https://news.yahoo.co.jp/byline/kohyoungki/20171016-00076952/>> 金正恩氏のメンツも丸つぶれ…北朝鮮「計画経済」が名実ともに破たん
高英起 デイリーNKジャパン編集長/ジャーナリスト
10/16(月) 6:33
かつては北朝鮮全国のどこにでもあった配給所。食料品から生活必需品に至るまで、選択肢は多くなかったものの様々な物資を配給していた。しかし、1990年代に配給システムが崩壊して以降は、有名無実の存在となっていた。北朝鮮当局はこのような配給所の廃止を始めた。
両江道(リャンガンド)のデイリーNK内部情報筋によると、恵山(ヘサン)市人民委員会(市役所)は今年9月、市内の配給所を廃止するとの通達を出した。今後、特別な休日に配給する物資があれば、洞事務所(末端の行政機関)で受け取る体制に転換することにした。
配給所とは、文字通り配給を受け取る場所だ。北朝鮮は、他の旧共産圏でも類を見ない完全な配給制度を実施していた。つまり、日々の食べ物から生活必需品に至るまで、贅沢品を除いたあらゆるものを配給制にしていた。
人びとは、工場、企業所で働いた日数、労働強度、家族の数に応じて受け取った配給票と引き換えに、物資を受け取っていた。
(中略)
配給所は、曲がりなりにも社会主義計画経済が機能していた時代の遺物となった。北朝鮮の計画経済は、名実ともに破たんしたのだ。
今回、地方政府が配給所の廃止に踏み切った背景には、もはや何の機能も果たしていないことを認め、現実に合った政策に転換することで市民の支持を得ると同時に、住民の結束を図り、統制を強化しようという意図があるものと思われる。
情報筋は、今後行われる特別配給で忠誠分子と不満分子が受け取る量に差を付け、「言うことを聞けばより多くの配給がもらえる」ことを見せつけて、体制への忠誠心を引き出そうとする目論見があると分析した。
(中略)
全国の小学生に特別配給として配られたお菓子セットは不味いと大不評で、市場で二束三文でたたき売りされた。これでは金正恩党委員長の面目丸つぶれだ。情報もモノもなかった1980年代以前とは異なり、草の根市場経済の進展で様々な商品が出回るようになった今の北朝鮮の人びとを配給で満足させるのは至難の業だろう。 <<
■経済改革が歴史的に重要な一区切りを迎えた
デイリーNKジャパンの、それも「情報筋」発の記事なので、申し訳ないが「話10分の1」くらいに聞かざるを得ないものですが(デイリーNKジャパンの「スクープ」を引用したり後追いしている記事はあまり見たことがないのですが、このニュースを信頼に足るものと見なすには、もう少し時間がかかりそうです)、
事実だとすれば、これまでの一連の過程に位置付ければ、キムジョンウン経済改革が歴史的に重要な一区切りを迎えたと言い得る事象です。
■
キムジョンウン体制の一連の過程を振り返り「配給所廃止」を位置づける
キムジョンウン委員長の経済改革のこれまでの一連の過程を振り返った上で、今回の「配給所廃止」のニュースを位置づけたいと思います。
キムジョンイル総書記が急逝されたチュチェ100(2011)年12月17日を以って最高指導者となられた
キムジョンウン委員長は、就任半年の2012年6月28日に早速「
6.28方針」を提示され、
市場的方法の導入を含む経済改革に着手しました。
このことは当初は「内部情報筋」発の真偽不明の話でしたが、チュチェ102(2013)年4月に朝鮮総連機関紙『朝鮮新報』が共和国系メディアとしては初めて報じたことから、確定的事実として受け止められようになりました。当ブログでも、同年4月11日づけ「
経済改革」で取り上げています。
また、この経済改革の
背景・動機に「
すべての工場・企業所の国家管理ができなくなってきた」という事実があることを、朝鮮社会科学院のリギソン教授は、2013年10月7日発売の『週刊東洋経済』掲載インタビュー記事にて告白しました。(チュチェ102(2013)年10月7日づけ「
チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ」)。驚くべきほどに正直な告白で、俄かには信じがたいものでしたが、それだけに今までとは違う「何か」を感じさせるものでした。
その後しばらく、経済改革の進展については報道が乏しくなりましたが、それでも「経済改革が中止した/後退がみられる」といった類の報道も現象は見られず、むしろ、デイリーNKジャパンが「トンジュ」なる新興企業家層が育っている様子を報じていたものでした。
事態が大きく動いたのはチュチェ105(2016)年に入ってからでした。5月の朝鮮労働党第7回党大会を目前に控えた「70日戦闘」に際して、
イデオロギー面で伝統的に超難題であった「個人間の競争」という課題について3月19日づけ『労働新聞』社説が
「集団主義的競争」という名で解答を与えたのです。そして
5月の党大会では「並進路線」の名の下に経済改革が正式に路線として位置付けられ、続く最高人民会議でも経済建設中心の内閣が組閣されたのです。当ブログでは以下の2つの記事でその模様と意義を総括しています。
チュチェ105(2016)年6月6日づけ「
朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」
チュチェ105(2016)年7月2日づけ「
分権改革・経済改革の旗印を更に鮮明にした画期的な最高人民会議」
※なお、「集団主義的競争」を位置づけた3月19日づけ『労働新聞』社説の全文和訳(拙訳で恐縮です)を上掲6月6日づけ記事にて掲載しております。そして今年の「新年の辞」。1月2日づけ「
キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!」でも触れたとおり、
党大会によって規定された新路線と「集団主義的競争」が肯定的に回顧され、これで市場化経済改革が名実ともに路線化されたことが明白になったのです。
また、7月発表の韓国銀行の第三者的な推計によると、7月27日づけ「
政策としての朝鮮民主主義人民共和国における市場経済化は着実に前進している――韓銀推計という第三者的立場の分析からも明らか」でも取り上げたとおり、
キムジョンウン委員長の
市場化経済改革が経済成長に寄与していることが韓国銀行の第三者的な分析からも明らかになっています。
キムジョンウン委員長の経済改革は着実に前進しているのです。
そして、今回のデイリーNKジャパンの「配給所廃止」のニュース。着実に前進している市場改革によって、もはや配給所など前時代の遺物でしかなくなったことが政治的にも認められた象徴的事象です。
キムジョンウン委員長は就任以来、一貫して市場経済を集団主義体制に導入し、計画経済と決別しようと努力してこられました。
配給所廃止は計画経済との決別を象徴する出来事です。これを「キムジョンウン経済改革の一区切り」と言わずして何と言うべきでしょうか?■悪く書き立てようとするあまり支離滅裂気味なコ編集長
私のように、現在の経済改革路線を支持している立場からすれば、このニュースは共和国の歴史、朝鮮革命の歴史において大きな肯定的出来事だと認識するのですが、とにかく共和国のことを悪く書き立てたいのか、それとも単に無知なのかは分からない(どっちもなんでしょうねー)のですが、コ編集長の見出しの書き方は支離滅裂気味になっています。
「
金正恩氏のメンツも丸つぶれ…北朝鮮「計画経済」が名実ともに破たん」というのは
妙な表現です。
計画経済の再建を目指していたものの再建を途中で放棄したとか、再建努力の失敗を認めたというのであれば分かりますが、キムジョンウン委員長は、就任当初から市場化を目指してきたのですから、この表現は妥当ではないでしょう。
「
金正恩氏のメンツも丸つぶれ」というのも、それに対応する本文中の記述が「
全国の小学生に特別配給として配られたお菓子セットは不味いと大不評で、市場で二束三文でたたき売りされた。これでは金正恩党委員長の面目丸つぶれだ」であるのならば、
意図的にミスリードを誘っていると考えざるを得ない書き立てっぷりです。「計画経済を復活させようとして失敗しメンツ丸つぶれ」と読めます。イデオローグであるならまだしも、
ジャーナリストであるというのならば、不誠実極まりないものです。
■3世代にわたっての懸案だった「社会主義における市場の活用」への解答としての「配給所廃止」までの道のり――
キムイルソン体制・
キムジョンイル体制の回顧
なお、本文中の「
北朝鮮は、他の旧共産圏でも類を見ない完全な配給制度を実施していた」というくだりを見るに、おそらくコ編集長はご存じないものと思われるのですが、
共和国ほど配給制度を柔軟にとらえていた社会主義国は珍しいと言えると私は考えています。以前から述べており、下記でも改めて述べるように、
キムジョンウン委員長の経済改革は
3世代にわたっての懸案だった「社会主義における市場の活用」という思想的・政策的課題に対してようやく一定の解答が出てきたのだと考えています。
9月9日づけ「
共和国における経済改革の進展――建国69年目のチャレンジの行方」でも引用しましたが、チュチェ58(1969)年3月1日発表『社会主義経済のいくつかの理論的問題について 科学・教育部門の活動家の質問にたいする回答』において
キムイルソン主席は、「
我々が、まだ人民生活に必要なすべての品物、特にほうきとかパガジ(ふくべ)のようなこまごました日用品や、食肉、卵、ゴマ、エゴマのような副食物などをすべて国家で十分に供給できない条件のもとで、そういったものを個人が副業で生産し、市場にだして売るのがどうして悪いのでしょうか。それが立ち後れた方法ではあっても、すべてを先進的な方法でできないときには、後れた方法も利用しなければなりません。」と指摘されています。
また、闇市の取り締まりについても、「
そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません」と鋭く指摘されています。
さらに、これはもはや「伝統的理論」に則っていると言ってよいのか分からないくらい革新的な見解ですが、「
国の工業化が実現し、技術が高度に発展して、人民の要求するあらゆる消費物資が豊富にな」り、「
どんな品物でも国営商店で買えるようになれば、誰も、しいてそれを農民市場へ行って買おうとはしないはずであり、また、そのような品物が農民市場で売買されることもな」くなるはずであり、そのような状況下では各商品は国内の「
すべての地域で、同じ価格で実現され」るとした上で、「
このように品物が豊富で、同じ価格で実現されるとき、それは供給制と変わりありません」とまで述べていらっしゃるのです。
このように、
キムイルソン主席は、自生的な市場経済活動に対してかなり柔軟な見解を持っておられたのです。このことについて私は、前掲記事で次のように述べました。
>> ところで、キムジョンウン同志の経済改革は、いままで市場を廃絶しようと努力してきた共和国が、ある日突然に諦めて方向転換した結果なのでしょうか?
私は、決してそんなことはなく、「社会主義における市場の活用」は共和国の歴史的な思想的・政策的課題であり、それに対して最近ようやく一定の解答が出てきたのだと考えています。
(中略)
今日のキムジョンウン同志の経済改革の第一目標は、人民生活の向上です。建国の父が「人民の生活上の便宜」という観点から市場の活用について評価していた点を踏まえれば、キムジョンウン同志が人民生活の向上のために市場を活用するのには、何の障害もありません。キムジョンウン同志の方法は、キムイルソン同志の方法であるといえます。
(中略)
このように、今日、キムジョンウン同志が取り組んでいる「計画部分と市場部分とを混在させる試み」は、キムイルソン同志のチュチェ58年の労作に、その原型が既に見られると私は考えています。 <<
コ編集長がいう「類を見ない完全な配給制度」とは、いったい何のことでしょうか? 偉大な首領様が直々に「農民市場があることは悪いことではなく、闇市なんて根絶できるわけがない」と事実を正面から受け止め、イデオロギー的原則性に対して柔軟に対処していたことを「
完全な配給制度」と言いたいのでしょうか? コ編集長と私は、意思疎通もままならないほどに語句選択のセンスが大きく異なるようです。
キムジョンイル総書記時代についても、これもまた完全には「反市場」ではなかったと言えます。前掲9月9日づけ記事でも述べたように、チュチェ91(2002)年の
「7.1経済管理改善措置」は漸進的な経済開放政策でした。また、
イデオロギー面においても、キムジョンイル時代に発表された音楽作品や文学作品においては、「個人の営利追求行為」や「個人間の競争」が肯定的に描写されていたものです。
残念ながら、
キムジョンイル総書記の時代は、
イラク戦争勃発以降、何よりも国防が最優先となり内部引き締めが強化されることで、市場化に歯止めが掛けられてしまいました。
キムジョンイル総書記は先軍政治の終結を宣言する前にこの世を去ったので、結局のところ、「反市場」的な実績ばかりが目立ってしまいます。
しかし、前述のとおり、情勢がそれを許さなかったものの、ゆくゆくは慎重に慎重を重ねつつも、徐々に市場経済を取り入れる方向に向かったものと思われます。
■斯くして、ついに計画経済から完全に決別し、市場経済の活用に不可逆的に舵を切った
このように、
キムイルソン主席とキムジョンイル総書記は、ともに、必ずしも「反市場・統制的計画的経済」を志向していたわけではなく、むしろ、「イデオロギーだけが国家存立の基盤」という意味では似たような境遇にあった東ドイツと比べれば、はるかに柔軟な姿勢で市場メカニズムとの付き合い方を考えてこられたのです。そして、
キムジョンウン委員長の時代を迎えて、ついに計画経済から完全に決別し、市場経済の活用に不可逆的に舵を切ったのです。
大英断です。