評価を正しく行い、競争参加者に高い誇りと自負心を抱かせ、以後の競争において更に大きな熱意と積極性を以って高い生産的高揚につながるようにしなければならない。すべての人々が競争を死活的に重要なものと考えて、すべてのチャンスとプロセスが競争の過程であるとして、部門別・単位別・地域別・段階別に社会主義的競争を組織し、競争ムードを継続的に高めてゆくべきだ。すべての活動家、党員、勤労者が英雄的闘争とまばゆい奇跡創造のページを刻んだ70日先頭の記録を抱き、5月のゴールラインに堂々と誇り高く到達できるように力強く鼓舞してゆかねばならない。

党組織は、領導業績の単位があらゆる面において手本・典型としてその栄誉を輝かせてゆけるように導き、勤労団体組織が社会主義競争運動を少しの偏向もなく目的志向性をもって広がってゆくように積極的に推進してゆかなければならない。
すべての活動家、党員、勤労者は、70日戦闘の徹夜進軍にて集団主義的な競争の熱風を激しく巻き起こし、前例のない労力的成果を達成し、5月の空に勝利の万歳の声が高く響くようにすべきだ。
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互いに成功を学びあい、助け合い、切磋琢磨してゆくタイプの競争を社会主義的競争と位置づけ、弱肉強食の生存競争としての資本主義的競争との違いを定義しています(同感!)。伝統的に「集団主義と競争原理の両立」は難題でしたが、今回こうして「競争」を社会主義の文脈で定義して我が物とする試みに一定の体裁が整いました。今後のキムジョンウン経済改革・経済活性化のイデオロギー的な「背骨」になってゆくことでしょう。

党大会でさかんに強調された「自強力(自彊力)」も、「市場活用のキーワード」と見ることが可能でしょう。市場経済で生きてゆくためには「自強力」が不可欠であることは、我々日本人であれば体験的にわかることだと思います。事実として市場システムが自生的に発展しており、党としても市場を活用してゆこうと画策しているこのタイミングで敢えて「自力に依拠し、他力本願にならず伸びて行きなさい」というメッセージを強調するというのは、党の明確な意志があらわれています

■人事的側面
次に、人事面での「継続性」についてみて見ましょう。

今回の党大会では、チャンソンテクは明確に否定されましたが、従前より、先軍からの脱却・朝鮮式経済改革の制度的特徴とされてきた「内閣による経済統括」という人的布陣は継続され、経済専門家として首相職を奉職しているパクボンジュ同志が党政治局常務委員に昇進し、党とのパイプが強化されたことが発表されました。
http://toyokeizai.net/articles/-/117382?page=2
>>> (前略)

その点で、党大会での人事において、金第1書記を含む最高指導層である5人の党政治局常務委員の中に、内閣総理(首相)である朴奉珠(パク・ポンジュ)氏が入ったことは、大きな意味を持ちそうだ。内閣が主導し、党がバックアップする経済運営体制をより力強く、スムーズに運営するための布陣とも言えるだろう。

(後略)<<<
共和国の行く手を占う上で、イデオロギーと並んで重要な「人事」という指標を見る限り、キムジョンウン改革は、本質・核心的な部分においては今後も変わることなく継続されると見るべきでしょう。人事への注目は、かつての「クレムノロジー」同様、基本的で正当な方法です。

■対外的・対内的な体制の安定化でようやく経済改革に戻ってこられた
もっとも、「市場活用」は、実は新しいアイディアではありません。キムジョンイル総書記統治時代においても見られました。たとえば『朝鮮文学』チュチェ93(2004)年1月号の「영근이삭」(共和国南半分の『プレシアン』の紹介記事)という小説や、大衆曲「준마처녀」を筆頭に、個人的な実利追求・個人的な褒賞を必ずしも否定しない「エートス」は、既に官許のものとしてあらわれています

もちろん、国内外の諸々の事情でいままで順調に成長してきたとは言えません。しかし、近年の、対外的には核武装による国防強化、対内的には自主的な市場ネットワークの成長と、それに対する上述のような「イデオロギー的整理」が安定化してきている状況を踏まえれば、ようやくキムジョンイル総書記時代以来の構想を全面化してゆく条件がそろうようになったといえるでしょう。今回の党大会の「従来どおりの並進路線」は、経済改革を従来どおりに漸進的に進めてゆくということなのです。

■西側メディアの「党大会の見方」は着眼点を誤っている
今回の党大会に関する西側メディアの報じ方についても触れておきたいと思います。

まず何よりも、「共和国における政治的イベント」の認識に誤りがあると言わざるを得ません。すなわち、共和国においては、西側人士のイメージとは異なり、政治的イベントは「新しい政策の宣言の場」ではなく「既に実施され成功した実例の成果宣伝の場」なのです。以前にも述べましたが、共和国は、指導思想であるチュチェ思想がまさにそうであったように、新しいアイディアは、実験的・試行錯誤的に実践されてから体系化され、全面的に導入が図られる国です。経済閣僚や中央銀行総裁がしばしば、マーケットの意表を突くような「サプライズ宣言」をしている西側諸国とは根本的に異なり、いきなりブチあげるような国ではありません(ロケット発射実験だって成功したら大宣伝、失敗したらダンマリですよね)。西側メディアが期待するような「新しい政策」や「サプライズ」というものは、基本的に出てこない国なのです。

また、共和国の経済改革を「中国式の改革」と重ねる風潮は、空想的であると言わざるを得ません。以前にも述べましたが、分断された小国である共和国と、実質上もはや非分断国家である大国・中華人民共和国は、その客観的環境が全く異なります。共和国が「中国式の開放」に耐えられる体力は、どう贔屓目に見てもありませんし、また、分断国家である以上は、国家の根幹である「イデオロギー的純粋性」は、中国以上に慎重に対応してゆかなければならないのです(台湾はもう大陸に野心はないでしょうから「台湾国」になるんじゃないでしょうか)。今の段階で共和国に「中国式の改革」を期待することは、客観的条件を無視したまったく馬鹿げた願望なのです。

■おわりに
今回の党大会は「目新しさ」がなかったことこそが、「党の従来からの漸進的改革路線が逆行することなく継続されていく」ということを示しています。経済に特効薬はありません。また、今回こうして党大会が開かれ、経済改革・競争改革に本腰を入れて取り組む姿勢を見せる余裕が出てきたのは、とりもなおさず並進路線の賜物です。
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