2018年01月30日

大東建託労組員の夢物語的願望に付き合う日本共産党の著しい後退

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-01-30/2018013015_01_1.html
>> 2018年1月30日(火)
大東建託 元内部監査室社員の証言
架空契約・はんこ偽造
背景に「業績あげないと徹底差別」
追及 アパート商法の闇

 “契約取れないとクビ”。大手賃貸不動産「大東建託」の過酷なノルマ主義を背景にした労働者トラブルの記事(本紙2017年11月27日付既報)が反響を呼んでいます。同社は「一括借り上げで長期の家賃保証」などを売り文句に、賃貸アパート建築を勧誘するサブリース業界の最大手です。記事を読んだ本社内部監査室の元社員が本紙に証言しました。

 「もはや成果主義ですらない。労働者が会社に残ることを考えない『労働者使い捨て』経営です」


(中略)

常に罵声飛ぶ

 処分事案には「架空契約と文書偽造も多くあった」といいます。

 「ある支店で顧客と取り交わす文書の偽造が分かり、全支店で調べたら出るわ、出るわ…。少なくとも数十件はあった。顧客のはんこをカラーコピーなどで偽造していた。解雇者も出しました」

 背景に契約を取れない「無実績者」への「徹底した差別」があったといいます。

 ―「私は無実績」と書いたタスキをかけて支店前で掃除をさせる。

 ―ノルマ未達成を理由とする懲罰的な無実績者研修。

 ―支店内では日常的に罵声怒声が飛び交う。

 ある支店では営業担当社員をスタンガンで脅す「スタンガン支店長」までいたといいます。

 「10%ぐらい」という高い解約率も当時の特徴だったといいます。

 「もとの契約が荒っぽい。ノルマに追われた結果、法律上建てられない土地でも契約する」


(中略)

体質の改善を

 一方、同社でつづく高い離職率やパワハラなどの数々の問題―。

 「私はコンプライアンス(法令)遵守を掲げ、顧客対応、職場環境の改善に努力してきたつもりです。『赤旗』で報道されたようなことがいまだに発生しているのは非常に残念。結局、ザルから水がこぼれ落ちるようなもの」と声を落とします。

 昨年、創業以来初の労働組合が結成されたことを歓迎します。

 「労組づくりの動きは何度かあったが、なかなかうまくいかなかった。根本体質を変えるには労組のような組織が必要です。労組を敵視するのではなく、社員とともに会社体質の改善にとりくみ、社会的な信用を得る企業になってほしい」


(以下略) <<
事実であるかどうかは別として(←免罪符)、大東建託については、今更どんな証言が出て来ようとも驚くに値しない「ブラック企業の大家」です。いや、赤旗も言及していますが、架空契約や文書偽造に至っては、もはや「ブラック企業」の枠を超える悪質さと言うほかありません(かのワタミでさえ、自社社員に対してはブラックであったものの、顧客に対しては一定水準の価値を供給していたものです)。

しかし、もっとも驚愕すべきは、そんな大東建託において労働組合が結成されたことを好意的に評する声を報じている『しんぶん赤旗』編集部です。社員を使い捨てにするだけでなく、顧客をも食い物にするような極端な利益至上主義者、ブルジョア利己主義者に対して労働運動を展開し、会社の「根本体質」を変えようとすること、換言すれば、交渉を通じて極端な利益至上主義者、ブルジョア利己主義者の「改心」を期待することなど、まったく甘っちょろいブルジョア的「博愛」主義精神の産物と言う他ありません。驚くべき「共産主義」者です。単なる冗談か組合商法の一環でないと言うのであれば、正気を疑わざるを得ないものです。

こんな会社の企業体質が組合運動で変わると本気で思っているのでしょうか? 私は、現経営陣と、この経営陣の「お引き立て」と「適者生存」によって幹部クラスに君臨している次期経営陣たちが居る限り、大東建託の組織体質に変化などあり得ないと思っています。人間はそう簡単に改心しないし、そういう経営モデルでようやく企業として市場におけるポジションを得ている以上は、現状のブラック経営からの改善はすなわち、ビジネスモデルの革命になります。そう簡単な話ではないでしょう。

以前から繰り返しているようにこの手の極端な利益至上主義者、ブルジョア利己主義者が「改心」などするはずがなく、こういった手合いは我々の経済社会から追放する必要があります。我々の社会にはВЧК(反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会)やНКВД СССР(ソビエト連邦内務人民委員部)のような「階級的暴力装置」は事実として存在せず、また存在する必要もなく、そもそも存在してはならないものです。その代わりに、我々の社会には、労働市場という名の「淘汰メカニズム」が存在します。また、営業の自由、結社の自由といった権利もあります。これらを組み合わせれば、ВЧКやНКВД СССРが血の雨を降らせてようやく実現した成果を達成しうる展望を見出すことができます。

これらの事実を踏まえた上で私は、極端な利益至上主義者、ブルジョア利己主義者の「改心」に期待するような労働運動の展開ではなく、@労働市場を活用することによる労使間の勢力均衡;ブラック資本家の市場淘汰、そして、A資本家・経営者の「善意」に頼るのではなく、営業の自由、結社の自由を基盤として、労働者階級が自ら企業経営を自主的に管理することを提唱してきました。

変革の第一段階としての「労働市場の活用」は、「辞める」ことを当然に含むものの、その効果はそれだけには留まりません。

チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でも述べましたが、心身の無理をせず「辞める」というのは、取り急ぎ安全地帯に脱出するという意味で最善的です。逃げた方がよいケースも存在します。またそもそも、労働者が企業側・資本家側の支配から脱して自主的な立場を獲得するためには、特定の勤め先に対する依存を低減させなければりません。

それと同時に、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」を筆頭に以前から述べているとおり、和民やすき家のケースがそうであったように、労働市場においてブラックの悪名が立つと求職者が減ってしまうわけです。現従業員は使いつぶせばいいとしても、新しい従業員の供給か途絶えれば、ビジネスとして立ち行かなくなるので、企業側には待遇改善のインセンティブが発生するのです。待遇が改善できなければ、破産するだけです。これは、「改心」の問題とは別個の営利的判断に属する話です。どっちに転んでも労働者階級としては損はありません。

つまり、「労働市場の活用」には、@ミクロ的には個別労働者の個人的かつ取り急ぎの避難でありつつも、同時に、Aベクトルの合成の如き要領でマクロ的で長期的な効果を生むのです。

なお、「辞める」ことを労働者の立場からサポートする形での労組運動には意義があるということは、チュチェ104(2015)年10月15日づけ「周囲の助けを借りつつ「嫌だから辞める」「無理だから辞める」べき」を筆頭に以前から繰り返している通りです。

また、直近では1月9日づけ「解雇規制緩和とソーシャルブリッジ構築はセットで!――硬直した議論を止めるためにこそ90年代以降のスウェーデンに学ぼう」など、以前から繰り返しているように、社会的に存在が好ましくない企業を市場淘汰するためにこそ、スウェーデンを参考にした形での「ソーシャル・ブリッジ」の構築が必要です。ブラック企業といえども、現実としてそこに勤めている人々がいるわけです。彼らの生活を守りつつ、悪徳ブルジョア分子を淘汰するためには、ソーシャル・ブリッジの構築は必要不可欠です。「スウェーデン・モデル」の場合、斜陽産業の淘汰促進のためにソーシャル・ブリッジを構築していますが、来るべき「日本モデル」においては、ブラック企業の淘汰のためにソーシャル・ブリッジを構築すべきでしょう

変革の第二段階としてのAの自主管理志向は、マルクスの『資本論』からも読み取れることです。共産主義者としてはやはり、「御代官様・資本家様への陳情」に留まるべきではなく、自主管理を目指さなければならないのです。

その点、共産主義者の結社である日本共産党の中央機関紙『しんぶん赤旗』が、大東建託の労組員の「社員とともに会社体質の改善にとりくみ、社会的な信用を得る企業になってほしい」などという夢物語的願望を好意的に報じていることは、驚愕すべきことであると言わざるを得ないのです。革命的・共産主義的立場からここまで後退したわけです。

なお、チュチェ103(2014)10月5日「資本家の権力の源泉を踏まえた自主化闘争――自立的な自主化であるために」でも述べましたが、資本家・経営者側の所有権、分配権、指揮命令権に対して労働者階級側が一定の影響力を保持すること目指す形での労働運動には意義があるでしょう。「自主管理」とまでは行かないまでも、「管理の一端を担う」ことは第一歩的に重要なことです。その点、近く論考を展開すべく準備中ですが、一般的なレベルの企業であれば、労組運動は必ずしも無意味・無価値とは断じ得ないところです。しかし、大東建託についていえば、そんな展望すら描き得ない企業体質です。大東建託に対して願望を描くことは非現実的・夢想的です。
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2018年01月25日

自主独立国家建設の必須的要求である正規軍としての朝鮮人民軍;「2.8建軍節」の意味

http://www.kcna.co.jp/calendar/2018/01/01-23/2018-0123-005.html
>> 조선로동당 정치국 2월 8일을 조선인민군창건일로 결정

(평양 1월 23일발 조선중앙통신)조선로동당 중앙위원회 정치국은 2월 8일을 조선인민군창건일로 할데 대한 결정서를 22일 발표하였다.

결정서에 의하면 주체37(1948)년 2월 8일은 조선인민혁명군을 정규적혁명무력으로 강화발전시켜 조선인민군의 탄생을 선포한 력사적인 날이다.

위대한 수령 김일성동지께서는 해방후 강력한 정규군대의 창설을 자주독립국가건설의 필수적요구로 내세우시고 탁월한 군건설사상과 정력적인 령도로 3년도 안되는 짧은 기간에 항일의 전통을 계승한 주체형의 혁명적정규무력인 조선인민군을 창건하시였다.


(中略)

1. 위대한 수령 김일성동지께서 조선인민혁명군을 정규적혁명무력으로 강화발전시키신 주체37(1948)년 2월 8일을 조선인민군창건일로 할것이다.

이와 관련하여 위대한 수령님께서 첫 혁명적무장력을 창건하신 주체21(1932)년 4월 25일은 조선인민혁명군창건일로 할것이다.


(中略)

3. 각급 당조직들은 해마다 2월 8일을 계기로 인민군군인들과 당원들과 근로자들에게 위대한 수령 김일성동지의 정규적혁명무력건설업적을 깊이 체득시키기 위한 정치사상교양사업과 다채로운 행사들을 의의있게 조직할것이다.

(以下略) <<
40年ぶりに元に戻る建軍節。チュチェ37(1948)年2月8日からチュチェ21(1932)年4月25日に建軍節が移動したのは、キムイルソン同志の革命的正統性を示すための「遡り」と位置付けることができますが、今回の「復活」は、"정규"(正規)という語句が繰り返されている点からも、こんにちの朝鮮人民軍を正規軍として位置付けるところに重点を置きたいことが推察されます。

記事第3段落"위대한 수령 김일성동지께서는 해방후 강력한 정규군대의 창설을 자주독립국가건설의 필수적요구로 내세우시고 탁월한 군건설사상과 정력적인 령도로 3년도 안되는 짧은 기간에 항일의 전통을 계승한 주체형의 혁명적정규무력인 조선인민군을 창건하시였다."(偉大な首領 キムイルソン同志におかれては、解放後、強力な正規軍の創設を自主独立国家建設の必須的要求として掲げ、卓越した軍建設思想と精力的な領導によって、3年に満たない短期間に抗日の伝統を継承したチュチェ型の革命的正規武力である朝鮮人民軍を創建なさった。)というくだりには、正規軍が「自主独立国家建設の必須的要求」であると明示されています。

その上で、政治局決定第3項"각급 당조직들은 해마다 2월 8일을 계기로 인민군군인들과 당원들과 근로자들에게 위대한 수령 김일성동지의 정규적혁명무력건설업적을 깊이 체득시키기 위한 정치사상교양사업과 다채로운 행사들을 의의있게 조직할것이다"(各級の党組織は毎年2月8日を契機に人民軍軍人と党員、勤労者に偉大な首領 キムイルソン同志の正規的革命武力建設の業績を深く体得させるための政治思想教育事業と多彩な行事を有意義に組織する。)を読めば、このタイミングで「2月8日」を改めてしっかり祝うという決定の意図は、「自主独立国家建設の必須的要求である正規軍としての朝鮮人民軍」という位置づけを強調するところにあると考えるのが自然な見立てでしょう。

平昌五輪開幕の前日であるというのは、あまり意図は感じず、ほとんど偶然の域に属するものだと考えられます。あまりにも「イベント」が目白押しだったために忘れているかもしれませんが、「斬首作戦」だの「空母群派遣」だの「Xデーは4月25日」「9月9日空爆」「クリスマス休暇名目で米軍家族が不自然なく帰国できる年末に開戦」などと大騒ぎしていてからまだ1年たっていません。世界最強の軍事力を誇る米国と直接対峙するという強度の緊張状態にある共和国が、「あの日々」から最初に迎える2月8日、それも70周年の2月8日(共和国において「5の倍数の年」は特別な意味が付与されがちです)を契機に記念日を制定し、以って朝鮮人民軍の位置づけを「自主独立国家建設の必須的要求としての正規軍」であると強調するのは、それほど不思議なことではないでしょう。

アメリカ帝国主義との直接対峙という厳しい現実を踏まえた引き締めであると見るべきでしょう。
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2018年01月22日

「現場の奮闘」だけでシステムとしての組織全体について「妥当だった」と語ることはできない

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180120-00000017-jnn-soci
>> 新潟のJR列車立往生、バス輸送支援をJRが断る
1/20(土) 6:56配信

 新潟県三条市で、15時間にわたり乗客が閉じ込められたJRの列車立往生から1週間、JRは、地元自治体からのバス輸送支援の申し出を断わっていたことがわかりました。

 「多大なるご迷惑・ご心配をお掛けしたことに深くおわび申し上げます」(JR東日本新潟支社 今井政人 支社長)

 19日、JR東日本新潟支社の今井政人支社長が会見して陳謝しました。三条市は県を通じて、マイクロバスによる乗客輸送をJRに提案していましたが・・・

 「(三条市の)要請をお断りした形ではないが、情報提供という認識だった」(JR東日本新潟支社 今井政人 支社長)

 道路状況からマイクロバスでの輸送は難しいと判断していました。この対応について、国土交通省は自治体に支援要請をしなかったことを問題視しています。


(以下略) <<

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180119-00000066-jij-soci
>> 代替バス申し出を放置=信越線立ち往生で―JR東
1/19(金) 12:49配信
時事通信

(中略)
 また、同市から代替バスを提供するとの打診を、検討せずそのままにしていたと明らかにした。

 同支社によると、電車が動けなくなってから約5時間半後の12日午前2時半ごろ、三条市から乗客避難のためマイクロバスを提供するとの打診が県を通じてあったが、具体的な検討に入らなかったという。

 今井支社長は「情報提供という認識だった。乗客の全員救済を前提に動いており、マイクロバスでは十分な容量がなく、全員の救済は困難と考えた」と説明した。
<<
今回の信越線立ち往生の一件については、現場社員の奮闘や、大雪という不可抗力的事情を以って「JRの対応は妥当だった」という認識が広まりつつあったところでした。

たしかに、現場社員は最善を尽くしたと言えるので、「現場の対応」については妥当だったと言えるでしょう。しかし、そのことのみ以って「JR東日本新潟支社の組織としての対応全体」を妥当だったと判断するのは早計です。このような短絡的な判断を下す人物は、物事を構造的に理解することができていないと言わざるを得ません

組織というものは、それぞれ異なる分担があり、それらが全体としてシステムを構成しています。最前線が最善を尽くしているからといって、それ以外の部署が必ずしも最善を尽くしているとは言い得ず、最前線の事情だけでシステムとしての組織全体について語ることはできないわけです。

15時間立ち往生のJR信越線、乗客から運転士に感謝のツイート 「泣きたかっただろうし、帰りたかっただろうなと思います」」という記事が出て来ていた点、このまま「鉄道マンの奮闘」ストーリーとして美談的に終わってしまいかねないところでした。最前線の現場社員の奮闘に過ぎないのに!

物事を構造的に理解することができない手合いは、こういう美談仕立てに引っかかり、組織としての問題の本質を捉え損ね、責任回避の誤魔化しに騙されるものです。乏しい手段・権限しか与えられていないものの、やはり「目立つ」現場レベルの奮闘にばかりに目を奪われ、目立ちはしないものの手段・権限については現場よりは豊富に揃っている組織幹部レベルの判断や選択に目が行かなくなるのです。

美談仕立てにの風潮に対して私は、たいへんな違和感と危機感を感じていたところでしたが、しっかりと組織分析の観点に立って、危機管理の問題として設定しなおす機運が生まれたことはよかったと思う次第です。

もちろん、詳しく検討してみれば、現場レベル以上の判断も「やっぱり妥当だった」と言えるかもしれません。しっかり振り返った結果として、そういう結論に至るのであれば、それならそれでよいのですが、ここで言いたいのは、「現場の奮闘」だけを以って、それ以外の組織部門を含めた全体について短絡的に「妥当だった」と言ってのけるその思考回路は問題だということです。
ラベル:社会
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2018年01月15日

最低賃金引上げの経済学的効果について

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180115-00019335-forbes-bus_all
>> 最低賃金の引上げは労働者の不都合に ウォルマートの例に見る真実
1/15(月) 17:00配信
Forbes JAPAN

ウォルマートは先ごろ、数十万人に上る自社の従業員に良いニュースをもたらした。米連邦政府が決める法定最低賃金を上回る金額に、最低賃金を引き上げたのだ。一方で同社は、従業員たちにとって悪いニュースも明らかにした。

ウォルマートは傘下の会員制スーパーマーケット、サムズ・クラブの一部店舗の閉鎖を決定した。これにより、何千人もの従業員たちが再び、求職活動を開始せざるを得なくなる。さらに、すでに伝えられているとおり、同社は数千台のセルフサービス方式のレジを導入し、レジ係の数を大幅に削減する計画だ。

「全労働者の利益」はあり得ない
最低賃金の引き上げは、理論的には良いことだ。より多くの収入を最も必要とする低所得の人たちに、企業がより多くの賃金を支払うのだ。だが、実際には最低賃金の引き上げの恩恵を受けるのは、必ずしもそうした低所得の人たちではない。人件費の増加は、企業が労働者にとって不利な経営方針の変更を行うきっかけになる場合もある。

つまり、労働者の利益となる賃上げの裏側には、いくつかの醜い真実があるということだ。その一つが、前出の「セルフ清算レジ」の採用に見られるような、労働者に代わる機械の導入だ。企業は増大した労働費用を、高度な作業をより安価に行うことができる機械によって相殺しようとする。

もう一つは、企業が新たな給与体系の下では利益を上げられないと判断した事業について、縮小に乗り出すことだ。サムズ・クラブの店舗閉鎖がその明らかな例だ。
(以下略) <<
至極当然で何の不思議もない展開です。しかしながら、「最低賃金の引き上げは、理論的には良いことだ。より多くの収入を最も必要とする低所得の人たちに、企業がより多くの賃金を支払うのだ。」というくだりについては、指摘しておかなければなりません。労働屋を中心として最低賃金制度に「幻想」を抱いている手合いは少なくないものですが、必ずしも彼らの願望を実現させる方法論ではないのです。

経済学的に考えたとき、最低賃金は「価格規制」です。最低賃金が労働市場における均衡水準を上回っているとき、労働の供給量は労働の需要量を上回るので、失業が発生します。その結果、既に就業している労働者は最低賃金制度によって所得が増加するものの、未熟練労働者のうちの幾らかは失業の憂き目にあう(雇用機会が失われる)わけです。既に失業状態にある人物に至っては、ますます働き口を探すのが困難になることでしょう。最低賃金制度を以って、低所得者層の救済を目指す手合いは少なくないものですが、既に失業状態にあるような低所得者――低所得者層の中でも、とりわけ困窮している可能性が大きい人物です――の救済においては、最低賃金制度は役に立たないのです。

こんなことは、大学1回生が「経済学入門」といった類の授業で学ぶこと。Mankiw(2002)Principles of economicsによると、真っ先に切られやすい未熟練労働者としての10代労働者の雇用は、賃金の10%上昇に対して1〜3%減少するとのこと(邦訳第2版p168より)です。狙いに対して逆効果と言わざるを得ません。

低賃金労働者は必ずしも努力を以って貧困から脱出しようとしている人物ではありません。それゆえ、低所得者救済にはもっとピンポイントで効果的な代替案があるはずだという指摘もあります。それどころか、最低賃金の上昇は、より多くの人々を労働市場への参入させるインセンティブを付与するので、小遣い稼ぎ目的の人物の参入によって競争が激化する恐れさえあるのです。

その点、「最低賃金の引き上げは、理論的には良いことだ。より多くの収入を最も必要とする低所得の人たちに、企業がより多くの賃金を支払うのだ。」とは必ずしも言い切れないわけです。

もっとも私は、Mankiwが述べているようなミクロ経済学の競争的市場の原理が現実世界ではそのまま実現しているとは思っていません(Mankiwだって、無邪気にそう思っているとは言えない書きっぷりですけどね――図書館等で参照元原文をご参照ください)。現実の労働市場を「生産手段の所有の有無」という観点から考察すれば、(1)労働供給(労働者)側のプレイヤー数に対して労働需要(企業・資本家)側は相当に少数派である点、労働市場は需要寡占状態であると言うべきです。また、(2)そんな寡占市場においては、労働者の価格弾力性は極めて硬直的である一方、企業・資本家のそれはかなり弾力的であるといってよいでしょう。つまり、現実の労働市場は、企業・資本家に価格支配権があると言ってよいわけです(マルクス経済学ではなくミクロ経済学の立場・価格弾力性の概念からこの結論を導出していることにご注目ください!)。

一円でも安く買いたたきたい企業・資本家が寡占的に価格支配権を掌握している事実に対しては、最低賃金制度の存在は一概には悪いこととは言えません。また、私個人としては、チュチェ106(2017)年7月25日づけ「全国一律最賃制度こそ、非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させる決定打」でも述べたように、未熟練・低賃金労働者には教育が必要であり、安易に労働市場に参入すべきではないし、また、そうした労働力に依拠するような生産性の低い産業は淘汰されるべきだと思っているので、最低賃金制度の存在を否定するつもりはありません。しかし、やはり上掲引用記事は理論的に誤りであることは指摘しておかなければならないところです。

もし、低所得問題の解消を最低賃金制度を以って実現しようとしているのであれば、それは的外れなのです。経済学的に考察したとき、最低賃金制度は、@企業・資本家が寡占的に掌握している価格支配権を緩和し、既に職を得ている労働者が異常に安価に買いたたかれないようにする保安機能であると同時に、A生産性の低い人物が安易に労働市場に参入してくることを防ぎ、教育を受けることにインセンティブを与える機能を果たすと考えられるのです。

関連記事一覧:ラベル / 最低賃金からご覧ください。
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2018年01月11日

典型的な陰謀論者・宗教詐欺師の手口と重なるテレ朝編集部

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20180110-00000034-ann-soci
>> メルカリに大量の振袖 「はれのひ」に新たな疑惑?
1/10(水) 17:06配信

 着物のレンタル業者が成人式の当日に突然、営業を停止した問題で、謎の現象が起きていた。インターネット上のフリーマーケットで、大量の振り袖が売りに出されていたという。


(中略)

 ネット上で個人が品物を売ったり買ったりできるフリーマーケットのようなアプリ「メルカリ」。そこに、大量の振り袖や帯、草履などが出品されているという指摘が相次いだのだ。メルカリの運営会社に聞いたところ、2カ月ほど前から、禁じている法人利用の疑いがある数十の大量出品があったので、9日に非公開にしたという。
 メルカリHPから:「一部報道において、メルカリ上で『振り袖』を複数出品しているアカウントがはれのひの関係者ではないかという憶測がなされておりますが、現時点でそのような事実は確認されておりません」
 メルカリは現在、出品者に連絡を取ろうとしていて、商品の入手先を確認するとしている。また、楽天のフリーマーケットアプリ「フリル」を調べたところ、業者の大量出品ではないかと疑わしいものがあったので、非公開に。だが、すでに数件が取引されていたという。

最終更新:1/10(水) 17:06
テレビ朝日系(ANN)
<<
私は、自分自身も身内も本件被害者ではないので、「はれのひ」の一件は完全に他人事ながらも、激しい義憤を感じているところです。自分で言うのもアレですが、「感情豊か」な私。まったくの他人事ながら、許しがたいことだと思っています。しかしながら、この記事は流石に「典型的陰謀論」のレベルと言わざるを得ないシロモノです。

テレ朝編集部には、「偶然」という観念はないのでしょうか? メルカリ上における振り袖を複数出品と「はれのひ」の反人民的所業との間に、どういった必然性・因果関係があるとみているのでしょうか? そういった確たる証拠も提示せずに、近い時期に振袖の大量出品があった「だけ」で、「新たな疑惑?」とは、「『保守速報』じゃあるまいし・・・」と言わざるを得ないところです。非科学的です。

陰謀論者の典型的口上として、「単なる偶然を、仕組まれたモノと位置付ける」が挙げられるところです。宗教の教義も多用する手口である点、詐欺師の典型手口といってよいでしょう。

その点、本件記事の構造は、記事を読む限りにおいては、メルカリ上における振り袖を複数出品と「はれのひ」の反人民的所業との間における必然性・因果関係は自明ではありません。にも関わらず、「新たな疑惑?」などと報じているテレ朝編集部の編集姿勢は、典型的な陰謀論者・宗教詐欺師と重なると言わざるを得ません。
ラベル:メディア 社会
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2018年01月09日

解雇規制緩和とソーシャルブリッジ構築はセットで! 硬直した議論を止めるためにこそ90年代以降のスウェーデンに学ぼう

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180108-00007234-bengocom-soci
>> なぜ日本で「解雇規制の緩和」が進まない? 倉重弁護士「硬直した議論はもうやめよう」
1/8(月) 9:22配信

旭化成の小堀秀毅社長が朝日新聞のインタビュー(2017年12月7日掲載)で、「30代後半から40代前半の層が薄くなっている」と話したことについて、ネット上で「就職氷河期世代に何をしたのか覚えてないのか」「採用しなかったのは企業側だろ!」などと話題になった。

(中略)
日本の雇用形態をめぐっては、終身雇用の慣行があり、それを法的に裏付けるものとして、高度経済成長期に判例によって形成された厳しい解雇規制がある。不況時代に正社員を解雇できない状態で人員を削減せざるをえないなら、新卒の採用抑制になるのも仕方がない面がある。

雇用をめぐる法規制あり方についてどう考えればいいのか。自身も就職氷河期世代で、解雇規制の緩和を訴えている倉重公太朗弁護士に聞いた。(編集部・新志有裕)

●新卒採用の抑制がてっとり早かった

(中略)
そうなると、新卒採用を抑えるのが手っ取り早かったわけです。減らしやすいところから減らして、その結果、新しい時代についていける人材がいなくなり、日本企業の競争力をそいでしまうことになっているのが現状です。リーマンショックの時も同じことが起こったでしょう。もっと雇用が流動化していれば、新卒をたくさん採用することもできたはずです。

−−これから中途採用をすればいいのではないか

中間管理職になれそうな人材がいるのであれば、中途で採用すればいいはずです。しかし、日本の企業の転職率は40歳を過ぎると落ちてしまうので、なかなか採用できないのです。それは旭化成の社長が「なかなか人が集まりません」と発言している通りです。

社会全体で5年先、10年先が見通せない中で、一つの企業で新卒一括採用、そしてその後の終身雇用ということにこだわるべきではなかったはずです。働く側からしても、新卒で入る会社は、ただ最初に勤めるだけの会社です。色々と経験してから分かることもあるはずです。

今の労働法は、1つの会社で働く終身雇用を大前提にしていると考えていますが、時代の変化にそぐわないものになっているのではないでしょうか。

●簡単にクビにできない金銭解雇制度を導入すべき
−−法制度はどう対応すべきなのか

やはり解雇規制のあり方を変えるべきでしょう。ただ、アメリカのように、アットウィル(雇用主が自由に採用、解雇できること)の雇用はやりすぎで、日本の雇用環境にはマッチしないと思います。解雇問題を金銭で解決する欧州型を目指すべきです。

(中略)

結局、現状の制度のもとでも、解雇問題は労働審判で金銭和解するケースが多く、裁判に至るケースはごくわずかです。そうであるならば、裁判という手間をかけなくても解雇することのでき、労働者としても金銭を得ることができる仕組みにした方が、企業にとっても、労働者にとっても良いのではないでしょうか。

●0か100かの議論から脱却を
−−長年、解雇規制の緩和論が様々な立場の人から主張されてきたが、そういう方向に日本社会が向かっていないようにみえる。それはなぜなのか

完全に解雇を自由にするか、全くできなくするかという、0か100かの議論になって、硬直しすぎているように見えます。しかし、物事の本質はそう簡単に0か100かで割り切れるものではないでしょう。アメリカ型がいいと言っているわけではないんです。解雇規制を緩めて、どう社会全体で労働者を保護するのか、という議論をすべきなのです。

0か100かという意味では、新卒採用だって同じことです。雇用が流動化したからといって、新卒採用を全部やめるべきではないでしょう。人材教育などの面で、新卒採用にもいいところがあります。ただ、「新卒採用しかしない」と就職活動時の景気動向により人生が左右されすぎてしまうのがおかしいと就職氷河期世代としては思います。

(中略)
労働法の議論は、正社員の保護というミクロな話ばかりで、もっと広い意味で、日本全体で見た時の経済的・社会的合理性は何か?という点を議論すべきです。ある問題社員を守るがゆえに、新卒採用が1名減ったり、契約社員や派遣社員、業務委託者の切り捨てが起きたりするわけです。正社員だけを守っていても、必ずどこかにしわ寄せがいきます。また、守られる側が悪者だということになって、社会の分断のような不幸な事態が生まれることもあるでしょう。

では全員を正社員にできるかというと、企業の「財布」は限られていて、人件費の総額は決まっています。結局のところは原資をどう分配するのかという議論で、全員正社員にして一生給与保証できるのならいいですが、今のままで全員正社員にすると、給与が支払えなくなり、会社自体が立ちゆかなくなれば本末転倒です。

「解雇規制緩和ダメ・ゼッタイ」ではなく、これからの時代に相応しい合理的な雇用システム、労働者保護のあり方はなんなのか、法律だけでなく、経済も含めて、日本の雇用社会の未来を考えたうえで、新しい労働法をデザインする。そういった流れに向かっていって欲しいと思います。

(以下略) <<
重要な提起が凝縮された記事です。とりわけ、0か100かの議論から脱却を」というご指摘には強く賛同するものです。であるからこそ、倉重先生には、スウェーデンにおける社会政策と連動した雇用政策を踏まえていただきたかった!

1990年以降のスウェーデン型の福祉国家モデルの研究をライフワークとしてきた私は、当ブログにおいて、同国における社会政策と連動した雇用政策について以下の通り、触れてきたところです。
チュチェ106(2017)年8月1日づけ「「生贄」を捧げる段階に突入した「タクシー同業者ムラ ジリ貧物語」の第2章
ならびに、
チュチェ102(2013)年2月18日づけ「いやいや全然違うから共産党さんw
チュチェ102(2013)年8月18日づけ「「小泉改革」を克服した新しい改革を
チュチェ106(2017)年7月25日づけ「全国一律最賃制度こそ、非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させる決定打
チュチェ106(2017)年11月19日づけ「男女平等は人権問題であると同時に経済成長のツール――福祉国家革新の先駆者としてブレないスウェーデンの現実を正しく報じる意味

これらの記事で私は、幾度となく、スウェーデンにおける労働政策の基本を「人は守るが、雇用は守らない」と表現した同国元財務相のペール・ヌーデル(Pär Nuder)氏の発言を引用してきました。すなわち、解雇規制の緩和とソーシャルブリッジの構築は一体的に行わなければならないのです
>> 既に申し上げたように、ここでの考え方は、人を守るということです。雇用を守るのではありません。フランスやドイツにあるような法律は、私たちにはありません。そういった法律は、産業が消滅してしまいますと、かえってコストを高めてしまいます。一方、私たちは、その産業を生き残らせるためにお金を提供するのではなく、個人が自分の身を守るために使えるお金を提供するという考え方です。競争が激しくなることによって自分の働いている会社が例え倒産したとしても、自分の人生は揺るがないのだという自信を人々に持たせなければなりません。

つまり、ソーシャルブリッジは、古い、競争力をなくした仕事から、新しい競争力のある仕事に人々を移らせるためのインセンティブにならなければならないわけです。スウェーデン人が変化を好んでいるのかといえば、それは全くのうそになります。スウェーデン人は、変化を好んではいません。しかし、ほかの国よりも変化を受け入れる大きな土壌が多分あるでしょう。
<<
最優先すべきなのは生身の人間の生活を守ること、人々の暮らしを守るには古い競争力をなくした仕事から新しい競争力のある仕事に人々を移らせる必要があること、ソーシャルブリッジの存在は、「自分の人生は揺るがないのだという自信」を人々に与えることによって、人々が転職しやすい環境をつくるというわけなのです

スウェーデンがこうした境地に至った経緯は、当ブログでも何度も触れているように、同国が1990年前後に深刻な経済危機を経験したところにあります。かつてはスウェーデンも産業保護に熱心だった時代が長く続きましたが、懲り懲りするような痛い目にあって以来、大きく舵を切ったのです。とりわけ、福祉国家というアイデンティティを守るためにこそ、経済再建を優先させなければならないという正しい認識の下に、痛みを伴う経済改革を推進し、最終的に好循環を実現させたのです!

解雇規制緩和に対する一般的な日本人の不安は、やはり、規制緩和による生活不安でありましょう。そして、この点につけ込んで、左翼活動家連中が暗躍しているところです。スウェーデンが既に実現させているように、解雇規制緩和議論にはソーシャルブリッジの構築を抱き合わせるべきです。そうすれば、双方による好循環が生まれることでしょう。

このことについては、最近は、かの大前研一氏も提唱しておられます。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171208-00000017-pseven-bus_all&p=1
>> 企業が不要な人員を解雇できるスウェーデン式ルール
2017/12/8(金) 16:00配信

 企業が賃上げをしない一方、建設、飲食、運送、医療、介護などの業界では人手不足が深刻だ。逆に、人が余っている業界のひとつ、銀行では、メガバンクが次々と人員と業務量の削減を発表した。経営コンサルタントの大前研一氏が、名目賃金が20年にわたって下がり続けている日本の雇用環境を打ち破るために、雇用ルールの変更を提案する。

(中略)
 この問題の解決策は、企業が不要な人員を解雇できる制度を整えることだ。スウェーデンでは、修正社会主義の下で企業が人を解雇できなくて社会が硬直化したため、解雇できるようにルールを変えた。ドイツもシュレーダー首相(当時)が「アジェンダ2010」で同様の改革を断行した。

 企業が簡単にクビを切れるようにするひどい制度だと批判する向きがあるかもしれないが、それは違う。その一方で、失業手当を手厚くしたり、解雇された人たちが21世紀に飯が食えるような新しい技術やスキルを身につけられる職業訓練システムをしっかり整えたりしたのである。

 要するに今の日本の問題は、人手不足なのに低賃金の一方で、業界によっては人余りなのに給料が高止まりして、トータルの生産性が下がっていることなのだ。ここにメスを入れ、再雇用のための職業訓練システムを充実しない限り、日本人の給料は未来永劫、上がらないだろう。

※週刊ポスト2017年12月15日号
<<
失礼承知で申し上げれば、大前氏を崇拝している人たちが、おしなべて、決して専門家ではない「忙しいビジネス・パーソン」たちであり、大前氏も当然、そういう人たちをターゲットとしている関係上、大前氏が言及する範囲の内容は、わりと「通俗的」というか、なんとなーく「浅い」感じが否めないところです。しかし、そんな大前氏の「忙しいビジネス・パーソン」たちをターゲットにした記事でさえ、スウェーデンの解雇規制がソーシャルブリッジとセットになっていることが言及される時代になってきているのです。

スウェーデンで既に成功例が報告されている、緩い解雇規制とソーシャルブリッジの「政策パッケージ」が徐々に日本国内でも広まりつつある昨今。元来、労働法の議論はすなわち、福祉国家像の議論であります。そうであればこそ、時代錯誤的な議論に固執・終始するのではなく、現代スウェーデンの実践を踏まえた議論を展開すべきです。そのためにはまず、「ソーシャルブリッジの構築」を肯定的に位置づけるべきでしょう。

その点、繰り返しになりますが、倉重先生の問題提起は正しい! だからこそ、「ソーシャルブリッジの構築」についても言及しなければならないわけです。
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2018年01月05日

今年も「社会主義企業責任管理制」の旗の下に前進する社会主義朝鮮

새해를 축하합니다!
チュチェ107(2018)年が幕を開けました。今年は共和国創建70周年の節目の年であります。
今年も、第1号記事はキムジョンウン同志の「新年の辞」を取り上げたいと思います。

今年も、「小林よしおの研究室」様に掲載されている邦訳を活用させていただきたいと思います。以下。
http://kcyosaku.web.fc2.com/kju2018010100.html

■経済改革の目玉;社会主義企業責任管理制は変わりなく継続の見込み
日本メディアは、「核ボタン」発言やオリンピック参加表明に反応したものですが、経済改革の動向に最大の関心を寄せている私としては、次の、さりげないくだりに注目しました。
>>  内閣をはじめ経済指導機関は、今年の人民経済計画を遂行するための現実性のある作戦を立て、その実行のための活動を責任を持って頑強に推し進めなければなりません。

 国家的に社会主義企業責任管理制が工場、企業、協同団体で実効をもたらすように積極的な対策を講じるべきです。
<<
今年もまた、経済改革の基幹である「社会主義企業責任管理制」について言及がありました。ほんの一言しか触れられていないものの、余計な誇張なく取り上げられているということは、これからも変わることなく継続する方針であることを示していると言えます。大成功を喧伝するかのような表現ではない点、いわゆる「西側の制裁」は、ある程度は効いているのかもしれません。しかし、音を上げるほどではないということなのでしょう。

キムジョンウン同志による経済改革は、今年も継続される見込みというわけです。

共和国の経済改革について取り上げた当ブログ掲載の過去ログ
○チュチェ102(2013)年4月11日づけ「経済改革
○チュチェ102(2013)年10月1日づけ「ウリ式市場経済
○チュチェ102(2013)年10月7日づけ「チュチェの市場経済・ウリ式市場経済――共和国の経済改革措置に関する報道簡易まとめ
○チュチェ105(2016)年6月6日づけ「朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会
○チュチェ105(2016)年7月2日づけ「分権改革・経済改革の旗印を更に鮮明にした画期的な最高人民会議
○チュチェ106(2017)年1月2日づけ「キムジョンウン委員長の「新年の辞」で集団主義的・社会主義的競争が総括された!
○チュチェ106(2017)年7月27日づけ「政策としての朝鮮民主主義人民共和国における市場経済化は着実に前進している――韓銀推計という第三者的立場の分析からも明らか
○チュチェ106(2017)年9月9日づけ「共和国における経済改革の進展――建国69年目のチャレンジの行方


■「チュチェ農法」は何処へ?
科学的農法」や「多収穫農法」という単語は出てくるものの、「チュチェ農法」という単語が出てこなかったことも気になったところです。

もっとも、ほぼ1年前のチュチェ105(2016)12月6日に発表された「チュチェの社会主義偉業遂行において農業勤労者同盟の役割を強めるために」においては、「チュチェ農法にも精通するようにしなければなりません」とか「すべての農作業をチュチェ農法の要求どおりに科学的かつ丹念におこない、農業生産計画を間違いなく遂行するようにしなければなりません」などと指導されている点、今回の「新年の辞」では、単に話の流れで「チュチェ農法」という単語が出てこなかっただけなのかもしれません。

これが3回くらい続けば、何か「地殻変動」が起きていると言えるかもしれませんが、今の段階では確たることは言えないところです。今後の農業関連演説・談話で、「チュチェ農法」という単語が出てくるか否かは、チェックポイントとすべきでしょう。

■チュチェ思想における「血」の意味について(再論)
チュチェ思想の訓詁学っぽくなってしまいますが、次のくだりに私は注目しました。
>>  政治的・思想的威力は、わが国家の第一の国力であり、社会主義強国建設の進路を切り開く偉大な推進力です。

 我々に課された闘争課題を成果裏に遂行するためには、全党を組織的、思想的にさらにかたく団結させ、革命的党風を確立して、革命と建設全般において党の戦闘力と指導的役割を絶えず高めなければなりません。

 すべての党組織は、党の思想に反するあらゆる不純な思想と二重規律を絶対に許容せず、党中央委員会を中心とする全党の一心団結を全面的に強化すべきです。

 全党的に党の権威乱用と官僚主義をはじめ、古い活動方法と作風を一掃することに力点をおき、革命的党風を確立するためのたたかいを強力に展開して、党と人民大衆の血縁的つながりを磐石のごとく打ちかためるべきです。
<<
党と人民大衆の血縁的つながり」――党は組織であり自然人ではないのだから、「血縁」も何もないという点で、西側的感覚では意味不明な語句でしょう。まして、思想の文脈で唐突に「血縁的つながり」というのは、理解に苦しむことでしょう。

しかし、チュチェ106(2017)年2月24日づけ「「白頭の血統(ペクドゥの血統)」における「血」は生物学的な親子関係のことではない」でも論じたように、チュチェ思想における「血」とは、生物学的な意味ではないのです。

上掲記事でも引用した、韓東成(ハンドンソン)先生の著書『哲学への主体的アプローチ―Q&Aチュチェ思想の世界観・社会歴史観・人生観』の99ページより引用します。
>> 血縁の共通性は、民族形成の基礎です。
 ここでの血縁の共通性とは、人種のような生物学的なものではなく、社会歴史的に形成された血縁的関係を意味します。
 血縁的関係は、人々に身体的および心理的な共通感を抱かせ、民族という堅固な集団とに結合させるうえで重要な作用をします
<<
日本メディアはしばしば、「白頭(ペクドゥ)血統」という表現を「三代世襲の正当化」と評していますが、チュチェ思想における「血」というのは、決してそういう意味ではないというのが、このことからも改めて分かるのではないでしょうか。

もし、生物学的な意味での「親子関係の血統」が権力の正当化の源泉であるとすれば、前掲記事でも述べましたが、そのことをもっと直接的であからさまで大袈裟でわざとらしい、傍から見れば逆効果なんじゃないかというくらいの「マンセー!」な表現で宣伝しているはずです。しかし、実態はそうではありません。やはり、共和国における「血」は、生物学的な意味ではないと見るべきなのです。

■전진하는 사회주의
演説外の要素になりますが、西側の共和国ウォッチャーたちは、キムジョンウン同志の服装について注目しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180102-00000030-jij_afp-int
>> 人民服ではなくスマートなスーツ…金正恩氏の服装一新に識者ら注目
1/2(火) 22:17配信
AFP=時事

【AFP=時事】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-Un)朝鮮労働党委員長が1日の新年の辞の発表に際し、スマートなグレーのスーツで臨んだことについて、北朝鮮問題の専門家らは、2018年における外交の一新と関連しているのではないかと分析している。


(中略)

 態度の軟化に加え、おなじみの人民服とは明らかに異なる、驚くほど粋な西洋風のスーツとそれに合わせたグレーのネクタイという装いを目にしたアナリストらは、この予想外のスタイル変更が示唆する内容の読み解きを試みている。

 韓国のソウルにある北韓大学院大学(University of North Korean Studies)の梁茂進(ヤン・ムジン、Yang Moo-Jin)教授はAFPの取材に対し、「金正恩氏のシルバーの西洋式スーツとべっ甲製の眼鏡姿、さらに祖父と父のバッジを着用していないという事実は、自信と安定を表している。金氏が状況を制御していることを示唆する」と述べた。

 米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)は、金委員長がイタリア高級ブランドの「『アルマーニ(Armani)』を着た銀行員」のように見えたとする釜山大学(Pusan National University)のロバート・ケリー(Robert Kelly)教授の話として、「金氏は北朝鮮を、よりモダンで世間通な国に見せようとしているという臆測が多々出ている」という意見を引用した。

 また韓国政府が資金提供している韓国統一研究院(KINU)は、北朝鮮は「イメージづくりのためなら何でもする」という姿勢の表れではないかと指摘。「以前の黒っぽい人民服から、よりソフトな色合いのグレーの西洋式スーツへの変化は、演説でも強調されていた平和のイメージを打ち出し、核保有国という地位の確立を受けて落ち着いた精神状態を反映させることを狙ったものと考えられる」という見方を示した
。【翻訳編集】 AFPBB News

最終更新:1/3(水) 14:58
<<
共和国のことだから、服装一つにもメッセージを込めているであろうことは想像に難くありません。しかし、残念ながら私には、その意図が図りかねるところです・・・

引用記事中、「金正恩氏のシルバーの西洋式スーツとべっ甲製の眼鏡姿、さらに祖父と父のバッジを着用していないという事実は、自信と安定を表している。金氏が状況を制御していることを示唆する」という表現がありますが、記憶と記録をたどる限り、晩年のキムイルソン同志も、銀色系のスートをお召しになっていました。そう考えると、まだまだ「キムイルソン同志の記憶に頼っている」と言えなくもないかもしれません。

とは言うものの、自信と安定」という見立ては私も同感です。服装のことは分かりませんが、音楽のことなら少しは分かります。

ソ連崩壊以降25年余り、共和国では折に触れて≪사회주의 지키세(社会主義を守ろう)≫が歌われてきました。

しかし、一昨年の≪전진하는 사회주의(前進する社会主義)≫が発表され、続く昨年には≪사회주의 전진가(社会主義前進歌)≫が発表されたのです。


共和国は「音楽政治」の国。音楽をプロパガンダとしてフル活用かる御国柄です。そんな国において、約25年間「守る対象」だった社会主義が、「前進する主体」に変化したわけです。このことは、キムジョンウン同志におかれては、執政に自信を持ち始めたことと捉えてよいのではないかと考えます。

■総括
共和国創建70周年を迎える今年、共和国は変わることなく並進路線すなわち、経済改革の継続が見込まれるところです
posted by 管理者 at 00:11| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする