2016年07月31日

棲み分け原理と価値観の多様性――自由主義的な人間関係の基礎

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160726-00000070-nksports-ent
>> 高須氏、ポケモンGO”侮蔑”のやく氏に「気の毒」

日刊スポーツ 7月26日(火)12時36分配信

 世界中で大ブームとなっているスマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」に対し否定的な意見を述べた漫画家やくみつる氏(57)について、同ゲームのユーザーである美容外科「高須クリニック」の高須克弥院長(71)は「他人の価値観が理解できない人を気の毒に思います」とした。

 やく氏は25日放送の日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」にコメンテーターとして出演。ポケモンGOが紹介されている最中はずっと眉間にシワを寄せてむっつりした表情を浮かべ、「都内で『ポケモンGO禁止』を言う候補者がいたらすぐ投票しますね。愚かでしかない。こんなことに打ち興じている人って、心の底から侮蔑しますね」と批判。やく氏の発言はネット上で賛否を呼んだ。


(中略)

 そんな高須院長だけに、25日にツイッターでやく氏の発言に反発。やく氏が著名人の煙草の吸殻等を蒐集する珍品コレクターであることに触れ、「この不潔な煙草の吸い殻に価値観を感じるのですか?!びっくりしました」と、価値観の違いを指摘したが、「理解はまだですが、僕はやくさんを軽蔑しません」とした。 <<
高須院長の鮮やかな切り返し。特に「理解はまだですが、僕はやくさんを軽蔑しません」というくだり。やはり、一個人として人格的にちゃんとしている人は、適度な人間関係の距離感が分かるのですね。

■棲み分けと個人の自由
以前から述べてきていますが、お互いの価値観を尊重し合う現代的人間関係を保つためには、棲み分けという考え方が大切です。お互いの価値観が衝突しない限り、たとえ自分には理解不能な振る舞いだったとしても、「干渉しない」「あれこれ言わない」、そして「わざわざ価値観の異なる人たちの輪に近づかない」のです。自由主義的な人間関係です。

ポケモンGOによって歩きスマホが激増し、衝突事故が多発しているというのであれば、それは問題視されるべきです。しかし、やく氏の論の立て方は決してそうではありません。結局、自分の価値観にそぐわないゲーム内容だから口汚くののしっているだけです。説教臭い非自由主義的な人間関係原理が見え隠れします。

■タトゥーを「受け入れる」のは自由主義的か?
「干渉しない、あれこれ言わない、わざわざ価値観の異なる人たちの輪に近づかない」関連でもう少し議論を拡張させておきたいと思います。いわゆる「タトゥー・刺青」問題について。

タトゥー擁護論者は、しばしば「私の身体の話で、誰の邪魔もしていないのに、何で温泉に入れないといった不利益を蒙らなければならないんだ!」とした上で、タトゥーを「受け入れる」ように求めます。これは一見して前掲の自由主義的な人間関係に沿っているような主張ですが、自由主義的な人間関係とは異なります。自由主義的な人間関係は「干渉しない」ことであり、タトゥー擁護論者の「受け入れ」とは決定的に異なります。先にも述べたとおり、自由主義的な人間関係は棲み分けに基づくものであり、受け入れまでは組み込まれていません。「自分たちのテリトリーでは何をやっていても結構だけれども、わざわざ価値観の異なる人たちの輪に近づかない」べきなのです。

■「わざわざこっちに来るな」――多様な価値観どうしが平穏に共存するための秘訣は棲み分け
自由主義社会においては、人々は人間関係(友人関係)を選ぶ権利を持っています。自由主義社会は、常に無条件で自分を受け入れてくれる家族社会ではありませんし、「誰とでも仲良くしましょう」の学校社会でもありません。一定の人間関係を強制されるムラ社会でもありません

タトゥー擁護論者の「不満」を聞くたびに、「タトゥーを入れるのは君たちの勝手だし、入れたければ入れればよいけれども、なんで私たちが、君たちを仲間として受け入れてやらなきゃならないの?」「ご勝手にどうぞ、こっちには来るな」と思うのであります。「わざわざ価値観の異なる人たちの輪に近づかない」べきなのです。そうした棲み分けが、多様な価値観どうしが平穏に共存するための秘訣なのです。

棲み分けと多様な価値観の共存は矛盾しません。むしろ、多様な価値観の共存と称して棲み分けを否定すると、それは強制的同一化に転落します。

■タトゥーが嫌がられているのではなく、配慮しようとしないその人格が嫌がられている
また、タトゥー問題は、「受け入れるべきか否か」という問題以上に、「相互配慮という姿勢を持っているのか」という人格の問題でもあります。社会通念上、眉をひそめる人が現にいる事柄について、きちんと配慮した振る舞いができない人は、人格的に嫌がられるのです。その契機が偶然タトゥーだっただけなのです。タトゥーを入れているのを批判されているのではなく、他人に対する配慮ができないその人格が批判されているケースがあるのです。

現時点では、タトゥーは市民権は得られていません。それなのに強引に「何が悪い」「法律には違反していない」などと言って相互配慮に欠ける言動を取れば、タトゥーを入れていること自体ではなく、その人格が批判されるのです。

■まとめ――棲み分けを基礎とする個人の自由
やくみつる氏は、自分の価値観に合わないゲームの存在を否定しようとしました。それに対して自由主義は、たとえ理解不能だとしても、自分の活動範囲外における存在は認めるべきだとします。タトゥー擁護論者は、自分たちの価値観を、その価値観をもたない人たちにも受け入れるように要求します。あるいは、強引に突破しようとします。しかし、自由主義は、存在するのは勝手だけれども、嫌がる人たちの輪・テリトリーにわざわざ入り込むべきではないとするのです。これが棲み分けです。この棲み分けの上においてのみ、本当の意味での多様な価値観が開花するのです。
ラベル:社会
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2016年07月30日

「普通じゃない事件」は、普通じゃない心理状態の下で起こる

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160730-00000000-jnn-soci
>> 車内で2歳男児死亡、父親が保育園に送るの忘れる
TBS系(JNN) 7月30日(土)0時24分配信
 29日夕方、栃木県芳賀町で、2歳の男の子が車の中で死亡しているのが見つかりました。車を運転していた父親が、男の子が車内にいることを忘れたまま出勤してしまったということです。


(中略)

 警察によりますと、男の子は29日朝、保育園に向かうため、父親に車に乗せられ家を出ましたが、父親は保育園に送り届けるのを忘れ、そのまま出勤したということです。午後になって、保育園に迎えに行った母親が、男の子がいないために父親に連絡を取ったことから、父親が男の子を送り届けるのを忘れ、車の中に残していたことにようやく気付いたということです。

(以下略) <<
「普通の人ならありえない」という感想を持った方は少なくないでしょう。現に、ヤフーニュースコメント欄にも、そうした声が寄せられています。しかし、異常な過重労働、あるいは過度にストレスが溜まった心身の状態であれば、事故としてじゅうぶんに想定できるケースです。

私は、月給が倍以上になるくらいの長時間労働+ストレスいっぱいの部署に長く配属されていた(よく死ななかったなあw)経験があるので、身に染みて分かるのですが、心身の状態が異常なとき、認識は斑状になるものです。序列1位のことに意識を向けるので精一杯。それに関連する限りにおいては、それなりに実行できるものの、それ以外のことは、「ついで」や「本題への追加」も含めて、視野には入ってくるのだけれども、脳が反応しないのです。「心配で心配で気が気じゃない心理状態に似ている」と言えば、過重労働の経験のない方にも少しは通じるでしょうか?

軽自動車後部座席に設置したチャイルドシートに座らせた我が子に気がつかないのは、「普通じゃありません」。文字通り、父親は普通ではない状態で、なんとか自動車を走らせて職場に向かっていたのではないでしょうか?

ちなみに私は、過重労働で認識が斑状になっていた時期、家の鍵をよくかけ忘れました。同じ雑誌を2冊買ったことがありましたwwボケ老人レベルですよね。だけれども、通勤の道のりを間違えたことは一度もありませんでした。家を出て事務所まで行くのに精一杯だから、鍵をかけるのを忘れちゃうんですよ。信じられないかもしれませんが、こういうモンなんです。ちなみに、私の過重労働は、まさに「市場のチカラ」によって解消されました! 私が、労組運動や労基署の取締りよりも市場のチカラを重視しているのは、ある程度は、自身の経験にもよります。また機会があったら述べます。

現時点では報道された範囲では何も分かっておらず、完全な憶測でしかありませんが、そういう可能性もじゅうぶんにあり得るのです。決して、「訳の分からない事件」とか「ネグレクトの事件」として断定はできないものと考えられるのです。
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2016年07月24日

どうして馬鹿左翼は、相手の土俵にノコノコやってくるのか?――その小児的なメンタル

http://ksl-live.com/blog5956
>> 社民党増山麗奈が鳥越擁護「キスのみで強姦なし、事件性は無い」「これぐらいの体験は皆様も」
2016/07/24

参院選で社民党から立候補し落選した増山麗奈氏がまた問題発言。

週刊文春が報じた鳥越俊太郎氏の『女子大生淫行疑惑』について、自身も同様の性暴力被害に遭い、ショックで一週間家から出られなかったとしながら、その文中では鳥越氏を擁護する形で、
「日本社会。残念ながらセクハラ、パワハラ当たり前の社会。」

「また今回の文春の場合@20歳以上の女性が A自分の意志で男性の別荘に宿泊 Bキスのみで強姦はなし と事件性は無い。」

「このぐらいの体験は皆様も心当たりあるのでは。」
https://www.facebook.com/rena.masuyama.9/posts/1068494446565665?pnref=story

この人は自分が何を言っているのか解っていないのだろう。
いかなる性暴力も「これぐらい」と許してはいけないし、強姦以外の性暴力に事件性はないと決めつけ被害を受けたとされる女性の自己責任だと言っているのだ。


(以下略) <<
増山の言い分は全体的に支離滅裂ですが、あえてマジレスするなら、「自主という概念について、少し勉強したほうがよい」と言いたい。以前から述べていますが、社民党関係者の馬鹿発言を聞くたびに、社民党と朝鮮労働党とが友党だなんて、朝鮮労働党側が迷惑する話だなと感じています。私は親北派ですが、社民党は一刻も早く消滅してほしいと心底思っています。

それにしても、どうして馬鹿左翼は、スキャンダル報道に対して同じ土俵に乗って反論しようとするのでしょうか? 増山のように、自主概念ゼロ・人権概念ゼロ発言ができるほどの厚顔無恥であれば、反安倍のためなら何でもよいイデオロギー至上主義者であれば、いっそ、「そんなことより政策語ろうぜ!」で、告発ガン無視の幕引きに走っても良心はこれっぽっちも痛まないはずです。まあ、鳥越候補にはマトモな政策はありませんが、ならばスキャンダル報道以上に反安倍・反安保法・脱原発を大声でまくし立てればよいだけです。「差別!」の大合唱でもよいでしょう。要はスキャンダルが有権者の耳に入らなければいいのですから。

馬鹿左翼の、相手の土俵にノコノコやってくるマヌケさ、飛んで火に入る夏の虫状態は、結局、批判への耐性がないことの証左でしょう。批判を戦略的に我慢してスルーできない小児的なメンタルが見え隠れします。鳥越候補自身、小池候補に「差別」だと連呼しまくりました。

ちなみに、鳥越弁護団の説明に、「キスした」ってありましたっけ? 実は背後から撃ってる?
ラベル:左翼
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2016年07月16日

「ビッグデータによる参議院選議席予想」からみる社会予測の原理的困難性

Yahoo! JAPANが最近力を入れている、ビッグデータを使った議席予想の総括がアップされました。
http://docs.yahoo.co.jp/info/bigdata/election/2016/02/
>> 第24回参議院選挙の議席数予測を振り返る(前編)

(中略)

ヤフービッグデータ分析Tによる2016参院選最終予測と結果比較

(以下略) <<
予想と実際の一致率が、比例区で94%、選挙区で82%、全体で91%になりました。これを高いと見るか低いと見るかは人それぞれでしょう。

トータルの数値だけみると、なんとなく高そうな気もしますが、トータルの結果の根拠となる7月7日づけの個別の予想をみると、たとえば「東京選挙区で公明党候補落選」などという、常識的にはまずあり得ない予測(よっぽどの逆風ケースですよ。壮絶なF作戦が展開されているはず。でも、そんなことはなかった)を平気で発表しているあたり、「まだまだだな」という感想が正直なところです。
http://docs.yahoo.co.jp/info/bigdata/election/2016/01/
ヤフービッグデータ分析Tの2016.7参院選選挙区予測(7/7現在)

しかし、それよりも注目すべきは、6月29日づけの「第一回議席数予測」との差。以下のような「すごい」予想をしています。
ヤフービッグデータ分析Tの2016.7参院選選挙区予測(6/29現在)
「共産党16議席」ってのがすごい予測でしたね。実際にはその半分も取れなかったわけでしたが。突然の「人を殺すための予算」発言が効いたのでしょう。

ビッグデータで大はしゃぎしている人々のなかには、「ビッグデータの技術を用いれば、社会のマクロ的設計ができる」と主張する人がいます。しかし、仮にビッグデータによる予測の精度が高まったとしても、今回の選挙のように、社会の構成主体である人々の意思決定が突発的に、そして激しく変動するシロモノである以上は、過去の人間思考・世界構造が今日も続いているという前提に立ち、過去のデータを基に将来を予測するビッグデータの予測手法では、長期的な予測には原理的な困難性が伴うことでしょう。せいぜい、短期的な予測の繰り返しにしかならないでしょう。とてもではありませんが、「ビッグデータによる社会設計」など執行できません。

また、今回の予測では、「前提4:公明党の得票率はネット上の注目度に影響されず、一定幅の中で周期的に変動する」という条件をつけていました。その結果、公明党の議席予想を大きく外すことになりました(繰り返しになりますが、超逆風下でもないのに東京選挙区で公明党候補が落選するなんて、社会常識レベルであり得ない予想っすよw)。統計においてどのデータを採用するのかは調査員の判断です。また、公明党への投票行動のように、世の中には通常の統計データ収集活動では集めることができないタイプの行動様式があるのです。インプットデータが誤っていたら、どんな処理方法であっても、アウトプットデータは間違ったものになります。これは、まさに計画経済が失敗した理由そのものです。

やはり、「ビッグデータによる社会設計」には相当な困難性があるといわざるを得ないでしょう。参議院選挙の結果を受けて私が一番強く感じたのは「3分の2」などよりも、この点でした。
ラベル:「科学」 社会
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2016年07月14日

日本共産党の本当の問題点は「大企業敵視」ではなく「経済は理性的に指導できる」という思い上がり

http://diamond.jp/articles/-/95404?page=2
>> 「決して大企業を敵視していない」共産党・志位委員長に聞く

ダイヤモンド・オンライン 7月14日(木)8時0分配信


(中略)

 ――過去の日本共産党には、「大企業を敵視してきた」という印象があります。ところが、近年では「大企業とは共存する」という方針を掲げています。共存するとはどういう意味ですか。

 まず私たちは、決して大企業を敵視していませんし、ましてや潰れてもよいと考えているのではありません。そうではない。

 端的に言えば、こうなります。「今日の経済社会の中で大企業が果たしている役割は非常に大きい。ですから、大企業には持っている力に見合うだけの社会的な責任を果たしてほしい」ということなのです。

 ――しかし、大企業は、いきなり日本共産党から「利益剰余金を吐き出せ」と迫られたら、「経営を知らんくせに何を言うか」と反発するのでは。

 いやいや。私たちは、「大企業にたまっている内部留保(利益剰余金)を皆に配れ」と言っているのではありません。たまっているのであれば、そのうちの数パーセントでも社会のために還元すればよいのではないか、ということです。

 例えば、今日のような「ルールなき資本主義」の中で、大企業がもうけることばかりを重視すれば、競争が激しくなり、最終的には皆が疲弊してしまいます。その結果、経済全体が立ち行かなくなっては、元も子もありません。

 そうではなく、もう少し働く人の立場になって考える必要があると思うのです。どういうことかと言うと、現在はため込んでいるだけで“死んだお金”と化している内部留保を活用することで、“生きたお金”に変えるのです。

 仮に、大企業が内部留保の数パーセントを出すような仕組みがあれば、正規雇用者を増やせますし、長時間労働も減らせます。“過労死”ということが問題になっているような国は世界でも日本だけですよ。長い目で見れば、循環するような仕組みがあれば、企業のためにもなります。また、社会の発展にも貢献します。そうした民主的なルール作りは、政治の役割になります。


(以下略)<<
■日本共産党と瞰制高地論
日本共産党については、「共産党」というネーミングから、「今も計画経済を目指しているのではないか?」という疑問がわくものと思われます。しかし、「日本共産党=計画経済」という観念は古い! 志位委員長自ら語っていますが、日本共産党は、計画経済「自体」は目指していません。これは私も認めます。だからこそ危ない!

「「大企業には持っている力に見合うだけの社会的な責任を果たしてほしい」という志位同志の何処が間違いなんだ! CSRの時代だろう!」という主張もあるでしょう。もちろん、私もCSRは否定しませんが、日本共産党の問題点はそこではありません。日本共産党の主張は決してCSRではなく、いわゆる「瞰制高地(管制高地)」論なのです。大企業とは共存する」における「共存」とは、あくまで「指導の対象」としての「共存」に過ぎません。

■いまだに「経済は理性的に指導できる」という観念にしがみついている日本共産党――発想は計画経済と変わらない
瞰制高地論とは、「たとえ自由市場を認めていたとしても、経済全体に影響をあたえるような『瞰制高地』を社会主義勢力が掌握していれば、その経済は社会主義的であるといえる」という主張であり、もともとは戦時共産主義の破滅的大失敗からネップに移行するにあたってレーニンが急に思いついた苦し紛れの言い訳です。金融機関などの重要部門の経営に共産党が関与し、「科学的に正しい」直轄指導を党が行えば、そのほかの部門は直轄管理せずとも、じゅうぶんに社会主義経済を運営できるという理屈です。日本共産党は未だに瞰制高地論を維持しています。たしかに計画経済そのものではありませんが、いまだに「経済は理性的に指導できる」という観念にしがみついている、自由な市場経済の本質に対して誤った理解をしているのです。

瞰制高地論については、当ブログでは既に批判しています。該当部分を抜粋し再掲しましょう。
>> (前略)しかし、この瞰制高地論は、依然として計画経済的な発想であり、彼らの自由市場観がいかに本質から外れた貧相なものであるかを如実にあらわしています。自由市場というものは決して、単なる資源の効率的配分機構ではありません(その意味では新古典派的市場観も日本共産党の主張と同じくらい間違っています)。市場において個々人が自由に商取引を行うことにより、需要と供給に多様性が担保され、それによって全く新しいアイディアが生まれ、ニーズが掘り起こされるという点が自由市場の本当のメリットです。換言すれば、自由市場というものは、与えられた条件を最適化するメカニズムではなく、未知の解を探査しながらそれ自身が進化しつづけているメカニズムなのです。

そうした進化論的市場観に立てば、瞰制高地などという考え方のインチキさはご理解いただけるでしょう。未知の解を探査しながら常にダイナミックに進化しているシステムにおいて、いったい何処のポイントが「高地」だと言えるのでしょうか? ましてや、どうして社会主義的に掌握していられるのでしょうか? もし、正確に瞰制高地を認識でき、かつ、長く掌握できる秘策があるのならば、いますぐ立派な党本部ビルを売り払ってその代金で瞰制高地の企業株を買ったほうがいいですよ!
(後略)<<
経済に対する知識は、唯一競争市場を通してのみ得ることが出来ます。多くのプレイヤーが参加する市場において、各々の参加者たちが市場価格を指標として利己的に行動することによって、経済に関する知識が見えてくるのです。

■共産党員・政治家・官僚による素人経済運営への道――苦しむのは弱者であり逆効果
今回の引用記事でも、志位委員長は「たまっているのであれば、そのうちの数パーセントでも社会のために還元すればよいのではないか」といいます。当然、日本共産党政権になれば、「民主的統制」なる名目で、それを要求することでしょう。しかし、「そのうちの数パーセント」というのは、いったいどういう理屈で算出されたものなのでしょうか? ただ市場を通してのみ得られる経済知識であるのに、共産主義者は何処から知識を仕入れ、「そのうちの数パーセント」などと言っているのでしょうか?

ものごとは最終的には「程度の問題」です。一般論として「少しぐらい」が正しいとしても、具体的な数値として「程度」を評価するとき、「そのうちの数パーセント」に根拠はありません。「未知の解」です。繰り返しになりますが、経済における「未知の解」は、唯一市場を通してのみ判明するものであり、市場を通さない経路によって算出することはできません。強引におし進めたところで、共産党員・政治家・官僚による素人経済運営・企業経営にしかならないでしょう。その程度ならまだしも、そうした素人経済運営・企業経営のせいで、社会的弱者にさらなる皺寄せが及びかねない点、逆効果の懸念さえあります

■結論
こうした無理筋を臆面もなく主張できるのは、やはり日本共産党が未だに瞰制高地論=「経済は理性的に指導できる」という前提に立っている、つまり、本質において計画経済の前提と同じ立ち位置にいることを示唆しています。

日本共産党の本当の問題点は、「大企業敵視」などではありません。「経済は理性的に指導できる」という思い上がりなのです。

ちなみに、上掲引用箇所にはありませんが、いまだに「ラテンアメリカの動きに注目しています」なんて言っているんですね。。。ベネズエラの破滅的状況、知らないはずはないと思うんですが。。。
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2016年07月10日

党が軍を支配する典型的な社会主義国に戻りつつある共和国

http://www.kcna.kp/kcna.user.special.getArticlePage.kcmsf;jsessionid=272D1A2C35763436173EE67EF193A63C
>> 敬愛なるキム・ジョンウン同志におかれては、偉大な首領キム・イルソン同志死去22年を迎え、クムス山太陽宮殿を訪ねられた

(以下略)<<
7月8日は、キム・イルソン同志の命日でした。例年通り、今年も共和国指導部がクムス山太陽宮殿に安置されている主席のご遺体をたずねられました。

ただ、今年は例年と異なる参拝模様だったようです。リンク先(朝鮮中央通信HP)の現地写真を見ると、参拝した共和国指導部の面々が皆、人民服姿(例年ならば2〜3名は軍服のはず)。こういうときには、たいていは軍服姿で現れるチェ・リョンヘ同志も人民服姿でした。

キム・ジョンウン体制発足から漸進的に推進されて来、5月の党大会と6月の最高人民会議にて体制として固まるに至った党中心の陣容がここでも現れてきているといえるでしょう。人民軍組織の位置づけと関連させて分析すれば、党が軍を支配する典型的な社会主義国になりつつある(戻りつつある)ということでしょう。

党大会で明示された「並進路線」も、先軍政治としての並進ではなく、前衛党の指導性の下での並進ということになりましょう。軍中心の軍拡では、軍事路線自体が自己目的化してゆく恐れがありますが、党中心の軍拡は、さまざまな政治的課題の一手段としての軍拡という位置づけに「降格」されます。軍には軍の権力維持、党には党の権力維持という目的がありますが、党の権力の方が「バリエーション」の余地があります。党中央の意向次第で「切り替え」がしやすくなるのです。

もっとも、そもそも共和国の軍拡路線自体が、今も昔も外部要因への反応としてです。外部要因はそう容易に変わる見込みはありません。その点、「並進路線の主人公の変化」が作用をもたらすようになるのは、しばらく先になるでしょう。
ラベル:共和国
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2016年07月04日

いつまで経済決定論・経済疎外還元論にしがみつくのか――バングラ・ダッカでのテロ事件の「原因」論

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160703-00000078-mai-asia
>> <バングラテロ>過激思想、社会に広がる 政権の抑圧に反発

毎日新聞 7月3日(日)21時46分配信

 バングラデシュの人質テロ事件は、穏健なイスラム国家とみられてきたバングラ社会に過激思想が広まっていることを印象づけた。背景には、与党政権がイスラム主義勢力への抑圧を強化していることや、失業率が高止まりし、若者が経済成長の恩恵を実感できないでいることが指摘される。政権への反対勢力が、こうした社会不満を利用してテロに及んだ可能性もありそうだ。【隅俊之】


(中略)


 聖心女子大の大橋正明教授(国際開発学)は「過激なイスラム教徒が強く反発し、不満の受け皿となった勢力が、現在の政権の信用失墜を狙ってテロを実行した可能性が高い」と指摘。「テロで海外からの投資や非政府組織(NGO)などの援助活動も萎縮する。それが実行犯の狙いだろう」と話す。


(中略)

 バングラのイスラム社会に詳しい広島修道大の高田峰夫教授(地域研究)は「バングラでISとJMBを直接的に結びつける証拠は今のところ見つかっていない」と指摘。その上で「経済発展で比較的豊かになり、一定以上の教育を受けながらも思うような職に就けず、不満を募らせる若者もいる。こうした若者らがインターネット上でイスラム過激思想に感化されて起こしたテロ行為を、ISが利用している可能性がある」と指摘する。

 バングラでは東南アジアに出た若い出稼ぎ労働者が、テロ資金を蓄えて自国に戻ろうとする動きも出ている。

 シンガポール当局は今年4月、バングラに帰国してテロを敢行しようとしたとして、26〜34歳のバングラ人の男8人を国内治安維持法違反の疑いで逮捕した。31歳の男をリーダーに結成されたグループは「バングラデシュのイスラム国」を自称。外国人戦士としてISに加わりたかったが、容易でなかったため自国でテロを実行しようとしたと供述した。

 男たちは「ジハード(聖戦)」を誓った文書を所持しており、バングラ政府や軍の施設のほか政府要人などをテロの対象にしていた。また、爆弾の製造方法などを記した書類やISの宣伝物のほか、武器を買うための資金も押収された。グループとISとのつながりは確認されていないが、リーダーの男は「指示があればどこでもテロを起こす」と供述したという。
<<
■やっぱり出てきた経済決定論・経済疎外還元論
こうしたテロ事件が発生すると、決まって、犯人にアンケートをとったわけでもないのに、経済的不満、特に就職問題に対する不満を「原因」として挙げる経済決定論・経済疎外還元論的な「解説」が出てきます。通俗的なマルクス主義の悪しき影響が未だに残っているということなのでしょう。

上掲記事も、おそらくそうした「伝統」に則った編集方針で書かれたもののつもりなんでしょうが、既にこんなに短い記事でありながらも矛盾をきたしています。広島修道大の高田峰夫教授が典型的な経済決定論に則ったコメントを寄せながらも、他方で、聖心女子大の大橋正明教授が「テロで海外からの投資や非政府組織(NGO)などの援助活動も萎縮する。それが実行犯の狙いだろう」というコメントを寄せています。もし、犯人グループの犯行動機が「経済的不満」であったのなら、なぜ、仕事を持ってきてくれる外国投資・NGO活動に対してテロ活動をするのでしょうか? 自分はその蚊帳の外だから? そんな理由を、あたかも法則的に語ることはできるのでしょうか? 単なる突発的な無差別殺人事件と変わりなく、個人的な生い立ちを探り、児童相談所(バングラにはあるんでしょうか?)で支援用事例データベースに蓄積する意味はあっても、社会問題として背景を探るようなものではないでしょう。

■早くも矛盾を露呈する経済決定論・経済疎外還元論に対抗して
既に自己矛盾を起こしている「経済的に不遇な若者がイスラム過激派に走る」理論。それに対して、私は、下記記事の分析に注目したいと思います。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/yokoku/20150203-OYT8T50221.html?page_no=2
>> 若者はなぜイスラム国を目指すのか…池内恵氏インタビュー

2015年02月04日 09時23分


(中略)

ジハード戦士たちの心理構造

 イスラム国の戦闘要員は、米CIAが昨年9月に発表した推計では2万人から3万1500人となっている。その後、米国によるイラク、シリア空爆で減少している可能性もあり、現時点ではおそらく3万人程度と見込まれているが、そのうち半分ほどを占めているのが近隣のアラブ諸国からの参加者だ。

 そうした人々の心理は、イスラム教の論理からすれば、それなりに納得できるものがある。そもそもイスラム世界では、アッラーの教えに反する不義の支配者をジハードで倒すのは「ムスリムの義務」と考えられている。もちろん誰もが武力によるジハードを肯定するわけではないが、シリアのアサド政権が圧政で国民を弾圧しているという認識は広く共有されているから、「今のシリアの状態はおかしい。自分が手を下してでも何とか政権を倒さなければならない」と考える人がアラブ諸国に現れるのは容易に予測できる。しかも、イスラム国の主張は、いちおうイスラムの教えにのっとったかたちを取っている。イスラム国の指導者のバクダーディーは、預言者ムハンマドの後継者を意味する「カリフ」を自称しているが、彼のカリフとしての正統性に疑問はあるとしても、途絶えてしまっているカリフ制を復活させること自体は、ほとんどのムスリムが良いことだと考えている。

 また、イスラム国は捕虜を斬首するなど残虐な処刑を繰り返し、さらには少数派であるヤズィーディ教徒を奴隷にするなどして国際世論から非難を浴びているが、コーランやハディースには、確かにそうした行為を認めているように読める箇所がある。例えばコーランの47章4節には、「信仰なき者といざ合戦という時は、彼らの首を切り落とせ」といった章句があるし、中世の権威あるイスラム法学書であるマーワルディーの『統治の諸規則』でも、ジハードで支配下に置いた多神教徒に対しては、改宗、殺害、奴隷化といった選択肢があることを示している。

 実は、コーランやハディースの解釈は、過去の膨大な文献に通じていないとできないため、かつては各国の政権中枢に近いイスラム法学者が独占していた。しかも、そうした法学者は、比較的穏健な解釈をするのが常だった。ところが最近では主要文献がインターネット上にアップされるようになってきたために、検索すれば誰でも直接文献に当たることができる。イスラム法学者としての専門的なトレーニングを積まなくてもイスラム国のように過激な解釈を正統な根拠を引いて主張することも容易になった。

 同時に、イスラム諸国では中央政府の統治が揺らぎ始めているから、「御用学者」としてのイスラム法学者の権威は失墜している。こうなると、もう誰も過激な解釈をとめられない。これが最近10年ほどの間に出てきた動きだ。イスラム諸国からの義勇兵が後を絶たない背景には、そんな事情もある。

自由から逃走する若者たち

 一方、西欧・米国からのイスラム国への参加者は約2000人とみられているが、このような人々の意識は、アラブ諸国から参加している人々とはかなり違う。

 まず、ヨーロッパからの参加者の大部分はイスラム教の国々からの移民・難民の子孫だ。イギリス、フランスなど西欧諸国では、ムスリム系の移民とその子孫は人口の十数%程度にまで達しており、そのような移民の子弟は、どうしても自らのアイデンティティーの問題に悩みがちだ。イスラム教の国に自らのルーツがある場合、自らのアイデンティティーは生まれ育った西欧にあるのか、それともイスラムにあるのか。そうやって迷っているところでイスラム国の人々の主張に触れ、その主張の中に自らのアイデンティティーを見出そうとする、ということがしばしば起こる。そういった人々が自らの信仰を確認したくて、いわば、自らのアイデンティティーを確立するためにイスラム国に旅立っていく訳だ。

 さらにいえば、これは移民に限らないことだが、近代自由主義の中で生きる人間に固有の問題が現れているのだと思う。どういうことかというと、西欧社会では「自分が何をなすべきか」は自由意思に任されている。逆に言えば絶対に正しい答えというものはなく、自ら判断しなければならない。そのような自由は時として重荷になってしまう。ところが、何か権威あるものに従うことにすれば、自分で決めなくても良い。自ら判断する自由を捨ててナチスドイツの台頭を許した人々の心理を分析した社会心理学者、エーリヒ・フロムの言葉でいえば、彼らは「自由からの逃走」を図ろうとする。ましてやイスラム教の「神の啓示」は、なすべきことを全部教えてくれる。先進諸国からイスラム国を目指す若者が出ているのは、このような理由があるからではないだろうか。

 日本でも昨年秋、北大を休学中の若者がイスラム国への参加を企てるという事件があったが、ここでも同様な心理が働いていたような気がする。かつてオウム真理教に集まった人たちもそうだったと思うが、先進自由諸国では、このようにして「自由からの逃走」に走ってしまう人がある程度出るのはどうしても避けがたい。そこは冷静に受けとめるべきではないか、という気がしている。


(以下略) <<
「御用学者」としてのイスラム法学者の権威は失墜している。こうなると、もう誰も過激な解釈をとめられない。これが最近10年ほどの間に出てきた動きだ。イスラム諸国からの義勇兵が後を絶たない背景には、そんな事情もある。」という指摘、そして「イスラム教の国に自らのルーツがある場合、自らのアイデンティティーは生まれ育った西欧にあるのか、それともイスラムにあるのか。そうやって迷っているところでイスラム国の人々の主張に触れ、その主張の中に自らのアイデンティティーを見出そうとする、ということがしばしば起こる。そういった人々が自らの信仰を確認したくて、いわば、自らのアイデンティティーを確立するためにイスラム国に旅立っていく」や「このようにして「自由からの逃走」に走ってしまう人がある程度出るのはどうしても避けがたい。そこは冷静に受けとめるべきではないか」という指摘(太字化は当方によります)。イスラム圏出身のイスラム国参加者と、欧米出身のイスラム国参加者でバックグラウンドを分けていますが、私は、「自分探し」や「自由からの逃走」は欧米出身に限らず、ある程度の高い教育を受けた人々であれば、イスラム圏出身でもあり得ると考えています。それゆえ、今回の犯人グループのバックグラウンドとして指摘されている「バングラの恵まれた高学歴者」は、前者のような要素も後者のような要素も具有していると見ています。

■アイデンティティ探しからの過激化
後者の要素、特に「自らの信仰を確認したくて、いわば、自らのアイデンティティーを確立するためにイスラム国に旅立っていく」という分析は注目に値します(もちろんこれだって、イスラム国の連中にアンケートをとった結果ではなく、池内氏の推測的分析の域を脱しないと思いますヨ。ましてや、これを今回の事件の分析に用いているのは、まったくを以って私の判断です)。これは、明らかに経済決定論・経済疎外還元論とは異なる原因論です。

政治的運動は、その人の出自ではなく、その人の思想によって行うものです。歴史上の多くの革命運動・世直し運動は、事実として、本当の「底辺」ではなく、ある程度の教育を受けた人々の義憤によって起こされてきました。下記の記事に対する岡豊氏(公益財団法人中東調査会 上席研究員)のコメントに同感です。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160703-00000043-jij-asia&pos=4
>> 岡豊 | 2016/07/04 11:55 公益財団法人中東調査会 上席研究員

テロリズムとそれに基づくテロ行為は、政治的な表現行動の一形態です。従って、「テロリスト」は政治・社会問題について考え、それを他者に向けて語ったり行動に移したりすることができるだけの教養と経済的余裕のある人しかなることができません。一方、テロ組織がある程度大きくなると、組織の目的や政治的なメッセージをほとんど理解できず、給与をもらうなどして直接行動に参加する構成員が増えてきます。こちらの種類の構成員は「テロリスト」ではなく単なる「戦闘員」とみなしていいでしょう。


(以下略) <<
チェ・ゲバラは、南米放浪の旅のなかで、ある種の「自分探しの旅」の中で、現実社会に対する問題意識を芽生えさせ、その生涯を革命運動に捧げるに至りました。革命家の伝記を読むに、そうしたケースは相当に多く、これは傾向的に正しいと言っても良いでしょう(もちろん、人間には個性=脳のシナプス結合の個人的差異、があるのですから、すべての人々が必ずそういう思考になる=「法則的」と言えるわけではないとは思います)。

■「運動の主体」の心理にスポットを当てるべき
上掲の毎日新聞記事のような経済決定論・経済疎外還元論に基づく「分析」は、明らかに行き詰っています。いまこそ、俗流マルクス主義にもとづく分析ではなく、より「運動の主体」の心理にスポットを当てた動機分析、主体的分析が必要とされているといえるでしょう。

■イスラム原理主義のテロリストは「イスラム的な家」の建設を目標としている
そうした視点で今回の事件を分析すると、俗流マルクス主義的な経済決定論・経済疎外還元論に基づく「処方箋」は、必ずしも有用ではないと思われます。経済決定論的処方箋に従えば、「貧困国であるバングラに対しては、治水設備や工業基盤を作ってやれば、過激思想は落ち着くはず」ということになりましょう。しかし、自らのアイデンティティーを確立するために過激思想に染まり、そして、過激思想に基づく「誇り高いイスラム国家」の樹立を目標としている連中にとっては、「治水設備ができたくらい」では満足しないでしょう。彼らは、「治水設備を基盤に、イスラム的な社会を作り上げること」を目標としている、ワンステップ上の段階を目標としているはずです。彼らはおそらく、「土台」の整備では満足できないのではないでしょうか? チェ・ゲバラが「単なる繁栄」ではなく、「共産主義的繁栄」を志向したように、イスラム原理主義の連中は、「イスラム的な家」を建てるために必要な「土台の整備」について、関心をもっているのではないでしょうか? 

イギリスのEU脱退問題の記事で私は、「人間活動の目的は生活」と指摘した上で、「誇りの追求こそが生活の目的」である人々にとっては、あくまで手段・道具にすぎない経済は、生活に従属するものという位置付け以上にはなり得ない」としました。「誇り高いイスラム国家」の樹立を目標としている連中にとっては、先進国の対途上国経済援助などは、それ自体は「目的」ではありません。むしろ、「十字軍諸国の『援助』など汚らわしい!!」と言ってのけるくらいまで凝り固まった原理主義者連中にとっては、外国からの援助自体が許しがたいものと映ることでしょう。そうした救いようのない狂信的な宗教的観念が、今回のダッカテロ事件につながった可能性は、じゅうぶんにあるでしょう

■結論
こうした分析は、俗流マルクス主義的な経済決定論・経済疎外還元論からは絶対に出てこない視点です。経済的要素がまったく無意味・無関係というわけではありません。それだけで全てを説明しようとする決定論・還元論に反対しているのです。主体的分析もあわせて用いるべきです。
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2016年07月03日

階級敵対的・ゼロサム的認識にたつ「介護・保育ユニオン」の経済学的・世界観的誤り

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160630-00010000-fukushi-soci
>> 1人から加入できる福祉分野の労働組合を結成

福祉新聞 6月30日(木)10時17分配信

 介護や保育、障害など福祉分野で働く人が1人から加入できる労働組合「介護・保育ユニオン」(森進生代表)がこのほど結成された。16日に記者会見を開き、福祉分野の人手不足の背景には労働問題があるとして、業界のサービス改善に取り組みたいと訴えた。

 同ユニオンは、ブラック企業問題に取り組むNPO法人POSSEが設立した総合サポートユニオンの福祉分野支部として結成。現在、約10人が加入している。スーパーバイザ
ーには、厚生労働省の審議会委員も務める藤田孝典・ほっとプラス代表理事が就任した。

 同日の会見で森代表は、現場で虐待や事故が起きる背景には働き方の問題があると指摘。「企業が利益を上げるには、人件費を安くするしかない。それがサービスの質にも反映される。お金もうけ第一になるのは問題だ」と語った。
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■発言歴から透けて見える危うい人的布陣
チェチェ105(2016)年6月19日づけ「マクドナルドの「殿様商売」「ブラック労務」に改善を強いたのは労働組合ではなく市場メカニズムのチカラ」でも取り上げた「介護・保育ユニオン」結成の詳報です。甘っちょろい労働組合運動論で昨今のブラック企業・ブラック職場問題が解決すると思っている今野晴貴氏(当ブログでの批判記事1その2)と藤田孝典氏(当ブログでの批判記事その1その2)が幹部に座っている点で、まずこのユニオンの行く手が危ぶまれますが、森代表の発言がもう、典型的なマルクス経済学的な階級敵対的・ゼロサム的認識です。

■3つの認識誤り
POSSE系の方々は、介護・保育ユニオンを福祉業界での労組運動の主軸に据えようとしているようなので、その経済学的・世界観的認識の誤りについて指摘しておきたいと思います。森代表の発言を中心に、この短い記事に込められている彼らの主張の中には、認識の誤りが3つも潜んでいます。

■経済はゼロサムではない
まず、「企業が利益を上げるには、人件費を安くするしかない」というくだりについて検討しましょう。結論としては、「そんなことはありません」。森代表が、『資本論』における相対的剰余価値の議論のような「ゼロサム」でしか物事を考えられていないことを示しています。もしそうであったら、なぜ激烈な労働運動が展開されてこなかった日本資本主義が「一億総中流」の社会を作り出せたのでしょうか? 明々白々な歴史的事実にも反しています

利益=収入−費用(π=TR-TC)です。この式からは、利益を増やすためには、「収入を所与として費用を圧縮する」という方法論のほかに、「そもそもの収入を増やす」という方法論を導出することができます。また、費用は人件費だけではありません。人件費以外の設備費用なども削減対象の費用です。

「収入を所与として費用を圧縮する」という方法論は、圧縮された労働者の人件費はそのまま資本家の利益になるので、ゼロサム的です。『資本論』の相対的剰余価値論は、そうした論理構成になっています。しかし、マルクスの予言とは異なり、歴史的事実として、利益追求型の資本主義体制下でこそ最大多数(労働者階級を含む)の経済的厚生が高まっています。特に日本では、それほど激しい労働運動が展開されたわけではないのに、世界トップクラスの経済的繁栄を実現しました。この事実は、企業の利益追求は決してゼロサム的ではなかったことを示しています。森代表の「企業が利益を上げるには、人件費を安くするしかない」という認識は、短絡的であり、歴史的事実に照らして誤っています

■何が労働過程を荒廃させているのか――労組運動よりも業界運動
続いて、「福祉分野の人手不足の背景には労働問題がある」や「現場で虐待や事故が起きる背景には働き方の問題があると指摘」、「それがサービスの質にも反映される」といった主張について検討しましょう。「労働問題の背景」には何があるのでしょうか? 森代表の分析は、「労働問題」に突き当たるや否や、なぜかそこで止まってしまっています。「何が労働過程を荒廃させているのか」という分析が欠けています

「何が労働過程を荒廃させているのか」というテーマについては、前掲の6月19日づけ記事でも述べましたが、そもそも介護・保育業界は、労使関係の問題以前に、業界への実入り自体が少なすぎるという角度から斬り込むべきです。サービス利用者からはべらぼうな額を徴収しているのに、大半を資本家が搾取しているという『資本論』のような状態であれば、一定程度の労働環境改善要求運動は意味があるかもしれません。しかし、業界への実入り自体が少なすぎるのであれば、資本家と闘争を展開しても意味がありません。

経済学的に見たとき、生産要素市場(労働市場)は、財・サービス市場の付属市場です。経営者・資本家は、財・サービス市場での販売価格をもとに生産要素を需要します。いまはもう、コスト積み上げ方式の時代ではありません。原材料費・労使交渉で保障した労賃額・利益希望額を積み上げて販売価格を設定するのではなく、その時々の販売価格を所与の条件として、その枠内で原材料費・労賃額・利益希望額を圧縮するのです。

そうした売価から逆算する要素需要決定原則を踏まえれば、昨今の労働過程の荒廃は、「そもそも財・サービス市場での販売価格・業界としての収入額が少なすぎる」という点に原因を追求できるでしょう。「利益=収入−費用」の式のうち、収入があまりに少なすぎるのです。であれば、介護・保育業界は、労組運動によって分配率を巡る闘争を展開するよりも、業界が団結して一定の存在感を作り上げること、業界としての収入を増やすことを優先すべきです。森代表の分析は、労働過程の分析を、全体から不当に切り出して、それ単体だけで分析しようとしているのです。

■経済はシステム、資本家と労働者は呉越同舟
そのためには、「企業が利益を上げるには、人件費を安くするしかない」などという階級敵対的・ゼロサム的思考を一旦封印する必要があります。世界観レベルでの認識の転換になりますが大丈夫でしょうかね・・・?

当ブログで何度も指摘してきているように、経済は全体としてシステムです。資本家と労働者は、一見して対決的な関係ですが、実際にはお互いに同じシステムを構成している要素同士の関係です。当人たちの感情はどうであれ、「呉越同舟」の関係にあるのは、否定できない事実なのです。

にもかかわらず、昨今の労組運動はしばしば「システムとしての経済」という見方をせず、物事をバラバラ分解して考察しようとしています。こうした世界観レベルでの認識の誤りは、結局は、かつての国労のような誤りを冒すことにつながるでしょう。介護・保育業界は、労組運動をしているフェーズではないと思うのであります。

■営利主義のせいなのか
最後に、「お金もうけ第一になるのは問題だ」というくだりについても検討しましょう。介護・保育業界を巡る労働問題は、「営利主義」のせいなのでしょうか? 社会福祉法人や公営福祉施設といった「お金もうけ第一」ではない施設も十分に危機的な状況にあるはずです。こうした短絡的な「営利主義悪玉論」を見るにつけ、事の本質が見えていない点において、「期待できないなあ」という感想を禁じえません。

■約10人・・・?
ところで、「介護・保育ユニオン」の加入者って約10人なんですね。。。今野晴貴氏が画期的出来事であるかのように言うものですから、数百人単位で発足したのかと思っていましたよ。。。
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2016年07月02日

分権改革・経済改革の旗印を更に鮮明にした画期的な最高人民会議

朝鮮民主主義人民共和国 最高人民会議が開催されました。前回の記事で推測した国家機構の改編が、やはりありました。

最高人民会議開催に関する朝鮮中央通信報道から注目すべき3件をピックアップしました。その拙訳を以下に掲載し、考察します。
http://www.kcna.co.jp/calendar/2016/06/06-29/2016-0629-026.html
>>> 最高人民会議 第13期第4次会議―キム・ジョンウン委員長参席

(ピョンヤン6月29日発 朝鮮中央通信)朝鮮民主主義人民共和国 最高人民会議第13期第4次会議が29日ピョンヤンにて進行された。

敬愛なるキム・ジョンウン同志が会議に参席なさった。

党、武力、政権の機関、社会団体、省、中央機関、科学、教育、文学芸術、保健、出版報道部門の活動家たちが傍聴した。

会議では、朝鮮民主主義人民共和国 最高人民会議第13期第4次会議の議案を決定した。

1.朝鮮民主主義人民共和国 社会主義憲法を修正・補充について

2.敬愛なるキム・ジョンウン同志を朝鮮民主主義人民共和国の最高位に高く推戴することについて

3.朝鮮民主主義人民共和国 国務委員会を構成することについて

4.朝鮮労働党が提示した、国家経済発展5ヵ年戦略を徹底的に遂行することについて

5.朝鮮民主主義人民共和国 祖国平和統一委員会を新設することについて

6.組織問題

会議では第一の議事が討議された。

ヤン・ヒョンソプ代議員は、第一議事に対する報告で、社会主義憲法の構成体系と基本内容、革命的原則はそのまま継承しつつ、主に、序文と国家機構部分を修正・補充したことを明らかにした。

該当する条文では、「朝鮮民主主義人民共和国 国防委員会 第一委員長」を「朝鮮民主主義人民共和国 国務委員会 委員長」に、「国防委員会」を「国務委員会」に、「最高検察所」を「中央検察所」に、「最高裁判所」を「中央裁判所」に修正し、一部表現を整理した。

第一議事に対する最高人民会議令が採択された。

第二議事が討議された。

キム・ジョンウン同志を朝鮮民主主義人民共和国 国務委員会委員長に推戴する演説をキム・ヨンナム代議員が行った。

キム・ヨンナム代議員は、チュチェ朝鮮の強大さの象徴であり、すべての勝利と栄光の旗印でいらっしゃるキム・ジョンウン同志を共和国の最高位に高く戴き、チュチェ革命偉業・社会主義偉業の最終的勝利を早めてゆこうとすることは、全国の千万軍民の少しも揺らぐことのない信念であり、確固不動な意志であると強調した。

すべての最高人民会議代議員と人民軍将兵、人民の一貫した意思と念願を背負ったキム・ジョンウン同志を、朝鮮民主主義人民共和国 国務委員会委員長として高く推戴することを最高人民会議に丁重に提議した。

提議は、すべての代議員と参加者の絶対的な支持と賛同をうけた。

会議は、キム・ジョンウン同志が朝鮮民主主義人民共和国 国務委員会委員長に高く推戴なされたことを厳粛に宣言した。

会議では第三の議事が討議された。

キム・ジョンウン同志の提議をうけて、国務委員会副委員長にファン・ビョンソ代議員、パク・ボンジュ代議員、チェ・リョンヘ代議員が、国務委員会委員にキム・ギナム代議員、パク・ヨンシク代議員、リ・スヨン代議員、リ・マンゴン代議員、キム・ヨンチョル代議員、キム・ウォンホン代議員、チェ・ブイル代議員、リ・ヨンホ代議員が選出された。

4つ目の議事が討議された。

朝鮮労働党が提示した国家経済発展5ヵ年戦略を徹底に遂行することに関する報告をパク・ボンジュ代議員が行った。

つづいて討論があった。

討論者たちは、国家経済発展5ヵ年戦略は、社会主義経済建設の合法則的要求と現実的条件に合わせて経済強国建設において一大高揚を起こしていくことができるようにする科学的で革命的な戦略であり、社会主義強国建設の近道を明らかにした設計図であるとして、国家経済発展5ヵ年戦略目標を達成する決意を表明した。

4つ目の議事に対する最高人民会議令「朝鮮労働党が提示した国家経済戦略5ヵ年戦略を徹底的に遂行することについて」が採択された。

5つ目の議事に対する最高人民会議令「朝鮮民主主義人民共和国 祖国平和統一委員会を新設することについて」が採択された。

決定によれば、朝鮮民主主義人民共和国 祖国平和統一委員会を新設し、祖国平和統一委員会書記局を廃止する。

会議においては、第6議事である組織問題が討議された。

朝鮮労働党中央委員会の提議によって、テ・ジョンス代議員を最高人民会議常任委員会委員から解任し、キム・ヨンチョル代議員、パク・テソン代議員、シュ・ヨンギル代議員を最高人民会議常任委員会委員に選出した。

朝鮮民主主義人民共和国内閣総理の提議によって、リ・チュオ同志、リ・リョンナム代議員を内閣副総理に、コ・インホ同志を内閣副総理兼農相に任命した。


(以下略)<<<

http://www.kcna.co.jp/calendar/2016/06/06-29/2016-0629-027.html
>>> パク・ボンジュ代議員、国家経済発展5ヵ年戦略を徹底的に遂行することについて強調

(ピョンヤン 6月29日発 朝鮮中央通信)29日に行われた最高人民会議第13期第4次でパク・ボンジュ代議員が、朝鮮労働党が提議した国家経済戦略5ヵ年戦略を徹底的に遂行することについて報告を行った。

敬愛なるキム・ジョンウン同志が朝鮮労働党第7回大会において経済強国建設の戦略的路線を明らかにしてくださり、当面、2016年から2020年までの国家経済発展5ヵ年戦略を提示なさったと報告者は言及した。

報告者は、国家経済発展5ヵ年戦略の目標は、人民経済全般を活性化して経済の部門間均衡を保障し、国の経済を持続的に発展させることができる土台をつくることであるとして、以下のように強調した。

内閣は、我が党の並進路線をしっかり掌握し、エネルギー問題を解決し、人民経済先行部門・基礎工業部門を正常な軌道に乗せて立ち上げ、農業と軽工業生産を増やし、人民生活を決定的に向上させることを中心事業として掌握していくであろう。


(中略)

内閣は5ヵ年戦略遂行期間、山林の復旧戦闘を国家的な重要な戦略的課業として進めていくことで、すべての山々を緑の森が生い茂った豊かな山に変えるだろう。

(以下略) <<<

http://www.kcna.co.jp/calendar/2016/06/06-29/2016-0629-028.html
>>> 最高人民会議代議員がピョンチョン革命事跡地 参観

朝鮮民主主義人民共和国 最高人民会議第13期第4次会議に参加した代議員がピョンチョン
(平川)革命史跡地を参観した。

(中略)

史跡地に関する解説を聞き、当時の機械や道具、武器付属品が原状どおり保存されている短機関銃性能試験場、革命史跡である短機関銃射撃台をはじめとする史跡を参観した。

(以下略) <<<
■最高人民会議で定められた新しい組織編制
今回の政府機関のイベントとしての最高人民会議は、党機関のイベントとしての5月の朝鮮労働党大会の決定事項を追認するという位置づけです(党の指導性)。私は、以前の記事で、5月の党大会における最大のメッセージは、「経済改革の継続である」とし、「核開発継続」では決してないと指摘しました。今回の最高人民会議での議事メニューを見るに、経済改革の継続が主軸にすえられていることは、もはや明々白々と言えると思います。国防委員会が国務委員会に改変され、管掌職務が国防のみならず国政一般に変更されました。

■最高人民会議で定められた新しい人事
国務委員会の人事的布陣について検討すると、ファン・ビョンソ同志、チェ・リョンヘ同志、パク・ボンジュ同志の3名が国務委員会副委員長に選出されたことに注目できます。

パク・ボンジュ同志は、キム・ジョンイル同志治世下以来の経済専門家です。また、ファン・ビョンソ同志、チェ・リョンヘ同志は、いずれも軍人の肩書きで登場することが多いものの、元はといえば両者とも党官僚です。ファン・ビョンソ同志の公式報道初登場時の肩書きは、泣く子も黙り、軍高級幹部も決して頭が上がらない「朝鮮労働党組織指導部第一副部長」でした。チェ・リョンヘ同志は、キム・イルソン社会主義青年同盟(朝鮮版コムソモール)の委員長としての経歴があり、彼もまた党官僚です。

このことから、国務委員会幹部の人事的布陣は、「脱先軍・党主導」「内閣主導による経済再建」の意思があらわれているとみるべきだと言えるでしょう。

■「並進路線」とは言いながらも、やはり経済優先は明確
ピョンチョン革命史跡への最高人民会議代議員たちの訪問が報じられています。年初の水爆実験直前にキム・ジョンウン同志が訪問なさった史跡地ですが、記事は明らかに味気ない位置づけで言及されるに留まっています。

本気で「核開発優先」であるのならば、ピョンチョン革命史跡の「革命歴史的意義」が、これでもかというほど強調されていることでしょう。しかし、そうではなかった。このことから、一応「並進路線」ということにはなっているものの、実態としては経済改革にウェイトを置いていることが確認できます。

■「山林の復旧戦闘」は、キム・ジョンウン同志の最初の政策、伝統の分権志向政策
「山林の復旧戦闘」を筆頭とする国土管理事業について言及があるのも注目点です。キム・ジョンイル同志の急逝によって始まったキム・ジョンウン同志の体制が最初に提起した問題は、チュチェ101(2012)年4月27日づけの談話である「社会主義強盛国家建設の要求に合わせて国土管理事業で革命的転換をもたらすために」でした。昨今の政策的文脈に、この談話の再掲を位置づけると、以下のくだりの真意が明らかになってきたように思います。
>>> (前略)

 平壌市とともに道機関所在地をはじめ、各地方都市と農村を地方の特性に合わせて整えなければなりません。

 いま、地方がしっかりと整備されておらず、道機関所在地を整えたのを見ても地方ごとの特色がありません。黄海南道海州市と黄海北道沙里院市をはじめとする道所在地を見ると、住宅と公共施設の形式がすべて同じです。中央があるものを良いと言うと全国的にレクチャーを行った後、地方に標準設計を通知して建てるようにしたので、そうなったようです。農村の文化住宅も地方ごとに特色がなければならないのに、いまは東海岸地方であれ、西海岸地方であれ、山岳地帯であれすべて同じです。

 地方都市と農村を整えるうえでは、各地方の特性が生かされ、地方色が表れるようにしなければなりません。

 各道では、建設人員をしっかりと備えて都市建設と農村建設を力強く推し進めなければなりません。都市建設で都市形成を自分の地方の特色が生きるようにし、建物の形式も多様にしなければなりません。地方の建設に対して中央があまり統制せず、各地方が建物を自分の地方の特色に合わせて建てられるようにしなければなりません。

 いま、地方を訪れて見ると、地肌がむき出しの所が多いが、見た目にも良くないし、風が吹けばほこりが立って良くありません。耕地を除くすべての土地に木を植えたり、草地を造成し、花と地被植物を植えて空閑地や雑草が茂った所が一つもないようにしようというのが党の意図です。都市と農村の居住地区と線路周辺、公園には芝をはじめ、地被植物を多く植えて地肌が見えないようにしなければなりません。


(後略) <<<
上掲のキム・ジョンウン同志の指摘は、最近の政策的文脈のなかその意味合いを位置づけるとき、「分権化」の一貫としてみることが出来ます。キム・ジョンウン同志は就任直後から、「国土管理」というフィールドを実験地として、中央集権主義による行政硬直化を打破することを目指していらっしゃいます。その点において、共和国における「国土管理」は今や、分権化のキーワードであるとさえ言えるでしょう。

そうした「国土管理事業」が、今回、再度取り上げられ強調されている事実は、キム・ジョンウン同志の分権化改革が、少しも変わることなく今後も継続されていくことを示していると言えるでしょう。

外部リンクになりますが、こちらのブログさんの記事の分析は、私も同感です。あわせてご参照いただければと思います(推薦)。

今回の最高人民会議は、集権的経済政策から分権的経済政策への更なる継続的変化を予期させる、党大会に続く画期的会議だったといえます。
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