2022年06月29日

ロシアにとっては「敵が改めて敵対的な姿勢を示した」くらいでしかないスウェーデン・フィンランドのNATO加盟をトルコが支持した事実が「朗報」扱いされる日本世論から見えるもの

https://news.yahoo.co.jp/articles/9485c3b9f6ced25cafeed09487de759cfea80a54
【速報】スウェーデンとフィンランドのNATO加盟 トルコが支持で合意
6/29(水) 3:38配信
テレビ朝日系(ANN)

 北欧のスウェーデンとフィンランドのNATO=北大西洋条約機構への加盟について、トルコが加盟を支持することで合意しました。

(以下略)
「ウクライナは6月以降、反転攻勢に転じる!」と期待されていた6月はあと1日で終わります。反転攻勢どころではない6月でした。セベロドネツクが制圧されルガンスク州のほとんどかロシアの手中に落ちました。西側陣営内部では「ウクライナ疲れ」「ゼレンスキー疲れ」が公然と取り沙汰されています。

「北朝鮮」報道において「当たらない」どころか「まるで見当違い」の「分析」を繰り返す元防衛省防衛研究所研究員・軍事評論家の西村金一氏などはいまだに「6月初旬から、ウクライナ軍に関する情報が極端に少なくなっているんですよ。私の見立てでは、ウクライナ軍にはまだまだ余力がある。6月末に、米独英が和平に向けた本格的な仲介交渉を始める予定なので、ゼレンスキー大統領はその前に全面的な攻勢をかける思惑なのだと思います」などと言っていますが、その気配はまったくありません。

いまや「反転攻勢」を云々するのはスポーツ新聞くらいのものです。うわ言のように「反転攻勢」をつぶやいてきたNHKでさえ、つい先日「ニュースウォッチ9」で田中正良キャスターは「国際法違反の戦争を始めたのはロシアの方だということを念頭に置く必要がある」と言うに至りました。日本社会において「元はと言えば・・・」というのは、議論が煮詰まって膠着状態になったときに論点を切り替えるときに持ち出す常套句です。NHKが国内放送でいくら吠えたところで国際的には何の意味もないのですが、「今日のウクライナは明日の台湾・沖縄」であるだけに、ウクライナ軍が軍事的にロシア軍を撃退できず物価高・エネルギー危機ゆえに西側諸国で厭戦気分が蔓延しつつある中で、NHKは黙っていられないのでしょう。

そんな中でのスウェーデンとフィンランドのNATO加盟に対するトルコの支持表明。久々の「朗報」といったところなんでしょうか、トンチンカンな意見が出ています。コメ欄。
白鳥浩
法政大学大学院教授/現代政治分析

トルコが北欧2国(スウェーデンとフィンランド)のNATO加盟について支持することとなったという。
これには4者会談(スウェーデン、フィンランド、トルコそしてNATO)におけるNATO事務総長の同じ北欧のノルウェーの元首相であったストルテンベルグ氏の努力があったと考えられる。ある意味で、北欧3に対してトルコ1という中での会談で、トルコから譲歩を引き出したという事であろう。
これで北欧の二国が加盟するめどがたった。これによってNATOは北から南まで、ロシアに対して安全保障のきれめのない線を構成することとなった。
小国であるスウェーデンとフィンランドの国民にとって、この知らせは安堵を与えるものだろう。
ロシアの行動は、逆にロシアにとって好ましくない状況を誘発してしまったといえる。
以前から何度か取り上げている白鳥浩・法大院教授。「ロシアの行動は、逆にロシアにとって好ましくない状況を誘発してしまった」・・・スウェーデンとフィンランドがNATO加盟の意志を示した頃から「ロシアは藪をつついて蛇を出した」だの「自業自得だ」といった調子で出てきた典型的な素人「分析」の域を超えるものではありません。

白鳥氏はスウェーデン・フィンランドの「中立」が本当に米ソ・米ロのどちらも組しない完全なる中立だったとでも言うのでしょうか? スウェーデンとNATOの「密約」はよく知られたことですし、フィンランドはソ連の軍事的圧迫ゆえにしぶしぶ「中立」を演じていただけです。なによりも、ソ連の潜水艦が頻繁にスウェーデン・フィンランドの領海を侵犯していたように、ソ連・ロシア自身がスウェーデン・フィンランドの「中立」などまったく信用していませんでしたロシアにしてみれば、今回の出来事は「敵が改めて敵対的な姿勢を示した」くらいのもの、「だと思った」くらいでしかないでしょう

プーチン大統領の開戦演説に立ち返る必要があります。ウクライナは単にNATO加盟を志したからロシアの攻撃対象になったわけではありません。「歴史的ロシア」たるウクライナにNATOが近づいてきたからこそウクライナはロシアの攻撃対象になったのです。これに対してスウェーデンやフィンランドは「歴史的ロシア」ではありません。もとよりロシアは他国を一切信用していません。そしてロシアは核保有国です。NATOがロシア・フィンランド国境に迫ってきたところでロシアにとっての情勢に変化はないでしょう

もう一つ。「トルコ「望むもの得た」 北欧2国のNATO加盟支持で」(6/29(水) 5:58配信 時事通信)のコメ欄。
これは朗報。
トルコはそもそもスゥエーデンやフィンランドのNATO加盟を真っ向から否定するつもりはなくテロ組織問題や石油パイプラインといった自国への恩恵を得ることを条件に外交交渉を行っていたんでしょう。
NATOにとっても2ヶ国の加入は最新兵器製造技術の導入といった軍事力強化に繋がりロシアへの輸出の大部分も止められる。
現状、黒海封鎖を行っているロシア艦隊に対し実質的に影響の大きいトルコが本格的に動き面する周辺国も同調するでしょう。

よほど誤った考えを貫かない限りウクライナ全土の完全侵略が止まり年内終戦に繋がるかもしれない。
よほど誤った考えを貫かない限りウクライナ全土の完全侵略が止まり年内終戦に繋がるかもしれない」? スウェーデンとフィンランドがNATO加盟したとして、なぜウクライナへの侵攻が止まるというのでしょうか? まったく意味不明です。「黒海封鎖を行っているロシア艦隊に対し実質的に影響の大きいトルコが本格的に動」くとは? トルコの国益はクルド問題だけではないので、まだまだ西側諸国とロシアとの対決構図の中で対ロ関係をカードして使い続けるでしょう

それにしても、もとよりロシアがまったく信用しておらず、今回の出来事についても「敵が改めて敵対的な姿勢を示した」くらいのものでしかないスウェーデン・フィンランドのNATO加盟申請及びトルコの両国加盟支持表明が、斯くも大ニュース扱いになること自体が私には理解困難です。いわゆる「国際社会」は自国利益むき出しの修羅場です。国家間の友好関係はあくまでも策略的なものです(ちなみにプーチン大統領自身、かつてインタビューでそう言明していました)。たとえば、いまでこそ「最大の友好国・同盟国」として扱われているベラルーシとロシアですが、つい10年ほど前はガスを巡って先鋭的な対決を展開していたものです。いわゆる「国際社会」なんて、そんなものです。

日本世論が、いわゆる「国際社会」における「中立」や「友好」を個人レベルの感覚で語っているのではないかと疑わざるを得ません

そしてまた、ロシアによるウクライナ侵攻がスウェーデン・フィンランドのNATO加盟意向の引き金になったとは言えても、スウェーデン・フィンランドのNATO加盟自体はロシアによるウクライナ侵攻の動向に影響するものではないでしょう。このことでロシアによるウクライナ侵攻が止まることはないでしょう。しかしなぜ、このことが斯くも「朗報」扱いされているのでしょうか? むしろ、スウェーデン・フィンランドがNATOに加盟すればこそ、ますますロシアが「最後の砦・最後の緩衝地帯」とばかりにウクライナに執着するという可能性は考えられないのでしょうか?

スウェーデン・フィンランドのNATO加盟意向が日本世論において「朗報」扱いされているという事実、それも随分と短絡的に「朗報」扱いされているという事実は、日本世論が「国際法違反の侵略行為で領土を蚕食されているウクライナを支持している」というよりも「敵性国家であるロシアに失敗して欲しいから、敵の敵であるウクライナを支持している」ことを疑わざるを得ない反応です。
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2022年06月28日

技能実習制度問題を解決する道は「移民労働者としての受け入れ」ではなく「協同化」

https://news.yahoo.co.jp/articles/760be51bf0dc9cdc18e4027921e29e96c7259bf4
「奴隷制はいらない」技能実習制度の廃止求め、政府に要請。全国で運動広がる
6/13(月) 20:05配信
ハフポスト日本版

「労働者が、人間として安心して生活し、働ける社会を」ーー。

過重労働や賃金不払い、暴力や妊娠中絶の強要...。外国人技能実習生に対する人権侵害が後を絶たない中、技能実習制度の廃止を求める動きが全国に広がっている。【國崎万智、金春喜/ハフポスト日本版】

(中略)
外国人技能実習制度とは?
技能実習生は、外国人技能実習制度を利用して日本に在留する人たちを指し、約35万人に上る(2021年10月時点)。

制度の目的は、「人材育成を通じた開発途上地域等への技能、技術又は知識の移転による国際協力を推進すること」とされ、「労働力の需給の調整の手段として行われてはならない」と法律で定められている。

だが現実には、企業側にとっては「労働力の補充」、実習生にとっては「出稼ぎ」が実態とみられ、建前と本音が乖離していることが繰り返し指摘されてきた。

制度上、母国の送り出し機関を通じて来日する仕組みになっており、仲介手数料や教育費を支払うために多くの実習生が借金を背負っている。

さらに、転職が原則として認められていないことも重なり、実習生が人権侵害にさらされやすい構造的な問題がある。

(中略)
移住連の共同代表理事の鈴木江理子さんは、要請書の提出後にあった記者会見で「(外国人労働者の受け入れに関する)他の制度がないから、あらゆる産業が技能実習制度に依存しなければいけない状態になっている。それによって、技能実習生本人だけでなく家族や受け入れている企業も、制度の犠牲になっている」と指摘。

「この制度を続ける限り、適正化などあり得ません。今こそ政治が決断すべきです」と訴えた。

移住連の代表理事の鳥井一平さんは、「現実に直面しているのは(産業の)担い手の問題。一人の農家や一人の社長では解決できない問題が、技能実習制度のもとで個人個人に責任転嫁されてきたんじゃないか」と疑問を呈した。

その上で、「一次産業や製造業などあらゆる産業の担い手をこれからどうしていくのか、産業政策を考えていかなければならない」と強調した。

(以下略)
■資本主義ニッポンにおいて、技能実習生を移民労働者として受け入れることが事態解決の道なのか?
技能実習生が奴隷労働を強いられるにおいて制度の悪しき作用があるという指摘は一面において正しい指摘です。

労働市場にも評価経済の並みが押し寄せている現代日本においては、個々の労働者による「嫌だから辞める・無理だから辞める」のミクロ的な行動の積み重なりが、あたかもベクトル合成のごとくマクロ的に労働市場全体に大きなうねりとなります。低劣な労働環境が労働市場で競争淘汰されてしまうわけです。また、過去の階級闘争が挙げた成果として労働法制が現代日本においてはある程度整備されており福祉国家化しています。「戦う労働運動」がご無沙汰な日本ではありますが、こうした事情・経緯から今も労働者の待遇が一定の水準を保っているものと思われます。

これに対して、ブローカーへの高額な前払金の支払いや実習生自身が自由に勤め先を選択できない技能実習生の立場が、日本人労働者であればその日のうちに逃げ出すであろう低劣な奴隷労働的な労働環境をのさばらせていることは事実でしょう。「嫌だから辞める・無理だから辞める」のミクロ的な行動を取れず、法的な保護も不十分な境遇に置かれている技能実習生たち。奴隷労働的な低劣なる労働環境は競争淘汰されにくいでしょう。

こうした現実を出発点として運動体は、技能実習制度の廃止して技能実習生を移民労働者として受け入れることを提唱しています。日本人労働者と同じく労働法制による保護の対象とせよ、日本人労働者と同じ土俵に立たせよということであるようです。

果たして技能実習制度を廃止して技能実習生を移民労働者として受け入れることは事態を解決させるのでしょうか? このことは、日本が資本主義経済であることと関連させて考えることが絶対的に必要です。

■資本主義ニッポンにおける移民労働者受け入れは、もともと弱い労働者階級の交渉力を更に低下させる
技能実習生を奴隷扱いする受け入れ先企業の「論理」は、資本の偽りなき本音・本性です。

もとより労働者は労働力を販売する以外に商材がないので、労働供給の価格弾力性は低く、よって交渉力は低いというべきです。これに対して企業は事業の多角化などによって必ずしも労働需要の価格弾力性は低くはありません。

技能実習制度を継続するにせよ移民労働者受け入れに切り替えるにせよ、結局のところ労働供給を増やすことでありマルクス経済学で言うところの産業予備軍を増やすことに他なりません。勤め先の数は変わらないのに働き手の数が増えれば供給過多になり労働力の単価は低下します。労働者の労働市場における価格交渉力は低下します。現況のままでの移民労働者受け入れは、もともと弱い労働者階級の交渉力を更に低下させることにつながるでしょう

目下の経済状況においては、資本がその本音・本性を一切隠さなくなっても不思議ではありません。現にサントリー新浪氏は「45歳定年制」なる妄言を「観測気球」的ではあるものの口にしました。幸いにして即座に「撃ち落された」ところですが、一昔前であれば口に出そうとも思わなかったであろう大妄言を観測気球とはいえ公言されたこと自体が、時代の大きな変化を示しています。技能実習生を奴隷扱いする受け入れ先企業は決して対岸の火事ではないのです。

■労働者の意思が企業統治に食い込む道を目指すべき
米欧で激しく展開されている移民排斥運動は、このことをある意味で直感的に理解したものとして解釈できるものです。もちろん、チュチェの社会主義を掲げる私が移民排斥を主張するはずがありません。あくまでも来日者との共存・協同の道を探るのが私の絶対不変の一貫した立場です。

日本にルーツを持つ労働者と日本以外の国にルーツを持つ労働者がともに共存する上では、その対極にある移民排斥運動を乗り越える必要がありますが、移民排斥運動の動機を考えたとき、移民労働者の労働市場への参入に起因する労働力の供給過多と、それによる賃金の低下等労働環境の低下・悪化という問題が重要な要素になります。そしてこのことは、資本主義の「自由」な経済と切り離して考えることはできません

チュチェ109(2020)年6月28日づけ「コロナ禍に始まる不況下の「買い手市場」における労働者階級の自主化闘争について」など以前から述べているとおり、今必要な改革は、労働者自身が自らの運命を決定する過程に食い込むことであると考えます。このことを私は端的に協同化と述べてきました。究極的には協同経営を目指すべきだと考えていますが、当面は私有財産制度の枠内で、たとえば株式会社の既存統治機構に労働者の意向が一定の影響力を及ぼす道、労働者の意思が企業統治に食い込む道を目指すべきと考えます。

もちろん、「嫌だから辞める・無理だから辞める」路線や労働法制の活用、陳情型・要求実現運動型の労働運動も引き続き継続すべきではあります。

■協同化における課題(1):協同経営体がブルジョア的株式会社に退化する可能性
ところで、協同化においては少なくとも4つの課題があると思われます。

まず、根本的な問題として資本主義における協同化で問題が解決するのかという課題です。レーニンは『協同組合についての決議案』において、協同経営体は競争の諸条件に圧迫されているためブルジョア的な株式会社に退化する傾向があると指摘しました。この指摘は非常に重要なものです。

マルクスは協同経営について積極的な意義・可能性を見出しつつ、他方でその限界について次のように指摘しました。すなわち、『第一インターナショナル創立宣言』においてマルクスは、個々の労働者の偶然の努力の狭い範囲に閉じ込められている限り、ブルジョアにとってそれほど恐ろしいものではないということを見抜いていました。実際、ブルジョア国家が協同組合の創設や運営に積極的に財政措置を講じています。日本の協同経営の源流に位置する産業組合は、明治政府がブルジョア的搾取を「細く長く」続けるために始めた、大河内生産力理論的な意味での社会政策的なものでした。

協同経営は人民大衆の自主性を担保する社会としての社会主義社会の根幹であると私は考えますが、同時に資本主義体制においてはその災禍を緩和する機能も持ち合わせています。すなわち、資本主義体制における協同経営の存在は労働者の生活苦を緩和させつつ、ブルジョア的搾取を「細く長く」続ける大河内生産力理論的な意味での社会政策的な機能もあります。そして、レーニンが指摘したとおり、不況・恐慌といった資本主義の危機においては、激化した競争環境が協同経営体をブルジョア的な株式会社に退化させることで協同経営体までもが労働者を搾取するという本末転倒的な事態にさえ至りかねないのです。

協同経営を自然のままに任せるわけにはいかないと考えられます。そこで問題になるのが、資本主義体制下における協同経営の育成問題です。マルクスは『ゴータ綱領批判』でラッサール派の協同組合論を徹底的に批判し、ブルジョア政府等と無関係な協同組合の試みのみが有意義だと断定しました。しかしこの断定は一面的であるように私には思えます。もう少し強かに、使えるものは使い倒す姿勢が必要であるように思います。協同経営の育成方法においてまだまだ解決すべき問題は多いと考えられます。

■協同化における課題(2):ムラ社会的なメンタリティを引きずる日本文化が新参者の「ガイジン」を受容するか?
次に、とりわけ移民労働について考えたとき、協同経営において新参者の意見を古参勢が素直に受け入れられるかという問題があります。

協同化を実務問題として考えたとき、このことは非常に重要かつ厄介な問題となります。理屈ではなく感情の問題、もっと言えば差別意識に関わるだからです。とりわけムラ社会的なメンタリティを引きずる日本文化においては深刻な課題になるでしょう。

■協同化における課題(3):すべての労働者が必ずしも自主性を高く持っているわけではない
第三に、ミヘルスの「寡頭制の鉄則」を踏まえて考えたとき、「経済における民主主義」としての協同経営においても組織の巨大化につれて官僚制化が進み、少人数の指導部による多くの一般成員の支配が完成してしまうという問題です。

とくに警戒すべきは、すべての労働者が必ずしも自主性を高く持っているわけではないということです。たしかに自分でいろいろ考えることよりも他人の決めてもらう、他人の指導に従った方が「楽」ではあります。こうした怠惰心を奇貨としてブルジョアは指導役を買って出、自らに都合の良いルールを作り上げ労働者を搾取してきました。最終的にどうなるか分からない反抗を展開するよりも、唯々諾々と搾取を受け入れたほうが「楽」です。

こうした楽な方に流れる気持ちは非常に「人間的」ではありますが、自主管理社会としての協同社会の担い手として相応しい姿勢とは到底言えないものです。協同社会においてこうした他力本願的な姿勢は容認できるものではありません。こうした姿勢は協同社会の基盤を腐朽させ掘り崩しかねないものだからです。

■協同化における課題(4):新しいようで古い労働者のプチブル化
最後に、現代資本主義特有の課題があります。

キム・ジョンイル同志は『反帝闘争の旗をさらに高くかかげ、社会主義・共産主義の道を力強く前進しよう』において次のように指摘されました。
 第2次世界大戦後、資本主義諸国では社会的・階級的構成に大きな変化が生じました。発達した資本主義諸国では技術が発達し、生産の機械化、オートメ化が推進されるにつれて、肉体労働に従事する勤労者の数がいちじるしく減り、技術労働と精神労働に従事する勤労者のタイ語が急増し、勤労者の隊伍においてかれらは数的に圧倒的比重を占めるようになりました。
 社会の発展にともなって勤労者の技術・文化水準が高まり、インテリの隊伍が増えるのは合法則的現象だといえます。
 インテリの隊伍が急速に拡大すれば、勤労者のあいだで小ブルジョア思想の影響が拡大するのは確かです。とくに、革命的教育を系統的に受けることのできない資本主義制度のもとで、多数のインテリがブルジョア思想と小ブルジョア思想に毒されることは避けがたいことです。それゆえ、かれらを革命の側に獲得することは困難な問題となります。
現代経済は知識経済ですが、ここにおいては長い時間をかけて知識を血肉化することが非常に重要になります。「個人」の努力が稼ぐ力において重要になります。それゆえ知識労働者はしばしば労働者でありながら小ブルジョア(プチ・ブルジョア)的・個人事業主的な発想に走りがちです。昨今はやりの「自己責任論」も、知識経済化に起因する労働者大衆のプチプル化と関連させて考えるべきでしょう。こうした労働者大衆自身のプチブル化の現状をいかに協同化の道につなげるかという問題が現代資本主義特有の課題として浮上してきます。
 
労働者大衆のプチブル化にかかる関連記事
チュチェ108(2019)年7月4日づけ「こき使われている勤務医が「自己研鑽」のインチキ理論に毒されているのは何故か、知識労働者を核心とした自主化運動・抵抗運動の展望はどこにあるのか
チュチェ109(2020)年12月31日づけ「チュチェ109(2020)年を振り返る(4):社会政治的生命体論にスポットライトを当てた一年間

もっとも、この問題は新しいようで古い問題です。20世紀社会主義が直面した農業の集団化・農民の協同組合への組織化と構図としては非常によく似ているからです。

エンゲルスが指摘したとおり、個人所有に条件づけられた個人経営こそが農民を没落に追いやっている張本人であるにも関わらず、農民は自らの小土地所有にしがみつこうとします。農民がプチブル的な個人所有に条件づけられた個人経営にしがみつこうとする動機を単なる「意識の遅れ」としてみなすべきではありません。私は、農業生産は本質的に個人経営と親和的である点にその原因があると考えます。農業生産は本質的に個人経営と親和的であるからこそ、農民は個人経営的・プチブル的発想に「慣れ」、そのように物事を考えがちになるのです。

上述のとおり、知識労働は「個人」の努力が稼ぐ力において重要なので、知識労働は個人経営と親和的であると言えます。知識労働は個人経営的・プチブル的発想に「慣れ」、そのように物事を考えがちになると考えられます。この意味において、知識経済における労働者大衆を協同化の道につなげることは、20世紀社会主義が直面した農業の集団化・農民の協同組合への組織化と構図としては非常によく似ており、新しいようで古い問題なのです。

この問題については、共和国で現在実施されている甫田担当責任制のような、集団所有の枠内での個人実利の容認といった実務的な匙加減が非常に重要になってくると思われます。

■総括
このように、社会の協同化を実現するにあたっては非常に深刻な課題が山積しています。それでも私は社会の協同化こそが未来社会像であると考えます。課題が明らかであることはむしろプラスというべきでしょう。当ブログでも継続的に考えてまいりたいと思っています。
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2022年06月25日

現代に蘇った「転進」論

https://news.yahoo.co.jp/articles/f173aabc0785d7a1f8b2ba2f65451b89761200dd
ウクライナで今後想定される3つのシナリオ…ロシア侵攻4か月
6/24(金) 5:00配信
読売新聞オンライン

 ロシアによるウクライナ侵攻は、開始から4か月を迎える。物量に勝る露軍と、米欧の支援を受けるウクライナ軍が激しい戦闘を繰り広げる中、今後、想定されるシナリオを3通りに分けて分析した。(ワシントン支局 田島大志)

<1>占領地域の「編入」も
 ウクライナ東部ドンバス地方(ルハンスク、ドネツク両州)の地上戦で露軍は態勢を強化し、10倍以上とされる火力を中心とした力押しで優位に立ちつつある。

 米欧のウクライナ軍への支援が大幅に増強されなければ、露軍はドンバス地方全域の「解放」という侵攻目的を達成し、南部ヘルソン州やザポリージャ州の占領地域と合わせ、侵攻前に支配していた地域の3倍の領土を制圧する可能性もある。

(中略)
<2>有利な状況で停戦協議
 ウクライナ軍がドンバス地方での露軍の攻撃をしのぎ、米欧の高性能兵器が前線に十分に配備されれば、戦局が大きく動く可能性がある。

 特に米国製の高機動ロケット砲システム(HIMARS)などは、露軍のシステムより精度が高く射程が長い。訓練を受けたウクライナ兵が使いこなせるようになれば、自軍の被害を抑えながら反転攻勢を進められそうだ。

 ウクライナ軍は、南部クリミア半島と隣接するヘルソン州やザポリージャ州では、すでに反攻を始めている。軍と呼応するように、ロシアの占領統治に対するゲリラ活動も盛んになっている。露軍は徴兵された兵士が中心で士気が低く、露側が苦戦に転じた場合は部隊の統制が崩壊するとの見方もある。

(以下略)
ロシアのウクライナ侵攻開始から4か月。「敵の敵は味方」理論からウクライナに深く肩入れしてきた日本メディアでさえ、ここにきてロシア軍が「10倍以上とされる火力を中心とした力押しで優位」に立っていること、このままいけばロシアが「ドンバス地方全域の「解放」という侵攻目的を達成」することを認めざるを得なくなってきています

もちろん、他方において相変わらず「ウクライナ軍がドンバス地方での露軍の攻撃をしのぎ、米欧の高性能兵器が前線に十分に配備されれば、戦局が大きく動く可能性がある」などと、現実的にあり得る展開なのかを無視した希望的観測を書き並べているあたり、あるいは、大局的・戦略的な成果を上げているとは現時点では言い難いヘルソン州などでのウクライナ軍の反撃の試みについて「南部クリミア半島と隣接するヘルソン州やザポリージャ州では、すでに反攻を始めている」などと針小棒大に書き立てているあたり、戦争報道が完全に事実に即した科学的分析に基づいたモノになり切ってはいません。

とはいえ、敵の優勢を認めたことは、戦争報道の大きな変化であると言えます。もはやそう認めざるを得ないくらい戦況がウクライナにとって悪化しているということでしょう。

他方、うわ言のように「ウクライナ軍、反転攻勢か」と繰り返してきたNHKがついに「一線」を超えました
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220625/k10013687771000.html
ロシア セベロドネツク掌握の見通しも一進一退の攻防続くか
2022年6月25日 11時23分

ウクライナへの軍事侵攻を続けるロシアは東部で攻勢を強めていて、ウクライナ側が拠点としている東部ルハンシク州のセベロドネツクを掌握する見通しが強まっています。
これに対して、ウクライナ側は欧米から供与された兵器で攻勢に転じる構えで、戦闘の終結に向けた道筋は見えていません。

ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めてから24日で4か月がたち、ロシア軍は、東部2州のうちルハンシク州の完全掌握を目指してウクライナ側が拠点とするセベロドネツクへの攻撃を続けています。

ルハンシク州のハイダイ知事は24日、地元メディアに対して「残念ながら、ウクライナ軍はセベロドネツクから撤退せざるをえない」と述べ、防衛にあたってきた部隊が別の拠点に移動することを明らかにしました。

(以下略)
かつて日帝大本営発表は、退却や撤退を「転進」と言い換えることで負け戦の現実から目を背けました。あれから70余年。「防衛にあたってきた部隊が別の拠点に移動することを明らかにしました」というくだりは、現代に蘇った「転進」論というべきでしょう。

ここで注目すべきは、当事者であるウクライナ側のハイダイ・ルハンシク州知事は「残念ながら、ウクライナ軍はセベロドネツクから撤退せざるをえない」などと「撤退」と言っているのに対して、NHKが勝手に「防衛にあたってきた部隊が別の拠点に移動する」などと「転進」に言い換えているところです。

なお、アメリカ国防総省高官が次のように語っているのが関係しているとすれば、「アメリカがそう言っているから」ということになり、マスコミとしてそれはそれで情けない話です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0cdb6987d3e102f6964403a78de72a466581b311
ウクライナ軍の東部要衝撤退、重要視せず 米
6/25(土) 10:53配信
AFP=時事

【AFP=時事】米国は24日、ロシア軍との激戦が続いていたウクライナ東部の要衝セベロドネツク(Severodonetsk)からウクライナ軍が撤退したことについて、重要視しない姿勢を示した。

 匿名を条件に取材に応じた国防総省高官は「(ウクライナ軍が)やっていることは、守りやすい配置に就くことだ」と報道陣に語った。

(以下略)
「今日のウクライナ情勢は明日の台湾・沖縄情勢だ」という指摘はある意味で正しいと私は考えています。台湾・沖縄有事で展開されるであろうプロパガンダ報道の基本的な枠組みがウクライナ報道ですでに見られているからです。勧善懲悪・破邪顕正的な二項対立の構図化、「悪党」の主張には一切耳を傾けない、生身の人間の生活を軽視して大義や筋論などの抽象的なものを優先すること、そして最悪の場合には「ベルリン市街戦」に至りかねない徹底抗戦論など、この戦争を巡っては日帝を彷彿とさせる非常に危険な好戦的言説が氾濫してきましたが、ついに「日帝最大の特徴」というべき「転進」論が出てくるようになりました前回の記事で私は「退却を転進と言い換えていた頃と基本的に進歩がない」と書きましたが、本当にそう言うとは思いませんでした・・・

「転進」論が現代に蘇ったいま私は、戦争を絶対にしてはならないものだという思いを新たにしています。この国は冷静に戦争を戦い抜くことができないからです。
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2022年06月23日

損耗率50%といえば通常は「全滅」:退却を転進と言い換えていた頃と基本的に進歩がない

https://news.yahoo.co.jp/articles/fa3b57ec107b50780a4e526a45fe133f595d867e
ウクライナ軍、戦車やミサイルなど「50%を失った」…損害情報を積極的に開示
6/18(土) 12:01配信
読売新聞オンライン

