>> コインパーキングから「ロック板」消える? 不正防止よりも重要視することとは■「雁字搦めの事前規制による不正防止」から「事後処罰をチラつかせた不正抑止」へのシフト
乗りものニュース 3/8(水) 16:10配信
不正の言い逃れはできない「ロック板なし」
近年、ロック板(フラップ)を廃したコインパーキングが少しずつ増えています。もちろん、出入口のゲートもありません。
無防備すぎるように思えますが、不正に利用されるおそれはないのでしょうか。駐車場のシステムを手掛けるアイテック(東京都文京区)に、誕生の背景を聞きました。
(中略)
――ロック板をなくして、不正に利用されるおそれはないのでしょうか。
確かに、料金を払わずに出庫することは容易です。しかし、駐車マスに埋設されたセンサーで車両を認識し、マスの奥に立つポールに取り付けられたカメラで車両のナンバーを記録することで、出入りを管理しています。また、場内全体を見渡す監視カメラで、全体の出入り状況も随時記録していますので、不正の証拠を把握して、あとから料金を請求します。言い逃れはできません。
導入の背景に「ロック板式」の問題点
――仮に不正するとどうなるのでしょうか。
不正に出庫したクルマを、すぐ捕まえて料金を請求するわけではありません。ナンバーや不正の証拠は把握しているので、そのクルマが全国にある同方式の駐車場に再び入庫した際に、警備員が未払いぶんの支払いを促す紙をクルマに貼ります。紙を貼られた人は、その場の精算機で支払うこともできますが、請求書の発行を申し出て後日、支払い手続きを行うことも可能で、実際には後者のケースが多いです。
――なぜこうしたシステムを開発したのでしょうか。
最大の目的は、ロック板による事故やトラブルを避けることです。ロック板は、精算から一定の時間内に出庫しないと再び跳ね上がりますが、たとえば、料金の精算後に車内で電話していて、それに気づかず発車し、クルマが破損してトラブルになるケースがあります。また、乗降の際にロック板でケガをしたという人も多く、当社が実施したロック板式駐車場に関するアンケート調査では、20パーセント以上の人がなんらかのトラブルを経験していました。
(中略)
最終更新:3/9(木) 11:00 <<
いささか旧聞かつ大したことのないようなニュースに見えますが、「雁字搦めの事前規制による不正防止」から「事後処罰をチラつかせた不正抑止」へのシフトという点において、重要な取り組みです。
■「雁字搦めの事前規制による不正防止」は高コストかつ副作用的犠牲が大きい
日本人は、「清さ」に対する意識が強く、不正を撲滅しようとする国民性があります。このこと自体は私は貴重なものであり、末永く守ってゆかねばならない美徳であると考えています。しかし、そうした意識が強すぎるがゆえに、「雁字搦めの事前規制による不正防止」という方法論を取ってしまい、そのせいで効率性を著しく損ね、甚だしくは他の要素を犠牲にしてしまうこともあります。
コインパーキングの例に則れば、ほとんどの人が監視が無くとも正しく料金を払うが、ごくごく一部の不届き者の所業を防止するために、すべての駐車車両に板ロックしてきました。また、ごくごく一部の不届き者の所業を防止するための仕掛けが、善良なる市民のクルマを損傷させるケースが相次いでいました。「正直者が馬鹿を見るのはオカシイ」というのは私も強く頷けますが、かといって全員のクルマに板ロックを施す経費は如何ほどなのでしょうか? 善良なる市民のクルマを損傷させてまで防止しなければならなかったのでしょうか?
「雁字搦めの事前規制による不正防止」は、それが完全を期そうとすればするほどに手の込んだものになり、それゆえに莫大なコスト・多大な副作用的犠牲を伴うものです。そして、これは一見して「完全」に見えますが、不届き者は悪知恵が働きイタチゴッコになりがちだし、あまりにも強硬な抑止策は民主的市民社会の基本原理と対立しかねない領域に達するものです(「社会的に正しくない」所業を完全に封じ込めるには、NKVDやシュタージなみの秘密警察監視網が必要になるでしょう)。実際には完全なる抑止などはできない以上は、どうしても不十分です。
■「事後処罰をチラつかせた不正抑止」も強力な選択肢
完全を期するための手法は、「雁字搦めの事前規制による不正防止」だけではありません。結局不正が起こらなければよいのだから、雁字搦めの仕掛けを用意するだけが能ではなく、不届き者に不正行為を断念させる仕掛け、インセンティブの付与もまた選択肢です。その意味で、「事後処罰をチラつかせた不正抑止」はもう一つの強力なツールであり、多くの場合、雁字搦めの仕掛けを用意するよりも低コストかつ副作用的犠牲が抑えられるものです。
反社会的な不届き者は、単に「不正利得」を期待値的に追求しているのではなく、不正行為に手を染めるにあたっての「不利益の期待値」と比較し、その結果、不正利得がプラスであれば、不正行為を実行するものと考えられます。「雁字搦めの事前規制による不正防止」は、不正利得の期待値をゼロに近づける試みであると定式化できますが、他方、「事後処罰をチラつかせた不正抑止」は不利益の期待値を極大化させる試みであると定式化できます。結局不正が起こらなければよいのであれば、不利益の期待値を極大化させるアプローチもまた有力な選択肢です。
コインパーキングの例に則りましょう。既に述べたように、板ロックによる雁字搦めの事前規制のコスト・副作用的犠牲は多大です。他方、監視カメラを活用した事後処罰的な請求は、同程度の効果が期待でき、かつ、板ロックのようなコスト・副作用的犠牲の恐れは小さいものと考えられます。そうであるならば、より低コストかつ副作用的犠牲の小さい方法論を取るべきです。
■飲酒運転への厳罰化も「事後処罰をチラつかせた不正抑止」の一種
こうした「事後処罰をチラつかせた不正抑止」は、特殊な言説では決してなく、ある分野においてはむしろ一般的な言説でさえあります。たとえば、凶悪犯罪・重大犯罪、とりわけ飲酒運転に対する厳罰化を以ってしての抑止効果を求める世論は、まさしく「事後処罰をチラつかせた不正抑止」であります。
飲酒運転に対する厳罰化を以ってしての抑止効果を求める世論に対して、「『事後処罰』って・・・飲酒運転で人が死んでからじゃ遅いんだよ!」などと口走る人は、そうそう居ないでしょう。厳罰化論者のなかに「事故が起こっても仕方ない」と思っている人はまずいません。飲酒運転事故を絶対に起こさせないがために、事後処罰として厳罰を要求しているのです。
飲酒運転を雁字搦めの事前規制で完全に封じ込めようとすれば、これはもう全てのクルマに監視員を同乗させるくらいしか方法はありません。「呼気アルコール濃度が一定以上であればエンジンが掛からない」といった仕組みだって、身代わりや細工などで結局は突破されてイタチゴッコになるでしょう。また、その泥沼に足を踏み入れれば、自動車一台あたりの製造コストは跳ね上がってしまうことでしょう。他方、厳罰を確実に科すことを事前に宣言しておくことは、雁字搦めの事前規制よりも低コストで目的を達成できることでしょう。
現実的には、事前規制と事後規制は併用すべきです。コインパーキングの場合は、そこまで躍起になることはないのかも知れませんが、飲酒運転については、こまめな検問による検挙(事故発生前の規制)と併せて、厳罰による抑止力の整備にも注力すべきです。
■「事後処罰をチラつかせた不正抑止」はあちこちで有用
昨今問題になっている保育園・こども園での不正保育も同様です。行政の抜き打ち検査(事前規制)に加えて、「不正発覚の暁には必ず認定を取り消し、責任者には刑事告発を行う」という事後処罰による抑止力の整備にも注力すべきです。
経済分野にも通ずる考え方です。そもそも経済学は「インセンティブの学問」とまでいわれるくらいなのだから、「ど真ん中の論題」であるとさえ言えます。粗悪な商品・サービスの流通は抑止しなければなりません(命にも関わる場合がありますからね)が、それは事前の行政的規制だけではありません。「評判」が極めて重要なファクターとして作用する自由な競争的市場経済においては、粗悪品を世に送り出せば、自社の評判がガタ落ちになり、市場メカニズムの作用によって自らが淘汰されるのは時間の問題です。
市場淘汰は作用としては事後処罰として位置づけることが出来ます。営利を追求する合理的な企業家であればあるほど、継続的に商売を続けるために、一定の品質を維持しようと自ら努力するものです(他方、競争のない独占市場や計画経済体制では、粗悪品や有害物質を用いた商品が延々と生産されていました)。経済分野においても事後処罰は強力な作用をし得ます。
■「国民の常識」が問い直され始めている兆候
凶悪犯罪・重大犯罪には「事後処罰による抑止力」を声高に主張しつつも、コインパキーングについては「雁字搦めの事前規制による不正防止」を主軸にすえる・・・チグハグな言説です。これは結局のところ、一貫した軸足が定まっていないことに起因するのでしょうが、決して悪いことではありません。過渡期とも捉えられるからです。
先に述べたように、日本人は国民性として事前規制に傾きがちです(凶悪犯罪・重大犯罪への厳罰要求は例外的といってよいでしょう)。そんな中で始まった「事後処罰の方法論に則り、コインパーキングからロック板方式が消えはじめた」という情勢は、少し大袈裟かもしれませんが、「雁字搦めの事前規制」が問い直され、「事後処罰による抑止力」という新しい考え方が実践に移され得るほどに広まりつつある、「国民の常識」が問い直され始めている兆候であるとも捉えることが出来るでしょう。
何世代にもわたって連綿と受け継がれてきた常識は、歴史的試練を乗り越えてきたという点で、かならずしも間違いではないと思います。その点、私はナイーブな合理主義的な左翼に組するつもりはなく、伝統主義・保守主義にも理解があります。しかし、常識は常に問い直し続けなければならないとも考えています。伝統に立脚しつつ、常識を常に問い直す。そして漸進主義の原則にたって、少しずつ段階的・実験的に新しい試みを実践してゆくべきです。コインパーキングのロック板方式を巡る実践は、事前規制と事後処罰の適切な配合の水準を検討する実験的試みと位置づけることも可能でしょう。いつの日か、個別具体的な実践経験を総合するときがくるはずです。