2018年10月29日

日本共産党との一点一致型共闘の難しさ

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181006-00000011-ryu-oki
「共産は主義主張優先」 陳情提出書、批判と落胆 小金井市議会「普天間」意見書見送り
10/6(土) 10:39配信
琉球新報

 東京都小金井市議会で5日、米軍普天間飛行場の県外・国外移転を国民全体で議論し、公正で民主的な手続きを経て決定することを求める意見書の提案が見送られたことについて、意見書の議決を願っていた陳情提出者らからは、批判や落胆の声が上がった。

 公正で民主的な基地問題の解決に取り組む那覇市の司法書士安里長従氏(46)は取材に対し「暴力に等しい」と話し、提案見送りの原因をつくった同市共産党市議団を批判した。市議団は意見書提案に向けた陳情の採択では賛成したものの突然翻意。安里さんは「共産党も、沖縄にいらない基地は本土でもいらないという自らの主義主張を優先させた。沖縄の置かれている状況が可視化された」と指摘した。

 さらに「そもそも意見書は本土移設を容認しているわけではなく、普天間飛行場の代替施設が必要かも含めて民主的な手続きを経て国民で議論しようと求めるものだ」として「共産党は議論を拒んだのと同じだ」と非難した。安里氏は「リベラルな議員が多い小金井市議会でさえ共産党がこのような態度を取ると、他の地方議会にも影響する」と語り、陳情採択や意見書議決の広がりに水を差されることを懸念した。

(中略)

 意見書の趣旨は、普天間飛行場問題を国民で議論した上で基地が必要との結論に至った場合は全国平等に候補地を協議しようというものだと指摘。米須氏は「国内移設ありきという共産党の誤解を取り払い、市議や市民に理解を広げていきたい」と話した。

琉球新報社
最終更新:10/6(土) 10:39
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181008-00326649-okinawat-oki
[大弦小弦]共産党の変心が「残念で悔しい」という。沖縄出身で東京に住む・・・
10/8(月) 8:15配信
沖縄タイムス

 共産党の変心が「残念で悔しい」という。沖縄出身で東京に住む米須清真(きよさね)さん(30)。地元の小金井市議会に出した陳情に「全面賛同」してくれた議員団が10日後に「間違っていた」と撤回した

▼辺野古新基地建設をやめ、普天間飛行場の代替施設が本当に必要かどうか、本土の議論を求める内容。議員から謝罪された米須さんは「公平な政策論争を求めているだけ。謝られても困る」

▼代替施設が必要という結論になれば本土の全自治体を候補地にする。ここがまずかった、と共産党は釈明する。日米安保反対の党方針に反するから

▼しかし、沖縄では安保を容認する玉城デニー知事の当選を支えた。最終目標と現時点の選択を区別してのことだろう。とすれば、小金井でも賛成する余地はある

(中略)

▼論点がはっきりしたこと、東京の議員が悩んでいること自体が最初の効果と言えそうだ。同じ陳情は県議会などにも出されている。本土世論をさらに高められるか。沖縄の議員の姿勢も、大きく影響するだろう。(阿部岳)

最終更新:10/8(月) 10:20
沖縄タイムス
https://www.jcpkoganei.com/single-post/2018/10/06/辺野古新基地建設の中止と普天間基地代替施設の問題について民主主義及び憲法に基づき公正に解決することを求める陳情書の日本共産党小金井市議団の態度について
辺野古新基地建設の中止と普天間基地代替施設の問題について民主主義及び憲法に基づき公正に解決することを求める陳情書の日本共産党小金井市議団の態度について
October 6, 2018

 9月定例会で採択した標記の陳情書について、日本共産党市議団の立場を明らかにします。
                      2018年10月6日  日本共産党小金井市議団

 小金井市議会の9月定例会において、辺野古新基地建設の中止と普天間基地代替施設の問題について民主主義及び憲法に基づき公正に解決することを求める意見書の採択を求める陳情書が採択されながら、意見書の提出が先送りになったことについて、あらためて日本共産党小金井市議団の立場を明らかにします。
 
(1)党市議団は、この陳情・意見書案が、辺野古新基地建設工事を直ちに中止すること、米軍普天間基地を運用停止にすることを強く求め、そのための国民的議論を提起したものであることから賛成し、その結果、陳情は9月25日賛成13人、反対6人(退席4人)で可決しました。

 日本共産党の立場は、陳情者と同じく、辺野古新基地の建設中止、普天間基地の閉鎖・無条件撤去であり、先の総選挙でも「重点政策」として国民に訴え、議論をよびかけました。

 日本共産党は、沖縄にさらに新基地を押しつけ、犠牲を強いることは絶対反対です。
(中略)

(2)陳情・意見書案の「普天間基地の代替施設について、沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とすること」という項目は、現に共同してたたかっている「オール沖縄」の共通の旗印とは言えません。

 陳情の方の思いも「国内移設ありき」ではないと報じられているように、「本土移設」が本意ではなく、この問題を沖縄県民だけでなく、本土の国民も当事者として考え、議論してほしいというものでした。その思いを踏まえても、「本土移設」を選択肢とする部分については、わが党は同意しがたいことを丁寧に説明すべきでしたが、それをせずに、陳情に全面的な賛同を表明したことは正しくありませんでした。

(3)日本共産党市議団は、以上の点から、意見書案についてそのままでは賛同しがたく、陳情者にその旨お詫びをしつつ、一致できる内容での意見書案とすることを相談させていただきましたが、残念ながら合意に至らず、やむなく採決にかけられれば退席せざるを得ないことをお伝えしました。


(中略)

 日本共産党小金井市議団は、あらためて、陳情者の方に対し、大変失礼な対応となってしまい、また陳情に賛同した議員のみなさんにも申し訳ないこととなり、心からお詫び申しあげます。
■相変わらず頭が固い日本共産党
日本共産党小金井市議団の「陳情・意見書案の「普天間基地の代替施設について、沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とすること」という項目は、現に共同してたたかっている「オール沖縄」の共通の旗印とは言えません。」という指摘は正しいものです。いわゆるオール沖縄は「普天間基地反対、辺野古移設反対、米軍基地は最低でも沖縄県外移設」を旗印とした一点一致の共闘です。「米軍基地は最低でも沖縄県外移設」とはいうものの、「沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とすること」とまでは踏み込んではいません。「米軍基地は内地で引き取れ」という立場もアリだし、「米軍はこれを機に日本から出ていけ」という立場もアリです。ましてや日米安保条約については触れられてさえいません

しかし、意見陳情者が「そもそも意見書は本土移設を容認しているわけではなく、普天間飛行場の代替施設が必要かも含めて民主的な手続きを経て国民で議論しようと求めるものだ」と言明しているとおり、今回の意見書における「本土移設」は単なる思考実験の域に留まるものです。そんなものに対してさえも「我が党はそもそも日米安保条約・在日米軍の存在自体に反対しているから・・・」などといって、字面を形式的に捉えて賛成しないのは、「相変わらず日本共産党は頭が固いなあ」というのが率直な感想です。

陳情の方の思いも「国内移設ありき」ではないと報じられているように、「本土移設」が本意ではなく、この問題を沖縄県民だけでなく、本土の国民も当事者として考え、議論してほしいというものでした。」と書いている以上は、あくまでも思考実験的な意味での「本土移設」に過ぎないのは分かっていたはず。にもかかわらず「その思いを踏まえても、「本土移設」を選択肢とする部分については、わが党は同意しがたい」とは、あまりにも硬直化し過ぎていると言わざるを得ません。

■生活者の立場に立てば、本気の本土移設も政治的検討の選択肢
仮に本土移設が思考実験的な意味としてではなく、本気のプランだったとしても、とにかく一分一秒でも早く米軍基地が沖縄県内から消滅することを目指す生活者の立場に立てば、「いったん本土側で米軍基地を引き取り、沖縄県民の負担に取り急ぎの終止符を打つ」という選択肢も、少なくとも検討対象とはすべきでしょう。沖縄タイムスの表現を借りれば「最終目標と現時点の選択を区別」するわけです。

私の場合、チュチェ思想派であるがゆえにもちろん、自国内に外国軍が駐留していることには反対する立場です。「普天間基地反対、辺野古移設反対、国外移設こそあるべき姿」という点では日本共産党の立場と近しいと考えています。他方、沖縄県民の生活を最優先的に考慮すべきだという立場に立てば、「とりあえず一旦は米軍基地を内地で引き取る」という選択肢は検討せざるを得ないものであるとも考えています。「そもそも在日米軍の存在そのものが正しくない」といって在日米軍撤退、そして日米安保破棄に本気で取り組もうとすれば、さらに数十年単位の時間を要するでしょう。これは、歴史的な視野に立つ革命家たちの時間感覚においては短い部類に入るのかも知れませんが、生活者にとっては長過ぎるものです。そりゃもちろん、私だって米軍基地なんて、できればご近所さんにはなりたくない敬遠したい施設ですよ・・・しかし、誰もが嫌がる迷惑施設を具体的にどこに設置するのかを考えるのが政治というものです。

在日米軍撤退・日米安保破棄は未来社会論としては魅力的だと私も思います。しかし、それが実現するのは相当先になることは現実として認識する必要があります。政治が第一に配慮すべき「人々の生活」は、一分一秒を単位として、いまこの瞬間も途切れることなく続いています。私は、政治は、数十年単位の遠大なビジョンを掲げつつも、あくまでも一分一秒を単位とする現実の生活に根差したものでなければならないと考えています(私はこれを独自に「生活主義」と称しています)。そうであればこそ、数十年単位の遠大なビジョンは、一分一秒に配慮して漸進的に実現してゆかざるを得ないでしょう。最終目標を一気に実現させようとするのではなく、理想とは異なったとしても途中経過的な形態を受け入れざるを得ないと考えます。

生活主義の立場に立てば、「沖縄県内からの米軍基地駆逐」に当たって、いくら党是だからといって「在日米軍撤退・日米安保破棄」というファクターを無批判に持ち込む日本共産党の立場は受容しかねるものです。沖縄県の生活者の立場に立てば、「とりあえず一旦は米軍基地を内地で引き取る」という選択肢を、検討する姿勢くらいは見せるべきでしょう

■穏やかではない展開は、日本共産党への不信感?
日本共産党小金井市議団の平謝りな声明を見るに、タイムリミットまでにお互いに調整し切れなかっただけなのが事の真相であるように見えますが、このことについて「暴力に等しい」だの「共産党も、沖縄にいらない基地は本土でもいらないという自らの主義主張を優先させた」だのとは、穏やかではない展開になっています。深い溝を感じさせます

オール沖縄は「普天間基地反対、辺野古移設反対、米軍基地は最低でも沖縄県外移設」を旗印とした一点一致の共闘ですが、とにかく一分一秒でも早く米軍基地が沖縄県内から消滅することを目指す人が多数派を占めているものと考えられます。これらの人々は、自分たちの生活上の求めから「普天間基地反対、辺野古移設反対、米軍基地は最低でも沖縄県外移設を掲げているものと考えられます。

これに対して日本共産党の「普天間基地反対、辺野古移設反対」には、「日米安保条約反対」という独自の要素が重要な位置(もしかするとスタートライン?)を占めています。日本共産党小金井市議団は「沖縄以外の全国のすべての自治体を等しく候補地とすることは、オール沖縄の共通の旗印ではない」といいますが、「日米安保条約反対」もオール沖縄の共通の旗印ではありません。

今回の穏やかならざる反応は、もしかすると、一応は「普天間基地反対、辺野古移設反対」というオール沖縄の共通の旗印を掲げつつも「日米安保条約反対」という独自の理屈を重要な判断基準としており、それゆえにオール沖縄の標準的な論理とは異なっている日本共産党が、何かにつけて「沖縄の民意」を自分たちの正統性を証明する錦の御旗のように用いてきたことに対して、非共産党員が日ごろから感じていた違和感等が噴出したが故の出来事なのかもしれません

普天間基地反対・辺野古移設反対のオール沖縄の運動においては、日米安保条約云々は一致点ではないのに、日本共産党は、しばしば関連付けて、時には中心的主張として論じています。そうした同党の姿について、「オール沖縄の運動を日米安保反対の党運動の一環として利用しようとしているのでは?」という疑念が日ごろから積み重なっていたとすれば、その最中での本件について、「共産党も、沖縄にいらない基地は本土でもいらないという自らの主義主張を優先させた」という発言が飛び出すのは、ストーリーとして十分に考えられるところです。

日本共産党は、あちこちの市民運動に関与したがりますが、当該市民運動の発起人・当事者たちの目的意識とは完全に一致しているわけではなく、部分的に意見が一致しているに過ぎないのに、その運動の旗印を、恰も自分たちの旗印であるかのように掲げがちです。かつて9条の会を巡って佐高信氏と一悶着ありました(『わが筆禍史』より)。甚だしくは、自分たちの専売特許かのように、私物であるかのように扱うことさえあります。社会主義・共産主義にはさまざまな潮流があり、いくら「科学」とはいえ、その科学的正しさが実証されていない段階であるにも関わらず、あくまでも自分たちのマルクス解釈だけが正しいかのように振舞ってきたように。長きにわたって、あちこちで同じようなことをして来、そのたびに反感や顰蹙を買って来ましたが、今回の一件も、その一ページが書き加えられたのかもしれません

■一点一致型共闘がそもそも困難
もっとも、広範な人々を糾合する一点一致の共闘というものは元来、こういうことがあり得るものです。日本共産党が一方的に悪いとは私は言えないと思います。「共産党も、沖縄にいらない基地は本土でもいらないという自らの主義主張を優先させた」というのは、少し言い過ぎにも思います。

仮に「日米安保反対の一環として普天間基地反対・辺野古移設反対」だとしても、オール沖縄が一点一致の共闘である限りは、それをダメとは言えないでしょう。日米安保反対を理由に本土移設を含むプランに反対するのは、そもそもオール沖縄の共通の旗印ではそこまで具体的に詰めていない以上は、オール沖縄の枠外のテーマ。何を主張してもオール沖縄の枠組みとは別個の話でしょう。

そもそも論的に「一点一致の共闘」という戦い方を見直すべき段階なのかも知れません。かなり独特な理屈を確信的に信奉している日本共産党と仮に一致点があったとしても、相違点の方がそれよりも遥かに多くあるわけです。一致点スタートラインとしていても、大きく異なる理屈を経てまったく異なる結論が生まれ出るのです。日本共産党と共闘するのって結構難しいと思いますよ〜 少なくとも、安保法(案)反対のような現状維持を目指す運動ならば一点一致型共闘は可能かも知れませんが、「それでは、どうしましょうか」が論点になる運動では一点一致型共闘は困難でしょう

たとえば、労働組合。労組の本来的存在意義は、組合員(労働者)の経済的要求の実現ですが、しばしば労組では日本共産党系を中心に、平和運動や政治運動・脱原発運動も手掛けています。このことについて、「組合員・労働者の経済的要求の実現が主目的である労組で、なぜ平和運動や政治運動に注力するの?」と問うと、たいてい「組合員・労働者の経済的要求の実現の前提には、平和の問題・政治の問題があるから」といった類の回答が返ってきます。分からないでもない理屈ですが、労組の主目的・組合員の一致点ではありません。また、平和の問題・政治の問題が大切だとしても、日本共産党と足並みを揃える運動方針の是非・当否は別論点です。平和の問題・政治の問題に関する回答は、決して彼らの「専売特許」ではありません(前項と関連して)。

このように、日本共産党系は、一致点をスタートラインとしつつも独自理論を展開することによって、一致点とは異なる方向性を、一致点の看板を掲げながら驀進するわけです。共闘するとすぐに独自の理論が共闘プラットフォームに侵食してくるわけです。

■総括
字面を形式的に捉える「思考の硬直性」。生活者の要求よりも遠大なビジョンを優先させがちな「一気呵成に問題を解決しようとする姿勢」(昨年11月7日づけ「ロシア10月大革命100年から次の100年へ――社会主義建設の歴史的教訓」でも取り上げました)。独自の理論を確信的に信奉しているがゆえに一点一致型共闘がしにくい(共闘するとすぐに独自の理論が共闘プラットフォームに侵食してくる)。私は日本共産党とは結構近しい立場だと思うんですが、どうも一緒にやっていける気がしません・・・そんな思いを新たにしたニュースでした。
ラベル:日本共産党
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2018年10月10日

人間中心の世界観に立つ偉大なチュチェ思想を行動指針とする朝鮮労働党の創建記念日を祝賀します

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181010-00000005-resemom-life
スポーツする子どもほど「最後までやり遂げたい」体力・運動調査
10/10(水) 13:45配信
リセマム

 日常的に運動・スポーツをする子どもは、「何でも最後までやり遂げたい」という達成意欲が高い傾向にあることが、スポーツ庁による「体力・運動能力調査」の結果分析から明らかになった。男女とも運動・スポーツの実施頻度が高いほど、達成意欲も高かった。


(中略)

 青少年期(13〜19歳)の子どもを対象に達成意欲と体力の関係を分析したところ、「何でも最後までやり遂げたい」という達成意欲を強く持つ子どもほど、体力合計点が高いことがわかった。体力合計点は、「何でも最後までやり遂げたい」という設問に「とてもそう思う」と回答した15歳男子が52.8点、15歳女子が53.1点だったのに対し、「あまりそう思わない」「まったく思わない」と回答した15歳男子は46.7点、15歳女子は45.0点だった。

 また、運動・スポーツ実施状況別に達成意欲の回答状況をみると、男女とも運動・スポーツ実施頻度が高いほど、「何でも最後までやり遂げたいと思う」と回答する子どもの割合が多かった。「何でも最後までやり遂げたい」という設問に対して「とてもそう思う」と回答したのは、ほとんど毎日運動している15歳男子で46.7%、15歳女子で49.9%。一方、運動・スポーツを「しない」という15歳男子は23.1%、15歳女子は21.1%にとどまった。


(以下略)
相関関係と因果関係は、まったくの別物です」というべき典型的調査結果報告。当ブログの読者諸氏におかれては、統計科学の初歩中の初歩に関する解説は不要でしょうから、詳説は割愛します。

キム・ジョンイル総書記はかつて、「車はエンジンをかけなければ走らないように、人間も思想にエンジンがかからなければ目的を遂げることはできない。」と仰いましたが、自主性・創造性・意識性を持つ社会的存在としての人間;社会を目的意識的に改造し得る存在としての人間においては、その「思想がすべてを決定するものです。

その点、人間存在が何らかの目標を貫徹するとき、その原動力は、当人の固い思想意識にあると言うべきです。「日常的に運動・スポーツをする⇒何でも最後までやり遂げたいという達成意欲が高い傾向」というより、「何でも最後までやり遂げたいという達成意欲が高い傾向⇒日常的に運動・スポーツをする」と言うべきでしょう(厳密に言えば、「何でも最後までやり遂げたいという達成意欲が高い傾向」の集合と「日常的に運動・スポーツをする」の集合に重複があり、他の集合と比べて親和性が高いということでしょう。数学的に厳密な意味で「A⇒B」が成立しているわけがありません)。チュチェ思想の立場から述べれば、今回の調査結果は、因果関係が逆立ちしていると言うべきです。

もちろん、「何でも最後までやり遂げたいという達成意欲が高い傾向→日常的に運動・スポーツをする→ますます、何でも最後までやり遂げたいという達成意欲が高い傾向が高まる→...」という螺旋的な因果関係のスパイラルは十分に考えられるところです。しかし、人間行動の根本的動機の局面に立ち返れば、やはり「何でも最後までやり遂げたいという達成意欲が高い傾向⇒日常的に運動・スポーツをする」と言うべきでしょう。

限られた自由時間を、決して楽しいことばかりではないスポーツに打ち込むというのは、軽々しくできることではありません。「あの子は軽々とできているのに、なんで私は上手くできないの?!」という悔しさに枕を濡らすことがザラにあるのがスポーツ鍛錬。中途半端に理屈的だと「こんなことに、こんなに時間を割くのは非合理的で馬鹿馬鹿しい」と冷めてしまいがちなのが、スポーツ鍛錬。何かしらの目的意識が強固でないとスポーツの鍛錬は貫徹できないものです。

人間を中心として、その目的意識的な思想意識を決定的要因として見なすチュチェ思想に根差す主体的人間観に立ったとき、今回のスポーツ庁調査が因果関係を逆転させていることは、一目瞭然なことです。人間中心の世界観に立てば、こんな馬鹿げた因果関係の逆転は起こすはずがありません。

(スポーツ庁の調査結果発表自体は本日ではないものの)奇しくも10月10日の朝鮮労働党創建記念日のシーズン。世界観的な見解;立場と観点がブレている人物の手にかかると、統計的相関関係がかくも荒唐無稽に「分析」されてしまうということが明々白々に実証されました。人間中心の世界観;観点と立場の重要性を改めて認識した上で、人間中心の世界観に立つ偉大なチュチェ思想を行動指針とする朝鮮労働党の創建記念日を祝賀します。
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2018年10月08日

「多様性を認め合う社会」の試金石としてLGBT啓発は、このままだと失敗しそう

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180927-00010012-jisin-soci
新潮45休刊発表も続く危機…各界から殺到する無責任の声
9/27(木) 20:38配信
女性自身

9月25日に「新潮45」の休刊を発表した新潮社。だがその後も、危機が続いているようだ。

同誌は8月号で、自民党・杉田水脈衆院議員(51)の「『LGBT』支援の度がすぎる」という寄稿を掲載。そのなかで杉田議員はLGBTについて「生産性がない」と言及。さらに多様な性を認める社会は「『秩序』がなくなり、いずれ崩壊していくことにもなりかねません」と持論を述べ、「私は日本をそうした社会にしたくありません」とも語っている。

杉田議員の寄稿には当初から批判が相次いでいたが、同誌は10月号でも「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した杉田議員を擁護する特集を組んだ。そのことからも、さらに批判を生んでいた。

新潮社は休刊発表の際、「編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません」とコメント。また「これまでご支援・ご協力いただいた読者や関係者の方々には感謝の気持ちと、申し訳ないという思いしかありません」としている。

「『休刊したからといってこれで終わりではない!』との批判が噴出しています。というのも『生産性がない』として傷つけた人たちへの謝罪もなければ、同誌でなぜそういったことが起きたのかという原因を追求する姿勢もないからです。発端である杉田議員もだんまりを決め込んでいる今、『これではトカゲの尻尾切りだ』とする声も後を絶ちません」(文芸評論家)


(中略)

さらに漫画「テルマエ・ロマエ」の作者・ヤマザキマリ(51)も休刊を批判。実は同誌に「プリニウス」を連載中だったが、今回の休刊を受けてこう述べている。

「新潮45がいくら休刊になっても、この顛末の火種となった文章を書いたひとたちが今までと変わりなく、あのような考え方を懲りずにどこかで晒していくのだろうかと思うと、連載掲載の場が失われたことよりも、それがなにより残念だ」


(以下略)
「『休刊したからといってこれで終わりではない!』との批判が噴出しています。というのも『生産性がない』として傷つけた人たちへの謝罪もなければ、同誌でなぜそういったことが起きたのかという原因を追求する姿勢もないからです」という上掲記事の指摘は、「おっしゃるとおりです。私も同意見です」と言うほかありません。「企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません」などという理由を以って新潮45編集部と新潮社が夜逃げも同然に同誌の休刊を発表したのは、「面倒くさいことになったから逃げよっと」に他ならないと見るべきでしょう。だいたい、新潮45に限らず新潮社の雑誌といえば、「人権侵害」で商売してきたようなもの。今回ばかりは平謝りで「廃刊に近い休刊」とは、「面倒くさくて投げ出した」と見るのが自然でしょう。

チュチェ106(2017)年8月22日づけ「急がば回れのカウンセリング的方法論でバカウヨの再生産阻止へ」で私は、ポリティカル・コレクトネス運動の展開に伴って、「少なくない人々は「下手なことを言って吊るしあげられると面倒くさいから、とりあえず触れないでおけばいいか」と考えることでしょう。その結果として、表面的にはポリティカル・コレクトネスが実現したように見えるでしょうが、実際には差別意識が完全に根絶されたわけではなく、単に地下に潜行しただけ。心の奥底では依然として差別意識は生き残っていることでしょう。」と述べました。「それが現実のものになってしまうなぁ」というのが今回の感想です。いつか、どこかで見たことのある展開・・・

朝日新聞的には、本件休刊が「言論の自浄作用が働いた」ことになるそうです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180925-00000102-asahi-soci
新潮社前で抗議の人たちは…「言論の自浄作用が働いた」
9/25(火) 21:15配信
朝日新聞デジタル

 東京都新宿区にある新潮社付近には25日午後7時ごろから、同社や新潮45に抗議する人たちがツイッターなどでの呼びかけに応じて100人ほど集まった。

 雨の中、社屋前の歩道に立ち、大きな声は出さずに「NO HATE」「心をペンで殺すな」「新潮社は恥を知れ」などと書かれたプラカードを掲げた。

 参加者の一人は、自身も心の性や好きになる性が定まらない「クエスチョニング」だという。「歴史ある大きな出版社が社会に差別をまき散らすのは困る」と思って足を運んだ。「基本的な知識や理解が足りなすぎる。こういった抗議の場を通じて社会がもっとよくなればと思う。多様な社会の方が強いはずだ」と話す。

 出版関係の企業に勤める30代の会社員は、海外文学などで新潮社の出版物に親しんできたという。「普通に社会に存在しているLGBTの人たちに対するヘイトで、認めることはできない」と憤った。新潮45の休刊については、「国による発禁とは違う。言論の自浄作用が働いたのではないか。新潮社内部の人も、何が問題かわかっていると思う。今後きっちり検証してほしい」と述べた。


(以下略)
新潮45編集部・新潮社は、炎上という一種の吊るしあげ的な批判・「飽和攻撃」に耐えかねて逃亡・沈黙しました。議論の結果としてグウの音も出ないほどに完全に論破されて沈黙したのとは決定的に異なります。新潮45編集部・新潮社と同じような認識を持つ人たちは、今回の一部始終を見届けることで「認識を改める」よりも「厄介ごとを避けよう」とすることでしょう差別意識は地下化することでしょう

今後きっちり検証してほしい」と「30代の会社員」氏はいうものの、当の新潮社側には現時点ではそんな気はなさそうです。一般的に炎上案件は「火消し」に精一杯になり、「鎮火後」は精根尽き果てて「検証」する余力も残らないものです。LGBTに対するヘイト発言は当事者の人間の尊厳への冒涜以外の何物でもありませんが、検証よりも先に休刊を宣言するという「逃げ」は「自分たちがやったことに対して正面から向き合っていない」と言わざるを得ません。休刊するにしてもまずは検証が先。最低でも「xxを目途に必ず検証します」という期限を明示した言質は取っておかなければなりません。新潮社にとって、LGBTの人間としての尊厳は「面倒くさい話」でしかなく、炎上を経ても認識が従前のままであるというのが「検証なき休刊宣言」という選択から透けて見えます。LGBTと痴漢癖を同列に論じた小川榮太郎氏に至っては、休刊宣言以降、ますます意味不明な弁解を展開しています。つまり、この炎上騒動を契機として当事者の認識が改まるなどというのは、期待薄というべきでしょう。

にもかかわらず、飽和攻撃に耐えかねて沈黙に追いやられたことを「言論の自浄作用が働いた」と評する「出版関係の企業に勤める30代の会社員」と、それを記事に取り上げる朝日新聞編集部は、恐ろしいというべきか軽薄と言うべきか。これがポリコレの前進とでも言うのでしょうか。

幸いにして多くの人たちは、新潮45の夜逃げ同然の休刊について「言論の自浄作用」などとは見なしておらず、冒頭で引用した女性自身記事のように、「それは違う」と意見表明しています。朝日新聞編集部もちょっと考え直したのか、10月2日づけ朝刊投書欄で、「休刊してしまっては、(中略)『生産性がない』発言を擁護する人たちに『言論の自由を奪った』という言い分を与えてしまった」という内容を含む投書(「『新潮45』休刊 検証置き去り」)を掲載して軌道修正を図りました。

しかし、もう手遅れでしょう。「ポリコレに反する下手なことを言うと大炎上して、批判の飽和攻撃を受ける」という先例が出来てしまった以上、筋金入り狂信家以外は、厄介を避けるためにLGBTの件をタブー視することでしょう

そもそも、LGBTの件は当事者にとっては極めて重要なテーマであり、かつ、ずーっと昔から存在していた件であるにも関わらず、ここ数年のポリコレ運動の高揚までは、ほとんど社会的関心が寄せられてきませんでした。朝日新聞10月2日づけ朝刊では、元参議院議員でありゲイであることをカミングアウトしている松浦大悟氏が寄稿しており、その冒頭部分がネットで閲覧可能ですが、「LGBTを含む性的少数者の多くは、新潮45たたきを白けて見ていたのではないでしょうか。ゲイである私は、当事者の頭越しに、当事者ではない人たちが激高している姿を見て、「最近まで同性愛者を気持ち悪いと言っていたくせに」と思いました。」と指摘されているとおりです。

残念ながらいまだって大多数の人々にとっては「自分とは無関係の他人事」扱いなのが実態でしょう。LGBTの件は、「自分とは無関係の他人事」であるからこそ、大多数の人々にとっては積極的に学ぶモチベーションが生じにくく、また、リスクを冒してまで言及する必要のないテーマなのです。だったら黙っているのが得策です。今後も理解は深まらず、偏見は残り続けることでしょう

その点、水田論文やそれを擁護する論文の掲載以上に「検証なき休刊宣言」の罪深さは強調しなければならないでしょう。しかしながら、いまから「検証前に休刊するとは何事だ!」などと更に批判を強めて、しぶしぶ検証特別号を出させようとすれば、「このテーマに下手に首を突っ込むと、どこまでも追い詰められるんだな・・・こわいこわい・・・」という印象が根付くことでしょう。ますますLGBTがタブー化することでしょう。今から何をしても手遅れで傷口を広げるだけ。詰んでしまったようです。

他方、今回の炎上騒動は筋金入り狂信家にとっては痛くもかゆくもないでしょう。上掲朝日新聞記事中で「基本的な知識や理解が足りなすぎる」というコメントがありますが、世の中には珍妙な理屈を狂信的に信じ込む人々も一定数存在します。「基本的な知識や理解」を持っていてもなお、ものすごい理屈を展開する人がいます。どっかの宗教のように教義として同性愛を排斥する思想の信奉者が、学習したからと言ってLGBTを認めようとはしないでしょう。「正しい知識を持てば偏見は解消される」というのは、残念ながら楽観的に過ぎる認識でしょう。

ポリコレ運動においては、「多様性を認め合う社会」の試金石としてLGBTの件が位置づけられてきましたが、このままだと失敗しそうです。

上掲の松浦氏の朝日新聞への寄稿によると、当事者であるからこそ松浦氏は「杉田氏の間違いを訂正し、実態を知ってもらう機会だと思い、(問題の『新潮45』10月号に)寄稿」したと仰っています。LGBTの件を「多様性を認め合う社会」の試金石として再興するためには、当事者でも何でもない人たちが寄って集って「代行主義」的に炎上させるのではなく、当事者たちのリアルを踏まえた丁寧な議論を通じるほかないでしょう(もちろん、当事者にしか発言権がないとは言いません)。前述のとおり、ものすごい理屈を展開する狂信的な人だっているでしょうが、そういう人達に対しても粘り強い説得を怠ってはなりません。説得の過程で、頑迷な人が改心することだってゼロではないし、また、説得の過程をギャラリーたちに見せることで、持論に対する共感が広がることでしょう。チュチェ106(2017)年8月22日づけ「急がば回れのカウンセリング的方法論でバカウヨの再生産阻止へ」でも述べたとおりです。

馬鹿な論文を掲載した上に無責任にも逃亡した『新潮45』が絶対的に悪いのは言うまでもありませんが、カウンターも考え直さなければならないところでしょう。絶対的に悪い相手だからといってカウンターの方法は考えないといけないわけです。炎上の恐怖が議論を萎縮させ差別意識を地下化させかねないのであれば、そしてまた、炎上の当事者は割とすぐに逃げ出すものだというのが実例として判明したのであれば、ポリコレの本来的目標を達成しようとすればこそ、炎上に発展しないように注意しつつ丁寧な議論に誘導すべきであります。
ラベル:社会 メディア
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2018年10月04日

ネトウヨと沖縄県知事選挙;同胞を分断する「内通者狩り」の発想・「闘争」の発想

https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20181001-00098867/
ネット右翼に足を引っ張られた佐喜眞候補【沖縄県知事選挙 現地レポ〜敗北の分析】
古谷経衡 | 文筆家/著述家
10/1(月) 5:30


(中略)

【3】荒唐無稽な在沖縄ネット右翼活動家の蠢動
 今回、敗北を喫した佐喜眞氏の敗因は何だったのだろうか。佐喜眞氏は「対決から対話へ」を掲げ、辺野古移設については積極的推進の立場を明確にせず、むしろ経済振興や子育て政策を重点的に主張した。

 前述した2月の名護市長選挙に於ける渡具知武豊氏の勝利の方程式を踏襲した格好である。中でも「県民所得300万円目標」など、なるほど具体的とも言える政策もあった。

 しかしながら私は、佐喜眞氏の敗因は、佐喜眞氏自身は当然のこと、その「外野」にこそあると分析している。「外野」とは何か。それは翁長前知事が健在であった時代から、反翁長(反オール沖縄)の姿勢を鮮明にして、主にネットやCS放送局などを利用して勢力を高めてきた在沖縄のネット右翼活動家達のことだ。 断って置くが、彼らは佐喜眞選対には一切入っていない。勝手連的に今回の知事選挙で佐喜眞氏を応援していた人々である。彼らは、中央(東京)のCS放送局やネットニュース番組等を行き来し、または保守系論壇誌、あるいは沖縄のコミュニティFM等を活用して、「善意」で以て佐喜眞氏を応援した。

 彼らは、那覇、沖縄、豊見城、うるま、宜野湾、名護など県下公民館などを貸し切り、私が確認しただけで都合50回以上に及ぶ小集会や、ビラ配布、那覇市内等に於ける街宣行動を頻繁に繰り返した。

 9月13日に今回の沖縄県知事選挙が告示されると、彼らは勝手連的に佐喜眞氏への投票を訴え、併せて「玉城デニー陣営から威嚇、暴力的行為を受けた」などとSNS上で訴え続けた。

 これに賛同するネット右翼的傾向を持つユーザーが次々と彼らのツイートを拡散して、「玉城はパヨク」「玉城は売国奴」「玉城は中国の工作員」等というレッテルと共に、恒常的にそれらのリツイートは毎回500〜1,000近くになる勢いとなったのである。

 前述した小集会では、「地元新聞・TVによる世論誘導選挙、中国の沖縄侵略隠しを訴える」という横断幕がほぼ毎回会場に掲げられた。

 ここで重要なのは、地元新聞とは「琉球新報、沖縄タイムス」の二紙を指すと言うこと。また「中国の沖縄侵略」ではなく「沖縄侵略隠し」を訴えているという点で、極めて陰謀論的世界観である。

 つまり、沖縄に於いて中国の侵略が現に行われて居るが、「琉球新報、沖縄タイムス」の二紙がそれを故意に隠している、という主張を繰り返したのだ。

【6】ネット右翼が佐喜眞氏の印象を悪くしたのか?
 しかし前述した在沖縄のネット右翼活動家らや、及び全国に存在するネット右翼の、「善意による」佐喜眞氏への勝手連的な応援は、沖縄の有権者に佐喜眞氏への親近感を高めるどころか、却ってマイナスの材料になったのではないか?と私は観ている。

 彼らは口々にこう絶叫した。

「玉城デニーが知事になったら、沖縄は中国にのっとられます」

「玉城デニーが知事になったら、中国の工作員が沖縄を破壊します」

 このような、トンデモ陰謀論とも思える連呼とセットに佐喜眞氏を応援することで、常識的な感覚を持った有権者の多くは、むしろ佐喜眞氏へのネガティブイメージを持つに至ったかもしれない。「親方思いの主倒し」という言葉がある。親方を思ってよかれと思ってやった行為が、結果として親方の迷惑になる、という意味だ。

「玉城デニーが知事になったら、沖縄は中国にのっとられます」

 という絶叫とセットで行なわれた佐喜眞氏を支持する勝手連的訴えは、まさにネット右翼による「親方思いの主倒し」の典型ではないだろうか。
 
 沖縄に中国の工作員などいないし、彼らの破壊工作を沖縄二紙が隠蔽しているはずが無いことは、他でもない沖縄県民が一番よく知っているからだ。

【7】争点にすらならない「中国沖縄侵略説」
 沖縄に中国の工作員が忍び込んでいる、というのは「大阪にスリーパーセルなどと呼ばれる北朝鮮の特殊潜伏工作員が存在する」という「工作員妄想」にも通底する陰謀論だ。
 
 百歩譲って中国の工作員が日本に潜入するとすれば、それは自衛隊司令部のある市ヶ谷や横須賀や朝霞でなくては理屈に合わない。なぜわざわざ沖縄に潜伏しているのか。少し考えれば常識で分かるデマである。沖縄の有権者は、こういったデマを一蹴した。
 
 今回の知事選挙でNHKが行なった出口調査の中に、「投票で重視した争点」を有権者に聴いた項目がある。それによると1位が「普天間(辺野古)移設」で34%、2位が「地域振興」の31%、3位が「教育・子育て」の21%、4位に「医療・福祉」14%と続く。
 
 このことからも分かるように、「中国の沖縄侵略」とか「沖縄二紙の問題」は、有権者の中で争点にすらなっていないのである。
 
 こういったネット右翼が叫ぶトンデモ陰謀論的世界観は、中央(東京)から放送される一部の極端に偏向したCS番組や保守系論壇誌、あるいはネットニュースの中で俎上にあがるだけで、実際には「保守」「ネット右翼」という自閉した巨大なサークルの中でしか通用しないジャーゴン(組織内言語)に他ならない。 だから、在沖縄の街頭で行なわれたこのような叫びやSNSでの拡散は、沖縄の有権者にとってノイズとしてしか認識されなかった。
 
 彼らが「なんかトンデモな人たちが佐喜眞氏を応援している」という印象を与え続けたのなら、これは佐喜眞陣営にとって痛打以外の何物でも無い。それを実際に実行したのが、「善意」を以てデニー氏を攻撃し、佐喜眞氏を応援した在沖縄のネット右翼活動家らである。

【8】オウンゴールと沖縄民意の確定
 むろん、佐喜眞氏の敗因はこういった外野だけでは当然無い。佐喜眞氏自身も公約として「携帯電話料金を4割値下げ」など、知事の職権では実現不可能とされるアピールを行ない、後に修正したというオウンゴールもある。

 しかし、全般的には、デニー氏の圧倒的強さには勝てなかった。故翁長氏に対する県民の想いと、辺野古移設への拒絶感は、中央が想像するよりも遙かに大きかったと判決するしか無い。

 ことことに至って、沖縄県民の民意ははっきりとデニー氏の言う「辺野古移設反対」に決定した。民主的選挙で「辺野古移設にNO」が突きつけられたのだから、中央政府は沖縄県民の民主的決定に従い、アメリカに対し「普天間基地の無条件返還」を突きつけるべきだ。「普天間返還の唯一の解決策は辺野古移設」と繰り返してきた日米両政府だが、そもそもトランプ大統領は「在日米軍、在韓米軍は撤退する場合もある」と断言した時期もあった。当のアメリカのトップでさえもその見解が動揺している。

「唯一の解決策」という信仰を捨て去り、「民主的プロセスで辺野古移設は不可能になった」と中央政府はアメリカに通告する義務を有する。それが出来なければ民主主義の根幹が崩壊しかねない。

【9】沖縄保守の静かな憤慨
 最後にこの事実を書いておく。冒頭の大広間で、私は或る佐喜眞陣営選対関係者に詰問した。
「どうして、在沖縄のネット右翼活動家らを放っておいたのですか。却って佐喜眞さんの足を引っ張っただけじゃ無いですか」

 関係者は、「それは彼らの政治活動の自由であり、私達が強権的に制止することは出来ない」と苦渋の表情で前置きした上で、
 
「連中、星条旗と日章旗を一緒に掲げて中国の侵略がどうのこうのと・・・。正直、やめて欲しかった。勘弁して欲しかった。冗談じゃないよ」

 佐喜眞氏敗北が確定したことも重なってか、関係者の瞳の奥には、ネット右翼への敵愾心とも取れる静かな憤怒を感じた。

 沖縄の保守陣営からも、蛇蝎のごとく嫌われるトンデモ陰謀論を訴えるネット右翼は、ネット空間から「選挙」というリアル空間に這い出て、それが「ネット右翼活動家」になった時点で、いかなる陣営にとっても害毒しかもたらさない。そう私は確信した。
仮にネトウヨの現状認識が正しく、「中国の沖縄侵略が迫っており、そのさなかでの沖縄県知事選挙の意味は大きい」としましょう(あくまでも仮置きの話ですよ)。そうであるならば、「中国の侵略」に対抗するには、なによりも「日本国内の結束」が重要となるでしょう。さまざまな国内意見を集約し、とりあえずカタをつけ、思想意識的にも組織体制的にも国内の結束を固めて中国側に付け入る隙を与えてはなりません。

しかし、ネトウヨのやっていることといえば、同胞の中に「中国側の内通者」を見出すことに終始しています。そして、いったん「内通者」認定しようものなら、「なぜ彼らが中国側に魂を売ったのか」という経緯に関心を寄せず、彼らを排斥することにのみ注力します。もしかすると、「内通者」の不満の根源を解きほぐせば、彼らを中国側から奪還して祖国の隊列に復帰させることが出来るかもしれないのにも関わらず! また、「内通者」の不満の根源を解きほぐして対策を打てば、今まさに祖国への愛と中国側からの誘惑との間で揺れている動揺層を、祖国の隊列に繋ぎ止められるかも知れません。しかし、ネトウヨにはそのような発想は浮かびさえもしません

中国との対決において沖縄が地政学的に重要だと言うのであれば、沖縄を日本側に繋ぎ止める必要がありますが、そのためには沖縄県民の声を聞いて、ひとつひとつ丁寧に合意を形成してゆくこと以外に方法はあり得ません。「中国側の内通者さえ排除すれば、残るのは『沖縄県の日本国民』だ」などというのは粗雑な理屈です。なぜ同胞の中から「中国側の内通者」が生まれるのかといえば、それは祖国に対して何らかの不満があるからに他ならず、それは「中国の侵略」に対抗するに当たっては事前に解決しておかなければならない弱点です。しかし、ネトウヨは愚かにもそういう発想には至らず、不満意見の表明に罵声を浴びせかけて黙らせようとし、団結上の弱点を見逃しています。不満の原因は解消されず、次から次へと祖国からの離反者を生んでいます。

さらに述べれば、同胞の間に「敵か味方か」という対立軸を持ち込むことは、「中国の侵略」が差し迫っていればいるほど国内の結束を揺るがせかねない危険要素であり、それはすなわち中国側に付け入る隙を与えます。世論の不安定化が増悪し、日本が更に弱体化しかねません。ネトウヨ連中は「サヨクは『階級闘争』を筆頭に、ありとあらゆる軸を設定して、国内の対立を煽っている」と憤っていますが、自分たちだって同じことをしているわけです。

キム・ジョンイル総書記が指摘されているように、愛国を称するのであれば、仁徳を行動指針とすべきです。キム・ジョンイル総書記は『社会主義は科学である』で次のように仰っています。
わが党の仁徳政治は領袖、党、大衆の一心団結の源となっている。愛情と忠誠にもとづく領袖、党、大衆の一心団結はもっとも強固な団結であり、このような一心団結に根ざしている朝鮮式の社会主義は必勝不敗である。

また、『民族主義にたいする正しい認識をもつために』では次のように教えられています。
金日成同志の大きな度量と気高い人柄に引きつけられて、多くの民族主義者がいまわしい過去に別れを告げ、民族の団結と祖国統一のための愛国の道を歩み出しました。一生を反共で通してきた金九も、晩年には連共へと人生の舵を切り替えて愛国の道を歩むようになり、崔徳新のような民族主義者もまた、金日成同志のふところに抱かれて、愛国者としての生を輝かすことができました。

(中略)

わたしもやはり、金日成同志が明らかにしたように、真の革命家、共産主義者になるためには熱烈な愛国者、真の民族主義者にならねばならないと主張します。人民大衆の自主性を実現するためにたたかう共産主義者は、真の民族主義者になるべきです。自国人民、自民族、自分の祖国のためにたたかう人が真の共産主義者であり、真の民族主義者、熱烈な愛国者なのです。自分の父母、兄弟を愛さない者が国と民族を愛せるはずがないように、自分の祖国と自民族を愛さない者は共産主義者になれません。われわれは金日成同志の国と民族、人民を愛する崇高な思想をそのまま受け継いでおり、幅の広い政治をもって民族の各階層を一つに結束し、かれらを愛国の道へと導くためにあらゆる努力を尽くしています。
結局、愚かなるネトウヨ連中は、本来であれば「中国の侵略」なるものが迫っていればこそ同胞間で虚心坦懐に意見交換し合って利害調整を進めることで「敵前での結束」を固めなければらない局面で、逆に同胞の中に「中国側の内通者」を見出すことに終始し、「敵前での分断」を自ら進めているわけです。同胞を分断する「内通者狩り」の発想・「闘争」の発想にとらわれています。敵勢力の戦力分割は戦略・戦術の定石。それがオウンゴール的に展開されているのだから、「侵略する側」としては有難いことこの上ないことでしょうw

ネトウヨのような馬鹿な連中に「応援」されていた佐喜眞候補陣営には、「お気の毒様でした」とお見舞い申し上げる次第であります。
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