 【キーウ(キエフ)=深沢亮爾】ウクライナ軍のウォロディミル・カルペンコ地上部隊後方支援司令官は、ロシア軍とのこれまでの戦闘で、歩兵戦闘車約1300台、戦車約400両、ミサイル発射システム約700基など、それぞれ最大で50%を失ったと明らかにした。

 15日付の米軍事専門誌「ナショナル・ディフェンス」とのインタビューで語った。ゼレンスキー政権は最近、戦死者数を含めた損害に関する情報を積極的に開示している。米欧に武器供与の加速を促す狙いとみられる。

(以下略)
開戦から間もなく4か月。最近になってウクライナ軍が戦車やミサイルなどを最大で50%を失ったという報道が出てくるようになってきました。

損耗率50%といえば通常は「全滅」というべきレベルの損害です。3か月前、ロシア軍の損耗率分析に関連して次のような記事が配信されました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/50f03595b777ad72c4701c25f5dd940c3e1d3166
『ロシア軍の"損耗率"から読み解く、ウクライナ戦争のゆくえ』
3/25(金) 18:00配信
週プレNEWS

2月24日にウクライナへの侵攻を開始したロシア軍。短期決戦に失敗したことで、当初の作戦の変更を余儀なくされている。その矢先、3月24日にロシア海軍の戦車揚陸艦を、黒海の港・ベルジャンシク港で爆発撃沈したとウクライナ海軍が発表した。

泥沼化する気配も漂う戦いが続いているが、戦争の動向は「損耗率」から読み解くことができるという。元・陸上自衛隊中央即応集団司令部幕僚長の二見龍元陸将補に解説して頂いた。

* * *

3月23日の報道によると、アメリカ国防省高官が、ロシア軍は開戦1ヶ月で総兵力19万人の内、その10%を喪失していると発言した。

「部隊の損耗率で、戦争が継続できるか否かの目安がわかる」と二見元陸将補は語る。

「部隊の10%の損耗で、戦闘行動に支障が出始めます。これが15%になると、部隊交代や人員の補充・再編成(新たな人員の補充と損耗した部隊の補充)が必要となります」

"部隊交代"とは、損耗した最前線の部隊を後方に下げ、充足率100%の部隊と入れ替えることだ。これをサッカーに例えるならば、疲れたフォワードの選手交代に当たるだろう。

さらに3月23日のアメリカメディアの報道によると、ロシア軍は1ヶ月の侵攻で死傷者・行方不明者・捕虜の合計が約4万人にのぼるとの数字が出たという。

そうなると、最初に投入したロシア軍総兵力19万人の内、損耗率は約21%になる。

「戦闘部隊は、損耗率20%で"ほぼ戦闘不能状態"となります。損耗率30%で"戦闘不能状態"、50%で"全滅"と判断されます」

21%は半全滅と考えてもよい。そうなれば、ロシア軍は部隊交代や人員の補充・再編成を行うための戦線の整理が必要となってくる。

ウクライナ軍は3月23日に、キエフ東方20−30キロにいたロシア軍を、中心部から55キロ後退させるのに成功したと発表している。

「ロシア軍部隊の損耗が激しいため、部隊を後方に下げたというのが正しい見方だと思います。しかし、それだけウクライナ軍が善戦している証です。ロシア軍には今、攻勢戦力が圧倒的に足りません」

(以下略)
ご丁寧に「10%の損耗で戦闘行動に支障」「15%の損耗で部隊交代や人員の補充・再編成が必要」「損耗率20%でほぼ戦闘不能」「損耗率30%で戦闘不能」「50%で全滅」と分かりやすく説明してくれています。

3か月前といえばウクライナ軍が予想外に善戦し「国際社会」ことアメリカとその追随国が沸いていた頃。それだけに一般人にはなじみのない損耗率の「意味」が詳しく解説されている上掲記事です。たしかに当時のロシア軍の損耗は大きく、現在の戦線膠着はこの損耗が今だに一部尾を引いているという見方も可能でしょう。

これに対して今回のウクライナ軍の損耗率分析報道。各社の報道をザッと見る限り、3月のロシア軍の損耗率分析報道と異なり「損耗率50%」が意味するところが正確に報じられていないように思われます。

「損耗率50%で全滅」というのは一般人の感覚とは異なるものです。一般的な意味における「全滅」とは本当に一人残らず死んでしまうことをイメージするものです。緩く定義しても「戦闘可能な人員が10%以下」といったイメージではないでしょうか? 半分も残っていれば一般的な感覚から言えば「厳しいが、まだ行けるはず」という印象です。とりわけ「ウクライナ軍は『士気が高い』から踏みとどまるだろう」という印象を持ってしまいがちです。

しかしながら、戦争というものは高度に組織的に遂行するものであり、軍隊はシステムです。システムの構成要素のうち半分が撃滅されてしまえば、兵員や戦車・装甲車などが「まだ半分も残っている」としても、もはやシステムとして正常な機能は期待できないでしょう。その意味において「50%で全滅」なのです。

日本にとってロシアは敵性国家なので「敵の敵は味方」の論理によりウクライナは「味方」になります。味方が被った損耗率の正確な意味に触れようとしない・・・むしろ、素人の「勘違い」を幸いとして「まだまだ戦える」という印象操作さえ狙っているようにも思われます。退却を転進と言い換えていた頃と基本的に進歩がないようです。
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2022年06月20日

モノの見方が歪んでいる人は、偉大な成果をあげたとしても、その総括もまた歪んでしまう

https://news.yahoo.co.jp/articles/394c7c8121b7871994f3d224141101d810c25a18
「最後は“こいつらバカで金もないけど、ガチだな”と…」 アフリカでギャングを改心させた大学生が、日本唯一の“テロリスト更生スペシャリスト”になった不思議な経緯
6/20(月) 11:12配信

(中略)
「凄惨なジェノサイドから17年経ったルワンダは、もちろん大小様々な問題はありながらも、アフリカのシンガポールと言われるぐらい平和な国になっていたんです。ただ、折角アフリカまで来たんだからと帰り道、経由地のケニアに寄り道することにしました。そこで目にしたのがソマリアからの移民・難民が多い地区でした。連れていってくれたケニア人ドライバーは『あいつらはクソで、少しでも目を離すと車を盗まれる』と嫌悪感むき出しでした。

 それがきっかけでソマリアという4文字を検索してみたら、ちょうど当時、ソマリア国内で『比類なき人類の悲劇』と国連から称されるほどの大変な紛争が起きており、自分が向き合うべきはこの国だと決めたのです。それこそ日本も東日本大震災でとんでもないことになっていたのですが、世界中が祈ってくれる日本と、誰も祈りもしないソマリアのコントラストにも納得がいかず、『ならば自分がやろう』となりました」

 ソマリアはアフリカの東海岸部に位置する人口1600万人程の国だ。地理的な問題から慢性的な飢餓や干ばつが起きるのに加え、1991年以降は対立政党の諍いに端を発した内戦が続いている。そんな背景から、国内ではテロと虐殺が頻発していた。


「ソマリアを救うにはどうすればよいのか」と大人たちに聞くと…
 帰国すると早速、ソマリアを救うにはどうすればよいのか、大人たちの話を聞いて回った。大学教授、日本国内のNPO法人、国際機関…。だが、一介の大学1年生に突きつけられたのは、国際協力というムラに高くそびえ立つ“縦社会”の壁だった。

「まず言われたのは『君、ただの英語もできない大学1年生だよね?』ということ。もらったアドバイスは『最低限の語学力と修士号レベルの専門性と10年くらいの経験が必要』だとか『安全な開発途上国で経験を積みなさい』ということでした。

 まさに今、ソマリアで人が死んでいるのを止めたいと言っているのに『あと10年待て』と言われても、全く納得できなかったです。それに、語学力・専門性・経験という3つがあったとしても、大人は結局みんな『危険だ』と言ってやらない。そうであれば、結局のところ意志というか、姿勢や気概こそが一番大切だと、ガキなりに腹を括りました」

(中略)
 永井さんたちが最初に取り組んだのは、ギャングの“意識改革”だった。

 彼らを集めて、社会の問題点をポストイットに書き出してもらう。すると、出て来るのは溢れんばかりの不満ばかり。その原因を分析させると、結局は“ギャング”という自分自身の存在に立ち返ることになった。

ギャングは問題の原因であり、同時に解決のキーマン
「彼ら自身が社会問題の原因の一つであり、また同時に、解決のキーマンでもある。ギャングである彼らが変われば一石三鳥、四鳥、五鳥であると分かってもらうのです。それから解決法を話し合っていき、今度は一緒にみんなで実際に行動してみる。

 例えば、彼らは小学校などでドロップアウトし、そこから道を踏みはずしたケースが多い。だからこそ地域の小学校でギャングになっちゃダメなんだという講演をしてもらうとか、社会側にギャングたちの辛い背景を理解してもらう啓発啓蒙活動を行うなど、みんなで解決策を考え実際に行動したのです。そのうえで、スキルを得たいのであれば、我々が資金を肩代わりしてでも職業訓練学校や教習所などに通うことができるようにし、彼らを後押ししました。

 ある学校からは『ギャングはダメ』と入学を断られましたが、それならと交渉してギャングだけのクラスを設けてもらったり、入学初日で諦めようとするギャングを説得したりすることもありました。その後の進路は、例えば会計のスキルを生かして電機屋に就職したり、バイクやタクシーの運転手になったり、洗車のビジネスを始めたり、家業を手伝ったり…色々ですね。一言でギャングとは言いますが、彼らはひとりの若者なのです。それも、かなりシビアな背景を背負った。なので同じ若者として復活して、社会を変えていくことができればと考えたのです」

(以下略)
凄い。何と言っても実際に成果を上げているのだから凄い。嫌味も他意もなく純粋に凄い。

「国が沈む」ニュースに衝撃を受けた高2の夏休み」がきっかけとのことですが、私の高2時代といえば、首領様への忠誠心や党と共和国の役に立ちたいという熱意、朝日友好の思いばかりが先走って何も役に立たなかったものでした・・・それからかなり時間が経った今ですが、首領様・将軍様・元帥様や党・共和国、朝日友好のために何か役に立っているかといえば、決してそんなことはない日々、社会政治的生命を輝かしきれていない日々を送っています・・・

私のことはさておき、しかしながら、「結局のところ意志というか、姿勢や気概こそが一番大切だと、ガキなりに腹を括りました」という表現をはじめとして全体的に大河ドラマ的というか「思い」偏重の回顧録になってしまっているのが気になるところです。コメント欄でも「坂本龍馬みたいだよね!バックに誰がいるんだ、と。」というなかなか手厳しい意見が寄せられています。

彼ら自身が社会問題の原因の一つであり、また同時に、解決のキーマンでもある」という指摘はそのとおりです。彼らこそがチュチェ(主体)そのものです。この観点は慧眼というべきものです。

しかしながら、「地域の小学校でギャングになっちゃダメなんだという講演をしてもらうとか、社会側にギャングたちの辛い背景を理解してもらう啓発啓蒙活動を行うなど、みんなで解決策を考え実際に行動した」という程度で、「『ギャングはダメ』と入学を断」る学校が「ギャングだけのクラスを設け」るとはとても思えません。単なる熱意の問題ではない何か学校側の事情があったはずです。

入学初日で諦めようとするギャング」が、啓発啓蒙活動だけで「そうかそれなら」と翻意するとは思えません。そこにはギャングなりの事情があったはずです。また、「会計のスキルを生かして電機屋に就職」するというのは、基礎的な学力とそれを継続的に鍛え上げるための時間的余裕を生み出す生活経済力がなければ絶対に不可能なことです。この生活経済力は、単なる個人的な問題というよりも広く社会経済的な背景も含めて検討すべきことです。

こうした学校側の事情、ギャングなりの事情そして広く社会経済的な背景をすっ飛ばして「啓発啓蒙活動」の成果であるとか、「結局のところ意志というか、姿勢や気概こそが一番大切だ」とか回顧してしまうことは、せっかく偉大な結果を残しているだけに残念に思えてなりません。要するに、偉大な成果をあげておきながら、それを十分に説得的に回顧できていないのです。

物質世界において展開されている事実は個人の知覚や意志とは独立しているものです。個人がいくら願っても世界はそのとおりにならないものです。その意味で物質世界はレーニン的な意味で客観的な存在です。しかし、認識論レベルで言えば、物質世界において展開されている事実は個人の知覚力によって把握されたりされなかったり、言い換えれば確認されたり見逃されたりするものです。ここにおける個人の知覚力は、平生の学習がモノをいいます。平生の学習が現実の見方を規制します。モノの見方が歪んでいる人は、偉大な成果をあげたとしても、その総括もまた歪んでしまうものなのです。

以前から申し述べていることですが、リベラリズム全盛期の今日は「個人の意思」に過剰にスポットライトを当てる大河ドラマ的世界観・社会歴史観が隆盛を極めています。現代人はモノの見方やその解釈について「個人の意思」に過剰にスポットライトを当てています。そうした世相をこの記事は表しているように思えてなりません。
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2022年06月17日

状況把握を願望ベースで判断する非常に危うい風潮がますます顕著に

https://news.yahoo.co.jp/articles/9149a6566e588b5917b5ce18f834f08f47b9bb85
高まる「タカ派」の声、プーチンが追い込まれている
6/16(木) 17:29配信
ニューズウィーク日本版

ロシア国内では今、反体制派ではなく、退役軍人グループや軍事ブロガーが「プーチンは手ぬるい」と不満を発している
ロシアで、ウクライナでの戦争への不満が高まっている。ただし、不満を発しているのは反体制派ではなく、タカ派の退役軍人グループや軍事ブロガーだ。

彼らは遅々とした戦況に対して膨らむいら立ちを表明し、ウラジーミル・プーチン大統領に国民総動員を要求する向きもある。

筋金入りのナショナリストたちから上がる不満の声は、プーチンが自ら招いた窮地の一端を示している。

プーチンが相手にしているのは、確実だと約束されていたはずの勝利を渇望するロシア国民と、消耗しすぎて勝利できないロシア軍だ。

(以下略)
つい先日まで「この戦争はプーチン個人の戦争だ。プーチンは、厳しい情報統制によって国民に真実を隠し通すことで戦争を遂行しているが、しかし、ロシア国民は遠くないうちに真実を知ることになる。現にロシア国内で民衆の反戦運動が発生している。政権支持層からも離反者がで始めた。ロシア国内での反戦運動の高まりはプーチン失脚に繋がる。時間の問題だ。そうだそうに違いない。プーチンは追い詰められている」と言い張っていたのに、今度は「国内の好戦派の突き上げによってプーチンは追い詰められている」・・・これだけ短期間に「分析」が正反対になるのは珍しいことです。

そして、まるで正反対の理由付けながら「プーチンは追い詰められている」結論だけはブレていません。理由付けが180度変わったのならばそれなりに経緯を説明する必要があります。しかし、一切ありません。これもまた、なかなかお目にかかれない珍しい展開です。ふつうは少しくらい取り繕いがあるはずです。

「北朝鮮」報道においても述べた(チュチェ107・2018年6月10日づけ「朝米関係の行方を占うならば、朝鮮民主主義人民共和国とアメリカ合衆国そのものを正面から取り扱うべき」)ことですが、日本世論は、「敵」が一方的に追い詰められているという構図でないと精神の安定が保てないのでしょうか?

戦略レベルで戦況が一進一退の膠着状態になってから、以前にも増して戦術レベルでの勝敗の情報への一喜一憂の反応が増しています。ささいな情報に飛びついて「そうだそうに違いない!」と言い張る展開が酷くなっていますニュースつまり状況把握を願望ベースで判断する非常に危うい風潮がますます顕著になっています
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2022年06月15日

北南共同宣言から22年

今日6月15日は北南共同宣言から22年の日ですが、共和国系メディアを見る限り、最近このことに対する言及は低調です(まったくないわけではない)。むしろ朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』が「核武力強化の背景と目的 C「力と力の激突」を回避する道」という記事を公開しています。記事は次のように指摘しています。
ところが、より深刻な武力衝突の危険性を孕む地域が朝鮮半島だ。ここは冷戦期に始まった戦闘行為を一時中断したに過ぎない停戦体制下にある。 「終わらない戦争」が現在進行形で続いている。

停戦後も米国は朝鮮半島の軍事的緊張を常態化させてきた。

近年は人為的につくる戦争危機を朝鮮の隣国である中国を牽制し圧迫するための包囲環形成の一環とし、軍事挑発のレベルを階段式に引き上げてきた。米国、日本、南朝鮮の三角軍事同盟を強化し朝鮮を狙った攻撃態勢を整えることを覇権維持のための必須プロセスとして定めて実践してきた。

しかし「異なる手段で核戦闘能力を発揮」することができる朝鮮を敵と見なし、戦争の火種を撒くことは危険極まりない自滅行為だ。

朝鮮半島で戦争が起きても「米国本土は無関係で安全だ」と言い放つことができたのは昔のことだ。そして米軍の海外基地はアジア太平洋地域にも存在する。

鋭い軍事的緊張が続き、大国の利害関係が交差する朝鮮半島で武力衝突が起きれば、局地戦に限定されずに周辺国が巻き込まれる可能性がある。米国が核先制攻撃態勢をとっている以上、いくら小規模でも一度、火花が散れば核武力が投入される戦争に拡大しないとは限らない。

(中略)
米国にとっては、朝鮮の核をなくすと言って対決を煽るよりも、朝鮮の核が自国の脅威にならないようにする方法を考えるのが容易で有益だ。

ウクライナ紛争に便乗して軍国化を進めようとする日本の右翼勢力は、朝鮮のミサイル試射を口実にして「反撃能力」さらには「核共有」の必要性を主張するが、国民の絶対的多数は日本が戦争の最前線に立つことで反撃の対象となることを望んでいない。

「北先制打撃」を主張した尹錫悦大統領は、南の国防白書に「北は主敵」と明記すると公約したが、今日の情勢下では、些細な誤判や相手を刺激する言動が危険な衝突を引き起こしかねない。特に金正恩総書記が公言した朝鮮の戦争主敵論、国際情勢がどのように変化しても同じ民族同士が争う悲劇、第2の朝鮮戦争を起こさないという断固たる意志を誤って判断してはならない。

朝鮮半島と周辺地域における軍事的優劣の形勢は、冷戦期とまったく異なる。

ここで力と力の激突を回避し戦争を防ぐためには、すべての関係国が何をして何をしてはならないかを熟慮し、情勢の安定的管理のために慎重に行動しなければならない。(金志永)
「北は主敵」と明記するなどという、どうしようもなくセンスのない公約を展開したユン・ソギョル氏。通常の外交慣例に反して就任早々、アメリカ国歌演奏時にバイデン・アメリカ大統領がそうしているように胸に手を当てたユン・ソギョル氏(「米国歌演奏中、胸に手を当てた韓国大統領ー相手国尊重の意=韓国」)。

このような「従米」を超えて「崇米」レベルの人物が韓「国」の「大統領」になっているという現状は、北南共同宣言を大々的に取り上げられる状況ではないと言えるでしょう。いまだかつてないレベルで韓「国」当局はアメリカ追随の様を見せています。
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2022年06月11日

チェ・ソニ同志、外相として再登場!

https://news.yahoo.co.jp/articles/48b14c84d1418f1328dbd3e4ac018f6c74b183db
北朝鮮で初女性外相・崔善姫氏とは? “ナゾの実力派通訳”当時から話題に
6/11(土) 18:24配信

(中略)
 北朝鮮政治に詳しい慶應義塾大学・礒崎敦仁教授:「今年に入りましてからミサイル発射実験を加速化させて国防力、軍事力の強化を前倒ししているわけですよね。それは国防力、軍事力をテコに“今後もアメリカとの外交を模索する”というメッセージとして彼女を外相にしたと考えられます」

 アメリカとの対話再開を視野入れた布石なのか。

 また、礒崎教授は今回の外相就任が朝鮮労働党の総会で決まったことに着目。朝鮮労働党と国家の一体化が進んでいると指摘しています。
チェ・ソニ同志、外相として再登場! 以前の組織人事でリストから名前が消えたことを以って「粛清」説が出回ったものでしたが、こうして昇進の上に再登場しました。またしても「粛清」報道のデタラメさが実証された形。晒してやろうと改めて検索したのですが、見事に消え去っていますw本当に「北朝鮮」報道は言ったら言いっぱなしですね。

それはさておき、上掲記事の礒崎敦仁教授のコメントについて。「国防力、軍事力をテコに“今後もアメリカとの外交を模索する”というメッセージ」というのは理解可能ですが、「朝鮮労働党と国家の一体化が進んでいる」には違和感。もともと、共和国の政治システムはソビエト体制を下敷きとしているので、党と国家はかなり密接な関係にあります。しかしながら、キム・ジョンウン同志の時代に入ってから、たとえば「社会主義企業責任管理制」を筆頭に党と国家(内閣)の役割分担が進みつつあるところです。党が総路線を示し国家が実務を取り仕切るという関係性です。

そういう大きな流れを鑑みると、礒崎教授のコメントは二重に違和感を感じるものです。
ラベル:共和国
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2022年06月06日

都合のよいニュースに飛びつく傾向がますます強まっているウクライナ戦争

https://news.yahoo.co.jp/articles/f009f2b1afe092a5692aebeb29b8711ab680d98c
ウクライナ軍、東部の要衝でロシアに反撃 知事「一部を奪還」
6/5(日) 7:31配信
毎日新聞

(中略)
 ロシア軍の猛攻が続く中、英国防省は3日、「ロシア軍は今後2週間でルガンスク州を完全に掌握する可能性がある」と指摘した。だが、ガイダイ氏は「早期陥落は非現実的」と否定している。【ロンドン篠田航一】
他方こういう報道も。
https://news.yahoo.co.jp/articles/e32f4789e8d1bc57e2f85a343efd8b971140f04f
攻防続くセベロドネツク「ウクライナ軍が5割奪還」
6/6(月) 6:18配信
テレビ朝日系(ANN)

 ロシア軍との激しい攻防が続くウクライナ東部の都市セベロドネツクで、ウクライナ軍が反撃し市の5割を奪還したと現地の知事が明らかにしました。

 ウクライナ東部ルハンシク州のハイダイ知事は5日、ウクライナ軍最後の拠点とされるセベロドネツクについて、「ウクライナ軍がロシア軍を押し戻し市の5割を奪い返した」とSNSに投稿しました。

(以下略)
イギリス国防省の「今後2週間でルガンスク州を完全に掌握する可能性」に対するルガンスク州知事の「ルガンスク州最後の拠点であるセベロドネツク市で5割を奪還」。前者は州全体の戦況、後者は州内一都市の戦況です。市域の5割を奪還したとはいえ州最後の拠点を攻められていることには変わりありません。とりわけ舞台はルガンスク州――プーチン大統領の開戦演説で触れられたドンバス2州のうちのひとつです。この都市を落とし、そして州を完全掌握できればプーチン大統領としては「戦争目的の大部分を達成した」と言い張ることができるので、勝てないにしても負けることはなくなります

※もともとプーチン大統領が自ら戦争目標設定し、目標達成にかかる評価もプーチン大統領が自ら行う「お手盛り戦争」なのだから、プーチン大統領が「負ける」展開は、そうそうあり得るものではないのですがね。

戦況は大局的には、ウクライナは懸命に押し返そうとはしているものの依然として崖っぷちに立たされ続けています。しかし我らが日本メディア・日本世論は「ウクライナ軍がロシア軍を押し戻し市の5割を奪い返した」という一面ばかりに注目しています。

ルガンスク「州」全体とセベロドネツク「市」の戦略的価値を仮に同等と置いたとしても、そうなると今度はイギリス国防省の分析とルガンスク州知事の主張とが衝突します。こういう場合、普通の感覚の持ち主であれば「どっちが正確な見方なのはハッキリしないので、もうすこし様子を見ることにしよう」となるはずですが、やはり我らが日本メディア・日本世論は「ウクライナ軍がロシア軍を押し戻し市の5割を奪い返した」という一面ばかりに注目しています。

なお、セベロドネツク「市」の戦略的価値がルガンスク「州」全体を上回るケースについては、ウクライナ全土を軍事的に占領するにあたってはそういう価値のウェイト付けもあり得るかもしれませんが、以前から述べているとおり、プーチン大統領の開戦演説からはそれを積極的な目標として掲げているとはとても読み取れません。「セベロドネツク市でのウクライナ軍の反撃は戦争の趨勢を逆転させる大反撃だ!」とは言い難いでしょう。

都合のよいニュースに飛びつく。この戦争に限った世論動向ではありませんが、「推し」のウクライナが依然として崖っぷちに立たされ続けていることから、ますます都合のよいニュースに飛びつく傾向が強まっているように見受けられます

※都合のよいニュースに飛びつく傾向といえば、ここ1か月間NHKはずっと「ウクライナ軍反転攻勢か」と言い続けていますが、戦況は大局的には変化ありません。NHKはおそらく外信の引き写しで報道の大部分を構成しているように思われます(NHK職員自身、外信で情勢を把握しているのでしょう)。このことについては稿を改めて取り上げたいと思います。
5月17日「新たな段階に入ったプーチンの戦争 占領地のロシア化とウクライナ軍の反攻
6月6日「ウクライナ軍“過去24時間で7回敵を撃退” 東部で反転攻勢か
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2022年06月05日

日本社会の歴史を語る姿勢・歴史感覚はここまで退化しているのか

ロシアによるウクラナイ侵攻が始まって3か月ないし100日が経過しました。これくらい時間が経ってくると出そろってくるのが「歴史」という切り口からの情勢解説です。

■「なんとなく似ている」と指摘することが歴史的に見て考えることだと思い込む現代日本人
「歴史好き」を称する人がテレビ番組などで脚光を浴びたり、「歴史をビジネスに生かす」といったハウツー本がベストセラーになったりと、現代日本では「歴史」が一つのコンテンツとして成立している感があります。特に戦国時代や江戸幕末に生きた人たちの足跡を「参考」にしようという風潮が根強くあります。

しかし、「歴史をビジネスに生かす」と称して、ポスト工業化社会である現代資本主義社会を生きる上でのヒントとして戦国時代や江戸幕末のような前近代社会を生きた人の業績を持ち込むことは、冷静に考えればおかしな話です。経済構造や社会意識がまったく異なる二つの時代。戦国時代や江戸幕末で上手く行ったからといって現代資本主義社会で同じように上手く行く保証などまったくありません。

「歴史は科学たり得るか」というのは非常に重いテーマですが、2つ以上の歴史的事実を比較して何かヒントを得ようとすれば、少なくとも、それぞれの歴史的事実を取り巻く経済構造や社会意識の異同を分析することは欠かせないでしょう。完全に厳密な対照実験的分析はできないまでも、なるべくそれに近づける努力が欠かせないはずです。

そう考えると、「歴史をビジネスに生かす」といった最近の歴史談義のほとんどは、目下の課題と歴史的出来事との表面的な類似性に飛びついたうえで「ほら、昔と今はこんなに似ている」「だから戦国時代や江戸幕末の人たちやったようにやれば、きっと上手くいく」という記事構成をしているため、科学的であるとは到底言えません

ロシアによるウクライナ侵攻にかかる「歴史的」な分析もこの例に漏れていません。たとえば開戦1か月目にノンフィクション作家の保阪正康氏が述べた発言(「「意識するのはゴルバチョフではなくスターリン」 ウクライナ侵攻1カ月、保阪正康さんがプーチンの胸中を分析」 2022年3月24日 06時00分)。彼はこんなことを言っています。
プーチン氏が意識する指導者は、ゴルバチョフ氏ではなくスターリンなのだなと感じた。ゴルバチョフ氏は旧ソ連の政治システムを西洋型、つまりいろいろな国と共存する方向に持っていった。それに対して、共存ではなく君臨したいのがプーチン氏。それはとりもなおさずスターリンのやり方だというのが率直な感想だ。

 プーチン氏はKGB(国家保安委員会)出身。私は1990年から94年にかけて旧ソ連とその後に成立したロシアを10回ほど訪ねている。91年の旧ソ連崩壊で財政が破綻して年金も払えなくなったときに、KGB退職者に会って話を聞いた。
 彼らに共通していたのは、自分たちが国家を支えているという強い意識。KGB職員は自分がなりたくてなるのではなく、国が能力や実行力などを評価してピックアップするので、エリート意識が強い。彼らはウクライナやベラルーシなど、旧ソ連の構成国を独立国とは思っていない。

 プーチン氏の意識も同じで、それこそ大ソ連帝国の復活だと思う。
なぜ21世紀を生きるプーチン大統領の行動原理を説明するために20世紀に活動したスターリンとゴルバチョフ氏を引き合いに出すのか・・・人選の時点でまったく必然性・科学性を感じない「エッセイ」です。
 
まだ「ロシアをさまよう「アンドロポフの亡霊」、今も生きるソ連時代の歪んだ理想」(2022.5.2)という記事を書いた藤谷昌敏・元公安調査庁金沢公安調査事務所長のほうがエッセイとしては質が高い。思えばアンドロポフはプーチン大統領と同じくKGB出身で、プラハの春に際してはさまざまな報告があったにも関わらず「西側の陰謀・西側のそそのかし」という陰謀論に凝り固まって軍事介入したという過去がありました。何よりもプーチン大統領自身、アンドロポフを格別に顕彰していると言います。スターリンよりもよっぽどアンドロポフに「似ている」というべきです。

さしづめ、保阪氏の「人選」は、プーチン大統領と「なんとなく似ている」と言い得る歴史上の人物のうち、アンドロポフでは知名度が低いが、スターリンやゴルバチョフなら常識として誰でも知っているだろうといった程度の商業主義的な魂胆によるものでしょう。保阪氏は著名人とはいえ結局のところはノンフィクション作家です。売れなければ話になりません。そして、こんな科学的であるとは到底言えない比較を保阪氏が平気でやってのけるあたり、現代日本人の歴史感覚はこのレベルである、このレベルであるから保阪氏がノンフィクション界でのベストセラー作家がなりえることを示していると言えるでしょう。ベストセラー作家:保阪正康氏を通して日本社会の世論状況が見えてくるのです。

※ここまでの文脈から明らかでしょうが、私は「プーチン大統領はスターリンよりアンドロポフに似ているというべき」と言いたいわけではありません。保阪氏も藤谷氏も、プーチン大統領と過去の比較対象者とをそれぞれ取り巻く経済構造や社会意識の異同を分析するに至っていない単なるエッセイに過ぎず、似たり寄ったりです。

■「なんとなく似ている」程度で歴史を語る姿勢の失敗例
保阪氏のような「なんとなく似ている」程度で歴史を語る姿勢について、東洋史学者の故・岡田英弘氏は『歴史とはなにか』において、これを「アメリカ文明」の特徴としつつ次のように指摘しています(P25〜30)。
ひじょうに重要な文明だが、基本的に歴史のない文明がある。アメリカ文明のことだ。アメリカ合衆国は、世界の文明のなかでもっとも特異な文明であって、アメリカ文明には普遍性がほとんどない。
(中略)
ジョージ・ミケシュというユダヤ系ハンガリー人のユーモア作家が、現代アメリカ探訪記を書いている。ミケシュが指摘しているが、アメリカ人が歴史を論ずるばあいは、かならず現代世界のパラレルとして、ヨーロッパの前例を引用する。それも、ローマ帝国ではこうなったから、アメリカもこうならないように気をつけなければならない、というような大ざっぱな比較をする、と言っている。こういう歴史の受け取りかたは、歴史の本場に暮らすヨーロッパ人の感覚とはかけ離れている。
(中略)
「歴史(History)」ということばは、アメリカでは「誰でも知っている話」ぐらいの意味で軽く使われる。ある有名人の夫人が、自分と夫の出会いについて語って「それからあとは歴史よ(The rest is history)」と言っているのを読んだことがある。
(中略)
アメリカ文明に歴史という要素がかけている結果、アメリカ人は現在がどうあるかということにしか関心がない。過去はもう済んだことだ。だからアメリカでは、過去を問う歴史の代わりに、現代だけを扱う国際関係論と地域研究が人気がある。

アメリカ合衆国が、歴史を拒否して成立した文明であり、歴史のない文明であるという、その本質は、アメリカが日本などの歴史のある文明と交渉するばあいに取る態度に、くっきりと出ている。

たとえば、貿易摩擦をめぐる交渉では、アメリカ側は、現状は不合理だ、と主張して、直ちにこう改善せよ、と要求する。それに対して日本側は、その問題には、こういう「歴史的な」事情があって、それが原因なのだから、その改善のためには、そこまでさかのぼって手当てをする必要がある、と応ずる。日本人の立場では、これは正直な言い分なのだが、アメリカ人はそれを聞いて、歴史に逃げ込むことは卑怯だ、歴史なんていうのは単なる言いのがれだ、大切なのは過去ではなく現状だ、直ちに法律でも作って現状を改善せよ、と言い返すことになる。

歴史に関心のないふつうのアメリカ人にとっては、歴史のある文明に属する外国人が、現在の世界を見る際に、同時に過去の世界まで視野を入れるのは、はなはだ奇怪に感じられる。アメリカは常に現在であり、常に未来を向いている。
※保阪正康批判に岡田英弘氏の新書を持ち出すことには異論もあるでしょうが、新書といえど史学者の書なのでその思想が現れているものです。また、毀誉褒貶さまざまな方でしたが、やはり学者ではあったと思いますよ。

かつてアメリカはウサマ・ビンラディンを子飼いにしていましたが、時を経て宿敵に転化したことがありました。ここで注目すべきは、ウサマ・ビンラディンはアメリカと蜜月関係にあった頃もアメリカの敵になった頃も何一つ変わっていなかったことです。彼の思想と歩んできた道は一貫していました。サダム・フセインとの関係もそうでした。このことは、岡田氏が見る「アメリカ人の歴史感覚」と踏まえて考えるに、結局のところ、「アメリカ人は今のことしか考えていないから、昨日の敵が今日の友になったり今日の友が明日の敵になったりして、そのたびに右往左往する」ということになるでしょう。

※余談。こういうアメリカ人の刹那的利益追求姿勢ゆえに、アメリカがその本場として隆盛を極めた新古典派経済学もまた、刹那的な利潤最大化を追い求めるブルジョア学問に成り下がったのかなと思ったりします。

ローマ帝国ではこうなったから、アメリカもこうならないように気をつけなければならない、というような大ざっぱな比較」が精一杯になってしまうほどに歴史感覚を欠如させることの危険性をアメリカ人は体現しています。そして保阪氏の上掲記事はアメリカ的な失敗の轍を踏んでいると言わざるを得ないものです。さらに、そんな保阪氏がベストセラー作家となり、その雑な分析が重宝されているところに日本社会の世論状況が危険な状態にあることを示しています

■NHKの、そしてそれを視聴する日本社会の歴史を語る姿勢・歴史感覚はここまで退化しているのか
もっとも、保阪氏の上掲記事はあくまでも東京新聞のコラムです。私は東京新聞の紙媒体購読者ではないので正確なところは分かりませんが、2面か3面あるいは国際面あたりに掲載されたもので、テレビニュースで言えば番組中盤以降に出てくるようなものだと思われます。

これに対して5月23日夜10時にNHK総合が放送し、短期間のうちに何回も再放送されている「映像の世紀バタフライエフェクト」の「スターリンとプーチン」は、保阪稿以上に雑な「なんとなく似ている」でした。開戦1か月目の保阪稿もひどいものでしたが、3か月目のNHK番組が更に退化しているようでは話になりません。

番組の狙いは明らかにプーチン大統領をスターリンと同類視するところにあります。番組冒頭、スターリンについて「強い国を作るには手段を選ばず」とした上で「(スターリン統治の)悲劇から半世紀、ロシアに再び強力な指導者が現れる」としてプーチン大統領を紹介。「社会主義の崩壊を目の当たりにし、その絶望を復讐のエネルギーに転じた」と決めつけつつ、スターリンとプーチン大統領の両者について「歴史の知られざる連鎖をたどる」と大風呂敷を広げて番組は始まりました。

しかしながら、実際に番組中で触れられたのは、スターリンについては「5か年計画強行に伴うホロドモール」「大粛清を通じた独裁の完成」及び「苛酷な戦争指導」の3つ。これに対してプーチン大統領については、大統領になるまでの道のりと就任後の高度経済成長、真偽不明のリトビネンコ証言、そして今般のウクライナ侵攻くらい。おそらくスターリンからの印象操作を狙っているのでしょうが、ウクライナ侵攻についてはほとんど触れませんでした。

なお、2008年の戦勝記念日においてプーチン大統領がスターリンについて言及した演説については、同演説の基調的内容はすでに1987年のゴルバチョフ演説にもみられるものです。プーチン大統領オリジナルのものではありません。そして歴史的事実として、いわゆる「共産党保守派」にかなり配慮したゴルバチョフの当該演説でしたが、ゴルバチョフはその後、ブレジネフ・ドクトリンを放棄して東欧諸国の「民主」化を黙認したりソ連崩壊に際して「悪あがき」しなかったりと、共産党保守派が絶対に認めない道を敢えて進みました。スターリンの「歴史的業績」を「評価」したからといってプーチン大統領がスターリンの道を歩むというレッテルを貼ることはできないでしょう。

これでは「なんとなく似ている」にしても材料が足りなさすぎます。特にスターリンの最高指導者就任及び5か年計画強行とプーチン大統領の政界進出及び高度経済成長はその手法がまったく異なります。ホロドモールや大粛清と、真偽不明のリトビネンコ証言では比較にもなりません。そして、スターリンの戦争指導は巧妙なプロパガンダの展開により「人々をその気にさせる」ことの大成功例ですが、プーチン大統領の今般の戦争指導はスターリンほど上手くいっているとは言えないように見受けられます。

もちろん、スターリンとプーチン大統領それぞれを取り巻く経済構造や社会意識の異同をにはまったく触れずじまいでした。せめて、両者の個人的な性格の類似性を言い立てれば少しは様になったでしょうに、それさえもない。プーチン大統領の成長過程におけるスターリン主義の影響の分析さえもない。ただ、両者が関わった少数の歴史的事実について、その表面的な類似性を並べることで両者を比較したつもりになるという保阪稿をさらに劣化させたような番組構成でした。

いっそ大河ドラマ風に仕立てればまだマシだったでしょうにドキュメンタリー風に仕立て上げたので中途半端さを増しています。NHKの、そしてそれを視聴する日本社会の歴史を語る姿勢・歴史感覚はここまで退化しているのかと驚きを感じざるを得ないものでした。

■薄っぺらい人間観に基づく歴史描写
番組の大枠からして見るに堪えない構成ですが、内容も驚くべきものでした。歴史を動かした要素、要するに人間観が非常に薄っぺらいのです。

まず番組のスターリン描写が非常に単純だったことです。

「恐怖による支配」の一本勝負でした。番組は「巨大国家を一つに束ねる手段は恐怖による支配」としてスターリン体制=恐怖政治という構図を描きましたが、政治とはそんなに単純なものではありません。スターリン時代に関する研究ついては日本語でもかなり読めるようになってきましたが、巧妙なプロパガンダの展開により「人々をその気にさせる」ことで統治を固めていたことが分かります。

次に、独ソ戦の描写においてナチス・ドイツの報告書が番組の主張内容を肯定的に支える材料として使われていたことです。

番組は、スターリンの犯罪を意図的に矮小化・地域限定化し、スターリンがウクライナだけを狙い撃ちしたかのように描いています(もちろんスターリンが撒き散らした惨禍はウクライナに限られたものではなく、ホロドモールの同時期、同じような飢餓地獄がソ連全土で展開されていました)。その流れで独ソ戦最初期のドイツニュース(ゲッベルスの宣伝省検閲済み)の「ウクライナではソ連の抑圧から救われた住民がドイツ軍を迎えました」という一コマを放映しつつ、「侵攻してきたナチスを解放者として歓迎したものも数多くいた」とか「スターリンへの反旗はウクライナ全土に広がっていた」というアナウンスを挿入し、それで話を終わらせてしまうという我が目・我が耳を疑う描写が放映されたのです。

独ソ戦初期にナチス・ドイツの軍隊を「解放者」として迎えたウクライナ人が存在し、そのことをナチス・ドイツが格好の宣伝材料として用いたことは事実です。しかし史実は、ナチス・ドイツ占領統治がほどなくして苛酷になったことから「解放者」として歓迎する向きはなくなり、むしろ赤軍パルチザンの活動が激化したものです。トレブリンカ強制収容所(1942年〜1943年)が少数のドイツ人の親衛隊士官とウクライナ人看守によって運営されていたことが示すように、その後もナチス・ドイツと歩調を合わせたウクライナ人もいましたが、決してウクライナ人全体を代表するものではありません。

しかし番組では「スターリンへの反旗はウクライナ全土に広がっていた。『追い詰められたスターリン』は苛酷な命令を強いた結果、ソ連は戦争に勝った。ウクライナでは対独協力者への苛酷な報復が続いた」という筋書きでストーリーは戦後に移ったのでした。

独ソ戦におけるソ連勝利の要因が「恐怖」によるものであるというとんでもない見解も、ナチス・ドイツの報告書を転用する形で飛び出しました。国防人民委員令第227号を引き合いに出したところで、ナチス・ドイツの「彼ら(ソ連赤軍)は、イデオロギーでも祖国愛でもなく恐怖心で戦っている」という報告書を引用したのです。

独ソ戦にはロシア人やベラルーシ人、ウクライナ人といったスラヴ諸民族のほかに中央アジア諸民族、シベリア諸民族も大量に動員され命を落としたものでしたが、彼らがスターリンに対する恐怖心だけで戦っていたとでもいうのでしょうか? 下手をするとロシア以外にも飛び火する国際問題になりかねない歴史認識です。恐怖心だけで新国家建設ができないのと同様に、恐怖心だけで戦争を戦い抜くことなどできるはずもありません。あまりにも薄っぺらい人間観に基づく歴史解釈です。

■ナチス・ドイツの報告書が番組の主張内容を肯定的に支える材料として使われた意味
それにしても現代において、三流出版社の怪しい本ならまだしも、絶対悪ナチス・ドイツの報告書が公共放送の番組内容を肯定的に支える材料として取り上げられることに私は大変な衝撃を感じざるを得ませんでした

ところで、ナチス・ドイツの報告書に頼らずとも、スターリン統治の非道さを強調するためならば、ロシアの反体制的・自由主義的な歴史家や米英仏などの西側歴史家のからでも十分に持ってくることができたはずです。わざわざナチス・ドイツの報告書を持ち出してまでスターリンを非難する動機、そしてそんなスターリンとプーチン大統領とを重ね合わせる動機とはいったいどこにあるのでしょうか?

思い起こせばこの戦争においては、ネオナチとの関連性を強く疑わざるを得ないアゾフ大隊の存在が当初は徹底的に秘匿されていたところ、3月下旬あたりから急に「アゾフ大隊はネオナチではない」としつつ表舞台に出てくるようになったものでした。いまでは「ウクライナ軍指揮官」として、そのビデオメッセージがニュース番組で堂々と取り上げられるに至っています。このことについて「世に倦む日日」は「アゾフ連隊をクレンジング(政治漂白)するマスコミとネットの情報工作」としています。

それに続く今回のナチス・ドイツ報告書の肯定的引用。「アゾフ大隊はネオナチではない」というのは流石に苦しいのでしょうか。今度は「ナチス・ドイツに部分的なシンパシーを感じて何が悪い。スターリンはそれだけ酷かったんだ」という方向に話を持っていくつもりなのでしょうか?

■過去をなかったことにする日本、過去は過去としてあっさりと認めつつ「今は違う」で押し通すアメリカ
ちなみに、アゾフ大隊はネオナチか否かについては、日本公安調査庁の見解とアメリカCNNの報道との比較が興味深いことになっています。

すでに周知のとおり、公安調査庁は「国際テロリズム要覧」でアゾフ大隊についてネオナチと記したものの、今般の戦争が始まってから慌てて削除しました。「アゾフ大隊はネオナチ」という見立てを「最初からなかった」ことにしたのです(「日本の公安調査庁「アゾフ大隊はネオナチ」記載削除の赤っ恥 “鵜呑み誤報”にロシア猛批判」 公開日:2022/04/19 13:50 更新日:2022/04/19 14:34)。日刊ゲンダイに「アゾフ大隊がネオナチ的な傾向にあったと何度か報じられている。大慌ての末の削除は赤っ恥だ」と書き立てられる始末。とんだドタバタ騒ぎでした。

これに対してアメリカCNN。「極右「アゾフ大隊」、ウクライナの抵抗で存在感 ネオナチの過去がロシアの攻撃材料に」(2022.04.02 Sat posted at 14:00 JST)という記事では、過去においてネオナチ的傾向があったことをあっさりと認めつつも「今は違う」としています。

主張が一貫していること、つまり正統であることを重視する日本人的な歴史感覚と、「過去は過去」と割り切るアメリカ人的な歴史感覚の違いが、このあたりにも現れているように思われます。そして、アメリカ人の歴史への淡白さと比して歴史を非常に重視する日本人ですが、その割には「なんとなく似ている」程度で済ませてしまう姿勢・歴史感覚の危うさがさらに際立ちつように思われます

関連記事:10月23日づけ「歴史的に見て考えるということとは、どういうことなのか・・・リベラリズム批判として
posted by 管理者 at 16:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする

2022年06月01日

民衆の抵抗運動が「革命伝統」として体系化されていない日本で起こっていること

https://news.yahoo.co.jp/articles/d11ecf6524b8f783c351f3e27e0b80d42e7e4938
出所後は「権利の中で活動」 重信受刑者について長女語る
5/26(木) 19:08配信
共同通信

 1974年のハーグ事件で逮捕され、無罪を主張したが実行役と共謀したとする有罪判決を受けた「日本赤軍」元最高幹部重信房子受刑者(76)が、28日に懲役20年の刑期満了を迎えるのを前に、長女メイさん(49)が26日、東京都内で共同通信の取材に応じた。重信受刑者の出所後の活動について「暴力ではなく権利の中でやれることをやると思う」と話した。

(以下略)
コメント欄。
あれだけ自らの革命の実現のために暴力で社会転覆を図ってきた人物が
最終的に日本国国民の権利に守られる事になるとは皮肉でしかない
活動家たちが自由に政治活動を続ける事ができるのも
結局は日本の民主主義・資本主義の庇護下にあるからだ
社会を倒そうとしていた人たちが実は誰よりも社会に甘えていた
何とも皮肉な教訓ではないだろうか
階級闘争を掲げる「革命的」な人たちがいう「権利」とは、権力に対する民衆の抵抗運動が勝ち取ったものです。「社会に甘えてい」るどころか、自分たちの必死の闘争によって勝ち取った戦果そのものであり、そしてそれが再び権力によって脅かされることがあれば、また決起して運動の成果物を守り抜く決意の対象なのです。

民衆運動に対する権力側の妥協は、しばしば「権力者のご慈悲・徳の現れ」として描かれるものです。もちろん、権力者のプロパガンダ以外の何物でもありません。民衆の反乱を受けてしぶしぶ譲歩せざるを得なかったにも関わらず、その事実を認めてしまうと権力者の権威は完全に失墜してしまうがゆえに、苦し紛れに「権力者のご慈悲・徳の現れ」という言い逃れに走っているに過ぎません。しかしながら、そんな露骨なプロパガンダを真に受けがちなのが我らが日本世論です。あれだけ自らの革命の実現のために暴力で社会転覆を図ってきた人物が最終的に日本国国民の権利に守られる事になるとは皮肉でしかない」だの「社会を倒そうとしていた人たちが実は誰よりも社会に甘えていた」だのという言説には、そうした発想が非常に色濃く現れています。

冷静に歴史を見返せば、日本の民衆は時の権力者に対して必要に応じて抵抗運動を展開してきました。このことは、小学校社会科レベルの日本史知識であっても直ちにわかるはずです。封建時代の農民一揆、近代初期の明治自由民権運動や大正デモクラシー、戦後民主主義の諸運動などです。日本の民衆は、政権を転覆させるまでには至らなかったものの、時の権力者の横暴に対して一定の抵抗運動を展開して自らの手で権利を勝ち取っていたのです。

しかしこれらの歴史的成果は、断片的な歴史的出来事の羅列としてのみ記録・記憶されており「革命伝統」として体系化されていないように思われます。

民衆による権力者に対する抵抗運動の歴史・系譜が「革命伝統」として体系化されない中で、民衆運動に対する権力側の妥協を「権力者のご慈悲・徳の現れ」とする露骨なプロパガンダばかりが幅を利かせているのが現代日本の世論状況であり、そうした世論状況が非常に色濃く現れているのが上掲ヤフコメであると私は考えます。民衆の権利を「権力者のご慈悲・徳の現れ」とみなす前近代的・時代錯誤的な社会意識が依然として残っているのです。
posted by 管理者 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする