>> 2018年1月30日(火)事実であるかどうかは別として(←免罪符)、大東建託については、今更どんな証言が出て来ようとも驚くに値しない「ブラック企業の大家」です。いや、赤旗も言及していますが、架空契約や文書偽造に至っては、もはや「ブラック企業」の枠を超える悪質さと言うほかありません(かのワタミでさえ、自社社員に対してはブラックであったものの、顧客に対しては一定水準の価値を供給していたものです)。
大東建託 元内部監査室社員の証言
架空契約・はんこ偽造
背景に「業績あげないと徹底差別」
追及 アパート商法の闇
“契約取れないとクビ”。大手賃貸不動産「大東建託」の過酷なノルマ主義を背景にした労働者トラブルの記事(本紙2017年11月27日付既報)が反響を呼んでいます。同社は「一括借り上げで長期の家賃保証」などを売り文句に、賃貸アパート建築を勧誘するサブリース業界の最大手です。記事を読んだ本社内部監査室の元社員が本紙に証言しました。
「もはや成果主義ですらない。労働者が会社に残ることを考えない『労働者使い捨て』経営です」
(中略)
常に罵声飛ぶ
処分事案には「架空契約と文書偽造も多くあった」といいます。
「ある支店で顧客と取り交わす文書の偽造が分かり、全支店で調べたら出るわ、出るわ…。少なくとも数十件はあった。顧客のはんこをカラーコピーなどで偽造していた。解雇者も出しました」
背景に契約を取れない「無実績者」への「徹底した差別」があったといいます。
―「私は無実績」と書いたタスキをかけて支店前で掃除をさせる。
―ノルマ未達成を理由とする懲罰的な無実績者研修。
―支店内では日常的に罵声怒声が飛び交う。
ある支店では営業担当社員をスタンガンで脅す「スタンガン支店長」までいたといいます。
「10%ぐらい」という高い解約率も当時の特徴だったといいます。
「もとの契約が荒っぽい。ノルマに追われた結果、法律上建てられない土地でも契約する」
(中略)
体質の改善を
一方、同社でつづく高い離職率やパワハラなどの数々の問題―。
「私はコンプライアンス(法令)遵守を掲げ、顧客対応、職場環境の改善に努力してきたつもりです。『赤旗』で報道されたようなことがいまだに発生しているのは非常に残念。結局、ザルから水がこぼれ落ちるようなもの」と声を落とします。
昨年、創業以来初の労働組合が結成されたことを歓迎します。
「労組づくりの動きは何度かあったが、なかなかうまくいかなかった。根本体質を変えるには労組のような組織が必要です。労組を敵視するのではなく、社員とともに会社体質の改善にとりくみ、社会的な信用を得る企業になってほしい」
(以下略) <<
しかし、もっとも驚愕すべきは、そんな大東建託において労働組合が結成されたことを好意的に評する声を報じている『しんぶん赤旗』編集部です。社員を使い捨てにするだけでなく、顧客をも食い物にするような極端な利益至上主義者、ブルジョア利己主義者に対して労働運動を展開し、会社の「根本体質」を変えようとすること、換言すれば、交渉を通じて極端な利益至上主義者、ブルジョア利己主義者の「改心」を期待することなど、まったく甘っちょろいブルジョア的「博愛」主義精神の産物と言う他ありません。驚くべき「共産主義」者です。単なる冗談か組合商法の一環でないと言うのであれば、正気を疑わざるを得ないものです。
こんな会社の企業体質が組合運動で変わると本気で思っているのでしょうか? 私は、現経営陣と、この経営陣の「お引き立て」と「適者生存」によって幹部クラスに君臨している次期経営陣たちが居る限り、大東建託の組織体質に変化などあり得ないと思っています。人間はそう簡単に改心しないし、そういう経営モデルでようやく企業として市場におけるポジションを得ている以上は、現状のブラック経営からの改善はすなわち、ビジネスモデルの革命になります。そう簡単な話ではないでしょう。
以前から繰り返しているように、この手の極端な利益至上主義者、ブルジョア利己主義者が「改心」などするはずがなく、こういった手合いは我々の経済社会から追放する必要があります。我々の社会にはВЧК(反革命・サボタージュ取締全ロシア非常委員会)やНКВД СССР(ソビエト連邦内務人民委員部)のような「階級的暴力装置」は事実として存在せず、また存在する必要もなく、そもそも存在してはならないものです。その代わりに、我々の社会には、労働市場という名の「淘汰メカニズム」が存在します。また、営業の自由、結社の自由といった権利もあります。これらを組み合わせれば、ВЧКやНКВД СССРが血の雨を降らせてようやく実現した成果を達成しうる展望を見出すことができます。
これらの事実を踏まえた上で私は、極端な利益至上主義者、ブルジョア利己主義者の「改心」に期待するような労働運動の展開ではなく、@労働市場を活用することによる労使間の勢力均衡;ブラック資本家の市場淘汰、そして、A資本家・経営者の「善意」に頼るのではなく、営業の自由、結社の自由を基盤として、労働者階級が自ら企業経営を自主的に管理することを提唱してきました。
変革の第一段階としての「労働市場の活用」は、「辞める」ことを当然に含むものの、その効果はそれだけには留まりません。
チュチェ105(2016)年12月16日づけ「自主的かつスマートなブラック企業訴訟の実績――辞めた上で法的責任を問う方法論」でも述べましたが、心身の無理をせず「辞める」というのは、取り急ぎ安全地帯に脱出するという意味で最善的です。逃げた方がよいケースも存在します。またそもそも、労働者が企業側・資本家側の支配から脱して自主的な立場を獲得するためには、特定の勤め先に対する依存を低減させなければりません。
それと同時に、チュチェ104(2015)年10月8日づけ「「日本の労働組合活動の復権は始まっている」のか?――労組活動は労働者階級の立場を逆に弱め得る」を筆頭に以前から述べているとおり、和民やすき家のケースがそうであったように、労働市場においてブラックの悪名が立つと求職者が減ってしまうわけです。現従業員は使いつぶせばいいとしても、新しい従業員の供給か途絶えれば、ビジネスとして立ち行かなくなるので、企業側には待遇改善のインセンティブが発生するのです。待遇が改善できなければ、破産するだけです。これは、「改心」の問題とは別個の営利的判断に属する話です。どっちに転んでも労働者階級としては損はありません。
つまり、「労働市場の活用」には、@ミクロ的には個別労働者の個人的かつ取り急ぎの避難でありつつも、同時に、Aベクトルの合成の如き要領でマクロ的で長期的な効果を生むのです。
なお、「辞める」ことを労働者の立場からサポートする形での労組運動には意義があるということは、チュチェ104(2015)年10月15日づけ「周囲の助けを借りつつ「嫌だから辞める」「無理だから辞める」べき」を筆頭に以前から繰り返している通りです。
また、直近では1月9日づけ「解雇規制緩和とソーシャルブリッジ構築はセットで!――硬直した議論を止めるためにこそ90年代以降のスウェーデンに学ぼう」など、以前から繰り返しているように、社会的に存在が好ましくない企業を市場淘汰するためにこそ、スウェーデンを参考にした形での「ソーシャル・ブリッジ」の構築が必要です。ブラック企業といえども、現実としてそこに勤めている人々がいるわけです。彼らの生活を守りつつ、悪徳ブルジョア分子を淘汰するためには、ソーシャル・ブリッジの構築は必要不可欠です。「スウェーデン・モデル」の場合、斜陽産業の淘汰促進のためにソーシャル・ブリッジを構築していますが、来るべき「日本モデル」においては、ブラック企業の淘汰のためにソーシャル・ブリッジを構築すべきでしょう。
変革の第二段階としてのAの自主管理志向は、マルクスの『資本論』からも読み取れることです。共産主義者としてはやはり、「御代官様・資本家様への陳情」に留まるべきではなく、自主管理を目指さなければならないのです。
その点、共産主義者の結社である日本共産党の中央機関紙『しんぶん赤旗』が、大東建託の労組員の「社員とともに会社体質の改善にとりくみ、社会的な信用を得る企業になってほしい」などという夢物語的願望を好意的に報じていることは、驚愕すべきことであると言わざるを得ないのです。革命的・共産主義的立場からここまで後退したわけです。
なお、チュチェ103(2014)10月5日「資本家の権力の源泉を踏まえた自主化闘争――自立的な自主化であるために」でも述べましたが、資本家・経営者側の所有権、分配権、指揮命令権に対して労働者階級側が一定の影響力を保持すること目指す形での労働運動には意義があるでしょう。「自主管理」とまでは行かないまでも、「管理の一端を担う」ことは第一歩的に重要なことです。その点、近く論考を展開すべく準備中ですが、一般的なレベルの企業であれば、労組運動は必ずしも無意味・無価値とは断じ得ないところです。しかし、大東建託についていえば、そんな展望すら描き得ない企業体質です。大東建託に対して願望を描くことは非現実的・夢想的です。