2020年07月29日

依然として「『人間らしい生活』を夢見た脱北者に絶望を与える韓『国』」

https://news.yahoo.co.jp/articles/2441f6f2a4a6d6c3dca69560a71bde46ff6d167d
戻れば銃殺されるのに…脱北民29人はどうして北朝鮮に戻ったのか(1)
7/29(水) 15:03配信
中央日報日本語版

「命懸けで脱北したのではないのか。分かっている再越北事件だけでも30件余りになるとは信じられない」

「北朝鮮に行けば銃殺される場合もあるのに、どうしてわざわざ…」

江華島(カンファド)から最近越北したキム氏(24)の他にも過去8年間に再入北した脱北者が少なくとも29人いることが分かった。また、2015年から昨年9月まで、再入北したものの、発覚して国家保安法で処罰を受けた脱北者も12人いる。キム氏の越北を契機に、韓国内では越北背景に対する関心が高まっている。命を賭けてまで北朝鮮を脱出した脱北民が再び北朝鮮に戻る理由は何か。

(中略)
(2)韓国社会に適応できず…法体系を束縛として感じる場合も

脱北者が韓国社会に適応できない点も再入北を選ぶ原因の一つだ。キム・ソクヒャン氏は「脱北者が韓国にやってくるのは、あちらに行けば自身の夢をかなえることができ、財政的にも豊かな暮らしができるだろうと考えるためだが、実際に韓国に来て彼らが感じたことは違っていただろう」と話した。また、「特に、北朝鮮とは違い、むしろ規制と法体系が自分を束縛していると感じるかもしれない」と付け加えた。

さらに「キム氏の場合、再入北の前に性暴行容疑で捜査を受けていたが、北朝鮮ではこのような理由で人を捕まえたりしない。むしろ村にうわさが立っても『女性のほうがなぜもっと気を付けなかったのか』という反応だっただろう」と説明した。匿名を求めたある専門家は「こちらにくればすべて解決できるだろうと思いがちだが、韓国は韓国で秩序があり見えない差別がある。社会体制が完全に違うため適応が容易ではない」と話した。

(3)北朝鮮、脱北民の再入北懐柔政策を展開か

一部では再入北した者が北朝鮮政権によって報復されるのではないかと懸念する。これについて東国(トングク)大学北朝鮮学科のキム・ヨンヒョン教授は「概して脱北者は北朝鮮内部で行方不明者として処理される。韓国で顔がよく知られた一部の人を除けば、戻ったからといって大きく問題にならないこともある」とした。世界北朝鮮研究センターの安燦一(アン・チャンイル)所長は「正恩氏の執権以降、脱北者を懐柔しようとする態度が見える」とした。安氏は「今回、キム氏が再入北すると、朝鮮中央通信が帰郷という表現を使った。これは帰ってくれば『おぶってやれなくても抱きしめてやるくらいはしよう。帰ってきたい人は帰ってこい』という信号だと解釈することができる」と話した。

(以下略)
昔から言われていたこと。たとえば13年前のチュチェ96(2007)年に韓「国」の保守紙・『朝鮮日報』は次のような記事を掲載していました(さすがに朝鮮日報サイトにはないので、web.archive.orgから)。
http://web.archive.org/web/20070206042317/http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/05/20070205000007.html
【社説】「人間らしい生活」を夢見た脱北者に絶望を与える韓国

 脱北者・金万鉄(キム・マンチョル)さんが家族11人を乗せた小さな船で韓国に渡ってきてから、8日で20年になる。「元祖脱北者」として知られる金さんは今、本人が言うとおり「これ以上なく惨めな」境遇にある。

 67歳になった金さんは、62歳の夫人とともに京畿道広州の野山にある10坪コンテナに住み、アメ袋を一日に5000個作る内職で1日に1万ウォン(約1300円)の収入を得ている。傷だらけの手を腫れ上がらせた金さんは、「北朝鮮での生活に逆戻りしたようだ」と語ったという。

 金さんがこんな状態に陥ったのは、詐欺の被害にあったからだ。講演料などで一時10億ウォン(約1億3000万円)の財産を作った金さんは、甘い言葉にそそのかされて宣教祈梼院、済州道の土地、清津のシカ牧場などに投資しては金をだまし取られた。それどころか、いまだ借金を返済できていない状況だ。2001年からコンテナに住みはじめた金さんは2003年、心筋梗塞(こうそく)で倒れた。

 韓国刑事政策研究院の報告書によると、脱北者の5人に1人にあたる21.5%が詐欺の被害に遭っている。韓国民全体で詐欺の被害に遭ったことのある人は0.5%だ。脱北者が詐欺に遭う確率は実に43倍にもなる。

(中略)
 今月で脱北者の数が1万人を超える。ある北朝鮮専門家が指摘したように、われわれはこの「小さな北朝鮮」すらまともに受け入れられないでいる。脱北者は詐欺などの犯罪の餌食となり、社会の冷たい仕打ちに直面し、挫折している。
(中略)
 金万鉄さんは20年前、「人間らしく暮らせる韓国にやって来た」と語った。しかし昨年11月、あるテレビ局が行った世論調査で、脱北者の33%が「北朝鮮が処罰しないなら帰りたい」と答えた。これがその「人間らしい国」の現実なのだ。
計画経済vs自由経済および自力更生vs他力本願の体制優位競争においては、残念ながら「北朝鮮」は現状においては極めて厳しい状況にありますが、そんな「北朝鮮」に帰りたいと思う人は、かなり以前から、単なる個人的事情というわけではなく社会的背景のもとに現実としているわけです。

そのことが再度、検証された展開であります。
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2020年07月26日

コロナパニックと「駄々を捏ねているお子ちゃま」

またしても古い記事ですが、世相を捉えるために遅ればせながら・・・
https://news.yahoo.co.jp/articles/807d8d9feb8e535a47b725f0c856617ea3d9f00e
「接待伴う飲食店」への休業要請促す考え 西村担当相、感染拡大の1都3県に
7/13(月) 19:18配信
毎日新聞

 西村康稔経済再生担当相は13日の記者会見で、東京、神奈川、埼玉、千葉の1都3県で新型コロナウイルスの感染が増加傾向にあることについて、感染状況によってはホストクラブなど接待を伴う飲食店を対象に、改正新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく休業要請を自治体に促す考えを示した。

(以下略)
またしても、恐怖のあまり救世主に縋る手合いや、クレーマーのような手合いが出て来ました。コメ欄。
検討ではなくすでに何らかの対策が実施されてなくてはならない状況のはず。
あまりに対応が遅すぎる。
毎回テレビで下らないパフォーマンスばかりでバカ丸出し。
国民から批判があろうと政府として感染防止のための対策をどんどん実施しなくてはならない立場のはず。
これ以上政府が何もしないならコロナの指揮権は海外のリーダーシップの取れる人材に全て一任するべき。
それだけ日本の政府は何もしていない。
以前から多くの人が指摘してきていることですが、そもそも日本はトップダウン式に強権を振るえない社会の制度・構造です。当ブログでも5月4日づけ「調整と指揮の中核である首領の不在ゆえ!」で論じましたが、調整と指揮の中核である「首領」の不在は、日本社会の構造的問題ゆえに仮に安倍首相が退陣したところで根本的解決には至らないわけです。

しかし、どうも日本人はそういう自覚に欠けているようで、トップダウン式の強権を振るえると思っているようです。自らのことをまったく分かっていない、実に「日本的」な反応です。

また、「海外のリーダーシップの取れる人材」というのも、根拠のない外国信仰という意味で、実に「日本的」です。

次のコメントです。
おせーよ笑と誰もが思ったことでしょうね。
ぎりぎりで頑張っておられる飲食店も沢山あると思うけど、お粗末な対策、従業員の管理をしてるところも沢山あるんじゃないの。田舎からしたらいい迷惑なだけだわ。
常々思うけど優秀な国家公務員がいるのになぜここまで酷いかね…こういう時には法的な根拠やら検討してるんだろうけど、マスコミに出てくるときには検討した様子が見受けられない。あらゆる事態を始めから想定するのが議員の仕事であり国家公務員の仕事でしょうよ。そのへんの自治体の方が優秀だわこれじゃ。
国家公務員らが些か「職人気質」過ぎるのは私も7月11日づけ「コロナパニックの裏返しとしての「キレイな独裁」論」で触れたところですが、しかし、「おせーよ」というのであれば、「これ以上スピードアップできる可能性は、現実問題としてあり得るのか?」ということを問わねばならないでしょう。

「そんなことはオレの知ったことではない。国家公務員が努力すべき話だ」というのであれば、もはや「立派なクレーマー」・・・というより、実現可能性のないことを騒ぎ立ててている点において「駄々を捏ねているお子ちゃま」というべきでしょう。「消費者意識」が妙な方向に肥大化して「丸投げ」が当然視され、また、「お客様」であればどんな要求でも許されるとでも言わんばかりの昨今の世相に加え、「この程度の仕事には、だいたいxx日程度かかるだろう」といった常識的な「相場観」というものが失われている世相を反映しているコメントです。

どんな天才にも解決困難な問題について、不満はもとより愚痴さえも言うなといいたい訳ではありません。不満や愚痴を口にするくらいは問題ではありません。ただちに解決できないとしても、そうした不満が将来的な解決策の発明の母体になるものです。問題の所在はそこではありません。きわめて解決が難しい問題について、担当者を無能呼ばわりするような罵倒をするべきではないと言っているのです。

あらゆる事態を始めから想定するのが議員の仕事であり国家公務員の仕事」と平然と言ってのけるのにも注目したいと思います。ハイエクが批判した「設計主義」(経済分野においては、計画経済)に極めて親和的な発想であります。「そのへんの自治体の方が優秀だわこれじゃ」というのも、地方自治体レベルの仕事と国家レベルの仕事を同列視する高嶋ちさ子氏のようなバカ発言です。このようにスケールがまったく異なる事案どうしを単純比較する発言は、これもまた設計主義・計画経済の発想そのものです。かつてレーニンはプロレタリア革命の後の国家運営を郵便事業になぞらえ、四則演算ができる程度の普通の労働者が容易く運営できるものとしました。

実際問題として、高度に複雑化・多様化した社会について、あらゆる事態を始めから想定するというのは実現不可能な要求だし、地方自治体レベルの仕事と国家レベルの仕事を同列視するのはナンセンスの極みであります。このことは、20世紀の歴史が余すことなく実証したところですが、人々の頭の中では依然として古い思想の残滓が残っているようです

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
http://rsmp.seesaa.net/tag/articles/%90V%8C%5E%83R%83%8D%83i%83E%83B%83%8B%83X%89%D0%82%F0%8F%84%82%C1%82%C4%E0t%82%E8%8Fo%82%B3%82%EA%82%BD%90%A2%91%8A
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2020年07月23日

コロナ禍における医療職の待遇問題こそ、主体的な意味での集団主義原則の貫徹の必要性を切実に示している

https://news.yahoo.co.jp/articles/20ff36ba8cc14a3d7d4a329d0d914ddcec4c478f
看護師らの退職希望「ボーナスゼロだけが理由ではない」東京女子医大病院、労組が見解
7/17(金) 18:40配信
ハフポスト日本版

看護師ら数百人が退職する恐れがあると報道されている東京女子医科大学病院。

新型コロナウイルス感染症の流行による経営状況悪化で夏のボーナスが支給されないことが退職の原因とされていたが、労働組合は7月16日、「単に『夏期一 時金ゼロ』が理由で退職を希望しているのではない」などとする見解を公開した。

(中略)
一方で、今回退職希望者が出ている理由は、新型コロナウイルス流行前から続く大学側の経営姿勢への反発があると指摘。その上で夏のボーナスゼロと伝えられたことで「労働組合だけでなく、多くの教職員も堪忍袋の緒が切れ」たとし、こう強調している。

「看護師をはじめとする教職員は、単に『夏期一時金ゼロ』が理由で退職を希望しているのではなく、大学理事会の『教職員を大事にしない姿勢』に失望し、働き続けていく展望を見いだせなくなったことが原因であるのは言うまでもありません」
「感染拡大で苦しむ人・命の危機に直面している人が増えつつある危機的状況において、個人的な待遇の問題で『じゃあもう働かない』とは何事だ!」という意見もあるかも知れませんが、しかし、そうした「全体状況」があるとはいえ、「医療職ひとりひとり」の努力を軽んじることが許される道理にはならないでしょう。

「全体」の利益の前に「個人」の利益を軽視したり無視するような姿勢は、「全体主義」的であると言わざるを得ません。自ら全体主義を実践し積極的に滅私奉公をしている方がそのように言うのであれば、それはそれで立派だとは思いますが、「大抵の人はそこまでできない」とご理解いただきたいものです。いくら高尚な使命が課せられていたとしても、「使い捨て」のように使役されて耐えられる人はいません。もっといえば、自ら「使い捨て」を志願する狂信的に積極的な人・義挙者については別として、それほどでもない一般的な誰かを「使い捨て」のように使役しなければ成り立たない「高尚な使命」など、本当の意味でのそれではないでしょう。

全体と部分(個人)との関係をシステムとして捉え、全体利益と個人利益とを両立させる、主体的な意味での集団主義原則の貫徹こそ、こうした場合において求められているものと考えます。

その意味で、女子医大病院の労組が主張する「単に『夏期一時金ゼロ』が理由で退職を希望しているのではなく、大学理事会の『教職員を大事にしない姿勢』に失望し、働き続けていく展望を見いだせなくなった」という説明を私は理解します。とりわけ、「第2波か?!」と言われ、医療に対する社会的必要度と期待が高まっているこの状況下において、当の専門職としての看護師らが退職を決断するということは、並々ならぬ葛藤とその上での決意があったものと推察します。とくに看護師は、看護学校等で数年間にわたり専門教育を受けた上で国家試験に合格する必要があり、「ちょっと、なってみようかなー」でなれるものではありません。高い目的意識と職業倫理がなければ、そもそも看護師にはなれず、要領よく立ち回ってなれたとしても、その程度の人物であれば、もうとっくに挫折して他業界に転職しているはずです。そんな彼・彼女らがついに退職を決意するに至った事実こそが、当該看護師らの自主権が強度に抑圧されたていた状況を示すものと考えます。

中途半端にストライキを打って、職場に対する未練を示さないのもよいと思います。度重なる医療事故――それも、特定機能病院指定を2度も取り消されるような大事故!――によって、ただでさえ評判を落としていた最中に新型コロナウィルス禍に直面し、さらに収益を落としている女子医大病院は、病院を挙げて歯を食い縛らなければならないところ、理事長室の改修には巨額の予算を割いたと報じられています。絵にかいたようなブルジョア根性と言わざるを得ません。このような病院側の姿勢は、まさに労組が言う「大学理事会の『教職員を大事にしない姿勢』」であります。このような大学当局が、仮に看護師等がストライキを打ったところで改心するはずがありません

看護師のような専門職であれば、一般事務職よりも再就職は容易です。ありもしない「改心」に期待して未練がましくストライキを打つのではなく、キッパリと縁を切る――この姿勢を私は強く支持します。

これに対して、下記、船橋二和病院の「ストライキ」(共産党系の民医連病院でストですか・・・)については、すこし苦言的な論評が避けがたいところであります。
https://news.yahoo.co.jp/articles/53937d762621f2699ee6f5a42cd82b07b25491bc
医療従事者の賞与カット相次ぐ 新型コロナで病院収支悪化 離職検討やストライキも
7/22(水) 7:08配信
時事通信

 新型コロナウイルスの影響が長引く中、医療従事者が賞与を削られるケースが相次いでいる。
(中略)
 千葉県船橋市の船橋二和病院では10日、夏の賞与が過去最低の0.9カ月分になったとして、医師や看護師ら8人がストライキを実施した。医師らが加入する労組によると、病棟の建て替え計画が進む中、新型コロナによる減収が重なり、病院の経営を圧迫しているという。

 ストライキに参加した医師の柳沢裕子さんは「新型コロナの減収分をなぜ私たちのボーナスから補わなければいけないのか」と強調。「全ての業界がマイナスになっている中、ボーナスが出るだけ良いじゃないかという声もあるが、一生懸命に医療をしているという誇りがだんだん損なわれてきている」と訴えた。
(以下略)
新型コロナの減収分をなぜ私たちのボーナスから補わなければいけないのか」という主張は、個人としてそう不満に思う気持ちは分かります。労働者が「自己の労働力を切り売りする個人」であることは疑いのない事実であります。

他方、以前から述べているとおり、職場というものは「労使の呉越同舟的利益共同体」でもあります。労働者は、「個人」であると同時に「労使共同体のシステム構成要素」なのです。船橋二和病院については、理事長室の改修には巨額の予算を割いた女子医大病院のように病院幹部が抜け駆け的に自己利益を優先させたという事実は報じられていません。また、賞与の法律的位置づけなども考慮せざるを得ないでしょう。その点、「とても残念ですが、新型コロナの減収分を従業員のボーナスから補う必要もあるのではないでしょうか?」とも思えてきます

女子医大病院において病院幹部が典型的なブルジョア根性を見せたのに対して、船橋二和病院では組合員がブルジョア根性を見せているように思えてなりません。せめて病院側と団結して県や国に更なる財政支援を要求するならまだしも、そうではありません。少なくとも、職場をシステムとして、労使を呉越同舟的利益共同体として捉える観点が欠落していることは指摘せざるを得ないでしょう。

「全体」の利益の前に「個人」の利益を軽視したり無視することは許されないとはいえ、病院側の事情をまったく顧慮しないわけにも行かないと思われます。新型コロナウィルス禍により不急の診察や手術が軒並み延期になり、それによって病院全体としての収入が減り資金繰りが難しくなっている状況や、診療報酬と言う名の公定価格制度で固められた医療制度といった事情です。意地悪で賞与不支給としたわけではなく、また、経営幹部だけが私腹を肥やしているわけではないとすれば、「無い袖は振れない」わけです。

それゆえ「病院としては『無い袖は振れない』のかもしれないが、こちらとしても、これ以上は働き続けられないので、残念ですが辞めさせていただきます」として袂を分かつのであれば正攻法的(というか、仕方ないよね)ですが、そこで中途半端に現職場に未練を残すストライキを実施するという選択は理解しがたいものです。ストったところで賞与原資が沸いて出てくるのでしょうか? また、もし船橋二和病院幹部が女子医大病院幹部のような職員軽視の姿勢があったとすれば、ストったところで改心があり得るのでしょうか?

ストライキという戦術の中途半端さがここでも明らかになっていると言うべきでしょう。労働者の自主権追求を重視しつつ、無い袖を振らせるような無理難題ではなく現実的な解決策を模索すればこそ、勤め先を見限って「辞める」という選択肢が有力な一策として浮上するのです。

チュチェ106(2017)年12月26日づけ「商行為の一環としてのストライキ――自由経済を維持・拡大するためにこそストライキは展開すべきだが、その労働者の利益にとっての弊害についても認識すべき」を筆頭に以前から述べていることですが、「嫌だから・無理だから辞める」も「ストライキ」も、「労働力の売り手と労働力の買い手との間での交渉失敗による取引停止・操業停止」と言う点では、経済学的な意味合いは同一であります。

労働屋が妙な「色」を付けてくれているお陰でストライキという行為が左翼運動の一環であるかのように見えるところですが、経済学的に解析すれば、その本質はあくまでも「労働力の売り手と労働力の買い手との間での交渉失敗による取引停止・操業停止」なのです。あえて違いを際立たせるのであれば、「嫌だから・無理だから辞める」は「金輪際の取引お断り」という強烈な意思表示であるのに対して、「ストライキ」は、雇い主側の「譲歩」次第では復職の可能性もゼロではないと予め表明している点において雇われ側の「未練」が見え隠れするものです。しかし前述のとおり、ストったところで「無い袖は振れない」し、雇い主側に悪意があるとすれば、スト程度で改心するわけがありません。

労働者の権利行使の手段としては、中途半端な「ストライキ」に訴えるのではなく「辞める」という選択肢がもっと重視されてしかるべきでしょう
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2020年07月17日

Go Toキャンペーン反対論に見られる「日本的な風景」(2):批判のための批判、政策マインドの欠如

https://news.yahoo.co.jp/articles/18c724576381872e9c084659312978bb36b08cd7
Go To東京対象外は「断腸の思い」 赤羽国交相
7/17(金) 10:48配信
THE PAGE

 赤羽一嘉国土交通相は17日、記者会見し、新型コロナウイルスの拡大に伴い打撃を受けた観光業界を支援する「Go Toトラベル」事業について、7月22日から開始するものの、東京都を発着する旅行が当面の間、支援の対象外となることを説明した。赤羽国交相は、都内の観光関連事業者、都民から「大きな期待があった」と指摘。その上で「このような形になったことは私として断腸の思いだ」と述べた。

 また、「一刻も早く都民に観光を楽しんでいただく、この事業に参加していただけるよう国交省をあげて(取り組む)。近いうちにそうした環境が訪れると心から期待を申し上げたい」と述べた。東京が外れることで「一定の経済的影響は出る」との認識を示したが、「安全対策上、やむを得ない措置と考える」とした。
(以下略)
実施しても文句、中止したって文句。何をしたって誰かしらが何かしらの文句を必ずい口にする状況です。すべてをチェックすることは到底できないので、世相を反映していると思われるコメントを特にピックアップしてみたいと思います。

また混乱を招いた政府ですね。
キャンペーン後に還付請求する方法なので、また還付金についても後手後手になるんじゃないかな?
経済的に困っているのは観光業界だけではないと思います。
困っているのであれば直接資金援助する方法を考えたり、日本のためを思って様々な方法を提案し、政策に持ち込むのが政治家の仕事ではないのでしょうか?
国民を混乱に巻き込み、右往左往させるのはやめてもらいたい。
■批判のための批判は人民政権の主人に相応しくない
既に開始されている制度がコロコロと変更されているのであれば「混乱」と言えるでしょうが、本件はまだ開始前の検討段階。検討段階なのだから当然変更はあり得るわけで、社会的・国民的な闊達な議論の展開を「混乱」と言ってのけるこの言説は、これこそ「批判のための批判」というべきものです。

以前にも申したとおり、私たちは日本社会の主人であり、自分たちの社会の主人としての責任と矜持を持てばこそ、批判のための批判などは最も恥じるべきであり、クレーマー気質の喚きとは一線を画すべきであります。私たちは、ゆくゆくは安倍政権・自民党政権を乗り越えて社会主義の人民政権を樹立させるべきでありますが、人民政権の主人に「批判のための批判」は相応しくありません

クレーマー的な世相を反映していると言える反応です。

■経済政策としてナンセンスな「代替案としての直接資金援助」
直接資金援助」という主張も聞き捨てならぬ危険な発想です。まず、実務的な問題として、「1人10万円」の支給にも手間取る日本の行政機構において、さらに「直接資金援助」というタスクを課そうものなら、事業者への支給までの所要時間は大変長くなるでしょう。これに対して、Go Toキャンペーンであれば、とりあえず旅行者が費用を払ってくれるので、事業者の懐にはより迅速にキャッシュが入ることでしょう。

また、「直接資金援助」方式を取ってしまうと、予算として支出された分しか観光業界・事業者には入りません。しかし、Go Toキャンペーンによって旅行者の費用を国が助成するという方法を取れば、財布のひもが緩くなった旅行者の支出分も観光業界・事業者に入ります

とにかく、観光業界・事業者にはまとまったキャッシュが至急必要です。1.7兆円の財政支出は巨大な「火薬」ですが、これを単独で「着火」させて消尽するよりも、これを「起爆剤」として更に大規模な「爆発」を起こした方が良いでしょう。

さらに申せば、「直接資金援助」方式というものは、究極的には「官僚の裁量」であります。サービスの質に対する消費者の選択によってではなく、官僚の御眼鏡にかなうか否かでキャッシュの入りが決まってしまう点において、計画経済的な分配スタイルであります。

官僚はどうせ、突き詰めれば根拠があるとは言えない、世の中のほとんどの人が知らない杓子定規的な基準で「観光業者か否か」を分類して、資金援助の対象になるか否かを判断するでしょう。しかし、実際の観光地においては、およそ「観光業」には分類されないような事業者も観光業のお零れでメシを食っています。こうした事業者のことを考えるに、行政処分としての「直接資金援助」では救済されない事業者がでることは容易に想像できる一方で、同じ金額を「旅行者に対する助成」として支出すれば、そうした事業者も救われることでしょう

市場を介さない資源配分は、社会システムを歪めることに繋がるので、極力さけるべきであります。世論に根強い計画経済的な発想が透けて見える反応でした。

■政策は、時に国民意識の逆張りが必要:政策を個人的感覚で語る誤謬
苦しんでいるのは観光業界だけでは無い。
国民が危機感、自粛感を抱いているのに呑気にキャンペーンやってる神経を疑う。既に国内の移動は解除されているので今キャンペーンやらなくても連休に行きたい人は行くし感染者が多い時に行かないは個人で判断できる。
国民が感染を恐れるあまり、過度に「自粛」しているために観光業界がいよいよ枯死しそうだからこそ、国が腰を上げたわけです。政策というものは国民の行動に追従すれば良いものではなく、ときに国民の行動が一方に偏っているからこそ、それを補完するために逆側に立つことが必要です。

とりわけ経済政策は、経済変動によって国民の経済活動が一方に偏り過ぎたときには、それを緩和するために敢えて国民の経済活動に逆張りを展開する必要があります。不況・恐慌時に需要が収縮すれば、むしろ積極財政を展開するように・・・Go Toキャンペーンは、一種の「積極財政」といってよいものです

「国民」という漠然とした集合概念を持ち出してその「危機感」とやらを代弁し、さも広い視野からモノを言っているように見せかけておきながら、実は極めて狭い視野でモノを言っていることがよくわかる一節です。

苦しんでいるのは観光業界だけでは無い」かも知れませんが、だからといって観光業界に救いの手を差し伸べない理由にはなりません。そんなに「他人が得すること」が「抜け駆け」のように見えて許せないのでしょうか?

だいたい「苦しみ」の程度が違うのではないでしょうか? 観光は需要サイドとしては「不要不急」の最たるものですが、供給サイドとしては、それでメシを食っている人もいる点において「必要至急」であります。経済学的に言えば、需要曲線は弾力的だが供給曲線が非弾力的なのです。

決して「呑気にキャンペーンやって(い)」わけではないでしょう。

半径数メートルの感覚でモノをいう、よくいえば「等身大」で悪く言えば「素人考え」で天下国家を語る世相を反映した言説であります。

■税と再分配の本質的理解の不足
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a1f8792a6767c79a683fd060538db742f6d6e97
GoTo東京除外「申し訳ない」 キャンセル代は「特段の対応しない」 官房長官
7/17(金) 12:20配信
毎日新聞

 菅義偉官房長官は17日の記者会見で、旅行需要喚起策「Go Toトラベル」事業から、「東京都発着」の旅行が除外されたことに関して、既に予約済みの旅行者らに対して「事業開始直前に東京都の感染者が拡大しているという現実の中で判断をさせていただいた。大変申し訳ない」と陳謝した。除外対象者の旅行のキャンセル代については「特段の対応は行わず、旅行会社にご判断いただく。国土交通省から観光業界に丁寧に説明を行っていきたい」と述べた。

(以下略)
2兆円近くの巨額の税金が投入される施策なのに、同じ納税者である都民だけが除外されるとは不公平だ。
都民は政府に金だけ取られて、感染源扱いされている事にもっと抗議していいのではなかろうか。
それを言うなら、富裕層に至っては常日頃からこんな状態。「取られる額」の方が多いところです。<それでも渋々払っているというのに、たまたま珍しく、たかが知れた金額の「損」に直面するや否や急に「不公平」とは、己の視野でしか物事を考えていない証拠であります。

近年、一般生活者層が生活保護受給者層に対して「国に養ってもらっておいて」といった具合にパワハラ的バッシングを展開しているケースが散見されますが、富裕層に言わせれば、「お前らだってオレたちが稼ぎをガッポリと持って行って、『公共財』だとか言いながら好き勝手に使いやがって・・・」といったところでしょう。

そもそも、「税」は本質的に収奪であり「再分配」は個人的損得勘定でいえばマイナスになることはザラにあるものです。
税と再分配制度に対する本質的理解が欠けていることが見て取れる反応です(ちなみに、この論題は、社会主義の哲学的探究を税金の哲学を通して解明しようと志している私の興味関心のド真ん中です)。いまや富裕層=本物のブルジョアでさえこの事実を受忍しているというのに・・・社会主義の実現においては、こうした非ブルジョア階級の「銭ゲバ」根性の叩き直しが課題になりそうです。

世相が良く反映された言説がザクザク出て来ますね。

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
http://rsmp.seesaa.net/tag/articles/%90V%8C%5E%83R%83%8D%83i%83E%83B%83%8B%83X%89%D0%82%F0%8F%84%82%C1%82%C4%E0t%82%E8%8Fo%82%B3%82%EA%82%BD%90%A2%91%8A
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2020年07月16日

Go Toキャンペーン反対論に見られる「日本的な風景」:リスク評価概念の欠如、二択主義、目標達成のための方法改善型・問題解決型思考の欠如

https://news.yahoo.co.jp/articles/01fbc9679ebdda755158e7faa9a2a64344c867ed
夏休みに旅行に行くかどうかも自分一人で決められないのか
7/15(水) 18:01配信
FNNプライムオンライン

あ、また日本的な風景だ
「GoToキャンペーン」についてガタガタ文句言ってる人が多いのを見て「あ、また日本的な風景だ」と思った。

このキャンペーンは新型コロナで疲弊どころか壊滅状態にある観光業を救うために税金1兆7千億円を使って国民に旅行に行ってもらおうという計画。自粛にうんざりしていた国民にとっても夏休みに一気に憂さを晴らせる機会なのだ。

ただ感染の再拡大で「行ってもいいのか」「受け入れてもいいのか」と双方が疑心暗鬼になっている。

旅行に行くかどうかかくらい自分で決めなよ
個人的な意見を言わせてもらうと、いい大人なんだから、行きたい人はルールやマナーを守り、リスクも取って行けばいい。怖い人は行かない。受け入れる方は、感染防止対策をして、リスクを取って受け入れればいい。怖い人は受け入れない。それだけのことではないのか。

だがどうやら日本人はそれではダメらしい。行っていいのか悪いのか、呼んでいいのか悪いのか、誰かに決めてほしいのだ。たぶん安倍首相に。

でもそんなこと決めるリーダーは世界にいない。そんなことしたら専制君主だ。民主国家ではない。民主国家ではそういうことは自分で決めるのだ。

でもたぶん日本人は自分でGoToキャンペーンに参加するかどうか決められない、誰かに決めてほしいと思っている甘ったれなのだ。

新型コロナで観光業が受けている被害は飲食業の比ではない。感染症が流行しても人々は飲み食いはするが、観光はしない。特に外国人観光客がまさに「一人も」入ってこないという状況は観光業にとっては悪夢だ。

(以下略)
■リスクと便益の科学的比較をしないかと思えば、ゼロリスクを夢想したりする「日本的な風景」
誰かに決めてほしいと思っている」人もいるでしょうが、コメ欄を見ていると、それ以上に「科学的必要性以上に感染拡大防止を徹底すべく、いよいよ引きこもりを始めようとしている」人が目につくように思われます。
国民の多くは、この状況で政府が感染を”助長”するような政策をとることに違和感を覚えている
日常の範囲で、ウイルス感染が広がるならまだしも、政府が流行していない土地にわざわざウイルスを持ち込むような人の移動を推奨する必要はないと言っているだけだ。
「GoToキャンペーン」推進派は必ず「感染防止対策の徹底」をセットにして主張しているにも関わらず、感染防止対策の具体的問題点を指摘するわけでもなく、ただ漠然と「主に東京都で感染が再拡大している」という理由だけで「一億総引きこもり」を提唱しているわけです。リスクが完全にゼロになることはありません。ある程度は残ってしまうリスクをどう引きうけるかが問題なのです。主に東京都での感染拡大(リスク大)のために、感染者増に歯止めがかかっている地域(リスクがゼロではないが、かなり小さい)を含む日本全国を巻き込む必要かあるのかという問題なのです。

科学的・具体的根拠に基づいてリスクと便益を比較するのではなく「その可能性がある」くらいで賛成・反対を決めるあたり、ゼロリスクを夢想しているあたり、これこそが「日本的な風景」というべきものです。

漠然とした可能性でいけば、「エボラ出血熱の東京大流行」や「宇宙人の地球侵略」もあり得るはずですが、それはスルーなんでしょうか?

科学的に全く無意味な「BSE全頭検査」を思い出さざるを得ない展開です。恐怖の感情が科学の説明を上回ってしまっているのでしょうか、「ケガレ」を徹底的に排斥しようとする日本人の伝統的思惟が現代によみがえったのでしょうか、ある程度は残ってしまうリスクを引き受ける勇気がないのでしょうか、それとも、リスクと便益を比較するという発想がそもそも欠落しているのでしょうか。

■「どうすれば、『目標』を実現できるようになるのか」の問題解決型思考がない「日本的な風景」
専門家は、次のように指摘しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2b7091b6d8c73996248479d064c64b1bbd6ec2dd
旅行自体は感染起こさず 「3密」回避が重要 尾身分科会長
7/16(木) 18:07配信
時事通信

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会長の尾身茂地域医療機能推進機構理事長は16日の経団連夏季フォーラムに出席し、政府の旅行需要喚起策「Go To トラベル」キャンペーンに関して、「旅行自体が感染を起こすことはない。新幹線でうつる可能性は極めて低い」と述べた。

 尾身氏は、感染が多いのは、大きな声で会話するようなレストランやホストクラブなどの「3密」になっている場所だと指摘。「『3密』の場所をできるだけ避けるとかなり(感染は)減る」と強調した。
冷静に考えれば、至極当たり前のことです。やはり新型と言えどもコロナウィルスなのだから、いわゆる「3密」の環境を避けることが肝心です。逆に言えば、「3密」を避ければ感染拡大リスクはかなり低くなります。

さすがにこれ以上、経済活動=生産活動=生きることそのものを停滞させるわけには行きません。他方、リスクはゼロにはなりません。「3密」を避ける形で観光モデルを創り上げざるを得ない段階にあるでしょう。それこそ「新しい観光様式」が必要なのです。

また、感染拡大が進む地域については、対象外にしたほうが良いとも指摘しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ee0e8b2210e1d73eccd2682379a25db560f56fba
尾身氏「感染拡大なら『Go To』やる時期ではない」
7/16(木) 16:47配信
産経新聞

 政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は16日の参院予算委員会で、同日夕の分科会で東京都などでの感染が拡大していると判断した場合は、観光支援事業「Go To トラベル」を実施すべきではないとの認識を示した。「感染が拡大しているということが判断されれば、今の段階で全国的な『Go To』をやる時期ではない」と述べた。
(中略)
 また、東京都医師会の尾崎治夫会長は「(感染が)確実に市中に広がってきている。首都圏や大阪周辺などは『Go To』(の対象地域)から外して、感染予防に取り組むことが正しい」と述べた。
(以下略)
東京や大阪で局地的に感染が拡大しているだけであって、それ以外の地方都市ではそのような傾向はみられていません。たとえば、近場の旅行であったり、宮崎県の人が秋田県に行くといった話であったとすれば、これは妨げる必要はないのです。

結果的に政府は、「一人負け」状態の東京都を除外する形でキャンペーンを実施することとしました。これが現実的な落としどころであると考えられます。

政府が途中まで「全国一律での実施」にこだわっていた事情があるとはいえ、しかしながら、政策目標自体は誰も文句を付けられない正しいものなのだから、反対派は問題の本質を掴んで外科手術的に「摘出」する論法を展開すればよかったはず。

にもかかわらず、「一律でやるかやらないか」の二択でしか考えられない人があまりにも多すぎました。「その『方法』ではできない理由・やるべきでない理由」ばかりを並べ立て、「ではどうすれば、『目標』を実現できるようになるのか」という方法改善型・問題解決型の思考が見られませんでした。観光業界は既に瀕死状態であるにも関わらず!

「一律でやるかやらないか」の二択でしか考えられない、「その『方法』ではできない理由・やるべきでない理由」ばかりを並べ立て、「ではどうすれば、『目標』を実現できるようになるのか」という方法改善型・問題解決型の思考がない・・・これもまた「日本的な風景」であります。

■「観光業界なんて、なんだったら無くてもいい」?
別の意味での「日本的風景」についても取り上げておきましょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/10017d84ab03ad7a2683011864d37414dd9d0726
「GoTo」反対署名、5日間で9万人超 「その予算を医療現場や被災地に」
7/15(水) 22:07配信
毎日新聞

 新型コロナウイルスの影響で落ち込んだ観光消費などを促すために政府が企画する「Go Toキャンペーン」の中止を求める署名が急増している。署名集め専門のインターネットサイトでは5日間で9万人を超える人々から賛同が集まっており、呼び掛け人は「今やるのは、全国にウイルスが拡散する可能性があり本末転倒。キャンペーンはやめて、その予算を医療現場や九州豪雨の被災地、旅行関係の中小事業者への支援に回して」と訴えている。【竹内麻子】
(以下略)
コンビニ24時間営業の是非に関する議論を思い起こさせる主張。「私には必要ないから、政策としていらない」論。「Go Toキャンペーンという形ではなく、観光業界への直接補助金に!」ならば筋は通りますが、「旅行関係の中小事業者への支援に回して」とはいうものの、なぜか「医療現場」や「九州豪雨の被災地」が紛れ込んでいる・・・総額で1.7兆円入ってくるはずだったのに、5000億円が医療機関に「横取り」されるわけです。それはそれ、これはこれでしょう。

「観光業界なんて、なんだったら無くてもいい」と内心思っている人が相当数いるようです。

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
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2020年07月14日

「私は」が先行すぎていて「事実として」が乏しい主観観念論としてのリベラリズムの克服へ、ブルジョア社会・資本主義社会の枠内での「改革」を超えて

https://news.yahoo.co.jp/articles/32d73e38ce9c986952bcd9e24ceb8ff2cfb42e96
選択的夫婦別姓はなぜ実現しない!? 非合理的な「改姓」制度について考える。
7/8(水) 20:12配信
VOGUE JAPAN

現在の民法のもとでは、結婚に際して男性又は女性のいずれか一方が必ず苗字を改めなければならない。夫婦同姓の文化が必ずしも悪いわけではないけれど、明治時代以降、別姓の選択肢も与えないまま法で規定している国は世界で日本だけだ。連載第5弾は、女性記者Kさんが自身の経験をもとに、改姓によるさまざまな影響について話してくれた。

(中略)
結婚してみて、ほかにも引っかかることがあった。まず、夫が戸籍上の「世帯主」となり、私は「続柄:妻」となったこと。結婚早々、上下関係が決定づけられたような気がして大きな抵抗感を覚えた。また、免許証やマイナンバーカードに旧姓を併記するための添付書類として、旧姓の免許証や住民票は認められておらず、わざわざ戸籍謄本を取る必要があった。細かいことだが、戸籍謄本は発行するのに700円の手数料がかかり、手続きには丸1日かかった。さらにパスポートの氏名変更となると6000円だ。改姓すると、時間もお金もかかるものだ……。区役所での手続き中、身体の奥底からふつふつと言い得ぬ怒りが湧いてきた。同姓か別姓かを当然の権利として選択できるようになり、夫婦間にもよりフェアな関係性が生まれることを願ってやまない。
(中略)
改姓にかかる無駄な手間やコスト、キャリア上の不都合などを、改姓する側=多くの場合女性にだけ課すことになる仕組みには、どうやっても納得がいかない。何より、慣れ親しんだ自分の名前が変わるという、アイデンティティにも影響を及ぼしかねない人生のビッグイベントを、さも当たり前のように受け入れていいはずがない。皆が納得して自分らしく生きられる社会を実現するためにも、さらに議論を盛り上げていく必要があると痛感している。

VOGUE JAPAN
最終更新:7/8(水) 20:12
夫が戸籍上の「世帯主」となり、私は「続柄:妻」となったこと。結婚早々、上下関係が決定づけられたような気がして大きな抵抗感を覚えた」からの「改姓すると、時間もお金もかかるものだ……。区役所での手続き中、身体の奥底からふつふつと言い得ぬ怒りが湧いてきた」――落ち着いてください。上下関係だなんて、封建時代ならまだしも、現代においてはそういう意味合いはないと思いますよ・・・なんといっても、多くの人は、伝統や慣習といったものをそう深くは考えておらず、往々にして単なる「前例踏襲」であり、特に意識されることなく何となく続けているに過ぎないのですから。

主観的に考えすぎ。「自分がどう思うか」ではなく「客観的にどうなっているのか」という視点を持つことをお勧めしたい反応です。

このあたり、昨今のリベラルな社会的ムーブメントに典型的かつ顕著に見られる大きな弱点です。「私は」という主観的見方が先行すぎていて、「事実として」という客観的見方が乏しいのです。

かくも客観性に乏しく、主観ばかりの言説を見ると、「非合理的な「改姓」制度」という主張も怪しく見えてきます。E.バーク以来の近代的な自由主義的保守主義は、中世から続く伝統・慣習について、幾世代にも渡って絶えることなく生き延びてきた事実こそが、その「世代を超えた生命力としての合理性」の証拠であるのに対して、限定合理的な一世代・個人がいう「合理性」など、「素人の思い付き」に過ぎないのではないかと指摘してきたからです。かくも思い込みが激しく、勝手に怒りを募らせている困った人がいう「非合理」など、信用に足るものではありません

振り返れば、たとえば20世紀に全世界的に隆興した「科学的自然改造」などは、まさしく限定合理的な一世代による「素人の思い付き」でした。一時期は確かに成果を挙げたように見えましたが、それから数十年たって世代交代を迎えた今日、とんでもないツケを後代は支払わされています。また、経済運営についても、産業革命以来の資本主義市場経済の「無政府性」を克服すると称して、意識的計画的な経済運営(計画経済)が20世紀には提唱され実践され、数理計画法などの科学的技法が大々的に活用されましたが、これもまた限定合理的な個人による「素人の思い付き」に過ぎませんでした。21世紀初頭のいま、人類は「合理性」を信奉してきた20世紀的思考から脱着しつつあります。

「合理性」という言葉を、「私が理解できる」という意味ではなく「事実から出発し、事実に合致している」という意味に引き戻す必要があります。このことはすなわち、主観観念論としてのリベラリズムの克服であります。

ちなみに、どうせ「私」ベースで行くのであれば、いっそ更にラジカルに「姓の廃止」を打ち出せばよいところ、そうはならない「中途半端さ」も昨今のリベラルな社会的ムーブメントの弱点というべきものです。以前から述べているとおり、この世のおよそあらゆる「制度的なもの」は、いづれも突き詰めれば「合理的」とは言い切れず、複数の選択肢がある中の一つがたまたま「均衡」に至っているのが実相(経済学における複数均衡論をイメージしてください)であります。

この点を見ても、昨今のリベラルなムーブメントが単に「私が理解できる」に過ぎないシロモノだということが分かります。

また、改姓の問題を「改姓にかかる無駄な手間やコスト、キャリア上の不都合」などと経済生活上の不都合に期するあたり、ブルジョア的卑しさも感じます。姓の問題はアイデンティティの問題・尊厳の問題・自主権の問題ではないでしょうか? 人々の社会政治的自主性を重視するチュチェの社会主義を信奉する立場として、切り口が誤っていると思えてなりません。

これが、ブルジョア社会・資本主義社会の枠内での「改革」が超えられない限界なのかもしれません。
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2020年07月13日

みっともない維新敗戦の弁

東京都知事選での維新系無所属・小野泰輔候補の惨敗について。得票率が10%に届かなかったのだから、これは客観的に見て惨敗と言う他ありません。

これについて、往生際が悪いというか、みっともない弁解が出てきています。それもなんと、吉村洋文大阪府知事から!
https://news.yahoo.co.jp/articles/e1f6372094a22a6cdacf0ebfeca6bfb570e6c46b
吉村知事 都知事選“惨敗”の小野泰輔氏に「他の野党と比べたらかなり健闘」
7/7(火) 13:52配信
デイリースポーツ

 大阪府の吉村洋文知事が7日、大阪府庁で会見。5日に投開票され、小池百合子氏に敗れた維新支援の小野泰輔氏についてコメントした。

 小野氏について記者から「(知事は)惨敗と言われたが、健闘した部分もあるのかなと。手応えは」と問われると、「小池さんと比べたら惨敗ですけど、他の野党と比べたら、かなり健闘したと思ってる」とうなずいた。

 「宇都宮さんは著名人で、何回も都知事選に出られてる方。しかも、立憲・共産の主要野党から支援を受けた。れいわも党首自らが出馬されてる中、熊本県副知事として行政の実績はあるが、知名度でいえば全く無名の小野さんを我々は推薦した。東京においては維新はなかなか支持が得られない状況があるが、山本さん、宇都宮さんと同じ土俵で選挙を戦うことができた。割って入る状況になれたことは大きな前進だと思う」と力を込めた。
(以下略)
いや・・・「ドングリの背比べ」の中でも唯一、得票率が10%に満たないのであれば、これは惨敗というべきでしょう・・・いくら「小野泰輔」を知らなくても維新を知らない人はいないはず。一時は世論調査で立憲民主党を越して「支持率野党第一党」になった維新であるにも関わらず、「維新ブランド」が通用せず、れいわ・山本太郎候補にも負けたわけです。振り返れば桜井誠候補だったのです(さすがに桜井氏の得票とは大差がついているけれども)。

かつて「大阪都構想」が住民投票で否決されたとき、維新創設者である橋下徹市長(当時)は、本当に僅かな差での否決であったにも関わらず「負けは負け!」と潔く認めてそれ以上はグダグダ言いませんでした(あれは立派でした)。それと比べると、吉村氏の総括は、かなりのみっともなさであります。どんな結果であっもコジツケ的に前進だと言い張る「共産党みたいな選挙総括」です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6c3b860d552cfaa4131b42a79855ce8a0cfed90f
吉村氏 都知事選「小池さん圧勝」維新支援の小野氏「惨敗」擁立せずの自民チクリ
7/7(火) 13:13配信
デイリースポーツ

 大阪府の吉村洋文知事が7日、大阪府庁で会見。5日に投開票され、小池百合子氏が再選された東京都知事選についてコメントした。

(中略)
 「僕と松井(一郎)さんとの選挙と違うのが、与党である自民党が候補者を出さない状況の選挙だった」とした上で、「そういった意味では自民党も、今から言っても仕方ないが、僕らには積極的に急きょの選挙でもきちんと候補を立てて、他の政党と一緒になりながら『維新つぶせ!』って一生懸命やるのに。今回は首都・東京で自らの候補者を出さなかったというのもどうかなと思いますけどね」と自民党をチクリ。

 「でも、そんな中でも小池さんがやられてきたことが圧倒的に支持されたということもあるから、自民も出せなかったというのもあるんじゃないですか」と付け足した。

(以下略)
自民党という党は、ながく与党として権力を掌握してきただけあって敵が多い党です。すべてについていちいち相手にしていられないほどです。それゆえ自民党は、「相手にすべき強敵」と「放っておいても構わない小物」を見分ける力を持っています

そんな自民党が、大阪であれば対抗馬を無理やりにでも繰り出してくるところ東京ではまったく無視してきたという事実が示唆することはあまりにも明白でしょう。東京における維新の党勢など、自民党にとってみれば取るに足らないものであり「放っておいても構わない小物」だということに他なりません

タレントのラサール石井さんのような「小物中の小物」のツイートに粘着質に付きまとう吉村氏(4月29日づけ記事参照)のことですから、自分が粘着質であるのと同様に自民党も粘着質だと思い込んでいるのかもしれませんが、さすがに自民党はそこまで暇ではないのです。

維新関係者ではありませんが、政治ジャーナリストの安積明子氏も、なかなかハチャメチャなゴマすり記事をアップしています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/47fcefb74307d22757f4cac16b21cbc610ab7db4
都知事選「真の勝者」は小池知事ではなく「日本維新の会」だった…!
7/9(木) 6:31配信
現代ビジネス

(中略)
意外な健闘を見せた「日本維新の会」
 一方で都民ファーストの会が台頭した煽りを喰って議席を激減させた自民党は、今回の都議補選で4選挙区の全てで勝利を収めた。しかし意外な健闘を見せたのが、日本維新の会だった。

(中略)
 その結果、予想を上回った健闘となった。小野氏は61万2530票を獲得し、供託金没収ラインとなる有効投票総数の10%を突破できなかったものの、昨年の参議院選で東京都選挙区に出馬した音喜多氏が獲得した52万6575票を8万6000票も上回ったのだ。
(以下略)
共産党が負けたときのロジックそのもの。本当にそのまま。

まず、昨年の参院選で東京都選挙区に出馬した音喜多氏の得票数と今回の都知事選での小野氏の得票数は比較できません。首長を選ぶ都知事選と議員を選ぶ参院選はまったく別の性質の選挙であり、投票動機が同一とは言えません。異なる性質のものを単純に比較することは出来ないのです。

また、「8万6000票も上回った」といいますが、有権者数及び投票率が異なる選挙同士の比較は、投票実数ではなく得票率で比較すべきであります。

安積氏は二重に過ちをおかし、ハチャメチャなゴマすり記事を書いているわけです。

ところで、再三の指摘になりますが、そもそも都知事選と参院選は比較できませんが、敢えて安積氏の土俵に乗っかって両選挙を同種のものと見なして、その上で得票率で比較してみましょう(敢えて無意味なことをしてみる)。参院選での音喜多氏の得票率は9.16%、都知事選での小野候補の得票率は9.99%でした。その差は+0.83%になります。今回の立花孝志候補(ホリエモン新党)の得票率が0.72%なので、それより少し多いくらいです。0.83%の民意を軽視するわけではありませんが、しかし、果たしてこれは「前進」のうちに入るのでしょうか・・・繰り返しになりますが、いくら「小野泰輔」を知らなくても維新を知らない人はいないはずであります。

こんなようでは、ダメでしょう・・・いっそ橋下氏が再登板した方がよろしいのでは?
ラベル:政治
posted by 管理者 at 22:31| Comment(2) | 時事 | 更新情報をチェックする

2020年07月11日

コロナパニックの裏返しとしての「キレイな独裁」論

ちょっと古い記事ですが。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202006230000573.html
堀江氏ら、NHK世論調査結果に「めっちゃやばい」
[2020年6月23日18時53分]

ホリエモンこと実業家の堀江貴文氏(47)らが、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、政府や自治体が外出禁止や休業を強制できる法改正が必要だとする声が約6割にのぼったとしたNHKの世論調査の結果に懸念を示した。

(中略)
フリーアナウンサーの長野智子は、この調査結果に「うそでしょ。。」と驚き、ジャーナリストの津田大介氏は「みんな管理されたい欲望が強いんだね……」とツイートした。
■民衆は「管理されたい・支配されたい」わけではないのでは?
民衆は管理されたい・支配されたいわけではなく、「清廉潔白・公平無私なる救世主な権力が正確無比に強権を振るい、国民の命と生活を守り抜く」ことを求めているのだと思われます。「新型コロナウィルス対策を鮮やかに展開し、パンデミック下であっても憂いなく過ごしたい」という強い願望が国家権力に託されたわけです。

たとえ「手法」が管理国家的であったとしても、自分たちが「求めるもの」を過不足なく正確に実現してくれる限りでは、それは「民主」だというのでしょう。強権や独裁的な体制が「悪」とされるのは、それが権力者自身の私利私欲の追求が第一目標になるときであって、そうでないときは必ずしも「悪」とは言えず、国民の利益を仮借なく実現してくれるのであれば、むしろ強権であった方が好ましいとさえ考えているのかも知れません。

■パニック・ヒステリーの裏返しとしての救世主・強権待望論
新型コロナウイルス禍を巡るここ数か月の世論は、社会的なパニック・ヒステリー状態が続いてきたと総括することができるでしょう。そしてその裏返しとして、「清廉潔白・公平無私な権力が正確無比に強権を振るい、国民の命と生活を守り抜く」ことが渇望されてきたと言えるでしょう。

たとえば、まだマスク不足騒動が起こる以前、マスクの有効性が議題になっていた頃を思い起こしましょう。医師等専門家の意見を基に行政が、感染予防の基本中の基本である「手洗い・うがい・マスク」の重要性を改めて周知したところ、少なくない人々が「未知の新型ウィルスだというのに、その対策が『手洗い・うがい・マスク』だなんて信用できない!!」と騒ぎたてました。他方、「27度程度のぬるま湯でコロナが死ぬ」などという出所不明の明らかに胡散臭い話に飛びつく人たちが一定数見られました。

新型コロナウィルスは「新型」であり未知の部分が多い疾病であるとはいえ、大きく分類すれば「コロナウィルス」なのだから、そこから大きく外れることはありません。また、体温よりも低い温度のお湯を呑んで病原性ウィルスが不活化するなどあり得ない話です。それゆえに、「手洗い・うがい・マスク」が基本になるのは間違いのないことです。落ち着いて考えてみれば、ただちに分かることです。

最近でも、こんなコメントが投稿されています(朝日新聞デジタル 7/2(木) 5:00配信「東京、コロナ警戒の数値基準撤廃 幹部「経済持たない」」のコメント欄)。
新型コロナ騒ぎで、初めて心底から
日本の行政って本当に信用できないし能力ないんだ、と思い知った。

そして責任の所在を曖昧にする事には長けていて、未曾有の災難の中でも、税金からずる賢く儲けようとする輩が暗躍する事も。

自分の名誉や利権や権力を守る事じゃなくて、
本当に国民の命を思う政治家っているんだろうか?
なんか絶望してしまう。
後知恵的な「こうするべきだった」さえもなく、漠然と「本当に信用できないし能力ない」と断じているあたり、どうしようもない不安で滅多矢鱈に騒ぎを起こしているのが実態であると言えそうです。

こうした世論反応を振り返るに、新型コロナウィルスに恐れ戦く人々は、その不安を解消するために「魔法」のように良く効く事態打開策を渇望していたものと思われます。不安が大きくなればなるほど、更に大胆に事態を打開してくれる「奇跡」を求めるようになり、結果として「奇跡」を起こしてくれる「救世主」の登場を渇望するようになったものと思われます

しかし、行政の担当者は、社会的分業・社会的専従としての専門性を持っているとはいえ「人間」「魔法」や「奇跡」など繰り出せるはずがありません

無責任なポピュリスト連中でさえ「こうすればコロナは退治できる!」や「こうすればマスクや消毒液不足は解消され、病床は確保され、収入は保障され、パンデミック下でも憂いなく生活できる!」などという魔法的な施策は提案できませんでした(収入保障については、「打ち出の小槌」があるかのように主張する手合いもいましたが、それでも控えめでしたよね)。つまり、そういうことなのです。魔法などないのです。

それゆえ、パニック・ヒステリー状態にある人たちの欲求が満たされることはありません。願望の強さの裏返しとして、「魔法」が効かなかったときの失望は大きくなるもの。そんなわけで、感染予防の基本的所作に対して「未知の新型ウィルスだというのに、その対策が『手洗い・うがい・マスク』だなんて信用できない!!」などという錯乱した主張が展開されたり、具体例も後知恵の批判もなく漠然と「新型コロナ騒ぎで、初めて心底から日本の行政って本当に信用できないし能力ないんだ、と思い知った」などというコメントが出てきたものと思われます。

今回の世論調査結果は、こうした文脈で解釈すれば極めてスンナリと消化できるものです。依然として国民は、「救世主」を求めているわけです。強権を私利私欲のために使うことは許されないが、救世主が「国民の命を守る」ためであれば、強権を振るうことはむしろ歓迎すべきことであり、それが仮に独裁的な手法であったとしても、「キレイな独裁」ということなのでしょう。

■日本でも「スターリン待望論」的現象が起こった
こうした現象は、世界的に見てもよくあることです。たとえば近年ロシアではスターリン人気・スターリン待望論が再燃していますが、これは、プーチン政権下における腐敗と不条理への不満の裏返しとして、「強く断固とした指導者」としてのスターリンの「イメージ」に期待が集まっているためであるとされています。もちろん、スターリンは清廉潔白・公平無私・正確無比とは無縁の暗黒腐敗・私利私欲・無知蒙昧というべき究極の俗物でした。

社会的なパニック・ヒステリーは、政府に対する過度な期待及び強権の容認、並びに科学的見解に対する反発及び迷信的行為の発生の原因です。歴史的に見てその例は枚挙に暇がありません。そしていま、その一例が人類史に付け加わったわけです。日本でも「スターリン待望論」的現象が起こったわけです。

■「職人気質的に黙々と仕事を進めてはいなかっただろうか」という振り返りは必要かも
パニック・ヒステリーの裏返しとしての救世主・強権待望論が、かかる世論調査の結果をもたらしたとなると、事態の根底にはパニック・ヒステリーがあるだけに、こうした風潮を抑えることは難しそうです。パニック・ヒステリーは、すべての道理を押し流してしまうからです。

ところで、「魔法」のような解決策を平気で口にする手合いは、必ずしもパニック状態であるとは限りません。それなりに「冷静」でありながらも、本気で「魔法」があると思っている手合いもいるものです。

平たく言ってしまえば「無知」以外の何物でもないのですが、チュチェ106(2017)年9月19日づけ「実作業に関する知識に乏しく、相場を知らない発注元企業が外注業者に「無理な発注」を控えることはできるのか?」においても書きましたが、社会的分業が高度化し、自分が従事しているもの以外の仕事の進め方がブラックボックス化している現代。「消費者意識」が妙な方向に肥大化−−「丸投げ」が当然視され、また、「お客様」であればどんな要求でも許されるとでも言わんばかりの風潮−−している現代においては、根の深い問題です。

社会的分業が高度化した現代社会においては、「ヨソ者は、自分の仕事のことがよく知らないので、時に安易に過大な要求を吹っかけてくるものだ」という心構えを持つ必要があります。そして「コレをやるにはコレだけの時間と費用が掛かる」ということをオープンにする必要があります(まあ、実際の商売においては「力関係」があるので、これを貫徹するのは難しいんですけどね・・・)。

その点、「行政側の発信が十分だったのか」「職人気質的に黙々と仕事を進めてはいなかっただろうか」という振り返りは必要かも知れません。もちろん、パニック・ヒステリー状態の世論に聞く耳があるとは思えず、また、ワイドショーを中心としたオールド・メディアが扇動的な報道を氾濫させていた以上は、仮に発信していたとしても難しかったとは思いますけどね・・・

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
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2020年07月08日

新型コロナウィルス禍と集団主義の哲学的解明問題:キム・イルソン同志逝去26周年追悼

https://news.yahoo.co.jp/articles/08051474d6bad70b1ad1448891cc31b480ced48f
コロナ禍でも出社した経理部の女性 不安に駆られ、社内でも「不公平」感じた日々 【#コロナとどう暮らす】
7/5(日) 8:05配信
BuzzFeed Japan

「本音はもちろん、テレワークがいいですよ。でも、出社しないとできない仕事ですから」。愛知県の専門商社で働く20代の女性は言う。所属部署は、経理部だ。たとえ社内が変わったとしても、やりとりする他社が変わらないと、いつまでも出社しなければいけないことになる。業務の効率化を図るためにも、社会全体で紙や印鑑を使う慣習を捨て、電子化してほしい。彼女はそう願っている。【BuzzFeed Japan / 瀬谷 健介】

(中略)
「不公平だなと思っていた」
会社は経理部門にも目を向け、書類を自宅に持ち帰ることを許可。テレワークが認められたという。

しかし、書類を紛失することなく、しっかりと管理ができるなら、という条件付きだった。

ただ、それでも彼女がテレワークを経験した日は少なかった。女性は、BuzzFeed Newsに話す。

「私は、銀行と関わることが多いので出社しないといけなかったんです。同じ経理部内でも、社内で完結できる人はテレワークができていました」

新型コロナウイルスに感染しないか。そんな不安に駆られながら出社した。仕事の都合で出社しなければならなかった彼女は、友人たちから「要注意人物」というレッテルも貼られ、嫌な気分になりもした。

「仕方ないと思いますが、社内で差が生まれ、不公平だなと思っていました。紙や印鑑とか、時代的にも古いですし、業務を進める上でどうしても進捗が遅くなります」

「コロナのことを抜きにしても、電子化したらやりやすいですし、管理する上でもミスが減り、効率的になって生産性が上がると思っています。社会全体で古い慣習が変わり、無駄なものをどんどんなくしてほしいですね」

(以下略)
これは「不公平」という言葉で表現するべきことなのか・・・単なるボヤキのようなもので詳しい状況がまったく伝わってこないので正確な論評は出来ませんが、たとえば、経理部門に対する投資が他部門に比べて乏しいというのであれば、「不公平」という指摘は当たっているといえるでしょう。

しかし、単に「みんなはリモートなのに、自分だけ・・・」くらいの理由でしかなく、上述のような分析がないのであれば、「そりゃ部門・仕事が違いますからねぇ・・・」とせざるを得ないでしょう。

新型コロナウィルス禍の経験以降、日本社会は以前とは異なり、少しずつではありますが、このように「不公平」を公然と口にするようになってきました。そしてそれと関連して、補償や保証、保障を自分から公然と要求する声も出てくるようになって来ました。いままではいずれも、自分から口にすることは憚られる内容でした。

「出る杭を叩く」文化であり、それゆえに「空気」を読む日本人なので、不公平感や補償等要求は以前から内心では思っていつつも口にできずに来たが、この非常事態にかかる「空気感の動揺」に乗じて噴出してきたのかもしれません。

しかし、いままで口にすることさえ憚られてきた事柄であるだけに社会的な議論の蓄積が乏しく、「それは不公平なの?」や「どういう根拠でそこまでの補償等を求めるの?」と疑問に思わざるを得ないような言説も見られるところです。「みんなはリモートなのに、自分だけ・・・」くらいの理由でしかない不公平感であったり、あるいは、事業継続に必要な最低額や従業員の生活維持に必要な最低額を超える「売上の完全な補償」を要求する言説などです。

下手をするとデュルケーム的意味でのアノミーの萌芽にもなりかねないものです。個人と集団の関係を定立させる必要、言い換えれば集団主義の哲学的解明が喫緊の課題になってきたと言えそうです。以前から申し述べてきたとおり、日本の自主化を目指す立場からチュチェ思想・チュチェ哲学を探究し、日本流の経路で社会政治的生命体の構築を目指す者として、この問題は関心のド真ん中であります。

ところで今日は、偉大な首領:キム・イルソン同志逝去26周年の日です。首領様の教えを基礎としてチュチェ思想を継承・発展させる決意を新たにするものです。
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2020年07月06日

2007年東京都知事選挙の再現

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200705/k10012497581000.html
東京都知事選 現職の小池百合子氏 2回目の当選
2020年7月6日 3時01分

過去最多の22人が立候補した東京都知事選挙は、現職の小池百合子氏(67)が、2回目の当選を果たしました。

東京都知事選挙の結果です。
▼小池百合子、無所属、現。当選。366万1371票。
▼宇都宮健児、無所属、新。84万4151票。
▼山本太郎、れいわ新選組、新。65万7277票。
▼小野泰輔、無所属、新。61万2530票。
▼桜井誠、諸派、新。17万8784票。
▼立花孝志、諸派、新。4万3912票。
▼七海ひろこ、諸派、新。2万2003票。
▼後藤輝樹、諸派、新。2万1997票。
▼澤紫臣、無所属、新。2万738票。
▼西本誠、諸派、新。1万1887票。
▼込山洋、無所属、新。1万935票。
▼平塚正幸、諸派、新。8997票。
▼服部修、諸派、新。5453票。
▼齊藤健一郎、諸派、新。5114票。
▼市川浩司、諸派、新。4760票。
▼内藤久遠、無所属、新。4145票。
▼関口安弘、無所属、新。4097票。
▼竹本秀之、無所属、新。3997票。
▼石井均、無所属、新。3356票。
▼長澤育弘、無所属、新。2955票。
▼押越清悦、無所属、新。2708票。
▼牛尾和恵、無所属、新。1510票。
(以下略)
都知事選について。ネット上では大盛り上がりだった山本太郎候補が惨敗。「東京に地盤のない大阪の地域政党が送り込んできた落下傘候補」(維新系無所属・小野泰輔候補)と大差ない票数しか得られませんでした。もちろん、現職・小池百合子候補の足元にも及びませんでした。

ネット上での盛り上がり傾向と実際の得票傾向はまったく異なる・・・この展開、13年前の2007年東京都知事選挙を思い出します。

当時は民主党が勢いをつけつつある時期で、民主党・社民党推薦の浅野史郎候補がネット上の左派・リベラル派に強く推されていました。当時はブログ全盛期だったので、多くの左派・リベラル派が著名なトラックバックリストに自らの執筆した記事のトラックバックを送信していましたが、あのトラックバックリストを見る限りは、浅野候補熱は尋常ではなかったことは確かでした。「ひょっとすると石原都政を打倒できるのでは・・・?」と勘違いしそうになるほどの「熱量」でした。

しかし、実際に蓋を開けてみれば、浅野候補の得票数は、同じく「反石原」の旗幟鮮明だった吉田万三候補(共産系無所属)の得票数を足しても石原候補の得票数に遠く及ばない結果に終わりました。

冷静に振り返ってみれば、当時リアル世界では浅野候補熱はまるで盛り上がっていなかったので、石原候補の完勝は当然の結果ではありました。しかし、それにしてもネット上の「熱量」と実際の「熱量」の違いは著しいものでした。「同じ世界に対する情勢分析が、ここまで違うものになるのだろうか」と驚きを禁じ得ないものでした。ネット世論が如何に現実世論から遊離しているのかが明々白々に示されたものでした。

今回の山本候補熱も、Twitter上のトレンド等を見る限りは、かなり盛り上がっていました。しかし、蓋を開けてみれば落下傘候補・維新系無所属の小野候補と大差ない結果・・・「2007年の再現」という印象を禁じ得ません今回もまた、ネット世論と現実世論との乖離を示しているのではないでしょうか

「東京に地盤のない大阪の地域政党が送り込んできた落下傘候補」だった維新系無所属・小野泰輔候補について。

候補者本人の知名度云々を敗因にする言説もあるようですが、よほど顕著な実績がない限りは、新人候補者には知名度がないので、支持・推薦する政党等のネームバリューがモノをいいます。いまでこそ個人として知名度と人気を持っている吉村洋文・大阪府知事だって、はじめは「維新だから」当選したわけです。また、都知事選挙においては、「宮崎県の元知事」(東国原英夫氏)でさえダメだったのだから、「熊本県の元『副』知事」の肩書ではますます勝機は乏しかったでしょう。

その点、山本候補とドングリの背比べを展開した小野候補の得票は、すなわち、東京における維新に対する支持そのものであると言えるでしょう

落下傘候補の「維新系無所属」小野候補と同程度しか得票できなかった東京を地盤とする「れいわ」山本候補がヤバいのか、どうしても胡散臭さを払拭できない「れいわ」山本候補と同程度しか得票できなかった「維新系無所属」小野候補がヤバいのか・・・どちらでもあるとも言えそうです。
ラベル:政治
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2020年07月05日

「レジ袋有料化」を無邪気に推す「建前・宣伝・格好つけを真に受けすぎている、お人よしな社会運動」を乗り越えて

ブルジョア的小賢しさに満ちた「ええかっこしい」の魂胆がミエミエであり、また、問題解決の本質から外れたパフォーマンスに過ぎない「レジ袋有料化」が始まりました。

義務化されてしまったので仕方ないとは思いつつも、冷ややかな反応が見られます。そりゃそうでしょう。営利事業などもっと斬り込むべき部分はあるのにその点には頬かむりし、論点ずらし的に本質的でないトコロを槍玉に挙げつつ、さも環境保全に注力しているフリをしている小賢しい手合い、及び、その程度のパフォーマンスを真に受けているアホな手合いに、生活者は冷ややかな視線を送っているわけです。

エコロジー運動やSDGsを「道徳問題」として捉える向きがここ数年、隆盛を極めており、それゆえに「お人よしの観念論者」が大挙して参画しているところですが、レジ袋問題もまさしくその典型的な様相を呈していると思われます。一言で言えば、「建前・宣伝・格好つけを真に受けすぎ」ということです。これに対して生活者は割と冷静である・・・そうした構図が明確にあらわれているように思います。

キム・ジョンイル同志は「帝国主義の侵略と略奪政策は社会制度に基礎を置いているため、大統領が代わったからと言って何か「理性」的な帝国主義になるものではありません。誰が大統領になるかによって帝国主義が侵略的になったり、そうではなくなるなどと見てはなりません。歴代帝国主義国の大統領は、独占資本家の利益の代弁者でした」とおっしゃいました。ブルジョアの資本主義は、弱小国を搾取するのと同様に自然環境も強度に搾取してきた点において、ブルジョアの資本主義が「環境問題」に真に取り組めるはずがありません

レジ袋を有料にすることが環境保全につながるという観念論的な見解は、いったいどういう思考回路から出てくるのでしょうか? 下記には、その答えが示されているように思われます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/361c54fae1e478c000d346c7421a59d653a8b195
7月からレジ袋が有料化 「脱プラスチック」に向けて
7/4(土) 20:22配信
TOKYO MX

TOKYO MX(地上波9ch)朝のニュース生番組「モーニングCROSS」(毎週月〜金曜7:00〜)。6月19日(金)放送の「オピニオンCROSS neo」のコーナーでは、化学講師の坂田薫さんが“脱プラスチック”について述べました。

(中略)
◆脱プラスチック! まずは小さなことから
そんなバイオマスプラスチックのなかでも注目されているのが“お米”。すでに、ホテルのアメニティの歯ブラシなどに使われ、それは見た目も感触もプラスチックと同じですが、コストが少し高くなってしまうため、空洞をあけるなどして材料を減らすことで価格もプラスチックと同じにしているそうです。

最後に坂田さんは「(脱プラスチックを)小さなことから始めてみよう」と提案。それこそ使い捨てマスクにもプラスチック原料が含まれているため、今すぐに全く使わないというのは難しいので、「エコバッグを持ったり、バイオマスプラスチックの製品を買ったり、まずは小さいことから始めてみませんか」と訴えていました。

番組では、視聴者に「来月以降もコンビニのレジ袋を使いますか?」というテーマで生投票を実施。結果は以下の通りです。

◆来月以降もコンビニのレジ袋を使いますか?
使う……1,032票
使わない……1,761票

最終更新:7/4(土) 20:22
TOKYO MX
「小さなことから始めることが社会全体を変える」という観念論の手本のような言説。この発想の正体を余すところなく示していると思われます。

昨年10月21日づけ「グレタ・トゥンベリさんを持ち上げている場合ではない」でも書きましたが、「人間が意識を変え行動を変えれば社会システムが変わる」という想定は、物事を個人レベルに還元し過ぎています。人間が意識を変え行動を変えることで達成できるのは、あくまでも個人レベルの課題に留まります。脳味噌一個・腕二本・脚二本で出来得る仕事の範囲は限定的なのです。

社会システムはもっと巨大で、社会的の課題は個人レベルの課題とは質的にまったく異なります。当然、解決方法も異なります。「啓蒙され覚醒した個人」が足並みを揃えて個人レベルで最適な行動をとったからといって、それで社会全体が最適化されるわけではないのです。

「小さなことから始めることが社会全体を変える」という言説は、ミクロレベルでの思考・方法論をマクロレベルに不適切に適用しているわけです。そして、人間が「意識」を変え行動を変えることによって、具体的にどのような経路をたどって社会システムが変わってゆくのかが曖昧で描き切れていないので、具体性のない空想・単なる観念論になってしまうのです。

この辺りが、建前・宣伝・格好つけを真に受ける最近の「お人よしな社会運動」の特徴だと思われます。レジ袋は、有料化したところで大勢に影響のないことなので、はっきり言ってしまって「どうでもいい話」ですが、世の中には宣伝を真に受けるアホが割といるようだということが分かりました。中学生のような純粋な正義感といえば聞こえもいいかも知れませんが、いい歳して中学生のそれの水準で留まっていては困ります。

こうした事実を踏まえたうえで、科学的に社会運動を構築・展開する必要があるでしょう。
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2020年07月03日

世相を反映する典型的「陰謀脳」について

https://news.yahoo.co.jp/articles/a5d8dcf99e632bde574bb21772e4a41eab58c995
摩訶不思議、都知事選連動で上下する「感染者数」
7/3(金) 6:01配信
JBpress

 あまりこういうことは書きたくないのですが、ちょっとおかしいと思いましたので、率直に記します。

 7月2日、東京都の新規コロナ感染者は107人と、5月の連休以来の「100人超え」と派手に喧伝しています。

(中略)
 投票日直前の週、7月1日から評価指標を変え、翌2日は投票日の3日前ですが感染者が100人超え・・・こうした数字はどれくらい客観的なのか? 

 率直に申すなら、かなり恣意的にコントロールされているのではないか、という疑念を、客観データから抱かざるを得ないのです。

 検査数を増やせば、陽性者数は増やすことができる。検査の総数を減らせば、当然ながら新規感染者も減る。

 コントロールは匙加減次第、自由自在の側面があることを、最初に指摘しておきます。

(中略)
■  何が「本当のデータ」なのか? 

 この原稿は7月2日の午後、新規感染者が107人との「報道」が出たので、これはあまりだ、と思って緊急出稿しているものです。

 なぜ「東京都知事選」投票日直前の「木曜日」に危機感満点の報道が、選挙活動などではなく「事実報道」のごとくして、このように流布されているのか? 

 こののち、金曜、土曜とどのような「推移」をデザインして、日曜日の投票日に向かうのか。

 上記「東京アラート」ならびに「都知事選公示」と同期する、感染者数推移の「不思議な数字」を単にデータをグラフとして示すことだけで考察してみました。

 それ以上、あれこれの詮索をあえて私はここに記しません。

 すべて「偶然」と官僚答弁で逃げ切ることもできる、でも、仮に偶然であるとしたら天文学的に僅少な確率でしか起きないような挙動は、現実に観察されている。

 あまりといえばあまり、と言わざるを得ない現状であることは、間違いありません。

伊東 乾
あれこれの詮索をあえて私はここに記しません」としてはいるものの、文脈的に見て主張はあまりにも明白であります。そしてその内容は、典型的な「陰謀脳」というべきものです。

特に、「データが操作されている」という証拠が、コジツケ的なものでさえ提示されていないのが特筆的でしょう。昔の陰謀論は、眉唾的であっても一応は「証拠」とされるモノがあったのに、それすらもありません。かつての陰謀論は、ほとんどの場合、論理的誤謬、針小棒大または曲解、甚だしくは捏造による「証拠」でしたが・・・でもそんなのさえも提示できないって・・・ただ「自分の脳味噌では理解できない」「怪しい気がする」という理由だけで作為的な謀略の存在を描く点において、本件は近年の「陰謀脳」の典型例というべきものです。

作為的の存在を直感的に疑うこと自体を否定しているわけではありませんが、しかし、普通はそうした「直観的疑い」は、多少なりとも他人を説得し得る論拠を見いだせたときに初めて口にするもの。そうでなければ、自分のバカを晒すだけであります。まさに、「北朝鮮」ネタで恥をさらし続けるパク・トゥジン氏のように(昨年7月17日づけ「「合理的推理」の「理」は、「当事者にとっての理」も含まれる」参照)。

証拠の存否を飛躍させてしまうほどに日本言論は劣化しているのか、はたまた、簡易的な検証もせずに「直観的疑い」を公言してしまうほどに発信行為が安易なものになってしまっているのか・・・どちらもありそうですね・・・

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
http://rsmp.seesaa.net/tag/articles/%90V%8C%5E%83R%83%8D%83i%83E%83B%83%8B%83X%89%D0%82%F0%8F%84%82%C1%82%C4%E0t%82%E8%8Fo%82%B3%82%EA%82%BD%90%A2%91%8A
posted by 管理者 at 19:46| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2020年07月02日

またしても、経済活動を「金儲け」ぐらいにしか考えていない素人が沸いてきた

https://news.yahoo.co.jp/articles/fab51b6d6652b333799178669c6896e5654455e2
都と緊密に連携、直ちに緊急事態宣言出す状況に該当せず=菅官房長官
7/2(木) 17:19配信
ロイター

[東京 2日 ロイター] - 菅義偉官房長官は2日午後の会見で、東京都で同日、新たに新型コロナウイルスの感染者が107人確認されたことに対し、東京都と緊密に連携を取っていくとの見解を示した。その上で、直ちに緊急事態宣言を出す状況に該当するとは考えてないと指摘した。

(以下略)
コメ欄。
菅さん、政府は国民の利益と命を守るのが使命。
税金で国の収入を得るのが高的では無い。

国民の代表であるが自民党の利益の為に
行うのであれば政権を退いて頂きたい!
4月上旬に「経済活動よりも命を守ることを優先すべきだ!」などと騒いでいた手合いが再び息を吹き返し始めたようです。またしても、経済活動を「金儲け」ぐらいにしか考えていない素人が沸いてきました。

偉大な領導者:キム・ジョンイル同志は「人間は労働によって自分の生活に必要な物質的・文化的富を創造する」と教えておられます。生存の前提に消費があり消費の前提に生産があるわけです。働くということは、生きることそのものなのです。

だいたい、国家権力は、いざとなれば国民に対して躊躇なく強権を振るって尻の毛さえも毟り取るもの。「権力ファースト」な権力者であればこそ、税収確保のためであっても社会不安=権力不安の種を自ら撒くはずがありません。特に、感染症危機のような人為的コントロールが効かない類の社会不安を権力者は極力避けたがるものです。

それゆえ、「権力ファースト」な権力者であればこそ「税収のため」であれば、ロックダウンした上で税金だけはしっかり取ってゆくはずです。国家権力が国民の社会経済活動の規制に消極的だからといって、それは必ずしも「税収のため」ではないのです。

政府の「邪な思惑」を自分では見抜いているつもりなのかもしれませんが、詰めが甘い陰謀論でさえこの程度でしかないとは、いままでの日本がとても「安定」した「豊か」な国であり、国民が浮世離れしていたことを逆に証明しているとさえ言えそうです。

【新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相 関連記事一覧】
http://rsmp.seesaa.net/tag/articles/%90V%8C%5E%83R%83%8D%83i%83E%83B%83%8B%83X%89%D0%82%F0%8F%84%82%C1%82%C4%E0t%82%E8%8Fo%82%B3%82%EA%82%BD%90%A2%91%8A
posted by 管理者 at 21:47| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする