加藤浩次、医師会会長の釈明に疑問「我々も感染症対策をしてたらいいのかって話」実に日本人的な「目的意識性の欠如」というべき発想。「何のためにやっているのか」という原点に照らして考えず、具体的な行為それ自体が目的化しているわけです。
5/13(木) 11:15配信
デイリースポーツ
極楽とんぼの加藤浩次が13日、日本テレビ系「スッキリ」で、日本医師会の中川俊男会長が自民党の自見英子議員の政治資金パーティーに出席していた問題に「我々も感染対策をしていたらいいのか?って話になる」との思いを語った。
(中略)
これに加藤は「感染症対策、しっかりしてましたって言ったら、我々も感染症対策してたらいいのか?って話になってしまう」と、コメント。感染対策を徹底しながらも営業自粛などを求められている分野が多数あることから、納得いかない表情。
医師会会員で、日本感染症学指導医でもある水野泰孝氏も「これをいってしまえば、いろんな行事やイベントを中止してきた方はどうしたらいいのかってことになる。学校や子ども達、行事を我慢してきたのを懸念している。これなら卒業式、入学式もできた。感染対策すればこういったイベントはすべてできるという認識になる」と語っていた。
「我々も感染症対策をしてたらいいのかって話」――そのとおりです。そもそも感染拡大防止のために行っているのが今の「我慢大会」。感染症対策をしていれば問題ありません。念のために言っておくと「オレは嗽はしないけど、喉を酒のアルコールで消毒してるぜ」的な「自称感染症対策」では意味がなく、科学的・医学的根拠のある感染症対策である必要があります。
その点、自らの身を守ることにかけては医学的にも政治的にも天才的な才能をお持ちである、開業医団体としての日本医師会会長大センセイのことですから、抜かりがあるはずがありません(半分嫌味だが半分本当)。
アメリカではワクチンの接種が完了した人はマスクの着用が不要という見解が出されています(『ワクチン接種完了した人はマスクの着用不要−米CDCが指針変更』5/14(金) 4:33配信 Bloomberg)。今後、多くの国では規制緩和が進み日常生活が正常化してゆくことでしょう。「我々も感染症対策をしてたらいいのかって話」などというバカげた主張がニュースになる日本の日常生活が正常化するのは一体いつのことでしょうか。。。
まあ、一事が万事「空気」で決まる国です。ワクチンについても、ついこの間まで「様子見」だったのに、今や「供給が足りないぞ、政府は何をやっているんだ」になっています。ある時を境に堰を切ったようになし崩し的になるとは思いますが。
目的意識性の欠如に関連して、こんなニュースも出てきています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ddd1c6472caca76a67af2d2de23934d83381881
東京五輪・パラ選手村で「酒類持ち込み可能と判明」報道に、怒りの飲食店店主「このニュース見て酒を出すことを決めた」一般の飲食店での酒類提供自粛要請には、「誰が感染しているのか分からない」状況下において人々が入れ交ぜになるとクラスターが発生しかねないという点に要請理由があります。これに対してオリンピック選手村では毎日検査が行われており、また、選手の村外への外出は基本的に禁止されています。選手村は「コロナ清浄区域」であり、いうならば、厳格な出入国管理によって「患者ゼロ」を維持しているという点において「プチ北朝鮮」というべき特殊な区域なのです。
5/29(土) 15:06配信
中日スポーツ
東京五輪・パラリンピック大会の選手村で、アルコール類の持ち込みが可能になるという一部報道に対し、SNS上では29日、報道を機に酒類の提供を決めた飲食店経営者など怒りのコメントが寄せられた。
一部報道によると、選手村内での酒類の提供や販売は行わないが、最低限の選手同士の交流を尊重するのが理由でアルコールの持ち込みは可能で、組織委担当者の「節度を持って行動してくれるはず」とのコメントも掲載された。
ツイッターでは、記事の見出し「可能と判明」が一時トレンドワードになり、横浜の飲食店経営者は「このニュース見て、6月1日から通常営業する事にしました。酒も出しますし、20時以降も営業します。もう政府に対して何の協力も必要ないと思います。自分たちで出来るだけの感染予防をして営業します」とコメントした。
(以下略)
そうであれば、おそらく飲酒可能としたところでクラスターが発生する可能性は低いと考えられます。もちろん「ゼロ」ではありませんが、そもそも「ゼロリスク」を本気で信奉しているのは日本人くらいのものです(BSE騒動の時に、統計科学的にまったく無意味で世界的にも稀有な「全頭検査」を敢行した国ですからね・・・)。
一般飲食店とオリンピック選手村の環境は、何から何まで根本的に異なるのです。その要請の狙い・目的に照らせば、この「違い」は容易に理解可能であります。根本的に状況が違うのだから、取り扱いだって違うに決まっています。にもかかわらず、「酒類提供の可否」という表面的事象にこだわって不公平だなんだと騒ぎ立てる言説が少なくありません。目的意識性の欠如と言う他ありません。
記事中の横浜の飲食店経営者氏がいう「自分たちで出来るだけの感染予防をして」は、いったいどんな感染予防なんでしょうか? おそらくオリンピック選手村では、豊富な資金力を背景に米CDCの基準などに沿った科学的防疫が施行されるものと思われますが、市井の飲食店が採算ベースでできることは限られているような。これでクラスターを起こして吊るし上げされたら、それこそご自分の首を絞めることになると思いますけどね。。。
上掲『デイリースポーツ』記事に戻りましょう。水野泰孝氏の「これをいってしまえば、いろんな行事やイベントを中止してきた方はどうしたらいいのかってことになる。(中略)これなら卒業式、入学式もできた」という言説。これも実に日本人的な発想です。認識の発展・理解の深化という観念がないのです。
「これをいってしまえば、いろんな行事やイベントを中止してきた方はどうしたらいいのかってことになる」といいますが、そもそも間違った認識によって不必要に過剰な対策をしていたのだから、今後は科学的・医学的に正しい方法で行事・イベントを開催するように改めればよいだけでしょう。医師会中川センセイに範を示していただいたと思えばよいのです。卒業式や入学式は、科学的見地から言えばやってよかったのです。実際、科学的な感染対策を講じた上で挙行し、何事もなかったところもあるのですから。当時はまだリスクの程度が不明確でしたが、今振り返れば(←ここ重要)、中止する必要はまったくなかったのです。「当時は分からな方から仕方ないが、もう分かっているこれからは改めよう」でよいのです。
それでも「これをいってしまえば、いろんな行事やイベントを中止してきた方はどうしたらいいのかってことになる。(中略)これなら卒業式、入学式もできた」と言い張る水野氏。振り返れば今までの努力が無意味だった、徒労だったことを認めたくがないために、新しい認識や理解の受容を拒否して古い考えに固執しているように見受けられます。
昔のことをいつまでも根に持つ陰湿な国民性を見るに、日本人は「時間の観念」はしっかりと持っているはずです。しかし、時の経過とともに情勢も変化し、それによって「正しさ」も変化し得るということを考えないあたりは、日本的発想の特徴と言えるでしょう。認識の発展・理解の深化という観念が日本的発想に欠けているのです。
思えば日本人は、「筋を通す」ことを重視するあまり、しばしば情勢の変化に伴う持論の修正をも「筋が通っていない」と非難する悪癖があります。最新の見地に則れば荒唐無稽と言う他なくても従来からの主張を維持することを是とする向きがあるのです。これもまた、認識の発展・理解の深化という観念が欠けていることに他なりません。
新型コロナウィルス禍を通して、さまざまな世相が見えてきていますが、「目的意識性の欠如」及び「認識の発展・理解の深化という観念の欠如」という世相が見えてきました。
ところでチュチェ思想は、人間存在について「自主性、創造性、意識性によって人間は世界で最もすぐれた有力な存在となり、宿命的にではなく革命的に、受動的にではなく能動的に世界に対応し、盲目的ではなく目的意識的に世界を改造する」と指摘しています(『チュチェ思想について』)。上述のとおり、日本人には「目的意識性の欠如」があると言わざるを得ないところですが、このことはすなわち、日本社会の自主化にあたっては、まず何よりも目的意識性を涵養しなければならないという重大な課題が存在していることを示すものであると言えるでしょう。いやあ、道のりは長い。。。