2020年10月27日

だいぶブッ飛んだ信念の表明が相次ぎ始めたアメリカ大統領選挙関連の情報発信

アメリカ大統領選挙が最終盤を迎えています。ここに至っても「バイデン氏優勢」と報じられながらも、バイデン陣営さえもそれを信用していないという状況にあります。トランプ・バイデン両氏による討論会がすべての日程を消化したにも関わらず、結局どちらも「決定打」を繰り出すことはできなかったとのこと。依然として接戦が続いているようです。

アメリカ本国でさえそうなのだから、遠く海を隔てた日本で最新の状況が分かるはずもありません。もともとCNNをはじめとする極一部のメディア報道からの引用で成り立っている日本メディア及び日本語メディアの情勢報道は、アメリカ本国での混乱ぶりを受けて、何を報じてよいのかわからない状態になっているようです。NHKのような海外取材力のある極一部のメディアだけが、かろうじてルポ的な記事を書くのが精いっぱいになっています。中小メディアや個人評論家レベルでは、メディアの報道を引用して独自の視点を加味しつつ論評しようにも引用できる報道がないので、ほとんど実りのある情報発信になっていません。

そんな状況を反映してか、近頃は単なる「個人的信念の表明」、それもだいぶブッ飛んだ信念信念の表明としての日本語記事が出てくるようになってきました。トランプ・バイデン両氏に自己の個人的信念を投影し、「彼ならやってくれるはずだ!」と期待を寄せる演説です。

■左翼の独善的かつ願望的な情勢認識とまったく同じ論理構造で必勝を予言するトランプシンパ
https://news.yahoo.co.jp/articles/1a255792bcee8f4026e92c3d433808d0b6e79370
トランプは勝つ!
10/21(水) 12:27配信
Wedge
(中略)
誰を選ぶかよりも、何を選ぶかだ
 結論から言おう――。

 大統領選挙といえば、誰を選ぶかだが、今回はちょっと違う。誰(Who)を選ぶよりも、何(What)を選ぶかである。トランプかバイデンかでもなければ、共和党か民主党かでもない。どんな生き方(What)を選ぶかであって、どうしても「Who」というなら、それは有権者自分自身にほかならない。つまり、主体の国民が客体の候補者を選ぶという「Who-Who」の関係ではない。有権者が自分自身との対話で自分自身の生き方(What)を選ぶことである。
(中略)
エスタブリッシュメントと社会底辺の乖離
 トランプはいわゆる「エスタブリッシュメント」(社会的に確立した体制・制度、支配階級・上流階級)の層に属している。エスタブリッシュメント同士には利益争奪のための戦いがあっても、エスタブリッシュメントそのものを構造的に切り崩そうとする破壊行為は稀有だ。トランプはいささか反逆者にみえる。
(中略)
 トランプは、エスタブリッシュメントに属しながらも、エスタブリッシュメントという概念それ自体を否定しているわけではない。ただ、そうなるための手段、蓄財の手段はきちんとしたルールに従わなければならないと主張し、ルールの歪みを排除しようとしたのである。

 民主国家の米国にいながらも、有利な立場や権力、地位を利用し、中国共産党の不正な利益提供を手中にし、エスタブリッシュメントに成り上がったり、富を膨らませたりする輩、いわゆるディープステートは容認できない。それらを一掃すべく、「ドレイン・ザ・スワンプ」(参考:『米台国交回復決議案可決、国民党の「変節」と「赤狩り」時代の到来』)キャンペーンが必要だとしている。

 米国社会の社会主義的な左傾化が指摘されてきたが、純粋な政治的理念としてのリベラル左翼は思想の自由として容認されるべきだが、現状はそう簡単ではない。中国共産党の浸透・侵食は決して単なる政治的理念や信条、立場の選択にとどまらない。それが自由民主主義国家の固有ルールを破壊し、悪の新秩序を作り上げようとしている。実力で市場の競争を勝ち抜いてエスタブリッシュメントの仲間入りするには問題ないが、独裁政権と不正に結託して、権力で私腹をこやして悪の蓄財をすることは許されない。ディープステート問題の本質はここにある。
(中略)
トランプはなぜ選ばれるのか?
 自由経済の資本主義社会では、階級や階層は決して固定されたものでなく、上下双方向の流動性を有しているはずだ。しかし、独裁者との癒着・結託を背景とするシステムは、特権階級の恒久的地位や利益を担保する一方、社会の下層や底辺が這い上がることを妨害し、格差を恒久的に固定しようとする。

 ワシントンのスワンプ(沼地)に棲息している政治家の一部がこのエスタブリッシュメントに所属しているだけに、真剣に庶民の利益などを考えたりはしない。「ドレイン・ザ・スワンプ」で沼の泥水を抜き取って、ワニやら蛭やら毒蛇やら露出させ、穢れを一掃しようとしたのは、外野からやってきたトランプだったのである。

 米国社会に必要なのは、エスタブリッシュメントの消滅ではない。社会の流動性であり、流動性を担保するルールであり、誰もがエスタブリッシュメント入りできる可能性であり、つまり、アメリカン・ドリームなのである。これがトランプが目指している「Make American Great Again(アメリカ合衆国を再び偉大な国に )」である。

 多くの米国民がすでにこの本質を見抜いたならば、彼らは間違いなくトランプに1票を投じるだろう。国民の覚醒を妨害するためにも、多くの主流メディアはこぞってトランプを批判し、あたかもバイデン民主党が正義の味方であり、勝てるかのようなムードを作り上げる必要があった。洗脳工作は何も社会主義国家独裁政権の専売特許ではない。世界一とされる民主主義国家アメリカにも、存在しているし、時にはより巧妙な手口が使われているのである。

「古き良き」アメリカ自由主義、アメリカン・ドリームの思想がとても鮮明に表れている、個人的信念の表明としては名文的かもしれません。しかしながら、「多くの米国民がすでにこの本質を見抜いたならば、彼らは間違いなくトランプに1票を投じるだろう」といいますが、問題は、アメリカの有権者たちにどれほどこうした思想が広まっているのかというところにあります。そこがまさに今問われていることなのです。

「みんなが真実を知れば、間違いなく・・・」論は、「労働者たちが階級意識に目覚めれば、革命党の指導の下、プロレタリア革命の隊列に加わるはず」という左翼の独善的かつ願望的な情勢認識とまったく同じ論理構造。ここまで追い詰められているのでしょうか・・・

■反中国で凝り固まり社会構造の本質が見抜けていないトランプシンパ
https://news.yahoo.co.jp/articles/44388ca29ee6f83ae83e244fd32efc193ae0a6b9
バイデンはあまりにも弱い候補だ
10/17(土) 6:05配信
PHPオンライン衆知(Voice)

(中略)
つまりバイデンは、32年間における失敗の山の上に座っている。正確に言えば、ブッシュ・シニアに始まってオバマに至る28年間の失敗である。トランプ大統領はそういった失敗を正す政治をやろうとしてきたが、バイデン候補はこの失敗を、さらに大きくしようとしている。

ブッシュ・シニアから始まって、オバマに至る民主党と共和党の、合わせて4人の大統領が行ってきた政治、外交、財政の失敗は、コロナウィルス騒ぎによって一挙に鮮明になった。

この騒ぎの結果、いまアメリカで起きていることは世界の縮図である。多くの人々が自分のことばかりを考えるようになってしまい、世界が国家主義的な対立の真っただ中に置かれている。そして、この国家主義的な動きはそのまま中国の不法、無法に対する強い反感となって表れ、これまでの中国甘やかし政策をやめざるをえなくなっている。

それだけではなく、安いモノを世界に提供する仕組みであった中国のモノづくりとサプライチェーンに対する反感が強まった。アメリカだけでなく世界の人々はいまや、世界経済を動かしている資本主義体制のなかで、独裁体制に基づく中国のモノづくり体制が許されているのは間違いだ、と思い始めている。

こうしたいわば歴史的とも言えるコロナウィルス騒ぎのなかで登場したアメリカ民主党大統領候補のジョー・バイデンは、この事態への対応策をまったく持っていない。
(以下略)
安いモノを世界に提供する仕組みであった中国のモノづくりとサプライチェーンに対する反感が強まった。アメリカだけでなく世界の人々はいまや、世界経済を動かしている資本主義体制のなかで、独裁体制に基づく中国のモノづくり体制が許されているのは間違いだ、と思い始めている」――この方の中では、世界はさぞかしサステナブルで搾取なき人権尊重社会に近づいているのでしょうね。たしかに"SDGs"などと言われるようになりつつはありますが、しかしそういった運動は、どちらかというとリベラリズムの「シマ」というべきものです。共和党・トランプ政権は、どちらかというと、そういった運動からは少し距離があるというべきでしょう。

いまや中国は露骨な資本主義・露骨な帝国主義に成り下がっています。その点においては、程度の差はあれども本質的にはアメリカと違いはありません

確かに中華は中国共産党による露骨な人治的階級社会です。しかしでは、アメリカはどうなのかというと、貨幣制度・資本制度の発達により人間同士の支配・被支配関係が高度に物象化されており、中国では露骨な人治によっている階級社会が、カネによっているに過ぎません(「人と人との関係」が「物と物との関係」として現れることを物象化といいます)。

中国においては、中国共産党という明確に実態をもつ組織が「裁量的」に利益を分配し、主に物理的暴力を背景に体制を脅かすものを懐柔したり抑圧しているのに対して、アメリカの場合は、特定の人物や組織の裁量によるのではなく、経済構造や社会構造自体が既得権者に都合よく作られているために利益分配が「自動的」に行われ、主に金銭を背景に体制を脅かすものを懐柔したり抑圧しているのです(もちろん、中国においても物理的暴力だけでなく札束で頬を叩く方法を取ることもあるし、アメリカにおいても札束で頬を叩くだけではなく物理的暴力に訴え出ることもあります)。

その意味では、本質的には中国もアメリカも大差ありません。アメリカの方が支配構造が巧妙に隠蔽されていると言いうるものです。党のチカラで沈黙させられること・死に追いやられる(殺されることを含む)と、カネのチカラで沈黙させられること・死に追いやられる(経済的困窮による餓死・病死等を含む)ことに一体何の違いがあるというのでしょうか?

反中国で凝り固まった人は社会構造の本質が見抜けず、そして、帝国主義覇権争い上の都合で反中国の姿勢を鮮明にしているに過ぎないトランプ氏が正義であると映ってしまい、あたかも今回の大統領選挙が「自由と民主主義をめぐる価値観の戦い」に見えてしまうのでしょう。実際のところ、アメリカと中国の単なる帝国主義覇権争いに過ぎないのに。

「個人的信念の表明」という点では、バイデンシンパも負けてはいません。むしろ、リベラリストこそが「個人的信念」一辺倒であります。

■立憲民主党のような対立軸を描き出すバイデンシンパ
https://news.yahoo.co.jp/articles/5d673e2a5e1dce55fa958c3a7bb7a207375551ac
トランプ氏、自滅回避優先 バイデン氏は手堅く反撃 米大統領選討論会〔深層探訪〕
10/24(土) 8:33配信
時事通信
(中略)
 ◇国家観の違い明確
 トランプ氏とバイデン氏の国家観の違いが浮き彫りになったのは、米国民の融和に向けた考え方をめぐってだ。

 「私は米国の大統領になる。私に投票した人もそうでない人も、全ての国民を代表する」。こう述べたバイデン氏に対し、トランプ氏は「われわれを団結に導くのは『成功』だ」と語り、理想より国民生活の向上を重視する考えを示した。

 テネシー州立ミドルテネシー大のジェームズ・サイラー教授は今回の討論について「大統領選の基本構図に大きな影響をもたらさなかった」とみる。ただ討論以外の活動次第で、情勢が動く余地は残されている。

 トランプ氏は1日2回の選挙集会をこなす猛烈な地上戦を展開。一部激戦州ではバイデン氏との差を縮めているという分析もある。逃げ切りを図るバイデン氏に対し、トランプ氏は残り10日余り、自身の支持者をさらに奮い立たせ、勝負を懸ける構えだ。(ワシントン時事)
トランプ氏は「われわれを団結に導くのは『成功』だ」と語り、理想より国民生活の向上を重視する考えを示した」という総括はまずいでしょう。「理想」と「国民生活の向上」を対立軸に据えて対決構図を描くことは、あまりにも生活者の実感から乖離しています。

そもそもトランプ氏もバイデン氏も、そういう意図で発言したのでしょうか? 日本の立憲民主党のような、ホンネでは政権獲得を目指していない観念主義政党であれば、そういったキレイゴトを平気で口にするでしょうが、ビフォー・コロナにおいて経済分野で一定の成果を挙げてきたトランプ氏を本気で引きずり落そうとしているバイデン氏・バイデン陣営が、「国民生活の向上」を考慮していないとは考えにくいところです。

ちなみに、上記引用範囲外ですが、「バイデン氏は時折言葉に詰まりながらも大きな失態を演じることはなく、手堅さが際立った」・・・? 相変わらずエネルギー政策は迷走しているようですが・・・

とんでもない「個人的信念」をバイデン氏に一方的に託している時事通信編集部の姿です。

■ここまでくると、もはや無茶苦茶なバイデンシンパ
https://news.yahoo.co.jp/articles/bd286957eee6634978c875e6e1f21618533b8dac
「コロナ明け」のトランプに感じた"虚像の終わり"
10/26(月) 6:00配信

週プレNEWS

(中略)
入院からわずか3日で退院し、ヘリコプターでホワイトハウスへ帰還すると、バルコニーでマスクを外してみせたトランプ大統領。「新型コロナに勝った強い指導者」を演出したわけですが、その映像はいつものような"つくり込み"が不十分で、言葉を選ばず言えば「ショボい」という印象を受けました。

"トランプひと筋"な人たちにとっては劇的なカムバックだったでしょうが、リベラル層のみならず無党派層でも、「魔法が解けた」ように感じた人は少なくなかったのではないでしょうか。

僕が思い出したのは、東欧のルーマニアの革命前夜――1989年12月21日に首都ブカレストの旧共産党本部庁舎前広場で、10万人を動員して行なわれた独裁者ニコラエ・チャウシェスク大統領による最後の大演説です。東欧の共産主義独裁者とアメリカのデマゴーグ大統領を比較するのはかなり乱暴な面もありますが、まあ聞いてください。

(中略)
約2分後、画面には再び演説を始めたチャウシェスクが映りましたが、彼はひどく動転していた。その瞬間、24年にわたり偉大な指導者として君臨してきた人物が、等身大の老人にしか見えなくなってしまったのです(4日後、彼と妻は銃殺刑となりました)。

まだ11月3日の米大統領選挙まで何があるかわかりませんが、31年前のチャウシェスクがそうだったように、あのホワイトハウスでの映像はトランプの"虎の威"がはがれた瞬間だったのかもしれません。

連邦最高裁判事に超保守派のエイミー・コーニー・バレットを指名したトランプは、コロナに感染する直前まで、有利な状況をつくり上げつつありました。大統領選前にバレットの承認手続きが完了すれば、最高裁判事は9人中6人が保守派となるからです。

激戦州で再集計が必要なほどの接戦にさえ持ち込めば、最高裁に結論を求めて結果を歪めることもできた。2000年に共和党のブッシュ陣営が選挙人制度の虚を突いて、より多くの票を獲得した民主党のゴア陣営を負かしたように。

(以下略)
東欧の共産主義独裁者とアメリカのデマゴーグ大統領を比較するのはかなり乱暴な面もありますが」と予防線を張るロバートソン氏ですが、チャウシェスクを持ち出すことで一体何が言いたいのか皆目見当もつかない意味不明なくだりです。

ちなみに、チャウシェスク政権崩壊について言えば、Wikipediaにもありますが、同政権を打倒し大統領を処刑したまではいいが国民生活の改善・向上が遅れ、政権崩壊10周年にあたって行われた世論調査では、6割を超えるルーマニア国民が「チャウシェスク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と答えました。「チャウシェスクが恋しい」という人までいたというオチ付きです。こんな「不吉」なものを引き合いに出してしまってよいのでしょうか?w「打倒トランプ」の野合といっても過言ではないバイデン陣営には統一的な政策がなさそうですが、仮にバイデン氏が当選したとして数年後「トランプが恋しい」になったら、私はロバートソン氏のこの記事を思い出して爆笑することでしょうw

激戦州で再集計が必要なほどの接戦にさえ持ち込めば、最高裁に結論を求めて結果を歪めることもできた。2000年に共和党のブッシュ陣営が選挙人制度の虚を突いて、より多くの票を獲得した民主党のゴア陣営を負かしたように」というのも理解しがたい言い分です。

2000年の大統領選挙も総得票数では民主党のゴア氏が勝っていたものの、特に大票田・フロリダ州での本当にわずかな票差が、連邦最高裁の再集計打ち切りによって共和党のブッシュ氏の勝ちとして判定され、「勝者総取り方式による選挙人制度」の仕組みによりブッシュ氏が大統領となりました。しかし、これは「結果を歪め」たというべきなのでしょうか?

再集計を途中で打ち切ってしまったので今となっては「真相」はもう分かりませんが、最後に報じられたタイミングでは「ブッシュ氏150票差で優勢」でした。「正式な報告ではないが実は、ゴア氏の方が得票数が多いらしい・・・」という情報が出回り始めたタイミングで先制攻撃的に再集計打ち切りが決定されたのであれば、それは「結果を歪め」たとも言い得ますが、150票差といえどもブッシュ氏が優勢だったのであれば、そのように言われる筋合いはないでしょう。

たしかに当時も連邦最高裁は保守寄りでした。再集計打ち切りはブッシュ氏にとっては有利に働きました。このこと自体は事実です。しかし、登場人物たちの人間関係・利害関係を下敷きとしつつ「結果的に利益を得た」こととを理由に、それが「仕組まれたもの」とみなすのは、典型的な陰謀論の考え方であります。

選挙人制度の虚」なる言い分は失当でしょう。10月18日づけ「「文化戦争」はトランプ氏を勝たせるのか?/少数意見を議論の俎上に載せる「勝者総取り方式による選挙人制度」」でも指摘したとおり、アメリカは"United States"、すなわち「主権を持つ各州」の連邦国家であるからこそ「主権を持つ各州ごとに連邦大統領候補を一人選ぶ」の制度を取っているのです。もちろん、勝者総取り方式をとっていない州もありますが、それもそれで州の主権であり他人が口出しすることではありません。

なお、「結果を歪める」について言えば、「米大統領選が大接戦にもつれたら出現へ、バイデン氏の隠された強み」(9/7(月) 0:19配信 Bloomberg)によると、「民主党のジョー・バイデン候補には隠れた強みがある。勝敗を決すると目される主要州の多くで選挙管理当局のトップは民主党員なのだ」とのこと。「犯行予告」なのでしょうか? 結果を歪めかねないのは、トランプ氏だけではないのです。

■総括
極限的状態においてこそ、その人の本当の姿が見えるものですが、「凄いものを見てしまった」というのが率直な感想です。ここまでイデオロギー丸出しになる極端な時代になってしまったようです。
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2020年10月23日

バイデン政権が仮に発足したとしても「表面的取り繕い」に過ぎず、人種差別意識が地下化するだけで社会総体は何も変わらない;キレイゴトとしてのリベラリズム・「良識派」批判

https://news.yahoo.co.jp/articles/5fd156eb14f9db03131057dc96ae96561e39d61c
高まる女性層の反トランプ感情、保守の牙城が激戦州に
10/18(日) 19:00配信
朝日新聞デジタル
(中略)
 13歳で政治に関わり始めたというロウルズさん自身、長年の共和党支持者だ。しかし、15年に保守派の会合でトランプ氏の話を聞き、「独裁者のようだ」と危惧を抱いた。トランプ氏は大統領に就任すると、抗議デモに車を突っ込ませて女性を死亡させた、白人至上主義グループをかばう姿勢を見せた。

 「政策という次元ではなく、人間性の問題だ。トランプ氏のせいで、差別主義者がその考えを隠そうともしなくなった」とロウルズさんは憤る。4年前は第3党の候補に投票したが、今回は「穏健で考え方が近く、人格も優れている」バイデン氏を支持する。

(以下略)
トランプ氏のせいで、差別主義者がその考えを隠そうともしなくなった」とは、いかにも「良識派」の反応・・・さすがに最近は、「トランプ氏が差別主義的世論を主導的に操っている!」といった具合の主張はほとんど見られなくなってきましたが、本件のように相変わらず、「トランプ氏が与える悪影響」といった見立ては頻繁にみられます。

10月3日づけ「アメリカ大統領選挙は主体的にはどう見るべきか」でも述べましたが、トランプ氏が無垢な大衆を洗脳して「親衛隊」に仕立てあげたわけではなく、大衆が信じたいこと・都合の良いことをトランプ氏が上手く代弁してくれるから大衆は彼を支持し、結果的に「トランプ現象」が起きているのです。それゆえ、仮にトランプ氏が表舞台を去ったところで支持者や「信者」たちは、似たような主張を展開する人物を探し出して次の「教祖」として崇め奉り、相変わらず「トランプ現象」を継承するがごとく同じような活動を展開し続けることでしょう。支持者・「信者」がこれからも残り続ける限り、仮にトランプ氏が居なくなっても「トランプ現象」がなくなることはありません

きたる大統領選挙でトランプ氏が落選したとしましょう。しかし、トランプ支持率はコンスタントに40パーセント前後は存在しています。トランプ氏支持者の全員が全員、差別主義者とは言いませんが、そのうちの無視しえない人数が差別主義者であることは容易に想像できます。割と多いではありませんか! 仮にトランプ氏が落選したところで、差別主義者が消えてなくなるわけでは決してないのです。

そのため、仮にバイデン氏が当選してリベラリズムや「良識派」の教義に従ったキャンペーンが展開されたところで、トランプ主義の差別主義者が劇的に改心(回心)するはずがありません。「分の悪さ」を悟って露骨な差別主義行動を控えるようになったとしても、心底から転向するはずもなく、その強烈な差別意識は単に地下化して「見えなくなる」たけでしょう。表向きは差別主義が見当たらなくなったとしても、それは表面的な取り繕いにすぎず、その差別意識は決して根絶されないのです。何一つ解決しないのです。

にもかかわらず、「トランプ氏のせいで、差別主義者がその考えを隠そうともしなくなった」などとしつつバイデン氏を支持する「良識的」なロウルズさん実に浅はかであります。

もっとも、記事を読む限り「良識的」なロウルズさんは、表面的な取り繕い程度で「歴史の進歩だ!」とはしゃぎまわる、底の浅いお方なのかもしれません

当ブログでは以前から主体的社会主義の立場に立って、観念論としてのリベラリスト及び「良識的市民」の近視眼的な発想・言説を批判してきました。特に昨年3月9日づけ「眼の前の現象にばかり引きずられ、その根底にある構造的問題に考慮が至らない、いかにも「リベラル」が思いつきそうな底の浅いキャンペーンき」においては、「候補者男女均等法」なる建前だけのキャンペーンを真に受け、地域社会の男性優位的構造を一顧だにせず、「(地方議会における)女性ゼロがどの程度解消されるかが注目される」などとはしゃぎまわる、リベラル紙・朝日新聞の底の浅さを指摘しました。

その根本的動機は、観念論としてのリベラリズムが、いい歳しても尚、中学校の学級委員・風紀委員レベルのキレイゴト・建前の取り繕いに終始している点にあります。世の中はもっと「汚い」ものです。社会変革は建前・観念からではなく現実・事実から出発する必要があります。こうした事実を革めるためには、もっともっと「泥臭く」なくてはなりません。建前・観念、キレイゴトはなく現実・事実から出発すればこそ、表面的な取り繕いが「歴史の進歩」であるわけがないのです。

リベラリストや「良識的市民」は、本質的には啓蒙主義の系譜に位置し、その発想の根底は「自分は…と思う」であります。己の理解・感覚が中心にあるわけです。それゆえに、己のオツムに理解できる程度のストーリーで「納得」してしまい、表面的な取り繕いに過ぎないものを「歴史の進歩」などと無邪気に評価してしまうのでしょう。

今回のアメリカ大統領選挙は、総じてバイデン氏の優勢が報じられているところですが、当のバイデン陣営がそうした報道に警戒感をもっているように依然として結果予測が困難ですが、ひとつ確実的に言えることは、相変わらずリベラリストや「良識派」は、表面的な取り繕いが「歴史の進歩」だと無邪気にも考えているところにあるでしょう。しかし、仮にバイデン氏が当選してバイデン政権が発足したとして、表向きは変わったとしても、「地下世界」を含む社会総体は依然として何も変わらないでしょう。

ところで、ロウルズさんは、「15年に保守派の会合でトランプ氏の話を聞き、「独裁者のようだ」と危惧を抱いた」とのことで、すでに前回の大統領選挙の時点でアンチ・トランプだったわけですよね・・・「高まる女性層の反トランプ感情」の文脈でロウルズさんを取り上げる朝日新聞編集部は、時系列が混乱しているのかな?
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2020年10月19日

さすが「大阪文化大革命」、味方か敵か維新か否かで物事を考えられない「紅衛兵」たち

https://news.yahoo.co.jp/articles/801389a461765f6519a56c1b3df392f8ef172cda
「大阪都構想」が反対派からこれほど“毛嫌い”される理由
10/13(火) 6:05配信
PHPオンライン衆知(Voice)

(本文省略)
記事の内容よりもコメ欄。こりゃすごい(呆)

サンプルその1
批判する人は大阪市がどんなに力のある都市であったことを知らないからです。維新の前まで
知事より大阪市長の方が給料が高額だったし、
大阪市役所の職員の横暴も凄かった。
空出張、空残業なんか当たり前状態。維新の市長が誕生して、やっとマトモになった。
そんな市役所職員を共産党は市民より優先して守ると宣言した。
自民党は過去の特権を戻そうとしている。
それで本当にいいのですか?
維新以前の「大阪市役所の職員の横暴も凄かった」という指摘、及び「維新の市長が誕生して、やっとマトモになった」という主張が事実だと仮定しましょう。それで、維新のいままでの奮闘と「大阪都構想」の妥当性に一体何の関係が?

「あの維新がいうんだから正しいに違いない」というのであれば、それはもはや「宗教的信仰」または「毛沢東崇拝的盲信」というべきものです。

サンプルその2
大阪自民と共産党が共闘するのは「西成ナマポ不正受給利権」を守るためのカルテル
これは冗談でも何でも無くてお互いがそれぞれの持ち分を侵さないようにキックバックを受けてるのが実情
計算上西成区の6人に1人は生活保護を受けてるというとんでもない現状
勿論これは西成区だけにとどまらず大阪市自体にも重くのしかかっている
これでは真面目に働いて納税してる大阪市民はたまったものではないし、子育て現役世代は大阪自民や共産党より子育て支援に使ってくれよと思うのは当たり前だ

さらに立民の辻元清美が必死なのは公務員の勤務時間中政治活動が禁止されたためだ
立民の支持団体である自治労は大幅に政治活動ができなくなったので大阪市議会ではゼロ、府議会では1名という泡沫政党同然
勤務時間内に自らの政治信条のために政治活動をするなんて税金を横領してる事と等しいとんでもない事だ

妄言に惑わされないよう考えて投票したい
大阪自民と共産党が共闘するのは「西成ナマポ不正受給利権」を守るためのカルテル」が事実だとして、「大阪都構想」が実現すると「西成ナマポ不正受給利権」が霧消するの?

生活保護行政は、かつては機関委任事務、いまは法定委託事務です。機関委任事務から法定委託事務に変更になったことで国の包括的指揮監督権は廃止されましたが、依然として国の強い関与が残っており、実質的に地方自治体の裁量は拡大していません。そもそも、国民の最低限の生活を保障される機会や最低限の生活の内容について実質的な差が生じることはあってはならず、地方自治体の裁量はあってはならないものです。

また、維新はすでに府会でも市会でも強力な与党です。維新がマトモな組織をもつ政党であれば、たとえ「二重行政」であったとしても、「西成ナマポ不正受給利権」は正せるはず。現体制で正せないのに、なぜ「大阪都」だと正せるというのでしょうか?

そんなに奇跡的な政策であれば、後半で取り上げるとおり、なぜ追随する他自治体がないのでしょうか? 自治労? 付き合いで加入している人が少なくなく、そしてまた、「あの」立憲民主党なんかを主要支持政党にしているような団体(全国支持率を見よ!)が、いったいどんな力を持っているというのでしょうか? 一部、自治労が強烈な力を持つ「ホットスポット」があるにせよ、全国津々浦々、だーれも「大阪都」に追随しようとしないわけです。

立民の辻元清美が必死なのは公務員の勤務時間中政治活動が禁止されたためだ」というのも、「一夜漬け」的な浅はかな主張です。自治労は、いまは立憲民主党かつては社会党を支持していましたが、とくに社会党は、国政においては存在感ある政党であったものの、地方議会においては脆弱というべき勢力でした。社会党は地方では結構弱かったんですよ。社会党は、党員数においては自民党は勿論、共産党にも及ばない、大企業労組や官公労に依存して中小企業労働者や地域住民からは「距離」がある「根無し草」だったのです。立憲民主党はそれ以上の「根無し草」です。

また、辻元清美氏個人について言えば、同氏は市民団体を支持基盤としており、官公労は同氏の「シマ」ではありません。左派・革新派において、「シマ」の問題は、他人が思っている以上に重要な要素です。辻元氏が自治労・公務員の為に尽力するというのは、左翼の論理から言ってちょっと考えにくいですね。辻元氏の名前を出せばネガティブ・キャンペーンになると思っている、底の浅い手合いが喚いているようです。

サンプルその3
確かに維新と言うだけで毛嫌いする人達は多いです。
実際に、自民党と共産党がタッグを組むのですから。
勿論、維新にも問題は大いに有るのだろうと思います。
その維新が出して来た都構想だから毛嫌いしているところもある様に思います。
「維新が」と言うところを取り除いて、もう少し議論しても良かったと思います。
11月1日に白黒を付ける、と決まった今ではもう遅いですが
自民党と共産党が連携したからといって、ただちにそれが悪というわけではないでしょう。自民党と共産党は、どんなときでも決して意見が一致してはならず、意見が一致しそうなときは無理筋であっても逆張りしなければならないとでもいうのでしょうか?w

さすが「大阪文化大革命」。紅衛兵たちは、味方か敵か維新か否かで物事を考えられないというわけです。

サンプルその4
元大阪市民ですが・・・・・

大阪の市と府の不一致はかなりのもの
維新が出てきてかなり是正されたが限界有り

大阪構想がダメなら東京の都23区体制もダメなのか
反対派の腹は「利権を失いたくない」のそれだけ。
東京特別区の当事者たちは、普通地方公共団体であれば当然に持っているはずの権限が中途半端に東京都に握られていることに、ことあるごとに不満を表明していますが・・・

また、広域自治体の権限強化としての「大阪都構想」に追随すべきだとする自治体はなく、むしろ政令指定都市の権限強化を志向する「特別自治市制度の創設」を求める声の方が大きいとも報じられているところです。
https://mainichi.jp/articles/20201011/ddm/041/010/042000c
大阪都構想 政令市廃止、追随なく 政令市長・知事アンケ
毎日新聞2020年10月11日 東京朝刊

 大阪市を廃止し、四つの特別区に再編する「大阪都構想」の住民投票(12日告示、11月1日投開票)を前に、大阪府・市を除く19政令市と政令市がある14道府県の首長に大都市制度への考えをアンケートしたところ、愛知県や兵庫県、堺市など7県・市が都構想の取り組みを評価した。残る多くの首長は評価を避けたが、目指す都市像としては、政令市の権限と財源を強めて道府県から事実上独立する「特別自治市制度の創設」を12市が選択。政令市の廃止を目指す大阪府・市に追随する回答はなかった。

(以下略)
民間並みに小回りが利くことが行政にも求められているこのご時世、基礎自治体としての政令指定都市の権限強化なら理解可能ですが、広域自治体としての大阪府の権限強化を志向するのは、いささか時代錯誤的に思います。

同じコメ欄でもこんなのも。
大阪市がなくなれば大阪府は利権を獲得できるだろうから、利権を獲得するために必死な議員はいるだろう。利権を獲得しようとする政治家と利権を守ろうとする政治家の争いでもある。
革命で、貴族だの地主だのがもっていた既得権を革命政府が吸収したが、その革命政府自体が、巨大な官僚機構と既得権の固まりになっていった歴史がある。

大阪都構想なるものも同じ発想だろう。いまある既得権を壊しても、新しくできるものが絶対権力をもって既得権の牙城となる。いえるのは、対抗する勢力もなく、批判も許さない独裁権力は必ず悪徳に染まっていくということだ。
大阪の政治的パイは、自民、公明、共産で概ね分割しきっているところ。そこに食い込もうとすれば、文革騒ぎでも起こしてリセットするくらいしか道はありません。結局、単なる利権争いというわけです。

もちろん、政治の本質は利益分捕り合戦なので、利権争いが悪いとはいいません。ただ、維新だけが高潔で無私であるわけがないのです。維新に過剰な期待を寄せれば、その結末はG.オーウェル的な「動物農場」でしょう。
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2020年10月18日

「文化戦争」はトランプ氏を勝たせるのか?/少数意見を議論の俎上に載せる「勝者総取り方式による選挙人制度」

https://news.yahoo.co.jp/articles/4bfd7bea05a177e87ef9acf113948661414f5af3
トランプを勝たせるのはアメリカで進行中の「文化戦争」
10/9(金) 17:41配信
ニューズウィーク日本版

<11月3日に迫る大統領選では社会的正義や人種問題をめぐる価値観、イデオロギーに基づく対立が最大の争点に。選挙の決着は同時にBLM運動への国民の評決でもある>

(中略)
9月に(リベラル派の)ルース・ベイダー・ギンズバーグ連邦最高裁判所判事が死去したことで、その後任人事をめぐる上院での攻防の結果、今回の大統領選はアメリカで進行中の文化戦争(文化的争点をめぐる価値観やイデオロギーの違いに基づく対立)に左右されることになるに違いない。全米の都市で暴動が続き、暴力と無秩序が増加しているなか、今こそBLM(ブラック・ライブズ・マター= 黒人の命は大事)運動に評決を下す時だ。これについてはドナルド・トランプ大統領はとにかくラッキーだと思う。

民主党候補のジョー・バイデン前副大統領の一番の強みは「トランプではない候補」であること。世論調査の結果もこれを裏付けがちだ。

こうした議論からバイデンは一定のメリットを引き出せるかもしれないが、現在アメリカ中に吹き荒れている街頭デモと反警察感情に関する主張ははるかに心もとない。バイデンの問題は、彼がアンティファ(反ファシスト勢力)や「警察予算削減」を求めるBLM運動を、法に従う市民にも訴えられるような明確な言葉で非難できないことである。その理由は単純で、彼以外の民主党はこうした集団と緊密に連携しているからだ。民主党の政治的な公正さへのこだわりは、バイデンに多大なダメージを与える結果になるだろう。

一方トランプは、ギンズバーグの後任にアメリカのキリスト教的価値観と法の支配を象徴する最高裁判事を指名すれば、郊外の中産階級と高齢者にアピールできるのは確実──どちらも11月の選挙結果を左右し得る有権者層だ。トランプが(保守派の)連邦高裁判事エイミー・コニー・バレットを指名したのは当然だろう。

最高裁判事(9人)の構成がこれまでの5対4から6対3とさらに保守派優位になれば、トランプの支持基盤にとってはめでたいことにアメリカの文化生活はこの先何年も安泰になる。社会的正義や人種差別に敏感なリベラル派の価値観の急速な広がりと格闘するトランプは一層勢いづくだろう。

<コロナ議論は二の次>
トランプは今後さらに愛国主義を説き、リベラル派がアメリカについて「憎むべき嘘」をまき散らしていると非難するだろう。上院で最高裁判事の指名承認公聴会が開かれるなか、こうした攻撃はトランプにとって重要性を増すはずだ。リベラル派が唱える「新理論」の実際の内容を詳しく知ったら、アメリカの誠実な一般市民は引くことだろう。

この価値観をめぐる議論に押されてコロナ関連の議論は二の次になり、それが共和党には非常に有利に働く。
(中略)
ナイジェル・ファラージュ(イギリス独立党〔UKIP〕元党首)
最終更新:10/9(金) 17:41
ニューズウィーク日本版
■人種差別問題は日常生活で直面する問題であったとしても、BLM運動はそうではない
とても面白い記事ではありますが、どうもそういう展開にはなっていないようで・・・そもそも「イギリス独立党」という、ほとんどシングル・イシュー政党の元党首にインタビューすれば、現実がどうであれ一定の「お決まり」な答えが返ってくるであろうことは、推して知るべしといったところです。

BLM運動は「大きなうねり」として報じられているところですが、全米のいたるところで「少しで歩けば必ず出くわす」というほどのものではありません。人種差別問題は日常生活で直面する問題であったとしても、BLM運動はそうではないのです。その意味で、日常生活からは「少し距離がある」問題です。これに対して新型コロナウィルス問題は、まさに日常生活で直面する問題であります。全米有権者が最も関心を寄せている問題が新型コロナウィルス問題であるというのは、至極当然のことです。

■ニッチな政策も軽視できないアメリカ大統領選挙に特殊な選挙制度
ただ、殊にアメリカ大統領選挙は、その特殊な選挙制度ゆえにニッチな政策も決して無視できません。まだビフォー・コロナだった今年1月10日、NHKは次のような記事を公開しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200110/k10012240991000.html
“ニッチ”な政策が大統領を決める
2020年1月10日 19時02分

“再選ファースト”のトランプ大統領が、ある問題をめぐり右往左往する姿を見せました。

それは経済でもなく、国境沿いの「壁」でもなく、大きな争点の隙間にあるような細かい、つまり“ニッチ”な政策、「電子タバコの規制」です。
なぜなのか…。その背景を探ってみました。(ワシントン支局記者 栗原岳史)
(中略)
トランプ大統領は、なぜいったん打ち出した方針を見直したのか。

電子たばこの規制を厳しくすることで、11月の大統領選挙で、電子たばこの愛好家がトランプ離れしてしまうのではないか、そう判断したためです。

民間の世論調査会社が去年9月に行った調査によりますと、「1週間以内に電子たばこを利用した」と回答した18歳以上のアメリカ人は8%にのぼっています。

一方で、前回の大統領選挙で、民主党のクリントン候補との票差が10ポイント以内だった17の州で、電子たばこ愛好家を対象にした別の世論調査では、83%の有権者が「電子たばこへの規制をめぐる立ち位置」の一点のみで投票先を判断すると回答しています。

いわゆる“シングルイシュー投票者”だというのです。

共和党の選挙戦略に大きな影響力を持つアメリカの保守系ロビー団体ATR=全米税制改革協議会は、こうした電子たばこの規制をめぐる政策のゆくえは、特に接戦州では選挙の勝敗を決める決定打になりかねないと分析します。

前回の大統領選挙で、トランプ大統領はミシガン、ウィスコンシン、ペンシルベニアの3州を制したことで勝利しました。その3州での票差は、いずれも1ポイント以内の僅差です。

そうした中、もし「電子たばこの規制」という、大きな争点の隙間にあるような細かい、ニッチな政策をめぐる“シングルイシュー投票者”が、少しでも投票行動を変えれば、3つの州の選挙結果、ひいてはアメリカ全体の選挙結果をも変えてしまう可能性があるのです。
(中略)
社会が分断され、双方がきっ抗した状態で固定化されていった結果、この数年で社会で顕在化したニッチなシングルイシューの存在感と重要性が増しています。

そして、場合によっては、選挙でのキャスティング・ボートにもなりえるのです。

民主主義の皮肉
アメリカの大統領選挙は、50の州で獲得した得票数をそのまま足し上げた、いわゆる人気投票ではなく、基本的に、各州で得票数が多かった候補者が、その州に割り当てられた「選挙人」を争奪していく方式です。

このため、一部の接戦州でのニッチなシングルイシューが全米の大統領選挙の結果を左右しかねないということは、アメリカ民主主義の皮肉としか言いようがありません。

これはアメリカが直面する分断社会の行く末なのかーー。

伝統あるアメリカ大統領選挙の仕組み、ひいては民主主義の在り方自体にも一石を投じる議論になるかもしれません。
電子たばこ規制に比べれば、BLM運動に対する判断の方がメジャーでしょうから、依然として激戦州を中心に、この問題は注目すべきなのかもしれません。

■少数意見を議論の俎上に載せる「勝者総取り方式による選挙人制度」
ところで、NHK栗原記者は、「一部の接戦州でのニッチなシングルイシューが全米の大統領選挙の結果を左右しかねないということは、アメリカ民主主義の皮肉」などとしていますが、私は「皮肉」とは思わず、むしろ積極的な意義を見出したいと思います。なぜならば、この手のニッチな論点は、単なる多数決主義では決して議論の俎上にも載らず一顧だにされず無視されるからです。単なる多数決主義で勝つためには、万人ウケする、よく言えば「最大公約数的」悪く言えば「総花的」な政策だけをぶち上げることが勝利への近道になるからです。

勝者総取り方式による選挙人制度は、決して少数意見を大切にすることを主眼において設置されている制度ではなく、"United States"としてのアメリカ、つまり「主権を持つ各州」の連邦国家としてのアメリカであるからこその制度(主権を持つ各州ごとに連邦大統領候補を一人選ぶ)ですが、こうして少数意見が結果的に取り上げられる機会が設けられているという効果もあるわけです。

民主主義を更にアップデートさせるためには、単なる多数決主義への転落を防ぎ少数意見を積極的にクローズアップする必要があります。このことについては、異論はないでしょう。

少数意見をいかにクローズアップするかについて、しばしば博愛主義者は「知ることから始めよう、異なる立場の人の境遇に想像力を働かせよう」などといいます。報道関係者に特に多いように思います。「苦しんでいる少数派にスポットライトを当て、多くの人かまだ知らないその現実を伝えることで社会を変えるキッカケを作るんだ!」といった職業的使命感です。

高い志だとは思いますが実に甘い。ブルジョア利己主義が蔓延る現代において、異なる立場の人の境遇に想像力を働かせたところで何の得にもならないからです。要するに「他人事」。いまや「他人の不幸は蜜の味」どころか「他人の不幸は他人の不幸」というくらいまで社会的連帯感は断絶してしまっています。皆が心清らかに隣人愛に満ちた姿勢を示すはずがありません

権力者及び多数派が少数意見に「耳を傾けざるを得ない環境」を作らなければなりません。とくに傾聴するインセンティブを付与すべく制度設計する必要があります。そのように課題を設定したとき、勝者総取り方式による選挙人制度は、「アメリカ民主主義の皮肉」どころか、むしろ、期せずしてうまいこと出来ているもんだなと感心さえできるものでしょう。
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2020年10月13日

原理を更に鮮明に表明するいう意味で一種の「原点回帰」をしている朝鮮労働党:党創建75周年記念演説について

朝鮮労働党創建75周年を記念するキム・ジョンウン同志の演説について。
https://www.chosonsinbo.com/2020/10/11-33/
(略)
동지들!
同志諸君!

위대한 명절의 이밤 수도의 거리들과 여기 영광의 광장은 이렇듯 환희롭고 기쁨과 긍지로 설레이지만 오늘의 이 영광의 순간이 지금 전국각지의 수많은 당원동지들과 로동계급들, 우리 혁명군대 장병들의 보이지 않는 노력과 헌신에 의해 지켜지고있다는것을 우리 잊지 말아야 합니다.
偉大な名節のこの夜、首都の通りと、ここ栄光の広場は、このように歓喜的で喜びと誇りでときめいていますが、今日のこの栄光の瞬間が、いま全国各地の数多くの党員同志と労働階級、我々の革命軍隊将兵の見えない労力と献身により守られていることを我々は忘れてはなりません。

오늘의 이 영광의 순간을 안아오고 지키기 위해 올해에 들어와 얼마나 많은분들이 혹독한 환경을 인내하며 분투해왔습니까.
今日のこの栄光の瞬間を抱き守るために今年に入りどれほど多くの方々が厳しい環境に耐えて奮闘してきましたのでしょうか。

우리가 얼마나 많은 도전들을 이겨내며 여기까지 왔습니까.
我々は、どれほど多くの挑戦に勝ち抜きここまで来たのでしょうか。

특히 올해에 예상치 않게 맞다든 방역전선과 자연재해복구전선에서 우리 인민군장병들이 발휘한 애국적이고 영웅적인 헌신은 누구든 감사의 눈물없이는 대할수 없는것입니다.
特に今年は、予想外の防疫戦線と自然災害復旧戦線で、我が人民軍将兵が発揮した愛国的で英雄的な献身は、誰であれ感謝の涙なく対することができないものです。

조국보위, 인민보위, 혁명보위가 인민군대의 마땅한 본연의 임무라고는 하겠지만 우리 장병들의 고생이 너무도 컸습니다.
祖国保衛、人民保衛、革命保衛が人民軍隊の当然の本来の任務だとは言いますが、我が将兵の苦労があまりにも大きかったのです。

너무도 많은것을 맡아안고 고생도 많은 우리 장병들입니다.
あまりにも多くのことを担い、苦労も多い我が将兵なのであります。

그래서 너무도 미안하고 이 영광의 밤에 그들모두와 함께 있지 못하는것이 마음이 아픕니다.
それゆえ、あまりにもすまなくて、この栄光の夜に彼ら全員と一緒にいられないのが心苦しいです。

바로 지금 이 시각에도 수많은 우리 군대장병들이 영광의 이 김일성광장에 오지 못하고 국가의 안전과 인민의 안녕을 지켜 방역전초선과 재해복구전선에서 용감히 싸우고있습니다.
まさにいま、この時間にも数多くの我が軍隊将兵が、栄光のこのキム・イルソン広場に来られず、国家の安全と人民の安寧を守り、防疫哨所線と災害復旧戦線で勇敢に戦っています。

우리 군대는 이처럼 적대세력들의 군사적위협뿐만아니라 방역과 자연과의 투쟁과 같은 돌발적인 위협에도 국가방위의 주체로서 자기의 임무를 훌륭히 수행하고있습니다.
我が軍隊は、このように敵対勢力の軍事的威嚇だけではなく、防疫と自然との闘争のような突発的な脅威にも国家防衛の主体としての任務を立派に遂行しています。

우리 국가와 인민에 대한 그들의 열렬한 충효심에 최대의 경의를 드리며 전군의 모든 장병들에게 뜨거운 감사를 보냅니다.
我が国家と人民に対する彼らの熱烈な忠孝心に最大の敬意を捧げ、全軍のすべての将兵に熱い感謝を送ります。

또한 자기들이 맡은 피해복구건설임무를 완수하고도 사랑하는 집이 있는 평양행을 택하지 않고 스스로들 또 다른 피해복구지역으로 발걸음들을 옮긴 애국자들, 마땅히 이 자리에 있어야 할 우리의 핵심들, 나의 가장 믿음직한 수도당원사단 전투원들에게도 전투적고무와 감사의 인사를 보냅니다.
また、自分たちの担った被害復旧建設任務を完遂しても、愛する家がある平壌行きを選ばず、自らまた別の被害復旧地域へ歩みを移した愛国者たち――ここに当然いるべき私たちの核心、私の最も信頼できる首都党員師団の戦闘員たちに戦闘的鼓舞と感謝の挨拶を送ります。

그리고 전국의 모든 근로자들에게 전투적인사와 감사를 보냅니다.
そして、全国すべての勤労者に戦闘的挨拶と感謝を送ります。

자연의 재난을 털고 새 마을, 새 집들에 보금자리를 편 세대들과 온 나라 가정들에 행복과 기쁨만이 깃들기를 축원합니다.
自然の災難を払い、新たな村、新たな家々に安息の場を花開かせた世代と全国の家庭に幸せと喜びだけが宿ることを祈ります。

우리 어린이들에게 언제나 푸른 꿈이 펼쳐지기를 바랍니다.
我々の子供たちには、いつでも青い夢が広がることを願っています。

이 자리를 빌어 지금 이 시각도 악성비루스에 의한 병마와 싸우고있는 전세계 모든이들에게 따뜻한 위로의 마음을 보내며 진심으로 두손모아 마음속깊이 모든 사람들의 건강이 제발 지켜지고 행복과 웃음이 지켜지기를 간절히 바랍니다.
この場を借りていま、この時間も悪性ウィルスによる病魔と闘っている全世界のすべての人々に温かい慰労の気持ちを送り、心より両手を合わせて心中深くすべての人々の健康がどうか守られ、幸せと笑いが守られることを切に願います。

사랑하는 남녘의 동포들에게도 따뜻한 이 마음을 정히 보내며 하루빨리 이 보건위기가 극복되고 북과 남이 다시 두손을 마주잡는 날이 찾아오기를 기원합니다.
愛する南の同胞にも温かいこの気持ちを正に送り、一日も早くこの保健危機が克服され、北と南が再び手を握り合う日が訪れることを祈願しています。

(中略)

친애하는 동지들!
親愛なる同志諸君!

오늘 우리는 우리 당의 75번째 생일을 성대히 맞이하고있습니다.
今日、我々は我が党の75回目の誕生日を盛大に迎えています。

세상에는 우리처럼 자기 당의 생일을 전체 인민이 기쁨의 명절로, 대경사의 날로 성대히 경축하는 나라는 없습니다.
世界には、我々のように己の党の創建日をすべての人民が喜びの名節として、大慶事の日として慶祝する国はありません。

온 나라의 마음이 뜨겁게 굽이치는 이처럼 벅차고 환희로운 밤 이 자리에 서고보니 전체 인민에게 무슨 말씀부터 드렸으면 좋을지 모르겠습니다.
国じゅうの心が熱く揺れ動くこのように満ちあふれて歓喜に満ちた夜に、この場に立ってみると、すべての人民にどんな言葉から申し上げればよいのか分かりません。

우리 당이 걸어온 영광넘친 75년사를 갈피갈피 돌이켜보는 이 시각 오늘 이 자리에 서면 무슨 말부터 할가 많이 생각해보았지만 진정 우리 인민들에게 터놓고싶은 마음속고백, 마음속진정은 《고맙습니다!》 이 한마디뿐입니다.
我が党が歩んできた栄光に溢れる75年史を一つ一つ振り返ってみるこの時刻、今日この場に立ったら、何から言おうかと色々と考えてみましたが、本当に我が人民に打ち明けたい心の中の告白、心の中の本当の気持ちは「ありがとうございます!」、この一言だけです。

무엇보다먼저 오늘 이렇게 모두가, 우리 인민모두가 무병무탈해주셔서 정말 고맙습니다.
何よりもまず、今日、このように皆が、我が人民皆が無病息災でいて下さり、本当にありがとうございます。

이 말씀은 꼭 드리고싶었습니다.
このことは、ぜひ申し上げたかったのです。

한명의 악성비루스피해자도 없이 모두가 건강해주셔서 정말 고맙습니다.
一人の悪性ウィルス被害者もおらず、皆が健康でいて下さり、本当にありがとうございます。

세상을 무섭게 휩쓸고있는 몹쓸 전염병으로부터 이 나라의 모든이들을 끝끝내 지켜냈다는 이 사실, 우리 당이 응당 마땅히 해야 할 일이였고 응당한 성과라 해야겠지만도 왜서인지 지켜냈다는 이 감격의 기쁨에 눈앞이 흐려지고 모두가 건강하신 모습을 뵈오니 《고맙습니다》 이 말밖에 할 말을 더 찾을수 없습니다.
世界を恐ろしく襲っているひどい伝染病から、この国のすべての人々を最後まで守り抜いたというこの事実は、我が党が当然なすべきことであり、相応の成果と言うべきですが、何故か守り抜いたというこの感激の喜びに目の前がぼやけて、皆様のご健康を伺いましたところ、「ありがとうございます」としか言いようがありません。

세상이 놀라지 않을수 없는 오늘의 이 승리는 우리 인민들스스로가 이루어낸 위대한 승리입니다.
世界が驚かずにはいられない今日のこの勝利は、我が人民が自ら達成した偉大な勝利です。

우리 당에 있어서 인민들 한사람한사람의 생명은 그 무엇보다 소중하며 전체 인민이 건재하고 건강해야 당도 있고 국가도 있고 이 땅의 모든것이 다 있습니다.
我が党にとって人民一人一人の生命は何よりも大切であり、すべての人民が健在で健康であってこそ党もあり、国家もあり、この地のすべてが存在するのです。

그런데 이 세계에는 귀중한 우리 인민의 삶을 위협하고 해치려는 불안정한 요소가 너무나도 많습니다.
ところが、この世界には貴重な我が人民の暮らしを脅かし、害そうとする不安定な要素があまりにもたくさんあります。

그래서 사실 년초부터 세계적인 보건위기가 도래하고 주변상황도 좋지 않아 고민도, 두려움도 컸습니다.
そのため実は、年明けから世界的な保健危機が到来し、周りの状況も良くないので悩みも恐怖も大きかったです。

허나 우리 인민은 억척같이 뻗치고 일어나 당과 국가가 취하는 조치들을 절대적으로 지지하고 따라주며 자신들의 운명을 완강히 지켜냈을뿐아니라 활기넘친 모습으로 모진 고난과 시련을 강의하게 이겨냈습니다.
しかし、我が人民は粘り強く立ち上がり、党と国家が取る措置を絶対的に支持し従ってくれ、自分たちの運命を頑強に守り抜いただけでなく、活気溢れる姿で厳しい苦難と試練を見事に乗り越えました。

서로서로 걱정해주고 위해주고 감싸안아주는 아름다운 인민, 이런 인민이 높은 애국심과 고도의 자각성을 가지고 서로 협력하며 살아가는 사회주의가 아니였다면 무서운 재앙을 막아내지 못하였을것입니다.
お互いに心配し合い助け合う美しい人民、このような人民の高い愛国心と高度な自覚性を持って協力して生きる社会主義でなかったならば、恐ろしい災いを防ぐことはできなかったはずです。

우리 인민모두가 스스로 방역의 주체가 되여 국가와 자기들스스로를 지키고 우리 아이들을 지키기 위한 투쟁에 한사람같이 떨쳐나섰기에 모든것이 부족하고 뒤떨어진 나라의 방역부문이 일떠서게 되였고 남들같으면 상상할수도 없는 방역안정형세를 유지할수 있었습니다.
我々人民皆が自ら防疫の主体となり、国家と自らを守り、我々の子供たちを守るための闘争に一人残らず力強く乗り出したので、すべての物が不足し、立ち遅れた国の防疫部門が動き出し、他の国なら想像すらできないほど防疫安定化を維持することができました。

아직 풍족하게 살지는 못해도 화목한 대가정을 이루고 단 한명의 악성비루스피해자도 없이 모두가 건강하니 이것이 얼마나 고맙고 힘이 되는지 모르겠습니다.
いまだ豊かに暮らすことはできなくても睦まじい大家庭を築き、ただ一人の悪性ウィルス被害者もなく皆が健康なので、これがどれだけありがたく、力になるか分かりません。

국가가 당하는 어려운 상황을 깊이 리해해주고 자기 집일처럼 떠맡는 고마운 인민도 이 세상에 우리 인민밖에는 없습니다.
国家が直面した困難な状況を深く理解してくれ、自分の家のことのように担ってくれたありがたい人民はこの世には、我が人民の他にはいません。

지금 이 행성에 가혹하고 장기적인 제재때문에 모든것이 부족한 속에서 비상방역도 해야 하고 혹심한 자연피해도 복구해야 하는 엄청난 도전과 난관에 직면한 나라는 우리 나라뿐입니다.
いまこの惑星で、過酷で長期的な制裁のためすべての物が不足した中で、非常防疫もしなければならず、過酷な自然災害も復旧しなければならないとてつもない挑戦と難関に直面した国は我が国だけであります。

이 모든 시련은 두말할것없이 우리의 매 가정, 매 공민들에게 무거운 짐으로, 아픔으로 되고있습니다.
このすべての試練は、言うまでもなく、私たちのすべての家庭、一般市民に重荷となり、痛みとなっています。

하지만 오히려 가사보다 국사를 앞에 놓고 국가가 겪는 곤난을 열가지든 백가지든 함께 걸머지며 성실한 땀과 노력으로 이 나라를 굳건히 받드는 고마운 애국자들이 바로 우리 인민입니다.
しかし、むしろ家事よりも国家を先に考え、国家が経験している困難を10まででも100までも共に担い、誠実な汗と労力でこの国をしっかりと支えているありがたい愛国者達がまさに我が人民であります。

그래서 우리 당은 나라의 형편을 터놓으면 언제나 산악같이 일떠서는 인민을 믿고 인민에게 의거하여 모든 국난을 타개해나가고있는것입니다.
そのため我が党は、国の情勢を打ち解ければ、いつも山のように立ち上がる人民を信じ、人民に依拠してすべての困難を打開しているのであります。

늘 우리 인민들은 우리 당에 고마워했지만 정녕 고마움의 인사를 받으셔야 할 주인들은 바로 위대한 우리 인민입니다.
いつも我が人民は我が党に感謝しましたが、感謝の挨拶を受けなければならない主人は、まさに偉大な我が人民なのです。

우리 인민은 75성상 일편단심 우리 당을 받들고 성스러운 혁명위업을 자기의 피와 땀을 아낌없이, 서슴없이 바쳐 지켜주었습니다.
我が人民は75年間、ただ一途に我が党を支え、聖なる革命偉業に自分の血と汗を惜しげもなく躊躇なく捧げて守ってくれました。

가장 간고하고도 시련에 찬 혁명의 길을 헤쳐온 우리 당이 이 피어린 려정을 승리와 영광으로 수놓아올수 있은 근본비결은 다름아닌 우리 인민이 당을 진심으로 믿어주고 따르며 우리 당의 위업을 지켜주었기때문입니다.
最も厳しく試練に満ちた革命の道をかき分けてきた我が党が、この血の滲んだ旅程を勝利と栄光で飾ることができた根本秘結は、他でもなく我が人民が党を心から信じてくれ、従い、我が党の偉業を守ってくれたためです。

언제나 현명한 스승이 되여 지혜와 슬기를 주었고, 무한한 힘과 용기를 안겨주었으며 결사적으로 옹위하고 성심으로 받들어주며 당의 구상과 로선을 빛나는 현실로 만들어준 력사의 전능한 창조자인 위대한 우리 인민을 떠나서 어찌 우리 당의 영광넘친 75년사에 대하여 한순간인들 생각할수 있겠습니까.
いつも賢明な師匠となり、知恵と英知を与えてくれ、無限の力と勇気を抱かせてくれ、決死的に擁護し誠心で支えてくれ、党の構想と路線を輝く現実にしてくれた歴史の全能な創造者である偉大な我が人民を離れて、どうして我が党の栄光に溢れた75年史について一瞬たりとも考えることができるでしょうか。

당에서 대고조를 호소하면 천리마를 타고 호응했고 대건설을 작전하면 속도전으로 화답했으며 당의 결심을 물불을 가림없이 무조건 실천해내고야마는 위대한 인민이 항상 곁에 있었기에 우리 당은 언제나 든든하였고 어떤 곡경속에서도 이 땅에 기적의 년륜을 새겨올수 있었습니다.
党において大高潮を呼びかければ、千里馬に乗って応え、大建設を作戦すれば速度戦で応え、党の決心を水火をいとわず無条件実践してしまう偉大な人民がいつもそばにいたから、我が党はいつも頑強で、いかなる苦境の中でもこの地に奇跡の年輪を刻むことができました。

나는 진함없는 충효심과 굴할줄 모르는 투지, 성실한 노력으로써 세상풍파를 다 뚫고 넘으며 위대한 10월명절을 승리의 단상에 떠올린 우리 인민의 모습에서 앞으로 75년이 아니라 750년, 7, 500년이라도 당을 따르고 지켜줄 하늘같은 힘을 온몸으로 뿌듯이 받아안게 됩니다.
私は飽くことなき忠孝心と屈することを知らない闘志、誠実な努力で世界の風波をすべて乗り越え、偉大な10月の名節を勝利の壇上に上げた我が人民の姿から、今後75年ではなく750年、7500年でも党に従い、守ってくれる天のような力を全身でたっぷりと受け取ることになりました。

동지들!
同志諸君!

하늘같고 바다같은 우리 인민의 너무도 크나큰 믿음을 받아안기만 하면서 언제나 제대로 한번 보답이 따르지 못해 정말 면목이 없습니다.
天のようでもあり海のようでもある我が人民の、あまりにも大きな信頼を受けるばかりで、いつも一度もまともに報いることができず、本当に面目がありません。

제가 전체 인민의 신임속에 위대한 수령님과 위대한 장군님의 위업을 받들어 이 나라를 이끄는 중책을 지니고있지만 아직 노력과 정성이 부족하여 우리 인민들이 생활상어려움에서 벗어나지 못하고있습니다.
私は、すべての人民の信任のうちに、偉大な首領様と偉大な将軍様の偉業を支え、この国を導く重責を持っていますが、未だに努力と真心が不足し、我が人民が生活上の困難から抜け出せずにいます。

그럼에도 우리 인민들은 언제나 나를 믿고 나를 절대적으로 신뢰하고 나의 선택과 결심을 그 무엇이든 지지하고 받들어주고있습니다.
それでも我が人民はいつも私を信じ、私を絶対的に信頼し、私の選択と決心を何でも支持し、支えてくれています。

설사 그것이 더 큰 고생을 각오해야 하는것이라 할지라도 나와 우리 당에 대한 인민의 믿음은 언제나 무조건적이고 확고부동한것으로 되고있습니다.
たとえそれがより大きな苦労を覚悟しなければならないとしても、私と我が党に対する人民の信頼はいつも無条件的で確固不動のものになっています。

이렇듯 강렬하고 진정어린 믿음과 고무격려는 나에게 있어서 그 어떤 명예와도 바꿀수 없고 수억만금에도 비길수 없는 가장 소중한 재부이며 두려움과 불가능을 모르게 하는 무한대한 힘입니다.
このような強力で真心のこもった信頼と鼓舞激励は、私にはいかなる名誉とも交換することができず、数億万の金とも比較できない最も大切な財であり恐れと不可能を知らせない無限の力です。

이 세상 그 누구도 바랄수 없는 최상최대의 신임이 있기에 나는 멸사복무의 사명감과 의지를 가다듬으며 무수한 도전들을 주저없이 맞받아나갈수 있었고 전쟁까지 각오해야 하는 결사전에도 나설수 있었으며 사상초유의 대재앙에도 강력히 대처할수 있었습니다.
この世の誰も望むことができない最上最大の信任があるので、私は滅私服務の使命感と意志を整え、無数の挑戦に躊躇なく立ち向かっていけ、戦争まで覚悟しなければならない決死戦にも進むことができ、未曾有の大災害にも強く対処することができました。

이런 훌륭한 인민을 섬기고 모시고 투쟁하는것을 무상의 영광으로 간직하겠습니다.
このような立派な人民に仕え、闘争することを無上の栄光として胸に刻みます。

나는 우리 인민의 하늘같은 믿음을 지키는 길에 설사 온몸이 찢기고 부서진다 해도 그 믿음만은 목숨까지 바쳐서라도 무조건 지킬것이고 그 믿음에 끝까지 충실할것을 다시한번 이 자리에서 엄숙히 확언합니다.
私は、我が人民の天のような信頼を守る道において、たとえ全身が裂けて潰れたとしても、その信頼だけは命まで捧げてでも必ず守るつもりで、その信頼に最後まで忠実であることをもう一度この場で厳かに確言します。

존경하는 온 나라 전체 인민들, 여러분!
尊敬する国じゅうのすべての人民、皆さん!

정말 정말 고맙습니다.
本当に、本当に、ありがとうございます。

우리 수령님과 장군님의 마음까지 합쳐 온 나라 전체 인민들에게 경건한 마음으로 고마움에 차넘치는 진정 정중히 삼가 올립니다.
我が首領様と将軍様の信頼まで合わせて、国じゅうのすべての人民に謙虚な気持ちでありがたさに溢れている真心を丁重に捧げます。
(以下略)
위대한 명절의 이밤 수도의 거리들과 여기 영광의 광장은 이렇듯 환희롭고 기쁨과 긍지로 설레이지만 오늘의 이 영광의 순간이 지금 전국각지의 수많은 당원동지들과 로동계급들, 우리 혁명군대 장병들의 보이지 않는 노력과 헌신에 의해 지켜지고있다는것을 우리 잊지 말아야 합니다.≫(偉大な名節のこの夜、首都の通りと、ここ栄光の広場は、このように歓喜的で喜びと誇りでときめいていますが、今日のこの栄光の瞬間が、いま全国各地の数多くの党員同志と労働階級、我々の革命軍隊将兵の見えない労力と献身により守られていることを我々は忘れてはなりません)の心遣い、≪늘 우리 인민들은 우리 당에 고마워했지만 정녕 고마움의 인사를 받으셔야 할 주인들은 바로 위대한 우리 인민입니다.≫(いつも我が人民は我が党に感謝しましたが、感謝の挨拶を受けなければならない主人は、まさに偉大な我が人民なのです)のくだりに感動。

最高領導者が演説冒頭に最前線の戦士たちを労うことは、最前線の戦士たちにあっては、自らの努力・奮闘を社会が高く評価しているサインに他なりません。自らの努力・奮闘が隣人・同胞・仲間たちから高く評価されること、社会の一員として隣人・同胞・仲間たちのために役に立つことほど名誉なことはありません。隣人・同胞・仲間たちから温かく受け容れられることほど人間的な喜びはありません。

チュチェ106(2017)年2月24日づけ「「白頭の血統(ペクドゥの血統)」における「血」は生物学的な親子関係のことではない」を筆頭に以前から指摘しているとおり、このような配慮にもとづいて醸成される心理的状況が、チュチェ哲学・チュチェ思想でいう意味での「血縁的関係」を形づくるものです。今や総連幹部に出世なさった韓東成(ハン・ドンソン)氏の著書『哲学への主体的アプローチ―Q&Aチュチェ思想の世界観・社会歴史観・人生観』では、チュチェ思想における「血縁」の意味を次のように解説しています(同書99ページ)。

 血縁の共通性は、民族形成の基礎です。
 ここでの血縁の共通性とは、人種のような生物学的なものではなく、社会歴史的に形成された血縁的関係を意味します。
 血縁的関係は、人々に身体的および心理的な共通感を抱かせ、民族という堅固な集団とに結合させるうえで重要な作用をします


その点、このくだりはまさに、社会政治的生命体との結びつきを実感させるものであります。

最近になって西側諸国は、SDGsなる看板を掲げて「誰一人取り残さない(leave no one behind)」などと取ってつけたようなことを言い出していますが、我が党の社会政治的生命体論こそがその正道・王道であると考えます(だいたいブルジョア利己主義・資本主義の枠内でSDGsなんて出来るのかいなw)。

また、人間は自らの運命を切り開く能力を持つ力強い存在ではありますが、一人一人の個人が為し得る仕事は限定的なので、自らの運命を切り開こうとする人間は、他人と協力する必要があります。多様な個性に根差す多様な要求と能力を持つ人間が共同して一定の仕事に従事するためには、その多様な要求と能力を共同の要求と能力に統一する必要があります。その点において、人間が自らの運命を切り開くためには、自主的なビジョンを持つ指導者・政党に合流して足並みを合わせる必要があります。組織化される必要があります。

党の偉大性とは、人々の多様な要求と能力を共同の要求と能力に統一する見事な技量に他なりません。この意味で、党とは偉大な存在であります。

しかし、リーダーシップが上手くいくためには必ずフォロワーシップがなければなりません。つまり、党の偉大さとは人民の偉大さがあって初めて成り立つのです(厳密には、党と人民は渾然一体であり、党の偉大さと人民の偉大さは切り離せないものです)。キム・ジョンウン同志の今回の演説は、まさにその真理を鋭く指摘するものなのです。

実に主体的、社会政治的生命体の本質を鋭く指摘するものではありませんか。朝鮮労働党創建75周年を記念するキム・ジョンウン同志の演説は、朝鮮労働党が変わらずチュチェの原理に根差していること、むしろ原理を更に鮮明に表明するいう意味で一種の「原点回帰」をしていることを示したものであると言えるでしょう。
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2020年10月12日

朝鮮労働党創建75周年記念≪빛의 조화-2020≫について

https://www.youtube.com/watch?v=dsJclOeNTcs
共和国もこんな時代になったんだなあ・・・(感嘆)

「首都だけだろう」? いやむしろ、建前的な束縛が厳しい革命の首都・ピョンヤンにおいて、こうした西側的・「ブルジョア的」な芸術手法が採用されたことに注目すべきでしょう。「風紀委員」のような厳格さ(頑迷さ?)を見せることが少なくない共和国において、革命の首都・ピョンヤンでこれが許されるということは、イデオロギー的に包摂・消化されたということに他なりません。

封鎖(いわゆる「制裁」)、コロナそして水害といったいわゆる「三重苦」のなかで体制引き締めの必要が切迫している共和国ですが、それでも、昔であれば「ブルジョア的」と言われかねないような芸術手法が党創建75周年の偉大な名節において採用されたことの意味に私は注目したいと思います。

ここでいう「ブルジョア的」についてですが、「社会主義は科学だ」というにしては「感覚的」で申し訳ないのですが、「目先」の消費生活に関する描写が「多め」であるところでしょうか。チュチェ思想は元をたどるとマルクス・レーニン主義なので、かつては「生産力主義」的な発想がありました。建設現場や生産現場での英雄的で躍動的な描写こそが「美」であり、目先の消費生活の描写は、ともすれば「享楽主義」とされたものでした。

もちろん、チュチェ思想は「自主的生活」を思想の中核に据えているあたり、単なる生産力主義ではありません。その点は、古典的で化石的なマルクス・レーニン主義とは良い意味で一線を画する思想です。今回の、昔であれば「ブルジョア的」と言われかねないような「目先」の消費生活に関する描写が「多め」の芸術手法は、マルクス・レーニン主義からの一層の脱皮及びチュチェ思想の純化を意味するものと考えます。
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2020年10月10日

《대중적지반이 없는 당은 바람받이에 선 초불이나 같다.》;조선로동당창건 75돐

http://www.uriminzokkiri.com/index.php?ptype=cgisas&mtype=view&no=1199235
《대중적지반이 없는 당은 바람받이에 선 초불이나 같다.》
「大衆的基盤がない党は、風上に立ったロウソクと同じだ。」

경애하는 최고령도자 김정은동지의 이 명언은 당의 강화발전에서 대중적지반이 얼마나 중요한가를 통속적으로 밝힌 명언이다. 명언에는 튼튼한 대중적지반을 가진 당만이 영원한 생명력을 가지고 끊임없이 발전해나갈수 있다는 깊은 뜻이 담겨져있다.
敬愛なる最高指導者、キム・ジョンウン同志のこの名言は、党の強化・発展の大衆的基盤がいかに重要であるかを明らかにした名言である。名言にはしっかりとした大衆的基盤を持つ党だけが永遠の生命力を持って、常に発展していくことができるという深い意味が込められている。

당의 생명력은 대중적지반의 공고성에 달려있다. 당의 존재와 발전도, 당의 위력의 원천도 당을 따르는 광범한 대중의 힘에 달려있다.
党の生命力は、大衆的地盤の強固性かかっている。党の存在と発展も党の偉力の源泉も、党に続く広範な大衆の力にかかっている。

당이 대중과 동떨어져서는 무력한 존재로 되며 존재자체도 유지할수 없게 된다. 대중적지반이 없는 당은 바람받이에 선 초불과 같다.
党が大衆と懸け離れては無力な存在となり、その存在自体をも維持することができなくなる。大衆的基盤がない党は、風上に立ったロウソクと同じなのだ。

당이 혁명의 참모부로서의 불패의 위력을 가지자면 대중과 혼연일체를 이루어야 한다. 대중과 혼연일체를 이룬 당, 강력한 대중적지반을 가진 당이라야 대중을 조직동원하여 혁명과 건설을 승리적으로 전진시킬수 있다. 당의 위력이자 대중을 조직동원하는 능력이며 대중적지반의 공고성의 높이이자 당의 불패성의 높이이다.
党が革命の参謀部としての不敗の偉力を持とうとすれば、大衆と渾然一体を成さなければならない。大衆と渾然一体を成し遂げた党、強力な大衆的基盤を持つ党こそが大衆を組織動員して革命と建設を成功裏に前進させることができる。党の偉力であり、大衆を組織動員する能力であり、大衆的地盤の強固性の高さであり、党の不敗性の高さである。

(中略)

그 무엇으로써도 깨뜨릴수 없는 당과 대중의 혼연일체가 있어 오늘 조선로동당은 그 어떤 난관과 시련도 뚫고 사회주의위업을 승리에로 향도하는 백전백승의 위력한 당으로 존엄떨치고있다.
何をもっても壊すことができない党と大衆の渾然一体が存在する今日、朝鮮労働党は、いかなる困難と試練をも克服し、社会主義偉業を勝利へと導く百戦百勝の偉力を持つ党として尊厳を轟かせている。
今日は10月10日、朝鮮労働党創建記念日です!

チュチェ哲学の世界観・社会歴史観を行動指針とする朝鮮労働党が組織を重視していることについては、当ブログでも繰り返し指摘してしました。複数の個性ある人間が社会的富をもって社会的関係を取り結ぶことで形成されるのが社会ですが、社会的な活動とは、人々の多様な要求と多様な能力を共通の要求と協働の能力に統一したうえで展開すべきものです。

一人の人間が思いつくこと・実行し得ることには自ずと限度があります。脳みそ1つ・腕2本・足2本で為し得ることは、どれだけ天才的な人・超人的体力を持っている人であっても限定的なのです。

また、たとえ複数の人間が同じ事業に取り組んでいたとしても、それぞれがバラバラに活動を展開しているようでは、運が良ければ自然発生的に秩序のようなものが生成されるかもしれませんが、多くの場合は個別活動同士が干渉しあい、混乱と非効率が発生するでしょう。

これに対して人々が協働して統一的に事業に取り組むとき、混乱と非効率は調整されるだけではなく、単なる「人数の掛け算」にとどまらない新しいアイディアなどの協働的創造が生まれるものです。こうした統一こそが組織化であります。

組織化はただ漠然とすればよいものではありません。人民大衆の社会的活動の目的が自分自身の生活の自主化であればこそ、自主的なビジョンを提示する指導者と党に合流し、組織的に団結する必要があります。

朝鮮労働党はこうした点から組織の重要性を指摘し、そしてそうした観点から、社会革命の推進主体を単なる個人ではなく組織、すなわち「首領・党・人民大衆によって構成される社会政治的生命体」としたのです。そして社会政治的生命体の骨格及び神経回路こそが党なのです。

党と大衆との渾然一体――社会の分断が深刻化しているアメリカは言うに及ばず、ブルジョア「個人」主義的発想が蔓延して人間としてごく普通の社会連帯さえも形骸化しつつある日本においては、イメージすることさえも困難な話であります。この世にまたとない稀有な社会を作り上げた朝鮮労働党の創建75周年を祝賀します。

私たちは日本の変革の主人として、朝鮮式社会主義から学べる部分は学び、「ここは違うな」という部分は創造的に改める形で、私たちの社会を革新してゆく任務を持っています。
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2020年10月09日

トランプ米大統領の新型コロナウィルス罹患をめぐる日米両国世論の差異から見える文化的・思想的傾向の違いについて、あるいは日本人の陰湿さについて

トランプ米大統領の新型コロナウィルス感染と、それからの劇的な回復に関する日米両国世論の差異について。文化的・思想的傾向の違いが明白だったので収録しておきたいと思います。

まずは日本。下記のような反応は決して珍しくないように思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/577530b214bbe19045b4f3d5eb1aabd0421724bd
トランプ氏感染「自業自得」 経団連会長厳しい発言
10/5(月) 19:51配信
テレビ朝日系(ANN)

 経団連会長がトランプ大統領の感染を「自業自得」と断じました。

 経団連・中西宏明会長:「ちょっと不注意じゃないですかね。トランプさんの場合、元々マスクもされないとか、ある意味で典型的、自業自得だなと思います」
 経団連の中西会長は新型コロナウイルスに感染したトランプ大統領について「大規模集会をたくさんの聴衆がいるなか、マスクなしでやっていた」と指摘し、「自業自得だ」と述べました。
(以下略)
日本において「自業自得」という言葉が持つ意味合いは、「日ごろから気に入らないが、なかなかケチをつけるチャンスがなかった相手方の失敗を見て留飲を下げる」といったところです。読者の皆さんも肌感覚でわかるのではないでしょうか。日本人の陰湿さを象徴する言葉であり発想であります。

これに対するアメリカ世論に関する分析。
https://news.yahoo.co.jp/articles/71721505f94dcb4e647abb09190d0b96f6559fa4
トランプ感染で大統領選のキーワードは「アンダードッグ」に
10/5(月) 6:30配信
Forbes JAPAN

(中略)
バイデン陣営の動き
バイデン陣営も国民感情に配慮

さきほど、「同情票」と簡便に書いたが、実は同情ともちょっと違う。ここにはなかなかひとことでは言えないアメリカの文化的背景がある。アメリカは、国の誕生の歴史から、「圧倒的な権威や権力」に対する反発感がとても強い。だからこそアンチ・トランプの嫌トランプの念は強力であった。

一方で、アメリカはハンディを負いながらも戦いに臨む者に声援を惜しまない。「アンダードッグ」という言葉がある。それは相手に対して勝ち目のないチームや選手を指すことが多いが、アメリカ人は映画の「ロッキー」シリーズによく表れているように、アンダードッグがとても好きな国民なのだ。

勝ち目のない者に同情するというよりも、勝ち目がなくても正々堂々と相手に向かって行く姿にとてつもない美意識を感じるという志向だ。それは、「選挙権が与えられないなら納税しない」と当時の大英帝国に立ち向かった、250年前の独立戦争に重なるものだろう。

今回の場合、トランプ大統領自身が感染というハンディを負った。すると彼はすでに「バイデンと拮抗する強靭な候補者」ではなくなり、むしろ病状によってはアンダードッグにさえなりうる。

トランプ大統領は現在74歳であり、コロナ感染の場合の死亡率は18歳から29歳の人に比べると90倍のカテゴリーに入る。そのうえ、体重が100キロ以上もある体は、さらに危険を高めている。アンダードッグの「資格」は十分と言えるだろう。

アンダードッグ効果をいち早く恐れたのか、バイデン前副大統領の動きも迅速だった。トランプ大統領が新型コロナウイルス感染の情報が飛び回ると、いち早くツイッターで、「トランプとメラニア夫人の早期の健康回復を妻とともに祈る」と呟き、さらに「わたしたち夫婦は大統領とご家族の健康と安全を祈り続ける」とまで書いている。

あれだけトランプ大統領に、(米国が世界一の死者を出したのは)コロナ対策の不手際が原因だと集中砲火を浴びせていたバイデン前副大統領だから、トランプ大統領の回復に言及しながらも、具体的に彼のこれまでの「新型コロナウイルスを舐めたような政策や、めったにマスクをしない彼自身の態様」を、この時とばかりに冷静かつロジカルに責め立てることもできたはずだ。
(中略)
これも、アンダードッグ効果をすでに恐れ、浮動票がトランプ大統領に流れぬようにと深謀遠慮したバイデン前副大統領側の戦略だと考えていい。ハンディを負った人間に不用意に拳を振り上げると、自分が得ていた味方さえも相手側に回りかねないというアメリカ国民の感情を考えてのことだ。

いま、大統領選挙の勝者を予想することほど、無茶なことはない。

長野 慶太

最終更新:10/5(月) 6:30
Forbes JAPAN
もちろん、アメリカにもトランプ氏に対して「カルマ(業)」という単語を使って非難する言説があるようなので、単純に割り切れる話ではないようです。アメリカにおいても日本的な陰湿さが一部には広がりつつあるのかも知れません。しかし、依然として社会全体としては、「ハンディを負いながらも戦いに臨む者に声援を惜しまない」という思想傾向にあるという指摘です。

日米両国の主流的世論反応から、日米両国の主流的思想傾向が見て取れた興味深い一幕です。

ところで、アメリカ大統領選挙をめぐっては、それにしても日本国内・日本語メディアでは情勢がつかめない!

たとえば先日の第1回大統領候補者テレビ討論当日のNHK「ニュースウオッチ9」は、「識者の評価」としてそれぞれ異なる分野の3人の識者を出し、その上、「両者引き分け」とする始末でした。

たしかに全知全能完全無欠な候補者はいないのだから、分野によって得手不得手はあるでしょう。しかし、視聴者が注目したいのは、ホットな論点においてどちらが本当に優勢だったのかということであり、それはやはり、特定の論点に関する複数の識者による多数決的評価でしか分かり得ないものです。にもかかわらず、まったく異なる分野の識者を一人ずつ出すようでは、その識者の個人的な見解にすぎません。これでは全体像は分からないのです。私は当日の番組をリアルタイムで視聴していましたが、結局どっちが優勢だったのか全く分からない、意味のない編成でした。

もちろん、NHKの番組編集部がそんなことも分からないはずがありません。このことはつまり、日本メディアもアメリカの情勢について分かりかねており「とりあえず両者痛み分け」としたのが真相なのでしょう。翌日以降、米CNNの世論調査が出るようになると一気に「バイデン優勢」などと報じたあたり、日本メディアがアメリカメディア、特にCNNに依存していることが明らかになりました。

そうかと思えば、独りよがりな独自論評が沸いてくるケースも。

たとえば昨日(10月8日)の、またしてもNHK「ニュースウオッチ9」。「米大統領選・勝敗の鍵握る若者たちの選択」と称して、いわゆるミレニアル世代について「他人の痛みが分かる世代」と評したうえで、そうした世代の投票行動が大統領選挙のカギを握る(=バイデン候補の岩盤支持層になり得る)と報じました。

典型的利己主義社会であるアメリカにおいて「他人の痛みが分かる世代」が育ちつつあることは福音であります。しかし、2000年以降に成人を迎えたミレニアル世代の人口比を考えるに、事実から出発すればこそ、あまり無邪気にはしゃいでいる場合ではないでしょう。

また、ミレニアル世代といっても一枚岩ではありません。西日本新聞が、「「トランプ許せないが、バイデンも信用できず」葛藤する民主党支持者 米大統領選」という興味深い記事を公開しています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/bcdcfe7f725c53b37a09774d417c9d10455faded
「トランプ許せないが、バイデンも信用できず」葛藤する民主党支持者 米大統領選
10/8(木) 10:32配信
西日本新聞

 「大統領選はもうすぐなのに、今回ほど民主党の看板が少ない年はない」

 ラストベルト(さびた工業地帯)の激戦州の行く先々で、民主党バイデン前副大統領の支持者から嘆く声を聞いた。それでも、全米世論調査ではバイデン氏が共和党のトランプ大統領をリード。9月21日に訪れた中西部オハイオでもバイデン氏優勢が伝えられる。
 
 熱気なき支持拡大―。この訳を、人口27万人の工業都市トレドに住む黒人活動家ジュリアン・マックさん(36)に尋ねると、素っ気ない答えが返ってきた。「トランプは許せないが、バイデンも信用できず、失望している人が多いということだ」

(中略)
 大統領選ではバイデン氏に投票する。ただ積極的ではなく「歯を食いしばりながらの選択」という。

 マックさんは、国民皆保険制度の導入などを主張し、バイデン氏と民主党候補の座を争った最左派サンダース上院議員の熱烈な支持者だ。自身の選挙でも格差是正など抜本改革を訴え、追い風を感じている。

 だからこそ、中道・穏健派の代表格で、現状維持のイメージが付きまとうバイデン氏には共感できない。前回選挙ではトランプ氏が、停滞ムードが漂うラストベルトの現状打破を訴え、民主党支持の中低所得者層から支持を集めた。なのに、党主流派にはその反省が見えない。バイデン氏への投票は「トランプを追い出す」ために他ならない。

   ★   ☆   ★

 同じような葛藤が、サンダース氏を支持する10〜30代の若者に渦巻く。

 トレド市内のバーで話を聞いたクリステン・ロビドゥさん(27)は、社会保障の拡充を求める市民に「共産主義者」とのレッテルを貼るトランプ政権の終焉(しゅうえん)を願う。「でも、単に誰かを落とすためだけの投票なんてしたくない」とも言う。

 新型コロナ禍が深刻化した春以降、長期間自宅にこもったバイデン氏を応援する気になれない。「危機の間、姿を消すような人をリーダーとして信頼しろと言うの?」。仕事終わりの一杯だったはずのビールには一口も口を付けず、不満をぶちまけ続けた彼女は、バイデン氏への投票を決断しきれずにいる。

(以下略)
こうした現地発のルポ的報道(=個別的事象の取り上げに過ぎず、統計的妥当性は保証されていない)もまた、どれほど事実を示しているかは不明瞭ですが、「ミレニアル世代」などと十把一絡げに総括して無邪気で独りよがりに論評するよりはマシだと思われるところです。あまりにも願望が先行すぎていると言わざるを得ません。

投票まで1か月を切っているというのに、情勢がつかめないところです。
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2020年10月06日

帝国主義覇権争いの世界において「健在ぶり」をアピールしなければならない現職大統領・米軍最高司令官たるトランプ氏

私はよく「不思議な人だ」と言われます。敵対的関係にある人についても、場合によっては率先して擁護の姿勢を取ることにあるからです。「あんなに嫌っていたくせに、今回は何でそんなに擁護するんだ?」と言われたこと、臨戦態勢で迎え撃とうとしていた相手方が予期せぬ私からの援護射撃に逆に大混乱に陥ったことも多々ありました。

これは、私が「利害関係」よりも「事実」を大切にするからです。私は、人民大衆自身が主人となった主体的で協同的な社会主義;「公平な観察者」が「お互いさま」の精神で社会を共同管理する世界を目指しています。自分たちの社会の主人としての責任と矜持を持てばこそ、批判のための批判などは最も恥じるべきであり、クレーマー気質の喚きとは一線を画すべきと考えます。政治的意図によって事実を曲解したり、「批判のための批判」と言うほかないようなイチャモンや言いがかりを弄するような手合いは、そうした社会の主人には相応しくないと考えるからなのです。

そんな私が下記記事について論評してみたいと思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/903f38cd4550cc275c80195edb95d14665ccaee5
感染予防規定を無視、トランプ氏の外出「パフォーマンス」に医療関係者ら怒り
10/5(月) 12:22配信
AFP=時事

【AFP=時事】(更新)新型コロナウイルス感染のため入院治療中のドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領が車で外出し、車内から支持者に手を振ってあいさつしたのは米政府の定めた感染予防規定に違反しているとして、医療関係者から怒りの声が上がっている。
(中略)
 しかし、トランプ政権が定めた公衆衛生ガイドラインでは、治療中の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者はウイルスを放出しており、隔離措置を取らなければならないと定められている。このため、医療専門家らはトランプ氏の行動は大統領警護隊(シークレットサービス)を危険にさらしたと批判している。

 トランプ氏は外出の直前、新型コロナ感染の体験を「本物の学校」と呼び、「多くを学んだ」と述べる動画をツイッター(Twitter)に投稿していた。だが、テレビ番組やソーシャルメディアでは、トランプ氏が何も学んでいないことを浮き彫りにする政治的パフォーマンスだとの批判が専門家から相次いだ。

「全く必要のない大統領の外出のせいで、車に同乗した全員がもれなく14日間隔離されなければならなくなった」と、米ジョージ・ワシントン大学(George Washington University)の災害医学の専門家、ジェームズ・フィリップス(James Phillips)医学博士はツイート。「彼らは病気になるかもしれない。死ぬかもしれない。政治パフォーマンスのためにだ。トランプ氏は、パフォーマンスのために命を危険にさらすよう命じたのだ。狂気の沙汰だ」と批判した。
(以下略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a9b06f4e95c84909fb01ad38e71d0fa5f394898
トランプ大統領、コロナ迅速検査の陽性すぐには明らかにせず−報道
10/5(月) 11:42配信
Bloomberg

(ブルームバーグ): トランプ米大統領が1日に受けた新型コロナウイルス感染症(COVID19)の迅速検査で陽性と判明後、すぐにはそれを明らかにせず、もっと綿密な検査の結果が出るまで公表を待ったことが分かった。ダウ・ジョーンズ(DJ)通信が事情に詳しい複数の関係者を引用して報じた。
(中略)
ホワイトハウスの手順に基づけば、迅速検査で陽性となった場合にだけ、もっと信頼性の高い検査が行われることとなっており、事情に詳しい関係者によると、大統領の場合もこれに従った形という。
医学的には、「医療関係者」の指摘はそのとおりでしょう。しかし、トランプ氏は単なる大統領選候補者ではなく現職大統領・米軍最高司令官です。以前から指摘しているとおり、現代世界は帝国主義覇権争いの世界。朝鮮民主主義人民共和国の国務委員長であるキム・ジョンウン同志が、ご自身の健康問題を徹底的に秘匿されていることに端的にあらわれているように、最高指導者の健康問題は、帝国主義覇権争いの世界において死活的に重要な戦略的情報です

お互いに少しでも相手方を出し抜こうと虎視眈々と狙っている情勢。いかに権力の空白を回避するために組織的に序列第二位の人物(副大統領)が控えているとしても、実際の「そのとき」においては、合法的な権限移譲を確定するためには、若干の手続き時間がかかります。しかし、まさにその若干の時間が覇権争いにおいては命取りになります。最高指導者の健康問題は国家組織の意思決定における最大の弱点なのです。

アメリカ帝国の首魁たるトランプ大統領が、よりにもよって「あの」新型コロナウィルスに罹患するなど最悪の事態であります。このことはただ速やかに発表すればよいというものではありませんし、報じるにしても「健在ぶり」をアピールすることとセットにする必要がどうしてもあります。アメリカ帝国そのものの安全と安泰そのものだからです。

アメリカ帝国の首魁、独占資本の利益代表者たるトランプ氏がアメリカ帝国の安全と安泰と実現させなければならないのは、彼が置かれた条件;帝国主義の覇権争いが求めるものです。トランプ氏は立場上、健在ぶりをアピールしなければならないのです。

帝国主義の覇権争いは、私たち現代を生きる生身の人間にとっては、所与の条件であります。私たちは、否応なくこの関係性の中に生きており、この関係性に縛られています。マルクスは『資本論』の序文において次のように指摘しています。
ここで諸人格が問題になるのは、ただ彼らが経済的諸カテゴリーの人格化であり、特定の階級諸関係や利害の担い手である限りにおいてである。経済的社会構成体の発展を一つの自然史過程と捉える私の立場は、他のどの立場にもまして、個々人に諸関係の責任を負わせることはできない。個人は主観的にどんなに超越しようとも、社会的には依然として諸関係の被造物なのである。
マルクス『資本論』第1巻第1分冊、新日本出版社、1982年、p12

もちろん、この条件の矛盾性と不条理性に対して立ち上がり変革するのは我々自身ですが、決意したからと言って今日明日に急に変革が起こるわけではなく、なお一定の期間は、否応なくこの関係性に縛られるものです。

ちなみに、アメリカ帝国と敵対している国々もまた、帝国主義の覇権争いという世界的枠組みにおいて、そうせざるを得ない状況に置かれています。帝国主義の覇権争いとは、どこかの国が悪いという問題ではありません。人類が歴史的経緯を経て作り上げた条件がもたらした、一種の悲劇的な結末なのです。

車に同乗した全員がもれなく14日間隔離されなければならなくなった(中略)彼らは病気になるかもしれない。死ぬかもしれない」というPhillips博士のツイートについては、もちろん、こんなことやらないで済めばそれに越したことはないでしょうが、現職の米大統領・米軍最高司令官としては、健在ぶりをアピールする必要がある点、ものすごく苦しい選択ではあるが、「致し方ない部分もあるのではないか」と思うのであります。

「健在ぶりをアピールすることが現職大統領の職務の一つだとしても、トランプ氏が大統領選挙のことをまったく考えず、ひたすらに現職大統領の職務のためだけにやったはずがないだろう」という指摘もあるでしょう。もちろん、私的な狙いだってあるでしょう。そのことを私は否定するつもりはありません。

私的な狙いがあってはまずいのでしょうか? そもそも、私的な狙いもなく政治家をやる人がいるのでしょうか? 政治家は常に選挙での当選を意識して政策を打ってゆくものです。政策を推進して国民生活を改善させつつ自分自身の権力を固めるのが政治家というものです。もっといえば、当選したいから政治家は独りよがりな理想ばかりではなく選挙民の要求を織り込むものです。

現職大統領の職務として、そしてまた自分自身の再選のために「健在ぶり」をアピールすることは、それは政治家として普通のことではないかと思います。

なんで私がアメリカ帝国の首魁たるトランプ氏の擁護・弁護をしているんだか・・・
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2020年10月03日

アメリカ大統領選挙は主体的にはどう見るべきか

佳境を迎えつつあるアメリカ大統領選挙について考えてみたいと思います。

■階級的利益の観点から言えば、どちらでもそう大きく違わないだろう
主体的社会主義の階級的利益の観点から述べれば、次期アメリカ大統領がトランプ氏になろうとバイデン氏になろうと本質的な違いはないと見ます。帝国主義は社会経済制度に基礎を置いており、帝国主義社会におけるブルジョア政治家はその社会経済制度の利益、つまり独占資本の利益を代表する役割を担っています。その首魁が「大統領」である以上は、大統領が代わったからと言って独占資本優先の本質が変わることはないからです。

キム・ジョンイル総書記は次のように指摘されています。
経済を離れた政治がないように、億万長者と遊離したブルジョア政治家はありえない。帝国主義社会におけるブルジョア政治家は、独占資本家の利益の代弁者であり従僕である。
「現代帝国主義の特徴と侵略的本性について」チュチェ51(1962)年1月15日

主体的社会主義の立場から述べれば、帝国主義社会におけるブルジョア政治家がその社会経済制度の利益、つまり独占資本の利益を代表する役割を担っている以上は、何に注力しようと依然として独占資本優先の帝国主義的政策が続くことには変わりありません。本質的な部分においては、誰が大統領になるかによって帝国主義が侵略的になったり、そうでなくなったりするということはないのです。

先の討論会で、なんとバイデン氏は「「グリーン・ニューディール」は私の政策でない」と言ってしまいました(米大統領選 第1回テレビ討論会 両候補の発言要旨 2020/9/30 20:21 日本経済新聞)。グリーン・ニューディールごときで独占資本優先の帝国主義的政策の本質が覆い隠されるわけがありませんが、それさえもやらないのであれば、「両者に本質的な違いなど何もない」というべきでしょう(トランプ氏は論ずるまでもなく帝国主義政権の首魁です)。

また、そもそも、独占資本優先の帝国主義体制から利益を引き出している既得権者たちは、社会主義にでもならない限りはどう転んでも利益が出るように手をまわしているものです。株価や経済指標等のきわめて短期的な上下に一喜一憂するような手合いは別として、その意味ではそこまで大きな違いにはならないと考えられます。

階級的利益の観点から言えば、当選者がトランプ氏であろうとバイデン氏であろうと根本的には大差ないのです。

■現代国家の呉越同舟的な観点からいえば、どちらでも困ったことになるだろう
もちろん、大統領職に就く個人のパーソナリティやパトロンの利害関係により政策に多少の色合いの濃淡の差が出ることはあるでしょう。国内産業に利害関係がある人に押し立てられた大統領であれば国内産業を優先するだろうし、対中貿易業に利害関係がある人に押し立てられた大統領であれば対中貿易業を優先するでしょう。それに伴い、外交にも一定の違いが現れ、帝国主義覇権争いの展開に変化がみられることもありうるでしょう。この覇権争いはギリギリの闘争であり互いに少しでも相手方に付け入る隙がないか虎視眈々と狙う類の闘争です。このことは、階級的利益の問題とは別個に考慮する必要があります

帝国主義覇権争いにおいては、一握りの多国籍企業を除き、現代国家各国の国民は一定の「呉越同舟性」を持っていますキム・ジョンイル総書記は次のように指摘されています。

民族が形成される時期は民族によって異なりますが、個々の民族は血筋と言語、地域と文化生活の共通性をもとに歴史的に形成され強固になった社会的集団であり、各階級、各階層によって構成されています。どの国、どの社会であれ、民族から遊離して民族の外にいる人はいません。人々は各階級、各階層の構成員であると同時に、その民族の構成員でもあり、したがって階級性とともに民族性を有しています。階級性と民族性、階級的要求と民族的要求は、不可分の関係にあります。もちろん、民族を構成する各階級、各階層はかれらの相異なる社会的経済的地位からして、階級的要求と利害関係が異なります。しかし、各階級、各階層の利害を超越して民族の自主性と民族性を固守し、民族の隆盛と発展を遂げることに関しては民族の構成員全体が共通の利害関係をもっています。それは、民族の運命はすなわち民族構成員の運命であり、民族の運命そのものに個人の運命があるからです。民族の構成員として、民族の自主権と尊厳が踏みにじられ、民族性が無視されても構わないと考える人はいません。
「民族主義に対する正しい認識をもつために」チュチェ91(2002)年2月26・28日

総書記が議論の対象としているのは「民族」ですが、「個々の民族は血筋と言語、地域と文化生活の共通性をもとに歴史的に形成され強固になった社会的集団」とされているとおり、「血筋、言語、地域、文化生活それぞれの共通性」がキーワードであります。

ここでいう「血筋」は、人種のような生物学的な意味でのそれではなく社会歴史的に形成された想像上の血縁関係であります(ハン・ドンソン(2007))。鐸木(1992及び2014)は、「頭目−手下集団」における疑似的な父子関係がその原型にあるとしています。かみ砕いて言えば、杯事によって形成される義理の親族的関係が、主体的な意味での「血縁」です。

「地域の共通性」については、一定の地理的地域で隣近所の関係として生活を営めば、この条件は満たすでしょう。「言語の共通性」については、スターリンが言語を交通のための手段としたとおり、一定の地理的地域で隣近所の関係を満たすためには否応なく満たされるものでしょう。

「(義理の親族的関係としての)血縁の共通性」及び「文化生活の共通性」を満たすことはそれと比べると難しいものの、政情が安定している現代国家においては、ことなる出自・文化的背景を持つ人々同士の関係は、葛藤や対立があったとしても概ね安定しているところです。現代国家が、多様な階級構成をしながらも一つの「国民国家」として統一性を保ってきた事実がこのことを示しています。
総書記の上掲指摘は、一民族内部における「階級的利害関係」の存在を認めつつ、それを包摂しつつ乗り越える「民族的利害関係」の存在を指摘するものですが、この指摘は、「民族の階級超越的な呉越同舟性」を指摘するものであると考えられます(あくまでも私の理解です)。そしてそれはすなわち上述のとおり、総書記の民族概念は、それを論理的に発展させればこそ階級超越的な現代国家の「呉越同舟性」にも準用できると考えられます

それゆえ、総書記の「各階級、各階層の利害を超越して民族の自主性と民族性を固守し、民族の隆盛と発展を遂げることに関しては民族の構成員全体が共通の利害関係をもっています。それは、民族の運命はすなわち民族構成員の運命であり、民族の運命そのものに個人の運命があるからです」という指摘は、必ずしも民族集団に限られるものではなく、(義理の親族的関係としての)血縁、言語、地域、文化生活の共通性を満たしていれば、出自や人種、肌の色などが違っても準用できる考え方だと言えます。

その意味では、帝国主義覇権争いのさなかで外交方針に揺らぎがみられることは、現代国家の呉越同舟的な観点からいえば、重要な問題だと言えるでしょう(この点において私は、レーニン主義とは異なる立場でありましょう)。

その点、次の記事に注目したいと思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/93f72f68336bdd68fe1271e87249825351164321
「お願いだからちょっと黙って」。討論会でひたすら喋り続けるトランプ大統領に、バイデン氏が反撃
9/30(水) 12:56配信
ハフポスト日本版

「お願いだから、ちょっと黙って下さいませんか?」

9月29日(現地時間)に開かれたアメリカ大統領選の第1回討論会で、民主党候補のジョー・バイデン氏が、自分の話を遮ろうとするトランプ大統領に苛立ちを見せる場面があった。

90分間で6つのテーマを議論した討論会。モデレーターのクリス・ウォレス氏が最初に選んだテーマは「最高裁判事の任命」だ。

ルース・ベーダー・ギンズバーグ氏の後任を巡り、トランプ氏が指名した保守派候補の任命に、民主党が強く反対している。

ウォレス氏はバイデン氏に「大統領に当選した場合、フィリバスター(法案通過の妨害)を終わらせますか?また最高裁判所判事の数を増やそうと考えていますか?」と尋ねた。

バイデン氏が質問に答えていると、横からトランプ氏が絶え間なく「判事を増やすのか?判事を増やすのか?彼は質問に答えたくないんだ。なぜ、答えないんですか?」と口を挟んだ。

何度も遮られたバイデン氏。苛立ちを見せながら「お願いだから、黙ってくれますか?なんて、大統領としてとてもふさわしくない行為なんだ」と呆れたように述べた。

(以下略)
トランプ氏におよそ「品」と言えるようなものがないことは初めから知っていましたが、それにしても相変わらずのトランプ節です。リベラル系米メディアを中心にそうした総括が大勢であり、そして、政治家に聖人君子であることを求めたがる日本でも「大統領なのに品がない」といった評価が目立ちます。

確かにそのとおりだとは思うのですが、しかし、仮にバイデン氏が大統領になったとして、帝国主義の競合国による昼夜を問わない遠慮のない覇権争いにおいて、「お願いだから、ちょっと・・・」というつもりなのでしょうか?

トランプ氏の場当たり的で何の戦略もないヤジに辟易しているようでは、帝国主義覇権争いにおいて勝ち抜くことができるのでしょうか? 当意即妙な切り返しができることは、帝国主義覇権争いにおいては重要な資質であるように思います

では、トランプ氏の方が大統領にふさわしいかといえば、そういうわけでもありません。今回の討論会ではトランプ氏は明らかにノープランでした。そもそも政治家としてのトランプ氏に計画性があった試しはないようにおもいますが、それにしても、必ずやってくることが分かり切っていた討論会にノープランで突入するあたり、深謀遠慮が欠かせない帝国主義覇権争いの最高指導者としての資質に疑問符を付けざるを得ません(参考:泥仕合の中にも選挙キャンペーン上重要な要素が見えたテレビ討論会 10/1(木) 18:15配信 ニューズウィーク日本版のうち「トランプ大統領のブランディングがはっきりしていない」の節)。

もっとも、歴史を振り返るに、アメリカの外交とはその時々の利益最大化を目指すものであり、あまり深い戦略はないものでした(新古典派的な利潤最大化を体現しているというか・・・)。無節操だからこそ短期的にはいち早く覇権を握れるものの、かつての「飼い犬」ビン・ラディン一派が宿敵に転化してしまったように、自らまいた種で苦しむことが多々ありました。その意味では、トランプ氏こそが、刹那的なアメリカ帝国主義の典型的姿であり、これこそが「アメリカ大統領」と言えるとかもしれません(嫌味)。

階級的利益の観点から言えば、当選者がトランプ氏であろうとバイデン氏であろうと大差ないと考えられます。他方、現代国家の呉越同舟的な観点からいえば、当選者がトランプ氏であろうとバイデン氏であろうと違う意味で不足があるように思われます。

■仮にトランプ氏が居なくなってもトランプ現象がなくなることはない
アメリカ国内の分断について考えてみましょう。

以前から述べてきたように、「トランプ大統領が分断を作った」のではなく「すでに以前からあった分断がトランプ氏を大統領に押し上げた」とみるので、これも大きな変動はないと考えています。

大統領は行政組織の長として絶大な権限を持っているとはいえ、あくまでもその権限を以って自己の意思を貫徹し得るのは行政組織内にとどまります。一個人がその意思を、各自が自由な意思をもつ人間たちの集団としての社会のうちにおいて貫徹させるためには、ときに反対意見を押し切って自らの意思を「押しつける」という意味での権力を行使する必要があります。そのためには、当該人間集団において指揮命令系統を構築・整備する必要があります。すなわち、組織化が必要になります。

共和国とは異なり、アメリカ社会はそれ自体が高度に組織化されているとは言えません。そのため、個人が組織指導者のように社会そのものを意のままに操ることはできないのです。

キム・ジョンイル総書記は、権力について次のように指摘されています。
わが党には自己の指導者に忠実な中核が多くいます。党に忠実な中核がわたしを積極的に支持し助けてくれるので、キムジョンイル将軍も存在しているのです。一人では将軍になることはできません。わたしは中核の知恵をまとめて、彼らに依拠して政治をおこなっています。
『党のまわりに固く団結し新たな勝利のために力強くたたかっていこう』チュチェ84(1995)年1月1日

フォロワーシップあってこそのリーダーシップというわけです。

トランプ氏が人々が考えることを意のままに操っているのであれば、その再選失敗は大転換になるでしょう。しかし、どんなに過大に評価してもトランプ氏は「オピニオンリーダー」であり、支持者や「信者」たちの意見形成に影響を与えることはあっても、古典的な弾丸理論・皮下注射論が考えるようなこと、すなわち、人々が考えること自体を意のまま操ることはできないのです。トランプ氏が無垢な大衆を洗脳して支持者に仕立てあげたわけではなく、大衆が信じたいこと・都合の良いことをトランプ氏が上手く代弁してくれるから大衆は彼を支持し、結果的にトランプ現象が起きているのです。

そして、仮にトランプ氏が表舞台を去ったところで支持者や「信者」たちは、似たような主張を展開する人物を探し出して次の「教祖」として崇め奉り、相変わらず「トランプ現象」を継承するがごとく同じような活動を展開し続けることでしょう。

オウム真理教のようなカルト宗教でさえ、新規信者の勧誘とマインドコントロール的統制の中心であり、まさに「教祖」として教えの中心だった麻原教祖――麻原教祖あってこそのオウムです――が死に教団組織が瓦解した後も、その教義を内面化した人たちによって細々と信仰がつづいています。「教祖」が居なくなっても「教え」はなかなか滅びないのです。

ましてトランプ現象については、そもそも個々の支持者・「信者」たちが持つ自由な意志の結果、ドナルド・トランプ氏が「祭り上げられた」わけです。「麻原教祖あってのオウム教団・オウム信者」に対して「支持者・『信者』あってのトランプ大統領・トランプ現象」なのです。支持者・「信者」がこれからも残り続ける限り、仮にトランプ氏が居なくなってもトランプ現象がなくなることはないでしょう

■別の意味での分断について
バイデン氏について。前述のとおり「「グリーン・ニューディール」は私の政策でない」と言ってしまった同氏ですが、このあたりはサンダース氏支持層と自身との連携の蝶番役であります。

もともとバイデン氏は多様な意見が混在する民主党の最大公約数的な御神輿として担ぎ出されたものですが、「民主党候補者」を超えて「合衆国大統領」になるために保守的な有権者層を切り崩すためとはいえ、党内左派を切り捨てる選択がどう出るのか・・・

仮にバイデン氏が当選したとして、共和党が劇的改心(回心?)するはずがないので、バイデン政権は共和党との闘争に加えて党内左派との闘争にも注力しなければなりません。組織を重視する主体的社会主義者から申せば、敵前において自陣営内も盤石でないとすれば、これはなかなか厳しいだろうなとお見舞い申し上げるものです。

■総括
今回の大統領選挙は、表面的なお題目を取り繕うことが社会の変革であり歴史の進歩であるとしてパフォーマンスを無邪気に真に受けているリベラリストや、ポピュリストの底の浅い扇動にまんまと乗せられている大衆、そしてなによりも、株価や経済指標等のきわめて短期的な上下に一喜一憂するような手合いにとっては、「天下分け目の決戦」に映るでしょう。

しかし、主体的社会主義の立場に立つ私としては、階級的利益の観点及びリーダーシップ論から言えば、「どちらでもそう大きく違わないだろう」と言わざるを得ず、現代国家の呉越同舟的な観点からいえば、「どちらでも困ったことになるだろう」と言わざるを得ません
posted by 管理者 at 16:34| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする