2019年04月27日

「経済問題の中の経済問題」たる利益配分問題に斬り込むのは、壮大ではあるものの正しい道

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190423-00000054-jij-bus_all
加盟店との利益配分見直し=「対応不十分だった」−ミニストップ
4/23(火) 11:17配信
時事通信

 イオン傘下のコンビニエンスストア大手ミニストップは23日、加盟店との収益分配の見直しを検討すると発表した。詳細については今後詰める。

 同社は「加盟店との関係や雇用問題など、社会環境の変化への対応は十分ではなく真摯(しんし)に反省している」と指摘。その上で「加盟店と本部の利益配分の在り方を含めたフランチャイズビジネスそのものの変革を進める」と強調した。


(以下略)
■「加盟店と本部の利益配分」という切り口に立ったことは評価できる
以前から当ブログでもコンビニ等小売業における年中無休・24時間営業について取り上げてきました。私は、「全体から見れば少数かも知れないが、そのタイミングでそれを必要とする消費者・せざるを得ない消費者が社会には存在する」という点において、年中無休・24時間営業の継続を原則として支持しつつ、他方、従業員に対して多大な負担をかけていることも事実である以上は、消費者運動と労働運動が連携して「組織としては年中無休:24時間・365日営業であるが、労働者個人としては十分な休暇・休養を取ることが出来る」ようにすべく企業・資本側に要求を展開してゆくことが必要だと述べてきました。

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チュチェ106(2017)年3月27日づけ「自主権の問題としての労働環境vs自主権の問題としての多様な消費行動――一方的な「あるべき」論では判断できない
本年2月5日づけ「単なる負担の付け替えに過ぎないブルジョア的「働き方改革」の正体を見抜け!
本年2月23日づけ「旧型労組活動家の言説を乗り越え、24時間・365日営業を「組織として」続けていくための新しい運動へ
本年3月12日づけ「「少数派は多数派に合わせろ」と言うに等しい暴論が労働界隈・社会政策界隈の人権闘士から出てきた驚きの展開――ブルジョア的「お客様」論に接近する異常事態

その観点から申せば、ミニストップの具体的な行動計画は現時点では公表されていないので詳しく論評することは出来ませんが、「加盟店と本部の利益配分」という切り口に立ったことは評価できると思います。「組織として年中無休:24時間・365日営業」を実行するためには、本部ぐるみの組織的体制の構築は不可欠であり、その核心は「利益配分の在り方」になるからです。加盟店に対してより多くの利益を配分するよう改めれば、人材確保等のための余裕も増えるはずだからです。

■企業も競争に晒されていることを忘れてはならない――マルクス『資本論』における「競争の強制法則」
上掲時事通信記事には、オーサーコメントとして店舗経営コンサルタントである佐藤昌司氏のコメントが掲載されています。
加盟店オーナーの状況改善において、利益配分の見直しを検討するというのは評価できます。これが一番実効性のある対策だと感じます。24時間営業を取りやめることや大量出店・ドミナント出店をやめることは必ずしも競合他社が同じようにやめるとは限らないという問題などがあり実効性が乏しいといえますが、利益配分の見直しは基本的には競合他社の影響を受けずに1社単独で行える施策のため実効性が高いといえます。経営指導料(チャージ)の減額や店舗人件費の一部を本部も負担することなどが考えられます。(以下略)
おおよそ私の意見と同じですが、一点気になるところがあります。「利益配分の見直しは基本的には競合他社の影響を受けずに1社単独で行える施策」という部分です。

24時間営業を取りやめることや大量出店・ドミナント出店をやめることは必ずしも競合他社が同じようにやめるとは限らないという問題などがあり実効性が乏しい」という認識はたしかにそのとおりです。企業も競争に晒されています。しかし、それをいうなら利潤=企業成績に直結する利益配分問題も同様でしょう。

マルクス『資本論』において、搾取について、「個々の資本家の意志の善悪に依存するものではな」く、「自由競争は資本主義的生産の内在的諸法則を個々の資本家にたいして外的強制法則として貫徹させる」と述べています(マルクス・エンゲルス(向坂訳)『資本論(二)』、岩波文庫、p159)。いわゆる「競争の強制法則」です。なお、利益配分問題は階級闘争における中心的関心事です。『資本論』は、資本主義社会における利益配分問題の背景を理論的に探る著作といってもよいものです。

企業経営者は、株主・投資家たちの厳しい目と要求に直面しています。また、株主・投資家たちの引き揚げ決断スピードは、ほぼ習慣的に来店する一般消費者とは比にならないほど迅速です。企業経営者は、株主・投資家対策として利潤獲得のためにこそ競合他社の動向から目が離せない状況に置かれています。また、現実の市場は、(経済理論的な意味での)「完全競争市場」ではなく、競合他社の動向に自己の行動を制約されているstrategic situationです。利益配分の見直しは基本的には競合他社の影響を受けずに1社単独で行える施策」とは、とても言えないのが実態でしょう。

■「悪人黒幕論」に繋がりかねない危険な発想
競争の強制法則に直面させられている企業の行動について、その構造的部分への分析を軽視し、安直にも「1社単独で行える施策がある」としてしまう佐藤氏のような発想は危険な発想です。これは「それにもかかわらず実行しないのは企業経営者の悪意があるからだ」という主張に繋がります。不都合・不愉快な現実の原因を特定の個人や組織に帰着させる発想、「悪人黒幕論」の発想です。またこれは、「悪人を排除すればよい」とか「善人が全権を持てば万事解決する」といった粛清論・救世主による合理主義的救済論にもつながるものです。

マルクスが言うように搾取が自由競争によって強いられているものであり、個々の資本家の意志の善悪に依存するものではなく、個々の資本家のみの手に負えるものでないとすれば、「悪人」を黒幕論とすることはできないし、それを排除して善人が全権をもったところで解決するわけがないのです(俗流化されていないマルクス経済学の発想って、こういう時にはすごく役に立つんですよね〜)。

■総括と展望
利益配分問題は階級闘争における中心的関心事です。利益配分問題は「経済問題の中の経済問題」です。その点、利益配分問題に斬り込むというのは、壮大ではあるものの正しい道です。しかしそれは、「基本的には競合他社の影響を受けずに1社単独で行える施策」とは言い難い厳しい道です。加盟店と本部の力関係が逆転して加盟店が加盟先を選り好みできるような市場環境になり、それゆえ市場全体が加盟店への利益配分を増やすトレンドでない限り、1社が単独で利益配分比率を変更すれば「あちらを立てればこちらが立たず」。今度は株主・投資家たちから不満の声が上がり行き詰ることでしょう。利益配分の見直しは、「特殊な条件が揃って初めて競合他社の影響を受けずに1社単独で行える施策」というべきです。

業界全体が利益配分問題について、足並みを揃えて同時対応することが求められるといえます。もちろん、利害調整は難航することでしょう。「24時間営業を辞めればいい!」なんてのは安直も甚だしく論外ですが、そもそも利益配分問題は「経済問題の中の経済問題」なのだから、そう簡単に解消するようなものではないのです。まずは、消費者運動と労働運動を広範囲で連携させ、個別の企業に対してではなく業界全体に対して「組織としては年中無休:24時間・365日営業であるが、労働者個人としては十分な休暇・休養を取ることが出来る」ようにすべく企業・資本側に要求を展開してゆくことが必要でしょう。

なお、マルクスは『ゴータ綱領批判』において、「いわゆる分配のことで大さわぎをしてそれに主たる力点を置くことは、おそよ誤り(中略)消費手段のそのときどきの分配は生産諸条件のそのものの分配の結果に過ぎない」(新日本出版、p31)としたうえで、「資本主義的生産様式は、物的生産諸条件が資本所有や土地所有という形で非労働者たちに配分されているが、(中略)生産の諸要素がこのように分配されているならば、消費手段のこんにちのような分配がおのずから生じる。物的生産諸条件が労働者自身の協同組合的所有であるならば、同じように、こんにちのものとは異なった消費手段の分配が生じる」(同頁)としました。

この指摘を踏まえるに、利益配分問題は究極的には生産様式の問題、所有形態の問題にならざるを得ないでしょう。この点こそ、私が以前より「自主権の問題としての労働問題」を「自主管理」の問題と直結させてきた理由であります。
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2019年04月25日

「高学歴テロリスト」の存在は何を示しているのか

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190425-00000026-mai-int
実行犯は高学歴 女1人を含む計9人 スリランカ連続爆破テロ
4/25(木) 11:05配信
毎日新聞

 【コロンボ西脇真一】359人が死亡したスリランカ連続爆破テロ事件で、ウィジェワルダナ国防相は24日、テロの実行役は女1人を含む計9人で、ほとんどが高学歴で裕福な家の出身だったと明らかにした。捜査当局は過激派組織「イスラム国」(IS)など海外の組織の支援を受けていたとみて、外国捜査機関の協力を得て捜査している。ロイター通信などが伝えた。


(中略)


 兄弟の父親は不動産販売や香辛料の輸出業で成功した人物だった。捜査当局はこれまでに、この父親を含む60人を事件に関連したとみて拘束した。

 実行グループの中には留学経験者もおり、英スカイニュースは治安当局者の話として、男の一人が2006〜07年ごろ、英南東部で学んでいたと報道。男はその後、オーストラリアの大学院に進学したという。

最終更新:4/25(木) 11:08
毎日新聞
ロイター電を引用する形での記事ではあるものの、毎日新聞記者の「驚き」が行間からにじみ出てきています。

爆破テロの実行犯が「裕福な出身」や「高学歴」だった・・・何か驚くような要素があるでしょうか? チュチェ105(2016)年7月4日づけ「いつまで経済決定論・経済疎外還元論にしがみつくのか――バングラ・ダッカでのテロ事件の「原因」論」でも取り上げましたが、俗流マルクス主義的な経済決定論・経済疎外還元論の発想が未だに残っているということなのでしょうか?

チェ・ゲバラが南米放浪の旅のなかで、ある種の「自分探しの旅」の中で、現実社会に対する問題意識を芽生えさせ、その生涯を革命運動に捧げるに至ったように、裕福な出身・高い学歴を持つからこそ物事を深く考える余裕が生まれます。他方、学校のお勉強や理論空間での思考と社会的判断能力は多少ズレがあるので、裕福な出身・高い学歴であるからこそ妙な方向に走ることも多々あるものです(現代日本でいえば、オウム真理教の元死刑囚など)。日々の生活に追われる「貧乏人」の方が、いやでも社会の実相を分かっているので、やけっぱちにでもならない限りは意外と「穏健」だったりします。

キム・ジョンイル総書記が指摘されるように、政治的運動は、その人の出自ではなく、その人の思想によって行うものです。上掲過去ログでも引用しましたが、イスラム圏の若者たちのなかには、自らのアイデンティティーを確立するためにイスラム国に旅立っていく者もいるそうです。自らのアイデンティティーを確立する過程で過激思想に染まり、そして、過激思想に基づく「誇り高いイスラム国家」の樹立を目標としている連中の存在がこの事件からも推察できるところです。

上掲過去ログの繰り返しになりますが、いまこそ、俗流マルクス主義にもとづく分析ではなく、より「運動の主体」の心理にスポットを当てた動機分析、主体的分析が必要とされているといえるでしょう。

関連記事
チュチェ105(2016)年7月4日づけ「いつまで経済決定論・経済疎外還元論にしがみつくのか――バングラ・ダッカでのテロ事件の「原因」論
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2019年04月18日

「非橋下化」こそ維新が全国規模で支持を広げる秘訣

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000002-tospoweb-ent
橋下徹氏 大阪都構想は「しょぼい構想」に激高「学者ほど哀れなものはない」
4/9(火) 9:24配信

 元大阪市長の橋下徹氏(49)が9日、ツイッターを更新し、立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏に言及した。

 上久保氏は9日にインターネットサイト「ダイヤモンド・オンライン」の中で、維新が掲げた大阪都構想について「『夢』がないのだ」「ピンとこない」「しょぼい構想」とコキ下ろした。

 橋下氏は「ほんと自分の間違いを素直に認められない学者ほど哀れなものはない。(中略)学者は言いっ放しでいいから楽な商売だ。どう実行するか考えろ。来月出す俺の本をしっかり勉強しろ」と激高。


(以下略)
やっぱり「鉄砲玉」橋下徹氏が表舞台から引退してよかったと改めて思った一報。激高している橋下氏の言い分ほど一方的なものはないので、ここはまず、槍玉に挙げられている上久保教授の主張を読んでみましょう。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190409-00199166-diamond-soci&p=1
大阪ダブル選挙で自公と共産が「共闘」できた深い理由
4/9(火) 6:01配信
ダイヤモンド・オンライン


(中略)

 これらの大阪維新の会の政策の打ち出し方は、保革のイデオロギー対立にこだわり、「なんでも反対」し、「なにも変えてはいけない」と主張し、審議拒否を繰り返した結果、安倍政権が国会提出した問題だらけの法案を無修正で通してしまう、国会の「左派野党」のあり方とはまったく異なるものである(第189回)。

 私は、大阪維新の会の姿勢こそ、「穏健な保守中道二大政党制」における、中道陣営のあり方であると考える。安全保障を政争の具とせず、経済財政・社会保障政策など内政面では、「改革が手ぬるい」「よりよき政策がある」と、保守と中道が競い合って、現実的な政策を作り上げていく体制を築く、野党のあり方である。


(中略)

 「大阪都構想」は、大阪府・市の二重行政の解消を訴えるだけで、「府」の上位の行政区分が「都」だからというだけのものだ。「都」といえば「首都」のはずだが、実際に首都になるという構想ではない。首都の機能の一部でも担うということなら、それが日本国の政治・行政・経済・社会にどんな好影響を与え、将来的に日本の国家像をどう描くかの構想もない。

 端的にいえば、大阪がどのような都市になり、日本がどのような国になるかの「哲学」がまったくみえない。大阪府・市という狭い範囲の行政をどうするかのテクニカルな話に終始しているだけで、「夢」がないのだ。だから、大阪都構想は、大阪から一歩外に出れば、まったく理解を得られていない。


(中略)

 維新の会に必要なのは、大阪都構想のような局地的な構想ではなく、日本の国家像を変えるようなより大きな構想を考え、国民全体に訴えることではないか。例えば、この連載では、以前から憲法改正による参院改革を維新の会に奨めてきた(第69回)。

 参院を、ドイツのような「連邦国家型二院制」の上院に改革し、知事や市長、県会議長など地方の代表が上院議員を兼務する形にする。上院を「地方代表の院」とすることで、地方の意向をダイレクトに国政に反映できるようにするのだ。

 維新の会はこれとは真逆で、国会の意思決定が迅速になるという短絡的な理由だけで「一院制」の導入を訴えている。しかし、維新の会の主張である「道州制」と同じ政治・行政制度を採用している「連邦国家」はすべてが二院制で、上院は地方を代表する院を設置している国が少なくないことを知るべきだろう。大胆にいえば、地方主権を実現したいならば、中央から離れることばかり考えるのではなく、中央に乗り込んで、中央を支配するという発想を持ってもいいのではないかということだ。

 要するに、今回のクロス選挙で大阪都構想という「しょぼい構想」のみに注目が集まったことを、私は残念に思う。本当に評価されるべきは、大阪における維新の会の「改革姿勢」であるべきだと考える。そして、国政レベルにおいて、中道で改革的な政党が再び育っていくきっかけになってほしいと思っている。
大阪維新の会の姿勢こそ、「穏健な保守中道二大政党制」における、中道陣営のあり方であると考える」というくだりが明白に示している通り、上久保教授は維新の功績をかなり高く評価していることが分かります。また、「維新の会に必要なのは、大阪都構想のような局地的な構想ではなく、日本の国家像を変えるようなより大きな構想を考え、国民全体に訴えることではないか」というくだりは、都構想の成立後を見据えたさらに大きなビジョンを展開してほしいと期待するものです。

上久保教授は、維新に対して大きな期待をもっており、当該記事は、圧倒的強さを見せる大阪でも「自民党議員団を切り崩して何人確保する・・・」だのと頭数合わせにも腐心せざるを得ない現状、全国レベルにおいては社民党には勝てるけれども共産党には及ばない支持率に低迷している維新の現状からの脱皮を図るための一策を提言しているものと読めます。そしてその提言は、たしかに実践ベースではなく即物的には使えるものではないものの、哲学レベル・実践を支える国家論としては興味深いものです。政治には遠大なビジョンが不可欠。日帝統治が盤石だった時代、父から受け継いだ「志遠」を座右の銘とし祖国独立の志をもって闘争に挺身された首領様のように!

政治は実践ですが、その実践の背後には即物的には使えないが実践を支える哲学・国家論があり、これらは帰納と演繹の関係にあると言えます。学者が実践に明るくないのは無理もないし、即物的ではない国家論を語るのは当たり前のことです。このことについて「実践を知らない」と罵るのではなく、学者の理論的提唱を実践に落とし込むのが政治家の役割です。実践担当者としての政治家が目の前の政治課題に忙殺され、狭い経験論に拘泥し、見識がタコツボ化している可能性だってあるでしょう。そうした事態においては、あえて実践から距離を置き、抽象化された理論的・鳥瞰的な見地は有用でしょう。

その上で、実践の結果として得られた知見を学者に提供し、また新たなビジョンの構築に期待するというのが正常な学者と政治家の関係、理論と実践の関係ではないでしょうか? 自然科学の世界ではこのことは自明なことですが、根っからの文系人間には分からないのかな?(バカにし過ぎ?)  

そのことを確認した上で、橋下氏の言説に戻ってみましょう。

橋下氏はTwitterで「現実の政治行政では全く使えないシロモノばかり」や「政治なんて、机上で学ぶものではなく、実践するものだ」、「上久保は実践経験がないから、金融都市とか連邦国家的二院制とか、宝くじを当てます!みたいなことばかり言っている」「しょうもない役立たずの研究ばかりせず、政治の実践を少しは研究しろ」などと大声をあげて喚いています。

一方で、「地方側に拒否権を持たせようとが、そこまではできなかった。しかしこれが連邦国家的二院制の第一歩だ」と述べている点、ギャーギャーとヒステリックに喚いた末にこう言っているわけですから、要するに、自分でも不足があると分かっていることを他人からズバリと指摘されたことに、いたくご立腹されたというのが実態のようです。言われたくないことをピンポイントで抉られたら誰でも不快に思うものですが、本当のことを指摘してきた人(それも橋下氏の個性を理解してか、その功績を賞賛した上で最後に少しばかり不足を指摘しているに過ぎない)に対して口汚く罵って返すのは、これはみっともない部類に入ると言わざるを得ないものです。

橋下氏は昔っからそうですが、弁護士なのに相手の主張の全体を見ずに些末な表現に突っかかって脊髄反射的に罵倒し始めるところがあります・・・まあ、民事裁判においては場合によってはそういう「弁護」も戦術としてアリなので、その延長線上の確信犯的方法なんでしょう。最後に「ブレグジットと大阪都構想の正確な分析・評論と、上久保の研究がなぜクソの役にも立たないのか。この本を読んでしっかり勉強しろ」と言って自著を宣伝している点、上久保教授が基本的には自分にとっての論敵ではないし、弁護士時代から「鍛えて」きた「大声でまくし立てる方法」をもってすれば万一の展開でも勝てると踏んで、上久保教授をダシに自著を宣伝しているというのが実態なのでしょう。

しかし、裁判に勝てばいい弁護士としてではなく自著を売り込む商売人としてでもなく、人民大衆の指導者としての政治家としてと考えると、控えめに言っても賛否分かれるスタイルと言わざるを得ません。私はこういう指導者を戴きたいとは思わないので、橋下氏が表舞台から引退してよかったと改めて思った一報でした。反対論を説得するなどして社会をシステムとして維持しようという意思を見いだせず(システム的世界観・社会観がないからこそ、彼はこの手の文革的手法に手を染めていられるわけですが)、「勢いで突破できればいい」が前面に出過ぎていて誠実さも見いだせない点。そして、個人人格攻撃になってしまいますが、「偉大な領導者」という感じがせず、ただただ「些細なことで激高する器の小ささ」が目立っています

上久保教授は、「維新の会に必要なのは、大阪都構想のような局地的な構想ではなく、日本の国家像を変えるようなより大きな構想を考え、国民全体に訴えることではないか」と指摘されます。私も維新は、大阪都構想を超える遠大なビジョンを掲げたうえで目下の課題に取り組むべきだと考えているので同感です。それに加えて私は、橋下氏信者がいる点において昔からの支持者を繋ぎ止めるために橋下氏の「援護射撃」は活用しつつも、党とは無関係の個人として一線を引いておくことを徹底すべきと考えます。
posted by 管理者 at 23:55| Comment(3) | 時事 | 更新情報をチェックする

2019年04月15日

主体的党組織論・政治論の観点から見る統一地方選候補者;候補者個人の志の高さベースではなく組織の人材的豊かさベースで政治・政策を思考すべき

今日は太陽節、偉大な首領:キム・イルソン主席の生誕記念日です!

首領様の業績はあまたありますが、その一つに党建設偉業をあげることができます。首領様におかれては主体型の党組織論を具現化した朝鮮労働党を建設され、党組織・政治組織のあるべき姿を具体的に例示されました

主体型の党組織論を一言で言い表せば、「唯一思想体系」であり、これは平易に言えば「首領−党−大衆の一心団結」であります。このことについて、キム・ジョンイル総書記は≪당의 두리에 굳게 뭉쳐 새로운 승리를 위하여 힘차게 싸워 나가자≫(党のまわりに固く団結し新たな勝利のために力強くたたかっていこう)(チュチェ84年1月1日)で次のように表現されています。
わが党には自己の指導者に忠実な中核が多くいます。党に忠実な中核がわたしを積極的に支持し助けてくれるので、キムジョンイル将軍も存在しているのです。一人では将軍になることはできません。わたしは中核の知恵をまとめて、彼らに依拠して政治をおこなっています。
最高領導者は、革命組織の脳髄として革命遂行において極めて重要な役割を発揮しますが、頭脳だけでは革命を遂行することはできるはずもなく、中核的革命戦士がいて初めて最高領導者は自らの役割を発揮し得るとおっしゃっているわけです。正しく「首領−党−大衆の一心団結」の本質を指摘されており、主体的な党組織・政治組織のあるべき姿を語っておられます。

一人では将軍になることはできません」――このご指摘を踏まえるに、政治組織においては、最高領導者の指導力は論ずるまでもなく重要ではあるが、最高領導者を補佐する「参謀たち」の立ち位置・役割にも十分にスポットライトを当てなければならないということが明らかになります。主体的立場に立てばこそ、政治とは決してリーダーのみによって左右されるものではなく、リーダーを支えるブレーンや組織の人材的豊かさによっても左右されるものだと言えるわけです。

日本では今、統一地方選挙後半戦が告示され始めています。政治の季節が到来しています。全国津々浦々で様々な熱い志を持った候補者たちが選挙戦を繰り広げています。東京都渋谷区では、若い東大卒の元アイドルが区議選に立候補しています。このことを上述の主体的党組織論・政治論で考えてみたいと思います。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190414-00000347-sph-ent
元東大卒アイドル「仮面女子」桜雪が渋谷区議選出馬で第一声「20〜30代の議員が1人もいない」
4/15(月) 6:05配信
スポーツ報知

 アイドルグループ「仮面女子」の東大卒アイドル・桜雪として先月まで活動していた橋本ゆき氏(26)は、渋谷区議選(定数34)に立候補し、選挙戦をスタートさせた。黄色のワンピースに「最年少26歳」「東大卒アイドル」ののぼり。この日午前にJR渋谷駅前で第一声を行ったのを手始めに、夜まで数か所で演説。若い世代と女性による街づくりを強調しながら「渋谷はエンターテインメントやカルチャーが集まる街だと言われますが、20〜30代の議員が1人もいない。だからこそ若い世代の声で挑戦したい」と主張した。


(以下略)
言いたいことの動機やニュアンスはよくわかります。掲げている具体的政策が異なるので支持はし得ませんが、若者の感性を導入して渋谷区政を刷新したいという志と勇気あるチャレンジには深い敬意を表します。しかしながら、組織論の面で考えると、「この人の政策参謀は誰なんだろう?」「まさか、自分自身の感性で政治・政策を推進しようとしていないかしら?」という疑問・疑念が出て来ざるを得ません

政治に限った話ではないと思いますが、何か物事を成し遂げようとすれば、自分ひとりの力だけでは不十分です。挑戦対象が大きければ大きいほど、関与や影響を受ける人が多ければ多いほどに他者と協力して組織的に従事する必要が生じます。政治の本質は多くの人々の間での利害調整であり、また、一個人の頭の中だけでシミュレーションし切れないほどに巨大・複雑なシステムであるため、政治への従事にあたっては高度な組織的協力関係が必須:政策参謀の助言は不可欠です。それゆえに、個人的感性は調整の過程で原型からかなり変形するものです。

20〜30代の議員が1人もいない。だからこそ若い世代の声で挑戦したい」という候補者本人の訴えの動機は前述のとおり直感的に理解・共感できるものですが、高度な組織的協力関係を必須的に要求する政治活動においては、自分個人の思い・感性や志を連呼するだけではなく自分自身を支えてくれる政策参謀や組織的協力関係の存在についても同等程度には強調して宣伝すべきです。自分個人の思い・感性や志を連呼するだけだったらリベラルと言う名の観念論者たちにだってできる簡単な仕事です。

厳然たる客観的事実から出発して世界を変革しようとすればこそ、「一人では将軍になることはできません」というキム・ジョンイル総書記の教えを思い出し、キム・イルソン主席が開拓なさった「首領−党−大衆の一心団結」という高度な組織的協力関係を例としてを意識しつつ、主体的な党組織論・政治組織論に立って候補者個人の志の高さベースではなく組織の人材的豊かさベースで政治・政策を思考すべきでしょう。たとえ中高年候補であっても、その人を支える政策参謀たちに若い感性があれば、老人の操り人形と化している若者候補より有用です。政策参謀が貧弱な「個人事業主」など何の役にも立たないと言い切ってしまってよいでしょう。

政治家・候補者の真価には、それを支える政策参謀の存在が大きな要素として存在していますキム・ジョンイル総書記が「一人では将軍になることはできません。わたしは中核の知恵をまとめて、彼らに依拠して政治をおこなっています。」とおっしゃったとおりなのです。

主体的な党組織・政治組織のあるべき姿を開拓された偉大な首領様の生誕記念日を熱烈に祝賀いたします!
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2019年04月13日

朝鮮労働党中央委員会第7期第4回全員会議と最高人民会議第14期第1回会議から読み取る布陣と確固たる意志

共和国でも政治の季節です。朝鮮労働党中央委員会政治局拡大会議が9日に、中央委員会第7期第4回全員会議が10日に、最高人民会議第14期第1回会議が11日に開催されました。今回は、人事の面から最新のキム・ジョンウン体制を読み解いてみたいと思います。

■唯一無二の権力を掌握された最高領導者同志
共和国は「党の指導性」が憲法で定められているので、その政治力学分析においては、朝鮮労働党内での職務・地位・役割の動向分析が何よりも重要です。下記記事は、10日の中央委員会第7期第4回全員会議から推察され得るキム・ジョンウン同志の地位について報じています。
https://jp.yna.co.kr/view/AJP20190411001800882
金正恩氏の地位強化か 一人で党中央委総会の壇上に
記事一覧 2019.04.11 14:19

【ソウル聯合ニュース】韓国統一部の当局者は11日、北朝鮮が前日の10日に朝鮮労働党の中央委員会総会を招集したことと関連し、金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党委員長)の地位が昨年よりも強化されたとの見方を記者団に示した。昨年の党中央委総会ではひな壇に金委員長を含む常務委員が座っていたが、今年は金委員長だけが壇上にいたことをその理由に挙げた。


(以下略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00000022-cnippou-kr
4人が座った主席壇に金正恩委員長だけ…「絶対権力を象徴」
4/12(金) 13:58配信
中央日報日本語版


(中略)

北朝鮮メディアによると、この日の会議では自力更生問題、国家指導機関構成案、組織問題などを議論して決定した。特に今回は過去の会議とは違い、金正恩委員長(党委員長)が会議場の舞台の主席壇に一人で座って会議を進めた。韓国統一部の当局者は「昨年開かれた全員会議では金委員長が常任委員3人と並んで主席壇に座っていた」とし「今回一人で座ったのは、金委員長の絶対的権力を象徴しながら強化された地位を表している」と分析した。

(以下略)
「共和国においてこそクレムリノロジ―的分析が有効だ」という持論の私としては、主席壇にキム・ジョンウン同志ただ一人が登壇されたことを根拠にキム・ジョンウン同志が唯一無二の権力を掌握なさったとする分析に100%賛同します(共産圏諸国はこういう所に重大な意味を付与するものです)。キム・ジョンイル同志の急逝によって急遽発足した現体制。今回の第7期第4回全員会議を以ってキム・ジョンウン同志の唯一無二の権力確立を内外に宣言したと言えるでしょう。

■全朝鮮人民の総意という形で国務委員長に推戴された最高領導者同志
そして11日、最高人民会議第14期第1回会議が招集されました。党の唯一無二の権力者としての地位を内外に宣言した以上、政府機関においても何らかの地位が与えられるはずですが、まさにそのとおりの展開になっています。キム・ジョンウン同志におかれては、全朝鮮人民の総意を代表する形を以って共和国国務委員会委員長に推戴されました
http://www.kcna.co.jp/calendar/2019/04/04-12/2019-0412-002.html
김정은동지를 조선국무위원회 위원장으로 추대
キム・ジョンウン同志を朝鮮国務委員会委員長に推戴

(평양 4월 12일발 조선중앙통신)최고인민회의 제14기 제1차회의에서는 경애하는 최고령도자 김정은동지를 조선민주주의인민공화국 국무위원회 위원장으로 높이 추대하였다.

(ピョンヤン4月12日発 朝鮮中央通信)最高人民会議第14期第1回会議において、敬愛なる最高領導者、キム・ジョンウン同志を朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長に高く推戴した。

최고인민회의에서는 전체 조선인민의 총의를 대표하여 탁월한 사상리론적예지와 로숙하고 세련된 령도로 온 사회의 김일성-김정일주의화의 새 력사를 펼치시고 인민대중제일주의, 우리 국가제일주의로 사회주의조선의 정치사상적힘과 무진막강한 국력을 최상의 경지에서 떨쳐가시는 김정은동지께서 조선민주주의인민공화국 국무위원회 위원장으로 높이 추대되시였음을 내외에 엄숙히 선언하였다.
最高人民会議では、全朝鮮人民の総意を代表して、卓越した思想理論的英知と老熟し洗練された領導で全社会のキム・イルソン−キム・ジョンイル主義化の新しい歴史を展開され、人民大衆第一主義・我が国家第一主義で社会主義朝鮮の政治思想的な力と無尽強大な国力を最高の境地に発揚させたキム・ジョンウン同志におかれては、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長に高く推戴されたことを内外に厳粛に宣言した。

경애하는 최고령도자동지를 조선민주주의인민공화국 국무위원회 위원장으로 높이 추대한것은 우리 조국을 영원한 김일성, 김정일동지의 국가로 더욱 공고발전시키고 주체혁명위업을 대를 이어 끝까지 완성해나가는데서 중대한 력사적의의를 가지는 대정치사변이며 태양조선의 무궁한 미래와 민족만대의 번영을 담보하는 혁명적대경사이다.
敬愛なる最高領導者同志を朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長に高く推戴したことは、私が祖国を永遠にキム・イルソン同志、キム・ジョンイル同志の国としてさらに強固に発展させ、チュチェ革命偉業を代を継いで最後まで完成していく上で重大な歴史的意義を持つ大きな政治的出来事であり、太陽朝鮮の限りない未来と民族万代の繁栄を担保する革命的大慶事である。

경애하는 최고령도자동지를 공화국의 최고수위에 변함없이 높이 모신것은 비범한 정치실력과 거창한 혁명실천으로 조선로동당과 우리 국가를 곧바른 승리의 한길로 이끄시여 후손만대의 찬란한 미래를 펼쳐주신 최고령도자동지에 대한 전체 당원들과 인민들, 인민군장병들의 열화와 같은 흠모와 신뢰심의 발현이다.(끝)
敬愛なる最高領導者同志を共和国の最高首位に変わることなく高く奉ることは、非凡な政治的実力と大いなる革命実践で、朝鮮労働党と我が国をまっすぐな勝利の一本筋に導き、子孫万代の輝かしい未来を広げてくださった最高領導者同志に対するすべての党員と人民、人民軍将兵の烈火のような敬慕と信頼の心の発現である。(終)
3月23日づけ「最高人民会議第14期代議員選挙結果を読む」でも参考記事を引用する形で触れましたが、国務委員長の資格は最高人民会議代議員に限定されてはいません。今回キム・ジョンウン同志は、特定の選挙区で当選し最高人民会議で国務委員長に指名される形ではなく、各選挙区から選出された代議員たちに推戴される形で国務委員長を奉職されました。上掲過去ログでも引き合いにだした、キム・ジョンイル同志が党総書記に推戴されたのと似た展開(自らも委員として参加している党中央委員会の全員会議において指名されて就任するのではなく、全国の党細胞が個別に開いた代表会での推戴決議を引き受ける形で就任)です。

3月13日づけ『ハンギョレ』紙は、キム・ジョンウン同志が最高人民会議代議員選挙に立候補なさらなかったことについて、「金委員長を特定の選挙区ではなく、“全人民の代議員”に推戴し、象徴的な地位を与える可能性」と指摘しましたが、「当たらずとも遠からず」の結果になったと言えるでしょう。各選挙区選出の最高人民会議代議員たちに推戴されることで「全人民の代議員」になり、そこから国務委員長に選出されるのではなく、各選挙区選出の最高人民会議代議員たちに推戴されることで、ストレートに「全人民の国務委員長」になられたわけです。

■「大統領」にはなられなかったが権力構図には変化が表れている模様
ところで、キム・ジョンウン同志が最高人民会議代議員選挙に立候補なさらなかったことを以って「彼は大統領になる」という推測が一部に広がりました。3月23日づけ記事で私は、「キム・ジョンウン同志を対外代表権を持つ地位につける必要がある点において何らかの組織改正が予定されていると思われるものの、それが最高人民会議代議員選挙に立候補しなかった理由にはならないだろう」と懐疑的に評したところですが、やはり「大統領就任論」は当たりませんでした

ただ、職名こそ変わっていないものの、権力構図には変化が表れているという分析が出てきています
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190413-00033233-hankyoreh-kr
金正恩委員長「対外的国家首班」兼任か…側近の中庸で大幅な世代交代
4/13(土) 12:58配信
ハンギョレ新聞


(中略)

 10日から続いた労働党会議や最高人民会議を通じて明らかになった「第2期金正恩政権」をけん引する主要ポストの人選結果は、唯一無二の最高指導者として金正恩委員長の地位の強化▽金委員長の側近の躍進に伴う大々的な世代交代▽国務委員会の強化と機能の拡大▽「安保外交」から「外交安保」へと対外関係の重点が移動した兆候などで要約できる。

(中略)

 新任の崔竜海常任委員長が、組織体系上の国務委員長の下の国務委員長第1副委員長を兼職したことや、会議第3議案が「憲法の修正・補足」であることから、北朝鮮の対外的な国家首班が既存の最高人民会議常任委員長から国務委員長に調整されたものと見られる。政府当局者は「憲法改正の内容が公開されるまで、まだ確認はできないが、その可能性が非常に高い」と述べた。元高官や統一研究院のホン・ミン北朝鮮研究室長らは「金委員長が国家首班になったと思われる」と指摘した。

 権力序列上、“ナンバー2”になった崔竜海常任委員長は、これまで務めてきた労働党組織指導部長から退いたものと見られる。キム・インテ国家安保戦略研究院責任研究委員は「崔竜海が常設職(最高人民会議常任委員長と国務委員会第1副委員長)を新たに任され、また他の常設職の労働党(組織指導)部長との兼職はほとんど不可能だ」と説明した。北朝鮮政治の専門研究者のキム・グァンウン国史編纂委員会編史研究官は「崔竜海が実質的というよりは象徴的な地位を維持する可能性がある」と見通した。


(中略)

 電撃的に抜擢されたキム・ジェリョン新首相は「宣誓」で、「無能力な事業態度や慢性的な形式主義、保身主義、消防隊式(一時しのぎ)の業務態度と断固として決別し、敵らの制裁封鎖を自強力の増大の機会にしていく」と誓った。80歳で高齢であるパク・ボンジュ前首相は、党副委員長と国務委員会副委員長として、「経済総括司令塔」を務める可能性があると、国家安保戦略研究院が分析した。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00000019-reut-kr
北朝鮮が人事刷新、最高人民会議常任委員長に崔竜海氏=KCNA
4/12(金) 7:45配信
ロイター

[ソウル 12日 ロイター] - 北朝鮮が最高人民会議(国会に相当)常任委員長と首相を交代し、指導部を刷新した。国営の朝鮮中央通信(KCNA)が12日に伝えた。外交や経済再建で重要な役割を果たしてきた幹部2人を入れ替える。国務委員長には予想通り金正恩委員長が再任された。

今回初めて国営メディアは金氏を「supreme representative of all the Korean people」と言及。AP通信によると、この肩書きは2月に特別法令で承認された。ただこれまで公に使われたことはなかった。


(以下略)
キム・ジョンウン同志が党内で唯一無二の権力者になられたこと、そしてそれに伴い政府機関でも国務委員長に再選されたことはこの数日間の展開で間違いのないことと言い切ってよいと考えられます(それで話題の9割方は尽きるのですが・・・)が、キム・ジョンウン同志の職名については、意味深にも「憲法改正」に関する報道がなされていない点、もうしばらく様子見が必要そうです。

■チャガン道党委員長が首相に抜擢された意味
キム・ジョンウン同志の地位や職名以外について見てみましょう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00000024-yonh-kr
金正恩氏が再び国務委員長に 首相は金在龍氏に交代=北朝鮮
4/12(金) 7:26配信
聯合ニュース

【ソウル聯合ニュース】北朝鮮の朝鮮中央放送は12日、金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党委員長)が11日の最高人民会議(国会に相当)で国務委員長に再び推戴(当選)されたと報じた。また、慈江道党委員会の金在龍(キム・ジェリョン)委員長が首相に任命された。

 10日に開かれた党中央委員会総会で、金在龍氏は党政治局委員になっていた。朴奉珠(パク・ボンジュ)首相が党副委員長に選出されたことから、首相交代の可能性が取りざたされていたが、金在龍氏が朴氏の後任に任命されたことが確認された。

 最高人民会議常任委員会の委員長は、金永南(キム・ヨンナム)氏から崔竜海(チェ・リョンヘ)党副委員長に交代した。崔氏は国務委員会第1副委員長にも選ばれ、事実上の北朝鮮「ナンバー2」の座を固めることになった。

 また、対米交渉担当の金英哲(キム・ヨンチョル)党副委員長、李容浩(リ・ヨンホ)外相、崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官がそれぞれ国務委員会の委員に選ばれた。崔善姫氏が国務委員に選ばれるのは初。


(以下略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00000029-cnippou-kr
北朝鮮ナンバー2崔竜海氏が国家首班に…北、正恩氏以外すべて変更
4/12(金) 15:06配信
中央日報日本語版

北朝鮮の権力ナンバー2に選ばれた崔竜海(チェ・ヨンヘ)労働党副委員長が11日、国務委員会1副委員長兼対外的国家首班となった。また、北朝鮮は金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長を再推戴し、内閣総理には金才竜(キム・ジェリョン)元慈江道(チャガンド)党委員長、最高人民会議議長(国会議長格)に朴泰成(パク・テソン)氏を選出し、国務委員長を除く国家首班と行政府、立法府の首長を交代するなど大々的な人事を行った。北朝鮮官営の朝鮮中央通信は12日、前日に開かれた14期第1回最高人民会議(定期国会)について報じ、「11日に開かれた最高人民会議14期第1回会議で金正恩国務委員長が再び推戴された」とし、「最高人民会議常任委員長に崔竜海が、内閣総理には金才竜が選出された」と明らかにした。


(中略)

最高人民会議常任委員長になった崔竜海氏は金日成(キム・イルソン)主席と抗日武装闘争を共に行った崔賢(チェ・ヒョン)元人民武力部長の息子で、パルチザン一族の象徴とされる人物だ。1990年代後半に地方工場の労働者に降格される革命化過程を経もしたが、金正恩時代になり軍の最高職責の1つである総政治局長を歴任するなど権力の頂点に位置してきた。金才竜新任内閣総理については公開された情報は多くないが、彼が戦力消費が多い軍需工場の本山・慈江道で戦力確保に成果を上げたことで金委員長の目に留まったという話だ。したがって、国際社会の対朝制裁の中で自力更正を強調している北朝鮮が金才竜首相の手により経済再生に取り組もうとする布石ではないかという見解が多く見られる。

前日に行われた労働党全員会議で候補委員を経ずに党中央委委員に「直行」し注目された崔善姫(チェ・ソンヒ)外務省副相は最高人民会議で断行された国家機関人事でも浮上した。通信によると最高人民会議は崔善姫副相を国家主権の最高政策的指導機関(106条)の国務委員会委員の1人に選んだ。北朝鮮は11人の国務委員を構成したが、李洙ヨン(イ・スヨン)党副委員長(国際担当)、李容浩(イ・ヨンホ)外相などと肩を並べたのだ。北朝鮮首相を歴任した崔永林(チェ・ヨンニム)氏の娘である崔善姫氏は昨年シンガポールでの米朝首脳会談実務交渉代表を担うなど1990年代中盤から米朝交渉に関与してきた。ことし2月、ベトナム・ハノイでの第2回米朝首脳会談実務交渉代表は金赫哲(キム・ヒョクチョル)にしばらく明け渡したが、現場で金委員長と対策会議を行い、会談決裂の後には記者会見などで金委員長の「考え」を西側メディアに伝えるなど格別の信頼を受けてきた。

一方、労働党の核心的政策決定機構である政治局構成員の半数を交替した北朝鮮は軍と司法府を除く国家機関の首長を新たに選んだ。内閣に船舶工業部を新設し、5人の長官級要人も交代した。全賢俊(チョン・ヒョンジュン)韓半島平和フォーラム副理事長は「今回の人事の特徴は金永南(キム・ヨンナム)元最高人民会議常任委員長と病床についている崔泰福(チェ・テボク)最高人民会議議長など90歳以上の高齢の元老グループの後退」とし、「金正日総書記の死去後に突然権力を受け継いだ金委員長が執権2期をむかえ、世代交代を断行したもの」と分析した。
私は、チャガン(慈江)道党委員長だったキム・ジェリョン同志が、経済作戦の司令塔としての役割を期待されている首相に選出されたことに注目しました。チャガン道といえば、苦難の行軍の時代に名を馳せた「カンゲ(江界)精神」を何よりも先に思い出さざるを得ません。カンゲ市はチャガン道の道庁所在地です。
http://korea-np.co.jp/sinboj2002/3/0301/61.htm
「江界精神」で困難に打ち勝った慈江道
日々好転する人々の暮らし

 こんにち、朝鮮では「強盛大国建設の新たな飛躍を遂げよう」というスローガンのもと、各地の工場、企業所で新たな革新が毎日のように生み出されている。社会主義市場の崩壊、相次ぐ自然災害による経済難と食糧難が重なった1990年代の中頃からの「苦難の行軍」。前代未聞の試練の時期を乗り越え、不死鳥のごとくよみがえった朝鮮の底力の源流は慈江道の人々が発揮した「江界精神」から探すことができる。「苦難の行軍」から「楽園への行軍」に移った慈江道はどのように変わったのか。
「苦難の行軍」を乗り越え

 「平壌市民の暮らしに勝るとも劣らないでしょう。私たちはもう『楽園への行軍』をしているんです」。慈江道の人々は最近、口を揃えて得意げにこのように話す。

 面積の80%が山地である慈江道は農業生産高が低く、「苦難の行軍」の時期、国家が食糧を思うように配給できなくなったとき、他のどの地域よりも大きな被害を被った。非常用として備蓄していた食糧を数キロずつ分けて道内にあるすべての工場や企業所に配給したものの幾日も持たなかった。こうした状況下、慈江道では炭化した葦の根を「代用食品」とする一方、さまざまな草の根や木の皮の栄養成分を分析する研究機関まで発足させ、食糧問題解決に奔走していた。

 そんななか、当時江界トラクター工場で技能工として働いていたリ・グァンピル氏(49)は食べるものを求め、妻と2人の子どもを残し農村に住む親せきを頼って平安北道へと向かった。親せきの家で10日ほど世話になったがそれ以上迷惑をかけることはできなかった。親せきにも家族がいた。苦労を分かち合う姿を見てリ氏は自身を恥じた。

 慈江道では食糧難と経済難克服のため、大小様々な河川に中小型発電所の建設を積極的に展開した。リ氏も必要な資材をかき集めながら発電所建設に取り組んだ。その結果、「苦難の行軍」の時期、新設もしくは復旧、整備した中小型発電所は300を超え、道内の工場や企業所はもちろん、農場や住宅にも電気を供給することができるようになった。電力が解決すると、味噌をはじめとする基礎食品や生活用品が徐々に生産されるようになった。

 「まさか自分たちにこんな力があるとは思いませんでした。社会主義とは結局、団結力なんです」とリ氏。「『苦難の行軍』も、今では昔の話ですよ」と微笑んだ。


(以下略)
自力更生が訴えられている昨今において、カンゲ精神発祥の地であるチャガン道党委員会出身のキム・ジェリョン同志が首相を奉職したことは、単にチャガン道が朝中国境に近く、また軍需産業が盛んでロケット発射基地が存在する地域であること以上の意味を感じざるを得ません

キム・ジェリョン同志と交代したパク・ボンジュ同志は、党副委員長・国務委員会副委員長を奉職しました。パク・ボンジュ同志は長く経済畑でキャリアを積み、慎重ながらも着実に経済改革を実施してきた要人です。依然として経済政策は内閣中心で行って行くつもりなのでしょうが、党要職にパク・ボンジュ同志を据えることによって内閣と党の連携を図るつもりなのかもしれません

■対米交渉担当者の人事を見るに外交の基本路線に違いはないと見るべき
対米交渉担当者についても考えておきたいと思います。党副委員長のキム・ヨンチョル同志、外務省のリ・ヨンホ同志、チェ・ソンヒ(ソニ)同志がそれぞれ国務委員会の委員に選ばれました。2月の朝米首脳会談が合意に至らなかったことについて最近、担当者たちに問責があったという報道が出てきていますが、仮に多少のコトがあったとしても、こうして主要の面々が国務委員に選出された以上は、基本路線に違いはないと見るべきでしょう(だいたい、遊びで外交をやっているわけではないのだから、合意に至らなかった=任務を達成できなかったのであれば、職務上の責任追及はあって当然でしょう)。

■総括
いわゆる「サプライズ」はなかったものの、キム・ジョンウン同志が唯一無二の権力を掌握されたことを内外に宣言する写真の配信、チャガン道党委員長を首相に抜擢した人事、対米交渉担当者の人事は、いずれもキム・ジョンウン同志と朝鮮労働党・共和国政府の布陣と確固たる意志を感じるものと言えます。
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2019年04月10日

韓「国」らしからぬ反帝・革命的世論展開

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000135-kyodonews-int
渋沢栄一の新1万円札採用を批判 韓国メディア「収奪の主役」
4/9(火) 19:47配信
共同通信

 【ソウル共同】日本政府が新1万円札に実業家渋沢栄一の肖像画を採用すると発表したことを受け、韓国メディアは9日、渋沢が「日本の帝国主義時代に朝鮮半島の経済を奪い取った主役だった」と強調した。


(以下略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190409-00000116-sph-soci
渋沢栄一の新紙幣肖像に「韓国に対する配慮が欠けているのでは」聯合ニュース報じる
4/9(火) 19:46配信
スポーツ報知

 財務省が9日に2024年をめどにデザインを刷新すると発表した紙幣(日本銀行券)に関し、1万円札の肖像に渋沢栄一が使われることに対して韓国内で批判が出る可能性があると聯合ニュース(韓国語電子版)が報じた。
 
 聯合は、「朝鮮半島の経済利権を侵略した急先鋒(せんぽう)に立っていた男が、新紙幣に描かれようとしている」と報道。韓国内で議論の対象となると予測している。


(以下略)
収奪! 「日帝(日本帝国主義)」という言葉を使う割に、帝国主義の何たるかについては丸で理解しておらず、日本に「反省」を求めてきた韓「国」らしからぬ世論展開です。

レーニンによれば、帝国主義とは、「資本主義の最高の段階」であり、弱小国の植民地化・列強間の植民地争奪戦争は必然的であるとされます。資本主義社会とは、マルクス経済学においては「自己増殖する価値の運動体」である資本の増殖を経済活動の第一目的とする社会を指します。資本主義社会においては、利殖が経済活動の第一目的であるがゆえに、人間のための経済活動ではなく「経済活動のための人間」という本末転倒的事象が発生(人間の自己疎外が発生)し、人々は暴走する資本の論理に否が応でも従うことを強制されます。

人間は、資本主義社会においては否が応でも資本の論理を強制されるものであり、それが最も高度化した段階・資本主義の発展の必然的帰結が帝国主義であり、帝国主義は弱小国の植民地化や列強間の植民地争奪戦争が必然的に引き起こすのであれば、帝国主義による植民地支配について「反省」を求める言説は、道理に合わないと言うべきでしょう。資本主義体制である限り、帝国主義による弱小国植民地化等は人間の意志で押しとどめられるものではないのですから。

もっとも、「日本帝国主義の植民地支配に対して反省を求める」という論理的に苦しい立場・行為は、韓「国」としては取り得る唯一の道であるとも言えます。「大韓民国臨時政府」をルーツとして主張する韓「国」としては、「反大日本帝国」をアイデンティティとせざるを得ず、その統治を唾棄すべきものとして位置付ける他にはありません。他方、帝国主義とは資本主義の必然的帰結の形態を指すので、「反帝国主義」を貫こうとすると「資本主義体制を放棄」という課題にブチ当たることになり、イデオロギー的分断国家としての韓「国」にはアイデンティティが揺らぐレベルの特大級ブーメランが返ってくることになります。それゆえ、これまで韓「国」は、「反大日本帝国」と「資本主義体制」を両立するため、日本帝国主義の植民地支配について言及しつつも深入りはし過ぎないように「反省を求める」程度にとどめざるを得ず、結果として論理的に苦しい立場に立ってきたのです。

渋沢栄一を触媒として日本帝国主義と経済収奪を結び付ける言論は、論理的にムチャな「反省を求める」を実態として乗り越える内容になっています。韓「国」らしからぬ世論展開。헬조선への不満も充満していることですから、革命的言論に浸透の余地が見えてきました。

なお、渋沢栄一は、著書『論語と算盤』を見るに、道徳・倫理と経済活動の両立を目指していたことは明白です。この姿勢は私としても師と仰ぐべき姿勢と考えています。巷の吸血鬼的資本家どもとは根本的に異なります。しかしながら、チュチェの社会主義者として、「高潔な資本家ではあったが、あくまでもそのプランは資本主義の枠内に留まるもの」と評せざるを得ません。
ラベル:政治
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2019年04月08日

大阪府民・市民は「吉田松陰マインド」を身につけたのか?

統一地方選挙、大阪府知事・大阪市長のダブル選挙は、大阪都構想の推進を掲げる維新が両方とも勝利しました。

■大阪府民・市民は「吉田松陰マインド」を身につけたのか?
大阪都構想の住民投票が僅差否決されてから約4年。思いがけず時間が経過したものです。4年前、大阪都構想推進派の敗戦の弁は実に醜かった。「政策は正しかったが、情勢が悪かった」「市民が構想を理解できなかった」――20世紀を通して完膚なきまでに叩き潰された典型的な前衛意識丸出しの負け惜しみを形振り構わず喚き散らしたものでした。「現代人に足りない「吉田松陰マインド」」なる意味不明な記事まで飛び出してきたものでした(「人民の共産主義精神が足りないから革命が上手くいかないんだ!」と何が違うというのでしょう?)。

チュチェ104(2015)年5月23日づけ「維新の党は21世紀の前衛党――生活と人間知性の限界に基づく大規模急進的改革批判」でも述べたとおり、国家・社会のしくみは、生活者としての人民大衆が「究極の現実」である日々の生活行為の合成として自生的に形成してきた秩序であり、長い時間をかけて生活の場で動作確認されてきたものです。「国家百年の計」などと称して、一部のエリートが頭のなかで紡ぎ出したものではありませんし、頭のなかで設計することなどできません。理念世界の国家ではなく、現実の生活者としての人民大衆こそが「リトマス紙」なのです。

その点、人民大衆の支持が受けられていない段階での「政策は正しい」という主張には、根拠がありません。改革を志すのであれば、人民大衆に受け入れられる規模の政策にスケールダウンし、小規模の構想を1つずつ実現することを通して段階的・漸進的に構想を実現してゆく以外に方法はないのです。

あれから約4年。一般的に、選挙で勝ったということはすなわち、その候補者が掲げた政策が信任されたということです。今回のダブル選挙では都構想が大きなテーマだったので、その推進を掲げた維新候補が両方とも勝利したということはすなわち、都構想が府民・市民に理解され信任されたということを意味すると見るのが通常の見立てです(私は、「選挙結果は必ずしも民意ではない!」などと平然と言えるほど恥に対して鈍感ではありません)。

しかし、どうもそうではないようです。松井新市長自ら告白しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190407/k10011876181000.html
大阪市長選 松井氏 当選確実
2019年4月7日 22時18分選挙


(中略)

松井氏「大阪都構想 丁寧に議論し最終的には住民に判断」
松井氏は記者会見で、「大阪府と大阪市が一体で、二重行政をなくしていくことに対して、大勢の人たちから『大阪を住みやすい街にするように』という判断をいただいたと思う。大勢の思いを受け止めて、謙虚な心で、これから市政運営にあたっていきたい」と述べました。

また松井氏は「大阪都構想については、大阪府議会議員選挙と大阪市議会議員選挙の結果が出なければ、どう進めていくか、はっきり申し上げることはできない。しかし、都構想に反対する声もあったのは事実なので、反対の意見も聞きながら丁寧に進めていきたい。今回の選挙で、市民はまだ都構想の中身を理解していないという声が多かったので、丁寧に議論したうえで、最終的には住民に判断していただきたい」と述べました。


(以下略)
今回の選挙で、市民はまだ都構想の中身を理解していないという声が多かった」――結局約4年かかっても「吉田松陰マインド」は定着していないということに他なりません。それを松井氏自身が認めているわけです。

振り返ればこの4年間、大阪都構想が漸進的に積み重ねられてきたと言えるような現象・事象があったと言えるでしょうか? 府民・市民に対して政策宣伝が継続的に行われてきたと言えるでしょうか? 完全に鳴りを潜めていたのが、選挙前の昨年12月になって俄かに蒸し返されてきたに過ぎないのではないか、府民・市民の理解ベースではなく政局ベース:府民・市民の都合ではなく政治力学の都合で再度、構想を持ち出してきたに過ぎないのではないかという疑念が生じざるを得ないところです。松井新市長の告白は、このことを認めているに等しいものであると言うべきでしょう。

■政権担当能力を持つ政党としての安定感を持ち始めた維新――橋下復帰を待望せず
ちなみに、松井新市長は「丁寧に議論したうえで、最終的には住民に判断していただきたい」と述べています。橋下時代の維新は、橋下氏の強烈な個性ゆえに文化大革命まがいの手法を多用してきましたが、橋下氏が政治の一線から引退し、松井・吉村体制になってから些か「丸く」なってきたように思います。前回の都構想住民投票は、とても府民・市民の理解が深まっているとは言えない中での拙速で急進的な住民投票だったので、漸進主義者である私は反対の立場を取らざるを得ませんでしたが、文革色が相当に消えつつある維新が丁寧な議論を展開し、府民・市民の理解が深まった上での住民投票であれば、私は反対する理由はないと考えています。

「橋下なき維新は果たしてやっていけるのだろうか?」と思っていましたが、一時期の飛ぶ鳥を落とす勢いはなく、あくまでも大阪エリアの地域政党ですが、軌道に乗ってきたと思います。橋下徹という文革的手法を好む強烈な個性が表舞台から立ち去ったことが、政権担当能力を持つ政党としての安定感を生み出しています。

■総括
維新が単なる「はやりもの」ではなくなってきたことが明らかになったダブル選挙、しかし、彼らが掲げている一大テーマは依然として府民・市民の理解が深まったとは言い得ない発展途上段階にあるということが明らかになったダブル選挙でした。
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2019年04月07日

新元号へのケチつけに見られる日本リベラル界の危機的状況

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000021-tospoweb-ent
ウーマン村本「平成ノブシコブシもついでに終わりますように。。」
4/1(月) 15:00配信
東スポWeb


(中略)

 ジャーナリストの江川紹子氏(60)は「私なんかは『令』の字からは『命令』とか『令状』とかって言葉が思い浮かんでしまうのだけど、若い世代には『れい』という音がウケるかも、という気がしなくもない」とコメントし「元号は漢籍から引くという長い伝統と慣例を破ってでも国書にこだわったようだけど、元をたどれば漢籍という…」と続けた。

(以下略)
新元号へのケチつけが面白い。今回は江川紹子氏。リベラル派知識人の代表格である江川氏の思考回路・社会歴史観をあぶりだしている点において、「リベラルの正体」を見破るにあたって貴重なサンプルになっています。

『令』の字からは『命令』とか『令状』とかって言葉が思い浮かんでしまう」というのは今回はスルーすることとして、「元号は漢籍から引くという長い伝統と慣例を破ってでも国書にこだわったようだけど、元をたどれば漢籍という…」というくだりに注目しましょう。

■あぶりだされるその社会歴史観
こうした言説について、奈良大学文学部の上野誠教授は以下のように述べています。江川氏の見識の浅さに対する強烈な直撃弾といってもよい内容になっています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190403-00010007-abema-soci
国書からの引用は日本の右傾化?複雑化する東アジア情勢・グローバル化を反映?万葉集の研究者が新元号「令和」を読み解く
4/3(水) 14:12配信
AbemaTIMES


(中略)

 上野教授は「万葉集ではない方が良かったという人もいるが、だったら書経とか易経とか詩経を皆が読んでいるのか、という話になる。万葉集は源氏物語と並んで、先生と一緒であれば読むことのできる並ぶ国民文学。そこから取るということで元号が身近になる。また、この序文自体が漢文である中国の『文選』という書物の『帰田賦』から取っている、という点からの批判もある。しかし古典というものは、過去にあるものをちょっとずつ変えながら作っていくもので、いきなりピカソやダリのようなものが出てくるというのは近代的な考えだ。『帰田賦』だって、その元がある。“重ね絵“のように作っていくものだし、それが日本の文化の素晴らしいところだと考える。日本はオリジナルを作るのは不得意で、“改良型“。逆にいうと、それが良でもあると思う」と指摘する。

(以下略)
古典というものは、過去にあるものをちょっとずつ変えながら作っていくもので、いきなりピカソやダリのようなものが出てくるというのは近代的な考えだ」というのは、社会歴史観として的確なご指摘です。

文化は積み重ねの上に築き上げられるもの。政治も経済も社会も、すべて過去からの積み重ねの上で形成されるもの。物理学でいう相転移のような社会現象――平たく言えば、革命的現象――だって、何もないところから湧いてくるものではなく過去からの積み重ねの上で発生するものであり、その点において過去からの継続であるわけです。自然界には、過去と断絶し無関係なものはあり得ません。そこに至るまでには積み重ねがあるのです。すべてにおいて無から有は生まれ得ず、すべては過去からの継続です。

上野教授のご指摘を踏まえるに、リベラル派知識人の代表格である江川氏にあっては、社会や歴史には彗星の如く登場する「飛躍」があり得るという、事実に反する観念が存在していると推察できます。江川氏の社会歴史観があぶりだされています。

■偏狭なそのオリジナル論の危うさ
そもそも、知識人たる者はいつの時代も必読文献の表現・内容を引用しつつ自分の作品を展開するもの。万葉集はさまざまな身分・階層の人々が詠んだ和歌の歌集ですが、漢籍の表現を踏まえた表現が出てくることは至極当然のことでしょう。何を踏まえる・引用するかは詠み人の感性・判断であり、その点においてその作品は、漢籍を踏まえていたとしても詠み人の作品であり日本の作品であると言えます。

毎日新聞は、識者コメントを紹介する形で次のように報じています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000087-mai-soci
令和の出典、漢籍の影響か 1〜2世紀の「文選」にも表現
4/1(月) 20:55配信
毎日新聞


(中略)

 平安前期ごろまでに成立した日本書紀をはじめとする古典は、中国古典の表現を元にして書かれた部分が多いとされる。元号の出典にする場合、「中国の古典の表現を孫引きすることになる」との指摘が出ていた。だが、元号に詳しい所功・京都産業大名誉教授は「日本人は外国から取り入れたものを活用してきたわけで、単なるまねではなく、自分たちのものとして利用してきた」と評価する。

 中国古典学の渡辺義浩・早稲田大教授は、文選の句について「意味は万葉集と基本的に同じ。文選は日本人が一番読んだ中国古典であり、それを元として万葉集の文ができていると考えるのが普通」と指摘する一方、「東アジアの知識人は皆読んでいた。ギリシャ、ローマの古典を欧州人が自分たちの古典というのと同じで、広い意味では日本の古典だ」と意義づける。

 今回初めて漢籍から選ばれなかったことに注目が集まるが、中国哲学の宇野茂彦・中央大名誉教授は「日本の文化というのは漢籍に負うところが非常に多い。文化に国境は無い。漢籍を異国の文化だと思わないでほしい」と語る。


(以下略)
古来より日本人は異文化の中からも柔軟に「いいとこ取り」を続けてきており、「完全オリジナル」にはあまりこだわらず、思い思いの作品を創り上げてきたというわけです。

「文化は積み重ねの上に築き上げられるものである」という事実を踏まえず、「元をたどって漢籍に行き着くのであれば、それは純粋な意味での『国書へのこだわり』には当たらない」と言っているに等しい江川氏の発言からは、「オリジナル作品とは、他人の過去の作品とは一切断絶・無関係のモノを言う」という前提の存在を読み取ることができると言えます。「オリジナル性の担保のためには他者由来の要素を徹底的に排撃しなければならない」という結論に至らざるを得ない点において、これはかなり偏狭な「オリジナル」の定義であると言わざるを得ません。

江川氏が実行力あるいは扇動力を持っていなければよいのですが、こうした人物が何らかの新しいアイディアを思いついて実行または扇動した時が怖い。革新性やオリジナル性を強調するあまり、他者由来の要素を徹底的に排撃すべく何のためらいもなく過去を断絶しかねないからです。幾世代にも渡る試行錯誤の上で形成されてきた方法論・先人たちが積み上げてきた歴史的な英知の結晶をいとも簡単に破棄しかねないわけです。

■総括
江川氏の「元号は漢籍から引くという長い伝統と慣例を破ってでも国書にこだわったようだけど、元をたどれば漢籍という…」からは、彼女がいうところの「オリジナル」の定義は相当に偏狭なモノであり、その発想の根底には、過去断絶的な「飛躍」がこの世には存在し得るという事実に反する観念が存在すると考えられます。このような人物は、革新性やオリジナル性を強調するあまり、他者由来の要素を徹底的に排撃すべく何のためらいもなく過去を断絶しかねない恐れがあります。もちろん、物の道理に反する発想に基づいているのだからそのプランが成功するはずがありません

このような人物が所謂リベラル派の代表的論客として君臨していることは、日本リベラル界の危機的状況を示しているとも言えると考えられます。

■余談
万葉集は漢籍を踏まえつつ成立している日本の歌集であることは疑いのないことですが、かといって日本人は、万葉集について「オリジナル」を無理筋にも声高に主張しているわけではなく、漢籍からの引用を事実に即して認めている点、偏狭な国粋主義・民族主義とは一線を画する態度を取っていると言えます。まさに、古来より異文化の中からも柔軟に「いいとこ取り」を続けてきた日本人の姿そのものと言えます。

これこそが、リベラル勢が昨今声高に主張している「異文化に対する寛容な精神」ではないでしょうか。この精神は、伝統的な日本精神においてこそ実現されているのです。そしていま、そうした精神のなかから新しい元号が制定されました。「異文化に対する寛容な精神」の旗振り役を(誰も頼んでいないのに勝手に)自認しているリベラル勢こそ、伝統的な日本精神に倣いそれを我が物とするくらいの勢いで、「令和の時代を多文化共生の時代に!」と運動を展開するくらいの勢いであるべきでしょう。
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2019年04月03日

「寛容・多様性キャンペーン」なのか「見境なく全方位に噛み付いているだけ」か

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190401-00000034-mai-soci
新元号 福岡・天神では拍手 「命令の『令』かと」の声も
4/1(月) 12:39配信
毎日新聞

 福岡市中央区の繁華街、天神地区。大丸福岡天神店では新元号の発表直後に、地下2階の入り口に設置された70インチの大型ディスプレー4面に「令和」の2字が表示された。集まった人からは拍手が湧き、スマートフォンで写真を撮る人もいた。


(中略)

 一方、同区の女性(67)は「命令の『令』かと思ってしまう。もう少し大らかなものが良かった」と複雑な表情を見せていた。【杣谷健太】

最終更新:4/1(月) 14:39
毎日新聞
己の無教養を告白するに等しい言説が新元号発表以来あちこちで湧いてきていますが、タイムスタンプ的に見てこれが最初の一群にあたるものと思われます。

みんながみんな漢字の意味に通暁しているわけではないので、たまたま天神を歩いていただけであろう福岡市中央区在住の女性(67)が咄嗟にこのような回答をしてしまうのは仕方ないとしても、言葉のプロであり、原稿提出前に漢和辞典を引くくらいの時間的余裕はあったであろう毎日新聞記者が、わざわざこんな回答を敢えて選んだことには、何らかの意図を感じるところです。とくに、「もう少し大らかなものが良かった」というくだりからは、「寛容」や「多様性」をキーワードに一大キャンペーンをはっている昨今の毎日新聞社の編集方針の影響を強く感じます。寛容・多様性キャンペーンの一環として福岡市中央区在住の女性(67)の「口を借りて」いると思われるわけです。

誤解がないように先に断っておきますが、「労働と生活の自主の実現・自分自身の生の主人となり得る社会の実現」を目指す私も、社会における多様性を重視しています。しかし、ここ最近毎日新聞を筆頭としてリベラル紙が熱心に展開しているキャンペーンは、「寛容」や「多様性」といったマジックワードを以って既存の価値体系に挑戦状を叩きつけ相対化を試みてはいるものの、最終的にどのような社会的新秩序を作り出そうとしているのかについては、明確に見えてこないと言わざるを得ません。「寛容の精神」といったあたりの曖昧な単語で誤魔化すことに終始しており、積極的かつ具体的なビジョン・着地点が見えてこないのです。

私を含めて多くの人が以前から警鐘を鳴らしているように、「多様性の実現」は、一歩間違えると「単なる何でもあり」になりかねません。多様性の実現という命題は、崇高であると同時に困難性が高いミッションなのです。慎重に慎重を重ねる必要があり、キャンペーン的に展開することには馴染まない性質のものです。

令和の「令」を命令の令と解すのは、さすがにイチャモンつけも甚だしいと言わざるを得ません。このことは、毎日新聞の寛容・多様性キャンペーンが、実態的にはとにかく見境なく全方位に噛み付いているに過ぎないコトを示しているのでしょう。テーマ性をもって具体的な着地点がイメージできるような「多様性のある社会」論を提案しなければならない時に、こんな批判のための批判を展開するようでは自分たちの評判を落とすだけです。
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2019年04月02日

人民軍中隊における政治指導の役割から読み取るチュチェ思想の核心とチュチェの政治観の神髄

http://www.kcna.co.jp/calendar/2019/03/03-27/2019-0327-001.html
조선인민군 제5차 중대장,중대정치지도원대회-김정은위원장 지도
朝鮮人民軍第5次中隊長・中隊政治指導員大会――キム・ジョンウン委員長が指導
■「政治活動は思想意識をもった人間との活動」というチュチェの政治観
軍中隊の役割、とりわけ中隊における政治指導の役割というと、キム・ジョンイル総書記がチュチェ57(1968)年3月13日に発表なさった『政治担当副中隊長の任務―朝鮮人民軍第 109 軍部隊の政治担当副中隊長との談話―』を思い起こさずには居られません。

キム・ジョンイル総書記は、「人民軍の基本戦闘単位としての中隊の活動が順調に進められるか否かは、政治担当副中隊長に大きくかかっている」とされます。すべて軍人たちに首領の教えと党の政策を浸透させる政治活動を活発におこなうことで、彼らを首領に限りなく忠実な革命戦士に育てあげ、結果として中隊に課された軍事任務が成功裏に遂行されるようになるからであります。

キム・ジョンイル総書記はこの談話において、下記のとおり、「政治活動は思想意識をもった人間との活動・対人活動」というチュチェの政治観を表明されています。
政治活動は思想意識をもった人間との活動です。政治活動は本質において人間の思想を啓発する活動です。たとえていうならば、電気が近代産業の動力であるなら、政治活動は人間の革命的熱意を呼び起こす動力であるといえます。政治活動なくしては、人びとを革命闘争に立ちあがらせることができません。政治担当副中隊長は政治活動をすべての活動に先行させ、いつどこにあっても政治活動を着実におこなわなければなりません。
その上で、対人活動としての政治活動家である政治担当副中隊長のあるべき姿として次のように指摘されています。
それでは、政治担当副中隊長はどのような位置に立って活動すべきでしょうか。中隊が上級から攻撃の戦闘任務を受けたなら、中隊長は戦闘の手配をし、政治担当副中隊長は軍人のなかに入って政治活動をすべきです。すなわち、中隊長は戦闘任務を把握し、状況を判断し、決断を下して戦闘命令を出し、政治担当副中隊長は軍人に攻撃戦闘の目的と意義をしっかりと認識させ、党と領袖のために、祖国と人民のために無比の勇敢さと大胆さを発揮して偉勲を立てようと扇動しなければなりません。

(中略)

政治担当副中隊長が政治活動を着実に進めるためには、つねに軍人のなかに入らなければなりません。軍人のなかに入るのは、政治担当副中隊長の活動において第一の工程といえます。軍人のなかに入ってこそ、かれらの心情を理解し、その特性に合った政治活動をすることができます。軍人のなかに入れということは、軍人と同じ釜の飯を食べ、いっしょに生活しながらかれらを深く理解し、それに合わせてさまざまな形式と方法で政治活動を根気よくおこなえということです。

(中略)

軍隊の政治活動家は、抗日遊撃隊の政治指導員の活動方法に学ぶべきです。抗日遊撃隊の政治指導員はキムイルソン同志から教えられたとおり、隊員といっしょに行軍をし、戦闘もおこない、かれらと食事や休息をともにしながら政治活動をおこないました。かれらは、隊員を集団的に教育する必要がある場合は、会議や学習、講習、集団談話などをおこない、個別的に教育する必要がある場合は、いっしょに行軍しながら話し合いました。隊員に演説の仕方も教え、学習の内容も解説し、寝所をともにして欠点を一つひとつさとしました。その過程でかれらは、隊員の故郷や年齢、生活経歴、性格、趣味から、思想意識水準、自分の武器にたいする精通度にいたるまで、すべてを手にとるように知るようになったのです。抗日遊撃隊の政治指導員は自分の手のうちのように隊員をよく知っていたので、かれらの特性に合わせて政治活動を積極的にくりひろげることができました。かれらは、対象の準備程度と特性に合わせてさまざまな形式と方法で政治活動を進めることによって、つねに活動で大きな成果をおさめることができました。

政治担当副中隊長は抗日遊撃隊の政治指導員の模範に見習って軍人を深く理解し、その準備程度と特性に合わせて政治活動を力強くくりひろげるべきです。

対人活動は困難かつ複雑な活動です。機械は標準操作法の要求どおりに動かせばそれですみますが、思想意識をもった人間との活動はそういうわけにはいきません。
軍人のなかに入ってこそ、かれらの心情を理解し、その特性に合った政治活動をすることができます」「機械は標準操作法の要求どおりに動かせばそれですみますが、思想意識をもった人間との活動はそういうわけにはいきません」――政治の世界では往々にして「愚民を啓蒙してやる」という意識が見られるもので、高度に目的意識的な活動が要求される左翼運動ではとてもよくみられるものです。これは「鼻持ちならないエリート主義」として人民大衆側に受け止められ、左翼運動と人民大衆との間の分断、左翼運動の人民大衆からの遊離の一因となってきました。

これに対して、「政治活動は思想意識をもった人間との活動・対人活動」というチュチェの政治観は、チュチェ思想が他の啓蒙主義的左翼思想と一線を画する特徴を持っている一例であるといえます。「鼻持ちならないエリート主義」を乗り越えることが左翼運動再生の課題として浮上している今日においては、チュチェの政治観から学ぶべきことは多いでしょう。

しかしながら、鼻持ちならないエリート主義的傾向を持つ人物のなかには、そうした自覚を持っていない者が往々にしているものです。「自分は人民大衆を見下してなんていない!」などと本気で思いこんでいます。深刻なる無自覚です。

キム・ジョンイル総書記の談話は、「あたまのいい政治理論家」たちの理詰めの演説とは異なり、しばしば当を得た実例や分かりやすいたとえ話が挿入され、理解の助けを後押ししているのが通例です。この談話においても、次のくだりがあります。下記に引用したキム・ジョンイル総書記のたとえ話に対する反応・対応は、その人の政治観が真に大衆的であるか否かであるのかのリトマス試験紙になると私は考えます。
政治活動家はすべての問題を、あらわれた現象だけでなく細部にわたって見るべきであり、格式や枠にとらわれることなく、生き生きとした政治活動ができるようでなければなりません。

たとえば、厳寒の中で火器操作訓練がおこなわれるとき、ある軍人が手袋をぬぎ、素手で火砲を操作したとすれば、さぞかし冷たかっただろうと考えるだけでなく、手袋をはめずに訓練をしたかれの心のうちを読みとらなければなりません。かれは動作を正確かつ敏速にするために、手が凍えるのも我慢して、素手のまま訓練をしたに違いありません。

政治担当副中隊長は休憩時間にかれと向かいあって座り、こんなに寒いのになぜ手袋をはめないで訓練をするのか、手が凍えなかったかと聞きながら、ごく自然に対話を進めることができるでしょう。

政治担当副中隊長は休憩している軍人たちに、かれが素手のまま訓練をしたのはあまり感心したことではない、しかし、きょうの訓練で大きな成果を得るために、手が凍えるのも我慢しながら訓練をしたその熱意と誠実さは非常に貴いものである、と高く評価してやるべきです。

そうすれば、ほかの軍人たちはみずからを顧みるようになり、訓練を形式的にした兵士は良心の呵責を受けるでしょう。政治担当副中隊長はその機を逸することなく、すべての軍人の胸を打つ解説をおこなうべきです。そうすれば、だれを問わずすべての軍人が訓練に誠実に参加するようになるでしょう。

政治活動はこのように時と場所を選ばず、具体的な事実をもって生き生きとおこなうべきです。格式や枠にとらわれない内容のある政治活動は、ただああしろ、こうしろと十回、百回、一般的に強調したり演説するよりも、はるかに大きな力を発揮するものです。
厳寒の中で手袋もせずに素手で火砲を操作することについて、単に「寒いのに何をやっているんだろう?」と流すだけか、「馬鹿だなあ」と扱き下ろすのか、はたまた「動作を正確かつ敏速にするために、手が凍えるのも我慢して、素手のまま訓練をしたのだろう」とその心の内を読みとるのか(見ていない・気が付かないのは論外)。読者の皆さんはどのような感想を持ったでしょうか?

エリート主義思考の人物は、こうしたケースにおいては「馬鹿だなあ」という反応をしてしまいがちです。読者の皆さんのなかで、もしそうした感想を持った方がいらしたとすれば、あなたは実はエリート主義者かもしれませんよ。いままで自覚がなかったのであれば、僭越ながら、これを機にご自身を見つめなおすべきかと思います。

■チュチェ思想の核心とチュチェの政治観の神髄
キム・ジョンイル総書記は、さらに次のようにも指摘し、チュチェの政治観の神髄について言及なさいます。
政治担当副中隊長は革命的同志愛が強くなければなりません。

わたしはいつか、ある政治担当副中隊長についての話を聞いたことがあります。かれが訓練場から中隊に帰り、食堂へ行ったときは夜も更けていたそうです。食卓に向かったかれは、おぼろ豆腐を目にして食堂の当番に、それを飯ごうに入れて温めてくれといいました。かれはおぼろ豆腐が冷めないように飯ごうを包み、峠の向こうの軍医所に行きました。政治担当副中隊長は、数日前に軍医所に入院したある軍人の好物がおぼろ豆腐であることを知り、かれにそれを食べさせようと、訓練場から夜遅く帰って疲れた身であるにもかかわらず、再び吹雪の夜道を歩いていったのです。軍医所に到着したかれは、当の軍人がおぼろ豆腐を食べおえるのを見届けてから中隊に帰ってきたそうです。

このように、政治担当副中隊長は軍人を愛する母親にならなければなりません。そうすれば、軍人は政治担当副中隊長を心から信頼し、慕うようになります。
単に相手の心の内を読みとるだけならば、チュチェ思想の専売特許ではなく、よってチュチェの政治観の神髄とまでは言えません。単に相手の心の内を読み取るだけではなく、その根本目的・人間行動の根本目的が「同志愛」であることこそが、チュチェ思想の核心であり、よってそこに対人活動としての政治活動・チュチェの政治観の神髄があるのです。チュチェ思想は同志愛を実現させることを目指す思想です。

このくだりを意識したと思われる発言は、今回の中隊長・中隊政治指導員大会でも見られます。今回の大会について、日本メディアは「戦闘力強化」という表現をフレームアップして「引き締めだ」と論評しています。そうした分析は間違いではありませんが、「なぜ引き締めるのか」という問いを立てれば、単に対米対決における体制引き締めに留まるものではなく、ここにはチュチェ思想が理想として描く未来社会を実現させようとする意図もあることを忘れるべきではありません

今回の中隊長・中隊政治指導員大会を契機に、同志愛を実現させるための思想としてのチュチェ思想が示す政治観、それが推奨する政治活動家のあるべき姿を学び、我が物とすべきでありましょう。

■なぜ今、そして中隊長・中隊政治指導員が対象なのか?
ところで、「中隊長・中隊政治指導員大会」であった意味とは何だったのでしょうか? なぜ小隊長でもなく大隊長でもなく、中隊長が対象だったのかということです。これについては、中隊が人民軍の基本戦闘単位であるということだけではなく、中隊長が将来世代を担う比較的若い層の先鋒たる尉官クラスであることにも注目すべきでしょう。

先の最高人民会議代議員選挙で、軍幹部代議員数が大幅に減ったことと併せて考えると興味深いことであります。

この時期に開催されたことも興味深いことです。前回・第4次中隊長・中隊政治指導員大会が開催されたのはチュチェ102(2013)年10月。前回が10月開催で今回が3月開催である点、また、共和国においては1年または5年周期での開催が多いところ、前回開催から5年以上もたってから思い出したかのように急に開催した「イレギュラーな開催周期」という点を見るに、開催年や月には特にこだわりは無く開催する政治的タイミングに意味がありそうです。周期的な慣例としての開催ではなく、何らかの意図があって開催していると考えられるわけです。

振り返れば、前回の直後にあったのがチャン・ソンテクの粛清事件。西側では「改革派」扱いでしたが、チャン・ソンテクこそが閉鎖的貿易構造において上手く立ち回ることで独占的な個人的利益を大いに引き出していた当の本人、まったく改革とは程遠い「旧時代を代表する人物」でした。

若い世代の先鋒に位置する中隊長・中隊政治指導員たちを激励し、その直後に旧時代を代表する人物であったチャン・ソンテクを粛清したのが前回第4次中隊長・中隊政治指導員大会。中隊は人民軍の基本戦闘単位であり、世代交代・新時代突破の象徴と言うわけです。では今回は・・・? これはちょっと考えすぎかな?
ラベル:チュチェ思想
posted by 管理者 at 00:09| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする