2018年07月29日

「言葉の力」でどこまで真相解明できるか

https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201807270000222.html
続く麻原崇拝、悲劇繰り返す心配…/江川紹子氏の目
[2018年7月27日8時52分 ]

 地下鉄、松本両サリン事件などオウム真理教による事件に関わったとして、殺人などの罪に問われ、死刑が確定した教団元幹部ら6人の刑が26日、執行された。今月6日、松本智津夫元死刑囚(教祖名麻原彰晃)を含む7人の刑が執行されたばかり。


(中略)

 執行された6人は、事件の被害者や社会にとっては、許されざる罪人だが、同時に、麻原彰晃こと松本智津夫によって心を支配され、手足のように使われた者たちだった。その麻原が執行されて20日後の執行という素早さに驚く。

 法務省としては、一連の事件で死刑判決を受けた者を短期間に執行することが公平な対応だと考え、最初から今月中に全員を執行するつもりだったのだろう。しかし、首謀者であり、自分を信じて付き従った弟子たちを人殺しにした麻原と、事件の実行犯として使われた者では、その責任の大きさは天と地ほども違う。

 また弟子たちは、未曽有のテロ事件を引き起こしたカルトの内情や、そこに人が引き込まれていくプロセスについて語れる生き証人でもあった。オウムと出会う前は、人生の意味について考え込むようなまじめな青年だった人たちである。オウムのマインドコントロールから解放された後、自らがなしたことを深く悔い、経験を裁判で詳しく語ったり、若い人たちがカルトから身を守るための手記を書くなどした者もいる。

 そんな彼らから、心理学や宗教学の専門家が十分にヒアリングを行うなど、刑事裁判とは異なるアプローチの研究を行っていれば、今後のカルト対策やテロ対策のために重要な資料になっただろう。実際、カルト問題の研究者が、面会調査の申し入れをしていたのに、法務省はそれを無視した。

 結局、この国は、社会に衝撃を与え、多くの被害を出したオウムの問題を、刑事事件として処理するだけで終わらせてしまったのだ。落胆を禁じ得ない。


(以下略)
■主体としての人間の動機を解明することこそ真相解明の核心
ある社会現象は、時代の客観的状況とそれを起こす主体としての人間行動の相互作用です。それを解明するにあたっては、両者について分析する必要がありますが、「自主性・創造性・意識性をもつ社会的主体としての人間」の側が所与の客観的状況をいかに認識・把握し、判断を下し、行動に移ったのかについて、平たく言えば動機について特に注意深く分析すべきであります。人間は客観的状況を改造し、自らの目的を達成する力があるからです。(主体的社会歴史観)。

その点、オウム事件について解明するというのであれば、1990年代前半の日本という時代環境においてオウム真理教信者たちが時代をどう認識し、何故あまたある選択肢の中からよりにもよってオウムへの入信を決意し、いかにして一線を越えてしまったのか関する動機に迫ることが肝心かなめであります。「再発防止」という観点に立てば、信者たちの時代論(時代認識)とオウム入信決意・オウムへの帰属動機が重要になります。はじめはただの「ヨガ」の「サークル」だったオウムが、「反社会」的かつ「教祖を頂点とした絶対的ヒエラルキー型組織」に変質していった経緯を振り返れば、いまは怪しいけど無害な集団も、何かの契機でオウム的になりかねないわけです。オウムが人々を誘惑し、人々の帰属意識を土壌として組織化してゆく「成長の過程」を解明することは、再発防止に資することでしょう。

■刑を執行しないことによって、いま分かっている以上のことが語られるだろうか・語り得るだろうか
その点、江川紹子氏の指摘は私もおおむね同感で、理解できるものである一方、オウム事件死刑囚への執行は世論一般からはあまり惜しむ声は聞こえて来ず、むしろ、「20年以上も語る時間があったんだから、いま分かっている以上のことは語られないだろう」といった類の冷めた意見が目につきます。こうした意見もまた、一理ある見方だと思います。

さらに突っ込んで述べれば、心理学や宗教学などの専門家がオウム事件死刑囚たちに対して十分なヒアリングを行ったとしても、それでいったいどれだけのことが追加的に解明し得るのか、正直言って何とも言えないところではないでしょうか。自分が何を考えて、どうしてそういう決断を下したのかについて整理・言語化・理解するために専門家の助けを借りるといっても、そもそも、思考というものは整理・言語化・理解し切れるものなのか。「心の闇」としか表現できない、あまりにも歪み過ぎた認識・著しい論理の飛躍等(とは言っても精神病とは言えない)の非合理的な結論しか出てこないこともあるでしょう。

今回、オウム事件死刑囚たちは刑の執行により永遠に沈黙することになり、それであるがゆえに「真相究明の道が絶たれた」といった類の描写がなされているところですが、これが仮にこのまま執行されずに20〜30年経過し、死刑囚たちが加齢からくる一般的な死に方をしたとしても、同じように「真相究明の道が絶たれた」と騒がれていることでしょう。オウム事件解明のゴールをどこに置くかという問題でもありますが、ただ漠然とした「真相解明」であるならば、「オウム事件の解明は、どんなに時間を掛けても、どだい無理」と言わざるを得ないでしょう。

ちなみに、江川氏は6月13日の時点で、「「真相究明」「再発防止」を掲げる「オウム事件真相究明の会」への大いなる違和感」という記事を発表していますが、かなり多くのことを語っている弟子たちについては「生き証人」としてまだまだ聞き出すべきことはたくさんあるとする一方で、沈黙のまま死んでいった麻原教祖については、「既にかなりのことが判明している」とする違いが気になるところです。「オウムのようなカルト事件の「再発防止」のために必要なのは、教祖の心の内を探るより、信者たちがいかにして教団に引き寄せられ、どのようにして心を支配され、犯罪の指示にも唯々諾々と従ってしまったのかを知ることだ」というのは乱暴な議論でしょう。

また、その時は理解不能であっても、後になって振り返ってみると理解できることは、日常生活レベルでもよくあることです。何世代か後の時代になってまたオウムと類似した現象が起きてそれを分析したとき、「あれっ、これって20世紀末のオウム真理教も実はそうだったんじゃない?」と初めて判明することもあるでしょう。オウム事件は、この時代だけで解明し切れるものではないでしょう。

■「言葉の力」はどこまで信じられるか
もちろん、江川氏の言いたいことは、「法務省は、究明しようともしなかった」という点であることは文脈的に明白です。「専門家がヒアリング調査したけど、やっぱり分からなかった」ことと「調査しようともしなかった」ことは全く異質のものです。しかし、「専門家がヒアリング調査すれば、もっと多くのことが分かったかもしれない」ではなく「専門家がヒアリング調査すれば、もっと多くのことが分かったに違いない」という前提に立っているものと読み取れます(江川氏は厳しく批判していますが、森達也氏を筆頭とする「オウム事件真相究明の会」の面々は更にそうでしょう)。私もそう信じたいところですが、「本当かなあ?」と疑う気持ちもあります。

江川氏はジャーナリストですから、言葉が真実を表現し伝達する力を職業的に確信しているのでしょうが、正直私は、当ブログを執筆することによって自分自身の意見を言語化して表明を行っている一方で、その限界は「わりとすぐそこ」にあるのではとも感じているところです。「言葉の力」をそこまで信じ切れていないというか。。。(その昔、マルクス主義哲学研究会で議論したなー)

「心の闇」などと称して安易に検討対象から外すことに私は反対の立場ですが、しかし、検討し切れるものでもないとも考えています。どこまでだったら解明し切れるのかという「限界」を意識することなく、ただ漠然と「真相解明」という言葉だけが独り歩きしていないかと思えてならないわけです。

■「これが分かれば真相解明と言える」というゴールラインを設定すべき
「限界」というのは、やってみないことには分からないという側面はあるでしょう。「限界はあるだろうけど、どこが限界なのかは分からないから、とりあえず行けるところまで行ってみる」というのが現実なのでしょう。そんなもんだと思います。そうだとすれば、漠然と「真相解明」というのではなく、具体的に解明したい未解決課題をできるだけ詳しく列挙して、「これの理由が判明すれば真相は解明されたと言える」というゴールラインを設定すべきでしょう。それでこそ科学的立場だし、また、小目標の積み重ねによる漸進的な真相解明プランである点において、哲学的な観点における漸進主義であるとも言えます。

具体的目標を掲げることによって科学的立場を取るべきです。漠然とした目標の提唱は科学的ではありません。そして、科学的たらんとすればこそ、科学全能・理性過信は厳に戒め、ひとつひとつの目標は小規模のものとし、一気に真相解明を期すると言った「欲張り」に走らず、小目標の積み重ねによる漸進的な全体真相解明プラン(漸進主義)に立つべきです。「これが分かれば真相解明と言える」という小目標を設定し、当面はその解明に注力すべきです。その小目標が達成されても依然として判然としてない論点があれば、改めて課題化すべきです。それこそが漸進主義的な科学的立場と言い得るものです。

■総括
前述のとおり、江川紹子氏の指摘は私もおおむね同感で理解できるものです。しかし、その真相解明論は、何を以て「解明」になるのかが漠然としているし、さらに根源的部分について指摘すれば、「言葉の力」を過信している傾向も見えるというのが私の問題意識です。
ラベル:「科学」
posted by 管理者 at 16:44| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2018年07月27日

위대한 조국해방전쟁승리 65돐

위대한 조국해방전쟁승리 65돐을 축하합니다!!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-00000030-asahi-int
北朝鮮が米兵遺骨返還 戦争当時に行方不明の55柱前後
7/27(金) 11:28配信
朝日新聞デジタル

 北朝鮮は朝鮮戦争休戦協定の締結65周年にあたる27日午前、戦争当時に行方不明になった米兵の遺骨を米国に返還した。米朝対話を続けたい北朝鮮側の意欲を示したものだが、非核化措置は進展しないままになっている。

 遺骨返還は6月12日の米朝首脳会談の共同声明に盛り込まれ、米側が履行を重ねて求めていた。トランプ米大統領は「米兵の遺骨は間もなく米国へと向かう。長い年月を経て、多くの家族にとって素晴らしい瞬間だ。ありがとう、金正恩(キムジョンウン)(朝鮮労働党委員長)」とツイートした。ホワイトハウスは報道官の声明で「金正恩委員長は(トランプ)大統領との約束の一部を果たした。北朝鮮の行動と前向きな変化の機運に我々は勇気づけられている」と評価した。北朝鮮は最近、平安北道東倉里(ピョンアンブクトトンチャンリ)のミサイル施設の解体作業にも着手した。しかし、米側が求めている非核化に向けた具体的なスケジュールなどは提示していない。

 韓国代表取材団などによれば、米空軍輸送機C17が27日早朝、在韓米軍烏山(オサン)基地から出発。北朝鮮東部の江原道元山(カンウォンドウォンサン)で遺骨の引き渡しを受け、同日午前11時ごろ、烏山基地に戻った。遺骨は55柱前後とみられる。


(以下略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-00000094-jij-kr
金正恩氏、中朝重視を強調=義勇軍兵士の墓訪問―休戦65年
7/27(金) 15:48配信
時事通信

 【ソウル時事】北朝鮮の朝鮮労働党機関紙・労働新聞(電子版)は27日、朝鮮戦争(1950〜53年)の休戦協定締結から65周年に合わせ、金正恩朝鮮労働党委員長が中国人民義勇軍兵士の墓地を参拝したと報じた。

 非核化をめぐる米朝交渉が進む中、「後ろ盾」の中国との関係を重視する姿勢を強調する狙いとみられる。

 「朝中関係は互いに血と命をささげて結ばれた友情と真の信頼で固く結び付いており、前例のない特殊で強固な友好関係に発展している」
 正恩氏は朝鮮戦争で戦死した義勇軍兵士の墓地を訪れ、こう強調した。さらに、中国の故毛沢東主席の長男で従軍中に戦死した毛岸英氏の墓地にも献花した。


(以下略)
以前から指摘していることですが、共和国は記念日を極めて重視する点、一方において7.27に合わせてアメリカに対して戦没者の遺骨を返還しつつ、他方において中国に対しては人民志願軍の戦没者墓参を行うというアクションは、極めて示唆的です。対米関係改善を模索しつつも、「もしアメリカが過剰要求をしてきたとすれば、中国と連携しつつ徹底対抗する」という言外の宣言であると言ってよいでしょう。

特に、西側諸国が記念日当日に画期的決定を下して実施するのに対して、共和国においては、記念日の1週間前には画期的決定を下して実施し、その後の1週間はひたすらに画期的決定・実施の社会政治的意義の思想教育に費やす御国柄です。共和国は、基本的に記念日当日は従前の成果を誇り、それに酔う日であり、記念日当日に新しいサプライズ的企画を行わない御国柄です。

にもかかわらず、7.27の戦勝節に遺骨返還という画期的事業に乗り出した共和国政府・朝鮮労働党。自国の習慣とは異なる欧米式記念日祝賀スタイルに合わせた共和国政府・朝鮮労働党。メッセージは相手側に伝わらなければ意味がありません。その点私は、共和国の対米関係改善の意思を感じたところです。
ラベル:共和国
posted by 管理者 at 23:09| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2018年07月24日

未熟練者にご遠慮いただくことは「多様性排除」か?;多様性と「何でもあり」とは異なり、質的担保は必須

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180724-00000015-kobenext-l28
災害ボランティア 進む組織化、多様性排除に警鐘
7/24(火) 13:05配信
神戸新聞NEXT

 大阪府北部地震、西日本豪雨と大規模な災害が相次ぎ、災害ボランティアの在り方に改めて注目が集まっている。兵庫県からも多くの人が被災地に駆け付けた一方、発生直後は混乱を恐れ、ボランティアの受け入れを制限する自治体もあった。阪神・淡路大震災を契機に発足し、国内外で災害支援を続ける「被災地NGO恊働センター」(神戸市兵庫区)顧問の村井雅清さん(67)は「ボランティアは多様で、自由であるべき」だと強調する。

 村井さんは「ボランティア元年」と言われた阪神・淡路の当時を「誰もが初心者。自分で考えて行動していた」と振り返り、「現地に赴き、目の前の困っている人を助けるのが本来のボランティア。困ったときに助け合うという、原点に立ち返る必要がある」と力を込める。

 現在は「初心者のボランティアは現場を混乱させる」という言説が、活動に二の足を踏む人を生んでいると指摘する。自身が講義を担当する大学で、学生が「初心者が被災地入りすべきではないと思っていた」と話したといい、「ボランティアが組織化され、多様性が排除されていると感じる」と危惧する。

 受け入れ組織や体制を整える間に、被災者が置き去りにされるとし、「どんどん活動し、得られた気づきや成果を次の活動に反映すべきだ」と主張する。


(中略)

 西日本豪雨の被災地ではまだまだボランティアが不足しているとも感じる。「泥出しだけでなく、被災者の話を聞く存在も欠かせない。耳を傾ける中でニーズも分かってくる」と同センター代表の頼政良太さん(30)。村井さんは「ピラミッド型ではなく、ボトムアップ型の支援を続けることで、見捨てられる人をなくしたい」とする。(太中麻美、金 旻革)
記事内容の言いたいことは分かります。「「誰もが初心者。自分で考えて行動していた」と振り返り、「現地に赴き、目の前の困っている人を助けるのが本来のボランティア。困ったときに助け合うという、原点に立ち返る必要がある」と力を込める。」というくだりは、その通り。ボランティアは、あまり肩に力を入れ過ぎないほうがよいでしょう。

また、災害復旧の現場の最終的な目的は被災者の生活立て直しですが、生活の本質的特徴はまさに多様性であるところから、その復旧作業もまた多様性を確保したものであるべきです。その点、ボランティアワーカーは、さまざまな背景とアイディアをもった人々の層で担われるべきでしょう。

さらに、「耳を傾ける中でニーズも分かってくる」とか「ピラミッド型ではなく、ボトムアップ型の支援を続けることで、見捨てられる人をなくしたい」といった主張にも強く共感するところです。

今回の趣旨とは外れることを承知で脱線的に述べれば、以前から立場を鮮明にしているように私は、社会主義の理想を堅持しつつも市場経済を重視する一般的には矛盾した信念体系を両立していますが、この記事に即してご説明申し上げれば、「見捨てられる人をなくしたい」という点に社会主義的な意味で共感しています。

また、「ボトムアップ型の支援」にも社会主義の理想像を見出しているのですが、それを実現するためには、統制経済よりは市場経済に優位性があると考えているところです。社会主義的理想は市場経済を手段として適切に利用してこそ実現すると考えているわけです。

そしてそのために、4月15日づけ「チュチェ思想の実践的生命力、実践的正当性と「のびしろ」」で述べたように、勤労人民大衆自身による自主管理という形態に可能性を見出し、その思想的基盤に、組織論については一定の留保を取り付けた上でマルクス主義的な生産力主義・経済還元論的発想を克服し、大衆路線に立っている点においてチュチェ思想の可能性を見出しているところです(毛沢東主義も大衆路線を掲げているが、生産力主義・経済還元論的発想はマルクス主義を乗り越えていない)。


ただ、そうはいっても災害復旧は、待ったなしの大真面目な事業です。いくら多様性が大切だからといって、未熟練ボランティアワーカーたちのOJTをやっている余裕はありません。その点、ある程度の経験を積み質的な担保がある熟練のボランティアワーカーが求められるところです。特にTwitter等のSNSが震源地といっている善意の「拡散」の結果として生じている有難迷惑の大混乱――有難迷惑の逆ギレさんまでいる始末――をみるに、最近は善意が暴走しがちな時代なのだから、何でもWelcomeとは言えないでしょう。

その点、未熟練問題と「多様性」の問題は土俵違いなのではないか、ここでは「多様性排除」という言葉を使う場面ではないのではないかと思えてなりません。未熟練ボランティアワーカーにご遠慮いただくことは「多様性排除」と言えるのでしょうか。誰彼構わず受け入れることによって未熟練ボランティアワーカーが紛れ込むことを「多様性の確保」とは言わないでしょう。以前から強調しているように、多様性と「何でもあり」とは異なり、真の意味での多様性は一定の水準・範囲の限定や規則設定があってこそのものです。特に質的担保は必須です。

ここ最近の「多様性」ブームについて、≪자주≫(自主)を信奉する点において多様性を重視する立場だからこそ違和感を持っている私は、「猫も杓子も多様性」「とりあえず『多様性』と言っておけば正しく見える」として批判的に捉えてきましたが、特に今回は強い違和感を感じました。

なお、未熟練ボランティアワーカーたちのOJTを、待ったなしの実現場でやっている余裕はないと先に書きましたが、未熟練ボランティアワーカーたちが平時において訓練する場はあってしかるべきだとは思います。消防士などと同様に、訓練を通して熟練することによって実際の災害現場で主動的に戦力になるよう、平時においてこそ備えるべきです。ぶっつけ本番的に飛び込むことは好ましくありません。
ラベル:社会
posted by 管理者 at 22:22| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2018年07月22日

最賃引き上げによる非効率企業の淘汰促進におけるソフトランディング策について

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180715-00000089-asahi-int
韓国の最低賃金835円に 10年で2倍、日本に迫る
7/15(日) 23:11配信
朝日新聞デジタル

 韓国の最低賃金委員会は14日、来年の最低賃金を10・9%増の時給8350ウォン(約835円)に引き上げると決めた。「所得主導」の経済成長を掲げる文在寅(ムンジェイン)大統領の政策があり、日本の最低賃金(全国加重平均)の時給848円に迫る。ただ、コンビニなどの自営業者は「人件費が増えて商売にならない」と撤回を求めている。

 委員会は雇用労働省の所属機関で、雇用労働相が公示すれば来年1月から適用される。労働組合が有力支持基盤の文氏は2020年に最低賃金を時給1万ウォン(約1千円)にすると公約しており、前年の引き上げ幅は16・4%だった。韓国の10年の最低賃金は4110ウォン(約410円)で約10年で2倍となる計算だ。


(以下略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180714-00031109-hankyoreh-kr
最低賃金委、使用者委員不在のまま徹夜交渉…二桁引き上げなるか
7/14(土) 16:21配信
ハンギョレ新聞

労働者側「1万790ウォン」使用者側「7530ウォン」の平行線 使用者委員ら「参加の意味ない」 韓国労総「1万ウォン勝ち取る」決議大会  小商工人の反発に政府でも「速度調節論」 最低賃金委員長「独立性損なう恐れも」 今年のような大幅引き上げは容易でない見込み

 13日、最低賃金委員会が来年度の最低賃金水準を決定するための第14回全員会議を開いた。支給基準で7530ウォン(約748円)の最低賃金が来年からいくらに引き上げられるかに関心が集まっている。


(中略)

 一方、韓国労総は同日、政府世宗庁舎の雇用労働部前で「完全な最低賃金1万ウォンを勝ち取るための決議大会」を開いた。彼らは「最低賃金の算入範囲を拡大する法案が議決されたため、最低賃金が引き上げされても効果が半減する。低賃金労働者の実質所得を上げるためには、来年の最低賃金が大幅に引き上げられなければならない」と強調した。

 来年、最低賃金の引き上げ率が今年のように高い水準を維持することは難しい見込みだ。文在寅(ムン・ジェイン)大統領の公約である2020年最低賃金で1万ウォンを達成するためには、来年と再来年のいずれも今年と同じ水準に引き上げなければならないが、高い引き上げ率に対する小商工人の反発が激しい上、政府内部でさえ“速度調節”を求める声が上がっている。キム・ドンヨン副首相兼企画財政部長官は12日、政府ソウル庁舎で開かれた経済懸案懇談会後、記者団に「最低賃金の引き上げが一部業種と青年・老年層の雇用低迷に影響を与えた」としたうえで、「2020年まで1万ウォンを目標に進むよりは、最近の経済状況や雇用環境、脆弱階層に及ぼす影響と市場の収容能力を考慮し、柔軟に検討しなければならない」と述べた。


(以下略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180716-00031116-hankyoreh-kr
政府、生存策求める小商工人に「賃貸料の緩和など対策講じる」
7/16(月) 17:46配信
ハンギョレ新聞

“弱者同士の争い”続く  連合会、最低賃金に“不服”宣言 刑事処罰覚悟の対抗策を予告 「来月5日の告示前に支援策提示せよ」  政府、手数料など費用緩和策 共済事業など民生対策講じる計画

 来年の最低賃金が、今年より10.9%値上がりした1時間当たり8350ウォン(約830円)に決定されたことに対し、小商工業界の反発が激しい。小商工人連合会は「最低賃金の不服(モラトリアム)」運動で対抗するとし、コンビニ加盟店主らは全国で同時多発的に共同休業に突入する計画を明らかにするなど、激昂した反応を示している。あからさまに法を違反するという集団的反発だ。政府は来年の最低賃金を確定・告示する来月5日まで小商工業界の不満と憂慮の声を集約し、補完対策を講じる方針だ。

 小商工人らが掲げる反発の理由は生存権への脅威だ。小商工人連合会は14日の緊急声明で「わずか2年間で29%も上昇した最低賃金により、小商工人たちは廃業か人員削減かの選択を迫られる岐路に立たされた」とし、最低賃金の不服運動が生き残るための苦肉の策だと強調した。連合会は17日、副会長団会議や理事会を同時に開き、具体的な不服方策を協議し、61業種別総会も召集して対応策をまとめる計画だ。

 自営業とも呼ばれる小商工業種は最低賃金の適用対象の労働者が集中しており、実際に不服運動が行われた場合、深刻な事態が予想される。


(中略)

 しかし、最低賃金の急激な引き上げが、最低生計費を稼ぐこともままならない小商工人たちに大きな負担を与えていることも、否定しにくい事実だ。最低賃金法で労働者に最小限の生存基盤を保護するように、小商工人の生存基盤づくりも政府が積極的に支援すべきという声も上がっている。キム・ユソン韓国労働社会研究所理事長は「フランチャイズ本社の横暴の解消などに向けた各種経済民主化立法の課題をはじめ、カード手数料引き下げや商店街の賃貸料負担の緩和など、政府と与党が今まで発表しただけで先延ばしにしてきた小商工人対策をまず施行するのが重要だ」とし、「また、大企業や経済団体も小商工人の反発を盾にするよりも、自ら公正取引の慣行を定着させるのに力を入れるなど、責任を果たさなければならない」と強調した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180716-00000028-yonh-kr
最低賃金2桁引き上げにも「公約守れず謝罪」=文大統領
7/16(月) 16:03配信
聯合ニュース


(中略)

 文大統領は「最低賃金委は経済の対内外の環境や雇用状況、零細業者の難しい事情など、多くの利害関係者が直面している現実を考慮し、最低賃金の引き上げに関するさまざまな意見を聞き、慎重に決めた」と説明。「政府は早期に最低賃金1万ウォンを実現できるよう、最善を尽くす」と強調した。

 また、「最低賃金の早期引き上げは低賃金労働者の賃金を上げ生活を保障するとともに、家計所得を高め内需を活性化させ、経済を成長させて雇用増加につながる好循環効果を目標としている」と言及。「最低賃金の引き上げの速度を維持するため、何より重要なのは最低賃金の引き上げ幅に韓国経済が耐えること」として、「零細業者の経営が打撃を受け、雇用が減らないよう雇用安定資金など補完対策づくりに最善を尽くす」と述べた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180719-00000083-reut-kr
焦点:韓国「働き方改革」で広がる格差、低所得層にしわ寄せ
7/19(木) 11:23配信
ロイター

[ソウル 17日 ロイター] - 韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は、国民の労働時間を減らつつ賃金を増やしたいと考えている。それを達成すべく、韓国政府は最低賃金を上げ、週の労働時間の上限を引き下げた。

だが、首都ソウルのロッテマートで麦茶の試飲を配るHeo Jeongさん(48)は、そうした政策の結果、収入の3分の1を失ったと話す。

Heoさんが働く店舗は営業時間を短縮し、スタッフの勤務時間を削減した。かつて1カ月に40時間働いていた彼女は現在、32時間勤務で月収は120万ウォン(約12万円)と以前より3分の1少なくなった。手当が付く夜勤にあまり入れず、ボーナスが支給される機会も減っているからだ。

彼女だけではない。7月1日に法定労働時間が1週68時間から52時間に削減されて以来、多くの企業が従業員を増やすよりも終業時間を早めている。

これは、文大統領の改革が裏目に出始めていることを示す多くの兆候の1つであり、格差に正面から取り組む「雇用の大統領」になるとの公約が危ぶまれていると、エコノミストは警鐘を鳴らす。

もう1つの問題は、今年1月に実施して、過去17年で最大の上げ幅となった17%の最低賃金(時間額)引き上げが、低所得層の収入に逆効果をもたらし、投資や求人を抑制している可能性があることだ。

下位20%の家計所得は、第1・四半期に前年同期比で8%低下。韓国統計庁がデータを集計し始めた2003年以降で最大の下げ幅を記録した。また、15─29歳の約4分の1が失業している。


(中略)

小規模企業の業界団体である小商工人連合会は、改革履行を拒まざるを得ないと表明。「小規模事業主は岐路に立たされており、廃業するか人員削減か、選択を迫られている」と声明で述べた。

確かに、韓国企業の雇用は減速している。今年はこれまで、雇用の伸びは月間平均で14万2000人となっており、2008─09年の世界金融危機以降でもっともペースが鈍化している。

文大統領は16日、最低賃金の引き上げが、小規模事業主や低所得者に悪影響を及ぼしている可能性を認めたものの、所得増に重点を置いた政策に変わりはないと語った。

「最低賃金の大幅な引き上げは、低所得層が威厳ある生活を送れるようにするためだ。家計所得が上がれば国内需要を押し上げ、ひいては雇用創出につながる」と文大統領は閣僚に語った。また、政策によって窮地に立つ低所得者向けに補助金支給も検討していると付け加えた。


(中略)

だが、そのような評価がうまくいくかについては、多くのエコノミストが疑問視している。

韓国の労働市場改革は、アジア経済圏の中心に位置する中国が減速の兆しを見せ、韓国の輸出企業が米中貿易戦争に巻き込まれるリスクが高まる中で行われている。

「最低賃金引き上げや他の雇用促進策はこの先、格差を是正するのに役立つだろうが、今は非常に悪いタイミングだ」と英銀行大手スタンダード・チャータード(ソウル)のエコノミスト、Park Chong-hoon氏は語った。
■どっちに転ぶ?
最低賃金の改定、すなわち経済学的な意味での価格統制の実施の結末には、正反対の2パターンが大きく考えられるものです。

一方は、価格統制の結果、企業内で労使間の分配に変化が生じるケースです。労賃=コストが上昇したからといって簡単に価格転嫁できるわけではないので、使用者側が取り分を少なくすることによって労働者側の取り分を多くするという展開です。賃上げ論者の意図通りに事が進んだ場合であると言えるでしょう。

他方は、労賃=コストの上昇ゆえに未熟練労働者の雇用機会が減少するケースです。営利企業は慈善目的で労働者を雇用して生産しているわけではないのだから、生産効率が上がっていないのに人件費だけが上がるのであれば、思い切って雇用を取りやめるというのも合理的な判断です。1月15日づけ「最低賃金引上げの経済学的効果について」でも論じました。大学一回生が学ぶレベルの基礎的な経済学でよく指摘されているケースであります。

どちらに転ぶかは、結局のところ「力関係」の問題に帰着するでしょう。分配問題、つまり使用者側の取り分の決定にどこまで食い込めるのか、影響力を行使できるのかが鍵です。分配の決定権は、資本主義社会において使用者(資本家)が支配階級たりうる力の源泉です。私は、低賃金問題の解消に当たっては最低賃金の引き上げという方法論にはあまり期待していません。前掲14日づけハンギョレ紙からの引用部分にはキム・ドンヨン副「首相」の「最低賃金の引き上げが一部業種と青年・老年層の雇用低迷に影響を与えた」というコメントがあります。また、19日づけロイター記事はデータを示しています。韓「国」経済の現状は、後者の展開を予期させるものです。既に実施済の策によって後者の効果が出ており、その時から特段の社会経済的構造に変化が生じていないのだから、今回もまた同じような展開になると予想されるわけです。

なお、ここでいう「力関係」は必ずしも階級闘争的な意味で決定されるものではなく、生産方法・生産技術的によって決定されるものも含みます。知識労働のように「代わり」の用意が簡単ではないケースでは、自ずと労働者・要素供給側の地位は向上し、使用者・要素需要側に強気で出やすくなります(1月15日づけ「最低賃金引上げの経済学的効果について」でも論じたように、価格弾力性の概念等のミクロ経済学の立場によるものであり、マルクス主義的な階級闘争万能論ではありません)。

今回の韓「国」における最低賃金改定にあたっては、すくなくとも労組側は、前者の効果を狙っているものと考えられます。しかし、上述のとおり、実際には後者の効果が出るものと予想できるので、彼らの意図とは逆効果の結果に終わると思われます。経済科学に立脚していない「一種の観念論的社会政策」と言うべきかもしれません。

■実は「政権」は確信犯?
政策意図を実現する上では逆効果的と言うべき今回の決定ですが、「分かっていてやっているのではないか」という出ています(ソースの信頼性がいまいちだけど・・・w)。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180612-00010004-agora-bus_all
韓国の雇用政策が色んな意味で熱い件 --- 城 繁幸
6/12(火) 16:20配信
アゴラ

韓国の文政権の進める雇用政策が色んな意味で熱い。

最低賃金を思い切って引き上げた結果、むしろ低所得層が大ダメージ被って格差拡大というニュースは日本でも話題となったが、文政権は合わせて労働時間の引き下げも行うとのこと。


(中略)

筆者は当初、文政権は「最低賃金を上げれば弱者は潤うはず」と単純に信じていただけだと見ていたが、案外と分かったうえでやっているのかもしれない。とすれば、彼らが行おうとしているのは格差是正ではなく成長戦略だ。

新興国にキャッチアップされる中で先進国が経済成長を続けるには、どんどん生産性の高い産業を生み出していくしかない。家電や自動車でアジア勢に追い越されてもグーグルやアップルといった世界規模のハイテク企業を生み出し続けるアメリカが典型だ。

でも、慣れ親しんだ職を捨ててイケてる企業でホワイトカラーとして働いてね、というのはなかなか強制しづらい。勉強も必要だろうし、何より本人にその気がないとどうしようもない。

そういう時に、最低賃金を思い切って引き上げるというのは、意外に有効な政策かもしれない。生産性の低い業種で働くことを規制することで、いやでも賃金も生産性も高い職に移らざるを得なくなるためだ。

実は日本の官僚や経営者の中にも同じ考えの人は結構いて、メディアでもしばしば発言している。

“【参考リンク】格差の超簡単な解決策は最低賃金引き上げだ(東洋経済オンライン)(https://toyokeizai.net/articles/-/220689)”

彼らは巧妙に「労働者はもっと報われるべきだ」というオブラートで隠してはいるが、「もっと努力しろ。気合い入れて働け」というのが彼らのホンネだ。

さて、韓国の話だが、労働時間の引き下げがそれなりの規模で行われるとすれば、企業は正社員を増やさざるを得なくなる。労組は本音では嫌がるだろうけど、結果としてワークシェアリングが進むだろう。「生産性の低い産業から高い産業へ人を移す」のが彼らの狙いなら、一定の効果はあるかもしれない。


(中略)

でも日本にもそういう政策の支持者がいる以上、韓国文政権の「自国民を対象とした壮大な人体実験」には注目しておいて損はないだろう。
チュチェ106(2017)年7月25日づけ「全国一律最賃制度こそ、非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させる決定打」でも論じましたが、何らかの契機で経済全体的な賃上げトレンドが発生すれば、そうしたトレンドの中でも営利企業は利潤を確保しなければならないので、個別企業は業務の効率化・合理化を進めざるを得なくなります。そして、そうした賃上げ圧力、合理化圧力に対応できない企業には、市場から退出を求められるようになるので、経済構造の変革が起こるわけです。

以前から言及しているとおり、スウェーデンを筆頭とする現代の北欧諸福祉国家群は、経済政策の面においては競争政策を採用しており、生産性が低く労働者の待遇がよくない企業の競争淘汰を狙っています。その結果、活気のある効率的な経済を背景に高い水準の福祉が提供されています。そしてまた、そうした福祉政策、とりわけソーシャル・ブリッジの構築によって一人一人の労働者の生活リスクが軽減されたり、国家的な職業能力開発を通して労働者の生産性が向上したりすることによって経済のさらなる活性化が実現しています。高い水準の福祉と活気のある効率的な経済が好循環しているわけです。

■ソフトランディング策の必要性とその条件――企業のゾンビ化を防ぐ
もちろん、賃上げトレンドという「負荷」によって非効率企業に業務改善を迫り、ついてこられない企業には退場していただくことが望ましいとはいっても、強すぎる負荷で中小企業層が全滅してしまえば本末転倒です。企業にとっては賃金はコストに他ならないのだから、韓「国」小商工人連合会が言うように、大幅な賃上げはその経営に悪影響をもたらすことでしょう。中小企業層は柔軟で活気のある経済の主力です。シュンペーターは、資本主義の成功・繁栄の結果、中小企業が没落してゆくことは必然的であり、その結果として、官僚主義的に硬直した「社会主義」の社会になってしまうと述べています。それは避けなければなりません。

その点、ソフトランディング政策は必要であり、その観点からムン「政権」が掲げる「雇用安定資金」という緩和策は取り得る選択肢かもしれません。自然人と法人の違いはあるとはいえ、労働者にソーシャル・ブリッジがあるのなら、企業だってソーシャル・ブリッジに当たるものがあってよいでしょう。

しかし、補助金の類は一度創設させるとなかなか撤廃できないもの。そうなると、肝心かなめの産業構造の変化は実現されずに税金で企業をゾンビ化させただけという結果になりかねません。こうして本来であれば退場すべき企業を無理くりして延命させた結果、社会的負担が大きくなり、不況局面になっていよいよ耐え切れなくなったときに派手に破綻し、長期的にはむしろ惨事の規模を大きくするという展開が見えてきます。

北欧の経験に学ぶべきです。北欧諸国、とりわけスウェーデンもかつて――教科書的なケインズ主義がまだ支配的地位を占めていた頃――は産業保護・企業保護を通して国民生活の安定化を目指していました。しかし、1980年代〜90年代に大不況に直面した同国は、経済再生なくして福祉の維持はないと正しく認識し、経済再建のためには産業構造を変化させなくてはならないという事実を認めました。それまでの産業保護・企業保護の方向性を大きく転換させ、競争淘汰による産業構造の変化を積極的に進めるようになったのです。また、斜陽産業を税金の投入で延命させることは、長期的にはむしろコストが高くつくとした上で、雇用政策の基本について「人は守るが、雇用は守らない」という言葉で表現するようになりました。

政治的な要請から言って、「雇用安定資金」のようなものを創設しないわけには行かないでしょう。しかし、本来であれば退場すべき企業をゾンビ化させることは好ましい選択ではありません。非効率企業に業務改善を迫る折角の機会を生かさないのは勿体ないことだし、目の前の雇用維持に走るあまり長期的にはより高い代償を払うことになりかねないのです。それゆえ、「雇用安定資金」は、あくまでソフトランディングのための時限措置であると位置付けたうえで、恣意的な裁量を防ぐためにも何らかの指標に連動した規模にルール化すべきでしょう。

■日本における最低賃金の主張について(おまけ)
日本でも低賃金解消の手段として最低賃金の引上げを主張する言説が時折出てきます。

日本における労使の力関係は、おそらく韓「国」のそれと大差ないので、「未熟練労働者の雇用機会喪失」に転ぶ可能性の方が大きいと思われます。また、日本における最低賃金の引上げ論者は、中小企業の経営に対する影響という論点に対して、ムン「政権」がいうところの「雇用安定資金」のようなものを提唱しています。

しかし、彼らの言説からは、それがあくまでソフトランディングのための時限措置であるという位置づけが丸で見えてきません。上述のとおり、私は最低賃金の引き上げは、いくつかの条件が揃った場合には労働者階級にとってプラスの効果を発揮しないこともないと考えていますが、チュチェ106(2017)年7月25日づけ「全国一律最賃制度こそ、非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させる決定打」でも述べたとおり、その条件はあまりにも限定的で、それが十分に揃う展開は限定的であると言わざるを得ないところです。多くのケースで、その政策意図に反して逆効果に終わるであろうと見ています。【追記】8月12日づけ「「白黒論理」から世界観レベルで脱却し社民主義の徹底へ」で論じましたが、「革新成長」を掲げてイノベーションに言及しているだけ日本より韓「国」の方がマシですね。

関連記事
チュチェ106(2017)年7月25日づけ「全国一律最賃制度こそ、非効率企業を淘汰し、高福祉・高効率・好景気サイクルを始動させる決定打
そのほかの関連記事は、一覧:ラベル / 最低賃金からご覧ください。
posted by 管理者 at 21:03| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2018年07月17日

またしても最もホットな論点から逃げた

https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidosatoru/20180717-00089572/
「生活保護なめんな」ジャンパー問題から1年半、小田原市が進めた生保改革
石戸諭 | 記者 / ノンフィクションライター
7/17(火) 7:00

 「保護なめんな」「生活保護悪撲滅チーム」――。ローマ字と英語で書かれたジャンパーを羽織って、生活保護受給者宅を訪問する。2007年から約10年にわたって神奈川県小田原市の職員が着用していたものだ。

 2017年1月に問題が発覚し、職員の対応は「受給者を威圧する」と批判された。市は改善を宣言する。あれから1年半、小田原市の生活保護行政は大きな変化を遂げていた。

 7月14日、東京。生活保護問題に取り組んできた弁護士らが開いたシンポジウムで、小田原市の職員2人がやや緊張した面持ちで報告を始めた。


(中略)

 最初に進めたのは言葉の改革だった。生活保護「受給者」から生活保護「利用者」へ。生活保護は市民の権利と位置づけ、利用することは卑下することでも批判されることでも、バッシングされるものでもないという趣旨だ。

 改革は4点に集約できる。第一に職員数の増加。第二に申請から決定までの時間短縮、第三に生活保護のしおりの見直し、第四に自立支援への動きだ。


(中略)

 重要だったのは自立支援だ。組織目標としてこれを掲げ、地域と協力して、利用者の状況に応じて農作業などに参加できる仕組みを整えた。自宅以外に社会との接点を作ることも、社会参加に向けた重要な「支援」だ。

シンポジウムで印象に残る発言があった。元世田谷区職員で生活保護ケースワーカーを務めていた田川英信さんの発言だ。彼は言う。

「この社会では福祉行政にあたっている人も含めて、『見えないジャンパー』を着ている人がいる」

 事実、小田原市のジャンパーには今でもネット上で「何が問題なのか」「むしろ当たり前のことを言っている」という声があふれている。生活保護バッシングも強まっている。

 小田原市が賢明だったのは、こうした擁護論に乗らなかったことにある。

 参加者からの声にもあったが、生活保護には「誤解・デマ・偏見」がついてまわる。「不正受給」という言葉には特に過剰な反応がある。

 読売新聞で社会保障を中心に取材を続ける原昌平記者も指摘するように不正受給は金額ベースで0・5%に過ぎない。

 さらに「不正受給とされた中には細々した案件が多数あり、必ずしも悪意のない『申告漏れ』レベルのものも、行政運用の厳格化によって不正と扱われている」のが現状だ。

 生活保護の重要な課題は不正受給ではなく、本当に必要な人に生活保護という制度が行き届いていないことにあるのは多くの専門家が指摘するところだ。

 行政が「保護なめんな」などと圧力をかけて利用のハードルを上げるのではなく、「権利」と位置付け、自立支援に取り組むことは、課題解決に向けた一歩になるだろう。

 もちろん課題も残っている。和久井さんは「利用者のアンケートを実現してほしい」と要望していた。行政の改革が表向きのきれいごとに終わっていないか。本当に利用者の便益になっているか。必要なものに届いているかという視点を持ってほしいということだ。


(以下略)
神奈川県小田原市での生活保護ジャンパー問題。ついこの間のことかと思っていたら、思いがけず時間がたっていました。当ブログでは、チュチェ106(2017)年1月24日づけ記事にて取り上げているところです。

重要だったのは自立支援だ。組織目標としてこれを掲げ、地域と協力して、利用者の状況に応じて農作業などに参加できる仕組みを整えた。自宅以外に社会との接点を作ることも、社会参加に向けた重要な「支援」だ。」というくだりにもあるように、ジャンパー問題を巡って全国的な批判を受けた小田原市が仕切り直しの改革プランに「自立支援」を漏らすことなく盛り込んだことは重要です。小田原市は、活動家にありがちな「人権論講座」に留まることなく、生活保護制度に対する不満の声に対して一定の応答を試みているわけです。

チュチェ102(2013)年6月30日づけ「「自己責任論」は「助け方の拙さ」に由来する」で私は、生活保護制度について「「助け合い」ではないですよね。助ける側はいつも助ける側ですし、助けられる側はいつも助けられる側です。助け合いの名の下に真面目に頑張る人間が搾取されている、という現実を誰一人理解していない…」と非難するコメントを取り上げて検討しました。「人権思想に対する理解不足」と斬って捨てるのはたやすい言説ではあるものの、生活保護バッシングの核心的言い分である点において、慎重に検討を要する言説です。

この厳しい指摘を受けて私は、当該記事にて問題の所在を「助け方の拙さ」に設定し、次のように述べました。
旧ブログの頃から述べてきたことですが、結局「助け方」の問題なのではないかと思います。つまり、日本の「支援」「救済」は、「対象者を助ける」ということばかりに注目しているために、被支援者が社会に恩返しする機会を積極的に設定することも無いし、恩返ししたのか否かのチェックすらしていないのではないでしょうか。たとえば、生活保護は支給したらそれっきり。積極的に雇用を創出するわけでもなければ、パチンコに注ぎ込んでいるのか如何かすらもチェックしない。それが、「「助け合い」ではない」とか「助ける側はいつも助ける側ですし、助けられる側はいつも助けられる側」「そういう善人の思いを踏み躙るのが、弱者面してぶら下がり続けているクズどもです。そういう連中に努力とか頑張るとかいった概念は存在せず、如何に楽して生きるかしか頭にないのですから。」という不満を抱かせる原因になっているのではないでしょうか。
今回、小田原市が組織目標として「自立支援」を掲げたことは、こうした類の不満を緩和する点においてプラスです。生活保護制度に対する不満の声に対して「人権論講座」に終始することなく、彼らの不満を汲み、一定の応答を試みていると言えます。また、それ以前になによりも社会参加の機会を増やし・サポートするという点においては、生活保護利用者にとってこそ最大の恩恵があるものです。誰も損することのない方向性に走り出したわけです。

このことは、好意的な意味で一つの転換点として位置付けても大袈裟ではないと私は考えているところです。

他方、旧態依然な部分もあると言わざるを得ません。

記事中には、「生活保護「受給者」から生活保護「利用者」へ」という表現があります。字面だけみれば私も強く賛同できるものですが、「生活保護は市民の権利と位置づけ」「「権利」と位置付け、自立支援に取り組むことは、課題解決に向けた一歩になるだろう」というくだりが引っ掛かります。というのも、誰かにとっての権利は、他の誰かにとっては義務であり、その点において構造的に言えば、依然として「施す・支給する側」と「施される・支給される側」という分断が横たわっているからです。

チュチェ106年1月23日づけ「生活保護は「施し」でも「権利」でもなく「お互い様精神を基礎とする制度」――二元論から脱しよう」でも述べたとおり、生活保護を筆頭とする社会保障・社会福祉制度は、「権利」としてではなく「困ったときはお互い様」のものと位置付けるべきであります。そうして初めて、構造的な意味で「施す・支給する側」と「施される・支給される側」との分断がなくなるのです。

※なお、以前から立場を鮮明にしているように私は、同志愛・人類愛を基本とした一心団結・渾然一体が実現しているチュチェ型の社会主義の世界を目指している立場ですので、特に「困ったときはお互い様」の精神を重要視しているところです。チュチェ型の社会主義は、権利をもちろん重視しますが、それだけに基づくものではなく、同志愛・人類愛にも基づくものです。

生活保護「受給者」から生活保護「利用者」へ」という位置づけの変化は、大きな進歩であるとは思いますが、まだまだ旧態依然で不十分と言わざるを得ません。

読売新聞で社会保障を中心に取材を続ける原昌平記者も指摘するように不正受給は金額ベースで0・5%に過ぎない。」というくだりは残念という他ありませんまたしても不正受給という論点から逃げたわけです。前掲チュチェ106年1月24日づけ記事で取り上げた引用記事の筆者氏は「確かに「不正受給」は悪い。詐欺罪に該当する場合もある。」と認めていましたが、今回の記事は「不正受給は金額ベースで0・5%に過ぎない」として、「取るに足らないこと」と片付けてしまっています。これが生活保護制度に対する今最もホットな批判であり、ここを乗り越えることが最重要課題であるにも関わらず、それを正面から受け止めずに無視し、論点から逃亡したわけです。

金額ベースで0.5%といっても、総額が巨額である以上は、「たった0.5%」であってもそれなりの金額になります。その0.5%分が本当に困窮している人々への支給額増額の原資になるのであれば・・・不正受給さえなければ、基準に合致する正当な制度利用者へより多く回せるわけです。経済的に自立している人による不正受給批判について、「0.5%くらいでガタガタ言うなよ」と反論するのは、分からないでもない理屈です(もちろん、経済的に自立している人だって裕福であるとは限らず、家計の予算制約下において支出の優先順位をつけて、ある種の消費については諦めているのだから、「0.5%」を看過できないという気持ちも分かります)が、「0.5%問題」は、決して経済的に自立している人に負担を強いているから問題なのではなく、「本当だったら得られるはずの便益が横取りされている」という点において、基準に合致する正当な制度利用者にこそ重大な影響があるのです。「本当に必要な人に生活保護という制度が行き届いていない」背景には、不正受給も一定程度関与していることでしょう。本当に困っている人は、1円でもありがたいものです。

前掲過去ログの繰り返しになりますが、生活保護制度を擁護する立場であればこそ、制度の趣旨を踏まえて困窮者が萎縮しないようにしつつ不正受給には厳格にあるべきです。「たった0.5%」などと述べて不正受給問題から逃げる姿勢は、正しくありません。

そもそも、生活保護制度の拡充と不正受給問題への対応は根本的に異質なものです。生活保護制度の存在そのものを好ましく思っていない、人権思想への理解が決定的に不足している連中が盛んに不正受給問題を取り上げているからといって、そうした連中に対抗するためだからといって、不正受給問題に対して無理筋な擁護を展開する必要はありません

不正受給問題に対して「たった0.5%」などと苦しい擁護論を展開したり、あるいは、そうした批判を無視するような無理筋を展開している手合いを見るたびに、子ども染みた二元論的発想を感じざるを得ないところです(子どもって、気に入らない人の言い分に対しては荒唐無稽な屁理屈を以って滅多矢鱈に反抗しますよねw「相手の主張の是非・善悪」ではなく、「相手」に反対しているのが反抗的な子どもの典型的態度です)。敵方と部分的に主張が合致しているからといって、敵方に対して敗北を認めたことにはなりません。敵方だって100%デタラメを主張しているわけではなく、多少は正しいことを口にしているはずです。少しくらい彼らと同意見だからといって、持論が論破されたことになりませんって。大丈夫、余裕のある大人になりましょう。
ラベル:福祉国家論
posted by 管理者 at 23:13| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2018年07月16日

위대한 수령 김일성동지께서 열어주신 사회주의의 길로 힘차게 나아가자

http://www.rodong.rep.kp/ko/index.php?strPageID=SF01_02_01&newsID=2018-07-08-0002
사설 위대한 수령 김일성동지께서 열어주신 사회주의의 길로 힘차게 나아가자
社説 偉大な首領 キム・イルソン同志が切り開いてくださった社会主義の道を力強く進もう

(中略)

위대한 수령님께서는 혁명령도의 전기간 주체의 사회주의를 일떠세우는것을 총적목표로 내세우시고 사회주의건설에서 나서는 모든 문제를 우리 혁명의 요구와 우리 나라의 실정에 맞게 우리 식으로 풀어나가시였다.
偉大な首領様は、革命領導の全期間、チュチェの社会主義を樹立させることを総合的目標に掲げ、社会主義建設において生じるすべての問題を我々の革命の要求と我が国の実情に合わせて我々式に解決して行かれた。

자주의 원칙을 일관하게 견지하여 혁명의 강력한 주체적력량을 꾸리시고 온갖 원쑤들의 반혁명적, 반사회주의적공세를 걸음마다 짓부시며 두차례의 혁명전쟁과 복구건설, 두단계의 사회혁명과 사회주의건설을 승리에로 이끌어오신분이 우리 수령님이시다.위대한 수령님의 비범한 예지와 현명한 령도에 의하여 사회주의건설의 독창적인 길이 밝혀지게 되였으며 우리 혁명은 추호의 흔들림없이 자주의 궤도를 따라 전진해올수 있었다.
自主の原則を一貫して堅持して革命の強力な主体的力量をととのえ、あらゆる敵どもの反革命的、反社会主義的攻勢を一つ一つ叩き潰し、2度の革命戦争と復旧建設、2段階の社会革命と社会主義建設を勝利へと導いてこられた方が我が首領様だ。偉大な首領様の非凡な英知と賢明な領導によって社会主義建設の独創的な道が明らかになり、我々の革命は微塵の揺らぎもなく自主の道に沿って前進してくることができた。

사대와 교조, 지배주의가 만연되던 지난 세기에 자주의 기치를 높이 추켜드신 우리 수령님의 결단도 위대하였지만 제국주의자들의 강권과 전횡이 살판치는 그처럼 엄혹한 환경속에서 자주적대를 굽히지 않으시고 사회주의위업을 배심있게 떠밀어오신 수령님의 혁명실천은 참으로 전무후무한것이다.사회주의를 건설하던 일부 나라들에서 붉은기가 내리워질 때에도 우리 식 사회주의가 승승장구할수 있은것은 바로 위대한 수령님의 자주적인 혁명로선과 혁명방식이 있었기때문이다.위대한 수령님의 자주정치에 의하여 우리 인민은 반만년민족사를 다하여서도 누릴수 없었던 존엄과 영광의 최절정에 올라서고 우리 조국이 자주의 성새, 불패의 사회주의보루로 빛을 뿌리게 되였다.
事大主義、教条主義、支配主義が蔓延していた前世紀に自主の旗を高く掲げられた我が首領様の決断も偉大だが、帝国主義者たちの強権と専横が幅を利かせていた厳しい環境の中で自主的立場を曲げずに社会主義偉業を推し進めて来られた首領様の革命実践は、まことに空前絶後のものである。社会主義を建設していた一部の国々において赤旗が下ろされたときにも、我々式の社会主義が乗勝長駆(注;戦いに勝った余勢を駆っていっそう猛烈に攻撃すること)できたことは、すなわち、偉大な首領様の自主的な革命路線と革命方式があったためである。偉大な首領様の自主政治によって我が人民は半万年の民族史を尽くしても享受することができなかった尊厳と栄光の最絶頂に立ち、我が祖国は、自主の城塞、不敗の社会主義の砦として光輝いた。

오늘 자주는 위대한 수령님의 절세의 위인상의 뚜렷한 상징으로, 수령님의 성스러운 혁명생애와 불멸의 업적을 칭송하는 시대어로 빛나고있다.20세기를 자주의 길로 이끄시며 사회주의건설의 새 력사를 펼치신 위대한 수령님의 업적은 천추만대에 길이 빛날것이다.
今日、自主は偉大な首領様の絶世の偉人像の明確な象徴として首領様の聖なる革命的生涯と不滅の業績を称賛する時代語として輝いている。20世紀を自主の道に導いて社会主義建設の新しい歴史を展開した偉大な首領様の業績は千秋万代に輝くだろう。

위대한 수령 김일성동지께서 열어주신 사회주의의 길은 일심단결의 위력으로 혁명과 건설에서 끊임없는 전진을 이룩해나갈수 있게 하는 승리의 길이다.
偉大な首領キム・イルソン同志が開いてくださった社会主義の道は、一心団結の威力によって革命と建設でたゆまぬ前進を成し遂げることができる勝利の道だ。

위대한 수령님의 사회주의건설령도사는 당과 혁명대오의 일심단결을 실현하고 그 위력으로 세기적변혁을 이룩해온 력사로 빛나고있다.위대한 수령님께서는 혁명투쟁에 나서신 첫 시기부터 단결을 혁명의 천하지대본으로 내세우시고 단결을 강화하는데 선차적인 힘을 넣으시였다.위대한 수령님의 한평생은 혁명전사들에 대한 동지적사랑과 믿음의 한평생이였고 수령님의 령도는 인민들속에 들어가 그들의 정신력을 발동하여 력사의 온갖 풍파를 헤쳐오신 가장 인민적인 령도였다.전후 그처럼 어렵던 시기 강선의 로동계급을 찾으시여 나는 동무들을 믿고 동무들은 나를 믿고 조성된 난국을 타개해나가자고 열렬히 호소하시던 위대한 수령님의 위인적풍모는 오늘도 우리 인민의 마음속에 깊이 간직되여있다.수령과 인민이 한마음한뜻이 되여 운명과 미래를 함께 해나가는 가장 공고하고 위력한 일심단결이 있었기에 우리는 언제나 사회주의건설에서 세상을 놀래우는 기적을 창조하며 비약의 한길로 힘차게 줄달음쳐올수 있었다.
偉大な首領様の社会主義建設の領導史は、党と革命隊列の一心団結を実現してその威力によって世紀的変革を果たしてきた歴史で輝いている。偉大な首領様は、革命闘争の初期から団結を革命のおおもととして掲げ、団結を強化するのに優先的に力を入れられた。偉大な首領様の生涯は革命戦士たちに対する同志的愛と信頼の生涯であり、首領様の領導は人民たちの中に入って彼らの精神力を発動し、歴史のあらゆる波風を乗り越えてきた最も人民的な領導だった。

(中略)

일심단결은 우리 식 사회주의의 불가항력적위력이다.우리는 일심단결의 고귀한 력사와 전통을 마련해주신 위대한 수령님의 불멸의 혁명업적을 대대손손 빛내이며 사회주의의 한길로 힘차게 나아갈것이다.
一心団結は、我々式社会主義の押しとどめることのできない威力である。我々は一心団結の高貴な歴史と伝統をととのえてくださった偉大な首領様の不滅の革命業績を子々孫々に輝かせ、社会主義の一筋に力強く歩み出すだろう。

(以下略)
キム・イルソン主席が亡くなってから24年がたち、今年もまた主席の業績を特に意義深く思い起こす時期になりました。

主席の業績は数多あれども、今回私が注目した「切り口」は、《제국주의자들의 강권과 전횡이 살판치는 그처럼 엄혹한 환경속에서 자주적대를 굽히지 않으시고 사회주의위업을 배심있게 떠밀어오신 수령님의 혁명실천은 참으로 전무후무한것이다.》(帝国主義者たちの強権と専横が幅を利かせていた厳しい環境の中で自主的立場を曲げずに社会主義偉業を推し進めて来られた首領様の革命実践は、まことに空前絶後のものである)や《사회주의를 건설하던 일부 나라들에서 붉은기가 내리워질 때에도 우리 식 사회주의가 승승장구할수 있은것은 바로 위대한 수령님의 자주적인 혁명로선과 혁명방식이 있었기때문이다.》(社会主義を建設していた一部の国々において赤旗が下ろされたときにも、我々式の社会主義が乗勝長駆できたことは、すなわち、偉大な首領様の自主的な革命路線と革命方式があったためである)、そしてその背景に位置付けることが出来る《위대한 수령님의 사회주의건설령도사는 당과 혁명대오의 일심단결을 실현하고 그 위력으로 세기적변혁을 이룩해온 력사로 빛나고있다.》(偉大な首領様の社会主義建設の領導史は、党と革命隊列の一心団結を実現してその威力によって世紀的変革を果たしてきた歴史で輝いている)の部分です。

かつて世界を二分していた東側陣営が短期間のうちに軒並み崩壊していった中で、国力の面から見たとき吹けば飛んでしまいそうなくらいの共和国が踏み止まった事実は、まことに不可思議なことです。今回の『労働新聞』の追悼社説からは、その答えが「偉大な首領様の自主的な革命路線と革命方式があったため」であることを読み取ることが出来ます

キム・ジョンイル総書記の重要労作『社会主義建設の歴史的教訓と我が党の総路線』(チュチェ81・1992年1月3日)は、ソ連・東欧諸国における社会主義建設の挫折という重大局面について、チュチェ思想の立場から総括している論文ですが、この中で総書記は、「社会主義を建設していた一部の国で社会主義が挫折した根本的な原因は、一言でいって、社会主義の本質を歴史の主体である人民大衆を中心にして理解しなかったため、社会主義建設における主体の強化と主体の役割の向上問題を基本としてとらえられなかったところにあります。」と指摘なさっています。そしてその原因を、社会発展の過程を「自然史的過程」と位置付けるマルクス主義理論にまで遡って探究しておられます。総書記は次のように指摘されています(読みやすいように当方判断で段落分けしました)。
従来の理論にたいする教条主義的理解から脱却できなかった人たちは、社会主義社会の本質と優位性が社会主義思想をもった人民大衆によってではなく、社会主義政権と社会主義的所有関係によって決まるとみなし、社会主義建設の推進力も生産力と生産関係の適応という経済的要因に求めました。

もちろん、社会主義政権が樹立され、生産手段にたいする社会主義的所有関係が確立されれば、人民大衆に主人の地位と役割を保障し、生産力を急速に発展させうる社会的・政治的条件と経済的条件がととのいます。これは資本主義にたいする社会主義の大きな優位性です。

しかし、こうした政治的・経済的条件そのものが社会主義社会の発展を促す決定的要因になるわけではありません。生産力発展の問題にしても、生産力の発展において主動的で能動的な役割を果たすのは生産の直接的担当者である勤労人民大衆であり、かれらの自発的熱意と創造的能力を高めることなしには、たとえ社会主義的生産関係を樹立したとしても、生産力をたえまなく急テンポで発展させることはできないのです。

社会主義思想をもった人間と社会主義政権、社会主義経済制度は密接に結びついており、ここで基本となるのは社会主義思想をもった人間です。

社会主義制度が樹立される歴史的過程を見ても、搾取と抑圧に反対するたたかいの過程でまず社会主義思想が生まれ、この思想をもった人たちが革命的な党を組織し、党が人民大衆を意識化、組織化して社会主義政権をうち立て、そのあとで社会主義政権に依拠して社会主義経済制度を樹立するのです。


(中略)

かれらはまた、社会主義社会本来の要求に適応した人民的な政治方式の確立に相応の注目を払うことができなかったため、人民の統一団結を弱め、大衆の創意を高く発揮できなくしました。

社会主義社会で人民大衆が政治の真の主人となり、国家と社会の管理に主人らしく参加するかいなかは、社会主義制度の強化発展と社会主義建設の成果を左右するもっとも重要な問題です。

しかし、一部の国では社会主義政権は樹立したものの、実際には旧社会の政治方式をそのまま踏襲したので、国家と社会の管理活動がその主人である人民大衆から離れて特定な人たちの活動になりました。そのため、官僚主義が増長して人びとの創意を抑制し、党と国家にたいする大衆の信頼を失墜させ、人民大衆の統一団結を破壊する重大な結果をもたらしたのです。

結局、それらの国では社会主義が自己発展の強力な推進力を失い、強固な社会的・政治的基盤をもつことができなくなりました。強固な主体が存在しない社会主義は、その優位性と威力を発揮することができず、前進途上における挑戦と試練にうちかつことができません。

歴史的事実は、強力な軍事力と膨大な経済的潜在力をもつ大国であっても、社会主義建設において主体を強化し、その役割を高めなければ、帝国主義者と反動派の反社会主義攻勢にたえられず崩壊するしかないことを示しています。それらの国が帝国主義者と反動派の反社会主義攻勢に屈し、社会主義の挫折をまねいたのは、まさに社会主義建設において主体を強化し、その役割を高めなかったためにもたらされた必然的結果と見るべきです。


(中略)

社会主義・共産主義建設にたいするわが党の総路線は、人間中心の社会歴史原理に根ざしています。

社会とは一言でいって、人間が集まった集団です。人間が社会的財貨をもち、社会的関係で結ばれて生活する集団がすなわち社会なのです。

社会の主人はほかならぬ人間であり、人間は自主性、創造性、意識性をもち、自己の運命を自主的に、創造的に開拓していく社会的存在です。

人間の自主性、創造性、意識性の発展水準によって社会の発展水準が決まり、人間の自主的な思想・意識と創造的能力の向上にともなって社会的財貨が増大し、それによって社会関係も発展します。

それゆえ、社会は物質的条件を基本にしてではなく、人間を中心にして考察すべきであり、社会の発展過程は自然史的過程としてではなく、社会的運動の主体である人民大衆の自主的で創造的な活動の過程として考察すべきです。
今回の労働新聞の追悼社説でも強調されているように、キム・イルソン主席の社会主義建設の領導史は、党と革命隊列の一心団結であると位置づけることが出来ます。共和国は、マルクス主義の生産力主義的理論を鵜呑みにせず、革命推進の主体としての人間に注目し、そうした人間関係を重視する観点から一心団結の実現に優先的に取り組んできたからこそ、他国であればとっくに崩壊しているであろう酷い状況を乗り越えることができたのです。もちろん、労働新聞の社説が共和国政権・朝鮮労働党体制を悪く描くはずがない点、「プロパガンダ」として幾らか割り引く必要があるとはいえ、1990年代の苦難を乗り越え、いま再び復興の道を歩んでいる事実は厳然たるものです。

「チュチェ思想が首領独裁の道具に成り下がっている元凶」と目されている「革命的首領論」の問題を筆頭に、チュチェ思想を流布・実践するにあたって解決すべき問題は幾つか存在していることは私も認めざるを得ないところです。しかし、以前から述べているように、私は、社会主義再興の道において、チュチェ思想は一つの重要な論点を提起していると考えています。革命戦士を同志的に愛し信頼すること。人民たちの中に入って彼らの精神力を発動する活動作風。無味乾燥で、いったいその程度のことでどうして人民大衆の強固な団結が実現するのか理解不能と言わざるを得ない、『資本論』を筆頭とするマルクス主義の古典的著作群において描かれている楽観的に過ぎる生産力主義が、案の定、失敗に終わった今日において、キム・イルソン主席が生涯をかけて探究しつつ実践したチュチェ型の社会主義建設の歴史は示唆深いと考えています。

偉大な首領様が亡くなって久しいですが、その事業はいまも継続しており、そうであるからこそ、首領様は肉体的生命の観点では消滅したものの、その社会政治的生命は生き続けておられます。
ラベル:チュチェ思想
posted by 管理者 at 22:19| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする