2017年08月07日

「犯罪の加害者と被害者との対話」を目指す運動の再興期

https://news.yahoo.co.jp/feature/710
>> 「犯罪の加害者を責めません」−−ある遺族の選択とは
8/7(月) 10:06 配信

大切な家族を殺された遺族の喪失感や加害者への怒り。それらは、他人に想像できるものではない。しかし、2006年に長女の歩さん(当時20)を殺された中谷加代子さん(56)は「怒り」を消し、刑務所で加害者たちと向き合う活動を始めた。伝えるメッセージは「幸せになって」。加害者を「責める」ことなく、常に「寄り添う」。どうして、そんなことができるのか。なぜ、そんな道を選んだのか。(益田美樹/Yahoo!ニュース 特集編集部)


(以下略) <<
一般的に、犯罪被害者・遺族は、「あすの会」と歩調を合わせる思考・行動をしていると見なされています。しかし、実際にはそうではありません。「犯罪加害者を責めない犯罪被害者・遺族」は確実に存在しています。

もう10年近く前の話になりますが、そうした人々がOcean 被害者と加害者の出会いを考える会」という団体を設立しました。この団体が設立1周年の記念集会を開いたちょうどその時、朝日新聞夕刊コラム「素粒子」が、当時の鳩山法相を「死に神」と表現し、大問題になっていました。「あすの会」が、「犯罪被害者遺族はみんな加害者に刑死してほしいと思っている」といった主旨の抗議を展開したのに対して、"Ocean"は、「そんなことはない、我々がいる」と反論したように、「あすの会」と自己を対比しつつ「犯罪加害者を責めない犯罪被害者・遺族」の存在を宣言しました。
・旧ブログにて保管している反論文書をスキャンしたものはこちら。「あすの会」が描く構図に反対し、"Ocean"の原点を明確にしています。
・上掲文書にて紹介されている講演会の記録はチュチェ97(2008)年8月6日づけ「「Ocean」設立1周年集会報告(1)

"Ocean"を私は大変、注目し応援してきたのですが、残念ながら最近は団体としての活動実績に乏しいようです。代表の原田正治氏は、この道では超有名人で、戦闘的な死刑存置派からは「こいつは内心、殺された弟を愛してなかったんだろう」と罵倒されるくらい警戒されている御方ですが、残念ながら一般的知名度が低すぎます。脳梗塞から復活し今もブログに講演会に精力的に活動されているようですが、やはり多勢に無勢という点はあります。

また、前掲「「Ocean」設立1周年集会報告(1)」でも収録しているように、松本サリン事件の遺族であり、自分自身も被害者であり、さらに報道被害者でもある河野義行氏も"Ocean"にはかかわっています。しかし、河野氏は「報道被害者」である点、どうにもメディアとしては積極的には使いたくないのでしょうか、超有名人でありながら(超有名人であるからこそ?)、取り上げられる機会に乏しい御方です。

ここ最近数年あまり、「加害者と被害者との対話」を目指す運動は停滞期を迎えていましたが、昨年になって急に新しい角度での再興の動きがみられるようになってきました。チュチェ105(2016)年9月20日づけ「犯罪被害者遺族と確定死刑囚との出会いの場――高橋シズヱさんと原田正治氏・河野義行氏が「一点で一致」した日」でも取り上げたように、なんと「あすの会」のなかでも特に強硬派で、「早く死ね」と公言していた高橋シズヱさん(地下鉄サリン事件遺族)が、「オウムの死刑囚と会いたい」と仰いだしたのです。

そして今回の中谷加代子さんのケースに関する報道。もちろん、真相を知るために対話を求める高橋シズヱさんのケース(一通り対話が終われば、当然「死を以って罪を償え」という話になるでしょう)と、加害者に寄り添うことを目指す中谷加代子さんのケース、そして、死刑反対を言明している原田正治氏と河野義行氏は、いずれも目指すベクトルが大きく異なります(どれが正しくてどれが正しくないという問題ではありません)。しかし、「3大勢力」と言い得る人たちが、いずれも「加害者との対話」を求めていることは、強調してもし過ぎることのない時代の変化です。

旧ブログ時代は「刑事事件にかかわる世論研究」がメインテーマだったように、かなり以前から私はこの問題に関心を持っています。しかしながら、以前から立場を鮮明にしているように、私は「死刑を求める遺族」になる自信があります。中谷加代子さんや原田正治氏、河野義行氏のお考えの境地に至ることは、私には難しいのが正直なところです。もちろん、その立場・主張を否定するつもりは毛頭もありません。

犯罪被害者遺族という立場は、ほとんどの人が直接体験できるものではないし、体験するべきではないものです。身近で見聞きする機会も少ないものです。また、仮に身内を殺されようものなら、正気を保っていられないのは当然のことでしょう。そんなわけで、「犯罪被害者遺族=一秒でも早く加害者に死んでほしい、ぶっちゃけ裁判なんてパスしてほしいくらい」というイメージができがちです。

しかし、実際の犯罪被害者遺族の中には、決してそうではない人たちもいる。これは、ほとんどの生活者にとっては、報道を通じてしか知り得ない事実です。報道を通じて知り得たこの事実をスタートにどう司法的、行政的、立法的に取り組みを展開してゆくべきでしょうか。

一つ、確実に注意しなければならないことは、旧ブログ、チュチェ98(2009)年6月21日付け「「死刑を求めない遺族」を取り上げすぎることの危険性」でも述べたとおり、「じゃあ、各事件の遺族感情次第で被告人を死刑にするかどうかを決めよう」という展開になりかねないということです。これは近代司法制度の発展を振り出しに戻す挙です。

「加害者と寄り添う」とか「加害者への死刑執行を求めない」といった被害者遺族の声が社会全体に行き届いていない現状では、シミュレーションを展開するのは困難です。しかし、「各事件の遺族感情次第」という論点は、油断しているとあっという間に出てくることでしょう。常にアンテナ高く備える必要があります。

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・チュチェ105(2016)年9月20日づけ「犯罪被害者遺族と確定死刑囚との出会いの場――高橋シズヱさんと原田正治氏・河野義行氏が「一点で一致」した日
・チュチェ105(2016)年10月7日づけ「相変わらず「死刑を求めない遺族」の存在を無視する「あすの会」――団体が「あるべき遺族」の規定に繋がる発言をすべきではない
posted by s19171107 at 21:11| Comment(0) | 時事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする