2020年03月30日

志村けんさんの死は「ホリエモン叩きのチャンス」?!

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200330-03300059-sph-soci
ホリエモン、志村さん訃報に「彼の死を教訓に」とツイートも「小規模イベントまで中止することはない」と持論
3/30(月) 13:05配信
スポーツ報知

(中略)
 フォロワーから「志村けんさんがコロナで亡くなってしまいました。この件もお得意の『騒ぎすぎ』ですか?」とのコメントが寄せられると、堀江氏は「騒ぎすぎとは関係ない。志村けんさんの冥福を心よりお祈りする。彼の死を教訓にCOPD(慢性閉塞性肺疾患)などの基礎疾患を抱える人は出来るだけ外部との接触を控えるべきでしょう」とツイート。

 また「『ゼロリスク症候群のバカが湧いてきた』か『コロナで大騒ぎしすぎ』とか言ってたけど、今の気分は?」などと聞かれると、「騒ぎすぎなのは今でもそうだと思う」とした上で「基礎疾患を抱える高齢者は当然自粛してしかるべきと思うし。感染する条件を回避して出来るだけ日常生活を崩さない方がいいと思う。政府は明確な自粛のラインを引くべきでしょう」とつづった。

 さらに「未だにイベント自粛の風潮には反対しますか?」との質問に対しては、「十分な感染対策を行った小規模イベントまで中止することはないと思います」と回答。「失業率と自殺者の数は相関してますので。外出を控えすぎて鬱々として精神的にダメージもきますしね」と記していた。堀江氏は22日にイベント「ホリエモン祭 in 名古屋」を開催した。
私は一貫してアンチ・ホリエモンの立場を取ってきたので、堀江氏を積極的に擁護したいとは思わないものの、志村さんの死を「ホリエモン叩きのチャンス」とばかり湧いてくる連中に別の理由で憤りを感じるところです。

この件もお得意の『騒ぎすぎ』ですか?」や「今の気分は?」といったコメントに対する堀江氏の「十分な感染対策を行った小規模イベントまで中止することはないと思います」や「基礎疾患を抱える高齢者は当然自粛してしかるべき」は、感染症専門家の科学的指摘を踏まえた彼の一貫した主張です。

志村さんの死去は確かに衝撃的なニュースではありますが、ウィルスの前では芸能人か否かなどは関係ありません。志村さんが新型コロナウィルスの国内最初の死者であれば、「いよいよ死者まで出ましたが、それでも意見は変わらないのですか?」という意味において「この件もお得意の『騒ぎすぎ』ですか?」や「今の気分は?」の意図は分かりますが、志村さんは決して最初の死者ではありません

堀江氏は既に国内でも死者が少しずつ増えていることを承知の上で、「大規模イベントは自粛すべきでも小規模イベントまでは問題ないはず」とか「基礎疾患のない人までもが心配することはないはず」などとしてきたわけです。そしてこれは、決して堀江氏独自の見解というわけではなく、感染症専門家たちが発信している見解に基づいたものであります。

つまり、堀江氏は感染症専門家の科学的指摘に立脚して一貫した主張を展開してきたわけです。

それゆえ、もし、堀江氏が意見を抜本的に改める機会があるとすれば、国内で爆発的に死者が増加した場合や、特段の基礎疾患や過労等による体力の低下が見られないような健康な層からも死者が続出した場合でしょう。しかし今回は、繰り返しになりますが、確かに衝撃的なニュースではあるが、それらには該当しないでしょう。こう書いてしまうと語弊がありそうですが、志村さんの死という事実とホリエモンの持論は、論題の所在が違っているのです。

アンチ・ホリエモンであればこそ普段から彼のツイート等を粘着質にチェックしていると思われる点、まともな論理的思考力があれば、今回の志村さん死去のニュースは堀江氏の平生の主張を覆せるような事実ではないことは容易に分かるはずです。現に、「基礎疾患を抱える高齢者は当然自粛してしかるべき」などと、あっという間に堀江氏から返り討ちにあっています。

ちょっと考えればすぐ返り討ちにあうのは容易に想像できるのに、堀江氏相手に「この件もお得意の『騒ぎすぎ』ですか?」や「今の気分は?」などとメッセージを送ってしまう手合い。志村さんの死を「ホリエモン叩きのチャンス」として、よく考えずに飛びついている様が透けて見えます。「今の気分は?」というのは特に酷いですね、嬉々として書き込んでいる様子が浮かびます。

国家・社会が一丸となって共通の敵としての感染症と戦おうとしているさなかに、その緊張感に水を差すような堀江氏の言説がウザいのは分からないでもないところです(でもそれって非国民狩りの発想だよね)。堀江氏が自らアンチを作っていくスタイルを取っているのも大いに影響があるでしょう。ハッキリ言って彼は嫌われるタイプです。しかし、いくら叩きたいからといって、どんなニュースであっても飛びつき無理筋で話を展開するのは、恥ずべきことでしょう。
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2020年03月28日

よく言えば「等身大の感覚」、悪く言えば「素人考え」でコロナウィルス対策を考える風潮について:経済政策編

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200325-00000563-san-pol
「マスクが店頭に並ぶまで一定の時間」 厚労副大臣
3/25(水) 16:55配信
産経新聞

 稲津久厚生労働副大臣は25日の参院予算委員会で、新型コロナウイルスの感染拡大によるマスク不足について「十分な量が店頭に並ぶには一定程度の時間を要する」と述べた。

(以下略)
■「素人考え」の蔓延
今回の新型コロナウィルス禍を巡っては、よく言えば「等身大」、悪く言えば「素人考え」で国家・社会の行く手を論ずる言説が氾濫しています。少々「上から目線」的な物言いにはなりますが、こうした言説からは「社会の主人としての人民大衆の成熟度」を読み取ることができるでしょう。当ブログでは複数回にわたって各種言説を取り上げてきたところですが、今回は、「経済政策編」としてコメ欄に投稿されている意見を取り上げてみたいと思います。

■ミクロレベルの感覚でマクロレベルの課題を論じている誤った見解
えっ?まだ把握できてないの??
増産要請の話はだいぶ前に訊いた。その後どれくらい増産されてどう流れているかは確認してないんだね。。
うちの会社だったら上司にこってり絞られる返答だが。。

一個人・一部署・一企業といったミクロレベルの話と一国家すなわちマクロレベルの話との質的差異を無視しており、ミクロレベルの感覚でマクロレベルの課題を論じている「素人考え」の最たるものというべき誤った見解です。

一個人・一部署・一企業レベルの仕事と一国家レベルの仕事には量的な差があります。前者が現状把握に1か月もかけていれば、たしかに「上司にこってり絞られる」ことでしょう。しかし、後者にもなると仕事量が前者とは比較にならないほどに増大するので、相当に時間が掛かるものです。

量的な差が一定程度大きくなると質的な差に転化することを踏まえる必要があります。対象のスケールによって、そこで支配的な法則は異なるのです。要するに、仕事量があまりにも多くなった場合、仕事量が少ない場合とは質的に異なるアプローチで取り組まなければならなくなるわけです。

たとえば、数人程度の少人数をマネジメントする場合、上司は自分の目の届く範囲で、自ら部下たちの作業を見守っていればよいでしょう。しかし、十数人から数十人規模の人員をマネジメントしようとすれば、上司の目の届く範囲で作業を見守るという今までの手法では管理しきれなくなります。それゆえ、日報や週報を提出させて目標管理したり、あるいは、係や班をつくり組織を編成し中間管理職を新たに配置して管理する必要が生じます。

一国家レベルを管理運営しようとすれば、相当に細かく組織化する必要が生じます。そうであるがゆえに、国内各地の情報が中央指導部に集まるには一定程度の時間が掛かるようになります。1か月で全国の現状と見通しが詳細に把握できるとは到底思えません。

このように考えると、一国家レベルの仕事を一個人・一部署・一企業レベルの感覚で論ずることはナンセンスであると言わざるを得ないでしょう。それにもかかわらず、ナンセンスのド真ん中を走るコメ欄コメント。「素人考え」の最たるものと言うべきです。

■計画経済との共通点――「どうせヤフコメだから」と軽視できない
ミクロレベルの感覚でマクロレベルのマネジメントを主張した言説として、私たちは歴史の経験として「20世紀社会主義の失敗した計画経済」を思い起こす必要があります。

レーニンは『国家と革命』において、社会主義革命後の国家運営を郵便事業になぞらえ、四則演算ができる普通の労働者が容易く運営できるものと予測しました。実際にはそのような簡単な原理で国家運営ができるはずもなく、計画経済は混乱のうちに場当たり的な命令が乱発されつつ、闇市的な非公式な流通で何とか運用された末に崩壊しました。

今回取り上げたコメントは「20世紀社会主義の計画経済」と同じく、ミクロとマクロの質的差異を無視し両者を同等視しています。その点において同じ過ちを犯していると言わざるを得ません。このコメントの主張を真に受けるようでは、計画経済の轍を踏むことに間違いはないでしょう。このコメントは、「どうせヤフコメだから」と軽視できません。ソ連・東欧で計画経済が破綻してほぼ30年(ソ連崩壊:1991年)、純粋な計画経済は「死んだ」と思われてきましたが、「素朴」なアイディアの中では依然として生き残っていたわけです!

■社会主義信奉者として新たな課題を発見した思い
社会主義の特徴の一つとして「組織化」が挙げられると私は考えます。マクロレベルでの組織化を志す思想と運動を社会主義と定義してよいでしょう(ミクロレベルにおけるそれは、協同組合主義と称するべきでしょう)。以前から表明しているとおり私は、ミクロレベルでの社会の組織化(協同化)を出発点としつつ、マクロレベルでの社会の組織化を構想する点において、社会主義の立場を取ってきました。しかしながら、ミクロレベルの組織化とマクロレベルの組織化は、組織規模という量的な違いに基づく組織の質的な違いにより、同様の方法論では取り組めないものであることは理解しているつもりです。

20世紀社会主義の亡霊が「素朴」なアイディアの中で生き残っていたことが判明した本件。20世紀社会主義の轍を踏むことなく社会主義を実現させようとする立場に立つ者として、新たな課題を発見した思いです。

■生産に対して政治は万能ではない
次のコメントに移りましょう。
何をやってるのかこの政権は。官房長官が翌週にはマスク不足が解消されると胸を張って会見したのは2月12日ですよ。あれから1ヶ月以上経過してもなおこの体たらく。

今や店頭にはまったくありません、買えません。入手は絶望的です。医療機関でさえもマスクや消毒液が不足、深刻な事態です。

1ヶ月以上経過してもマスク不足が解消出来ないなんて明らかに政治の責任でしょう。責任者出て来い。
今般のマスク不足は、生産の量的調整によって解決できるものではなく、そもそも生産能力の増大に取り組まなければ根本的には解決し得ない問題です。既に工場はフル稼働しています。経済学的に言えば、「短期」の問題ではなく「長期」の問題になっています。

工場等の新設による生産能力の増大には、数か月から年単位の時間が必要になります。工場建屋の建設、生産設備の搬入そして実際の生産活動の展開といったステップを踏む必要があるので、相当の時間が掛かるわけです。

また、資本主義市場経済の日本においては、マスクは国営工場で生産されているわけではなく民間事業者の営利目的での生産に依存しています。政治がいかにキャンペーンを張っても量産するか如何かは各個人・各企業の経営判断の範疇なのです。政府が直接指令できるわけではありません

要するに今般のマスク不足は、政治が魔法のように解決できるような問題ではないのです。政治には、そもそもそんな能力もなければ権力もないのです。

そもそも政治は、特定の階級または社会の利益に応じて人々の活動を統一的に組織して指揮する社会的機能です。他人に命じて彼・彼女を動かすのが政治の本質です。命令を受けて実働部隊として実際に動くのが「生身の人間」である以上は、できるコトとできないコトがあるのは当然です。それを無視して一方的に要求を並べ立てるのは、「無いものねだり」であり、客観的な条件・事実から出発しない「観念論」であります。

それにもかかわらず、「1ヶ月以上経過してもマスク不足が解消出来ないなんて明らかに政治の責任でしょう。責任者出て来い」などと言ってのけるコメ欄。菅官房長官が口をすべらせて不用意に楽天的なことを語ったのは大いなる反省点と言い得るでしょう。しかし、繰り返しになりますが、工場等の新設による生産能力の増大には一定程度の時間が掛かるものであり、また、増産するかどうかは民間事業者の経営判断であり政府が命令できるものではなく、よって政治ごときが迅速なる量産に対して何らか責任を持てるような話では、そもそもないのです。

■「悪人黒幕論」の影、「粛清論」および「救世主による設計主義論」の足音
社会が複雑化するにつれて社会的分業が高度化・専門化しています。それに伴って社会を管理運営する主体としての政府(中央政府・地方自治体)の役割が高まりつつあります。国民の政治や行政に対する依存度が高まりつつあります。これ自体は合法則的で必然的な時代の変化ですが、しかし、上掲コメントのような「政治・行政は全知全能・万能であるはず」という錯覚は、事実に反する悪しき錯覚であると言わざるを得ません。政治や行政には、できるコトとできないコトがあるのです。

政治や行政に対して無理難題を要求するのは忌々しきことでありますが、それ以上に重大なのは、できもしないコトを掲げて権力を奪取しようとするいわゆる「ポピュリスト」の出現や、あるいは、本気で実施しようとするアホの権力掌握にあります。

私たちは歴史の経験として「20世紀社会主義」を思い起こす必要があります。「悪徳ブルジョアジー」を排除して「プロレタリアート」が権力を掌握すれば万事が解決する(レーニン)かと思いきやそうは行かず、次に「裏切り者」を狩り出してみた(スターリン)がそれでも上手くいかなかったのが「20世紀社会主義」でした。

不都合・不愉快な現実の原因を特定の個人や組織に帰着させる発想は「悪人黒幕論」というべき発想です。これは、「悪人を排除すればよい」とか「善人が全権を持てば万事解決する」といった「粛清論」および「救世主による設計主義論」にもつながるものです。歴史的事実は、「悪人黒幕論」が容易に「粛清論」および「救世主による設計主義論」に転化することを示しています。

この点において、このコメントも「どうせヤフコメだから」と軽視できません「死んだ」と思われてきた「悪人黒幕論」的な発想が、「素朴」なアイディアの中では依然として生き残り、いまもなお「粛清論」および「救世主による設計主義論」がすぐそこにあるわけです!

■総括
「素人考え」で国家・社会の行く手を論ずる言説が氾濫している今般の新型コロナウィルス禍。今回は「経済政策」に絞って世論動向を取り上げてみましたが、歴史的事実と照合するにかなり危ない発想が見えてきたように思います。

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
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2020年03月25日

よく言えば「等身大の感覚」、悪く言えば「素人考え」でコロナウィルス対策を考える風潮について

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200325-00000055-asahi-soci
「マスク送って」の豊川市に10倍の恩返し 中国側発送
3/25(水) 17:38配信
朝日新聞デジタル

 「余裕があれば、今度はこちらにマスクを提供してほしい」という愛知県豊川市からの呼びかけに、友好都市の中国・無錫市新呉区から返答があった。「新呉区が困っている時に助けてもらった厚意に恩返しがしたい」。2月に豊川市が提供した枚数の10倍以上、5万枚のマスクが新呉区から豊川市へ発送された。

(以下略)
ここ最近、1月中旬から2月上旬にかけて日本各地の自治体が中国にマスクを支援物資として送付したことについて、「国民より中国が大切だったのか」だの「媚中だ」だのと騒ぐ言説が蒸し返されています。また、本件のJーCASTニュース版のコメント欄では、豊川市長の「危機管理能力」を云々するコメントが寄せられています(ヤフコメが危機管理を語るってwww)。おそらく、「近隣国で奇病が流行っているのだから、自国民を優先して、むしろ備蓄を積み増すくらいであるべきだった」といったところなのでしょう。たとえば、1ヵ月前の記事になりますが、以下。
https://www.iza.ne.jp/smp/kiji/politics/news/200225/plt20022520000021-s1.html
国民の生命は二の次!?中国に媚びを売る媚中派たち “甘すぎる”日本の新型コロナ対応 識者「韓国を歯ぎしりさせた「戦略的放置」を中国にも断行すべき」
2020.2.25更新
産経新聞

 中国発の新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。中国本土では22日朝時点で、感染者は7万6000人以上、死者は計2345人。日本国内でも、北海道と埼玉で子供の感染が発覚して、感染者は計743人(クルーズ船の634人を含む)となった。日本政府の初動対応の遅れが指摘されているが、背景には、恩を仇(あだ)で返す、中国への甘すぎる対応があったとの見方も根強い。国際投資アナリストの大原浩氏は緊急寄稿で、韓国を歯ぎしりさせた、日本の「戦略的放置」を中国にも断行すべきだと強調した。安倍晋三政権は、国民と旅行者の生命と健康を守るため、中国の入国拒否の対象地域を拡大するとともに、対外発信力の強化を検討している。

 新型肺炎は世界にますます拡大し、日本は初期対応のまずさから「世界第2位の汚染国」のイメージを世界中に植え付けてしまった。媚中派の自民党を含む議員や官僚などが、国民の健康や生命を二の次にして中国に媚びを売ることに懸命になったことが惨劇を招いた。

 国民がマスク不足で右往左往しているときに、マスクだけではなく、防護服まで中国に贈呈した政治家、官僚、役人は、騒ぎが終わった後、厳しく断罪すべきである。しかも、共産党独裁で利権がはびこる中国で、それらの善意の品が本当に必要な人々に届くのかどうかも疑問だ。

(以下略)
しかし、1月中旬から2月上旬といえば、まだ中国国内での封じ込めに対する期待も残っていた段階、すくなくとも当時に知られていた情報ではそう考えられていた段階でした。伝染病予防において最も効果のある手法は、何と言っても流行の局地化・封じ込めです。発生国である中国で封じ込めが成功すれば、それは日本にとっては「最大の予防」なのです。

「ヨソの状況をみてウチの備蓄を積み増す」というのは、まさに「買いだめ」の発想です。これは、自己の生活防衛だけを考えていればよく、また、何か社会的に意義のあるコトをしたくても出来ない一般庶民の考え方です(思い起こせば、東日本大震災直後、被災地でも何でもない地域でも「日本列島に連続震災近し?!」という不安が蔓延して買いだめ的な消費者行動が見られました)。しかし、公衆衛生についても考えなければならない自治体や政府においては、自国民の利益を考えればこそ、日本に本格的に侵入する前に発生国である中国国内で封じ込めを成功させる必要があったと言えます。

それゆえ、1月中旬から2月上旬にかけて中国国内での封じ込めのために日本国内からマスクを送付したことは、あの当時の情勢からいって決して間違いではなかったと私は考えます。

SNS全盛期の昨今、よく言えば「等身大の感覚」、悪く言えば「素人考え」で国家・社会を論ずる風潮が大いに広まっているところですが、「国民より中国が大切だったのか」といった言説は、その典型的な一幕と言えそうです。

ところで、各地の自治体がせっせとマスクを寄贈していた相手国が、他でもない「中国」だった点に粘着している人が、上掲の産経新聞記事を筆頭に思い起こせば少なくなかったように記憶しています。とりわけ、親中派で知られる二階・自民党幹事長がマスク寄贈について当時、コメントを寄せていたことには、あれこれとケチをつける言説があったものです。

対照実験のしようがないので想像と推測の域を脱し得ませんが、「媚中」のような筋違いの妄言まで飛び出してきた点、マスクの寄贈先がアメリカやヨーロッパ諸国、同じアジアでも東南アジア諸国や台湾などだったら、まったく異なる反応だったのではないかと思えてなりません。強大な仮想敵国・深刻な脅威としての「中国」および同国の利益になる行為をする自国民に対する反発心が見え隠れするように思われます。

どうせなら、いっそのこと「朝日新聞は呑気に『10倍の恩返し』などというが、これはまさに朝貢に対する回賜じゃないか!」くらいのことは言って欲しい(中華帝国の皇帝は、帝徳を内外に誇示するために、貢物を捧げた使節団にその数倍から数十倍の物品を下賜したものでした)ものですが、しかし、そこまでの言説は今のところ出て来てはいない点、産経方面のアホは世界史的教養と連想能力が実は乏しいのかもしれませんw

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
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2020年03月20日

「なぜ岡田教授や大谷医師がテレビで重宝されるのか」を探究するようになってこそ対人活動としての科学普及活動が再興する

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200313-00071075-gendaibiz-soci
新型コロナ、テレビでよく見る「専門家」に対する大きな疑問と違和感
3/13(金) 6:31配信
現代ビジネス

(中略)
本当に専門家なのか
 岡田教授にしても、大谷医師にしても、感染症や呼吸器疾患が専門であることは間違いないのであろう。前者は感染研出身であるし、後者は一般向けの書籍もたくさん出している。これまでのテレビ出演の実績も多いようだ。

 しかし、これだけ国民の関心が高い問題について、そして皆が不安を高めているなかで、きちんと科学的に説明ができるだけの専門性があるかというと、それは非常に疑わしい。

 テレビ局は、いったいどのような基準で専門家を選んでいるのだろうか。おそらくは、これまでも局の番組に出演実績があり、出演交渉を受けてくれて、なおかつ話が分かりやすい人という基準は重要だろう。

 専門性については、著名である、本を出している、有名な大学や機関に所属しているなどということも大きいかもしれない。岡田教授にしても、大谷医師にしても、そのいくつかに当てはまる。

 しかし、科学者の端くれとして、私はその人の専門性を見るときに、専門の学術論文がどれくらいあるかということがまず重要な基準であると考えている。

 有名であるとか、本を出しているとかは基準としては、さほど重要でない。テレビや雑誌で有名な人でも専門家として疑問のある人はいくらでもいる。また、本は著者と出版社がOKであれば出せるが、論文は同じ科学者の査読を経ないと出版されないためハードルや質が高い。

 実際、調べてみたが、大谷医師はもちろんのこと、大学に勤める研究者であるはずの岡田教授は、雑誌記事の類はたくさんあるが、学術論文は1998年を最後に1本もない。

 研究者が自身の研究業績を発表するResearchGateやreserchmapなどには名前すらなかった。こういう人は普通、専門家とは呼ばない。

(以下略)
■なぜ岡田教授や大谷医師がテレビで重宝されるのか
じつに的確に事実を捉え、科学的見地から正しく論評されていると思います。それだけに、とても「残念な出来」になってしまっています。

いまや昼間の情報番組ではおなじみの岡田晴恵・白鷗大学教授や医師の大谷義夫氏らが、「専門家」とは言い得ないような怪しげな人物だということは、記事筆者である原田隆之・筑波大学教授のご指摘のとおりで私も異論はありません。そして、そうした怪しげな人物が公共電波で重宝され、眉唾な言説を垂れ流しているのは忌々しきことであります。

そうであるからこそ、「なぜ岡田教授や大谷医師がテレビで重宝されるのか?」、つまり「なぜテレビ局は、怪しげな人物を番組に呼び、誰もが認めるような感染症の専門家を呼ばないのか?」ということにこそ注目すべきと私は考えます。俗流「専門」家が持ち正統派専門家が持っていないものを対照することによって、視聴者等の一般庶民が何を求めているのかが見えてくるものと思われます。そして、それを出発点として、科学的立場から対応策を組み立てることが急ぎ必要だと考えます。

テレビの情報番組が扇動的なコンテンツを配信し、人心・世論が動揺するという現象は、今回に限らずよく見られるものです。当ブログは以前から事件報道や刑事裁判、「北朝鮮」報道など、世論が一方向に偏りがちなテーマを取り上げてきましたが、こうした世論の「沸騰」に対するテレビの情報番組の「貢献」は実に大きなものがあります。

事件報道を分析する界隈ではよく言われることなのですが、新聞等の文字によるメディアと異なりテレビ等の映像によるメディアには「放送時間」という厳しい制約があり、限られた時間(ふつうはごく短時間)内に効果的にメッセージを伝える必要があります。数分程度のコーナーで起承転結がつくように情報を圧縮して伝える必要があります。

それゆえ、どうしても演出は派手になりがちで、出演者は話が端的で分かりやすい人が選ばれる傾向にあります。多くの科学者仲間から引用される質の高い学術論文を発表しているような著名な科学者であっても、話が分かりにくいようではテレビ局からはお呼びがかからないのです。

そしてまた、視聴者の側としては、「いま自分たちは何をなすべきか」ということを端的に知りたいという欲求ゆえにテレビの情報番組を視聴するのです。

たとえば、事件報道界隈で言えば、橋下徹・元大阪市長のように、不明確なことであっても断定的にコメントする人が大変な人気を誇っていたとおりです(光市事件弁護団への懲戒請求扇動が最たるものでしたが、その内実・実態は、かなりいい加減なものでした)。橋下氏がコメンテーターだったころはまだ記憶に新しいところかと思います。思い出してみてください。人々が何を求めているのか、テレビ局が何を求めているのかが見えてくるはずです。

原田教授は、岡田教授や大谷医師の論文執筆本数を以って専門家か否かを判断しています。これは科学者の世界では基本的かつ当然の視点ですが、テレビ局や視聴者にとっては、「どうでもいいこと」以外の何物でもありません(とんでもなくピントがズレていますね・・・)。テレビ局や視聴者は、知りたいテーマを自分に合った形で答えてくれる人を求めているわけであり、大ウソやあからさまなデタラメを言わない限りは、科学者としての業績が多少見劣りしていたとしても構わないわけです。

もし、岡田教授や大谷医師のような人が存在しなかったとしても、だからといって話が分かりにくい正統派科学者がテレビに出てくることはないでしょう。そういった場合おそらくテレビ局は、正統派科学者の取材メモをアナウンサーに読ませるでしょう。ときどきありますよね、スタジオの番組出演者たちの疑問・質問に対して「oo大学のxx教授によると・・・」とフリップボードで回答を提示する番組。当の大学教授の出演スケジュールが合わなかったのか、ギャラに折り合いがつかなかったのか、話が破滅的に分かりにくかったんでしょうね。

この点、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏が面白い記事を書いています。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200314-00612306-shincho-soci
ウイルス禍が産んだアイドル「岡田晴恵教授」(中川淳一郎)
3/14(土) 5:55配信
デイリー新潮

 新型コロナウイルス報道でもっとも有名になったのは、白鴎大学の感染症の専門家・岡田晴恵特任教授でしょう。この1カ月ほど、平日はテレビで見ない日がないほどの八面六臂の活躍ぶりで、朝にテレビ朝日で見たと思えば午後はTBSに登場している。
(中略)

 今、岡田さんが引っ張りだこになるのも分かるんです。何しろズバリと答えを言ってくれる。「重点地域を決めて各自治体主導で検査・治療をすべきです」といった感じで。

 初めのうちは、2003年のSARS対策に当たった感染症専門家の初老男性がテレビに出ていたのですが、この人が喋ると他の出演者がイライラし始めるんですよ。

「ならば、感染しないためには、ズバリ我々は何をすればいいのですか!」

 と迫ったところで、

「ンまぁ〜、人によってそれは異なるわけで、その人が置かれた環境により対策は違うわけであり、状況の推移を見守り、適切に対処していくべきです」

 常にこんな調子で、結論を言わないんですよ。もちろん、人の命にかかわることだから、断定をするのは乱暴ですし、状況が分からないにもかかわらず提言をすることの危険性はあります。この方は長年研究してきたからこそ慎重に発言するし、感染症対策が一筋縄ではいかないからこそのこの話法です。そこは理解します。

 しかし、テレビというものは「じゃあどうすればいいの! バシッと一言でお願いします!」と、一番に断定を求められます。

 一方、岡田さんは慎重に喋りながらも、「という場合もある」「〇〇の方がいいですよね」と「半断定」「選択肢提示」的な話し方をしてくれる。極端な断定を求められたら「だから」や「ですから」と遮り、「もぅ、これだから素人はダメなのよ。答えを早く求めすぎるし、さっきそのことは説明したじゃないの」のような苛立ちも伝わってくる。だからこそテレビ各局からオファーが殺到するのでしょう。
(以下略)
たしかに、ダラダラとメリハリのない、いかにも研究者風な専門家が徐々に登場回数を減らしてきた一方で、岡田教授は「生き残って」います。これが示すことはあまりにも明らかです。ダラダラと話すような専門家は、いかに研究の世界で優秀であっても一般庶民にとっては「お呼びでない」ということなのです。

原田教授も記事中、「これまでも局の番組に出演実績があり、出演交渉を受けてくれて、なおかつ話が分かりやすい人という基準は重要だろう」と指摘されている点、このこと自体はご理解なさっているのだと思われます。それだけに「一般庶民が何を求めており、いま科学者には何が足りていないのか」という方向に論が進まないのは、とても残念に思います。「そこに答えがもう落ちている」のにそれをスルーするというのは、原田教授にあっては「一般庶民は何を求めているのか」について、あまり関心がないということなのでしょう。

■「科学者が一般庶民に接近する」ことの重要性
むしろ、全体的に科学的啓蒙を志す内容であり、とりわけ次のくだりが端的ですが、「科学者が一般庶民に接近する」のではなく「一般庶民が科学者に追いつく」ことを是としているようです(該当部分のみ引用)。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200313-00071075-gendaibiz-soci&p=5
誰を信じればよいのか
 今回のコロナ騒動をめぐっては、いろいろな専門家がテレビやネットで意見を開陳している。そして、人によって言うことが違うということも混乱に拍車をかけている。

 あるテレビ番組では、東国原英夫氏が「困るのは専門家によって言うことが違うということ。右往左往している。こういうときは、どっか司令塔に意思統一してほしい」と述べていた。これもまた危険なことである。権力やメディアが科学者の言うことに規制をかける社会など、考えただけでも恐ろしい。

 たしかに、「マスクをしろ」という人がいたかと思えば、「マスクは大して役立たない」という専門家がいたり、「積極的に検査をしろ」という専門家がいれば「それはいけない」という専門家もいる。聞いているほうは、どれが正しい情報かわからず混乱する一方だ。

 私も、大学の授業の時に学生から「先生によって言うことが違うのですが、何を信じたらいいのですか」と聞かれたことがある。そのようなとき私は、「先生を信じるよりも、データやエビデンスを頼ってください」と答えている。

 重要な判断をするとき、あの先生が有名だ、本をたくさん出している、あの先生が偉い、好きだなどという曖昧なことを根拠にしてはいけない。また、データにも質の違いがあり、データであれば何でもよいわけではない。どのようなデータを選ぶか、データの質を吟味するには、高い科学的リテラシーが要求される場合がある。さらに言えば、科学だって限界はあり、データだけに頼りすぎることも危険である。 

 こんなことを言うとますます混乱するかもしれないが、せめて今できることは、メディアが専門家を選ぶ際の基準を厳格にすることだろう。そしてメディアに携わる人々は、ぜひ科学的リテラシーを高めるように勉強してほしい。
私も、大学の授業の時に学生から「先生によって言うことが違うのですが、何を信じたらいいのですか」と聞かれたことがある。そのようなとき私は、「先生を信じるよりも、データやエビデンスを頼ってください」と答えている」というのは、実に科学的に正しい態度であります。私もかくありたい・かくあらねばならぬと常々考えて努力しています。しかし、一般庶民は、筑波大学の学生ほど科学的素養があるわけではありません。日本の教育制度においては、理数系科目を徹底的に回避し、テスト前の暗記だけで乗り切ることも不可能ではありません。それゆえ、中学校レベルの科学的思考方法さえも身につけていない人はザラにいると言っても過言ではありません。そんな人たちが、「データやエビデンスを頼ってください」と諭されて「ハイ分かりました、頑張ります」と言うでしょうか?

「一般庶民が科学者に追いつく」と言うのは、相当困難なことであると言えるでしょう。教育政策として取り組むべき長期的課題だと思います。とりあえず直近の新型コロナウィルス禍にかかる社会的混乱を乗り切るためには、「科学者が一般庶民に接近する」という方法論で臨むべきでしょう。岡田教授や大谷医師の「テレビ映り」を研究することで「専門外の人たちに専門知識を広めるには、どうしたら効果的なのか」を探ることが必要だと考えます。

また、長期的課題においても「科学者が一般庶民に接近する」という方法論は決してバカにできないでしょう。昨年10月12日づけ「「地球平面説」支持者が増えている事実が示すこと」及び本年2月20日づけ「新型肺炎を巡る「不安」の正体は、科学的見地が軽視されているためではなく、科学「者」が軽視されているため」でも述べたとおり、いま一般社会では科学者に対する不信感が募っています。これは、科学者と一般庶民との間でコミュニケーションが取れていないためであると考えられます。コミュニケーションを成立させるためには、「正しいこと」を一方的にまくし立てるのではなく、双方が歩み寄り合う形での対話が必要です。科学的な知識や理解を広める過程は、自分以外の他人との交流・意見交換を伴う点において「対人活動」なのです。

また、科学者が陥りがちな「落とし穴」として「知識のタコツボ化・専門バカ化」があります。謙虚さを失い専門分野にのめり込んだ科学者は、総合的に見れば誤りを犯すことがあります

たとえば、高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏洩事故は、専門家同士の連係ミスであると指摘されています。原子炉レベルの高度な技術が要求される場面では、その分野の専門家以外は、「ド素人」とは言わないまでも、知識水準には大きな開きがあると言えます。これを防ぐためには、「科学者が一般庶民に接近する」に準じた方法論を取るべきでしょう。

相手が一般庶民であっても同様です。とくに経済学者にありがちですが、生活者としての一般庶民に言わせれば荒唐無稽と言う他ない生活実感が欠如した理論的考察ゃ政策案が飛び出てきます。こういったことを避けるためには、「科学者が一般庶民に接近する」という心構えが大切です。

なお、後に触れるような屁理屈的な極論への飛躍があると困るので断っておきますが、「上山下郷(下放)せよ」とまで言っているわけではありません。

■戦略的に「好かれる科学者」になれ
原田教授は心理学の専門家なのでご存じないはずはないでしょうが、P.ラザースフェルド(P.Lazarsfeld)の「コミュニケーションの二段階の流れ仮説」(the two-step flow of communication)を踏まえるに、人々は自分にとってのオピニオンリーダーを介して新しい知識・情報を受け容れるか否かを判断していると言います。「重要な判断をするとき、あの先生が有名だ、本をたくさん出している、あの先生が偉い、好きだなどという曖昧なことを根拠にしてはいけない」という「あるべき論」も分かりますが、事実から出発する必要があります

すこし「邪道」に見えるかもしれませんが、正統派科学者は、学問のみに精励するのではなく「好かれる科学者」になり、その地位をある意味「利用」して科学的見解を広めるという手があるでしょう。仕方のないことです、科学的素養のない一般庶民は好き嫌いで判断するのだから。孤高にも「あるべき論」を主張して何も変わらない・何も実現しないよりは、すこし邪道であっても効果が上がる方法を取った方がよいでしょう(こう考えるのは、やはり私が学問の人というよりも政策の人だからなのでしょうかね)。

■視聴者は「諸説あること」を知りたいわけではない
なお、記事中、原田教授は「あるテレビ番組では、東国原英夫氏が「困るのは専門家によって言うことが違うということ。右往左往している。こういうときは、どっか司令塔に意思統一してほしい」と述べていた。これもまた危険なことである。権力やメディアが科学者の言うことに規制をかける社会など、考えただけでも恐ろしい」としていますが、これは明らかに飛躍であります。要するに、素人たる一般庶民には科学者同士の意見対立を見せられたって何が正しいのか分からないのだから、「話をまとめてから持ってこい」というだけのことです。視聴者は、「諸説あること」を知りたいわけではなく、「いま自分たちは何をなすべきか」ということを知りたいのです。

これは、一般的な職場では当然のことです。自社ないしはクライアントにとって最適な戦略を考えるためには、プランを幾つか立案し議論を活発に展開することは必要不可欠なことですが、とっ散らかった状態でプレゼンしようものなら、自社上席者またはクライアントから「話をまとめてから持ってこい」と一喝されることでしょう。とくにクライアントの依頼で戦略等を考える場合、クライアントは自力では戦略を立てられないから外注しているのに、当の外注先が「諸説あります」なんてプレゼンをしたら、そりゃ怒られるでしょうね。もう二度とお呼びがかからないかも知れません。

どうしても「諸説あること」を見せたいのであれば、「朝まで生テレビ!」のような深夜放送か「日曜討論」のような明らかな討論番組でやれば宜しいのです。昼の情報番組を見るような人たちは、この手の討論番組は見ないでしょうから、棲み分けできると考えられます。「視聴者が何を求めているのか」という事実から出発すべきです。

「視聴者が何を求めているのか」に無関心だと、ここまでハチャメチャなことを口にできるのですね・・・前回2月20日づけ記事で私は原田教授の執筆姿勢について「原田教授が自席に腰を掛けたまま、相手側の視点に合わせてみることもせずに自分の視点だけで記事を書きあげたことが透けて見える」としました。個人に粘着しているつもりはないし、あの手の罵倒まがいのことは書かないつもりだったのですが・・・

■総括:科学普及活動は対人活動
最後に、昨年10月12日づけ「「地球平面説」支持者が増えている事実が示すこと」でも引用した以下のくだりを再掲したいと思います。
https://bunshun.jp/articles/-/14297?page=3
反科学の人々が求めるのは「信頼」と「共感」か
「反科学」デマを追う『ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から』の著者・三井誠氏は、「科学コミュニケーション」の重要性を説く。かつて紀元前に地球球体説を説いたアリストテレスは、演説に大切な三要素として「ロゴス(論理)」「エトス(信頼)」「パトス(共感)」を挙げた。人々を説得する際、エビデンスや事実だけでは十分ではない。三井氏は、近代科学を広める人々が「論理」に頼りすぎて「信頼」と「共感」のコミュニケーションに失敗した可能性を指摘している。結局のところ、「反科学」旋風の対策は、専門家がインターネット等で知識を魅力的に伝えることなのかもしれない。
科学普及活動は対人活動なのです。
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2020年03月17日

世論は陰謀論がお好き

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200310-00000003-ykf-ent
満員電車、パチンコ、映画は良くてライブはダメって、どーなの!?
3/10(火) 16:56配信
夕刊フジ

【織田哲郎 あれからこれから Vol.59】

 2月29日に予定していた私の下関でのライブが中止になりました。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、という事情です。

 これに関しては残念だけど仕方ない、とは思います。ただ、満員電車のように“人が濃厚に接触する”ライブというのは、お客さんが目いっぱい入っているオールスタンディング形式のライブくらいしかありません。そういえば昔のパンクのライブだと、バンドも観客も唾を吐き掛け合うなんていう恐ろしい流儀もありましたが…。

 とにかく今、多くの音楽や演劇などの予定が中止になっています。また言いますが、それはこの状況では仕方ない、とは思うのです。ただ、それならそれで今はみんなで何はともあれ新型コロナウイルスの感染を徹底的に防止しようよ! という一貫性があってほしいと感じてしまいます。

 相変わらず多くの方々が満員電車で会社に行かれる。休日にはパチンコ屋に行かれる方もいるでしょう。私もエンターテインメント業界に生息している一員として、エンターテインメント業界にあふれる「俺らスケープゴート感あるよな」という感想には、それなりの共感を持たざるを得ない、というのが正直なところです。

(以下略)
■疫学的に見て満員電車、パチンコ屋および映画館とライブは同列視できない
3月9日に厚生労働省(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)が発表した「新型コロナウイルス感染症対策の見解」によると、これまで感染が確認された場に共通するのは、「@換気の悪い密閉空間、A人が密集していた、B近距離での会話や発声が行われたという3つの条件が同時に重なった場であるとのことです。上掲引用記事中でも触れられている満員電車について専門家会議は、「満員電車では、@とAがありますがBはあまりなされません」とし、通常的な満員電車は感染拡大の温床になるとは言えないという見解を示しています(「しかし、場合によってはBが重なることがあります」としている点、油断は禁物です)。同様にパチンコ屋もBはあまりないでしょうし、パチンコとタバコは「セット」と言っても過言ではなく、よって店内では強力な換気扇が回っていることあるので、場合によっては@の条件も満たさないかもしれません。映画館についても、Bをやったら職員に摘まみ出されることでしょう。

これに対してライブ会場は、@・A・Bのすべてを満たし得ると考えられます。クラシック音楽の演奏会のように大人しく鑑賞するような場所ではないでしょう。事実、新型コロナウィルス禍によって時差通勤が行われつつあるとはいえ、依然として都市部の通勤電車は大変混雑しています。近接性と密集性だけが要因であるとすれば、日々の運行本数を考えるに既に複数の感染クラスター列車が出現しているはずですが、しかし、満員電車が感染クラスターになったというケースは報じられていません。それに対して、ライブ会場が感染クラスターになったという報道は既に周知のとおりです。

つまり、織田哲郎氏がいうようには満員電車、パチンコ屋および映画館とライブは同列視できないわけです。決して「スケープゴート」などにしているわけではなく、これらは素人目には同じように見えても疫学的に見てまったく異なるシチュエーションなのです。

もちろん、シンガーソングライターに疫学の知識がないのは当然です。少々「上から目線」的な物言いになってしまいますが、知らないことは悪いことではないと思います。かくいう私も最近まで、不便に思いつつも念のために避けていたことが実はあまり意味のないことだったと知り、行動を改めたところです。

■単に自分が無知なだけなのに陰謀論的な構図が描かれがち
しかしながら、単に自分が無知なだけなのに陰謀論的な構図を描くことは別問題というべきでしょう。たとえば、コメ欄には次のような投稿があります。
>パチンコも映画館も良いけどライブはダメ、そして損害は自己負担で、といわれるのはやはり皆が納得がいく話ではないと思うのです。

織田氏の指摘も理解出来ます。ライヴは中止、延期が殆どです。

一方で、パチンコ、パチスロ屋さんは通常通り営業しています。
店内で一日中過ごす高齢者が多く、密閉空間で明らかに感染拡大の可能性が高いですよね。

何故、未だに専門家は指摘しないのでしょうか。
広告を出してもらっているのでテレビジョン側が黙殺しているのでしょうか。
もしかして、袖の下でも貰っているのでしょうか?
今回の新型コロナウィルス禍の一つの特徴として、陰謀論じみた勘繰りが横行していることが挙げられると思います。たとえば、WHOの歯切れが悪いことについて、「中国からカネをもらっているに違いない」といった具合の妄言が横行しています。

腑に落ちない事態が眼前に展開されていることについて、「カネのチカラで真実が覆い隠されているに違いない」として合理化することは、一番初歩的かつ最も典型的な陰謀論というべきものです。この世の中には、一見して「理解に苦しむ」ことは決して少なくはありませんが、しかし実際のところ、陰謀論者が考えているほどには陰謀は張り巡らされてはいません。多くの場合、陰謀論者たちの低水準な知識・知能では事態が理解できないだけに過ぎません。要するに、陰謀論者たちは、単に自分たちがアホだから現実を理解できないだけなのに、自分がアホであることに向き合わず、むしろアホだからこそ陰謀物語を紡ぎ出して現実を理解しようとしているわけです。

上掲コメントも同様です。パチンコ・パチスロ屋とライブ会場は素人目には同じに見えても、疫学的に見ればまったくシチュエーションが異なります。だから、専門家はライブについてのみ言及しているのです。決して、袖の下をもらっているからパチンコ・パチスロについて言及していないわけではありません

■何の証拠もないま陰謀論が見られ始めた新展開
この手の陰謀論は、最近になって急に生まれたものではありません。陰謀論の根底には他者に対する一種の不信感があると考えられます(だから、自分の与り知らぬところで秘密のはかりごとが進んでいると勘ぐるわけです)が、人間が部族社会を超える規模の集団を形成して社会生活を送るようになって以来、人間同士が心から信頼しあって社会を組織したことはありません。社会の紐帯は「信頼」ではあるものの、人々は他人を完全には信頼しきれていません。そんな人間の歴史において、陰謀論は古代からさまざまな形で定期的に出没してきた点、社会歴史的経緯から現代人は、物事を陰謀論的に見がちになってしまっているのかも知れません。

しかし、いままでの歴史上の陰謀論は断片的真実を都合よく継ぎ接ぎしてデッチあげた物語であった、つまり、ところどころに真実の欠片が散りばめられていました。たとえば、東日本大震災後の「放射脳」な言論もかなり荒唐無稽でしたが、「放射脳」の言論は「原子力ムラ」という実態のある徒党による現に存在していた暗躍を下敷きとしていました。その点、誇張や誤解・無理解はあったにしても「放射脳」の言論は、まったく無根拠というわけではありませんでした。

それに対して、今回の新型コロナウィルス禍において展開されている「ライブがダメでパチンコがOKなのは、袖の下があるからではないか」だの「WHOは、中国からカネをもらっているに違いない」だのといった陰謀論は、何の証拠もない妄言というべきものです。ただ自分には事態が理解できないから「何か闇のチカラが働いているに違いない」としているに過ぎません

「新型コロナウィルスは、中国人民解放軍の極秘ウィルス兵器に違いない」が最たるものですが、今回展開されている諸々の陰謀論は、「そう考えると納得できる」のかも知れないし「そうであっても不思議ではない」のかも知れませんが、「事実としてそうである」という万人が認める科学的証拠を欠いているケースが見られます。そんなものが、かなり広範囲に蔓延し、かつ、実しやかに語られているわけです。

人間は、自分が信じたいことに関する情報ばかりを集め、ストーリーを創り上げ、考えを自ら偏らせてゆくといいます。また、陰謀論的に物事を見がちなのが現代人です。それにしても、ここまで見事に無根拠を貫いている陰謀論の蔓延は、いままでには見られなかった新たなる異常事態というべきです。

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
http://rsmp.seesaa.net/tag/articles/%90V%8C%5E%83R%83%8D%83i%83E%83B%83%8B%83X%89%D0%82%F0%8F%84%82%C1%82%C4%E0t%82%E8%8Fo%82%B3%82%EA%82%BD%90%A2%91%8A
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2020年03月16日

上念司氏のせいで日本民族の名誉が損なわれる

https://twitter.com/smith796000/status/1239002454680690689
おい、朝日新聞。スペインから軍靴の音は聞こえんのか?
AFPBB News @afpbbcom
スペイン全土で原則外出禁止、新型コロナで非常事態宣言
18:36 - 2020年3月14日
スペイン政府の思い切った果敢な対応。我らが朝鮮民主主義人民共和国の徹底した防疫には及ばぬものの、西側国家としては大したものです。

このことについて、スペイン政府の勇気ある決断を賞賛するのではなく、日本の『朝日新聞』などに焦点を当てて駄文を垂れ流す上念司氏・・・そんな、くっだらないことに粘着している場合ですか(笑)

この非常事態に朝日のような売文屋のバカバカしい記事を槍玉に挙げて、何か意味があるとでも言うのでしょうか? 非常事態であるにもかかわらず、取るに足らない私怨を持ち出すだなんて、その平和ボケっぷりは、恥ずかしくて諸外国にはとても言えないことです。

以前から指摘していることですが、「論敵に一泡吹かせたい」程度の私怨レベルのどうでもいいことに、日本人はあまりにも拘泥しすぎています。落ち着きなって、みっともないから。相手は朝日だよ朝日

お前さんが口を開くたびに、自身の名誉はおろか民族の名誉までもが損なわれていることに気が付いて!!!
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2020年03月15日

やはり「転売規制政策は意味があるかないか」こそが核心だった

抱き合わせ、替え玉…マスク転売規制も抜け道横行 (3/15(日) 19:44配信 日刊スポーツ)
本当に悪知恵がよく働くものです。それも、際どいラインで。朝鮮民主主義人民共和国のキム・イルソン主席が1960年代後半に指摘していた「転売禁止・転売行為の権力的取り締まりの困難性」が、さっそく2020年の日本の地で現実化しました。

やはり3月4日づけ「「北朝鮮」にも劣る稚拙な転売規制要求を展開する日本世論の愚:真の問題である「買占めの発生」には「転売規制」ではなく「配給制の導入」で対応すべき」で論じたとおり、「転売規制政策は善か悪か」ではなく「転売規制政策は意味があるかないか」こそが核心だったようです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200315-23150690-nksports-soci
抱き合わせ、替え玉…マスク転売規制も抜け道横行
3/15(日) 19:44配信
日刊スポーツ


(中略)

マスク転売の温床とされたネットオークションやフリーマーケットアプリの運営各社ではマスクの出品を全面禁止した。各社ともに出品を確認した場合、ページを削除するとしている。

それでも規制初日にチェックすると「マスク50枚4980円」などの出品が確認できた。仕入れ価格から1円でも高い転売は禁止だけに「中国工場から直接仕入れで転売品ではありません」や「海外直輸入の正規品」など、転売ではないことが強調されていた。

マスクが極端な品薄となる前には、ドラッグストアなどで1箱50枚入りが実勢価格498円〜598円で販売されており、約10倍のイメージだ。ピーク時には「100枚8万円」や、中には同10万円を超える高額の転売もあっただけに価格下落の感はあるが、規制をすり抜けようとする新手の販売も浮上している。

別の商品にマスクをセットした「抱き合わせ販売」が登場した。化粧品などの購入者にマスクをプレゼントするケースがあった。政府は「独占禁止法が禁じる不公平な取引方法につながる恐れがある」と警告するが、「おまけやプレゼントだ」と主張すれば、その判断は難しいだろう。

また「替え玉販売」も登場している。マスクとして出品すると削除対象となるため「ペン」などと偽って出品する。高額出品で注目を集め、実はマスクとのセットであることを巧みに推測させるなど、関係省庁では警戒を強めている。一方で規制対象外となった消毒液は品薄にもかかわらずネット上で高額転売されている。規制する側と「転売ヤー」との、いたちごっこは続きそうだ。


(以下略)
いまのところ、日本政府によるマスク転売規制政策は抜け穴だらけのようです。おそらく、こまごまとした一つ一つの取引すべてを国家権力が虱潰し的に取り締まることはできないでしょう。ノウハウもマンパワーもありません。

また、仮に国家権力が虱潰し的に取り締まることができたとして、3月10日づけ記事でも書きましたが、そうすると恐らく転売ヤーは一切の販売を中止し、在庫を死蔵化させるでしょう。生鮮食品と異なりマスクは長期保存に適しているので、転売ヤーは、ほとぼりが冷めるまで大人しくしているものと考えられます。

転売禁止は、これから生産されるマスクが転売ヤーの手に落ちることを防ぎ、買い占めの発生を抑え込むことはできても、いま既に転売ヤーの手元にあるマスクについては、どうしようもありません。どう頑張っても市場には出て来なくなります。結局のところ、新たに生産されるまで当面の間、マスク不足は続くでしょう。

そもそも、転売行為の真の問題は、その前段階における「買い占め」の発生です。しかし、買い占めは転売ヤーだけが起こす問題ではありません。今後のことを考えると、転売ヤーによる物資不足への対応だけではなく、さまざまな原因で物資が不足するときに対応できる政策、不足物資を分かち合うための方法を用意すべきであります。それゆえ、買い占めを防ぐという政策課題に対しては、きちんと正面から向き合う必要があります。転売など枝葉的な問題に過ぎません

いったい何度目の引用になるのかは自分でも覚えていませんが、キム・イルソン主席はかつて、次のように指摘されていました。
人民の需要をみたせない商品は、たとえ国家が唯一的に価格を制定したとしても、闇取引されたり、農民市場で又売りされるということを忘れてはなりません。商店の品物を買いだめしておいて、他人が急に必要になって求めるときに高値で売りつけるような現象があらわれるようになるのです。卵の販売の問題を例にとってみましょう。現在、平壌をはじめ、各地に養鶏工場を建設して卵を生産していますが、まだ人民に十分供給できるほどではありません。そういうわけで、卵も国定価格と農民市場価格とのあいだに差が生ずることになるのですが、これを悪用して又売りする現象があらわれています。

 もちろん、だからといって、卵をいくつか又売りした人を罪人扱いにして教化所に送るわけにもいかず、ほかの方法で統制するとしても、販売量を調節するといったようないくつかの実務的対策を立てること以外に方法はありません。もちろん、こうした対策もとらなければなりませんが、そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません。

 この問題を解決するためには、品物を多く生産しなければなりません。産卵養鶏工場をより多く建設し、人民の需要をみたすほど大量に生産するならば、卵の闇取引はなくなるであろうし、農民市場で売買されることもおのずとなくなるようになるでしょう。こうした方法で国家的に人民の需要をみたし、農民市場で売買される商品を一つ一つなくしていくならば、最後には農民市場が不必要になるでしょう。
供給不足の物資を買い占めて闇市的に私的転売することを強権的に禁じたところで、転売行為が根絶されるわけがなく、地下に潜行してゆくだけ、そのとおりになりました。やはり、供給不足に陥っている商品の需給を一致させるためには、短期的には「配給制度の導入」・長期的には「生産の拡大」以外にはないのです。

3月4日づけ記事で取り上げたとおり、新たに生産されるマスクの一部は政府買い上げになるのであれば、その買い上げを拡大し、配給制(切符制ふくむ)を導入すべきでしょう。

ところで、消毒液は規制対象外になってしまったんですね。この手の規制について3月4日づけ記事で、「実運用を想定すれば、官僚の思い付きになりがち」という旨を書きましたが、まったくその通りになってしまいました。はやく消毒液も配給制にした方がよいでしょう。

一刻も早く供給量を増加させ、医療関連物資が高額転売される異常事態および、マスクは転売規制するのに消毒液の転売規制を忘れるようなアホな官僚に資源配分の権限を握らせる異常事態から脱却すべきです。

【関連記事】
2月10日づけ「キム・イルソン主席の闇市対策に学ぼう――マスク買占め・高額転売を「道徳」や「民度」の問題とし、「権力的取り締まり」を求める言説の低レベルさについて
3月4日づけ「「北朝鮮」にも劣る稚拙な転売規制要求を展開する日本世論の愚:真の問題である「買占めの発生」には「転売規制」ではなく「配給制の導入」で対応すべき
3月10日づけ「経済政策の点においても防疫措置の点においても日本政府の政策センスは「北朝鮮」に劣っていると言わざるを得ない:「取得価格を超えるマスク転売」を権力的に禁止する愚かさ等について
ラベル:社会 経済 経済学
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2020年03月14日

新型コロナウィルス禍によって炙り出されてきた日本世論の暗い部分

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200311-00000182-kyodonews-soci
マスク配布、朝鮮学校を除外 さいたま市、再考を表明
3/11(水) 22:09配信
共同通信

 新型コロナウイルスの感染防止策として幼稚園や保育園に備蓄マスクを配布しているさいたま市が、埼玉朝鮮初中級学校の幼稚部(同市大宮区、園児41人)を配布対象から外していたことが11日、関係者への取材で分かった。幼稚部の関係者らが同日、市に平等に配布するよう抗議し、市幹部が配布対象を再考すると表明した。

(以下略)
■漫然と杓子定規的に当てはめる
いかにもお役所が考えそうなこと。何を目的とした政策なのか自分たちでも分かっておらず、前例や基準等が今回のケースにも適当・適切なのかを考えず、漫然と杓子定規的に当てはめている「お役所仕事あるある」の最たるものです。

しかし、お役所で働いている役人たちも同じ日本人なのだから、こうした傾向は多かれ少なかれ、すべての日本人が持っている傾向であるとも考えられます。その点、「漫然と杓子定規的に当てはめる」は、現代日本社会のひとつの特徴といってもよいと思われます。現に、お役所のみならずコメ欄でも同様の発想をしていると見られる意見が多くみられます。
物資が足りない中でまずは自国民が優先なのはどの国も同じですよ?日本人皆が足りない中で皆平等なんて、本当に日本人は優しいですよ。一度外国に住んでみるといいと思います。
感染症の拡散は、国籍を問いません。それゆえ「自国民優先」などとしていると、いつまでも鎮圧できないでしょう。発生国である中国が、国籍を問わず強権を振るった結果、急速に鎮圧に向かいつつあるところです。

生活保護等の社会福祉・社会保障政策と異なり、感染症対策が国籍を問わない・問えない問題であるということを理解していないようです。アタマを使って判断せずに、物事を漫然と見ている証拠と言わざるを得ません

マスクを配らないのは朝鮮だからじゃない。
名前に「学校」が付いているだけで、一般企業と同様の立場だから。
ここに配るなら市は全ての企業にマスクを配布しなくては整合性が取れなくなる。
屁理屈という他ない言い分ですが、本件に限らず、この手の「整合性」なる屁理屈が飛び出でくるのは、決して珍しい事象ではありません。韓「国」人が、いわゆる「国民情緒法」(その時々の事情や判断が法に優越する)的な反応を見せるのに対して、日本人は、近代ドイツ的な「形式的法治主義」(「法律にそう書いてある以上は、そうするほかない」という現代的な実質的法治主義とは異なる古い考え方)に近い反応をみせがちなところです。

法的な「整合性」など、何に主眼を置くかによって如何様にもなるものです。「対象組織」に着目すれば、「名前に「学校」が付いているだけで、一般企業と同様の立場だから」という言い分は、そのとおりかもしれません。しかし、「感染症の拡大防止」という原則に着目すれば、朝鮮幼稚園を除外する根拠にはなり得ません。一般にマスクの罹患予防効果はそれほど高くなく、既に感染している人(無症状者・潜伏期間中患者ふくむ)からの感染拡大予防にこそ効果が期待されるものです。マスク着用の主たる目的は「自分がかからない」ためではなく「他人にうつさない」ためです。新型コロナウィルスの場合、子どもはそれほど重症化しないものの、活発に動き回って祖父母等の高齢者と接する機会が多いので、たとえば教職員が感染していた場合、子どもを介して高齢者グループに感染させる恐れがあります

新型コロナウィルス対策という根本に立てば、「対象組織」などどうでもよい話で、「感染症の拡大防止」にこそ立脚すべきであります。となれば、朝鮮幼稚園を除外するべきではないでしょう。むしろ、ここで朝鮮幼稚園を除外しようものなら、何を目的としてさいたま市は備蓄マスクを放出するつもりなのかという話になります。

幸いにして、さいたま市は、昨日づけでマスク配布に切り替えました。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200314-00000003-saitama-l11
<新型肺炎>さいたま市、朝鮮学校にマスク配布へ…一時は抗議も 国立幼稚園や小学校、医療機関にも配布へ
3/14(土) 9:37配信
埼玉新聞

 埼玉県さいたま市は13日、新型コロナウイルス感染防止のマスクを巡り、配布対象から除外していた埼玉朝鮮初中級学校にも、一転して配ると明らかにした。早ければ来週にも配布する。清水勇人市長は記者会見し、マスクの枚数が限られる中で一定の線引きが必要だったとした上で「朝鮮学校だから外したのではない」と釈明した。

 市は当初、配布先を「市の監督下にある施設だけ」と説明し、同校の関係者から抗議を受けていた。清水氏は「抗議があったから対応したのではない。市の所管施設だけが対象という発想では感染を防げないという考えに立ち、対象を広げた」と述べた。

 市が配布先に加えたのは、同校の幼稚部と小学校に当たる初級部。これまで対象外だった市内の国立幼稚園や小学校、医療機関などにも配るとしている。

(以下略)
おそらくこの弁解には「嘘」はないものと思われます。朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』は「非人道的で差別的措置」と非難していますが、さいたま市は本当に何も考えずに、漫然と「市の監督下にある施設だけ」という杓子定規的に当てはめていたのでしょう

それだけに、ますます深刻な、根深い話であります。

■かつての批判者たちに「一泡吹かせること」で頭がいっぱいになる
また、ほかのすべてを捨象して、かつての批判者たちに「一泡吹かせること」で頭がいっぱいになっている言説も出てきました。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200309-00000018-pseven-soci&p=2
コロナ対策で散々日本を叩いた米に「お手並み拝見」的空気
3/9(月) 16:00配信
NEWS ポストセブン

(中略)
◆海外メディアへの恨み節
 この2点については日本と同じような対策だといえよう。こうした状況について、日本のネットユーザーはアメリカの対策を注視しているという。この2か月ほど新型コロナウイルス関連のネットの声を見続けてきたネットニュース編集者の中川淳一郎氏は、「海外メディアに対して一泡吹かせてやりたいという空気を感じる」と語る。

「ダイヤモンド・プリンセスの件で、米メディアは日本の対応を散々叩きました。これに対しては『運営会社はお前らアメリカなのにこちらに押し付けやがって…』と恨み節です。だからこそ、今回のグランド・プリンセスの件については、特にニューヨークタイムズとワシントン・ポスト、CNNといった米メディアがどう報じるかが気になっているようです。今後のアメリカの対応次第ですが、現状は『お手並み拝見』といったところでしょうか。以下のようなコメントがネットには書かれています」

〈イタリア方式か日本方式かwどっちにしろCNNやNYTは対応を批判しないとな。あれだけ日本方式を批判してくれたのだから〉

 ここでいう「イタリア方式」は「さっさと乗客を降ろし自宅に帰す」で、「日本方式」は「船内に隔離する」だ。アメリカは、乗客はアメリカ人については軍の施設に送ることになった。カナダは自国民を引き取るための航空機の手配に入っている。また、乗員は船の上にい続けさせるという。

〈さあ見せて貰おうなか、批判しかしない国の対応とやらを〉(原文ママ)

『機動戦士ガンダム』に登場するシャア・アズナブルの「見せてもらおうか、連邦軍のモビルスーツの性能とやらを」というセリフにかけている。

 前出の中川氏は「あれだけ米メディアは日本をボコボコに叩いてくれたんだからもしもアメリカで感染者が増えた時はキチンと叩くんですよね?といった声が多いです。とはいっても、アメリカが上手に対応したら、その時は称賛し、『U.S.A.! U.S.A.!』といった書き込みが増えることでしょう」と語る。

 元々、ネットでは「アジアにだけ広がるウイルス」的な見られ方をされていたが、欧米でも広がっている中、各国メディアがいかにコロナ禍を報じるかが非常に注目を集めている。
一泡吹かせることに一体何の意味があるのでしょうか? まったく理解できないことです。

いままで海外メディアからの批判に対して反論できなかった反動として、ムラ社会的陰湿さ・悪い意味でのプライドの高さが「私的な鬱憤晴らし」的に噴出しているのだとすれば、まだまだ自国のコロナウィルス禍さえも鎮圧できていないのに、そんな「どうでもいい」ことで頭がいっぱいになってしまっているのは、実に困ったことです。

理屈よりも感情が優先していまうというのは、人間誰しも一時的な激情としてはあり得ることです。しかし、「コロナウィルス禍の世界的鎮圧」という戦略的目的を脇において、「一泡吹かせる」という些末なことで頭がいっぱいになってしまっているわけです。戦術レベルの狭い視野しかなく戦略レベルの広い視野がない――また「戦争」に負けることにならないでしょうか?

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
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2020年03月12日

さっそく予想どおり。「闇市的なマスク転売を権力的に規制して根絶することは出来ない」という真理にいたるべき

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20200312-00000064-ann-bus_all
高額転売禁止のマスク闇取引か “隠語”で売買?
3/12(木) 19:52配信
テレ朝 news

 感染が拡大するなか、品薄の状態が続いているマスク。政府は高額での転売禁止を決めましたが、ネット上では早くも「闇取引」とも言える動きが出てきています。

 オークションサイトにあった不自然な出品。ホッチキス替え芯、1万円。一般的に1箱50円ほどで購入できる商品がなぜ、こんなに高額にも…。ネット犯罪に詳しい三上洋さんに話を聞くと…。
 ネット犯罪に詳しい三上さん:「マスクの転売の隠れみのかと思います」
 マスクの闇取引、その仕組みとは。マスクを大量に持つ転売ヤーがオークションサイトにホッチキスの針を出品。そして、マスクを購入したい購入者は出品されたホッチキスの針を購入します。しかし、実際に送られてくるのは購入者が欲しかったマスク。表面上はホチキスの針の売買であるため、運営者側や取り締まる側には裏取引が行われていることが分からないというわけです。

(以下略)
さっそく予想どおり。コメ欄によると、「まずは悪質転売者には厳罰は必要だと思います」だの「こんなのすぐ警察が本気出せば一瞬で捕まえられるだろ」(←無理だと思うよ)だのと、仮借なき取り締まりを求める声がありますが、下記の関連記事でも繰り返し述べてきましたが、「北朝鮮」にも劣る素人的言説。そろそろ「闇市的なマスク転売を権力的に規制して根絶することは出来ない」という真理にいたるべきでしょう。

【関連記事】
2月10日づけ「キム・イルソン主席の闇市対策に学ぼう――マスク買占め・高額転売を「道徳」や「民度」の問題とし、「権力的取り締まり」を求める言説の低レベルさについて
3月4日づけ「「北朝鮮」にも劣る稚拙な転売規制要求を展開する日本世論の愚:真の問題である「買占めの発生」には「転売規制」ではなく「配給制の導入」で対応すべき
3月10日つけ「経済政策の点においても防疫措置の点においても日本政府の政策センスは「北朝鮮」に劣っていると言わざるを得ない:「取得価格を超えるマスク転売」を権力的に禁止する愚かさ等について

「北朝鮮」のキム・イルソン主席は、1960年代の時点で次のように指摘していました。2020年の日本世論の「時代錯誤」っぷりには驚きを隠せません
人民の需要をみたせない商品は、たとえ国家が唯一的に価格を制定したとしても、闇取引されたり、農民市場で又売りされるということを忘れてはなりません。商店の品物を買いだめしておいて、他人が急に必要になって求めるときに高値で売りつけるような現象があらわれるようになるのです。卵の販売の問題を例にとってみましょう。現在、平壌をはじめ、各地に養鶏工場を建設して卵を生産していますが、まだ人民に十分供給できるほどではありません。そういうわけで、卵も国定価格と農民市場価格とのあいだに差が生ずることになるのですが、これを悪用して又売りする現象があらわれています。

 もちろん、だからといって、卵をいくつか又売りした人を罪人扱いにして教化所に送るわけにもいかず、ほかの方法で統制するとしても、販売量を調節するといったようないくつかの実務的対策を立てること以外に方法はありません。もちろん、こうした対策もとらなければなりませんが、そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません。

 この問題を解決するためには、品物を多く生産しなければなりません。産卵養鶏工場をより多く建設し、人民の需要をみたすほど大量に生産するならば、卵の闇取引はなくなるであろうし、農民市場で売買されることもおのずとなくなるようになるでしょう。こうした方法で国家的に人民の需要をみたし、農民市場で売買される商品を一つ一つなくしていくならば、最後には農民市場が不必要になるでしょう。
闇市的な私的転売を強権的に禁じたところで転売行為が根絶されるわけがなく、闇市は地下に潜行してゆくだけです。供給不足に陥っている商品の需給を一致させるためには、短期的には「配給制度の導入」・長期的には「生産の拡大」以外にはありません

コメ欄には、次のような投稿が寄せられています。きっと「いい人」なんでしょうね。
転売ヤーって、そこまでゲスなのか

本当に人として終わってる。
質がヤクの売人と変わらない。

そんなこと言われても屁とも思わないんだろうけど、こっちが悲しくなる。

(以下略)
言いたいことは分かります。同感です。しかし、これが資本主義というもの

反帝闘争の旗を高くかかげ、社会主義・共産主義の道を力強く前進しましょう! チュチェ思想の旗を高くかかげて進みましょう!

【関連記事】
2月10日づけ「キム・イルソン主席の闇市対策に学ぼう――マスク買占め・高額転売を「道徳」や「民度」の問題とし、「権力的取り締まり」を求める言説の低レベルさについて
2月17日づけ「公衆衛生の検討から始まる集団主義的観点の復権
2月20日づけ「新型肺炎を巡る「不安」の正体は、科学的見地が軽視されているためではなく、科学「者」が軽視されているため
2月25日づけ「伝染病に「自己責任」論は馴染むか?――「社会」意識の崩壊
3月4日づけ「「北朝鮮」にも劣る稚拙な転売規制要求を展開する日本世論の愚:真の問題である「買占めの発生」には「転売規制」ではなく「配給制の導入」で対応すべき
3月5日づけ「それを資本主義制度において実現させようとすることが、そもそも間違っている:資本主義としても中途半端、社会主義としても中途半端な日本世論
3月10日づけ「世論は「権力行使」がお好き
3月10日づけ「経済政策の点においても防疫措置の点においても日本政府の政策センスは「北朝鮮」に劣っていると言わざるを得ない:「取得価格を超えるマスク転売」を権力的に禁止する愚かさ等について
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2020年03月10日

経済政策の点においても防疫措置の点においても日本政府の政策センスは「北朝鮮」に劣っていると言わざるを得ない:「取得価格を超えるマスク転売」を権力的に禁止する愚かさ等について

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200310-00000043-jij-pol
「取得価格超」は禁止 15日からマスク転売規制 閣議決定
3/10(火) 9:08配信
時事通信

 政府は10日の閣議で、小売店で購入したマスクを取得価格より高値で転売する行為を禁じるため、国民生活安定緊急措置法の政令改正を決定した。

 違反者には1年以下の懲役または100万円以下の罰金を科す。15日に施行し、新型コロナウイルスの影響で品薄が続くマスクの供給回復を目指す。

(中略)
 規制対象となるのは小売店やネット通販などで購入したマスクで、購入者が取得価格を超える価格で第三者に転売すれば違法とする。製造、卸、小売りなどの事業者間で行う一般の商取引は対象としない。
(以下略)
■バカバカしく政策としての洗練度が低い「マスク転売規制」――「北朝鮮」のそれに劣る経済政策
バカバカしい。政策としての洗練度が低い。闇市的な私的転売を強権的に禁じたところで転売行為が根絶されるわけがなく、闇市は地下に潜行してゆくだけ。2月10日づけ「キム・イルソン主席の闇市対策に学ぼう――マスク買占め・高額転売を「道徳」や「民度」の問題とし、「権力的取り締まり」を求める言説の低レベルさについて」及び3月4日づけ「「北朝鮮」にも劣る稚拙な転売規制要求を展開する日本世論の愚:真の問題である「買占めの発生」には「転売規制」ではなく「配給制の導入」で対応すべき」でも論じたとおりです。

上掲引用記事のコメ欄で、元東京地検特捜部主任検事の前田恒彦氏が「転売サイトや通販サイトなどにおける不正転売を一つ一つチェックするのは大変ですし、特にTwitterなどを利用した地下に潜るやり方だと困難」と述べていますが、この新ルールによる取り締まりは結局のところ、転売ヤーの地下潜行を促すであろう点において、その政策目的を果たすことは困難でしょう。

市場は必ずしも単一ではなく、その価格もまた単一ではありません。オークションサイト・フリマサイトによって標準的価格は微妙に異なっていますそれゆえ、FX(外国為替証拠金取引)におけるアービトラージ(裁定取引)的な利ザヤ目的の投機は、この規制が導入されたとしても依然として存在する余地があります。割安な市場で仕入れ、仕入れ元を誤魔化しながら(そもそも、大量生産品の仕入れ元・購入元を厳密に追跡することは不可能的に困難です)割高な市場で売り抜けるわけです。

悪知恵が働く転売ヤーは、マスク着用文化のない国・地域や日本と比して物価水準が低廉な国・地域を見極める等、何らかの方法で1円でも安く秘密裏に仕入れ、仕入れ元を誤魔化して売り抜けて利ザヤを稼ぐことでしょう。アマチュアの転売ヤーは駆逐できるかも知れませんが、裏社会とタッグを組んでいるようなプロの転売ヤーにとっては、この規制導入は、むしろ「商機到来」といったところでしょう。指定暴力団等のシノギさえも取り締まり切れていない政府が、地下潜行した個別的な闇市的取引をしっかりと取り締まれるとは到底思えません。

単一市場(おなじオークションサイト・フリマサイト)内部においても、その価格は常に上下に変動しています。霞が関の官僚はどのようにして「取得価格を超えているのか否か」を判断するつもりなのでしょうか? 当のマスクがいつ幾らで仕入れられたものなのか、どうやって追跡するのでしょうか? まさか、一日中Amazon等をパトロールするつもりなのでしょうか?

商売人にとっては常識的なことですが、売買というものは、個人間の特別な関係が色濃く反映されるものです。チェーン店化が著しい昨今ではあまり見かけなくなりましたが、事業者間取引に限らず、商店街等での売買においても「いつも買ってくれるから、きょうは負けとくよ」といった具合で値引きしてくれるものです。競争入札、随意契約、またはメーカー希望小売価格での調達しか知らない官僚が「取得価格」を論ずるとは、何かのジョークでしょうか?

繰り返しになりますが、「北朝鮮」のキム・イルソン主席は、転売行為を権力的取り締まりで根絶することは不可能であると1960年代には理解しておられました。そんな「北朝鮮」をに対して日本世論は、もう20年近くにわたって見下す姿勢を取ってきました。しかしこうして見ると、当の「北朝鮮」に対して2020年の日本政府こそが「時代錯誤」的な転売規制:転売行為の権力的取り締まりを導入しているわけです。日本政府の経済政策の水準は、「北朝鮮」政府の経済政策に対して50年以上遅れていると結論づけざるを得ません。日本政府の政策的センスは「北朝鮮」に劣ると言うほかないのです

念のため、キム・イルソン主席の指摘のうち、関連部分を再々掲しておきます。
人民の需要をみたせない商品は、たとえ国家が唯一的に価格を制定したとしても、闇取引されたり、農民市場で又売りされるということを忘れてはなりません。商店の品物を買いだめしておいて、他人が急に必要になって求めるときに高値で売りつけるような現象があらわれるようになるのです。卵の販売の問題を例にとってみましょう。現在、平壌をはじめ、各地に養鶏工場を建設して卵を生産していますが、まだ人民に十分供給できるほどではありません。そういうわけで、卵も国定価格と農民市場価格とのあいだに差が生ずることになるのですが、これを悪用して又売りする現象があらわれています。

 もちろん、だからといって、卵をいくつか又売りした人を罪人扱いにして教化所に送るわけにもいかず、ほかの方法で統制するとしても、販売量を調節するといったようないくつかの実務的対策を立てること以外に方法はありません。もちろん、こうした対策もとらなければなりませんが、そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません。

 この問題を解決するためには、品物を多く生産しなければなりません。産卵養鶏工場をより多く建設し、人民の需要をみたすほど大量に生産するならば、卵の闇取引はなくなるであろうし、農民市場で売買されることもおのずとなくなるようになるでしょう。こうした方法で国家的に人民の需要をみたし、農民市場で売買される商品を一つ一つなくしていくならば、最後には農民市場が不必要になるでしょう。

キム・イルソン主席はの上掲教示は、需要>供給(需要過多)の商材について需給を一致させるためには、短期的には「配給制度の導入」・長期的には「生産の拡大」以外にはないことを示しています。闇市的な私的転売を強権的に禁じたところで転売行為が根絶されるわけがなく、闇市は地下に潜行してゆくだけである点において、あえて転売の行為の権力的規制を求める言説は、周回遅れの時代錯誤的言説という他ないのです。

■日本政府の政策センスは「北朝鮮」に劣っていると言わざるを得ない
1月31日づけ「朝日両国の新型コロナウイルス対策について」でも比較しましたが、1月末時点で「北朝鮮」のキム・ジョンウン委員長は、果敢にも「体制の命脈」とも言い得る対中交流を断絶されました。それに対して中国人観光客のインバウンド収入が気になって仕方がない日本の安倍首相は、結局、防疫的入国制限に踏み出せませんでした。防疫措置の点においても、日本政府のセンスは「北朝鮮」に劣ると言うほかないでしょう。

こうして考えると、不足気味の物資の分配(=経済政策)の点においても、防疫措置の点においても、日本政府の政策センスは「北朝鮮」に劣っていると言わざるを得ないでしょう。

■「何とかして転売ヤーに一泡吹かせたい」に凝り固まるのは政策目標達成を阻害する
ところで、今回の日本政府の施策で唯一評価し得る点があるとすれば、「即時施行ではない」というところくらいでありましょう。「世論」は、即時施行でない点に不満を表明していますが、日本政府は一貫して既に個人の私有財産になっているマスクを「没収」するような挙に出る動きは微塵も見せていません。2月28日づけ下記報道によると、経済産業省は、即時施行にしないことで出品者(転売ヤー)が抱える大量の在庫を放出させようと「誘導」しているようです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200228-00000165-jij-pol
マスク出品、在庫放出促す サイト事業者に要請 新型肺炎で経産省
2/28(金) 22:03配信
時事通信
 新型コロナウイルスの感染拡大で品薄が続くマスクの流通を促すため、経済産業省は28日、大手ネットオークション数社に対し、マスク出品を3月14日以降は自粛するよう要請した。

 それまでの2週間程度で出品者が抱える大量の在庫を放出させるのが狙い。
 
(以下略)
これに対して転売ヤー憎しの世論は、道理も何もかも無視して「何とかして転売ヤーに一泡吹かせたい」や「転売ヤーが困る姿を見たい」の一心に凝り固まっています。それゆえ、猶予を設けることには否定的な意見が噴出しています。

しかし、そもそも転売行為の何が悪いかと言えば、その前段階的現象として「買い占め」が起こることで物資の配分・物資の所有状況が歪んでしまうことにあります。しかし、時系列を冷静に整理して考えれば、既に転売ヤーが買い占めを完了しているわけだから、この段階でようやく転売行為を規制したところで、もはや物資不足には影響を及ぼさないと考えられます

もちろん、今後、次々に供給されるであろうマスクが買い占められないようにするためには、本来であれば転売規制ではなく配給制を導入するのが筋だとは思いますが、転売規制にも幾ばくかの効果はあるかも知れません。しかしやはり、既に買い占められた分については、今更どうしようもありません。市場価格で仕入れた限りにおいては、彼らの私有財産を没収することはできないでしょう。

むしろ、すでに物資の所有状況に偏在が生じている段階で即時的に転売行為を規制しようものなら、転売ヤーは、ほとぼりが冷めるまで商材を秘匿することでしょう。とりわけマスクは腐ったり痛んだりするものではなく長期保存に適した商材です。秘匿には適しているといえます。

マスク不足のご時世、たしかに転売ヤーが儲かるのは極めて不愉快な出来事ではあります。しかし、転売規制を即時的に導入することによって希少なマスクを秘蔵・死蔵させるよりは、転売規制を時差的に導入することで「いまのうちに売っ払っておいて方がいいぞー」といった形で時限的インセンティブを付与する方が、市場へのマスク流通量を増大させ得るであろう点において、公益をより増大させ得ると考えられます。

「何とかして転売ヤーに一泡吹かせたい」や「転売ヤーが困る姿を見たい」の一心に凝り固まって転売規制を即時的に導入することは、溜飲を下げることにはなるかも知れませんが、市場へのマスク流通量を減少させるであろう点において公益を損ねることになるのです。

落ち着きましょうよ。

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posted by 管理者 at 22:25| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

世論は「権力行使」がお好き

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200225-00000034-it_nlab-ent
とあるアイドルグループ、物販で来場者にマスク着用を義務化 「マスクしていない人はチェキ手数料1000円増」に賛否の声
2/25(火) 13:12配信
ねとらぼ

 女性アイドルグループ「2o Love to Sweet Bullet」(トゥラブ)が2月24日、新型コロナウイルス拡散防止のため、物販でのマスク着用を義務化。併せて、着用のない場合はチェキ撮影時に別途手数料1000円を徴集すると公式Twitterで発表し、「適切な対処だと思います」「ウイルスにお金払えば大人しく帰る訳じゃない」「対策と言う名の金儲けにしか見えない」など賛否の声があがっています。

(中略)
 感染予防対策としてマスク着用を義務化すること自体には別段異論もみられませんが、メンバーの感染のみをリスクととらえている節がある点、“手数料”という言い回しへの違和などにファンは反応。「マスクのない人は参加不能にすればいいだけ」「要は『金のためならメンバーを危険に晒しても構わない』ってことですよね?」など批判的な声が相次いで寄せられています。

ねとらぼ
売価を割り増すことで買い手に対する金銭的インセンティブを付与し、あらまほしき方向に誘導する――意思決定の科学としての経済学を応用した制度設計と評価できそうです。私なんかは「やんわりとした方法で公益実現に誘導しているなぁ」と感心したのですが、世間ではそのような評価ではないようで・・・

記事中の「マスクのない人は参加不能にすればいいだけ」、「要は『金のためならメンバーを危険に晒しても構わない』ってことですよね?」および、コメント欄の「その場で適正価格よりちょっと高めでマスク売って装着させれば周囲も安心なのに。たかが1000円の罰金払えばウイルスばら撒いていいと言ってるようなもんじゃないか!」といった意見が寄せられています。

今回の新型コロナウィルス騒動を巡っては、なかなか興味深い世論が展開されていますが、これもまたその一つであると言えそうです。ちなみに、当ブログでは下記のとおり取り上げてきました。

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3月5日づけ「それを資本主義制度において実現させようとすることが、そもそも間違っている:資本主義としても中途半端、社会主義としても中途半端な日本世論

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
http://rsmp.seesaa.net/tag/articles/%90V%8C%5E%83R%83%8D%83i%83E%83B%83%8B%83X%89%D0%82%F0%8F%84%82%C1%82%C4%E0t%82%E8%8Fo%82%B3%82%EA%82%BD%90%A2%91%8A

■他人に対して権力を行使するということは、実は相当に難しいこと
まず、「その場で適正価格よりちょっと高めでマスク売って装着させれば周囲も安心」という意見について検討しましょう。これは、なによりも現実性に乏しい「理想論」というべきでしょう。

現在、市場ではマスクは極めて品薄であり、イベント主催者がまとまった数のマスクを用意するのは困難です。各自で調達するほかありません。仮にイベント主催者にマスクを大量調達するツテがあったとしても、具体的にどの程度用意すべきかは見当もつかないでしょう。足りないのも困るでしょうが、有り余るほど入荷してしまうのもまた困ることでしょう。余ったマスクを、その調達作業にかかった人件費分を上乗せして再販売しようものなら、どーせまた叩く人が出てくることでしょうから・・・

また、会場で売ったり配ったりしようものなら、イベント参加者の中には会場でのマスクをアテにして事前の自分での調達を怠る可能性もあるでしょう。公衆衛生の観点から言えば、会場内だけではなく移動経路でもマスクを着用していただきたいところ。移動経路からマスクを着用してもらうには、「会場で売る・配る」のは好手とはいえないでしょう。

何からの方法でイベント参加者が各自でマスクを調達するよう仕向ける必要があります。

他人に対して一定の行動を取るよう仕向けるためには、どのような方法があるでしょうか? どんなアホにでも思いつくのが、権力的強制措置です。「xxせよ」「xxすべからず」であります。本件を巡る「マスクのない人は参加不能にすればいいだけ」といった意見は、まさに権力的強制措置に他なりません。次に、このことについて検討してみましょう。

権力的強制措置は、まさに「強制」である点において強力な方法論ではありますが、実運用のハードルが高い方法論であります。要するに、揉めやすい・イザコザが起こりやすいのです。

とりわけ「お客様は神様」と言われている現代日本の客商売においては、なかなか権力的強制措置を取りがたいのが現実です。「マスクのない人は参加不能にすればいいだけ」と軽々しく言ってくれますが、実際にマスク未着用の「お客様」に対して毅然と「マスクをしない人はお断りです!」とは言い難いのです。最近は消費者も自分が「神様」だと思っている(思いあがっている)ので、理不尽で高圧的な態度を平気で取ってきます。そんな状況下で「マスクのない人は参加不能」などと権力的に出ようものなら、揉めるのは必至です。

他人に対して当人の意思を捻じ伏せて特定の行動を強いる(政治学的に言えば「権力を行使する」)ことは、実は相当に難しいことなのです。国家が強い権力を持っているのは、警察力などの実力(暴力)を持っているからであり、究極的には絞首台(死刑台)を持っているからであります。また、国家権力はちょっとやそっとの市井での批判ではビクともしません。これに対して単なる商売人には暴力はないし、SNSが炎上すれば容易に会社存亡の危機になってしまいます。単なる商売人がお客様に対して強くでることは、現実的ではありません

■金銭的インセンティブを付与することで顧客行動を誘導する以外にない
記事によると、物販会場ではマスク着用が義務化されているとのこと。にもかかわらず、チェキ撮影時だけはマスク着用が義務ではないということは、つまるところ、チェキ撮影時にもマスクの着用を義務化しようものならファンの強い反発が予想されるということです。私はアイドルにはとくに関心がないので、ファンの心理を「実感」としては理解できないのですが、マスク姿での記念撮影を嫌がる心境は「想像」可能ではあります。

お客様相手に強くは出られない、でも本音ではチェキ撮影時もマスクをして欲しい・・・このような板挟み的状況下、権力的強制措置を実際的には取れない状況下においては、「金銭的インセンティブを付与することで顧客行動を誘導する」以外に方法はないでしょう。

(マスクの)着用のない場合はチェキ撮影時に別途手数料1000円を徴集」というのは、「マスクのない人は参加不能」という権力的強制措置に比べて柔らかい誘導行為である点において現実的だと考えられます。売価を割り増すことで買い手に対する金銭的インセンティブを付与し、あらまほしき方向に誘導するのは、「やんわりとした方法で公益実現に誘導している」と言えるのです。

しいて言えば、1000円だと気軽に払えてしまう金額なので、制度設計の効果を高めるためには、もう少し高い値段設定にした方がよいかも知れません

■権力的強制措置よりも実効的でさえある
たかが1000円の罰金払えばウイルスばら撒いていいと言ってるようなもんじゃないか!」――金銭的インセンティブ付与による誘導に対してしばしば浴びせられる典型的な言説です。かつて、地球温暖化対策としての排出権取引について、頭の固いとあるマルクス主義経済学者が「排出権取引なる制度は、カネを積めば温室効果ガスを排出してよいと言っているようなものだ! 本来、温室効果ガスは可能な限り排出しないようにすべきものであり、法的規制で対応すべきものだ!」と言っていたものです。

しかし、まさに排出権取引が温室効果ガス排出の削減に効果を上げているように、事実・ファクトに立てばこそ、金銭的インセンティブの付与というのは、人間行動を誘導するにあたって強力な方法論であります。

■世論は「権力行使」がお好き
それにしても、今回の新型コロナウィルス騒動では、「マスク転売禁止」要求など「規制」や「禁止」といった権力的強制措置の実施(権力行使)を求める声が広範から聞こえてきます。

しかし、2月10日及び3月4日の2回にわたって論じてきたとおり、権力的強制措置は、問題の現象を地下潜行させるだけで根絶はできません。また、今日述べてきたとおり、他人に対して当人の意思を捻じ伏せて特定の行動を「強いる」権力的強制措置は実運用のハードルが高いので、金銭的インセンティブの付与によって特定の行動に「誘導」する方が効果的であると言えます。

社会ではなかなか思い通りに物事が運ばず不正義と不条理が蔓延っています。世論が権力行使による世直しを渇望する気持ちは理解できます。しかし、それは願望に留めるべきであって現実にしてはならないのです。世直しをするにしても権力行使というのは、なかなか使いにくいツールなのです
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2020年03月09日

「何が語られているのか」で判断する科学的姿勢を堅持すべき

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200309-00033438-president-pol
竹中平蔵「政府はコロナ対応を間違った。東京五輪も危うい」
3/9(月) 9:15配信プレジデントオンライン

猛威を奮い続ける新型コロナウイルス。日本でも感染者数が増え続け、マスコミ報道も過熱している。政府も全国の公立小中高等学校に休校を要請するなど、国は混乱に陥っている。そんな中、経済学者の竹中平蔵氏は今回の政府の対応について「完全に間違っている」と吐き捨てる。日本政府の受け身すぎる対応に苛立ちを見せる。竹中氏が語る東京五輪が中止に至る「最悪シナリオ」とは――。

■日本は中国を見習うべきだ
 新型コロナウイルスの流行に対する日本の対応は、完全に間違っていると言っていいと思います。反省すべきことはたくさんあると考えています。

 物事に対処する姿勢として「リアクティブ」と「プロアクティブ」の2つがあります。「リアクティブ」とは、「問題が起きてから対応する」「後手後手の」という意味、プロアクティブとは、「率先した」「先を見越した」という意味の英語です。

 日本の新型コロナウイルスへの対応はまさに「リアクティブ」です。感染拡大を防ぐために感染者を隔離する、ワクチンの開発を進めるといったことは、それはそれでしっかりとやるしかありません。しかし、見方を変えるとそれしかやっていない。

 それに対して、中国の対応は「プロアクティブ」です。たとえば、こんなことがありました。私は北京大学のイベントに呼ばれていましたが、当然ながらそれは中止になりました。日本の対応と異なるのが、北京大学はイベントを中止しただけではなく、「もう授業は教室でやらない」という決断を下したことです。北京大学のほか、清華大学などの大学でも、2月17日からオンライン授業を開始しています。

 つまり、この混乱をきっかけに生活の仕方を変えたのですね。日本でもたしかに政府が小中高の休校要請をしましたが、それだけではだめなのです。日本でも一部の学校が自発的にオンラインを活用した指導を実施しているようですが、それこそ国を挙げてやるべき話なのです。


(中略)

■コロナショックで露呈した、悪い意味での日本らしさ
 別の例では、シンガポールの保健省は、2月15日時点で感染者数が72人にまで拡大したと発表しました。総人口が約564万人なことから考えると、検査で陽性が出た比率は他国に比べて高い。ここまで多くの感染者を検出することができた理由は、シンガポールにはGrabという配車アプリが普及しており、感染ルートを把握しやすい環境だからです。ライドシェアが認められていない日本はシンガポールほど正確に感染者の移動経路を把握することができず、発見が遅れているわけです。

 アナログな日本ではタクシーには乗ったけど、どこの会社のだったのかよくわからない場合もあります。だから、感染者が、急にあっちから出てきた、こっちから出てきた、と、大騒ぎしているわけですね。シンガポールはデジタルな国だから感染者の行動を把握しやすい。


(中略)

 今の異常事態を踏まえて遠隔医療やライドシェアなど、「今まで抵抗勢力が邪魔して実現しなかったことをこの際やりましょう」という議論が皆無だということが、日本の大きな特徴であり反省点なのです。とにかく今まで抵抗勢力が邪魔していたことでやればいいのにやっていないことを、「この際やりましょう」と動いてしかるべきです。イベントの中止は小手先の措置にすぎないのです。根本的な変革が必要です。

(以下略)
経済学者の竹中平蔵氏に、彼にとっては専門外であるはずの政府の新型コロナウィルス対策を問うという記事の狙いは、いまひとつ理解に苦しむところですが、「「今まで抵抗勢力が邪魔して実現しなかったことをこの際やりましょう」という議論が皆無だということが、日本の大きな特徴であり反省点」という部分が肝になるんでしょうかね。竹中氏といえば、抵抗勢力を打倒し既得権益を打破することを掲げてきた人物ですから。

とはいっても、論じていること自体は、はっきり言って「平凡」という他ないレベル。同じようなことを考えている人はたくさん居るでしょうから、何故わざわざ「過去の人」でしかない竹中氏に問うたのか疑問に思います。

記事自体は、ありきたりでつまらない内容ですが、コメント欄(オーサーコメント)が面白い。当ブログでもおなじみのNPO法人ほっとプラス理事で聖学院大学客員准教授の藤田孝典氏がいつにも増しての迷言を残しています。
藤田孝典
NPO法人ほっとプラス理事 聖学院大学心理福祉学部客員准教授

日本を破壊する我田引水の提言を聞く必要はないです。
平成期に小泉政権の改革において陣頭指揮を執ったのが、大臣も務めた竹中平蔵・東洋大学教授です。小泉・竹中改革で非正規雇用が急増し、日本の若者の未婚率は先進諸国でワーストレベル。この雇用構造の変化に起因して、ニートや引きこもりも社会問題化し、低賃金、子どもの貧困、虐待も拡大しました。若者の自殺率も高水準であり、死因トップは常に自殺です。
竹中氏はかつて〈企業が収益を上げ、日本の経済が上向きになったら、必ず、庶民にも恩恵が来ますよ〉(『ちょっと待って!竹中先生、アベノミクスは本当に間違ってませんね?』ワニブックス刊2013)などと期待感を煽ってきましたが、改革後も個人消費は全く伸びないです。
そして竹中氏は日本に派遣労働を拡大し、貧困をばら撒いておきながら、現在は生活困窮者支援として自治体の業務委託も受けているパソナグループの取締役会長です。
日本を破壊する我田引水の提言を聞く必要はない」と言うからには、当該記事で展開されている竹中氏の新型コロナウィルス対策論の荒唐無稽性、あるいは、竹中氏が普段から展開してきた公衆衛生論(竹中氏が公衆衛生論を普段から展開してきたとは寡聞にして知りませんけど)の荒唐無稽性を理由にしているのかと思いきや、記事とは無関係の竹中氏の「過去」が理由・・・これって単なる個人攻撃では・・・? すごいなあ、関係のないことを理由に「(彼の)提言を聞く必要はない」と断ずるだなんて。

竹中氏のトリクルダウン理論が期待されていたような結果にはならず、むしろ災禍ばかりが残ったという指摘には基本的に異論はありません。それゆえ、たとえば竹中氏が懲りもせずに、かつてと同じような論理構成で雇用流動化を論じているのであれば、もうすでに過去の発言から、そのテーマに関する彼の見解の失当性が余すところなく証明されているわけですから、「聞く必要はない」というのは理解可能です。

しかし、当該記事で主張されている政府の対策への批判と竹中氏の「過去」に何か関係があるのでしょうか? 新型コロナウィルス対策は、小泉・竹中改革とはまったく異なるテーマであります。「「今まで抵抗勢力が邪魔して実現しなかったことをこの際やりましょう」という議論が皆無だということが、日本の大きな特徴であり反省点」というのは、議論開始のひとつのキッカケとすれば、そこまで変な理屈ではないでしょう。竹中氏の「邪な狙い」を云々したいのかもしれませんが、記述内容及び、そこから導出される論理的帰結の範囲内で判断するに、やはりそこまで変な理屈ではないというべきです。行間の拡大解釈は容易に「レッテル貼り」に転落します

藤田氏のTwitterアカウントには、上掲コメントと同趣旨のツイートが投稿されているのですが、そこにはこんなメッセージが寄せられています
誰が言うからで判断し、何を言って言っているからで判断しないのは、狭量で間違う可能性が高いと思う。
100パーセント同意見です。私も常日頃から注意していることですが、他人の主張を評価するにあたっては、「何が語られているのか」、すなわちその内容の論理的正当性だけで判断すべきであり、「誰が語っているのか」、すなわちその人物の属性や普段の主張内容からレッテルを貼ることはしないように心掛けるべきでしょう。「何が語られているのか」で判断するのが科学的姿勢だとすれば、「誰が語っているのか」で判断するのは政略的姿勢と言わざるを得ないでしょう。

もちろん、たとえばデイリーNKジャパンのコ・ヨンギ(高英起)編集長のように、口を開けば出所不明かつ荒唐無稽な怪情報ばかりが飛び出してくるような人物の言い分は、「信用が置けない」とは思います。それでも、「コ・ヨンギ氏が言うことなんて怪情報に違いない」と決めつけるのは誤った姿勢でしょう。「コ・ヨンギ氏のことだから、あまり信用できないとは思うけど、一応、目を通しておくか・・・」という姿勢が大切だと思います。たいていの場合は「やっぱりね」ですが、「へえ、珍しいこともあるもんだなあ」ということも、ときたまあるものです。

「何が語られているのか」で判断する科学的姿勢を堅持すべきです。
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2020年03月05日

それを資本主義制度において実現させようとすることが、そもそも間違っている:資本主義としても中途半端、社会主義としても中途半端な日本世論

https://news.careerconnection.jp/?p=88937
「マスク転売は悪くない。正しい経済活動」という屁理屈に批判殺到 モラルなき転売屋に憤る声
2020.3.5

この報道に対し、5ちゃんねるでは5日未明に【転売ヤー死亡】と罰則を記したスレッド
が立ち、コメントが次々に書き込まれた。多くは「後手後手すぎる。1ヶ月前にやれ」「マスク転売屋終わったな」など賛否両論だったが、規制すること自体には賛成が圧倒的多数派のようだった。しかし、あるユーザーが転売屋の理屈として、

「転売を批判してる側こそ問題がある。値段は需要と供給による価格設定だ。需要が多ければ、価格が上がるのが普通」

などと書き込むと、ツイッター上に拡散し批判が相次ぐ事態となった。(文:okei)

「馬鹿な日本人は、どんな不足時でも普段の価格で買えると思い込んでる」
「転売は合法で、何の問題もない。むしろ市場原理に沿った正しい経済活動だ」
「批判する奴は、高値で買えない貧乏人か、ただの転売者への妬みだ」

と持論を展開し、「高所得者なら、高くても普通に買う、低所得者は情報集めて開店前に行列に並んで買えばいい、転売禁止すると金持ちさえ買えなくなって困るだろ」「貧乏人は、高値でも買いたい高所得者に対しても迷惑を掛けてる。いい加減にしろ馬鹿ども」などと、悪態をついていた。マスク不足で困っている医療関係者もいるというのに身勝手な理屈だ。

(中略)

転売自体はもちろん悪いことではないが、社会全体の利益を考えた倫理観は必要だろう。転売屋がなぜ批判されるかといえば、自分では何も生産することなく正規の価格を吊り上げ、利益を得ているからだ。今回は、国難とも言える事態に必要な人たちへの流通を止めたのだから、より罪が重いと言わざるを得ない。
社会全体の利益を考えた倫理観は必要だろう」――たしかに、資本主義市場経済の地位を理論的に構築したスミス(Adam Smith)に立ち返れば、この指摘は、よい意味で「市場原理主義」といえます。

もちろん、昨日づけ「「北朝鮮」にも劣る稚拙な転売規制要求を展開する日本世論の愚:真の問題である「買占めの発生」には「転売規制」ではなく「配給制の導入」で対応すべき」でも論じましたが、転売行為には「必要悪」的な役割があるという見解は、昨日も今日も変わらないところですが、今日論じたい内容からは少し外れるので、今回は割愛します。興味がある方は、当該記事にて私なりの転売「擁護」論をご覧ください。

それはさておき、しばしば勘違いされることですが、「各個人が利己心を以って利益追求活動に従事したとしても、社会全体としては『神の見えざる手』が働く」として、資本主義市場経済の地位を理論的に構築したアダム・スミスは、決して「各人が好き放題しようとも予定調和に至る」と言っているわけではありません。彼の『道徳感情論』を踏まえて読み解けば、スミスは、「各個人が、利己心を以って利益追求活動に従事しつつも、常に『公平なる観察者の視点』から『同感・共感(sympathy)』を得られるか?という基準に照らして行動した場合にのみ『神の見えざる手』が働く」と言っているのであります。要するに、理論上の資本主義市場経済は、公益を見据えた自己規制:記事の表現を踏まえれば、「社会全体の利益を考えた倫理観」を前提としています。

スミスの言い分は理論的には決して間違っているとは思いません。しかし、歴史的事実を振り返ると、現実の資本主義市場経済に「社会全体の利益を考えた倫理観」を期待することは、あまりにも楽観的であると言わざるを得ないでしょう。

さて、以前から申し述べているとおり、私はチュチェ思想に基づく社会主義・共産主義を信奉しております。チュチェの社会主義・共産主義はマルクス主義的な社会主義・共産主義とは一線を画す思想であります。

チュチェ思想においては、社会主義と共産主義との分水嶺を「人民大衆の集団主義精神の成熟度合い」にあるとします。共産主義社会では人民大衆の集団主義精神は完全に成熟しており、人民大衆は集団主義を道徳化しているが社会主義社会ではそうではないので、国家権力の積極的役割が必要になるとされています。つまり、チュチェ思想における社会主義とは、人々に「公平なる観察者の視点」に立つよう人為的に求める社会であると言えます。

上述のとおり、歴史的事実を振り返ると、資本主義市場経済に「社会全体の利益を考えた倫理観」を期待することは、あまりにも楽観的であると言わざる得ません。社会全体の利益を考えた倫理観は必要だろう」というのであれば、それは社会主義においてのみ可能であります。にもかかわらず、資本主義市場経済においてかかる要求を展開するというのは、モノの道理が分かっていないと言う他ありません。実に愚かな道徳キャンペーンを展開するというわけです。

2月10日づけ「キム・イルソン主席の闇市対策に学ぼう:マスク買占め・高額転売を「道徳」や「民度」の問題とし、「権力的取り締まり」を求める言説の低レベルさについて」でも紹介しましたが、朝鮮総聯傘下、在日本朝鮮青年同盟系の雑誌≪새세대≫は、チュチェ101(2012)年12月号のチュチェ哲学特集において、「弱みにつけ込んだ『便乗』値上げはアリ? ナシ?」という問いにたいして、チュチェ哲学・チュチェ思想に基づき次のように解説を加えていました。愚かな道徳キャンペーンを展開するのが精一杯な日本世論と比較するに際立つ正確な視点であります。

Q.弱みにつけ込んだ『便乗』値上げはアリ? ナシ?
価格は需要と供給によって決まる?
メキシコ湾で発生した竜巻が大きな被害をもたらした直後、1袋2ドルの氷が10ドルで、250ドルの自家用発電機が2000ドルで売られた。人の弱みにつけ込んだとも言える「便乗」値上げ。これってアリ?

A.社会がいかに組み立てられるべきかを考えるべき
この場合、値上げをした人を悪いとは一概には言えない。なぜなら、資本の発展の伴って社会が発展していく資本主義社会では、需要に比例して値段が上がるのは、一つの法則であるからだ。そのため、これに沿って値段を上げた彼らにすべての非があるとは言えない。


(以下略)
昨日づけ「「北朝鮮」にも劣る稚拙な転売規制要求を展開する日本世論の愚:真の問題である「買占めの発生」には「転売規制」ではなく「配給制の導入」で対応すべき」でも論じましたが、資本主義に対する幻想に囚われているのか本当にアホなのかは分かりませんが、今回のマスク転売問題をめぐる日本世論の動向は、きわめて低レベルであると言わざるを得ません。社会主義者たるキム・イルソン主席自ら、転売規制・転売行為の権力的取り締まりは不可能だと既に1960年代には理解していたのに、2020年の日本人が「時代錯誤」的にそれを要求しているかと思えば、資本主義では実現するはずのない「社会全体の利益を考えた倫理観」を期待しているわけです。資本主義としても中途半端、社会主義としても中途半端なのが日本世論なのです。

ちなみに、「自分では何も生産することなく正規の価格を吊り上げ、利益を得ているからだ」と言う理屈、化石レベルのマルクス主義者がよく言うことですwwぶっちゃけ、商業資本なんて究極的には等しく必要悪。日本では「問屋」と言う名の商業資本が社会的地位を盤石にしていますが、たとえばアメリカではそんなことはありませんからね。なるべく中間マージンを要求する商業資本を排除しようとします。
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2020年03月04日

「北朝鮮」にも劣る稚拙な転売規制要求を展開する日本世論の愚:真の問題である「買占めの発生」には「転売規制」ではなく「配給制の導入」で対応すべき

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200303-00010031-abema-soci
政府がマスクを国に売り渡すよう指示 北見市と中富良野町に優先配布へ
3/3(火) 22:00配信AbemaTIMES

 新型コロナウイルスの感染地域にマスクを配布するため、加藤厚生労働大臣は先ほど、国民生活安定緊急措置法に基づき、マスクメーカーに対し、マスクを国に売り渡すよう指示した。


(以下略)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200303-00050210-yom-soci
北海道に1世帯マスク約40枚配布…対象市町村は調整
3/3(火) 18:35配信読売新聞オンライン

 政府は、新型コロナウイルスの感染拡大が深刻な北海道の住民に、1世帯当たり約40枚のマスクを配布する。感染者が増えている自治体を対象とし、供給数は計約320万枚を見込む。4日にもマスクの製造業者に対し、国民生活安定緊急措置法に基づく売り渡しを指示する。


(中略)

 一方、政府は、マスクの品薄に乗じた高額での転売を規制するための法的な措置を、10日までにまとめる第2弾の緊急対応策に盛り込む方針だ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200304-00000102-jij-pol
備蓄マスクの供給検討 政府、743万枚を保有 安倍首相
3/4(水) 18:57配信時事通信

 政府は4日の参院予算委員会理事会で、国が備蓄するマスクが743万1300枚あることを報告した。

 安倍晋三首相は同委で「各省庁で必要な枚数を備蓄している」と指摘。新型コロナウイルスの感染拡大でマスクが不足する医療機関が出ていることを踏まえ、「極めて重要度の高い所に出すことができるか検討したい」と述べた。国民民主党の森裕子氏への答弁。


(以下略)

■「転売の権力的禁止」ではなく「配給制導入」で対応すべき
いま「世論」が求めている、強権的な「転売を規制せよ! 転売ヤーのアカウントを凍結せよ!」の要求に比べれば、政府一括買い上げ→配給は遥かにマシ。もちろん、「原価+標準的利潤」での買取が必須ではありますが、まさかこのタイミングで政府が買い叩きに走ることはないでしょう。

欲を言えば、「標準的利潤+アルファ」があれば、転売ヤーを含めた商業資本を市場原理をとおして淘汰できる点において、より望ましいのですが、まあそれはちょっと理想が高すぎるのかも知れません。なお、原価での売渡要求や原価割れでの売渡要求は、旧ソ連における農業政策の失敗の歴史を振り返るに、いくら「感染拡大予防」の大義があるにしても絶対に避けるべきです。原価または原価割れでの売渡要求は、絶対にやってはいけません。

■転売規制要求は「北朝鮮」のそれにも劣る稚拙な経済政策
さて、いま、転売規制政策の是非を「善悪」基準で測る議論が広く展開されています。この議論は根本的に間違っています「転売規制政策は善か悪か」ではなく、「転売規制政策は意味があるかないか」だからです。

2月10日づけ「キム・イルソン主席の闇市対策に学ぼう:マスク買占め・高額転売を「道徳」や「民度」の問題とし、「権力的取り締まり」を求める言説の低レベルさについて」で詳しく述べたとおり、闇市的な私的転売を強権的に禁じたところで、転売行為が根絶されるわけがなく、闇市は地下に潜行してゆくだけです。闇市的転売に対する対抗策は、短期的には「配給制度の導入」、長期的には「生産の拡大」以外にはありません。転売規制など大した実効的意味はないのです。

キム・イルソン主席の指摘のうち、関連部分を引用しておきましょう。
人民の需要をみたせない商品は、たとえ国家が唯一的に価格を制定したとしても、闇取引されたり、農民市場で又売りされるということを忘れてはなりません。商店の品物を買いだめしておいて、他人が急に必要になって求めるときに高値で売りつけるような現象があらわれるようになるのです。卵の販売の問題を例にとってみましょう。現在、平壌をはじめ、各地に養鶏工場を建設して卵を生産していますが、まだ人民に十分供給できるほどではありません。そういうわけで、卵も国定価格と農民市場価格とのあいだに差が生ずることになるのですが、これを悪用して又売りする現象があらわれています。

 もちろん、だからといって、卵をいくつか又売りした人を罪人扱いにして教化所に送るわけにもいかず、ほかの方法で統制するとしても、販売量を調節するといったようないくつかの実務的対策を立てること以外に方法はありません。もちろん、こうした対策もとらなければなりませんが、そんな対策では商品が一部の人たちに集中する現象をある程度調整できるだけで、それが農民市場で又売りされたり、闇取引される現象を根本的になくすことは決してできません。

 この問題を解決するためには、品物を多く生産しなければなりません。産卵養鶏工場をより多く建設し、人民の需要をみたすほど大量に生産するならば、卵の闇取引はなくなるであろうし、農民市場で売買されることもおのずとなくなるようになるでしょう。こうした方法で国家的に人民の需要をみたし、農民市場で売買される商品を一つ一つなくしていくならば、最後には農民市場が不必要になるでしょう。
もう20年近く日本世論の風潮は「北朝鮮」を見下してきましたが、当の「北朝鮮」のキム・イルソン主席が1960年代には気が付き、その無意味さに警鐘を鳴らしていた「転売行為の権力的規制・取り締まり」を、2020年の日本人が本気で語っているというわけです。日本人の経済政策的センスは「北朝鮮」に劣ると言うほかありません

■真の問題である「買占めの発生」は、転売ヤーだけが原因ではない――配給制の導入で対応すべき
そもそも、転売ヤーが存在するがゆえの問題は何であるかというと、結局のところ「買占めの発生」であります。買占めが起こることによって物資が十分に行きわたらなくなることであります。しかし、買占めの発生は転売ヤーだけが原因ではありません。

今回は転売ヤーがクローズアップされたのでマスク不足の不満が連中に集中していますが、今後のことを考えると、転売ヤーによる物資不足への対応だけではなく、さまざまな原因で物資が不足するときに対応できる政策、不足物資を分かち合うための方法を用意すべきであります。

たとえば、消費目的の需要が集中したときや、自然災害等で生産能力や輸送能力が壊滅して通常的な需要さえも満たせないほどに供給が低下したときにも物資不足は発生します。このとき、転売ヤーを狙い撃ちするような政策しかもっていない国は、何の対応もできないことでしょう。今回も、マスク不足には転売ヤーの暗躍の痕跡が大いに見られますが、トイレットペーパー等の一時的不足については、転売ヤー云々というよりも一般消費者のパニック的殺到が主要因であるように見受けられます。

買占めの発生が問題の本質であるならば、「買占めをいかに防止するか」こそ政策目的に据えるべきです。買占めの発生という根幹的な問題からすれば、転売など枝葉的な問題に過ぎません。こんなことにコダワっていてはなりません。

その点、上掲:キム・イルソン主席の闇市対策は、「買占めをいかに防止するか」に対して回答を与えていると言えます。短期的には「配給制度の導入」、長期的には「生産の拡大」以外に方法はありません。闇市的な私的転売を強権的に禁じたところで、転売行為が根絶されるわけがなく、地下に潜行してゆくだけなのです。

■転売規制は実際的には導入困難
ここからは少し経済学的な話になります。転売規制は実際的には導入困難です。

チュチェ105(2016)年12月1日づけ「コンサートチケット転売問題は極めて経済学的問題である――転売禁止という雑な配給制がもたらす効果」でも論じたことですが、我々の市場経済においては、消費目的の「商品→貨幣→商品」の経済活動と利殖目的の「貨幣→商品→貨幣」の経済活動は区別しにくいのです。マルクス経済学的に考えるとこれは、「商品流通『W−G−W’』を認めながらも、利殖行為『G−W−G’』は認めない」ということになりますが、実際においてはこれら2つの行為は連続的であり、実践的には片方を禁じてもう片方を許すというのは困難なのです。だからこそ通俗的なマルクス主義者は市場経済を廃止して計画経済を導入するよう主張したのです。

唯一できそうなことといえば、「利幅規制」ですが、こうなると今度は「マルクスを殺した男」といわれるハイエクの議論に行き着きます。すなわち、「適切な利幅とは何であるか」ということです。そもそも、商品の価値は市場に売り出してみて初めて分かるものなのに、「何を以って『適切な価格』と言えるのか」ということなのです。

実運用を想定すれば、官僚の思い付き的な「標準価格」の設定が関の山でしょう。しかし、20世紀の社会主義計画経済の失敗は、まさに官僚が思い付き的な命令・行政処分を乱発して経済が混乱したためでした。そしていま日本では、厚労省が混乱のうちに機能麻痺に陥っていますが、では経産省なら大丈夫だと言えるのでしょうか? また、「軽減税率」を起こい起こせば、あれは財務省ですが、どうにも腑に落ちない理屈で権力的に裁いています。ソ連・東欧諸国の歴史を振り返り、また、日本の経済行政を見るに、私は官僚に対してそこまでの信頼を置くことはできません

■補論:転売業に意義はあるか
転売業に意義はあるか――この風潮の中、危ないテーマを論ずることにしますが、久留米大学の塚崎公義教授が既に精力的に発信されているところです(すでに何本も類似記事を発表されているようです。勇気があり精力的でもある活動に敬意を表します)。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200301-00025741-gonline-bus_all&p=1
悔しい「マスクの高額転売」を野放しにせざるを得ないワケ
3/1(日) 10:00配信幻冬舎ゴールドオンライン

これからの時代を経済的に困窮することなく生きるには、「経済センス」を磨くことが不可欠です。経済コラムで多くのファンを持つ久留米大学教授の塚崎公義先生が、身近なテーマを読み解きます。第8回は、マスクの高額転売を苦々しく思っても禁止できない事情を解説します。

(本文省略)
経済学的に正しい解説だと私は思います。しかし、たぶん一般的には理解はされないことでしょう。なぜなら、学者にありがちな「客観」的な説明であり、生活者を中心に説明していないからであります。

生活者を中心にこのことを考えたとき、これもまたチュチェ105(2016)年12月1日づけ「コンサートチケット転売問題は極めて経済学的問題である――転売禁止という雑な配給制がもたらす効果」でも論じたことですが、我々が暮らしている市場経済では、需要者(買い手)の支払い申し出価格は、彼の商品に対する価値評価を反映しています。オークションを想定すれば理解し易いでしょうが、多くの買い手が支払い価格を申し出合うことによって、どうしても欲しい人はそれ相応の買い取り価格を提示し、それほどでもない人は「こんなものに、こんな額は払えない」として、オークションから退出します。価格設定が自由な条件下において、こうした買い手同士の競争が展開されることで、「なんとなく欲しい人」にではなく「どうしても欲しい人」に貴重な商品が渡ることになります。苦労して稼いだ金銭と貴重な商品とを引き替えにするからこそ、買い手側はマジになるのです。

売り手に対して高い金銭を払ってでも購入しようとする人は、喉から手が出るほど欲しがっている人です。価格設定を自由にすることによって、「なんとなく不安だから備蓄を積み増しておこうかな・・・」という人ではなく、「いままさに必要だから多少高くても買う!」という人に商品が回るのです。たしかに転売ヤーが儲かるのは癪に障る話ではあります。しかし、「なんとなく欲しい人が手に入れ、転売ヤーが儲かる」よりは「いままさに必要な人・どうしても欲しい人が手に入れ、転売ヤーが儲かる」方がマシではあります。その点、転売業は必要悪であると言えるでしょう。

もちろん、上掲過去ログでも述べたとおり、これは「金銭万能」をも正当化してしまう言説であり、私も全面的には支持するつもりはありません。たしかに転売は「喉から手が出るほどに欲しがっている人にこそ融通できるシステム」でありますが、もっと規範的分析においてスマートな分配論があれば、そっちであることに越したことはないと考えます。

以前から申し述べているように、私は社会主義支持の立場を鮮明にしているところです。歴史的事実を踏まえればこそ計画経済ではなく市場経済を活用するほかないことは理解していますが、市場万能主義に組することは決してあり得ません。だからこそ、そろそろ私的転売が目に余るようになってきたこのタイミングで、上述のとおり私は、「配給制を導入すべきだ」と言っているのです。

■総括
このように、転売の規制は実運用的には実施困難であり、また、転売ヤーも必要悪的な役割を果たしているわけです。そもそも転売ヤーが存在するがゆえの問題は何であるかというと、結局のところ「買占めの発生」ですが、一般的に買占めの発生は、転売ヤーの参戦だけが唯一の原因ではありません。買占めの発生が問題の本質であるならば、買占めが発生しない政策的対応をするのが本筋・王道です。その点において私は、転売規制などに取り組んで油を売るのではなく、早くから配給制を導入すべきだとするのであります。
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2020年03月01日

「異常」だからニュースになる。その状況把握を「正常」の枠組みでしようとすること自体が間違い

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200301-00036383-bunshun-soci
「ママー助けて、お願いママ」何度も助けを求めた心愛さん 証人出廷の母親が娘の死後にみせた異常な表情
3/1(日) 6:00配信文春オンライン

 千葉県野田市で小学4年生だった栗原心愛(みあ)さん(当時10)が虐待死したとされる事件。傷害致死罪などで起訴されている父親の勇一郎被告(42)に対する裁判員裁判が千葉地裁で開かれている。その中で、2月26、27日、心愛さんの母親(33)も証人として出廷し、証言した。

 母親は昨年6月、勇一郎被告の虐待を制止しなかったとして、傷害幇助罪で懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年の有罪判決が言い渡され、確定している。これまで、母親は勇一郎被告からのDV(ドメスティック・バイオレンス)を受け、やむを得ず心愛さんを助けられなかったとされてきたが、今回の裁判で母親も虐待に加担する様子が明るみに出た。


(以下略)
医学的にみると、家庭内暴力を受ける側は一般的に、恒常的な暴力的支配を受けることで脳の判断機能の低下や破壊が起こるといわれています。家庭内暴力の悲惨なストーリーを目に・耳にすると、つい、「なんで逃げなかったんだろう?」「なんで止めに入らなかったんだろう?」「なんで助けを求めなかったんだろう?」といった疑問を持ってしまいがちですが、恒常的な暴力的支配によって「考える力」を奪われてしまっているために、自身ないしは家族を殺されるまで何もアクションをとれないケースがあるのです。

また、日本ではあまり件数は多くありませんが、カルト教団的な閉鎖的コミュニティ内部における虐待事件のように、教祖等の絶対的支配者による一部信徒への虐待行為に、他の信徒らが同調・参加するケースがありますが、これもまた恒常的な暴力的支配によって作り出された異常な精神状況によるものであります。

この事件の母親(33)がそれに該当するのかを判断する材料を私は持ち合わせていませんが、「懲役2年6月、保護観察付き執行猶予5年」という確定判決を見るに、無罪にできるほど判断能力及び責任能力の低下は見られないが、病的な要素が深く関係していることを示しているといえるでしょう。

家庭内暴力・虐待の問題は、もはや当該家庭の内部問題として片づけるわけには行かず、社会が連帯して対処する必要がある問題にまで事態は深刻化しています。やみくもに対処してはなりません。まずは現状分析から始めて対策を考える必要があります。とくに人間が引き起こす問題である以上は、その主体としての人間、もっと具体的にいえば「犯人」にスポットライトを当て、そこから関係する周囲の人間や条件・環境等の分析に波及してゆくことが必要です。

つまり、家庭内暴力・虐待の問題を分析する最初の第一歩は、「犯人」にスポットライトを当てることであります。「犯人」が何を考え、どういう理屈(屁理屈)で思考を現実のものにしたのかを分析する必要があります。その点、上述の医学的見地は、「犯人」の思考を分析するにあたっては不可欠的な理解の枠組みであると言えます。正常な人間が如何にして異常になってゆき、異常な状況下ではどのような思考・行動になってゆくのかを理解する必要があります。

しかしながらコメ欄は相変わらずの惨憺たる状況・・・
被害者面するな。
子供が目の前で苦しんでいて、藁をもすがる思いで助けを求めているのに、助けられない理由がどこにある。お前の限界なんて聞いてない。

子供を助けられない事なんて絶対にない。
そんな話が通用するわけが無い。
被害者ヅラもいいところ。
自分も旦那からDVを受けていたのなら余計に子供だけはと普通助けようとするはず。
逃げれなかったわけでもどうしようもなかったわけでも全くない。
その現状や生活を選び続けてきたのはこの母親自身。
現時点で正常な判断力がある人が、自分自身の現時点での感覚だけで論じていると言う他ありません。母親(33)への非難を試みているにもかかわらず、当の母親(33)の具体的な心理状況・精神状況には一切興味が無さそうなのは、理解に苦しむところです。事件を論じているようで、事件をまったく直視しておらず、よって事件を論じていることにならないわけです。なにを論じているんだろう? 「子供が目の前で苦しんでいて、藁をもすがる思いで助けを求めているのに、助けられない理由がどこにある」といいますが、買い物中に通り魔が我が子を襲い始めたのとは訳が違います。

悪い意味での「庶民感覚」。自分自身の感覚が絶対普遍的と思い込んでいるようです。自分の直感的理解だけで物事を断定しようするあたり、いまアメリカで広まりつつあるとされる「地球平面説」の信奉者たちと発想において大差なさそうです。

もちろん、現状について嘆いたり、アホなことを口走っている人たちに「おまえは『地球平面説』信奉者なみのアホだ」と言っても仕方ありません。これもまた、やみくもに対処してはならず、まずは現状分析から始めて対策を考える必要があります。なぜ世論は、自分自身の現時点での「正常な判断力」で「異常な心理状況・精神状況」に支配されていた事件を論じようとするのかという現状分析が必要になります。

恒常的な暴力的支配が被害者の脳に及ぼす医学的影響がまだ一般に知られていないか、あるいは、人間の「意志の力」を過剰に信奉しているかの何れかが考えられます。考えても見ると、前者については確かに情報発信が乏しいといえるし、後者については、なんといっても各種の精神論が大好きな日本人。まさか恒常的な暴力的支配程度で脳の判断機能が低下するとは思えないのでしょう。

そもそも、正常なことはニュースになりません。異常だからニュースとして取り上げられるのです。それゆえ、ニュースになるような事件を「正常」な感覚で論評しても意味がないとさえいえるのです。

「ニュースになるような事件は異常で特殊な事態だから、善悪判断はまだしも、状況把握を『正常』の枠組みでしようとすること自体が間違い」という共通認識を打ち立てることが必要そうです。
posted by 管理者 at 11:40| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする