2021年05月30日

新型コロナ禍と世相;「目的意識性の欠如」及び「認識の発展・理解の深化という観念の欠如」

https://news.yahoo.co.jp/articles/d9ff29194ace6fcc010998bc9514b5100f4aa052
加藤浩次、医師会会長の釈明に疑問「我々も感染症対策をしてたらいいのかって話」
5/13(木) 11:15配信
デイリースポーツ

 極楽とんぼの加藤浩次が13日、日本テレビ系「スッキリ」で、日本医師会の中川俊男会長が自民党の自見英子議員の政治資金パーティーに出席していた問題に「我々も感染対策をしていたらいいのか?って話になる」との思いを語った。

(中略)
 これに加藤は「感染症対策、しっかりしてましたって言ったら、我々も感染症対策してたらいいのか?って話になってしまう」と、コメント。感染対策を徹底しながらも営業自粛などを求められている分野が多数あることから、納得いかない表情。

 医師会会員で、日本感染症学指導医でもある水野泰孝氏も「これをいってしまえば、いろんな行事やイベントを中止してきた方はどうしたらいいのかってことになる。学校や子ども達、行事を我慢してきたのを懸念している。これなら卒業式、入学式もできた。感染対策すればこういったイベントはすべてできるという認識になる」と語っていた。
実に日本人的な「目的意識性の欠如」というべき発想。「何のためにやっているのか」という原点に照らして考えず、具体的な行為それ自体が目的化しているわけです。

我々も感染症対策をしてたらいいのかって話」――そのとおりです。そもそも感染拡大防止のために行っているのが今の「我慢大会」。感染症対策をしていれば問題ありません。念のために言っておくと「オレは嗽はしないけど、喉を酒のアルコールで消毒してるぜ」的な「自称感染症対策」では意味がなく、科学的・医学的根拠のある感染症対策である必要があります。

その点、自らの身を守ることにかけては医学的にも政治的にも天才的な才能をお持ちである、開業医団体としての日本医師会会長大センセイのことですから、抜かりがあるはずがありません(半分嫌味だが半分本当)。

アメリカではワクチンの接種が完了した人はマスクの着用が不要という見解が出されています(『ワクチン接種完了した人はマスクの着用不要−米CDCが指針変更』5/14(金) 4:33配信 Bloomberg)。今後、多くの国では規制緩和が進み日常生活が正常化してゆくことでしょう。「我々も感染症対策をしてたらいいのかって話」などというバカげた主張がニュースになる日本の日常生活が正常化するのは一体いつのことでしょうか。。。

まあ、一事が万事「空気」で決まる国です。ワクチンについても、ついこの間まで「様子見」だったのに、今や「供給が足りないぞ、政府は何をやっているんだ」になっています。ある時を境に堰を切ったようになし崩し的になるとは思いますが。

目的意識性の欠如に関連して、こんなニュースも出てきています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3ddd1c6472caca76a67af2d2de23934d83381881
東京五輪・パラ選手村で「酒類持ち込み可能と判明」報道に、怒りの飲食店店主「このニュース見て酒を出すことを決めた」
5/29(土) 15:06配信
中日スポーツ

 東京五輪・パラリンピック大会の選手村で、アルコール類の持ち込みが可能になるという一部報道に対し、SNS上では29日、報道を機に酒類の提供を決めた飲食店経営者など怒りのコメントが寄せられた。

 一部報道によると、選手村内での酒類の提供や販売は行わないが、最低限の選手同士の交流を尊重するのが理由でアルコールの持ち込みは可能で、組織委担当者の「節度を持って行動してくれるはず」とのコメントも掲載された。

 ツイッターでは、記事の見出し「可能と判明」が一時トレンドワードになり、横浜の飲食店経営者は「このニュース見て、6月1日から通常営業する事にしました。酒も出しますし、20時以降も営業します。もう政府に対して何の協力も必要ないと思います。自分たちで出来るだけの感染予防をして営業します」とコメントした。

(以下略)
一般の飲食店での酒類提供自粛要請には、「誰が感染しているのか分からない」状況下において人々が入れ交ぜになるとクラスターが発生しかねないという点に要請理由があります。これに対してオリンピック選手村では毎日検査が行われており、また、選手の村外への外出は基本的に禁止されています。選手村は「コロナ清浄区域」であり、いうならば、厳格な出入国管理によって「患者ゼロ」を維持しているという点において「プチ北朝鮮」というべき特殊な区域なのです。

そうであれば、おそらく飲酒可能としたところでクラスターが発生する可能性は低いと考えられます。もちろん「ゼロ」ではありませんが、そもそも「ゼロリスク」を本気で信奉しているのは日本人くらいのものです(BSE騒動の時に、統計科学的にまったく無意味で世界的にも稀有な「全頭検査」を敢行した国ですからね・・・)。

一般飲食店とオリンピック選手村の環境は、何から何まで根本的に異なるのです。その要請の狙い・目的に照らせば、この「違い」は容易に理解可能であります。根本的に状況が違うのだから、取り扱いだって違うに決まっています。にもかかわらず、「酒類提供の可否」という表面的事象にこだわって不公平だなんだと騒ぎ立てる言説が少なくありません。目的意識性の欠如と言う他ありません。

記事中の横浜の飲食店経営者氏がいう「自分たちで出来るだけの感染予防をして」は、いったいどんな感染予防なんでしょうか? おそらくオリンピック選手村では、豊富な資金力を背景に米CDCの基準などに沿った科学的防疫が施行されるものと思われますが、市井の飲食店が採算ベースでできることは限られているような。これでクラスターを起こして吊るし上げされたら、それこそご自分の首を絞めることになると思いますけどね。。。

上掲『デイリースポーツ』記事に戻りましょう。水野泰孝氏の「これをいってしまえば、いろんな行事やイベントを中止してきた方はどうしたらいいのかってことになる。(中略)これなら卒業式、入学式もできた」という言説。これも実に日本人的な発想です。認識の発展・理解の深化という観念がないのです。

これをいってしまえば、いろんな行事やイベントを中止してきた方はどうしたらいいのかってことになる」といいますが、そもそも間違った認識によって不必要に過剰な対策をしていたのだから、今後は科学的・医学的に正しい方法で行事・イベントを開催するように改めればよいだけでしょう。医師会中川センセイに範を示していただいたと思えばよいのです。卒業式や入学式は、科学的見地から言えばやってよかったのです。実際、科学的な感染対策を講じた上で挙行し、何事もなかったところもあるのですから。当時はまだリスクの程度が不明確でしたが、今振り返れば(←ここ重要)、中止する必要はまったくなかったのです。「当時は分からな方から仕方ないが、もう分かっているこれからは改めよう」でよいのです。

それでも「これをいってしまえば、いろんな行事やイベントを中止してきた方はどうしたらいいのかってことになる。(中略)これなら卒業式、入学式もできた」と言い張る水野氏。振り返れば今までの努力が無意味だった、徒労だったことを認めたくがないために、新しい認識や理解の受容を拒否して古い考えに固執しているように見受けられます

昔のことをいつまでも根に持つ陰湿な国民性を見るに、日本人は「時間の観念」はしっかりと持っているはずです。しかし、時の経過とともに情勢も変化し、それによって「正しさ」も変化し得るということを考えないあたりは、日本的発想の特徴と言えるでしょう。認識の発展・理解の深化という観念が日本的発想に欠けているのです。

思えば日本人は、「筋を通す」ことを重視するあまり、しばしば情勢の変化に伴う持論の修正をも「筋が通っていない」と非難する悪癖があります。最新の見地に則れば荒唐無稽と言う他なくても従来からの主張を維持することを是とする向きがあるのです。これもまた、認識の発展・理解の深化という観念が欠けていることに他なりません。

新型コロナウィルス禍を通して、さまざまな世相が見えてきていますが、「目的意識性の欠如」及び「認識の発展・理解の深化という観念の欠如」という世相が見えてきました

ところでチュチェ思想は、人間存在について「自主性、創造性、意識性によって人間は世界で最もすぐれた有力な存在となり、宿命的にではなく革命的に、受動的にではなく能動的に世界に対応し、盲目的ではなく目的意識的に世界を改造する」と指摘しています(『チュチェ思想について』)。上述のとおり、日本人には「目的意識性の欠如」があると言わざるを得ないところですが、このことはすなわち、日本社会の自主化にあたっては、まず何よりも目的意識性を涵養しなければならないという重大な課題が存在していることを示すものであると言えるでしょう。いやあ、道のりは長い。。。
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2021年05月29日

日本人ほど合理主義的設計主義・計画経済主義が国民性的に合う国は珍しい・・・精神のペレストロイカはいつになることやら

https://news.yahoo.co.jp/articles/276f6046f96f5af371d1f7e048d8ef8e7d927095
余ったワクチンは自ら接種します…公表した43歳市長「責任者として業務遂行のため」
5/28(金) 17:48配信
読売新聞オンライン

 新型コロナウイルスワクチンの集団接種会場で出た余剰ワクチンについて、兵庫県川西市の越田謙治郎市長(43)は27日、自身も投与を受ける考えを明らかにした。感染リスク低減により、「市全体の責任者として業務を遂行するため」と説明。急なキャンセルなどによる余剰分の使途に各自治体が腐心する中、注目を集めそうだ。
(中略)
 余剰分は、市内2会場で1日最大10人分と想定し、越田市長は「市民への接種も考えたが、当日にならないと余りが出るか分からない」と強調。自身は優先的な接種の進む高齢者ではないが、基準を明確にした上で、市のトップとして投与を受ける考えを示した。

 ワクチンの接種を巡っては、優先接種の医療従事者用が余った際、各地の首長が注射を受けていたことが相次いで発覚し、住民に対して説明不足だなどと批判が噴出していた。
実に日本的な発想。予約客が来ないのは「予定外の事態」に他ならないのに、予定外の事態の発生について「現場判断による柔軟な対応に理解を求める」のではなく「事前に基準を明確に示す」で対応したわけです。

事前に緻密な計画を立案してその計画どおりに実施することが「正しいこと」であり、そのようにできる人が「優秀な人」とされる日本。例外的事態への備えが「現場が臨機応変に対応できるように行動の自由を付与する」ことではなく「さらに緻密に事前計画を立てること」として捉えられている日本。そうした日本的発想の結晶というべき対応と言う他ありません。

4月18日づけ「ワクチン接種の混乱が斯くも問題になるのは、「事前の緻密な計画」及び「計画の忠実な執行」にこだわる日本の教育制度・受験制度・就活慣習のため」でも触れましたが、日本人ほど合理主義的設計主義・計画経済主義が国民性的に合う国は珍しいかもしれません。日本人が見下す「北朝鮮」でさえ計画経済の不可能性が公式に認められ、社会主義企業責任管理制や圃田担当責任制の導入よって現場の臨機応変の対応が認められるようになったというのに・・・

もちろん、奇形的に肥大化した消費者意識によって「ないものねだり」や「口を開けた雛鳥」と化した一億総クレーマーと化した日本人の要求を、合理主義的設計主義・計画経済主義が満たせるはずがありません。強大な生産力と市場経済の豊かさを知らず、また割と忍耐力が強かったソ連人もついには計画経済に耐えきれませんでした。日本人がソ連人ほどの忍耐力があるとは到底思えません。

しかし、子どものころから刷り込まれた「正しさ」から脱却することは容易ではありません。合理主義的設計主義・計画経済主義には現実的なオペレーション可能性のない「夢想」とはいえ、それを受け容れる心の準備が整うのには、勇気と時間を要します。いましばらく、要求と現実との間の葛藤が続くでしょう・・・精神のペレストロイカはいつになることやら
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2021年05月25日

新型コロナウィルス禍と自立経済の重要性の再提起

https://news.yahoo.co.jp/articles/65ca3265e1dbbff0f75235fb688e54cfababe774
ワクチンの75%は10か国に集中、テドロス氏「恥ずべき不公平だ」
5/24(月) 22:04配信
読売新聞オンライン

 【ジュネーブ=杉野謙太郎】世界保健機関(WHO)の年次総会が24日、オンライン形式で始まった。テドロス・アダノム事務局長は演説で、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的な大流行)で、「世界は依然として非常に危険な状態にある」と述べ、一部の先進国にワクチンが集中している現状の是正を訴えた。

 テドロス氏は、今年の感染者が既に昨年1年間の合計を上回っており、死者数も今後3週間のうちに昨年1年間を超えるだろうと指摘した。世界のワクチン接種の75%が、わずか10か国に集中している点を挙げ、「恥ずべき不公平だ。ワクチンを手にした少数の国々が、世界のその他の命運を左右している」と批判した。

 これまで接種されたワクチンを合わせれば、世界の医療従事者や高齢者に接種するのに十分な量だったとし、「公平に分配されていれば、我々はもっとよい状況にいられたはずだ」とも語った。

(以下略)
新型コロナウィルス禍は、グローバル化の時代において自立経済の重要性を再提起しました。キム・ジョンイル総書記が不朽の古典的労作;『チュチェ思想について』において指摘なさった「経済は社会生活の物質的基礎であります。(中略)経済における自立の原則を貫くためには、自立的民族経済を建設しなければなりません。自立的民族経済を建設するというのは、他国に従属せず独り立ちできる経済、自国人民に奉仕し、自国の資源と人民の力によって発展する経済を建設することを意味します」が再浮上したわけです。

「恥ずべき不公平」と説教したところで始まらないのは、アメリカ帝国主義による対共和国封鎖に最も顕著に表れているように、歴史的に明白なことです。それゆえ、まさに共和国がそうしているように、≪제힘을 믿고 떨쳐 나서면 천리도 눈앞에 지척,남의 힘 믿고 바라다보면 지척도 아득한 만리≫(≪신심높이 가리라≫)の心構え、自力更生・自力自強で≪짓밟혀 천대받은자,모든것의 주인이 되리!≫(≪인터나쇼날≫)を目指すほかありません

その点、今井佐緒里氏のオーサーコメント「まるで人権宣言を読んでいるかのようなものだ。人間の健康の平等と連帯を訴えている。このような主張が欧州発というのは、実に土地柄にあっている(中略)日本はまだワクチン投与が進んでいないので、あまり余裕がないのは事実だ。でも、同じ人間として、他国の人の健康を気遣う気持ちだけは忘れないでいたい」は実に優等生的作文風で無邪気だというほかありません(これぞ良くも悪くもリベラリストというべきでしょうか)。欧州が説教ならアジアは自力更生ってことになりますね。ならば、21世紀は「脱欧入亜」というべきですね。

ちなみに、インターナショナルは朝鮮語版の≪제힘을 믿고 떨쳐 나서면 천리도 눈앞에 지척,남의 힘 믿고 바라다보면 지척도 아득한 만리≫も良いが、ロシア語版の"Мы наш, мы новый мир построим―Кто был ничем, тот станет всем"も良いですよね。日本語版は文語調で労働者的ではないので個人的にはあまり好きではありません。。。
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2021年05月23日

自力更生・自力自強が欠け、苦手から逃げ他人に代行してもらうことが社会的に許容される国・ニッポン

https://news.yahoo.co.jp/articles/82bbaccb4198ca8339199a98cb4c5e8d7fd16481
“不慣れ”高齢者のワクチン代行予約 埼玉・松伏町
5/19(水) 15:26配信

テレビ朝日系(ANN)

 新型コロナワクチンを巡ってインターネットでの予約が不慣れな高齢者のために埼玉県松伏町で高齢者への代行予約が始まりました。

 松伏町では19日朝からワクチンの代行予約が始まり、多くの高齢者が訪れました。

 町などによりますと、65歳以上の高齢者で、予約の電話が窓口につながらない人やスマートフォンを持っていない人などを対象に役場や社会福祉協議会の職員が代行します。

(以下略)
「高齢者は不慣れ」とはいえ、最期まで自己の運命の主人として生きるのが人間たる証しであり、「代行」はそれを損ねるものです。また、「操作サポート」ではなく「昭和的な窓口・電話での対応」では社会のIT化は進みません「遅れれば技術の奴隷」(≪돌파하라 최첨단을≫)どころか「技術から疎外」されることになります。

代行は善意・優しさであるように見えて、実は、自主性が生命である人間性を損ねる結果に繋がります。もちろん、新技術の習得には時間がかかるものです。それゆえ、過渡期的に昭和的な方法の併用も必要ですが、あくまでも新技術習得、少なくともメモを取る為の操作サポートに主眼を置くべきでしょう。仮に他人からの支援を受けることがあっても、あくまでも自力を基礎として自己の運命問題を開拓することこそが人間が人間たる証しなのです。

「老い先が短い老人に教育するのは非効率」という指摘もあるでしょうが、平均寿命が延びている現状においては、そうは言えないでしょう。だいたい「覚えられないからメモを取る」のが老若男女問わず基本的姿勢であるはず。難しくとも諦めず、自力自強を実現する新方法を編み出す事が当人のためであり社会のためでもあるのです。安易に代行することはその場しのぎの術であります。

最近は若い世代も「自分に必要」なスキル以上は習得したがらない(スマホ依存でPC使いこなせないらしいよ)から、もしかするとITリテラシーの問題は今後もっと深刻化するかも知れません。ますます、効率的で万人に通用する操作サポート方法を開発する必要があるとい得ます。

もっとも、ワクチン接種の遅れを非難されたくない、事なかれ主義の役人たちが、文句を言われる確率の高い「操作サポート」に積極的に取り組むとは思えません。その点で、上述の事業を進める主体は現代日本ではなかなか現れにくいのも事実でしょう。

ところで、新技術への無知とその習熟への無意欲;苦手から逃げて自分の現在水準から成長しないことが社会的に許容されていています。自力更生・自力自強が欠けているのです。本件に限らず往々にして「分からないなら教えるから覚えて」というと「無理」と拒絶したり、甚だしくは「不親切」「弱者切り捨て」扱いになるのが現代日本であります。記憶できないならメモ取ろうよ。

「自分は文系だから」といって理系科目を学ぼうともしない高校生は少なくありませんが、「自分は文系だから」の言い訳がカリキュラム的に(主に大学入試科目的に)許されてしまうあたりから、苦手から逃げること;無知と無意欲の自己正当化が始まるように思います。同時に、「甘やかし」と「優しさ」が混同されがちな現代日本ですが、この結果、単に自分から苦手から逃げ出すことが正当化されるだけでなく、他人が苦手から逃げているのを許すことまでもが積極的に是認されるされるようになるのではないかと考えます。そしてそれゆえに、その対極にある自力更生・自力自強を求めることが「不親切」や「弱者切り捨て」扱いになるのではないでしょうか?

たしかに苦手克服のための努力は厳しく辛いものではあります。しかしそれから逃げることが果たして「優しさ」なのでしょうか? 甚だ疑問ですが、近視眼的な「優しさ」;目先の安穏を提供することこそが「優しさの証し」などと考えるの感性の持ち主にとっては、一種の「甘やかし」というべき対応が「優しさ」になるのでしょうね。

この社会が最近は「脱成長」と言い始ました。恐ろしいことになりそうです。
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2021年05月15日

コロナ禍においてこそ真の意味での「民間の知恵の活用」、知恵を出し合う公民協働・協同が求められている

https://news.yahoo.co.jp/articles/f685e99288b8f6ea7e426a1db67aaab644861d93
長嶋一茂が河野太郎ワクチン担当相を猛批判 回線パンクに「なんで想定できないのか不思議」
5/14(金) 10:33配信
東スポWeb

(中略)
「交通整理が全くできていないですね。一日の接種キャパシティーはリサーチすればわかること。それをやらずに予約してください≠カゃ、パンクするに決まってる。なんでこんなことが想定できないのか不思議です。これは平等性とかの問題じゃない。河野さん、大問題、大責任だと思いますよ。国が各自治体に責任を押しつけてるとしかボクには見えない」 

 お年寄りが一日も早くワクチンを打って安心したいのは当然。国も自治体も、もう少し知恵を出せないものか。
おそらく、ある程度「想定」はできていたが、それでも突入せざるを得なかったものと思われます。

「先着順」は典型的なお役所仕事であり、いつも住民は程度の差こそあれ、待たされているところです。お役人とて、待たせていることについて問題には思っていないとしても、気が付いてはいるはずです。

しかし、いままでずっと住民を待たせる仕事の仕方をしてきたお役人たちが、急に効率的な受付方法を思いつくはずがありません。中には個人的に効率的な方法を思いついた職員もいるかもしれませんが、硬直化した行政組織の中で新方式を直ちには実践できないでしょう。

また、「国が各自治体に責任を押しつけてるとしかボクには見えない」といいますが、「一日の接種キャパシティー」を国が正確に把握しているとでも? 長嶋一茂氏が「普通のお仕事」をご存じだとは思いませんので、これが「彼の限界」なのでしょうが、本当に素人さんの思いつきは「中央集権的計画経済」と親和的なのだな改めて思ったところです。

長嶋一茂氏のような言説もまた、近頃当ブログで指摘している「実現可能性を考慮しない、お子ちゃまの駄々」と通底するところがあるものです。

政策目標の実現可能性を考えるにあたっては「所与の条件」に対する分析が必要ですが、これは、物量などだけではなく、それを制御・利用する主体としての人間、担当者の能力も含まれます。上述のとおり、いままで住民を待たせる仕事の仕方をしてきたお役人たちが一朝一夕に効率化するはすがありません。スピーディーにワクチン接種を推進するという政策目標においては、その所与の条件が整ってはいないのです。

ステレオタイプ的な理解かもしれませんが、お役人たちは平時の定型的な業務の遂行においては有能ですが、例外的事態への対応は苦手とされています。まさに例外的事態と言うべき新型コロナウィルス禍への対応が苦手で、どうしてよいのか手探りであるのは無理もないことでしょう。

そもそも、難しい試験(公務員試験)を突破した優秀な人々といっても所詮は生身の人間。その知性・知能には限界があります。お役人といえども全知全能ではありません総力戦が求められているコロナ禍においてこそ、「民間の知恵の活用」が必要されているはずですが、まったくその機運は高まっていません。「国は何をやっているんだ」「国はxxすべきだ」なとど、国民・住民はまるで「口を開けた雛鳥たち」のようです

ほんの少し前まで大流行で、ついに大阪市営地下鉄を売り飛ばすに至った原動力たる「民間の知恵の活用」云々は一体どこへ行ってしまったのでしょうか? 公の財産を営利企業に切り売りすることだけが「民間の知恵の活用」ではないはずです。

いまこそ公民協働・協同で知恵を出し合い、総力戦でコロナ禍を乗り越えるべきときであります。口を開けた雛鳥たちのように誰かが何かしてれるのを待っている段階ではありません。真の意味での「民間の知恵の活用」、知恵を出し合う公民協働・協同が必要されています。

もちろん、社会的分業の高度専門化により専門外の人々には「他人の仕事」の内容が見えにくくなっている現代においては、なかなか思うように「知恵を出し合う」に至らないのは理解可能です。ならばせめて、一方的な物言いは控えてほしい。消費者意識の奇形的肥大化が進む日本、この点における意識改革こそが公民協働・協同の前提であるといえるでしょう。そして、この意識改革はゆくゆくは社会全体の協同化の前提でもあります。新しい協同社会の時代を開拓するにあたっては必ず実現する必要があると言えるでしょう。
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2021年05月09日

協同社会としての社会主義社会における表現の自由と「ムラ社会」

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ff51ad92245c0a714069f3074f146510daa66e3
トランプ前大統領、ひとりでツイートのような投稿をするWebサイトを開設
5/5(水) 16:57配信
ITmedia NEWS

 前米大統領ドナルド・トランプ氏の公式Webサイト「SAVE AMERICA」の一角に5月4日(現地時間)、トランプ氏がツイートのように短い投稿を続けるコーナー「FROM THE DESK OF DONALD J. TRUMP」が開設された。

(中略)
 4日の投稿はサイトを紹介する動画で、「沈黙と嘘の時代に自由の指標が生まれる。ドナルド・トランプのデスクから直接提供する自由かつ安全に話し合える場だ」と表示される。途中で映る邸宅は、トランプ氏が1985年に購入したフロリダ州パームビーチのマー・ア・ラゴだ。ここからトランプ氏が発信しているということなのだろう。

 トランプ氏は在任中、個人の公式Twitterアカウントで政治的な発言をツイートすることで知られていたが、度重なる問題ツイートの結果、アカウントを永久凍結された。Facebookの個人アカウントやYouTubeのチャンネルも閉鎖されている(FacebookのTeam Trumpページは存続している)。

(以下略)
ふと、キム・ジョンイル総書記の不朽の労作『チュチェ思想について』における次のくだりを思い出しました。
経済は社会生活の物質的基礎です。経済的に自立してこそ、国の独立を強固にして自主的に生活し、思想における主体、政治における自主、国防における自衛をゆるぎなく保障し、人民に豊かな物質・文化生活を享受させることができます
インターネット上の発信プラットフォームは、表現の自由・言論の自由の物質的基礎であると言えます。キム・ジョンイル総書記が指摘されたように、この物質的基礎を自らの管理下に置くことは、思想における主体・政治における自主を担保する条件であると言えるでしょう。

ただ、本件は一般人にはあまり参考にはならないでしょう。なぜならば、トランプ氏は富豪だからこそ自前でプラットフォームを開設できたからです。一般の人民大衆には、なかなかマネできないことです。一般の人民大衆は、表現の自由・言論の自由の物質的基礎としてのプラットフォームを他人の管理に任せるのではなく、自分「たち」で協同的に運営する必要があるし、それ以外に方法はないのです。トランプ氏は発言機会を「個人」として獲得しましたが、人民大衆は「集団的・協同的」に獲得することになるのです。

ところで、以前から指摘しているとおり、社会主義社会の特徴は協同性にあります。この点において、人民大衆が発信プラットフォームを協同的に運営するということは、社会主義と親和的な方向性であるといえます。私は協同社会としての社会主義社会に人類社会の未来像を見出していますが、しかし、協同社会は一歩間違えると「ムラ社会」に転落しかねないものです。

社会主義社会において人々が「個人」として発言機会を獲得すること、言い換えれば、社会主義における表現の自由の問題は、政治的な側面における「独裁体制」だけが問題ではありません。もちろん、独裁の問題は極めて重大な問題であり、これを相対化して矮小化するつもりは全くありません。しかし、独裁の問題は、たとえば権力分立制を採用するといった対処方法が既に歴史的に編み出されています。他方、「ムラ社会」に対する対処方法は未だ必ずしも十分に編み出されているとは言えません問題意識としてさえも十分に提起され浸透しているとは言い難いところであります。

とりわけ日本においてはそうであると言わざるを得ないでしょう。日本の権力分立制も必ずしも十全に機能しているとは言い難いところですが、それなりに機能しています。しかし、「ムラ社会」的メンタリティへの対応に関しては、相当遅れていると言わざるを得ないのです。

自由な発言は生きることそのものであると言っても過言ではないと思われます。協同社会としての社会主義社会において人々が「個人」として発言機会を獲得すること、社会主義における表現の自由の問題は、すなわち、協同社会としての社会主義社会において人々が「生きる」ということに他なりません。それゆえ、協同社会としての社会主義社会を構想するにあたっては、「ムラ社会」的メンタリティの問題にも十分に配慮する必要があります。
ラベル:チュチェ思想
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2021年05月05日

新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相について@コロナ禍2年目春

https://news.yahoo.co.jp/articles/bffb80e8f0b2b6ad6dec31b00e1e8863f062398a
「コロナ危機」に乗じた改憲を許すな
5/3(月) 18:28配信
ニューズウィーク日本版

<政府コロナ危機を口実に、憲法に私権を制限する緊急事態条項を明記しようとしているが、ロックダウンは現行憲法の下でも可能だった。やる気がなかっただけだ>

新型コロナウイルス感染者数が首都圏や京阪神地域で急増していることにともない、4月26日から東京都や大阪府で三回目の緊急事態宣言が発令されている。二回目の緊急事態宣言解除後から行うとされた政府の蔓延防止政策はあっさり失敗した。今や大阪府は事実上の医療崩壊状態となり、東京都も後に続くだろうといわれている。【藤崎剛人(ブロガー、ドイツ思想史)】

<コロナ対応の失敗>
コロナ封じ込めに成功している国も多い東アジア・太平洋地域において、日本では感染者・死者数が拡大している。日本はいわゆる変異型ウイルスの上陸を許してしまっており、かなり凶悪とされるインド株も見つかっている。

新型コロナウイルスに対する政府の失策は明らかだが、GW明けに国民投票法の強行採決を予定している与党自民党はここにきて、有効なコロナ対応が打てなかった原因を、憲法に緊急事態条項が明記されていなかったことに押し付け始めた。緊急事態条項さえあれば、私権の制限を伴う強制力が高いコロナ対応ができたというのだ。

しかし、以前の記事でも触れたのだが、そもそも日本政府は緊急事態宣言を無駄打ちしている。この1年の日本政府のコロナ政策を振り返ってみても、日本政府のコロナ対応は欧米諸国と比べた時の感染者数の少なさを別としても、まったくやる気のみられないものだった。

<対策の丸投げ>
昨年春の学校の休校措置および一回目の緊急事態宣言によって、日本は新型コロナ第一波を比較的少ない被害で抑えることができた。しかし、休校措置に伴うカリキュラムの組みなおしやオンライン化についての方針決定は、すべて現場に丸投げされた。たとえば大学があのスピードでオンライン授業に移行できたのは、ひとえに現場の教員や職員の努力の賜物に他ならない。政府は何もせず、むしろ感染者数が徐々に増加し、大学でクラスターも発生しているにもかかわらず対面授業を要求して、大学の足を引っ張っている。

(中略)
<憲法改正よりもコロナ対策を>
一方で、憲法に仮に緊急事態条項が書き込まれていたとしても、補償への拒否感と利権団体への忖度によって、現行の軽い緊急事態宣言ですら出し渋る政府に、私権の制限を強く伴うロックダウン政策を使いこなせたとは思えない。二回目の緊急事態宣言は、感染者が十分減少したからではなく、聖火リレーのスケジュールに合わせて解除されたのだ。

日本政府は「不要不急の外出」をするなと言いながら、利権団体の突き上げによって、内心では人々に外出してもらいたがっている。オリンピック開催のために、現状が「非常事態」であることを認めず、なるべく危機感を強めない方向に進めたがっている。市民もそれを知っているから、緊急事態宣言下でも外出は減らない。「経済を回す」という自己欺瞞によって感染症対策は疎かにされ、政府はその欺瞞を否定しない。与党政治家自身が支援者との繋がりのため、パーティや会食をやめることができていない。

有効なコロナ政策は、法の支配を強め、オリンピック利権を含めた、利権政治をやめることからしか生まれない。改憲によって政府に強い執行権を与えることは、むしろそれに逆行することになる。強い執行権をもつ政府は、恣意的な利権分配も可能だからだ。

ワクチン接種の進展が政府の無能によって当分見込まれない中で、我々は政府や自治体の首長に対して、今一度コロナ対策への本気さを確かめなければいけない。オリンピックの中止に踏み切れるかどうかも一つの試金石だ。もしそれができないのなら、我々は生き残るために、政権担当者を入れ替えるしかないだろう。
日々垂れ流される昼間のワイドショー系情報番組をひとつひとつ追ってはいられない労働者階級としては、政府批判のトレンドを自らよく整理してくれているので、とてもありがたい記事です。批判しやすい記事です。ざっくりと4点指摘したいと思います。

第一に、具体的な実現可能性を踏まえたビジョン、段取りレベルの政府批判でないことです。

やる気がなかっただけだ」と連呼している筆者の藤崎剛人氏ですが、日本において強力な措置を現実的に取り得たのかという分析、「事実から出発する」ことを貫徹した分析はいっさい見られません。当ブログでも繰り返し指摘してきた昨今の「お気楽政府批判」の典型例というべきものです。

第二に、中央集権的計画経済の発想に染まっている点です。

藤崎氏は「休校措置に伴うカリキュラムの組みなおしやオンライン化についての方針決定は、すべて現場に丸投げされた」ともいいます。国が、霞が関の官僚が、全国津々浦々の個別的な段取りにまで口出しをすべきだったのでしょうか? まさしくソ連顔負けの中央集権的計画経済の発想です。

もちろん、一人一律10万円給付金や持続化給付金、医療従事者慰労金といった「補助金行政」的な振り込みが大幅に遅れたのは事実です。分権的な自由経済においては、機動的な補助金支給が必要なので、この不手際は批判されて然るべきです。しかし上述のとおり、国津々浦々の個別的な段取りにまで中央官僚の口出しを要求するような言説は、不適当いうべきでしょう。

第三に、陰謀論的発想についてです。

藤崎氏は「利権団体への忖度」についても言及しています。ならば、その黒幕の暴露と吊るし上げにまで斬り込むのが批判者の勤めではないのでしょうか? 「利権団体」の連中が具体的にどのように暗躍して政策形成を歪めてきたのか証明せずに、漠然と抽象的に「利権団体への忖度」を指摘するのは、思い通りにいかない不都合な事実の展開を「陰謀」のせいにする「Qアノン」の発想といったい何が違うのでしょうか?

そして最後。青臭い革命至上主義というべき政治観についてです。

政権担当者を入れ替えるしかないだろう」――そうしたところで、新しい政権担当者はいままでの「しがらみ」から完全にフリーだとでも言うのでしょうか? 世の中の複雑性、利権関係の根深さをまったく理解していないようです。

2年目春における新型コロナウィルス禍を巡って炙り出された世相はこのような具合であります。
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現実をカテゴライズして静的に「理解」することの政治的誤りについて

https://news.yahoo.co.jp/articles/910e3571fd1e5bb73b52473a1adda2615483d0b3
トランプ前大統領「私はワクチンの父だ」 バイデン大統領のアピールに“対抗”
4/30(金) 14:41配信
ABEMA TIMES

 トランプ前大統領が「私はワクチンの父だ」と主張した。

 アメリカのトランプ前大統領は『FOXテレビ』の電話インタビューで、アメリカのワクチン接種状況について「私が大統領でなければ5年間はワクチンにありつけなかっただろう」「私はワクチンの父だ」と訴えた。バイデン大統領が28日の議会演説で、新型コロナのワクチン接種が2億回を超えたとアピールしたことに対抗した形だ。

 
(以下略)
意外と多くの人が忘れているようですが、トランプ氏は選挙期間中からワクチン早期供給に意欲を示していました。それが経済大統領として再選する為の鍵と思っていた節があります(供給・接種計画は具体的ではなかったようですが)。投票日前に成果を示したいあまりトランプ氏は、かなり拙速な見通しを展開したために対立候補だったバイデン氏から「いい加減なことをいうな」と、たしなめられたくらいでした(「バイデン氏、コロナワクチン巡るトランプ氏発言を批判 2020年9月18日 ロイター通信」)。

そして、退任後も「皆に接種を勧める」と述べていました(「トランプ前大統領、国民にワクチン接種を呼び掛け」 2021年3月17日 CNN)。その点、「ワクチンの父」を称するのはいつもの誇張ですが、少なくとも「推進派である」とは言えるでしょう。

これにて、トランプ嫌いのあまりしばしばハチャメチャなことを口走ってきた猪瀬聖・元日本経済新聞ロサンゼルス支局長に代表される下記言説は完全に封じられたというべきでしょう。
https://news.yahoo.co.jp/profile/commentator/inosehijiri/comments/16146633044528.ca0c.27514
国民に対して新型コロナの重大さを否定し続けてきた手前、さすがに自らのワクチン接種の事実を公にはできなかったのだろう。チキン(弱虫)とのイメージを与えてしまうと、大統領選への再出馬のシナリオも狂う。トランプ氏に関しては、歴代最低の大統領と評価する専門家も多いが、今回のニュースも、その評価を裏付ける一つのエピソードとして使われそうだ。
はじめからトランプ氏はワクチン開発・供給・接種に再選の命運をかけて来、ある意味「ワクチン頼み」だからこそコロナ軽視に拍車がかかったという観さえあったのだから、猪瀬氏の言説はそもそも大間違いの見立てですが、大統領選挙の「どさくさ」に紛れてトランプ氏のワクチン観が分かりづらかったことも事実です。しかし、今回ここまで本人が明確にワクチン推進の立場を鮮明にしたのだから、上記言説はトランプ批判の道具としてはもう使えないでしょうね。

他方、NHKBSの「国際報道2021」は「集団免疫の達成に立ちはだかるトランプ支持者たち」を予定しているといいます(https://www.nhk.jp/p/kokusaihoudou/ts/8M689W8RVX/episode/te/VN7XGYPY1J/)。情勢判断を誤りそうな題名であると言うわざるを得ないでしょう。推進派のトランプ氏本人と懐疑派のトランプ氏支持者――「事実」は、いわゆるトランプ派が決して一枚岩でなく離合集散を繰り返す運動体であることを示唆していますが、「国際報道2021」編集部は、未だにカテゴライズして静的に「理解」しているわけです。

かつてキム・ジョンイル総書記は「一人では将軍になることはできません」と仰いました(『党のまわりに固く団結し新たな勝利のために力強くたたかっていこう』チュチェ84・1995年1月1日)。政治は領導芸術とも言いますが、領導の芸術性の高さは、刻一刻と変化する情勢下で様々な動機を持った人々を運動体として指揮するところにあると私は考えています。その点、人々をカテゴライズして静的に「理解」するのは、政治が運動体であることへの理解不足と考えられます
ラベル:メディア
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2021年05月03日

한사람같이 떨쳐나서자!

https://news.yahoo.co.jp/articles/cefc23611714fe3c62f33fcca4ddf9b09a6ae292
尾木ママが小池都知事らを糾弾 緊急事態宣言後の教育方針に「無責任すぎます、意味がわからない」
4/22(木) 9:32配信
東スポWeb

 緊急事態宣言後の政府、東京都の教育方針について「無責任すぎます!」と“尾木ママ”が激怒した。

(中略)
 この東京都のやり方に怒ったのが、教育評論家の“尾木ママ”こと尾木直樹氏(74)だ。尾木氏は22日のフジテレビ系ワイドショー「めざまし8」でこう発言した。

「去年の3月にWHOが指針を出しているんですよ、“オンラインを整備せよ”と。1年以上たったんですよ。何をやってたんだ?と。無責任すぎます。意味がわからないですよ」

 また尾木氏は、全国に万単位でいる基礎疾患を抱え自主休校している子供たちに「学びを保証しなきゃいけないでしょ。それをこぼしたまんまなんて、国として許されない! 自治体ももちろんダメ!」と、厳しく糾弾した。

 一方、部活動の中止には「安全な部活もあるのに、工夫がない」とあきれる。

 小池百合子都知事や都の担当者はこの声をどう聞くのだろうか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/47c50edadd6bd9058ba797de0e489cea538cd414
玉川徹氏「いまだにやろうとしないってことに怒りすら覚える」 検査に本腰入れない政府に
4/22(木) 11:34配信
デイリースポーツ

 テレビ朝日の玉川徹氏が22日、同局「羽鳥慎一モーニングショー」に出演。感染源対策としてのPCRなど新型コロナ感染の有無を調べる検査に本腰を入れない政府への怒りをぶちまけた。

(中略)
 玉川氏は「何回繰り返してるんでしょう、この状況をってこと」とうんざりしたように口を開き「もしも第1波の後に日本で検査のキャパシティーを上げることができて、政府が国民に検査を受けてくださいと呼びかけたら、日本人はきっと従ったと思う」と断言。
(中略)
 「そういうふうなことができてれば、夏、冬、第2波・第3波の前、今回、こういうふうな時に同じ検査をやってたら、その方が国民負担は圧倒的に僕は少なかったと思う。そうやって抑えることができてる中国の2021年の1月期から3月期のGDPの成長率、18・3%ですよ。そういうふうなの見てると、いまだにやろうとしてないってことに怒りすら覚えますね」と憤りを見せた。
■具体的な実現可能性を踏まえたビジョン、段取りレベルの政府批判を見たことがない
「もう1年も経つのに・・・」――最近流行の政府批判の典型であります。

1年間という時間は生活者の感覚からは長いものですが、人類史的課題の解決策を探り当てるには短いものです。「銀の弾などない」(There's no silver bullet)のです。

尾木直樹氏は、「去年の3月にWHOが指針を出しているんですよ、“オンラインを整備せよ”と。1年以上たったんですよ。何をやってたんだ?と。無責任すぎます。意味がわからないですよ」といいます。以前からIT化の後進性が指摘されてきた日本ですが、この国には何よりもIT専門人材が決定的に不足しています。専門人材を1年間で充実させることは、まず不可能であります。

玉川徹氏は、「いまだにやろうとしてないってことに怒りすら覚えますね」といいます。では、「なぜ検査の拡充が進まないのか」という問題意識から彼は具体的なボトルネックを指摘してきたのでしょうか?

政策は、「必要性」と「実現可能性」の両面から検討する必要があります(ちなみに、この両要素から人類史を総括するのがチュチエ史観だと私は考えています)。こうした姿勢こそが、「事実から出発する」姿勢であり科学的姿勢です。実現可能性のない必要性の要求は、ユートピア主義と本質的に変わるところのない「駄々っ子のないものねだり」というべきものです。

尾木・玉川両氏から具体的な実現可能性を踏まえたビジョン、段取りレベルの政府批判を見たことは、私はありません。「ここがネックになっているので、こうするべきだ」という具体的な建策を彼らの口から聞いたことがないのです。

■「丸投げ・ド素人厚労省」と何が違うのか
「具体的なことは政府の人間ではないので分からない。そういう具体的ことを詰めるのは政府の仕事だろう」という言い分もあるかもしれません。「それは私の仕事ではない」――まさに「お役所仕事」というべき姿勢ですが、ついこの間、COCOAアプリの障害連発にかかる厚生労働省の「丸投げ」批判において、発注者である厚労省側にもIT専門家をおいてシステム開発業者の仕事を監督せよと要求したのは誰だったのでしょうか? この言い分は批判・否定されたばかりではなかったでしょうか?

あんな無茶苦茶なプロジェクトは、どこの会社であってもマトモに納品できなかったと思いますが、「丸投げ・ド素人厚労省」は、自分たちの監督不足・能力不足を棚に上げてシステム開発業者に責任を被せたようです。これと同じことが今、一部メディアや世論から政府に対して、より具体的には菅内閣に対して展開されています。「成果を挙げられていないので退陣せよ」と。しかしそこに、実現可能性への考慮はあるのでしょうか? 実現可能性の乏しい要求を展開するド素人の発注者が全責任を業者に被せ、次々とシステム開発業者を交代させてゆく典型的な失敗プロジェクトと何が違うのでしょうか?

※ちなみに、「委託」なんだから「丸投げ」で当然だろうという厚労省関係者の言い分は分かります。ここで細かく指図を出していたら、それはそれで労働法上の問題が発生します。しかし、いまここで言いたいのは、「厚労省に『無責任だ!』といっていたオマエ(一部メディア・世論)はどうなんだ」ということです。

■≪한사람같이 떨쳐나서자!≫の精神
ところで最近、「路上飲み」が問題視されています。屋外であっても密接・長時間の接触があれば感染リスクは決して低くない(当たり前)ので、「路上飲み」をいかに抑えるかは重要な課題であります。

このことについても、政府のせいにする向きがあります。曰く「政府のメッセージが伝わっていないから、路上飲みがなくならないのだ。これは政府の失敗なのだ」と。

では、「成功している国の政府」は、どうしているのでしょうか? よく取り沙汰される国々は、罰則付きのロックダウンで人流を強制的に抑圧・抑制しています。あるいは、共和国(北朝鮮:朝鮮民主主義人民共和国)のように≪한사람같이 떨쳐나서자!≫(一丸となって立ち上がろう!)のスローガンの下、すべて人民が社会の主人としての意識高く防疫戦に参加することで対応しています。

特に共和国については、アメリカによる長年の封鎖によって世界的にも医療体制が脆弱な部類に入りますが、しかし、朝鮮の人民はああだこうだと文句を垂れるのではなく、所与の条件下において一丸となって自分事として防疫戦に参加しています。もちろん、党や政府、最高指導者に対して文句は言いにくいでしょうが、アメリカへの文句であればいくらでも口にする事ができます。しかし、朝鮮の人民は「文句ばかり言って自分では何もしない」のではなく、自らの力に依拠して一人残らず全員が一丸となって事態の打開に取り組んでいるのです。

これは、政府の呼びかけ云々以前に何よりも社会の主人としての個々人の自覚に他なりません。「教育の失敗」という批判はあり得ますが、そこまでいくとニワカ仕立ての「呼びかけ」でどうにかなる問題ではありません。

■労働者階級が天下を取るためには、具体的な実現可能性を踏まえたビジョンや段取りを構想する能力、≪한사람같이 떨쳐나서자!≫の姿勢を持つ必要
5月1日は国際労働節(メーデー)です。労働者階級は自らの運命の自主的な主人としての地位と役割をまっとうする必要があります。天下を取る必要があります。

誰にも正解が分からない解決策を全員野球的に模索しなければならない新型コロナウィルス禍は、労働者階級が協同的方法で主人としての地位と役割をまっとうするための能力を育む機会になるでしょう。

具体的な実現可能性を踏まえたビジョンや段取りを構想する能力、≪한사람같이 떨쳐나서자!≫の姿勢を持たなければなりません。「お上」に要求するだけの時代は終わっているのです。
posted by 管理者 at 18:48| Comment(0) | 時事 | 更新情報をチェックする