コロナ患者受け入れ拒否なら『病院名公表』に現場は怒りの声も「医療従事者をスケープゴートにするんですね」■「階級・階層」等の属性を発想の根本においてしまう危険な習性の存在
8/23(月) 22:45配信
中日スポーツ
国と東京都が23日、東京都内の全医療機関に新型コロナウイルス患者受け入れを要請すると決めた。従わないと病院名を公表する“踏み絵”の強硬策にSNSを通じて現場からは怒りの声が上がっている。
小説家で医師の知念実希人さんは自身のツイッターで「もうなんか、燃え尽きかけてきている医療従事者にとどめを刺しに来ましたね」と指摘。「いま入院している患者さんを追い出して病床を作ろうが、感染拡大を止めないと焼け石に水なんですよ。1年半、命がけで頑張ってきた医療従事者をスケープゴートにするんですね」と続けた。
愛知県医労連も「いま大事なことは医療機関への制裁ではなく支援です。コロナ感染爆発を引き起こした責任を、医療機関に押し付けるのですか。最悪の責任転嫁。許せません」と怒りをぶつけた。(以下略)
この措置は、その経緯を振り返るに、「コロナ患者の病床確保に向けた補助金を受けながら、受け入れに消極的な病院がある」というところにあったはず(「補助金を受けながらコロナ患者受け入れ拒否の病院が…尾身会長のお膝元も“元凶”の一つだった」 8/21(土) 9:06配信 日刊ゲンダイDIGITAL 他)。決して愛知県医労連(愛知県医療介護福祉労働組合連合会)がいうように、「コロナ感染爆発を引き起こした責任を、医療機関に押し付ける」わけではありません。「医療従事者をスケープゴート」にするのではなく、むしろ、医療従事者の皮をかぶった「裏切り者」を炙り出して取り締まることに他なりません。
病院名公表という「個別具体的なケース」への批判として「医療従事者をスケープゴートにするんですね」という言説を繰り出してくる愛知県医労連の発想には、「階級・階層」を発想の根本においてしまう危険な習性の存在を指摘せざるを得ないものです。
どんな社会においても、自己が所属する社会・階級・階層の共同利益に反して自己利益だけを追及する手合いが一定数いるものです。所属社会・階級・階層といった属性は、必ずしも個々人の行動を規定するものでありません。それゆえ、所属に対する裏切り者を取り締まることは、正直者がバカを見ないためにこそ行う為政者の務めであると言えます。そして、こうした取り締まりは、あくまでも個別具体的な裏切り者個人を対象とした「狙う撃ち」なのです。
しかしながら、典型的にはマルクス主義者ですが、社会・階級・階層といった属性を発想の根本においてしまう手合いは、該当者の属性を真っ先に考慮に入れてしまうがために、個人としての所業を軽視する傾向にあります。この結果、当人がやっていることは所属に対する裏切り以外の何物でもないのにも関わらず、無茶な擁護を展開してしまうことが往々にしてあります。
たとえば、日本共産党第14回大会(1977年)が定式化した「社会主義生成期論」などは、ソ連や中国といった社会主義の看板を掲げた背信者たちを擁護した点において、マルクス・レーニン主義という「表看板」を引きずられて「実際の行い」を無視したものとして歴史に記憶されるものであります。また、ときどき見られる生活保護不正受給の個別案件に対する無茶な擁護なども、これら一種であると言えるでしょう。
新型コロナウィルス禍について言えば、ほとんどの陽性患者受け入れ病院はすでにフル稼働しているし、仮に陽性患者を受け入れていなかったとしても、それ以外の疾患や怪我などをいつも以上に受け入れてさえいれば、その分、陽性患者受け入れ病院の負担を軽減するので、全体としてはコロナ対応に参画しているといえます。そうした意味では、大多数の医療従事者が所与の条件において最大限に奮闘していることは、疑いのないことです。
しかし、コロナ患者の病床確保に向けた補助金を受けながら受け入れに消極的な病院があるというのは、ごくごく一部ではありますが、残念ながら以前から指摘されてきたことです。今回の国と東京都の共同施策は、燃え尽きかけてきている「大多数の医療従事者」を横目に、ほとんど補助金詐欺のようなことをしている「一部の手合い」を取り締まることに意義があります。
裏切者探しに血眼になった末にパラノイア的な大粛清に手を染めたスターリンは、あれはあれでやり過ぎですが、だからといって誰も疑わないというのも逆にやり過ぎであります。
■政治の責任の内実とは?
さて、愛知県医労連で検索すると、主にTwitterで「医療崩壊は政治の責任」と大騒ぎしています。私も今の状況に対する政治の責任は重いと考えている点、愛知県医労連と「総論的」には同意見です。では、政治は「具体的」には如何に責任を果たすべきだったのでしょうか?
結論から言えば、現況における政治責任は、医療機関を強力に統制し医療体制の確保を急がなかった点にあると考えています。もちろん、以前から指摘してきたように、そんなに簡単に医療従事者を養成できるわけではないので、政治(および行政)を一方的に非難できるものでもありません(私はないものねだりを展開する非現実的なクレーマーではないので)が、それでも所与の条件下で既に奮闘している大多数の医療従事者への「支援の遅れ」、および、ごくごく一部の不届き者が補助金詐欺まがいの所業に手を染めていることに対する「取り締まりの遅れ」は、政治責任として一定程度は追及されるべきものと考えます。その点、繰り返しになりますが、今回の国と東京都の共同政策は、遅ればせながらも正道を歩み始めたものとして評価できるものです。
にもかかわらず、ごくごく一部の不届き者を取り締まる政策について「コロナ感染爆発を引き起こした責任を、医療機関に押し付ける」と喚きたてる愛知県医労連、もはやムチャクチャです。いま遅ればせながらその責任を果たすために医療提供体制を再構築しようとしているのにも関わらず! 真面目にやっている大多数の「医療従事者」を横目に、ほとんど補助金詐欺のようなことをしている「一部の手合い」を取り締まろうとしているのにも関わらず! 「コロナ感染爆発を引き起こした責任を、医療機関に押し付ける」と言いますが、医療機関を巻き込まずしてコロナ禍を乗り越える妙案があるというのでしょうか? 沈みかけた船は排水し、燃え上がってしまった火事は消さなければなりません。「お前の操舵ミスだ!」とか「お前の火の不始末のせいだ!」などと非難合戦を展開するのは、危機が去ってからすべきことであります。
医療機関の稼働を高めることこそが目下の政治責任の果たし方であります。なお、人口に膾炙している「強力な水際対策」「補償つき休業要請」「ロックダウン」などは、時間稼ぎでありコロナ禍の根本的鎮静化に資するものではありません。あくまでも正道は、医療提供体制の拡充であります。
たとえば、「強力な水際対策」については、それを一貫して実施してきた「北朝鮮」は、最近になって規制緩和を模索し始めました。水際対策で感染を封じ込めようとすればあのくらい徹底的に実施する必要がありますが、長続きしえないものです。
「補償つき休業要請」や「ロックダウン」も同様です。昨春以来、「全国民が2週間、一歩も外出しなければウィルスは死滅して感染拡大は封じ込める」という言説が燻ぶっていますが、それは社会レベルの感染予防プランにはなり得ないものであります。
たしかに、個人レベルでは対人接触機会を徹底的に削減すれば機会がなくなるので、感染しなくなるでしょう。ウィルスは細菌ではないので宿主がいなければ死滅するものです。その点、個人レベルでは「出歩かない」は感染予防の現実的なプランです。しかしこれは、個人的最適行動を社会的最適行動に不当に拡大させている、半径数メートル以内の論理で天下国家を語る「素人考え」の最たるものというべきシロモノであります。なぜならば、いわゆるエッセンシャルワーカーの存在、社会を維持するためにどうしても出歩く必要がある人たちが世の中にいらっしゃいます。「全国民が2週間、一歩も外出しない」ことなどあり得ません。スーパーマーケット等の小売業を含めて考えたとき、エッセンシャルワーカーは決して少数派ではありません。それゆえ、補償つき休業要請やロックダウンは、コロナ封じ込めの必殺技にはなり得ないのです。
やはり新型コロナウィルス禍を乗り越えるためには、医療提供体制の拡充こそが唯一の正道であります。強力な水際対策や補償つき休業要請、ロックダウンは、感染の拡大を一定程度遅らせるものであり、あくまでも時間稼ぎなのです。
政府・東京都は遅ればせながらも、こうした正道を歩み始めたものと評価することができます。ゾーニングができないような小規模診療所は仕方ないとして、コロナ患者の病床確保に向けた補助金支給を受けておきながら実際のところ陽性・発症患者の受け入れに消極的な病院は、「裏切者」といっても構わないでしょう。政府・東京都の今回の取り組みは正当なものであるといえます。
■タイトルだけ見て脊髄反射
「コロナ患者の病床確保に向けた補助金を受けながら、受け入れに消極的な病院がある」に始まる実態調査と、それによって明らかにされた不正な補助受給のケースに限った病院名公表という制裁的措置は、ストーリーとして捉えた場合は何ら問題のないことであります。至極当たり前のことです。
にもかかわらず、「コロナ患者受け入れ拒否なら『病院名公表』」というタイトルだけで脊髄反射的に喚きたてる手合いがいかに多いことか・・・新型コロナウィルス禍を巡っては様々な世相が見えてきたものですが、意外と世論というものは、経緯や詳細を踏まえず、見出し文レベルのたかだか数十文字程度しか読まないものなんだなと改めて気づかされたものです。こういう手合いにとっては、Twitterも「長文」になるんでしょうね。