アメリカ本国でさえそうなのだから、遠く海を隔てた日本で最新の状況が分かるはずもありません。もともとCNNをはじめとする極一部のメディア報道からの引用で成り立っている日本メディア及び日本語メディアの情勢報道は、アメリカ本国での混乱ぶりを受けて、何を報じてよいのかわからない状態になっているようです。NHKのような海外取材力のある極一部のメディアだけが、かろうじてルポ的な記事を書くのが精いっぱいになっています。中小メディアや個人評論家レベルでは、メディアの報道を引用して独自の視点を加味しつつ論評しようにも引用できる報道がないので、ほとんど実りのある情報発信になっていません。
そんな状況を反映してか、近頃は単なる「個人的信念の表明」、それもだいぶブッ飛んだ信念信念の表明としての日本語記事が出てくるようになってきました。トランプ・バイデン両氏に自己の個人的信念を投影し、「彼ならやってくれるはずだ!」と期待を寄せる演説です。
■左翼の独善的かつ願望的な情勢認識とまったく同じ論理構造で必勝を予言するトランプシンパ
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a255792bcee8f4026e92c3d433808d0b6e79370
トランプは勝つ!
10/21(水) 12:27配信
Wedge
(中略)
誰を選ぶかよりも、何を選ぶかだ
結論から言おう――。
大統領選挙といえば、誰を選ぶかだが、今回はちょっと違う。誰(Who)を選ぶよりも、何(What)を選ぶかである。トランプかバイデンかでもなければ、共和党か民主党かでもない。どんな生き方(What)を選ぶかであって、どうしても「Who」というなら、それは有権者自分自身にほかならない。つまり、主体の国民が客体の候補者を選ぶという「Who-Who」の関係ではない。有権者が自分自身との対話で自分自身の生き方(What)を選ぶことである。
(中略)
エスタブリッシュメントと社会底辺の乖離
トランプはいわゆる「エスタブリッシュメント」(社会的に確立した体制・制度、支配階級・上流階級)の層に属している。エスタブリッシュメント同士には利益争奪のための戦いがあっても、エスタブリッシュメントそのものを構造的に切り崩そうとする破壊行為は稀有だ。トランプはいささか反逆者にみえる。
(中略)
トランプは、エスタブリッシュメントに属しながらも、エスタブリッシュメントという概念それ自体を否定しているわけではない。ただ、そうなるための手段、蓄財の手段はきちんとしたルールに従わなければならないと主張し、ルールの歪みを排除しようとしたのである。
民主国家の米国にいながらも、有利な立場や権力、地位を利用し、中国共産党の不正な利益提供を手中にし、エスタブリッシュメントに成り上がったり、富を膨らませたりする輩、いわゆるディープステートは容認できない。それらを一掃すべく、「ドレイン・ザ・スワンプ」(参考:『米台国交回復決議案可決、国民党の「変節」と「赤狩り」時代の到来』)キャンペーンが必要だとしている。
米国社会の社会主義的な左傾化が指摘されてきたが、純粋な政治的理念としてのリベラル左翼は思想の自由として容認されるべきだが、現状はそう簡単ではない。中国共産党の浸透・侵食は決して単なる政治的理念や信条、立場の選択にとどまらない。それが自由民主主義国家の固有ルールを破壊し、悪の新秩序を作り上げようとしている。実力で市場の競争を勝ち抜いてエスタブリッシュメントの仲間入りするには問題ないが、独裁政権と不正に結託して、権力で私腹をこやして悪の蓄財をすることは許されない。ディープステート問題の本質はここにある。
(中略)
トランプはなぜ選ばれるのか?
自由経済の資本主義社会では、階級や階層は決して固定されたものでなく、上下双方向の流動性を有しているはずだ。しかし、独裁者との癒着・結託を背景とするシステムは、特権階級の恒久的地位や利益を担保する一方、社会の下層や底辺が這い上がることを妨害し、格差を恒久的に固定しようとする。
ワシントンのスワンプ(沼地)に棲息している政治家の一部がこのエスタブリッシュメントに所属しているだけに、真剣に庶民の利益などを考えたりはしない。「ドレイン・ザ・スワンプ」で沼の泥水を抜き取って、ワニやら蛭やら毒蛇やら露出させ、穢れを一掃しようとしたのは、外野からやってきたトランプだったのである。
米国社会に必要なのは、エスタブリッシュメントの消滅ではない。社会の流動性であり、流動性を担保するルールであり、誰もがエスタブリッシュメント入りできる可能性であり、つまり、アメリカン・ドリームなのである。これがトランプが目指している「Make American Great Again(アメリカ合衆国を再び偉大な国に )」である。
多くの米国民がすでにこの本質を見抜いたならば、彼らは間違いなくトランプに1票を投じるだろう。国民の覚醒を妨害するためにも、多くの主流メディアはこぞってトランプを批判し、あたかもバイデン民主党が正義の味方であり、勝てるかのようなムードを作り上げる必要があった。洗脳工作は何も社会主義国家独裁政権の専売特許ではない。世界一とされる民主主義国家アメリカにも、存在しているし、時にはより巧妙な手口が使われているのである。
「古き良き」アメリカ自由主義、アメリカン・ドリームの思想がとても鮮明に表れている、個人的信念の表明としては名文的かもしれません。しかしながら、「多くの米国民がすでにこの本質を見抜いたならば、彼らは間違いなくトランプに1票を投じるだろう」といいますが、問題は、アメリカの有権者たちにどれほどこうした思想が広まっているのかというところにあります。そこがまさに今問われていることなのです。
「みんなが真実を知れば、間違いなく・・・」論は、「労働者たちが階級意識に目覚めれば、革命党の指導の下、プロレタリア革命の隊列に加わるはず」という左翼の独善的かつ願望的な情勢認識とまったく同じ論理構造。ここまで追い詰められているのでしょうか・・・
■反中国で凝り固まり社会構造の本質が見抜けていないトランプシンパ
https://news.yahoo.co.jp/articles/44388ca29ee6f83ae83e244fd32efc193ae0a6b9
バイデンはあまりにも弱い候補だ「安いモノを世界に提供する仕組みであった中国のモノづくりとサプライチェーンに対する反感が強まった。アメリカだけでなく世界の人々はいまや、世界経済を動かしている資本主義体制のなかで、独裁体制に基づく中国のモノづくり体制が許されているのは間違いだ、と思い始めている」――この方の中では、世界はさぞかしサステナブルで搾取なき人権尊重社会に近づいているのでしょうね。たしかに"SDGs"などと言われるようになりつつはありますが、しかしそういった運動は、どちらかというとリベラリズムの「シマ」というべきものです。共和党・トランプ政権は、どちらかというと、そういった運動からは少し距離があるというべきでしょう。
10/17(土) 6:05配信
PHPオンライン衆知(Voice)
(中略)
つまりバイデンは、32年間における失敗の山の上に座っている。正確に言えば、ブッシュ・シニアに始まってオバマに至る28年間の失敗である。トランプ大統領はそういった失敗を正す政治をやろうとしてきたが、バイデン候補はこの失敗を、さらに大きくしようとしている。
ブッシュ・シニアから始まって、オバマに至る民主党と共和党の、合わせて4人の大統領が行ってきた政治、外交、財政の失敗は、コロナウィルス騒ぎによって一挙に鮮明になった。
この騒ぎの結果、いまアメリカで起きていることは世界の縮図である。多くの人々が自分のことばかりを考えるようになってしまい、世界が国家主義的な対立の真っただ中に置かれている。そして、この国家主義的な動きはそのまま中国の不法、無法に対する強い反感となって表れ、これまでの中国甘やかし政策をやめざるをえなくなっている。
それだけではなく、安いモノを世界に提供する仕組みであった中国のモノづくりとサプライチェーンに対する反感が強まった。アメリカだけでなく世界の人々はいまや、世界経済を動かしている資本主義体制のなかで、独裁体制に基づく中国のモノづくり体制が許されているのは間違いだ、と思い始めている。
こうしたいわば歴史的とも言えるコロナウィルス騒ぎのなかで登場したアメリカ民主党大統領候補のジョー・バイデンは、この事態への対応策をまったく持っていない。
(以下略)
いまや中国は露骨な資本主義・露骨な帝国主義に成り下がっています。その点においては、程度の差はあれども本質的にはアメリカと違いはありません。
確かに中華は中国共産党による露骨な人治的階級社会です。しかしでは、アメリカはどうなのかというと、貨幣制度・資本制度の発達により人間同士の支配・被支配関係が高度に物象化されており、中国では露骨な人治によっている階級社会が、カネによっているに過ぎません(「人と人との関係」が「物と物との関係」として現れることを物象化といいます)。
中国においては、中国共産党という明確に実態をもつ組織が「裁量的」に利益を分配し、主に物理的暴力を背景に体制を脅かすものを懐柔したり抑圧しているのに対して、アメリカの場合は、特定の人物や組織の裁量によるのではなく、経済構造や社会構造自体が既得権者に都合よく作られているために利益分配が「自動的」に行われ、主に金銭を背景に体制を脅かすものを懐柔したり抑圧しているのです(もちろん、中国においても物理的暴力だけでなく札束で頬を叩く方法を取ることもあるし、アメリカにおいても札束で頬を叩くだけではなく物理的暴力に訴え出ることもあります)。
その意味では、本質的には中国もアメリカも大差ありません。アメリカの方が支配構造が巧妙に隠蔽されていると言いうるものです。党のチカラで沈黙させられること・死に追いやられる(殺されることを含む)と、カネのチカラで沈黙させられること・死に追いやられる(経済的困窮による餓死・病死等を含む)ことに一体何の違いがあるというのでしょうか?
反中国で凝り固まった人は社会構造の本質が見抜けず、そして、帝国主義覇権争い上の都合で反中国の姿勢を鮮明にしているに過ぎないトランプ氏が正義であると映ってしまい、あたかも今回の大統領選挙が「自由と民主主義をめぐる価値観の戦い」に見えてしまうのでしょう。実際のところ、アメリカと中国の単なる帝国主義覇権争いに過ぎないのに。
「個人的信念の表明」という点では、バイデンシンパも負けてはいません。むしろ、リベラリストこそが「個人的信念」一辺倒であります。
■立憲民主党のような対立軸を描き出すバイデンシンパ
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d673e2a5e1dce55fa958c3a7bb7a207375551ac
トランプ氏、自滅回避優先 バイデン氏は手堅く反撃 米大統領選討論会〔深層探訪〕「トランプ氏は「われわれを団結に導くのは『成功』だ」と語り、理想より国民生活の向上を重視する考えを示した」という総括はまずいでしょう。「理想」と「国民生活の向上」を対立軸に据えて対決構図を描くことは、あまりにも生活者の実感から乖離しています。
10/24(土) 8:33配信
時事通信
(中略)
◇国家観の違い明確
トランプ氏とバイデン氏の国家観の違いが浮き彫りになったのは、米国民の融和に向けた考え方をめぐってだ。
「私は米国の大統領になる。私に投票した人もそうでない人も、全ての国民を代表する」。こう述べたバイデン氏に対し、トランプ氏は「われわれを団結に導くのは『成功』だ」と語り、理想より国民生活の向上を重視する考えを示した。
テネシー州立ミドルテネシー大のジェームズ・サイラー教授は今回の討論について「大統領選の基本構図に大きな影響をもたらさなかった」とみる。ただ討論以外の活動次第で、情勢が動く余地は残されている。
トランプ氏は1日2回の選挙集会をこなす猛烈な地上戦を展開。一部激戦州ではバイデン氏との差を縮めているという分析もある。逃げ切りを図るバイデン氏に対し、トランプ氏は残り10日余り、自身の支持者をさらに奮い立たせ、勝負を懸ける構えだ。(ワシントン時事)
そもそもトランプ氏もバイデン氏も、そういう意図で発言したのでしょうか? 日本の立憲民主党のような、ホンネでは政権獲得を目指していない観念主義政党であれば、そういったキレイゴトを平気で口にするでしょうが、ビフォー・コロナにおいて経済分野で一定の成果を挙げてきたトランプ氏を本気で引きずり落そうとしているバイデン氏・バイデン陣営が、「国民生活の向上」を考慮していないとは考えにくいところです。
ちなみに、上記引用範囲外ですが、「バイデン氏は時折言葉に詰まりながらも大きな失態を演じることはなく、手堅さが際立った」・・・? 相変わらずエネルギー政策は迷走しているようですが・・・
とんでもない「個人的信念」をバイデン氏に一方的に託している時事通信編集部の姿です。
■ここまでくると、もはや無茶苦茶なバイデンシンパ
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd286957eee6634978c875e6e1f21618533b8dac「東欧の共産主義独裁者とアメリカのデマゴーグ大統領を比較するのはかなり乱暴な面もありますが」と予防線を張るロバートソン氏ですが、チャウシェスクを持ち出すことで一体何が言いたいのか皆目見当もつかない意味不明なくだりです。
「コロナ明け」のトランプに感じた"虚像の終わり"
10/26(月) 6:00配信
週プレNEWS
(中略)
入院からわずか3日で退院し、ヘリコプターでホワイトハウスへ帰還すると、バルコニーでマスクを外してみせたトランプ大統領。「新型コロナに勝った強い指導者」を演出したわけですが、その映像はいつものような"つくり込み"が不十分で、言葉を選ばず言えば「ショボい」という印象を受けました。
"トランプひと筋"な人たちにとっては劇的なカムバックだったでしょうが、リベラル層のみならず無党派層でも、「魔法が解けた」ように感じた人は少なくなかったのではないでしょうか。
僕が思い出したのは、東欧のルーマニアの革命前夜――1989年12月21日に首都ブカレストの旧共産党本部庁舎前広場で、10万人を動員して行なわれた独裁者ニコラエ・チャウシェスク大統領による最後の大演説です。東欧の共産主義独裁者とアメリカのデマゴーグ大統領を比較するのはかなり乱暴な面もありますが、まあ聞いてください。
(中略)
約2分後、画面には再び演説を始めたチャウシェスクが映りましたが、彼はひどく動転していた。その瞬間、24年にわたり偉大な指導者として君臨してきた人物が、等身大の老人にしか見えなくなってしまったのです(4日後、彼と妻は銃殺刑となりました)。
まだ11月3日の米大統領選挙まで何があるかわかりませんが、31年前のチャウシェスクがそうだったように、あのホワイトハウスでの映像はトランプの"虎の威"がはがれた瞬間だったのかもしれません。
連邦最高裁判事に超保守派のエイミー・コーニー・バレットを指名したトランプは、コロナに感染する直前まで、有利な状況をつくり上げつつありました。大統領選前にバレットの承認手続きが完了すれば、最高裁判事は9人中6人が保守派となるからです。
激戦州で再集計が必要なほどの接戦にさえ持ち込めば、最高裁に結論を求めて結果を歪めることもできた。2000年に共和党のブッシュ陣営が選挙人制度の虚を突いて、より多くの票を獲得した民主党のゴア陣営を負かしたように。
(以下略)
ちなみに、チャウシェスク政権崩壊について言えば、Wikipediaにもありますが、同政権を打倒し大統領を処刑したまではいいが国民生活の改善・向上が遅れ、政権崩壊10周年にあたって行われた世論調査では、6割を超えるルーマニア国民が「チャウシェスク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と答えました。「チャウシェスクが恋しい」という人までいたというオチ付きです。こんな「不吉」なものを引き合いに出してしまってよいのでしょうか?w「打倒トランプ」の野合といっても過言ではないバイデン陣営には統一的な政策がなさそうですが、仮にバイデン氏が当選したとして数年後「トランプが恋しい」になったら、私はロバートソン氏のこの記事を思い出して爆笑することでしょうw
「激戦州で再集計が必要なほどの接戦にさえ持ち込めば、最高裁に結論を求めて結果を歪めることもできた。2000年に共和党のブッシュ陣営が選挙人制度の虚を突いて、より多くの票を獲得した民主党のゴア陣営を負かしたように」というのも理解しがたい言い分です。
2000年の大統領選挙も総得票数では民主党のゴア氏が勝っていたものの、特に大票田・フロリダ州での本当にわずかな票差が、連邦最高裁の再集計打ち切りによって共和党のブッシュ氏の勝ちとして判定され、「勝者総取り方式による選挙人制度」の仕組みによりブッシュ氏が大統領となりました。しかし、これは「結果を歪め」たというべきなのでしょうか?
再集計を途中で打ち切ってしまったので今となっては「真相」はもう分かりませんが、最後に報じられたタイミングでは「ブッシュ氏150票差で優勢」でした。「正式な報告ではないが実は、ゴア氏の方が得票数が多いらしい・・・」という情報が出回り始めたタイミングで先制攻撃的に再集計打ち切りが決定されたのであれば、それは「結果を歪め」たとも言い得ますが、150票差といえどもブッシュ氏が優勢だったのであれば、そのように言われる筋合いはないでしょう。
たしかに当時も連邦最高裁は保守寄りでした。再集計打ち切りはブッシュ氏にとっては有利に働きました。このこと自体は事実です。しかし、登場人物たちの人間関係・利害関係を下敷きとしつつ「結果的に利益を得た」こととを理由に、それが「仕組まれたもの」とみなすのは、典型的な陰謀論の考え方であります。
「選挙人制度の虚」なる言い分は失当でしょう。10月18日づけ「「文化戦争」はトランプ氏を勝たせるのか?/少数意見を議論の俎上に載せる「勝者総取り方式による選挙人制度」」でも指摘したとおり、アメリカは"United States"、すなわち「主権を持つ各州」の連邦国家であるからこそ「主権を持つ各州ごとに連邦大統領候補を一人選ぶ」の制度を取っているのです。もちろん、勝者総取り方式をとっていない州もありますが、それもそれで州の主権であり他人が口出しすることではありません。
なお、「結果を歪める」について言えば、「米大統領選が大接戦にもつれたら出現へ、バイデン氏の隠された強み」(9/7(月) 0:19配信 Bloomberg)によると、「民主党のジョー・バイデン候補には隠れた強みがある。勝敗を決すると目される主要州の多くで選挙管理当局のトップは民主党員なのだ」とのこと。「犯行予告」なのでしょうか? 結果を歪めかねないのは、トランプ氏だけではないのです。
■総括
極限的状態においてこそ、その人の本当の姿が見えるものですが、「凄いものを見てしまった」というのが率直な感想です。ここまでイデオロギー丸出しになる極端な時代になってしまったようです。
ラベル:「世間」・「世論」