2016年08月30日

自分を客観視できないジャーナリスト

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160826-00010003-bfj-soci&p=1
>> 高畑淳子さん会見で「息子の性癖」を問う。記者はどこまで聞くのか

BuzzFeed Japan 8月26日(金)20時1分配信


(中略)

「息子の性欲」について母に聞くべきなのか

(中略)

母親に息子の性欲について、質問することが、このような事件報道の目的にかなうことなのだろうか。

BuzzFeed Newsは、メディア倫理を専門とする青山学院大学法学部の大石泰彦教授に話を聞いた。

「質問したことに対して批判されたときは、記者側もなぜ聞いたのか明らかにする責任がある。それができないのであれば、『取材の自由』と『報道の自由』の過剰行使とも言える」

「犯罪報道は、将来同じような犯罪が起きないように、注意できるようにするのが目的のはずです。記者が何のために事実を明らかにして、何が防げるのか。どう世の中のためになるのかを説明できないのに、相手に答えを求めることはできない」

その上で大石教授は、取材者がそのようなことを「分かっていなかったのではないか」とも語る。

「取材によって何を明らかにし、世の中に裨益するのかを理解せずに『俺たちには自由がある』『親なら責任がある』と、わけのわからないことを聞いてしまっている。『読者が知りたがっている』という理由だけではなく、何の問題を明らかにしたいのかを説明できないと、説得力はありません」

質問の意図を問い合わせると…

BuzzFeed Newsは、フジテレビと読売テレビに質問の意図を問い合わせた。

フジテレビ広報部は質問にファックスで回答。「取材の詳細に関するお問い合わせについては、お答えしておりません」と記されてあった。

一方、読売テレビに連絡を取ったところ、「情報ライブ ミヤネ屋」のアシスタントディレクターを名乗る男性は電話で以下のように答えた。

「質問事項を考えた番組ディレクターが、席を外しており答えられません。(中山リポーターは)その場で質問を考えた可能性もありますが、ここにいません。ディレクターが戻ってきても、回答するかはこちらの判断であり、その義務はありません」


(以下略) <<
■メディアも商売、市場経済
「息子の性癖」について実母に質問を投げかけるという謎取材に対して、多くの国民・視聴者=情報サービス消費者が、その意図を量りかねています。そうした多くの消費者による「どういう意味があるのかよく分からないので説明してもらえますか?」という声を背負って取材を申し込んだBuzzFeed News編集部に対して「回答するかはこちらの判断であり、その義務はありません」と言ってのける読売テレビAD。普通の商売だったらあり得ない言い草、読売テレビADの自己意識が透けて見える発言です。

「テレビ局関係者」という人々は、自分があくまで「一介の商売人」に過ぎないという事実を理解しきっていないのでしょうか?(今に始まったことじゃないけど) あるいは、独占企業気取りでしょうか? フジテレビ関係者が「嫌なら見るな」と放言したところ「はい、じゃあ見ません」と返されて苦しんでいる事実を再度、業界全体が自分の問題として直視すべきでしょう。次は読売テレビかも知れませんよ? 読売テレビは、どうしても見なければならないほど特別に面白いわけでもありませんからね。。。消費者が説明を求めているのに、そうしないメディアは必要とされていません

■自分たちが醸成してきた社会的認識なのに・・・
「消費者が求めている説明を提供しないメディア」関連で、貧困女子高生問題を巡るNHK取材班の弁解についても触れておきましょう。
https://twitter.com/katayama_s/status/767923517400592384
>> 本日NHKから、18日7時のニュース子どもの貧困関連報道について説明をお聞きしました。NHKの公表ご了解の点は「本件を貧困の典型例として取り上げたのではなく、経済的理由で進学を諦めなくてはいけないということを女子高生本人が実名と顔を出して語ったことが伝えたかった。」だそうです。

20:16 - 2016年8月22日
<<
さて、「本件を貧困の典型例として取り上げたのではな」いそうです。苦しすぎる言い分です。

格差問題や貧困問題がメディアでクローズアップされるようになった最近10年間の報道を振り返ってみましょう。この10年間で、格差問題や貧困問題はどのように報じられて来て、どのような社会的認識がメディアによって醸成されてきたのでしょうか?

この10年間、格差問題や貧困問題は、「現代社会を象徴する一幕」といった修飾語をつけられたり、あるいは、明白にそう言わずとも明らかに代表的事象として位置づける形で報じられてきました。秋葉原通り魔事件の加藤死刑囚のように、「格差社会は無関係。ただの異常な殺人者」という指摘が相次いだ人物までもが、メディアでは「現代社会の象徴」と位置づけられてきました(加藤死刑囚評価問題の当否はここでは述べません)。こうした報道が長年にわたって積み重ねられてきた結果、「メディアが報じる一つ一つの具体的なケースは、いずれも現代社会を象徴する一幕である」という社会的認識が形成されてきました

■「現代貧困問題の象徴的事例」として受け止めるのは当然
こうした取り上げ方に慣らされてきた視聴者は当然、今回の貧困女子高生報道を「現代貧困問題の象徴的事例」として受け止めるはずです。にもかかわらず、散々、断片的な事象を「現代社会を象徴」として来、そうした社会的認識を作ってきた張本人が急に「本件を貧困の典型例として取り上げたのではな(い)」とは言い出しているのです。

■苦し紛れのゴマカシ、あるいは、とんでもないナンセンス
あくまで推測ですが、単なる苦し紛れのゴマカシでしょう。もし、そうではなく、報道の方向性を「典型例ではないものでも取り上げる」に本当に急旋回していたとすれば、それは視聴者=消費者が予想している報道ではありません。こんな急旋回が正しく意図通りに伝わると思う方が如何かしています。10年分の蓄積を急旋回させるのだから、相当の下ごしらえが必要です。結果的にそれが不十分だったのですから、やはりNHK取材班のジャーナリストとしてのセンスの鈍さが際立ちます。ますます墓穴掘っているじゃないですかw

■そもそも非代表的事例を取り上げるべきではない
また、昨日の記事でも述べましたが、NHKが限られた資源である放送電波の一部を占有している以上は、そもそも非代表的事例の紹介に放送電波を消費すべきではありません。典型例・代表例を報じるようにしてください(ネットニュース媒体や書籍だったらご自由にどうぞ)

■終わりに
読売テレビADの言い草からは、「テレビ局関係者の思い上がったの姿」が見て取れますが、NHK取材班の弁解からは「自分を客観視できないジャーナリストの姿」を見て取ることが出来ます。いらないメディアが跋扈している時代です。
ラベル:メディア 社会
posted by s19171107 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2016年08月29日

「価値観抜きの相対的貧困」などあり得ない――概念の悪用よって復活する悪平等としての「共産主義という名の亡霊」

「まーたNHKが捏造した!」として大炎上が続いている「貧困女子高生」の件で、NHK擁護論が迷走しています。また、突如として相対的貧困の概念を、危険な文脈で持ち出してきました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160829-00049553-gendaibiz-bus_all&p=1
>> 「貧困女子高生」バッシングの無知と恥〜自分の価値観を振り回すな! 「ニッポンの貧困」の真実

現代ビジネス 8月29日(月)11時1分配信

文/大西連(NPO法人「もやい」理事長)


(中略)

 自民党の役職等を歴任してきた片山氏がこういった発言をすることは、日本の貧困対策にとってマイナスになりかねない。

 しかし、それも、「貧困」の定義や考え方が、個々人によって異なり、あまり共有されていないことによる不幸だとも思う。

 メディアでも「貧困」について報道される機会が増え、大手メディアだけでなくwebメディアなどでも「貧困」に関する記事が掲載されることも多くなってきている。

 あらためて、「貧困」について、特に日本(先進国)で一般的に言われるところの「貧困」について解説したいと思う。

 一口に「貧困」と言っても、どこからどこまでが「貧困」なのか、非常にわかりづらい。

 たとえば、先述の「千円のランチ」に関しても、じゃあ500円なら貧困なのか、それとも300円以下じゃないと貧困と認められないのか、など明確な基準がなくあいまいだ。ともすると、個々人の価値観に左右されてしまう。

 そうならないために、たとえば、政策的に(社会的に)貧困の解決を目指すための指標(定義)として、「絶対的貧困」と「相対的貧困」という考え方がある。

 日本では、ホームレスなど一部の人をのぞき、こういった絶対的貧困状態にある人はほとんど存在していないと言ってよい。むしろ、日本でいうところの「貧困」は「相対的貧困」である。

 「相対的貧困」は、「1日1.25アメリカドル以下」のような世界共通の基準があるわけではなく、その国(地域)において一定程度以下の所得水準の人の割合を算出する考え方である。

 相対的貧困率の実際の算定方法は、@収入から税金や社会保険料を引いた使えるお金(「可処分所得」という)がいくらか算出し、Aそれを一緒に生活している世帯人員で合算し、Bその世帯人員の平方根で割って「等価可処分所得」を算出し、Cその等価可処分所得ごとにならべたときの真ん中の人の値(中央値)を計算し、Dその金額の半分以下の人の割合を出す、というものである。

 あくまで、相対的な基準であるがゆえに、景気が良くなれば(多くの人が豊かになれば)貧困ライン(基準金額)は上昇し、景気が悪くなれば(生活が苦しい人が増えれば)貧困ラインが下がる。

 なので、いわゆる飢えてしまう、住むところがない、着るものがなくて凍死してしまう、などのすぐさま生命の危険がある「貧困」だけではない「貧困」が、日本で言うところの「貧困」であり、多くの先進諸国ではこの「相対的貧困」を指標にしている。

6人に1人が貧困ライン以下

 そして、日本の「相対的貧困率」は、16.1%であり、近年、上昇を続けている。(2012年厚労省「国民生活基礎調査」)

 日本の貧困ライン(2012年時点)は単身で122万円/年(等価可処分所得)であり、月に約10万円しか使える所得がない状態。2人世帯だと173万円/年(月に14.4万円)、3人世帯だと211万円/年(月に17.6万円)、4人世帯だと244万円/年(月に20万円)という数字になる。日本では、この水準以下の生活をしている人が6人に1人いるのだ。

「貧困」を語るときに注意すべきこと

 2013年に「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が全会一致で成立した。与野党を超えてすべての国会議員が賛成し、(まだ不十分な点もあるものの)子どもの貧困対策に向けた官民の取り組みや制度も少しずつだが整いつつある。

 今回のNHKの番組のように「貧困」をめぐる報道は難しく、時に誤解や偏見のまなざしに晒されることもある。しかし、その背景にある問題は何かを考えることはとても重要なことだ。

 「この人は○○だから困っている」「あの人は××だから困っていない」という比べ合いやレッテル張りは、問題の解決につながるどころか、正直に言ってあまり意味がない。「貧困」である人がいくらのランチを食べていたら納得できるか、という議論は不毛だ。

 あたりまえだが、相対的貧困下にあっても、映画を観に行ったり、スポーツをしたり、恋人とデートしたりすることができる。もちろん、経済的な制約があるなかで、ではあるが……。

 一場面を切り取って、個々人の発言や行動の一部をみて、評価をし、自分の価値観を押し付けて「貧困」を語るのは、もうやめにしたほうがいいのではないか。日本の「貧困」のレベルは客観的な政府の統計をみても先進国でも最低のレベルで、自己責任と言えず政策で対応しなければならない重要なテーマとなっているのだ。


(以下略) <<
■露骨な論点の摩り替え
露骨な論点の摩り替え、今回のNHK報道問題の批判の焦点とは関係ない話に無理矢理に繋げています

たしかに、「6人に1人が貧困ライン以下」は事実であり、これは深刻であり待ったなしの問題です。しかし、今回の炎上事件では、「『6人に1人が貧困ライン以下』の論証として、うららちゃんを持ち出すNHKの編集は、報道機関として不適当ではないのか」と指摘されているのです。

筆者の大西理事長としては、相対的貧困の概念を以って「自分の価値観を押し付けて「貧困」を語」っているなどとし、反論しているつもりなのでしょう。問題のNHK特集番組に出演したうららちゃんが相対的貧困なのか否かについて、大西理事長は触れていません。しかし、それこそが今回の批判の焦点、「まーたNHKのヤラセか?」の核心なのです。今回の炎上事件は、貧困層バッシングではないのです。「うららちゃんは貧困なのか? 貧困でないとすれば、NHKは事実を捏造したことになるが、報道機関として許されるのか?」という、ひたすらに、一般論としての貧困問題云々ではなく、うららちゃんを「サンプル」としてピックアップしたNHKの報道姿勢の問題なのです。

■擁護派が展開すべき言説
であれば、大西理事長が試みるべき反論は、ひたすらに「うららちゃんは貧困なのです!」ということを言及・立証することに尽きるはずです。また、NHKが限られた資源である放送電波の一部を占有している以上は、「うららちゃんは貧困層の代表的ケースです!」と言及することに尽力すべきなのです(放送電波を非代表的事例の紹介に消費しないでください! 優先順位をつけてください!)。「うららちゃんは貧困層の代表的ケースです!」と立証できれば、NHK報道班の完全勝利。「ほら、相対的貧困ってのはこんなにも『パッと見では把握しにくい貧困』なんですよ! みなさん、もっと相対的貧困に注目してください!」という絶好の宣伝文句になるはずです。にもかかわらず、そうした方向に議論が進むことはなく、うららちゃんのことは完全無視して、相対的貧困の理論的定義の解説に終始しているのが、大西理事長なのです。

■相当追い詰められて初めて出てくる「結論は正しいんだ!」という論点の摩り替え
こうした、取り上げるに不適切なサンプルを不注意にも持ち出したがために袋叩きにあい、苦し紛れに「統計的・理論的には正しいんだっ!」と連呼する無様な姿を見ると、またしても、かつて左翼・共産党対策部で、活動家相手に対峙した記憶を思い出します。結論の正当性はコチラも認めるケースについて一応、共産陣営の論拠を聞いてみたところ、部分的事実とデタラメを超飛躍で継ぎ合わせるトンデモ理論だったときのこと。流石にこのトンデモな理屈をスルーするとこっちまでバカの一員になりかねないので、「結論の正しさは認めるが、その理屈はおかしい」と指摘したところ、「結論は正しいんだ!」などと強弁し始めました。おそらく、共産陣営側も途中から無理筋だということは理解していたようです(口を滑らせていたしw)が、私たち「反共陣営」を前に引くに引けなくなったのでしょう。とはいっても、流石にトンデモすぎる理屈を繰り返すのは不利だとも悟っていたのでしょう。だからこそ、ひたすらに「結論は正しい」一点張りだったのでしょう。

「結論は正しいんだ!」は、相当追い詰められて初めて出てくる論点の摩り替えです。前回の記事で取り上げた「門前払い的無視」では、もはや凌ぎきれなくなっているのでしょう。NHK擁護派の主張は二転三転していますが、新たな段階に入りつつあるのでしょう。

■相対的貧困という概念の「重要性」と「危うさ」
ところで、今回の大西理事長の言説を読んでいると、相対的貧困という概念が危険な方向に悪用されかねないことに改めて気がつかされました(以前から、なんか嫌な予感がするなとは思っていましたが・・・)。

先に断っておきますが、私も反貧困の立場なので、相対的貧困という概念は理解していますし、相対的貧困という概念は重要な分析ツールだと認識しています。しかし、使い方によっては危険な結果をもたらしかねないツールであるとも考えています。道具は、主体としての人間の「使い方」次第です。

大西理事長の「価値観抜きの相対的貧困」は、統計的・機械的に算出されるものです。このような概念に基づく社会保障給付を行おうとすれば、最下流階層が「十分に健康的で文化的な生活ができる」程度の生活水準だとしても、上〜中流階層が「成金的生活」レベルであれば、統計的・機械的に、成金を基準にした給付を社会として行わなければならなくなります。必要でしょうか? また、上〜中流階層が獲得している成金的生活レベルは、彼らが努力に努力を重ねた結果であったとしたら? 彼らが努力は決して他人を搾取した結果ではなく、猛烈なる徹夜強行軍の結果であったとしたら? 「価値観抜きの相対的貧困」などと称して機械的に給付水準を決められるのは堪らないでしょう。

■「通俗的な意味での、悪平等としての共産主義という名の亡霊」の復権に繋がりかねない
たしかに、大西理事長がいうように、食うや食わずの貧困は世界的には解消に向かいつつあります。その点では、貧困の問題を「絶対的貧困」の概念だけで把握することは不適切であるというのは正しいと思います。また、格差の過度な拡大も問題視すべきという指摘も一理あるでしょう。しかし、大西理事長がいう「価値観抜きの相対的貧困」で把握する試みは、歴史的に大失敗が実証されている「通俗的な意味での、悪平等としての共産主義という名の亡霊」を復権させることにならないでしょうか? 単純に統計的に算出される指標だけで貧困を定義すべきではありません。価値観を含めてトータルに考えるべきです。「「貧困」である人がいくらのランチを食べていたら納得できるか、という議論は不毛」などでは決してありません。「経済的な制約」は、それが何をどのように制約しているのかに拠って評価は異なります。

■そもそも「価値観抜き」などあり得ない
さらに突っ込んで、哲学レベルにまで踏み込んで述べれば、相対的貧困の「定義」は人為的なものであり、それはすなわち、定義した人物の判断が根底にあることを意味します。相対的貧困を「@収入から税金や社会保険料を引いた使えるお金(「可処分所得」という)がいくらか算出し、Aそれを一緒に生活している世帯人員で合算し、Bその世帯人員の平方根で割って「等価可処分所得」を算出し、Cその等価可処分所得ごとにならべたときの真ん中の人の値(中央値)を計算し、Dその金額の半分以下の人」と定義しなければならない自然史的な必然性などありません(いっそのこと、「総生産÷頭数」の分配論でもよかったはずです)。より緩い定義でより多くの人を「相対的貧困」と定義しても良いのにもかかわらず、敢えて上述の定義を以って「線引き」を図るのは、人為的な価値判断です。

あらゆる問題設定・現状評価は、人間の判断によって線引きが行われている点において、問題提起を行った人物の思想・価値観が根底に存在するものです。あらゆる問題設定において、「価値観抜きの純粋に客観的な問題設定」など、そもそもあり得ないのです(通俗的なマルクス主義と根本的に異なるチュチェ思想の人間主義的観点です)。「貧困問題」という問題設定自体、価値観が入ってくる問題なのです。

■まさか、意図的な「共産主義という名の亡霊」の召喚?
にもかかわらず、「価値観抜きの相対的貧困」などと提唱する大西理事長。意図的に相対的貧困の概念を操作し「共産主義という名の亡霊」を敢えて召喚しようとしているという見方は、考えすぎでしょうか? もしそうであれば、ソ連崩壊から25年たっても未だに油断できない情勢にあると言わざるを得ないでしょう。

■集団主義的競争・社会主義的競争を提唱する親朝派は、「悪平等としての共産主義という名の亡霊」に反対する
最後に、私の立場を明確にしておきましょう。うららちゃんを叩くとネトウヨ認定されるらしいので(うららちゃんは叩いてはいないんだけどねえ)。以前から立場を鮮明にしているように、私は親朝(朝鮮民主主義人民共和国)派・チュチェ思想派です(ヘイトなんてするはずがありませんw)。チュチェ105(2016)年3月19日づけ『労働新聞』が報じているとおりキム・ジョンウン委員長率いる朝鮮労働党は、「悪平等としての共産主義」からの脱却の方向性を明確に打ち出し、集団主義的競争・社会主義的競争を提唱していらっしゃいます。私は、親朝派・チュチェ思想派として、キム・ジョンウン委員長が掲げる方針を断固支持しています。だからこそ、悪平等主義には反対であり、それゆえ、「悪平等としての共産主義という名の亡霊」を召喚しかねない大西理事長の相対的貧困論には反対です。

オルタナティブとしては、前回の記事で述べた「自主の立場」を改めて提唱します。該当部分を再掲します。
>> 自主の立場から言えば、本人の認識と社会の承認の二本立てでしょう。率直な意見交換の後に形成されるものです。ここで重要なのは、どちらか一方が断定的に定義できるものではないということです。社会の側が「おまえは貧困ではない」と押し付けることも、個人の側が「私は貧困です」と言い張ることも不適当です(もし、相対的貧困問題の場合であれば尚更でしょう)。 <<
この意味においては、大西理事長の「自分の価値観を押し付けて「貧困」を語る」ことは、押し付けという点において不適当なのは確かですが、だからといって大西理事長のいう「価値観抜きの相対的貧困」は哲学レベルでそもそもあり得ない言説ですし、当人の自己申告だけで貧困を語ることも不適当です(「当人の証言だけで判断してはならない」というのは、「鳥越俊太郎淫行疑惑」のときに鳥越氏支持者が盛んに口にしていた言説です。本件におけるNHK取材班支持者と鳥越氏支持者は人的に重なるところが多いようなので、当然、認めてくださることと思います)。率直な意見交換の末に社会的に水準が決まるものです。

この問題は重要な論点なので、継続的に論じてゆく予定です。
posted by s19171107 at 23:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2016年08月22日

「貧困女子高生」騒動を巡って、怪しい面々が悪質な論点ずらしを含むNHK「擁護」論を繰り出してきた!

反貧困だからこそ、このたびのNHKの特集コーナーは許せないんですよ。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20160822-00061377/
>> ”貧困女子高生” 炎上の背景に報道側の配慮不足とネットの悪ノリ
水島宏明 | 上智大学教授・元日本テレビ「NNNドキュメント」ディレクター
2016年8月22日 18時46分配信


(本文引用は略)<<
長すぎるので、定例の記事冒頭での本文引用は省略します。

数日前のNHK報道番組で放映された「貧困女子高生」の件です。「貧困家庭」にしてはモノが溢れているのに不審に思った視聴者が、ネットを駆使して調べまくったところ、出演した女子高生がTwitterユーザーで、そこでのツイート内容から、とても「貧困女子高生」の代表に位置付けるのに相応しくない人物であったことが割れてしまったという件です。もちろん、叩かれているのはNHKのプロデューサーであり、「NHK取材班の庶民感覚のなさ」です(後述)。

そうした流れを無視する形で強引に論を立てている水島教授(後述するとおり、たぶん意図的)。「”勇気ある女子高生”がさらされた!」だの「経験的に振り返ると、日本の視聴者は貧困な人々への視線が容赦ない。それが生活保護という公的な支援制度の受給にかかるとなると徹底的なアラ探しが行われる。」だの「日本では、貧困層は趣味を持つことや私的な楽しみを持つことに対して一般住民のアレルギーが強い。」だのと、まったく論点がずれたことを述べています。違います。世の中に対して貧困の実情を告発するのであれば、別の家庭をレポートするべきだったのです。

私も反貧困の立場ですから、「プチ贅沢はわるい」なんて言うつもりは毛頭ありません(※)。反貧困だからこそ、あんな人選ではなく、もっと世の中にインパクトのある告発をすべきだったと考えます。ジャーナリストとはいえ、所詮は「野次馬に毛が生えた」程度の手合い。高給取りのNHK職員と有名私大教員なんかには分からないのかもしれません。。。「貧困家庭代表」に相応しくない人物を引っ張ってきて、「これが貧困だ!」って、あんたらこそ貧困を軽く見ていないか?と強く問いたいのです。

※もちろん、社会保障費用は、決して安くない我々の税金から賄われているのですから、公平性に配慮した支出を求めるのもまた当然です。馬鹿左翼のように「保護は権利」「貰えるもの(保護費)を好きに使って何が悪い」一辺倒は違います(「貰えるもの(給料)を好きに使って何が悪い」というのなら、もう税金払わんぞ!)

ちなみに、「貧困家庭代表」は誰が決めるのかについて述べておきましょう。自主の立場から言えば、本人の認識と社会の承認の二本立てでしょう。率直な意見交換の後に形成されるものです。ここで重要なのは、どちらか一方が断定的に定義できるものではないということです。社会の側が「おまえは貧困ではない」と押し付けることも、個人の側が「私は貧困です」と言い張ることも不適当です(もし、相対的貧困問題の場合であれば尚更でしょう)。

マルクス座右の銘「汝の道を進め、人々をして語るにまかせよ」を貫くのは勝手ですが、厳しいと思います。今回の場合は、うららちゃん側が幾ら「貧困なんです!」と言い張っても、視聴者側が「ご冗談を」「貧困とは言えないよ」という反応なのですから(ちなみに、「貧困は努力不足、甘え」という反応ではない点は重要です。今回は、「貧困層バッシング」のケースではありません)。まるで受け入れられていないのです。仮に、上から目線で指導をかましても、「馬鹿な国民が!」と罵っても、無視されるのがオチ。「進歩的」「前衛的」な人たちが大衆から遊離して滅んでいった歴史的事実は枚挙に暇がありません。ぜひ、毛主席語録の「大衆路線」の章を学習(再学習?)してください(マジでこれはオススメ。特に自称左翼は)。

問題になっているのは、ひたすらに、「貧困家庭の代表とは言い得ない人物をピックアップしたNHK取材班のセンスのなさ」なのです。この騒動の初期かつ核心を突いた書き込みは、「保守速報」を漁れば簡単に見つかるので、ご紹介しておきましょう。
http://hosyusokuhou.jp/archives/48256294.html
>> 【動画】NHK「PC買えなくてキーボードで我慢する超貧困JK。可哀想」 →部屋に2万円のペンを発見、捏造がバレる

2016/08/19 02:12


(引用は省略します)<<
「これは貧困と言えるのか?」「またNHKか!」という書き込みが抽出されています。これが、今回の騒動の核心です。「なんで都知事選候補に、よりによって鳥越俊太郎を担ぎ出したの?」レベルの謎人選です。

もちろん、世の中には「趣味にお金を使いすぎて生活が苦しい」といった家計管理が全くできないタイプの人もいるので、「モノが溢れている=生活が楽」とは言い切れません。しかし、それこそ「いわゆる貧困」の代表に据えるには不適当です。社会通念的な貧困層と異なります。それゆえ、据えるにしても、注釈・解説は必須のケースです。やはり、NHK取材班のナンセンスっぷりが際立ちます。こういう馬鹿がジャーナリストを気取るのは、逆効果であり、私は、反貧困の立場から、NHK取材班には貧困問題界隈からの退出を強く要求するのであります。

以上のように、そもそもの騒動の潮流を無視する形で書き始めた水島教授の主張は、当然のごとく明後日方向に走っていますが、まとめサイトはどうやらチェックしている、つまり、騒動の潮流を認識した上で敢えて、まったく異なる文脈に読者を誘導しているようです(悪質!)。

曰く「それを怪しげなネット上の「ニュースメディア」なるものが増幅する構図がある。」。まとめサイトを確認していることを告白しています。しかし、「怪しげなネット上の「ニュースメディア」」と断じて、内容はガン無視しています。

まとめサイト見た上で前掲の論を立てているのは、タチの悪い印象操作です。「だが、(信頼を失いつつあるとはいえ)既存メディアである新聞やテレビが、何を伝えるべき事実と考えるか、何を伝えるべきではないか、日々考えている」って、なんのこっちゃ? こういう印象操作をやるから、「信頼を失いつつある」わけですよ、水島教授

このくだりを読んで私は、かつて左翼・共産党対策部で、活動家相手に対峙した記憶を思い出しました。こちらが正確かつ科学的な証拠を提示して、連中の妄言に反論したときのこと。私は、資料を音読し、相手にも適宜音読させ、話の流れをちゃんと把握しているか試した上で、蓄積された連中側の主張の穴を突いて一気にこちら側に流れを持って行きました。すると連中は、壊れたレコードのように同じことだけを繰り返すようになりました。明らかに無理筋であるにも関わらず、同じこと一点張り。引くに引けないんでしょう。共産陣営の内通者によると、「確かにあっちの言う通りなんだが、しかし・・・」という打ち合わせがあった模様。「この人たち、日本語通じないのかな?」「なんでここまで認めておいて、核心に迫る証拠だけ無視して、振り出しに戻るんだ?」「どういう飛躍? アタマおかしくなった?」レベルだったものです。

立場上、都合の悪い展開になったときの典型的な左翼的逃走法――無理筋と認識していながらも従来主張の一点張り、都合の悪い証拠はダンマリ・スルー。とくに、「鳥越俊太郎淫行疑惑」のときの社民党増山麗奈氏ような、飛んで火に入る夏の虫的「反論」でもなく、「そんなことどうでもいい」といった開き直りでもなく、今回は「臭いもの(疑惑)に蓋」的なダンマリ・スルー対応をしている点に注目すべきです。もしネットニュースメディアの報道が事実ならば、相当マズイい展開になると水島教授は見ているのでしょうね。また、いわゆる「バイトテロ」の一連の騒動から、ツイート内容を繋ぎ合わせた推理行為が、結構いい線まで迫り得ることが社会的にも浸透しつつある昨今は、こうしたネットニュースメディアの報道が真実味を持って受け入れられる時代になりつつあるという現実も意識しているのでしょう。だから、とにかく門前払い的に扱って、極力詳しくは触れないようにしているのでしょう。「たとえネットニュースの報道が事実でも、いいじゃん、ウン万円のペンがあったって」くらい補足的に言っちゃいなよ! それが本心なんでしょ?

水島教授は記事の終わりに「冷静に「貧困」について考えてほしい」と書きました。繰り返しになりますが、NHKがこの話題から降りることが、冷静に貧困問題を考える前提と言わざるを得ません。手強い敵軍(生活保護・社会保障バッシング)より馬鹿な友軍(自称弱者の味方)の方が脅威です。

なお、自宅凸はダメだと思います。「れっきとしたプライバシーの侵害、人権侵害である。」は、正しい指摘です。この騒動は、もとはと言えばNHK取材班のせいですが、それと凸の正否は別問題。鍵なしツイートが晒されるのは文句は言えないとして、リアル空間にまで出てくるのはご法度です。だから、うららちゃんの自称姉も自重しようね?
posted by s19171107 at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

「教育を商材にした金儲け」への助成制度と日本共産党――未来社会論の混乱

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-08-21/2016082115_03_1.html
>> 高校生が私学助成運動
教育のつどい 分科会はじまる

 「貧困・格差拡大から子どもたちと教育を守るネットワークを」「子どものいのちをはぐくみ、個人の尊厳と学ぶ権利を大切に」―。「教育のつどい2016」の2日目の20日、教科・課題別の28分科会と二つの特設分科会での討論が始まりました。


(中略)

 メンバーのひとりは、「私は学費について関係ないって思っていた。でも、お金がないことを理由に仲間が、私学をあきらめ、公立高校に行ったことを知りました。なんとかしたいと運動に参加しました」と語りました。

 “私立は高くて当たり前”を変えていきたいと毎日街頭で署名活動をしています。

 愛知県では、県民から多くの署名を集め、私学への助成金を多く勝ち取っています。


(以下略) <<
日本共産党が私学助成を要求しているのは今に始まった話ではありませんが、考えてもみれば妙な話です。私立学校は、いわば「教育を商材にした金儲け」です。教育が個人にとっても社会にとっても基礎基盤であることは論をまちませんが、それを「金儲け主義者」に開放するとは、共産主義者的には「言語道断」ではないのでしょうか。また、経済的に困窮した家庭はもちろん、すべての人民大衆に、安価でキメ細かく質の高い公教育を平等に提供することこそ、共産主義者の目指すところではないのかとも思います。

私は、教育サービスにも、供給主体の多様化と選択の自由の拡大が必要だと考えています。私立学校は供給主体の多様化そのものですし、私学助成による個別家庭の負担軽減は、選択の自由の拡大に大いに資するものと考えます。私のような市場主義者と同じことを日本共産党が口にするとは。。。おそらく、このように言えば彼らは、「あなたとは違うんです」と返してくるのでしょうが、私学助成を拡大すれば、おのずと、生徒側の選択肢の幅は広がってゆくし、それに応じて供給も多様化してゆくはずです。自分たちの主張の必然的帰結に気がついていないんでしょうね

未来社会論(革命的ビジョン)のコアとしての「計画経済」が完全に時代遅れになり、苦し紛れに「瞰制高地論(管制高地論)」に飛びついて以来、日本共産党の主張がブレブレになってきていますが、これもその一つの現象形態なのでしょう。
posted by s19171107 at 00:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

音楽政治とセルフプロパガンダ

http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=japanese&no=1999
>> 順川化学連合企業所に新たに築いた
アクリル系塗料生産工程を視察

朝鮮労働党委員長・朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長・朝鮮人民軍最高司令官である金正恩同志は、順川化学連合企業所を訪れて新たに築いたアクリル系塗料生産工程を視察した。


(中略)

金正恩元帥は、収められた成果に基づいて化学工業の発展に引き続き大きな力を入れるべきだとし、化学製品生産の主体化を高い水準で実現するための具体的な課題と方途を明示した。

われわれが豊かに暮らし、強盛になることを望まない帝国主義者の卑劣な孤立・圧殺策動がより悪らつになっているこんにち、われわれが信じるものはただ自分の力しかなく、誰もわれわれを助けようとしないとし、自分の力を信じれば千里も咫尺で、他人の力を信じれば咫尺も千里である、自力更生の革命精神を発揮してこそ最悪の状況でも最上の成果を収められ、わが革命が力強く前進することができるとした。

金正恩元帥は、順川化学連合企業所の幹部と労働者が朝鮮労働党第7回大会決定貫徹のための闘争の先頭に立って力強く駆けるものとの期待と確信を表明し、彼らと共に記念写真を撮った。

朴奉珠内閣総理、李務栄・内閣副総理兼化学工業相が同行した。
<<
自分の力を信じれば千里も咫尺で、他人の力を信じれば咫尺も千里である」――革命歌신심드높이 가리라(信心高く行かん)の一節を引いていらっしゃいますね。
>> 우리의 길은 인민을 믿고 수령님 열어주신 길
우리의 힘은 당의 두리에 천만이 굳게뭉친 힘
가슴에 지닌 필승의 신념 그 어이 드팀이 있으랴
장군님따라 주체의 한길 신심드높이 가리라

제힘을 믿고 떨쳐 나서면 천리도 눈앞에 지척
남의 힘 믿고 바라다보면 지척도 아득한 만리

모진 광풍이 몰아친대도 우리는 맞받아 가리
장군님따라 주체의 한길 신심드높이 가리라

우리 수령님 결심하시면 우리가 못한 일없고
우리 당이 구상 펼치면 우리가 못간 길없네
백전백승의 혁명의 기치 진두에 펄펄 날리며
장군님따라 주체의 한길 신심드높이 가리라
장군님 따라서 신심드높이 가리라
<<
こうした、ちょっとしたところにも革命音楽・宣伝音楽の歌詞を引いてくるキム・ジョンイル総書記の音楽政治の手法を、キム・ジョンウン委員長もしっかりと継承されているようです。

政治的場面に歌詞の一節を明示的に引いてくること、あるいは、歌詞を思い出させるようなキーワードを講話に織り交ぜることは、歌詞が描き出す情景が政治的場面を彩る点において大変効果的です。たとえば、キム・ジョンイル総書記が逝去されたとき、朝鮮中央通信は「走る野戦列車内で逝去された」と報じました(実際には停車中だったそうですが)。この一報を聞いたとき私は、「장군님은 빨찌산의 아들(将軍様はパルチザンの息子)」の「동에번쩍 서에번쩍 적진에 번개치며 위대한 백두전법 전선길에 빛내시네 조국위해 한평생 공격전에 계시는 우리의 장군님은 빨찌산의 아들(東にピカリ、西にピカリと敵陣に稲妻を落とされ、偉大なるペクドゥ戦法を前線に輝かされるよ 祖国のため一生涯を攻撃戦に臨まれる 我らの将軍様はパルチザンの息子)」という一節を思い出したものでした。「パルチザンのキャンプで生まれ、野戦列車内で逝去された総書記は『パルチザンの息子』だったんだなあ」という思いが真っ先に頭に浮かんだのです。

イメージ同士が脳内で自然と繋がるように仕向けるのは、政治宣伝として大変完成度が高い方法です。外部から「注入」せずとも、自発的に宣伝文句を生成し、自分自身に対して宣伝するからです(マイルドな洗脳といってもよいでしょうけど)。キム・ジョンウン委員長の体制も、先代につづきこの路線を着実に歩んでいます。
posted by s19171107 at 21:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

最低賃金の引き上げは、甘っちょろい労組活動家の願望とは異なり、底辺労働者を更に苦しめることになろだろう

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160815-00000004-wordleaf-bus_all
>> 最低賃金の大幅引き上げ、必ずしも低所得層にメリットはない

THE PAGE 8月15日(月)12時0分配信


 安倍政権の強い意向を受け、最低賃金が大幅に引き上げられることになりました。日本の最低賃金は諸外国と比べて低かったという現実を考えると、今回の決定にはそれなりの意味があると評価してよいでしょう。ただ、最低賃金の引き上げは必ずしも低所得層にメリットをもたらすわけではありません。場合によっては、むしろ中間層に利益をもたらす可能性もあります。


(中略)

 ただ、全国には5000万人を超える労働者が存在しており、最低賃金水準で働く労働者は全体のごく一部に過ぎません。しかも、最低賃金で働く労働者の実情は一般的なイメージとはだいぶ違っているようです。経済産業研究所の研究員らによる調査では、最低賃金で働く労働者の半数以上が世帯年収500万円以上となっています。つまり、最低賃金労働者の多くは、主婦のパート労働なのです。

 最低賃金では、フルタイムで働いても年収ベースでは150万円程度にしかなりません。現実的に、この金額で家庭を維持することは難しいですから、最初から企業は最低賃金労働者として主婦をアテにしているわけです。

 したがって最低賃金を引き上げた場合、実際に所得が増えるのは低所得層ではなく中間層の可能性が高いということになるでしょう。全体に賃金上昇が波及すれば、もう少し高い時給で働いている低所得層にも恩恵が及ぶかもしれませんが、今のところメリットの多くは中間層にもたらされることになります。

(The Capital Tribune Japan)

最終更新:8月15日(月)15時30分
<<
コメント欄に、「いつもの面々」の「相変わらず」なコメントが寄せられています。検討しましょう。

■ブルジョアどもには二の矢・三の矢がある――ノルマ強化へつながるだけ
>> 今野晴貴 | 2016/08/15 15:34
NPO法人POSSE代表。雇用・労働政策研究者。

最低賃金の引き上げは、主婦パートだけではなくブラック企業の正社員に大きな影響がある。なぜなら、飲食、小売り、介護などに広がるブラック企業の正社員の多くは最低賃金で働かされているからだ。


(中略)

このように、「月給表示」をしておきながら、実際には一時間あたりを最低賃金で計算する労務管理は、労働集約型産業に広がっている。したがって、数十円程度の最低賃金引き上げが影響を与えるのは、時給1000円前後の契約社員や派遣社員よりも、むしろ「ブラック企業の正社員」である可能性が高い。 <<
たしかに、「最低賃金の引き上げは、主婦パートだけではなくブラック企業の正社員に大きな影響がある」でしょう。搾り取れる剰余労働量は変わらないのに、支払う義務がある必要労働量が増えれば、「競争の強制法則」に迫られたブラック経営者たちは、労働時間の延長による搾取(絶対的剰余価値の搾取)ではなく、労働強度(ノルマ)の強化(相対的剰余価値の搾取)によって対応することでしょう。時給1000円の人材に対して、2000円の成果を要求しようとも、3000円の成果を要求しようとも、支払い金額は1000円/時に変わりありません。労働強度の強化による+1000円は丸々、企業側の収益です。あるいは、限られた人員を使い潰すことによって、総人員を圧縮する方法論もあるでしょう(経験談)。つまり、ひとりひとりの労働者階級の立場に立てば、「ワリに言わない」感覚はさらに上昇することでしょう。ミクロ経済学の教科書からも、マルクス経済学の教科書からも容易に読み取れる、経済学的にはごくごく簡単な帰結です。

残業代不払いや低賃金労働の解消といったレベルで満足する手合いにとっては「よい傾向」に見えるのでしょうが、ある程度の経済学的知識のある人間や、あるいは、私のように、「自主権の問題」として労働問題を捉えている人間にとっては、「ますます厳しくなるぞ」という感想を禁じえません。たしかに、強度の絶対的剰余価値の搾取によって苦しんでいる労働者がいることは事実であり、最低賃金の上昇を喜ぶ気持ちも分からなくもないのですが、「ブルジョアどもには二の矢・三の矢があるんだよ!」と声を大にして述べたいと思うのであります。

あいからわず、今野晴貴氏の見解は甘っちょろいですねー

■「労働の価値」は企業側のお手盛り指標であり社会保障の基準にはなり得ない
次。
>> みわよしこ | 2016/08/15 21:09
フリーランス・ライター(科学・技術・社会保障・高等教育)

「労働の価値」である最低賃金と「人間の生活」である生活保護基準は、密接な関係にあり、さらに産業生産力とも関連しています。
やや古ですが、2010年、厚労省の最賃上昇の影響に関する調査結果(みずほ総研に委託)では、経営者側は「人件費上昇」を最も警戒。高付加価値低コスト路線への急激な切り替えが無理なら、当然です。
であれば、最賃上昇には人件費総額を上昇させないことで対策するのみ。非正規雇用の労働時間短縮や雇用削減、正社員の新規採用抑制、人件費比率の高い産業では廃業。これでは困ります。

妥当な賃金と健全な事業継続を両立するための経営者の希望は、社会保険料負担軽減、設備投資支援、人材育成・教育支援。
ならば鍵となるのは、社会保障・福祉・医療・教育・研究に対する公費投入。
大きな混乱と困難の契機となりうる最低賃金引き上げを、ぜひ、誰ものチャンスに。
その覚悟のもとの舵取りを、政府に強く求めます。
<<
まず、「「労働の価値」である最低賃金と「人間の生活」である生活保護基準は、密接な関係」と言ってしまうところが大減点。最低賃金は「労働の価値」ではなく、「労働力の価値」というべきです。労働の価値は「成果」主義と密接な語句であり、顧客側=企業側の視点から言うものです。この文脈における「成果」とは、客観的な成果などでは決してなく、あくまでも、経営者・資本家様のお手盛り的な意味での「成果」です。労働者側がどう考えようとも、その匙加減は、顧客側=企業側の専決事項です。こんなものは社会保障の指標にはなりません。

たとえ、経営者・資本家がそこまでブラックでなかったとしても、やはり「労働の価値」などという言葉を使うべきではありません。労働の価値とは、「1時間当たりの産出額」と「1時間当たりの賃金額」がイコールになる点(限界生産力説)ですが、「1時間当たりの産出額」が、みわよしこ氏が言う「「人間の生活」である生活保護基準」と一致する保障などありません。やはり、社会保障の指標にはなりません。

■「労働の価値」は自主の立場からは受けられることは出来ない
仮に問題の経営者・資本家が博愛精神に富んでいたとしても、その匙加減によって「人間の生活」のレベルが決められているというのは、「自主権の問題としての労働問題」と位置づける立場としては、到底受け入れることはできません。他人の意向によってその人の生活水準が決められてしまうというのは、「自主的」とは到底言えないのです

■労働市場の現実、労賃決定の現実を踏まえた上で、「労働力の価値」を軸に据えるべき
人間の生活」は、経営者・資本家側が決定権をもつ「労働の価値」原理が労働需要曲線(限界生産力に基づく労働需要)を、労働者側が決定権をもつ「労働力の価値」原理が労働供給曲線(供給曲線の本質は限界費用曲線ですからね)をそれぞれ描き、双方が労働市場において競争的に接触することによって形成されます(A.マーシャル)。A.スミス的な「公平な観察者」としての相互配慮が双方に求められるのは勿論ですが、だからといって、労働者側が「労働の価値」を意思決定の主軸にすえる必要などありません。みわよしこ氏が普段どおりの立場から「人間の生活」を論じるのであれば、労働市場の現実、労賃決定の現実を踏まえた上で、「労働力の価値」を軸に据えて論を展開すべきでした

「労働の価値=1時間当たりの産出額」が「生活保護基準」とが一致する保障・必然性など、まったくないのにも関わらず、無用心にも「密接な関係」などと直結させてしまう甘さが、みわよしこ氏の言説には潜んでいます(私はマルクス経済学を完全には支持していない――理論的な基礎基盤はあくまで、マーシャル的なミクロ経済学とハイエク的知識論――のですが、少しくらいはマルクス的な素養を身に着けてほしいと思うのであります)。

■ブルジョア的国家機構に対して何を「求めている」のか?
また、「大きな混乱と困難の契機となりうる最低賃金引き上げを、ぜひ、誰ものチャンスに。その覚悟のもとの舵取りを、政府に強く求めます。」などと、単なる陳情に終わらせている部分も減点ポイントです。ブルジョア的国家機構に対して、ブルジョア的利益のない案件について「強く求めます」とは、馬鹿でなければ出来ない芸当です

その点、世界最凶のアメリカ帝国におけるアクションは、示唆深いものがあります。
> 米国の貧困根絶には「職業訓練」が必須だ

東洋経済オンライン 8月14日(日)15時0分配信

原文はこちら 2005〜2014年の間、先進25カ国では約3分の2の世帯で実質所得が横ばいか下落傾向にあった。所得を横ばいに維持した国も、税制優遇など政府の積極的な財政支援が下支えした。

 米国では11月の大統領選に向けて所得格差とその配分が争点となっており、このような実態は大きな示唆を含んでいる。

 米国は社会保障の多くを雇用対策に充てようとしている、世界でもまれな国だ。欧州の社会保障費は平均でGDP(国内総生産)の23%だが、米国では16%にすぎない。


■ カリフォルニア州での成功例

 ただし米国では2010年に共和党カリフォルニア支部のピート・ウェバー氏が設立した「フレズノ・ブリッジ・アカデミー」のように、低所得世帯向けに職業訓練プログラムを提供して実績を上げている機関も少なくない。

 同アカデミーのプログラムはカリフォルニア州の貧困地域で行われており、これまで1200世帯を支援し、今後2年間でさらに2300世帯へのサービス提供を予定している。すでにプログラムを受けた世帯の約8割で家族が新たな職に就いたり、所得を向上させるなどの成果を上げている。


 この事業は、「補助的栄養支援プログラム(SNAP、旧フードスタンプ)」に基づいて助成を受けている。1ドルの出資当たり22ドルの利益を創出、16ドルが支援対象世帯に、そして5ドルが納税者へと還元されている。

 ウェバー氏は同プログラムにはまだ可能性があると考えており、2025年までにカリフォルニア州の100万世帯を貧困から救い出そうと計画している。
.

 今米国では、左派と右派の両者が既存の貧困対策プログラムにどう向き合うべきか悩んでいる。複数の推計によると、1964年に当時のジョンソン大統領が「貧困との戦い」を提唱して以来、貧困対策につぎこまれた資金は計22兆ドルを超過したが、米国の貧困率は改善せず、約15%のままだ。

 右派では、ポール・ライアン下院議長が示したように、米国はすでに十分な貧困対策の支出を行っており、今後はその分配を見直すだけだと主張している。ライアン議長のプランは、あくまで経済成長を重視し、雇用創出につなげる方向を目指している。


(中略)

 ブリッジ・アカデミーのように、地域社会に深く根ざしてそのニーズに対応し、効果が実証されている事業は、きちんと機能する。しかし、不幸なことに、結果にフォーカスしない全国的なプログラムによって、これとは逆の取り組みがなされることが多々ある。

■ 成果重点型への転換を

 国が社会保障に取り組む際、その成果に重点を置かずに大ざっぱなプログラムを採用しがちだ。たとえば米農務省の食糧栄養局(FNS)の年間支出820億ドルのうち88%は、直接の支援であるSNAPに振り向けられているが、政府の支援を受けなくても済むような技能を人々に習得させるために充てられているのは僅か0.33%にすぎない。さらに悪いことには、こうした技能集中型のプログラムを評価するデータがまったく存在していない。

 「進歩的な連邦主義者」によるプログラムは、技能集中型の支出を急増させ、評価を厳格化させるだろう。こうしたプログラムには高い基準が設定されるが、都市や州に改革を促すとともに、きちんと機能する対策へと資金を振り向けることになる。

 われわれは今こそ、考え方を切り替えて思考や支出を整理し、フレズノ・ブリッジ・アカデミーのように、成果を重視した実りある取り組みを始めるべきなのだ。

(週刊東洋経済8月13日・8月20日合併号)

ローラ・タイソン/レニー・メンドンカ

最終更新:8月14日(日)15時0分
<<
■ブルジョア資本主義経済での処世術
ブルジョア資本主義が当面続くことは、客観的に見て間違いのないことです。これは、私も認める事実です。であれば、「ブルジョア資本主義の枠内における労働者階級福祉論=職業訓練優先型社会保障」を構築する必要があります。ブルジョア資本主義が剰余価値の搾取を目的としている限りは、労働者階級としては、使い捨てられたくなければ、上手いこと立ち回って、「労働力の省エネルギー」を達成しなければなりません。すなわち、「職業訓練による生産力の向上」と「産出能力を実態より低めに申告するテクニックの習得」です。まるで生産能力を過少申告して、軽いノルマ割り当てを目論むソ連の工場ですね(この問題は重要なテーマなので、自主の立場から後日、詳しく論じる予定です)。

そうした、冷酷であるものの厳然たる事実が、みわよしこ氏の言説からは読み取りにくい。「ならば鍵となるのは、社会保障・福祉・医療・教育・研究に対する公費投入。大きな混乱と困難の契機となりうる最低賃金引き上げを、ぜひ、誰ものチャンスに」とは言うものの、何から何まで生活保護に直結させる、みわよしこ氏の普段の言説からは、「職業訓練優先型社会保障」の構想は見えづらいものがあります。

■終わりに
今野晴貴氏と、みわよしこ氏――いずれもブルジョア資本主義の本性に対する事実に基づいた認識に甘さを感じます。労働問題・社会保障問題を専門とするならば、もっと真摯な学習を要望するものであります。
posted by s19171107 at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2016年08月04日

中途半端に役に立たない「さっぽろ青年ユニオン」――ユニオンにこそ求められる転職・再就職支援

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160803-00129359-toyo-soci
>> 手取り13万円で耐え続けた29歳の過酷体験
東洋経済オンライン 8月3日(水)5時0分配信


(中略)

 ヒロシさんの会社はいわゆるブラック企業だったわけだが、そのひどさに拍車がかかったのは、今年に入ってからだという。

 会社の主な取引先は北海道内の自治体や公共団体で、請け負った仕事の一部を中国など海外の安価な業者に外注していたのだが、海外発注分の製品の質が悪すぎると、取引先からクレームを受けたのだ。かといって、自治体側が契約金額を上乗せしてくれるわけではない。公的な組織からの仕事なら、安定していて一定以上の収益が保障されると思われがちだが、地方分権や地方再生とは名ばかりの国の政策の下、多くの自治体は財政難にあえいでおり、今や下請け業者の足元を見て買いたたくのは、民間企業よりも、都道府県や市町村といった地方自治体のほうだとも言われる。

 結局、詰め腹を切らされたのは現場の働き手であるヒロシさんたちだった。海外業者に任せていた仕事の負担が一気に彼らにのしかかることになり、これにより、毎月の残業時間が120〜130時間に急増したのだ。今年に入ってからは2週間近く連続で出勤したこともあったし、風邪で38度の熱が出たときも出勤するよう命じられた。昼休憩も15分ほどしか取れず、トイレに行くのもはばかられる空気の中、相変わらず、残業代だけは払われなかったという。


(中略)

■ 社長から要求されたのは「命より納期」

 真夏の札幌で会ったヒロシさんは紺色のスーツ姿で現れた。聞けば、就職活動の真っただ中だという。印刷会社は6月いっぱいで辞めた。

 口数の少ないヒロシさんが、辞めた理由をぽつりぽつりと話してくれた。

 過労死寸前の状態で働いていたあるとき、社長からこう言われたのだという。

 「何時までかかってもいいから。とにかく納期に間に合わせるように」

 この10年間、辞めたいと思ったことは何度もあった。しかし、同僚や後輩が1年もたずに辞めていく中、ヒロシさんだけは踏みとどまってきた。その理由を「負けず嫌いなところがあるから」だと説明するが、一方で「今、教えている新人が独り立ちしたら辞めよう」と決めていたのに、その新人に先に辞められてしまい、このままでは会社に迷惑がかかると逡巡しているうちに機会を逸したこともあったというから、責任感の強いところもあるのだろう。

 なんだかんだと言って、会社で過ごす時間が自分のすべてだったし、特にこの半年間は命を削る思いで働いてきたのに、かけられたのは「命より納期」と言わんばかりの言葉だった。このときに、自分の中の何かが吹っ切れたのだという。

 もうひとつのきっかけは、新聞で連絡先を知った労働組合「さっぽろ青年ユニオン」に相談をしたことだった。会社のやることなすことが違法であることがわかったとき、つきものが落ちたような気持ちになった。

 このとき、相談を受けた同ユニオン執行委員の佐賀正悟さんはヒロシさんの第一印象を「話をしていても表情がほとんどなくて、精神的にもつだろうかとたいへん心配しました」と振り返る。そのうえで、ヒロシさんの働かされ方からはこんな社会の風景が見えてくるという。

 「中小零細企業ほどさまざまなしわ寄せが集中していて、ルールなしの無法地帯になっています。業種を問わず、大手企業であれば、十分ではないとはいえ有休も残業代もまったくないということはあまりありません。一方で、(中小企業の)経営者も法律の知識がないというよりは、“うちには人手もカネもない。できないものはできないんだから、仕方ない”と開き直っている節がある。結局、本当にしわ寄せを食っているのはそこで働く人たちだということです」


(中略)

 30歳を目前にした就職活動は予想どおりに厳しい。5社ほど面接までこぎ着けたが、いい返事はもらえていない。それでも、料理をすることが好きなので、今度は飲食業界で働きたいと夢を語る。必要最低限の家具しかない自宅に、なぜか圧力鍋があったことを思い出し、合点がいった。

(以下略) <<
絵に描いたようなブラック企業で、それ自体はあまり驚きを感じなかったのですが、「さっぽろ青年ユニオン」の反応の方に注目しました。編集の仕方にもよっているのかもしれませんが、ユニオンにありがちな「無い袖でも振れ」という勢いが感じられません。「財政難に苦しむ北海道内の行政を相手にした中小零細企業」という事実を前に、単なる労組運動では解決できない壁を感じているのでしょうか? この機会に、北欧福祉国家に学んでください(当ブログでも以前から言及しています)。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160627-00093415-dzai-bus_all
北欧は、「新自由主義(ネオリベ)型福祉国家」に変貌していた[橘玲の世界投資見聞録]

また、ヒロシさんがユニオンと共に階級闘争したのかは記事からは分かりませんが、結局、経営側を反省させ、満足いく要求を飲ませることで「ルールある労務」を獲得し、第二の社員生活をスタートさせる(昨今のユニオン運動は、明らかにこのストーリーを目指しています)には至らず、退職したようです。そして案の定、再就職に苦戦している模様。ユニオンがあんなに批判していた「嫌なら・無理なら辞めればいいじゃん」に結局たどり着いた(目論見破れたり!)うえに、再就職の支援もじゅうぶんにできていない「さっぽろ青年ユニオン」に、いったい何の存在価値があるんでしょうか? ほとんど役に立ってないじゃないですか。

以前から述べているように、私は「嫌なら・無理なら辞めればいいじゃん」派なので、要求実現運動はいらないと思っていますが、他方で、ユニオンが転職・再就職支援することは重要だと思っています。「競争の強制法則」などのために、社会・産業構造的にわりを食いやすい立ち位置にいる中小零細企業に対して、待遇の改善を要求してもあまり意味がないというのは、このケースからも明らかです。であれば、労働者階級の自発的結社であるユニオンは、要求運動はそこそこにして、転職・再就職支援にこそ注力すべきでしょう

まちがっても、中小零細企業に集中する皺寄せの是正を運動の中核に据えないように。片手間に声をあげるくらいは良いでしょうが、マクロ的な社会・産業構造改革にも及ぶ話なので、労組運動でどうにかなる話ではありません。
posted by s19171107 at 20:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2016年08月02日

民進党・共産党の「インパール作戦」

東京都知事選が終わりました。今回の都知事選ほど面白い選挙はなかなかないと思います。各政治勢力の動静を思い起こせば、驕りに驕った自民党都連が自民支持層の半分も固め切れなかったという大失態と、小池新知事初登庁時の都連幹部の中学生男子のような情けない応対の様子(あまりのことに大爆笑!)。公明党のイヌっぷり(まあ投票も修行だしね・・・)。よりによって鳥越俊太郎などという「老醜左翼」そのものを統一候補として担ぎ上げる民進・共産・その他の政治的センスのなさ、都知事選なのになぜか都政の課題を論じない謎戦略。また、ヘイトウヨが10万票の大台を突破する「善戦」をみせ、他方で、いわゆる「パヨク」が壮絶なる発狂の様子を見せ付け、その本性が白日の下に晒されました。本当に濃い17日間でした。

いろいろな総括の仕方ができると思いますが、私は、千載一遇の大チャンスで壮絶な自爆を遂げた政権野党陣営について注目したいと思います(どうしたらこのタイミングで負けられるのかってくらい楽勝モードだったのにw)。

■万年野党コースへ逆戻り
やはり、何と言っても都知事選挙の争点に「反安倍政権」を掲げるナンセンスさに注目すべきでしょう。鳥越氏のスキャンダル報道以前から、楽勝の戦いのはずなのに小池氏の後塵を拝していたのは、鳥越氏自身に都知事としての素質が本質的になかったことを意味します。物事の表層しか見ない馬鹿左翼はスキャンダル報道のせいにするでしょうが、そんなものはあくまでも「とどめの一撃」でしかありません。

それにしてもこのナンセンスさには、「懐かしさ」を感じます。ここ数年、古典的な「9条を守れ!」よりもブラック企業問題や待機児童問題など、より生活に身近な問題を取り上げて左翼勢力は支持基盤を拡大してきました。共産党が急に「躍進」し始めたのも、「雨宿り」現象だけとは言い切れなかったと思います。

にもかかわず、今回の都知事選挙は一転して「反安保・反安倍」を最重要テーマに据えてしまいました。参議院選挙はまだ理解できても都知事の争点に据えるだなんて、チュチェ92(2003)年やチュチェ96(2007)年などの都知事選挙にも劣るナンセンスっぷりです。それも、共産党だけでなく民進党までもがそれに乗っかってしまった。政権野党がそろって万年野党に突き進む姿が一層鮮明に見えてきたように思います。政治戦略的に大きな過ちを犯しつつあると思います。

■「大義のためなら何でもよい」という間違った政治運動の見本のような選挙戦
それ以上に間違いなのが「反安倍政権のためであれば何でもよい」という姿勢。「大義」「革命」のためなら、他のことは何でもよいという姿勢が、左翼政治の根本的誤りです。その点、宇都宮健児氏の発言がとてもよかったと思います。
【記事1】
http://www.nikkansports.com/general/news/1687557.html
>> 宇都宮氏「今回は政策もなければ何もない」

(中略)

 −野党共闘になっていたと言えるか

 今回の結果は、野党共闘とか、それを支持した市民連合が、なぜ、これだけ大差がついたか、真剣な総括が必要ではないかと思います。参院選では安保法制の廃止、立憲主義の回復、憲法改悪阻止という政策協定があって戦った。与党の方から「民共の野合ではないか」と言われた時に「大義がある」と跳ね返せた。今回は政策もなければ何もない。まさに野合と言われてもしょうがない態勢で戦ったということ。


(中略)

 −その後、鳥越氏の陣営は政策を打ち出そうとしていた

 後から、だんだん政策は整備されたかもしれないけど。あと野党も鳥越さんも、都知事選を勝つことが安倍政権に一矢を報いるんじゃないかというようなことを言ったけれど、そこに都民が抜けているわけです。都政は都民の暮らしや生活を守るのが1番の役割なのに、都民を置き去りにしたままの考え方。今回の結果は、都民が鋭く見ていたんだと思います。私たちの生活や暮らしをどう考えているか、ストレートに届くような言葉や政策がなかったんじゃないか。


(中略)

 −民進党主導で候補者を決めた動きにも批判がある

 候補者を事実上、民進党の中で決め、それに他の野党も賛同し、それを市民連合が賛同するというやり方なんですね。私からすれば、民進党の独裁ですよ。本当なら、候補者を決める場合は、それなりに名前が出てきた人を公開の場で討論をやりながら、本当に誰がふさわしいか民主的に開かれた場で議論して決めるべきだった。そういうことが、まだ訓練されてない。今の日本は政党が偉くて、決めたことを市民連合が従う。市民連合は、よく国会前の安保法制反対の抗議活動で(学生団体)『SEALDs(シールズ)』なんか『民主主義って何だ? これだ!!』って言ってるんですよ。ところが都知事選での候補者選びは、民主主義もへったくれもないわけですよ。政党が密室の中で決めたことを支持してるだけで、まさに独裁的なやり方。市民運動と政党は本来、対等であるべきだと思っているんですけど、市民連合が候補者選びに参加したと思えない。日本の運動の未熟さが露呈した問題。リベラル運動をどうするか、深刻な総括が絶対に必要だと思います。


(以下略) <<
【記事2】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160801-00000009-nksports-pol
>> 宇都宮氏が明かす、鳥越氏の応援演説しなかった理由

日刊スポーツ 8月1日(月)0時46分配信


(中略)

 鳥越氏サイドから返答があったことを受け、宇都宮氏と同会は、翌28日に再び鳥越氏宛てに文書を送った。その中で、鳥越氏の女性問題に関する返答に対し「具体的な報道内容を見る限り、これを『事実無根』として退けられる案件とは考えられません。また、『事実無根』だとする説得力ある反証も挙げられていません」「被害を受けたという女性がおられる以上、都知事候補として、どのような事実があったのかを自ら公開の場で説明し、被害女性および都民の納得を得る責任があると考えます」と指摘した。

 その上で、宇都宮氏は「私はこれまで多くの人権問題に携わってきました。その原則をここで曲げることはできません。鳥越候補がこれまでの対応を撤回せずに説明責任を果たされないとすれば、きわめて遺憾ではありますが、都民に対してあなたを都知事にふさわしい方として推挙することができず、応援に立つことはできません」とつづった。

 女性問題について説明責任を果たさなかった鳥越氏の姿勢が、宇都宮氏が応援演説に立たなかった、最大の要因だったことが明らかになった。
<<
記事1と記事2で太字化(当方編集による)した部分は実に正しい指摘です。ひとりひとりの生身の人間のリアルの上、人権の上に大義があるのです。それを犠牲にした「大義」など大義ではありません。

候補者の選定過程にも見解を述べています。民進党「独裁」と、それにホイホイとついて行く「その他左翼政治勢力」については、たしかに宇都宮氏の言う通りでしょう。粛清される側になって漸く、宇都宮氏は左翼陣営の「ヤバさ」が分かったのでしょうか? もっとも、左翼といわれる人々は、自分が「される」ときは「民主主義!」と叫ぶのに、自分が「する」側になるとそんなことケロリと忘れる正に「二重思考」の人々ですから、宇都宮氏についても油断はできません・・・自分たちが入っていれば他の勢力が排除されていても「これは密室ではない」と言い出すのが左翼です。

■事後のビジョンはあったのか?
だいたい、「大義」とやらに則って鳥越氏が勝ったとしても、あんな何の都政課題への見解のない人間では遅かれ早かれ都政は停滞し、政治危機に陥り失脚することでしょう。旧民主党政権が国民の失望の渦の中で退場し、それ以降、「敵失」も相まって安倍自民党政権が磐石不動のまま今日に至っている先例を見れば、「鳥越都知事」の次は自民・公明党系の長期都政になる可能性が高いのは容易に想像できるはずです。

ほんと、後のことは何も考えていなかったんでしょうね。「一矢を報いる」ことしか考えずに無謀な戦いに突入した今回の都知事選挙を「民進党・共産党のインパール作戦」と名づけたい思います。
posted by s19171107 at 22:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする