ロシアのウクライナ侵攻をめぐる日本世論の特徴について、
前回に引き続き論じたいと思います。前回提唱した下記5項目のうち、今回は(1)及び(2)について若干のアップデートを加えたのちに、予定どおり(4)及び(5)について論じます。
(1)勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立
(2)「悪党」の主張には一切耳を傾けない
(3)「個人の意志」の過大評価
(4)生身の人間の生活を軽視し、大義や筋論などの抽象的なものを優先する
(5)他力本願
関連記事:「
日本もプーチン大統領顔負けの「力の信奉者」:ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論について(1)」
■戦況という根本的な事実から出発しない日本世論
侵攻から1週間以上たった今月4日、NHKはようやく2月24日のプーチン大統領の開戦演説を全文和訳しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220304/k10013513641000.html【演説全文】ウクライナ侵攻直前 プーチン大統領は何を語った?
2022年3月4日 18時25分
2月24日に突然、ロシアがウクライナを侵攻。その日、侵攻直前に、ロシアの国営テレビはプーチン大統領の国民向けの演説を放送しました。
プーチン大統領は何を語ったのか?
演説全文は次のとおりです。
(以下略)
先に手を出したほうの動機が1週間も報じられていなかったというのは驚愕すべきことです。ロシア語の翻訳にこんなに時間がかかったはずがありません。ヤフーニュースで個人記事を発信している今井佐緒里氏がせっせせっせと個人ワークとして訳出を完了させているくらいなのですから。
いくら「悪党」の主張には一切耳を傾けないが「日本文化」だといっても、度を越していると言わざるを得ないでしょう。
報道が事実から出発していないのです。
事実から出発しない報道は、このほかにも
戦況報道の軽視にも表れています。
開戦以来の一般商業メディアによる情勢報道を見ていると、
すべての根本であるはずの戦況報道が非常に貧弱であると言わざるを得ません。ここ数日(2月28日の週後半から)ようやく両国の勢力範囲を色分けした地図を軸に番組進行されるようになってきましたが、それまでは「国際社会」の反応だの反戦デモがあっただのという本筋ではない部分の報道ばかりが氾濫していました。
戦争は政治の延長線上にあり、軍事力は「実力行使の政治」という点において政治的解決方法の一つであるわけですが、単なる政治ではありません。
戦争は特殊な政治であり、すべての根本は戦況にあります。停戦・講和の有利不利はその時点での戦況の有利不利と非常に密接に関係しています。
戦争報道は戦況報道を基本とすべきなのです。
ようやく色分け地図を軸に報道されるようになっては来たものの、
依然として戦況の行方が見えてきません。たしかに現在、ウクライナ軍は善戦しているとされますが、徐々に後退していると言わざるを得ないところです。しかしそうした戦況は日本メディアを見ているとよく見えてきません。
このまま戦争が長期化したとき、ウクライナ軍に「勝ち目」があるのか否か誰もが言及を避けているのです。
少ない情報の中から推測するに、たとえば「
「戦闘の前線で罪償える」ウクライナ大統領、軍事経験ある受刑者釈放」(2/28(月) 21:33配信 朝日新聞デジタル)という記事を見る限り、ウクライナは相当追い込まれているように思えてなりません。「
ロシア軍、ウクライナ南部の要衝オデッサ攻略を視野か 首都包囲も着々」(3/6(日) 13:19配信 産経新聞)は珍しくよくまとまった戦況報道ですが、
やはりかなり厳しいようです。
「正義が負ける」というのは日本的勧善懲悪においてはバッドエンド以外の何物でもありません。そして日本においては
言霊信仰の影響からか、不吉なこと・あってはならないことを口にすることを憚る傾向があります。冷静な分析を口にすると白い目で見られることがザラにあるものです。その一方で、
「善戦」や「持ちこたえている」といった報道が非常に好まれます。
■ウクライナの「大本営発表」を垂れ流す
そのため、「
ロシア軍の戦車を防ぐため...ウクライナ軍兵士が橋の上で自爆」(2/26(土) 19:34配信 WoW!Korea)や「
「1人死んだらあとはみんな逃げた」ハリコフ住民がロシア軍撃退の様子を語る」(2/28(月) 12:46配信 ロイター)といった類、ウクライナ軍が「善戦している」という如何にも
「戦意高揚モノ」というべきニュースが目立っています。また、ウクライナ軍が市民に火炎瓶の製造を呼びかけた(「
ロシア軍がキエフ市内に 「火炎瓶を作ろう」との呼びかけも 呼びかけ チェルノブイリ原発では放射性廃棄物の格納施設が被弾か」2/25(金) 18:45配信 ABEMA TIMES)という
「徹底抗戦」系のニュースなどが盛んに報じられています。
これらの中で私はとりわけ、
ウクライナ軍が一般市民に対して「火炎瓶を作ろう」と呼びかけたことを日本メディアが無批判に報じていることに、二重の驚きを感じざるを得ませんでした。
非戦闘員に攻撃用武器の製造を呼びかけるのはマトモな政府軍がやることではありません。これが横行することは政府軍が便衣兵を導入することと同じであり、
戦闘員と非戦闘員との区別がつきにくくなるからです。両者の区別がつきにくかったベトナムやイラク、アフガニスタンでは、極限状態の継続で精神がおかしくなってしまい疑心暗鬼にかられた兵士たちが些細なことに過剰反応し、現地民間人を戦闘員扱いして拷問・虐殺するという過ちが起こってしまいました。
国際人道法は、軍人などの戦闘員に対して「攻撃に従事している間または攻撃に先立つ軍事行動に従事している間、自己を一般住民から区別すべき義務を負う」とし「非戦闘員の地位を装う事は、背信行為として糾弾される」としています。非戦闘員を戦闘に巻き込む行為や巻き込む可能性のある行為は禁じられているのです。
ウクライナ軍の呼びかけは、戦闘員と非戦闘員との区別をつきにくくすることであり、結果的に非戦闘員を戦闘行為に巻き込むことに繋がります。自国民を危険にさらすことに他ならないのです。我が目を疑いました。
そして、
こんなマトモな政府軍ならやらないような呼びかけを「国民一丸となって徹底抗戦している」ことの象徴であるかのように報じる日本メディア。
「ロシアという巨悪と戦う正義のウクライナ」という二分法に凝り固まっているとすれば、つける薬はもはや無いと言わざるを得ないでしょう。
■単純な善悪二分法に楔が打たれつつある
おそらくウクライナ側は国際世論を味方につけ、まさにベトナム戦争反戦運動のようなムーブメントを再現しようとしているものと思われます。それゆえ全方位的に外交攻勢を強めています。このこと自体は当然のことです。しかしちょっとやりすぎたのか、「善対悪の闘争」に自ら楔を打つような形になっています。
たとえば「
ウクライナ大使、東京タワーに「ウクライナ色」ライトアップ依頼も「拒否されました」と報告」(3/4(金) 16:57配信 中日スポーツ)のコメント欄。
表現の問題があると思うので、表現は何割引きかで見て冷静に反応してほしい。
ただライトアップするかしないかの決定権は、タワー側にあり、政治的な問題に介入したくないならお断りはありだと思う。というか、日本も他人事でない分、悪目立ちしたくないのもあるね。
断られたことに傷ついた気持ちはわかるけど、それをTwitterに流すのは相手を攻撃する行為。
海外なら主張するのが悪いことではないし、国民の反応ももっと無関心だと思う。
でも日本だと謙譲の精神を尊ばれるので、逆効果。
日本人向けの広報をしてくれるアドバイザーを入れたほうがいいよ〜。
たしかに、こういった「他人にあからさまに善意を要求すること」は、現代日本においてはあまり好まれない傾向にあります。
「
東京スカイツリーがウクライナ色に? 大使館ツイートで話題も...運営会社「点灯した事実ない」」(2/28(月) 11:36配信 J-CASTニュース)のコメ欄にも。
ロシア政府の戦争には心より反対ですが、ウクライナ側の無意図ではありえない積極的な情報戦略には不快感があります。
ズミイヌイ島の防衛隊13人は「くたばれロシア軍艦」と返して全滅したと発表しスローガンにもなりましたが、他ならぬウクライナ海軍が防衛隊は投降して生存していた旨のちに発表しました。生きてて何よりですが、当初の発表はどう贔屓目に見ても「未確認の情報を見切り発車した」以上にはなりません。それも性質的には尾ひれのついた英雄的な方向にです。
コルスンスキー駐日大使は「鈴木副大臣が面会を拒否している」と名指しで投稿しましたが、副大臣は「面会要請の申し出はなかった」と言い、林外相は「面会を拒否した事実はない」と言って食い違うと、誤解があったと翻しましたが、それなのになぜ名指しで言ったんです?
場外乱闘しようと変なことしないでください。侵攻には反対でも、とても不信感があります。
そして「
プーチンは侵略者だとしても、日本人はウクライナのプロパガンダを丸呑みにしてもいいのか?」(辻田真佐憲 近現代史研究者 3/5(土) 20:02)。
もちろんまだ全体的な傾向にはなっていませんが、「ウクライナ絶対善」というわけではなくなり始めています。
■日帝崩壊から77年経っても日本人は清算し切れていない「大義」優先
それでは予定どおり、「(4)生身の人間の生活を軽視し、大義や筋論などの抽象的なものを優先する」及び「(5)他力本願」について論じたいと思います。
ウクライナに対して徹底抗戦を「求める」言説には、生身の人間の生活を軽視し、大義や筋論などの抽象論を優先する日本人の悪しき習性もまたよく表しています。「
橋下徹氏 ロシアのウクライナ侵攻に「NATOが一定の政治的妥結をすれば戦争が終わるんだったら…」」(2/28(月) 9:06配信 スポニチアネックス)のコメント欄には次のコメントが寄せられています。
橋下氏の発想は、所詮他人事的な軽薄で無責任だと思う。
核兵器を保有する軍事大国が核兵器で威嚇しながら国境を越えて軍事侵攻したことに対し、如何なる理由があろうとも国際社会は一致団結してその様な指導者を排除すべきで有り、戦争終結のために妥協や譲歩をするべき時では無いと思う。
ブダペスト覚書に署名し核兵器を放棄したウクライナに対して国際社会が見捨てるようなことをして、核保有国の横暴を容認することにならば、世界規模で核兵器の保有が拡大していくことになる。
既に日本でも核兵器保有の議論が出てきている。
むしろ、この機会に核保有国の横暴は国際社会が絶対に許さないと示すことこそ最優先で取り組むべきだと思う。万が一にでもロシアによる軍事侵攻でロシアが利益を得る事が有れば核保有国による横暴は世界規模で広がり核兵器保有国が増える。
世界が経済で繋がっている今こそ徹底的な経済封鎖で平和を勝ち取るべきだと思う。
ウクライナを勝手に「民主主義の防波堤」に任命し、人類史的な役割を押し付けているというほかない言説であります。とりわけ腹立たしいのは、「
むしろ、この機会に核保有国の横暴は国際社会が絶対に許さないと示すことこそ最優先で取り組むべきだと思う」というくだりです。よくもウクライナ人の血が流れている状況でこんなことを言えたものです。
ウクライナを、新冷戦時代におけるロシア封じ込め、そして自己満足的なロマンチシズムとヒロイズムのための「捨て駒」にしているようにしか見えないものです。
生身の人間の生活を軽視し大義や筋論などの抽象的なものを優先する価値観は、日帝崩壊から77年経っても日本人は清算し切れていないようです。考えてもみれば、エンターテイメントとして根強い人気を長年保ち続けている戦国時代や明治維新期を題材にした大河ドラマや歴史小説は、民衆の負担など一顧だにせず武将や志士らのロマンチシズムやヒロイズムばかりを描いてきました。このような大河ドラマ・歴史小説的な社会歴史観に完全に毒され、作り話と現実との区別がつかなくなったのが現代日本の現実なのかもしれません。
■ウクライナ人を「捨て駒」にしているに過ぎない他力本願
もっとも、それこそ武将や志士らのように自ら率先して身命を賭せば文句はありません。しかし、今般のウクライナ情勢においては日本を含めて何処の誰もウクライナには加勢していません。「
米、ロシア中銀の資産凍結」(2/28(月) 21:36配信 共同通信)という記事のコメント欄には次のコメントが寄せられています。
最初欧米はウクライナを見捨てようとしてたが、今は世界中がウクライナの味方だ。ロシアへの経済制裁に加え、ウクライナに武器も支援している。なんとか戦争を止めようとしている。これはゼレンスキー大統領とウクライナ国民が自由のために絶望的な戦争でも諦めずプーチンに徹底抗戦しているからで、ニュースやSNSを通じて世界の人の心を動かしたからだ。欧米がウクライナを助けようと動いているのを見て、自分は涙を流すほど感動した。もしゼレンスキー大統領が真っ先に海外逃亡したり、ウクライナ国民が戦いもせずあっさり降伏していたらこれほど世界の関心を買うこともなかっただろう。
自分で戦おうともしない他国民を助ける国はない。もし日本が攻められたとしても、まず日本国民が戦わなければアメリカ軍とアメリカ世論は日本を積極的に助けない。日本も中国と抗戦できる軍と法律を持つべきだ。
涙を流すほど感動したとのことですが、お言葉ですが、「世界」なるものがウクライナの味方をしているのは主に言葉の上であり、ようやく最近になって不十分極まる金融封鎖(もどき)や「死の商人」としての暗躍が見受けられるようになってきたところに過ぎません。いまだにウクライナ人以外は攻防戦の戦闘員としては血を流していないのです。
そして、
これらの金融封鎖もどきや死の商人役は、必ずしも純粋に「ウクライナのため」とは言い切れないものであります。
新冷戦におけるロシア封じ込めの一環という真の目的の存在を疑わざるを得ないところです。とりわけ、(大統領個人の意志は別として)地政学的にロシアに協力せざるを得ないがウクライナ侵攻については直接関与はしないというギリギリの選択をしたベラルーシを、ロシアもろとも「制裁」の対象とすることは、単に「ロシアによるウクライナ侵攻を止めさせる」以上のドサクサ紛れの目的があると疑わざるを得ません。
また、
武器の援助的供給については、米ソ冷戦期を思い起こせば典型的な「代理戦争へのテコ入れ行為」であり、また「武器の見本市」でありました。廉価または無償で戦争当事国に武器を供給し、それ以外の潜在的な戦争地域に対して「実演販売」するわけです。あるいは、プリンターのインク商法ならぬ武器の弾薬商法で一儲けするわけです。歴史的に見て「武器供与」はまったくをもって純粋な動機によるものではありませんでした。
つまるところ、いま「ウクライナとの連帯」という美名の下で行われていることは、他人をおだて上げて他人に負担を押し付けていることに過ぎません。ウクライナ人を「捨て駒」にしているに過ぎないのです。以前から私は、一分一秒を連綿として生きる生身の人間、生活者の時間感覚と、十年百年のタイムスパンで考える革命家や歴史家などの時間感覚にはズレがあると述べてきました。そして為政者は、十年百年の大計を考えつつも生活者の一分一秒を軽視してはならないと述べてきたところです。橋下徹氏は、3月2日には次のように語ったといいます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ce1db083f4eb406b119be019fe015bac3fa45ac橋下徹氏 ロシアの侵攻に私見「西側諸国とロシアで政治的な妥結というところでウクライナを助けるべき」
3/2(水) 14:41配信
スポニチアネックス
(中略)
橋下氏は「こういう紛争が起きた時に、誰が解決できるかっていう当事者をしっかり定めないと、見誤ってしまうと思うんですよ」と言い、「ロシアとウクライナの紛争だから、ウクライナに全部の責任を負わせて、ウクライナ頑張れ頑張れっていうのは、僕は絶対に違うと思います」と述べた。
そして、「今回の紛争の本質は、ロシアと西側諸国、もっと言えばNATOですね。ここの安全保障のつば競り合いから、これはある意味、ウクライナが犠牲になっている」と指摘し、「僕は、ロシアにどんどん制裁をかけて国際圧力をかけて、もしかするとロシアが経済的に崩壊して、民衆の蜂起によって政権が倒れる場合がある、ないしは軍事クーデターが起きる。ロシアが倒れる可能性はありますよ。でも、そのロシアが倒れるまでの間、ずっとウクライナの人たちに戦わせるのかってことですよ」と問題提起。その上で「僕はやっぱりウクライナのゼレンスキー大統領も、もう自分たちの手に負えないから米国関与してくれと。ロシアの方も、いろんな主張の一つの中に、ヨーロッパの中の米国の核兵器を全部外に放り出せ、要は米国の方に紛争当事者の主体というものが移ってきている中で、米国、NATO含めてわれわれ西側諸国も“これはウクライナとロシアの紛争なんだから、とにかくウクライナの方に武器だけ提供して、お金だけ提供して、あとは徹底抗戦してくれ”、これ西側諸国の身代わりで戦ってるわけですから、ロシアが倒れるまでこのまま待つのか、だったら僕は西側諸国とロシアで政治的な妥結というところでウクライナを助けるべきだと思います」と自身の考えを述べた。
「
ロシアが倒れるまでの間、ずっとウクライナの人たちに戦わせるのか」――ウクライナの生活者たちの目線に合わせた意見、日本のロマンチスト・ヒロイストたちには決定的に欠けた見方です。ウクライナが西側諸国の代理戦争の捨て駒になっていることも言い当てた賢明な意見です。
これに対する下記意見。もはやつける薬がないのかもしれません。
でも妥協したら暴力の勝ちにならない?
それに仮に今回はウクライナが譲歩してロシアの言い分を飲んだとしても、今後ロシアが再侵略しないって保証は無いと思う。
その度にロシアの要求を飲むのか。
(以下略)
そう思うなら日本も参戦すべきでしょう。実際に血を流しているのがウクライナ人だからって、いい気になりすぎています。
ご立派なことをいっておいて、その実現は他人の流血に任せきっているのです。非常に卑劣な他力本願であると言わざるを得ません。■ならばなぜ、ウクライナ政府はわざわざベラルーシに赴いてまで停戦交渉を推し進めているのか?
「ここで停戦しても、いつまたロシアが再侵攻してこないとも限らないので、徹底抗戦すべきだ」という憶測に基づく意見も散見されるようになってきました。よほどウクライナが停戦したら不都合なのでしょう。「次は台湾、沖縄」らしいので、ここでウクライナに徹底的に戦い抜いて「侵攻は割に合わない」ことを天下に示さないと、矛先が「こっち」に来てしまうからなのでしょう(やはりウクライナは捨て駒だった)。
たとえば、「
「次元が違う、アホちゃうか」本田圭佑、ロシア侵攻問題への批判に反論「まともな議論ができる人がこれほど少ないとは」」(2/27(日) 15:05配信 SOCCER DIGEST Web)のコメント欄。
このことに関して一貫して言えるのは、戦争回避して、ウクライナが占領され、ロシアの傀儡政権が武力行使によて誕生した場合、この戦争よりも悲惨な結果が起きる可能性があるから戦っているわけで、この人は短期的な戦争の回避の論理しか話さず、ロシアの傀儡政権が誕生した後、よりウクライナ人が死ぬ可能性を考慮していなこと。
特にSNS等の情報収集が可能な現代社会において、民主的に統制されない政治を行った場合、内戦として、新たな闘争が起きる可能性をもう少し考慮すべきなのに、そこにまったく考えが及んでないんだよな
まともな議論がしたいなら、本当にもう少し大きな時間軸での犠牲者を考慮すべきだ
アパグループの「真の近現代史観」で国際政治学者としてデビューした「アパ系学者」(それはそもそも学者といっていいのか?)のアンドリー・グレンコ氏(京都大学でちゃんと取得した単位は本居宣長の研究・・・呆)も、「占領されれば粛清」と力説しているとのこと(「
橋下徹氏「国外退避も選択肢」 ウクライナ出身政治学者「占領されれば粛清」戦い継続の必要性訴え」3/3(木) 13:42配信 FNNプライムオンライン)です。
いずれも
まるで具体性・蓋然性がない指摘です。だいたい、17万人ないし19万人の兵力ではそもそも占領維持を目的としているとは到底思えません。それはさておき、
ならばなぜ、ウクライナ政府はわざわざベラルーシに赴いてまで停戦交渉を推し進めているのでしょうか? なぜ、徹底抗戦を貫き敵を国土から駆逐し、完全なる勝利を目指さないのでしょうか? 「
戦争回避して、ウクライナが占領され、ロシアの傀儡政権が武力行使によて誕生した場合、この戦争よりも悲惨な結果が起きる可能性がある」などという
根拠のない憶測、蓋然性に乏しい空想が「日本世論オリジナル」であることの証左でしょう。
ちなみに、ウクライナがNATO入りし、ロシアとNATO諸国との間に緩衝地帯がなくなり、ついに西側諸国がロシアに対して王手をかけた場合のほうが、よく多くの途方もない人命が失われるようにも思われます。良くも悪くも超大国同士が緩衝地帯を挟んで対峙しているときのほうが、冷戦構造のほうが「平和」でした。
「もう少し大きな時間軸で考え」ろというのであれば、ますますウクライナ人だけに流血させるわけにはいかないでしょう。しかし日本を含めた各国はウクライナに代理戦争を戦わせるに留まっています。本田氏は「
もし本当に助けたいなら武器を売ったり送ったりしんくていいから、軍隊を派遣して守ってあげてください」と述べました(「
本田圭佑がウクライナ情勢で発信「本当に助けたいなら軍隊を派遣して守ってあげて」」2/27(日) 15:04配信 東スポWeb)が、
ヤフコメでさえ「いやそれは第三次世界大戦になる・・・」と及び腰です。■77年前から進歩していなかった、もっと酷くなった
ロシアの再侵攻を恐れるのであれば、
前回記事でも述べたとおり、ロシアの事情、ロシアの動機への理解が欠かせないはずです。しかし、勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立及び「悪党」の主張には一切耳を傾けないによって、日本人は自らその道を閉ざしています。また、ウクライナを勝手に「民主主義の防波堤」に任命し、人類史的役割を押し付けて流血させています。
結果日本人は、前回記事でも述べたとおり、
プーチン大統領顔負けの「力の信奉者」に成り下がっており、また、ウクライナ人を捨て駒にしてその生活を無視しているのです。
相手の事情や動機に配慮せず相手を封じ込めようとすれば、力で抑え込むしかなくなります。大義を優先すれば生活が圧迫されることになります。日本人が、これほどまでに大義を好み好戦的だったとは。
力の信奉と大義優先の点において77年前から進歩していませんでした。そのうえ、卑劣な他力本願まで加わったわけです。関連記事:「
日本もプーチン大統領顔負けの「力の信奉者」:ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論について(1)」