2016年09月29日

「義憤」か「暇人」か

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160928-00000124-asahi-soci
>> 電話口で「人殺し!」、職員憔悴 中毒死の病院

朝日新聞デジタル 9月28日(水)23時37分配信


(中略)

 病院幹部によると、苦情の電話が一晩に50件ほどにのぼった日もあったという。「『とんでもない病院だ』『人殺し!』と電話口で叫ばれ、職員が憔悴(しょうすい)している。異常事態だ」と自らも疲れた様子で漏らした(以下略) <<
コメ欄。
>> いつも思うことですが、関係ない者がわざわざ電話するその心理が全く理解できないのですが。よほどの暇人なのか。業務に影響が出るようなら警察と相談して、威力業務妨害で被害届を出した方がいい。 <<
これを単なる「憂さ晴らし」と断ずるのは、たやすいですし、そういう面は大いにあるでしょう。しかし、ながく刑事事件(特に死刑求刑事件)の研究をしてきた身からすると、けっこう本気で「義憤」まがいの感情に駆られている人がいるのではないかと思うのであります。

とにかく「曲がった」ことが許せなくて、何にでも口を出してくる面倒な人。こういう人に限って、判断基準が独特で、かつ、一度思い込んだら自分が絶対に正しいと言い張る。言わずには居られない性格に自分が絶対に正しいという思い込みが加われば、発言に遠慮がなくなる。近所にもいるんじゃないでしょうか? 私の場合、共産党系の連中がまさにそんな感じですw

ヤフーニュースのコメ欄住人がリアルでも大暴れしている感じとも言えるかも知れません。コメ欄住人は、自分とは全く関係のない刑事事件に対して「死刑にしろ!」と大騒ぎしています。気に入らない他人同士の裁判の結果にも、あれこれと論評しています。光市事件弁護団に対する懲戒請求を行ったものの、内容証明郵便物が届くや否やビビり始めた手合いなんて、まさにそうと言えるかも。「憂さ晴らし」ではないにしても、ある意味において、「よほどの暇人」とは言えるかもしれませんw

こういう人はほとんどの場合、ウザいだけですが、たまーに「おせっかい焼き」という一面も見せてくれることもあるものです。「わたしは『関係ない者』なので〜」などと言って、「不干渉」を越えて「無関心」を貫く人とどちらがマシなのか・・・?

究極の選択。対人関係が極端な時代です。
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2016年09月23日

日本共産党の中国共産党批判は内ゲバ覇権争いに過ぎない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160923-00000061-san-pol
>> 「中国共産党は変質」批判強める志位氏 野党共闘へ強硬姿勢を表明

産経新聞 9月23日(金)7時55分配信

 安全保障政策をめぐり、共産党の志位和夫委員長が中国共産党への批判を強めている。20日に行った第6回中央委員会総会の幹部会報告では、中国共産党が核兵器禁止をめぐって「変質した」と指摘。中国共産党が南シナ海や東シナ海でも国際法を無視した力による現状変更が目立つとして「覇権主義的な振る舞い」と猛批判を繰り広げた。


(中略)

 志位氏は幹部会報告で「中国共産党代表団が国際会議の民主的運営を乱暴に踏みにじり、削除されるという結果になった」と指摘。その上で「中国はある時期までは核兵器禁止の国際条約を繰り返し求めてきたが、この数年間で変化が起きた」とし、「少なくとも核兵器問題について、中国はもはや平和・進歩勢力の側にあるとはいえない」と糾弾した。

(以下略) <<
中国共産党政権の覇権主義など、だいぶ前から分かりきっていたことですが、ようやく日本共産党が「覇権主義的な振る舞い」などと言い始めました。どういう風の吹きまわしでしょうか?

中国共産党代表団が国際会議の民主的運営を乱暴に踏みにじり、削除されるという結果になった」という志位報告が鍵です。「自分たちが一番」ではなかったから、要するに、ただの内ゲバ覇権争いに過ぎないのです。

かつての日本共産党−中国共産党対立と同様、「党内部問題干渉があったか否か」に過ぎないのです。単なる核兵器問題・海洋進出問題であれば、「国際会議の民主的運営」といった、どうでもいい話を突っ込む必要はありませんし、こんなに反応が遅いはずがありません
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2016年09月22日

日本共産党の下級組織レベルで温められてきた「新しい社会主義像」

党下級組織レベルで温められてきた「新しい社会主義像」が全党レベルで披露されたと見ることもできます。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-09-19/2016091901_01_1.html
>> 2016年9月19日(月)

GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人) 筆頭株主にズラリ
大企業株価 年金で支え
三菱UFJ・三井住友・ホンダ・みずほ…

 公的年金の積立金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)が保有している株式(2037銘柄)のうち、時価総額ベースで1000億円を超す銘柄が72社にのぼり、GPIFが、うち33社の実質的な筆頭株主になっていることが、本紙の調べで、わかりました。いずれも日本を代表する大企業で、国民の年金で大企業の株価を買い支えている実態が浮き彫りになりました。


(中略)

 GPIFは信託銀行などに委託して間接的に株を保有しているので、各企業が公表する「大株主」名簿には登場しません。そこで、時価総額1000億円を超す72社について、公開された資料をもとに、GPIFが仮に大株主として記載されるとしたら、株主順位はどうなるかを調べてみました。

 すると、トヨタ自動車は保有比率5・4%で、株主順位4位でしたが、時価総額2位(8229億円)の三菱UFJフィナンシャルグループは7・7%で堂々の1位。三井住友フィナンシャルグループ7・8%、みずほフィナンシャルグループ7・7%と、三大メガバンクはすべて筆頭株主となります。


(中略)

 GPIFは政府の全額出資だけに、GPIFの株式保有比率が高まれば、政府による民間企業への介入が起こりかねません。株主によるチェック機能も失われてしまいます。

(以下略) <<
「『政府による民間企業への介入』などというが、それこそが社会主義への第一歩じゃないか」という声が寄せられています。
https://twitter.com/KouTM/status/777679282269151232
>> (´・ω・`)馬鹿もの。国民による大企業間接支配こそが資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革だ。いつから日共は独占資本主義の象徴である大企業、さらには米帝独占資本主義の傀儡になったのか。恥を知れ!

18:22 - 2016年9月18日
<<
https://twitter.com/KouTM/status/777675490127589377
>> (´・ω・`)独占資本主義の象徴である巨大銀行家の実質的な筆頭株主が『国民』であることに何の問題があるのか日共は説明せよ。国民による大企業の間接支配こそが資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革だ。

18:07 - 2016年9月18日
<<
「株式取得を通じた社会主義勢力による企業支配」という方法論は、クレディ・モビリエを主宰したサン・シモン主義者のペレール兄弟が試みた方法論というべきなので、マルクス・レーニン主義の日本共産党としては「為政者の意図とは異なり、社会主義への前進が起こっている」とは言えないのでしょう。政治権力を握ってこその革命というのがマルクス・レーニン主義者の教義ですからね。

とはいっても、昨今、日本共産党が依然として社会主義を掲げ続ける根拠としての「瞰制高地(管制高地)論」に則れば、GPIFが株式取得を通してメガバンクを支配下においていることは、「社会主義へ半歩前進」くらいは言ってもよかったはずです。にもかかわらず、「政府による民間企業への介入」という主張が飛び出してくるのは、いったいどうしたことなのでしょうか?

以前から「下級組織レベルの動向」として取り上げているように、ここ数年間、日本共産党の地域支部では「既存の地域共同体を社会主義的な地域共同体に転化する」という構想が自然発生的に生まれています。本年2月7日づけ記事で私は次のように述べました。抜粋・再掲します。
http://rsmp.seesaa.net/article/433519849.html
>> (前略)近頃、「コモンズ」をはじめとした新しいミクロ的な共同体思想や、「定常社会」といった成長路線とは距離を置いた立場が注目されることが増えて来、そうした波に乗っかる形で日本共産党が自党の政策を位置づけ宣伝する場面がここ数年、とくに東日本大震災以降に見られるようになって来ました(まだ全党レベルの動向というよりは、下級組織レベルの動向ですが)。「地域の中小商工業者・農家が連合し、全国企業を排斥し、高い参入障壁と互助的産業保護によって経済成長は目指さずボチボチやってゆく」といった青写真、ムラ社会的・人民公社的な地域共同体の青写真といえば、私の言いたいことが伝わるでしょうか。

日本共産党は前衛政党なので、こうした人民公社的共同体の瞰制高地を共産党員が占めることは当然の前提ではあるものの、それぞれのミクロ共同体はそれなりに独立して活動する想定のようで、その意味では旧来的な中央集権制とは若干様相が異なるようです。その点は一歩前進かもしれません。しかし、競争を否定的に捉える人々が「高い参入障壁と互助的産業保護」を掲げることは、結果的に切磋琢磨も排斥してしまいます。これでは、幾ら中央集権制から脱しても、停滞社会をもたらすだけです。
(後略) <<
こうした「社会主義的な地域共同体」を未来社会論の中核に据えるのであれば、「政府による民間企業への介入」を批判する『しんぶん赤旗』の論調はスンナリと理解できます。中央政府が支配するのではなく、現場組織が支配するのが、最近の「新しい社会主義像」なのです。もっとも、「中央政府の介入」は「地域・現場の自主性を侵害するのでダメ」でも、「党中央の指導」は「科学的に正しいのでOK」ということになるんでしょうけどね。

今後、TPPや地方創生といったテーマでの全国民的な議論が深まるにつれて、日本共産党が目指す「社会主義的な地域共同体」の全貌が次第に見えてくるものと思われます。いままでの社会主義像とは異なる、新しい社会主義像が出現する兆候が見えつつあります。日本共産党はTPP反対のために保守勢力とも連携を取ろうと画策していたこともありました。おそらく、次にTPP問題が大きくクローズアップされるときにも同じように連携を取ろうとすることでしょう。日本共産党の政略的な擦り寄りに備えるためにも、十分に反論を用意しておく必要があるかと思います。

なお私は、こうした共同体は、日本共産党員の普段の振る舞いから考えて、「ムラ社会的・人民公社的な地域共同体」に成り下がる他なく、切磋琢磨の競争すらも起こらなくなってジリ貧的に消滅してゆくだろうと見ています。まことに将来性に乏しい「未来社会論」であります。
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2016年09月20日

犯罪被害者遺族と確定死刑囚との出会いの場;高橋シズヱさんと原田正治氏・河野義行氏が「一点で一致」した日

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15HB5_V10C16A9CC1000/
>> オウム松本死刑囚、刑確定10年 遺族ら「面会機会を」

2016/9/15 23:53

 オウム真理教元代表、松本智津夫死刑囚(麻原彰晃、61)の死刑が確定してから丸10年を迎えた15日、地下鉄サリン事件の遺族らが死刑制度に関するシンポジウムを東京都内で開いた。

 サリン事件で夫を亡くした高橋シズヱさん(69)は講演で「(元幹部らは)裁判で言えなくても、死刑確定後に話せることがあるのではないか」とし、遺族が死刑囚と面会する機会を得られるよう法務省に要望していることを明らかにした。


(以下略) <<
あの高橋シズヱさんが「(元幹部らは)裁判で言えなくても、死刑確定後に話せることがあるのではないか」とおっしゃるだなんて、時の経過を感じますね。かつて、朝日新聞夕刊コラム「素粒子」が、精力的に死刑執行を行っていた鳩山法相(当時)を風刺する一文を掲載したとき、「確定死刑囚の一日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族」などという表現を用いながら、まさに高橋さんご自身が先頭に立って強烈な(+ちょっと頭の固い)抗議活動を展開していたのに

今回の高橋さんの発言は、まさに彼女が強烈な抗議活動を展開していたその時に、松本サリン事件の被害者・被害者遺族・冤罪被害者である河野義行氏が「Ocean 被害者と加害者の出会いを考える会」の講演会で述べていたことです。旧ブログに記録してある当該の河野氏発言箇所を再掲します。
http://s19171107.seesaa.net/article/104303063.html
>> (前略)

 最後に、加害者と被害者が出会うことの意味について、河野氏の考えが話されました。
 よく被害者が「真実を知りたい」というが、では裁判の場でその「真実」は出るかといえば、出ない。裁判は起訴事実に対しての事実認定にすぎず、なぜ、自分の家族が殺されたのかの全容は明らかにはならない。となれば、全容を知るためには、加害者直接から聞く、それも、自分がしゃべることによって加害者本人にとって社会的に何ら不利な状況にならない環境においてのみ可能であろうと仰いました。
 しかし、実際は加害者と被害者はなかなか接近できない。そういうときには何らかの媒体が必要であり、それのとき「Ocean」のようなNPOがあると、割と上手く行くのではないかと仰いました。


(後略) <<
河野氏が講演を行った「Ocean」という団体は、死刑反対立場をとる殺人事件被害者遺族である原田正治氏が代表を務めている犯罪被害者団体です。団体総体としても「Ocean」は死刑制度に対して慎重な立場をとっている犯罪被害者団体です(最近は団体としての活動実態があるのかは良く分かりませんが、原田氏ご自身は精力的に活動を続けていらっしゃるようです)。

そんな「Ocean」が主催した上掲講演会は、チュチェ97(2008)年8月2日づけ「朝日は尚も「被害者」「被害者遺族」のことを考えてはいない」でもご紹介したとおり、「確定死刑囚の一日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族」とする高橋さんたちの考え方とは根本的に異なる立場を取る被害者遺族も存在しているという事実を世に知らしめることを一つの開演目的にしていることを言明していました(朝日新聞社宛の送付文書への直リンクはこちら)。

あれから8年。逃走していたオウム信者も全員捕まり、いよいよ次は確定死刑囚たちの死刑執行タイミングが専らの関心事になってきたにも関わらず、相変わらず事件の真相は明らかになっていません。それはそうでしょう。犯罪者が「被告人」という身分である段階においては、まだ矯正教育を受けてはおらず、そして、法廷での発言が自分の生死に直結するのですから。「法廷で真実を明らかに」という通俗的な発言の非現実性に、高橋さんもようやくお気づきになったのでしょうね

高橋さんが、原田氏や河野氏のように「死刑を求めない遺族」の境地に至ることはないでしょうし、至る必要もないと思いますが、彼女のようにメディアの注目を受けやすい方が「(元幹部らは)裁判で言えなくても、死刑確定後に話せることがあるのではないか」と指摘することは、重要なことだと思います(原田氏は世間一般の知名度がありませんし、河野氏はメディア的には扱いにくいでしょうからね)。

関連記事
・チュチェ106(2017)年8月7日づけ「「犯罪の加害者と被害者との対話」を目指す運動の再興期
・チュチェ105(2016)年10月7日づけ「相変わらず「死刑を求めない遺族」の存在を無視する「あすの会」――団体が「あるべき遺族」の規定に繋がる発言をすべきではない
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2016年09月19日

「貧困女子高生をめぐるNHK捏造疑惑騒動」のまとめを試みた毎日新聞の不可解な論調;「ビジネスジャーナルの捏造」は重大問題だが騒動の中核ではない

http://mainichi.jp/articles/20160919/ddm/004/040/006000c
>> 貧困高校生 ネットメディア誤報 影響力自覚した取材とチェック態勢を

毎日新聞2016年9月19日 東京朝刊


(中略)

 ただ、記事がネット上に拡散して高校生への攻撃を後押しした側面もある。ネットメディアが徐々に影響力を強める中、その責任も重くなっている。

(中略)

 ネットメディア「ビジネスジャーナル」は同月25日、「女子高生の部屋にはエアコンらしきものがしっかりと映っている」と報じ「NHKのコメント」も載せた。同月31日に「お詫(わ)びと訂正」を出して「エアコンはなかった」と記載し、NHKに取材していなかったことも明らかにした。

 2012年にスタートしたビジネスジャーナルは無料でネットに記事を配信し、月平均3000万ページビュー(PV)を獲得している。運営する「サイゾー」の揖斐憲(いびただし)社長(44)は取材に「NHKから指摘されて発覚した。あまりにもお粗末だった」と述べ、石崎肇一(はじめ)編集長を更迭する方針を示した。NHKには「高校生に直接謝罪したい」とも伝えているという。

 揖斐氏によると、編集長ら社員3人が30人程度の外部執筆者の原稿を受け取り、1日10本程度の記事を配信してきた。「記事量とチェック体制のバランスが欠けていた。コストをかけずにPVを稼ぐため、記事本数で賄おうとする無料ネットメディアの構造的問題もある」と話した。

 記事を書いた20代男性は昨年秋にサイゾーと契約し7本程度の記事に携わったが、内部調査で他の記事に問題は見つかっていないという。揖斐氏は男性について「契約前に取材や記事執筆の経験はなかったが、コメントを捏造するとは疑っていなかった」と語った。


(以下略) <<
■不可解な手加減をする毎日新聞
こうした記事が、皆が忘れ始めた頃に、「ネットメディアの影響力」を主題に据えて出されるあたり、いよいよ本件も幕引きのタイミングなのでしょう。攻める側は完全に飽きていますし、守る側がこれですからね。。。

ビジネスジャーナルの捏造は、それ自体が重大な事案です。これもまた捏造事案であり、徹底的に追及する必要があります。私は湯浅誠氏とは違って「枝葉の議論だから、たとえ捏造でも問題ではない」なんて言うつもりはありません

責任追及は新聞メディアの晴れの舞台。「だったら、どうしろってんだよ」「おまえがやってみろよ」と言いたくなるようなお気楽な批判を常日頃から垂れ流している新聞メディアが、今回に限っては記事本数で賄おうとする無料ネットメディアの構造的問題もある」などという「本人たちの言い訳」をそのまま掲載しています。手加減していますね。

いくらネットメディアだからって、揖斐社長の言い分は捏造の弁解にはなりません。毎日新聞はこんなレベルの低い言い訳をそのまま掲載すべきではありませんでした。政府追及のときとは、不可解なまでに論調が異なります

■不可解な構図を描く毎日新聞
そもそも、ビジネスジャーナルの捏造は「ネットメディアか否か」という点はまったく問題ではありません捏造は捏造、ウソつきなのです。

また、「記事がネット上に拡散して高校生への攻撃を後押しした側面もある」としますが、毎日新聞が槍玉に挙げているビジネスジャーナルの記事は、騒動の発端となった8月18日の放送から1週間もたった25日の記事。その内容も正直言って、ネット上で既に展開されている指摘・議論の表層に軽く触れる程度のもので、記事の情報密度としてはスカスカでした(私はリアルタイムに見てましたからネ)。ビジネスジャーナルの記事は、今回のNHK捏造疑惑騒動の論点をフォローしきっているとは言えませんでした。今回のNHK捏造疑惑騒動をリードする報道ではなかったのです。

一般的に言って、ネットメディアは「ネット世論のまとめ」くらいの情報密度しかないケースが多く、ネットメディアの記事自体が、炎上に対して燃料補給することは、それほど多くないというべきです。炎上事案に燃料補給される場合は、SNSが特定されて新しい情報が発掘された場合か、あるいは、毎日新聞をはじめとする新聞メディアの商業的取材行為でネットのレベルでは暴ききれない新事実が発覚するときくらいでしょう。毎日新聞をはじめとする新聞メディアの誤報・捏造でネット上で大炎上が発生・過熱する事例のほうが多いし、その可能性も高いのです。

「ネットメディアか否か」という点はまったく問題ではないにも関わらず、無理矢理に「ネットメディア」を主軸に据える毎日新聞。また、今回のNHK捏造疑惑騒動をリードしていたとは到底言えない薄っぺらいビジネスジャーナルの記事を無理矢理に騒動の首座に据える毎日新聞。炎上はビジネスジャーナルの記事以上に「延焼」していたにも関わらず、「記事がネット上に拡散して高校生への攻撃を後押しした側面もある」などとして、因果関係・主従関係を逆転させるが如き構図を描く毎日新聞――「ネットメディアの影響力」を述べるのであれば、今回のNHK捏造疑惑騒動をビジネスジャーナル記事を切り口として取り上げるのは適切とは言えないにも関わらず、敢えてこのような記事を掲載した毎日新聞の不可解さがますます際立ちます

■なぜ?
なぜ、毎日新聞は敢えて、「NHK捏造疑惑報道に関するビジネスジャーナルの記事」を切り口に「ネットメディアの影響力」について記事を作ったのでしょうか? それも、追及記事の割には、政府追及のときとは大きく異なる論調で報じるという不可解さで。

一つの可能性として、「幕引きの合図」というのが挙げられるでしょう。8月22日づけ「「貧困女子高生」騒動を巡って、怪しい面々が悪質な論点ずらしを含むNHK「擁護」論を繰り出してきた!」でも触れたように、当初からNHK擁護論者はネット世論やネットメディアの「胡散臭さ」を強調しようと画策していました。ネット界隈の「胡散臭さ」を印象づけられれば、騒動の幕引きを図れます。また、商売敵としてのネットメディアの地位を揺るがすこともできるでしょう。

また、「今後を見据えた総括」という可能性もあるでしょう。今後、何かの拍子で今回のNHK捏造疑惑騒動が思い出されたり蒸し返されたりしても、このような総括があれば「切り札」にもなるでしょう。

実際にネット世論として展開されていた諸々の論点――「イエス!散財!」を筆頭とする数々の「名ツイート」への否定的反応――は、今回の騒動の核心であると同時に、NHK擁護の立場から踏み込むと泥沼にハマり込む「難攻不落の要塞」でした。多くのNHK擁護派・活動家が必死に論陣を張ったものの、ことごとく墓穴を掘りまくっていたことは、当ブログでも何度か取り上げきた通りです。

しかし、都合のよいタイミングでビジネスジャーナルが捏造事件を起こしてくれました。これを突破口として、ネット世論とネットメディア報道の因果関係・主従関係を逆転させる構図を描き上げ、「情報密度としてはスカスカ」なビジネスジャーナルの記事を敢えて首座に据え付けることで幅広く展開されてきた諸々の疑惑ポイントを矮小化し、「体制脆弱なネットメディアがバラ撒いたデマ報道のせいで起きたカラ騒ぎ」というストーリーコジツケられたのです。

あくまで真意が「幕引きの合図」「今後を見据えた総括」であれば、不可解な構図は理解できます。また、不可解な手加減についても、「ビジネスジャーナルが捏造した! メディアとして無責任!」と書き立てれば、議論が予想外の方向に転がりかねず、それを防ぎたかったがゆえではないかと考えられます。

騒動の発端となったNHKニュース番組中の特集コーナーの報じ方が「少なくとも紛らわしかった」のは、今もなお変わりありません。NHKとしては「紛らわしかったかもしれないが、捏造ではない」と言い張る他に活路はありません。NHKは半ば強引に難局を切り抜けたのですから、擁護の立場を鮮明にしている毎日新聞としては、ようやく鎮火し始めたNHK批判が再燃しかねないリスクは取りたくないので、ビジネスジャーナルについてあまり大きく書きたてたくないのでしょう。だからこそ、不可解なまでに甘い追及になっているのでしょう(あくまで推測ですよ〜)。

もともとのNHKニュース内での特集コーナー放映から1ヶ月。いずれにせよ、この件は幕引きなのでしょう。AEQUITASが「絶妙なタイミング」で街頭デモを打ったものの、「日本死ね」のときとは打って変わってまったく反響がなく、現時点では1回コッキリになっています(なんで?)。そして、支出の優先順位を正しくつけているにも関わらず夢を諦めるざるを得ない本当に支援な人たちの境遇はそのままになっています。
ラベル:メディア 社会
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2016年09月18日

「革命は、人の思想によって行うものである」;蓮舫代表にはその思想がない

http://news.livedoor.com/article/detail/12030407/
>> 蓮舫「私のアイデンティティは台湾人」16年前に語った本心
2016年9月17日 7時0分 NEWSポストセブン


(中略)

 だが実は彼女、キャスター時代の2000年に本誌の外国人参政権をめぐる特集で国籍問題について“深い見解”を披露していた。

〈帰化して、日本の構成要員になって初めて手にするものが参政権だ。ただし、国籍に全員がアイデンティティを感じるものではない。私は帰化しているので国籍は日本人だが、アイデンティティは「台湾人」だ。在日朝鮮・韓国人の方たちのアイデンティティは朝鮮・韓国という国家にあるのではなく、「在日」それ自体にあり、非常に複雑。だからこそ、自分のアイデンティティ、国籍を深く考える。日本人はこのアイデンティティと国籍への関心がとても薄いと感じる〉(2000年10月27日号)

 今回の二重国籍問題でも、そうした見地から堂々と論争を挑めば、“蓮舫ここにあり”の印象を与えることができたかもしれない。

 だが、政治家となった蓮舫氏はキャスター時代とうって変わって説明を二転三転させ、言い訳に終始したことで女を下げてしまった。


(以下略) <<
キム・ジョンイル総書記は次のように指摘されています。
>> 革命は階級的出身によってではなく、人の思想によって行うものである。 <<
二重国籍問題を脇に置いたとしても、「私は帰化しているので国籍は日本人だが、アイデンティティは「台湾人」だ。」ではもう、蓮舫氏は国政の政治家としてアウトでしょう(まあ国籍は階級的出自ではありませんが、「思想が大切」という点で)。

総書記は更に次のようにも指摘されています。
>> 自民族を愛し、祖国を擁護するのは、社会的人間の重要な属性である。 <<
>> 祖国の一木一草を愛することから愛国心が培われ、祖国と人民のためにためらいなく命をささげる覚悟と信念が生まれるのである。 <<
>> 自らのものを愛護し押し立てようとせず、それをさらに発展させるべく努力しない者は真の愛国者にはなれない。 <<
>> 祖国を愛さず、祖国のためにたたかわず、祖国になんの寄与もしていない者は、祖国について語ることはできず、母なる祖国の真の息子、娘とは言えない。 <<
>> 祖国のためになしたことも、残すこともない者は、一生を無為に過ごした哀れな人間である。 <<
今カラデモオソクナイカラ原隊ヘ帰レ
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2016年09月15日

「我が党の要求が取り入れられた!」では永遠に在野勢力

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20160909-00000043-nnn-soci
>> 小池都知事 待機児童対策に126億円

日本テレビ系(NNN) 9月9日(金)15時45分配信

 東京都の小池知事が9日午後に行った定例会見で、待機児童対策のための約126億円の補正予算と自らの報酬を半減させるための条例改正案を今月末に始まる都議会に提出することを正式に発表した。

 小池知事「待機児童対策を都民ファーストの視点で、年度内に効果を出すというような工夫を盛り込むことで、126億円の補正予算を提案している。身を切る改革の覚悟を示す観点から私の給与を減額することにします」

 小池知事は待機児童解消に向けた緊急対策として126億800万円の補正予算を組むことを発表した。具体的には、民有地や空き家を保育所などに活用するため不動産業者などと協議会を設置することや保育所にした場合の賃借料を補助すること、保育士確保のために宿舎を借り上げる保育事業者への支援を拡大することなどで、これにより5000人分の保育サービスを確保するという。


(以下略) <<
小池都知事が保育所増設のために巨額予算を計上しています。

以前から行政は保育所増設に取り組んでいましたが、いわゆる「日本死ね」ブログ以降は、さらに社会的注目が高まり、増設への取り組みが積極化しています。都の増設予算計上も、その文脈に位置づけることができるでしょう。

にもかかわらず、「日本死ね」と大声を上げていた人たちは、取り組みが進むにつれて、ますますトーンが下がってきています。「取り組みが進む」とは言っても、敷地候補地の地元住民の反対や、絶対的な予算不足等で順調に進んでいるとは言えません。こういうときこそ、「尻を叩く」という意味で、声をあげ続ける必要があると言えます。「小池さんの努力は認めますが、まだまだ苦しいんです!」といった具合に。ヤフーニュースのコメント欄は、総じて小池知事の取り組みの進展に期待を寄せています。

なぜ、応援の意志もこめて尻を叩くべきタイミングで、トーンが下がってゆくのか。結局のところ、政争の具にしようとしていただけだったという疑念さえ沸いてきます。思いがけず、為政者側が「追い風」として我が物にしてしまい、政争の具として使えなくなってしまった、だからこそ、利用価値(使用価値?)がなくなり放棄したのでしょうか?

政争以上に何よりも党勢の維持が至上命題になっている共産党は、小池知事の取り組みのお零れに預かろうと必死になっています。小池知事のプランについて、「共産党の提言反映」などとしています[1] [2]一体いつ、小池知事が共産党の提言を取り入れると言ったのでしょうか? 単に、誰でも言えるようなことを言っていただけに過ぎないでしょう。特段、共産党の獲得ポイントにはなり得ない展開です。

同様に、小池知事が積極的に取り組む姿勢を見せている「築地市場の豊洲移転見直し問題」。これも知事のリーダーシップに慌てて乗っかろうと豊洲市場の現地視察パフォーマンスを打ってみたところ、各方面からツッコミが入る事態になっています。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160915-00000065-san-soci
>> 豊洲市場、地下の水「強アルカリ性」 共産都議団「通常とは違う」

産経新聞 9月15日(木)7時55分配信

 築地市場(東京都中央区)の移転先となる豊洲市場(江東区)の主要施設下で、都が土壌汚染対策に実施したとしていた4・5メートルの盛り土が行われていなかった問題で、共産党都議団は14日、豊洲市場を視察し、盛り土のない青果棟の地下空洞にたまっていた水を調べた結果、強アルカリ性だったと発表した。


(中略)

 都議団は自然界の水は中性か弱酸性だと説明した上で、「通常の地下水とはまったく違う。何らかの化学物質の影響がなければ、強アルカリ性にはならない」と説明。採取した水は検査機関に調査を依頼しており、早ければ16日にも結果が判明する。

(以下略) <<
コメント欄。
>> コンクリート自体が強アルカリだからね。
硬化過程で透過した水は、そうなるよな。
こういうのは、そんなど素人の思いつきで会見しないで、専門家の調査結果が出てからにした方が良いよ。
<<
功を急ぎすぎたようですw

ここに在野勢力の本質的限界があります。いくら在野勢力側が「我が党の要求が取り入れられた!」などと主張しても、取り組むことを決定したのは与党であり、加点(プラスのポイント)を獲得するのは為政者側です。これが小池知事のように積極的に取り組むのではなく、しぶしぶ取り組んでいるだけだったとしても、やはり「取り組む」という決定は為政者の専決事項なので、加点は為政者側に配分されます。そこで在野勢力側が功を急ぐと、共産党都議団の豊洲視察のように、方々からバカにされるような浅慮コメントを発表するという末路に至るのです。

やはり、在野勢力は政権を目指さなければなりません。特に、現為政者の立場上の限界を突いて、「この課題を解決するためには、我々の立場のほかにない! 我々が政治を動かすほかにない!」という論法を提案しなければならないのです。誰でも言えること・できることでは、減点こそされないものの加点にはなりません。在野勢力である限り、平凡な政策の積み重ねだけで政権を奪取することは困難です。常識的政策提言で減点を回避しつつ、入魂の一撃で加点を目指すべきなのです。

その点、日本の在野勢力は加点意欲・政権獲得意欲が乏しい。先日、香港議会では政権志向の市民運動が存在感のある議席数を獲得しました。他方、たとえば日本のSEALDsは政権獲得を目指さず、衆議院選すら経験せずに中途半端なところで解散しました。民進党・共産党も本気で政権を目指しているのかは怪しい情勢です。平凡な政策提言に留まったかと思えば、突然バカバカしい夢物語をブチ上げて政権担当能力のなさを露呈させています

政権を目指さず、為政者側の対応に対して「我が党の要求が取り入れられた!」に終始しているようでは、現体制はまだまだ当分、磐石でしょう。現体制の人的布陣は、基本的な価値観は似ているものの一枚岩ではありませんが、これはすなわち現体制の弱点ではなく、むしろ冗長性として優位に作用することでしょう。

メディアは「小池知事vs巨大利権」といった構図で描くようになりました。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160915-00101982-diamond-soci&p=1
>> 小池知事vs巨大利権、盛り土問題を契機に全面対決へ

ダイヤモンド・オンライン 9月15日(木)6時0分配信

(以下略) <<
本来、自民党政治家を中心とした巨大利権を正すのは在野勢力の仕事であるはずですが、自民党員である小池氏に自民党体制に対する「世直し」をに期待するという構図になっています(「小泉純一郎文化大革命」の再来?)。冗長性が高い自民党体制の前に、完全に在野勢力の立場がなくなっています。「磐石」どころじゃないかもw
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2016年09月13日

革命の「元はといえば・・・」理論

レンホーの陰に隠れた重大事案。
https://samurai20.jp/2016/09/iro-look-now/
>> 【行橋市役所爆破予告】共産党の動議、可決。記者へのコメント等

2016年9月12日

本日、平成28年9月12日、徳永克子(共産党市議)より緊急動議が出され、これが決議された。
内容には、「脅迫」の件が含まれているため、私も本件に触れざるを得ない。
沈黙を守ってきたが、ある程度のことは話そうと思う。

「行橋市役所を爆破する。」という脅迫電話が市役所にあった。
「市議を辞職せよ」「辞意表明を(ある日限までに)Blog上で行え。」
「さもなくば火の海に包まれるだろう。」というものだ。

脅迫の中身には【ヘイト】という言葉が含まれていた。

脅迫を受けて、その上で通った決議は「小坪慎也議員に対する決議」であり、
「謝罪及び必要な行動を自ら行うことを求めるものである。」という共産党からの主張を、議会は通した。


(中略)

行橋市議会議長  諫 山  直 様

小坪慎也議員に対する決議 (案)

 9月8日に、行橋市役所に脅迫の電話があった。この事により、市民に対し、また、市当局や議会においても多大な迷惑を及ぼした。この「脅迫事件」は決して許されるべきものではない。
 これは、小坪慎也議員が、平成28年4月に熊本地震が発生した際、差別的にとらえられるSNSでの意見発表を行った事を発端としている。
 公人である市議会議員は、住民を代表する立場にあり、議会外の活動であっても良識ある言動が求められるのは当然である。
 市民・国民に迷惑を及ぼすような意見の表明は、行橋市議会の信用が傷つけられたものといわざるを得ない。
 行橋市議会は、小坪慎也議員が品位を汚すことの無いよう、公人としての立場をわきまえる事を求めると共に、謝罪及び必要な行動を自ら行うことを求めるものである。
以上、決議する。

平成28年9月12日

行 橋 市 議 会


(以下略) <<
「脅迫事件」は決して許されるべきものではない」が、元はといえば小坪慎也議員の「差別的にとらえられるSNSでの意見発表」のせいであり、「謝罪及び必要な行動を自ら行うことを求める」ということのようです。

爆破テロ予告のような紛れもない違法行為の文脈で「元はといえば・・・」理論を無理筋ながらも持ち出してくる共産党市議の感性は大したものです。サッと読んだだけでも決議の第1段落と第2段落以降が繋がっていない、関係のない話が無理矢理に一つの決議に押し込められていることが分かります。決して「喧嘩両成敗」でないことは決議全体の文脈を見れば明らかです。そもそも、「差別的にとらえられるSNSでの意見発表」とテロ予告を同等に置くことはできないでしょう。仮に小坪議員相手にこのような決議を可決するなら、テロ予告犯には「宣戦布告」くらいしないとバランスが取れないでしょう。

これ、共産党が逆の立場だったら絶対に「いかなる理由があろうともテロに絶対反対、断固毅然と対抗する!」といったような決議を提出し、反対投票者には「テロリストの系譜」とか言い立てるでしょうね(まあそれが当然の反応ですが)。熟練のダブスタっぷりであります。

「元はといえば・・・」理論は、「悪いヤツに対しては何をしても良い」という理論に容易に転化します。あっ、「革命」ってそういうもんでしたね。こわー。左翼・共産党対策部署に所属していたので知っていたけど(よーく似たケース・・・ほんと全国津々浦々でやっているんですねー)。

たとえば、「元はといえば・・・」理論でいけば、ネット上の様々な「行き過ぎた炎上」行為も正当化されるようになってしまいます。比較的軽い犯罪行為や、違法ではないがモラル的に不適切な行為を自慢するバカツイートを取り上げて、非公開の自宅住所を特定してバラ撒いたり自宅凸したり勤務先・学校にも電話を掛けまくるといった集団的な人権侵害も「元はといえば・・・」理論では正当化される余地が出てきます。先日の「貧困女子高生ヤラセ疑惑」での自宅凸も、まさにそうです。私は、NHKが捏造・過剰演出したのか否かに関わらず、どんな理由があっても決して正当化される余地はないと思いますが、「元はといえばNHKの取り上げ方が悪い」で正当化される余地が出てくるのです(捏造・過剰演出をしたのならNHKに言い訳の余地はなくなりますし、そうでなかったとしても視聴者には紛らわしい番組でしたよ)。ブーメラン。。。

こうした無理筋決議に共産党以外の市議も賛同している点は注目すべきでしょう。小坪議員によっぽど敵が多かったにしても票数差が大きい。地方議会レベルだと共産党のような統制力のある組織を敵に回すと当選しにくく、非共産党系議員であっても共産党の動向に注意を払わざるを得なくなると指摘したのは他でもない小坪議員自身だったと記憶しています(なにかで読んだ)が、今まさにそれを実感しているということでしょうか?

あるいは、小坪議員の政治姿勢は、おそらく公明党支持層から強い反発をうけると思われますが、そうした要素も関係あるかもしれません。共産党と公明党が積極的に手を結ぶとは思えませんから、別行動でしょうけど。「ニッポン二大政治的宗教団体」たる共産党と公明党を同時に敵に回すのは戦略なさ過ぎなんじゃないかと・・・

小坪議員の赤旗購読問題暴露は面白いんですが、外国人問題に対する言動は支持しかねるので、どこかのタイミングで議員名簿からご退場いただき、市井の立場から反共産党運動を展開していただきたいと常々思っています。しかし、決議の「必要な行動」が何を指すのかは行間を読むほかありませんが、もし、「議員名簿からの退場」を指すのであれば、こういう形での退場には私は反対です。小坪議員を辞めさせるにしても、こういうスターリン主義的な方法は認めるべきでありません。
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2016年09月11日

コミュニティ・アソシエーションとの協働による貧困対策;前衛党指導型の福祉は現場から放棄されつつある

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20160910-00061770/
>> 「小1で大学断念」を変えるため総力挙げる沖縄の人々
湯浅誠 | 社会活動家・法政大学教授
2016年9月10日 12時1分配信

「親の責任」で済まさない

子どもの貧困率が29.9%と、全国平均(16.3%)の2倍近い沖縄県。
とりわけ衝撃的だったのは、子が小学校1年の段階で、貧困層の親の28%が大学進学を断念していると答えたアンケート結果だ。
小学1年と言えば、文字通り教育課程の入口に立ったところだ。
どう転ぶか、まったくわからない。
その時点で、すでに親が断念してしまっているとしたら、その影響は家庭内の会話等を通じて、子どもに何かを伝えていくだろう。
それは「人生の選択肢を広げる」という教育の目的に、根本から疑問を投げかけるような事態だ。


(中略)

総力挙げて

見えてきたのは、官民挙げてのコラボレーション。
行政・NPO・企業が、子どもの貧困に関してできることに取り組んでいる。
それぞれが連携しながら「総力挙げて取り組んでいる」(沖縄県 子ども生活福祉部長・金城弘昌氏)という取組姿勢に、
沖縄県の状況の深刻さと、危機感の共有からくる結束と、そして希望を見た。

塾経営者が始めた無料塾


(中略)

小さな教室の中で、すでに那覇市役所、地元教育機関、地元企業の重なり合う協力関係が見える。

(以下略) <<
小学校一年生ならば「イエス!散財!」ということもないでしょうし、アルバイト等で独立的に金銭を稼ぐという年齢ではないので、問題提起としては妥当なものだと思います。

また、「官民挙げてのコラボレーション」という切り口もよい。これが前衛党型の左翼だと、「地域住民のボランティア精神では、行動の統一性と持続性が担保できないので、行政機関が中核的に行動しなければならない」とします。もちろん、「行政機関」を党が掌握しているのは大前提です。基本的に、前衛党型の左翼は、人民大衆の自然発生的な自発性には信用を置いておらず、党が「責任をもって正しく指導」しなければならないと考えています

貧困問題の大御所たる湯浅氏が、協働の切り口で取り組みを紹介したことは、私は大変よかったと思います。最近はすっかり疎遠になっていますが、次に共産党系列の人々とこういう話題になったら、「湯浅さんもいってたぞ!」といってやろっと。連中、大御所の権威には弱いですからw
ラベル:社会 福祉国家論
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2016年09月10日

ブラックすぎて感覚が麻痺した企業を退場に追い込んだ競争的評判経済

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160910-00000024-it_nlab-sci
>> ゴルスタ個人情報流出問題 被害者には当初謝罪メール1通だけ 炎上招いた「暴圧」運営の高すぎる代償
ねとらぼ 9月10日(土)16時24分配信

 Twitterにユーザーの個人情報を故意に書き込んだことがきっかけで炎上し、サービス終了が発表された中高生向けSNSアプリ「ゴルスタ」ですが、個人情報を晒された“あると”さん本人に対しては当初、謝罪のメールが1通届いたのみで、対面での謝罪や、保護者への報告なども行われていなかったことが分かりました。あるとさんは編集部の取材に対し、「親には電話やメールすらなかったです」「(ゴルスタ側の対応には)満足していないです」と語りました。


(中略)

●担当者個人ではなく、スプリックス自体に問題か

 結局スプリックスはその後、ゴルスタのサービスを終了することを発表。一連の炎上については、担当者1人を再教育すれば済む問題ではなく「ゴルスタ運営部門、ひいては弊社全体の問題であると重く受け止めております」とコメントしました。

 実際、スプリックスが経営する「森塾」で働いていたという元社員に取材したところ、スプリックス社内では以前から、不祥事を起こした元社員の名前をさらす「みせしめ」行為をはじめ、従業員に対する監視や言論統制も恒常的に行われていたことが分かっています。元社員は「ゴルスタの運営で問題になっていることは、社内でやっていることを一般ユーザーに向けてやってしまっただけ」と今回の炎上を分析します。

 最終的には「サービス終了」という最悪の形で終わりを迎えたゴルスタの炎上ですが、少なくともユーザー側の意見を真摯に聞き入れ、正面からきちんと対応できていればここまで大きな問題に発展することはなかったはずです。批判を浴びた「暴圧」運営でしたが、その代償はあまりにも大きなものでした。
<<
自社社員を威圧・沈黙させているうちに感覚が麻痺してきて、同じ要領で顧客を威圧したところ、顧客は自社社員のようには沈黙せず、逆に盛大なる自爆死をしたということでしょうか? もしそうであれば、典型的なツメの甘いブラック企業の管理体制です。

このような企業に対して引導を渡したのは、またしても世間の評判でした。チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」を筆頭に何度も述べてきているように、自由な競争経済社会においては、評判こそが企業にとって生命線です。「その企業でなければならない必然性」など顧客側にはない(選択の余地・選択の自由)のだから、自社社員のケースとは異なり、商品・サービスへの反発は、抗議のアクションに転化しやすく、共感する人々によって大きなうねりになりやすいのです。

もし今回の運営会社への抗議行動が監督官庁への通報、法廷闘争、「支援団体」への駆け込みに留まっていたのであれば、このような結果にはならず、敗北していたことでしょう。自社社員を威圧・沈黙させるのと同じ要領で顧客を威圧して沈黙させようとするという盛大な勘違い、重篤な感覚麻痺の「患者」に、ショボい抗議をしたところで「カエルのツラに小便」でしょう。自分の評判や財布が大いにいたんで、やっと事態に気がつくレベルでしょうから、消費者世論の大きなうねりで、企業イメージに傷をつけるくらいの勢いでなければ、効果は期待できません

そこまで計算していたのかは存じ上げませんが、今回は上手くいきましたね。競争的市場経済・評判経済の条件をフル活用し、企業イメージに傷をつけるくらいの勢いで、消費者世論の大きなうねりを巻き起こすことが肝心だということが、改めて判明したのだと思います。
ラベル:社会 経済 経済学
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2016年09月06日

自らの人生の主人としてのビジョンと責任をもった自主的な職業選択だったのか

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160905-00008057-jprime-ent
>> 坂口杏里、AV出演の背景に"ホスト狂い" 母の遺産を使い込んで背負った借金の額

週刊女性PRIME 9月5日(月)17時30分配信


(中略)

「もともと寂しがり屋の杏里だけど、小峠さんという大人な彼と一緒にいるうちは、気持ちは安定していたんです。でも、彼と別れてからはまたひとりぼっち。

 もともと、小峠さんと付き合う前から、ホストクラブで遊んだりしていたけど、彼と別れてからは入り浸るようになった。


(中略)

 ホストにハマるのと比例するように、杏里の仕事は徐々に減っていく。そんな、彼女にアダルトビデオ業界が目をつけたのは、自然の流れだったのかもしれない。

「精神的に不安定になっていた彼女だけに、口説くのはそう難しくなかったようです。この1本の出演料は1億2000万円とも1億4000万円とも言われていますが、本人の取り分は2000万円前後とか。

 一般的にモデルの取り分は7割程度なので、この金額は少なすぎます。それでも借金を消したいがために、引き受けたのかもしれませんね」(AV業界関係者)


(以下略) <<
■自らの人生の主人としてのビジョンと責任をもった自主的な職業選択だったのか
最近のAV業者はもっぱら「最近の女優はみんな志願者なんです!」と繰り返していますが、その「志願」の内実がコレだったとしたら(仮定ですよ〜)、「どんなもんなのかね」と言わざるを得ないでしょう。

果たしてこの職業選択は、坂口杏里ちゃんにとって本当の意味で自主的な選択だったのでしょうか?

決して、AV業者が彼女を騙しただとか、法に触れるレベルの判断能力の低下につけ込んだとか、半ば強制的にAV女優に仕立て上げたなどと言い立てたいわけではありません。そのような証拠はまったくありません。日本には職業の自由と契約の自由があります。彼女が制限行為能力者という情報は入っていないし、法に触れるレベルの判断能力の低下があったとの情報もないので、これは正当な契約行為です。また、「転職先がAVだから悪い」だとか「AV女優は賎しい職業」と言いたいわけでもありません。誇りを持ってAVに出演している女性もいることでしょう。それは尊いことです。私はAV女優が賎業だとは思いません。

一般的に言って、精神的に不安定な状態で契約行為を行うべきではありません。とくに労働契約は、どんな職業につくにしても、精神的に安定した状態で、自らの人生の主人としてのビジョンと責任をもって、熟慮に熟慮を重ねて決定すべき性質のものです。働くということはそれだけ大切なことです。

精神的に安定した状態で熟慮に熟慮を重ねてAV女優を志願したのならば、その選択は自主的であり尊いものです。堂々と立派に勤め上げるべきです。しかし、記事を読む限りでは、そうは言い難いようです。もし、精神的に不安定な状態で下した決断であったのならば、換言すれば、自らの人生の主人としてのビジョンと責任を果たせるとは言い難い状態で下した職業選択であったのならば、この問いに対しては、大きな疑問符をつけて解答せざるを得ないでしょう。

■誰にとっても身近な問題
これはAV女優に限った問題ではなく、多くの人にとっても身近な問題です(もちろん、男性にとっても)。たとえば、就職がなかなか決まらず「とにかく就職しなきゃ!!!」と焦っているとき。精神的に動揺しているあまり、仕事内容をよく確認せずに採用に飛びつきたくなる衝動に駆られるものです。当面の食い扶持は稼げるようになるかもしれませんが、本当にそれでいいのでしょうか?

あるいは、飛びついた先がブラック企業だったり、詐欺まがい商社だったら? とくに詐欺まがい商社のケースであれば、他人に危害を加えかねません。精神的に不安定な状態で安易にも飛びついた仕事のせいで他人が傷つくこともあり得るのです。

精神的に不安定な状態でフラフラ〜っと吸い寄せられた選択「本当にそれでいいの?」と思わざるを得ません。たとえ、転職先が「AV女優」ではなく「一般事務職」であってもそうですし、あるいは、現職を辞めずに働き続ける選択だったとしても、精神的に不安定な状態での決定であれば、「本当にそれでいいの?」と思うのです。

■当人の利益のためにアドバイスできるのは周囲の人たちだけ
法的に行為能力が認められている労働供給側の精神状態の見極め責任を、労働需要側に一方的に押し付けるつもりはありません。本件について言えば、AV業者側に、「杏里ちゃんの精神状態を十分に把握して、彼女の利益を第一に考えて契約を進めるべきだ」などと言うつもりはありません(前衛党型バカ左翼じゃあるまいし・・・)。「杏里ちゃんの親しい人たちは何をしていたんだ」と問いたい。

彼女の友人・知人たちは、おしなべて「AV女優としての活躍を期待しているよっ!」と言わず、ただただ困惑しています。法的に問題ない契約とはいえ、「AV女優への転身は彼女の利益にはならない」と大多数の友人・知人たちは思っているのでしょう(その考え方の当否についてはここでは論じません)。そう思っているのなら、「今になって困惑しているくらいなら、なぜ早くにアクションを取らなかったのか」と言いたい。法的に問題ない契約だからこそ、当人の利益のために引き止められるのは周囲の人たちだけなのです。

(いや、きっと事情はあるんだと思いますよ、こんな風に書いていますけど、一方的に責められるとはハナから思っていません。。。)

■一方で、「アドバイス」には難しさもある
「当人の利益のために引き止められるのは周囲の人たちだけ」とは言っても、もちろん難しさもあります。

以前から述べているように、私は左翼・共産党対策の経験があるので、個人的にも相談をうけることがあります。かつて、度重なる入党勧誘をうけて困り果てている人物(優柔不断なお人よしである上に、ちょっと容共的な部分がある)から「どうすればいいのか」という相談を受けました。私は「入党したければ入党すればいいし、入党したくないのなら『嫌だ』とキッパリ言ったほうがいいよ。しつこい勧誘は自主性の侵害だから」とした上で、各種勧誘撃退マニュアルをアドバイスしました。すると、「もう断りを入れた。そうしたら、『われわれは科学の立場に立っている。科学的に正しい見地から勧めているのだから、入党はあなたの利益にもなる』と言われた。どうすればいいのか。」と打ち明けられました。(想像以上のカルト宗教っぷりだった・・・)

このやりとりがあったのは、驚くべきことに21世紀に入ってからのこと。1960〜70年代ならまだしも、21世紀において「党の活動は科学的に正しい」だなんて、とんだ時代錯誤です。党員たちでさえ確信だって揺らいでいる時代です(「確信が持てない」って相談されたことありますw)。このアドバイスは、内容的には「当人の利益」とは、とても思えないシロモノですが、「当人の利益のため」に「周囲の人たち」がアドバイスしているという、構図の点に限って言えば、間違いはありません

■終わりに
何を以って「当人の利益」と言えるのか、誰にもわかりません。周囲の人間が良いアドバイスを提供できるとは限りませんし、当人が熟慮に熟慮を重ねたとしても、それが良い方向に転ぶとは言い切れません。それでも、安定した精神状態において、社会的関係のなかで意見交換を重ね、できる限りの考慮を重ねた上で、当人自身が自らの人生の主人としてのビジョンと責任をもって決定を下すべきです。分からないなりに出来る限りのことはすべきです。今回の一件は、報道されている範囲内で事態を把握するに、「安定的な精神状態での熟慮」も「周囲との意見交換」も十分になされた形跡が乏しいと言わざるを得ません。その点だけが残念です。
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2016年09月04日

「嫉妬」されないために、支出の優先順位をつけましょう

格差・貧困問題の「大御所」である湯浅誠氏が、「貧困女子高生」問題に参戦し、「新たな擁護論」で火に油を注ぎました。検討しましょう。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20160831-00061633/
>> NHK貧困報道”炎上” 改めて考える貧困と格差

湯浅誠 | 社会活動家・法政大学教授 2016年8月31日 7時9分配信


(以下略。適宜、引用します) <<
(※お断り:原文が、読みにくい・引用しにくい改行になっているので、当方にて、改行箇所については変更させていただきました。また原文の太字処理は、引用では解除させていただきました)

以下のくだりを見る限りは、今回のNHK報道問題の核心部分は、ある程度の範囲内で認識しているようです。完全にスルーし、勝手な論点設定をしてシャドーボクシングに精を出している他の擁護論者とは良い意味で異なります。
>> (前略)「裏切られた感」が”炎上”を招いた

高校生のツイッターを見て、怒りを覚えた人たちの気持ちはわかる。
番組を見て「1000円のキーボードしか買えないほど家計が苦しい」という印象を受けたのに、実態が違う。
だまされた、と感じる人はたくさんいただろう。
その「裏切られた感」が“炎上”を招いた。
彼女は、番組から印象付けられたほどには貧しくない、過剰に貧しさを演出するのは行き過ぎではないか、と。
それが「ねつ造」という批判になった。
(以下略) <<
そもそも「NHKの捏造」という切り口で始まった騒動ですから、「その「裏切られた感」が“炎上”を招いた」というのは、当然の話です(この時点で少し認識がズレている予感・・・)。

しかし、その上で展開する「新しい擁護論」が、またしても妙な方向に。。。湯浅氏のような人物でも事態を把握しきっていないと、次のような主張を展開してしまうのですね。
>> 相対的貧困状態とは矛盾しない
それに対して「いや、それも貧困なんです」という反論が出ている。


(中略)

したがって、彼女が同じ映画を6回見ようと、7800円の観劇をしようと、1000円以上のランチを食べようと、それは相対的貧困状態の中でのやりくりの話であって、相対的貧困状態であることと矛盾しない、と。

だから、彼女は「(絶対的)貧困」ではないだろうが「(相対的)貧困」であり、「子どもの貧困」というタイトルの下に彼女をとりあげても問題ないし、彼女の消費実態は「進学できない」という番組の中心的要素に比べて枝葉の問題なので、とりあげなかったことも問題ない。だから「ねつ造」という批判は当たらない、と。
<<
枝葉の問題」だから「「ねつ造」という批判は当たらない」というのは凄い理屈ですね。結論のための論拠・具体例が捏造だったら、結論の信用性が失われるのは当然のことです。そもそも、「枝葉」じゃないし。

典型的な「結論は正しいんだから、いいんだっ!」のケース。8月29日づけ記事でご紹介した、左翼・共産党対策部での私の経験談そのまんまの展開です。再掲しておきます。
>> (前略)こうした、取り上げるに不適切なサンプルを不注意にも持ち出したがために袋叩きにあい、苦し紛れに「統計的・理論的には正しいんだっ!」と連呼する無様な姿を見ると、またしても、かつて左翼・共産党対策部で、活動家相手に対峙した記憶を思い出します。結論の正当性はコチラも認めるケースについて一応、共産陣営の論拠を聞いてみたところ、部分的事実とデタラメを超飛躍で継ぎ合わせるトンデモ理論だったときのこと。流石にこのトンデモな理屈をスルーするとこっちまでバカの一員になりかねないので、「結論の正しさは認めるが、その理屈はおかしい」と指摘したところ、「結論は正しいんだ!」などと強弁し始めました。おそらく、共産陣営側も途中から無理筋だということは理解していたようです(口を滑らせていたしw)が、私たち「反共陣営」を前に引くに引けなくなったのでしょう。とはいっても、流石にトンデモすぎる理屈を繰り返すのは不利だとも悟っていたのでしょう。だからこそ、ひたすらに「結論は正しい」一点張りだったのでしょう。

「結論は正しいんだ!」は、相当追い詰められて初めて出てくる論点の摩り替えです。
(以下略) <<
こういうことを平気で言ったりやったりするから、この手の人々は信用されないんですよね。

それはさておき、「やりくりの話」という「新しい擁護論」に目を向けましょう。この擁護論の当否を評価するには、「震源地」たる当該NHK番組の論調を振り返る必要があります。騒動の最初期に片山参議院議員がNHKに確認している通り、本件報道は、「経済的理由で進学の夢を諦めざるを得なくなった女子高生」というのが、そもそもの話でした。
https://twitter.com/katayama_s/status/767923517400592384
>> 本日NHKから、18日7時のニュース子どもの貧困関連報道について説明をお聞きしました。NHKの公表ご了解の点は「本件を貧困の典型例として取り上げたのではなく、経済的理由で進学を諦めなくてはいけないということを女子高生本人が実名と顔を出して語ったことが伝えたかった。」だそうです。

20:16 - 2016年8月22日
<<
となれば、湯浅氏の言説に敢えて乗っかって「やりくりの話」とするのであれば、「支出の優先順位をつけなさい」という話に飛び火するでしょう。こうなると、うららちゃんの主体的な選択行為・意思決定の問題ですから、この「擁護」論は、火に油を注ぐことになるんじゃないかと。。。

支出の采配は当人の自由です。しかし、「彼女が同じ映画を6回見ようと、7800円の観劇をしようと、1000円以上のランチを食べようと、それは相対的貧困状態の中でのやりくり」だとした上で、「そんなわけで、お金がなくなって進学できなくなっちゃいました>< お金ください^q^」という話になれば、「おいコラ、優先順位ちゃうやろ」という反応を受けるのは当然でしょう(また新しい擁護論を展開しようとして墓穴を掘っている・・・)。圧倒的大多数の普通の人々は、物事に優先順位をつけて支出しています。

擁護論者の言説に乗っかって、仮にうららちゃんが相対的貧困だとしたとしても、「進学の夢」がありながら、あのような散財を繰り返し、それでいながら、社会的支援を求める言説を口にすれば、非難が寄せられても不思議はありません。ほとんどの人たちは、物事に対する正しい優先順位をつけているにも関わらず、夢を諦めざるを得ない場面に直面しているのです。予算制約に伴う「諦め」は貧困層だけでなく、普通の生活水準の人たちにも当てはまります。前回の記事でも触れたように、「一般庶民はワンコインランチで我慢してる」のに、彼女は「普通でも中々出来ないことを躊躇なく行っている」のです。

彼女は、「貧困とは言えない人」か、または「貧困なのに物事の優先順位をつけられない人」のどちらかです。限られた資源である放送電波を使って、そんな人物を紹介すべきだったのでしょうか? 8月30日づけ記事でも述べましたが、ここ10年間の貧困報道の累積によって、多くの視聴者は「メディアが報じる一つ一つの具体的なケースは、いずれも現代社会を象徴する一幕である」という認識を深く植えつけられています。他でもないメディア自身の報道の功によるものです。そうした状況下において、非典型的ケースの紹介で「限られた放送電波」と「視聴者の注意力」を浪費したことの、「貧困との闘争」における損失はいかほどだったのでしょうか?

ニュース7はNHKの看板報道番組です。貧困問題にまったく興味のない人でも、ニュース7に取り上げられたことをキッカケに関心をもつかもしれません。インパクトのある代表的かつ衝撃的なケースを報じるべき決戦のタイミングで、あのようなケースを取り上げたことは、仮に彼女の素性が今日に至るまでバレていなかったとしても、非典型的かつインパクトのない事象では、事実報道としては無力すぎ、また、視聴者の記憶にはほとんど残らず、戦略的に大失敗になっていたことでしょう。

仮にうららちゃんが「貧困なのに物事の優先順位をつけられない人」であるのならば、前回の記事でも触れたように、それは一つの独立した社会問題の分野です。これを貧困と結び付けて報道することは不可能ではありませんが、事前の断り書きが必要なケースです。今回のNHK報道ではそうした断りはありませんでした。そもそも本件騒動はNHKの報道姿勢の問題ですから、やはりNHKを擁護することはできません

記事の終わりに至って湯浅氏は「反省とこれから」として、まとめを試みています。
>> 反省とこれから

今回のNHK貧困報道“炎上”は、登場した高校生と番組を制作したNHKが「まとまった進学費用を用意できない程度の低所得、相対的貧困状態にある」ことを提示したのに対して、受け取る視聴者の側は「1000円のキーボードしか買えないなんて、衣食住にも事欠くような絶対的貧困状態なんだ」と受け止めた。

そのため、後で出てきた彼女の消費行動が、一方からは「相対的貧困状態でのやりくりの範囲内」だから「問題なし」とされ、他方からは「衣食住にも事欠くような状態ではない」から「問題あり」とされた。

いずれにも悪意はなく(高校生の容姿を云々するような誹謗中傷は論外)、行き違いが求めているのは、衣食住にも事欠くような貧困ではない相対的貧困は、許容されるべき格差なのか、対処されるべき格差なのか、という点に関する冷静な議論だ。
(以下略)<<
湯浅氏は巧妙にも論点を「相対的貧困vs絶対的貧困」の構図にスリカエています。

後で出てきた彼女の消費行動が、(略)「衣食住にも事欠くような状態ではない」から「問題あり」とされた」わけではないのは、既に述べたとおりです。「1000円のキーボード」が本当は1000円よりも高いBluetooth対応のキーボードではないかとして、「ウソつき!」と非難されたのが、事の始まりです。時系列的に見れば、うららちゃんのツイートが暴露されたのは、すでに炎上が始まってからのことです。もともとのVTRが怪しさMAX・胡散臭さMAXだったのです。だから、普通ならそのまま、その人となりを特定されることなくスルーされるはずの一般人なのに、うららちゃんについては「総力取材」が始まり、ツイートが晒されたのです。

「相対的貧困状態でのやりくりの範囲内」だから「問題なし」」などというのは、上述のとおり、メチャクチャな理屈です。貧困問題は正義論が深く関わる問題ですから、こういう言説を堂々と口にする人が参画しているのは危うさを感じざるを得ません。

うららちゃんの生活水準は、「相対的に見るからこそ貧困とは言えないのではないか」という視点が湯浅氏の言説には完全に抜けています。また、「まとまった進学費用を用意できない程度の低所得、相対的貧困状態にある」というのであれば、支出に優先順位をつけなければならず、普通の人たちは支出の優先順位を当然につけているのに、「イエス!散財!」などとして欲望の限りに放蕩している事実について、湯浅氏は有効な主張を展開できていません。

「年越し派遣村」の頃から思っていましたが、どうも湯浅氏は、一般庶民の「妬み」にも近い感情や「アリとキリギリス」的な思想を、考慮の外に置いてしまっているのではないでしょうか? 「一般庶民がどう感じるか」という社会政策上の一大問題に対する考慮が(たとえば、みわよしこ氏などに比べれば考えているとは思いますが)浅すぎるように思います。前回の記事でも述べましたが、もともと日本人はムラ社会的な集団主義メンタリティーですから、「生活水準の比較」には敏感な国民性があります。そうした国民が直感的に、うららちゃんに違和感を感じているわけです。擁護論者たちの想定とは異なり批判論者は、絶対的貧困のイメージに基づいて彼女を評価しているのではなく、「あの子が『貧困』で易々と支援されるなら、ずーっと歯を食いしばって頑張ってきたオレはどうなるんだよ」といったように、まさに相対的に彼女を評価しているのです。

擁護論者の決定的な考慮不足は、やはり「公平感」への絶対的な考慮不足でしょう。「なんでアイツだけ」に答えられていないのです。

8月22日づけの記事でも述べましたが、こうした無理筋の擁護論を次々に展開して言い訳に終始する人々に対しては、「あんたらこそ貧困を軽く見ていないか?」と、改めて強く問いたいと思います。それとも、まさかビジネス?

そういえば、3500円のカツカレーを食べて叩かれた政治家がいましたね。いや、なんとなく思い出しただけです。
7800−3500=4300ですね。いや、小学校算数の復習です。
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2016年09月03日

相対的に見るからこそ「貧困」とは言えず「普通」レベル;ムラ社会的な集団主義メンタリティーだからこそ生活水準の比較に敏感な日本人

(9月3日23時00分に加筆しました)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160903-00000016-mai-soci
>> <貧困>「貧乏人らしく」女子高生たたきの大誤解

毎日新聞 9月3日(土)9時0分配信

 貧困について語り、NHKニュースで取り上げられた女子高生に対するバッシングが止まりません。そこには「貧困」の基準を巡る大きな誤解があります。人々の貧困への視線を読み解きます。【NPO法人ほっとプラス代表理事・藤田孝典】


(以下略)<<
■プロのスリカエ・コジツケ技術
NPO法人ほっとプラス代表理事の藤田孝典氏が、「貧困女子高生」問題に参戦してきました。思ったよりも遅かったですね。

当ブログでは以前より、労働問題に関する藤田氏の見解を取り上げて批判してきました。事実の意図的な無視と、無理矢理なコジツケの挙句に珍妙なる言説を結論に持ってくる人物であると見ています。
チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る
チュチェ105(2016)年2月22日づけ「「労働市場を通した自主化の高まり」の前に空しく響く「要求実現型労組活動家の訴え」

労働問題と貧困問題は密接に関わる問題なので、今回、遅ればせながら参戦してきたのでしょう。今回も、「女子高生に対するバッシング」などと最初からトンチンカンなことを言い、例によって珍妙な言説を展開してくれています。検討してゆきましょう。
>> (前略) ネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)には今も「貧困をたたいてるんじゃない、貧困のふりをしてることをたたいているんだ!」「映画やランチを楽しんでいるのに貧困? 支援? ふざけるな」「NHKは捏造(ねつぞう)をやめろ」といった声があふれています。

 18日放送のニュースで女子生徒は、母子家庭の経済事情で専門学校進学をあきらめたことを明かしました。

 アパートの部屋に冷房がないこと、パソコンの授業のために母にキーボードだけを買ってもらって練習したことなど、番組は母と2人暮らしの女子生徒の暮らしぶりも伝えました。その映像にイラスト用の高価なペンが映ったことから、女子生徒のものとされるツイッターが特定され、1000円の昼食を食べていたこと、好きな映画を見に行っていたことが攻撃されました。

 女子生徒をたたく人たちは、「彼女は本当の貧困ではない。飢餓寸前になるまで助けるべきではない」と主張しているように見えます。
(以下略)<<
女子生徒をたたく人たちは、「彼女は本当の貧困ではない。飢餓寸前になるまで助けるべきではない」と主張しているように見えます。」などと、誰も言っていないことを、あたかも盛んに言われているかの如く言及する点、労働問題に関してコメントを寄せているときと同様、大切なところを想像で補完してしまっている藤田氏の「平常運転」っぷりが見て取れます。相変わらずのスリカエとコジツケの手際、プロの仕事です。

■相対的に見るからこそ「貧困」とは言えない
そして藤田氏は次のように続けます。最近流行りの「相対的貧困」に言及しています。
>> (前略)ここに、貧困問題を考える上で重要なポイントがあります。

つまり、「貧困とはどのような状態を指すのか」「貧困であるかどうかを決めるのはいったい誰か、そしてその基準は?」という問題です。

 ◇その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか


(中略)

 ◇「支援を受けたいなら貧乏人らしくしろ」は傲慢だ

 ところが、今回の貧困バッシングでは、女子生徒の1000円ランチがたたかれました。「貧困であることをアピールし、支援を求める高校生がランチに1000円もかけるとは何事か」という偏狭な批判です。貧困なのだから映画を見てはいけない、アニメグッズをそろえてはいけない、と求める批判者は、支援されるべき貧困を「絶対的貧困」と考えています。そして、「貧しい者は貧しくしていろ」という懲罰的態度を無自覚に相手にぶつけています。
(以下略)<<
その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか」が相対的貧困を考えるポイントだとしています。これ自体は正しい指摘です。では、うららちゃんのケースは如何なのでしょうか?

藤田氏が当記事を公開するに先立ち、武蔵大学社会学部の千田有紀教授が、類似した論調の記事を公開しています。その記述と、それに対するフェイスブック上のコメントが、この問いに対して端的に分かりやすい検討材料を提供しているので、ご紹介しましょう。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/sendayuki/20160825-00061485/
>> 女子高校生をバッシングしてはいけない―貧困のわかりにくさ
千田有紀 | 武蔵大学社会学部教授(社会学) 2016年8月25日 7時29分配信


(中略)

現代の日本で、子どもの6人に1人は貧困状態にある。くだんの女子高校生の生活は、その6分の1に入る生活としては、十分ではないか。まさか「貧困」を主張するひとは、たかが1000円のランチも楽しまず、つねにお粥をすすれとでもいうのだろうか。せめてほかの同世代の若い子たちと同じようにささやかな生活を楽しむことは、許されないのか。

(以下略) <<
千田氏は、藤田氏よりも明確(感情的?)に主張しています。それに対して、以下のようなコメントがユーザーから寄せられています。
>> 一般庶民はワンコインランチで我慢してるのが現状。夢を買いたいから生活保護でギャンブルOKって、頭、大丈夫?
そんな無駄なことに税金使われるぐらいなら、真面目に暮らしてる年金生活者の年金を1円でも多く渡せるようにした方が国の為だよ。
<<
>> 事実を矮小化して擁護する手法が流行ってますなあw
千円のランチもコンサートも、それが一回や二回なら構わんよ。
でもそうじゃないだろ、ランチもそうだし、コンサートも何度も何度も行ってる。
コンサートだけじゃない、映画も舞台公演も同じ様に何度も行ってる。
しかも同じ物を何度も見に行くという、普通でも中々出来ないことを躊躇なく行っている。
そして部屋には漫画、ゲーム、DVD、アニメグッズが溢れている。
それが既に明らかになってるのに「この程度で」と言って誰が信じるよ。
<<
>> 同じ映画に5回も行ったり、2000円近いランチを頻繁に食べてたり、
7500円の舞台を観に行ったり、高いコピックを持っていたり、と豪遊できるほどのお金を持ってたり、
エアコンはしっかり持っているのに(動画をよく見てください)、「エアコンは無い」と言ったり、
PCもスマホも持っているのに(彼女が投稿したイラストはスマホとPCの両方からです)、
何にも繋いでないキーボードをカタカタ叩いたりして、現在進行でIT機器を何も持っていないかのようにミスリードしたり、
「貧困を騙った」から反発されたんですよ。
やっていることが姑息です。
いろんな記者がこの件について書き始めましたが、この程度の情報を把握されていないとは驚きますね。

別に女子高生が豪遊したから反発されたんじゃないのです。むしろ、若いころの豪遊でもこの額なら笑ましいレベル。
<<
>> エセ人権派教授の恥ずかしい感情論。1000円のランチ食べて、コンサート行って貧困とか「お前ふざけてんのか?」と怒鳴りたい気分。学校に行きたいなまずこの出費を抑えて自炊でもなんでもしてお金を貯めるに決まってる。
この頭の良く無い教授は貧困家庭が1000円のランチ食べて、エアコンも設置してあったことをもっと論理的に話したらどう?世の中なめてるのか?
<<
一般庶民はワンコインランチで我慢してる」や「普通でも中々出来ないことを躊躇なく行っている」というコメントが目に留まることでしょう。

これらのコメントを総括すれば、「相対的に見ても貧困とはいえず、普通レベル。むしろ、相対的に見て普通の人より楽しんでいるかもしれない」ということになりましょう。藤田氏が設定した「その社会の「普通の暮らし」ができているかどうか」という設問に即して言えば、現代日本の一般人の相対的感覚によれば「うららちゃんは普通、あるいは、相対的に富裕」になるのです(まーた墓穴を掘っちゃった・・・)。普通の人を「貧困」だなんていったら(それもテレビメディアが!)反発をうけるのは当然じゃないですか。

あるいは、「支出の優先順位をつけられない人」ということになるでしょうが、それは、もはや一つの独立的な分野です。以前にも述べましたが、これを貧困と結び付けて報道することは不可能ではありませんが、事前の断り書きが必要なケースです。今回のNHK報道ではそうした断りはありませんでした。そもそも本件騒動はNHKの報道姿勢の問題ですから、やはりNHKを擁護することはできません

藤田氏は「欧州ではこうした議論が半世紀以上続き、貧困を巡る議論はすでに成熟しています。絶対的貧困と相対的貧困の混同は起きません。」などとしていますが、ちょっと恥ずかしいキメ台詞ですね。日本社会が「絶対的貧困と相対的貧困の混同」を起こしていると思い込んで、「無知で未熟な日本人に新しい舶来の概念を教育してやる」などと息巻いていたら、一般庶民のほうが感覚的に物事を理解していたわけです。もともと日本人はムラ社会的な集団主義メンタリティーだから「生活水準の比較」には敏感なんですよw

■「貧困バッシングだ」などと強弁するのならば、「妬み」や「アリとキリギリス主義」に正面から立ち向かえ!
うららちゃんの件が「貧困バッシング」ではないというのは、既に何度も何度も指摘していることですが、あえて「貧困バッシング」という問題設定に乗っかった上で率直に述べると、生活保護バッシングをはじめとする昨今の「貧困バッシング」の根底には「なんでアイツだけ」という妬みに近い感情や「アリとキリギリス」的な思想があると私は見ています。Yahooニュースのコメント欄などをもっとよく観察してください。ムラ社会的な集団主義メンタリティーをもつ日本人の思考回路を把握してください。「社会的強者が社会的弱者をイジメている」なんていうのは、思い込み・観念論の範疇です(まあ、「貧乏人の妬みのせいで社会保障の前進が妨げられている!」などと正面切って言えないのは、立場的に分かりますけどねえ・・・)。

藤田氏や千田氏を筆頭に、今回の騒動で「相対的貧困」を持ち出す人々は、「一般庶民はワンコインランチで我慢してる」という事実を直視した上で、無理に一般庶民の「妬み」が混じった反発を受ける「相対的貧困層への支援問題」として論を進めるのではなく、広く「生活水準の全体的底上げ、一億再中流化」という文脈で運動を展開したほうがよいのではないかと思うのであります。「底上げ」だったら、それほど文句は出ないでしょう(もちろん、そもそも今回のNHK報道に「相対的貧困」の概念を持ち込むほうが間違いですし、上述のとおり、持ち込んだがゆえに更に墓穴を掘ったわけですが・・・)。

■大切なところを想像で補完し、大切な論点から逃げる藤田氏
なお、藤田氏が「傲慢だ」などと言っておきながら、それについては深くは言及せず、「16世紀英国の貧者隔離思想」という過去における極端な例・現代ではほとんど実存しない言説(いったい誰が現代日本において、うららちゃんを「懲役にも近い形の収容所」に送り込めって言っているんですかねえ?)でお茶を濁しているのは、たいへん残念なことです。思い込みではなく事実を見据えて、正面から戦ってほしいものです。

再度になりますが、私の「自主の立場」(8月22日づけ記事で言及)を再掲しておきます。
http://rsmp.seesaa.net/article/441267791.html
>> (前略)

「貧困家庭代表」は誰が決めるのかについて述べておきましょう。自主の立場から言えば、本人の認識と社会の承認の二本立てでしょう。率直な意見交換の後に形成されるものです。ここで重要なのは、どちらか一方が断定的に定義できるものではないということです。社会の側が「おまえは貧困ではない」と押し付けることも、個人の側が「私は貧困です」と言い張ることも不適当です(もし、相対的貧困問題の場合であれば尚更でしょう)。

(後略) <<
一般庶民はワンコインランチで我慢してる」という声を踏まえた上で、私も「貧困の相場」を考えてゆかねばならないと考えています。藤田氏も、過去における極端な例・現代ではほとんど実存しない言説を持ち出して判断から逃げるのではなく、想像による補完ではなく事実を正面から認識した上で、提案していただきたいと思います。

(。。。言えば言うほど新しい墓穴堀っているなあ、擁護論者。。。)
posted by 管理者 at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする