2019年10月29日

資本主義的・ブルジョア的「平等」が明瞭たる萩生田文科相の反日的「身の丈」発言

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191028-00000030-asahi-soci
萩生田文科相「身の丈に合わせて」発言を謝罪 英語試験
10/28(月) 12:30配信
朝日新聞デジタル


(中略)

発言は24日夜のBSフジ「プライムニュース」でのもの。英検などの民間試験の利用で、受験生の経済状況や地理的条件によって不公平が生じないかと問われ、「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」と反論。「裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことがもしかしたらあるのかもしれない」と述べた。試験本番では、高3で受けた2回までの成績が大学に提供されることを踏まえ、「自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」と答えた。

 萩生田氏は28日、不公平を容認しているとの指摘に対し、「どんなに裕福でも2回しか結果は提出できないので、試験の条件は平等な制度」と強調。「民間試験なので、全ての人が(本番の)2回しか受けてはいけないというルールにはなかなかできない」などと述べた。

 
(以下略)
資本主義的・ブルジョア的発想が「これでもか」というほどに明瞭にあらわれている、一種の「逸品」と言わざるを得ない萩生田文科相発言。ふつう、小賢しいブルジョア的言説を批判するためには、幾つかの発言を組み合わせ論理的に推論することで「正体」を暴きだす必要があるところ、萩生田文科相は、手っ取り早く「自白」してくれました。

どんなに裕福でも2回しか結果は提出できないので、試験の条件は平等な制度」――形式的な平等、つまり競争に至るまでの条件を無視し、そもそもスタートラインが異なる者同士を「平等」に扱う文化遺産レベルの古典的な「ブルジョア的平等」と言わざるを得ません

ニヒル気取りの手合いは、「人生とは不平等だ、それこそが人生だ」などと分かったような口を利くものですが、こと我が祖国;日本国のような天然資源小国にあっては、人材のみが国富であります。ニヒル気取りの手合いの言い分は、「個人」レベルに留まる極めて視野の狭い言説と言うべきものです。

天下国家・我が祖国の隆盛を願う愛国愛族の立場においては、「ブルジョア的平等」としての形式的平等のドグマに留まって社会的・人的資源を浪費するのではなく、競争のスタートライン設定における実質的平等を期し、国家の社会的・人的資源を極大的に利用すべきと考えます

自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」――身の丈! 資本主義を体現していると言わざるを得ない「素晴らしい」発言! これほどまでにハッキリと「自白」してくれるとは、こちらとしては、だいぶ仕事が楽になります。

済力、そしてそれに起因する「競争のスタートライン」の違いを「身の丈」と表現するその思想は、まさに経済力によって人間の格付けがなされるという意味で極めて資本主義的な発想と言わざるを得ません。いまどき、もう少しオブラートに包んで言うもんだと思いますが、あまりにも正直な萩生田文科相であります。

ところで、本件について「教育基本法に反する」という理屈での批判が出てきています。
https://www.nikkansports.com/general/column/jigokumimi/news/201910280000034.html
2019年10月28日8時21分
平、菅原、萩生田の共通点は…/政界地獄耳


(中略)

東京24区選出、文科相・萩生田光一だ。24日のテレビで大学入学共通テストに導入される予定の英語民間試験について「(受験生は)身の丈にあった勝負をしてもらえばいい」と発言。「(地方で会場がない受験生に対して)人生で1回や2回は故郷から出て試験の緊張感を味わうのも大事」と中央集権的、新自由主義的差別感満載の教育基本法を無視した文科大臣発言だ。

(以下略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191028-00000573-san-pol
「許し難い発言」共産・小池氏、萩生田氏の辞任求める
10/28(月) 18:38配信
産経新聞


(中略)
 小池氏は「憲法、教育基本法を踏みにじる萩生田氏に文科相を続ける資格はない。辞任を求める」と強調。同時に「国会としてただす必要がある。衆参予算委員会の集中審議(を開き)、萩生田氏も出席してもらい徹底的な審議を行う必要がある」と述べ、厳しく追及する考えを示した。

最終更新:10/28(月) 18:38
分からないでもない理屈ですが、そもそも「教育基本法」なる法律自体が、資本主義社会・ブルジョア社会に強引に「接ぎ木」されたものなのではないでしょうか? そもそも本質的に相容れるなものなのでしょうか? 

萩生田文科相発言は、近年まれに見るレベルで資本主義的・ブルジョア的発想が明瞭にあらわれている大暴言ですが、見方を変えれば、「強引な接ぎ木」を暴露したとも言えるでしょう。
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2019年10月25日

韓「国」(自称)ならではの表層的分析;元帥様が将軍様を否定するはずもなく

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191024-00080019-chosun-kr
金正恩氏「前任者の政策は大間違い」…父・金正日総書記を前例ない批判  
10/24(木) 9:11配信
朝鮮日報日本語版

 北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長が金剛山の韓国側施設撤去を指示した際「前任者の依存政策は非常に間違っていた」と述べた。金正恩氏が語った「前任者」は自らの父である故・金正日(キム・ジョンイル)総書記を意味するものとみられる。

 北朝鮮はこれまで金剛山観光をはじめとする南北経済協力事業について「金正日総書記の決断」と宣伝してきた。金正恩氏が自らの父の進めた金剛山観光を含む対南政策を「間違っていた」と批判したのだ。世襲政権の北朝鮮で後継者が父親を批判するのは前例のないことだ。

 金正恩氏は「手っ取り早く観光地でも渡してやり、座って利益を得ようとしていた前任者らの誤った政策で、金剛山はおよそ10年間放置され傷が残った」「土地が惜しい、国力が弱いころ、南に依存しようとしていた前任者らの依存政策は大きく間違っていた」と深刻に批判したという。北朝鮮の労働新聞が23日付で報じた。労働新聞はさらに「党中央委員会の担当部署が金剛山観光地区の敷地を全て提供し、文化観光地の管理を怠り、景観に害をもたらしたことを、厳しく指摘した」とも伝えた。


(中略)

 一部では今回の発言について「金総書記というよりも、対南政策に深く関与していた張成沢(チャン・ソンテク)氏など、金正日政権当時の政策担当者を批判した」との解釈も出ている。東国大学の高有煥(コ・ユファン)教授は「金正恩氏は実務担当者を連れていったようなので、彼らの前任者という意味かもしれない」と指摘した。

最終更新:10/24(木) 11:11
元帥様が将軍様を否定する?? 突き詰めれば事実上そういう結論に至るように見えても、将軍様はやはり「神聖不可侵」。ほとんどの場合、「将軍様の意志を曲解した」とか「期待に応えられなかった」「将軍様を裏切った」とするものです。本件だって無名の現場責任者か、あるいは、10年前の実力者すなわちチャン・ソンテクの責任という文脈と見て間違いないでしょう。特にチャン・ソンテクは、その売国行為が罪状となったわけですから。

原典に当たるという意味で、共和国側報道を確認しておきましょう。
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?lang=jpn&ftype=songun&no=24558
最高指導者金正恩党委員長が金剛山観光地区を現地指導

朝鮮労働党委員長で朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長、朝鮮民主主義人民共和国武力最高司令官であるわが党と国家、武力の最高指導者金正恩同志が、金剛山観光地区を現地で指導した。

金正恩党委員長は、高城港と海金剛ホテル、文化会館、金剛山ホテル、金剛山玉流館、金剛ペンションタウン、九龍マウル(村)、温泉ビリッジ、家族ホテル、第2温井閣、高城港刺身屋、高城港ゴルフ場、高城港出入事務所など、南朝鮮側が建設した対象と三日浦と海金剛、九龍淵一帯を見て回った。

観光地区に建設したサービス建物を具体的に調べながら、建築物が民族性というものが全く見られず寄せ集め式だ、建物をまるで被災地の仮設テントや隔離病棟のように配置した、建築美学的にひどく立ち後れているばかりか、それさえ管理されていないので非常にみすぼらしいと述べた。

世界的な名山である金剛山に建設場の仮設建物を彷彿(ほうふつ)させるこのような家を数棟築いておいて観光をするようにしたのは非常に誤ったことだ、以前に建設関係者らが観光サービス建物を見るにもきまり悪く建設して自然景観に損害を与えたが、容易く観光地を明け渡して何もせず利を得ようとした先任者らの間違った政策によって金剛山が10余年間放置されて傷が残った、土地が惜しい、国力が弱い時に他人に依存しようとした先任者らの依存政策が非常に間違っていたと深刻に批判した。

わが領土に建設する建築物は当然、民族性が濃い朝鮮式の建築でなければならず、われわれの情緒と美感に合うように創造されなければならないと述べた。

金正恩委員長は、見ただけでも気分が悪くなるごたごたした南側の施設を南側の関係部門と合意して残さず撤収するようにし、金剛山の自然景観にふさわしい近代的なサービス施設を朝鮮式に新しく建設すべきだと述べた。


(以下略)

共和国側報道を踏まえるに、元帥様のお言葉は決して将軍様を否定する意図を持っているわけではなさそうだということが確度高く推察できます。すなわち、将軍様におかれては、『建築芸術論』で次のように教えていらっしゃるからです。
http://kcyosaku.web.fc2.com/kj1991052105.html
 我々は、建築を朝鮮式に創造すべきである。

 建築を朝鮮式に創造するというのは、建築創造において主体性を確立するということである。つまり、我が国の実情と自然地理的条件および気候条件、朝鮮人民の生活感情と習慣、好みに合う建築を創造するということである。

 朝鮮式の建築は、すなわちチュチェ建築である。自国の革命の利益と自国人民の志向と要求にかなった建築を創造することは、チュチェ建築の創作で堅持すべき重要な原則である。


(中略)

 建築は人民の生活習慣と生活感情、思想的・美学的要求と趣味を反映する。人間が一定の社会的集団をなして暮らす過程で民族が形成され、各民族はその固有な生活習慣と生活様式をもつようになる。生活習慣と生活様式は、徹底して民族性と階級性をおび、人間の思想・意識の影響を受ける。民族と階級によって生活習慣と生活様式は異なる。生活様式は、時代と社会制度の特徴を明瞭にあらわす。

 建築は実用性を有するがゆえに、その国の民族と階級の生活習慣と生活様式を反映する。労働者階級の建築は、すべての勤労者が国の主人となってともに働き、むつまじく暮らす社会主義制度にもとづいた新しい生活方式を反映し、ブルジョア的建築は他人を食いものにする弱肉強食の法則と、他人はどうなろうと自分だけよい暮らしをすればよいという極端な利己主義にもとづいた搾取社会のブルジョア的生活様式を反映する。


(中略)

 朝鮮式の建築を創造するためには、なによりも建築創造において民族的形式に社会主義的内容をもらなければならない。形式が民族的で内容が社会主義的なところに、チュチェ建築の重要な特徴がある。

 建築の社会主義的内容は、すなわち建築にたいする勤労人民大衆の要求である。労働者階級の建築は人民大衆のための建築であるため、建築にたいする労働者階級の要求は人民大衆の要求として提起される。社会主義的内容の構成要素はすべて、自国や自民族の特性に合ってこそ真実のものとなる。建築にたいする勤労人民大衆の要求は、民族的特性を基礎とする。社会主義的内容は民族性をおびるため、その実現方式と手段としての形式も民族性をおびる。労働者階級の建築の形式と内容は、ともに民族性をおびる。建築に民族的形式と社会主義的内容をもりこむことは、自分の方式で建築を創造するという労働者階級の建築創造の原則と要求に全的に合致し、それを成功裏に解決する重要な方途となる。建築において民族的形式に社会主義的内容を完璧にもりこめば、自民族と人民大衆に喜ばれる建築を創造し、建築を主体的に発展させることができる。

 建築に社会主義的内容を具現するうえで重要なことは、なによりも建築家が革命的な世界観で武装し、建築創造において人民的な立場を堅持することである。それは、建築の社会主義的内容をなす構成要素がすべて建築家によって選択され、建築にもりこまれるからである。建築家は、主体的な建築思想と理論で武装し、高い科学技術知識と芸術的才能を身につけてこそ、建築に社会主義的内容を立派に具現することができる。いかに客観的な現実生活の要求が革命的で多様であるとしても、建築家の思想的立場が確固たるものでなく、政治的見識と準備程度が高くなければ、建築に社会主義的内容を具現することはできなくなる。
つまり、将軍様は、朝鮮の建築家は「建築を朝鮮式に創造すべき」であり、朝鮮式の建築を創造するためには、「なによりも建築創造において民族的形式に社会主義的内容をもらなければならない」と教えていらっしゃるわけです。

今回の現地指導において元帥様は、「わが領土に建設する建築物は当然、民族性が濃い朝鮮式の建築でなければならず、われわれの情緒と美感に合うように創造されなければならない」と仰っていますが、これはまさしく将軍様の『建築芸術論』を踏まえてのことであると言って間違いないでしょう。

また、「世界的な名山である金剛山に建設場の仮設建物を彷彿(ほうふつ)させるこのような家を数棟築いておいて観光をするようにしたのは非常に誤ったことだ」というご指導についても、将軍様の『建築芸術論』における「ブルジョア的建築は(中略)他人はどうなろうと自分だけよい暮らしをすればよいという極端な利己主義にもとづいた搾取社会のブルジョア的生活様式を反映する」という教示と一脈通ずるものがあると言えるでしょう。

このことは、元帥様がピョンアン南道ヤンドク郡で完成間近になっている温泉観光地区の建設現場を現地指導した際のお言葉を踏まえて分析するに、確度高いものだと自負します。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191025-00000006-yonh-kr
金正恩氏が温泉観光地区視察 「資本主義の金剛山とは対照的」
10/25(金) 9:21配信
聯合ニュース

【ソウル聯合ニュース】北朝鮮の朝鮮中央通信は25日、金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党委員長)が中部の平安南道陽徳郡に完成間近の温泉観光地区の建設現場を視察したと伝えた。金委員長は直前の視察で韓国側施設の撤去を指示した金剛山観光地区と比較して温泉観光地区の建築を「われわれ式」と評価しながら、独自の観光産業育成に意欲を示した。


(中略)

 特に建築物を「建築における一つの飛躍。これがわれわれ式、朝鮮式の建設」と評価し、「きょう温泉観光地区を見て頭がすっきりし、気分も晴れ晴れしている」と述べた。さらに「金剛山観光地区とは実に対照的」としながら、「適当に建物を建てて利潤追求を目的とする資本主義企業の建築と、勤労人民の要望と志向を具現した社会主義建築の本質的な違いを総合的、かつ直観的に示している」と強調した。
 
(以下略)
つまり、元帥様の今回の現地指導の内容は、まさに将軍様の『建築芸術論』を踏まえているものであり、将軍様を否定する内容であるとは考えにくいわけです。元帥様がいう「先任者らの依存政策」は、さしづめ、チャン・ソンテクあたりを念頭に置いたものであり、決して将軍様を批判する意図であったとは言えないでしょう。チャン・ソンテクは裏切り者なので、奴を批判したところで将軍様を批判することにはなりません

元帥様の片言隻語の揚げ足をとって、あらぬ方向に話を持ってゆく韓「国」メディアの反応ときたら・・・コ・ユファン(高有煥)トングク(東国)大学教授のコメントをアリバイ作り的に掲載しているものの、記事タイトルの「父・金正日総書記を前例ない批判」がメインだということは明々白々です。

ものごとを深く考えずに脊髄反射的に云々する連中ならではの反応と言う他ありません。バカバカしい。
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2019年10月22日

習近平主席の「粉身碎骨」発言と原文に当たることの重要性について

https://news.yahoo.co.jp/byline/endohomare/20191015-00146977/
習近平の「(分断勢力の)体はつぶされ骨は粉々に」発言を検証する
遠藤誉 | 中国問題グローバル研究所所長、筑波大学名誉教授、理学博士
10/15(火) 17:51

 日本では習近平が言った「粉身碎骨」を誤訳し、おまけに「香港デモを念頭に」と習近平の心を読み取る読心術まがいの歪曲報道までがあるが、原文の文脈を読んだのだろうか?習近平の「粉身碎骨」発言を検証する。

◆習近平が「粉身碎骨」を使った文脈
 習近平国家主席は10月13日、訪問先のネパールの首都カトマンズでオリ首相と会談した。その時のほぼ全文が中国共産党新聞に掲載されているので、それを詳細に見てみよう。

 タイトルは「習近平、ネパールのオリ総理と会談」。

 習近平は以下のような文脈で「粉身碎骨」という常套句を使っている。

 ――中国はネパールが「一つの中国」政策を堅持し、中国の核心的利益において中国を徹底して支持してくれていることを高く評価している。中国の如何なる地区においても分裂活動を意図する者は、最終的には「粉身碎骨」するだけだ(滅んでいくだけだ)。中国の分裂を支持する如何なる外部勢力も、中国人には妄想を抱いているとしかみなされない!
 

(中略)

チベット亡命政府に脱出する中国のチベット族は、「ネパールやブータンを経由して」インドに行く者が多い。

 そこでオリ首相は習近平に対して以下のように応じている(上記「習近平、ネパールのオリ総理と会談」の後半)。

 ――ネパールは、中国の主権と領土の完全維持に関して、断固「一つの中国」原則を守っており、如何なる勢力がネパールの領土を利用して反中分裂活動に従事しようとも、それに断固反対し、また絶対にそのような活動を許さない。

 つまり、習近平は、「ネパールを経由してインドに設立しているチベット亡命政府を強化する活動を許さない」と言っているのであり、その勢力は「最終的には滅んでいく」と言っているのだ。

◆日本における歪曲報道
 驚いたのは、この文脈を「香港デモに関して習近平が初めて見解を述べた」という文脈でとらえていることであり、さらに「体はつぶされ骨は粉々に」と、この上なく恐ろしい言葉を用いて表現したと報道していることだ。


(中略)

1.直訳の二次資料をコピペした日本
  BBCは、まず英語で発表されたBBCの報道を、日本語や中国語など各国言語に翻訳して報道する。したがってBBC記者が、たまたまなのか、中国語の「粉身碎骨」という4字熟語を知らなかったために、「体を粉のようにつぶして、骨を粉々になるまで砕いてしまう」と、文字通り「直訳」してしまったのだろう。それをさらに日本語に「直訳」した。原文に当たらない日本の一部メディアが、二次資料を三次利用して「体はつぶされ骨は粉々に」とコピペした。

2.BBCの位置づけをコピペし増幅させた日本のメディア
  BBCの原文のタイトルは“Hong Kong protests: President Xi warns of 'bodies smashed'”となっている。最初から香港デモに関して習近平が'bodies smashed'(体を粉々にしてしまうぞ)と言ったと位置づけている。

 そこで10月14日、日本のANNニュース<習近平「打ち砕く」 一方、香港民主派は「女神像」(19/10/14)>は、

 ――中国の習近平国家主席は13日、香港のデモ隊を念頭に「中国のいかなる地域であれ、分裂活動を行えば誰であろうと粉々に打ち砕かれることになる」と痛烈に批判しました。

と、習近平が頭の中で何を考えているかまで見えてしまっている「読心術」でも持ち合わせているかのような「先見的な」表現で報道するに至っているのである。

 ただただ、唖然とするしかない。

 それ以外にも<「体を打ち砕かれ骨は粉々に」習近平主席が中国分断を巡り警告>といった、類似の歪曲報道は続く。

◆「粉身碎骨」の意味
 そのような中、日経新聞の<習氏、中国分裂勢力「最後は粉々に」>は非常に良心的だ。北京の特派員・羽田野主氏が書いたようだが、こういう先見性を持たずに原文に忠実に書いている報道を見ると、礼賛したくなる。

 「最後は粉々になるだけだ」という表現も、原文の意味に近い。羽田野主記者に敬意を表する。


(中略)

それを知らない英文圏の記者が「なんという恐ろしい表現!」と仰天してしまったのを、日本人が原文にも当たらずにコピペ歪曲報道をし、さらに習近平が香港デモを「念頭に」などと、読心術まで発揮するようになったのが、この報道の根本的間違いで、日本の少なからぬメディアの怠慢なのである。

(中略)

習近平の言った言葉を中国語で書くと「結果只能是粉身碎骨」で、他動詞的な「譲他」(そいつを〜してやる)という文字や「被」(〜される)という文字がない。つまり「やっつけてやる」に相当する言葉がないのだ。従って唯一日経新聞の<習氏、中国分裂勢力「最後は粉々に」>の自動詞的表現「最後は粉々に」が正しい。「被」という一文字さえあれば「徹底して叩き潰してやる」と訳すのが最も適切だが、他動詞的作用を示す文字は存在していない。

(以下略)
素晴らしい! 筆者の遠藤誉氏は、原文にも当たった上で習近平主席の「(分断勢力の)体はつぶされ骨は粉々に」発言が誤訳に基づく歪曲報道であることを余すことなく論じ切っています(ちなみに、「会談報道自体が中国共産党の検閲機関によって改竄されている」などと言い出すとキリがない――G.オーウェルの『1984年』の読みすぎ――ので、それはナシでね)。

私も実は、後出しジャンケン的になってしまいますが、「香港のデモ隊を念頭に」という決まり文句には疑念を持っていました。というのも、「念頭に」ということはつまり、「習主席がそう明言したわけではない」ということであり、「記者がそう受け止めた・そう思った」ということです(習主席がハッキリと言明したのであれば「念頭に」などいう表現が使われることはありません)が、果たして本当にそんな文脈だったのか、記者の国語力・読解力はマトモなのかというと、これは平生の中国報道を見るに極めて「怪しい」と言わざるを得ないからです。

それにしても、「粉身碎骨」が誤訳されたメカニズムは遠藤氏の分析で理解可能ですが、「香港のデモ隊を念頭に」は一体どこから・・・?

遠藤氏の記事からは依然として、このことについての解答は得られませんが、まあさしづめ、「すべては連関している」と考えたがるジャーナリストの習性といったところではないかと勝手に推察するところです。

世の中、関係性に乏しいものがたまたま同時発生するのは決して珍しくないことですが、そういった事物同士に何らかの連関性があると「信じ」、それを追究しようとする人は一定数いるものです。その結果、怪しげな「関係性」が乱発されるわけです。アンケート等の統計的結果に怪しげな「背景」をくっつけたがる人がいるように。

まったく存在しない発言やデータを捏造すると直ちにバレて叩かれるor胡散臭がられて無視されるかですが、既に存在している事実どうしを都合よく組み合わせる場合だと、意外とオッチョコチョイさんを釣り上げることができるものです。

※ちなみに、ちょっと脱線しますが、デイリーNKジャパンのコ・ヨンギ(高英起)編集長が、あんなに熱心に活動し、YahooニュースではPVを稼ぎながらも、それ以外ではあまり相手にされていないのは、彼の報道内容が実在事実なのか否か裏を取りようがない話ばかりであるが、彼にはジャーナリストしての実績に基づく信頼や権威がないので、胡散臭がられて無視されているためでしょう。ときどき、他の報道機関等が既に報じている内容同士を組み合わせた記事も発表していますが、社会主義政治に関する基礎的知識がそもそもないのでしょう、素人丸出しのハチャメチャな分析が出てきたかと思えば、どこかで聞いたことがあるような特に目新しさのない平凡な分析に終始することもあり、Yahooニュース愛好家(眉唾だと分かっている人も少なくないと思いますけどね)以外のオッチョコチョイさんを釣り上げることさえもできていません。

それはさておき、遠藤氏には是非ともこの調子で、朝鮮半島情勢を論ずるときには、リ・ヨンファ(李英和)氏を頼りにするのではなく、朝鮮労働党機関紙『労働新聞』等の朝鮮語原文に自ら当たって判断していただきたいと切に思う次第です。

昨年6月10日づけ「朝米関係の行方を占うならば、朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国そのものを正面から取り扱うべき」において私は、リ・ヨンファ氏提供の中途半端な情報を基に判断を下した遠藤誉氏その人について、朝鮮中央通信配信記事を基にその主張の誤りを指摘しました。韓「国」紙『ハンギョレ』が、まさに”겨레”(同胞)であるからこそ共和国側発表を十分に確認し踏まえた上で論評したことを評価したところです。
ラベル:メディア 中国
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2019年10月21日

グレタ・トゥンベリさんを持ち上げている場合ではない

ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)ならぬエココレ界隈が最近やたらプッシュするグレタ・トゥンベリさんがカナダの石油産地でデモったところ、痛烈なカウンターデモに遭遇したそうです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191019-00000017-jij_afp-sctch
トゥンベリさん、カナダ石油産地で環境保護訴え カウンターデモも
10/19(土) 12:04配信
AFP=時事

【AFP=時事】スウェーデンの高校生環境活動家グレタ・トゥンベリ(Greta Thunberg)は18日、石油資源が豊富なカナダ・アルバータ(Alberta)州で気候変動に抗議する人々と共にデモを行った。一方、石油業界で働く人々もカウンターデモを実施し、大型掘削装置のクラクションを鳴らした。

(中略)
 しかし大勢がトゥンベリさんを支持する声を上げる一方、石油生産を支持するカウンターデモも行われ、有名なトゥンベリさんが話すのに合わせてクラクションを鳴らし、嫌悪感をあらわにした。

 あるカウンターデモの参加者は、アルバータ州レッドディア(Red Deer)からエドモントンに向かう50台の車列に加わる前にカナダメディアのインタビューに応じ、「われわれだってもちろん、環境に配慮している。彼女たちが理解しなければならないのは、われわれが困窮しており、アルバータ州の雇用にも配慮しなければならないということだ」と訴えた。

(以下略)
■痛烈なカウンターデモを受けても変わりそうにないエココレ的エコロジー運動
あるカウンターデモ参加者の「彼女たちが理解しなければならないのは、われわれが困窮しており、アルバータ州の雇用にも配慮しなければならないということだ」」という訴えは、9月25日づけ「観念論としてのエコロジー運動」において私も述べたところです。

すなわち、人間存在は社会的・経済的・制度的に規定されたものであり、社会経済制度・構造を根本から変革しない限りは社会は変革されないのです。「環境負荷のある産業」を廃止するためには、その社会的・経済的・制度的条件を整備することが必要であり、それはすなわち、「環境負荷のある産業で生計を立てており、かつ、もはや他で潰しが効かない人々」を別産業に配置しなおすことが必要なのです。啓蒙などでは社会は変革され得ません。人間行動をちょっと変えたくらいで社会が変革されると考えるのは、まさしく「観念論」と言わざるを得ないのです。

「エココレ」の様相を呈しつつある最近のエコロジー運動がほぼ完全に忘却ないし無視している事実は、地球温暖化対策に消極的なトランプ米大統領がラストベルトの労働者の強い支持を背景に当選した事実を筆頭とする「環境負荷のある産業で生計を立てており、かつ、もはや他で潰しが効かない人々の存在」であると言えます(マルクス主義が影響力を持っていた時代であれば、こんな「観念論」と言う他ない粗雑な言説がここまで大手を振ることはなかったことでしょう・・・)。

【追記】2020年の大統領選挙でトランプ氏は敗北し、バイデン氏が大接戦の末に勝利しましたが、選挙戦期間中、バイデン氏は環境問題に優先度高く取り組む姿勢を示しつつも環境政策とエネルギー政策との両立についてかなり「慎重」な物言いを余儀なくされました。たとえばフラッキング規制について候補者ディベートで少し踏み込んだ発言をしたところ大騒ぎになり、あわててバイデン陣営が火消しに走ったという一幕もありました。2016年大統領選挙及び2020年大統領選挙は、依然として「環境負荷のある産業で生計を立てており、かつ、もはや他で潰しが効かない人々の存在」は事実として大きな要素であり続けていることを示しています。【追記おわり】

カナダの地で事実を告げられたグレタ・トゥンベリさんを筆頭とする「エココレ」ご一行。気候変動は危機水準であり環境問題は喫緊の対策が必要であるからこそ、エコロジー運動は、観念論から卒業して新たな局面を切り拓く必要があると言えますが、たぶん彼・彼女らは何も感じていないことでしょう。環境保全という「大義」に照らせば、失業など大したことのない「必要経費」くらいにしか考えていないことでしょうし、「再就職あっせんは政府の仕事であり、エコロジー運動の仕事ではない」くらいのことは平気で言い出すでしょう

必要なのは、環境保護の「活動家」ではなく環境保護の「政治家」です。要求を並べてアジる人材ではなく社会全体をトータルに見渡して調整する人材なのです。

■啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズム的発想の悪しき影響
個人の主観的思考・願望や行動を過剰に重視する啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズム的発想の悪しき影響は、ここにも顕著にあらわれています。

すなわち、個人の主観的思考・願望や行動を過剰に重視する啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズムは、個人は、その価値観と意志に基づき行動を自由に決定し、そうした個人の志ある行動により社会全体が変革されていくという主観観念論的社会観を提唱し、社会組織・社会システムが個々人に与える客観的・構造的制約というものを軽視ないしは無視します。

換言すれば、啓蒙−決心−行動−成果が連続的で「個人が改心すれば社会が変わる」と言わんばかりのビジョンを示す啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズムは、それゆえに、啓蒙と決心との間の葛藤、決心と行動との間にある客観的・構造的制約、行動と成果との間にある因果関係に対してまともに分析を加えようとしません。また、そうであるがために、問題の所在を「決心したか否か」や「関係者が善人であるか悪人であるか」に設定してしまいます。

しかし、前述のとおり、人間存在は社会的・経済的・制度的に規定されたものであり、社会経済制度・構造を根本から変革しない限りは社会は変革され得ず、人間行動をちょっと変えたくらいで社会が変革されると考えるのは、まさしく「観念論」と言わざるを得ないのです。

【追記】記事末尾、「補論」において、世界観の問題として更に言及しています。記事末尾につづく。【追記おわり】

■「長期的視野と短期的対策に整合性を持たせる」という概念が存在しないエココレ的エコロジー運動
エコロジー運動における観念論が深刻化しています。ESG投資の世界で活動されている夫馬賢治氏が、「グレタさんを批判している場合か」などとしつつ以下のような記事を発表しました。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191019-00067794-gendaibiz-int
グレタさん演説のウラで、日本メディアが報じない「ヤバすぎる現実」
10/19(土) 8:01配信
現代ビジネス

グレタさんを批判している場合か

(中略)
 サミットで、「あなた方は、その空虚なことばで私の子ども時代の夢を奪いました」「あなた方は私たちを裏切っています」とスピーチしたグレタさん。その結果、「環境問題だけでなく経済も大切なことを大人がグレタさんに教えてあげなければいけない」と諭す意見や、「東日本大震災で原子力発電が停止した日本では、なかなか難しい議論だ」という言論が日本には溢れかえるようになった。

 このような話を日本国外のビジネスパーソンや投資家にしたら、「いつまで20年前と同じ話をしているのですが。もっとアップデートしてください」と言われるのがオチだろう。

 では、今回の国連気候アクション・サミットでは何があったのか。見ていこう。

巨額マネーが動き出した
 国連気候アクション・サミットは、一つの国際会議なのだが、今や主役は政府だけでなく、企業や投資家も同じように存在感を発揮している。今回も、資本主義のマネーを大きく動かしている機関投資家がまず大きな宣言を行った。

(中略)
銀行の「融資」が変わる
 今回は投資家だけでなく、銀行からも巨大な宣言があった。9月23日には、銀行の融資が、環境や社会にどのような影響を与えているかを自主的に測定し公表していく「国連責任銀行原則」が発足。なんと世界から131の銀行が自主的に署名した。

(中略)
気候変動が「巨大な経営リスク」と化す
 これらの銀行が目標達成するには基本的に2つしか道はなく、CO2排出量の多い融資先に削減するよう求めるか、CO2排出量の多い企業への融資をやめるかのいずれかとなる。

 それに銀行が自らコミットしたのだ。

 投資家も銀行も、気候変動が異常気象や海面上昇をもたらし、社会を揺るがすような危機を発生させると考えているからだ。

 実際に主要国の金融当局は、気候変動がリーマン・ショック級、もしくはそれ以上の金融危機を起こすことを恐れ、金融当局による「業界団体」を発足している。

(中略)
置き去りの日本
(中略)
 環境対策を進めれば、経済やわたしたちの生活が犠牲になると言われていた時代は、世界ではとっくに通りすぎている。

 投資家も企業も政府も、経済成長とわたしたちの生活を守るために気候変動対策を進めている。さて、日本国民はいつ目覚めるのか。

夫馬 賢治
5月16日づけ「短期的対策と長期的対策との混同は議論を噛み合わなくさせる――「松本走りをやめろ」は正しいけど正しくない」を筆頭に以前から折に触れて強調してきたことですが、「大義」を掲げる人のタイムスパンは生活者のそれとはズレており、それゆえに現実的施策の提言に失敗しています

大義を掲げる人は短くても10年単位タイムスパンで物事を考えがちですが、生活者は今日明日のタイムスパンで物事を考えます。経済学用語でいえば、大義を掲げる人は「長期」、生活者は「短期」で物事を考えます(経済学では、工場等の建設や解体によって生産能力――固定生産要素――に変動が生じるタイムスパンを「長期」、それ未満を「短期」とします)。生身の人間にとっての「現実」とは「生活」のことを言います。生活に根差した事実のみが現実であり、そこから離れた一切の事項はすべて「観念」に過ぎません

環境対策を進めれば、経済やわたしたちの生活が犠牲になると言われていた時代は、世界ではとっくに通りすぎている。投資家も企業も政府も、経済成長とわたしたちの生活を守るために気候変動対策を進めている」という夫馬氏ですが、ここでいう気候変動対策は経済学用語における「長期」に属するものです。銀行の融資や投資家の投資は、生産設備増強のためのものですが、これはまさしく「長期」に属するものだからです。これに対して「わたしたちの生活」は「短期」に属するものです。

真の気候変動対策を行うのであれば、長期的視野と短期的対策に整合性を持たせて漸進的に対策を打ってゆく必要がありますが、上掲記事を読む限り、そしてまた、グレタ・トゥンベリさんのような極論を語る人を持ち上げている点から、夫馬氏にはタイムスパンに関する意識が欠落していることが推察されます。生身の人間にとっての「現実」とは「生活」のことを言い、生活に根差した事実のみが現実であり、そこから離れた一切の事項はすべて「観念」に過ぎない以上は、長期的視野と短期的対策との整合性を確保していない夫馬氏の言説は、観念論と言う他ありません

これは結局、エココレ的エコロジー運動が、白か黒かでしか物事を考えられない二項対立・二元論的発想に基づいているからなのでしょう。「敵」または「味方」しか居ないから自陣営内での意見の相違・路線の相違を処理できず、また、タイムスパンに対する深い洞察もできないのでしょう。それゆえに、ハチャメチャな「味方」をも擁護してしまうのでしょう。

ちなみに、夫馬氏は「グレタさんを批判している場合か」と言いますが、「環境保全活動は、グレタ・トゥンベリさんやエココレとは全く無関係に進展している」というのが現実なのではないでしょうか。記事を読む限りそうとしか読み取れませんでした。投資家や銀行のアクションとグレタ・トゥンベリさんの活動との関連性が一切論じられていないのですから。グレタさんを批判している場合か」という夫馬氏の台詞を踏まえて申せば、「グレタさんなんかを持ち上げている場合か」とお返ししたいと思います。

落ち着いて考えてみれば、環境保全の大切さを訴えることとグレタ・トゥンベリさんを担ぎ上げることとは何の関係もないことは分かりそうなものですが、彼女は今やエココレ的エコロジー運動のシンボルと化しています。このこともまた、エココレ的エコロジー運動が二項対立・二元論的発想に基づいていることを示唆するものです。

■総括――「短期」のタイムスパンにも配慮した環境保全・気候変動対策の必要性
世界は、グレタ・トゥンベリさんの活動とは無関係に環境保全・気候変動対策に動いています。しかしこれらの活動はまだ、経済学用語における「長期」に関する活動に留まっています生活者のタイムスパン:今日明日に注目する「短期」のタイムスパンにも配慮した環境保全・気候変動対策が必要です。グレタ・トゥンベリさんを持ち上げている場合ではありません。

■補論(追記)
チュチェ108(2019)年12月31日づけ「チュチェ108(2019)年を振り返る(4)――協同経営化・自主管理化を突破口とする社会主義建設の課題」において、この記事を振り返って踏まえながら、啓蒙主義的な個人主義的自由主義・リベラリズムの世界観の問題点への探究を深化させました。

リベラリズムとマルクス主義、チュチェ思想の相違点から、リベラリズムの不足点とチュチェ思想の優位性について考えた内容を補論として以下に追記します。

前述のとおり、リベラリズムは、人間が意識を変え行動を変えれば社会システムが変わると想定しています。これは物事を個人レベルに還元し過ぎています。人間が意識を変え行動を変えることで達成できるのは、あくまでも個人レベルの課題に留まるからです。脳味噌一個・腕二本・脚二本で出来得る仕事の範囲は限定的なのです。社会システムはもっと巨大で、社会的の課題は個人レベルの課題とは質的にまったく異なります。当然、解決方法も異なります。リベラリズムはミクロレベルでの思考・方法論をマクロレベルに不適切に適用しているわけです。

これに対してマルクス主義は、客観的な前提条件としての社会システムが変われば人間の意識は変わると想定しています。「存在が意識を規定する」という教義に基づく見解ですが、社会システムの変化がそのまま直ちに人間の思想意識を変化させるわけではありません。長期的な視点に立ったとしても、はっきりとしたことは言えません。

チュチェ思想は、人間を「自主性、創造性、意識性をもった社会的存在」として定義づけ、その上で「人間があらゆるものの主人でありすべてを決定する」という原理に基づいています。チュチェ思想には人間の自主的思想意識を重視する点においてリベラリズムと共通する部分がありますが、チュチェ思想とリベラリズム・観念論との違いは、チュチェ思想は、「人間の集団的な創造能力」を重視していることにあるといえるでしょう。また、チュチェ思想における「意識」の定義もまた独特であり、これもチュチェ思想とリベラリズム・観念論との違いであると言えます。

「人間の集団的な創造能力」を重視するチュチェ思想においては、啓蒙等によって単に「目覚めた」だけでは不足で、それを実現するための集団的創造能力が必要だとします。チュチェ思想が想定する人間の集団的創造能力には、たとえば生産力が挙げられます。生産力に注目している点は、リベラリズムにはなくマルクス主義的な観点ですが、チュチェ思想における生産力は、自主的思想意識と同列に並ぶ「人間の能力」としている点においてマルクス主義とは大きく異なるところです。

また、チュチェ思想でいう「意識」は、世界を認識し改造するすべての活動が合理的に行われるように構想・計画する人間の性質、及び調整する人間の性質ですが、その内実は、客観的対象の反映としての「知識」と、事物事象に対する利害関係を反映した「思想意識」であります。この定義は、明らかにマルクス主義を踏まえたものであります。

これに対してリベラリズムでいう「意識」は、必ずしもこのような定義にはなっていません。総じて観念論哲学者のそれに近かったり、酷い場合には哲学的裏付けがあるとは言い難いケースも見られ、結果的に一般的な意味・用法に留まっています。

しばしばマルクス主義者は、チュチェ思想が「意識」を重視するからといって「観念論だ」と断じがちですが、チュチェ思想における意識の定義をご覧いただければ、唯物論的な議論の組み立て方であることがお分かりいただけるのではないかと思います。

このように、「人間の自主的思想意識」と「人間の集団的創造能力」をともに「人間の能力」の属性として同列的に位置付け理論的に連携させ、また、唯物論的な前提に立ちながらも「意識」の重要性を打ち出している点において、チュチェ思想は、リベラリズムとマルクス主義との双方と共通点を持ちながらも独特な世界観を持っていると言えます。世界と自己の主人たらんとする自主的な思想意識を持ち、世界と自己を改造し得る創造的能力を持ち、自主的思想意識と創造的能力を合理的に統括制御する意識性を持つからこそ「人間があらゆるものの主人でありすべてを決定する」のです。

チュチェ思想の観点からリベラリズムの不足を指摘すれば、リベラリズムは、人間が「意識」を変え行動を変えることによって、具体的にどのような経路をたどって社会システムが変わってゆくのかが曖昧で描き切れていないと言えるのです。また、「意識」の哲学的突き詰めが甘い点も指摘しなければなりません。意識の内実が何であるのか曖昧なまま「意識化」を訴えたところで、結局何をどうすればよいのか曖昧になってしまいます

人間の集団的創造能力に関する詳しい説明を抜きに、そして、「意識」の哲学的位置づけを曖昧なままにしておきながら、「人間が意識を変え行動を変えれば社会システムが変わる」などとするからリベラリズムは、根拠薄弱な観念論になってしまうのです。

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たまたま3連休中で混乱しなかっただけ;「計画運休の浸透」などではない

台風19号と、いわゆる「計画運休」について、BCP及びBCRPを重視する立場から簡単に総括しておきたいと思います。
なお、関連する過去ログは以下のとおりです。
 9月9日づけ「日本におけるBCP概念の発展成果と不十分さについて;鉄道各線の「計画運休」から
 10月13日づけ「BCPよりBCRP;グダグダ計画運休を巡って

■たまたま3連休中で混乱しなかっただけ;「計画運休の浸透」などではない
さて、今回の「計画運休」は幸いにして大きな混乱は発生しませんでしたが、その要因は、なんといっても、たまたま3連休中の台風直撃であり、かつ素人にも甚大な被害が想像できる規模の台風だったからに他ならないでしょう。

前回台風15号混乱から学習し敢えて運転再開見込みを曖昧に予告していた鉄道各社は、当初、「13日の昼頃には概ね運転再開できる」などとしていましたが、実際には昼を過ぎても運転見合わせは続きました。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20191013-00001920-nnn-soci
「計画運休」首都圏の鉄道各社ほぼ運転再開
10/13(日) 16:32配信
日テレNEWS24


(中略)

一方、JRの首都圏の在来線は、12日から運転を見合わせていた路線のほとんどが、午後3時頃までに運転を再開し、私鉄各線や地下鉄も一部の路線を除いて再開している。
これがもし平日だったら――「午前中はまともに動いていないだろう」と考えていた人たちも、昼には出勤を始めていたことでしょう。台風一過の朝に展開された台風15号混乱が、今度は昼過ぎに展開されただけだったでしょう。

にもかかわらず、たまたま3連休中の台風直撃、かつ素人にも甚大な被害が容易にできる「特殊」な事態を、あたかも「計画運休の浸透」と見なす底の浅い分析の乱発されています。BCP及びBCRPを重視する立場から危機感をおぼえるところです。

これが「騒いだ割に大した被害があったようには見えない台風一過の平日朝」で上手くいったのであれば、「計画運休の浸透」と言えるかもしれませんが、事実は上述のとおりです。筆者の願望があまりにも強すぎて、特殊なケース過ぎない本件が「進歩」だと見えるでしょうか? 

以下、計画運休を支持する立場の人士の論考を2つ挙げて批判的に論じたいと思います。

■相変わらず天災に対する備えが出来ておらず、利用者の人間心理も分かっていないBCPなき「計画」運休
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191014-00010001-norimono-bus_all&p=2
定着する鉄道の計画運休に次の課題 運転再開のタイミングとその告知、どうすべき?
10/14(月) 10:31配信
乗りものニュース


(中略)

「無用な混乱は避けてほしい」という機運が高まる

(中略)

 しかし、この問題を解決するために、必ずしも運転再開見込みの精度を上げる必要があるとは言えません。対象者中500人への追加調査によると、「計画運休をしてもよいが、一刻も早く運行を再開してほしい」に6割以上が「そう思う」と回答する一方、「混乱を招くくらいなら、運行再開を急がなくてよい」にも8割近くが「そう思う」としています。早期の運転再開を期待しつつも、無用な混乱は避けてほしいという、利用者の想いが垣間見えます。

 こうした回答の背景には、計画運休を契機として、社会の災害への向き合い方が変化しつつあることが指摘できます。交通機関が動かなければ、東京圏の利用者の多くは通勤することができません。鉄道が利用者の安全を優先して運転を取りやめることで、社会にも無用の危険と混乱を避ける機運が高まっており、計画運休の実施が早く分かれば、企業も業務縮小や休業の準備ができるという流れができつつあります。

今後の課題は、信頼の醸成
 今回は、実施24時間前にあたる前日11日(金)の昼前に、12日(土)の午後(路線によっては朝)から順次本数を減らして運転を終了することと、13日(日)の運転再開はおおむね昼以降、安全の確認が取れ次第になると、かなりの余裕をもった表現で発表されました。

 13日が日曜日で通勤・通学への影響が限定的だったという事情は差し引いても、実際の各路線の運転再開は、早い路線では予告を前倒して7時ごろ、遅い路線では夕方に延長になり、一部は終日運転見合わせという結果になりましたが、大きな混乱や批判が起きなかったというのは、鉄道事業者にとっては少々意外な結果だったのではないでしょうか。

 それ以上に驚かされたのは、さらなる「速断」を求める世論です。これまでにない早いタイミングで計画運休の実施可能性を発表した10日(木)の時点で「計画運休をやることは分かっているから、詳細を早く公表してほしい」という声が多くみられました。すでに計画運休は、認知や是非を問う段階を飛び越えて、社会に組み込まれつつあると言っても過言ではありません。


(中略)

枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
枝久保氏の見解とは異なり私は、上述のとおり、そもそも13日朝に電車を利用しなければならない人の絶対数が少なく社会的レベルでの混乱が見られなかった「ラッキーなケース」に過ぎず、「計画運休を契機として、社会の災害への向き合い方が変化しつつある」とは言い得ないと考えます。

むしろ、「相変わらず天災に対する備えが出来ていない」と考えます。また、「相変わらず利用者の人間心理が分かっていない」とも考えます。

■台風通過後および発災後の情報更新のお粗末さ;天災に対する備えが出来ていない
天災すなわち自然現象は、そもそも正確な事前予測が科学的に困難です。とりわけ気象現象はカオスの影響により、長期的予測が原理的に不可能なので、短期的予測の積み重ねをするほかありません。それゆえ、台風関連の運行計画は、「詳細を早く公表して、そのとおりに実施する」ことではなく「大雑把な方向性に則りつつ、短期的な見込み情報を随時発表しながら臨機応変に対応する」に重点を置く必要があります。

BCPではタイムラインの作成が基本になります。「いつ」「誰が」「何をすべきか」の3要素に着目し、「BCP発動フェーズ」「業務再開フェーズ」「業務回復フェーズ」「全面復旧フェーズ」に分け、時系列で行動計画を整理するものです。もちろん、天災相手に計画どおりに物事が運ぶはずもないので、実際にはタイムラインを背骨としつつ臨機の対応を組み合わせて対応してゆくことになります。それゆえ、状況を確認して臨機の微調整を行う契機をタイムラインに織り込んでおく必要があるでしょう。

また、「お客さま」つまり外部の人間とのやりとりが発生する分野においては、内部だけでの行動計画に留まらず、対外的な情報発信等の行動計画も必要になります。

よって、台風関連の計画運休においては、「大雑把な方向性に則りつつ、短期的な見込み情報を随時発表しながら臨機応変に対応する」ということになるでしょう。台風通過後および発災後の情報更新が大切なのです。今回の台風19号についても、この点から振り返る必要があるでしょう。

では、今回の台風19号事案はどうだったでしょうか。「大雑把な方向性」の提示に今回も失敗したと言うべきでしょう。枝久保氏が言うように、「13日(日)の運転再開はおおむね昼以降、安全の確認が取れ次第になると、かなりの余裕をもった表現で発表されました」が、「実際の各路線の運転再開は、早い路線では予告を前倒して7時ごろ、遅い路線では夕方に延長になり、一部は終日運転見合わせという結果」になったわけです。つまり、今回も見込みを大きく外したわけです。

もちろん、前述のとおり、天災相手に計画どおりに物事が運ぶはずもありません。予想を外すこと自体はそこまで深刻なことではないでしょう。問題は、予想を外した時の臨機応変な手当てです。台風通過後および発災後の情報更新です。ここが肝になります。

では、「短期的な見込み情報を随時発表しながら臨機応変に対応する」という観点から、台風通過後および発災後の情報更新を振り返ってみましょう。従前からJR東日本を筆頭とする首都圏鉄道各社は、インターネット(自社ウェブサイトおよびTwitter等)で運転状況を更新し逐次の情報更新に努めて来ているわけですが、それでも台風15号混乱が発生しました。ザッと見たところ、今回も抜本的には改善されていないようです。いつもどおりの情報発信から大きく異なる様相は見られませんでした。

つまり、もし平日直撃であったならば、今回も大混乱が起こったであろうということです。むしろ、運転再開見通しを敢えて曖昧にしたことで、台風15号混乱以上に改札口・窓口は、運転再開見込みに関する問い合わせで混乱したであろうことが容易に想像できるのです。

■人間心理は「見通し」を求める;利用者の人間心理も分かっていない
利用者の人間心理について申せば、人間心理が一番嫌がるのは、「先が見えないこと」です。人間心理は「見通し」を求めます。枝久保氏の記事中でも触れられている「計画運休をやることは分かっているから、詳細を早く公表してほしい」という利用者の声は、見通しを欲しているからに他なりません。人身事故が頻発する首都圏の住民は、運転見合わせ自体には慣れています。

見通しというのは事前アナウンスに限らず、逐次更新も含みます。逐次更新が約束されていれば、事前広報が多少曖昧でも人々はそこまで不安がらないものです。仮に運転が見合わせになっていたとしても「x時間後に運転再開見込み」とアナウンスされれば、対策を打ち得るので人心は安定し得るものですが、「運転再開は未定」などとアナウンスされた場合は、そうは行かないものです。

9月の台風15号混乱においても、たとえば午前7時30分段階(午前8時再開は絶望的とほぼ確定)で「正午ごろまで再開の見込みなし」と勇気をもってアナウンスしておけば、あそこまでの混乱にはならなかったでしょう。一部、たとえば、どうしても午前10時の商談に間に合わなければならないような人は改札口で駅員に対して大声をあげて凄んだりしたかもしれませんが、大部分の人はそんな死活的約束を日常的には結んでいないので、社会的レベルでの混乱はなかったでしょう。

「大雑把な方向性を提示しつつ、短期的な見込み情報を逐次知らせる」という、非常事態における基本原則に照らして、今回の台風19号事案も依然として課題が残っていることが判明したのではないでしょうか。

3連休で本当によかったですね。

■災害対応に計画主義的な方法論を持ち込もうとする危険な発想
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191016-00030331-president-soci
JRの「計画運休」に怒らなくなった日本人の進歩
10/16(水) 11:15配信
プレジデントオンライン


(中略)

■計画運休のできる社会は「成熟した社会」だ

 昨秋の台風24号では、JR東日本が初めての計画運休を実施した。当時の朝日新聞の社説(2018年10月6日付)は冒頭でこう主張する。

 「荒天が予想されるとき、事前に列車の停止を決める『計画運休』に、鉄道各社が踏み切るようになった。危険時の外出の抑制にもつながる。課題を解決しながら定着させていきたい」

 計画運休を定着させていくことに沙鴎一歩も賛成だ。大きな災害が予想されるときに不要不急の外出を避けるのは当然だし、それができる社会は「成熟した社会」と言えるからである。


(中略)

■重要なのは「安全を優先する危機管理の意識」だ

 読売新聞(10月14日付)の社説も、計画運休などの事前の対策について評価している。

 「気象庁は今回、早い段階から警戒を呼びかけた。これを受け、JRや私鉄各社、航空会社は計画運休や欠航を発表した。スーパーなども休業を決めた」
「顧客や従業員の安全を優先する危機対応が、企業に根付きつつある。多くの人が事前に食料や防災品を買い求め、不要不急の外出を避けることにつながった。早めの対応で、国民生活への混乱は最小限に抑えられたと言えよう」

 台風は進路の予想ができるため、早めの対応が可能だ。いつまでにアナウンスをすればいいか、という知見がさらにたまっていけば、混乱はより小さくできるはずだ。

ジャーナリスト 沙鴎 一歩
沙鴎氏の主張も、上掲・枝久保氏主張と同等の水準に留まるものです。枝久保氏の主張よりも「アナウンス」について言及しているのはBCPに則っておりよいものの、今回もそのアナウンスにこそ問題があったわけで、今回の事例を以って「日本人の進歩」と持ち上げることは不適切でしょう。何度も言いますが、たまたま3連休で外出を要する人が少なかっただけです。

それどころか沙鴎氏は、「台風は進路の予想ができるため、早めの対応が可能」などとし、枝久保氏以上に計画主義的な方法論で対応しようとしています。むしろそういう心構えが「予想以上」や「想定外」に直面したとき、「どう対応してよいか分からず、結果として何もできずに終わる」の根本原因ではないのでしょうか? 考え方を根本的に転換させる必要があると言えます。

■総括
枝久保氏も沙鴎氏も、国土交通省が提唱しているタイムラインに沿ったBCPを再確認していただきたい。発災後の情報更新が絶妙なタイミングで織り込まれています。そして、人間心理がなによりも欲するのは「見通し」であり、見通しというのは事前アナウンスに限らず、逐次更新も含んでいるのです。必要なのは、科学原理的に困難性を持つ「事前アナウンス」ではなく、「情報の逐次更新」なのです。

その点、今回は「たまたまラッキー」だっただけで、事態はほとんど前進していないと言うべきでしょう。何が「日本人の進歩」なんだか。願望が強すぎて事実を見る眼が曇っていると言わざるを得ません。

国土交通省が提唱しているタイムラインに沿ったBCPをベースとし、「人間心理は『見通し』を求める」という根本原理に立脚する必要があります。「事前アナウンス」が多少曖昧なのは科学原理的に仕方ないとしても、「情報の逐次更新」には抜かりがあってはならないのです。

■おまけ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191012-00000563-san-bus_all
台風19号 相次ぐ企業店舗の計画休業、企業意識に変化
10/12(土) 18:53配信
産経新聞

 台風19号の接近に伴い、スーパーや携帯電話販売店は、早々と12日の休業を決めるなどの危機対応を講じた。従来は「顧客重視」の観点から、台風が近づいても開店する努力をしてきた各社だが、交通機関の計画運休などで従業員が出社できないなどの物理的制約と併せ、企業の意識が収益重視から安全重視に傾いていることも、“計画休業”の動きを強めている。


(以下略)
そもそも台風接近時に「外出しなければならない」ような用事をつくらないことが、計画運休を上手く行かせるための根本的対応であるという観点は理解できるものです。ただ・・・「やっぱり産経だなー」と思わずにはいられない総括になっています。

企業の意識が収益重視から安全重視に傾いていることも、“計画休業”の動きを強めている」――単純に、台風の最中に開店したところで大して売上・収益にならないので、いっそのこと閉店しただけのように思えますが。「安全重視」ならもっと日常から様々な場面でそういう展開がみられるでしょうよ。

何かというと「意識」の問題に還元しがちな「保守」紙・産経新聞。そのおバカ伝説に新たな一ページが加わったようです。

ちなみに、産経の「意識」論調は、最近はポリコレ界隈・リベラル界隈の様相とも酷似しています。ポリコレ・リベラルと産経は、同レベルの観念論者と言えるかもしれません。
ラベル:社会
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2019年10月14日

「北極星−3」試射と朝米交渉の行方

潜水艦弾道弾「北極星−3」試射と、それを巡る一連のリアクションおよび朝米交渉の行方について。

http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=igisa2&no=1180370
자위적국방력강화의 일대 사변
自衛的国防力強化の一大事変

조선민주주의인민공화국 국방과학원 새형의 잠수함탄도탄 《북극성-3》형시험발사에 성공
朝鮮民主主義人民共和国国防科学院、新型の潜水艦弾道弾「北極星−3」試験発射に成功

조선민주주의인민공화국 국방과학원은 2019년 10월 2일 오전 조선동해 원산만수역에서 새형의 잠수함탄도탄 《북극성-3》형시험발사를 성공적으로 진행하였다.
朝鮮民主主義人民共和国 国防科学院は2019年10月2日午前、朝鮮東海 ウォンサン湾水域で新型の潜水艦弾道弾「北極星−3」型試験発射を成功裏に行った。

(中略)

현지에서 시험발사를 지도한 당 및 국방과학연구부문 간부들은 성공적인 시험발사결과를 당중앙위원회에 보고하였다.
現地での試験発射を指導した党及び国防科学研究部門の幹部は、成功した試験発射の結果を党中央委員会に報告した。

경애하는 최고령도자 김정은동지께서는 조선로동당 중앙위원회를 대표하여 시험발사에 참가한 국방과학연구단위들에 뜨겁고 열렬한 축하를 보내시였다.
敬愛なる最高領導者キム・ジョンウン同志は、朝鮮労働党中央委員会を代表して試験発射に参加した国防科学研究グループに熱烈な祝賀を送られた。

이번에 진행한 새형의 잠수함탄도탄 《북극성-3》형시험발사의 성공은 조선민주주의인민공화국에 대한 외부세력의 위협을 억제하고 나라의 자위적군사력을 더한층 강화하는데서 새로운 국면을 개척한 중대한 성과로 된다.
今回実施された新型の潜水艦弾道弾「北極星−3」型試験発射の成功は、朝鮮民主主義人民共和国に対する外部勢力の脅威を抑制し、国の自衛的軍事力をより一層強化するうえで新たな局面を開拓した重大な成果になる。
■潜水艦発射弾道ミサイル試射成功が意味すること
ソウル市を狙う従来の長距離砲や、最近新たに試射に成功した新型短距離ミサイルや放射砲(多連装ロケット砲)に加え、新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)も自衛的国防力のラインナップに加わりました。

SLBMは当然のことですが固体燃料式で、液体燃料式よりも長時間にわたって即時発射可能な状態での待機が可能です。今回の実験成功は「艦対地ミサイルの進歩」であると同時に「固体燃料式ミサイルの進歩」です

朝鮮人民軍海軍におけるSLBMを発射可能な潜水艦の配備状況は依然として判然としない部分があります。とくに、韓「国」の海軍や日本の海上自衛隊、在韓・在日米海軍の監視網を潜り抜け、艦対地ミサイルを発射できるベストポジションを確保するのは、控えめな推測であっても「困難」というべきでしょう。今回の実験成功を「艦対地ミサイルの進歩」と位置付けると、正直、「自衛的国防力が向上した」とは直ちには言い得ないでしょう。

しかし、今回の実験成功を「固体燃料式ミサイルの進歩」と見たとき、共和国において自走式ミサイル発射台は、すでに相当数配備されており技術水準は高いといえる点において、固体燃料式ミサイルたる「北極星−3」型の発射実験成功は、自衛的国防力の即時向上と言えるでしょう。液体燃料式のスカッドやノドンといった地対地ミサイルでは即時発射可能な状態での待機期間が短かったが、固体燃料式ミサイルの技術力向上により今後は地対地ミサイルの改良も進むであろうということです。

■なぜ、新型SLBMを開発?――対話局面維持と国防力維持の両立
ところで、既に核武力を完成させている共和国が、新型短距離ミサイルや放射砲に加え、新型SLBMの開発にまで注力しているのは何故でしょうか?

このことは、共和国が事実上ICBM及び核兵器の存在を利用した外交的駆け引きを「封印」されている現状における「新手」と見ることができるでしょう。トランプ米大統領は、ICBMと核兵器に関する実験は問題視するものの、それ以外は問題視しない姿勢を鮮明にしています。短距離ミサイル等の実験は、対話局面を破壊するものではないと言明しています。

共和国にあっては、対話局面を維持・進展しなければならないが、しかし、国防力・抑止力も維持・向上しなければなりません。その2つの要求を両立させるために、新手の「抜け穴」的な兵器開発に邁進しているのでしょう。

そう考えると、新型短距離ミサイルや放射砲、新型SLBMの開発は、一見して非対話的で軍事的アクションに見えつつも、実は対話への前向きな姿勢・意図によるものと考えることも可能なのです。もし共和国に対話意志がなく、国防力・抑止力の維持・向上が必要であれば、ICBM及び核兵器の実験を強行していることでしょう。

ちなみに、日本では「丸腰=対話的、武装=非対話的」といった認識がかなり広範に浸透していますが、対話を実効的なものとするためには物理的実力の担保が必要になります。新型短距離ミサイルや放射砲、新型SLBMの開発は、物理的実力に他なりませんが、これは対話を実効的なものとするための担保と見なすべきです。

■相変わらず「ミニットマン−3」はよくて「北極星−3」はダメというダブル・スタンダード
「北極星−3」試射について、ヨーロッパの6か国が非難する共同声明を発表しましたが、このことについて共和国が反発しています。
http://www.kcna.co.jp/calendar/2019/10/10-10/2019-1010-008.html
조선외무성 유엔안보리의 대조선《규탄》성명 비난
朝鮮外務省、国連安保理の対朝鮮「糾弾」声明を非難

(평양 10월 10일발 조선중앙통신)조선민주주의인민공화국 외무성은 10일 다음과 같은 내용의 대변인담화를 발표하였다.
(ピョンヤン 10月10日発 朝鮮中央通信)、朝鮮民主主義人民共和国外務省は10日、次の内容のスポークスマン談話を発表した。

우리의 경고에도 불구하고 8일 미국의 사촉을 받은 영국, 프랑스, 도이췰란드 등 EU 6개나라들이 유엔안전보장리사회 비공개회의라는것을 벌려놓고 우리의 자위적조치를 걸고드는 《규탄》성명을 발표하였다.
我々の警告にもかかわらず、8日、アメリカにそそのかされたイギリス、フランス、ドイツなどEU6か国が、国連安全保障理事会の非公開会議なるものを開催し、我々の自衛的措置について「糾弾」声明を発表した。

공정성과 형평성을 표방하는 유엔안전보장리사회가 최근에 진행된 미국의 대륙간탄도미싸일 《미니트맨-3》시험발사에 대해서는 일언반구도 하지 않고 우리의 자위권에 속하는 정당한 조치만을 걸고드는것은 우리에 대한 엄중한 도발이다.
公正性と公平性を標榜する国連安全保障理事会が、最近行われたアメリカの大陸間弾道ミサイル「ミニットマン−3」の試験発射には一言半句も言わず、我々の自衛権に属する正当な措置だけ取り上げるのは、我々に対する重大な挑発である。

더우기 조미실무협상을 애걸하고서는 빈손으로 나와 협상을 결렬시켜놓고도 회담결과가 긍정적이였다고 너스레를 떨고있는 미국이 뒤돌아앉아 추종국가들을 사촉하여 우리를 규탄하는 성명을 발표하도록 한데 대해 우리는 그 기도가 무엇인지 깊이 따져보고있다.
なおかつ、朝米実務交渉を哀願しておきながら手ぶらで現れて交渉を決裂させたにも関わらず、会談の結果が肯定的であったなどと冗談を言うアメリカが、裏から追従国をそそのかして我々を糾弾する声明を発表させたことについて、我々は、その意図が何であるのか深く調べている。

국제사회가 인정한바와 같이 미국의 이번 대륙간탄도미싸일시험발사가 우리를 압박할 목적으로 진행된것이 명백한 실정에서 우리도 같은 수준에서 맞대응해줄수 있지만 아직은 그 정도까지의 대응행동이 불필요하거나 시기상조라는 판단밑에 자제하고있을뿐이다.
国際社会が認めたように、アメリカの今回の大陸間弾道ミサイルの試験発射は、我々を圧迫することを目的として行われたことが明白で、我々も同水準で対抗することもできるが、まだそこまでの対応は不要または時期尚早だとの判断の下に自制しているだけである。
(中略)

우리가 강하게 경고하였음에도 불구하고 유엔안전보장리사회가 옳바른 자대나 기준도 없이 그 누구의 리해관계에 따라 우리의 자위권에 속하는 문제를 부당하게 탁우에 올려놓고있는 현실은 미국과의 신뢰구축을 위하여 선제적으로 취한 중대조치들을 재고하는 방향으로 우리를 재촉하고있다.
我々が強く警告したにも関わらず、国連安全保障理事会が正しい視座や基準もなく、誰かの利害関係に基づいて我々の自衛の権利に属する問題を不当に濁扱っている現実は、アメリカとの信頼構築のために先制的にとってきた重大な措置を再考する方向に我々を促している。

주체 108(2019)년 10월 10일
チュチェ108(2019)年10月10日

평양(끝)
ピョンヤン(終わり)
アメリカの「ミニットマン−3」はよくて、共和国の「北極星−3」はダメというダブル・スタンダードを鋭く指摘しています。

こうしたダブル・スタンダードについては、おととし4月30日づけ「アメリカのミニットマン3発射実験こそが挑発行為」でも述べたとおり、近海まで空母群を容易に派遣できるアメリカが、地下要塞化が進んいる共和国に対して圧力をかけるためには、ICBMの力を誇示することは「あまり意味がない」というべきであり、軍事的な目的とは言い難いと考えられます。日本海に空母群を派遣する「素振り」をみせた方がよほど効果的です。

その点、これは結局のところ、「オレ(アメリカ)は弾道ミサイルでも核実験でも何でもOKだけど、オマエは、朝鮮人だからダメ」と言っているに等しい、言い換えれば、「のび太のくせに生意気な!」の域を脱しない、軍事というよりは政治(軍事も政治の一環ですが)に属する極めて侮辱的・極めて挑発的な所業というべきものなのです

おととしの朝米間の激しい対立局面でも不適切だったアメリカによるICBM試射ですが、ましてや対話局面・和平局面である現在では、ますます不適切というべきでしょう。アメリカの意図を探る必要があるという共和国外務省の声明は正しい判断と言えます。信頼構築路線についても再考が必要かもしれません。

■対話局面の行方は
しかし、おととしの「ミニットマン−3」発射のときと同様、今回も共和国は、アメリカの挑発には乗っていないことは注目視すべきです。「我々も同水準で対抗することもできるが、まだそこまでの対応は不要または時期尚早だとの判断の下に自制している」という点にこそ、共和国の対米対話に対する積極的意図が感じられるわけです。

他方、アメリカも自分では面と向かって言わず、ヨーロッパ諸国に「下請け」させている点において、この局面を破談にしようという意図があるとまでは言い切れなさそうです。

朝米ともに対話の雰囲気を悪化させるつもりはないものの、かといって目覚ましい前進もない状態。共和国は中国との関係を更に強化しています。何か一つ大きなアクションがないと局面打開には至らないようにも思えます。
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2019年10月13日

BCPよりBCRP;グダグダ計画運休を巡って

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191011-00000038-kyodonews-soci
計画運休で国交省が注意喚起
10/11(金) 10:05配信
共同通信

 国土交通省は11日、台風19号に備えた計画運休に関し、運転再開の案内の充実や、空港とつながる路線ではターミナル会社と連携するよう鉄道事業者に注意喚起をした。
先月の、台風15号接近による首都圏における鉄道各線計画運休については、当ブログでは9月9日(未明)づけ「日本におけるBCP概念の発展成果と不十分さについて;鉄道各線の「計画運休」から」において、「お手軽」と言わざるを得ないレベルの運転休止という点において、日本においてBCP(事業継続計画)概念の浸透までの道のりは険しいと言わざるを得ないと述べました。

9月中はブログをほとんど更新できなかったので、台風15号に関する総括が出来ていませんでしたが、9月9日の首都圏鉄道各線の大混乱っぷりを遅ればせながら振り返ると、日本においては、BCP(事業継続計画)概念よりもBCRP(Business Continuity & Resiliency Planning、事業継続および復旧計画)概念、とりわけ復旧計画の思想浸透にこそ注力すべきであることが判明したのではないかと考えます。

台風15号では、とりあえず運転を終了したまではよかったものの、運転再開の見通しが甘く、結果的に大混乱を引き起こしました。JR東日本を筆頭とする首都圏鉄道各社にはBCRP;事業継続および「復旧計画」はなかったと言わざるを得ない結末でした。

ちなみに、首都圏各駅で展開された乗客らの大行列について、一部では「あんな暴風が吹いた翌日の午前8時に運転再開できると思う方が間違っている」などと述べ、鉄道会社の無謬性を固守せんがために乗客側に責任を負わせようする手合いもいましたが、そもそも乗客など所詮は素人。鉄ヲタではないのだから、線路の安全確認にどれほど時間が掛かるのかなど知る由もなく、鉄道会社が公式に「午前8時ごろまで運休」とアナウンスしていたのだから、「そんなもんなのかな」と思うのが当然です。決して誇ることではありませんが、素人の素人たるゆ所以をまったく理解していません。素人は想像以上に何もわかっておらず、だからこそプロの適切な情報発信・解説が必要なのです。

その点、今回の国交省注意喚起は、課題の所在を正確に掴んでおり正しいと言えるでしょう。運転を止めるだけならそこまで難しい話ではありませんが、復旧と運転再開は本当に難しい判断なのです。

現代日本人は事なかれ主義的な安全志向が強いので、非常時は「とりあえず中止しておく」が好まれがちで、それゆえに非常時におけるBCP、すなわち事業「継続」計画への理解浸透は、なかなか難しいのが実情かも知れません。しかし、「とりあえず中止」すればこそ、いつかは「再開」する必要があります。現代日本人の安全志向ゆえに、BCRP、すなわち「事業継続および『復旧計画』」が大切だと言えるでしょう。
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2019年10月12日

「地球平面説」支持者が増えている事実が示すこと

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190928-00014297-bunshun-int
自家製ロケットで不時着して救急車……2019年に「地球平面説」支持者が増えている理由
9/28(土) 17:00配信
文春オンライン

「地球」のかたちは「球」ではない……「平面」なのだ! 今、地球平面説を信奉する人々が爆増している。アメリカでは、18〜24歳の18%が「地球を球体だと常に思ってきたわけではない」とする調査も出るほどだ。有名バスケット・ボール選手が地球平面説支持を表明したこともあり、授業で球体説を教えて反発を受ける科学教師の悩みも報告されている。

地球平面説を信じる者の言い分とは
 Netflixで配信されている『ビハインド・ザ・カーブ ─地球平面説─』は、地球を平面だと信じるフラット・アーサー(Flat Earther)を追うドキュメンタリー映画だ。ここで紹介されるメジャーな地球平面説は「ドーム説」。パンケーキのような平らな地球がドームに覆われている状態を想像してほしい。陸地の終点の南極は高い氷壁に囲まれているそうなので、スノードームのようだとも言える。「ドーム説」を信じるフラット・アーサーたちは学校で教えられる「球体説」および「地動説」をNASAや政府が流した嘘と断じる。

 ここで一度、学校で教わることを復習しよう:地球は球体であり、おおよそ時速1,700キロメートルで1日1回転している。フラット・アーサーたちはこれに疑問を呈してゆく。単純に、自分の視界では世界は平らに見える。我々が立つ土地が銃弾よりも速く回っているなんて信じられるだろうか? 海辺や湖では、遠くの景色が見えることがある。本当に我々の惑星がカーブしているなら、見えないはずではないのか?

 まぁ、これらの理由も学校で教わるはずだが、平面説の支持者は間違いを指摘してくる専門家を嘲笑する。「数字を出してくる科学者の負け。地球が平らなことは見ればわかる」と。


(中略)

 一方、『ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から』では、高学歴の人ほど自身の考えを補強する情報ばかり集めて極端な思考になっていく「賢い愚か者効果」が解説されている。同書によると、地球平面説の支持者は「自分は一般の人よりも論理的である」と考える傾向が強かったという。
 
(中略)

反科学の人々が求めるのは「信頼」と「共感」か
「反科学」デマを追う『ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から』の著者・三井誠氏は、「科学コミュニケーション」の重要性を説く。かつて紀元前に地球球体説を説いたアリストテレスは、演説に大切な三要素として「ロゴス(論理)」「エトス(信頼)」「パトス(共感)」を挙げた。人々を説得する際、エビデンスや事実だけでは十分ではない。三井氏は、近代科学を広める人々が「論理」に頼りすぎて「信頼」と「共感」のコミュニケーションに失敗した可能性を指摘している。結局のところ、「反科学」旋風の対策は、専門家がインターネット等で知識を魅力的に伝えることなのかもしれない。
■前近代的な世界観を本気で信じている人が存在している根本を問うべき
「地球平面説」信奉者を扱き下ろすのは、至極簡単なことです。しかし、21世紀が始まってもうすぐ20年経とうとしているのに、こういった前近代的な世界観を本気で信じている人が無視できない数、存在している根本を問うべきでしょう。その点、上掲記事は2つの重要な指摘をしています。

■選民意識を持った賢い愚か者――理性主義の副作用
一つ目は、「高学歴の人ほど自身の考えを補強する情報ばかり集めて極端な思考になっていく「賢い愚か者効果」」です。

地球平面説の支持者は「自分は一般の人よりも論理的である」と考える傾向が強かった」とのこと。本当の高学歴(とくにアメリカの高学歴)が地球平面説を信奉するはずがないので、これは「中途半端な高学歴」あるいは「自称・高学歴」というべきでしょうが、要するにこの手の人は、自身の考えを補強する情報ばかり集めて極端な思考になっていく上に、自分は特別だと思い込むというタチの悪さも相まって、地球平面説なる前近代的世界観を信じて疑わなくなるというわけです。「賢い愚か者効果」を踏まえて「選民意識を持った賢い愚か者」というべきでしょうか。

「選民意識を持った賢い愚か者」については私も以前から注目し、機会を得るたびに具体的事例をとおして取り上げてき、その正体を「近代理性主義の副作用」と捉えてきました。

たとえば、自称「自分の頭で考える人たち」や「自己の理性を信頼し合理性を追求する人たち」(自称・理性主義者)が各種の社会的規則や規制に対して、その歴史的経緯や実績等を踏まえず、「自分は、この規制には合理的理由付けが存在しないように思う」というだけの理由で廃止しようとする姿を取り上げて、「それは、あなたが実はバカだから理解できないだけなのでは?」と述べてきたところです。

この世界には、その仕組み・カラクリが完全には人々に理解・浸透していなくとも、一定の関係性が確認されていることが数多あります。かつて、F.A.ハイエクは、近代合理主義の極致としての「設計主義」、すなわち、人間理性は客観世界の法則を完全に理解・掌握でき、それゆえに客観世界を合理的に操作できるとする言説を「致命的な思いあがり」と非難しましたが、これは「賢い愚か者」及び「選民意識を持った賢い愚か者」を指していると言えるでしょう。

オブラートに包んで言えば「等身大の感覚」、率直に言えば「素人考え」という他ない、「地球が平らなことは見ればわかる」程度の理由付けで検討を終了させて結論を出してしまい、「地球は平面なのは論理的に自明だ、そして自分は一般の人よりも論理的だ」と天狗になっている「選民意識を持った賢い愚か者」。地球平面説は、あまりにもハチャメチャ過ぎるものの、自分なりに考えて結論を出すという点においてその思考回路自体は、それほど「希少」とは言えなさそうです。むしろ、「自分の頭で考える」ことや「理性重視・合理性重視」の近代的価値観においては、推奨される思考回路です。その点、地球平面説は決して笑ってばかりいられる事態ではないというべきでしょう。

もちろん、いまさら「神秘主義に帰れ」と言うつもりはありません。近代合理主義は、自然現象を取り巻く神秘のベールを剥ぎましたが、これは間違いなく偉大な功績です。しかし、この世界には「等身大の感覚」では理解しきれない仕組み・カラクリが存在します。それゆえに、「等身大の感覚」から導出できる程度のことでは検討を終了させて結論付けてはならないのです。まして、天狗になっている場合ではないのです。

たとえば、以前から述べてきたように、長期的予測が原理的に不可能であることを解明した、物理学におけるカオスの存在などは、それを知っているだけで世界観が大きく変わってきます。カオス理論が示す事実は、決して神秘主義でも不可知論でもなく、ある意味、唯物主義的な近代科学を突き詰めた結果として判明であります。物質によって成り立つ客観世界は、人間の主観とは独立的であり、人智を超える複雑な仕組み・カラクリが存在しているのです。

自分の頭で理解できることだけを信じるのは良いでしょう。理解していないことを信じるというのは、妄信というべき宗教的姿勢であり根拠を重視する科学的姿勢ではありません。しかし、「いまの自分の頭では理解できないこと、未解明なこともあり得る」「未解明なことについては、コメントしない。断定的な結論付けをしない」という姿勢が大切なのです。自分の頭では理解できないだけなのに、断定的な結論付けを展開したり、ましてやそれをバカにするような姿勢は取るべきではありません。

■エトスとパトスの欠落――科学者への不信および科学者の対人活動の不足
二つ目は、「人々を説得する際、エビデンスや事実だけでは十分ではない(中略)近代科学を広める人々が「論理」に頼りすぎて「信頼」と「共感」のコミュニケーションに失敗した可能性を指摘している」という記事本文中のくだりが的確に示しています。

科学者は論理を重視します。もちろん、根拠に基づいた科学的主張の重要な要素に「論理性」があるということに私は異存はありません。しかし、科学は常に社会の中に埋め込まれており、そして社会の他の分野からの影響をうけます。とりわけ、社会の重要要素としての政治や政略からの影響を受けます。

政治や政略は、しばしば科学的主張をツマミ食い・継ぎ接ぎして道具として利用しようとします。人々が科学を正しいものとして「信じている」以上は、科学を利用することは、政治・政略の実践上プラスになるからです。ここに、科学が「信頼されない」素地ができます。

記事中では、地球球体説及び地動説はNASAや政府が流した嘘だと受け止められていると書かれています。「科学への不信感」というよりも「科学者への不信感」が、荒唐無稽な主張に「説得力」を与えているのではないでしょうか?

そうであれば、科学的主張を浸透させるためには、まず「科学『者』が信頼されていない」というところから出発すべきでしょう。数字や理屈を展開して啓蒙するだけではなく、なぜ地球平面説信奉者がかかる言説を信じ込んでいるのかということを、単に彼らの知識不足・勉強不足等に帰結させるべきではありません。

一般的レベルの科学的思考ができる人が麻原何某の空中浮遊や大川何某の霊言を全く信じないのと同様、地球平面論者にとっての科学者は、麻原何某や大川何某と同じなのです。この事実から出発して初めて対策を考えることができるでしょう。

科学者は、理論構築の自己満足に浸るだけでは不十分で、それを広く人々に浸透・納得させて初めて科学者たり得るというべきでしょう。理論構築には論理的厳密さは最重要というべきです。また、広く人々に浸透・納得させるにあたっても論理的厳密さは重要です。しかし、自分以外の他人との交流・意見交換を伴う点において、この過程は「対人活動」であるとも言えるのです。現状が示すことは、対人活動が足りなかったということではないでしょうか?

近代初期であれば、科学は純粋に真理を探究するものであり、科学者は論理的厳密さを追求すればよいだけだったかもしれません。しかし、時代が下るにつれて科学が「邪な思惑と汚い手」によって利用されるようになってきました。にもかかわらず、科学者は依然として「純粋」過ぎるのではないしょうか?

■総括
21世紀が始まってもうすぐ20年経とうとしているのに、いまだ前近代的世界観が残っている事実は、一方において、これは理性主義の副作用であることを示しており、他方において、科学者への不信および科学者の対人活動の不足であると言えるでしょう。

この世界には「等身大の感覚」では理解しきれない仕組み・カラクリが存在します。それゆえに、「等身大の感覚」から導出できる程度のことで検討を終了させて結論付けてはなりません。人間理性は客観世界の法則を完全に理解・掌握できるなどと考えず、自分の頭で理解できることだけを信じるのは良いが、自分の頭では理解できないだけなのに、それをバカにするような姿勢は取るべきではありません。

また、いま「地球平面説」支持者が増えている事実は、科学者が、21世紀に相応しい在り方・身のこなし方を構築すべきだということを示しているとも考えます。17世紀が「科学革命」の時代なら、21世紀は「科学者革命」の時代というべきでしょう。
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