2022年03月27日

火星砲17とアメリカ

http://dprkanalysis.info/news/news_detail_545.html
【火星17型】米専門家「今回のミサイル発射に進展はない」
ニュースリリース| 2022年03月27日(日)

 2022年3月24日に北朝鮮が大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射において「大きな進展がみられる」とは思えないと、元国務省国際安全保障・不拡散局拡散対抗担当筆頭次官補のヴァン・ヴァン=ディーペン(Vann Van Diepen)氏は述べました。ヴァン=ディーペン氏はVOAとのインタビューで、北朝鮮がすでに2017年にアメリカに到達できるICBMを2回発射していると前置きしたうえで、こう述べました。

 また、現在の北朝鮮のミサイル戦略を世界4位と評価し、ミサイル技術の相当部分を旧ソ連から獲得し、中国からは部品と原資材などをつねに調達していることは明らかだと指摘しました。2009年から16年まで、国務省筆頭次官補を務め、国家情報局長室で大量殺傷兵器担当官を務めるなど、アメリカ政府で34年間、大量殺傷兵器を扱った見去る専門であるヴァン=ディーペン氏に、チョ・ウンジョン記者がインタビューしました。

――北朝鮮が3月24日にICBMを発射しました。北朝鮮はこのミサイルが最大高度6248キロメートルまで上昇し、1090キロメートル、67分間飛行したと発表しました。今回の発射は大きな進展を意味しますか。

 大きな進展だったとは思いません。重要なことは、このミサイルがアメリカに到達できると思われることですが、北朝鮮はすでに2017年にそのような能力を持つICBMを2回発射しました。今回のミサイルは、大きさがより大きく、より重い搭載物を載せてそれなりに飛行できるということがちがいます。このミサイルは北朝鮮が開発したいと明らかにしてきた多弾頭を装着できる選択権を与えるものです。

――北朝鮮が頭技術を完成させたのでしょうか。

 北朝鮮はまだその技術を試していません。2021年1月、金正恩は多弾頭誘導技術を研究していると言及しました。しかし、多弾頭には2つの種類があります。より簡単なものは「多弾頭最新入体(MRV)」であり、いくつかの子弾が1つの目標地域に分散して着弾するものです。

 より精巧な技術は「個別誘導多弾頭再突入体(MIRV)」です。小さなロケット段階を活用して子弾が個別に操縦され、それぞれの最進入体が個別的に移動します。したがって、より遠く離れた目標物をより正確に打撃できるというものです。北朝鮮が2つのうちどちらの技術を推進しているかはわかりませんが、MIRVを完成させるためには多くの実験を繰り返さなければなりません。われわれはまだ、それほどの実験を目にしていません。

(中略)
――北朝鮮のミサイル戦力は、世界でどの程度だと評価されますか。

 評価は難しいですね。アメリカやロシア、中国ははるかにレベルが高く、有能なミサイル戦力を持っていることは明らかです。これ以外には、ミサイルの数で見ると北朝鮮とイランが次のレベルにあるでしょうか。私は北朝鮮をイランより上にあると見ています。北朝鮮は実際にICBMと潜水艦発射ミサイルを試験しました。また現時点で、より多様なミサイルを持っています。北朝鮮は世界4位とみることもできます。

――北朝鮮のミサイル開発のスピードがとても速く、多くの技術を外部から取り入れているとの分析もあります。1980年代、国務省でソ連の戦略軍を分析した経験をお持ちですね。この点について、どのようにご覧になりますか。

 北朝鮮のミサイル戦力についてよく知られていない部分は、いつ、どのように技術を、誰から輸入したのかということです。明らかに北朝鮮のムスダンミサイルはソ連のSS-N-6潜水艦発射弾道ミサイルと似ており、KN-23短距離ミサイルはイスカンデルのように見えます。北朝鮮がミサイル技術の相当部分を旧ソ連から獲得したことははっきりとわかります。

 火星17、12、14、15型に使われたエンジンも、旧ソ連のロケットエンジンととても似ているように見えます。また中国からは部品や原資材、化学品を絶えず調達していることは明らかです。これらすべてのことが、北朝鮮のミサイル開発に大きく進展を与えました。

――北朝鮮のミサイル開発は今後、どのような方向に進むでしょうか。

 北朝鮮にとって、それは技術的、軍事作戦の問題というよりは、政治的な問題です。北朝鮮指導部がどのようなメッセージを出したいのか、どのような能力を誇示したいのか、国際社会の反発にどれだけ心配するのか、これらすべての要件が次にどう動くかを決定するでしょう。

 はっきりしていることは、北朝鮮は核兵器保有国として見られることを望み、核ミサイル能力を維持しようとするだろう、ということです。また弾道ミサイルは北朝鮮にとって、とても重要な在来式戦闘能力になりました。現代的な空軍がないという点を補完します。北朝鮮は明らかにミサイルを通じて政治的メッセージを出すだけでなく、信頼できる抑止力、在来式戦争遂行能力を持とうとしています。
(以下略)
冷静さを装いつつも動揺を隠しきれない分析。「き、北朝鮮なんて大したことないもんね!」という強弁にも見えないこともない元米国務省人士であるヴァン=ディーペン氏の米政府系「ボイス・オブ・アメリカ」(VOA)とのインタビュー。

私は北朝鮮をイランより上にあると見ています」とのことですが、アメリカがかくもイランを目の敵にしつつも、武力で打倒できないがゆえにしぶしぶ外交的な枠組みの形成に尽力してきたところを見ると、それ以上の実力を持っている対朝鮮外交については、遠くないうちにイラン並み・またはそれ以上の形での外交的妥結の可能性があるということになるでしょう。
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2022年03月21日

ポリティカル・コレクトネス勢のマリア・シャラポワさん発言評の浅さについて

ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論動向については、ポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)的な動機に基づいて、ロシアによる侵攻について企業や著名人に対する「踏み絵」行為が全世界的に展開されています。たとえば、ウオッカ(現在実際に生産しているのは旧ソ連ラトビア)である「ストリチナヤ」が「ストリ」に改名されたというニュースが飛び込んできています(「ウォッカ「ストリチナヤ」改め「ストリ」に、ロシア軍事侵攻に抗議」2022.03.07 Mon posted at 15:30 JST cnn.co.jp)。言語的にもまったく意味不明、「ストリ」って何よ? 日帝が「敵性語」狩りに血眼になっていた昭和18(1943)年に強行された雑誌「キング」の「富士」への改題を彷彿とさせる所業です。

そんな混沌とした中で、ロシアの元テニス選手、マリア・シャラポワさんの振る舞いが話題になっています。

シャラポワさんはウクライナ侵攻に関して長く沈黙を保ってきましたが、3月10日(日本時間)になって「ウクライナで深刻化する危機の影響を受けている家族や子どもたちの映像や話に、ますます心を痛め、深い悲しみを感じてい」るとした上で、国際NGO「セーブ・ザ・チルドレン」の危機救済基金に寄付をすることを明らかにしたといいます(「シャラポワさん、ついに沈黙を破る。母国ロシアのウクライナ侵攻に初言及。子ども達の危機に「深い悲しみ」」3/10(木) 18:32配信 ハフポスト日本版)。これに対する反応は「コメント欄では「あなたの投稿を待っていました」「素晴らしい選択です」と歓迎する声が広がっている」(同上記事)とのことで、とりあえずポリコレ査定には合格したようです。

さすがはポリコレ。底の浅いこと浅いこと。さしづめ、ポリコレの発想は、「この侵攻はロシアが一方的に行ったものであり、ウクライナ国家及びウクライナ国民は被害者である」という現状認識を下敷きとして、彼らの文化大革命じみた「階級」的な二分法的認識ゆえに、「被害者たるウクライナの国民に寄り添い、その人道危機に対して支援を行うことは、その対極にあるロシアの全行動に対する最も痛烈な批判になる」といったところなのでしょう。ポリコレって非常に単純ですからね。しかし、ロシア政府のプロパガンダの文脈から考えたとき、「ロシアによる侵攻の肯定」と「ウクライナからの避難民に対する人道的支援」は両立しうるものであります。

プーチン・ロシア大統領の開戦時談話でも明確であるとおり、ロシア政府の公式的・プロパガンダ的には、ロシアはウクライナ国民を傷つけようとして今般の軍事行動に乗り出したわけではありません。ラブロフ外相は、ウクライナを攻撃していない」という持論を展開しています(「「ウクライナを攻撃していない」持論に終始…ロシア外相の発言意図は?専門家解説」3/10(木) 23:30配信 テレビ朝日系(ANN))。また、先日のマリウポリにある産科小児科病院爆撃事件についても、ロシア側は「ウクライナ軍が病院内で戦闘配置に就いていたせいだった」と取り繕っているところであります(「ロシア軍が停戦の時間中に病院を爆撃 気温は氷点下4度…負傷した赤ちゃんは凍死の恐れも、ロシア側は認めるも”強弁”」3/10(木) 15:22配信 中日スポーツ)。腹の内がどうなのかは別として、ロシア政府の公式的・プロパガンダ的には、ロシアはウクライナ国民を傷つけようとして今般の軍事行動に乗り出したわけではなく、民間人に被害が生じたとすれば、それはウクライナ側に全面的に責任があるという「論理」なのです

直接的かつ明白な証拠も提示しておきましょう。先般ロシアは国連に「ウクライナにおける支援のアクセスや市民の保護などを求める人道上の状況に関する決議案」なる独自のを提出しました(「国連安保理、ロシア独自の人道決議案を18日採決 侵攻の責任説明含まれず」3/17(木) 7:17配信 ロイター)。ロイター通信記事が報じているとおり、「ロシアのウクライナ侵攻に関する責任説明には言及されていないほか、停戦に向けた取り組みやロシア軍の撤退なども盛り込まれていない」ものの、ウクライナにおける支援のアクセスや市民の保護などを求める人道上の状況について、ロシアなりに考えているわけです。ロシア政府のプロパガンダの文脈においては、「ロシアによる侵攻の肯定」と「ウクライナからの避難民に対する人道的支援」は両立しうるものなのです。

その視点に立つと、シャラポワさんのインスタメッセージは、ロシアの独自的な人道決議を先取るものとも言い得るのではないでしょうか? シャラポワさんは、ウクライナ国民の人道危機について「深い悲しみ」とはするものの、ロシアによる侵攻自体には是非を言及していません。上述のとおり、ロシア政府のプロパガンダによればウクライナにおける人道危機の原因はウクライナ側にある訳で、ロシアによる侵攻自体のせいというわけではありません。シャラポワさん腹の内はわかりませんが、「ウクライナで深刻化する危機の影響を受けている家族や子どもたちの映像や話に、ますます心を痛め、深い悲しみを感じています。一刻も早くウクライナ軍は武器を置いてロシアの軍門に降ることを希望しますが、それを公言するとプルシェンコさん以上に炎上するので黙っておきます」かもしれません。しかし、ポリコレ勢はシャラポワさんの声明を表面的に舐めて真に受けています

ポリコレは、現時点において21世紀におれる政治運動の一大ムーブメントと言わざるを得ないものです。現職のアメリカ大統領だったトランプ氏を下して当選したバイデン現大統領の存在は、ポリコレの勝利以外の何物でもないと思われます。しかし、かくも底が浅かった。表面的な現象に一喜一憂するという傾向が、ここ一番の要点においても変わりなく発揮されたわけです。「ここ一番」においても「いつもと変わらない」ということは、それはすなわち、この底の浅さこそがポリコレの本性というわけです。

ポリコレ勢いわく、「沈黙は賛同と同じ」とのこと。大したものです。一介の労働者たる私の実感から申せば、1日に24時間しか持ち時間がないために、全世界のすべての事象の一つ一つについて深く探究・理解して意見発表することは現実的に不可能であり、それゆえに、いくつかの事件については「沈黙」せざるを得ないところです。ポリコレ勢は何か眠らないでも済むようなクスリでもやっているんでしょうかね?(嘲笑)

表面的な宣伝文句を真に受けて、公式的・プロパガンダ的な真意を見抜くことができない底の浅さが、ポリコレの実態であると言わざるを得ないということが、ウクライナ侵攻を巡るシャラポワさんのインスタメッセージへの論評から見えてきたように思われます。
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2022年03月20日

「北朝鮮」報道化したロシア報道:怪しげな情報源によるもの、希望的観測の継ぎ接ぎ等々

ロシアのウクライナ侵攻から開始から約3週間。ロシア軍の補給線が伸びていると言いますが、キエフ包囲網はじりじりと狭まっているとも言います。南部のへルソン州全域がロシア軍によって制圧されたというニュースも入ってきています。停戦は近いとも言いますが、両国・両軍とも音を上げる段階には至っていません。

日本にとってロシアは「敵性国家」であることから、ロシアによる侵攻の失敗を願う声にはひときわ大きいものがあります。また、大河ドラマ・歴史小説史観にドップリ浸かった日本世論は、今回の侵攻が典型的な南下政策であるにも関わらずプーチン大統領個人の「邪悪さ」に原因を求めています。

■怪しげな情報源によるもの、希望的観測の継ぎ接ぎ、ロシア国内にも一定数存在する異論派の言動を針小棒大取り上げた最近のロシア報道
「大嫌いなロシア・プーチンが泣きっ面になるのを一刻も早く見たいのに、まだまだその気配さえない」――今の世相はこんなところだと言えましょう。そのためかここ最近、「戦闘の長期化によりプーチンの求心力が落ちてきている」「政権内部で内紛が起きているようだ」「市民に被害が出るような攻撃は、プーチンの焦りの表れ」にはじまり、「経済崩壊間近」「政権転覆もありうる」、果ては「プーチンは病気だ」「正気を失った」といった記事が大量に出てくるようになってきました。

ザッと読む限り、怪しげな情報源によるもの、希望的観測の継ぎ接ぎ、そしてロシア国内にも一定数存在する異論派の言動を針小棒大取り上げたものであると言わざるを得ません

ロシア報道が「北朝鮮」報道のようになってきたわけです。「北朝鮮」報道も、怪しげな「内部情報筋」発の情報に始まり、「経済制裁が効いているので、北朝鮮はこの冬を越すことはできない」「クーデターは近い」「民衆蜂起の可能性」そして「最高指導者が重い病にかかっているので体制は長くない」といったニュースがここ20年ほどは定期的に出続けているところです。しかし、朝鮮民主主義人民共和国は今も赤旗を掲げ続けています。

■やたらに民衆蜂起の可能性をめぐって盛り上がっている日本の世論
「北朝鮮」報道化したロシア報道でとりわけ興味深いのは、歴史上一度たりとも民衆自身が新体制・新時代を開拓したことがない日本の世論が、やたらに民衆蜂起の可能性をめぐって盛り上がっていることであります。民衆蜂起によってレジームチェンジがあったフランスやアメリカの国民がロシアでの民衆蜂起の可能性を嗅ぎ付けて期待を寄せるのであればわかりますが、民族の経験としてやったこともないくせに軽々しく口にすることが不思議でなりません。

案の定、歴史的・社会的な経験・知見の蓄積が乏しいがゆえに、日本世論は、いったい今のロシアで誰がプーチン打倒の首領たり得るのか、誰がポスト・プーチンの器なのか、そもそも打倒に向けた全人民的気運=革命情勢が整っているのかについては、ほとんど分析できていません

「研究者」でさえもそうです。筑波大学の中村逸郎教授は、「「現政権が一気に崩壊する姿を見てきた」「民衆が一斉に動く」専門家が指摘 “反プーチン”のカギを握る“ソ連崩壊”という市民の記憶」(3/15(火) 10:37配信 ABEMA TIMES)及び「露TVスタッフ生放送で「NO WAR」訴え ロシア政治専門家「プーチン政権も終末を迎えてきてる」」(3/15(火) 16:54配信 スポニチアネックス)においてソ連崩壊を引き合いに出していますが、現状とソ連崩壊時の状況はかなり異なっているというべきです。

ソ連末期はすでに社会的には規律が弛緩しきり、アルマアタ事件やスムガイト事件のような統制を失った騒乱までもが発生していました。政治的にも最高会議に代わって人民代議員大会が設置されるも、混迷が深まる一方でした。そこにエリツィンが政治・社会の変革における組織者・指導者、新ロシアの首領然として現れたのでした。民衆は熱狂的にエリツィンを押し上げ、8月クーデターは失敗に終わり、加速度的にソ連は崩壊に突き進んでいきました。

今のロシアにソ連崩壊時のような社会的・政治的混迷はあるのでしょうか? 救世主的な首領は存在しているのでしょうか? とりわけ、個々人の多様な現状不満を糾合し、一定の方向に束ね上げる首領の存在は、実際の運動の組織だった推進においても大衆的熱意の高揚においても重要であります。ロシア連邦国歌には≪От южных морей до полярного края Раскинулись наши леса и поля≫というくだりがありますが、たとえばナワリヌイ氏にこれほど広大な全ロシアを新しいロシアとして導く首領としての力量はないと言わざるを得ないでしょう。中村教授の見立ては、社会政治的な背景・条件にも主体としてのロシア民衆の機運にも斬り込めていません

■あくまでも分析者の推測・憶測でしかないことが、いつの間にか既定路線にすり替わっている
また、「北朝鮮」報道においてもよく見られますが、相手側が言ってもいないこと、計画していないこと、あくまでも分析者の推測・憶測でしかないことが、いつの間にか既定路線にすり替わり、それが現実のものにならないことが分かるや否や「目論見、外れたり!」と騒ぎ立てる現象も見えてきました(※)。たとえば「「6月にロシアがなくなる?」木村太郎と4人の専門家が読み解く ウクライナ侵攻“結末のシナリオ”」(3/14(月) 17:24配信 FNNプライムオンライン)でジャーナリストの木村太郎氏は、例の「FSB職員の内部告発」を持ち出して「20万人を投入したが、例えば首都を制圧して大統領を殺したとしても、民衆を全部おさえるとすると50万人くらいの兵隊がいないといけない。それがいないうちに制裁が効いてきて、ロシアの経済は6月までに壊滅してしまう。それでロシアがなくなる」と述べています。

(※)チュチェ106(2017)年4月26日づけ「大規模砲撃演習を「極めて挑発的な威嚇」と認識できない単細胞な「世論」」から一部再掲します。
「4月25日核実験実施」という推測がいつの間にか既定スケジュールに脳内変換され、それが現実のものにならないと見るや、さらに脳内補完を強め、相手側の真意をまったく読み違える。自分たちの「推測」に過ぎないものが、いつの間にか「現実」のスケジュールに摩り替わっている・・・日本軍の戦略的敗北の過程――なぜかは分からないが連合国・連合軍の戦術・戦略を決めてかかり、それと異なる兆候を無視する――と瓜二つです。
真偽不明の「内部告発」文書など検証不可能である点において取るに足るものではないのですが、あえて乗っかってみれば、そもそもロシア地上軍の総兵力は、防衛省の『令和3年版防衛白書』によると33万人であります(P82)。この33万人には中央アジア方面や極東方面に配置される兵力もすべて含むので、ウクライナにだけ投入できるものではありません。これに対してウクライナの人口は、おおむね4000万人です。一般に軍事的な占領統治のためには民間人100人に対して兵士1人程度の割り当てが必要と言われています。朝鮮人民軍陸軍が100万人弱の大兵力を抱えているのは、統一戦争によってかなりの兵士が死傷したとしても南の占領維持が理論上可能であるように初期兵力を多めに抱えていると言われているとおりであります。

いくらプーチン大統領が「裸のツァーリ」として自軍の練度や士気などの質的側面について景気の良い報告しか受けていなかったとしても、量的側面はごまかしようがありません。ウクライナ軍の善戦は予想外だとしても、ウクライナの国民が4000万人もいることは初めから分かり切ったことであり、ずっと前から変化のないことです。今、ウクライナ戦線に投入されている20万人弱の兵力では足りないのはもちろん、全兵力を束にしてぶつけても足りないことは、初めから算数の問題として分かり切ったことです。

私は当初から、用意された兵力規模から見てロシアにはウクライナを直接統治する気はないだろうと述べてきました。実際にロシア軍の進撃ルートと制圧エリアは、いわゆる「ノヴォロシア」とよばれる地域(全域が制圧されたへルソン州はノヴォロシアにあたる)は別として、いずれも軍事施設や重要インフラといった要所ばかりを狙って侵攻しており、広いウクライナ全土から見れば「点と線」の支配であります。

しかし木村氏の発言のニュアンスだとまるで、ロシアはウクライナ全土を直接統治したがっているが兵力が足りなくなってきており頓挫しつつあると言わんばかりであります。もとよりロシアはそんなことは狙っていないと思われます。全土制圧の可能性を云々していたのは、一貫して米欧発のニュースです。

ちなみに私も「内部告発」文書を一応読みはしました。つまるところ怪文書でありどれが正本なのか分からないので、もしかすると木村氏が指すものとは別の「ニセモノ」を読んでしまった可能性もありますが、私が読んだものについていえば、「ゼレンスキーのほかにリーダーに据えられる玉がなく、挿げ替えたところでロシア軍が撤退したら持たない。占領統治? そんな兵力は元々ないだろ!」といった文脈でした。「兵力が足りなくなってきた・・・やばい」ではありませんでした。

■文学・芸術的なアプローチを併用することの重要性
このような世相の中にあって、ロシア人気質をよく知る佐藤優氏の「「モスクワ川に浮くぞ」と警告が…佐藤優が見たロシア大衆の感覚「プーチンの恐さがなければ大統領はつとまらない」」(3/14(月) 6:12配信 文春オンライン)は非常に参考になる記事でした。

西側の人間が、自分たちのモノの見方の枠内でいくら考えても、コトはロシアで起こっているので自ずと限界があるものです。ロシアに政変があるとすればロシア社会の主体であるロシア人の発想・内的論理に則ってシミュレーションする必要があるはずです。この点、近頃私は、社会分析にあたっては「名作」と呼ばれる文学や歌謡などの芸術作品に表れている思想等を読み取ることが一層重要度を増していると思いを新たにしています。

キム・ジョンイル同志は党組織指導部や宣伝扇動部での活動からキャリアをスタートなさいましたが、政治家や思想家としての著作より先んじて『映画芸術論』を代表作的に発表されたことに私は注目したいと思います。同著の中でキム・ジョンイル同志は、作品中の登場人物は読み手にとって人生のモデルになると指摘されています。名作として誉れ高い作品中の登場人物は、読み手が生きる時代環境とその心情に深く合致しているからこそ名作たり得るわけです。

このような芸術観をベースとしつつ、それを社会の統一指揮としての政治に応用し、さらに思想として体系的に整理なさった点に、キム・ジョンイル同志の天才的偉大性があると言えます。キム・ジョンイル同志による芸術の政治への応用の実践例を見るに、可能性に満ちているように思われます。私が共和国の政治を「音楽政治」として歌謡歌詞から党の意図や方向性を探ろうとしている(たとえば、チュチェ110・2021年1月30日づけ「朝鮮労働党第8回党大会について」)のは、このためであります。

また、ロシア文学者の大木昭男氏は、『現代ロシアの文学と社会―「停滞の時代」からソ連崩壊前後まで』(中央大学出版部、1993年)で、まさに今日でも発生している問題をはるか以前から指摘しています。大韓航空機撃墜事件について大木氏は「1983年9月に生じたソ連空軍機による大韓航空機撃墜事件は、ソ連に対するこれまでのマイナス・イメージを更に決定的なものにしてしまった感があった(中略)我が国ジャーナリズムの一部に、ソ連政府のこの事件に対する公式的態度をソ連の国民性の現われとみなす傾向が見受けられた」(P3)とのべ、脚注で「一例をあげれば、朝日新聞1983年10月6日夕刊の「経済気象台」の欄に、「今回の大韓航空機撃墜事件でソ連が示した反応は、ソ連の国民性の核といもうべき『過剰安全保障癖』の発現した交渉術(商法)の典型だった」とある」と書いています。まったく同じことがいま、ウクライナ侵攻批判とロシア民族批判の混同という形で再現されています。

大木氏は次のようにつづけます。「大韓航空機撃墜事件でソ連が示した反応は明らかに体制の論理によるものであって、民衆の思考・感情によるものではない。アフガン侵攻事件に関しても、ソ連の新聞にアフガンに出征した兵士の母の手記が掲載されたが、それは民衆と体制との乖離につながりかねない内容のものであった。(中略)我が国ジャーナリズムは体制の論理をソ連の国民性と混同して、それをソ連の国民性だと決めつけがちである。混同してはいけない、民衆の思考・感情こそはロシア人気質そのものであり、それこそがソ連の国民性の核をなすものというべきだ。第一級のソ連の文学・芸術家たちは民衆の思考・感情を把握して、その生活を作品の中に表現しているがゆえに、我々日本人はそれを通してソ連人の国民性をうかがい知ることができる」(P25)と。

もとより社会を分析するためにはその主体である人民大衆について、彼らがおかれている環境と、その思想状況について分析することから始める必要があるます。見るべきものが何であるかを絞らずにただ漠然と眺めていても、焦点が合うはずがなく「見えて」くるはずもありません

人民大衆が置かれた環境とその思想状況を社会科学的な方法や統計学的な方法で集約することも勿論、依然として有用かつ強力です。しかし、より情緒的、より感覚的に、より「発想」レベルに迫ろうとするとき、文学・芸術的なアプローチを併用することも必要なのではないでしょうか?

関連記事:5月10日づけ「「北朝鮮」報道化したロシア報道:「5.9戦争宣言」の予測を巡って
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2022年03月13日

最悪の場合「ベルリン市街戦」に至る日本世論、歴史に学んでいるように見えて経験に学ぶ愚者たる日本世論

ロシアのウクライナ侵攻が重大局面を迎えています。戦況はキエフ攻略秒読み、停戦交渉は難航しています。

この状況を受けて近頃は日本でも「停戦」がキーワードになっていますが、元大阪市長で弁護士、コメンテーターの橋下徹氏と、アパグループの論文コンクールでキャリアをスタートさせたアンドリー・グレンコ氏との議論(3月3日〜4日)が特に注目を集めました。今繰り広げられている「停戦」をめぐる日本世論は、多かれ少なかれこの論争を下敷きにしていると言えます。とりわけ、ウクライナを勝手に「民主主義の防波堤」に任命し、人類史的な役割を押し付け、ウクライナに徹底抗戦を期待する言説は、グレンコ氏の発言を拠り所にしてる感があります。

本稿では、これがいかにデタラメな主張であるかを考えてゆきたいと思います。

■一面的な徹底抗戦で凝り固まっており、非戦闘員の犠牲抑制がお座なりになっている
議論の概要は「橋下徹氏 ウクライナ出身の政治学者と大激論「どんどん国外退避したらいい」に「1度支配されたら」」(3/3(木) 12:35配信 スポニチアネックス)及び「ウクライナ出身の政治学者グレンコ氏 橋下氏との討論振り返り「誤解のないように言っときますけど…」」(3/4(金) 11:47配信 スポニチアネックス)に詳しいので、本稿ではこれを軸として以下述べてまいります。

両氏の発言を抜粋し整理してみましょう。まず橋下氏の発言を抜粋します。
祖国防衛のために命を落とすということが一択になるってことは、僕は違うと思う(中略)命を懸けて戦っていることには本当に敬意を表しますけれども、本当にそれだけなのか
戦況が有利になれば、交渉が有利になるって言うんだけれども、その間にどれだけのウクライナの人たちが命を失うのか。日本がかつて太平洋戦争でそういう時があった
命を懸けて戦う人はそれはそれで頑張ってもらいたいけれども、(中略)国外退避もそれは1つの選択肢としてある
本当に反ロシアで頑張っていた人、命を狙われる人、それを真っ先にまず国外退避するとか。祖国防衛のために命を落とすってことは、これは本当に尊いことですけれども、それ一択じゃないというのは、われわれ日本が太平洋戦争を経験している

次にグレンコ氏の発言を抜粋します。
国外退避させないからといって全員が兵的に戦争に行かされるわけではない(中略)例えばマンションが爆破された時に撤去や救援の活動だったり運搬だったり、いろんなサポートが必要(中略)この状況で。別にみんなが戦いに行くわけではありません
ロシアに支配されたら必ず殺戮が起こります。それはロシアという国の本質
330年間ずっとロシアの支配が続いたので、また同じことになるとそれこそ民族にとって悲惨なことになるので、ここで自由民主主義諸国にできる範囲で頑張ってもらって、なんとかここで食い止める必要がある(中略)エネルギー制裁を含めて最大限の制裁を科してウクライナに対して最大限に武器を提供したら、かなり食い止められる
まだ戦えるから戦っているという状態で、もし本当にどうしようもなくなってこれ以上の抵抗は犠牲が増えるだけで戦果につながる見込みが全くない場合は、苦しい判断をしなければならない場面も出て来るんですが、その時は(停戦等を――注釈)もちろん排除しない」(3月4日の補足発言)
ただ現時点で少なくとも食い止められているし、またロシアに対する世界の目が厳しいわけです(中略)誰も国民の総玉砕を目指しているわけではありません。このあたりはご理解いただきたいです」(3月4日の補足発言)

上掲の橋下・グレンコ論争におけるグレンコ氏の発言は次の2点に要約できるでしょう。
(1)ウクライナ政府の命令で18歳から60歳までの男性国民が国外退避できないからといって、戦闘員として強制的に武器を持たされているわけではなく、あくまでも非戦闘員としてガレキ処理等に従事するものである。
(2)いまはまだ戦い続けられる状況だから戦っているが、これ以上の抵抗は犠牲が増えるだけで戦果につながる見込みがまったくない場合は、戦いをやめることも苦渋の選択としてありうる。


一つずつ吟味してゆきましょう。まず(1)についですが、橋下氏の懸念・疑念が確信に変わったといってよいでしょう。グレンコ氏は「例えばマンションが爆破された時に撤去や救援の活動だったり運搬だったり、いろんなサポートが必要」と言いますが、ミサイル攻撃や空爆等で破壊され、いつまたミサイル攻撃や空爆があるか分からないような危険な場所に投入するために民間人を足止めすること自体を橋下氏は懸念しているわけです。武器を持たせて前線に立たせるだけが戦争ではありません。

太平洋戦争中、日本では防空法及び内務大臣の通牒により空襲時の国民退避が全面的に禁止されました。たとえば青森大空襲(昭和20年7月28日深夜)では、青森県知事が防空法を根拠に市民の自主避難を禁じ、青森市も自主避難者を配給台帳から抹消すると発表したため、市民らは避難できず、自主避難していた市民も帰宅せざるを得なくなり、まんまと米軍の焼夷弾の餌食になってしまいました。橋下氏は太平洋戦争を引き合いに出しています

橋下氏は「命を懸けて戦う人はそれはそれで頑張ってもらいたい」と言明しているとおり「戦うな」と言っているわけではありません。「それだけなのか」と言っているわけです。週明け7日の放送で「戦う一択ってことになると、住民避難がおろそかになってしまう」と述べている(「橋下徹氏 ウクライナからの避難に「国を捨てることでも何でもない。まずは一時避難なんだってことを」」3/7(月) 10:19配信 スポニチアネックス)とおり、抗戦一辺倒ではなくて非戦闘員・住民避難を並行して推し進めるべきだと述べているに過ぎないのです。

グレンコ氏及び彼の発言を拠り所にしている人たちは、この疑問に対して回答できていません。一面的な徹底抗戦で凝り固まっています。市民を無理やり戦わせていない点において「ベルリン市街戦」とは違うと言えるかもしれませんが、戦況を見誤ることで市民の避難が遅れて「スターリングラード攻防戦」のような事態に陥る危険性は十分にあります。それどころかグレンコ氏は「330年間ずっとロシアの支配が続いたので、また同じことになるとそれこそ民族にとって悲惨なことになる」などと述べてしまいました。「非戦闘員」という具体的なものではなく「民族」という概念的なものを持ち出してしまいました。さすがアパ学者、語るに落ちるとはこのことです。まさに橋下氏が懸念しているとおりの反応を見せているわけです。

■最悪でも「スターリングラード攻防戦」に留まるグレンコ論、最悪の場合「ベルリン市街戦」に至る日本世論
次に(2)についてですが、これは情勢判断が少し違うだけで実は両者の同じスタンスであるといえるものです。3月4日の補足発言でグレンコ氏は、まだ戦えるから戦っているという状態で、もし本当にどうしようもなくなってこれ以上の抵抗は犠牲が増えるだけで戦果につながる見込みが全くない場合は、苦しい判断をしなければならない場面も出て来るんですが、その時は(停戦等を――注釈)もちろん排除しない」と言明しています。

しかしながら、これが早稲田大学教授の有馬哲夫氏にかかると「橋下徹や玉川徹には理解不能…ウクライナ人が無条件降伏は絶対しない理由」(3/12(土) 6:02配信 デイリー新潮)で論じられているように捻じ曲げられてしまうようです。

有馬氏は、3ページ目の「誤った歴史認識」節以降、ダラダラと太平洋戦争末期について語っていますが、橋下氏らが議題の中心に据えている「非戦闘員の退避」とはまったく何の関係もなく、橋下氏らに対する反論になっていません。また、有馬氏は「(大戦末期の)決死の戦いがアメリカ将兵の死傷率を高め、それが「国体護持」の条件付き降伏案を引き出した」といいますが、硫黄島や沖縄戦といった日本軍の必死の抵抗がすべて終わった後に出されたポツダム宣言をおとなしく受諾しておけば、ヒロシマ・ナガサキはなかったはず。戦い抜けばよいというわけではないのです。その点、グレンコ氏が3月4日に補足的に「もし本当にどうしようもなくなってこれ以上の抵抗は犠牲が増えるだけで戦果につながる見込みが全くない場合は、苦しい判断をしなければならない場面も出て来る」と述べましたが、有馬氏の言い分にはそれに対応しているとみられる部分は見当たりません(この点、昭和天皇の聖断はまさに大英断だった言えますね)。有馬氏は「今ウクライナ人は、リトアニアではなくフィンランドがした選択をしている」といいますが、冬戦争においてフィンランドはマンネルヘイム線を突破されたあたりで損害に耐え難くなり(もちろんソ連も耐え難くなっていた)、停戦協定の締結に達しました。フィンランドは日帝のような「徹底抗戦」主義ではなかったわけです。

まさに、橋下氏らが懸念する「戦う一択ってことになると、住民避難がおろそかになってしまう」を有馬氏は期せずして確信に変えたわけです。「亡国の民の心情を想像せよ」などと檄を飛ばす有馬氏ですが、日帝が果たせなかったヒロイズム・ロマンチシズムを勝手にウクライナに投影して悦に入っているという他ないでしょう。

このほか、ロシアの軍事・安全保障政策を専門とする小泉悠氏の発言はより明確に危険な発想が現れています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a7b51f8dbb70c05d619a12e1bd1efbb581191b0
玉川徹氏が持論「ウクライナが引く以外にない」早期に降伏すべきと発言
3/4(金) 11:16配信
デイリースポーツ

(中略)
 玉川氏は太平洋戦争を例に挙げ、日本が「もっと早く降伏すれば、例えば、沖縄戦とか広島、長崎の犠牲もなかったんじゃないかと思います」と述べた。

 これに対して、東京大学先端科学技術研究センター専任講師の小泉悠氏は「日本の場合、自分から戦争を始めて、アメリカにものすごい反撃を食らったという事例ですよね。今回、ウクライナには何の非もないのに、ロシア側から侵攻された。早く降伏すべきだというのは道義的に問題のある議論」と日本とウクライナの置かれた立場の違いを指摘した。

(以下略)
前述のとおり、グレンコ氏のスタンスでは、ベルリン攻防戦のように一般市民にも武器を持たせることはないにしても、戦況を見誤ることで市民の避難が遅れてスターリングラード攻防戦のような事態に陥る危険性は十分にあります。それに対して、小泉氏の発言のとおりにしてしまうと、これはベルリン市街戦以外には道はなくなってしまいます

グレンコ氏の徹底抗戦と、有馬氏・小泉氏の徹底抗戦とは天と地ほどの違いがあります。前者は最悪でも「スターリングラード攻防戦」に留まるものの、後者は最悪では「ベルリン市街戦」に至ってしまうわけです。これを平和ボケと言わずしてなんというのでしょうか? まさに橋下氏らが批判する発想そのものであります。

大義や筋論などの抽象的なものを優先して生身の人間の生活を軽視する危険な発想、徹底抗戦=ベルリン市街戦のような凝り固まった危険な発想が、大手を振っています。

■歴史に学んでいるように見えて経験に学んでいる愚者
ところで、グレンコ氏をはじめとする「徹底抗戦」派は、程度と表現の差こそあれ、ウクライナがロシアに「降伏」すると、必ず粛清・殺戮が起こると述べています(橋下氏らは決して「降伏」を勧めているわけではなく、現時点ではあくまでも「非戦闘員の退避」に過ぎないのですけどね。。。このあたりも、「凝り固まっている」ことの証左でしょう)。たとえばグレンコ氏は上掲記事で次のようにのべました。
もしここでロシアに全土を占領されたら結局、犠牲者が増えるだけなんです。ロシアは必ず粛清を始めます。ウクライナで反ロシア的な発信をしていた人は何万人どころか何十万人いるんですね。制圧されたら殺戮が始まります。そう考えると戦って食い止める方が最終的に犠牲は少なく済む可能性があるので、ここで世界(各国)にできる支援をしてもらって何とかとどまる。その方が最終的に犠牲者が少なくて済むことにつながると思います
ロシアに支配されたら必ず殺戮が起こります。それはロシアという国の本質なんですね

また、深月ユリア氏は次のように述べています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6ab954555cb5c7238934bcb47b7b0e750b41e5b4
スターリンによるウクライナの「人工飢饉」繰り返される悲劇 グレンコ氏「占領ならロシア化政策」
3/5(土) 17:00配信
よろず〜ニュース

(中略)
 2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、現在も戦闘が続いている。ロシアとウクライナの軍事力の差は月とスッポンほどあり、米軍もNATOもウクライナ支援の軍隊を派遣しなかったため、各国世論、メディアから「キエフはすぐに陥落する」という見解が多かったが、ウクライナは善戦している。かつて、ウクライナはソ連の支配下でジェノサイドされた歴史があり、親ロシア派のウクライナ人以外は何が何でもロシアの支配下に入りたくないのだ。

 1932年から33年にかけて、ソ連の独裁者スターリンはウクライナで「ホロドモール」といわれる人為的な大飢饉(ききん)を引き起こした。

 ソ連では1926年頃から農作物が不足し、当時「ヨーロッパのパンかご」と呼ばれるほどの豊かな穀倉地帯だったウクライナはスターリン政権の政策に都合よく利用されてしまった。ソ連はウクライナの農業の集団化(コルホーズ)を進め、農家で収穫された穀物のほとんどが徴収され、国外に輸出されたため、ウクライナ地域の国内に流通させる農作物が足りなくなってしまった。

 さらに、スターリン政権はウクライナ地域に共産党メンバーを送り込み、ウクライナ農民を徹底的に監視し、穂を刈るだけでも「人民の財産を収奪した」という罪状で10年の刑、「飢え」という言葉の使用も禁止された。食べ物がなくなった人々は死体を食べるようになり、チフスなどの疫病もまん延した。ホロドモールによってウクライナでは人口の20%が餓死し、正確な犠牲者数は記録されてないものの、400万から1450万人以上が亡くなったと言われている。

 多くのウクライナ人は再びロシアの占領下に入ると、「人工飢饉」はなくともジェノサイドの歴史が繰り返されるのではないか、と恐れている。

(以下略)
よく「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といいますが、その意味ではグレンコ氏及び深月氏は、「歴史に学んでいるように見えて経験に学んでいる愚者」というべきでしょう。

「歴史に学ぶ」とはどういうことでしょうか? 単に過去にあった事実を引き合いに出して「前はこうだった! だからきっと次もこうなる!」と言い張ることではありません。過去の事象をその条件・構造から科学的に分析し、現代において同じ条件・構造があるかを見抜いたうえで、同様の事象が再現し得るかということを見通すのが「歴史に学ぶ」ということです。

その点、グレンコ氏及び深月氏の主張には、過去にウクライナを苛酷に支配したロシアと現代ロシアとの異同をまったく語っていません。単に「ロシア=ソビエト=スターリン」という漠然としたイメージに乗っかって印象論を述べているに過ぎないのです。

そもそもロシア=ソビエトではないし、ソビエト=スターリンでもないし、スターリン=ロシアでもありません。深月氏が持ち出すホロドモールのような赤色テロは、ウクライナだけが被害者ではありませんでした。ホロドモールの最高責任者だったスターリンと、その実行担当だったカガノーヴィチは、あの当時、ウクライナ以外にもロシアやカフカス、カザフなどで同じような赤色テロを展開し、ソビエト全土に災禍をバラまいていました。スターリン統治の被害者はウクライナだけではないのです。

また、スターリンは1953年に死亡しましたが、ソビエト連邦はその後40年近く存続しました。その間、ホロドモールのような赤色テロは二度と起こりませんでした。スターリンの統治だけでソビエト連邦の全歴史を語るのはあまりにも無茶であります。

さらに今、プーチン大統領個人の「邪悪な個性」とウクライナ侵攻とを結び付ける向きがありますが、その議論に乗っかれば、指導者個人の個性という意味では、スターリンはグルジア人でした。スターリンの指導下でウクライナの共産党責任者を務めていた人々についていえば、カガノーヴィチはユダヤ人、コシオールはポーランド人、フルシチョフはウクライナ人でした。決して「邪悪なロシア人がウクライナ人を支配していた」わけではないのです。

このように、ロシア=ソビエトではないし、ソビエト=スターリンでもないし、スターリン=ロシアでもないのです。

■総括
最悪でも「スターリングラード攻防戦」に留まるグレンコ論に対して、最悪の場合「ベルリン市街戦」に至ってしまうような言説が大手を振っている日本世論。それも、グレンコ論を歪曲したうえで「ベルリン市街戦」のような結論にもっていくあたり、「病状」は深刻であると言わざるを得ません。

また、歴史を条件や構造に注目して現代との異同をて分析するのではなく、単に「前はこうだった! だからきっと次もこうなる!」と言っているに過ぎない言説も大手を振っています。「歴史に学んでいるように見えて経験に学んでいる愚者」が跳梁跋扈している日本世論。これもまた、「病状」は深刻であると言わざるを得ません。
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2022年03月06日

力の信奉と大義優先の点において77年前から進歩せず、卑劣な他力本願まで加わった:ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論について(2)

ロシアのウクライナ侵攻をめぐる日本世論の特徴について、前回に引き続き論じたいと思います。前回提唱した下記5項目のうち、今回は(1)及び(2)について若干のアップデートを加えたのちに、予定どおり(4)及び(5)について論じます。

(1)勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立
(2)「悪党」の主張には一切耳を傾けない
(3)「個人の意志」の過大評価
(4)生身の人間の生活を軽視し、大義や筋論などの抽象的なものを優先する
(5)他力本願

関連記事:「日本もプーチン大統領顔負けの「力の信奉者」:ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論について(1)

■戦況という根本的な事実から出発しない日本世論
侵攻から1週間以上たった今月4日、NHKはようやく2月24日のプーチン大統領の開戦演説を全文和訳しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220304/k10013513641000.html
【演説全文】ウクライナ侵攻直前 プーチン大統領は何を語った?
2022年3月4日 18時25分

2月24日に突然、ロシアがウクライナを侵攻。その日、侵攻直前に、ロシアの国営テレビはプーチン大統領の国民向けの演説を放送しました。
プーチン大統領は何を語ったのか?
演説全文は次のとおりです。

(以下略)
先に手を出したほうの動機が1週間も報じられていなかったというのは驚愕すべきことです。ロシア語の翻訳にこんなに時間がかかったはずがありません。ヤフーニュースで個人記事を発信している今井佐緒里氏がせっせせっせと個人ワークとして訳出を完了させているくらいなのですから。いくら「悪党」の主張には一切耳を傾けないが「日本文化」だといっても、度を越していると言わざるを得ないでしょう。報道が事実から出発していないのです。

事実から出発しない報道は、このほかにも戦況報道の軽視にも表れています。

開戦以来の一般商業メディアによる情勢報道を見ていると、すべての根本であるはずの戦況報道が非常に貧弱であると言わざるを得ません。ここ数日(2月28日の週後半から)ようやく両国の勢力範囲を色分けした地図を軸に番組進行されるようになってきましたが、それまでは「国際社会」の反応だの反戦デモがあっただのという本筋ではない部分の報道ばかりが氾濫していました。

戦争は政治の延長線上にあり、軍事力は「実力行使の政治」という点において政治的解決方法の一つであるわけですが、単なる政治ではありません。戦争は特殊な政治であり、すべての根本は戦況にあります。停戦・講和の有利不利はその時点での戦況の有利不利と非常に密接に関係しています。戦争報道は戦況報道を基本とすべきなのです。

ようやく色分け地図を軸に報道されるようになっては来たものの、依然として戦況の行方が見えてきません。たしかに現在、ウクライナ軍は善戦しているとされますが、徐々に後退していると言わざるを得ないところです。しかしそうした戦況は日本メディアを見ているとよく見えてきません。このまま戦争が長期化したとき、ウクライナ軍に「勝ち目」があるのか否か誰もが言及を避けているのです。

少ない情報の中から推測するに、たとえば「「戦闘の前線で罪償える」ウクライナ大統領、軍事経験ある受刑者釈放」(2/28(月) 21:33配信 朝日新聞デジタル)という記事を見る限り、ウクライナは相当追い込まれているように思えてなりません。「ロシア軍、ウクライナ南部の要衝オデッサ攻略を視野か 首都包囲も着々」(3/6(日) 13:19配信 産経新聞)は珍しくよくまとまった戦況報道ですが、やはりかなり厳しいようです。

「正義が負ける」というのは日本的勧善懲悪においてはバッドエンド以外の何物でもありません。そして日本においては言霊信仰の影響からか、不吉なこと・あってはならないことを口にすることを憚る傾向があります。冷静な分析を口にすると白い目で見られることがザラにあるものです。その一方で、「善戦」や「持ちこたえている」といった報道が非常に好まれます

■ウクライナの「大本営発表」を垂れ流す
そのため、「ロシア軍の戦車を防ぐため...ウクライナ軍兵士が橋の上で自爆」(2/26(土) 19:34配信 WoW!Korea)や「「1人死んだらあとはみんな逃げた」ハリコフ住民がロシア軍撃退の様子を語る」(2/28(月) 12:46配信 ロイター)といった類、ウクライナ軍が「善戦している」という如何にも「戦意高揚モノ」というべきニュースが目立っています。また、ウクライナ軍が市民に火炎瓶の製造を呼びかけた(「ロシア軍がキエフ市内に 「火炎瓶を作ろう」との呼びかけも 呼びかけ チェルノブイリ原発では放射性廃棄物の格納施設が被弾か」2/25(金) 18:45配信 ABEMA TIMES)という「徹底抗戦」系のニュースなどが盛んに報じられています

これらの中で私はとりわけ、ウクライナ軍が一般市民に対して「火炎瓶を作ろう」と呼びかけたことを日本メディアが無批判に報じていることに、二重の驚きを感じざるを得ませんでした

非戦闘員に攻撃用武器の製造を呼びかけるのはマトモな政府軍がやることではありません。これが横行することは政府軍が便衣兵を導入することと同じであり、戦闘員と非戦闘員との区別がつきにくくなるからです。両者の区別がつきにくかったベトナムやイラク、アフガニスタンでは、極限状態の継続で精神がおかしくなってしまい疑心暗鬼にかられた兵士たちが些細なことに過剰反応し、現地民間人を戦闘員扱いして拷問・虐殺するという過ちが起こってしまいました。

国際人道法は、軍人などの戦闘員に対して「攻撃に従事している間または攻撃に先立つ軍事行動に従事している間、自己を一般住民から区別すべき義務を負う」とし「非戦闘員の地位を装う事は、背信行為として糾弾される」としています。非戦闘員を戦闘に巻き込む行為や巻き込む可能性のある行為は禁じられているのです。ウクライナ軍の呼びかけは、戦闘員と非戦闘員との区別をつきにくくすることであり、結果的に非戦闘員を戦闘行為に巻き込むことに繋がります。自国民を危険にさらすことに他ならないのです。我が目を疑いました。

そして、こんなマトモな政府軍ならやらないような呼びかけを「国民一丸となって徹底抗戦している」ことの象徴であるかのように報じる日本メディア「ロシアという巨悪と戦う正義のウクライナ」という二分法に凝り固まっているとすれば、つける薬はもはや無いと言わざるを得ないでしょう。

■単純な善悪二分法に楔が打たれつつある
おそらくウクライナ側は国際世論を味方につけ、まさにベトナム戦争反戦運動のようなムーブメントを再現しようとしているものと思われます。それゆえ全方位的に外交攻勢を強めています。このこと自体は当然のことです。しかしちょっとやりすぎたのか、「善対悪の闘争」に自ら楔を打つような形になっています。

たとえば「ウクライナ大使、東京タワーに「ウクライナ色」ライトアップ依頼も「拒否されました」と報告」(3/4(金) 16:57配信 中日スポーツ)のコメント欄。
表現の問題があると思うので、表現は何割引きかで見て冷静に反応してほしい。

ただライトアップするかしないかの決定権は、タワー側にあり、政治的な問題に介入したくないならお断りはありだと思う。というか、日本も他人事でない分、悪目立ちしたくないのもあるね。

断られたことに傷ついた気持ちはわかるけど、それをTwitterに流すのは相手を攻撃する行為。
海外なら主張するのが悪いことではないし、国民の反応ももっと無関心だと思う。
でも日本だと謙譲の精神を尊ばれるので、逆効果。
日本人向けの広報をしてくれるアドバイザーを入れたほうがいいよ〜。
たしかに、こういった「他人にあからさまに善意を要求すること」は、現代日本においてはあまり好まれない傾向にあります。

東京スカイツリーがウクライナ色に? 大使館ツイートで話題も...運営会社「点灯した事実ない」」(2/28(月) 11:36配信 J-CASTニュース)のコメ欄にも。
ロシア政府の戦争には心より反対ですが、ウクライナ側の無意図ではありえない積極的な情報戦略には不快感があります。

ズミイヌイ島の防衛隊13人は「くたばれロシア軍艦」と返して全滅したと発表しスローガンにもなりましたが、他ならぬウクライナ海軍が防衛隊は投降して生存していた旨のちに発表しました。生きてて何よりですが、当初の発表はどう贔屓目に見ても「未確認の情報を見切り発車した」以上にはなりません。それも性質的には尾ひれのついた英雄的な方向にです。

コルスンスキー駐日大使は「鈴木副大臣が面会を拒否している」と名指しで投稿しましたが、副大臣は「面会要請の申し出はなかった」と言い、林外相は「面会を拒否した事実はない」と言って食い違うと、誤解があったと翻しましたが、それなのになぜ名指しで言ったんです?

場外乱闘しようと変なことしないでください。侵攻には反対でも、とても不信感があります。

そして「プーチンは侵略者だとしても、日本人はウクライナのプロパガンダを丸呑みにしてもいいのか?」(辻田真佐憲 近現代史研究者  3/5(土) 20:02)。もちろんまだ全体的な傾向にはなっていませんが、「ウクライナ絶対善」というわけではなくなり始めています

■日帝崩壊から77年経っても日本人は清算し切れていない「大義」優先
それでは予定どおり、「(4)生身の人間の生活を軽視し、大義や筋論などの抽象的なものを優先する」及び「(5)他力本願」について論じたいと思います。

ウクライナに対して徹底抗戦を「求める」言説には、生身の人間の生活を軽視し、大義や筋論などの抽象論を優先する日本人の悪しき習性もまたよく表しています。「橋下徹氏 ロシアのウクライナ侵攻に「NATOが一定の政治的妥結をすれば戦争が終わるんだったら…」」(2/28(月) 9:06配信 スポニチアネックス)のコメント欄には次のコメントが寄せられています。
橋下氏の発想は、所詮他人事的な軽薄で無責任だと思う。
核兵器を保有する軍事大国が核兵器で威嚇しながら国境を越えて軍事侵攻したことに対し、如何なる理由があろうとも国際社会は一致団結してその様な指導者を排除すべきで有り、戦争終結のために妥協や譲歩をするべき時では無いと思う。
ブダペスト覚書に署名し核兵器を放棄したウクライナに対して国際社会が見捨てるようなことをして、核保有国の横暴を容認することにならば、世界規模で核兵器の保有が拡大していくことになる。
既に日本でも核兵器保有の議論が出てきている。
むしろ、この機会に核保有国の横暴は国際社会が絶対に許さないと示すことこそ最優先で取り組むべきだと思う。万が一にでもロシアによる軍事侵攻でロシアが利益を得る事が有れば核保有国による横暴は世界規模で広がり核兵器保有国が増える。
世界が経済で繋がっている今こそ徹底的な経済封鎖で平和を勝ち取るべきだと思う。
ウクライナを勝手に「民主主義の防波堤」に任命し、人類史的な役割を押し付けているというほかない言説であります。とりわけ腹立たしいのは、「むしろ、この機会に核保有国の横暴は国際社会が絶対に許さないと示すことこそ最優先で取り組むべきだと思う」というくだりです。よくもウクライナ人の血が流れている状況でこんなことを言えたものです。ウクライナを、新冷戦時代におけるロシア封じ込め、そして自己満足的なロマンチシズムとヒロイズムのための「捨て駒」にしているようにしか見えないものです。

生身の人間の生活を軽視し大義や筋論などの抽象的なものを優先する価値観は、日帝崩壊から77年経っても日本人は清算し切れていないようです。

考えてもみれば、エンターテイメントとして根強い人気を長年保ち続けている戦国時代や明治維新期を題材にした大河ドラマや歴史小説は、民衆の負担など一顧だにせず武将や志士らのロマンチシズムやヒロイズムばかりを描いてきました。このような大河ドラマ・歴史小説的な社会歴史観に完全に毒され、作り話と現実との区別がつかなくなったのが現代日本の現実なのかもしれません。

■ウクライナ人を「捨て駒」にしているに過ぎない他力本願
もっとも、それこそ武将や志士らのように自ら率先して身命を賭せば文句はありません。しかし、今般のウクライナ情勢においては日本を含めて何処の誰もウクライナには加勢していません。「米、ロシア中銀の資産凍結」(2/28(月) 21:36配信 共同通信)という記事のコメント欄には次のコメントが寄せられています。
最初欧米はウクライナを見捨てようとしてたが、今は世界中がウクライナの味方だ。ロシアへの経済制裁に加え、ウクライナに武器も支援している。なんとか戦争を止めようとしている。これはゼレンスキー大統領とウクライナ国民が自由のために絶望的な戦争でも諦めずプーチンに徹底抗戦しているからで、ニュースやSNSを通じて世界の人の心を動かしたからだ。欧米がウクライナを助けようと動いているのを見て、自分は涙を流すほど感動した。もしゼレンスキー大統領が真っ先に海外逃亡したり、ウクライナ国民が戦いもせずあっさり降伏していたらこれほど世界の関心を買うこともなかっただろう。
自分で戦おうともしない他国民を助ける国はない。もし日本が攻められたとしても、まず日本国民が戦わなければアメリカ軍とアメリカ世論は日本を積極的に助けない。日本も中国と抗戦できる軍と法律を持つべきだ。
涙を流すほど感動したとのことですが、お言葉ですが、「世界」なるものがウクライナの味方をしているのは主に言葉の上であり、ようやく最近になって不十分極まる金融封鎖(もどき)や「死の商人」としての暗躍が見受けられるようになってきたところに過ぎません。いまだにウクライナ人以外は攻防戦の戦闘員としては血を流していないのです。

そして、これらの金融封鎖もどきや死の商人役は、必ずしも純粋に「ウクライナのため」とは言い切れないものであります。新冷戦におけるロシア封じ込めの一環という真の目的の存在を疑わざるを得ないところです。とりわけ、(大統領個人の意志は別として)地政学的にロシアに協力せざるを得ないがウクライナ侵攻については直接関与はしないというギリギリの選択をしたベラルーシを、ロシアもろとも「制裁」の対象とすることは、単に「ロシアによるウクライナ侵攻を止めさせる」以上のドサクサ紛れの目的があると疑わざるを得ません。

また、武器の援助的供給については、米ソ冷戦期を思い起こせば典型的な「代理戦争へのテコ入れ行為」であり、また「武器の見本市」でありました。廉価または無償で戦争当事国に武器を供給し、それ以外の潜在的な戦争地域に対して「実演販売」するわけです。あるいは、プリンターのインク商法ならぬ武器の弾薬商法で一儲けするわけです。歴史的に見て「武器供与」はまったくをもって純粋な動機によるものではありませんでした。

つまるところ、いま「ウクライナとの連帯」という美名の下で行われていることは、他人をおだて上げて他人に負担を押し付けていることに過ぎません。ウクライナ人を「捨て駒」にしているに過ぎないのです。

以前から私は、一分一秒を連綿として生きる生身の人間、生活者の時間感覚と、十年百年のタイムスパンで考える革命家や歴史家などの時間感覚にはズレがあると述べてきました。そして為政者は、十年百年の大計を考えつつも生活者の一分一秒を軽視してはならないと述べてきたところです。橋下徹氏は、3月2日には次のように語ったといいます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ce1db083f4eb406b119be019fe015bac3fa45ac
橋下徹氏 ロシアの侵攻に私見「西側諸国とロシアで政治的な妥結というところでウクライナを助けるべき」
3/2(水) 14:41配信
スポニチアネックス

(中略)
 橋下氏は「こういう紛争が起きた時に、誰が解決できるかっていう当事者をしっかり定めないと、見誤ってしまうと思うんですよ」と言い、「ロシアとウクライナの紛争だから、ウクライナに全部の責任を負わせて、ウクライナ頑張れ頑張れっていうのは、僕は絶対に違うと思います」と述べた。

 そして、「今回の紛争の本質は、ロシアと西側諸国、もっと言えばNATOですね。ここの安全保障のつば競り合いから、これはある意味、ウクライナが犠牲になっている」と指摘し、「僕は、ロシアにどんどん制裁をかけて国際圧力をかけて、もしかするとロシアが経済的に崩壊して、民衆の蜂起によって政権が倒れる場合がある、ないしは軍事クーデターが起きる。ロシアが倒れる可能性はありますよ。でも、そのロシアが倒れるまでの間、ずっとウクライナの人たちに戦わせるのかってことですよ」と問題提起。その上で「僕はやっぱりウクライナのゼレンスキー大統領も、もう自分たちの手に負えないから米国関与してくれと。ロシアの方も、いろんな主張の一つの中に、ヨーロッパの中の米国の核兵器を全部外に放り出せ、要は米国の方に紛争当事者の主体というものが移ってきている中で、米国、NATO含めてわれわれ西側諸国も“これはウクライナとロシアの紛争なんだから、とにかくウクライナの方に武器だけ提供して、お金だけ提供して、あとは徹底抗戦してくれ”、これ西側諸国の身代わりで戦ってるわけですから、ロシアが倒れるまでこのまま待つのか、だったら僕は西側諸国とロシアで政治的な妥結というところでウクライナを助けるべきだと思います」と自身の考えを述べた。
ロシアが倒れるまでの間、ずっとウクライナの人たちに戦わせるのか」――ウクライナの生活者たちの目線に合わせた意見、日本のロマンチスト・ヒロイストたちには決定的に欠けた見方です。ウクライナが西側諸国の代理戦争の捨て駒になっていることも言い当てた賢明な意見です。
 
これに対する下記意見。もはやつける薬がないのかもしれません。
でも妥協したら暴力の勝ちにならない?
それに仮に今回はウクライナが譲歩してロシアの言い分を飲んだとしても、今後ロシアが再侵略しないって保証は無いと思う。
その度にロシアの要求を飲むのか。

(以下略)
そう思うなら日本も参戦すべきでしょう。実際に血を流しているのがウクライナ人だからって、いい気になりすぎています。ご立派なことをいっておいて、その実現は他人の流血に任せきっているのです。非常に卑劣な他力本願であると言わざるを得ません。

■ならばなぜ、ウクライナ政府はわざわざベラルーシに赴いてまで停戦交渉を推し進めているのか?
「ここで停戦しても、いつまたロシアが再侵攻してこないとも限らないので、徹底抗戦すべきだ」という憶測に基づく意見も散見されるようになってきました。よほどウクライナが停戦したら不都合なのでしょう。「次は台湾、沖縄」らしいので、ここでウクライナに徹底的に戦い抜いて「侵攻は割に合わない」ことを天下に示さないと、矛先が「こっち」に来てしまうからなのでしょう(やはりウクライナは捨て駒だった)。

たとえば、「「次元が違う、アホちゃうか」本田圭佑、ロシア侵攻問題への批判に反論「まともな議論ができる人がこれほど少ないとは」」(2/27(日) 15:05配信 SOCCER DIGEST Web)のコメント欄。
このことに関して一貫して言えるのは、戦争回避して、ウクライナが占領され、ロシアの傀儡政権が武力行使によて誕生した場合、この戦争よりも悲惨な結果が起きる可能性があるから戦っているわけで、この人は短期的な戦争の回避の論理しか話さず、ロシアの傀儡政権が誕生した後、よりウクライナ人が死ぬ可能性を考慮していなこと。
特にSNS等の情報収集が可能な現代社会において、民主的に統制されない政治を行った場合、内戦として、新たな闘争が起きる可能性をもう少し考慮すべきなのに、そこにまったく考えが及んでないんだよな
まともな議論がしたいなら、本当にもう少し大きな時間軸での犠牲者を考慮すべきだ
アパグループの「真の近現代史観」で国際政治学者としてデビューした「アパ系学者」(それはそもそも学者といっていいのか?)のアンドリー・グレンコ氏(京都大学でちゃんと取得した単位は本居宣長の研究・・・呆)も、「占領されれば粛清」と力説しているとのこと(「橋下徹氏「国外退避も選択肢」 ウクライナ出身政治学者「占領されれば粛清」戦い継続の必要性訴え」3/3(木) 13:42配信 FNNプライムオンライン)です。

いずれもまるで具体性・蓋然性がない指摘です。だいたい、17万人ないし19万人の兵力ではそもそも占領維持を目的としているとは到底思えません。それはさておき、ならばなぜ、ウクライナ政府はわざわざベラルーシに赴いてまで停戦交渉を推し進めているのでしょうか? なぜ、徹底抗戦を貫き敵を国土から駆逐し、完全なる勝利を目指さないのでしょうか? 「戦争回避して、ウクライナが占領され、ロシアの傀儡政権が武力行使によて誕生した場合、この戦争よりも悲惨な結果が起きる可能性がある」などという根拠のない憶測、蓋然性に乏しい空想が「日本世論オリジナル」であることの証左でしょう。

ちなみに、ウクライナがNATO入りし、ロシアとNATO諸国との間に緩衝地帯がなくなり、ついに西側諸国がロシアに対して王手をかけた場合のほうが、よく多くの途方もない人命が失われるようにも思われます。良くも悪くも超大国同士が緩衝地帯を挟んで対峙しているときのほうが、冷戦構造のほうが「平和」でした。

「もう少し大きな時間軸で考え」ろというのであれば、ますますウクライナ人だけに流血させるわけにはいかないでしょう。しかし日本を含めた各国はウクライナに代理戦争を戦わせるに留まっています。本田氏は「もし本当に助けたいなら武器を売ったり送ったりしんくていいから、軍隊を派遣して守ってあげてください」と述べました(「本田圭佑がウクライナ情勢で発信「本当に助けたいなら軍隊を派遣して守ってあげて」」2/27(日) 15:04配信 東スポWeb)が、ヤフコメでさえ「いやそれは第三次世界大戦になる・・・」と及び腰です。

■77年前から進歩していなかった、もっと酷くなった
ロシアの再侵攻を恐れるのであれば、前回記事でも述べたとおり、ロシアの事情、ロシアの動機への理解が欠かせないはずです。しかし、勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立及び「悪党」の主張には一切耳を傾けないによって、日本人は自らその道を閉ざしています。また、ウクライナを勝手に「民主主義の防波堤」に任命し、人類史的役割を押し付けて流血させています。

結果日本人は、前回記事でも述べたとおり、プーチン大統領顔負けの「力の信奉者」に成り下がっており、また、ウクライナ人を捨て駒にしてその生活を無視しているのです。相手の事情や動機に配慮せず相手を封じ込めようとすれば、力で抑え込むしかなくなります。大義を優先すれば生活が圧迫されることになります。

日本人が、これほどまでに大義を好み好戦的だったとは。力の信奉と大義優先の点において77年前から進歩していませんでした。そのうえ、卑劣な他力本願まで加わったわけです。

関連記事:「日本もプーチン大統領顔負けの「力の信奉者」:ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論について(1)
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2022年03月04日

日本もプーチン大統領顔負けの「力の信奉者」:ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論について(1)

ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論がますます「日本らしく」なってきています。その特徴はおおむね次のものにまとめられるでしょう。
(1)勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立
(2)「悪党」の主張には一切耳を傾けない
(3)「個人の意志」の過大評価
(4)生身の人間の生活を軽視し、大義や筋論などの抽象的なものを優先する
(5)他力本願

このことについて、分量の問題から2回程度に分けて論じたいと思います。1回目の今回は、(1)から(3)まで論じます。2回目の記事は「力の信奉と大義優先の点において77年前から進歩せず、卑劣な他力本願まで加わった:ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論について(2)」です。

■日本の勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立及び「悪党」の主張には一切耳を傾けないからは、「力の信奉」しか導出されない
アメリカに次ぐ超大国であるロシアと隣接するウクライナがNATOに救いを求めるのには一理あります。他方、冷戦が終結しても解体されず、むしろ逆に徐々に包囲網を狭めてくるNATOの東進にロシアが恐怖し、最終防衛線たるウクライナに固執するのにも一理あります。もちろん、だからといってロシアのウクライナ侵攻は正統化しがたいものです。これはアメリカやイスラエルの手口だからであります。とはいえ、停戦及び終戦のためには、両国の動機をフォローする必要があるはずです。動機がなくならない限り、停戦や終戦が実現しても遠からず戦火が再び燃え出してしまうからです。

しかし、われらが日本世論は、その勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立及び「悪党」の主張には一切耳を傾けないゆえに、ロシア側の事情を一顧だにせずウクライナに徹底抗戦を「求める」発言が氾濫しています。たとえば、「東国原英夫氏、ロシアとウクライナの交渉は「大統領らの命は助けてくれという落とし所になっていくのでは」」(2/28(月) 14:53配信 スポーツ報知)のコメント欄には次のコメントが寄せられています。
ピントがずれている。先ずどちらも完全な勝利か、より完全な勝利かの2択しか持っていない。日本人全部ではないが政治家を含め公共の場で口を開く人の不見識には呆れる。

妥協なき戦いは悲惨な最後を迎えると知った風に言う人も居るだろうが、妥協なんて頭の片隅にでも有れば最初から戦争にはならないし、そもそも強大な軍事力を持つものが世界を統べる流れに成るはずだろう。だが、実際にはそうはならない。誰も妥協なんて用意してないんだ。

だから戦う事になる。侵略して、破壊して、力を見せつける。そこに落とし所なんて無い。歴史上最終的な「勝利者」は常に「より完全な勝利」を目指している。妥協なんてそれこそ死者への冒涜だろう。

因みに停戦を時間稼ぎと呼ぶのは間違え。停戦ってのは戦争行為そのものだよ。日本史ならば「大坂の陣」が好例です。休戦を挟み攻め手有利に運んだでしょ。

本土決戦一億玉砕の発想が現代に蘇ったのでしょうか? 日帝でさえ最後は国体護持と引き換えに終戦し、完全なる破壊から免れました。一種の拡大自殺でベルリンを灰燼に帰さしめたヒトラーを連想させる恐るべき時代錯誤な破滅的発想であります。

さすがにこれは極論中の極論です。しかし、日本メディアにおいて唯一マトモに取り上げられて来、またそれ自体には一理ある「NATOの東方不拡大の確約」というロシアの一貫した要求が意図的に無視されていると言わざるを得ない展開になっています。知られていないはずはないのに、あまり触れられていないのです。

これでは解決するものも解決しなくなってしまいます。ロシアの侵攻動機を踏まえて対処しない限り、結局は殺るか殺られるかの二択しかなくなってしまいます。日本の勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立及び「悪党」の主張には一切耳を傾けないからは、「力の信奉」しか導出されえません。安倍晋三元首相は、プーチン大統領を「力の信奉者だ」と述べました(「プーチン氏は「力の信奉者」 安倍元首相が指摘」2/27(日) 18:09配信 フジテレビ系(FNN))。日本も実は発想においては同じ穴の狢なのです。「日本は和をもって貴しとなす」国であると古くから言われてきましたが、本当のところにおいて如何に事実と異なっているのかを目下の状況は示しています。

■アメリカンドリーム史観と大河ドラマ史観の行く末
ところで我らが日本世論は、今回のウクライナ侵攻をプーチン大統領の個性と結び付けて説明し、その解決とプーチン大統領の排除とを結び付けようとしています。しかしとながら、今回のロシアの行動は歴史的・地政学的に見てロシア帝国主義の南下政策以外の何物でもありません。プーチン大統領が急に思いついたオリジナルプランではなく、歴代のロシア指導者が繰り返してきたことです。それゆえ、だれがロシアの指導者になろうとも今後も条件が整えば同じことが繰り返されるでしょう。プーチン大統領を排除すれば済む問題ではないのです。

今回のウクライナ侵攻とプーチン大統領の個性とを結びつける言説は、とりわけ日米両国に強いと見受けられますが、この両国に共通するのは「個人の意志」を過大評価する文化です。アメリカンドリーム史観と大河ドラマ史観です。

アメリカンドリーム論は、客観的条件よりも個人の強い意志と努力に注目するものです。日本の大河ドラマ史観は、まさに大河ドラマや歴史小説に描かれているように、英雄・豪傑・武将・志士らの「思い」が歴史を動かしてきたと見たがるものです。

人間の意識や行動は物質的条件の制約を受けます。何かを「思う」ということは、その人が生きている環境に「思わされている」のであります。ドラマや小説になぞらえれば、歴史的登場人物は歴史に与えられた役を演じている役者なのです。役者の演技力によって作品の質は変わってきますが、その台本は歴史が与えているのです。

歴史的・地政学的、つまり客観的条件から構造的に考えずにプーチン大統領個人の「邪悪な意志」の問題として考えると、やはり力で排除しようとする誘惑にかられるものです。傾聴よりも排除のほうが面倒な気遣いがなくて済むし、悪党膺懲感が出るので正統性を感じやすくなるものです。

アメリカンドリーム史観と大河ドラマ史観は観念論の見方です。この見方で今般の情勢を分析するのは大きな間違いです。プーチン大統領を排除したとしても、「プーチン的なもの」は残り続けるのです。それどころか、プーチン大統領個人の「邪悪な意志」の問題として考えると、やはり「力の信奉」に行き着いてしまうものです。

■日本の勧善懲悪文化の非人間性・非人道性
このことに関連して注目すべきは、プーチン大統領を邪悪な個人、独裁者などと断じ、この事態の全責任を彼にかぶせながら、彼の「捨て駒」として死傷しているロシア軍兵士たちへの人間的な同情の声があまり聞こえてこないことであります。北京パラリンピックからロシアとベラルーシの選手が排除されたことについても、「お気の毒に・・・」くらいあってもよいだろうに、それがないことであります。ロシア第一の同盟国でありながらウクライナ侵攻においては派兵せず一線を画しているベラルーシへのドサクサ紛れ感を否めない抱き合わせ的制裁に対して、それほど異論が聞こえてこないことであります。ルカシェンコ・ベラルーシ大統領は確かに個人として非常に親ロシア派ですが、ベラルーシの国としてロシアに本気で刃向かえるのか非常に疑問です。

ちょうど「北朝鮮」のキム総書記を「独裁者」などとし、その斬首や経済制裁(経済封鎖)を云々しながら、それによって最も苦しむ朝鮮の一般人民をまったく眼中に入れないことと同じであると言わざるを得ないでしょう。勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立が糞も味噌も一緒に「ロシア」に関連するものすべてを彼岸に押しやっています

ちなみにウクライナの人々はロシア軍兵士たちに対して非常にあたたかく接しているというニュースがあります(「ウクライナ住民からパンと紅茶…涙を流すロシア兵士」3/3(木) 15:32配信 中央日報日本語版)。人間的・人道的であります。これに対して日本の勧善懲悪文化の非人間性・非人道性が際立っていると言わざるを得ません。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」では済ませられない非情さであります。

「生身の人間の生活を軽視し、大義や筋論などの抽象的なものを優先する」及び「他力本願」については、次回の記事で論じます。今回はここまで。

関連記事:「力の信奉と大義優先の点において77年前から進歩せず、卑劣な他力本願まで加わった:ロシアのウクライナ侵攻をめぐる世論について(2)
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