2020年08月27日

維新「教祖」橋下氏が助長する「親方日の丸精神」:「政治的判断」とは

だいぶ前の話ですが・・・
https://news.yahoo.co.jp/articles/2e34c470fa459558e46863ff24e740fc42178bf9
橋下氏 都の時短要請に「緊急事態宣言のない段階でバリバリの私権制限」「異常事態」
8/4(火) 15:49配信
デイリースポーツ

(中略)
橋下氏は「緊急事態宣言は私権の制限を伴うので慎重にとか、特措法改正には時間がかかるとか言っている者が多いが、緊急事態宣言のない今の段階で、バリバリの私権制限が行われている。異常事態だ」と問題提起した。

 さらに、同氏は連続投稿。「お願いの体裁で補償もなく営業の自由を侵害するなら、命令の形にして補償をきっちりと行うべきだ」と提言し、「そのためには至急、法律改正が必要だ。ただちに特措法改正のためだけの国会を開くべき。今のような国民の権利侵害が続くことは許されない」と訴えた。
たしかに憲法の問題としては、頷ける有力な主張ではあります。橋下氏以外にもこのような指摘を行っている方はおり、橋下氏オリジナルの政策案ではありません。

ただ、これを実際の政策として実現させ運用させるとなると、単に法的整合性の問題だけを考えればよいわけではありません。果たして橋下氏は、ここ数十年間でまれにみるレベルの「親方日の丸精神」の再興をどのように考えているのでしょうか?

以前にも述べましたが、補償や保証、保障については、いままで口にすることさえ憚られてきた事柄であるだけに社会的な議論の蓄積が乏しく、それゆえ最近は「それは不公平なの?」や「どういう根拠でそこまでの補償等を求めるの?」と疑問に思わざるを得ないような言説も見られるところです。下手をするとデュルケーム的意味でのアノミーの萌芽にもなりかねないものです。

維新は、「自立した個人」を理想像とする政党です。そんな維新の「教祖」たる橋下氏の言説が、その理想の対極にある「親方日の丸精神」を不用意にも助長するような言説を展開しているわけです。

本件は、憲法の問題としては頷ける有力な主張であるだけに、単なる法的整合性を超えて社会全体を見据えた利害調整のうえでの「政治的判断」をすべき話題ですが、まあ、たぶんそこまで深くは考えていないんでしょうね。
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2020年08月12日

リベラリズムから破邪顕正主義へ

https://news.yahoo.co.jp/articles/ee1eb73c121c382a16955bcd901f3d59079c4f0f
「女らしく、男らしく」育て方6割賛成 性差で役割分担の意識根強く 京都・向日市調査
8/3(月) 11:27配信
京都新聞

 京都府向日市が実施した調査で、回答者の6割が「女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしく育てる」ことに賛成していることが分かった。心と体の性が一致しない「トランスジェンダー」への理解など、多様な生き方が模索される中、性差による役割分担の考え方が根強いことが明らかになった。

(中略)
 子どもの育て方については、それぞれの性別らしく育てることに「賛成」「どちらかといえば賛成」と答えた人が61・8%(男性71・4%、女性56・3%)。女性の10代、20代以外は、賛成と答えた人の方が多かった。

 ほかには、男女の平等感に関する設問では、家庭生活や職場、地域などで、男性が優遇されていると答えた人が5年前に行った前回調査より、それぞれ増加した。一方、「夫は仕事、妻は家庭を守るべき」と思っている人の割合は37・1%で、前回比2・1ポイント減少。53・2%の人が、この5年間で男女の対等な関係が進んだ、とした。

(以下略)
ジェンダーの話は、最初は、「そう思う人(伝統的な考え方をする人)が居てもいいし、そう思わない人が居てもいい。お互いを尊重しましょう」という触れ込みで出てきた話だったはず。それが「性差による役割分担の考え方が根強い」とは、「そう考えてはいけない」と言わんばかりの書き方。ジェンダー問題の原則は、リベラリズムから破邪顕正主義に変質してしまったのでしょうか?
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2020年08月10日

腹を立てても仕方ない

https://www.excite.co.jp/news/article/Asajo_95118/
“3密”を無視する人は「腹立たしい」が6割以上も!
2020年8月9日 18:14
アサジョ

 コロナの感染予防に対しては、人それぞれ対応が異なりますよね。そんな中、“3密”を避ける人とそうでない人がいるようです。

 三菱UFJリサーチ&コンサルティングが1万人に調査を実施したところ、「接触の8割削減」や「3つの密を避ける」行動を取らない人に対して、6割を超える人が「腹立たしさを覚える」と答えていました。

(以下略)
ふーん。私の場合、「困るなあ」とは思っても「腹立たしさ」は特に感じないかな・・・

この場合の「腹立たしさ」という感情の正体は、社会的課題に対して足並みを揃えようとしない相手の姿に対するマイナス感情でしょう。あるいは、「自分はこんなに我慢しているのに・・・!」という不公平感の場合もあるでしょう。

しかし、私くらいチュチェ思想にのめり込んでいると、社会的課題に対して足並みを揃えようとしない輩を見ても「ああ、ブルジョア利己主義者か」としか思いません。また、「自分はこんなに我慢しているのに・・・!」ではなく、むしろ「任務を果たしていない人が多ければ多いほど、任務を遂行できている自分自身の党性の高さを証明する」みたいな発想になるからですw

偉大な領導者:キム・ジョンイル同志は次のように教えられました。
我々は偉大な首領、キム・イルソン同志の教えと党の方針を命令や義務として受け止める前にまず、それが最も崇高な生の要求であることを深く自覚し、無上の喜び、光栄として受け入れ、母なる党と父なる首領様の大いなる愛情と信頼であることを胸に探くきざみ、それを貫徹する為に自分の全てを捧げるべきです。このように思考し行動する人であってこそ、革命的領袖観に徹したチュチェ型の共産主義的革命家であるといえます。
『チュチェ思想教育において提起される幾つかの問題について』(チュチェ75・1986年7月15日)

では、実際に自分がそういう場面に遭遇したら? その場から離れます。もちろん、離れられない場合もあるから、やはり全人民的感染対策は間違いなく不可欠でしょう。ただ、「腹立たしさ」は感じないということです。

そもそも、今般の感染症拡大防止は、社会に対する個々人の任務ですが、これは本来的には他人がどうこうという問題ではないはずです。他人のことはいいから、粛々と自分がなすべきことをこなしましょう。

もちろん、他人の非協力に完全なる無関心になってはいけません。その点、非協力的な人の存在が目に入り認識されること自体はよい反応です。しかし、非協力的な人(私の辞書でいうところの「ブルジョア利己主義者」)に腹を立てても仕方ありません。非協力的な人をどう協力の輪に巻き込んでゆくのか、すくなくとも非協力的な人のせいで社会的課題の達成が失敗しないようにどのように作戦を立てるべきなのか、そういう建設的なことに頭を切り替えたほうが良いでしょう。

たとえば、「接触の8割削減」というのは、逆に言えば「何も協力しない輩が仮に2割いても、他の人たちでカバーすれば目標は達成できる」ということです。そういう風に考えるようにしましょ。そういう風に考えられるようになると、自分の「党性」が高くなったように思えてきますよw
ラベル:チュチェ思想
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2020年08月08日

「吉村流」のトラブル解決と吉村知事の「意外な弱点」

https://news.yahoo.co.jp/articles/b12c10e15a70a7299b79ac374f5e4e2b06e2bb1a
吉村府知事うがい薬発言への批判に「僕にとってはそれほど想定外の事態は起こってません」
8/6(木) 16:53配信
スポニチアネックス

 大阪府の吉村洋文知事が6日、日本テレビ系の情報番組「情報ライブ ミヤネ屋」(月〜金曜後1・55)に府庁から中継で生出演。新型コロナウイルスの感染拡大防止にポビドンヨードを含むうがい薬が有効だとする4日の発言について釈明した。

 研究途中で発表したことなどに対して吉村知事への批判が渦巻いている中、元NHKで外交ジャーナリストの手嶋龍一氏(71)は「今、袋叩きにあっているとおっしゃってますが、こう拝見してる限り、ほとんどめげてない感じを受けますけれども」と指摘。

 吉村知事は苦笑いした後、「僕にとってはそれほど想定外の事態は起こってません」と返した。

 全国のドラッグストアで品薄が続き、転売などで定価で約1000円の商品が6倍ほどの価格がつく騒動についても「一時的には品薄になるだろう。それを見越して数日前にはそれぞれの製薬会社に増強ラインをお願いしてますとやってます」と強調。

(以下略)
社会的影響力が大きい立場にあるにも関わらず、あまりにも楽観的な見通しというべきでしょう。主要なメーカーは次のように言っています。
https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202008050000975.html
うがい薬の国内主要2社が増産態勢も供給間に合わず
[2020年8月5日20時50分]

(中略)
同社では「2月ごろから新型コロナウイルス対策で増産に入っている。さらに増産できるように検討している」としているが早期の安定供給は険しそうだ。明治うがい薬を発売する「明治」でも「2月からフル生産を続けています。さらに増産するのは厳しい」と説明する。うがい薬が安定して出回るには時間がかかりそうだ。
こんな状況下において「それを見越して数日前にはそれぞれの製薬会社に増強ラインをお願いしてます」が予見的対応だというのならば、「それくらいだったら安倍首相だってやっているでしょw」といったところです。

今回の勇み足は、さすがの維新信者も擁護できていません。それだけ拙速だったということです。それほどの大ポカだったのにも関わらず、吉村知事は妙な自己弁護を展開して自ら傷口を広げる挙に出ました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b0ca6135a4a8bf4a128b04af7ce210fc82b1de86
吉村府知事 うがい薬買い占め「いつ発表しても起こる」 研究は「つぶすんじゃなくて温かく見守って」
8/6(木) 16:50配信
スポニチアネックス
(中略)
 新型コロナウイルスに対して「有効な薬も無い。ワクチンができる状況でもない。感染が広がって来るという状況の中で、ポビドンヨードによるうがい薬の“可能性”が一つ研究として見出されたのであれば、この段階で発表するべきだと判断しました」と強調。「可能性」については、「人にうつすことを防ぐ、感染拡大を防ぐことが出来るんじゃないか」とみており、「予防薬ではない」と念を押した。

 会見以降、全国のドラッグストアで品薄が続き、転売などで定価で約1000円の商品が6倍ほどの価格がつく騒動については、「買い占めはいつの段階で発表しても起こると思います」と回答。会見の数日前には、ポビドンヨードによるうがい薬を取り扱う「大手の企業(製薬会社)には増産をするようお願いしてます」とも。

 「僕は今、批判を受けている方が大きいですし、それも受けようとは思いますが、この可能性は追求していこうと思います。感染の拡大を防ぐ一つの“新たな武器”としての可能性はあると思ってますし。(武器は)今、何もないんです」とし、研究について「つぶすんじゃなくて温かく見守ってください」と呼び掛けた。
つぶすんじゃなくて温かく見守ってください」――誰か研究自体を潰そうとしている人がいるのでしょうか? 今回の騒動は、まだ確立されていない方法を勇み足で公表した結果、社会的な混乱が発生し、また、研究従事者にも迷惑が掛かったというのが実態です。吉村知事が余計なことをいわなければ、すくなくとも、発表するにしても慎重に発表すれば、こういうことにはならなかったわけです。知事発言の社会的影響力は大です。「吉村知事のせい」なのです。
 
それを「つぶすんじゃなくて温かく見守ってください」とは、いったい何を言っているのでしょうか。こうした発言は、世間常識的には、周りの人が吉村知事を弁護・擁護する文脈であれば許されるものですが、騒動を起こした吉村知事本人が言い逃れ的に言うべきことではありません。騒動を起こした本人が口にすると、事の発端及び責任問題から話をそらそうとしているように聞こえるものです。
 
なお、「頭のいい人」の中には、自分が起こしたトラブルを収めるときに悪意なくこういう物言いをしてしまう人もいます。モノの見方が中途半端に評論家的だと自分が起こした事件の結果も評論家的に見てしまうので、反省の弁を述べるべき局面で悪意なく話をそらしてしまうわけです。しかしながら、吉村知事の場合は妙な自己弁護の文脈で言っていることなので、おそらく責任問題から話をそらそうとしているものと思われます。

保身のために話をすり替える――これが「吉村流」のトラブル解決スタイルなのでしょう。

買い占めはいつの段階で発表しても起こると思います」――だから実際に買占めが起こっても自分の責任ではない、庶民が勝手にやったことだと言いたいのでしょうが、残念ながらそれは通用しないでしょう。歴史を振り返れば、江戸時代の飢饉・大正時代の米騒動・昭和時代のオイルショックそして令和時代のコロナパニック、これらいずれにおいても政治・行政には物資の私的な買い占め・売り惜しみに対して公的に措置を講ずることが強く求められました。たとえばつい最近の例では、マスクの品薄に対して転売禁止や増産といって要求が政府に課せられたではありませんか。

もちろん、「政府がそんなことを完璧にし得るのか」という疑問は私にもありますが、少なくとも、火に油を注ぐような余計なことをすべきではないでしょう。

思えば4月に吉村知事がパチンコ店を吊るし上げたとき、いわゆる「自粛警察」が勢いづいて暴走することは容易に想像できたはずなのに何らの対応もせず、5月以降「自粛警察」の暴走っぷりが社会的に問題視されるに至っては「知らんぷり」を決め込みました。「不誠実であるか、または政治家・府知事としての社会的影響力の大きさに対する自覚が欠如しているかのどちらか」というほかない姿勢でしたが、今回は、パチンコ店の時以上に自分自身の「役割」が大きいトラブルであるにも関わらず、同様に「知らんぷり」を決め込もうとしています

「政治家」としての社会的影響力の大きさから逃れるために、急に「個人」になって「知らんぷり」をする――これもまた、「吉村流」のトラブル解決スタイルなのでしょう。

「失敗したときの後始末」は、政治・行政担当者の力量が特に顕著にあらわれるものです。吉村知事は、余計なことを言わずに神妙な面持ちで粛々と通常職務に戻ればいいところ、妙な自己弁護を展開し始めてしまいました。今回の勇み足は、さすがの維新信者も擁護できていレベルなのだから、言い訳じみた余計なことを言わない方がよいのに。「情報ライブ ミヤネ屋」は維新応援番組といっても過言ではない番組ですが、それだけに口が滑ったのでしょうか。

吉村知事の「妙なプライドの高さ」については、「小物の中の小物」というべきラサール石井さんへの粘着質な対応(4月29日づけ記事及び4月30日づけ記事参照)を見るにすでに明らかになっているところですが、今回もそれが如実に表れたようです。そして、妙な自己弁護を一所懸命に展開し結果的に傷口を自ら広げてしまうことも見えてきたように思われます。これは一般に「迷走」というべきもの(迷走の上での自爆)でしょう。吉村知事は、自分自身に批判の矛先が向いたとき、意外と防御が弱いようです。

もちろん、人間なのだから「完璧」はあり得ません。失敗をすることだってあります。しかし、周りの人が弁護・擁護の文脈でいう分には許されることを騒動を起こした本人が言い逃れ的に言ってしまうあたり、世間常識からのズレを感じざるを得ません。また、社会的影響力が大きい立場にあるにも関わらず、「知らんぷり」を決め込んで逃げようとするようです。ここに、吉村知事の「意外な弱点」が見えたのではないかと思われます。
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2020年08月04日

敗戦75年目のコロナ禍;懲りない精神主義、「科学的な現状分析」と「叱咤激励」との混同

https://news.yahoo.co.jp/articles/0859ab5a5be6e64d3c89637464b9e89ca18cbe25
WHO、新型コロナの「特効薬存在し得ない可能性」に言及
8/3(月) 20:22配信
AFP=時事

【AFP=時事】(更新)世界保健機関(WHO)は3日、新型コロナウイルスの有効なワクチンの開発が急がれる中、「特効薬」は存在し得ない可能性があるとの見解を示した。
(中略)
 テドロス・アダノム・ゲブレイェスス(Tedros Adhanom Ghebreyesus)事務局長はジュネーブで開催されたビデオ会議形式の記者会見で、「人々の感染を防ぐのに役立つ有効なワクチンを複数保有できればと、われわれは皆望んでいる」とした上で、「しかし現時点で特効薬はなく、今後もあり得ない可能性もある」と警告。

「今のところ感染拡大の阻止には、やはり公衆衛生および疾病管理の基本事項が重要だということになる」と述べたテドロス事務局長は、その基本を「全て実行しよう」と訴えた。

(以下略)
「特効薬」という訳がよくないですね。英文報道によると、テドロス氏は、"there is no silver bullet at the moment, and there might never be"(「現時点で『銀の弾丸』はなく、もしかすると決して現れないかもしれない」)といったそうです。Wikipediaにもありますが、「銀の弾丸」とは「尋常な手段だけでは厄介な対象を一撃で葬るもの」を指す言葉です。日本語的感覚でいえば、「魔法」や「秘法」、「奇跡」あるいは「ウルトラC」といったニュアンスで捉えるべきものでしょう。システム工学に理解のあるお方であれば、伝説的名著『人月の神話』において接したことがあるのではないでしょうか。

たしかに、新型コロナウィルスにおいて「ウルトラC」的な解決策はあり得ないでしょう。「新型」といってもコロナウィルスであるわけです。感染予防の基本所作の徹底と対処療法が現実的な展望でしょう。その点において実に厳しいものではありますが、テドロス氏の指摘は、「観測され科学的に予測された事実から出発したもの」であるとして科学的に理解可能です。

これに対してコメ欄・・・希望を打ち砕かれて落胆し信じたくないのは分かりますけどねえ・・・
WHOがそんなこと言っていい訳ないじゃないか!確かに特効薬は開発されるとは言えないだろう、しかし匙投げたらWHOの意味がない!WHOは万能じゃなく、今各国が努力してる事を応援するベキであり、各国が憔悴する発言をするのであればWHOの存在意義はない!いい加減にしろ!
世界中の研究機関の科学者が治療薬の開発に尽力し、世界中の人々が渇望するなかで、世界の医学界の最高権威であるべきWHOのトップが冷や水を浴びせる。
本当に百害あって一利なし。
今各国が努力してる事を応援するベキ」「WHOのトップが冷や水を浴びせ(ている)」――実に日本的な精神主義的言説というべきものです。「ここまで典型的なサンプルが収集できるとは・・・」と感動さえも感じてしまうくらいのシロモノであります。「科学的な現状分析」と「叱咤激励」はまったく別次元のものです。混同してはなりません。

好意的に解釈すれば「言霊信仰」、意地悪に解釈すれば「現実逃避」的な動機に基づく言い分かと思いますが、こうした混同が先の対米大戦において、事実に即した戦況分析を妨げて精神主義的な徹底抗戦論を主導した核心的発想であったことを、敗戦75年目に今一度自覚すべきでしょう。「神州日本」の劣勢を認めたくない、負けを認めたくない75年前の発想がよみがえったものと言えそうな反応です。7月11日づけ「コロナパニックの裏返しとしての「キレイな独裁」論」でも指摘しましたが、奇跡に縋ったパニック状態の素人さんが喚き散らしているものと思われます。

以下のコメントもまた、実に日本的な精神主義的言説であります。
テドロス事務局長は、「中国はウィルスを抑え込んでいる」と発言して間もなく習近平が収束宣言をして、テドロス事務局長はすぐ様「イタリアに飛び火した」という発言を聞いて以来何を聞いても信用はしていない。
防疫対策の誤報に次ぐ誤報や、誰もが把握している情報発信は、意図的では無いかと勘ぐられる位呆れた内容ばかりだ。

「ちょっと大袈裟くらいに言っておいて、幸いにして外れたら『いやあ、何事もなくてよかった!』と笑い合えるくらいが丁度よい」んじゃなかったんでしょうか? まあ、藁にもすがる思いであるところ、その「奇跡」の可能性を粉砕するようなテドロス氏の指摘を「信じたくない」気持ちは分かりますが、「何が語られているのか」ではなく「誰が語っているのか」に固執する点、これもまた日本的な反応というべきでしょう。

多少理解可能なWHO批判コメント(韓「国」紙・中央日報のWHOの暗い見通し「新型コロナ特効薬、もしかしたら全く存在しないかも」のコメ欄から)。
「特効薬は全く存在しないかもしれない」などという悲観的なコメントを聞くために各国は資金を提供しているわけではない。
こんな症状には○○薬が何%ほど改善効果をもたらす、あんな症状には××薬が何%ほど即効性がある、など今まで得られた知見をきちんとまとめて公表するのがWHOの責務だろ。
さらに言えば特効薬が無ければWHO自ら作るくらいの気概を持って仕事をやってほしい。
こんな症状には○○薬が何%ほど改善効果をもたらす、あんな症状には××薬が何%ほど即効性がある、など今まで得られた知見をきちんとまとめて公表するのがWHOの責務」というのは理解可能ですが、それさえもわかっていないのが現状。そして、そんな状況であるにもかかわらず、あたかも魔法・ウルトラCがあると思っている「おめでたい連中」にクギをさすのがテドロス発言の真意でありましょう。

特効薬が無ければWHO自ら作るくらいの気概」については、「ないものねだりのガキ」というべきでしょう。WHOは医薬品研究機関じゃないんだから、筋違い笑

敗戦後の日本は、ある時は「軍部の暴走」に全責任を押し付け、また別のときには「一億総懺悔」なる名の下に「赤信号みんなで渡れば怖くない」ばりに個々人が戦争に向き合ってきませんでしたが、その「無反省」がここにきて再び惨禍をもたらそうとしているようです。
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2020年08月03日

だからといって観光業界を助けてはならない理由にはならない:嫉妬まみれのみっともない貧乏性と笑ってしまうらいの不見識

https://news.yahoo.co.jp/articles/07d7d461e0e7a948b27a516fe557b1b098045c0d
小倉智昭氏、「GoTo」を巡る田崎史郎氏の意見に反論…「別に大変なのは観光業者だけじゃない」
7/31(金) 10:09配信
スポーツ報知

(中略)
 その上で「例えば都内でも飲食店が潰れていっていますよね。地方の旅館とかそういうことを経営している人は本当に大変なわけです。その人たちを勇気づける、できることなら行ってあげる、ということをやっていかなきゃいけないっていうのは政府の発想なんです」と解説した。

 この意見に小倉智昭キャスターは「別に大変なのは観光業者だけじゃないですからね」と強い口調で指摘していた。
出た! 一億総貧乏精神! 嫉妬まみれのみっともない貧乏性! 笑ってしまうらいの不見識!

3月末、俳優の西田敏行氏が、自身が率いる「日本俳優連合」の理事長名義で政府に対して支援を要望したときのことを思い出さざるを得ません・・・当時、「世論」は、「収入が減って苦しいのは俳優だけではない」といった理由で西田理事長および日本俳優連合の要望を罵倒したものでした。「芸能界大御所の西田が身銭を切ればいいじゃないか」というトンデモナイ大暴言・大妄言までもが飛び出したものでした。

仮に「別に大変なのは観光業者だけじゃない」だとしても、だからといって観光業界を助けてはならない理由にはならないでしょう。観光業界と連帯して要求運動を展開すればいいじゃないですか! そこで「別に大変なのは観光業者だけじゃない」と言ってのける小倉智昭氏の発想は、「他人の得は許せない」という、見ている側が恥ずかしくなるような日本的メンタリティの最たるものであります。

まさか、観光業界は「なくなっても構わない」とでも言いたいのでしょうか? いかにも東京的発想。笑ってしまうくらい不見識です。いわゆる「地方」(ちなみに、「地方」という言葉は「中央」に対するものであり、この言葉自体私はとても嫌いです)において観光業の裾野が広いものです。消費者の観光活動に伴う消費支出額は、一般に「観光業」と分類される範囲を超える、波及効果において地域経済の主幹的なものなのです。これは、素人が思っている以上のものであります。

ちなみに、業界団体の陳情や、その陳情を立法府や行政府が顧慮すること自体は、民主主義と相反するものではありません。「多元的民主主義」という概念で解釈可能なものだからです。なお、健全な民主主義は多元的民主主義の上に築かれるものであり、単なる多数決主義ではありません(ちなみに、「維新」なんかは単なる多数決主義ですよね)。

みっともない嫉妬心・貧乏性、笑ってしまうらいの不見識。これが「時代の正体」だとすれば、あまりにも情けない日本民族の今日であります。

いまどき、視聴者需要に対して過大(みのもんた氏の最末期くらいの需要では?)というべき破格の高額ギャラを受け取っている小倉智昭氏の個人的な無様さであると信じたいものであります。
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