2017年07月31日

現代における「苦労」は、他人をほくそ笑ませるだけでしかない

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170731-00000004-nkgendai-ent
>> 高3で120万円…仮面女子・窪田美沙がローン完済するまで
7/31(月) 9:26配信
日刊ゲンダイDIGITAL

 最強地下アイドル「仮面女子」メンバーにして、ユニット「アーマーガールズ」リーダーの窪田美沙さん(23)。具志堅用高さんと共演した主演映画「冬の糸」が完成したばかりだが、知る人ぞ知る貧乏アイドルだ。

 120万円だったんです、そのローン契約。はんこを押したのが高校3年でしたから、もう5年も前になるんですが、ようやく今月、全額払い終えました。本当に長かったですね。

 そもそも、なぜそんな多額の借金をしたのか? フツー、こう素朴に思いますよね。でも、世間知らずで、最初に所属した事務所の人に、「アイドルになるためには宣材(宣伝材料)を作らなきゃならない。プロフィル写真撮影代と制作費がかかる。レッスン代も必要」と言われ、それを真に受けてしまって。おまけに「登録料だ」と言われて30万円も上乗せ。その合計が120万円。ひどい話でしょ?

 両親に肩代わりしてもらう? そんなの無理無理。だって、京都の実家が超貧乏だったんですもん。自営業のお父さんは一生懸命働いてたんですが、商売がうまくいかなくて。家は絵に描いたように古くて、窓ガラスの代わりにビニール袋を張ってたくらい。盗られるモノがないから玄関は壊れっぱなし(笑い)。電気やガスもしょっちゅう止められてました。


(以下略) <<
契約時18歳の小娘が120万円のローンをせっせと5年もかけて完済にまで至り、その過程についてインタビュー取材で答えるとは、まったく無知とは恐ろしいものであると言わざるを得ません

それはさておき、コメ欄。
>> tsp***** | 11時間前

苦労は将来役に立つ。
頑張れ
<<
苦労は将来役に立つ」――悪徳ローンの食い物にされた「苦労」から、いったい何を学ぶというのでしょうか?

どこで見聞きしたのかは忘れましたが、「苦労が自らの人生の糧になった過去と異なり、現代の苦労は、単に他人をほくそ笑ませるだけでしかなく、自分には何らリターンもないものである」という言葉を思い出します。

全体のパイが増えず、自分の取り分を増やそうとするならば誰かの取り分を掻っ攫うしかない時代において、他人に嵌められたり、強要されたりした結果の「苦労」は、ただひたすら奪われてゆくだけ

「いや、この間、一生懸命働くことの貴重さが身についたはずだ」といった言説もあるのかもしれません。しかし、120万円のローンを組まされなければ「一生懸命働くことの貴重さ」は身につかないのでしょうか? もっとスマート、もっと効率的な方法は幾らでもあるはずです。

苦労は将来役に立つ」――搾取階級の常套句。「苦労」には種類があります。ミソもクソも一緒くたにするような言説に騙されてはなりません。
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2017年07月29日

ICBM発射実験は安保理決議違反だが正当防衛

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170729-00000512-san-kr&pos=5
>> 北ミサイル EU、仏が非難声明
7/29(土) 8:08配信
産経新聞
 【ベルリン=宮下日出男】北朝鮮の弾道ミサイル発射について、欧州連合(EU)の欧州対外活動庁(外務省に相当)は28日、「北朝鮮の国際的義務に対するあからさまな違反」と非難する声明を発表した。

 声明は、北朝鮮に対し、「地域と世界の緊張を高める一段の挑発的行動を控える」よう求めた。


(以下略) <<
■ICBM発射実験は、疑いの余地なく安保理決議を堂々と破る行為
共和国支持の立場から一貫して主張している当ブログですが、「北朝鮮の国際的義務に対するあからさまな違反」というEUの指摘自体は、正しいと考えています。

チュチェ105(2016)年2月11日づけ「「北朝鮮だけが「衛星」を打ち上げてはいけない理由」の本音――馬脚が自爆的に表れる日は近い」での主張との整合性について予め断っておきましょう。衛星打ち上げ等の宇宙開発を「弾道ミサイル開発」に結びつける安保理決議は、理屈として無理があります。多くの技術は軍事転用可能(たとえば、日本のインドへの原発輸出は、印パ核対立への燃料補給になり得る)だからです。そもそも「犯罪」の構成要件として不適格な雑過ぎる理屈なのです。

それに対して、今回のようなICBM発射実験は、疑いの余地なく安保理決議を堂々と破る行為です。その点において、今回に限っては、西側が言う「北朝鮮の国際的義務に対するあからさまな違反」というのは正しい指摘あると言わざるを得ません。

■安保理決議は不当不正だが、それを破る前例ができて喜ぶのは帝国主義者
もちろん、前掲記事でも述べましたが、この安保理決議は、米欧諸国の帝国主義的な邪なる魂胆に基づく不当不正な封鎖政策でしかないと見ています。「北朝鮮の国際的義務」とは言うものの「悪法もなお法であると言えるのか?」という問題も論点に上げざるを得ないでしょう。

他方で、「不当な『義務』だから守る義理などない!」といった具合に取り決めを自己判断で安易に破ることは、「なんでもあり」に繋がりかねない点において、別の問題が存在するとも思っています。特に、資本とその代弁人たる帝国主義列強諸国が、「自由」の概念を最大限に悪用している現実に照らせば、各種の取り決めを「自己判断」で破る行為を前例として歴史に残したり、あるいは成文法的に認めることで一番喜ぶのは、ほかでもない帝国主義者たちです。反帝勢力は、あくまでも愚直に国際的取り決めを遵守する方向で努力すべきです。

■安保理決議が不当かどうかは問題の本質ではない
しかし、そうした北朝鮮の国際的義務」が不当な「義務」であるか否かなどは、そもそも問題の本質ではありません

共和国は目下、アメリカ帝国主義の急迫かつ不正なる脅威に直接的に晒されています。アメリカの甘言に乗せられて油断したり武器を置いたりした結果、政権を打倒されたり転覆させられたりしてしまった反米国家の例は、枚挙に暇がありません。いま、この段階で共和国が国防強化に油断・隙を見せたり、あるいは武器を置くようなことがあれば、あっという間に政権はひっくり返されてしまうでしょう。

法的な義務には例外がつきものです(違法性阻却事由)。共和国政府が一貫して述べていることですが、アメリカ帝国主義の急迫かつ不正なる脅威に直接的に晒されている共和国が弾道ミサイル開発を推進することは、国の自主権を保障するための、やむを得ぬ行為です。朝米間の明らかな戦力差・国力差を見れば、このことは単なる主観的なことではなく、客観的にも言えることでしょう。

■朝米間の明らかな戦力差・国力差からみて急迫不正な脅威に晒される共和国
つまり、北朝鮮の国際的義務」を不当・不正とみる立場からすれば、共和国の弾道ミサイル発射はそもそも不法行為ではないし、この義務自体は認める立場であっても、目下の共和国が置かれている状況を勘案すれば、その違法性は阻却されるので、不法行為にはならないのです。

もちろん、何を以って「緊急状態」とみなすのかは、突き詰めれば自己判断であり、依然として「なんでもあり」の余地は完全には防ぎきれていません。少なくない戦争は、「自衛」の名の下に起きたり、偶発的に発生したりしたことは、歴史的事実です。しかし、これ以上の縛りをかけることもまた、現実的ではありません。

■結論
以上のように私は、
@国連安保理決議は帝国主義勢力の邪なる魂胆を基盤としてできたシロモノではあるものの、それを「不当だから」というだけで破る行為は、帝国主義勢力にとって利益になるだけであり、極力避けるべきである。
Aそもそも共和国のミサイル開発は米帝の急迫不正なる直接的脅威に対する正当防衛である。
という点から、今回のICBM発射実験は、「安保理決議に違反するが、違法性は阻却され、不法行為ではない」と言えると見ています。
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2017年07月27日

政策としての朝鮮民主主義人民共和国における市場経済化は着実に前進している;韓銀推計という第三者的立場の分析からも明らか

http://japanese.joins.com/article/546/231546.html
>> 北朝鮮、昨年の経済成長率3.9%…制裁でも市場効果
2017年07月22日12時20分

北朝鮮に対する制裁にもかかわらず、昨年の北朝鮮の実質国内総生産(GDP)は以前に比べて大きく改善したという分析があった。韓国銀行(韓銀)は21日に発表した「2016年北朝鮮経済成長率推定結果」で、昨年の北朝鮮の実質GDPが前年比3.9%増加したと明らかにした。99年の6.1%以来17年ぶりの最高水準だ。

産業別には鉱業(15年マイナス2.6%→16年8.4%)と製造業(マイナス3.4%→4.8%)、農林漁業(マイナス0.8%→2.5%)、電気・ガス・水道業(マイナス12.7%→22.3%)の改善が目立った。

韓銀は2015年まで厳しい状況だった北朝鮮経済が回復に向かったのは「ベース効果」のためだと診断した。しばらく低かった数値が従来の水準に戻ったことで成長率の数値が大きく上昇したという説明だ。実際、韓銀が推定した北朝鮮の実質GDP成長率は7年間、マイナス1.1〜1.3%の間で推移していた。

(中略)
しかし専門家らは北朝鮮経済がこれより速いペースで成長中とみている。イム・ウルチュル慶南大極東問題研究所教授は「北の内需産業と建設業がかなり活性化し、民間投資も大幅に増え、実際の経済成長率は5%を超えるというのが学界の大半の意見」と話した。

チョ・ボンヒョンIBK経済研究所副所長は「昨年は中国内の鉱物需要が多かったうえ、石炭など鉱物価格が2015年より上昇し、北が鉱物輸出効果を享受した」と診断した。「下半期に入って輸出制裁があったが、民生目的の輸出は許されたため打撃は大きくなかった」という分析だ。

最も大きな動力は市場経済の活性化だ。北朝鮮の市場は個人が金を稼げる私設市場であり、金正恩(キム・ジョンウン)労働党委員長の執権後に200カ所から400カ所に増えた。チョ副所長は「昨年、市場が活性化し、北の生産工場の稼働率が高まり、独立採算制で企業の経営自律性も高まった」と伝えた。独立採算制とは、利益の一部を国に納め、残りの経営は企業に任せる制度をいう。北朝鮮は金正恩委員長の執権後の2014年に「社会主義企業責任管理制」を実施し、企業の自立権を拡大する措置を取った。

(以下略) <<
「国際社会から厳しい経済制裁を受けて孤立している北朝鮮」というストーリーにそぐわない、ファクトです。中央日報紙は、この高成長を「ベース効果」としています。それはおそらく事実だと私も思いますが、しかし、この状況下で「下げ止まりを見せた・踏みとどまった・正常化した」ということは、強調してもし過ぎることはないでしょう。

最も大きな動力は市場経済の活性化だ。(中略)昨年、市場が活性化し、北の生産工場の稼働率が高まり、独立採算制で企業の経営自律性も高まった」という分析は極めて正しい。このことは、当ブログでもたびたび指摘してきたことです。共和国は漸進的ではあるものの明らかに市場経済を取り入れる方向性にあると言えます。
チュチェ102(2013)年4月11日づけ「経済改革
チュチェ102(2013)年10月1日づけ「ウリ式市場経済
チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ
チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会
チュチェ106(2017)年1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!
チュチェ106(2017)年4月26日づけ「「キムジョンウン委員長が導入した市場経済」という、さりげないが画期的な一文

当初(チュチェ102年)私は、「とても喜ばしい方向性ではありつつも、俄かには信じられない」と述べました。それからわずか4年足らず。事実として市場の役割の拡大は続き、そしてそうした方向性を共和国政府は、「集団主義的競争」というキーワードで政策的に位置づけました。「互いに成功を学びあい、助け合い、切磋琢磨してゆく」タイプの競争を社会主義的競争と位置づけ、「弱肉強食の生存競争」としての資本主義的競争との違いを定義した点において、伝統的に難題だった「集団主義と競争原理の両立」に解答を与えたのです。

明らかに共和国は、市場経済を取り入れる方向に進もうとしています。そんな中での今回の韓銀報告。推測せざるを得ない部分があったとはいえ、朝鮮中央通信の公式発表とは異なる第三者的な分析においても、共和国経済の経済指標における前進が認められます。そしてその要因として、キムジョンウン同志の政策によるところが大なのです。つまり、キムジョンウン同志の政策的意図の下、共和国は漸進的に市場化を推進しており、そして事実として、第三者的な分析においても、その成果が出ているということなのです。

私は、中国共産党の「改革開放」と比較して、朝鮮労働党の「集団主義的競争」は、社会主義的原則により忠実でありながらも、経済的実利についても怠ることなく追求している点において、より現実主義的な社会主義であると言えると考えています(中国共産党はもう社会主義など追求していないのでしょうね)。社会主義者として、朝鮮労働党の「集団主義的競争」を支持するものです。

また、以前から述べているように、朝鮮労働党の政策は、新しいアイディアが実験的に実践されてから全面的に導入される例が多いという「科学的社会主義」を標榜する国にしては珍しい伝統的行動様式があります。「科学的社会主義」の信奉者たちは、その素朴な科学信仰のために、「合理」的な思考によって十分にシミュレーションできるなどと思いあがり、素人の浅慮に過ぎないシロモノを急進的・全面的に実践しようとする傾向があります。歴史的に見ると、強引な自然改造計画等も確かにありましたが、昨今は、市場経済化に特に顕著に表れているように、悪しき「合理」主義的傾向とは一線を画すようになってきています。この点についても、漸進主義者として私は支持を表明するものです。

市場メカニズムが生み出す自生的秩序を活用した、より現実主義的な社会主義を、漸進的に模索してゆく朝鮮労働党のチャレンジングな政策が、韓「国」銀行という第三者が公表する分析においても成果を見せつつある――キムジョンウン同志の経済政策は着実に前進しているようです。
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2017年07月26日

「法で縛る」という方法論の限界にこそ目を向けよ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170726-00006414-bengocom-soci
>> 「高橋まつりさんの働き方も合法化される」弁護士ら「高プロ・裁量労働拡大」を批判

7/26(水) 17:31配信

今秋の臨時国会で争点になるとみられる労働基準法の改正。政府は、裁量労働制の対象拡大や、年収1075万円以上の専門職を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度」(高プロ制)の導入を目指している。成立すれば、残業の概念がなくなるため、労働時間の増加が懸念されている。


(中略)

発言は、厚労省記者クラブで開かれた会見でのもの。会見には、労働系弁護士や過労死遺族の団体が参加し、「残業代ゼロ法案」とも呼ばれる、労基法改正案の「まやかし」を指摘した。各団体は「ピンチをチャンスに変え、廃案に持ち込みたい」としている。

(中略)

●裁量労働制の拡大に警鐘「高橋まつりさんの働き方も合法化される」

改正案では、高プロ制のほか、企画業務型裁量労働制を、法人営業に拡大することも盛り込まれている。企画業務型裁量労働制とは、企画・立案・調査・分析に当たる労働者を対象に、実際の労働時間と関係なく、決められた時間分の労働をしたとみなす制度だ。

しかし、裁量労働制は、単なる「残業代減らし」に使われていることが少なくない。弁護士らによると、裁量がほとんどなかったり、対象にならないはずの労働者に適用したりと、企業が独自の解釈で運用できてしまうのが現状だという。

過労自殺した電通・高橋まつりさんの遺族代理人も務めた、過労死弁護団全国連絡会議の川人博弁護士は、裁量労働制の拡大について次のように警鐘を鳴らした。

「サラリーマンの営業職は、法人に関連した営業が基本で、何らかの形で企画に関与しているというのが実態だ。高橋まつりさんについても、この範疇の中に組み入れられて、長時間労働の規制を一切なくす対象になりうる。企画業務型の拡大は、長時間労働を促進し、現在の状況を合法化してしまう」(川人弁護士)


(以下略) <<
相変わらず、労働界は電通の件を「単なる長時間労働の末の過労死」と位置付けているようです。あの事件の本質は、パワハラであるにも関わらず! 勤務時間という客観的証拠が挙がり易い長時間労働問題と比べて、パワハラ問題は証拠集めがより難しいので、「取り上げづらい・闘いづらい」という点があるとは思いますが、かくも本質から避け続けているのを見ると、結局のところ労働界は高橋まつりさんの死をダシにして、運動上の目的を追求しているだけなのではないかとも思えてきます。

アリさんマークの引越社のときも、チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でも述べたとおり、ブラック企業の被害者本人のために活動しているとは到底思えないような「支援」、事件を運動上の目的追求の手段としてしか捉えていないのではないかという疑念を強く惹起する展開が見られたものですが、今回も同様だと言わざるを得ません。

高橋まつりさんの働き方も合法化される」というのは警鐘のつもりなのでしょうか? たしかに、合法化されれば、いよいよ取り締まる根拠がなくなるでしょう。しかし、すでに労働法がマトモに機能しておらず、真っ黒な違法な働かせ方をしていても現に野放しです。そして、法で縛ったところで、そもそもブラック企業は法令順守意識に乏しいからブラック企業なのであり、裁判官のお説教程度で改心するはずがない極端な反社会的利己主義分子です。鈍重なる法規制ベクトルと悪賢く機敏なる回避ベクトルとのイタチゴッコ(ほとんどの場合、悪賢い回避側の勝ちでしょう)になるのがオチです。

以前から繰り返し述べているように、「法で縛る」という方法論の限界にこそ目を向けるべきであり、ある種の労働運動の再興こそが唯一の道です。もちろん、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」を筆頭に繰り返しているように、従来型労働運動は逆効果です。同年10月15日づけ「周囲の助けを借りつつ「嫌だから辞める」「無理だから辞める」べき」でも述べたように、「嫌だから辞める」「無理だから辞める」といった方法論を、労組や弁護士の支援の下で行うべきです。劣悪な労働環境からの脱出を階級的連帯の原理原則に基づいて支援するという意味での労働運動が必要なのです。

もっとも、そんなんじゃ弁護士のメシのタネにはならないのかもしれませんし、「正義感」とやらが許さないのかもしれません。しかし、前者については労組から顧問料を取ればいい話だし、後者についても、チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でも述べたように、労働者が安全な新天地に避難してからシロクロつけるという方法論があり得ます。弁護士のメシのタネや「正義感」という点では心配ありません。

ピンチをチャンスに変え、廃案に持ち込みたい」というのであれば、これを機に、「法的規制強化と法的規制緩和綱引き」という二次元的な視点に終始するのではなく、新しい意味での労働運動の展開という三次元的な方法論にシフトすべきです。
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2017年07月25日

全国一律最賃制度こそ、非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させる決定打

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-07-21/2017072104_03_1.html
>> 2017年7月21日(金)
今すぐ最賃全国1000円に
全労連が厚労省前宣伝

 全労連は20日、中央最低賃金審議会の小委員会が開かれた厚生労働省前で、最低賃金の大幅引き上げ・全国一律最賃制度の実現を訴える宣伝をしました。

 全労連の斎藤寛生常任幹事は「地域別最賃制度が格差を生み出し、地方からの人口流出と地域経済の疲弊を招いている。どの地域でも人間らしく生きられる全国一律最賃制度を実現すべきです」と強調。審議会や小委員会の議事を公開することも要求しました。

 全労連・全国一般の菊地亮太さんは、「中小企業への支援を抜本的に強化し、最賃引き上げを」と述べるとともに、労働者委員の公正任命を求めました。


(以下略) <<
■全国一律最賃制度の経済学的意味と帰結
最低賃金の大幅引き上げ・全国一律最賃制度の実現――コストコが既に実施している共通賃金制度を、国家として、最低賃金として実施せよという要求です。

コストコの例を見ると、地方においては、高い賃金額を提示する同社の求人に求職者たちが群がり、全体として賃上げトレンドが発生しているようです。そうしたトレンドの中でも営利企業は利潤を確保しなければならないので、当然、業務の効率化・合理化も進む。そして、そうした賃上げ圧力、合理化圧力に対応できない企業には、市場から退出を求められるようになりつつあります

高い水準の福祉と活気のある効率的な経済のサイクルとして伸ばし、従業員の待遇が悪い上に業務が非効率な企業の競争淘汰を促進し、産業構造を時代に合わせて柔軟に変化させる――以前から私が肯定的に取り上げている、スウェーデンを筆頭とする北欧諸国における最新の福祉国家モデルを日本で実現させてゆくにあたっての第一歩は、全国一律最低賃金と言えるかもしれません。

■非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させるための政策パッケージ
もちろん、北欧型の最新福祉国家モデルにおいては、企業の業務効率化を促進するための国家的な梃入れが充実しています。また、労働者・生活者を対象とした「ソーシャル・ブリッジ」のキメ細やかな構築によって、非合理的企業の競争淘汰を促進しつつ、倒産企業に勤めていた人物が路頭に迷わないようにしています。このことをスウェーデン元財務相のヌーデル氏は「人は守るが、雇用は守らない」という言葉で表現しています。さらに、公的扶助と就業訓練をセットにするといった福祉政策と経済政策の両方に作用する政策も設計されています。

また、チュチェ102(2013)年2月18日づけ「いやいや全然違うから共産党さんw」を筆頭に何度も述べてきたように、単なる賃上げではマクロ経済における好循環のキッカケにはなり得ないことを指摘してきました。消費支出の増加に起因する底堅い景気の好循環を達成するには、家計収入の増を「恒常的なフロー」によるものだと「期待」させなければならないのです。その点において、成長戦略の提示が必要不可欠です。

政策というものは常にパッケージとして同時に実施すべきものですから、全国一律最低賃金を単発的に施行しても失敗するだけです。全国一律最低賃金制度による高福祉と好景気のサイクルの生成・非効率企業の競争淘汰を軸に据えつつも、「人は守るが、雇用は守らない」型の補完的制度や福祉政策と経済政策の両方に作用する政策の構築をパッケージ的に行うべきでしょう。

全国一律最低賃金、よい提案だと思います。一時的には非効率的企業の倒産が相次ぐでしょうが、キチンとソーシャル・ブリッジを構築し、産業構造の変化を促進させることによって、長期的に見ればプラスの結果が返ってくることでしょう。

■日本共産党は、その狙いに相反する効果をもたらす方法論を掲げている
もっとも、おそらく日本共産党の平生の主張に勘案するに、彼らが言うところの「全国一律最低賃金」では、「大企業から高い税率で収奪し、その分を補助金として中小企業に配分して倒産を防ぐ」といった類の主張がパッケージ的に付随しているものと思われます。

恣意的な「価格保障」に走らないだけ補助金のほうがずっとマシ(M.フリードマンも言っているように、価格保障は中小企業保護においては逆効果です)ではあるものの、業務の効率性と企業規模は、本来はまったく別個の問題(たとえば、大企業は規模が大きい分、小回りが利きにくく、トレンドに機敏に対応しなければならない業界・分野では逆に非効率です)であり、着眼点がズレていると言わざるを得ませんが、それを差し置いたとしても、すでに成功事例を積み重ねている北欧諸国における歴史的経緯や現況と比較するに、このパッケージは逆効果というほかありません。

■北欧諸国(スウェーデン)の歴史的事実
北欧諸国、とりわけスウェーデンもかつて――教科書的なケインズ主義がまだ支配的地位を占めていた頃――は産業保護・企業保護を通して国民生活の安定化を目指していました。しかし、1980年代〜90年代に大不況に直面した同国は、経済再生なくして福祉の維持はないと正しく認識し、経済再建のためには産業構造を変化させなくてはならないという事実を認めました。それまでの産業保護・企業保護の方向性を大きく転換させ、競争淘汰による産業構造の変化を積極的に進めるようになったのです。

私がスウェーデンを特に肯定的に評価しているのは、このように、事実から出発し、正しい認識に基づく市場活用型の方法論に大きく舵を切ることができた点、一見して「新自由主義」的な大転換をしつつも、前述のソーシャル・ブリッジのキメ細やかな構築といった「福祉国家の核心」においてはプレることなく新しい制度を構築した点にあります。高い水準の福祉と活気のある効率的な経済のサイクルを現実のものとすることができた、北欧福祉国家モデルを進化することができたのがスウェーデンなのです(付け加えれば、福祉サービス受給者の選択の自由を確保するために、一定の公的水準の下に、福祉サービス供給の参入規制緩和・多様化に踏み切ったことも評価しています。日本では未だに、公共部門・行政部門がサービス供給を独占的かつ措置として実施すべきだとする風潮が根強く残っているのとは対照的です)。

■「頭で立っている」日本共産党
スウェーデンが、足で立ち、事実から出発した結果として放棄するに至った古タイプの福祉国家路線を、「頭で立っている」日本共産党は未だに大切にしています。スウェーデンと日本の社会構造には差異があり、スウェーデンの経験をそのままコピペ的に輸入することはできませんが、すでに明らかなる行き詰まりの前例がある方法論を持ち込んだところで、おおよその展開は読めるでしょう。また、こうして安易に補助金を出して経営を下支えすることは、チュチェ106(2017)年5月22日づけ「日本共産党議員の質問に見られるソ連・東欧型放漫経営の保険・損失補填理論」においても指摘したとおり、長期的・社会的に見て決してよいことではありません。モラル・ハザード的経営の企業やゾンビ的企業を増長させることになりかねません。もっと支出すべき対象があるはずです。日本共産党は、その狙いに相反する逆効果をもたらすプランを掲げているのです。

そしてさらに情けないのが、こうしたプランの理論的裏付けが、マルクス経済学によるものではなく、入門レベルのマクロ経済学の教科書に書かれている程度に過ぎないということです。もちろん、教科書で取り上げられている内容は、モデルとしては重要ですが、それをそのまま現実に適用してはなりません。マクロ経済学の発展の過程で、もっと深堀りされた論点が多数提唱されています。オリジナル性が皆無である上に3周遅れぐらいのプランしか展開できていないのが、いまの日本共産党なのです。以前から述べているように、もはやマルクス主義政党ではなく、原始ケインズ主義政党というべきでしょう。

全国一律最低賃金の方向性自体は、よい提案だと思いますが、日本共産党が全国一律最低賃金に付随させている政策パッケージを一瞥すれば、とてもではないが支持できない提案です。これは逆効果です。

■「人は守るが、雇用は守らない」という方法論のみが現実主義的
日本は「生業」の観念が未だに強いので、日本共産党員に限らず「人は守るが、雇用は守らない」という方法論に対しては感情論的反発もあり得ます。しかし、物事の優先順位を付けられるほどの知性があれば、「人は守るが、雇用は守らない」という方法論のみが現実主義的だと言うほかないでしょう

関連記事
チュチェ107(2018)年7月22日づけ「最賃引き上げによる非効率企業の淘汰促進におけるソフトランディング策について
そのほかの関連記事は、一覧:ラベル / 最低賃金からご覧ください。
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2017年07月20日

情けないほどの言行不一致とバカさ加減を露呈しつつも、ある意味で「健全」だった籠池氏の破滅

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170720-00000044-mai-soci
>> <森友学園>破産手続きに移行も 管財人、債権者に伝える
7/20(木) 12:03配信

 学校法人「森友学園」(大阪市)の民事再生手続きを進めている管財人が、再生手続きを打ち切って破産手続きに移行する可能性があると債権者に伝えていたことが分かった。国有地を購入して建設した小学校校舎の売却が難しく、期限までに再生計画案を作成できるかどうか不透明なため。管財人は「民事再生を断念したわけではない」として、売却に向けた協議を国側と続ける意向だ。


(以下略) <<
まあ、現実的に考えてもう無理でしょう。前々から見えていた破滅が、いよいよ確定するようです。

愚かにも安倍首相を「盟友」だと思い込んだ籠池氏。その時点ですでに「頭の悪さ」を告白しているようなものですが、安倍首相に梯子を外されるや否や、首相を「道連れ」にしようと形振り構わぬ行動に出たのには、私はとても驚かされたものでした。首相を道連れにしたところで自分の破滅が回避されるわけではありません。どうせ同じ時間を費やすのであれば、少しでも罪が軽くなるように取り計らったほうが遥かに合理的なのに、そうしなかった籠池氏。彼の「頭の悪さ」は、「悪賢いやつ」が幅を利かせている昨今において特徴的でした。

また、籠池氏の平生の時代錯誤的な右翼的言行と比較したとき、籠池氏のどうしようもない情けなさが際立ちます。右翼たるもの「大義」を貫かずしてどうするのでしょうか? 森友学園問題は確実に安倍政権の改憲プランを狂わせました。籠池氏が黙っていれば、ここまで安倍自民党は失速しなかったでしょう。教育勅語を有難がる籠池氏にあっては、憲法改正の「大義」を優先させて、自分が疑惑のすべての泥を被って沈没すべきでした。にも関わらず、いざ自分に火の粉が降りかかると「ボクちゃんカワイさ」のあまり民進党の安倍追及チームに接近したり、「ボクちゃんを見捨てた安倍憎さ」のあまり秋葉原の首相街頭演説に乱入――最終的に共産党を利する結果に――したりと散々な言行不一致を見せつけ、安倍首相の改憲プランを狂わせるという「暴挙」に出、男を下げたものでした。

籠池氏の一連の悪あがきは、結果的に彼の破滅を回避できませんでした。それどころか、自分自身の合理的思考能力のなさを露呈し、甚だしい言行不一致という醜態を見せつけました。エラそうに「愛国」を語る手合いなど、どーせこんなもんだろうと思っていましたが、そのものズバリに実証してくれたのが、籠池氏だったのです。「愛国」など所詮は、ウヨ坊やの自己満足でしかないのでしょうねwひとつの貴重なサンプルになりました。

他方、時代錯誤的な右翼思想を公言していた籠池氏が、いざ自分に火の粉が降りかかると掌を返したことは、「右翼はそこまで狂信的ではなかった」ということをも実証している点、悪いことばかりではなかったとも思っています。

たとえば、この問題が左翼業界だったら、どういった展開を見せたでしょうか? おそらく、籠池氏ポジションの人物は、真相を墓場まで持って行ったことでしょう。右翼の「大義」は「ボクちゃんカワイさ」の前ではまったく何の歯止めにもなりませんでしたが、歴史的実例を鑑みれば、左翼の「大義」は、文字通り「死守」されがちです。

まあ、左翼業界においては下手なことを言えば本当に殺されかねないし、左翼活動家は身も心も生活基盤も、全身全霊(あいつら唯物論者だから「霊」ってことはないか)を運動に懸けてしまうので、途中で理屈の矛盾・誤謬に気が付いても後戻りできないという事情もあるとは思いますが、そうだとしても彼らの「大義に対する献身的姿勢」は、狂信的です。

籠池氏のように「ボクちゃんカワイさ」などという極めて個人的な動機でクルッと掌を返せるというのは、左翼の狂信性に比べると、右翼はバカかもしれないが、まだ「健全」なうちに入るのかもしれませんね。

あー面白かったw
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2017年07月19日

労組が個別労働者から取捨選択されるようになった時代、あるいは単なる労働界の内ゲバ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170719-00000094-asahi-pol
>> 連合へ労働者が異例のデモ 「残業代ゼロ、勝手に交渉」
7/19(水) 21:22配信

 専門職で年収の高い人を労働時間規制から外す「高度プロフェッショナル制度(高プロ)」を条件付きで容認する方針に転じた連合への抗議デモが19日夜、東京都千代田区の連合本部前であった。日本最大の労働組合の中央組織として「労働者の代表」を自任してきた連合が、働き手のデモに見舞われる異例の事態だ。

 「一般の働く人々の権利と生活を守るために動くのが労働組合の役割のはず。連合執行部は今回の一方的な賛成表明を撤回し、存在意義を見せてほしい」

 午後7時に始まったデモの冒頭。マイクを手にした男性はこう訴えた。参加者たちはプラカードやのぼりを掲げ、「残業を勝手に売るな」などとコールを繰り返した。参加者は午後9時までに100人ほどに膨れあがった。

 今回のデモのきっかけは、高プロを「残業代ゼロ法案」と批判してきた連合が一転、執行部の一部メンバーの主導で条件付き容認の方針を決めたことだった。連合傘下でない労組の関係者や市民らがツイッターなどで呼びかけたメッセージは「連合は勝手に労働者を代表するな」などのキーワードとともに拡散。参加者の多くはツイッターでデモの開催を知り、仕事帰りに集まったとみられる。

 都内の清掃作業員、藤永大一郎さん(50)は「労働者に囲まれ、デモまでされる労働組合とは一体何なのか。恥だと思ってほしい」。
(中略)「年収1075万円以上」などが条件となる高プロの適用対象となる働き手はごくわずかだが、デモの呼びかけ人の一人は「年収要件などはすぐに緩和されて対象が広がる」と心配した。

最終更新:7/19(水) 21:22<<
労組が労働者からデモられる――私は、「自主権の問題としての労働問題」という一連の労働問題考察シリーズにおいて、再三にわたって、「労組・ユニオンもまた個別労働者から競争淘汰されなければならない」と述べてきましたが、ようやくそういう動きが出てくるようになってきたのでしょうか? 

もしそうであれば、良い傾向です。私の持論について、当該記事から再掲します。
チュチェ104(2015)年12月19日づけ「今野晴貴氏の無邪気なユニオン論――ユニオンに「強制力」と「階級的矜持」はあるのか? ユニオンにも警戒せよ!
>> ■ユニオンも競争淘汰されなければならない
ユニオンが「労働貴族の荘園」と化さないためには、ユニオンもまた個別労働者のチェックをうけなければならず、役に立たないユニオンは淘汰されなければなりません。 その点では、「労働不売運動の組織化」は現実的ではありません。そういう方法論を実現させるためには、「鉄の団結」が必要になってしまうからです。鉄の団結は腐敗の温床です。

一人ひとりの生活者の自主権の問題として労働問題の解決は、「競争的市場の基本原理」を意識しながら特定企業との癒着・依存を絶ち、自分自身の自主的立場を担保するパワーを確保すると同時に、「労組も所詮は欲のある人間の組織」という現実的な認識に立ち、「労組の階級的矜持」などという心許ないものに過度な期待を寄せず、単純な二分法に基づいて短絡的に労組に組するのではなく、特定労組との癒着についても警戒を持って、自主的・取捨選択的に対応しなければならないのです。自主的・取捨選択!
<<

労組ではありませんが、強大な大企業への対抗戦略について論じているという共通点において、チュチェ105(2016)年4月12日づけ「「一般論としての結束の必要性」と「特定組織への結束の必要性」とを混同させる共産党組織論
>> しかし、「一般論としての結束の必要性」が正しくとも、「指定生産者団体への結束の必要性」は、必ずしも正当化されません。現行制度解体で一旦バラバラになった個別生産者が、参加・脱退・移籍自由の原則で、改めて自主的に生産者団体を作り、市場の中で存在感を示し、価格交渉力をつければ良いだけです。本当に酪農家たちにとって必要性があるのならば、現行の指定生産者団体に比肩する規模を誇る団体が自生的に形成されるでしょう。酪農家の自主的決断の末の自生的秩序としての同業者団体は大変に結構なことですが、既存の指定生産者団体の枠内に機械的・割り当て的に押し込むべきではありません。生産者たちの自由なアソシエーションに委ねるべきです「割り当て」と「自由なアソシエーション」は、決定的に異なるのです。レーニンでさえ、集団化は人民の自発性に基づいて進めるよう原則化しています。

スターリン主義者は、「一般論としての結束の必要性」と「特定組織への結束の必要性」とを混同させ、論理を飛躍させることで、共産党組織への機械的・割り当て的な一本化を正当化しますが、本件赤旗記事は、まさにその典型的なパターンに基づいています。この混同こそがスターリン主義の重要な一要素である点、日本共産党はいまだにスターリン主義の残滓を引き継いでいると言う他ありません。

こうした混同は、従来は「科学の目」なるもので正当化されてきました。「真理・真実を科学的に解明した唯一正しい方法論に基づく無謬の党」という位置付けです。しかし、商売のことは現場の商売人がよく知っているものです。少なくとも、党幹部・同業者団体幹部が設計できるものではありません。それは歴史的にも実証されていることです。やはり、現場の商売人たちの自主的な判断による離合自在の組織形成に委ねるべきです。現場の商売人だって万能ではないので、「理論的に最高」ではないかもしれません。しかし、「現実的に最善」にはなるでしょう。
<<

もっとも、このデモに全労連・共産党の息が掛かっていれば(仮定)、あるいは、もともと「反連合」の立場をとっている労働者によるデモであれば、単なる労働界の内ゲバでしかありませんがねw(私みたいに「反創価学会・反共産党」の立場にたつ人間が、たとえば、信濃町駅前で創価学会批判街宣を展開したり、代々木界隈で共産党批判街宣をしたところで、そんなもの平壌・・・じゃなくて平常運転でしかないでしょう。それと同じ)

連合傘下でない労組の関係者や市民らがツイッターなどで呼びかけたメッセージ」という記事本文中のくだり、「デモの呼びかけ人の一人は「年収要件などはすぐに緩和されて対象が広がる」と心配」という「定番の煽り方」(世の中のほとんどの物事は「0〜100までの連続値に関する程度問題」だが、「革命的」な人たちはしばしば、「0か100かの離散値問題」として捉えがちであり、かつ、「0か100かの離散値的闘争」では勝てるのに「連続値に関する程度問題」では勝てないとする「中途半端な無力感」――「すぐに緩和されて対象が広がる」ときになったら闘えば? 「その時では遅い」というくらい労働者が無力無能ならば、いま闘ったってどうせ負けるでしょ? なぜ今だけは勝てるの?――が特徴的です)、そして「都内の清掃作業員」として紹介されている藤永大一郎氏のお名前で検索すると最初にヒットするTwitterアカを見るに、内ゲバ疑惑は否定しきれません。。。藤永さん、ゲバラ信者なんだ・・・これ一般労働者かね? (まあ、チュチェ思想信奉を明言している私が他人様について言えた立場ではないけどw)ゲバラ信者なんて、労働者の一員であることは間違いないでしょうが、代表としての相応しさには乏しいと言わざるを得ませんよねー

ところで話は変わりますが、朝日新聞編集部は、インタビューに答えた人物の氏名について、読者がググらないとでも思っているんでしょうかね? なんでこんなすぐに「答え合わせ」できるような人物をピックアップしたのか。。。うーむ。。。
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2017年07月17日

老害が幅を利かせる自民党において復活の兆しはなさそう

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170717-00000015-pseven-soci
>> 村上正邦氏「公明党は裏切って都民ファと組んだ。卑怯だ」
7/17(月) 16:00配信

 東京都議選で惨敗した自民党に対し、かつての重鎮は嘆いている。参議院議員会長、労働大臣を歴任した村上正邦氏(84)が諫言する。

 * * *
 今回の都議選で、公明党は自民党との選挙協力を解消して、風が吹いている都民ファと連携し、全員当選を果たしました。国政には反映しないといいながら、都民ファと組んだのは裏切りで、私は卑怯だと思う。

 自民党は怒るべきで、それこそ、国政での連立を解消してもいいくらいだ。

 ところが、自民は何もいわない。公明抜きでは選挙に勝てないからです。安倍総理が出してきた憲法改正案も、「改憲」ではなく、追記する「加憲」ならギリギリ認めるという公明に配慮し、妥協で生まれた産物です。そんな改正案で信を問うなど国民を馬鹿にしています。与党第一党としてあまりに情けない。

 公明に配慮することで歪みが生まれているわけで、私はいまこそ、公明党を切るべきだと思う。実際のところ、選挙で勝てる支持母体を持っているのは、公明と共産だけで、農協や宗教団体など自民の支持母体が弱体化しているのは現実です。


(以下略) <<
創価学会・公明党の肩を持つつもりはないし、そんな義理もない私ですが、村上氏が言うような、ムラ社会的というほかない視野の狭い、誤った「義理人情」観には明確に反対を述べたい。そしてまた、自民党は、さっさと村上氏のような老害を切り捨てないと復活できないぞと言いたいのであります。いやまあ、自民党なんて復活しなくてもいいんだけどね。

結論から言ってしまえば、公明党は独立した一政党であり、その支持者の期待を背負っています。完全なる自業自得で自滅的に敗北した自民党と共に沈む義理などまったくないのです。自党党員・支持者の期待に対する応答義務と、国政において連立を組む自民党に対するショボい「義理」とのどちらを優先すべきかと言えば、前者を優先するのは当然すぎることです。だいたい自民党は、公明党が自爆したときに共に沈没する覚悟はあるんですか? ないでしょう。

村上氏は、自民党の視点でしか物事を考えられていないのでしょう。だから「公明党の裏切り」なんて馬鹿馬鹿しいことを口走るのです。公明党の立場に立てば、党員・支持者を優先して自民党を切り捨てるのは当然です。こんな勘違い甚だしいことを口走っている村上氏は、政界における狭くショボい「義理」を優先するあまり、天下国家・有権者の付託など意に介してこなかったのでしょう。政治家失格。こんなのが労働大臣だったのか・・・

また、公明党という政党、もっと言えば、その支持母体である創価学会という宗教団体は、きわめて即物的現世利益を追求した教義を持っているので、そもそも「立場的に筋を通す」ということをそれほど重視していません。むしろ、「現在の状況において、『自分たちの目標』に少しでも前進するためには、どういう身の振る舞いをすべきか」ということに対して常にアンテナを高くしている人々です。自分たちの目標を達成するためであれば、何でも柔軟に利用するのが創価学会・公明党の方法論です。創価学会第2代会長の戸田城聖氏は、「ご利益のない信心など意味がない」とまで言っているんですから(通常の宗教観であれば、ご利益の有無にかかわらず、ひたすらに祈り続けるものですが、創価学会の宗教観はそういうものではないようです)。

これは決して悪いことではないと思います。たとえば、政局によって自民党支持を共産党支持に転向するような所業は、「目標のブレ」になるので、非難されてしかるべきでしょう。しかし、自民党支持から都民F支持に鞍替えする程度は、単なる「立場に関する戦略的鞍替え」。立場上の「筋を通す」ことを重視するあまり「達成すべき目的」を蔑ろにすべきではありません。筋を通すべきは「立場」ではなく「目標」、優先すべきは「立場」ではなく「目標」。目標においてブレがなければ、立場におけるブレなど大した問題ではありません使えるものを道具として使い倒す。相手の基本的権利を侵害しているわけではないのであれば、いったい何が悪いんでしょうか?

ほとんど同じような支持基盤を持ち、似たような主張をもつ共産党と公明党が、前者が結党96年目になるにも関わらず、立場的な「筋」を通そうすとるあまり、戦略次第で十分に進められたであろう課題も進めきれていない(最近は野党共闘路線によって改善されつつあると思いますけど)一方で、結党53年目の後者が、上手い身のこなしで少しずつではあるが着実に目標へ前進しているという事実における「差」からも、このことは言えるでしょう。

昨今の社会状況は、確実に「筋を通す」ことよりも「上手く立ち回って本望を果たす」ことにシフトしつつあります。もちろん、まだ政治の世界は、比較的「筋を通す」ことが賞賛される雰囲気が残っています。政治というものは、未だに「幕末の志士」の如く遠大な理想を掲げて刻苦奮闘するものというイメージがあるのでしょう。しかし、一般庶民の日常生活に目を転じれば、たとえば昨今の転職市場の隆盛は、「今の勤め先の状況では、やりたいことは十分には果たせないが、刻苦奮闘し続け、いつの日にかやりたいことができる立場にのし上がるのだ!」という旧来型の思考よりも、「やりたいことは十分にできる環境にさっさと鞍替えしよーっと」という思考が優勢になりつつあることを示しています。こうした社会的な思考トレンドの変化は、遠くないうちに政治の世界にも波及することでしょう

こうした社会的な思考トレンドの変化の時代にあって、仮に村上氏の願望どおりに自民党が「選挙で勝てる支持母体」を一旦のところ作ることができたとしても、何があっても地獄の底までお供してくれるような暇人は、今の時代ほとんどいないでしょうね村上氏の考え方は、時代遅れ甚だしいのです。

ちなみに、記事中において村上氏は、「与党第一党としてあまりに情けない」などと嘆いて見せていますが、そもそも自民党が「与党第一党」で居られること自体が、公明党の尽力の賜物です。自民党の支持基盤は公明党であり、創価学会なのです。勘違いしないように。ほんと、この爺さんは本質を見誤っているんですね。早く自民党は切り捨てたほうがいいですよ。いやまあ、個人的には村上氏のような馬鹿をもっともっと重用して、没落路線を突進していただきたいものですがw
ラベル:政治 社会
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2017年07月16日

自衛隊幹部OBの発言から透けて見える中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の発想

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170711-00000002-pseven-kr
>> インフラ破壊し1年後に9割死亡 「電磁パルス攻撃」の恐怖
7/11(火) 7:00配信

 核攻撃と聞けば、多くの日本人は広島、長崎の原爆投下のような被害を想定する。だが、それとはまったく異なる脅威が存在する。核を高高度の上空で爆発させる「電磁パルス攻撃」だ。元陸上自衛隊化学学校長の鬼塚隆志氏が電磁パルス攻撃への対策を講ずるよう訴える。


(中略)

 日本がまず行うべきは、社会的インフラにおける脆弱性の把握だ。日本企業の技術屋は各々が受け持つシステムの弱点を知っているが、企業が被る不利益を考えて公言しないだろう。そこで政治がリーダーシップを発揮して民間企業から情報を集め、迅速な復旧のための予備部品をストックし、重要なインフラには電磁波遮蔽(シールド)機能を施すなど、平時から対策を講じる必要がある。

(中略)

【PROFILE】おにづか・たかし/1949年生まれ。防衛大学校卒業後、自衛隊入隊。陸上自衛隊富士学校特科部長などを経て、2004年、陸上自衛隊化学学校長兼大宮駐屯地司令。2005年退官。

※SAPIO2017年8月号
<<
自衛隊OBの大センセイのご高説。電磁パルス攻撃の脅威について余すところなく論じていますが、残念ながら、対策については「素人的」というほかありません。「自衛隊幹部OBの指摘に『素人』と言うお前は何者なんだよw」と言われれば、「一民間人」と答えるほかありませんが、基礎的な経済学の勉強を一通りしてき、今もなお研究している身としては、そういう他にないのです。

日本企業の技術屋は各々が受け持つシステムの弱点を知っているが、企業が被る不利益を考えて公言しない」から、「政治がリーダーシップを発揮して民間企業から情報を集め」るべきだ、という鬼塚氏の構想は、国防問題と経済問題という分野の違いがあるとはいえ、個人が私的に独占している技術的情報を、何らかの「大義」に基づいて「聞き出す」という点に共通点を見出せば、20世紀前半にF.A.ハイエクがその完全なる失敗を予言し、予言通り一つとして成功しなかった中央集権的指令経済(社会主義計画経済)のプランとまったく同じです。

中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の困難性は、大きく2段階に分類できます。第1段階は「計画立案の困難性」です。「社会的な好ましさ」を誰がどう決めるのかという困難性です。一人ひとり嗜好も利害関係も異なり、錯綜しているのだから、それを調整することが難しいのは、素人考えでも分かるかと思います。理論上は、ワルラスの一般均衡理論を使えばパレート最適には到達します(左翼はワルラス的ミクロ経済学を「近代経済学」などと罵倒・嘲笑しますが、自分たちの目標を達成するにはワルラスの枠組みに則るしかないんですよねw)が、パレート最適状態と公平性はまた別問題です。また、実際問題として考えたとき、そうスムーズにワルラス的にパレート最適に至るはずもなく、「いつまでも決まらない」か「見切り発車的にある一定の『好ましさ』を押し付ける」ことになるのがオチです。

計画立案の時点で中央集権的指令は、理論上は可能であるものの、実際的には実施困難であることが見て取れます。もっとも、国防問題は経済問題に比べて「大義名分」を振りかざし易い(「祖国防衛の大義」を押し付け易い)性質があるので、「社会的な好ましさ」の設定という論点はそれほど困難ではないのかもしれません。しかし、第二段階の「実施に必要な情報収集の困難性」によって、経済問題はもとより国防問題においても、中央集権的指令の構想は破綻に追い込まれます

この論点が抱える問題点は、簡単に言ってしまえば大きく2つあります。@「生産にかかる技術的情報は、いわゆる『暗黙知』によるところも大きいので、そもそも言語化して伝達すること自体が困難である」とA「『自分しか知らない儲けのタネになる情報』や『自分しか知らない自分の不利益になる情報』を、易々と公表する馬鹿はいない」ということです。

ハイエクを研究するにあたっては@の要素が極めて重要(個人が私的に独占する情報が、「お上からの指令・組織化」なくして如何にして社会全体の組織的秩序に自生的に進化してゆくのか)ですが、今回の主題に沿ってAについて述べましょう。これは至極当然のことです。誰が儲けのタネを大声で話しますか。誰が、黙っていればバレずに済む情報を自分から告白しますか。インセンティブなくして私的に独占している技術的情報を進んで公表するはずがないのです。現実の社会主義計画経済は、そのイデオロギー的要請から、個人に対するインセンティブの付与に対して消極的でしたが、そのことは、個人が私的に独占している技術的情報を引き出すことについに成功できなかった一大要因です。他方で、「革命の大義」(「祖国防衛の大義」によく似ています)なるものに基づき、強権を振りかざして「自白強要」的に技術的情報を聞き出そうとしたものの、とんでもない独裁政権が出来上がった割には、いわゆる「上に政策あれば、下に対策あり」で、かわされてしまい、必要な情報を集めきれず失敗したのが歴史的事実でした。

このことは、ハンガリー人民共和国(共産政権)において実際に経済管理行政を経験したコルナイ(Kornai János)も明確に述べている点、単にハイエクという理論家が象牙の塔において構想した仮説の域を脱していないストーリーではなく、実験的に実証済みの客観的事実です。コルナイの自伝はなんと邦訳されている(1冊5000円くらいするけど)ので、該当部分を以下に引用します。
 この問題を今の頭で考え直してみると、既述したハイエク・タイプの議論に辿り着く。すべての知識すべての情報を、単一のセンター(中央)、あるいはセンターとそれを支えるサブ・センターに集めることは不可能だ。知識は必然的に分権化される。情報を所有するものが自らのために利用することで、情報の効率的な完全利用が実現する。したがって、分権化された情報には、営業の自由と私的所有が付随していなければならない。もちろん、最後の断片まで情報を分権化する必要はないとしても、可能な限り分権化されているのが望ましい。
 ここで我々は、「社会主義中央集権化の標準的な機能のひとつとして、数理計画化が有効に組み込まれないのはどうしてだろうか」という問題を越えて、「所与の社会主義政治・社会・経済環境の中で、中央計画化が効率的に近代的に機能しないのはどうしてだろうか」という一般的な問題に辿り着く。
 計画化に携わる諸機関の内側で、長期間のインサイダーとして仕事に従事してみて、
(中略)社会主義の信奉者が唱えるような期待は、どのような現代的な技術を使っても、社会主義の計画化では実現できないという確信がより深まったのである。
コルナイ・ヤーノシュ『コルナイ・ヤーノシュ自伝 思索する力を得て』(2006)日本評論社、P158から

防大卒で陸自化学学校長を経験した鬼塚氏が、経済学の中でも玄人好みといえる分野(制度経済学と社会主義経済学の重複部分)に通暁しているとは思えないし、SAPIO編集部に教養があるとは到底思えないので、今回は仕方なかったのかとも思っています。国家社会を論じるというのは総合問題を解くようなもの。誰しも自分の専門外には詳しくないものです。

とはいえ、自衛隊幹部OBの言い分と、独裁政治に必然的に堕落した中央集権的指令経済(社会主義計画経済)論者の言い分が瓜二つに類似したことは興味深いことです。「政治がリーダーシップを発揮して民間企業から情報を集め、国防体制を固める」とする鬼塚氏の言い分からは、計画経済が独裁に転落した上に失敗した轍を踏みかねない危険性が見て取れます。他方で、「国防体制を固める」という大義名分は、しはしば個人の人権を抑圧・蹂躙するものですが、人権を声高に主張する社会主義勢力のプランが、インセンティブ無視の「自白強要」のプランと構造的にほぼ同じである点からは、「社会主義が掲げる理想像は、社会主義が掲げる方法論では達成しえないのではないか」という懸念を惹起します。両者とも、歴史的事実としてレーニンが「戦時共産主義」という、興味深いスローガンのもとに何をやったのかを、よく学びなおすとよいでしょう。なお、Новая экономическая политика(НЭП;ネップ=新経済政策)は、カーメネフに対する書簡を見るに、レーニンの本望とは言えないのではないかと思われます。

自衛隊幹部OBの発言から透けて見える中央集権的指令経済(社会主義計画経済)の発想――歴史に学ぶ姿勢からみれば、失敗と独裁への転落は目に見えています。単に独裁政権になるだけならまだしも(それもそれで嫌ですけどね)、失敗しているようではまったく意味がありません。こわいこわい。
ラベル:社会 経済 経済学
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2017年07月12日

自分本位の善意の押し付け、善意の逆切れ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170712-00000008-jct-soci&p=1
>> ネットの「善意」の盲点 九州豪雨で「タオル大量送付」が起きたワケ
7/12(水) 14:53配信

 「皆様の支援で助かっていることは確かです。ただ、それで『困っている』部分もあるんです」――。2017年7月12日、J-CASTニュースの取材にこう話すのは、九州での豪雨被害を受けてSNSに「タオル支援」を呼び掛けた大分県日田市の女性だ。

 12日昼時点で、女性の元には段ボール約500箱分のタオルが届いている。また、一時は支援に関する問い合わせ電話が1日に100件近くもかかってきた。当人は「対応に追われている」として、「まさか、こんなことになるとは...」と話す。


(中略)

 浸水の影響で店舗と自宅は泥だらけになり、掃除に必要なタオルが足りなくなった。そこで、5日夜に更新したSNSで、浸水被害の状況を写真付きで紹介するとともに、

  「古いタオル、全国から大募集」

などと、住所と電話番号を添えて呼び掛けた。

 この呼びかけには多くのネットユーザーが反応。翌6日までにシェア数は500件を超え、大量のタオルが届くことになった。直接、店舗までタオルを届ける人もおり、6日朝に、

  「タオル十分足りてます!」

と投稿。その後6日夕になって、「混乱を招く」ためタオル募集を呼び掛けた投稿を削除したことを報告した。

 だが、その後も大量のタオルが届く。一部のブロガーやツイッターユーザーが、削除済みの「タオル募集」投稿の拡散を進めたことが原因だ。8日の更新で「(タオルは)送らないでください」と発信。続けて、

  「タオルは現在募集しておりません。(中略)問い合わせが殺到して、対応が大変な状況です。facebookしかしていませんが、ツイッターで蔓延しているそうです。困っています。ご協力お願いします」

とも呼び掛けた。

問い合わせ電話は1日「100件」近くに

 だが、それでもネットの「拡散」は止まらない。女性が「送らないでください」と訴えた8日以降も、ツイッターには、

  「雑巾がたくさん必要だそうです」
  「古いタオルわりとあるからおくろうと思う」
  「まとめて現地に送ります」

とのコメント付きで、タオル支援を広く呼び掛ける投稿が寄せられていた。中には、タオル募集を中止した事などを伝えるツイートもあるのだが、「拡散」を食い止める力はなかったようだ。

 こうした「拡散」の結果、どれだけのタオルが送られてきたのだろうか。

 12日昼に当人に話を聞くと、「これまでに、段ボール500箱近くですかね」。現在も段ボール単位でタオルが届く状況だという。また、一人だけでは大量の荷物に対応できないため、周辺の住民にタオルの受け取りや仕分けの「ボランティア」も依頼しているそうだ。

 さらに、支援の「問い合わせ電話」にも追われているという。支援ができないかと尋ねてくる電話は「すべて断っている」とした上で、

  「一時は、1日100件近くの問い合わせがありました。本当に、朝から晩までひっきりなしに電話がかかってくる状況で...。今は少なくなりましたけど、まだ電話は来ますよ」

としていた。

 こうした状況を説明した上で、支援への対応に追われ「日常生活が大分削られているのは事実」として、「やっぱり、過剰な支援に困っている部分はあります」と話した。

「ネットの良さと怖さの両方を感じた」

 ただ、送られてきたタオルは「決して無駄になっていません」とも訴える。集まったタオルを周辺住民に配布したり、近隣の避難所にまとめて送ったりと、タオルの支援で「地域が助かっていることは確か」だという。

 その一方で、「まさか、こんなことになるとは。ネットの良さと怖さの両方を感じた」とも漏らす。そう感じた理由については、

  「問い合わせの電話に対応する中で気づいたんですが、皆さん『私の投稿』を見ているわけではないんですよ。拡散、転載された投稿だけを見て電話をしてくる。だから、もう支援を打ち切っていることにも、全然気付いていないんです。『助けたい』という気持ちばかりが先行していたような人もいました」

と説明する。


(中略)

 今回の取材の終わり、「今後は物資を貰うつもりは一切ありません」と一言。その上で、

  「皆さんにも、改めて考えて頂けたら嬉しいです。ネットで拡散されている情報だけを見て、被災地に物資を送ることが本当に正しいのか。その善意が、本当に被災者の助けになるのか。私自身も、過去に被災地に支援物資を送ったことがあります。こうした自分の過去の行動も含めて、今回の出来事は、支援のあり方をみんなで考える良い機会になったんじゃないかと、そう思っています」

と話していた。


最終更新:7/12(水) 21:28
<<

我が国には「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「有難迷惑」「本末転倒」という言葉がありますが、それらに照らしてまったく同感の記事であると同時に、叩かれないかヒヤヒヤしながら読んでいましたが、案の定、その手の連中からコメ欄でアレコレ言われています。昨今のいわゆる「善意」が、単なる自分本位な自己満足にすぎないことを明白に示す好例です。

まずはコメ欄から拾ってみましょう。
>> 足りないから送って(願)
足りたら迷惑だから送らないで(泣)って。
この人ちょっとわがままなんでは?
大震災経験者だから、確かに大変なのも気持ちはわかるけどさ
支援してもらって当たり前じゃないんだよ。
当たり前だと思っているからこういう言い方になる。
送る側も考えなくてはいけないけど、
善意を踏みにじった感じのするこういう言い方はよくない。
もっと違う言い方があったのでは?
<<
支援してもらって当たり前ではない」――この反発している手合いの根本動機は、おそらくここにあるのでしょう。「支援してもらって文句を言うとは何事だ! 立場をわきまえろ! どーせ支援してもらって当然とか思っているんだろう!」といった具合であることは、想像に難くありません。

しかし、取材に応えた女性はそんなことは全く述べていません。しっかり読みましょう。そして、我が国の「過ぎたるは猶及ばざるが如し」「有難迷惑」「本末転倒」という言葉を思い起こしましょう支援というものは、相手の役に立ってこそのものです。受け手にとって有益・役に立つのであれば意味のある善意であり、そうでない「善意」には価値はないのです。善意であるかどうかというのは、究極的には論点ではないのです。たとえば、売名目的であったとしても、被災者の役に立つ供給をする集団と、善意の塊ではあるものの、見当違いの物資をひたすら送り続ける集団であれば、前者のみが有意義なのです。

事実として、思慮の足りない「支援」は、被災地にとって「有難迷惑」になっています。その心遣いは有難いけど迷惑なのです。その心遣いは有難いけど役に立っていないのです。取材に応えた女性の言い回しの慎重さを見るに、「有難いけど困っている」ということがよく分かります。容易に誤解されそうなテーマで敢えて取材に応えるというのは相当難しかったことでしょう。また、JーCASTニュースの割には慎重にインタビューを切り貼りしているところを見るに、編集部も相当苦慮したものと思われます(ちなみに私はこの記事で「有難迷惑」という言葉を多用していますが、取材に応えた女性はこの言葉を一切使っていませんので、ご注意ください)。それでもなお噛みつく自称「善意」の人たち。成果を出していないのに、「ボクちゃんこんなに頑張ったんだもん!」と喚く姿を見るに、「善意」などというものは、結局のところ、ボクちゃんの自分本位な自己満足にすぎないのでしょう

このことは、女性が「もうタオルは足りています」と言明し、必死に最新情報を発信しているにもかかわらず、古い情報を目にした「善意」のネットユーザーたちが現地の最新情報を自ら調べようともせずに脊髄反射的にタオルを送り続けている事実からも推察できます。本当の善意であれば、いまこの瞬間に被災者たちが何を求めているのかを自らしっかり調査したうえで支援計画を立てるものです。そして、自らの支援活動が被災者たちの「困った」を解決できていないという事実に直面したときには、素直に直ちに認識と行動を改めるのです。それが本当の意味での善意、「被災者の役に立つことを目的とする善意」です。

その点、以下に挙げるコメントなどまさに、「見当違いの善意」のど真ん中。
>> 豚高菜のパスタが旨い | 6時間前

この人の言ってることも分らんでもないけど、タオルを送った人や支援の問い合わせをしてる人って、本当に善意なんだよ。
確かに支援を考えるきっかけにはなるんだろうと思うけど、なんかこの文章だけ読んでると腑に落ちない。
<<
本当に善意」だから、いったい何なのでしょうか? 成果が上がっていなければ意味がないの。「動機」だけでプラス評価されるのは学生のうちだけなの。

女性の、最初の支援要請の発信にケチをつけるのも出る始末。
>> cho***** | 5時間前
記事読んで違和感…この人のFB見て嫌悪感に変わりました。

確かに拡散する側にソースの確認や現状の確認が足りてなかったかもしれないけど、元々の発信で期限等決めてなかったのは自分のミスでしょ?

それなのに拡散した人から謝りの連絡が来ました!自分から謝れてよかったね!みたいな投稿があって引きました。

大変だと思うけど、酷すぎ。
<<
責任問題に係るアラ捜しは、昨今の日本社会を覆う一つの悪しきトレンドですが、ヤフコメの右に出るものはなかなかいません。これはまた貫禄を見せつけてくれるアラ捜しっぷりです。日ごろから責任の押し付け合いをするような過酷な環境で生きているのでしょうか? それはさておき、「期待可能性」というと刑法の専門用語になってしまいますが、この考え方を援用してみると新しい地平が見えてくると思いますよ。

さらに言えば、コメントでは明白には書かれてはいませんが、行間からにじみ出てくる「立場をわきまえろ!」といった認識も誤っています。そもそも、天災は非人為的かつ確率的なものですから、その支援活動というものは「お互い様精神」を基礎基盤とするものです。「支援してもらって当たり前ではない」などと言う割には、他方でご自分は「支援してやっている」という意識だというのは、頭の中が混乱しているのか、それとも、そもそも頭が悪くて本質が見抜けていないかのどちらかなのでしょう。

災害義援募金活動やボランティア的な活動に対して、まったくの滅私奉公精神を要求し、少しでも「私利私欲」の影と疑われるようなものが見えようものならば猛烈なバッシングを展開する、「動機の潔癖性」を異常なまでに要求する昨今の世論ですが、「有難迷惑」に対してこういう反発を見せている所を見ると、目的が自分本位の自己満足に過ぎないという意味において、世論の言説こそが「私利私欲」でしかないと言わざるを得ません

あるいは、「動機の潔癖性」があまりにも行き過ぎて、「支援者の動機が潔癖であれば、結果などどうでもいい、実際に被災者の役に立っているのかなんて問題ではない」という境地(本末転倒)にまで至っているのかもしれません。自分本位の善意の押し付け、善意の逆切れ。

だいたい、他人のボランティア活動に「滅私奉公精神」を求めるのであれば、自分たちこそ、被災者から罵られようと何を言われようと、それどころか何の反応もなかったとしても、ひたすら黙ってご奉公するのが筋ってものでしょうに。

これを読んで反発している、ボクちゃんの自分本位の自己満足のために慈善活動を利用しているような手合い、被災者の役に立っているか否かではなく「困っている人を助けてあげているワタシってステキ(現地がどうなっているのかは、よく知らないけど)」が前面に出てしまうような手合いは、被災者にとっては迷惑な連中でしょうから、ぜひともこれでヘソを曲げて慈善活動から足を洗ってくれることを期待します。
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2017年07月11日

「新しい」ものの魔力

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-00010001-abema-soci
>> もう“不倫”は時代遅れ?! 複数人と性愛関係を築く「ポリアモリー」とは
7/1(土) 9:40配信

 あなたは同時に複数の人を愛したことがあるだろうか。浮気でも不倫でもなく、複数人と性愛関係を築く新たな恋愛スタイル「ポリアモリー」。SHELLYがMCを務める『Wの悲喜劇〜日本一過激なオンナのニュース〜』では「たくさん愛しちゃダメですか?〜ポリアモリー・不倫・結婚てナニ?〜」をテーマに、実際に複数人と関係を持つ当事者たちが赤裸々に語った。


(中略)

 既婚者で2児の母である若狭美香さんは、昨年夫婦で婚外恋愛をOKにしようという話し合いを持ったという。現在は、夫とは別に彼氏がおり、その彼は若狭さんの家族の住む自宅へも遊びに来る仲だという話が出ると、SHELLYをはじめ出演者たちから驚きの声があがった。

 子どもへの説明はどうするのかと問われると、若狭さんは「普通に“好きな人”と。子どもって、まだ5歳くらいだと好きな人が3人いるとか普通なんですよ。それを堂々と言っている」と話す。


(以下略) <<
■一世代の範囲での実証も中途半端な実践を「新しいスタイル」などと取り上げる危険性
猫も杓子も「新しいxx(新しいスタイル)」の時代。最近は「多様性」という便利ワードを使ってくるケースも増えつつあり、その背後には、「社会は変わる・変えられる」といった前提が基盤として控えていることが多々あります。

最初に私の立場を述べておけば、私は、革新性・多様性を何よりも重視する立場であるし、また、社会的常識・観念・思考・言説が時代によって変化してゆくことを積極的に認める立場です。そしてそれは、誰かが「設計」するものではなく、生活の現場から発生・進化してゆく「自生的秩序」(Spontaneous order)であると考えています。これは当ブログの基本論調です。

私は、「新しいxx」といった革新的な考え方で社会をよりよく改造してゆくこと、当ブログがタイトルに掲げている「革命精神」に、大変な魅力を感じています(Spontaneous orderと言いながら、백두의 혁명정신とも言うのは何だか矛盾しているような気もするかも知れませんが、別稿にて語りたいと思っています)。他方、時代が変化していくからこそ、その変化の荒波のなかにあっても「変わってこなかった常識・観念・思考・言説」は、何世代にもわたる「長期的な実践的社会実験」に耐えてきたという点において、超時代的な強固な基盤があるともいえます(時代の区切り方という問題もあるでしょうがそれは別稿)。

一世代の範囲での実証も中途半端な「短期的な社会実験」は、単なる「素人の思いつき」の枠を超えていないのではないでしょうか。素人の勝手な自己判断で「予想していなかった分野・局面での不都合な事態」を招かないでしょうか。私はF.A.ハイエクの著作を継続的に読み研究していますが、人類の長年にわたる実践的積み重ねの結果として形成された伝統的慣習・制度、あるいは暗黙的ルールが果たす役割は極めて大きく、合理的思考の結果として人為的に制定された成文法は勿論のこと、「新しいxx」といった形で持て囃されがちな、一部の人々の限定合理的な頭脳が紡ぎだしたに過ぎない(平たく言えば「思い付き」に過ぎない)新興の言説・様式(スタイル)の危うさについては、慎重の上にも慎重を期さねばならないと考えています。その点において、「新しいxx」を押し過ぎるのも問題であるとも考えてます。

■1対1のパートナー関係がデフォルトでありつづけている意味
さて、本件記事のメインテーマである「ポリアモリー」。パートナー間での協議・合意の上での「新しい恋愛スタイル」とのことなので、昨今盛んな不倫批判――突き詰めれば「パートナー間での信頼に対する裏切り行為」――には当てはまらないことは間違いのないことです。実践している本人たちも、その点においては「うしろめたさ」はないので、堂々と映像に出ているのでしょう。彼・彼女らは「勝手な自己判断でパートナーを裏切ってはならないが、逆に言えば、一般的な1対1のパートナー関係は、お互いの合意さえあれば縛られる必要はないんだ」という考え方なのでしょう。

しかし、コメ欄で高い支持ポイントを獲得しているコメントでも指摘されているように、1対1のパートナー関係が何世代にもわたってデフォルトとして継続してき、今なお基本的なスタイルとして一般的に受容され守られている理由は、そんな単純なものではないのです。
>> 二児の母で、夫とは別の肉体関係のある恋人が普通に家に来る。

子どもたちに与える影響のこと真剣に考えた結果がコレならただのクズなんじゃないの?

ディスカッションして美談みたいにしてるんだろうけど、この人の子どもたちのことを思うと不憫でならん。
<<
>> ヤラセじゃなくこの人たちが本当のことを言ってるのなら、
既婚者は、双方の実家が昔からきちんと近所付き合いしてるお家なら
テレビ出演がバレると、身内が恥ずかしい思いをするし、
独身者は、この先本当に好きな人が出来て結婚を考えた時、
パートナーにこのテレビ出演がバレたり、
そんな生活を送っていたと告白したら、果たして快く受け入れてもらえるだろうか?
ワンナイトも含め自由恋愛なら、性病のリスクだって高まるし、
子供への説明も物事が分かってくればどうするんだろう?
あまり物事深く考えないんだろうな・・・・
<<
「子どもたちに与える影響」――きわめて重要な別視点です。「普通に“好きな人”と。子どもって、まだ5歳くらいだと好きな人が3人いるとか普通なんですよ。それを堂々と言っている」などという言い分が果たしていつまで通用するのでしょうか。二の矢・三の矢が用意されていることを祈るばかりです・・・

もちろん、こうした批判に対して、ポリアモリー実践者たちが有効な再反論を展開(二の矢・三の矢をキチンと用意していた)でき、そして論争に勝利できれば、「『1対1のパートナー関係』は、実は縛られる必要のない『思い込み』だった」と勝利宣言できることでしょう。これは今後の展開を注視しなければならない論題です。元来、「新しい考え方」の正しさを実証するという営みは、即断できない性質のものです。

しかし、この記事を見た範囲では、あまり多角的な検討の上での実践ではなく、狭い視野と想定の範囲での実践、素人の思い付きの範囲を脱していないのではないかと言わざるを得ません。「裏切り」という論点においては、パートナー同士の合意があるが故に批判は免れるものの、「子どもたちに与える影響」という点においては、まさしく前述した「予想していなかった分野・局面での不都合な事態」のリスクに直面しています。

5月6日づけ「「不合理なルールを変えて多様性を実現する」を単なる「何でもあり」にしないために」にて私は次のように述べました。
>> (前略)「多様性」ではなく「何でもあり」でしかない言説も増えつつあるように思います。そしてそうした言説は、往々にして「自分には規制の合理的理由付けが思いつかないから」レベルの短絡的な言い分に過ぎなかったりします。少し危険な臭いもします。

「自分には思いつかないから/理解できないから」と述べる人は「自分が馬鹿だから思いつかない/理解できない」という可能性には思いが至らないのでしょうか?
(以下略) <<
バカの底の浅い思い付きという可能性が、この記事から拭い去ることができません。

■「新しい」ものの魔力
もっとも、彼・彼女らがそのリスクを最後まで背負うというのであれば、第三者がとやかく言うことではないのかもしれません(どうなっても知らないよーん)。しかし、前述のとおり、こういった素人の浅知恵に基づく中途半端なシロモノを「新しいスタイル」として報じることは、また別の問題です。一般的に、内実や展開がはっきりしないものを肯定的に位置づけて他人に知らせるというのは、「無責任な煽り」と言われても文句は言えないものです。

内実がはっきりしないのに、「新しい」や、あるいは「多様性」といった語句をつけれてさえいれば何だか正しそうな「空気」を作ってはなりません。あまり短絡的に「新しいxx」を押すべきではありません。私自身は既述のとおり、革命精神に大変な魅力を感じていますが、だからこそ、この「魔力」には十分に注意しなければならないと考えています。

その点、私は以前から繰り返しているように、遠大な理想像を描きながら、実践においては1つ1つロールバックできる程度の小改善を繰り返す「漸進主義」を支持しています。バカの浅慮が急進主義的に実践されることによって不可逆的・破滅的結果になることを防ぎつつも、「石橋を叩き壊して橋を架けなおす」ような臆病に陥ることをも防ぎます。
ラベル:メディア 社会
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2017年07月09日

都民−自民連携の媒介が「憲法改正」?

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20170709-00000717-fnn-pol
>> 小池氏側近「都ファ」年内にも国政進出
フジテレビ系(FNN) 7/9(日) 12:59配信

東京都の小池知事に近い、若狭 勝衆議院議員は、9日朝のフジテレビ「新報道2001」に出演し、東京都議会議員選挙で小池知事が率いて大躍進した地域政党「都民ファースト」が、年内にも国政に進出するとの見方を示した。
若狭衆院議員は「少なくとも年内に、国政新党への動きが出てくるというのは、十分にあり得る」と述べた。
若狭氏は、「小池知事が先頭に立つことはない」としつつも、都民ファーストが、年内にも国政新党をつくるとの見方を示した。
そのうえで、「安倍総理と小池知事は、憲法改正が必要だという点で共通している」と述べ、新党が憲法改正で、安倍政権と連携する可能性に言及した。
<<
「反自民」をアイデンティティとしている都民ファーストの会ではあるものの根っこの部分は保守なので、今すぐとは行かないまでも、遠くないどこかのタイミングで自民党との関係修復を果たすであろうというのは、私も予測していますし、大方の予測でもあるでしょう。

7月4日づけ「都議選開票結果について」において私は、都民−自民の連携の口実・大義名分として「東京オリンピック」があると指摘しました。日本人は忘れっぽい民族なので、「もり・かけ」問題があと3年も続くとは到底思えません。次期総選挙のシーズン(来年秋ごろ?)まで持続しない可能性さえあります。いよいよオリンピックが近づいてきた時期には燃料切れ・追及疲れ。国民の関心も徐々に離れる。すっかり、ほとぼりがさめていることでしょう。

そして、オリンピックともなると、その1年半あたり前から挙国一致体制をとらなければならない雰囲気が漂うものです。「もり・かけ」に関する国民の関心も離れたタイミングにうまく重なれば、オリンピックを口実に敵対政党どうしが接近することは可能です。少なくとも「一時停戦」としておいて、そのままウヤムヤにしてしまうこともできるでしょう。むしろ、オリンピックを目前に控えているのに、あいかわらずの党派対立を展開して、進むものも進まないような状態で居続けるほうが非難を浴びかねません。日本人は、(主に悪い意味で)お祭り民族ですから。

そんななかで飛び込んできた若狭発言。「安倍総理と小池知事は、憲法改正が必要だという点で共通している」というのは、たしかにそうだとは思いますが、はっきりいって、果たしてどれだけの国民・有権者が「憲法改正」などに優先順位高く関心を持っているというのでしょうか。ちょっと風呂敷を広げすぎでしょう。

もっとも、風頼みの都民ファーストの会にあっては、今のうちに議席を取っておきたいという願望もあるのでしょう。結局のところ素人集団なのだから、化けの皮が剥がれないうちに取れるものは取っておきたい、築ける地位は築いておきたいという気持ちは推察できます。

だからといって、国政進出にしては早すぎるし、自民党との関係を修復して地位を築くにしても、その媒介が「憲法改正」では・・・このあたりの空気の読めなさを見るに、今回の都議選での「大躍進」は、まぐれ当たりだったのではないかとさえ思えてきます。
ラベル:政治
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2017年07月08日

やっぱりカルト、ますますカルト

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170707-00000008-pseven-soci
>> 与党病の公明党と現実味ない野党病の共産党で醜悪バトル
7/7(金) 7:00配信 NEWS ポストセブン

 都議選の告示目前の6月21日、公明党広報の公式ツイッターがこんな投稿で日本共産党に“宣戦布告”した。
〈3つのKでわかる 共産党ってどんな党?
汚い! 実績横取りのハイエナ政党
危険! オウムと同じ公安の調査対象
北朝鮮! 「危険ない」と的外れな発言〉

 これについて、共産党側は党の広報用ツイッターでの〈3Kでわかる共産党(公式版)〉と題した投稿で反撃に出た。共産党の真の3Kは、〈キレイ!〉〈キレキレ!〉〈クナンケイゲン!(国民の苦難軽減が党をつくった原点)〉とやり返した。


(中略)

 対立激化の理由を宗教学者の島田裕巳氏はこうみる。

「両党の仲が悪いのは、どちらも、いわゆる低所得層の労働者を取り込んで発展してきた競合関係だからです。とはいえ都議選での公明党の攻撃は激しかった。公明党の草創期に共産党と戦った“かつての若手”が、定年を迎えて創価学会壮年部に帰ってきたことが影響しているのではないか」


(以下略) <<
■やっぱりカルト、ますますカルト
公明党は近年、作家の佐藤優氏を使ってイメージ改善に打ってでています。曰く「日本の政界は、右の自民党と左の共産党の間がガラ空きであり、そうした中間的ポジションを求める有権者にとって公明党の存在は大きい」「ヨーロッパでは宗教団体を支持基盤とする政党はごく普通、ごく自然」とのこと(※1)。しかし、そうしたイメージ改善の努力も、こんなカルト丸出しの尋常ではない攻撃をしているようでは水の泡でしょう。

【※1】前者は分かります(公明党である必要はないが、そういう政党はあってよいと思います)。しかし、後者については、確かにヨーロッパでは、ヨーロッパ文化の根底を規定するキリスト教組織を基盤とする政党はごくごく普通に存在しているものの、公明党が支持基盤とする創価学会は、「カルト的新興宗教団体」。公明党をキリスト教民主同盟(ドイツ)などと同列には位置づけられないのではないかと思いますw

宗教学者の島田氏は「公明党の草創期に共産党と戦った“かつての若手”が、定年を迎えて創価学会壮年部に帰ってきたことが影響しているのではないか」といいますが、この罵倒っぷりは、創価学会と日蓮正宗の罵倒合戦のノリに通じるところがあるので、「かつての若手」云々は少し違うのではないかと思います。どちらも同じくらいカルトな創価学会と日蓮正宗との罵倒合戦は宗教的内ゲバの範疇ですが、公党どうしの関係であるにも関わらず、おなじノリでそれをやっちゃうあたり、創価学会・公明党のカルト化が一層進んでいるというのが真相なのではないでしょうか。学会員は3世・4世くらいまで再生産が進んでおり、「創価民族」になっているという指摘を展開したのは、ほかでもない島田氏です。

■「幹部でさえこうなんだから、近所のxxさんみたいな人材しかいないんだな」と思われても仕方ない
共産党の実績横取りを批判したいのであれば、山口代表の次の発言のほうがよっぽど正気を保った言い方であり、説得力のある内容です。
https://www.komei.or.jp/news/detail/20170627_24728
>> 公明新聞:2017年6月27日(火)付
“公明が撤回”と機関紙でデマ
都の私立高無償化「実績横取り」へウソ重ねる


(中略)

山口代表は、私立高無償化について、「提案・質問したという政党もいたでしょう。それはそれで『推進の一翼』を担ったことになるでしょう。しかし、大事なことは、知事と粘り強く何度も交渉に当たり、合意をつくり出したのは誰かということ」と述べ、公明党の実現力が無償化を誕生させたと強調しました。(以下略) <<
チュチェ105(2016)年9月15日づけ「「我が党の要求が取り入れられた!」では永遠に在野勢力」でも述べたとおり、政策が前進した場合の「加点」は、どうしても為政者・与党側に傾斜配分されるものです。野党がいくら要求活動を展開したとしても、実際に権力を発動してそれを実現させるのも為政者・与党の判断です。政策実現の寄与度という点においては、野党の寄与度と為政者・与党の寄与度には雲泥の差があると言わざるを得ません。その点において、山口代表の指摘は正しい指摘です。

【少し脱線】
だからこそ私は、「在野勢力は政権を目指さなければならない」と繰り返し述べており、そのためには、具体的数値を挙げて政権担当能力をアピールしつつ、現為政者の立場や支持基盤、階級的限界を突き「この課題を解決するためには、我々の立場のほかにない! 我々が政治を動かすほかにない!」という論法で主張を展開しなければならないと述べているのです。

その点、たかだか数議席程度の勝ち負けなどという小さい話で一喜一憂している昨今の野党勢力の体たらく――社民党に至っては、あまりの「勝ち目のなさ」にもはや立候補を行う気にもなれておらず、不戦敗の常連といってもよいでしょう――さには、政権獲得に対する本気度を疑わざるを得ません

今回の都議選で、民進党が2議席減で持ちこたえ、共産党が2議席増を勝ち取ったのは、@現実の情勢に軸足を置けば善戦・健闘ですが、政権という大目標に軸足を置けば小さすぎる勝利です。こんなので一喜一憂している場合ではなく、「まだまだだ」と尚一層、気を引き締めなければならない選挙結果です(向こう10年間野党のままで良いなら酒盛りでもやっていなさい)。

また、A仮に現実の情勢に軸足を置いたとしても、もっと戦い方に工夫を凝らし、上積みできなかったのでしょうか。終わってしまったことを後知恵で如何こう言っても仕方のないことですが、そうであるからこそ、振り返って次を見据えなければならないのです。潜在力を発揮しきれていない効率の悪い方法論で「善戦だった」「健闘した」と喜ぶのは愚かなことです。

その点、前回都議選で議席数を倍増させ全党挙げて大はしゃぎしていた共産党にあって、ほぼ唯一、数値を挙げて「現実は甘くはありません」と断言した佐々木憲昭氏の考え方を、私は全面的に支持するものです。しかし、勝利に酔った今の共産党にその風潮は乏しい。他人事ながら危機感を感じる(佐々木さん引退しちゃったしなー)のであります。どう見ても明々白々に負けたのに平気な顔をしている民進党に至っては、「もう、やる気ないんだろうな」とすら思ってしまいます。
【脱線終わり】

山口代表のようにスマートなモノ言いをすれば、これはこれで一つの説得力ある主張になり得たのに、ただの罵倒でしかないような言い方をしてしまう公明新聞、感情むき出しを我慢できない公明新聞・・・

日本国内において、ごく普通に地域生活・社会生活を送っていれば、どこかで一度くらいは創価学会・公明党関係者の非常識で異常な言行を実体験として見聞きしたことがあるかと思います。もちろん、一個人が体験できる範囲などタカが知れているので、仮に身近な学会員・党員が異常な言行を展開していたとしても、それを以って直ちに創価学会・公明党の全体的性質・体質を断ずることはできません。それは、「過少なサンプルでの不適切な母集団推計」というほかありません。組織の末端構成員の「質」はバラツキが大きいと考えられるので、仮に地元の学会員・党員が異常であったとしても、「わが町の学会員・党員だけが個人的性格を起因として突出して異常なだけで、ほかの地域ではそうでもない」ということもできるでしょう。

しかし、全国から選りすぐりの人材を意識的に引き抜いて集結させている組織幹部層・中央機関勤務員が、程度の低い下っ端連中と同じような調子でいれば、話は逆です。「地元の創価学会員・公明党員の異常な言行は、学会や党全体の性質・体質の現象形態だ」と言えるでしょう。「やっぱり創価学会・公明党ってのは、幹部でさえこうなんだから、全国的に、近所のxxさんみたいな人材しかいないんだな」と思われても仕方ないでしょう。組織幹部メンバーや中央機関勤務員は組織の代表として、その言行の範を体現しなければならないものです。

このことは創価学会・公明党に限ったことではありません。たとえば、自民党。地元の商工業界で力を持っており、それゆえに尊大な態度をとる人物が自民党籍を持っているというケースは決して珍しいものではないと思いますが、その人物ひとりを取り上げて自民党全体の性質・体質を推定・断言することはできません。しかし、川井重勇都議会議長(自民・落選)ほどの都議会自民党の重鎮が尊大な言行を取ればどうでしょうか。単に「しょうもないオッサンだなあ」とはならないでしょう。「こんな人物を幹部に登用するだなんて、自民党には、こういう人材しかいないんだな」「やっぱり自民党ってのは、うちの近所のxxさんと似たり寄ったりの人材しかいないんだな」と思われることでしょう。今回の都議選における自民党敗北の要因として、自民党都連・都議会自民党幹部の日ごろの言行が影響していたことからも、このことは言えるでしょう。

■機関紙掲載内容は党の公式見解ではない?――公明党の主体は一体何なのか
カルト丸出しの攻撃も大問題ですが、「公明新聞に掲載されたもので党の公式見解ではない」という逃げ口上は、輪をかけて問題です。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170704-00000068-mai-soci
>> <公明vs共産>仁義なきSNSの戦い 3Kで激しく応酬
7/4(火) 20:34配信 毎日新聞


(中略)

 公明党広報のツイートによると、共産党の3Kとは、汚い=公明党の実績を横取りする▽危険=オウムと同じ公安の調査対象▽北朝鮮=「危険ない」と的外れな発言−−だという。ツイートは話題を集め、都議選開票翌日の今月3日現在、8800回リツイート(拡散)された。公明党広報は毎日新聞の取材に「公明新聞に掲載されたもので党の公式見解ではないが、内容に裏付けがあり、全く問題ないと考える」とする。

(以下略) <<
党の宣伝任務として編集・発信しているのだから、「党の公式見解ではない」とは言えないでしょう。これが仮に公明新聞記者が個人のTwitterで発信している程度であれば、まだそういう言い訳も成り立ち得ますが、それでも「党機関紙の記者としてふさわしい人選なのか」という点において、依然として党組織にも火の粉が降りかかり得る話です。

■政治組織の主体とは――チュチェの組織論における組織主体観から
人民大衆が歴史の自主的主体となるためには政治的に組織化しなければならず、そうした政治組織の主体は首領・党・大衆の統一体であると正しく指摘されたのは、23年前の今日逝去なさったキムイルソン同志であり、継承者であられるキムジョンイル同志です。このことはチュチェ思想に対する立場によって左右されるような問題ではなく、組織として物事を進めるときの客観的な事実です。

その点、党の機関としての公明新聞が党の宣伝任務として共産党を罵倒するということは、「不可分な政治的統一体としての公明党」の行動であり、「公明新聞は公明党本体ではないので、その主張は党の主張ではありません」とは言えないでしょう。仮に公明党本部と公明新聞編集部が形式的に別組織であったとしても、実際の機能面において、システムとして、不可分な統一体として運動している以上は、「あれはウチとは違いますから」とは言えないのです。

機関紙上での主張内容はもちろん、他にも党幹部の発言、あるいは党国会議員の質問・演説・・・これら「党の看板を背負った状態での構成員たちの言行」は、「不可分な政治的統一体」という組織の本質的性質に照らせば、すべて党全体の問題にもなるのです。

■分かっていて言っている確信犯
このことは既述のとおり、チュチェ思想を信奉するか否かといった立場で左右される問題ではなく、組織の客観的本質ですが、そうは言っても、自民党のように個人事務所の連合体のような政党や、民進党のようにもともと貧弱で脆弱な構造だったうえに、いよいよ空中分解寸前の政党の場合においては、仮に正しくない組織観をもっていたとしても「致し方ない」部分はあるかと思います。

しかし、公明党のように普段から組織的に活動している政党(組織政党。公明党や共産党など。社民党はもはや判断不能なほどの規模に縮小)が、都合の悪い時だけ「あれはウチとは違いますから」というのは、「実は本当のところが分かっていて言い逃れしている」ことを強く疑わせる点において、確信犯的に悪質です。もしかすると、「党組織の主体」というものが分かっておらず、公明新聞編集部に責任を押し付けて公明党本体を弁護している気になっている可能性、子どもみたいな言い逃れを展開するあまり、党組織の主体に対する認識がブレてしまっている可能性もありますが、さすがに公明党もそこまでバカではないでしょう・・・。

内容に裏付けがあり、全く問題ない」というのであれば、党の公式見解にしてもいいはずなのに、そこは回避した公明党の真意はよく分かりませんが、仮に別組織だったとしても少なくとも、公明党にとって公明新聞が身内であることには違いはありません。身内がこんなカルト丸出しの罵倒を展開しているのだったら、諫めるくらいのことはすべきでした。そこを変だと思わないあたり、やっぱりカルトなんでしょうね。冒頭に少し触れた佐藤優氏も、無駄な努力はおやめになったほうがいいでしょう・・・そして、こんなのに絡まれた共産党については少し気の毒に思うと同時に、いつまでもカルト党と党勢において肩を並べている現状から脱するべきです。この点では応援していますw
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2017年07月04日

都議選開票結果について

NHK特設  http://www3.nhk.or.jp/shutoken2/senkyo/
朝日特設 http://www.asahi.com/articles/ASK727WH3K72UTIL02W.html
都選管  http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/election/togikai-all/togikai-sokuhou2017/

「単なる地方選挙」とは言えない東京都議会議員選挙。
@まーた特定政党を「圧勝」させてしまった東京都民の懲りない投票動向
A実態が伴っているとは到底思えない小池知事率いる都民ファーストの会の「なんとなくの大勝利」から見える4年後の次期都議選の波乱の予想
B実質的勝者としての公明党、負けは負けでも「仕掛け」を残しているかもしれない自民党
C2議席前進したとは言え、超逆風下の自民党を下回る19議席に留まった事実と新しい議会構成から見える「共産党の限界」
が判明した開票結果でした。

■主要政党の獲得議席数(資料)
まず資料として、ここ最近の都議選の結果も交えて、主要政党の獲得議席数を便宜として以下に掲載します。
見方は、議席数(得票率|議席占有率)です。49(33.7|38.6)は、「49議席獲得、得票率33.7%、議席占有率38.6%」ということです。
データは都選管ホームページ拾いました。間違っていたらそれは打ち間違いです(調べればすぐバレるウソなんてつきませんよ)。
調整するのは手間がかかりすぎるので、『赤旗』がやっているような調整はしていません。

    05年        09年       13年        17年
都民                               49(33.7|38.6)

自民 48(30.7|37.8)  38(25.9|29.9)  59(36.0|46.5)  23(22.5|18.1)

公明 22(18.0|17.3)  23(13.2|18.1)  23(14.1|18.1)  23(13.1|18.1)

民進 35(24.5|27.6)  54(40.8|42.5)  15(15.2|11.8)   5( 6.9| 3.9)

共産 13(15.6|10.2)   8(12.6| 6.3)  17(13.6|13.4)  19(13.8|15.0)


@まーた特定政党を「圧勝」させてしまった東京都民の懲りない投票動向
今回の自民党の壊滅的敗北は、なんといっても「驕り」であることは、あまり異論はないのではないかと思います。ではなぜ、都議会自民党は、身の程を知らないほどにノボせ上がってしまったのでしょうか。それは突き詰めれば、前回都議選における全員当選の「成功体験」と、昨今の「自民一強」の情勢に起因するものです。議席を寡占的に占めているからこそ、牽制球を投げてくるライバルがあまりにも弱小すぎたからこそ、都議会自民党は、やりたい放題「できた」のです。気の緩み・驕りが生じたのです。

一強政治がどれほど緩み・驕りを生むのかをこれ以上ないまでに実例として明白に示した都議会において、その反省を生かし、「特定政党の議席寡占」を正す絶好の機会、勢力均衡に近い議席数にもとづく相互牽制で、緊張感漂う議会に造り替える絶好の機会が、今回の都議選だったのです。その点において、今回の都議選においては、「都民ファーストの会を圧勝させ、自民党の議席を激減させる」のではなく、「特定政党に突出した数の議席を与えてはならない」という方法論で臨むべきだったのです。

都議会自民党の「やりたい放題」に対して「お灸を据える」というのは、今回の都議選の一大テーマで、そのテーマは達成されました。自民党は特大級のお灸を据えられたと言えます。しかし、コトの本質を踏まえず、懲りもせずに今度は都民ファーストの会に圧倒的な数の議席を与えてしまったのが東京都民なのです。

都民ファーストの会を熱烈に支持した有権者の中には、「都議会自民党の魂胆が邪悪である一方、都民ファーストの会は善意の政党だから、都民ファーストの会に投票するのがベスト」という観念を持っている人もいるかもしれません。しかし、都議会自民党は決して、他党に比べて突出して邪なる魂胆を持っているとまでは言えないでしょう。そもそも、政治において、政治家・政治勢力の「邪な思いの有無」言い換えれば「善意」に期待する制度構築は自殺的です。ガリガリの利己主義者が罷り間違って権力を手にしてしまったとしても権力の暴走がないように多重の保安機構を備えるべきなのです。「絶対的権力は絶対に腐敗する」といいますが、仮に心の奥底では邪なる魂胆を持った輩が議場に「いた」としても、その邪な魂胆を実現「できない」ようにするのが政治制度づくりなのです。

【左翼運動の再生を目指す立場から、少し脱線して。。。】
左翼運動内部でよく言われる「ソビエト・ロシアの社会主義はレーニン時代はよかったが、スターリン一味によって大きくゆがめられてしまった・・・しかし、それはスターリン一味のせいであって、社会主義のせいではない。レーニンも『スターリンは粗暴すぎる』と言っている!」といった形の、妙ちくりんな「擁護」論は、換言すれば、「社会主義体制は最高指導者や幹部の資質によって天国にも地獄にもなりうる欠陥制度」と言っているに等しいものです。

邪悪な資質を持った個人・派閥の政治工作程度で180度転回してしまうような制度は欠陥制度というほかありません。スターリンの独裁政治は、主体的条件としてスターリン個人の性格も勿論影響しているでしょうが、客観的条件としてレーニンの思想・レーニンの党・レーニンの国といった「スターリン個人」に還元できない要素も影響しています。

レーニンの無法的暴力信仰の非や、ボリシェビキの党組織がすでにレーニン時代から脆弱性があったことを認めなければなりません。また、このことはCollectivism(集産主義)が内包している本質的危険性にも波及する話であり、Collectivismの一種であるCommunism(共産主義)にも付きまとうリスクであることを正しく理解すべきです。
【脱線終わり】

もっとも、今回の都議選では直前まで「都民と自民が激しく競り合う」とされており、だれも自民がここまで大負けするとは思っていませんでした。「ふたを開けてみたらビックリ」という部分はあるでしょう。しかし、もう少しバランスを取ろうとは思えなかったのでしょうか。創価学会・公明党が年明け早々逃げ出し、今年は自民党への逆風がずっと吹き続けていた半年、いつもの「風」が吹くパターン、後で後悔するパターン。そろそろ学習して、意識的にバランスを取ろうとしてもいい頃ではないでしょうか。

A次期都議選の波乱の予想
実態が伴っているとは到底思えない小池知事率いる都民ファーストの会の「大勝利」は、4年後の次回都議選を想定不可能なものにしています。しがらみに切り込もうとする小池知事の政治姿勢は痛快なものがあるとはいえ、就任から1年が経とうとする今日においても、独自の成果は果たせていません。豊洲市場問題に果敢に切り込んだことは評価すべきです。結果的に豊洲移転になったとはいえ、前任者の決定を再考せずに機械的に豊洲移転を承認することと、ゼロベースの再考の末に前任者の結論と同じになったことは雲泥の差がありますが、とはいっても、独自的な結果は残せていないのは事実です。

いまだに「反自民」が鮮明なる成果を挙げられていない・政権担当能力を十分には実証できていない事実を見るに、確かに利権まみれとはいえ自民党という政党の調整能力は、「相対評価」的な意味において、割と現実主義的なのかもしれません。絶対評価的な視点において断固に反自民の私としては、とても気に入らないけど、政治というものは結局は「よりマシ」を選ぶものです。「絶対評価」ではなく「相対評価」こそが政治である点において、このことは事実として受け入れざるを得ないとも思っています。

そうした自民党の政策に対して、「斬り込み隊長」としての素質は証明しているとはいえ、「建設者」としての素質は就任から1年が経とうしている昨今においてもハッキリしない小池知事と、その取り巻きたちの新党の大勝利は、一抹の不安をもたらすものです。

B実質的勝者としての公明党、負けは負けでも「仕掛け」を残しているかもしれない自民党
前項と関連する話ですが、この選挙の実質的勝者は、23議席から前進も後退もせず、得票率においてもここ最近、特に変動のない公明党でしょう。

政治とは力の問題ですが、ここでいう力は単純に議席数であるとは言い切れません。少数派であったとしても要点を抑えれば、大きな役割を果たすことができます。逆に、それなりに議席数を持っていても、議会構成上いいポジションを抑えていない党は、思うように目立てないものです。

都民ファーストの会は、ほとんどが素人で出来ている集団です。この自民大逆風をも生き抜いた「古狸」どもや、行政専門家としての都職員たちを相手にして、どれだけ与党としてやっていけるのかというと、惨憺たる予想ばかりが出てくるものです。その点において、公明党都議は「小池派にとっての老練した友軍」であり、「49議席・得票率33.7%」の素人集団とは質的に異なる「23議席・得票率13.1%」の集団です。都民ファーストの会は、公明党がいなければ回っていかないことでしょう。その意味で、「23議席・得票率13.1%」だけでは単純に測れない政治的力を持ったと言えます。

あるいは、「オリンピック成功」を錦の御旗として、遠くないうちに都議会自民党との関係修復もあるかもしれません。「反自民」を一つのアイデンティティとしてしまっている都民ファーストの会では自民党との関係作りは困難ですが、「オリンピック成功を至上命題とする都知事」という肩書であれば、逆に「大同団結して協力しなければならない」という大義名分を掲げることができます。

足早に都民ファーストの会代表を辞任し、「あくまで都知事」とした小池氏。都議会自民党とは対決しつつも、自民党本部とはそこまで対決を深めていない小池氏。そもそも、小池知事は決して「リベラル」などではなく保守政治家です。何か企んでいますよ、あの人。

C2議席前進したとは言え、超逆風下の自民党を下回る19議席に留まった事実と新しい議会構成から見える「共産党の限界」
さて、共産党。小見出しが既にマイナスですが、まずは良かったところを述べておきましょう。

今回の都議選における広報チラシで共産党はいつもどおり福祉拡充を主張していましたが、その財源として、割と現実的なプランと数値を持ち出してきました。共産党の財源論といえば、ハチャメチャなのは論外として、少しマトモであっても、かつての「内部留保収奪論」の「たった1パーセント」といったような曖昧な言説に終始し、結局のところ、あまり具体性を持てなかったものでした。

もうすぐ結党100年になるが今まで一貫して野党でありつづけた共産党に、すべての政策について通暁せよとまで言うのは、あまりにもハイレベルな要求ですが、そうはいっても、福祉や平和、人権といった「党の十八番」については、ある程度の政権担当能力を見せつけなければなりません。ただでさえ共産党は「非現実的な政策」と揶揄され、それが党勢拡大の一つの足かせになっているのだから、そうした評判を跳ね返すような政策を、的を絞ってもよいから打ち出すべきなのです。その点、今回は、政策立案的に進歩したと思いました。

小見出しに沿った内容に移りましょう。

2議席前進したとはいえ、これ以上ない逆風下の自民党の獲得議席数に及ばなかった共産党。思想的には相いれないものがあるとはいえ、共産党員の日々のひたむきな努力は私も実体験として知っており、それには率直な敬意を表する(方向性はどうしても賛同できないが、その純粋性は率直に尊敬に値する)ものでありますが、やはり、20議席前後が限界なのでしょう。勝利したとはいえ、限界点が見えつつあるのが共産党です。以前から述べているように、在野勢力は政権を目指さなければなりません【※1】。

【※1】このことは、7月8日づけ「やっぱりカルト、ますますカルト」でも改めて論じましたので、あわせてごらんください。

得票率はあまり変化していません。09年の8議席があまりにも衝撃的でしたが、このときは得票率に対して獲得議席数が異常に少なかっただけで、得票率ベースでみれば大して党勢は変化していないとみるべきです。民進党は今回も、すべての指標で激減していますが、その分が共産党に流れたとも言えなさそうです。

先に公明党の項において、政治力は単純に議席数であるとは言い切れないと言いました。このことは、まさに共産党についても言えます。

前回都議選で共産党は8議席から17議席に大躍進しましたが、この4年間、倍増したほどにはパッとしなかったというのが率直なところではなかったでしょうか。たとえば「豊洲市場の危険性」は、共産党が10年以上前から指摘していたことですが、13議席時代も8議席時代も17議席時代もほとんど何の動きもありませんでした。しかし、以前から共産党がずっと指摘してきたものと大差ない内容を小池知事がぶち上げた途端に豊洲問題は大きく動きました。それでも、その急な激動の中で共産党は独自の立ち位置を見いだせませんでした。我が物とできませんでした。コンクリートの上を流れた地下水がアルカリ性だから豊洲は危険だなどと騒ぎ立てて、土木・建築関係者からバカにされたくらいでした。

実は、8議席にすぎなかった09年〜13年のほうが、キャスティングボードの一翼を担っていたという点においては、都議会共産党は大きな政治力を持っていたと言えます。自民公明で61議席、民主単独で54議席だった当時の議会構成において、8議席の共産党の動向は、生活者ネットと無所属の計4議席と並んで極めて大きな意味があったからです。

それに対して前回17議席のときは、自民公明で80議席以上を寡占していました。そして今回の19議席においては、他方で小池派が70議席以上を寡占議会構成上の立ち位置は大して変わっていないのです。

8→17→19を喜ぶのはよくわかります。共産党の地域活動は、革命的ロマンと信仰に近い確信がなければ絶対無理です。しかし、冷徹に「科学の目」で見れば、そんなに喜んでいる場合でもないのです。

■最後に
予想以上の自民党の大敗・小池新党の大勝利があったとは言え、あまり革新の可能性を感じない都議選でした。

■管理上のお断り
この記事は「あまり革新の可能性を感じない都議選開票結果」として7月3日2時58分10秒に投稿したものですが、7月4日22時35分づけで大幅に内容を拡充したものに書き換えました。
本来であれば、拡充分は別記事とすべきところですが、かなり内容が重複すること、また、当ブログは検索エンジン経由での来訪者がほとんどであり主張内容を少数の記事に集約すべきであるとの判断から、既存記事を再利用して内容を統合することとしました。
これに伴い、記事のタイムスタンプも変更としました。
(私以外にとってどうでもいい断り書き情報?)
posted by 管理者 at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする