2019年09月30日

香港抗議活動と主体的な社会変革運動論

中国国慶節を明日に控える中で、ますます落としどころ見えなくなっている香港抗議活動について。香港で頑張っている人たちを悪しざまに言いたくはないし、そのつもりもありませんが、客観的に情勢を見極める必要があります。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190919-00000528-san-cn
香港「5大要求」内容に変化も 落としどころ見えず
9/19(木) 12:52配信
産経新聞

 【香港=田中靖人】6月から続く香港の抗議活動で、抗議側は「5大要求」を掲げている。香港政府はうち1項目の「逃亡犯条例改正案の撤回」を受け入れたものの、ほか4項目にはほぼ応じていない。ただ、内容は団体や時期により微妙な差がある。


(中略)ただ、5項目目として民主派の立法会(議会)議員らが求めていた「林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官の辞任」は、7月上旬から民主派団体「民間人権陣線」が掲げる「普通選挙の実現」に変わってきている。

 林鄭氏は今月4日に条例案撤回を表明。17日には政府幹部と公募の市民との対話集会を来週から始めると発表した。だが、抗議活動には明確な指導者がおらず、落としどころが見えない状態が続いている。
■香港抗議活動の方法における問題点
焦点となっている「5大要求」。残念ながら大方が予想しているように、中国共産党がこれを認めることはないでしょう。とりわけ「普通選挙の実現」は可能性ゼロと言っても過言ではないでしょう。

もちろん、実現の可能性が極めて低いとしても、「そんな要求を展開するな」ということにはなりません。切実な要求であればこそ、困難であったとしてもその旗を掲げ続ける必要があるでしょう。

しかし、困難な要求を「目標」として実現しようとすればこそ、その「方法」に注目しなければなりません。その点、以下で述べるように重大な問題点が存在していると言わざるを得ません

■明確な指導者が不在であること
まず、明確な指導者が不在であることを問題視しなければなりません

昨今、ネット発の自生的・自然発生的な政治活動が、何かと持て囃されています。整然とした組織的指導下での街頭運動の場合、党派性を隠しきれずどこか不自然さや胡散臭さが漂うものですが、ネット発の街頭運動の場合、まさに「民衆が立ち上がった」と言い得るからでしょう。

自生的・自然発生的な政治活動は、これはこれで良さがあると私も思います。しかし、ある程度、運動が継続して明確な将来像を掲げてそれを実現させる段階に至っては、指導者不在とはいうのはまずい。

私はチュチェ思想派なので以下、チュチェ思想に基づいて述べますが、人間社会は、それぞれ個性を持ち、それゆえ多様な自主的要求と創造的能力を持っている多くの人々から成り立っています。そうした社会の変革を志そうとすれば当然、人々の多様な要求を共通の要求に集大成し、その実現のために人々の多様な能力を共通の能力に転換する必要があります。言い換えれば、組織として調整され結束される必要があります。

こうした調整は、高度に複雑化し、かつスピード感を求められる現代社会の情勢においては、自生的・自然発生的な調整過程に任せきりにはできません。そもそも、予定調和的世界観自体にも疑いの目を向けなければならないのが現代社会の現実です。それゆえ、組織的調整と結束を推進させる役割を担う人物、人々の自主的要求と創造的能力を統一・調整する中心軸としての指導者が必要になるのです。

このような指導者論の立場から申せば、落としどころが見えない香港の現状は、まさに「指導者不在」ゆえの現状であり、指導者がいかに重要な存在であるかを示すサンプルであると言えます

■外勢依存であること
香港抗議活動を「方法」の面で検討するとき、次に、外勢依存であることを問題視しなければなりません。なんと星条旗を振る展開だそうです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190909-49630309-bbc-int
「トランプ大統領、香港を助けて」  香港デモ隊、米国に介入求める
9/9(月) 13:52配信

14週にわたり民主化を求めるデモが続く香港で8日、デモ参加者が星条旗を振りながらアメリカ総領事館まで行進し、ドナルド・トランプ大統領に、香港を中国から「解放」してくれるよう訴えた。

デモ参加者には、「トランプ大統領、香港を救ってください」、「香港を再び偉大に」と書かれた横断幕を手にした人の姿もあった。

■米議会の取り組みも要求

デモ隊はまた、米議会上院で超党派議員が今年6月に提出した、香港の自治を守る「香港人権・民主主義法案」の可決を求めた。

この法案は、アメリカ政府が、香港の貿易上の特別な地位が正当であると確認するため、1年毎に、香港の高度な自治性を認定するというもの。

香港の独立性を中国当局が抑圧していると認められれば、アメリカは中国当局を制裁対象とすることができる。


(以下略)
当人たちも、自らが掲げる要求が中国共産党に受けれられるはずがないと分かっているからこそ星条旗を振っているのでしょう。如何ともし難い事実から出発すればこそ、現状では星条旗を振ってアメリカに頼るしかないとはいえ、それにしても外勢依存と言う他ないアクション。自力に依って立っておらず、厳しい言い方をすれば「他力本願」なのです。

アメリカは上下両院の外交委員会で「香港人権・民主主義法案」をそれぞれ全会一致で可決したそうです。しかし、事態は決して「好転」していません。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00071/092700004/?P=2
米議会が法案を可決、星条旗にすがる香港の悲壮 - 香港2019(4)

(中略)

 いま、香港で若者たちが星条旗を振り、米国で事実上香港の普通選挙実現を求める内容を含む法案が可決される。まるで香港の若者たちの苦悩に、米国が人道主義をもって応じているような美談にも見えるが(そしてその全て否定するものではないが)、米国のまなざしが香港ではなく北京に向いているのは間違いない。米中対立というコンテクストでその行動を読み解くほうが実態に近い。

 法案は、香港への優遇措置を見直す可能性を含むものだ。つまり目の前に立つ若者たちは、自分たちが住む場所の経済的な利益を損なう可能性のある政策の実行を願っている。しかもその米国の判断を阻止できるかどうかについて、香港人たちができることはない。ひとえにそれは、中国政府が一国二制度を維持するかどうかにかかっている。

 危うい賭け、とも言え、捨て身の悲壮、とも言えるだろう。

 中国政府が自由主義陣営との結節点としての香港の価値を認める限りにおいては、米国の香港に対する優遇措置を必要とし続け、「香港人権・民主主義法案」は圧力として機能する。だが中国が、香港のその機能を上海や他の都市で代替できると判断したら、同法案は中国に対して何の効力も持たなくなる。中国政府を信用できず、民主化を求めている香港人が、「香港の価値を認め続けてくれるに違いない」と中国政府を信用する前提で戦わざるを得ないという皮肉がここにはある。

 もし後者のワーストシナリオが実現したら、香港に待ち受けているのは、中国からも米国からも見捨てられるという救いようのない運命なのだ。

 それでも彼らは星条旗を振っている。
結局、香港人の運命は米中の駆け引き道具と化しており、決して香港人は自主的な境遇にはないというわけです。これは如何ともし難い事実から出発すればこそ、現状では星条旗を振ってアメリカに頼るしかないとはいえ、果たしてこれを乗り越え、香港の民衆が自力自強の道に進むことはあるのでしょうか? そもそもそういった発想があるのでしょうか?

報じられていないだけかもしれず、また私の調査が不十分なのかもしれませんが、そういった流れは見られません。ただひたすら外勢依存・他力本願な展開だけが現れています。自力自強の道を歩まない限り、自らの運命の主人として自主的な境遇を獲得することはできないでしょう。

■総括
香港の民衆が、切実ながらも困難な要求を「目標」として実現しようとすればこそ、「明確な指導者が不在であること」及び「外勢依存であること」を「方法」の面において指摘しなければなりませんチュチェ思想派として私は、まずは明確な指導者を立てて組織的力量を強化しつつ、長期的には自力自強の道を歩むべく備えるべきだと考えます。そして、混迷を極める香港抗議活動は、明確な指導者の必要性及び自力自強の道を歩むことの重要性、すなわち、主体的な社会変革運動論の正しさを示しているものと考えます。

■香港情勢関連記事
12月7日づけ「真に憎悪を向けるべきは、「駒」ではなくそれを操る「黒幕」
12月15日づけ「香港情勢における啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズム的発想の悪しき影響
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2019年09月25日

観念論としてのエコロジー運動

https://news.yahoo.co.jp/byline/hashimotojunji/20190924-00143998/
小泉環境相がステーキを食べたことの何が問題か
橋本淳司 | 水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
9/24(火) 14:33

牛肉生産は温室効果ガスを排出する
 小泉進次郎環境相が国連気候行動サミットに出席したが、米国ニューヨークでステーキ店に入店したことが話題になっている。気候変動対策を議論する会議に出席する環境大臣が「ステーキを食べる」ことが非難を浴びたが、その理由は主に3つある。

 1つ目は、牛の温室効果ガス排出量だ。


(中略)

 その量は1頭につき1日160〜320リットル。「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」によると、メタンは世界の温室効果ガス排出量の16パーセントを占めている。

牛肉生産は穀物を大量に消費する
 気候変動は食料生産にも影響を与える。

 
(中略)
 
 たとえば、鶏卵1キロを生産する場合に必要なトウモロコシは3キロ、豚肉1キロで7キロ、牛肉1キロでは11キロだ。牛肉は飼育期間が長いので飼料の量も多くなる。

牛肉生産は水を大量に消費する
 肉を育てるには水が必要だ。なぜなら水をつかって育てた飼料(植物)をエサにしているからだ。

 家畜が育つまでにつかった水をすべて計算すると、鶏肉1キログラムには450リットル、豚肉1キログラムには5900リットル、牛肉1キログラムには2万600リットルの水が必要だ。こうした水使用が生産地の水環境を悪化させる。


(中略)

 牛肉の大量生産が地球温暖化や環境破壊を引き起こしていることから、欧米では「ミートレス」の動きが活発になっているが、安価な海外産牛肉が大量に出回る日本では、こうした事情に気付きにくい。

 だが、ここで述べたように、牛肉の大量生産が、気候変動を促進し、食料危機をもたらし、水不足を引き起こすというのも事実だ。いつまでも「(おいしいから)知らずに買ってました」、「(おいしいから)知らずに食べていました」でいいのか。無知こそ罪深いものはない。小泉環境相だけでなく私たちも、何を食べるか、何を選ぶかを考えなくてはならない。
■エコロジー運動の科学的不十分性(1)――限界原理に基づく合理的意思決定になっていない
昨今、よくありがちな環境主義者の定型句的言説。特に目新しさもない主張です。「欧米では「ミートレス」の動きが活発になっている」というものの、大衆レベルで牛肉食が控えられているという話、ステーキ店に入ったくらいで物議を醸す騒ぎなるという話とは聞いたことがないので、こんなものはポリコレの亜種に過ぎないのでしょう。「エココレ」と言うべきでしょうか?

エコロジー運動にしては珍しく経済学的意味における「限界原理」を意識した内容になっている本稿。経済活動における環境保全を議題とするならば、やはり「公用語」としての「科学としての経済学の用語法」に「翻訳」して論ずる必要があります。その点、エコロジー運動は往々にして「総量」で測りがちで、一見して「数量化」という点において科学的エビデンスに基づいているように装うものの、しかし、合理的意思決定においては総量原理ではなく限界原理に基づいて判断すべきなので、この手の言説の多くは科学的には取るに足らないレベルにとどまっているものです。

これに対して限界原理を意識している本稿は、比較的科学的だと言えますが、やはり依然として不十分というべきです。すなわち、牛肉1キログラムを生産するための水消費量・穀物消費量及び温室効果ガス発生量を定量的に示している点、これは限界費用(marginal cost)を示していると言えますが、しかし、牛肉1キログラムを生産することによる限界収益及び波及効果についてはまったく言及されていません。結局、「牛肉1キログラムを生産することでこんなに環境負荷を与えている! だから、牛肉生産・牛肉消費は控えるべきだ!」の域を脱しておらず、その主張には多面性及び深みが足りていません

直接的には害を発生させたとしても、それを実行することによって更に大きな利益が発生し、かつその利益を基に十分な手当てを講ずることができるのであれば、トータルで見れば実施すべきです。限界原理に基づく合理的意思決定は、限界生産(追加的生産)によって得られる限界利益(追加的利益)と、それによる限界費用(追加的費用)を比較します。また、生産による波及効果についても考慮が必要です。限界利益>限界費用の不等式が成り立つならば、生産を続行すべしとします。

波及効果について考えるためには、経済活動の「共通言語」である金銭に換算することが必要です。つまり、生産によって得られる利益と費用を貨幣に換算して示す必要があるのです。

利益は売価で示せばよいでしょう。これはそれほど難しい相談ではありません。では、費用はどうするべきでしょうか。水消費量・穀物消費量及び温室効果ガス発生量はどう貨幣換算すべきでしょうか。

この問題に解答を与えたものこそが「環境会計」のマテリアルフローコスト会計(Material Flow Cost Accounting)であります。Wikipediaでも解説されていますが、マテリアルフローコスト会計は、環境問題への取り組みが盛んなドイツで開発された、生産工程で生じるロスに着目した環境会計の手法です。製造プロセスにおける資源やエネルギーのロスに着目して、原価計算システムにマテリアルの重量情報や温室効果ガス等の排出情報を統合することで、そのロスに投入した材料費、加工費、設備償却費などを「負の製品のコスト」として、総合的にコスト評価を行ない、これによって、これまで見過ごしていた廃棄物の経済的価値および環境負荷の大きさを可視化できるというわけです。

巷のエコロジー運動には、マテリアルフローコスト会計のような科学的定量化を欠いているケースが多々あります。「見せかけの数量化」と言わざるを得ません。「牛肉1キログラムを生産するために必要なトウモロコシは11キログラム、水は2万600リットル」というものの、比較対象・基準及び閾値等を明示しないようでは科学の体裁を満たしていないと言わざるを得ないのです。

最近のエコロジー運動を科学としての経済学の観点から見ていると、結局、啓蒙主義運動の域を脱しておらず、科学的なレベルに達していないケースが少なくないと言わざるを得ません。科学の出発的である「数量化」さえも満足に行われていないのが現状なのです。

■エコロジー運動の科学的不十分性(2)――単なる啓蒙・個人レベルでの行動改善といった観念論
本稿の問題点は、数量化が不十分であることによる科学性の不足だけではありません。「小泉環境相だけでなく私たちも、何を食べるか、何を選ぶかを考えなくてはならない」という締めくくりの言葉が示しているように、結局、単なる啓蒙であり、個人レベルでの行動改善に幻想を抱いている点にあります。端的に言えば「観念論」に留まるのです。

たしかに牛肉生産は環境負荷が比較的大きいと言えるでしょう。しかし、それで生計を立てている人が全世界で相当数います。その点を考慮に入れれば、「小泉環境相だけでなく私たちも、何を食べるか、何を選ぶかを考えなくてはならない」という提起に応えて「考えた」結果、「じゃあ牛肉生産・消費をやめよう」などと安直に言えるものではありません。

「エココレ」の様相を呈しつつある最近のエコロジー運動がほぼ完全に忘却ないし無視している事実は、地球温暖化対策に消極的なトランプ米大統領がラストベルトの労働者の強い支持を背景に当選した事実を筆頭とする「環境負荷のある産業で生計を立てており、かつ、もはや他で潰しが効かない人々の存在」であると言えます。

多角化した現代大企業であれば、「社会的責任」だの「持続可能性」だのといったお題目で沈黙させることができるでしょう。そもそも、経済活動・生産活動は「生身の人間」の「生存のため」のものであり、優先すべきは「生身の人間」です。企業活動を優先させることは本末転倒であります。

しかし、「環境負荷のある産業で生計を立てており、かつ、もはや他で潰しが効かない人々」が環境負荷のある産業で生産活動することは、彼らにとって「生存のため」以外の何者でもなく、「社会的責任」だの「持続可能性」だのといったお題目で沈黙させることはできないでしょう。「地球環境の未来」のために「自分自身の今日の、唯一の飯のタネ」を放棄するよう要求することもまた、本末転倒と言うべきです。悪魔的に酷です。その決断を自ら下せる人は、ほとんどいないでしょう。

マルクス主義が影響力を持っていた時代であれば、こんな「観念論」と言う他ない粗雑な言説がここまで大手を振ることはなかったことでしょう。マルクス主義は、人間存在は社会的・経済的・制度的に規定されたものであり、啓蒙などでは社会は変革され得ず、社会経済制度を根本から変革しない限りは問題は解決し得ないと主張しました。本件に引き付ければ、「環境負荷のある産業」を廃止するためには、その社会的・経済的・制度的条件を整備することが必要であり、それはすなわち、「環境負荷のある産業で生計を立てており、かつ、もはや他で潰しが効かない人々」を別産業に配置しなおすことを要求します。

こうした社会経済制度の問題、とりわけ、「環境負荷のある産業で生計を立てており、かつ、もはや他で潰しが効かない人々」に触れず、お手軽にも「小泉環境相だけでなく私たちも、何を食べるか、何を選ぶかを考えなくてはならない」で止める本稿、及び類似の言説が氾濫している最近のエコロジー運動は、結局は単なる啓蒙であり、個人レベルでの行動改善に幻想を抱いている点において、「観念論」に留まると言わざるを得ないでしょう。

■総括
たしかに気候変動は危機水準であり、環境問題は喫緊の対策が必要だと言えます。だからこそ、限界原理に基づく科学的思考及び、単なる啓蒙・個人レベルでの行動改善といった観念論的発想ではなく社会経済制度的な問題として位置付ける科学的発想が必要だと考えます。
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「上からの目線」への反発と沖縄におけるチュチェ思想の広まり

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190922-00472793-okinawat-oki
小学校でいじめ 明るさにひかれ、沖縄のフリースクールへ 気付かされた「上から目線」
9/22(日) 5:40配信
沖縄タイムス

 石川県の親元を離れて高校3年間を那覇市のフリースクールで過ごした坂本菜の花さん(20)の体験記「菜の花の沖縄日記」(ヘウレーカ)が8月に出版された。沖縄戦を知る高齢者との交流、米軍基地問題に揺れる集落を訪れた経験を素朴な言葉でつづっている。坂本さんは「基地など沖縄の抱える問題を『自分ごと』だと感じられるようになった」と話す。

 
(中略)

 那覇市で暮らし始めた当初を「沖縄を何とかしようと『上から目線』だった」と振り返る坂本さん。でも、普天間飛行場の名護市辺野古移設に「反対」する声を無視するような形で国が工事を進める状況を目の当たりにし、考えが変わったという。「私たち国民が変わらないから政府も変わらない。私と沖縄は1本の糸でつながっている」

(以下略)
沖縄を何とかしようと『上から目線』だった」――本件に限らず、沖縄を巡っては「弱者の味方」を称する人物が、落下傘部隊的に乗り込んで「科学」的に指導しようとするケースが少なくありません。

「やる側」からすれば、善意と確信に満ちた行為なのでしょうが、「受ける側」からすれば、沖縄タイムスが本件をとおしてクローズアップしているように「上から目線」以外の何物でもないのでしょう。

アメリカの支配と東京政府の負担押し付け、とりわけ沖縄がいかなる意志表示――選挙等、文句をつけようがない堂々の民主的手続きを経たものを含めて!――をしても一顧だにしない近年の風潮は、沖縄の地において自らの意志に基づく故郷づくりを渇望させる外的刺激となっていると言えます。変革の道を求める土壌になっていると言えます。

いま沖縄では、既存の変革思想・変革運動では不足に思う人々の間で、チュチェ思想及び自主の概念が広まりつつあります。変革の道を示す勢力は他にもある――より大所帯の勢力、より歴史が長い勢力がある――にも関わらず、あまたある変革思想・変革運動のなかで、あえてチュチェ思想及び自主の概念に注目が集まりつつあります。

チュチェ思想は紛れもなく変革思想ですが、他の変革思想と一線を画する特徴として、「以民為天」(民を以って天と為す)があると言えるでしょう。これは、キム・イルソン同志の座右の銘であります。それまで「啓蒙の対象」と見なされてきた人民大衆にこそ学ぶ必要がある、人民大衆は「駒」ではなく革命を推し進める主人であると位置づけたのが、ほかでもないキム・イルソン同志だったのです。

チュチェ思想はこの原理に基づく独自の人民観をもっています。革命運動推進にあたっては科学的方法論が必要だといっても、決して一方的な啓蒙に走るのではありません。むしろ、革命歌謡「我らのキム・ジョンイル同志」でも歌われているように、人民大衆の生活の現場から生じる素朴な考えを集約・整理して政治に盛り込もうとしています。

自らの意志に基づく故郷づくりが念願となっている沖縄において、あまたある変革思想のうち「以民為天」を重要な要素とするチュチェ思想が広がりを見せている事実に注目すべきです。

現地に暮らす人民大衆は「上から目線」でご指導くださる「頭のよい前衛」を必要としているのではありません。まして、何かの大義に体系化され、その体系に基づいて上から指導されることを望んでいるわけでもありません。自分たちの考え・感覚を集約・整理する「頭のよい人」は必要ではあるが、あくまでも自分たちの考えが出発点であり、それを大きく逸脱するような「体系化」及びそれに基づく「上からの指導」は望んでいないのです。現地に暮らす人民大衆は決して「啓蒙と教育・指導の対象」ではなく、彼らこそが「現場感覚を持った主人」なのです。

沖縄を何とかしようと『上から目線』だった」――沖縄タイムスが本件をとおしてクローズアップしている事実は、いまの沖縄を巡る状況を的確に表現していると言えるでしょう。チュチェ思想及び自主の概念が広まりつつある背景を説明するものと言えます
ラベル:チュチェ思想
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2019年09月09日

ムン「政権」のGSOMIA破棄は、韓「国」内政の必然・追い込まれた唯一の選択肢

https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3772439.html
≫JNN世論調査、GSOMIA破棄「理解できない」7割超
─9日2時26分─

 韓国が日本との軍事機密を共有するための協定=GSOMIA(ジーソミア)の破棄を決めたことについて、「理解できない」と考える人が76%にのぼることがJNN世論調査でわかりました。


(以下略)
GSOMIA破棄――日本の視点に固定されていると確かに「理解できない」と言わざるを得ませんが、韓「国」の内政問題として考えたとき、GSOMIA破棄は「追い込まれた唯一の選択肢」とも言えることが分かるでしょう。

率直に言って、多くの日本人はGSOMIAなど聞いたこともなく、まして韓「国」では一昨年以来、自動延長するか破棄通告するかで揉めるのが恒例行事と化しつつあることを知らない人がほとんどだったでしょう。

GSOMIAは、パク・クネ前「政権」下のチュチェ105(2016)年秋に締結されたものですが、ムン現「大統領」は、いわゆる「積弊清算」の文脈においてその見直し・再検討を大統領選挙の公約に掲げていました。しかし、当選後最初の破棄通告期限であったチュチェ106(2017)年8月において彼は、「核・ミサイル危機」を理由に破棄を通告せず自動延長させました。当時、朝鮮総聯機関誌『朝鮮新報』は次のように報じていました。
http://chosonsinbo.com/jp/2017/09/yr2070911-1/
2017.09.11 (10:43) │ 南朝鮮 │
米日南の軍事一体化進む/GSOMIAを延長、THAAD配備を強行

朝鮮の「核・ミサイル脅威」が騒がれる中、米日南の軍事一体化の動きが加速している。

南朝鮮政府は、8月25日に軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の期限延長を発表、7日には、米国の高高度防衛ミサイル(THAAD)発射台4基を慶尚北道星州郡に追加配備した。

同族に背を向け、米日に無条件に追従する恥ずべき文在寅政権の選択は、積弊清算を求めキャンドルを掲げた民心を裏切る行為といえる。

GSOMIAの延長
南・日間の防衛機密の共有を可能にするGSOMIA。文政権は、昨年11月23日に朴槿恵政権下で締結された協定を、来年の11月まで延長することを決めた。1年と定められた効力が切れる90日前に南・日どちらも破棄を通告しなかったため、自動的に延長となった。

文在寅大統領は、GSOMIAに関して、大統領選の公約集で見直す可能性を示唆していたが、「核、ミサイル危機」を理由に延長を決めた。

これを受け、朝鮮の民族和解協議会は5日、談話を発表。GSOMIAの延長は、「米国と日本の対朝鮮敵対視政策に対する徹底的な追従であり、極悪な同族対決妄動である」と糾弾。「『情報交換』の名目の下、『大東亜共栄圏』実現の野望を夢見て、軍国主義復活に熱を上げる日本の朝鮮半島再侵略の道筋を開く、極めて危険で犯罪的な事大売国協定である」と非難した。

GSOMIAは朴槿恵政権が残した外交安保における代表的な積弊だ。朝鮮の「核・ミサイル脅威」や有事に備えた軍事情報の共有という名目を掲げてはいるが、その内実は南・日の軍事結託の強化であり、日本の朝鮮半島への影響力を強化させ、再軍備を後押ししている。

文大統領は、歴史問題を切り離し、安保協力を進める「ツートラック戦略」をとる立場を示している。大統領選期間中、公約に掲げた日本軍性奴隷制問題に関する南・日「合意」の破棄・再交渉が進まない中、日本との軍事協力が推し進められる現状は、現政権が親米・親日勢力が権力を握った歴代の積弊政権を踏襲していることを意味している。


(以下略)
あくるチュチェ107(2018)年。この年、朝鮮半島においては、北南首脳会談・朝米首脳会談によって未だかつてない和平局面が開拓されました。韓「国」内左派勢力の認識においては「核・ミサイル危機」の時代は過ぎ去ったわけです。停戦協定が平和条約に転化することも遠い未来の話ではないという空気がみなぎっています。

となれば、もはやGSOMIAを残す意味など何一つ残っていないという結論に至るのは、論理的に当然のことでしょう。もともとGSOMIA見直しが公約だったムン「大統領」の立場であれば、尚更のことです。

結局、チュチェ107年における延長問題は「韓日関係や国防・外交の側面で実益がある」や「北朝鮮の非核化や平和定着の過程で韓日間の戦略的な意思疎通が必要だと判断した」などと、分かるようで分からない些か漠然とした理由を挙げて自動延長させましたが、やはり論理的に苦しかった。そして今年。案の定、左派団体は「板門店宣言以降、韓・日軍事協力の名分は消え去った」と主張しました。
http://chosonsinbo.com/jp/2018/07/yr20180730-3/
2018.07.30 (14:00) │ 南朝鮮 │
GSOMIA 延長期日迫る/市民団体が記者会見

南・日軍事協力に反対

南のメディアによると、南・日間の防衛機密の共有を可能にする軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の自動延長期日が8月24日に迫る中、協定廃棄を求める世論が高まっている。

民衆共同行動、戦争反対平和実現国民行動、ウリキョレハナトェギ運動本部は7月17日、ソウルの国防部前で記者会見を開き、「GSOMIAは朴槿恵政権の代表的な積弊」とし、「板門店宣言以降、韓・日軍事協力の名分は消え去った」と主張した。


(以下略)
ムン「大統領」が自称仲介者・朝鮮半島和平の立役者であれば、「板門店宣言以降、韓・日軍事協力の名分は消え去った」は否定できるはずもありません。北朝鮮の非核化や平和定着の過程で韓日間の戦略的な意思疎通が必要だと判断した」という昨年の延長理由も、今般の和平局面;核・ミサイル実験がパタリと無くなった事実が、日本と韓「国」の関係性とは無関係に朝米関係によってのみ規定されていることが1年をかけて十分に証明されてきた点、もはや説得力を失ったというべきです。

つまり、ムン「政権」のGSOMIA破棄は、韓「国」内政の必然であり「追い込まれた唯一の選択肢」とも言えるのです。

GSOMIA破棄通告を、ここ最近の対日関係の中で解釈する見解が日本の言論空間では支配的です。たしかに「政治的カード」として切った側面も間違いなくあるでしょう。しかし、韓「国」の国内事情、とりわけムン「大統領」の支持基盤である左派勢力の情勢認識と絡めると、このことは数年来の内政問題だったということが分かるでしょう。
ラベル:国際「秩序」
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日本におけるBCP概念の発展成果と不十分さについて;鉄道各線の「計画運休」から

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190908-00000039-mai-soci
JR東の首都圏・全在来線の全線 9日朝の始発から運休 台風15号影響
9/8(日) 17:52配信
毎日新聞

 JR東日本は8日、首都圏の全ての在来線で9日始発から午前8時ごろまで運転を見合わせると発表した。台風15号通過後の線路の点検が終われば、予定より早く運転を再開する可能性もあるという。


(以下略)
■翌朝の線路確認を計算に含めた点は、BCP概念に照らして進歩と言える
8月には西日本で、そして今回は東日本での「計画運休」。ここ数年、計画運休という言葉を耳にするようになりましたが、試行錯誤が続いているようです。昨秋、東日本(首都圏)で実行された計画運休では、翌朝の線路点検を計算に入れずに「翌朝は始発から平常運転」としてしまったために、大混乱が発生したことはまだ記憶に残るところです。

昨秋の計画運休について、ブリティッシュエアウエイズ旅客運航部長の元部長で、いすみ鉄道元社長である鳥塚亮氏は、「JRの一斉運休に見る日本のお寒いBCP事情」及び「【続】JRの一斉運休に見る日本のお寒いBCP事情」において、「BCP(Business continuity planning:事業継続計画)の欠如」という視点からJRの対応について厳しく批判する論調を展開しておられました。

悪天候の影響を受けやすい航空業界ご出身だけに、巷のジャーナリスト連中よりも説得力のあるJR批判と言えます。今回の台風15号を巡る計画運休の当否についても、重要な視座を提供するものと言えるでしょう。少し長くなりますが、重要な指摘なので引用します。
https://news.yahoo.co.jp/byline/torizukaakira/20181003-00099170/
始発列車から混乱が続き運転再開に手間取ったということは、首都圏全域の路線を運休させた場合の運転再開の手順が計画されていなかったということだと筆者はみています。首都圏全線の列車を止めた場合、深夜から早朝にかけて台風が通過した後、始発から平常通り運転再開することなどほとんど無理な話であったにもかかわらず、前日の運休を始める時点でのアナウンスは「明日は始発より平常運転の予定」でした。ところがそれができていないわけです。

BCPとは、万一事業を中断した場合、いかにして再開するか、その時間的目標や手順を定めていること、そして完全復旧までの計画がきちんとできていることが求められますから、運転再開の手順が定められていない状況で列車を止めるということは、今回の運休はBCPに従ったものではないということになるのです。

BCPというのは災害時でもどのように業務を継続するかということが第一定義ですから、最初から「安全のために運転しません。」ということはそもそもBCPではないことになります。また、BCPは「万一事業活動が中断した場合でも、目標復旧時間内に重要な機能を再開させ、業務中断に伴うリスクを最低限にするために、平時から事業継続について戦略的に準備しておく計画。」でありますから、一部の路線ならまだしも、運転再開に手間取って多くの区間で正常に戻るまでほぼ半日以上を要するような状況は、BCPとしては実にお寒いと言わざるを得ません。

「明日は始発から平常運転」の情報を得た利用者たちは、いつも通り月曜日の朝の通勤行動をします。ところが駅へ行ったら列車が来ない。列車が来ないばかりでなく改札口は閉鎖されて構内にすら入れてもらえない通勤客が駅前広場にあふれかえるという光景が首都圏全域でみられる事態は、鉄道会社のBCPが全く機能していない、あるいはBCPそのものがこの会社には存在していないことを示していたのです。

では、今回のような場合、筆者はどのようなBCPを考えるか。

まず、運休する場合は当然運転再開の目安として、「明日の午前中は走らない。」「明日は午前10時ごろから順次運転再開予定」等のインフォメーションを同時に出すことが必要でしょう。BCPの中の業務再開計画がきちんとできていれば、天候回復後、通常通りに列車が走るようになるためにどれだけの時間を要するか。また、限られた設備や人的資源でできるだけ早く回復させるためには路線ごと、区間ごとの優先順位の設定も当然必要です。そして、それに基づいたインフォメーションが事前に出されていれば、前日同様翌日も会社や学校はお休みということになりますから朝の出勤時間帯に無用な混乱をお客様にさせるようなことはなかったと思います。
今回は、翌朝の線路点検も計算に入れたうえでの計画運休になっている点、交通インフラにおけるBCP概念は、昨秋の苦い経験を踏まえて進歩していると言えるでしょう。

■少し早すぎる夜の運転打ち切りを見るに、BCP概念の定着は不十分
ただ、今回も夜の運転打ち切りが少し早すぎるようにも思います。その点、BCP概念の進歩という点においては、依然として不十分と言うべきです。鳥塚氏は昨秋の計画運休における「早すぎる運転打ち切り」について、次のように指摘しておられます。
https://news.yahoo.co.jp/byline/torizukaakira/20181004-00099302/
では、なぜ前の晩に台風が接近している状況下とはいえ、まだ実際に輸送に影響を与える気象状況が発生する以前の段階で早々に列車の運転を取りやめたのか。それも半径100キロメートルにも及ぶ首都圏全域という広範囲で時間を定めて一斉運休に入ったのか。BCPという業務継続計画ができていないような会社では、駅間で乗客を乗せた列車が停止したらどうするのか。駅構内に乗客があふれかえったらどうするのかなどの詳細な計画もないでしょうから、お客様の便宜を図るということよりも、できる限り自社の業務の混乱を防ぐ観点から列車の運行を停止する「宣言」をした可能性が高く、だとすればそれはBCPではなくて、「安全」という言葉を引き合いに出した単なる業務放棄ともいえるのではないかと筆者は考えるのです。

(中略)

BCPがきちんとしていて、自然災害が迫るときの対応手順が事前に考えられていれば、いきなり全区間の一斉運休ではなくて、もう少し業務継続ができたのだと考えますが、この会社にはそのようなBCP的考え方がないのでしょう。今回の一斉運休は「何かあったら責任が取れません。」イコール「安全が確保できない」ともっともな理由をつけて、本来行うべき輸送業務を放棄したというのが実情でしょう。だとすれば鉄道会社の英断などと称賛されるような内容ではないということになります。
本来行うべき輸送業務を放棄した」というのは、少し言い過ぎのようにも思いますが、しかし、この会社にはそのようなBCP的考え方がないのでしょう」というのは、首肯せざるを得ないご指摘です。少なくとも、洗練されているとは言えません

西日本の話になりますが、奇しくも9月2日づけ文春オンラインは、まさに鳥塚氏がいうところの「業務放棄」を自白するがごとき記事を掲載しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190902-00013725-bunshun-soci&p=1
「台風で電車が完全ストップ」 計画運休、JRに聞く「“空振り”多くない?」
9/2(月) 11:00配信
文春オンライン


(中略)

 が、そもそも「計画運休とは何なのか」「いったいどんな基準でどのようにして決めているのか」、そして「その目的は何なのか」。すっかり当たり前のように使われている言葉だが、案外「計画運休」についてわからないことも多い。そこで、初めて計画運休を実施したJR西日本に教えてもらうことにした。話してくれたのは、JR西日本鉄道本部安全推進部企画室の中條昭担当室長だ。

(中略)

「終日運休するとお伝えしたのに途中から動かしてしまうとお客さまの混乱を招いてしまう。また、それに加えて運転再開に向けては乗務員の手配や運行システムへのダイヤの入力など多くの作業があり、現実的には難しい。運休すると決めたからには決めた通りに運休することで、安全を守り混乱を防ぐ。社会との信頼関係があって成り立つ、それが計画運休ということです」

“空振り”にはやっぱり批判もあったけれど……
 ただ、当然このような仕組みであれば“空振り”することもある。事実、2014年10月に初めて計画運休を実施した際は、結果は空振りで終わってしまったという。

「当時は多くのご批判もいただきました。ただ、中には『安全を守るためには必要な措置だった』というご意見もありました。いずれにしても安全を第一に考えた対応なので、空振りになったことで現場の対応を責めたり、その後の計画運休の判断に躊躇が生まれたりすることがないようにしています。空振りするかどうかはあくまでも結果論ですから」


(中略)

 例えば台風が昼過ぎから夜にかけて直撃する予報が出ているケース。朝はまだ台風の影響も少なく電車を走らせることはできる。けれど、告知が不十分であれば出勤したものの帰宅時にはすべての電車がストップしていて多数の帰宅困難者が生まれる――。計画運休にはこうした混乱を防ぐという目的もある。そして最大の目的は“安全”だ。

(中略)

 計画運休は、こうした過去の苦い経験の中から生まれた対応策だったというわけだ。ジまた、計画運休をすることで運転再開がスムーズに行くというメリットもあるという。行き当たりばったりで運行を続けていると車両や乗務員があちこちに点在していて運転再開が容易でなくなるし、台風通過後の線路の点検などにも手間がかかる。

(以下略)
空振りするかどうかはあくまでも結果論」というJR西日本の担当責任者の言い分は、庶民的直観においては何となくそれっぽい感じもしますが、鳥塚氏がおっしゃるようにBCPに立脚しているとは到底言い得ないと言わざるを得ません。「あくまでも結果論」で片づけて意に介さないのであれば、それはBCP(事業継続計画)とは言えないのです。

また、京急電鉄の所謂「逝っとけダイヤ」を踏まえるに――JRと京急ではダイヤの複雑さに違いはあるのは分かりますが――「行き当たりばったりで運行を続けていると車両や乗務員があちこちに点在していて運転再開が容易でなくなる」という言い分は、額面通り受け取りがたいものです。

さらに、今回、新幹線は今日になってから突然かなり早い時間帯から順次運休し始めました。「告知が不十分であれば出勤したものの帰宅時にはすべての電車がストップしていて多数の帰宅困難者が生まれる」って、東海道新幹線はJR東海管轄とはいえ、自分から引き起こしているじゃないですかw

気象予報はカオスの影響を受けるので長期予報は原理的に不可能ですが、現代の科学水準においては、翌日程度の短期間を対象とすれば、かなり精度高く予報が可能です。つまり、前回も今回も、暴風域時間帯とその後の線路点検時間帯における運休は必要でも、こんなに早く運転を打ち切る必要は乏しいわけです。「行き過ぎ・やり過ぎ」という謗りは免れがたいものです。

※運転要員の帰宅等を考えると、また少し別の展開も見通せます。しかし、鉄道会社は常に夜勤・泊りシフトがあるのだから、本気で事業継続を考えているならば、こんなに早く全線で完全に運転を打ち切らずとも、終電・始発時間帯程度の人員で運行を継続することは可能でしょう。

デイリー新潮は「「記録的」「観測史上最強」の連発で、天気予報がオオカミ少年になる日」という記事を配信しています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190908-00580963-shincho-ent&p=1
「記録的」「観測史上最強」の連発で、天気予報がオオカミ少年になる日
9/8(日) 11:00配信
デイリー新潮


(中略)

気象庁の見解は
 かように“オオカミ少年”のごとき事態が繰り返されれば、天気予報は信用を失い、かえって国民の命を危険に晒しかねない。本当に危険で避難が必要な時、その警告が意味をなさなくなるからだ。防災システム研究所の山村武彦所長も、こう言うのだ。

「今年の九州南部豪雨では、鹿児島市全域の59万人に避難指示が出されました。この時、気象庁は『命に危険を及ぼす災害が発生するおそれがある』と異例の会見を行ったのですが、これを『最強』『最悪の』などと形容して報じた番組もありました。ところが、実際に避難所へと移った住民はわずか0・61%だった。もし来年、同じような豪雨が鹿児島を襲っても『どうせ何も起きないだろう』と考える人が出て、避難率はさらに下がってしまうおそれもあります」


(中略)

 先の山村所長が言う。

「気象庁の予報には、大雨など災害の危険を伝えながら外れる『空振り』もあれば、その反対の『見逃し』もある。ただ、特に災害については『空振りはしても見逃しはするな』というスタンスをとっています。その一方でやはり『打率』も重要で、あまりに空振りが多いと、肝心な時に避難指示を出しても誰も本気にしてくれない。報じる側は、そうした危険性についても理解しなければなりません」


(中略)

新幹線の運休まで…
 ところでその「空振り」に関連し、8月15日には山陽新幹線が台風10号の接近を見越して「計画運休」したのだが、これに疑義を呈するのは、さる交通ジャーナリストである。

「輸送業各社は『タイムライン』といってあらかじめどう動いてどうアナウンスするか、スケジュールを決めています。予報の精度が上がったことで計画運休もしばしばみられるようになりましたが、徐行や間引き運転ならまだしも、大動脈である新幹線を始発から一斉に止めるというのは、行き過ぎの感が否めません」

 あたかも「空振りはしても見逃しはするな」が伝播しているかのようである。

「“無事故に越したことはない”というのは、いわば易きに流れる発想で、乗客の立場を考えれば、本来は鉄道会社がタイムラインを柔軟に運用し、状況に合わせて徐行運転、一時運休など臨機応変に対応すべきなのです」(同)


(以下略)
「安全」を錦の御旗としている鉄道会社側の魂胆を暴露していると言ってよい鋭い指摘です。ある意味「事なかれ主義」であり、やはりBCPとは程遠いものであると言わざるを得ません。

■「等身大」の感覚(素人考え)で国家・社会を考える風潮がBCP概念の浸透を妨げる
ところで、このような鉄道会社の「行き過ぎ・やり過ぎ」は、決して世論レベルでは評判は悪くありません。上掲デイリー新潮記事のコメント欄でも「経済活動にも影響はあったと思いますが生命は一つしかないんですよ どちらを取りますか(中略)事故もなく被害も無かったのだから良かったと言える人が増えてほしいです」というコメントが寄せられています。

鳥塚氏は、すぐに全線で運転を見合わせようとする鉄道会社を支持する「世論」に対して、次のように指摘しています。
鉄道会社が一斉に運休することを発表した晩、ネットでは

「安全運行が確約できないことが予想される場合は今回のように事前運休は有効だ。」

「利用者が不要な混乱を招くことがない重要な判断だ。」

「今回の運休はJRの英断だ。」

といった鉄道会社の運休判断を称賛する書き込みが多くみられましたが、実はこういうこともBCPという考え方が国民に浸透していない証明のようなものですね。

なぜなら「安全、安全」というのであれば、どのような状況下でも列車は走らせないのが一番安全であり、飛行機は飛ばさないのが一番安全なのです。でも、それでは社会にサービスを提供する公的企業としての社会的使命が果たせないわけですから、安全という言葉を利用した単なる業務放棄ということになるのです。
上掲デイリー新潮記事コメント欄にもありますが、「事故もなく被害も無かったのだから良かった」とか「念には念を入れておき、後になってから『いやあ、何事も起こらなくってよかった』と笑い合えるくらいが、ちょうどいいんだ」といった言説を最近よく目にします。個人レベルであればそれでもよいでしょう。しかし、社会インフラがそういう姿勢では困ります。個人の私生活ではBCP概念は不要でも、インフラにはBCP概念は不可欠です。

経済活動にも影響はあったと思いますが生命は一つしかないんですよ どちらを取りますか」というのであれば、鳥塚氏がおっしゃるように「列車は走らせないのが一番安全であり、飛行機は飛ばさないのが一番安全」です。もちろん、そんなバカな話はありません。この問題は、単純な二元論で判断すべき問題ではありません。

■総括
「早すぎる全線運転打ち切り」からは、「事なかれ主義」の色合いを強く感じるものです。そして、「事故もなく被害も無かったのだから良かった」からは、よく言えば「等身大」、悪く言えば「素人考え」で国家・社会を考える風潮がますます強まっている昨今の日本世論の現況をよく表していると言えます。そう考えると、BCP概念の浸透までの道のりは険しいと言わざるを得ません。
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2019年09月08日

国防委員会を中心とした非常体制は大方清算され、首領制に基づく党・国家体制が再建された;最高人民会議第14期第2回会議と社会主義憲法の修正補充

http://chosonsinbo.com/2019/08/kcna_190830/
조선민주주의인민공화국 최고인민회의 제14기 제2차회의 진행
朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第14期第2回会議が行われる

【29일발 조선중앙통신】조선민주주의인민공화국 최고인민회의 제14기 제2차회의가 29일 만수대의사당에서 진행되였다.
【29日発 朝鮮中央通信】朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第14期第2回会議が29日、マンスデ議事堂で行われた。

회의에는 최고인민회의 대의원들이 참가하였다.
会議には、最高人民会議代議員が参加した。

회의에서는 조선민주주의인민공화국 최고인민회의 제14기 제2차회의 의안을 결정하였다.
会議では、朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第14期第2回会議議案を決定した。

1. 조선민주주의인민공화국 사회주의헌법의 일부 내용을 수정보충함에 대하여
1.朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法の一部内容を修正補充することについて

2. 조직문제
2.組織問題

회의에서는 첫째 의정에 대한 보고를 최고인민회의 상임위원회 위원장 최룡해대의원이 하였다.
会議では、第一議案についての報告を最高人民会議常任委員会委員長チェ・リョンヘ代議員が行った。

최룡해대의원은 본 최고인민회의에서는 경애하는 최고령도자 김정은동지의 유일적령도밑에 사회주의강국건설을 더욱 힘있게 다그쳐나갈수 있는 강위력한 법적담보를 마련하기 위하여 조선민주주의인민공화국 사회주의헌법 수정보충안을 심의, 채택하게 된다고 말하였다.
チェ・リョンヘ代議員は、今回の最高人民会議では、敬愛なる最高領導者キム・ジョンウン同志の唯一的領導の下、社会主義強国建設をさらに力強く推し進めていくことができる強力な法的担保を用意するために、朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法修正補充案を審議、採択するようになったと述べた。

(中略)

최룡해대의원은 사회주의헌법 제6장 《국가기구》에서 국가기관들의 권능과 관련한 문제를 일부 수정보충한데 대하여 언급하였다.
チェ・リョンヘ代議員は、社会主義憲法第6章「国家機構」で、国家機関の権能と関連した問題をいくつか修正補充したことについて言及した。

그는 조선민주주의인민공화국 국무위원회 위원장의 법적지위와 권능과 관련하여 조선민주주의인민공화국 국무위원회 위원장은 전체 조선인민의 총의에 따라 최고인민회의에서 선거하며 최고인민회의 대의원으로는 선거하지 않는다는 내용을 새로운 조문으로 규제함으로써 명실공히 전체 조선인민의 한결같은 의사와 념원에 의하여 추대되는 우리 당과 국가, 무력의 최고령도자이라는것이 법적으로 고착되게 된데 대하여 말하였다.
彼は朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長の法的地位と権能に関して、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、全朝鮮人民の総意によって最高人民会議で選出し、最高人民会議の代議員としては選出しないという内容を新しい条文に規定することにより、名実共に全朝鮮人民の一貫した意志と念願によって推戴される、我が党と国家、武力の最高領導者であることが法的に固着されると述べた。

조선민주주의인민공화국 국무위원회 위원장의 임무와 권한과 관련하여 조선민주주의인민공화국 국무위원회 위원장은 최고인민회의 법령, 국무위원회 중요정령과 결정을 공포한다는 내용과 다른 나라에 주재하는 외교대표를 임명 또는 소환한다는 내용을 새로 보충한데 대하여 언급하였다.
朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長の任務と権限に関して、朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長は、最高人民会議法令、国務委員会重要政令と決定を公布するという内容と、他国に駐在する外交代表を任命または召喚するという内容を新たに補充したと言及した。

그리하여 우리 국가를 대표하는 조선민주주의인민공화국 국무위원회 위원장의 법적지위가 더욱 공고히 되고 국가사업전반에 대한 경애하는 최고령도자동지의 유일적령도를 확고히 보장할수 있게 된데 대하여 강조하였다.
そして、我が国家を代表する朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長の法的地位がさらに強固になり、国家事業全般に対する、敬愛なる最高領導者同志の唯一的領導を確固に保障できるようになると強調した。

조선민주주의인민공화국 국무위원회 위원장 명령, 국무위원회 정령, 결정, 지시집행정형을 감독하고 대책을 세운다는 내용을 비롯하여 국무위원회의 임무와 권한이 수정보충됨으로써 경애하는 최고령도자동지의 유일적령도를 실현하는 중추적기관으로서의 국무위원회의 법적권능이 더욱 강화되고 우리 식의 국가관리체계가 보다 완비되게 된데 대하여 말하였다.
朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長命令、国務委員会政令、決定、指示執行状況を監督し、対策を立てるという内容をはじめ、国務委員会の任務と権限が修正補充されることで、敬愛なる最高領導者同志の唯一的領導を実現する重要機関としての国務委員会の法的権能がさらに強化され、我々式の国家管理体系がより完備されるようになると述べた。

(中略)

최룡해대의원은 이번에 수정보충하게 되는 사회주의헌법이 국가의 전반사업에 대한 김정은동지의 유일적령도를 확고히 보장하고 우리의 인민주권강화와 사회주의강국건설을 위한 전인민적대진군을 법적으로 믿음직하게 담보하게 될것이라고 하면서 본 최고인민회의 심의에 제기하였다.
チェ・リョンヘ代議員は、今回修正補充する社会主義憲法が国家の全般事業に対するキム・ジョンウン同志の唯一的領導を確固に保障し、我々の人民主権強化と社会主義強国建設のための全人民大進軍を法的に頼もしく担保するようになると述べ、今回の最高人民会議の審議に提起した。

(以下略)
年内2回目の会議招集。社会主義憲法改正が議題になりましたが、これは、4月に開かれた第1回会議で既に見られていた事象を法的に整備するためのものと言えそうです。3月23日づけ「最高人民会議第14期代議員選挙結果を読む」及び4月19日づけ「朝鮮労働党中央委員会第7期第4回全員会議と最高人民会議第14期第1回会議から読み取る布陣と確固たる意志」で既に指摘したこと、すなわち、(1)あえて選挙区選出の代議員から国務委員長に選出されるのではなく、全朝鮮人民の総意を代表する形を以って国務委員長に選出されること、(2)外交面でも国家首班としての地位を確立したこと、が法的に確定したと言えます。

キム・ジョンウン同志の唯一的領導が法的に担保されたことにより、名実ともに指揮命令系統が内外に対して明確化しました。全朝鮮人民の総意を代表する形を以って国務委員長に選出された点は、対内的な引き締めにつながることでしょう。外交面での国家首班としての地位確立は、きたる和平的外交攻勢の基盤づくりといえるでしょう。

キム・ジョンウン同志が対内的には唯一無二の権力を掌握していることは、すでに明白なことなので、今回の憲法改正の注目点は、やはり外交面にあるというべきでしょう。外交面での国家首班としての地位確立にこそ、和平的外交攻勢に対する強い意欲を感じるところです。

国防委員会を中心としたキム・ジョンイル同志時代の非常体制は、これで大方清算されたといえるでしょう。今回の憲法改正は、まさに「革命的首領観」を現在の状況下において実現させるための法的整備であると言えるし、共和国メディアは自国の優越性として「社会政治的生命体論」を根拠とし続けています(昨年10月31日づけ「일심단결의 위력으로 전진하는 조선식 사회주의」など)。いわゆる首領制の核心部分が健在というわけです。また、今回の憲法改正とは直接的には関係はありませんが、キム・ジョンウン時代に入ってから、党組織の強化も進んでいます。これらを総合的に考えると、キム・ジョンウン同志を戴く首領制に基づく党−国家体制が再建されたといったよいでしょう。
posted by 管理者 at 21:15| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2019年09月06日

記事の書き手の書きっぷりもよくないが、読み手がその行間を勝手に解釈しているという面もあるのでは

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190906-00010007-huffpost-soci
京急脱線事故「#がんばれ京急」がトレンド入り。京急の責任を検証する報道への「違和感」
9/6(金) 15:44配信
ハフポスト日本版


(中略)

7日始発までに事故で不通となっている区間の運転再開を目指す中、ツイッター上では「#がんばれ京急」のハッシュタグがトレンド入り。6日正午現在で8万9千件以上ツイートされている。夜を徹して復旧にあたる作業員を応援するコメントが相次いでいる。

こうした投稿の中には、テレビ朝日が5日に報じた、運転士の経験の浅さを指摘するような報道に対し「京急の責任を追及しているのではないか」と疑念を呈する声もある。


(中略)

この報道をめぐっては、ネット上で、「その見出しは違うと思う。京急側に責任がある話なの?」「京急がまるで悪いみたいな報じ方」などと、批判的なコメントが相次ぎ、ツイッターでは「#がんばれ京急」のハッシュタグが作られ、様々なコメントが寄せられている。

「原因究明が不十分な今の時点で、鉄道会社が悪いみたいな言い方はよくない」

「夜を徹して復旧に向けて頑張っている京急を、むしろ応援したい」

「マスコミが京急を叩いている意味がわからない。#がんばれ京急」

コメントの中には、事故の原因を探ろうとする報道を「マスコミが京急を叩いている」とし、批判するものも多い。


(以下略)
■「事実関係の究明」と「責任追及」は別
大津での保育園児の右直巻き添え事故や、京アニ事件のときと同様の展開。以下で述べるとおり、「#がんばれ京急」のトレンド入りは、「事実関係の究明」と「責任追及」を混同する日本社会の風潮・傾向があらわれていると言えそうです。

7月28日づけ「ムラ社会とブルジョア「自由主義」社会とのハイブリッドである日本社会の現状」でも述べたとおり、事故の瞬間を克明に描き出すためには、責任追及とはまったく別問題として事実関係を洗い出さなければなりません。本件事故の「非」がトラック側にあるのは常識的範疇では当然のこと(自ら起こしたコトとはいえ、トラックを踏切から脱出させようと努力して、果たせずに残念ながら亡くなった運転手氏については、さすがに亡くなってしまっただけにそこまで激しいバッシングにはなっていない模様)ですが、それを前提としつつも、あくまでも「事故の瞬間を克明に描き出す」ためにこそ、踏切安全装置や運転士の経験年数等にもスポットライトがあてられるのは当然のことです。

もちろん、一度安全装置が作動すれば有無を言わせず自動的に電車を停車させるシステムを導入すれば、逆に電車が危険な場所で停止してしまうこともあり得るので、これは簡単な話ではありません。「電車は急には止まれません」と昔から言いますが、運転士の経験年数では如何にもならないことなど幾らでもあります。

■「京急の責任を追及している」とまでは言い切れない
とはいっても、たしかに、朝日新聞やテレビ朝日、神奈川新聞の報道をみるに、非のある人物・団体等を責任追及する場合と似た論調であることは否めないところです。普段から他人の責任追及に血道をあげている会社ですから、意図せずとも行間に滲み出てきてしまうのかも知れませんw
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190905-00000069-asahi-soci
踏切の異常検知は作動 自動ブレーキ機能なく 京急説明
9/5(木) 21:20配信
朝日新聞デジタル


(中略)

 今回の列車は停車駅が少ない「快特」で、営業運転の最高時速は120キロ。事故前に120キロで走っていたことや、検知装置や信号が正常に作動したことを京急は確認しているという。

 京急の説明では、この列車は運転歴1年1カ月の男性運転士(28)が運転していた。運転士は「信号機に気付いて非常ブレーキをかけた」と話しているが、間に合わなかった。どの時点でブレーキをかけたか、京急は「調査中」として明かさなかった。ブレーキには異常は確認されていないという。

 運輸営業部の小林秀行部長は「原因は調査中だが、ブレーキを適切にかければ止まれるようなシステムにはなっている」と話した。

 他の鉄道会社では、東急や京王、小田急、東武、JR東日本の一部路線で、検知装置を自動列車制御装置(ATC)などの信号保安装置と連動させる仕組みがあり、装置が作動すると自動的にブレーキがかかる仕組みとなっている。だが、京急本線にはこうしたシステムは導入されておらず、運転士が手動でブレーキをかけることになっていた。(細沢礼輝、贄川俊)

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20190905-00000051-ann-soci
京急線「ブレーキ間に合わず」 運転士歴は1年1カ月
9/5(木) 20:07配信
テレ朝 news


(中略)

 事故原因の関連について、踏切には「障害物検知装置」が設置されていて、作動して非常ボタンも押されていたため、340メートル手前の信号が赤く点滅していました。そのため、運転士はブレーキを掛けましたが、間に合わなかったと話しているということです。また、この運転士は車掌から運転士になって1年1カ月だったということです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190905-00000024-kana-soci
【京急脱線】帰宅ラッシュ直撃 県内事故多発「不安」「早く復旧して」
9/5(木) 22:40配信
カナロコ by 神奈川新聞


(中略)

 市営地下鉄で通勤している男性会社員(27)は「明日朝のラッシュでさらに混雑するのは困る。早く復旧してほしい」といら立ちを隠せない様子。「最近、県内で電車事故が多いので不安。安全対策をしっかり見直してほしい」と鉄道事業者に注文を付けた。

(以下略)
しかし、冷静にそして字面だけを素直に(真に受ける調子で)読んでみると、やはりあくまでも「事故の瞬間を克明に描き出す」意図のもとに書かれていることが分かるでしょう。落ち着いて読めば、このかなり微妙な表現の文章からは「京急の責任を追及している」とまでは言い切れません。なんたって朝日。本気で粗探し・責任追及するつもりなら、もっと露骨な論調でアクロバットな理屈を展開しますって。

朝日新聞記事は、「ブレーキを適切にかければ止まれるようなシステムにはなっている」はずなのに事故が起こってしまったという厳然たる事実を提示するに留まっています。「京急本線にはこうしたシステムは導入されておらず、運転士が手動でブレーキをかけることになっていた」は、あくまでも事実です。それについて非をあげつらうような私見を述べているわけではありません。「京急の責任を追及している」とまでは言い切れません。

テレビ朝日記事は、「踏切には「障害物検知装置」が設置されていて、作動して非常ボタンも押されていたため、340メートル手前の信号が赤く点滅していました。そのため、運転士はブレーキを掛けました」が事実として事故が起こってしまった以上は、システムが正常に動作していたとすれば、人間(運転士)側についても調べる必要はあるでしょう。それは責任追及とはまた別の問題です。結果として責任問題になるかも知れませんが、現時点ではそこまで行き着きはしないでしょう(当然、運輸当局や京急電鉄だって運転士についてかなり詳細に調べている、あるいは今後調べることでしょう)。少なくとも、そこまでは書いていません。行間を意図的に解釈しないと、「想像力豊かに」読み込まないと「京急の責任を追及している」と断定することはできません。

まあ、経験年数と事故発生との間の因果関係は、一般論としては考えられないことはありませんが、本件については現時点では当てはまるとは言い切れず、いささか「無責任」であり、また、テレ朝記者が自らの浅はかさを自白しているとは言えるでしょう。いろいろな可能性を想定して検討することは大切なことですが、報道機関としては、もう少し因果関係が見えてきてから経験年数問題を報じた方が良いとは思いますよ。

神奈川新聞は・・・まったく性質の異なる事故を同一視している、掲載する価値のないバカなインタビュー回答を敢えて掲載するという編集方針は、つまるところインタビュー回答者の口を借りて会社としての主張を展開していると言えるかもしれません。他方、人身事故による運転見合わせで改札口の駅員に罵声を浴びせるおバカさんは津々浦々にいますから、「バカのサンプル」として敢えて掲載している可能性も否定できません。これもまた断定し切れないところです。

■「事実関係の究明」と「責任追及」が混同される日本社会の風潮・傾向
さて、「#がんばれ京急」のトレンド入りは、大津での保育園児の右直巻き添え事故や京アニ事件のときの世論動向と同様の展開を見せ始めた兆候と言い得ると考えます。

7月28日づけ「ムラ社会とブルジョア「自由主義」社会とのハイブリッドである日本社会の現状」でも述べたとおり、日本社会では「事実関係の究明」と「責任追及」が混同される風潮・傾向があります。それゆえに、「何か問題が発生している状況下で特定個人に声がかかる」ということを「その人の責任が追及されている」と受け止め、事件・事故の被害者に事実関係の確認をすることを「粗探しして被害者の落ち度をあげつらおうとしている」と見なす傾向にあります。

このことは、もっと言ってしまえば、自分が普段から他人の粗探しばかりしているから、「マスゴミは京急の粗探しをしているに違いない(他人も自分と同じように粗探しをしているに違いない)」と思い込んでしまうとも言えるかも知れません。

今回の世論動向は、「京急の責任を検証する報道への「違和感」」だけでは解明しきれないようにも思われます。朝日系報道機関の書き手の書きっぷりもよくないが、読み手がその行間を勝手に解釈しているという面もあるのではないでしょうか?

大津での保育園児の右直巻き添え事故や京アニ事件のときの世論動向と同様、今回もまた、「事実関係の究明」と「責任追及」を混同する社会的風潮・傾向に基づく「誤読・誤解」もありそうです。
posted by 管理者 at 21:15| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする