https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190708-00000001-withnews-soci&p=2貧しいのは本人のせい? エリート階級に広がる「自己責任論」、乗り越えるには 格差問題の専門家に聞く
7/10(水) 7:02配信
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生活が苦しい人のための政策を考えるとき、必ずと言っていいほどネックになるのが「自己責任論」です。“貧しいのは本人の責任”、“努力しなかった本人が悪い”。日本に広く行き渡ってしまった考え方ですが、格差問題に詳しい社会学者の橋本健二・早稲田大学教授によると、特に高学歴・高収入の人はこう考える傾向が強いそうです。どうすれば自己責任論を乗り越え、本格的な貧困対策に取り組めるのか。橋本さんに聞きました。(朝日新聞記者・牧内昇平)
(中略)
階級別にみていくと、企業の経営者や役員などの「資本家階級」や、会社の専門職や上級事務職など、わたしが「新中間階級」と呼ぶ人々のあいだで、「貧困になったのは努力しなかったからだ」と考える人の割合が多かったのです。
――資本家階級に自己責任論が広がるのはうなずけますが、新中間階級の人びとにも同じ傾向があるのですね。そもそも新中間階級とはどのような人たちですか。
企業などで働く専門職、管理職、上級事務職。学歴が高く、情報機器を使いこなし、高い収入を得ている、つまり恵まれた豊かな生活を送っている人たちです。
2000年代に入ってその傾向は強まった
――この層の人々に自己責任論が広がっているのですか。
新中間階級に自己責任論の傾向が強まっていったのは、ここ20年のことだと思います。先ほどとは別の調査によると、1995年まではかろうじて、新中間階級はリベラルだった。不公平がこの世の中にあることをはっきり認識していた人が多くて、富裕層から貧しい人にお金を回す「所得再分配」にも割と好意的でした。
ところが2005年からアレっという結果が出るようになりました。
――なぜ、2000年代から新中間階級に自己責任論者が増えてきたのでしょうか?
戦後民主主義の成果と言えるのか分からないですが、これまでは弱者との連帯、弱者への共感という心性があったのかもしれません。そうしたものの見方が、高学歴な高所得者から急激に失われてきたと感じています。
なぜ自己責任論が容認されるのか?
――資本家階級に自己責任論が広がっているのはうなずけますが、なぜ新中間階級で目立つのでしょうか?
自己責任論には表と裏、プラスとマイナスのふたつの側面があります。プラスは「自分が恵まれているのは自分のおかげだ」、「自分が努力し、能力があったからだ」という側面です。これがマイナスにはたらくと、「自分が貧乏なのは自分のせいだ」となります。これは表裏一体の関係です。
新中間階級はこれまで勉強や仕事で成功してきた人たちです。この人たちはまず、自身の成功をプラスの側面で考える。「自分の地位や財産は自分で築いたものだ」という見方です。
そしてこの層の人々は論理的にものを考えますから、必然的に「貧しいのは本人の責任だ」となる。そうしておかないと論理整合性がとれないのです。こうして、強固な自己責任論が成り立ちます。
自己責任論から脱却するには
――「論理」を大事にする人々に自己責任論から脱却し、貧困対策に積極的になってもらうには、どうすればいいですか?
正義感とか倫理観だけで多くの人が一斉に動くとは考えられない。わたしは「自分の利益にもなりますよ」と伝えることが必要だと思っています。
いまは恵まれた新中間階級でも、子どもがアンダークラスに入る可能性は十分あります。大学を出てもいい仕事に就けるとは限りません。だとしたら、アンダークラスが生まれないような社会の方がいいし、仮にアンダークラスになったとしても、最低賃金で1500円もらえる社会の方がいいわけですよね。1500円だったら子どもがフリーターになってもそんなに絶望する必要はない。
また、子どもだけでなく、いま新中間階級の人たち自身が老後に転落する可能性もあります。退職金は減っているし、年金の水準も下がっていきます。よほどの大企業に定年まで勤めた人でなければアンダークラスに転落する可能性があります。いくらか貯金があっても大きな病気をしたら1千万円くらい簡単になくなります。
(以下略)
「階級」という概念の使い方が正確でないのが少し気になりますが、企業の経営者や役員などの資本家階級のみならず、会社の専門職や上級事務職といった高所得労働者階級の間にも「貧困になったのは努力しなかったからだ」と考える人の割合が増えている点について着目し、その原因について論考している興味深い記事です。
偶然、当ブログでも7月4日づけ「
こき使われている勤務医が「自己研鑽」のインチキ理論に毒されているのは何故か、知識労働者を核心とした自主化運動・抵抗運動の展望はどこにあるのか」においてチュチェ思想の観点から、知識労働者たちが雇い主たちのインチキ理論を受容してしまい自ら進んで搾取されている事実について構造的に分析したところです。
今回は、その延長線上で、チュチェ思想的な観点から橋本教授の言説について考えてみたいと思います。
■新中間階級が資本家的な思想傾向にある原因は、知識労働者のプチブル化
橋本教授曰く、会社の専門職や上級事務職に就き、学歴が高く、情報機器を使いこなし、高い収入を得ている、つまり恵まれた豊かな生活を送っている「新中間階級」という人々(これ正確には「階層」だよね)に、2000年代以降、「自己責任論」への支持と「所得再分配」への否定的評価が広まってくるようになったといいます。
この原因について橋本教授は、二点あげています。一点目が戦後民主主義的リベラリズム以来の「弱者との連帯、弱者への共感」という心性の急速な消失。もう一点が「自分の地位や財産は自分で築いたものだ」という見方から論理的・必然的に導出される「貧しいのは本人の責任だ」という理屈だといいます。
そして、自己責任論からの脱却の展望として、自己責任論からの脱却は正義感や倫理観の連呼だけではなく「自分の利益にもなる」ということを訴えかけるだとします。
橋本教授がいう「新中間階級」は、私の前掲過去ログ上でいう
「インテリ・知識労働者」に該当すると考えられます。念のために再言及しておくと、
キム・ジョンイル総書記は『反帝闘争の旗を高くかかげ、社会主義・共産主義の道を力強く前進しよう』(チュチェ76・1987年9月25日)において、知識労働化に伴う現代資本主義社会の階級構成変化について次のように指摘されました。ちなみに、橋本教授が「2000年代」とする変化について総書記が1987年の段階で察知していたことは特筆的だと思います。
第2次世界大戦後、資本主義諸国では社会的・階級的構成に大きな変化が起こりました。発達した資本主義諸国では技術が発達し、生産の機械化、オートメ化が推進されるにしたがって、肉体労働に従事する勤労者の数が著しく減り、技術労働と精神労働に従事する勤労者の隊伍が急激にふえ、勤労者の隊伍において彼らは数的に圧倒的比重を占めるようになりました。
社会の発展に伴って勤労者の技術、文化水準が高まり、知識人の隊伍がふえるのは合法則的現象だといえます。
もちろん、知識人の隊伍が急速に拡大すれば、勤労者のあいだで小ブルジョア思想の影響が増大するのは確かです。特に、革命的教育を系統的にうけることのできない資本主義制度のもとで、多数の知識人がブルジョア思想と小ブルジョア思想に毒されるのは避けがたいことです。それゆえ、彼らを革命の側に獲得することは困難な問題となります。
その上で私は、知識労働の最たるものとして医療労働、とりわけ勤務医の階級意識について次のように述べました。
この見解を現代日本の医療界に当てはめてみましょう。医師は知識労働の最たるものです。医師は、長い時間と努力によって血肉化した知識をもとに、主治医として治療の中心人物として、雇われの身なので全体的には雇い主の指揮命令下にありながらも、自分自身の判断で仕事を進める場面も多いものです。それゆえ、病院等に雇われて組織的に働く看護師などと比べると、ひとり親方・個人事業主的傾向が強いといえます。総書記が指摘されるように、ブルジョア思想・プチブル思想に汚染されている恐れが大きいと考えられるのです。
雇われの身でありながらも個人事業主のような働き方をしている勤務医がプチブル思想に毒されて自己の労働者性を忘却している場合、個人事業主の感覚のまま病院経営者になってしまった大ブルジョアの誤った労務感覚に共感し、健全な自主性・自主的要求が麻痺してしまう恐れがあるわけです。勤務医が「自己研鑽」などというインチキにコロッと騙されている背景には、知識労働者のプチブル化が考えられるのです。
新中間階級の自己肯定感の源泉を「自分の地位や財産は自分で築いたものだ」という認識におく橋本教授の見立ては、私が勤務医について述べた「
長い時間と努力によって血肉化した知識をもとに、主治医として治療の中心人物として、雇われの身なので全体的には雇い主の指揮命令下にありながらも、自分自身の判断で仕事を進める場面も多い」ために「
ひとり親方・個人事業主的傾向が強」く、よって「
ブルジョア思想・プチブル思想に汚染されて」しまうという見立てと
共通点が多いといえるでしょう。
つまり、
産業構造の変化に伴い労働者階級はインテリ化・知識労働者化します。すなわち、全体的には雇い主の指揮命令下にありながらも、長い時間と努力によって血肉化した知識をもとに自分自身の判断で仕事を進める場面が多い知識労働者は、
ひとり親方・個人事業主的傾向を強め「我々」意識が弱まり、「自分の地位や財産は自分で築いたものだ」と考えるようになり、プチブル化して行くわけです。
■元凶としての「個人」主義
新中間階級あるいは知識労働者の「自分の地位や財産は自分で築いたものだ」という認識は、「自分の成功は自分の努力にのみ拠るものだ」という点において
主観主義的というべきです。
物事を個人レベルに還元し過ぎています。そして、こうした主観主義的社会観(社会歴史観)は、
「個人」主義的人生観と通底するものです。
朝鮮大学校校長で最高人民会議代議員(総聯選出)のハン・ドンソン(韓東成)先生は、著書『哲学への主体的アプローチ Q&Aチュチェ思想の世界観・社会歴史観・人生観』(2007年、白峰社)において、社会歴史観と人生観の発展経緯について次のように指摘しています(p88-89)。
観念論は、大きく客観的観念論と主観的観念論に分かれます。多くの哲学者が、(中略)個人の主観的な意志や感覚によって社会歴史が左右されるとする主観観念論的な社会歴史観を主張してきました。
また、ハン先生は人生観(チュチェ思想において重要な論点)に関して、次のように論じています(p164-165)。
このような見地から人生観を扱った人々は、人間を孤立した個人的存在と見なし、人間の生命を個人的な面からとらえながら、個人の自由で平等な生活が、人間の自然的本性にあった生活だと主張しました。そのなかには、個人の生命、自由、私有財産を保存しようとする志向が人間の本性であり、それにあった生活に幸福があるとする見解や、肉体的欲求の充足、肉体的快楽に最高の幸福を見いだす見解もありました。
このような個人主義的人生観は、社会歴史に対する主観主義的観点にもとづいていました。それは、人々の生活や社会的運動が客観的な物質的条件に制約される面があることを見ずに、理性の要求と力に依拠して行動することによって、人間は、歴史と自らの運命を開拓することができるとしました。(中略)人間の本性にあった幸福な生活をおくる方途を、啓蒙に求めました。
こうしたチュチェ思想・チュチェ哲学の指摘を前提に私は、チュチェ104(2015)年5月1日づけ「
「私の努力」の実態は「主客の相互作用の賜物」――受験勉強は所詮「子どもの戦い」」で、「学歴は努力の証明書」などと述べて炎上したタレントの福田萌さんの件について次のように述べました。
自分自身の努力も勿論尊く重要な位置を占めているものの、周囲環境や協力もまた大きな位置を占めており、実相は「主客の相互作用」であるにも関わらず、努力至上主義者たちは「本人の努力のみがその果実をもたらした」などという視野の狭い主張をドヤ顔で述べているわけです。
本件、あまりにも典型的過ぎます。もちろん、受験勉強は「自分との戦い」という要素が大きく、難関校合格者はその戦いの勝者です。自信を持ってよいと思います。しかし、受験勉強は「子どもの戦い」でもあります。そこには親のバックアップがあり、国家・社会の支えがあるものです。受験勉強もまた「主客の相互作用」の賜物です。
「自分の成功は自分の努力にのみ拠るものだ」という主張は、
人間存在を社会集団から孤立した存在と見なしている点において主観観念論的な社会歴史観に根差していると言えます。また、
人間存在を社会集団から孤立した存在と見なすことは、人間の存在・人間の生命を個人的な側面からのみ捉える一種の「個人」主義と通底するものです。「個人」主義にはどうしても、人間を孤立した個人的存在と見なし、人間の生命を個人的な面からのみ捉える傾向があります。
実際のところ人間は、客観的な物質的条件にも制約され、また、集団をなして生活しています。
いわゆる「個人」は社会システムの不可分な要素として組み込まれています。その点、
「個人」主義は、社会の実相と異なる「観念」に過ぎないと言えます。
■小括――新中間階級・労働者階級の「変化」と社会的結束の分解過程
いま述べてきたことをまとめましょう。(1)
産業構造の変化に伴い労働者階級はインテリ化・知識労働者化します。全体的には雇い主の指揮命令下にありながらも、長い時間と努力によって血肉化した知識をもとに自分自身の判断で仕事を進める場面が多い知識労働者は、職務経験を積み成功体験を重ねるにつれて、
ひとり親方・個人事業主的傾向を強めるようになります。
また、(2)ひとり親方・個人事業主的傾向を強める過程で、
人間存在を社会集団から孤立した存在と見なすようになり、「他人は他人、自分は自分」という観念・「彼我の断絶」という思い込みが増長され、
「我々」意識が弱まって行きます。
(3)結果的に知識労働者は、
「自分の地位や財産は自分で築いたものだ」とか「自分の成功は自分の努力にのみ拠るものだ」などと考えるようになり、プチブル化して行きます。
「我々」意識に欠ける人々が増えるにつれて社会の集団的・共同体的結束が分解して行くわけです。
労働者階級のインテリ化・知識労働者化→ひとり親方・個人事業主的傾向の深化及び「我々」意識の衰退→社会の集団的・共同体的結束の分解、という図式です。
■戦後民主主義的リベラリズムは「共犯者」ではないのか
このように考えると、橋本教授の「
戦後民主主義の成果と言えるのか分からないですが、これまでは弱者との連帯、弱者への共感という心性があったのかもしれません。そうしたものの見方が、高学歴な高所得者から急激に失われてきたと感じています。」という見立てには
疑問を感じざるを得ません。
日本人には、戦後民主主義とは無関係に昔からの共同体意識や「お互い様」精神に基づく共助・相互扶助が成り立っていました。会社共同体、隣近所共同体、そして創価学会のような信仰共同体等の共助体系が果たしてきた役割は大きいといえます。日本の公助体系・社会政策の整備が後手後手に回りながらも、ある程度の社会的結束が保たれてきたのは、昔ながらの共助・相互扶助のお陰だと言えるでしょう。
戦後民主主義についていえば、産業構造の変化に伴う労働者階級のインテリ化・知識労働者化、そして彼らのプチブル化による
「我々」意識の衰退、社会の集団的・共同体的結束が分解してゆく現実に対して十分に対処しきたのかということを問わねばならないでしょう。もっと言ってしまえば、
「個人」を重視する戦後民主主義的リベラリズムは、むしろ「我々」意識の衰退を歓迎さえしていたのではないのか、ということを問わねばならないでしょう。
人間を社会集団共同体の一員として見なさず、
あくまでも「個人」として見なそうとする言説は、たとえば卑近なところでは、スポーツにおけるナショナルチームに対するリベラル派の見解・言説によく現れています。昨年のピョンチャン・オリンピックにおける日本代表選手の活躍には、多くの自然発生的な賞賛が寄せられましたが、江川紹子氏を筆頭とするリベラル派は、「日本人の活躍ではなく選手個人の活躍だ」なとど強弁し、物議を醸しました。
たしかにオリンピックで世界レベルの優秀な成績をおさめたのは、「選手個人」です。しかし、その選手個人の育成には国家的なサポートがあります。もちろん、諸外国と比べて十分な援助を受けられておらず手弁当主体の不遇な競技種目があることは私も承知しています。しかし、その場合でも「みんなの応援」という大きなサポートがあります。
「みんなの応援」というものは、人間にとって大きな力になるものです。
「我々」意識をベースとする「我が共同体の仲間たちの応援を背に、共に闘っているんだ!」という認識は、「個人」として孤立している哀れな人間には理解できないのかもしれませんが、類的存在としての人間においては、
その意欲に火をつけ、持っている能力を十二分に発揮します。
キム・ジョンイル総書記は「車はエンジンをかけなければ走らないように、人間も思想にエンジンがかからなければ目的を遂げることはできない。」と仰いましたが、そのエンジンに点火させるのが「みんなの応援」なのです。
先の大戦の反省から官製ナショナリズムに対して警戒するのは当然のことでしょう。オリンピック等のスポーツ大会が政治利用されてきた歴史的事実を見逃すことはできません。しかし、スポーツ選手・アスリートに対する自然発生的な「我々」意識に基づく応援にまで「選手個人の活躍だ」と強弁することは、結果的に「個人」を社会から切り離して孤立した存在に追いやるものです。
オリンピック等におけるナショナルチームに対してさえこの調子なのだから、他は推して知るべし。人間を、社会と切り離され孤立した「個人」として位置付ける言説が、まさにリベラルの手によって戦後70年間にわたって幅をきかせてきました。
「個人」を社会から切り離して孤立した存在に追いやる発想が大手を振って罷り通ることを許し、むしろ推奨するのが「戦後民主主義」だというのであれば、「戦後民主主義」こそが、折からの産業構造の変化による労働者階級のプチブル化及び「我々」意識の衰退による社会的結束の分解をアシストしてきた「共犯者」として指弾しなければならないでしょう。■「自分の利益にもなりますよ」はあくまで過渡期の戦術的対策に留まる――利己主義者を甘く見てはならない
「個人」主義に打ち克ち、社会をシステムとして共同体として再構築する必要、
いわゆる「個人」を社会集団システムの不可分な一員として組織化する必要があります。「我々」意識を再興する必要があります。しかし、「個人」主義的な社会歴史観・人生観は強固です。遠大な理想を掲げつつも段階的で現実的なプランを実行する必要があります。
その点、橋本教授の「
正義感とか倫理観だけで多くの人が一斉に動くとは考えられない。わたしは「自分の利益にもなりますよ」と伝えることが必要だと思っています。」という指摘は、段階的で現実的なワン・ステップとして過渡期的な戦術としてであれば、有効でしょう。
私も前掲
7月4日づけ記事において「
必ずしも皆が皆、心を入れ替えて博愛主義者に転向するとは私も考えてはいません。(中略)
しかし、仕事を進める上で組織行動が不可欠になる時代においては、利己主義者であればこそ、あくまでも上っ面に過ぎなくても、戦略的に団結・連帯の道を歩む人たちが増えてゆくものと考えられます。組織生活不適合者は職業人として淘汰されてゆく運命にあります。」と述べたところです。前掲記事で私が述べたことは職場:労働局面での連帯に主眼を置いたものですが、分配局面でも同様に通用するでしょう。
しかし、
これはあくまでも「過渡期の戦術的対策」にとどめるべきです。「個人」主義の極致たる利己主義においては、「他人に厳しく・自分に甘く」が原理原則です。自分が「勝ち組」であるときには弱者に対して厳しいが、いざ何かの拍子に自分が弱者になろうものなら、今までの経緯などお構いなしに自己の権利を声高に主張するのが利己主義者の生態であります。しかし、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の言葉どおりに、一息つけばまた元に戻るのも利己主義者の生態であります。
奴らを甘く見てはなりません。
■社会的分業の進展に伴う有機的連帯の深化が社会の集団的・共同体的結束を再興する道
やはり、
社会のシステム・共同体としての再構築、「我々」意識の再興を主眼とする対策を打つ必要があります。
フランスの社会学者E.デュルケム(1858〜1917 つまりチュチェ思想とは無関係)によると、社会的分業の進展によって各部分が相互に補完的な機能を受け持ち、社会連帯の形式が有機的連帯になってゆくといいます。個性を持つ個人が社会的役割を担い、相互補完的に依存し合うように社会が変化してゆくといいます(ひとり親方・個人事業主が活躍してゆく余地は縮小してゆくものと考えられます)。デュルケムは、社会は、有機的連帯による組織的社会に発展すると説いているのです。
社会の産業構造の変化は、一人ひとりの労働者たちをプチブル化しつつも、
同時に一人ひとりの労働者たちを組織化してお互いの関係を有機的連帯に改変してゆくわけです。社会をシステム・共同体として再構築する展望はここにあると言えます。
そして、
この機を生かして積極的に思想工作、すなわち対人活動としての組織化を推進し、崩壊寸前の「我々」意識を再興すべきでしょう。
かつてマルクス主義は、機械制大工業の進展は労働過程の協業的性格を必然とするので、それまで職人気質だった労働者は団結を知るようになって行くとし、これが新しい社会を切り拓く条件になるとしました。マルクス主義は「存在が意識を規定する」という教義ゆえに、このことが大きな流れとしては自然に起こるものと楽観的に見なし、積極的な思想工作を展開して来ませんでした。このことについて、
キム・ジョンイル総書記は『社会主義建設の歴史的教訓とわが党の総路線』(チュチェ81・1992年)で次のように指摘されています。
ところが一部の国では、国家主権と生産手段を掌握して経済建設さえ進めれば社会主義が建設できると考え、人びとの思想・意識水準と文化水準をすみやかに高め、人民大衆を革命と建設の主体にしっかり準備させる人間改造事業に第一義的な力をそそぎませんでした。その結果、社会主義社会の主人である人民大衆が主人としての役割を果たせなくなり、結局は経済建設も順調にいかず、社会のすべての分野が停滞状態に陥るようになったのです。
キム・ジョンイル総書記の上述指摘のほかにも、たとえばW.F.オグバーンの「文化的遅滞」(Cultural lag)も指摘していることですが、
社会制度の変化がそのまま直ちに人々の思想意識を変化させるわけではありません。自生的・自然発生的な変化を無視するわけではありませんが、
人為的で積極的な活動は不可欠と言えるでしょう。
いままで当ブログでは散発的にこうしたテーマについて論じてきましたが、中間報告的に述べれば、何か新しい理屈を拵える必要はないと言えます。たとえば、人事評価を「組織的成績に対する『個人』の貢献」に切り替えることなどが考えられるでしょう。
昨今「効率よく仕事を進めて一足早く帰宅する」という画が持て囃されていますが、大抵のプロジェクトは複数人が役割分担し、全員の仕事が出揃って初めて納品物になります。その点、「効率よく仕事を進めて一足早く帰宅する」というのは、「納品物本位」ではなく「ノルマ本位」と言わざるを得ません。自分のノルマさえ達成できれば全体の納品など関係ないという点において、「まるでソ連のやる気ゼロ労働者のようだ」と言わざるを得ません。こういう人物は、「個人」としては仕事が早くて優秀なのかもしれませんが、納品物に対する意識が欠落しているようでは組織人として評価はできません。
このとき、たとえば「効率よく仕事を進め、自分のノルマを達成したあとに30分から1時間程度、少し遅れ気味の部分を手伝う」といった具合に働く人がいるとすれば、こういう人を納品物本位である点において積極的に評価するべきでしょう。人間は、評価されればますますその評価基準に沿うように自ら考えるようになります。また、心根は利己主義的であったとしても、利己主義であるからこそ評価体系が納品物本位・組織本位であると分かれば、それに沿って動くようになります。そうしているうちに、組織生活が徐々に体質化されてゆくことでしょう。
「組織的成績に対する『個人』の貢献」だなんて「言うは易く行うは難し」だ、というご指摘もあるでしょうが、そもそも人事評価など定量的にはやりにくいものです。ここで大切なのは、定量的・厳密的に人事評価を実施することよりも、そういう観点で人事評価を実施するとアナウンスすることです。評価者がアナウンスすることによって被評価者たる労働者たちが行動を改める、このことが主たる狙いなのです。
■まとめ――主観主義的社会歴史観と「個人」主義的人生観に打ち克とう
一人ひとりの労働者たちが「我々」意識を取り戻すにあたっての
障害物は、
主観主義的社会歴史観と「個人」主義的人生観です。人々の有機的連帯の深化・社会全体の組織化において毒素と言うべきものです。
社会的分業の進展に伴う組織的社会への発展は、社会の集団的・共同体的結束を強める客観的条件を作り出すものと言えますが、
客観的条件がそのまま直ちに主体の行動を変化させるわけではありません。
積極的な思想工作、すなわち対人活動としての組織化を推進し、崩壊寸前の「我々」意識を再興する必要があります。
そうした思想工作を展開するにあたっては、
「我々」意識の衰退を歓迎さえすることがある「個人」主義の動向に対して厳重に警戒する必要があると言えます。上述してきたように、
「個人」主義にはどうしても、人間を孤立した個人的存在と見なし、人間の生命を個人的な面からのみ捉える傾向があるからなのです。
7月8日は、チュチェ思想創始者たる
キム・イルソン主席の逝去25年、本日7月15日は、社会政治的生命体論を定式化された
キム・ジョンイル総書記の労作『チュチェ思想教育において提起される若干の問題について』発表33年です。