2021年10月31日

必要なのは、環境保護の「活動家」ではなく環境保護の「政治家」

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211029/k10013326431000.html
バイデン大統領 歳出法案の予算規模半減で成立に理解求める
2021年10月29日 7時15分

(中略)
この法案をめぐっては、与党・民主党内で激しい対立が生じていて、バイデン大統領は今回、財政規律を主張する中道派に配慮して予算規模を半減させた一方、演説では気候変動対策を重視する急進左派も念頭に「数百万の雇用を生み出すとともに、気候変動の危機をチャンスに変える」と述べ、成立に向けた理解を求めました。

バイデン大統領が調整を急ぐ背景には、このあと出席する国連の気候変動対策の会議、COP26を前に、アメリカの具体的な実行計画を示すねらいもあるとみられます。
アメリカ・バイデン大統領の発言。環境保護をビジネスチャンスとして捉えて雇用につなげるとのこと。以前から、環境保護の要諦は「環境負荷のある産業で生計を立てており、かつ、もはや他で潰しが効かない人々」を別産業に配置しなおすこと」だと述べてきました。バイデン大統領の発言はあくまでも産業として興すことに留まっており、労働力シフト道は示しされていませんが、環境保護と雇用・経済政策が繋がったことは確かです。

環境保護の展開にとって必要なのは、環境保護の「活動家」ではなく環境保護の「政治家」なのです。要求を並べてアジる人材ではなく社会全体をトータルに見渡して調整する人材なのです。

https://news.yahoo.co.jp/articles/4ba3349b3bf0568a90c198b6bd59d82868f36ed4
豪、メタン削減参加を拒否 「オージー・ビーフ」打撃回避
10/28(木) 15:39配信
時事通信

 【シドニー時事】オーストラリアのモリソン首相は28日、温室効果ガスの一種メタンの排出量を世界で2030年までに20年比で少なくとも30%削減する国際的な取り組みに関して、参加を拒否する考えを示した。

 「オージー・ビーフ」で知られ、日本にも大量に輸出している牛肉の生産への影響が懸念されることが理由だ。

(以下略)
オーストラリア・モリソン首相の反応。環境保護がいかに大切でも現段階においてはココは譲れないという宣言。現実的な反応であり否定しがたいものです。

政治は理論・理屈だけでは成り立ちません。まずは今日食ってゆくこと、今日の生活なのです。いくら環境保護が喫緊の課題であるといっても今日の食事を欠くことはできないものです。

翻って日本。企業レベルでは商機として取り組んでいるところもありますが、バイデン米大統領のように「数百万の雇用を生み出すとともに、気候変動の危機をチャンスに変える」と宣言する政治家は見当たりません。むしろ、小泉前環境相のように、まるで生徒会のスローガンをそのまま行政に持ち込んでしまったかのような政策をぶち上げる始末です。誰が嚆矢なのかは存じ上げませんが、環境保護と経済政策とを二項対立構造に落とし込んだ人物、「環境保護を主張するからには産業化を抑制しなければならない」という流れに持ち込んだ人物は、非常に罪深いと言わざるを得ないでしょう。

また、モリソン豪首相のように正面から「それは困る!」と主張することは、日本の政治家たちには期待できないでしょう。基本的に日本人は感覚的・情緒的ですが、何らかの「大義名分」に接すると「スイッチ」が入ってしい一転して理屈偏重になるものです。たとえば、クレームの場面において「ちゃんと対応しなきゃ」スイッチが入ってしまうと、屁理屈と言う他ないようなクレーマー的なメチャクチャな言い分にも「まじめ」に対応してしまうように。その点、環境保護は当代の「大義名分」といいうるものであり、日本人にとって理屈偏重スイッチとなり得るものです。

いったいいつになったら日本は米豪のように現実的な環境保護政策を実現できるのでしょうか?
ラベル:政治
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2021年10月26日

立共野党共闘はいったいいつまで?

https://news.yahoo.co.jp/articles/0098346ba24b3246e6d17c549618bf3a9c2bbf7a
衆院選19日公示 党首論戦 自公継続か立共共闘か
10/18(月) 21:09配信
産経新聞

(中略)
野党は経済や政治への姿勢をめぐり対決色を強めた。立民の枝野幸男代表は「支え合う社会を作る」と述べ、「(安倍晋三元首相の経済政策アベノミクスで)恩恵を受けた人に応分の負担をお願いし、所得を分配する」と説明。政権を獲得した場合の枠組みについては「基本的には単独政権だ」と語った。(以下略)
https://news.yahoo.co.jp/articles/6662d88a648f20e3ba97050269dc84f4d0a7dc08
枝野氏、志位氏らとの撮影応じず 市民団体のイベント参加も
10/23(土) 21:54配信
共同通信

 立憲民主党の枝野幸男代表と共産党の志位和夫委員長は23日、都内で行われた市民団体のイベントに参加した。枝野氏の演説終了後、志位氏ら参加者との記念撮影が予定されていたが、枝野氏は応じることなく会場を去った。先に演説した志位氏は約30分間、待機していた。立民関係者は「枝野代表の日程がタイトなため」と説明している。

(以下略)
産経記事のようなことを言われたり共同記事のような仕打ちを受けたりしても立共野党共闘の旗を掲げつづる日本共産党。不快感くらい表明してもよいでしょうに。よほど共産党にとって野党共闘には「利益」があるのでしょう。

共産党は、当選の見込みどころか供託金没収回避の見込みさえ立たない小選挙区にもセッセと候補者を立てていたものでした。これは、小選挙区に共産党系候補者を立てておかないと肝心要の比例票が減ってしまうからだと分析されています。白票さえも入れたくないマジメな支持者たちに支えられているのが共産党なのです。

その点、昨今の立共野党共闘の枠組みは、共産党にとっては小選挙区での立候補を立憲民主党に任せて自分たちは支持や推薦に留めることで、供託金や運動労力の負担を抑えつつ比例票を効率的に集めることができるわけであります。党員の高齢化が著しい共産党組織にとっては渡りに舟でしょう。

自公連立政権打倒という表向きの理由のみならずこういった共産党組織特有の内部事情も相まって、共産党は立憲民主党からこのような仕打ちを受けても立共野党共闘の枠組みを掲げ続け、不快感の一つも表明しないものと思われます。そして立憲民主党は、共産党の「足元」を見て、あるときは高慢に別のときには共産党隠しによって、あくまでも自党の利益を優先させているのでしょう。

そうだとはいえ、他人の弱みにつけこんだこのような立憲民主党の党利党略は、共産党を支持する非党員一般有権者に対してあまりにも失礼なことではないかと思えてなりません。議席が欲しい、票を譲れ、でも一緒に写真撮影はしない、政権には入れてやらない、閣外協力もテーマを絞る・・・共産党の政策に共感し共産党に託さんとする一般有権者の思いが蔑ろにされています

このことは、あくまでも立憲民主党と足並みを揃え続ける共産党指導部にも言えることです。共産党員は組織的に統制すれば足りるでしょう。共産主義者たるもの組織的統制は必ずしも苦ではありません。党の路線は科学的でありその指導は正しいので、正しい指導に服することは吝かではないのです。しかし、そのような組織的統制の外にあり、また共産主義者特有の思考をするわけでもない一般有権者の純朴で一途な共産党支持の思いを共産党指導部はどのように考えているのでしょうか?

もっとも、これが政党政治のリアルなのかもしれません。いくら新社会を目指す共産党といえどもバラ色の未来は提供できないのかも知れません・・・

数年来続いてきた立共野党共闘はいったいいつまで続きうるのでしょうか? 参議院静岡補選では、共産党も独自候補者を擁立しましたが、立憲民主党・国民民主党系の候補者が当選しました。立共野党共闘がなくても勝てたわけです。国民民主党関係者は「共産と組まなかったのが勝因だ」と言い放ちました(「与党、静岡敗北に危機感=衆院選接戦区てこ入れへ【21衆院選】」 10/24(日) 23:48配信 時事通信)。また、全トヨタ労連が共産党との共闘にこだわる立憲民主党を見限っ自民党に接近しました。

一つの地方・一つの労組での事象を安易に一般化すべきではないことは確かです。しかし、大きな流れの一つとして位置付けるとも可能でしょう。立憲民主党が「共産票がなくてもいける」と考えるようになれば、立共野党共闘は早々に瓦解するでしょう。他方、共産党においても一般支持者の思いに寄り添う必要が生じるタイミングが必ずあると考えます。失礼千万な立憲民主党との関係性を見直すときは遠くないと思われます
ラベル:政治 日本共産党
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2021年10月24日

社会主義・共産主義に向けた展望を持ち合わせていない日本共産党

なかなか手が回らなかった日本共産党界隈について。

■「なぜ修正資本主義では不足で、社会主義・共産主義を目指さなければならないのか」という必要性をまったく語れていない
選挙期間恒例の共産党批判・共産党攻撃が始まりました。しかし程度が低い。たとえば、自民党甘利幹事長の「われわれの自由民主主義の思想で運営される政権と、共産主義が初めて入ってくる政権とどちらを選ぶのかという政権選択だ」発言(「甘利幹事長、衆院選争点 「自由民主主義か、共産主義が入ってくる政権か」」 10/14(木) 11:08配信 産経新聞)。共産党を持ち上げすぎです。先日、志位和夫・共産党委員長は次のインタビューに答えていますが、「なぜ修正資本主義では不足で、社会主義・共産主義を目指さなければならないのか」という必要性をまったく語れていなかったからです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/801b9a19c6d96c17fc1327b45943fee15fa209a3?page=1
共産主義って怖くないんですか? 志位さんに若者政策を聞いてみた 憲法は変えなくていいと思う理由
10/15(金) 7:00配信
withnews

(中略)
共産党の理念とは
――まず日本共産党は、どういうことを理念にした党ですか?

社会主義、共産主義が理念です。今、世界的にも貧富の格差がひどいじゃないですか。気候変動も大変な危機になっていますよね。お金儲け第一、利潤第一では立ち行かなくなっている。この社会を乗り越えて人類はもっと先に進むことができる。社会主義、共産主義といっても、潰れてしまったソ連や今の中国みたいな自由もなければ民主主義もない、人権もないという社会ではなくて、資本主義の下で、みんなの力で勝ち取った自由や民主主義、人間の個性をみんな引き継いで豊かに花を開かせる社会を目指します。


――「共産主義」という言葉をちょっと怖いと思う人は少なくありません。

共産主義社会の特徴は、全ての人間が自由で全面的に発展できることです。みんなが自分の能力を活かせる。そのために一番大事なことは、労働時間をうんと短くする。自由な時間でみんなが自己実現ができるということです。マルクスもエンゲルスも若いころからそういう社会をどうしたら作れるかをずっと探求していた。「共産党宣言」にある有名な言葉として、「共産主義とは、各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件になる」。キーワードは「自由」なんですよ。自由に発展する社会ですから、僕は好きになりました。


――日本共産党が国会で最も多く議席を占めたら、社会はどう変わるんですか?

いっぺんに社会主義・共産主義を作ろうと考えているわけじゃないんですね。今の日本には大きな歪みが二つあります。ひとつはあまりにひどい「アメリカ言いなり」。例えば沖縄の米軍基地新規建設の問題。アメリカ言いなりを正して、本当の独立国と言える日本を作る。

もうひとつは、財界の身勝手という問題。例えば長時間労働、過密労働、非正規雇用。本当に働く人を使い捨てにする。こういうまともなルールがない社会をきちんと正していく。
この二つの歪みを正して民主主義の徹底した日本を作る、民主主義革命と私たちは呼んでいますが、それが当面の目標です。


――社会主義や共産主義では、貧富の差はなくなっていくと思いますが、大企業からお金を取ると起業するマインドとか競争力が失われるんじゃないかと思います。そこはどうお考えですか?

大企業を潰したりすることは考えていません。大企業は大きな社会的な力を持っていますから、それにふさわしい社会的な責任を果たしてもらうという考えなんですね。税金はもちろん応分の負担をしてもらうけれども、競争力がなくなるというのは神話だと思います。

(以下略)
資本主義の下で、みんなの力で勝ち取った自由や民主主義、人間の個性をみんな引き継いで豊かに花を開かせる社会を目指します」だの「大企業は大きな社会的な力を持っていますから、それにふさわしい社会的な責任を果たしてもらうという考えなんですね。税金はもちろん応分の負担をしてもらうけれども、競争力がなくなるというのは神話だと思います」――修正資本主義との違いをまったく描き出せていないというべきでしょう。これはすなわち、日本共産党が一般大衆に分かりやすく社会主義・共産主義を語り得るほど展望を見いだせていないことを示唆するものです。

■現代資本主義が人心・労働者意識に与える影響の分析が不足している
吉良よし子氏も同様の情けない姿をさらしています(まあ、党中央幹部会委員長がああなのだから、それより下位職たる常幹がそうなるのは必然でしょうが)。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7c7e83201b468c390b133c54dffdedbbe2684623?page=2
「自由と民主主義を何よりも大切にするのが共産主義の社会だ」日本共産党・吉良よし子常任幹部会員 各党に聞く衆院選(5)
10/21(木) 15:40配信
ABEMA TIMES

(中略)
■「共産主義の社会というのは、自由と民主主義を何よりも大切にする」
 今回は7割の選挙区で野党共闘を実現、候補を1本化している日本共産党。しかしスタジオからは、その政治思想に関する疑問も数多く出た。

 慶應義塾大学特任准教授でプロデューサーの若新雄純氏は「僕は田舎で校長をしていた熱烈な共産党支持者の父の下で育ち、大学院まで行かせてもらい、会社も作って、“勝ち組だ”と言っている。父親も、息子にはメチャクチャ競争を強いていたし、今も“お前が努力して勝ち取ったんだからいいじゃん”というスタンスだ。一方で、競争で勝ち続けなければならないと思い込んでしまった人は、そこから落ちてはいけないという不安がつきまとう。

 つまり競争が辛いのは負けた人だけはなく、勝ち続けることこそ人生の価値だと思い込んでいる人たちも同じではないか。最初におっしゃった、“弱肉強食でいいのか”という日本共産党のメッセージは分かりやすい。しかし本当は、弱肉強食の社会の中で努力をしたから勝ち取ったんだと思い込んでいる、声がでかくて偉そうな“勝ち組”の強者と戦う対立構造に持っていくのではなく、そこにアプローチしていくことこそが必要なのではないか」と問題提起。
 
 吉良氏は「勝った人たちが悪いんだから潰れてしまえばいい、なんて考え方は一切ない。ただし儲けられずに困窮してしまった人、一度レールから外れただけで立ち直れないくらい貧困に陥ってしまう人が出るくらい、勝つか負けるかしかない社会になっている。つまりそのような状況を作ってしまう政治姿勢、勝ち組ばかりを優遇するような政治そのものを変えたいという立場であって、何度転んでも立ち上がることができるよう支えるシステムを作らなければならないし、そのためには余力がある勝った人たちにも幾分か協力してもらわないといけないというのがスタンスだ。もし“攻撃されている”と思われてしまっているのだとしたら、それは私たちが物の言い方を工夫しなければいけない」と応じた。

(以下略)
若新氏の重要な提起に対して噛み合わない応答しか返せない吉良氏であります。

サンデル氏の提起により過度な能力主義に対する懸念が社会的に注目を集めるようになりましたが、若新氏はここに、競争環境が強迫観念として人々を急き立てているという見方を導入したと言えます。非常に鋭い見立てであり私も強く賛同します。

そして以前から指摘してきたことですが、これはキム・ジョンイル同志がチュチェ76・1987年9月25日に発表した『反帝闘争の旗を高くかかげ、社会主義・共産主義の道を力強く前進しよう』における主体的な現代資本主義観に通ずるものがあります。

キム・ジョンイル
同志は「発達した資本主義諸国では技術が発達し、生産の機械化、オートメ化が推進されるにしたがって、肉体労働に従事する勤労者の数が著しく減り、技術労働と精神労働に従事する勤労者の隊伍が急激にふえ、勤労者の隊伍において彼らは数的に圧倒的比重を占めるようになりました」とした上で、「知識人の隊伍が急速に拡大すれば、勤労者のあいだで小ブルジョア思想の影響が増大するのは確か」だと指摘されました。

知識労働化、社会的分業の細分化・専門化は、労働者をプチブル化します。長い時間をかけて習熟・血肉化した知識を基に、雇われの身でありつつも具体的な場面場面では自分の判断で仕事を進める知識労働者は、「自分の成功は自分の努力の成果」と考えるようになります。昨今蔓延している「自己責任」論は、このプチブル化の裏返しに他なりません。「自分は努力したから上手く行った、上手く行かない人は努力が足りないのだ。もっと努力すべきだ」というわけです。

「自己責任」論は、「努力不足」のレッテルを貼られた人を見放す論拠であると同時に、「努力」の名のもとに競争激化を扇動する論拠にもなっています。「勝ち組」に対して「勝ち続ける」ことを要求するのであります。「負け組」を社会から弾き出して疎外するのと同時に、「勝ち組」に対しても「勝ち続ける」ことを要求し、多忙を極めさせ、結果としてこの場合においても人間疎外を引き起こすのであります

キム・ジョンイル同志は、発達した資本主義諸国では知識労働者の物質的生活水準が高くなったとはいえ依然として労働者が生産手段を所有していないことには変わりないと分析されます。マルクス主義の創始者たちが「失うものは鉄鎖のみ」といったかつての無産者の場合とは異なるものの、依然として資本主義の搾取と抑圧のもとにあると分析されます。

また、キム・ジョンイル同志は、資本主義社会では物質生活においては、「資本家は、商品の販路がしだいにとざされていくにつれ、非人間的な需要を人為的につくりだし、人々の物質生活を奇形化する方面に進めています」とし、精神・文化生活においては、「資本家は、人々が腐りきった物質生活と金銭の奴隷になることを求めるので、精神・文化生活を豊かにすることには金を使おうとしません。かえって彼らは、勤労者の精神的・文化的発展を阻害するために莫大な金を費やしています」と、政治生活については、「資本家は、勤労者大衆の政治的地位と役割の向上は彼らの政治的支配を危うくするので、勤労者の政治生活の発展を極力おさえようとしています。資本主義社会の人々は、ますます金品の奴隷になりさがっており、政治的生命を抑圧されています」と指摘されています。

物質生活における奇形化、精神・文化生活における貧困化、政治生活における反動化、これがまさしく現代帝国主義の反人民性と腐朽性を示す資本主義社会の基本的特徴」であるわけです

■資本主義の原理的限界と社会主義・共産主義の必要性
本来人間は、「豊かな物質生活を営みながら肉体的に健康に暮らし発展することを求めるだけでなく、みちたりた精神生活を享受し、精神的、文化的に発展することを求め」ものであります。また、「人間は物質的に、精神的、文化的に裕福に生活することを望むとともに、社会の平等な主人としてお互いに結びつき、永遠に生きる社会政治的生命をもって生き、発展することを求め」るものであります。しかし、資本主義社会では、物質生活における不平等をなくすことができないばかりでなく、高まる物質生活と貧困化する精神・文化生活のあいだの不均衡、人民大衆の高まる自主的要求と悪化する政治生活のあいだの不均衡を克服することができ」ないのです。

マルクスが『資本論」で指摘したとおり、資本とは無限に自己増殖する価値運動であり、財やサービスは商品という形を取って市場流通することで資本として運動します。資本主義とは価値増殖運動が経済活動の主たる目的と化した社会体制です。資本主義社会では生身の人間の労働力も商品化されるのが常です。資本主義社会とは、人間自身が商品化される社会・人間自身が資本として運動する社会なのです。増殖をやめた資本はもはや資本ではありません。

価値増殖運動が経済活動の主たる目的と化した社会体制である資本主義社会において、自分自身までもが商品化された人々は、常に勝ち続けていなければ今のポジションを維持することもできません。人々はまさに「競争の強制法則」に縛られており、人間存在は自己疎外されています。停まりたくても停まれない、止めたくても止められないのです。自分だけ停まったり止めたりしたとしても、それは自分だけが置いて行かれるに過ぎません。独り負けになるに過ぎないのです。人間性の本質としての自主性が蹂躙されていると言わざるを得ないものです。

キム・ジョンイル同志は「人間は飢餓と貧困に耐えられないという理由のみで革命に参加するものとみなしてはなりません。自己の運命の主人として、国家と社会の主人として生きようとするのは、自主的人間の根本的要求です」と指摘されます。「人民大衆が等しく国家と社会の主人として、自主的で創造的な生活を思う存分享受できる社会主義的生活と、人間が金銭の奴隷となって一個人の享楽のみを追及する資本主義的生活とを対比すれば、天と地のような差があります」とも指摘されます。

ここに資本主義が仮に修正版のそれであっても、その本性・原理に照らして達成できない限界があるのです。これを克服するためには、その第一歩として労働者自らが生産手段を社会的に共同所有・共同管理する必要があります。ここに、社会主義・共産主義の必要性があります。

■人類愛と義理の実現における社会主義・共産主義の必要性
またキム・ジョンイル同志は、チュチェ75・1986年7月15日づけ『チュチェ思想教育において提起される若干の問題について』において、社会政治的生命体論の立場から、「品物を売る人と買う人は平等な関係にあるとはいえても、かれらが必ずしも同志的に愛しあう関係にあるとはいえません」とも指摘されています。

前述のとおり疎外されて失われた人間性の回復・再興とは、人類愛の復興であります。資本主義社会においては、売り手と買い手、すなわち、人間同士の自由と対等は実現され得るものかもしれませんが、しかし、人類愛と義理までは実現・達成されることはないのです。

社会主義・共産主義の究極的な目標とは、疎外され失われた人間性の回復・再興に他なりません。人類愛の復興に他なりません。人間性の本質は、その自主性であります。愛とはお互いの自主性の尊重であります。

人間が自主的な生を送るためには、その物質的・制度的基盤が不可欠です。すなわち、自然・社会・自分自身の主人、政治・経済・思想文化の各生活分野の主人となる必要があります。その一環として、この点においても自ら生産手段を共同所有・共同管理する必要があるのです。ここにも、人類愛と義理の実現において修正資本主義的対応では不足であり、社会主義・共産主義の必要性があるのです。

■「日本維新の会」のブルジョア的誤り、生産の共同経営・共同管理の正当性
ちなみに、「日本の成長」を旗印にしている「日本維新の会」のブルジョア的誤りはここにあります。維新の政策はあくまでも企業単位の自主性を保障するに留まるものであり、そこで働くひとり一人のことは考えていません。むしろ維新の労働組合敵視姿勢を見るに、労働者や従業員が取り分の拡大や会社組織の意思決定における意見反映機会の拡大、つまり労働者や従業員が自主性を要求することには否定的な立場をとっていると断定せざるを得ません。

現代社会は、かつての高度経済成長期のように「これを作って売れば必ず儲かる」といった「答えが自明な時代」ではありません。「未知の解を探究し、消費者の需要・社会的課題を探り当てる」ことが経済活動の大部分を占める時代です。過去の時代は、ノイズを無視して「答え」にまっしぐらに突撃すればよかった時代ですが、現代は、いかに天才的な経営者といえども発想には限界があるので、むしろチームメイトたる労働者・従業員たちのアイディアやノウハウに学ぶことも必要になっている時代です。「全員野球」が求められている時代です。

反共理論家として鳴らしたF.A.ハイエクの指摘は現代においてこそ生命力を発揮しています。ハイエクは、未知解探究のための試行錯誤においては、新しいアイディアを編み出すインセンティブに乏しく、また、官僚的な統制が厳しい計画経済よりも自由経済の方がパフォーマンスが高いと指摘しました。ソ連の経済的破綻はまさにハイエクの指摘どおりでした。

社会主義・共産主義が目指す生産手段の共同所有・共同管理は、その企業体で働くひとり一人の労働者・従業員の意見を経営方針に反映することを要求する点において、実はマルクス主義的であるにとどまらず、ハイエクの指摘をも包摂しています。朝鮮民主主義人民共和国で現在実践されている「社会主義企業責任管理制」及び「圃田担当責任制」はこの文脈で位置付けると非常に興味深い取り組みであると言えます。

維新の「成長戦略」なるものは、企業単位の自主性を保障するに留まる点において、社会主義・共産主義と無縁であるのは勿論、全員野球が必要な現代資本主義社会にも適合しない「徹底的な間違い」なのです。

■社会主義・共産主義に向けた展望を、日本共産党が持ち合わせていないことを示唆している
このように、社会主義・共産主義の究極的な目標から考えると、吉良氏は若新氏の問題提起に「待ってました!」とばかりに飛びつき、資本主義の原理的限界、そして社会主義・共産主義の優位性を説くべきでした。人間の社会的連帯を弱めて分断を拡大する資本主義に対して、社会主義・共産主義が人間同士の社会的結合を強め、人間性の回復・再興、人類愛の復興に繋がってゆく展望を示すべきでした。

しかし吉良氏にはそれができませんでした。「勝ち組ばかりを優遇するような政治そのものを変えたい」だの「何度転んでも立ち上がることができるよう支えるシステムを作らなければならない」だのと、修正資本主義でも対応可能なことしか述べられなかったのです。

社会主義・共産主義に向けた展望を、日本共産党が持ち合わせていないことを示唆しています。
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2021年10月20日

小泉・安倍・菅の流れの区切りとしての衆議院解散・総選挙にはならなそう

https://news.yahoo.co.jp/articles/4dc81f1716d9638caa9f89b6e752fef4b883aaf5
山際大臣「所得倍増は所得が2倍になる意味でない」
10/14(木) 23:27配信
テレビ朝日系(ANN)

 山際経済再生担当大臣はテレビ朝日などのインタビューに応じ、岸田総理大臣が総裁選で掲げた「令和版所得倍増」は所得が2倍になるという意味ではないとの認識を示しました。

 山際経済再生担当大臣:「文字通りの『所得倍増』というものを指し示しているものではなくて、多くの方が所得を上げられるような環境を作って、そういう社会にしていきたいということを示す言葉だと総理はおっしゃっているじゃないですか」

 山際大臣は「令和版所得倍増」の詳細については近く設置される「新しい資本主義実現会議」で議論するとの見通しを示しました。

(以下略)
所得倍増は所得が2倍になる意味でない」――立憲民主党・蓮舫氏の「ゼロコロナは0ではない」以来の破壊力のあるワード!

言いたいことは、山際大臣にしても蓮舫氏にしても大体わかります。「その心構え・精神で行こう」、そんなところなのでしょう。定量的に考えるよりも印象論が先行する国民性。印象重視戦略で行くと、こういうことになるのでしょう。

しかし、以前から申しているとおり世の中の大抵のことは、程度の問題すなわち定量的問題です。閾値をいかに科学的に設定し、それを超えた場合にどのように対応するかという問題です。「心構え」の問題ではありません。100年に一度のパンデミックでも与野党ともに「心構え」の問題に帰結してしまう・・・これは根深い思考傾向です。要するに、定量的な思考ができないということなのですから!

岸田首相が提唱している「新しい資本主義」路線は、他党がこぞってバラマキ路線を取ったこと、そして三木谷・楽天会長の「新しい社会主義だ」批判の展開によって、政策論的な深みのある議論が展開される見込みがなくなりました(財界は気難しい屋の世界なんでしょうか? 三木谷氏のような新参者に昔ながらの財界人が乗っかることは、あまり見かけないものです。どこかの伝統的大企業経営者の「苦言」の後に三木谷氏が「新しい社会主義だ」と言えば大きなうねりになったでしょうに・・・)。

選挙期間が異例の短さであることも手伝って、この選挙において国家像問題・経済体制問題の議論に深まりが見られる希望は乏しいように思われます。小泉・安倍・菅の流れの区切りとして今回の解散は良いキッカケであるはずなんですけどね・・・難しいだろうなあ・・・

野党陣営において驚くべきニュースが飛び込んできました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9292607494847360189fb9496a220de484ed72f
自民との対立回避 全トヨタ労連支援、愛知11区の古本氏不出馬
10/14(木) 21:24配信
毎日新聞

 トヨタ自動車グループの労働組合でつくる「全トヨタ労連」が支援する古本伸一郎前衆院議員(56)=愛知11区=は14日、愛知県豊田市で記者会見し、衆院選への立候補を見送ると表明した。古本氏は「組織内候補が出なければ(超党派連携の)可能性は開ける」と説明。与党との連携を模索する労連の方針に従い、同選挙区で競合する自民党との対立を回避した。

(中略)
 古本氏は6回連続当選。旧民主党政権下で財務政務官を務めるなど「民主王国愛知」の重鎮だったが、2020年の立憲民主結党に参加せず現在無所属。愛知11区では、自民の八木哲也前衆院議員(74)が3回連続で古本氏に敗れて比例復活し、今回は年齢制限で比例重複が見込めないため、一時引退の意向を示していた。他に共産新人の本多信弘氏(45)も出馬を表明している。【酒井志帆】
いわゆる組織内候補である古本氏を不出馬に追い込んだトヨタ労組。独自路線を目指す国民民主党への移籍を要求することなく、「もうお前いいよ、いらない」としたわけです。このことはすなわち、もはやトヨタ労組は、立憲民主党は勿論、国民民主党にさえ見切りをつけたというべきでしょう。

「これだから御用組合は・・・」と唾棄している場合ではありません。このことを重く受け止める必要があります。

しかし、野党第一党の立憲民主党はそんなことはお構いないようで・・・
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e74e537d66e97c58af2030ea26b8b92c8ed47ab
通称利用どこまで?選択的夫婦別姓代表質問でも指摘
10/12(火) 22:15配信
テレビ朝日系(ANN)
(中略)
 そして、立憲民主党・枝野代表からは長年にわたってくすぶるこの問題に関する質問も…。

 立憲民主党・枝野幸男代表:「選択的夫婦別姓制度の導入を法制審議会が初めて答申したのは1996年。私は初当選以来28年間もその実現を訴え、何度も議員立法を提出してきました。もはや議論は十分です。差別的な制度を急いで改める必要を感じませんか?」

 岸田総理大臣:「選択的夫婦別氏制度の導入については国民の間に様々な意見があるところであり、引き続きしっかりと議論をすべき問題であると思っております」
選択的夫婦別姓の問題を何とかして重要論点に押し上げようとしているようです。経済政策においては与野党ともにバラマキ合戦になりつつある情勢において立憲民主党としては、安保政策か「多様性」談義しか対立軸を設定できないのでしょう。

しかし、NHKの世論調査によると、今回の総選挙で選択的夫婦別姓の問題を「衆院選で最も重視する政策課題」として取り上げる世論は、3パーセントの「憲法改正」以下。「その他」も0パーセントらしいので、選択的夫婦別姓の問題を最重要課題として挙げる人は「ほぼいない」と断定してよいと思われます。そりゃそうでしょう。コロナ禍もデフレ禍も未解決である最中に、選択的夫婦別姓の問題が浮上するわけがありません。

選択的夫婦別姓の問題についてはしばしば、「賛成」や「どちらかといえば賛成」が多数派とされています(選択的夫婦別姓、7割が賛成 早稲田大など7千人調査 2020年11月18日 12時55分 朝日新聞)。しかし、上掲NHK世論調査を見るに、以前から指摘してきたことではありますが、結局「自分自身としては別にどうでもいいよ。そうしたい人は好きにすればいいんじゃない?」くらいでしかないものと思われます。

このような論題を対決の軸に据える立憲民主党・・・野党共闘の進展により自民党の「漁夫の利」的な議席獲得がなくなる点において、おそらく議席数を積み増すとは思います。しかし、これで「政権交代」にはまず行かないでしょうね・・・

コロナ禍およびデフレ禍という、根本的な変革の必要性に迫られているさなかに、近視眼的政策や比較的優先度の低い政策しか出てこないのが日本の現実です。
ラベル:政治
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2021年10月10日

疎外され失われた人間性の回復、自主性の回復を目指す主体的な人民大衆の運動における朝鮮労働党の「首領・党・人民大衆の一心団結」という原則

今日は10月10日、朝鮮労働党創建記念日です!

首領と党、人民大衆の一心団結において朝鮮労働党は、骨格・神経系統として地域社会や企業組織のようなミクロレベルから国家全体のようなマクロレベルまで、人々の集合体としての社会の統合において重要な役割を果たしています。首領・党・人民大衆の一心団結は、まさに一心団結であるがため、どれか一つが欠けてはならず、また、他の要素から遊離することも許されないものです。この点において、「首領・党・人民大衆の一心団結」はまさにシステムであると言えます。

そしてこのシステムにおいては、社会政治的生命体論の提唱をはじめとした人心掌握術が重要な役割を果たしています。人心掌握こそがシステムの統合を実現しているわけです。

翻ってニッポンの状況を見てみましょう。ここに人心掌握などはなく個人的利益の追求という視点しかありません。個人がそれぞれ個人的利益を追求することで予定調和的に公益を実現するという希望的観測の誤りは、既に19世紀の時点で明白だったはずですが、性懲りもなく追求する手合いが21世紀になっても続出しています。

その典型例が、先月沸いてできた「45歳定年制」でした。大きな批判を受けて当人らは火消しに追われたようですが、これは当代におけるブルジョア連中の偽らざる本音であると思われます。

ここで重要なのは、ブルジョア連中が、このような言説を口にして憚らなくなった「ブルジョア意識の変化」です。

コストカットはブルジョア連中の習性というべきものであり、今に始まったことではありません。しかし、あまりにも利益至上主義の魂胆がミエミエなのは、カネに対する卑しさを強調することこそあれ、決してプラスイメージにはなり得ないものです。SDGsブームの時代においては尚更でしょう。しかし、そんな社会環境において「45歳定年制」が大手を振って出てきました。連中なりの勝算があったのでしょう。ただのコストカット術としてではなく何らかのポジティブな意味合いが見出されて付与されたのでしょう。

以前の記事でも取り上げたとおり、ブルジョア連中は、今現在でも私的な行為として見られているキャリアアップのための転職活動を引き合いに出し、こうした私的な努力をさらに拡大することを目指しているように見受けられます。転職市場価値のあるスキルをもった個人が企業を渡り歩く――このことは、究極的には会社組織から労働者をなくし、会社を個人事業主の集合体にしようと画策しているものと見てもあながち間違いではないでしょう。

キム・ジョンイル総書記が『反帝闘争の旗を高くかかげ、社会主義・共産主義の道を力強く前進しよう』(チュチェ76・1987年9月25日)で指摘されたとおり、知識労働中心の現代資本主義は、労働者階級を含む人々の意識をプチ・ブル化するものです。この指摘は、人々の意識を個人事業主のそれに向かわしめる機能を現代資本主義が有しているものと換言することができると思われます。つまり、知識労働中心の現代資本主義の環境下で育った現代のブルジョア連中の思想意識は、いよいよ個人事業主的な振る舞いを当然視するレベルにまで言ったと考えられるわけです。

社会学の見地によると、現代において人々は、都市化によって日常生活において地縁を失い「個人」としてバラバラにさせられており、よって社会が一種のアノミーになっていると指摘されるところです。しかし、会社社会・経済労働生活においては、派遣労働の拡大といった出来事がありつつも最近まで比較的まとまりを保ってきたように思われます。少なくとも、隣近所にだれが住んでいるのか分からなくても、隣のデスクや隣の部署の人の名前が分からないということはないでしょう(派遣だと分からないんですけどね)。

しかし、それもついに崩れ始めたというべきでしょう。労働者の個人事業主化を推進・正当化するような理屈が編み出されてしまったわけです。理屈がなくても社会はなし崩し的に変化し得るものですが、錦の御旗ができてしまうと社会の変化は加速度的に進んでしまうものです。

とはいえ、幸いにして「「愛社精神など不要、45歳で辞めてよ」サントリー新浪社長は経営者の腹の内を代弁した」(10/8(金) 11:16配信 プレジデントオンライン)という記事を見る限り、まだまだ日本社会では仕事における人間関係の重要性を指摘する言説、仕事は理屈や打算だけで進め得るものではなく感情的要素に深く根差した部分があるということを正確に理解している人が少なくないようです。

思い起こせば、新卒就職活動においては、「学歴や資格をひけらかすよりも、『この人と一緒に働きたい』と面接担当者に思わせるのが大切だ」といわれてきたものです。個人の人となりに深くかかわることを根掘り葉掘り聞き出すことは、単にコンピテンシー見極めるためだけではないのです。

人間存在をビジネス・マシーン:剰余価値生産装置としてしか見ないブルジョア社会に対して、疎外され失われた人間性の回復、自主性の回復を目指す主体的な人民大衆の運動は依然として激しい階級対決の最中にあります。この闘いにおいて人間性回復を目指す人民大衆の側が勝利をおさめること、そしてこの勝利を社会のすべての分野に広めて人々が持っている社会政治的生命を輝かせることを目指したいと私は考えています。

この闘争においては、人類の英知・ヒューマニズムの蓄積から学びフル活用することが必要だと考えます。チュチェ思想及びチュチェ哲学、そして朝鮮労働党の「首領・党・人民大衆の一心団結」という原則は、多くの考える材料を我々に提示してくれています。当ブログでも昨年5月29日づけ「社会政治的生命体論の魅力と論理の飛躍について」において、批判的な視野を含めて検討したところです。

10월명절 축하합니다!
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2021年10月09日

増税ごときで「新社会主義」? 社会主義の論点は、協同主義的生産様式と集団主義的社会編成

https://news.yahoo.co.jp/articles/18ffc9a3867a988f68659356994ef92259db52a0
楽天・三木谷氏 岸田首相の新資本主義≠痛烈批判「新社会主義にしか聞こえない」
10/8(金) 16:52配信
東スポWeb

 楽天グループの三木谷浩史会長兼社長(56)が8日、自身のツイッターで岸田文雄首相を痛烈に批判した。

 格差是正を重視する岸田首相は、金持ち優遇≠ニ揶揄される金融所得課税を引き上げ、中間層への手厚い分配を政策の柱に据える。それが同首相が呼ぶ新しい資本主義≠セ。

 ところが、三木谷氏は「今までの新政権の発表は、新資本主義ではなく、新社会主義にしか聞こえない」とバッサリ。

(中略)
「給与や金利などは会社では損金算入される。株主には、企業の所得税支払後の利益から配当やキャピタルゲインという形で配分される」と前置きした上で「それをさらに受け取り側に課税する今の現状でさえおかしいのに、その二重課税をさらに上げるという愚策。全く資本主義が理解できていないのでは?」と痛烈に批判した。
■マルクスを読み返せば・・・
増税ごときで「新社会主義」とは、三木谷氏の教養の浅さが知れるというものです。岸田首相が「全く資本主義が理解できていない」と言えたとしても、それが「新社会主義」になることはありません。社会主義の本質的特徴からいって絶対にありません。せいぜい「ポピュリズム」といったところです。

一口に社会主義と言っても様々な潮流がありますが、マルクスは『ゴータ綱領批判』で「いわゆる分配のことで大さわぎをしてそれに主たる力点を置くことは、おそよ誤り(中略)消費手段のそのときどきの分配は生産諸条件のそのものの分配の結果に過ぎない」(新日本出版、p31)としました。また、「資本主義的生産様式は、物的生産諸条件が資本所有や土地所有という形で非労働者たちに配分されているが、(中略)生産の諸要素がこのように分配されているならば、消費手段のこんにちのような分配がおのずから生じる。物的生産諸条件が労働者自身の協同組合的所有であるならば、同じように、こんにちのものとは異なった消費手段の分配が生じる」(同頁)としました。

つまり、利益配分問題は究極的には生産様式の問題、所有形態の問題なのです。それゆえ、「社会主義社会とは、如何なる社会であるか」を問うとすれば、つまるところ「税率の高低」の問題ではなく「会社の所有権を誰が持っているのか」という問題に他ならないのです。

■チュチェ思想的に考えれば・・・
私が信奉しているチュチエ思想の文脈からも考えてみたいと思います。チュチェ思想派、「人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定する」という原理に基づき、人々が、自然と社会、そして自分自身の運命の主人として生き発展できることを目指しています。これを「自主化」といいます。

チュチェ思想において社会生活は、政治生活・経済生活・思想文化生活の3つに分類されています。それぞれの意味は読んで字のごとくですが、特に経済生活については、「物質的生活手段を生産し、分配し、交換し、消費する生活」があり、そこには「物質的富を生産する過程と、創造された物質的富を享受する過程」があるとされています(ハン・ドンソン『哲学への主体的アプローチ』(2007)108ページ)。

経済生活のうち物質的富を生産する過程において自主化を目指すとき、また、経済生活のうち創造された物質的富を享受する過程において自主化を目指すとき、それらは労働と生産の自主化を意味するでしょう。すなわち、何を如何に生産するのか、そしてその生産物をどのように分配するのかについて、労働者を含めたステークホルダーたちによる協議に他ならないでしょう。つまり、協同経営であります。

■社会主義の論点は、協同主義的生産様式との集団主義的社会編成
三木谷氏が非常に有能な経営者であることは私もよく理解しているところですが、ときどき専門外のしゃしゃり出てきてよく分からないことを仰っているように思います。

もちろん税金とは本質的に収奪であるので、個人と社会の関係性を定式化する上で避けては通れない重要な問題です。以前から述べているとおり、社会主義社会とは協同社会であると同時に集団主義社会です。集団主義の哲学的定式化という点において税金の問題は避けて通れない問題です。しかし、上述のとおり、税金の問題だけが社会主義の論点ではなく、やはり企業の所有権の問題でもあるのです

■「新しい資本主義」への基本的視座について
ところで、岸田首相がいう「新しい資本主義」によって人民大衆の生活が多少なりとも改善されれば、それは決して悪いことではないと考えています。私は物事は漸進的に改善されゆくものだと思っています。所信表面演説で「三方よし」に言及があったことはよかったと思います。

しかし、「新しい資本主義」が企業の所有権問題に斬り込むはずがないので、根本的な解決・改善につながるとも思っていません。あくまでも「資本主義の枠内での改革」の行方として、そしてそれが協同社会としての社会主義社会にどのように繋がってゆくのかを注視する必要があると考えています。
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2021年10月03日

皇族であろうと病人であろうとお構いなしの眞子内親王への罵倒から見える現代日本の深刻な一幕

https://news.yahoo.co.jp/articles/adcf986f57d9bcc94cef60665c4fffd2732203bf
眞子さまPTSD公表も止まぬ批判の異様さ 「中傷なくなれば回復」で火に油
10/1(金) 16:25配信
東スポWeb

 秋篠宮家の長女・眞子さま(29)と小室圭さん(29)が今月26日に入籍する見通しとなった。宮内庁が1日、会見で明らかにした。
(中略)
 会見で最も衝撃だったのは眞子さまが複雑性PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患っていることだった。会見に同席した秋山剛・NTT東日本関東病院品質保証室長は、眞子さまについて「自分自身と家族、結婚相手と家族に対する、誹謗中傷と感じられる出来事が長期的に反復され、逃れることができないという体験をされた」と説明。

 同室長によると、眞子さまは2018〜19年ごろからバッシングにより、人間としての尊厳が踏みにじられていると感じるようになったという。恐怖がフラッシュバックすることもあり「幸福感を感じるのが難しい状態にある」とした。

 眞子さまが苦しんでいたことがわかり、ネット上では「心配です」「ゆっくり休んでください」と労わりの声もあるが、ネットニュースのコメント欄には「私たちのせい?」「納得いかない」「小室さんの問題をうやむやにしてはいけない」と厳しい意見も並んだ。

 通常、この手の病名が報じられれば、多少なりとも中傷は収まるもの。ところが今回は“火に油”状態なのだから、異様というほかない。

(以下略)
面白おかしく書きたてるところに「存在意義」がある東スポに「異様」と言われる事態。「#国民のせい」なるハッシュタグが一時、ツイッターのトレンド第一位にさえなりました。たしかに異様です。

ここで重要な事実は、眞子内親王も小室圭氏も皇室関係者も、誰一人として「国民のせい」だなんて言っておらず、そしてまた、大多数の国民はこの問題にそこまで深く関心を寄せていないということであります。

皇室関係者らは誰も言っていないのに一部の手合いだけが被害妄想的に「国民のせいだというのか!」と過剰反応を見せているわけです。それも、自らの少数派意見に過ぎないのに「国民」の名を騙ってまで! 人民の名を騙ったスターリン主義者ばりの出しゃばりであります。

弱い犬ほどよく吠える、弱い人ほど激しく自己弁護を展開するものです。スターリンが典型的だったように、他責他罰的傾向を示し激しい攻撃性を見せるものです。あるいは、些細な批判も許さないような異常に高いプライド、自己愛の深さというケースも想定できます。いずれにせよ、あくまでもごくごく一部だとは思いますが、非常に病んでいると言わざるを得ないような攻撃性向の高い人たちがいるわけです。

私は、象徴天皇制については勉強が進んでいないので特に意見を持っていません。私にとってこの制度の存否問題は非常に優先順位が低いことなので、「事実として存在しているもの」程度の認識しかありません。

しかしながら、以前少し考えたことなのですが、たとえば橋下徹氏のような自分が絶対に正しいと天狗になり、異論に対して下品で粗野な罵倒を厭わないような人物も、流石に皇族臨席の場くらいは大人しくするものではないかと思います。権威のある人・上品な人の前で下品で粗野な振る舞いをすれば、恥をかくのは自分自身だからです。

その意味で、あの手の権威はただその場に存在しているだけで、人々をして「今日のところは上品に、冷静にしておかないと自分自身が格好悪いな」と思わしめ、個人的な「思い」の暴走にブレーキがかかり、以って社会を安定させることができるのではないかと考えてきました。

しかし今回の「異様」な展開;皇族であろうと病人であろうとお構いなしに罵倒を展開を見るに、もはや一部世論は、ただひたすら「自分が正しい、自分は悪くない」で凝り固まっているようです。もはや「思い」の暴走を抑えるものは何もありません。この「思い」が洗練されたものであれば「急進的社会進歩」となるので結果オーライ的に幸いですが、見てのとおり下品・粗野と言う他ないものです。文化大革命的混乱は近いと言わざるを得ず、現代日本の深刻な一幕です。
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2021年10月02日

最高人民会議第14期第5回会議で決定された組織(人事)問題について;キム・ヨジョン同志昇格の意味、キム・ジェリョン同志の組織指導部長職専念の意味など

http://www.uriminzokkiri.com/index.php?lang=jpn&ptype=cforev&stype=2&ctype=3&mtype=view&no=36898
朝鮮最高人民会議第14期第5回会議の第2日会議

【平壌9月30日発朝鮮中央通信】朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第14期第5回会議の第2日会議が9月29日、平壌の万寿台議事堂で行われた。

(中略)
会議は、第六の議案として組織問題を討議した。

朝鮮民主主義人民共和国国務委員会の副委員長、委員を召還、補欠選挙した。

朝鮮民主主義人民共和国国務委員長の委任により国務委員会第1副委員長で最高人民会議常任委員会委員長である崔龍海代議員の提議によって朴奉珠氏を国務委員会副委員長から召還した。

また、金才龍、李萬建、金衡俊、李炳哲の各氏、金秀吉、金正官、キム・ジョンホ、崔善姫の各代議員を国務委員会委員から召還した。

金徳訓代議員を国務委員会副委員長に補欠選挙した。

趙甬元、朴正天の両氏、呉秀容、李永吉、張正男、金成男、金與正の各代議員を国務委員会委員に補欠選挙した。

(以下略)
■キム・ヨジョン同志昇格の意味
キム・ヨジョン同志が、ついに国務委員に昇格しました。この意味をどのように捉えるべきでしょうか。

共和国の党・政府関係者は皆、それぞれの専門知識をもとにした「キャラクター」が与えられています。それゆえ、たとえば、キム・ヨンチョル(金英哲)同志が重用されるようになると「北朝鮮は強硬派を登用したので、対外関係が硬直化する」と言った具合に、外務省のチェ・ソンヒ(崔善姫)同志が重用されるようになると「対話の兆し」と言った具合に評価されます。

しかし、キム・ヨジョン同志についてはこのような「キャラクター」からの評価は困難です。かつて北南連絡事務所を爆破したかと思えば、最近はムン・ジェイン韓「国」「大統領」の終戦宣言提案に対して関心を示しました。その直前に共和国外務事務次官が厳しめに批判したのと比べるとかなりソフトな対応でした。キム・ヨジョン同志は他の要人とは異なり、「一人二役」を演じ分けること許されている稀有な人物なのです。それだけ事態が流動的で、硬軟の変化を示すために、いちいち担当者を交代させていられるほどは時間的な余裕がないのでしょう

外交というものは、「自分たちがどう思っているか」という問題であるのと同時に「相手がどう受け止めるか」という問題でもあります。キム・ヨジョン同志については、キム・ジョンウン同志の実妹ということで「特別な地位である」と何よりも相手側がそう認識しています。キム・ジョンウン同志が実際のところ実妹の「本当の能力」を如何に評価しているかは分かりませんが、「外交の顔」として利用可能であることは間違いのないことでしょう。

そのような「外部からの評価」に乗っかり「外交の顔」としてキム・ヨジョン同志を登用されたと考えたとき、今後は積極的な外交攻勢が展開されるものと見てよいでしょう。今回の政府人事でミサイル開発に深く関与してきたパク・チョンチョン(朴正天)同志が、不正腐敗問題での降格から早くも返り咲いた点を併せて考えると、硬軟両面の展開が予想されます

■本当に「血統」ゆえなのか?
ところで、いつも参考にさせていただいている日本大学の川口智彦氏が運営している「北朝鮮報道で書かれないこと (dprknow.jp)」の「「朝鮮民主主義人民共和国最高人民会議第14期第5回会議で」:「(第1)副部長同志」が「国務委員会委員」に、チョ・ヨンウォンも、金ドクフンが副委員長、朴ポンジュ引退、李ビョンチョル解任、崔ソンフィも解任、「(第1)副部長同志」に北南、朝米を一任か (2021年9月30日 「朝鮮中央通信」)」(9月30日づけ)では、キム・ヨジョン同志の登用について「「(第1)副部長同志」を入れてきたのは明らかに「白頭の血統」だから」としています。同時に「朝米関係部分を訳しながら思ったのは、対南と対米を「(第1)副部長同志」にやらせることにしたのではないかということだ。このところの「談話」を見ていても、それは十分にあり得るし、発するメッセージの重さや直接交渉をするにしても、崔ソンフィの比ではない。「元帥様」の意向を汲んで、ある程度はフリーハンドな交渉もできるのが「(第1)副部長同志」だし、失敗したところで、対人民の示しを付けるための「解任」程度で済む。」とも分析しています。

「白頭の血統」というキーワードにおける「血統」の意味を生物学的な意味・DNA鑑定でシロクロつくような意味として捉える、よくある俗流解釈でキム・ヨジョン同志の昇格を説明していますが、やはりこの手の俗流解釈には無理があると改めて思いました

当ブログでは以前から、「ペクドゥ(白頭)の血統」というキーワードにおける「血統」の意味は、儒教思想をベースとしたチュチェ思想の社会政治的生命体論に基づく疑似的共同体としての意味であり、DNA鑑定でシロクロつくような生物学的な意味ではないと繰り返し主張してきました。詳しくは本年6月17日づけ「「金王朝の変質」論を事実に即して検討すると、そもそも金「王朝」ではないということになる」及び6月20日づけ「やはり「キム王朝」は実際には「王朝」とは言い難い」で論じたとおりです。

キム・ヨジョン同志の血統は最近初めて分かったものではないので、ピョンチャン(平昌)オリンピックに派遣さるなど既に大役は何度も経験しているのに「なぜいままで国務委員でなかったのか」ということになります。もし、「キム王家の一員とはいえ実績が必要だ」というのならば、そもそも「血統」が主変数ではないということになるでしょう。

また、「失敗したところで、対人民の示しを付けるための「解任」程度で済む」というのも妙な話です。失敗して解任されるようでは、扱いが「他の党・政府要人並み」であると言わざるを得ません

いわゆる「ロイヤルファミリー」は無謬であることが絶対的条件です。もし、キム・ヨジョン同志が「血統」ゆえに登用されたとすれば、担当政務に失敗したからと言って解任などあってはならないこと。日本の自民党政治家よろしく「秘書が勝手にやりました」といった具合に、自分自身だけは徹底的に責任から逃れなければならないものです。

キム・ヨンジュ(金英柱)同志(首領様の実弟)のように路線対立の相手方になってしまったり、キム・ソンエ(金聖愛)同志(首領様の後妻)のように重大な越権・不正行為が明らかになると流石に排除されざるを得ないものですが、両者とも徐々に登場機会を奪われ、そして失脚後かなり長いこと隠遁生活を余儀なくされたもの。よほど深刻でどうしても排除しなければならない事態に陥らない限り、いわゆる「ロイヤルファミリー」はアンタッチャブルなものです。

ある日突然降格されたかと思えば、別の日に突然要職に復帰するような扱いは、「他の党・政府要人並み」であると言わざるを得ないのです。現にキム・ヨジョン同志は、昇格と降格を繰り返しています。いわゆる「ロイヤルファミリー」らしからぬ人事状況であり、「他の党・政府要人並み」の扱いと見た方が自然ではないでしょうか? まして、「失敗したら解任すればいい」だなんて「ロイヤルファミリー」の扱いではありません

キム・ヨジョン同志は、DNA鑑定でシロクロつくような生物学的な意味では元帥様の実妹なのでしょうが、とはいえども「失敗したからと言って炭鉱には送られない」くらいの「特権」しかないものと思われます(十分に「特権」的であると思える一方で、懲罰とはいえ女性を炭鉱労働者にするのかという疑問もありますが)。

■その他の人事について
その他の人事について、気になった限りで取り上げます。

キム・ジェリョン(金才龍)同志の国務委員解任は、おそらく党組織指導部長職に専念するためでしょう。党の中の党である組織指導部長が他の職務を兼任し過ぎると、第二のチャン・ソンテクになりかねないからです。すでに1月の党中央委員会全員会議で、党政治局員に選出されつつも中央軍事委員からは解任されています。必要最低限の役職だけに就かせるという意図が見えます。

キム・ヒョンジュン(金衡俊)同志の解任。前ロシア大使であるということ以外、この方のことはよく存じ上げないところです。5年間ロシアにいればロシア通扱いになるのかは分かりませんが、今後対ロシア政策に深化があるか注視すべきでしょう。

リ・ビョンチョル(李炳哲)同志の解任。今夏の党政治局第2回拡大会議で怠業を批判された流れで政府人事からも弾き出されたものと見てよいでしょう。基本的に政府人事は党人事の後追いですから。ただ、同時に批判されたパク・チョンチョン(朴正天)同志が今回初めて国務委員に補選されたのに対して既に先んじて国務委員だったリ・ビョンチョル同志が逆に解任されたということは、挽回できなかったんでしょうね。

チョ・ヨンウォン(趙甬元)同志の国務委員補選は当たり前。むしろ今まで国務委員じゃなかったのかというくらいです。

パク・チョンチョン(朴正天)同志の補選。ミサイル開発に深く関与してきた人民軍前総参謀長が政治局常務委員への昇格に加えて国務委員にも選出された意味は、先の国連総会演説と関連付けたとき、あまりにも明らかでしょう。

情報技術の専門家とされる、党経済部長のオ・スヨン(呉秀容)同志の国務委員補選には期待を寄せたいと思います。

リ・ヨンギル(李永吉)同志の国務委員補選。かつて韓「国」発で処刑説が流れた彼が国務委員に選出されるに至ったわけですが、あの時騒ぎ立てていた連中は皆、頬かむりをしています。いかに「処刑説」がいい加減なものなのかを再認識できます。

■キム・ジェリョン同志の組織指導部長職専念の意味;「首領+集団」の指導体制になりつつある
キム・ジェリョン同志の人事に注目したいと思います。

朝鮮労働党は今年1月の第8回党大会で、「金日成・金正日主義」を減らす一方で、総書記職を復活させると同時に第一書記を設置しました。6月4日づけ「「朝鮮労働党中央委員会第一書記」職が設置された意味と「赤化統一」の行方について」で論じたとおり、「最高指導者とその他」という構図を墨守し最高指導者以外の人物にいかなる権威も生じないよう長きにわたり慎重に組織編成をしてきた朝鮮労働党にしては非常に異例なことです。そして、第一書記という名称の歴史的意義を踏まえるとき、この職名には「総書記の意を体する」という重要な意味合いが与えられています。

総書記−第一書記体制は、朝鮮労働党の組織理論と歴史において非常に異例なる出来事であるわけですが、韓「国」紙『ハンギョレ』は、このことについて「変化の核心は“人治”から“党中心の制度による統治”への重心移動だ」とか「第8回党大会以降、金正恩(キム・ジョンウン)労働党総書記時代の統治基調が、“個人”から“システム”へと重心を移す流れを加速化させるという宣言」と分析しています。上掲過去ログでも述べたとおり、私もこの分析を共有しています。

その流れの中に位置する今秋の党人事と今回の政府人事。キム・ジェリョン同志が党の組織指導部長に就任した一方で、党中央軍事委員と国務委員を退任しました。「党の中の党」である組織指導部の部長に就任することは間違いなく出世であります。もし何か政治的に失敗をして懲罰的に降格されるとすれば、真っ先に組織指導部長職を解任されるはずです。つまり、党中央軍事委員や国務委員からの解任は、「組織指導部長職に専念せよ」ということに他なりません。

前述のとおり、一個人が要職を兼任し過ぎると第二のチャン・ソンテクになりかねません。今回の人事には、そうした懸念が色濃く現れていると見るべきでしょう。

1月の党大会と今秋の党・政府人事に通底していることは、最高指導者を含めて統治が徐々に制度化・システム化しつつあることだと思われます。第一書記職の設置により総書記の負担が軽減されたわけですが、このことはすなわち、総書記への権力集中が若干ながら緩和されたことを意味します。そして、キム・ジェリョン同志が党組織指導部長に専念したように、党幹部が兼任を減らして担当に集中・専念することは、これも権力集中の緩和になるものです。

共和国が「首領制」を掲げる限りは、完全なる集団指導体制になるとは考えにくいところですが、「首領+集団」の指導体制になりつつあるとは言えるのではないでしょうか?
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