2020年09月25日

同志愛と革命的義理、集団主義原理の発露としての元帥様公開書簡

https://www.asahi.com/articles/ASN9Q73HMN9QUHBI00K.html
金正恩氏「一番心配なのは同志の健康」 異例の情みせる
ソウル=神谷毅
2020年9月22日 21時34分

 今月上旬にかけて台風に相次いで見舞われた北朝鮮で、被害復旧に向けた動員のために金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長名で出された公開書簡が、関係者の間で注目を集めている。北朝鮮の元高官や元外交官らは、「情を強調する表現ぶりなどから本人の手による可能性が高い」と見ている。

 北朝鮮は台風で大きな被害を受けた東北部の咸鏡南道と北道の復旧に首都・平壌の党員1万2千人を動員した。5日付の正恩氏名の書簡には、10月10日の党創建75周年と来年1月の党大会のために「首都の党員が被災地に駆けつけることをお願いする」と記されていた。唯一絶対で誤りのない「首領」とされる正恩氏としては、異例の言及といえる。

 書簡は「首都の温かい情で被災者を慰労し支援することを呼びかける」など「情」を強調。党員に対し「現地の人々を助けてあげているぞというそぶりは見せないように」とクギを刺しつつ、「一番心配なのは同志たちの健康。秋風を受けての徹夜はつらい。健康な体で首都に、むつまじい家に戻ってこなければいけない」と思いやりも見せた。

 北朝鮮の元外交官らによると、書簡の情緒的な表現から党宣伝扇動部によるものではなさそうだという。異例の書簡の背景について、首都の党員を動員せざるをえないほど切迫した状況だったとの見方もある一方、北朝鮮の元高官は「祖父の金日成(キムイルソン)主席や父の金正日(キムジョンイル)総書記も国民に手紙などの形で呼びかけることはあったが、北朝鮮の人々が共感しやすい情に訴えるなど正恩氏は統治手法に老練さも見せるようになっている」と語った。(ソウル=神谷毅)
当該箇所は以下でしょう。
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=crevo4&mtype=view&stype=4&no=7276
함경남북도의 인민들을 도와주자고 수도의 우수한 당원들로 조직된 사단들을 파견하지만 제일 걱정되는것은 동지들의 건강입니다.
ハムギョン北道の人民を助け、首都の優秀な党員で組織された師団を派遣しますが、最も心配なことは同志達の健康です。

생산현장과 실천투쟁에서 많이 단련되고 검증된 당원들이라 해도 재앙이 휩쓴 험지에서 가을바람을 맞으며 철야전투를 해야 하는것만큼 힘들고 피곤할수 있습니다.
生産現場と実践闘争においてよく鍛錬され検証された党員だからといっても、災難が襲った現地で秋の風に当たり、徹夜戦闘をしなければならないので、大変だし疲れるでしょう。

당원사단들을 이끄는 지휘관들과 정치일군들은 매 대원들의 건강과 생활에 세심한 주의를 돌리고 다심한 심정으로 돌보아주어 당원동지들이 모두 건강한 몸으로 전투를 결속하고 수도 평양으로, 정다운 집으로 돌아갈수 있게 하여야 하겠습니다.
党員師団を率いる指揮官と政治活動家は、隊員たちの健康と生活に細心の注意を振り向け、温かい心情で面倒を見てやり、党員同志達がみな健康な姿で戦闘を終え、首都ピョンヤンへ、情のこもった家に戻ってこられるようにしなければなりません。
異例の情みせる」というタイトルを見るに、神谷記者をはじめとする朝日新聞編集部がいかに共和国発の一次資料に当たることを怠ってきたのかが分かります。いわゆる社会政治的生命体が同志愛と革命的義理を社会結合原理としているとおり、共和国は「情」を根本としています。

きっと朝日新聞編集部の面々は「徳性実記」なんて言葉は聞いたこともないのでしょうね。「徳の高い偉大な首領による温情に対して人民が忠誠で応える」というのが共和国における基本パターンです。

そうした「無知」を差し引いたとしても、人間的な情に満ちた労りの言葉が「統治手法の老練さ」に映るというのは、中二のような斜に構えた物の見方であり悪意的歪曲を感じざるをえないところです。

唯一絶対で誤りのない「首領」とされる正恩氏としては、異例の言及といえる」というくだりに至っては意味不明ですね。「無謬の首領」が党員に被災地支援を呼びかけることに一体どんな「異例」さがあるというのでしょう?

今回の元帥様の書簡は、変に斜に構えるのではなく素直に人間的な情に満ちた労りの言葉として捉えるべきでしょう。元帥様は就任以来、さまざまな厳しい制約に直面しつつも人民生活、とくに消費生活向上のために策を講じて来られました。コロナ禍と台風被害で直近は足踏み状態ではあるものの、単なるパフォーマンスではなく事実として状況は改善されてきました。そんな元帥様の「言うだけだったらタダ」である労いの言葉だけが逆にパフォーマンスとは考えにくいところです。

また、今回の元帥様の書簡は、単なる人間的な情に満ちた労りの言葉にとどまらず、同志愛と革命的義理、集団主義原理の発露であると捉えることもできるでしょう。
posted by 管理者 at 22:41| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2020年09月24日

「デジタル化」は単に「遅れを取り戻すためのもの」なのか?:立憲民主党枝野代表における哲学的・社会歴史観の欠如

https://news.yahoo.co.jp/articles/af1b983999b5038b98f7af38b4a9344e9084389c
デジタル化は「後ろ向き」と批判 枝野氏、政権との違いアピール
9/19(土) 21:23配信
共同通信

(中略)
 旧国民民主党などと合流して以降、初の地方遊説で菅政権との違いをアピールした形だ。枝野氏はデジタル化政策に関し「世界から遅れている分を追い付くだけだ。日本の未来を輝かせることはできない」と断じた。「日本を自然エネルギーで回っていく国にしよう」と強調した。
菅内閣・自公連立政権が掲げている「デジタル化」を単に「遅れを取り戻すためのもの」程度に捉えているあたり、枝野代表・立憲民主党は情勢判断ができていないようです。

共和国歌謡≪돌파하라 최첨단을≫(突破せよ、最先端を)では、≪무엇이나 마음만 먹으면 프로그람에 따라 만드는선군시대 기계공업의 자랑 우리식 CNC기술≫(なんでもその気になればプログラムによって作ってしまう 先軍時代機械工業の誇り我々式CNC技術)と歌われ、かつ、≪지식경제시대인 오늘날 떨어지면 기술의 노예되리 첨단으로 세계향해 나가는 우리식 CNC기술≫(知識経済時代の今日、立ち遅れれば技術の奴隷になる 先端となって世界へと進み出る我々式CNC技術)とも歌われています。

情報技術化とデジタル化は同義といってよいものですが、知識経済時代の今日において情報技術化とデジタル化への「立ち遅れ」は「技術の奴隷になる」ものです。たしかにそれだけ見れば「世界から遅れている分を追い付くだけ」の「後ろ向き」なものかもしれませんが、デジタル技術は「先端となって世界へと進み出る」ための武器であり、その発展は「なんでもその気になればプログラムによって作ってしまう」点において人間の創造的能力の発展そのものです。

主体的観点から申せば、人間は、自然界(客観的な物質世界)に働きかけて自らの生存と発展に必要な衣食住等の富を産出します。これらの富を生み出す能力を「生産力」を言いますが、生産力は、科学知識や技能といった「人間の創造的能力」と「客観的・物質的条件」によって構成されます。人間はあらゆるものの主人でありすべてを決定する特殊な立場に立っているため、生産力を構成する客観的・物質的条件は人間の創造的能力によって操作・操縦されて初めて人間にとって価値のあるものを生み出します。そのため、生産力は本質的には人間の創造的能力であると言え、生産力の発展はすなわち人間の創造的能力の発展であると言えます。

21世紀のこんにちにおける産業の最先端が情報技術分野であることに異論を唱える人は、浦島太郎くらいのものでしょう。情報技術化とデジタル化はほぼ同義です。すなわち、デジタル化とはまさに人間の創造的能力を向上させることであり、未来を切り開く主動力を発展させることに他ならないのです。

哲学的・社会歴史観的バックボーンがないと斯くも貧相な発想に至るものなのかと驚きを隠し得ません。
posted by 管理者 at 23:13| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2020年09月19日

前例主義の打破は思想文化的な意味での「日本革命」

https://news.yahoo.co.jp/articles/f71111573322ac845a38ee40ac5aea0f45ca7b9c
河野氏、未明の会見「やめたら」 前例主義の最たるものと批判
9/17(木) 18:13配信

 防衛相から横滑りし、行政改革や規制改革の担当相に就任した河野太郎氏(57)は17日に官邸であった記者会見で、河野氏ら新閣僚の会見が未明に及んだことを批判した。「大臣が各省でやれば今頃はもう終わって、みんな寝ている。前例主義、既得権、権威主義の最たるものだ。こんなものはさっさとやめたらいい」と述べた。

(以下略)
誰もが不満を持っているのに何故か誰も改めようとしない規則や慣例といったものは、官僚組織に限らず、ある程度の歴史を持ち規模を誇る組織(民間企業を含む)に広くみられるものです。

こうした組織ではいったい何が起こっているのでしょうか。それは、皆が「改めたくても自分自身はそれを決められる立場にない」状況にあるのです。

ある程度の歴史を持ち規模を誇る組織では、既に存在せず後任・後継がハッキリとは決まっていない部署・決裁権者等が決めた規則が亡霊のように残っていたり、あるいは、長い時間をかけて形成されてきた自然発生的・自生的秩序としての慣例が幅を利かせていたりします。そのため、仮に不合理に思われる規則や慣例があったとしても、誰にも改める権利がないことがあるのです。

このことは、「組織化が不十分な状況」であると言えます。

規則等は人間同士の社会的関係の一種ですが、主体的に考えたとき、そもそも社会的関係というものは、「人間によって制定され人間のために奉仕すべきもの」であると言えるでしょう。特に規則等について言えば、組織における指導と被指導の関係・指揮命令系統を保障して人間集団の組織化のために奉仕すべきものです。にもかかわらず、「誰もが不満を持っているのに何故か誰も改めようとしない規則や慣例」が存在する状況は、当の規則等が誰の指導下にもなく勝手に独り歩きしている状況であります。

こうした状況を克服するには、組織化を十分に行うことが問題に正面から立ち向かう方法であると言えます。指揮命令系統を明確にし必ず全ての規則等を各責任者の指導下に収めることが大切なのです。

当ブログでも繰り返し述べてきたことですが、特に日本は「なんとなく」の自然発生的・自生的な秩序によって支配されている分野が多く、また、民主主義とは似て非なる「合議」主義によって物事が決まりがちなお国柄です。「誰もが不満を持っているのに何故か誰も改めようとしない規則や慣例」を打破するために組織化に注力することは、思想文化的な意味で「日本革命」と言えるかも知れません。
posted by 管理者 at 17:22| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2020年09月12日

今日的なリベラリズムの本性は「破邪顕正」、「自由」や「多様性」は二次的なもの

https://news.yahoo.co.jp/articles/c28afe46aeaac5d7b0afcaa5609e04f6823a8efc?page=1
ユーミンへの暴言騒動で、リベラルが寛容性持たないこと露呈
9/8(火) 16:05配信
NEWS ポストセブン

(中略)
 まぁ、左翼の劣化ぶりってひどいもんだな。アベにシンパシーを感じたり、愛国的発言をすると「がっかりしました!」と猛烈にツイッターで叩く芸風が定着した。これまでその毒牙にかかったのはRADWIMPS野田洋次郎、つるの剛士、糸井重里、佐々木俊尚、三浦瑠麗、野口健、松本人志など。

 彼らは別にネトウヨでも何でもないのだが、「リベラル」を名乗る皆様方からは「ネトウヨ」「極右」認定を受けている。松本に至っては「アベとメシを食った」というだけで非難された。

 本来寛容性を重視するはずだったリベラルがまったく寛容性を持たないことが分かったユーミン騒動である。
■今日的なリベラリズムの本性は「破邪顕正主義」
今日的なリベラリズムの本性を見極める必要があるでしょう。すなわち、「破邪顕正」こそが本質であり、「自由」や「多様性」は二次的なものに過ぎないわけです。

ルネサンス以降の近代リベラリズムには幾つかの流派・派閥がありましたが、その有力な流派・派閥は「啓蒙主義」でした。いわゆる「合理主義」に依拠し、宗教や伝統が支配してきた中世的価値観への反発、非合理的な宗教的世界観に対する「破邪顕正」こそが啓蒙主義的リベラリズムの根本動機でした。

今日のリベラリズムも、合理主義・啓蒙主義的な破邪顕正を引き継いでいます。しばしば、「素人の思い付き」レベルの屁理屈を並べ立てて、数世代にわたって生き延び、それゆえに超時代的な有効性が実証された方法論にケチをつけています。彼らにとって大切なのは、自分のオツムに理解できるか否かなのです。彼らが言う「自由」や「多様性」は、「自分のオツムで理解できる」という意味での合理主義・啓蒙主義の枠内で、伝統価値を相対化・無価値化する限りのものであり、何でも許容するつもりはサラサラないのです。

たとえば、最近では自民党総裁選に立候補した岸田文雄・同党政調会長が「妻を立たせたまま飯を食っていた」などとして、「時代錯誤」などと炎上(ほとんど放火)騒ぎになっています(岸田氏“時代錯誤”批判された食事写真 Nスタ取材合間だった…室内にホラン千秋  9/5(土) 22:25配信 デイリースポーツ)が、この手の人たちは、たとえば不倫報道においては「他人の家庭の価値観に口出しすべきではない」に始まり、甚だしくは「一夫一妻は古い! 多様な家族の在り方を!」などと言っているわけです。連中が言う「自由」や「多様性」が、いかに恣意的でイイカゲンなものなのかは、この一件を見ていも明々白々でしょう。

啓蒙主義的リベラリストのオツムに理解できるか否かが判断基準になってしまっていることが、「リベラリストこそが非寛容」である根本的原因であります。彼らが理解できれば「合理的」であり生存が許され、彼らに理解できないことは「非合理的」であるがために是正指導の対象になってしまうのです。どうしても迷信的な非合理的主張に固執する人物・勢力には、いくらか手荒い手段を講じても主張を改めさせる必要がある、吊るし上げも許容されると考えるわけです。

■啓蒙主義的リベラリズムとマルクス主義は同根
こうした啓蒙主義的リベラリズムに対して、人間理性・合理性の限界に根差したE.バーク流・ホイッグ党的なリベラリズムは、まったく異なるものです。人間理性の限界・個人のオツムで理解し得ることの限定性を前提としているがゆえに、本質的に謙虚であり破邪顕正主義の対極に位置するものであります。

バークの後継者として反共・反設計主義の雄たるF.A.ハイエクが位置していることは注目に値するでしょう。ハイエクは、バーク以来の人間理性の限界に対する認識を出発点として、理性と科学に基づいて世界を全面的に改変しようとする設計主義・計画主義、そしてそれを未来ビジョンの根幹として据えるマルクス主義を徹底的に批判しました。

ハイエク的に言えば、啓蒙主義的リベラリズムとマルクス主義は、理性信仰と、それに伴う破邪顕正主義において同根であります。その点、今日のリベラリズムとかつてのマルクス主義との類似性を指摘する主張は、ある意味で正しいと言えます。

更に、今日のリベラリストをも含む「被害者意識」もまた、かつてのマルクス主義ブームと今日的リベラリズムとの深い類似性を示していると言えるでしょう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/10dbeeda9674b0e4a678a6a6751211b8445ca6bf
世界的な分断の背景に被害者意識の拡大 「奴ら」のせい…SNSで負の感情も増幅〈AERA〉
9/11(金) 8:00配信
AERA dot.

(中略)
 世界中でこうした社会の分断が進む理由は何なのか。大きな要因として渡辺教授が指摘するのは、格差拡大によって、「自分こそが被害者だ」という意識を持つ人が増えたことだ。

「多くの人が、自分たちが割を食っているのは『奴ら』のせいだと思っている。その『奴ら』が誰なのかは個人の立場によってさまざまで、政府だったり富を牛耳る大企業だったり、知的エリートだったりするわけです。欧米の場合、『奴ら』には移民・難民も加わり、日本では、プレゼンスを増す中国や韓国が入ってくる」(同)

(以下略)
マルクス主義の暴力性の根本は、怨念であり恨みであります。永き搾取に苦しめられてきた被抑圧大衆の怨念・恨みが、異様な攻撃性として爆発するわけです(新中国――中国共産党政権――誕生直後の地主吊るし上げなど)。今日的リベラリズムが被害者意識に基づいて異様な攻撃性を有しているとすれば、そこにはマルクス主義的な攻撃性との類似性を見出さなければなりません。

■リベラリズム再興の道
斯くもマルクス主義の悪しき側面を継承しておきながらも、かつてのマルクス主義と比して今日のリベラリズムが新社会の具体的ビジョンとプランを示せておらず、単なるアンチテーゼに留まっていることには注目すべきでしょう。

かつてのマルクス主義は、曲がりなりにもビジョンとプランを示せていたのに、今日のリベラリズムは「反保守」「反トランプ」「反アベ」といった具合に、何かに反対するばかりなのです。そうかと思えば「互いに尊重し合う」といった程度の、中学校の学級委員・生徒会委員でも言えるような抽象的なお題目を並べることに終始しています。かつては保守こそが、単なる「反啓蒙・反進歩礼賛」の守勢だったのに、すっかり攻守が逆転してしまっています。

こうした状況を突破するには、まず、リベラリストもマルクス主義者も啓蒙主義及び理性礼賛を脱し、初期マルクスに立ち戻って地道な実践と、それに基づく教訓をベースとするべきでしょう。理想の未来社会を構想する過程で、いつの間にか現実よりも理想が先行して「である」ことよりも「とすべき」が先行してしまったことが、具体的なビジョンとプランの欠如の原因であり、謙虚さの欠片もない偏狭な破邪顕正主義化の原因でもあると言えるでしょう。

また、他人との相違点を探し出して敵を打倒することよりも、一致点を見つけ出して協力関係を構築することに注力すべきでもあります。6月22日づけ記事などでも言及しましたが、中国で文化大革命の嵐が吹き荒れていた時代、偉大な首領:キム・イルソン同志は、それと対比する形で朝鮮式の階級闘争について次のように教示されました。
階級闘争の形式はいろいろあります。資本主義を打倒するときの階級闘争と、資本主義を打倒したのちの階級闘争とはその形態が異なります。このことは我が党の文献で、既に明白に解明されています。ところが少なからぬ人々が、これをはっきり理解していないために、極左的あるいは右傾的な誤りをおかしています。

社会主義革命を行うときの階級闘争は、ブルジョアジーを階級として一掃するための闘争であり、社会主義社会での階級闘争は、統一団結を目的とする闘争であって、それは決して社会の構成員を互いに反目し、憎みあうようにするための階級闘争ではありません。社会主義社会でも階級闘争を行うが、統一と団結を目的とし、協力の方法で階級闘争を行うのであります。
『資本主義から社会主義への過渡期とプロレタリアート独裁の問題について』(チュチェ56・1967年5月25日)

こうした立て直しに取り組まない限り、「リベラリストこそが非寛容」という誹りをな脱がれることはできないでしょう。

■ところで白井聡氏ってリベラルだったっけ?
ところで白井聡氏はいつからリベラリストになったのでしょうか? あまり有名な学者ではなく知る人ぞ知る名前でしかないのですが、著作等を読む限りとてもリベラリストとはいえない立場であります。時代錯誤なマルクス・レーニン主義者といってもよいくらいのお方です。

日本ではついに、マルクス・レーニン主義の立場がミエミエな人物さえもがリベラル扱いされるようになってしまったわけです。マルクス主義及びマルクス・レーニン主義とリベラリズムは、上述のとおり思考回路においてかなり似てはいるものの、「共産主義を目指すか否か」という未来社会論において水と油であります。一昔前であれば、この違いは誰もが知っていることであり、両者を混同することはあり得ないことでした。

マルクス・レーニン主義の立場がミエミエな白井氏がリベラリスト扱いされた本件は、いよいよ「共産主義」が人々の頭の中から消え始めたことを示しているのかもしれません。

そしてまた、マルクス・レーニン主義者にとってリベラリスト扱いは、ほとんど侮辱に近いようなものであります。マルクス・レーニン主義者及び共産主義者は決してリベラリズムを目指しません。にもかかわらず、マルクス・レーニン主義界隈及び共産主義界隈から、白井氏に対してリベラリストというレッテルを貼るという侮辱行為に対して抗議する動きがみられません。

マルクス・レーニン主義者及び共産主義者が人的に相当減少していることを感じさせる一コマです。
posted by 管理者 at 17:58| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2020年09月02日

「組織として対応する」ということの意味:立民石垣議員の大暴言・大妄言について

https://news.yahoo.co.jp/articles/01b4da0c933c7ddcc019caa593d7748d64718974
安倍首相は「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」 立憲議員が自民批判
8/28(金) 17:58配信
J-CASTニュース

 安倍晋三首相の辞任を受け、立憲民主党の石垣のりこ参院議員は2020年8月28日、ツイッターで「『大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物』を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の『選任責任』は厳しく問われるべき」と自民党の責任を追及する構えを示した。

■「『安倍しかいない』と押しつけてきた」
 激しい腹痛や下痢などの症状がある難病「潰瘍性大腸炎」の悪化を理由に、安倍首相は28日に辞任を発表した。

 辞任会見の直前には、各社から「辞意を固めた」と報じられていた。石垣氏は同日にツイッターを更新し、「総理といえども『働く人』。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します」と労り、辞職は仕方がないとした。

 一方で、「『大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物』を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の『選任責任』は厳しく問われるべき」と自民党の責任に触れ、「その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます」と要求した。

 続けて、一般のツイッターユーザーからの「こんな発言があるからブラック企業があるのですよ。私は部下を持つ人間なので貴方のような発言はしないように心がけます。大事な時に不測の事態があっても対応できるチーム作りをしており例え病気でも危機管理ないなんて言いませんわ」とのリプライ(返信)を引用する形で、

「第一次政権も体調不良でお辞めになり、この八年の間もなんども健康不良説が流れたわけです。なのに『安倍しかいない』と押しつけてきたわけです。もし自民党が会社ならば、これほどブラックな職場もないでしょう」

と主張を押し通した。

(以下略)
現に安倍氏の執務に病気の影響が出ているのに、それでも内閣総理大臣・自民党総裁の続投を強いたとすれば、それは安倍氏のパーソナリティにあまりも依存し過ぎている・職が過度に属人化しているという意味で、自民党の組織問題であると言えるでしょうが、「何らかの健康リスクがある」程度の人物をリーダーに据えたくらいでは、非難される謂れはないでしょう。

「組織として対応する」ということの意味を十分に理解する必要があります。「組織化先進国」である朝鮮民主主義人民共和国は、軍隊の継戦能力を維持するために「全軍幹部化」を標榜しています。すなわち、指揮官が戦死したとしても一等下級の兵が直ちに指揮官として任務に当たれるように事前に組織を整えているのです。

生身の人間なのだから、急に病気になることだってあるし、事故に巻き込まれて死んでしまうことだってあります。誰だってそうです。それゆえ、「組織として対応する」ということはすなわち「有事の際に備えて代替人員を揃えておく」ということに他なりません。すぐに代替人員に交代させることができれば、組織としては十分に対応していると言えるのです。特定個人に頼り切るのではなく、きちんと代替人員の層を厚く用意しておく限りにおいては、たとえ難病患者であっても要職に就くことを妨げられる謂れはないのです。

『安倍しかいない』と押しつけてきた」などと取り繕う石垣氏ですが、しかしどうでしょうか。ポスト安倍の自民党総裁選には菅・岸田・石破の3氏が立候補しています。また、今回は立候補を見送ったものの、河野氏のような「将来有望」な人材もいるわけです。「安倍の代わり」は常にいたわけです。自民党は「予備」の人材をしっかりと抱えているわけです。ここ15年以上、おなじ顔ぶれが代表職を給食当番のように回してきた「民主党」が他人のことは言えないでしょう。

さすがは立憲民主党。「結党から何年たっても党の組織化が不十分だなぁ」と思っていましたが、もしかすると「組織化」の意味が分かっていないのかも知れませんね(まあ、ブルジョア個人主義としてのリベラリズムを有難がっているし・・・)。もちろん、石垣氏は党高級幹部ではないので、彼女の言い分をそのまま党の体質であると断定することには慎重になる必要はありますが、しかし党所属の国会議員は、党員の中から選抜された人材である点において、高級幹部でないにしても幹部級というべき人材です。ある程度「立憲民主党」を体現しているといってよいと思われます。

なお私はチュチェの社会主義者として安倍首相・安倍内閣の政策はあまり評価しない立場ですが、人間・安倍晋三氏が難病指定されている持病を再発させたという報道については、政治的立場はまったく異なるものの、同じ人間としてお見舞い申し上げたいと思います。また、チュチェの社会主義者の立場から申せば、安倍首相・安倍内閣は甚だ不十分ではありますが、そうはいってもある程度の範囲で国民生活の維持という政策課題は達成してきた点において、安倍首相・安倍内閣にはまったく功績がないとは言えないと考えています。安倍首相には、「不十分な点は多々あったが、それはともかく『お疲れさまでした』」と申したいと思います。
posted by 管理者 at 23:51| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする