2018年04月25日

消費者には影響を及ぼさないタイプのストライキの原則的推奨と消費者直撃が例外的に正当化されるケースについて

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180425-00010002-ksbv-l33
>> 両備2労組 ストライキ予定から一転「無料で運行」岡山市の新規バス路線参入で
4/25(水) 11:52配信

 岡山市の新規バス路線運行をめぐり、競合する両備グループの2つの労働組合が26日と27日にバスなどのストライキを予告していた問題です。労働組合は、運行するが改札はしない「集改札スト」に変更し、バスや路面電車を無料で走らせると発表しました。

(両備バス労働組合/高木秀治 執行委員長)
「全日、集改札スト、無改札で運行させていただきます」


(中略)

 両備バス労働組合は、「新規参入によって労働者の生活を維持できなくなる」として、23日、西大寺線で1時間のストを行いました。

 さらに、26日と27日にもストが予定されていましたが、「会社側にダメージを与えた上で、利用者に不安を与えたことをお詫びしたい」として、バスは走らせるものの料金の徴収を放棄する「集改札スト」を実施すると発表しました。
 西大寺線で26日は1時間、27日は終日行なわれる予定です。

(両備バス労働組合/高木秀治 執行委員長)
(Q.27日運行開始する「めぐりん」新路線を意識したものではない?)
「めぐりんを意識するのは事業者側ですよね。私たち組合は意識も何もないです」


(以下略) <<
■利用者には影響を及ぼさない一方で経営側には打撃となる両備グループ2労組の集改札スト
昨年12月26日づけ「商行為の一環としてのストライキ――自由経済を維持・拡大するためにこそストライキは展開すべきだが、その労働者の利益にとっての弊害についても認識すべき」や2月21日づけ「国労・動労の方法を克服した東労組のスト戦略」でも述べましたが、労働争議における労働者側の戦術は、「利用客を敵に回さない一方で、企業当局側には打撃を与える」という方法論であるべきです。一企業の労使はお客様(消費者)との関係においては「呉越同舟」の関係にあるという事実を直視し、「誰を敵に回してはならないか」ということを十分に承知した上で戦術を練らなければならないわけです。

その点、今回の両備グループの2労組が採用した「運休スト撤回・集改札ストへの変更」は、「利用者には影響を及ぼさない一方で経営側には打撃となり、その要求を迫る」という点において、賛同し得る方法だったと思います。

消費者にしてみれば「どうしてお宅らの内輪の問題に私たちが付き合わされなければらないの?」と納得しかねるような展開、利用者・消費者が置き去りにされがちだった労働争議からの進歩です。「労使の対立」ばかりに気を取られ「生産者と消費者の関係」を見落としがちだった労組運動に、より大きなスケールを意識した視点が導入されつつある吉兆です。国労の轍を踏まないためにも、こうした形での労働運動が更に展開されることを願っています。

■労使が手分けして抗議活動を展開する一環に位置付けられる今回の集改札スト
なお、岡山市における問題のバス路線への新規参入認可については、企業側も決して望ましいことだとは思っていないところです。企業側としては、今回のストライキは市への交渉材料として活用し得るものです。ある意味において、企業側と労働者側が「同じ方向」を向いており、対立構図にあるわけではないのが本件。今回のストライキは、新規参入認可を巡って「労使が手分けして対抗している」とも捉え得るものです。「こういうストライキの使い方もあるんだなー」と思ったところでした。

■両備グループの件とは真逆の消費者直撃の労働運動
これに対して、ほぼ同時期的に以下の記事が配信されました。おなじみの今野晴貴氏です・
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180423-00007141-bunshun-soci&p=1
>> 労働組合が東京駅の自動販売機を空にした日
4/23(月) 17:00配信
文春オンライン

 先週4月18日、JR東京駅構内の自動販売機で売り切れが続出しているという情報がインターネットを駆け巡った。きっかけは労働組合・ブラック企業ユニオンによる次のツイートだ。


(中略)

普段の東京駅ではほとんど見かけない光景
 実際、ホームによってもばらつきがあるが、駅構内の設置場所によってはかなり売り切れが目立っていたようで、ひどい機械では1台あたり7つも「売切」の赤いランプが点灯していた。これは普段の東京駅ではほとんど見かけることのない光景だ。

 今回の事態が起きたのは、JR東京駅構内の自動販売機の補充を担当する、サントリー食品インターナショナルグループの自動販売機大手「ジャパンビバレッジ東京」に勤務する社員10数名が労働組合に加盟し、「順法闘争」を行ったためだった。法律に従い休憩を1時間分取得し、残業を全く行わずに仕事を切り上げるという戦術である。

 もちろん、本数を少なめに入れるとか、仕事をサボタージュしているわけではない。単に法律や社内規則にのっとって自動販売機を回っただけで、補充の追いつかない機械が続出してしまったというわけである。普段から休憩すら取れず、いかに過密な業務を強いられていたかがわかるというものだろう。


ごまかされた残業代未払い
 なぜ、このような事態が起きたのだろうか。今回、ジャパンビバレッジ東京に対して順法闘争に踏み切ったのは、 ブラック企業ユニオン という労働組合だ。現在、ジャパンビバレッジの現役社員14名が組合に加入して団体交渉をしているという。

 同社の問題は複数あるが、その一つが残業代の未払いだ。同社では、昨年12月まで、自動販売機の飲料を運搬・補充する外回りの業務に対して、残業代を支払っていなかった。ひどい場合は、1日4時間以上ただ働きをさせられている労働者もいた。

 この違法な「定額働かせ放題」を是正するため、ブラック企業ユニオンの組合員が労働基準監督署に申告を行った。昨年12月に労働基準監督署が同社に対して、労働基準法違反の是正勧告を出している。

 ところが同社は、あろうことか「労基署とは見解が異なる」「残業代未払いはない」として、現役社員に対して、少額の金銭を支払うことで事態の収拾を図ろうとした。具体的には、社員一人ひとりを急に呼び出して面談を行い、根拠の不明瞭な金額を提示して、その場で強引に同意書を書かせるという手法である。ここで会社側は社員に、「これは残業代ではない。社長のご厚意だ」とまで説明していたという。


(中略)

 今回の順法闘争を受けて、ブラック企業ユニオンでは5月6日にイベントを開催する。順法闘争の経緯や、組合員の労働実態などを、組合員自身の発言や映像を通じて報告し、ブラック企業との闘いかたを多くの人に知ってもらうための企画だ。筆者もゲストとして発言する。自分も労働組合でブラック企業と闘ってみたいという人は、ぜひ参加してみてほしい。

今野 晴貴


最終更新:4/23(月) 17:00
<<
両備グループの件とは真逆の消費者直撃の労働運動。それでいながら「今回の順法闘争を受けて、ブラック企業ユニオンでは5月6日にイベントを開催する。(中略)自分も労働組合でブラック企業と闘ってみたいという人は、ぜひ参加してみてほしい。」というイベント告知につなげる今野氏。「順法闘争」という不吉な単語を連発する始末。わざとやっているのかな? 「自分も労働組合でブラック企業と闘ってみたいという人」というくだりからは、消費者直撃の方法論を取っているにも関わらず、そのことについて言及していない点において、労使対決にしか今野氏の意識が向かっていないことが推察されます。まさに消費者不在の労働運動、このご時世では推奨しかねる方法論であると言わざるを得ません。

■「消費者を直撃するべき事案」もあり得る――消費者が労働者を搾取するケース
しかしながら、今野氏の言説とは無関係に本件を考察すれば、むしろ「消費者を直撃するべき事案」なのかもしれません。というのも、自販機ユーザーにとっての利便性は、自販機屋の労働者たちの負担の上に成り立っていると言い得るからです。

マルクスの『資本論』をしっかりと読み込んでいれば分かることですが、表面的な点において「労働者を搾取する資本家」も、「お客様」たる消費者と対峙する資本主義的市場経済のシステムにおいては、そのシステムの被造物に過ぎません(競争の強制法則)。つまり、マルクス経済学的に見れば、「労働者を搾取する資本家」の搾取=労働者vs資本家の対立構造には、消費者vs資本家・企業家の関係があるというわけなのです。

近代経済学的な立場に立ったとしても、この事実は揺るぎのないことでしょう。近代経済学的な立場においては、労働者が搾取される舞台たる労働市場は、対消費者の財市場の付属物、調達のための要素市場です。労働市場は財市場に従属し、それに影響を受けるものであるというのが近代経済学的な立場であるわけです。

親方日の丸のくせに欲張った国労の「順法闘争」とは異なり、今回の「順法闘争」は、人たるに値する生活を営むための必要を充たす最低限度たる労働基準法に定められた法定基準に沿ったものに過ぎません。最低限度に過ぎない基準に沿るや否や、東京駅の自販機が軒並み品切れ状態になるということは、一般消費者たちが当然の如く受け止めている「自販機は24時間常に欲しい商品がラインナップされている」という事実が、関連業界の労働者たちの無賃労働に支えられていたことを示すものであり、すなわち、企業側だけではなく一般消費者たちも関連業界の労働者たちを搾取しているということになるわけです。

もちろん、上掲記事を読む限りにおいて今野氏がそのようなロジックで今回の「順法闘争」を位置づけているとは到底、読めないものです。おそらく今野氏は、消費者不在の労働運動の立場に立っていると思われます。

■「消費者直撃」が容認される境界線はどこか
労働者の待遇改善要求運動において消費者直撃の方法論が正当化されるか否かは、結局のところ、消費者の支払い額が労働者の待遇にとって十分な額であるかということにかかっています

消費者は十分な額を支払っているのに、労働者の手取りが「操業停止点」を割り込んでいるのであれば、それは企業内部での分配問題です。内輪の問題であり、消費者がそれに付き合わされるのは、いい迷惑です。他方、そもそも消費者が不適切に安い対価しか支払っていないのであれば、企業だって慈善目的で事業をしているわけではないのだから、どうしても労働者の待遇は劣悪になってしまうことでしょう。こうした場合に企業側を責め立てても、彼らだって困ってしまうことでしょう。

本件;ジャパンビバレッジ東京のケースについていえば、企業と消費者がそれぞれ別個に同社労働者たちに負担を強いていたものと推察されます。その点において、消費者直撃の「順法闘争」を採用したことは、今野氏のロジックとはまったく別解的に「全面的には否定評価できない」と私は考えています。

■一企業の努力の限界について(補足)
なお、財市場においては、消費者は往々にして労働者です。経済はシステム的な循環の視点でとらえなければなりません。手取りが少ないから支払額も少なくなり、それゆえに更に手取りが少なくなり・・・という負のスパイラルを意識すべきです。このスパイラルを解決し得るのは、万能ではないものの経済政策です。決して、一企業の努力でどうにかなるものではありません。
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2018年04月21日

「やりたいことはやりきった」というストーリーの延長上に位置付けられる共和国の核実験場廃棄宣言

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180421-00000031-mai-kr
>> <北朝鮮>核実験場を廃棄へ 「非核化」は言及せず
4/21(土) 11:05配信
毎日新聞

 【ソウル渋江千春】北朝鮮は20日、朝鮮労働党の中央委員会総会を開き、21日から核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験を中止し、北部の核実験場を廃棄することを決定した。朝鮮中央通信が21日伝えた。総会で金正恩(キム・ジョンウン)党委員長は「我々にはいかなる核実験、中・長距離ミサイル、ICBM発射も必要なくなった。北部核実験場も使命を終えた」と述べた。しかし既存の核兵器の放棄には踏み込んでおらず、「完全な非核化」を目指す米国との交渉は難航も予想される。


(中略)

 北朝鮮の表明に対し、トランプ米大統領は20日、ツイッターで、核実験停止や核実験場閉鎖について「非常に良いニュースで大きな進展だ」とツイート。金委員長との直接会談を「楽しみにしている」と述べた。

 韓国大統領府は「北朝鮮の決定は全世界が願っている朝鮮半島の非核化に向けた意味ある進展だ」と評価したうえで「南北首脳会談と米朝首脳会談の成功に向けた非常に肯定的な環境作りにも寄与する」と歓迎するコメントを出した。

 中央委総会では、金正恩体制が2013年から国家方針に掲げてきた核開発と経済建設を同時に進める「並進路線」について「国家核武力の建設が完璧に達成され、貫徹された」と宣言し、経済建設に総力を集中する新たな戦略路線を表明した。並進路線については、金委員長が昨年10月の中央委総会で「揺るぎなく推進する」「国家核武力建設の歴史的大業を完遂させる」と強調していた。

 ◇北朝鮮発表の要旨

 朝鮮労働党中央委員会総会で採択された決定書の要旨は次の通り。

・党の並進路線を貫徹するための闘争の過程で、臨界前核実験と地下核実験、核兵器の小型化、軽量化、超大型核兵器と運搬手段開発に向けた事業を進め、核の兵器化を実現したことを厳粛に宣言する

・21日から核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験を中止する。核実験中止の透明性を保証するため、核実験場を廃棄する

・核実験中止は世界的な核軍縮のための重要な過程であり、わが共和国は核実験の全面中止のための国際的な志向と努力に合流する

・わが国に対する核の威嚇や核の挑発がない限り、核兵器を絶対に使用せず、いかなる場合にも核兵器と核技術を移転しない

・社会主義経済建設のための有利な国際的環境を整え、朝鮮半島と世界の平和と安定を守るために周辺諸国と国際社会との緊密な連携と対話を積極的にする


最終更新:4/21(土) 11:49
<<
以前にも述べたことですが、昨年11月のミサイル実験の成功を受けて共和国が「核武力完成」を宣言したように、共和国側は既に「やりたいことはやりきった」というストーリーを持っており、その流れの上に次なる対話を位置づけています

今回の全員会議決定においては、「核の兵器化を実現したことを厳粛に宣言する」とした上で「21日から核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射実験を中止する。核実験中止の透明性を保証するため、核実験場を廃棄する」とし、「実験中止は世界的な核軍縮のための重要な過程であり、わが共和国は核実験の全面中止のための国際的な志向と努力に合流する」とまで言っておきつつも、抜け目なく「わが国に対する核の威嚇や核の挑発がない限り、核兵器を絶対に使用しない」と述べています。共和国政府が以前から掲げてきた立場とまったく変化のないものです。今回の全員会議決定は、共和国政府が以前から述べてきたことと寸分も違わない、ストーリー的継続性の高い決定と言い得るものです。まったくブレていないわけです

このことについて、アメリカのトランプ大統領が「非常に良いニュースで大きな進展だ」とツイートしたことを筆頭に、アメリカとその子分たちは、歓迎の意を表しています。このことに限って言えば、現状は「共和国側のペース」と言ってよいでしょう

さて、日本の「外交通」を自称(僭称)する連中は、公式発表の行間を読むことを怠り、公式発表を斜に構えてイチャモン的に勘ぐりしたり、あるいは、真偽不明の「内部情報」に飛びついて「情勢のリアリステックな解析」をしていると自画自賛します。共和国情勢に関しても、こうした傾向は強くみられるところです。

「情勢のリアリステックな解析」を云々するのであれば、それこそ公式発表同士を突き合わせて、その行間を読むべきです。以前から述べていることですが、西側諸国のように行き当たりばったりで形振り構わない振る舞いに終始している権力者のケースと異なり、共和国は「必然性」を重視する科学的社会主義の看板と「正統性」を重視する儒教文化圏の看板を具有しています。その点において、共和国のような社会主義国を分析するにあたっては、公式発表を鵜呑みにすることはできないものの、公式発表同士を突き合わせることによって、かなりの情報を取得することが出来るものです。いわゆる「クレムリノロジー」が現代において最も有効に活用できるのが共和国情勢です。

ここ最近、非核化を巡って議論が展開されるであろう朝米首脳会談について、日本の言論空間に巣食って公式発表を斜に構えてイチャモン的に勘ぐりしたり、真偽不明の「内部情報」に飛びついて「情勢のリアリステックな解析」をしているなどと自画自賛する手合いは、盛んに「核開発に邁進してきたキムジョンウンには、急な非核化を正当化することはできない」「無理に転向にすれば国内に面目が立たないはず」などと書き立ててきたところです。そしてまた、「ボルトンを登用したトランプ親方は、キムジョンウンの命乞いなど相手になさらないはず」とタカをくくってきました。しかし、実態はどうでしょうか。共和国側は、従前からの主張を繰り返しただけなのに、西側諸国から「非常に良いニュースで大きな進展だ」だの「全世界が願っている朝鮮半島の非核化に向けた意味ある進展だ」などと高評価を受けています。ボルトンだって、タカ派とは言っても、日本の言論空間に巣食っている手合いほど向こう見ずではない人物です。徹底的な自国主義的合理主義者だからこそ、建前主義的な「リベラル」の腰抜けっぷりに対してタカ派的にみえているだけです。

共和国側が以前から緻密な計算の上に用意周到にこしらえてきた公式発表上のストーリーに注目していれば、今回の全員会議決定が今までの共和国側の主張の必然的延長線上に位置するものであることは、誰の目にも明らかな当然の展開であると言うほかありません。

今回の全員会議決定は、共和国のしたたかで用意周到な外交センスが光ったケースであり、かつ、公式発表を斜に構えてイチャモン的に勘ぐりしたり、あるいは、真偽不明の「内部情報」に飛びついたりしてきた「リアリスト」を自称(僭称)してきた手合いの醜態がまた一つ、国際関係論の歴史に刻まれたケースだったわけです。
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2018年04月15日

チュチェ思想の実践的生命力、実践的正当性と「のびしろ」

今日は태양절,위대한 수령 김일성동지の生誕記念日であります。

■首領様が創始されたチュチェ思想の実践的生命力――マルクス主義との違い
キムイルソン同志の革命偉業は、まずは祖国の解放であり社会主義の建設を挙げられるところですが、それらの偉業の根底に横たわるチュチェ思想は、これらの実績の根本として極めて重要なものです。チュチェ思想を指針としたからこそ祖国解放を成し遂げることができ、そしてまた祖国に社会主義を建設でき、そして1980年代末の急激な世界的な情勢の変動の中でも体制を維持できたわけです。

チュチェ思想を掲げる共和国がマルクス・レーニン主義を掲げてきた国々が軒並み崩壊する中で生き延びた理由は、共和国は、あくまでも社会主義革命の客観的条件の解明と未来社会の大ざっぱな方向性の暗示に留まるマルクスの著作を社会主義建設の現実的方法論としてそのまま利用しようとした、ある種の「時代錯誤」的なマルクス・レーニン主義党の国々とは一線を画したところにあります。

マルクスは『資本論』において、機械制大工業(生産様式)の進展は協業を必然化させ、それまで職人肌的だった労働者たちに「協力し合う」ことを求めるようになり、その結果として、未来社会としての社会主義・共産主義社会を人格的に準備すると説きます。「存在が意識を規定する」という教義に従えば、こういう結論に至らざるを得ないとはいえ、こんな見通しはあまりにも楽観的すぎ、我々の日常生活から考えても非現実的です。これが本当なら、ブラック企業の労働者なんて今頃、階級闘争の先陣を切っているはずですが、彼・彼女らが考えていることといえば、「いかにして自分の負担を他人に押し付けて、今日こそ帰宅する」の一点です(目撃談)。無理ないことですが。

チュチェ思想の教育カリキュラムには、マルクス主義とチュチェ思想との差異を説く一章が必ず用意されていますが、チュチェ思想においては、生産様式の変化が人々の人格を自動的に変革していくというマルクスの楽観的見通しを否定的に評価し、社会主義建設においては、社会主義・共産主義的教育の意識的実施が死活的に重要だとしています。そしてまた、共和国が社会主義・共産主義的教育を意識的に実施してきたからこそ、ソ連・東欧諸国よりも厳しい環境下にあっても社会主義の旗を掲げ続けることができたとしています。

「存在が意識を規定する」という教義から導き出されがちな楽観的な経済還元論的な生産力主義を、実践的経験をもとに否定するチュチェ思想の立場は、いったんは失敗と言う結果に終わった社会主義・共産主義運動を再生する上で一つの重要な論点を提起するものです

■進化しつづけるチュチェ思想が提起するマルクス主義哲学への疑問点――「対立物の闘争と統一の法則」を批判的に考えるチュチェ思想の実践的正当性
チュチェ思想は今も尚、自然と社会、そして人間自身の変化の中で進化し続けている思想です。

マルクス・レーニン主義は、その哲学的原則において、「対立物の闘争と統一の法則」「否定の否定の法則」「量質転換の法則」を弁証法の三大原則とし、その中でも特に「対立物の闘争と統一の法則」を最重要と見なします。特に暴力革命論は、こうした哲学的前提に立つものと言えます。

このことについてチュチェ思想は、大胆にも懐疑的意見を提出します

チュチェ思想国際研究所の尾上健一事務局長は、チュチェ95(2006)年6月24日の講演で、「これまでの社会主義理論」を総括するなかで次のように述べています。
>>  これまでの社会運動は対立物の闘争と統一の法則や矛盾論にもとづいていたため、対立や矛盾をさがしだすことが重要視されてきました。
 新しい社会を担う人間を育てることに力を入れるよりも、敵を見つけていつも誰かを敵にしてたたかうことに関心がむけられたのです。
 労働者が政権を取った新しい社会になってからも、労働者同士で対立する事態が生じました。なかまを信じられずたがいに協力しない社会が人間の理想社会といえるのでしょうか。
 日本ではいまでも社会運動をする人々の一部には、たたかう主体よりも対象を先にみる傾向があります。

(中略)
支配層がつぎつぎにうちだす反動的な政策に反対だけしていて新しいものを創造しなければ、新しい社会をきずくことはむずかしいでしょう。
 支配層にたいしてだけではなく、なかまや大衆に対しても闘争対象とみる傾向があります。
 対立物の闘争と統一の法則は、自然にたいしては部分的に適用されても、人間と社会に適用することはできません。
 資本主義社会こえてもっとよい社会をつくろうとするときに、対立物の闘争と統一の法則を適用することはむしろ弊害になります。

(中略)
 人々が団結して生きる姿は理想社会の原型であり、団結をきずくこと自体を運動の目標とすることが大切です。
(中略)
 マルクス・レーニン主義の唯物論と弁証法はまちがいではありませんが、新しい人間の育成や新しい社会の建設にそのまま適用することについては疑問視されます。 <<
(尾上健一『自主・平和の思想』白峰社、2015年、p9−10)
日本共産党の独善的体質や、極左集団の内ゲバ的な暴力的体質を振り返るに、マルクス・レーニン主義的思考回路の問題点の指摘する尾上先生のチュチェ思想を下敷きとする言説には、たいへんな説得力があるというべきでしょう。

当ブログでは以前より、現代日本の労働問題を「自主権の問題」と位置付けたうえで、その最終的解決を「労働者自主管理」に求めているところですが、その立場に立つ人間として私は、「マルクス・レーニン主義の唯物論と弁証法はまちがいではありませんが、新しい人間の育成や新しい社会の建設にそのまま適用することについては疑問視されます」という尾上先生のチュチェ思想的見解を支持するものです。伝統的なマルクス・レーニン主義の主張や、その教義を墨守せんとする政党・党派を支持しないものです。

■チュチェ思想とキリスト教の類似点――チュチェ思想の「のびしろ」
尾上先生が上述の言説を主張する下敷きにチュチェ思想が存在していることからも明白であるとおり、チュチェ思想は、マルクス・レーニン主義的な「対立物の闘争と統一の法則」に対して留保的な立場をとっています。このことの根底には私は、チュチェ思想の創始者であるキムイルソン同志の人格形成に、キリスト教的発想が寄与していることがあると考えています。

チュチェ思想や朝鮮労働党体制を、儒教の要素から分析する言説はかなり広範に流布しています。その最高峰的位置には、鐸木昌之氏の『北朝鮮首領制の形成と変容――金日成、金正日から金正恩へ』(明石書店、2014年)が存在します。かなり説得力のある分析であるとはいえ、あくまでも朝鮮労働党体制と伝統的思考回路としての儒教倫理の連関を論じるにとどまるものです。かつてピョンヤンが「東洋のエルサレム」とまで呼ばれた歴史的経緯と、キムイルソン同志がキリスト教的家系に生まれ、幼少期には母に連られて教会に通い詰め、教理問答で優秀な成績をおさめていた事実は、鐸木氏の分析にはほとんど取り込まれていません

その点、チュチェ思想の立場を一貫させている鎌倉孝夫先生とキリスト教徒である佐藤優氏の共著である『はじめてのマルクス』では、チュチェ思想、もっといえばキムイルソン同志の幼少期にキリスト教的要素があることを指摘しています。キリスト教とチュチェ思想の連関は、重要なテーマです。

キリスト教は、世界最大の宗教であることから社会の実践的規範の根底をなすものです。チュチェ思想にキリスト教思想と通底する部分があることは、チュチェ思想の「のびしろ」の大きさを示すものであると言えます。人類の歴史を切り開いてきた新思想は、多数派が承認する既存の思想と共通(連続)しつつも既存思想の枠内では突破し得ない部分についてのソリューションを提示する点において歴史に名をのこしてきたからです。既存の思想体系とあまりにもかけ離れた独創的な思想体系は、そもそも人々に理解されないものです(このことは、「大衆の意識の立ち遅れ」といってしまえば、それまでですが、社会的な実践と変革を第一に考えるのであれば、大衆を馬鹿にしてエリート主義的自己満足に浸っている場合ではないでしょう)。

もちろん、「チュチェ思想が首領独裁の道具に成り下がっている元凶」と目されている「革命的首領論」の問題を筆頭に、チュチェ思想を流布・実践するにあたって解決すべき問題は幾つか存在していることは私も認めざるを得ないところです。しかし、日本共産党的独善体質や極左集団の内ゲバ的暴力体質を乗り越える立場をチュチェ思想は既に確立しています。このことは、20世紀末にいったん挫折した社会主義・共産主義運動の再生にあたっては、チュチェ思想をメインとして取り掛かることが正当であると言えると考えています。

社会主義・共産主義運動再生の正路としてのチュチェ思想を創始なさったキムイルソン同志の生誕を祝賀いたします。
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2018年04月02日

完全に「去勢」させられた日本「保守」の醜い姿

【4月5日 最終段落を追加】
共和国情勢が急激に遷移しています。北南会談に続く朝中首脳会談。日本の「取り残され」感は日に日に増大しているところです。焦りの現れなのか、もともと馬鹿なのかは知りません(興味もありません)が、面白言説が多数飛び出しているところです。たとえば、以下。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180329-00000068-san-kr
>> 習近平氏訪朝へ 「千年の宿敵」に屈服した正恩氏
3/29(木) 7:55配信
産経新聞

 中国中央テレビと朝鮮中央通信が28日に報じた習近平との会談のやり取りからは、金正恩が訪中に踏み切った微妙な心境が浮かぶ。


(中略)

 ◆真剣にメモ取る姿も

 その言葉とは裏腹に中国のテレビは、習と握手する際のぎこちない笑顔を映し出した。習が発言する間、金が真剣にメモを取る姿もクローズアップした。北朝鮮メディアが、訪朝した韓国特使団が金の言葉を必死にメモする様子を強調して報じたのとは対照的に屈辱的場面ともいえた。

 「中国は千年の宿敵だ」。米政府系メディアによると、昨年12月、北朝鮮国内の講習会で幹部がこう中国への警戒を訴えた。中朝関係者によると、中国と密な関係にあった叔父の張成沢(チャン・ソンテク)を処刑したのも、異母兄の金正男(キム・ジョンナム)を暗殺したとされるのも親中派への見せしめの側面があったという。こうした“脱中国”路線から急旋回したことになる。


(中略)

 金の動静報道は6日以降、途絶えた。「核は宝剣だ」と強調する労働新聞の記事も7日を最後に途切れる。8日には、金の非核化意思の表明と会談要請に対し、米大統領のトランプが5月までの会談を承諾。一連の動きは軌を一にしていることが分かる。

 南北対話とは異なり、習との会談は、予想外に早いトランプとの会談に備え、急遽(きゅうきょ)、準備した可能性がある。北朝鮮メディアは、金が非核化意思を示したことに一切、触れていない。国民生活を犠牲に推し進めてきた核開発の看板を引き下ろす国内向けの論拠が整っていないことを物語る。


(中略)

生き残りを懸け、中国を最大の擁護者とするため、「宿敵」に膝を屈して取り入った覚悟がにじむ。=敬称略(ソウル 桜井紀雄) <<
■完全に「去勢」さられた日本「保守」の醜い姿を象徴する産経記事
産経新聞が拠って立つユートピア追求的な観念論が、これでもかと言うくらいに迫ってくる一品です。いやはや、甚だしい平和ボケっぷり。「民族の自主」という観念をマヒさせられ、完全に「去勢」さられた日本「保守」の醜い姿を象徴するものです。

習が発言する間、金が真剣にメモを取る姿もクローズアップした」ことを「北朝鮮メディアが、訪朝した韓国特使団が金の言葉を必死にメモする様子を強調して報じたのとは対照的に屈辱的場面ともいえた」と書き立てる産経。そんなこと計算ずくでメモを取っているに決まっているじゃないですか。

「ここはとにかく中国をヨイショするのが得策だ」――キムジョンウン同志がそう判断なさったことは極めて自然なことです。このことが「屈辱」かと言えば、「自分たち以外のすべての存在は、自分の目的を達成させるための手段にすぎず、工夫に工夫を重ねて自分たちの目的達成のために周囲環境を利用すべし」というチュチェ思想の根本的要求に照らせば、「朝鮮式社会主義体制を守り抜く」という大目標を達成させるためであれば、あくまでもそのための「道具」に過ぎない習近平をヨイショすることくらいキムジョンウン同志にとっては朝飯前のことでしょう。

アメリカの挑発にまんまと乗っかり「自存自衛」などと口走りながら後先考えずにパールハーバー攻撃を仕掛け、案の定、国土を焼け野原にさせられた日帝の、国際関係論的には完全なる失敗例について「あれは闘わなければならなかったのだ・・・」などと陶酔気味で語る産経・正論路線(正気とは思えませんね)と好対照です。

「民族の自主」という至高の目標を達成するためであれば手段を選ばない。そもそも自分たち以外はすべて「手段・道具」に過ぎず、そんな連中が何を思おうと知ったこっちゃない・・・チュチェを突き詰めれば、「道具」ごときが何をどう思おうと、どうでもいいことです。具体的な言動・行動のレベルではなく、自分たちの目標達成に貪欲であることこそが「筋を通すこと」と見なすチュチェ思想の立場に立てば、身のこなしの急激な変化は「変節」には当たらないことです。

具体的な言動・行動のレベルに拘ることは、チュチェ思想的には枝葉末節に過ぎません。産経・正論路線は、まさにチュチェ思想的には枝葉末節のレベルです。こんな枝葉末節のレベルのことに拘っていられるということは、すなわち、産経・正論路線の甚だしい平和ボケっぷりを示すものであり、「民族の自主」という概念をマヒさせられ、完全に「去勢」させられた日本「保守」の醜い姿を象徴するものです。

■都合の良い時だけ「国内向け説明」を真に受ける産経記事――「虚偽宣伝で国民を騙す独裁政権」ではなかったの?
中国は千年の宿敵だ」などという「米政府系メディア」の報道をここで持ち出してくるのも噴飯ものです。このことは、かの高英起「同志」が詳細に書き立てているところです。どうやら、おなじみの「北朝鮮国内情報筋」なる真偽(存否)不明の情報です。

仮にその「北朝鮮国内情報筋」が実在し、その証言が事実だったとしましょう。しかし、「中国は千年の宿敵だ」なる言説が党中央の真意であるという保証は、どこにもありません

このことは、まさしくこれらの手合いの基本的認識・立場であるはずです。いつから共和国は、国民に対して党中央の真意を伝える国になったのですか。高英起「同志」たちによれば、共和国政府は「独裁」政権を維持するために国民に対して日常的に虚偽の情報を流布させてきたといいます。「『労働新聞』に書かれていることのうち真実と言い得るのは日付だけ」と言わんばかりの論陣を張ってきたものです。どうして、「中国は千年の宿敵だ」などという言説だけがファクト扱いされるのでしょうか?

■そもそも「核武装は必要悪」というのが国内向け宣伝
北朝鮮メディアは、金が非核化意思を示したことに一切、触れていない。国民生活を犠牲に推し進めてきた核開発の看板を引き下ろす国内向けの論拠が整っていないことを物語る」とも書き立てています。チュチェ106(2017)年10月8日づけ「共和国の自衛論理が報じられるようになった」でも触れましたが、共和国は以前から核廃絶は人類の念願であると言明してきました。しかし、アメリカと直接的に対峙せざるを得ない状況下では自衛目的の抑止力は不可欠であるために、已む無く核爆弾やICBMといった核武力の整備に邁進してきたというストーリーを持っています。いわゆる「並進路線」は、その認識の上に据えられているものです。

その点を踏まえれば、「北朝鮮メディアは、金が非核化意思を示したことに一切、触れていない」というのは結局、国内向けの論拠」の有無の問題ではなく、アメリカの真意を解析中である証拠とみるべきです。

「核武装は必要悪」というのが、共和国の国内向け宣伝です。中国は千年の宿敵だ」などという国内向け宣伝は真に受ける一方で、「核廃絶は人類の念願」はスルーする・・・都合の良い事実に飛びつく、典型的な観念論者の姿にほかなりません。

だいたい、共和国のしたたかな外交の背景に「北朝鮮には配慮すべき『世論』が存在しないこと」があるのは、国際関係論の初歩的認識であるはず。いわゆる「独裁国家」であるからこそ、「筋」を通せるのだといわれているところです。あれだけ共和国への誹謗中傷を展開してきた産経が、急に「国内向けの論拠」がどうのこうのとは、いったいどうしちゃったんでしょう? そういうことを「踏みつぶす」のが「北朝鮮のキム王朝」だと書き立ててきたのが産経だったはずです。

支離滅裂と言うほかありません。

■チュチェ思想の立場に立つ人間が屈服するとき
生き残りを懸け、中国を最大の擁護者とするため、「宿敵」に膝を屈して取り入った覚悟がにじむ」という結び。目標達成を第一に掲げるチュチェ思想の立場に立つ人間が屈服するときは、唯一、目標を達成できなかったときだけです。一見して「中国に膝を屈した」ように見えても、その中国を「道具」として使い倒した結果、目標を達成したのであれば、それは勝利です。

産経・正論路線のこのトンデモ言説は、以前にも指摘した「ゲリラが建国した国の文化とインパール作戦を生んだ文化的土壌の国との決定的差異」を底流としつつも、何を最優先にすべきかという点において日帝レベル以下に落ち込んでいる現代日本「保守」の甚だしい平和ボケっぷりを示すものです。本質的な意味での「民族の自主」という概念をマヒさせられ、混乱の挙句に取るに足らないことを重要視するレベルにまで幼稚化させられた姿、完全に「去勢」させられた日本「保守」の醜い姿を象徴するものです。
posted by 管理者 at 22:56| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする