http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170223-00000067-san-kr>> 正男氏暗殺 主要拠点マレーシア、北の異様な閉鎖社会
産経新聞 2/23(木) 7:55配信
(中略)
■正恩氏は“兄殺し”韓国が宣伝放送 北住民は正男氏知らず
【ソウル=桜井紀雄】韓国軍が南北軍事境界線付近に設置した大型拡声器を使って「金正男氏暗殺」について北朝鮮に向けた放送を始めたことが分かった。聯合ニュースが政府消息筋の話として22日までに報じた。対北放送は金正恩政権が最も神経をとがらせる存在で、さらなる南北摩擦を生みそうだ。
放送は、正男氏が工作機関、偵察総局の要員と推定される北朝鮮人らの指揮下で暗殺されたとし、金正恩朝鮮労働党委員長の指示があったとみられるという内容。先週末から放送が始まったという。
正男氏が金日成(イルソン)主席の直系である「白頭(ペクトゥ)血統」を引く、金委員長の異母兄である点にも触れている。金委員長の3代世襲は白頭血統を正統性の根拠としており、“兄殺し”の内容が北朝鮮国内に知れ渡れば、金委員長の「最高尊厳」を揺るがすことになる。
対北放送は2015年8月、非武装地帯(DMZ)の地雷爆発事件をきっかけに11年ぶりに再開。一時停止を挟み、16年1月から続いている。今回の放送を妨害するように北朝鮮側も対南宣伝放送の一部の出力を上げたという。
脱北者らによると、北朝鮮住民の間で正男氏の存在はほとんど知られてこなかった。だが、幹部や住民らはラジオなどを通じてひそかに韓国などのニュースをチェックしているといい、正男氏殺害事件が起きたことで、皮肉にも金委員長の威信を傷付ける内容が広まる可能性が高い。
最終更新:2/23(木) 10:10 <<
「
金委員長の3代世襲は白頭血統を正統性の根拠としており、“兄殺し”の内容が北朝鮮国内に知れ渡れば、金委員長の「最高尊厳」を揺るがすことになる」――「白頭の血統(ペクドゥの血統)」という表現における「血」を、生物学的な意味・DNA鑑定で決着がつくような意味で捉えてしまっています。昨今の日本国内における報道・言説ではほぼ100%の確率で、こうした理解にもとづいて「ペクドゥの血統」という表現が使われていますが、
朝鮮民主主義人民共和国の指導思想であるチュチェ思想における「血」の意味を踏まえておらず、それゆえに誤った方向に分析していると言わざるを得ません。
日本人は、「相手側の情勢分析」が昔から不得手・不十分です。相手側の出方を探るにしても、「相手の立場に自分が立ったとしたら、自分は如何判断するか」という思考から脱し切れていません。結局は「自分本位」。これではまずい。本当に戦略を考えるのであれば、「相手側の普段の発想に従えば、今の状況で彼らは如何行動するか」とすべきです。つまり「相手本位」であるべきなのです。
相手本位で考えるためには、何よりも相手側の行動原理、内的な論理回路を理解しなければなりません。
朝鮮民主主義人民共和国の行動を分析するのであれば、それは当然、支持するしないはとは全く別個に、チュチェ思想について学ばなければなりません。一般的な単語であったとしても、
チュチェ思想によって解釈され付加された意味合いを踏まえて考えなければなりません。
「血統」という一般的な表現は、まさにチュチェ思想によって特殊な意味が付加された表現の代表選手です。
朝鮮大学校教授から今や総連幹部に出世なさった韓東成(ハン・ドンソン)氏の著書『哲学への主体的アプローチ―Q&Aチュチェ思想の世界観・社会歴史観・人生観』では、民族という概念の理解に関連して、チュチェ思想における「血縁」の意味を次のように解説しています(同書99ページ)。
>> 血縁の共通性は、民族形成の基礎です。
ここでの血縁の共通性とは、人種のような生物学的なものではなく、社会歴史的に形成された血縁的関係を意味します。
血縁的関係は、人々に身体的および心理的な共通感を抱かせ、民族という堅固な集団とに結合させるうえで重要な作用をします <<
「人種のような生物学的なものではないのは分かったが、じゃあ何なのだ」と言いたくなるような解説ですが、私は独自に
「任侠界隈での擬似家族的関係性」になぞらえると、一番シックリくるのではないかと考えています。任侠の世界における「親子」は、生物学的な意味・DNA鑑定で決着がつくような意味ではありません。生物学的には血縁関係にない人間が一定の組織上の儀式(盃事)を経て
想像上の一体感を取り結ぶことによって出来上がる関係性を「親子の血縁関係」と称しています。もちろん、チュチェ思想における「血」の概念を「任侠界隈での擬似家族的関係性」と
言い切ってしまってよいかどうかは、いましばらく組織社会学的に分析し、いずれは結論を出したいと思っていますが、現時点では近似できる共通の特徴が見られると認識しています。
少なくとも、
チュチェ思想での「血縁」は、上述引用のとおり、「生物学的な意味での関係性」ではなく、「想像上の一体感をもたらす関係性」であることは間違いありません。となれば、「ペクドゥの血統」という表現における「血」も同様に、「
キムイルソン−
キムジョンイル−
キムジョンウンのDNA」という意味
ではないと考えるほうが自然な理解です。「
人々に身体的および心理的な共通感を抱かせ」るような、特殊な想像上の関係性であると見なすべきです。
朝鮮民主主義人民共和国は、傍から見れば何が如何違うのか理解に苦しむような定義・建前に拘る御国柄です。「血」という、彼らにとっては極めて重要な単語をイイカゲンに使うはずがありません。
「ペクドゥの血統」という表現における「血」とは、イデオロギー的に考え抜かれた文脈でのみ使われる、生物学的な意味での親子の血縁関係ではなく、擬似的な意味での「血縁」関係と見るべきです。
そもそも、
キムイルソン主席から
キムジョンイル総書記に権力が継承されたときも、決して「
キムジョンイル同志は、
キムイルソン同志の息子だから」という理屈ではありませんでした。
キムジョンイル総書記から
キムジョンウン委員長への権力継承においても、「ペクドゥの血統」を除けば、「世襲」を感じさせる表現は見られません。もし、「
キムジョンウン同志は、
キムジョンイル総書記の息子であり、
キムイルソン主席の孫だから最高指導者として相応しい」という理屈であれば、
一人の人間に対して覚え切れないくらい沢山の敬称・美称をつける御国柄なのだから、
もっと積極的に生物学的血縁関係の事実を押し出すはずであり、「ペクドゥの血統」なる妙に婉曲な表現だけに留まるはずがありません。
擬似的な意味での「血縁」関係における首領の地位に、なぜ
キムジョンウン委員長こそが相応しいと言える(ということになっている・している)のかといえば、それはやはり
「人民的な風貌を持っているから」ということになるのでしょう。これは、
キムイルソン主席から
キムジョンイル総書記への権力継承期にも盛んに宣伝されていたことです。
キムイルソン主席が生涯貫き通した、現地指導方式による人民との積極的な交流、包容力のある「広幅政治」のスローガン、人民思いな指導者のイメージ...それらは「社会主義共和国の最高指導者として理想的な姿」であり、
キムイルソン主席はそれを完全に体現している(いた)と位置づけられています。たしかに、何処の国でも政治指導者は人民と積極的に交流を深めるべきであり、その意味では、
キムイルソン主席の方法は「最高指導者にとっての王道」であると思います。
最高指導者としてのイメージ戦略を推進するに当たって、
キムジョンウン委員長が髪型まで
キムイルソン主席を意識しているのは、
キムイルソン主席の「人民的な風貌」を自らの物することこそが、3代目最高指導者としての地位を固める最も重要な課題であると本人が認識しているためでしょう。
もし、生物学的な意味での血縁関係が決定的に重要であるのならば、髪型や立ち振る舞いを真似する必要などないはず。生物学的な親子血縁関係の事実を、もっと直接的であからさま、大袈裟でわざとらしい、傍から見れば逆効果なんじゃないかというくらいの「マンセー!」な表現で宣伝しているはずです。しかし、そうした「マンセー!」な宣伝ではなく、髪型や立ち振る舞いの真似に邁進しておられるのが
キムジョンウン委員長です。この点を見ても、生物学的な属性ではなく
、「人民的な風貌の継承者」という属性が、擬似的な意味での「血縁」関係における首領の地位にとって重要視されていることが分かります。
「
金委員長の3代世襲は白頭血統を正統性の根拠としており、“兄殺し”の内容が北朝鮮国内に知れ渡れば、金委員長の「最高尊厳」を揺るがすことになる」という、冒頭に取り上げた産経新聞記事の表現に戻りましょう。上述のとおり、「ペクドゥの血統」は生物学的な意味での血統ではないので、その意味では「兄殺し」がイデオロギー的な問題を引き起こすとは考えられません。「最高指導者が個人の暗殺を指示した」というのは西側諸国では衝撃的な内容ですが、朝鮮は革命政権なので、粛清沙汰自体は、特段驚くに値しません。儒教倫理という面においても、すでに叔父のチャンソンテクを処刑していますが、その時には「たとえ肉親であっても・・・」と自ら「尊属殺し」であることを認めていました。
そう考えると、人民の間では、ほとんど知られておらず、人民の期待を密かに背負っていたわけでもない、人民にとってはまったく無関係の「ただの中年男性」が何処か異国の地で急死したからいって、
「誰?」「ああ、そうですか」であるし、それが最高指導者の兄だったとしても、
すでに叔父が刑死しているのだから「なにを今更」なのです。人民にとっては、「そんなことより今日の闇市の相場」といったところでしょう。