http://japanese.joins.com/article/604/243604.html【コラム】罠にかかったJノミクス=韓国(2)
2018年07月31日11時10分
文在寅(ムン・ジェイン)政権の経済政策「Jノミクス」は所得主導成長、革新成長、公正経済を3つを軸にしている。包容的成長に包装を変えた所得主導成長は、最低賃金引き上げと脆弱階層に対する財政支援拡大で所得の差を減らすと同時に、購買力増進効果が成長につながるようにするという趣旨だ。規制撤廃を通じた新産業育成を新しい成長動力にするというのが革新成長であり、財閥への経済力集中を緩和して不公正な慣行を正すというのが公正経済だ。危険で無謀な実験という批判があるが、実際、北欧の数カ国がすでに施行している政策だ。
いかなる経済政策も短期間に効果を期待することはできない。韓国経済のパラダイムを変えようという意図なら、根気を持って我慢強く推進すべきだが、国民に忍耐心を要求しにくいのが問題だ。最低賃金引き上げのために直ちに職場を失う貧困層、すぐにもつぶれそうな零細自営業者の立場では、政府に恨みを抱くだろう。
(中略)
最初から文在寅政権が黒と白でなく灰色の現実を認め、適正な水準でJノミクスを推進していれば、これほどの状況にはならなかっただろう。2年連続の2けた最低賃金引き上げが代表的な例だ。保守陣営も同じだ。考えと論理が違うからといって無条件に排斥し、政策の失敗を望むような態度を見せるのは問題だ。認めるべきことは認め、問いただすべきことは問いただす姿勢が必要だ。
金教授は白黒論理から抜け出す道は対話しかないと強調する。対話は相手の言葉に耳を傾けて共通分母を探す過程だ。惜しくても灰色の中間地点で妥協することだ。対話を通じた解決法の目指す点は、より多くの人の人間らしい生活だ。(以下略)
■似て非なる「スウェーデン・モデル」と「Jノミクス」
たしかに、ムン「政権」のJノミクスなるものと、北欧諸国が成功裏に実践している経済政策は、「
所得の差を減らすと同時に、購買力増進効果が成長につながるようにする」「
規制撤廃を通じた新産業育成を新しい成長動力にする」「
財閥への経済力集中を緩和して不公正な慣行を正す」といったお題目だけ見ると、とても良く似ています。ほぼコピーと言ってもよいかもしれません。
しかしそれは、あくまでも見掛けだけの類似性。内実はコピーできていません。
北欧モデル、とりわけその筆頭格であるスウェーデン・モデルは、当ブログでも以前から強調しているとおり、「高福祉と好景気の好循環」を目指して設計されており、また、それを実現するにあたって労使協調を中心とした"Folkhemmet"(国民の家)構想を基盤としています。
「勤労者所得・購買力の向上」「産業の振興」「経済の公正化」が"Folkhemmet"構想に基づいてシステム的に相互連関し、全体として一つの機能を実現しているわけです。
これに対して、韓「国」の現状はどうかでしょうか。「
所得主導成長」「
革新成長」「
公正経済」といった
お題目がそれぞれバラバラで、一つのシステムとして稼働していません。また、一つのお題目に限って見ても、
直線的なドミノ倒し的因果関係に立ち、また、掲げた目標そのものしか見ておらず、目標達成のための下準備や政策が実施された場合の影響範囲の調査が不十分であると言わざるを得ません。
「分配が健全化され消費者の購買力が上がることが刺激となって、生産が拡大され、経済が循環し始める。分配・支出⇒生産なのだ」といったあたりが彼らの言い分なのでしょうが、これは1960年代のマクロ経済学のような安直な所得→支出→生産の因果関係、直線的なドミノ倒し的因果関係を前提としていると言う他ありません。しかし、チュチェ105(2016)年4月26日づけ「
「最低賃金大幅引き上げキャンペーン」の世界観的誤りと危険性――円環的相互作用システムの立場から」で述べたとおり、そんなに安直な話ではありません。分配局面に変化が起これば、「上に政策あれば下に対策あり」の要領で、それに対応した新しい・予期せぬ変化が他の局面で新規に発生するものです。
直線的なドミノ倒し的因果関係の発想は、「事物には単一・究極的な原因がある」という思考に繋がり、その結果として「究極の原因に対応する究極の真理を掴み、改善実践を行えばよい」という結論に至ります。しかし、
経済社会を司る「変数」は無数にあり、それらは相互依存・相互作用的に連関しているので、ある既知の変数を変更すれば「上に政策あれば下に対策あり」の要領で新しい動きが発生し、直線的なドミノ倒し的因果関係の発想では想定できない事態に陥るのです。まさに今、「時給が上がったので、商売たたみます」という展開が韓「国」社会で見られているように・・・
最低賃金引き上げに伴う中小零細経営への打撃の問題は勿論のこと、そのほかにも、たとえば、既存大企業に人材が集中する情勢(だからこそ大学入試も人生をかけた壮絶な受験戦争になります)であるにも関わらず「創造的なベンチャー企業の育成」などとブチ上げています。
じっくりと作戦を練っておらず、安易な思いつきの域を脱していないものと推察されます。
■朱子学以来の白黒論理から世界観レベルで脱却する必要
引用記事では、Jノミクスの行き詰まりの根源には、朱子学以来の「灰色」を認めない白黒論理の文化的伝統があると言います。そして、これを乗り越えるためには対話しかないとします。
成功例としてのスウェーデン・モデルが"Folkhemmet"構想に基づく対話を基調としていることを踏まえれば、
対話の重要性は私も大いに賛同できるところです。スウェーデンでは、異なる階層同士が対話の中でお互いの境遇や事情、必要性を表明しあうからこそ、現実的な「落としどころ」が見出されています。
Jノミクスの行き詰まりを、外見上よく似ているにも関わらずまったく異なる状況下にある北欧諸国の現状と比較するに、開発独裁時代以来の強引な成長主義モデルを引きずっている一方で、いまどき珍しい規模の激烈な要求実現運動的・階級闘争的な労組運動も残っている韓「国」社会は、
大きな転換を迫られていると言えるでしょう。Jノミクスでは事態を打開できそうになく、要求実現運動的労組運動などもっての外です。革新純化は非現実的です。かといって古い成長主義モデルもまた行き詰っており、保守回帰も不可能です。また、今まで曲がりなりにも小康状態的な均衡にあった「分配問題というパンドラの箱」を、今回自分自身で開いてしまったのだから、ムン「政権」が革新を標榜している限りは、もう元には戻せないでしょう。またロウソク集会になってしまいます。
革新純化も保守回帰も不可能。左右の極端な言説を排し中道を歩むほかないものの、Jノミクスは「中途半端な社民主義」ゆえに厳しい展望。
となれば、社民主義を徹底させるしかムン「政権」に道はないでしょう。つまり、「勤労者所得・購買力の向上」「産業の振興」「経済の公正化」を相互連関させること。そのためには、
経済社会を「円環的な因果関係で連関するシステム」として認識し、古いマクロ経済学の安直な教義から卒業し、"Folkhemmet"構想のように対話文化を基調とすること。
他国の経験を見掛けだけ真似るのではなく、自国の問題として主体的に応用するために、目標達成のための下準備や政策が実施された場合の影響範囲の調査を十分に行うことが必要です。
このとき、引用記事でも強調されているように、
朱子学以来の白黒論理を乗り越えることは世界観レベルで重要な切り替えになるでしょう。この論理は、「白か黒か」「善か悪か」「敵か味方か」「労働者か資本家か」といった具合の単純二分法思考そのものです。
我々の客観的物質世界は、このような単純二分法的には出来ておらず、諸要素がシステム的に、円環的な因果関係で連関しています。要求を連呼しているだけの階級闘争路線や一昔前の古いマクロ経済学は、世界観レベルで考察すれば「安直な構図的認識に基づいている」という点において朱子学以来の白黒論理とも通底しています。
これを乗り越えて、円環的な因果関係で連関するシステムとして経済社会を捉えることは、対話を基盤とする北欧的な社民主義を徹底させる上で重要な課題になるでしょう。相手方が自分と同じく「システムの構成要素」であると思えばこそ、
異なる階層同士が対話する気になるものです。また、経済社会がシステム的構成になっていると考えればこそ、
安直な因果関係・直線的なドミノ倒し的因果関係で社会の実相を説明できるなどとは思わないはずです。
記事では「
白黒論理から抜け出す道は対話しかない」といいますが、「対話を実践するためには、まず白黒論理から脱却する必要がある」というのが正確なところでしょう。白黒論理に凝り固まった人が異なる階層・立場の人と対話する気になるはずもありません。取り組むべき順序が逆になっているのは少し気になりますが、白黒論理からの脱却がカギを握るという認識に異論はありません。正しくない認識でいくら活動しても正しくない結果に終わるだけであり、成功するためには正しい認識を基にしなければなりません。
■社会政策の最終的責任主体としての政府の復権
ところで、最賃引き上げについて、城繁幸氏が次のように書いています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/joshigeyuki/20180728-00091012/最低賃金の引き上げより不足分を配った方がよい理由
城繁幸 | 人事コンサルティング「株式会社Joe's Labo」代表
7/28(土) 12:50
(中略)
本来、格差是正の主役となるのは、企業ではなく政府のはずです。そこで発想を変え、雇い主ではなく、政府が社会保障給付として不足分を支給するのがベストでしょう。最低限度の生活を送るためには時給換算で1500円程度必要だというのであれば、その差額を「負の所得税」のような形で一律で支給するイメージです。
これなら働ける人たちのモチベーションを削ぐこともなく、人手不足の日本で労働市場への参加者を増やす効果も見込めるでしょう。本来、大きな政府を志向するリベラルにとっても「出来るかどうか、いちかばちかで民間企業に丸投げする政策」よりも親和性が高いはずです。
日本の最賃に関する記事ですが、最賃制度一般について言える話です。
最賃引き上げによる格差是正・勤労者生活保障を「出来るかどうか、いちかばちかで民間企業に丸投げする政策」という見立ては正しい。本来的には政府部門が取り組むべき課題を民間営利企業に「肩代わり」させるというプランは、「企業の社会的責任」という美名の下、正当化されがちですが、本来的には無理があります。スウェーデンの話に戻りますが、たしかにスウェーデンも民間営利企業に一定の社会政策推進上の役割を求めています。しかし、ソーシャル・ブリッジの構築や各種福祉給付を見れば明白なとおり、
勤労者の生活を保障する大黒柱的制度の最終的責任主体は紛れもなく政府部門です。
「出来るかどうか、いちかばちかで民間企業に丸投げする政策」もまた、労使協調路線と階級闘争路線とのどっちつかずの中途半端な状態である点、そして、勤労者生活保障の最終的責任主体の点から見て不十分である点において、
「中途半端な社民主義」の特徴です。
もちろん、「負の所得税」は、今話題の「ベーシック・インカム」と経済学的には同値として扱われている点、ベーシック・インカムの実験が各国で次々と中止されている昨今では、こうした給付を直ちに導入することは困難です。現段階では、「
雇い主ではなく、政府が社会保障給付として不足分を支給するのがベスト」という発想に注目し、これを現代社民主義の基本原則の一つとして実践と理論に位置付けるよう注力すべきです。
■反面教師として
ムン「政権」が掲げるJノミクスと酷似した政策は、日本でもリベラルあるいは左翼勢力の手で時折、取り沙汰されます。特に
「所得主導成長」の論法など、ほぼ同じであると言ってよいでしょう(もっとも、「所得主導成長」や「公正経済」は論点化されても
「革新成長」がほとんど出てこない――せいぜい中小企業の「保護」で、そこには、イノベーションの担い手としての中小ベンチャー企業の「育成」という位置づけや「起業支援」といったものはありません――ので、日本のリベラル・左翼の経済政策はJノミクスにさえ及びませんが・・・)。しかし、いま論じてきたとおり、Jノミクスは大変な苦境に陥っており、そして北欧の成功例と比較するに、重大な誤謬があると言わざるを得ないものです。J
ノミクスの苦境は、日本のリベラル・左翼が掲げる経済政策の行く手を実証するものとして、社民主義的福祉国家を追求すればこそ(そして私の場合、そこから更に一歩進んで、主体的社会主義を目指すからこそ)、
反面教師的に位置付けて学ぶべきものであると言えるでしょう。
ちなみに、
以前にも述べましたが、対話や団結を重視するのは勤労人民大衆が主人となる主体的な社会主義社会;人民政権と労働者による生産管理の主体的条件となります。その点、白黒論理からの脱却・対話文化の定着は、
社民主義の徹底であると同時に、主体的な社会主義的な社会の主体的条件の整備に当たると考えています。
もちろん、社民主義で満足していてはなりません。社民主義では解決し得ない課題があるからこそ人民政権・労働者生産管理の主体的社会主義を目指さなければなりません。関連記事一覧:
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