2017年08月28日

まだ10월じゃないけど

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170827-00000005-jij_afp-int
>> 食べて飲んで踊って、北朝鮮のビーチでの過ごし方
8/27(日) 9:37配信

【AFP=時事】北朝鮮・南浦(Nampho)の西海閘門(West Sea Barrage)ビーチでは、子どもたちは浮き輪を着けて浅瀬で遊び、大人たちはテントの下で日差しを避けながら、朝鮮半島の焼酎「ソジュ」を飲み、焼いたアサリや豚肉を食べて楽しむ。


(中略)

 北朝鮮では職場内での親睦を深めることが期待されており、南浦を訪れる多くの人たちも同僚同士だ。中にはカラオケセットを持ち込む人もおり、カラオケセットからは北朝鮮で絶大的な人気を誇る歌「お母さんの誕生日」が流れる──ここでの母親は朝鮮労働党を指す。「私のお母さん、我らのお母さんは、世界で一番やさしい」。歌詞はこう続く。「朝鮮労働党──お母さんの誕生日」 【翻訳編集】 AFPBB News

最終更新:8/27(日) 18:20
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まだ8月ですが"어머니생일"を歌っているわけですねw

党創建70周年記念コンサートで大々的に披露され、また、"10월"を繰り返している歌詞なので、党創建70周年を記念する曲あるいは10月10日前後限定の歌だと思っていましたが、「絶大的な人気を誇る歌」という地位を獲得していたようです。認識を改めなければ・・・
ラベル:共和国
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2017年08月22日

急がば回れのカウンセリング的方法論でバカウヨの再生産阻止へ

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170822-00529203-shincho-soci
>> 「LGBT」はもう古い? 「LGBTQQIAAPPO2S」って何だ
8/22(火) 8:01配信
デイリー新潮

 トランプ大統領を間に挟み、深くて暗い溝がアメリカ国内には存在している――そんなことを改めて知らしめたのが、バージニア州で起きた白人至上主義団体とそれに対抗する反対派との衝突だろう。

 死者まで出すに至ったこの事件を受けて、大統領は「憎悪と分断はただちに終わらせなくてはならない」等のコメントを出してはいるものの、こうした対立の構図はそう簡単には変わらないだろう。

 白人至上主義なんて時代遅れでとんでもない差別的な思想だ――これは現代のアメリカのみならず世界にとっての常識でもある。が、一方でこうした「政治的に正しい」言説の行き過ぎによって息苦しさを感じた人たちが、トランプ支持に回った、というのは従来からよく指摘されるところである。

 アメリカの「リベラル」は日本のそれよりも「先進的」とも言えるし、日本人には過激にも見えるだろう。元財務官僚で昨年アメリカのハーバード・ロースクールを卒業した山口真由氏は、新著『リベラルという病』の中で、その驚くべき実情をレポートしている(以下、同書より抜粋、引用)。

 人種間を含むさまざまな人たちの「平等」を求めるリベラルは、「ポリティカル・コレクトネス(PC)=政治的正しさ」を追求し続けてきた。これは人種的、性的、性指向的、いかなる意味でも少数者を差別しないことをいう。

 日本でも「看護婦」ではなく「看護師」、あるいは「ビジネスマン」ではなく「ビジネスパーソン」という表現が用いられるようになった背景にはPCの思想がある。

 このPCの最たるものとして挙げられるのが「LGBT」表現だ。


(中略)

 なかなか日本人には理解しがたいのだが、このPCを進めていくことは、アメリカのリベラルにとっての正義である。それこそが人々の平等を推し進めることにつながるからだ。

 ごく大雑把にいえば、こうした「正しさ」に対して、「そんなのヘンだろ!」とツッコミを入れることでトランプ大統領は支持者を得てきたとも言える。そして、そうしたトランプの言動に一貫して嫌悪感を示しているのが、アメリカのリベラルということになる。彼らにとっては、前世紀の遺物のような白人至上主義や、「本音満載」のトランプ大統領の言動は許されるはずがない。かくして、対立は終わらないのである。

デイリー新潮編集部

最終更新:8/22(火) 15:23
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コトがここまで来ると、少なくない人々は「下手なことを言って吊るしあげられると面倒くさいから、とりあえず触れないでおけばいいか」と考えることでしょう

その結果として、表面的にはポリティカル・コレクトネスが実現したように見えるでしょうが、実際には差別意識が完全に根絶されたわけではなく、単に地下に潜行しただけ。心の奥底では依然として差別意識は生き残っていることでしょう。

「プロレタリア文化大革命」が、まさしく「政治的に正しくない考え方」とされる連中が、厄介を避けるために表面的に恭順を示しつつも、真意においては地下化に潜伏した歴史的実例でした。修正主義・走資派的な傾向が少しでも見えれば直ちに吊るしあげをくらったのが文革であり、多くの人々は表面的に毛沢東主義を遵守する振る舞いを見せて、激動の世の中を生き延びました。そして、ケ小平が権力を掌握し改革開放に転ずるや否や、文革時代とは打って変わって、まったく毛沢東主義的でない動きが全国的に隆盛しました。こんな連中、いったいどこに潜んでいたんだというくらいの情勢になったものでした。また、今、文革時代を振り返れば、実はあの時代においても「反毛沢東主義」的な動機に基づく行動は実は広く見られるものでした。

このままいくと、ポリティカル・コレクトネスを目指すためと称して、人々の差別意識に対して一種のカウンセリング的方法論をとるのではなく吊るしあげを方法論として採用する運動は、人々に面倒くさがられてゆくことでしょう。その結果は、差別意識の地下化であり、「無言の疎外」の横行でしょう。交際の深度は最低限に留まることでしょう。「友人的に仲良くしない理由」なんて幾らでも作り上げることができるものです。

果たしてそれは、ポリティカル・コレクトネスを目指す人々が望むところなのでしょうか? そうではないでしょう。そうであるならば、「こいつらと関わると面倒くさいなあ・・・」と思われかねない吊るしあげ・罵倒の方法論ではなく、人々の差別意識に対する一種のカウンセリング的方法論こそとるべきでしょう

その点において、以下の毎日新聞記事が取り上げている取り組みは、マイルドでよいと私は考えます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170816-00000037-mai-soci
>> <ブックカフェ>「在日」学び合おう「ヘイト」やまぬ今こそ
8/16(水) 14:30配信
毎日新聞

 ◇若者グループ、大阪で開設へ
 関西を拠点に活動する在日コリアンらの若者グループが近く、在日コリアンの歴史や朝鮮半島をテーマにした本を集めたブックカフェを大阪市内でオープンさせる。ヘイトスピーチ(憎悪表現)は今もなくならず、インターネット上でも偏見や誤解が根強い。メンバーは「まずは私たちを知ることから始めてほしい」と開設準備を急いでいる。【金志尚】


(中略)

 ただ、在日コリアンを取り巻く社会情勢は依然として厳しい。特定の人種や民族に向けたヘイトスピーチの解消を目指した法律が昨年6月に施行され、鶴橋駅周辺では見られなくなったが、在日コリアンが多く住む川崎市では今もヘイトデモが続く。ネットでも乱暴で攻撃的な表現が絶えない。メンバーの金和子(キム・ファジャ)さん(36)は「こういう時代だからこそ、学びの場が必要だと感じた」と訴える。

 開設の狙いは在日コリアンの歴史や実像、朝鮮半島と日本との関わりについて、読書や交流を通じて理解を深めてもらうことだ。金さんは「日本の若者とも一緒に歴史を学び、その認識を共有していける場になれば」と期待を込める。


(以下略)<<
すでにバカウヨ化してしまった人を矯正するには、こうした取り組みは非力かもしれません。しかし、可能性はゼロではないし、何よりも、バカウヨの再生産を阻止するという取り組みという点においては有力です。

再生産を阻止し、バカウヨ陣営を縮小させてゆき、あわよくばバカウヨの矯正を狙いながら、最終的には時間が事態を解決することに期待を寄せる(バカウヨだっていつかは老いて死ぬでしょう)・・・急がば回れの方法論です。
ラベル:社会 バカウヨ
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2017年08月19日

ナチスだと想像力の欠如、ソビエトだとお咎めなし

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170818-00000009-mai-soci
>> <人種差別>「ナチス」旗でJ1応援 痛み想像する力の欠如
8/18(金) 8:30配信

 ドアを開けると熱気がこもっていた。7月29日、大阪市内のスポーツバー。J1大阪ダービーでガンバ大阪がセレッソ大阪に逆転勝ちすると、約30人が歓喜して抱き合った。


(中略)

 先の大戦でナチス・ドイツがユダヤ人を大量虐殺した「ホロコースト」。忌まわしい記憶を呼び起こす旗がなぜ振られたのか。私は関係者を捜し歩いた。

 デザインを7年前に作った男性メンバー(52)が取材に応じた。インターネットで見たSSマークを「シンプルで格好良く、力強い」と気に入って、ほんの少し手を加えた。「自分たちのオリジナルデザインだ」

 ガンバ側は数年前に旗を使わないよう注意したが「ルール徹底が甘かった」と認める。

 4月に旗を持ち込んだのは自営業の男性だった。「SSマークの意味は知っていたが、全く同じではない。人種差別の意図はなく、使っても大丈夫だと思った」と繰り返し、こう言った。「被害者がいるなら謝りたいが、それが誰なのか分からない」


(中略)

 国際社会は、決して忘れてはならない歴史があると私たちに警鐘を鳴らす。知識だけではなく、当事者の痛みを想像する力が試されているように思う。

 問題の旗を持ち込んだ男性は処分を納得できずにいるが、家にホロコーストの本があったことを思い出し、読み返してみた。「ガス室に送られた人たちの立場なら、旗のデザインに耐えられないかもしれない」。そう感じ始めている。【石川将来・28歳】


(以下略) <<
被害者感情というものは「理屈」ではなく「感情」の問題であり、また、「受け手次第」なものです。世の中には”Nazis”の”N”の文字に対しても拒絶反応を示すくらいに強烈な被害者感情の持ち主が存在しており、その理由は無理もないものであり、そしてそれは常識的知識なのだから、慎重には慎重を期するべきでした。その意味で「痛み想像する力の欠如」というタイトルは間違っていません

ただ、ここからは毎日新聞記事の主題とは外れるのですが、「上坂すみれさんは大丈夫なのか?」という読了の感想が出てきました。ナチス・ナチズムは、ガチは勿論のこと、おふざけ・お遊びでも徹底的に叩かれるのに、ソビエト・共産主義は、いまだにネタとしてもマジとしてもデカい顔をしています

被害者たちの視点に立てば、ソビエト政権の凶悪さはナチスの凶悪さに比肩します。

バルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)やハンガリー、ポーランド、ウクライナといったソビエト政権の被害諸国民たちは、ドイツにおけるハーケンクロイツ掲揚禁止と同様の要領で「鎌とハンマー」の掲揚を禁じています彼らはナチスとソビエトを同列に位置付けています彼らの歴史的感情を踏まえれば当然のことでしょう。

また、ソビエト政権の暴力装置としての赤軍は、第二次世界大戦中、各地で凄惨な殺戮と略奪、暴行を大規模に展開してきました。このせいで心に深い傷を負っている人は数知れず、まだまだご存命の人も少なくないことでしょう。赤軍兵士を悪魔の如く見なす被害者感情は、驚くには値しません

ソビエト政権の被害者、ソビエト赤軍の被害者たちの苦しみに想像力を働かせれば、面白半分で赤軍兵士のコスプレをしている上坂さんの想像力の欠如が際立ちます。ロシアが好きなのは結構なことですが、大学でロシアを専門的に学修したというのであれば、赤軍兵士のコスプレはあまりにも配慮に欠けていると言わざるを得ません(それとも、加害国であるロシアが専門だと被害国である東欧諸国の視点は持てないってこと?)。

ナチス親衛隊の標章をデザインに取り込んだ無名かつ無能なサッカーファンが吊るしあげられて、面白半分で赤軍兵士のコスプレをしている上坂さんはお咎めなし――それどころか、朝日新聞が、上坂さんのお気楽なインタビューを垂れ流している。さすがの上坂さんも大手紙を相手に、アングラな調子で答えてはいないようです(はたまた記者が自主規制したのか?)が、もしこれが「ソ連の国歌から、全ては始まった」ではなく「ナチス党歌から、全ては始まった」だったら、さすがに日本国内向けであっても、インタビュー記事にはできなかったでしょうね。

上坂さんのお気楽なインタビューを垂れ流したのは朝日新聞でしたが、問題のサッカーファンを吊るしあげている毎日新聞も同じ穴の狢です。たとえば4月24日づけ「障害者就労施設が「ソ連の遺産」?笑――資本主義スウェーデンとの比較で完全に敗北」で取り上げた記事は、モスクワ発毎日新聞でした。

「ナチス時代も悪いことばかりではなかった」「ヒトラーも幾らかは良いことをした」などと言おうものなら、ただちに吊るしあげられる昨今ですが、「ソビエト時代も障害者就労施設つくったりと、悪いことばかりではなかった」などと言うのは許されるのでしょうか? まさか「ソレとコレとは分けて考える」とか「いやソ連はスターリンによって大きく歪められたムニャムニャ・・・」とか言うんじゃないでしょうね? この問題の本質は「理屈ではなく感情」なんですよ! 

※ちなみに、「スターリンによって大きく歪められた」論については、以前から指摘しているように、「スターリン一味ごときに歪められるのは制度として欠陥」と言わざるを得ません。政治制度というものは、邪悪な魂胆をもった人間が暗躍しても尚、多重の保安機構によって暴走しないように設計するものです。たとえば三権分立によって今、トランプ米政権の暴走は抑止されていますが、それに対してソ連は「すべての権力をソビエトに」集中させていました。これでは、誰がリーダーかという以前の「そもそも論」としてだめですよ。

ナチスだと想像力の欠如、ソビエトだとお咎めなし――本当に想像力働かせているんですか?

はっきり言って、ナチズムなんかよりもソビエト共産主義の方が被害規模としては甚大であり、そして今もその危険性は根絶されるに至っていません。ナチスよりもソビエトの亡霊の方が差し迫った危機です。

この毎日新聞記事の主題は、ナチズム被害者の苦しみに対する想像力の欠如なので、ソビエトの被害者に関して、この記事で言及がないこと自体は直ちに問題であるとは言えません。しかし、言論空間を広く見回したとき、「ソビエト被害者の苦しみに寄り添う言説が少なすぎないか」「ナチズムと比較して取り上げ方に差がありすぎないか」と思うのです。

是非とも、別の機会での徹底的なソビエトかぶれ批判を展開していただきたいものです。
ラベル:メディア
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2017年08月17日

ブラック企業問題は社会経済総体の問題であり、自主管理化の道こそが解決策

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170817-00005629-nallabout-life
>> ブラック企業リストの公表で浮かび上がってくる「中小企業へのしわ寄せ」
8/17(木) 19:25配信

◆344社が実名公表…その多くは中小企業だった
厚生労働省が5月10日に、いわゆる「ブラック企業」の実名公表を行いました。公開基準は、長時間労働や賃金不払いなど労働関係法令に違反した疑いで送検された企業で、全国合計で344社でした。その後も月に1回ほどのペースでリストは更新されており、8月15日には401社になっています。
 
実名公開そのものの是非はともかくとして、少し気になったのは、リスト掲載企業に大手関連企業の名前がごくわずかで、大半が中小企業である点です。もっとも、中小企業は日本企業の大半を占めているので、リスト掲載企業の多くが中小企業であっても不思議ではないのですが、その企業が大手企業の下請けではないのか、という点が気になるのです。

◆大手企業との「主従関係は絶対」 よって現場は…
理由はこうです。大手企業の下請けというのは基本的に、仕様、品質、価格等々、すべてにおいて発注元である大手企業の支配下にあります。つまり、仕様変更を言い渡されればそれに従い、品質の向上を求められればそれを順守する。さらに、納品価格を下げろと言われれば、それすらも飲まざるを得ない、そんな関係にあるのです。


(中略)

彼によれば、広告代理店の下請けデザイン会社、ゼネコン下請け企業、IT大手の下請けプログラミング会社等々、日本ではあらゆる業界に「しわ寄せブラック」は存在する、と言います。大手企業と下請け中小企業の主従関係。「しわ寄せブラック」はある意味、大手企業が下請け企業を支配するという垂直統合を得意としてきた日本の産業構造が生み落とした陰の部分とも言えそうです。ならば今また、働き方改革が叫ばれ大手企業がここに取り組むことで、更なるしわ寄せが下請けを襲うのではないかという懸念が感じられもするのです。


◆経産省は「下請けGメン」を本格始動するが…
「しわ寄せ中小企業」たたきで終わらない対応が望まれる経済産業省は大企業が中小企業への買いたたきなどをしていないかを調べる「下請けGメン」を4月から本格始動するなど、これまで手がけてきている「下請けいじめ」防止にさらに本腰を入れて動き出しました。しかしこれはあくまで、経産省所轄の発注価格部分に限った話に過ぎません。

厚労省は今後ブラック企業リストを毎月更新すると公言していますが、ならば納期に関する「下請けいじめ」の実態はどうなのか、リストに上がった中小企業が実は「しわ寄せブラック」の被害者ではないのか、経産省同様に自らの足で調査することが必要でしょう。そして、もししわ寄せの存在が判明するなら、その大手企業こそ実名公表されるべきなのです。

ブラック企業リストの公表をしわ寄せ中小企業たたきで終わらせず、ブラック職場を根源から絶つ。厚労省にはそんな気概を持った対応が望まれるところです。

大関 暁夫

最終更新:8/17(木) 19:25
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■ブラック企業問題は、労働屋が描く単純な「労使階級闘争物語」ではない――自由化と民主化による自主化のための「二段階革命論」
重要な指摘です。この点を考えるためには、手前味噌になりますが、ブラック企業問題は、労働屋が描く単純な「労使階級闘争物語」として捉えるのではなく、「自主権の問題」として捉えるべきだと改めて申し上げたいところです。

ブラック企業問題は、第一義的には労働問題であり、労使の力関係の問題です。しかし、視野を広げ論点を深堀りして考察すれば、使用者(企業・資本)もまた経済構造の被造物であると言えます。中小企業について言えば、大企業との関係における「下請け構造」に行動を規定・束縛される部分は大きいとみるべきです。

記事中、筆者の大関氏は、下請け構造を「大手企業と下請け中小企業の主従関係」と正しく表現しました。「主従の関係性」は、「自主」とは対極をなす構造です。ブラック企業問題の根底に「下請け構造」=「企業間における主従の関係性」があるとするのであれば、その解決の道筋は、まさしく「自主化」であると言うことができます。

自主化の道筋について私は、チュチェ105(2016)年1月20日づけ「「オーナーの私有財産としての芸能事務所」という事実に切り込まずして「ジャニーズの民主化」を語る認識の混乱」において、「棲み分けによって自由市場原理が働き、人々が相互牽制的な関係性になることで、相対的な自立度があがります。自主管理によって相互牽制としてではなく、真に自らの足で立てるようになり、他人に依存することなくなります」と述べました。すなわち、「まずは移籍・転籍の活性化による自由化、次に自主管理・協同経営による民主化」という自主化のための「二段階革命論」を唱えました。

■下請けGメンが果たしうる役割は限定的であろう
ブラック企業問題の根底に「下請け構造」があり、この問題を解決するには「下請け構造」を変革する必要があり、そのためには、第一段階として相互牽制的関係性の構築を狙った自由化、第二段階として自主管理化という「二段階革命」の路線をとる必要があるというプランに立てば、大関氏が期待をかける「下請けGメン」は、あくまで第一段階の、それもあくまで初歩的な部分を「補完」する程度の役回りしか果たし得ないことが容易に推察できます。

下請けGメンが果たしうる役割など、所詮は「パトロール」と「通報に基づく検挙」にとどまります。警察が地域住民の防犯協力や110番通報を必要としているように、下請けGメンも結局は、不当な要求に対する現場からの通報に頼らざるを得ません。しかし、大企業と中小企業の垂直的構造の中においては、中小企業側が大企業側の不当な要求を逐次通報するという展開は、現実味が薄いと言わざるを得ません。勇気をもって雪印乳業の不正を告発した下請け業者が、結局仕事を干されてしまった前例が現に存在しています。となれば、「地域住民の防犯協力」や「110番通報」に相当するアクションが下請けGメンに寄せられる可能性は低いと言わざるを得ません。やはり、下請けGメンなどに頼るのではなく、中小企業が自力として、大企業の不当な圧力にそれなりに対抗できるようにならなければいけないのです。

■「二段階革命論」の優位性
この点において、市場メカニズムを活用した相互牽制的関係性の構築が有力なプランとして浮上してきます。取引先の多角化により、特定企業に依存せざるを得ない弱い立ち位置から脱するべきなのです。これこそが私が提唱する「二段階革命論」の第一段階;自由化です。そして、多角化によって自分自身の立ち位置を固めて交渉力を高めた上で、第二段階の自主管理化に取り掛かるべきです。

※この点は、日本共産党が提唱する「中小企業の統一戦線」的な発想とは一線を画すものです。私は基本的に、「鉄の団結による意識的・計画的な変革」ではなく「ベクトル合成の如き要領で自生的・結果的に達成される変革」を重視する立場です。

大関氏がブラック企業問題の考察の視野を広げ、下請け構造に切り込んだことは正しい視点でした。しかし、下請け構造を是正するにあたって「下請けGメン」に期待を掛けてしまったのはマズかった下請け構造があるからこそ、下請けGメンには期待が掛けられないのです。だからこそ、中小企業が自力として交渉力を持たなければならず、そのためには、市場メカニズムを活用し、企業同士の関係性において相互牽制的な構造を構築すべきなのです。そしてまた、「相互牽制的構造」に留まるのではなく、自らの運命を自らで管理し切り開く「自主化」に、ゆくゆくは踏み出すべきなのです。大関氏は残念ながら、中途半端だったのです。

■大企業もまた経済構造の被造物であることを忘れてはならない――大企業叩きではなく社会経済総体を自主管理志向で変革するしかない
大関氏の中途半端さについてもう1点指摘しておきましょう。中小企業がブラック化する要因について、下請けの「構造」を指摘したことは、繰り返しになりますが、正しい指摘です。個別資本もまた、経済構造の被造物であるというのは、かのK.マルクスも『資本論』の序言で述べている通りです。しかし、下請けヒエラルキーの上層に位置する大企業だって、いわゆる「競争の強制法則」が貫徹する以上は、決して安泰ではありません。大企業もまた、おかれている客観的構造を鳥瞰的に見れば、依然として経済構造の被造物です。

その点、ブラック企業問題は、その勤め先に責を帰結できる問題ではないことは勿論、発注側大企業にもその責を負わせることはできないというべきです。労働問題を巡ってしばしば、「本質的には大企業と言えども特定企業でどうにかなる問題ではなく、社会経済の総体のレベルにおいて大きく変革しなければならない」と私が述べているのは、そのためです。

社会経済の総体を自主管理的に改造する――ブラック企業問題を深堀すればするほど、その根本的解決には、自主管理化の道しかないと言えるでしょう。
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2017年08月16日

「米国の核の傘という力を借りる」ことが「自ら運命の主」などと抜かす韓「国」紙;中央日報のお笑い社説

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170815-00000010-cnippou-kr
>> 【社説】我々が自ら運命の主になるべき=韓国
8/15(火) 15:12配信
中央日報日本語版

今日は光復(解放)72周年、建国69周年を迎える日だ。日帝植民支配の倍の時間が経過したが、解放と建国を記念する歓喜よりも依然として不安と憂慮の影が韓半島(朝鮮半島)を覆っている。先代が血と汗と涙で取り戻して守ってきた祖国だが、依然として国は風前の灯のように危険の中にある。韓国の戦争危機は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)3代世襲政権の核・ミサイル挑発から始まり、朝米間の衝突局面を経て、今では米中間の東アジア覇権闘争の様相に広がる様相だ。


(中略)

国は言葉やビジョンでなく力と意志で守るものだ。核武装が不可能な韓国がジャングルのような国際秩序で生存するには米国の核の傘という力を借りるしかない。韓米間の徹底的な安保連携と国民の一致団結で北朝鮮の武力挑発に断固対応するという意志から表明しないのが残念だ。大統領の冷静な現実認識が足りなければ、安保で超党派的な国論統合を成し遂げるのは難しい。北朝鮮の挑発と戦争の意志は、自ら国を守るという韓国人の団結した力と意志を見せることで挫くことができるはずだ。力と意志と国民の団結で自分の運命の主になるという教訓を、我々は日本に36年間も国を奪われた時期に骨身にしみるほど学んだはずだ。

最終更新:8/15(火) 15:12
<<
事大主義の末に「日帝強占」という特大級の屈辱的亡国を経ても尚、今度は対米事大という点において、まったく懲りていない韓「国」(自称)。かの地で発表されたお笑い社説が今日のネタです。まったく何言ってんだか。

力と意志と国民の団結で自分の運命の主になるという教訓を、我々は日本に36年間も国を奪われた時期に骨身にしみるほど学んだはずだ」などと言いますが、ゲリラが建国した朝鮮民主主義人民共和国の方がずーっとよく心得ていることでしょう。他国の核の傘に頼る韓「国」(自称)と異なり、共和国は自衛の核武力を整備している一点を見てもそのことは言えます。

我々が自ら運命の主になるべき」というのであれば、「核武装が不可能な韓国がジャングルのような国際秩序で生存するには米国の核の傘という力を借りるしかない」というのは矛盾ではないのでしょうか?w 自分でも何を言っているのか分かっていないんでしょうなw

トランプ米大統領が「戦争になって数千人が死ぬ場合、それはここではなく向こう(朝鮮半島)だ」と言明している段階においても尚、安全保障をアメリカに頼り切っている底抜けの事大主義者であるオマエたちと共和国とは歴史から学んだ教訓が違うんだよ。覚悟が違うんだよ。いい加減に主体を確立しろ!
ラベル:チュチェ思想
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2017年08月15日

「人に仕事をつける」日本の働き方は「ブルックスの法則」が作用し易い

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170801-00010000-fukui-l18
>> 死招くパワハラ「もう来るなや」 長時間労働など要因か
8/1(火) 8:02配信
福井新聞ONLINE

 2人きりのとき、先輩社員が切り出した。「何で(仕事が)できんの? もう(会社に)来るなや」。口調は本気だった。配置転換で職場を変わったばかりの小林進さん(福井県内在住、仮名)は「すいません」と謝った。言葉のパワハラは続き、通勤の車から会社の建物が見えると、吐き気がするようになった。

 専門職として入社し、上司に異動を告げられた。これまでとは無関係の部署で「職場に残りたい」と訴えたが、上司は「オレの立場はどうなる?」と言った。

 業務は一変。勤務時間は長引くようになった。ミスもあり、緊張で長時間いすに座っていることができなくなった。屋上から飛び降りる夢を何度も見るようになった。

 しばらくで休職した。医師からは「適応障害」と診断された。休職が長引くほど、会社は冷たくなった。結局小林さんは退職に追い込まれた。


(中略)

 5月の福井県内の有効求人倍率は2・09倍で全国トップだった。県内の長時間労働の背景には、慢性的な人手不足がある。一方、ここ数年、県内で最も多い労働相談は「いじめや嫌がらせ」だ。

 福井市の海道宏実弁護士(56)は「長時間労働の上に労働密度が高まり、社員のストレスが増え、パワハラにつながっている可能性がある」と関連性を指摘する。ある企業幹部は「人口減で市場が縮小し売り上げが減れば、まず人件費を削る。1人の負担が増し、今は管理職も現場に出る。職場をマネジメントする余裕がない」と話す。

 仕事が特定の人に集中することを危ぐするのは、県経営者協会の峠岡伸行専務理事(56)。「日本は、仕事に人を付けるのではなく、人に仕事をつける。だからワークシェアもやりにくい。1人が仕事を抱え込む傾向がある」と指摘。「働き方改革は、仕事の指示の出し方も含めた業務の見直しのきっかけにすべきだ」と訴える。


(以下略) <<
■見過ごされている論点を的確に指摘している
7月26日づけ記事でも述べたように、労働屋連中は、電通での女性新入社員自殺事件を単なる長時間労働問題に矮小化し、事件を特定の労働運動上の目的に利用していると言わざるをえない振る舞いを見せています。以前から繰り返しているように、電通の件は、決して単なる長時間労働ではなく、パワーハラスメントこそが核心であるにも関わらず、労働屋連中は不自然なまでにこの事実に触れようとしません。大手マスメディアも同様です。

そんな中で登場した福井新聞記事。「一方、ここ数年、県内で最も多い労働相談は「いじめや嫌がらせ」だ」という触れ込みで、大手メディアがどうにも触れようとしない局面にスポットライトを当てました。死招くパワハラ」というタイトルは的確。重要な問題を正しく提起している良質記事です。

■「人に仕事をつける」から「ブルックスの法則」が作用し、特定個人が負担過多になる
とりわけ以下のインタビュー・コメントは秀逸です。
>> 仕事が特定の人に集中することを危ぐするのは、県経営者協会の峠岡伸行専務理事(56)。「日本は、仕事に人を付けるのではなく、人に仕事をつける。だからワークシェアもやりにくい。1人が仕事を抱え込む傾向がある」と指摘。「働き方改革は、仕事の指示の出し方も含めた業務の見直しのきっかけにすべきだ」と訴える。 <<
この一段落は、巷では、労働屋・労働界を含めてまったく見過ごされているものの、極めて重要なポイントです。仕事をするのに掛かる労働量・労働時間は、上司や経営者の人為的な判断・指示によるものだけではなく、仕事の割り振り方、生産方法・生産技術によって自ずと規定されているケースもあります。

長時間労働・メンタルヘルス問題の代名詞的業界として「IT業界」の名を挙げることについては、ほとんどの人にとって異論はないものと思います。IT業界がこのような過酷な労働環境になりがちである一大要因として、この業界が「知識集約型産業」であり、それゆえに、「ブルックスの法則」が作用するからだと指摘されています。

「ブルックスの法則」とは、フレデリック・ブルックスという、著名なソフトウェア工学者かつ開発技術者が自身のソフトウェア開発経験をもとに提唱しているものであり、"Adding manpower to a late software project makes it later."(遅れているソフトウェアプロジェクトへの要員追加は、プロジェクトをさらに遅らせるだけだ)という逆説的な格言に集約することができます。その理由は、「1人の妊婦が9か月で赤ちゃんを出産できても、9人の妊婦が1ヶ月で赤ちゃんを出産することはできない」という喩えに端的に表れているように、知識集約型産業においては、担当業務を分割して皆で手分けして取り掛かることが困難だという特性があるためです。

「ブルックスの法則」については、2月14日づけ「増員は一人当たりの労働負荷を逆に増やす――「働き方改革」の逆効果」で詳しく論じました。すなわち、@十分な技術的・知識的習熟を要し、また、マニュアルにはない新しいアイディアをメンバー間ですり合わせる必要がある知識集約型産業の労働では、担当業務の分割・再割り当てが困難であり、特定個人に負担が集中しやすいこと、A担当業務の分割の困難性ゆえに、増援のつもりでの追加人員投入は、「新人教育」と「相互連絡(すり合わせ)」という新しいタスクを生み出すので、負担軽減という点では逆効果になり得ること、Bそしてこのことは、経営者の悪意的な経営判断の問題ではなく、産業・業界の生産方法・生産技術(仕事の進め方)によって客観的に規定されるものであることを述べました。

記事中で紹介されている福井県経営者協会の峠岡専務理事の「日本は、仕事に人を付けるのではなく、人に仕事をつける。だからワークシェアもやりにくい。1人が仕事を抱え込む傾向がある」という指摘は、まさしくこの「ブルックスの法則」を言い当てたものであると言えます。従業員に仕事を割り当て、担当従業員の習熟を頼りに仕事を進めてゆく――知識労働的な仕事の割り振り方・進め方であり、「ブルックスの法則」が発動しやすい土壌であると言えるのです。

■労働屋の「馬鹿の一つ覚え」は逆効果
労働屋は、馬鹿の一つ覚えのように「人員増」を繰り返します。おそらく彼らは、「足りないなら増やせばいい」などという子供でも思いつくような素人的発想から脱しきれていないか、あるいは、マルクスの『資本論』が前提としている産業資本主義時代の労働集約的な工場労働の枠組みから脱しきれていないかのドチラかでしょう。いまは知識労働の時代です。ワークシェアしにくい知識集約的な仕事の割り振り方・進め方が手つかずのままでは、仮に人員増したところで負担軽減にはならず、むしろ「分かっていない素人の存在」と「連絡調整会議の連続」が新たなる負担になりかねないのです。

昨今の高ストレスな労働環境を改善してゆくためには、「仕事の割り振り方」に立ち返って改善してゆく必要があると言えます。「働き方改革は、仕事の指示の出し方も含めた業務の見直しのきっかけにすべきだ」という峠岡氏の指摘は、問題の核心を抉るものです。

■福井新聞記事は、生産現場の実態を正しく認識している重要な記事
前掲過去ログの再末尾で私は「生産現場を正しく認識しなおすことから始めなければなりません」と述べましたが、福井新聞記事は、生産現場の実態を正しく認識し、その上で峠岡氏の正しい処方箋を掲載しています。重要な記事だったと思います。

■発展的論点について
なお、福井新聞記事では言及されていませんが、発展的論点として、現在の「人に仕事をつける」方式を改め、ワークシェアし易い、「仕事に人を付ける」方式に転換することは、国際比較的・文化比較的な視点に立てば、日本的な雇用・職務形態から欧米的な雇用・職務形態へのシフトを意味します。無期雇用の正社員を主軸とする日本的な雇用・職務形態は、「人に仕事をつける」からこそ成り立った形態であり、「仕事に人を付ける」形態においては、そのまま生き残るとは必ずしも言い切れるものではありません。

「ワークシェアで負担を軽くしたいけど、無期雇用の正社員形態も捨てがたい」という気持ちは分かりますが、そう上手く話が転がると思わない方がよいでしょう。その点も十分に考慮に入れたうえで、「働き方改革」を考えるべきだと申し添えておきたいと思います。

「労働問題分析の中核的視点としてのブルックスの法則について」シリーズ関連記事
1月24日づけ「「働き方改革」「残業規制」は相対的剰余価値搾取の時代の入口
2月14日づけ「増員は一人当たりの労働負荷を逆に増やす――「働き方改革」の逆効果
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2017年08月08日

立派なブラック企業、あるいは正気を失っているJNNニュース

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20170805-00000173-jnn-int
>> トランプ大統領、課題山積も17日間の夏休みへ
8/5(土) 18:39配信

「休みはとらない」としてきたアメリカのトランプ大統領が4日、首都ワシントンを離れ、自分が所有するゴルフクラブで2週間以上の夏休みに入りました。難題山積のトランプ政権ですが、夏休みも「自分ファースト」のようです。

「就任から半年以上経ち、政治的な実績がほぼゼロのトランプ大統領、これから17日間の夏休みに旅立ちます」(記者)

トランプ大統領は当選直後、「やるべきことが多いからあまり休まないだろう」と豪語していましたが、最初の夏休みは8日間だったオバマ氏の倍以上の予定です。

(中略)

 現実の政治に阻まれて公約実現は遠い一方、政権の迷走ばかりが目立つなか、言葉と行動がうらはらの夏休み入りといえそうです。(05日14:07)
<<
いくらトランプ大統領が嫌いだからといって、「夏休みも「自分ファースト」」とは、正気を疑う罵倒です。

「政治的な実績がほぼゼロ」だから「17日間の夏休み」などケシカランというのであれば、むしろ実績がないからこそリフレッシュしたほうがよいでしょう。こういうマインドに基づく言説が幅を利かせるから、日本では長時間労働が蔓延するのです。かなりハードルが高いノルマについて、「達成するまで休むな」とは、立派なブラック企業の言い分です。

最初の夏休みは8日間だったオバマ氏の倍以上の予定」といいますが、就任時40代のオバマ前大統領と、すでに70歳を超えているトランプ大統領を同列に扱うのは、いかがなものか。トランプ大統領を嫌うのは結構なことですが、いくら嫌いだからと言って、ここまで言うのは異常です。

ちなみに実業家時代のトランプ大統領は、どれくらいの期間をバカンスに費やしていたんでしょうかね? あまり調べる気にはなりませんが、3週間以上の夏休みをとるのが標準的な国も世界にはありますから、それと比べれば「17日」は短い方だと言えるでしょうね。その点、日本人の夏休みの短さは異常。それだけ働いてもGDP世界第1位にはなれないんだから、いったい何をやっているんだか・・・

いいじゃないですか、トランプ大統領。休むことの大切さの範を見せているわけです。上が率先して休暇を取らないといけないと思いますよ。

言葉と行動がうらはらの夏休み入り」というくだりを見るに、「休みはとらない」と従前公言していたこととは相反する点を突っつきたいのでしょうが、認識を正しく改めたのであれば、問題視すべきではないでしょう。意味のない「筋」など通すべきではありません。

そもそも、トランプ大統領が「言葉と行動」を本当に一致させたら恐ろしいことになるでしょうw良かったじゃないですか、トランプ大統領が「やせ我慢」しない性格だということが分かったんですから。まだ任期は3年あるわけで、こんな調子で徐々に軟化していく可能性が、まったくのゼロではないことが分かったわけです。

こういう罵倒を展開するような手合いは、持論に都合の良い「兆候」でさえ恰も「現実」であるかのように増幅するものです。飛びつくものです。これこそが「フェイク・ニュース」の根底。トランプ憎さあまりにCNNが大嘘こいた後ですから、ほぼ同じ罵倒を展開するJNNニュースについても疑いの目を以って接しないといけませんね
ラベル:メディア
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2017年08月07日

「犯罪の加害者と被害者との対話」を目指す運動の再興期

https://news.yahoo.co.jp/feature/710
>> 「犯罪の加害者を責めません」−−ある遺族の選択とは
8/7(月) 10:06 配信

大切な家族を殺された遺族の喪失感や加害者への怒り。それらは、他人に想像できるものではない。しかし、2006年に長女の歩さん(当時20)を殺された中谷加代子さん(56)は「怒り」を消し、刑務所で加害者たちと向き合う活動を始めた。伝えるメッセージは「幸せになって」。加害者を「責める」ことなく、常に「寄り添う」。どうして、そんなことができるのか。なぜ、そんな道を選んだのか。(益田美樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)


(以下略) <<
一般的に、犯罪被害者・遺族は、「あすの会」と歩調を合わせる思考・行動をしていると見なされています。しかし、実際にはそうではありません。「犯罪加害者を責めない犯罪被害者・遺族」は確実に存在しています。

もう10年近く前の話になりますが、そうした人々がOcean 被害者と加害者の出会いを考える会」という団体を設立しました。この団体が設立1周年の記念集会を開いたちょうどその時、朝日新聞夕刊コラム「素粒子」が、当時の鳩山法相を「死に神」と表現し、大問題になっていました。「あすの会」が、「犯罪被害者遺族はみんな加害者に刑死してほしいと思っている」といった主旨の抗議を展開したのに対して、"Ocean"は、「そんなことはない、我々がいる」と反論したように、「あすの会」と自己を対比しつつ「犯罪加害者を責めない犯罪被害者・遺族」の存在を宣言しました。
・旧ブログにて保管している反論文書をスキャンしたものはこちら。「あすの会」が描く構図に反対し、"Ocean"の原点を明確にしています。
・上掲文書にて紹介されている講演会の記録はチュチェ97(2008)年8月6日づけ「「Ocean」設立1周年集会報告(1)

"Ocean"を私は大変、注目し応援してきたのですが、残念ながら最近は団体としての活動実績に乏しいようです。代表の原田正治氏は、この道では超有名人で、戦闘的な死刑存置派からは「こいつは内心、殺された弟を愛してなかったんだろう」と罵倒されるくらい警戒されている御方ですが、残念ながら一般的知名度が低すぎます。脳梗塞から復活し今もブログに講演会に精力的に活動されているようですが、やはり多勢に無勢という点はあります。

また、前掲「「Ocean」設立1周年集会報告(1)」でも収録しているように、松本サリン事件の遺族であり、自分自身も被害者であり、さらに報道被害者でもある河野義行氏も"Ocean"にはかかわっています。しかし、河野氏は「報道被害者」である点、どうにもメディアとしては積極的には使いたくないのでしょうか、超有名人でありながら(超有名人であるからこそ?)、取り上げられる機会に乏しい御方です。

ここ最近数年あまり、「加害者と被害者との対話」を目指す運動は停滞期を迎えていましたが、昨年になって急に新しい角度での再興の動きがみられるようになってきました。チュチェ105(2016)年9月20日づけ「犯罪被害者遺族と確定死刑囚との出会いの場――高橋シズヱさんと原田正治氏・河野義行氏が「一点で一致」した日」でも取り上げたように、なんと「あすの会」のなかでも特に強硬派で、「早く死ね」と公言していた高橋シズヱさん(地下鉄サリン事件遺族)が、「オウムの死刑囚と会いたい」と仰いだしたのです。

そして今回の中谷加代子さんのケースに関する報道。もちろん、真相を知るために対話を求める高橋シズヱさんのケース(一通り対話が終われば、当然「死を以って罪を償え」という話になるでしょう)と、加害者に寄り添うことを目指す中谷加代子さんのケース、そして、死刑反対を言明している原田正治氏と河野義行氏は、いずれも目指すベクトルが大きく異なります(どれが正しくてどれが正しくないという問題ではありません)。しかし、「3大勢力」と言い得る人たちが、いずれも「加害者との対話」を求めていることは、強調してもし過ぎることのない時代の変化です。

旧ブログ時代は「刑事事件にかかわる世論研究」がメインテーマだったように、かなり以前から私はこの問題に関心を持っています。しかしながら、以前から立場を鮮明にしているように、私は「死刑を求める遺族」になる自信があります。中谷加代子さんや原田正治氏、河野義行氏のお考えの境地に至ることは、私には難しいのが正直なところです。もちろん、その立場・主張を否定するつもりは毛頭もありません。

犯罪被害者遺族という立場は、ほとんどの人が直接体験できるものではないし、体験するべきではないものです。身近で見聞きする機会も少ないものです。また、仮に身内を殺されようものなら、正気を保っていられないのは当然のことでしょう。そんなわけで、「犯罪被害者遺族=一秒でも早く加害者に死んでほしい、ぶっちゃけ裁判なんてパスしてほしいくらい」というイメージができがちです。

しかし、実際の犯罪被害者遺族の中には、決してそうではない人たちもいる。これは、ほとんどの生活者にとっては、報道を通じてしか知り得ない事実です。報道を通じて知り得たこの事実をスタートにどう司法的、行政的、立法的に取り組みを展開してゆくべきでしょうか。

一つ、確実に注意しなければならないことは、旧ブログ、チュチェ98(2009)年6月21日付け「「死刑を求めない遺族」を取り上げすぎることの危険性」でも述べたとおり、「じゃあ、各事件の遺族感情次第で被告人を死刑にするかどうかを決めよう」という展開になりかねないということです。これは近代司法制度の発展を振り出しに戻す挙です。

「加害者と寄り添う」とか「加害者への死刑執行を求めない」といった被害者遺族の声が社会全体に行き届いていない現状では、シミュレーションを展開するのは困難です。しかし、「各事件の遺族感情次第」という論点は、油断しているとあっという間に出てくることでしょう。常にアンテナ高く備える必要があります。

関連記事
・チュチェ105(2016)年9月20日づけ「犯罪被害者遺族と確定死刑囚との出会いの場――高橋シズヱさんと原田正治氏・河野義行氏が「一点で一致」した日
・チュチェ105(2016)年10月7日づけ「相変わらず「死刑を求めない遺族」の存在を無視する「あすの会」――団体が「あるべき遺族」の規定に繋がる発言をすべきではない
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2017年08月06日

労働者階級の新しい武器

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170806-00000025-it_nlab-sci
>> ブラックな事案で送検された企業を一覧にしたサイト「ブラック・ブラック企業」が登場 件数が棒グラフで一目瞭然に
8/6(日) 19:24配信

 厚労省が5月から公開している、労働基準関係法令の疑いで書類送検・局長指導された企業をまとめたリスト、いわゆる“ブラック企業”に関するリストを、一覧にして検索できるようにしたサイト「ブラック・ブラック企業」が登場しました。

 2016年10月〜2017年6月までに公表された企業・事業場393件のデータが一覧化されており、「都道府県別」「公表年」「公表月」「違反法条」からそれぞれ知りたい項目を選択してリストから検索できるようになっています。


(中略)

 元のリスト自体は、各都道府県の労働局がそれぞれ送検・指導された企業を集計し、それを厚労省労働基準局がまとめたもの。毎月定期に厚労省のサイトに掲載されるのですが、最新の公表分でPDFファイル65ページにわたって企業名が並んでおり、知りたい項目やそれぞれでの比較などは難しいものがありました。

 さらに事案の多くは「高さ約4メートルの足場上で手すり等を設けていなかった」「非常停止装置を設置していなかった」など労働安全衛生法にかかわるもの。それらの中から特定のタイプの違反事案を分けて検索できる「ブラック・ブラック企業」は、データから必要な情報を知る上で便利なサイトだと言えるでしょう。


(以下略) <<
これこれ、こういうのが必要だったんですよ!

先だって厚労省が、労働法令違反の企業名をリストとして公開したことは画期的でしたが、使い勝手が悪いなと思っていたところでした。とてもよい取り組みです。

以前から述べているように、ひとり一人の労働者が、ミクロレベルで自発的にブラック企業を避ける行動を重ねることで、あたかもベクトルの合成の要領で、マクロレベルの様相が大きく変わるのです。そのための判断材料として、この検索機能は極めて重要。労働者階級の新しい武器だと言えるでしょう。
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2017年08月02日

他人様の「想像力の無さ」を指摘する貴女は、批判者の何を知っているというのか

https://news.yahoo.co.jp/byline/osakabesayaka/20170731-00073891/
>> JAL現役社員はなぜ顔出しで会社を訴えたのか?マタハラ裁判で勝利的和解を収めた彼女に聞いた
小酒部さやか | 株式会社 natural rights 代表取締役

7/31(月) 6:08


(本文引用省略) <<
裁判自体は「よく闘い、見事に勝利した」と率直に祝辞を述べたいところですが、次のくだりについては、懸念を表明せざるを得ません。
>> ●バッシングは想像力の無さから

小酒部:誹謗する人たちだって明日は我が身なのに…。神野さんが声を上げてマタハラ問題が解決していけば、女性が仕事しようと思った時にその人も助かるはず。なぜそれが足を引っ張り合おうとするのか…。

神野:この問題について声を上げる意味を想像できないからかもしれない。想像力のある方は独身でも、男性でも分かってくれるけど、ない方は、たとえ女性であっても「私も大変だったんだからあなたも我慢しなさい」となる。

小酒部:バッシングしてくる人を単純に男女で分けられるものでもない。SNSが浸透しショートワードを投稿することによってコミュニケーションが希薄になっている。反射神経的に何も考えず安易にバッシングするようになった。行間を読むとか、一拍置くとか、そういうことをしなくなってきている。だから余計に想像力がないように見える。

神野:人と人のコミュニケーションも会ってその場の雰囲気を読んで…ということがだんだん少なくなってきている。
<<
■想像力が足りていないのはどっち?
この問題について声を上げる意味を想像できないからかもしれない」――「私の考えを理解できない人は無知蒙昧」と言っているのに等しい言いっぷりです。

妊娠・出産・子育ての経験がない人物からの発言を指しているのであれば、まだ理解できます(※)。しかし、私も大変だったんだからあなたも我慢しなさい」というのは、果たして「想像力の無さ」なのでしょうか? むしろ、今以上に孤立無援の修羅場を乗り越えてきたからこそ言える重い言葉ではないのでしょうか? 「想像力の無さ」を云々するのであれば、「相手がどうしてそういう言葉を掛けてくるのか」「その人はどういう人生を歩んできたのか」という点について、神野氏こそが想像力を働かせるべきだったのはないのでしょうか?

※仮に妊娠・出産・子育ての直接的経験がなかったとしても直ちに「想像力の無さ」と断ずることはできません。神野氏の個人的経験をはるかに凌駕する、広い視野に渡る知識にもとづく客観的論評のケースや、神野氏の境遇を遥かに下回る劣悪極まる環境でのサバイバーが「その程度で何を言っているの・・・」と呆れているケースだってあるでしょう。いくら妊娠・出産期は無給と言っても、いつかはJALに復帰できるのならば、本当の底辺生活者にしてみれば、はるかに恵まれた地位であることは間違いありませんよね。

■自己中心的視点に終始
神野氏は「私も大変だったんだからあなたも我慢しなさい」という言葉を掛けてきた先輩女性社員のリアルについて言及していません。神野氏は、「自分の視点」からしか物事を語っていないのです

神野氏は「同時期に妊娠する人がいれば、一緒に頑張ろうとなったかもしれない」と述べている点、表面上は同僚を「連帯の仲間」として見なしています。しかし、「私も大変だったんだからあなたも我慢しなさい」という言葉を掛けてきた先輩女性社員について、「相手がどうしてそういう言葉を掛けてくるのか」「その人はどういう人生を歩んできたのか」という点での考察を深めず、「想像力の無さ」などという言葉を以って相手を無知蒙昧と決めつけ、切って捨てている点を勘案するに、無意識のうちに自分自身を「正義の伝道者」として一段上に位置付けているのでしょう。無意識では仲間だと思っていないのでしょう。

■偏狭な活動家マインドに転落しかねない「他人を扱き下ろす思考回路」
こうした心構えは、大変にまずい。持論を受け入れない人物を無知蒙昧だと決めつけて扱き下ろす考え方の人物は、異論や批判にとどまらず、慎重意見や懸念意見をもシャットアウトしがちです(世論を敵に回すような言説を当ブログで展開している私自身も常々気を付けなければならないと思っています・・・)。致命的な思い上がりに陥った左翼活動家なんてまさに好例。知らず知らずのうちに偏狭な活動家マインドに転落しかねない思考回路です。

偏狭な活動家は人民大衆から遊離してゆきます。働き方の問題を自己決定権の問題と位置付けるのであれば、そこにおける正義は、突き詰めれば、ひとり一人の生身の人間の「思い」の問題、どういう人生を歩んでゆきたいのかという「理想」の問題です。神野氏の見解が先輩女性社員の見解と一致しないのであれば、「ああ、この人とは考え方や理想の方向性が違うんだな」と思っておけばよろしい。理解しあえない者同士は棲み分ければよろしい。人民大衆が神野氏と同じ考え方であれば、まさにベクトルの合成の如き要領で理想が実現されるし、神野氏がいくら周囲の人間を扱き下ろしたところで、その言い分が社会的に理解されないのであれば、バカ扱いされるのは神野氏の方です。

「連帯の仲間」というのならば、他人様について「この問題について声を上げる意味を想像できないからかもしれない」などと決めつける前に、どうして相手はそういう発言をしてきたのか、相手はどういう経験をしてきたのかを厳密に研究すべきです。

■潜在的支持層を取りこぼしている「自己の無能さ」こそ猛省せよ
同僚は、構造的にその立場を分析すれば、依然として仲間に属する人物です。未開拓の潜在的支持層です。そうした人々を「無知蒙昧のバカ」呼ばわりするのはいかがなものか。本質的には支持層となりうる人物が持論に靡かない事実に対しては、相手をバカにして扱き下ろすのではなく、自分自身の教宣能力の欠如にこそ目を向けるべきです(「バカ」なんて耳障りの良いことを並べておけばフラフラと吸い寄せられてくるんだから、「正義の伝道者」ならば適当に言いくるめてオルグできるだろ!)。神野氏は、「想像力の無さ」などと偉そうに論評して他人様を扱き下ろすのではなく、潜在的支持層を取りこぼした自分自身の組織教宣能力の欠如こそ猛省すべきなのです

■心配になる思考回路
たまたま、許容できる内容での和解に至ったからと言って、すこし天狗になっているきらいがあります。繰り返しになりますが、神野氏はよく闘い、見事に勝利したと私は思います。しかし、その勝利の美酒に酔い過ぎており、人民大衆が主体として推進してゆく労働者階級の自主化運動の展開としては正しくない思考・発想に転落しているのです。

■はっきり言ってヌルい神野氏
まあ、こういうのも「労働屋」にとってはバッシング扱いになるんでしょうね。自分で言うのもなんですが、私くらいの自主管理社会主義者にもなると、神野氏はもちろん、昨今はやりの「ユニオン」とやらの、「ブルジョア博愛主義」っぷりは、本当に笑えてくるレベルなんですけどね。あんな「地主様への陳情・お代官様への直訴」の域を脱していない変革ゴッコ・革命ゴッコが「労働運動」とは、笑止千万。

「神野氏はよく闘い、見事に勝利した」とはいうのは偽りなき私の感想ですが、「こんなのまだスタートラインにも立っていないんだから、あまり調子に乗って講釈垂れるなよ」とも言いたいところです。こんな水準で満足している程度の人物が、他人を「無知蒙昧」と決めつけるとは、何かのジョークでしょうか? 「真の自主化を目指すにあたっては、あんたみたいな天狗思考は、むしろ障害」と付け加えて、本件を総括したいと思います。

お疲れさまでした。あとは我々が引き継ぐので大丈夫です。
posted by 管理者 at 23:03| Comment(8) | 時事 | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

「生贄」を捧げる段階に突入した「タクシー同業者ムラ ジリ貧物語」の第2章

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170801-00050028-yom-bus_all
>> 大阪のタクシー、1300台削減…来春までに
8/1(火) 7:26配信

 大阪市とその周辺で営業するタクシー事業者などでつくる「大阪市域交通圏タクシー特定地域協議会」は31日、法人タクシーの台数を2018年春までに9・4%減らす計画を国に提出した。

 15年11月時点(1万3509台)から約1300台減る見込みだ。

 過当競争を抑え、タクシー運転手の給与など処遇を改善する狙いがある。国が計画を認可した後、各事業者が削減する台数や曜日ごとの営業制限を設ける。

 タクシー業界は規制緩和で競争が激化し、運転手の収入減などが問題となっている。14年には改正タクシー特措法が施行され、新規参入や増車を認めず、削減台数を協議会で計画できる制度が設けられた。


(以下略) <<
■同業者ムラの牙城
タクシー業界は、青木定雄氏のエムケイが斬り込みをかけたころから「ムラ社会的利益共同体」の体質がとりわけ強い世界です。業界人が割と声高に主張を展開するのに便乗する形で、「これ以上の成長・発展を目指す必要などない。ボチボチ現状維持を目指せば、贅沢はできなくても十分に豊かな生活を送ることができるんだ」などと口走るユートピア主義者が、「小泉改革の唾棄すべき遺産」だのとアジり始めるのも珍しくありません。タクシー業界は、「同業者ムラの牙城」の如き様相を呈しています。

そんな状況下での、本ニュース。「タクシーの供給過剰状態」に対して業界団体が計画書を提出したそうです。相変わらずの「同業者ムラ」丸出しっぷりです。

■「生贄」を捧げることで延命を図ろうとする「タクシー同業者ムラ ジリ貧物語」の第2章
いわゆる「タクシーの供給過剰状態」を是正し、需要量と供給量とを均衡させ、社会的資源を効率的に再配置することは重要な取り組みです。ビジネスを革新して需要を掘り起こすか、あるいは本来であれば競争淘汰されるべき死に損ない企業を間引く必要があります。

しかし、タクシー業界が求めて続けている「是正策」は是認できません。このことについて私は、チュチェ102(2013)年8月18日づけ「「小泉改革」を克服した新しい改革を」において次のように述べました。
>> いまは参入規制強化という「権力的保護」によって何とかなるかもしれませんが、状況がもっと悪くなったとき如何するのか。いたずらに「ゾンビ化」を促進させ、もうどうにもならなくなってから慌てて「対策」をはじめても大混乱に陥るだけでしょう。いわゆる「炭鉱争議」における、毛沢東からエールを送られるほどの激烈な「階級闘争」と、エネルギー需要の変化による「自然消滅」の歴史は、多くのことを示唆しているでしょう。 <<
この間「タクシー同業者ムラ」は、業界の利益を守るために高い参入障壁を聳え立たせ、「今いる身内どうしで仲良く利益山分け」を目指してきました。しかし、どうにも上手くいかなかったので、今度は「来年春までに9パーセント超の1300台削減」などという「口減らしの生贄」を捧げることにしたわけです。

「タクシー同業者ムラ」は、「生贄」を捧げることで何とか延命を図ろうしている新しい症状段階にあります。競争淘汰による自然な供給量の削減ではなく、ムラの「寄り合い」で決まった「競争によらない淘汰」です。革新を伴わない需給均衡の展開であり、本来であれば競争淘汰されるべき(間引かれるべき)である、人々が求めているものを提供しないビジネス、魅力に乏しいビジネスが生き残ってしまう展開です。

■「生贄」を捧げても枯死は依然として時間の問題――ビジネスの革新が御留守
タクシーの需要に大きく伸びる展望がなく、むしろ縮小を続けるトレンドにあることは、ずっと変わりのないことです。参入規制や「生贄」などで一時的に利幅を確保したところで、そもそも利潤の源泉が枯れ始めているのだから、その場しのぎでしかないのは明々白々です。

利潤の源泉を再生する新しいビジネスモデルを掘り当てない限り、枯死は依然として時間の問題です。まだ「参入規制」だった頃でさえ、新しいビジネスモデルの開拓の成果を挙げられなかった(挙げようともしなかった?)タクシー同業者ムラの村民たち。「生贄」を捧げる第二段階になったからといって、急に覚醒するとも思えません。

■「生贄」を捧げるにしても方法がある――「競争淘汰促進の方法論」
記事冒頭でも述べたように、需給の均衡には「競争淘汰促進」というアプローチがあります。タクシー同業者ムラの要望は、繰り返しになりますが、「競争によらない淘汰促進」を意味しているので賛同できませんが、では「競争淘汰促進の方法論」とは、どういったものなのでしょうか?

前掲過去ログにおいて私は、スウェーデンにおける労働政策の基本を「人は守るが、雇用は守らない」と表現した同国元財務相のペール・ヌーデル(Pär Nuder)氏の発言から、以下のくだりを引用しました。このくだりは、「競争淘汰促進の方法論」の正当性を端的に表現している重要箇所です。
>> 既に申し上げたように、ここでの考え方は、人を守るということです。雇用を守るのではありません。フランスやドイツにあるような法律は、私たちにはありません。そういった法律は、産業が消滅してしまいますと、かえってコストを高めてしまいます。一方、私たちは、その産業を生き残らせるためにお金を提供するのではなく、個人が自分の身を守るために使えるお金を提供するという考え方です。競争が激しくなることによって自分の働いている会社が例え倒産したとしても、自分の人生は揺るがないのだという自信を人々に持たせなければなりません。

つまり、ソーシャルブリッジは、古い、競争力をなくした仕事から、新しい競争力のある仕事に人々を移らせるためのインセンティブにならなければならないわけです。スウェーデン人が変化を好んでいるのかといえば、それは全くのうそになります。スウェーデン人は、変化を好んではいません。しかし、ほかの国よりも変化を受け入れる大きな土壌が多分あるでしょう。
<<
最優先すべきなのは生身の人間の生活を守ること、人々の暮らしを守るには古い競争力をなくした仕事から新しい競争力のある仕事に人々を移らせる必要があること、「人々の暮らしを守るため」と称して産業に対して延命措置を行うのは長期的に見てより大きなコストがかかってしまうということ――重要な指摘の連続です。

スウェーデンがこうした境地に至った経緯は、当ブログでも何度も触れているように、同国が経済危機を経験したところにあります。かつてはスウェーデンも産業保護に熱心だった時代が長く続きましたが、懲り懲りするような痛い目にあって以来、大きく舵を切ったのです。

この方法論を踏まえてタクシー業界における需給調整について考えるならば、タクシー業界は、早くから「参入規制強化による供給量是正」ではなく「廃業支援による供給量是正」に照準を合わせるべきだったと言えるでしょう。そうすれば、もっと穏便な形で供給過剰状態を是正できたはずです。他業種に比べて特に手厚い支援が求められるタクシー業からの足抜けにあっても、早くから対策を打っていれば、必要な職業教育や産業振興を施し、過剰な人員をスムーズに整理できたはずです。

■手遅れの域に入りつつあるのに懲りていない
タクシー業は「つぶしが利かない」業界だと言えます。前掲過去ログにおいても下記の通りに述べました。
>> そもそも、なぜ過当競争に陥っているのに供給量が自然と減らないのか。その理由の一つには「辞めるに辞められない」状況があるでしょう。タクシー業から撤退しても次の飯の種がない――そうなれば、たとえ過当競争であろうと今の業界にしがみつく他ありません。 <<
だからこそ、どんなに過当競争で苦しい台所事情であっても、いまさら他業種に鞍替えできないのでしょう。運転手は特にそうでしょう。そのことが、異常なまでの供給量の価格弾力性の乏しさ(硬直しきっている)の原因でしょう。

「つぶしが利かない」業種であるにも関わらず、「次の一手」を考えるよりも「今にしがみつく」ことを選び、自分自身で未来を閉ざしてきたタクシー業界。供給過剰がどうにもならない状態になってもなお、「生贄」を捧げるような形で懲りずに「ムラの維持」に腐心するタクシー業界。今後、自動運転技術の進歩に伴い、そもそも生身の人間が自動車を運転するということ自体が不要になる時代も近づくことでしょう。そのとき、いよいよタクシー業という職業は消滅の危機に瀕することでしょうが、そのときになってもまだ、「生贄」探しに奔走している姿が目に浮かびます。

ことココに至っても尚、ムラ社会的方法論で利幅確保に奔走するタクシー業界の現況にこそ、Nuder元財務相の指摘が鋭く突き刺さります

手遅れの域に達しつつある現在のタクシー業界にあっては、もはや「生贄」を捧げるしか道がないのは事実でしょう。早く見切りをつけるのではなく、あくまでも、しがみつこうとした結果、いよいよ、しがみつく先がなくなりつつあります。残念ながら1300台の削減に伴って少なくない人員は大海に投げ出されることでしょう(好景気だから、まだよかったですね)。早くから手を打っていれば・・・まさに「産業が消滅してしまいますと、かえってコストを高めてしまいます」という指摘の通りです。

■今からでもソーシャルブリッジの構築を急ぐべき
遅れ馳せながらではあるが、今からでもソーシャルブリッジの構築を急ぐべきです。今後もきっと、タクシー業界は「生贄」を捧げる方式でジリジリと規模的にも利幅的にも縮小してゆくことでしょうから、哀れにも「生贄」的にパージされてしまった人を支えなければなりません。

同時に、「こうやって産業というものは衰退してゆくのだ」という教科書的実例として、タクシー業界の動向は、経済学的分析を加味しつつ記録してゆくべきでしょう。

■ふしぎな おはなし(余談)
ところで、資本というものは、生身の人間(タクシー運転手)とは異なり、今まで自分が直接的経験を通して培ってきたノウハウでしか商売できないわけではなく、企業買収等でノウハウを我が物とすることができる(多角化できる)ものです。起業にあたっての資本蓄積がタクシー業によるものだからといって、「つぶしが利かない」わけではありません。資本の目的は「利殖」であり、その手段は本質的には問題ではないはず。にも関わらず、タクシー資本はタクシー業に固執しています。おかしな話です。

タクシー業というものは、「隠された旨味」があるのかもしれません。「待遇改善」に本気で取り組むのであれば、経営を多角化し全社的に収支を揃えたり、一層の労働分配率の向上に取り組む方が本筋に沿ったものです。しかし、そうした本筋ではなく「参入制限」にますます奔走しているのが現実です。国土交通省の研究会でも指摘されているように、歩合給を基本とする賃金形態の場合、増車に伴う経営リスクは乗務員に転嫁可能だといいますが、待遇問題についていえば、ここに大きなヒントがありそうです。「待遇改善」は表向きの看板に過ぎず、実際は「隠された旨味」を寡占的に維持するための口実なのかもしれませんネ。
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