>> アリさん「引越社」と「シュレッダー係」に配転された社員、東京地裁で和解成立■大はしゃぎしている場合ではない
弁護士ドットコム 5/24(水) 14:10配信
アリさんマークで知られる引越社のグループ会社「引越社関東」で営業職だった男性社員(35)が、シュレッダー係に配置転換させられたのは不当だとして、地位確認などを求めていた訴訟は5月24日、東京地裁で和解が成立した。
主な和解内容は、会社は(1)6月1日付で、男性を営業職として復職させる、(2)営業車両の使用を認める、(3)配転前の労働条件に戻す、(4)解決金を支払う、(5)シュレッダー係に配置転換したこと・罪状ペーパーを貼り出したことについて謝罪する――など。なお、解決金の額は明らかにされていない。
この日の和解成立の知らせを受けて、男性は「実感はまだないが、一区切りつけた」「営業職に戻れるのはうれしい」とコメントした。男性が加入する労働組合プレカリアートユニオンの清水直子・執行委員長は「大勝利的な和解だ」と話している。
(中略)
●男性「未払い残業の問題など、まだまだ課題は山積みだ」
この日の和解成立後、男性の代理人と労働組合が、東京・霞が関の厚生労働省記者クラブで会見をおこなった。男性は勤務日だったことから、その場に姿を見せなかったが、昼休みに電話を通じて報道陣の質問に答えた。
男性は、和解成立について「まだ実感がありません。和解条項がどういうものかしっかり読めておらず、『ああ、そうなのか』という感じです。ただ、これで一区切り付けたのは間違いありません。未払い残業代の問題など、まだまだ課題は山積みです」と感想を述べた。
懲戒解雇されたことが、一番印象に残っているという。「人生で初めて。経験したことがなかったので。頭が真っ白になりました。二度と経験したくありません。あのときは、そういう状況に追い込まれて何もできない自分に情けなくて、涙を流しました」と振り返った。
男性は「会社で働いている人だけでなく、社会全体にこの戦いを知ってもらいたいという思いがありました。同じように困っている人がいたら、アドバイスできることがたくさんあるので、そういう人の役に立ちたいと思っています」と語っていた。
弁護士ドットコムニュース編集部
最終更新:5/24(水) 18:34 <<
営業職に戻れたということは、労働問題を「自主権の問題」として捉えている私としても、たいへんよかったと思います。他方、プレカリアートユニオンの清水委員長が「大勝利的な和解だ」と大はしゃぎしている点からは、2つの点において大きな懸念を持たざるを得ません。おそらく今後1週間程度の間に、労組活動家のノーテンキな言説が幾つか出てくると思いますが、先に述べておきたいと思います。
■ブラック企業は改心しない――営業職復帰は「罠」である可能性
第一の懸念。「引越社関東」が真に心を入れ替えて反省するはずがないということ。従業員を生身の人間としてではなく「日本語を喋る道具」程度にしか見ていない、他人を踏み台くらいにしか思っていないような人間が、ヤクザそのものという他ない恫喝を平気で繰り広げる人間が、裁判所からの和解勧告程度で心を入れ替えるはずがありません。そんな「人間的」な心を持っているのならば、そもそも最初からこんなことはしないでしょう。チュチェ104(2015)年9月23日づけ「「ブラックバイト」の域を超えているのに「団体交渉」を申し込むブラックバイトユニオンの愚」を筆頭に繰り返しているように、ブラック経営者・資本家の改心に期待しているのであれば、労組としては余りにも甘い。労働者階級の立場・階級闘争の視点が抜け落ちているといわざるを得ません。
このことは、既にコメ欄でも指摘されています。引用しましょう。
>> ore***** | 2017/05/24 14:34今回の「引越社関東」による原告男性への一連の恫喝行為は、世のブラック企業群のなかでも特異的なくらい「雑」な事例でした。「ふつう」のブラック企業であれば、もう少しスマートな方法でグレーゾーンを攻めてくるはずです。
自ら望んだとはいえ、営業職に復職ってのは「見せしめ」に近い。
当然厳しいノルマが課されて、達成しなければリストラ対象の最上位。 <<
これはあくまで想像ですが、「引越社関東」は、お抱えの弁護士か社労士に入れ知恵されて「戦略的撤退」を行ったに過ぎないのではないでしょうか。単に、「標準」的な手法を駆使するブラック企業になっただけではないでしょうか。その可能性は疑ってかかるべきです。少なくとも、あのようなヤクザ的恫喝を堂々と展開していたような連中が本気で改心する可能性よりも、戦略的撤退である可能性のほうが高いでしょう。
珍しくヤフコメが正しいことを言っているように、営業職への復帰は罠が仕掛けられていると見るべきです。人事評価などは結局のところ評価者次第というのが大きい。本件に関して以前から指摘しているように、企業側は一時的な譲歩を長期的視野で回収しようと虎視眈々と狙っていることでしょう。 「すき家」のゼンショーが急にホワイト化し始めた時にも述べましたが、おそらくこの「電撃和解」は、昨今の労働市場における著しい人手不足の影響を受けているものと思われます。これ以上、「ブラック」の悪評が立てば、人員募集に対する応募者が減ってしまうので、それを避けるために、象徴的な本件において「ソフト路線」を打ち出しているに過ぎないと考えられます。よって、今後の景気動向によって労働市場における人手不足感の緩和や、あるいは人員過剰化に伴い、原告男性は真っ先に危うい立場に立たされることでしょう。景気後退に伴う営業成績悪化は、その格好の口実になることでしょう。そこで運悪くクレームの一つでも入れば、行く末は確実的です。それらしい理由なんて幾らでも作れるものです。
「大勝利的な和解だ」などと、はしゃいでいる場合ではありませんし、原告男性についても「ただ、これで一区切り付けたのは間違いありません。未払い残業代の問題など、まだまだ課題は山積みです」などと油断している場合ではありません。「一区切り」などにはまったくなっていないと警戒すべきです。相手が相手なのだから、課題は「山積み」ではなく、一つも片付いていないとみるべきです。
■真に目指すべき道――ブルジョア博愛主義を乗り越えよ!
3月14日づけ「労働市場を活用した労働者階級の偉大な勝利――ゼンショー社で「勤務間インターバル規制」が実験的導入」でも述べたとおり、労働者階級の自主化のためには、今回のような「労働運動・法廷闘争による直接的勝利」ではなく、「世論喚起を経由した労働市場を活用する間接的勝利」を第一に据えるべきです。そしてまた、SMAP解散問題のときにも述べました(下記リンク)が、最終的には労働者自主管理・協同経営を目指す他ないでしょう。ブルジョアの譲歩に期待をかけ、連中の「博愛」主義に幻想を持つ甘っちょろい労組運動を乗り越え、断固たる階級的立場で人民の国へ!
チュチェ105(2016)年1月19日づけ「テンプレの域に達しつつある「労働組合結成の勧め」――中世的芸能界の近代革命のために必要な組織とは?」
チュチェ105(2016)年1月20日づけ「「オーナーの私有財産としての芸能事務所」という事実に切り込まずして「ジャニーズの民主化」を語る認識の混乱」
■労組活動家が妙な自信を持つ恐れ――振り返れば限りなく失敗に近かった方法論
第二の懸念。この和解を以って、労組活動家たちが今までの闘いの全過程が正しかったと誤解している恐れについてです。「結果よければ全てよし」などでは決してありません。なんとか要求が満たされた(ように今のところ見える)から遡及的に「思い出話」のようになっている様子ですが、この要求実現型の労働運動は、なによりもクライアント自身にとっては方法論としては最悪の部類。限りなく失敗に近い戦い方で過ごしてきた長期戦でした(ナチスに勝ちはしたが2000万人が戦死したソ連みたいなもの?)。
チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でまさに触れたとおり、原告男性はシュレッダー係時代、「自分にとって、仕事は達成感や社会貢献が含まれるが、今はお金を稼ぐだけの労働だ。ほとんど無の境地でシュレッダーをやってい(た)」そうです。このことについて私は次のように述べました。再掲します。
>> しかし、それはそれとしても、「ほとんど無の境地でシュレッダーをやっている」というのは、男性従業員氏の生涯全般を見渡したとき、本当によい選択と言えるのでしょうか? 戦うこと自体は正しい選択だとは思いますが、もっとスマートな方法論があったのではないかと疑問に思わざるを得ません。元来、労組活動家というものは、遠大な理想を持ちがちで、そしてその理想像にこそ軸を据えます。「未来の理想」のためには「今日の苦境」を厭わない考え方を持っています。ここでは重大なギャップが生じています。理想はすぐには実現しないが、生活というものは今日も明日も連綿と続くものです。いくら「未来の理想」のためとはいえ、人生の大切な時期を「ほとんど無の境地でシュレッダーをやっている」と過ごしてよかったのか。人生80余年のうちの2年を、とりわけ酷い部類の過ごし方をしてよかったのか。ここまで大きな犠牲を払う必要があるほど、今回の「未来の理想」は大切だったのかは、疑問に思わざるを得ません。
先に「周囲の助けを借り」ることの必要性に触れました。弁護士や労組などがそれに当たるでしょう。しかし、この男性従業員氏を「支援」している代理人の大久保弁護士やユニオンの清水委員長のコメントを見るに、一人の生身の労働者にとっての利益を第一に考えているのか疑問に思わざるを得ない主張を展開しています。
「シュレッダー係に異動する人事や、従業員に弁償金を支払わせることはあってはならないこと」というのは、法的には正しい指摘です。しかし、代理人弁護士が「会社の違法な部分」を追及しつづける傍らで、クライアントの男性従業員氏は「無の境地」で、30代半ばという働き盛りかつ転職ギリギリの年代を過ごしています。40代や50代といった今後の人生を考えたとき、どう評価すべきなのでしょうか?
「その部分も含めて改めさせて、引越業界全体に変化をもたらしたい」というユニオン委員長の構想は遠大です。私もこれが突破口になればいいと思います。しかし、あくまで生身の人間、男性従業員氏が救われることが最優先・先決であるはずです。それが達成できないのであれば、たとえ「引越業界全体に変化」をもたらせそうもない方向であったとしても、戦術を変えなければなりません。その意味で、もはや男性従業員氏を支援するという本旨ではなく、単なる「階級闘争のモデルケース」になってしまっていないでしょうか? <<
■「未来のための禁欲的闘争」は、一般生活者には魅力的には映らない
もちろん、何に価値を置くのかは人それぞれであり、それこそ私が大切にする「生き方の哲学」です。わたくしは、どっかの誰かさんみたいに、他人様に生き方の「指導」を行うつもりは決してありません。しかし、もっとスマートな闘い方がなければ、一般論として、「ちょっと闘ってみようかな」とは思えないでしょう。理想主義者にとっては、未来のための禁欲的闘争は美徳でしょうが、一般生活者にとってはそうではないというのは、歴史を振り返ってみても言えることです。
本件は見方を変えれば、「ブラック企業を相手にするということは、こんなにも苦労しなければならず、また、それでもまだ『巻き返される』リスクが完全には摘み取りきられていない」とも言えます。「泣き寝入り的であったとしても辞めたほうが早いんじゃないか? 人生楽しいんじゃないか?」と思ったとしても、それは無理ありません。
理想主義的労組活動家が、今回の電撃和解をうけて妙な方向に自信を持たないか懸念します。「大勝利的な和解だ」と、はしゃぐ清水委員長の言葉に強い懸念を持つものです。
ラベル:自主権の問題としての労働問題