ピョンチャンオリンピックが閉幕してから2週間以上たちました(たってしまいました)。スポーツというものは、単に肉体を鍛えるだけではなく、思想的な効用もあるものです。いわゆる「スポーツマンシップ」は、単なる競技場内での約束事ではなく、広く社会的にも実践されるべきものだと私は考えています(ちなみに私は、「スポーツマンシップ」は好きですが、いわゆる「スポ根」は大嫌いです)。
その角度からピョンチャンオリンピックや、それに関連する報道を振り返ったとき、私は日本共産党機関紙『しんぶん赤旗 日曜版』の報道に注目します。
私は左翼ではあるものの日本共産党をまったく支持しない立場ですが、今回に限っては『しんぶん赤旗 日曜版』の論調に全面的に賛同するとともに、ちょっと日本共産党を見直しました。
『しんぶん赤旗 日曜版』編集部は、ピョンチャンオリンピックで展開されたアスリートたちの競い合いながらお互いを高め合っている姿から、
競争の切磋琢磨という側面を正しく評価しています。
2月25日づけ『しんぶん赤旗 日曜版』は、「
競い合える友がいてこそ」という見出しと「
高みを極める選手の競い合いが「雪と氷の祭典」平昌五輪を熱くしています。競技のレベルを飛躍させて高め合う競技者たちの共演と、欧米の列強にくさびを打ち込むアジアの躍動を紹介します。」というリード文に続き、日本の小平奈緒選手と韓国のイサンファ選手の一幕について次のように書いています。
過去も高め合ってきた日韓の両エースは優勝候補として大会にのぞみ、小平選手は空気抵抗が高く、記録の出にくい低地リンクで世界初の36秒台をマーク。(中略)
李選手は小平選手が転倒事故を続けて不振に陥った5年前、誰よりもなぐさめ、励ましました。
(中略)
レース後に2人で交わした言葉は、心からの思いでした。「今もあなたを尊敬している」と小平選手。李選手は「あなたを誇りに思う」と伝えました。
それに続く次段落では、フィギュアスケートの羽生結弦選手について、
4回転ジャンプの質と量が飛躍的に増大したこの4年の競技力向上について、「僕が引き上げたとは思っていない」と断言。「(競い合う仲間がいて)時代に恵まれた」とのべ、(中略)新たなジャンプの挑戦を競いながら、競技の魅力を高めた仲間たちへの感謝の念が込められていました。
とも書いています。
また、3月4日づけ『しんぶん赤旗 日曜版』では、「
発揮したカーリング精神 対戦相手も"仲間" そこが魅力」という見出しの記事において、次のように書いています。
カーリングの素晴らしさとは何か――スキップの藤沢五月選手(26)は2年前、日曜版のインタビューに「相手チームは敵ではなく仲間。それがカーリング精神であり、大きな魅力」と答えています。
どの大会でも試合相手に「ナイスショット」と声をかけ合うのが"カーリング流"です。
(中略)
敬意をもって、認め合い、切磋琢磨する――選手たちの真摯でさわやかな関係が、競技の発展を支えています。
運動会での「お手々つないで・・・」は、さすがに最近は廃れる方向性にありますが、
依然として日本では「競争」を否定的に見るむきが根強くあります。たしかに順位至上主義に陥ったり、ルール違反を犯したり他人を蹴落としたりしてまでのし上がるといった競争の「マイナスの側面」には厳重に注意し、アノミー的状況にならないようにしなければならないところですが、
競争には切磋琢磨という「プラスの側面」が間違いなく存在しています。
「お手々つないで・・・」は、切磋琢磨までをも殺してしまうものです。
歴史的・世界的に見て、リベラル勢力や左翼勢力は、長く「競争」を位置づけるのに苦心してきました。チュチェ105(2016)年6月6日づけ「
朝鮮労働党第7回党大会は経済改革・競争改革を漸進的に継続すると暗に宣言した画期的大会」やチュチェ106(2017)年12月24日づけ「
フランシスコ法王の懸念に答える「集団主義・社会主義的競争」という新しい競争の在り方」でも触れたとおり、近年になって、
ようやく朝鮮労働党が第7回党大会を目前に控えた70日戦闘において「社会主義的競争」を定式化しましたが、逆に言えばこれくらいしかイデオロギー的に特筆できる「競争の定式化」に乏しいのが、リベラル・左翼界隈でした(全世界のすべてのケースを見てきたわけではないし、あくまで社会主義的立場をとる人物・集団についての話であり、中国共産党のような転落者は除外しています)。
そんなご時世に出てきた『しんぶん赤旗 日曜版』のオリンピック報道。特に3月4日づけ記事の「
敬意をもって、認め合い、切磋琢磨する――選手たちの真摯でさわやかな関係が、競技の発展を支えています」というくだりには、
よい意味で衝撃をうけました。
スポーツの世界で発揮されるような意味での競争、そしてその結果としての切磋琢磨的な意味での成長――こうした「競争のプラス面」を、日本左翼業界の老舗たる日本共産党の中央機関紙が正面から肯定的に評価したことは、私は大変よかったと思います(我が懐かしの党員諸君、今もあの頃から変わっていないのであれば、党中央の見解を学習せよ!)。また、朝鮮労働党が掲げている「社会主義的競争」とも
一脈通じる発想である点、
「反日共・チュチェ思想派」として日本共産党を少し見直しました。
ところで、ここからは日本共産党からは離れますが、競争を経済政策として考えるとき、
競争の最大の効用である「切磋琢磨」を生かし得る制度設計こそが求められるものであると言えるでしょう。その点、
カーリング精神やスポーツマンシップから学べることは多いと考えられます。正々堂々とした競争でお互いを高め合い、その結果としてマクロ経済全体をも発展させる――三方よし的な発想です。
「社会主義的競争」を掲げて社会主義の枠内での切磋琢磨を展望する朝鮮労働党ですが、党委員長である
キムジョンウン同志は、スイス留学時代にバスケットボールに打ち込んでいらっしゃったと聞きます。このころのスポーツ経験が切磋琢磨の効用を感覚として学び取る契機となり、それが今日の「社会主義的競争」に至ったかどうかは分かりません。しかし、可能性としてはあり得ると思います。
スポーツマンシップを単なる競技場内での約束事にとどめるのは勿体ないことです。
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