2022年10月24日

厳しい情報統制か敷かれているロシアよりも、「セルフ情報統制」している日本の方が大問題

https://news.yahoo.co.jp/articles/0fe540dcf76ace1f755f4e964e818cf3f52c3650
鈴木宗男氏 批判受けても貫く“ロシア擁護”…米英のロシア劣勢情報に「本当なのか」と疑念
10/18(火) 6:01配信
女性自身

ロシアによるウクライナ侵攻が始まってから8ヵ月が経とうとしている。10月10日、11日にウクライナに向けて発射されたミサイルは100発を超え、少なくとも30人にのぼる死者が出たと報じられるなど、未だ終結の兆しが見えない。

そんななか、日本維新の会の鈴木宗男参院議員(74)が更新したブログが物議を醸している。

14日にロシアのプーチン大統領は会見で、「国防省は、部分的な動員を開始した当初、30万人ではなく、もっと少ない人数を想定していた」「部分的動員に関する追加的な計画はなく、国防省から新たな提案も受けていない」などと発言。

これを受けて鈴木氏は16日にブログを更新し、《ロシアが劣勢とか追い詰められているという情報が、アメリカ、イギリスの情報筋から流れ、日本のメディアはそのまま流しているが、その情報は本当に正しいのかとふと考える》と持論を展開した。

さらに、《後2カ月もすれば、どこの情報が正しかったか、テレビに出ている軍事評論家、専門家と称する人たちの発言が正確であったかどうか、はっきりすることだろう》と続けた鈴木氏。

(以下略)
ロシアが劣勢とか追い詰められているという情報が、アメリカ、イギリスの情報筋から流れ、日本のメディアはそのまま流している」という鈴木宗男議員。たしかに、もう間もなくこの戦争がウクライナの勝利に終わると言わんばかりの報道もあります。しかし、アンテナを高く張って注意深く見てみると必ずしもそのような情報ばかりではありません。たとえば、10月10日のTBS系地上波情報番組「ひるおび」のクリミア大橋爆発事件特集では、防衛研究所の高橋杉雄・防衛政策研究室長がMCの恵俊彰氏の問いに対して次のように回答しました。
恵俊彰)このまま一気にウクライナが取り戻すってことは高橋さん考えられないんですか

高橋杉雄)この戦争って片方が有利に立つともう片方が何とか対抗手段を取ってくるという、ある種のシーソーゲームが続いていますから、現状ウクライナが優位ですけどロシアが何とか動員で、少なくともいま20万集まっていると言われていますから、装備状態・士気が悪くとも20万という数字はそれなりの力を持つのでそこで一旦ウクライナを止めにかかると。そこで止めきれるかどうかというところですね。止めきれる可能性もこれまでの流れから見てあるのかなとは思いますね
「ひるおび」はもう放送開始から10年以上経つ、この手のワイドショー的情報番組としては長寿番組に属するだけにある程度の視聴率を誇っている番組です。そんな番組でも、注意深く見てみると一応は報じられているのです。

問題は、一応報じられているにもかかわらず、それが見落とされていることでしょう。たとえば、「ひるおび」のコタツ記事である下記記事では、高橋氏の予測がカットされています。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/10/10/kiji/20221010s00041000343000c.html
高橋杉雄氏 クリミア橋爆発の意味「プーチン大統領の誕生日以外の理由は考えられない」
[ 2022年10月10日 13:54 ]

(中略)
 高橋氏は「タイミング的には、特にクリミアを狙った攻勢をまだかけられている情勢でもなく、まだ戦場はドニプロ川の西側ですから、タイミング的にはおそらく軍事的というより政治的なものであったであろうということ。ただ、どういう方法で爆破したのかよく分からないというところはある」とし、MCの恵俊彰氏が「ウクライナは勢いづく?」と聞くと、「まさにクリミア併合の象徴であるということで言えば、心理的なプラス要素、上がる要素というのは凄くあると思います」とした。また、恵の「(プーチン氏の)誕生日に近いというのは意味があります?」には「おそらくそれ以外の理由は考えられないですからね、今やったというについて言えば」と答えていた。
この戦争が始まって以来、日本世論は都合の良い情報に飛びつく兆候を強く見せてきましたが、これもその一例と言えるでしょう。

「プーチン政権の厳しい情報統制のせいでロシア人はこの戦争の真実を知らない」などと日本言論空間ではよく耳にしますが、かくいう日本人は「セルフ情報統制」で真実から目を背けていると言わざるを得ません。「セルフ情報統制」の方が大問題であるように思われます。
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2022年10月23日

歴史的に見て考えるということとは、どういうことなのか・・・リベラリズム批判として

https://news.yahoo.co.jp/articles/cce0dc595c53af8838405c43036a0f7201562bfd
ソ連軍のアフガン侵攻から読むウクライナ戦争の今後
10/16(日) 15:00配信
毎日新聞

 ロシア軍のウクライナ侵攻は、43年前のソ連軍のアフガニスタン侵攻との類似性を強めている。予備役の部分的な動員は中長期の戦争への構えとみられるが、アフガンでの約10年の泥沼の戦争がソ連を疲弊させ、ひいてはソ連解体につながったように、ウクライナとの戦争の長期化はプーチン政権をますます苦しい立場に追い込むだろう。

 ◇ウクライナとアフガン その類似点
 プーチン露大統領が9月21日に発表した予備役の部分的な動員は、「特別軍事作戦」の名のウクライナ侵攻が事実上の「戦争」であり、戦争が中長期にわたることをプーチン氏自身が認めたことを意味する。アフガン侵攻がソ連にもたらした大きな負のインパクトを見ると、ウクライナ侵攻がロシアに何をもたらすか、大まかに読むことができる。

(中略)
 プーチン氏も、アフガン侵攻当時のソ連のブレジネフ書記長も「西側先進国は大した反対はできまい」と甘くみていたはずだ。しかし予想に反し、両侵攻は米国を中心に西側先進国をかつてないほど結束させ、対露(ソ連)強硬姿勢で足並みをそろえさせてしまった。

 今回のように、アフガン侵攻に対して西側先進国は厳しい経済制裁を打ち出し、モスクワ・オリンピック(1980年)をボイコットし、ソ連の孤立化を図った。これがいかにソ連に高くついたか分かる。

 ◇中国とソ連の経済力の逆転
 ソ連軍のアフガン侵攻前年の78年、中国は改革開放に踏み切り、西側から巨額の財政支援と技術協力を得て、80年代を通じて産業の基礎を作り、国力を蓄えていった。同じ時期、孤立したソ連はエネルギーと農産物輸出のモノカルチャーの産業から脱皮できず、国力を衰退させていった。

 中露の経済力はこの時期に逆転し、今日の格差になった(ロシアの2021年の名目国内総生産<GDP>は中国の約9%)。同じ社会主義国ながら、西側の支援があった国と、そうでない国のその後の違いは明らかだ。

 西側先進国は安全保障でも妥協しなかった。ソ連は70年代半ば、東欧に中距離ミサイルSS20を配備した。これに対して米欧は「力には力」で応じ、市民の大々的な反核デモに直面しながら、80年代初めからSS20に対抗する中距離弾道ミサイルの西欧配備に踏み切る。

 また米国は宇宙に迎撃兵器体系を配備して、敵のミサイルを迎撃する戦略防衛構想(SDI、通称スターウォーズ計画)も発表し、軍拡を仕掛けていく。ソ連は経済的、技術的について行けず、中距離ミサイル全廃交渉で87年に妥協した。

 ソ連軍がアフガンから撤退したのは侵攻から約10年後の89年2月。その約3年後の91年末、ソ連は崩壊した。アフガン侵攻が直接的な原因ではないとしても、制裁による経済の低迷と、社会の閉塞(へいそく)感がボディーブローのように効いたことは間違いない。

(以下略)
西川恵・毎日新聞客員編集委員の署名記事。「リベラル」紙である毎日新聞らしい歴史の見方です。まるでアメリカ人のような雑な歴史の見方と言わざるを得ません。同様の歴史の見方を批判した6月5日づけ「日本社会の歴史を語る姿勢・歴史感覚はここまで退化しているのか」から、東洋史学者である故・岡田英弘氏の『歴史とはなにか』から引用した部分を再掲します(P25〜30)。
ひじょうに重要な文明だが、基本的に歴史のない文明がある。アメリカ文明のことだ。アメリカ合衆国は、世界の文明のなかでもっとも特異な文明であって、アメリカ文明には普遍性がほとんどない。
(中略)
ジョージ・ミケシュというユダヤ系ハンガリー人のユーモア作家が、現代アメリカ探訪記を書いている。ミケシュが指摘しているが、アメリカ人が歴史を論ずるばあいは、かならず現代世界のパラレルとして、ヨーロッパの前例を引用する。それも、ローマ帝国ではこうなったから、アメリカもこうならないように気をつけなければならない、というような大ざっぱな比較をする、と言っている。こういう歴史の受け取りかたは、歴史の本場に暮らすヨーロッパ人の感覚とはかけ離れている。
(中略)
「歴史(History)」ということばは、アメリカでは「誰でも知っている話」ぐらいの意味で軽く使われる。ある有名人の夫人が、自分と夫の出会いについて語って「それからあとは歴史よ(The rest is history)」と言っているのを読んだことがある。
(中略)
アメリカ文明に歴史という要素がかけている結果、アメリカ人は現在がどうあるかということにしか関心がない。過去はもう済んだことだ。だからアメリカでは、過去を問う歴史の代わりに、現代だけを扱う国際関係論と地域研究が人気がある。

アメリカ合衆国が、歴史を拒否して成立した文明であり、歴史のない文明であるという、その本質は、アメリカが日本などの歴史のある文明と交渉するばあいに取る態度に、くっきりと出ている。

たとえば、貿易摩擦をめぐる交渉では、アメリカ側は、現状は不合理だ、と主張して、直ちにこう改善せよ、と要求する。それに対して日本側は、その問題には、こういう「歴史的な」事情があって、それが原因なのだから、その改善のためには、そこまでさかのぼって手当てをする必要がある、と応ずる。日本人の立場では、これは正直な言い分なのだが、アメリカ人はそれを聞いて、歴史に逃げ込むことは卑怯だ、歴史なんていうのは単なる言いのがれだ、大切なのは過去ではなく現状だ、直ちに法律でも作って現状を改善せよ、と言い返すことになる。

歴史に関心のないふつうのアメリカ人にとっては、歴史のある文明に属する外国人が、現在の世界を見る際に、同時に過去の世界まで視野を入れるのは、はなはだ奇怪に感じられる。アメリカは常に現在であり、常に未来を向いている。
アフガン侵攻が直接的な原因ではないとしても、制裁による経済の低迷と、社会の閉塞(へいそく)感がボディーブローのように効いたことは間違いない」などと予防線を張る西川氏ですが、経済制裁や軍事的圧迫で崩壊するのならば、「北」朝鮮はもうとっくに崩壊しているでしょう。

「北」朝鮮がなぜ苛酷な外的環境に直面しているにも関わらず赤旗を掲げ続けているのかと言えば、「自立的民族経済」のスローガンが端的に示しているように、同国政府が一貫して内発的・内在的発展のために注力してき、一定程度それを実現させているからに他なりません。核・ミサイル開発ひとつとっても、ある程度の工業力水準を自力として持っていることが分かります。核・ミサイル開発を進めるにあたっては輸入するほかない材料もあるわけで、外貨獲得用輸出品を生産するための社会経済制度が整備されていることが分かります。

一国の社会状態を見るにあたっては外的環境を無視してはなりませんが内的環境に主眼を置くべきです。キム・ジョンイル総書記は「人間が社会的財貨をもち、社会的関係で結ばれて生活する集団がすなわち社会」と定義されました(『社会主義建設の歴史的教訓とわが党の総路線』P13)。それゆえ、ここでいう内的環境とは、社会的財貨及び社会的関係の状態、並びに人間そのものの状態を指します

ソ連の崩壊は、同国の指令的・中央集権的な経済制度が構造的・客観的に抱えていた根深い問題(社会的財貨及び社会的関係の状態)に加え、そういった困難をあくまでも社会主義の道に沿って乗り越えようとする主体の準備不足(人間そのものの状態)に起因するものです。これに対して中国は、改革開放の旗の下、建国以来続けてきたソ連型の硬直した経済制度を短期間で根本的に転換しました。つまり、主客両面において硬直的な体制が腐朽していった結果がソ連崩壊だったわけで、アフガン侵攻があろうとなかろうと結末は同じだったと思われます。西川稿にはこれらのことについては、まったく触れられていません。「アフガン侵攻が直接的な原因ではないとしても」という実に卑怯な予防線を張っている始末です。アフガン侵攻がソ連崩壊の直接的な原因でないなら「ソ連軍のアフガン侵攻から読むウクライナ戦争の今後」という記事はそもそも成り立たないでしょうに。

ロシアのウクライナ侵攻とソビエトのアフガン侵攻との「類似点」をどうしても見出したくて、まったく科学的ではないことを書き立てているわけです。

もっとも、毎日新聞で編集委員をやっているということは、そもそも社会歴史を科学的に見る目を持っておらず、こうした視点が欠けていることに気が付いていないのかもしれません。上掲・岡田英弘の言のような歴史の見方をしているアメリカ人は、自分たちが特異な歴史の見方をしているという自覚がないとのこと。それと瓜二つの歴史の見方を披瀝した西川氏においても、その可能性は十分にありそうです。

掲題事項を、記事本文中の(よりにもよって)予防線的なくだりで自らブチ壊すという前代未聞のハチャメチャな記事を書いた西川恵・毎日新聞客員編集委員。彼の記事を通して私は、「一国の社会状態を見るにあたっては外的環境を無視してはならないが、内的環境に主眼を置くべき」であること、そして「内的環境とは、社会的財貨及び社会的関係の状態、並びに人間そのものの状態を指す」ということを歴史の見方として提唱したいと思います。時代ごとの社会的財貨及び社会的関係の状態、並びに人間そのものの状態を洗い出し、それらを比較対照することが歴史的に見て考えるということなのです。

関連記事:6月5日づけ「日本社会の歴史を語る姿勢・歴史感覚はここまで退化しているのか
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2022年10月19日

啓蒙主義的個人主義とチュチェ思想との決定的な違い

https://news.yahoo.co.jp/articles/ea8718cf57c41cde30c6adb36a428221fc43f393
「プラなし生活」 1カ月の挑戦で実感したのは…
10/9(日) 10:20配信
西日本新聞

(中略)
 1カ月の挑戦で実感したのは「お金と時間がかかること」。鮮魚店や調味料の量り売り店まで地下鉄と徒歩で約40分。そうそう頻繁には行けず、食材が不足して、卵かけご飯に頼った。
(中略)
「小さなことの積み重ね」
 1カ月間、家庭ごみの量はいつもの半分以下に減った。公開した動画は22本。再生総数は約2800万回に上った。「自分も何かやってみる」「レジ袋をもらわないようにした」「1人がやっても社会は変わらない」。視聴者からさまざまな感想が寄せられたが、多くは前向きな意見だった。

 広瀬さんは今もエコバッグやシリコーン製容器を持って青果店や精肉店に通い、食器はヘチマのたわしで洗う。「僕だけで社会を変えられるとは思っていない。小さなことを積み重ねて、一人でも共感してくれる人を増やしたい」

西日本新聞
■目的志向性・目的意識性が希薄なエコロジー・環境保護運動
小さなことを積み重ねて、一人でも共感してくれる人を増や」すのなら、「お金と時間がかかる」ことを個人に強いるのではなく、啓蒙・覚醒した個々人を糾合し、行政に対して補助金制度創設を求める組織的運動を展開した方がよほど現実的でしょう。しかし、昨今の啓蒙主義的個人主義に染まったエコロジー・環境保護運動はどうしてもそういった方向に運動を展開しようとはしません

子ども向けエコロジー講座などが非常に顕著でしょうが、この手の運動は、「こんなこと本当に毎日やるの?」と疑問に思わずにはいられない現実味・生活感のないキャンペーンに終始しているように思います。

この手のエコロジー・環境保護運動が真に目的志向的・目的意識的な運動であれば、何よりも目標達成が優先されるはずですが、かなり長い年月にわたって運動が展開されているのにもかかわらず、運動の拡大は乏しく成果が上がっているとも言い難いところです。現時点においてこの手のエコロジー・環境保護運動には目的志向性・目的意識性が希薄であると言わざるを得ません。意地の悪い見方かも知れませんが、「気づきのキッカケ作り」とった関心の喚起や、あるいは、「実践難易度の高いことに敢えて挑戦している自分」に対する自画自賛的宣伝が目立っているように見受けられます。エコロジー・環境保護運動に参加することが重視・優先されており目標達成は二の次になっているように見受けられます。

実践難易度が高い「お金と時間がかかる」ことをやった方が「やった感」が高いのかもしれませんが、多くの生活者には、実践難易度の高いことにチャレンジする余裕はありません。とりわけ金銭的負担の重いことに取り組む余裕は極めて乏しいところです。ここにおいてもし環境配慮型商品の購入にかかる十分な補助金制度があれば、家計にとっての金銭的負担を軽減するので、個々人をエコロジー・環境保護運動に巻き込むにあたって非常に効果的であるはずです。幾ら高尚な理念を持っていても、それを支える社会的物質基盤:制度的担保がなければ絵に描いた餅にすぎません。にもかかわらず、実践難易度の高いことに対するチャレンジ精神の旺盛さに対して補助金制度創設に対する冷淡さが際立っています。

■社会システムは一人一人の個人に対してあまりにも巨大であり個々人はあまりにも非力
そもそも一人一人が個人レベルで個別的に善い実践をしたからといって、それが社会レベルで善い結果につながる保証はありません。個人レベルでの善行が社会レベルでの善なる結果に至るという発想は、非常に「素朴」なものです。

社会は個々人が集合することによって形成される一つの巨大なシステムであると言えます。社会システムは一人一人の個人に対してあまりにも巨大であり個々人はあまりにも非力なので、一人一人が意識を変え行動を変えるだけでは変化をもたらすことは困難です。個々人が脳味噌一個・腕二本・脚二本でなし得ることの範囲は限定的なのです。一人一人の個人に対してあまりにも巨大な社会システムにおいて提起される課題は、個人レベルの課題とは質的にまったく異なるので、当然、解決方法も異なります。啓蒙・覚醒した個々人が個人レベルで最善最適な行動をとったからといって、それで社会システム全体が最適化されるとは限らないのです。

■啓蒙−決心−行動−成果が連続的な主観観念論
社会システムが一人一人の個人に対してあまりにも巨大であり個々人はあまりにも非力であることに対する無自覚は、個々人がその価値観と意志に基づき行動を自由に決定し、そうした個人の志ある行動により社会全体が変革されていくという主観観念論的社会観を提唱し、個々人に対してあまりにも巨大な社会システムが、個々人に与える客観的・構造的制約を軽視ないしは無視することにも繋がっています。実践難易度の高いことに対するチャレンジ精神の旺盛さに対して補助金制度創設に対する冷淡さの原因は、ここにも求められるかもしれません。

換言すれば、啓蒙−決心−行動−成果が連続的で「個人が改心すれば社会が変わる」と言わんばかりのビジョンは、それゆえに、啓蒙と決心との間の葛藤、決心と行動との間にある客観的・構造的制約、行動と成果との間にある因果関係に対してまともに分析を加えようとしません。また、そうであるがために、問題の所在を「決心したか否か」や「関係者が善人であるか悪人であるか」に設定してしまいます。

人間存在は社会的・経済的・制度的に規定されたものであり、社会経済制度・構造を根本から変革しない限りは社会は変革され得ません。人間行動をちょっと変えたくらいで社会が変革されると考えるのは、まさしく「観念論」と言わざるを得ません。個々人が半径数メートルの範囲内・ミクロレベルで取り組む程度の課題であれば、決心と行動との間にある客観的・構造的制約は大したものではなく、行動と成果との間にある因果関係は単純なものでしょう。啓蒙と決心との間の葛藤は軽微で済むでしょう。しかし、前述のとおり、社会システムは一人一人の個人に対してあまりにも巨大であり個々人はあまりにも非力です。個々人が半径数メートルを超えるマクロレベル・社会レベルでの課題に直面したとき、決心したからと言って容易には実践し難く、行動と成果との間にある因果関係は複雑に入り組んでおり予測困難でしょう。軽挙妄動しかねるものです。それゆえに啓蒙と決心との間の葛藤は深刻になりえるものです。

結局、個人レベルでの善行が社会レベルでの善なる結果に至るという「素朴」な発想は、ミクロレベルでの思考・方法論をマクロレベルに不適切に適用していると言えるでしょう。人間が「意識」を変え行動を変えることによって具体的にどのような経路をたどって社会システムが変わってゆくのかが曖昧で描き切れていないので、具体性のない空想・単なる観念論になってしまうのです。

■世界観的前提としての予定調和は神話・幻想
また、個人レベルでの善行が社会レベルでの善なる結果に至るという「素朴」な発想は、ある種の予定調和的な世界観を前提としたものですが、現実の世界において予定調和は神話・幻想と言わざるを得ないものです。「人間の願望の投影」といった方がよいかも知れません。個々人がそれぞれのタイミングと匙加減で、それぞれが思うところの「善行」を実践したところで、それらの歯車が上手く噛み合って社会的に有意義な結果に落ち着く保証など何処にもありません。やはり、啓蒙・覚醒した個々人が個人レベルで最善最適な行動をとったからといって、それで社会システム全体が最適化されるとは限らないのです。

■総括:啓蒙主義的個人主義とチュチェ思想との決定的な違い
「個人レベルでの善行の積み重ねで社会全体を善くする」のならば、啓蒙・覚醒した個々人を糾合して組織的な調整のうえで統一的に運動を展開する必要があります。一人一人の個人に対してあまりにも巨大であり、かつ予定調和が存在しないこの物質世界の社会システムにおいては、一人一人の個々人を糾合する組織的指導によって初めて人為的な改造行為が可能となり、社会的物質基盤:制度的担保が個々人の高尚な理念を物質化・現実化します。その結果として調和が実現されます。個々人が脳味噌一個・腕二本・脚二本でなし得ることの範囲は限定的であっても、それが組織的・有機体的に結合すれば、個々人がなし得る範囲を遥かに超える偉大な力として社会的物質基盤:制度的担保を実現させ、高尚な理念を現実のものにするのです。調和が実現するのです

チュチェ思想派として私は、一人一人の個々人を啓蒙・意識化して覚醒させることを重視することについては、啓蒙主義的個人主義と近しい立場にあります。しかし、啓蒙主義的個人主義とチュチェ思想との決定的な違いは、啓蒙主義的個人主義がミクロレベルでの思考・方法論をマクロレベルに不適切に適用していること、および無邪気な予定調和的世界観を採用していることだと私は見ています。

物価高騰のこのご時世において日々の生活に追われている多くの生活者にとってまったく参考にならない自己満足的な「プラなし生活」を1か月も続けておいて、なおも「小さなことを積み重ねて、一人でも共感してくれる人を増や」すと言ってのけるその浮世離れさ。啓蒙主義的個人主義に染まったエコロジー・環境保護運動もついにここまで来たかと思わずにはいられない記事です。
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2022年10月15日

「追い詰められている」のはアメリカ

https://news.yahoo.co.jp/articles/595cf34f02870379fae8454bf5dd538253f4a027
「ロシア内部に働きかけよ」ボルトン元大統領補佐官がプーチン打倒作戦を提唱
10/12(水) 11:02配信
JBpress

 (古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)

 ウクライナでの戦闘が一段と激化するなか、米国のトランプ前政権で大統領補佐官を務めたジョン・ボルトン氏が、今こそ米国は真剣にプーチン大統領を倒す作戦に着手すべきだ、という提案を発表した。ロシアのレジームチェンジ(政権の打倒による交代)を目指す工作を始めよ、という檄だった。

 この提言は、米国がまずロシア国内の反プーチン勢力を支援して内部からのプーチン大統領除去を第1の目標とすることを強調していた。こうした動きは、米国でプーチン政権への反発が高まっていることの表れとして注視される。

(中略)
■ このままでは苛酷な消耗戦が続く

 ボルトン氏はさらにこの論文で、ロシアでプーチン政権が続く限りウクライナ戦争が解決する可能性はなく、情勢はウクライナや欧米側にとって不利となり得るとして、以下の趣旨を指摘していた。

 ・ウクライナは現在軍事攻勢に出てはいるが、西側にとってはっきり「勝利」と定義づけられる展望が存在しない。

 ・ロシアは戦闘でかなりの被害を受け、国内でも反戦感情が高まっている。とはいえ、ウクライナ側の被害も大きく、破壊も莫大である。

 ・ロシアは核兵器使用の威嚇を続け、西欧にエネルギー面で与える被害も大きい。これから冬を迎えて、西欧側の反ロシアの団結がどこまで続くかわからない。

 ・ウクライナでは軍事衝突を止める停戦への動きはまったくなく、このままでは苛酷な消耗戦が続く展望が確実視される。

■ ロシア内部の造反を煽る

 ボルトン氏は以上のような情勢認識を明らかにしながら、ウクライナ側、さらには欧米側にとってのこの苦境を脱するには、米国がこれまでの政治的計算を変更し、ロシア側の反プーチン勢力を注意深く支援してレジームチェンジを試みる時期がきた、と述べる。そのうえで以下のような要点を強調していた。

 ・プーチン政権はかねてから「米国は様々な方法でロシアのレジームチェンジを試みている」と非難してきた。バイデン政権にはそうした動きはみられないのにロシア側はそう断定してきたのだから、実際にその工作を試みても大きな損失はない。

 ・ロシアの政権交代への障害は巨大だが、その実行は不可能ではない。だがそのためには単にプーチンを除去するだけでなく、過去20年にわたり築かれてきたプーチン中心の集団支配体制を排除しなければならない。プーチン側近にはプーチンより悪質な人物たちが存在する。

 ・米国が着手すべきレジームチェンジは外部からの軍事力を必要としない。ロシア内部の造反を煽ることを最初の手段とする。次にプーチン政権内の団結や連帯を揺るがせば、変化が可能となる。すでにロシアの軍部、インテリジェンス、国内治安担当部門などの内部には、ロシアのウクライナ侵攻に関してショック、怒り、恥辱、絶望がある。

(以下略)
戦争狂ボルトンが性懲りもなく妄言を口にしてきました。

単にプーチンを除去するだけでなく、過去20年にわたり築かれてきたプーチン中心の集団支配体制を排除しなければならない。プーチン側近にはプーチンより悪質な人物たちが存在する」などと述べたあたり、4月2日づけ「現代アメリカの「同志スターリン」」で取り上げた、米上院司法委員長リンゼー・グラムの主観観念論的妄言よりは進歩が見られます。しかしながら、強権で何とか国家を纏め上げているロシアのような国家において既存支配勢力を排除した場合どうなるのかについて、我々はすでにイラクでその末路を見ています。ボルトンという人物は、まだ20年も経っていない近しい過去から教訓を学び取る基礎的な学習能力もないのでしょうか?

とはいえ、ボルトンのような人物が「ロシアでプーチン政権が続く限りウクライナ戦争が解決する可能性はなく、情勢はウクライナや欧米側にとって不利となり得る」や「これから冬を迎えて、西欧側の反ロシアの団結がどこまで続くかわからない」、「このままでは苛酷な消耗戦が続く展望が確実視される」という見立てを提示したことは注目に値することです。

最近、希望的観測をふんだんに盛り込むことで定評のあるイギリスの情報機関がロシア軍の弾薬が底をつき始めていると発表したことを受けて、「【解説】ウクライナへの報復攻撃のコストは「約1000億円」ロシアは『弾薬やミサイルなくなりつつある』ますます劣勢へ」(10/13(木) 17:02配信 MBSニュース)をはじめとして「識者」が調子のよい「解説」を展開しているところです。このような状況において、ロシアを擁護する義理も動機もまったくないボルトンの見立てが際立ちます

朝鮮半島情勢の経過を見るに、ボルトンが敵国指導部の「斬首」を口にするときは、すなわち「アメリカに打つ手なし」であるということです。外交的交渉も軍事的恫喝も効かず、「斬首」という名の一種のテロ行為しか道がないわけです。

ロシアもかなり苦しいとは思いますが、「追い詰められている」のはアメリカかもしれません。
ラベル:国際「秩序」
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2022年10月14日

人民の福利を増進するリョンポ温室農場の竣工は並進路線の偉大な勝利

http://www.uriminzokkiri.com/index.php?lang=jpn&ptype=cforev&stype=2&ctype=3&mtype=view&no=43253
偉大な母なる党がわが人民に与えるもう一つの愛の贈物
めでたい10月の祝日に際して連浦温室農場の竣工式が盛大に行われる
敬愛する金正恩総書記が自ら竣工のテープカット

【平壌10月11日発朝鮮中央通信】人民の福利増進を最優先、絶対視する偉大な党中央の精力的な指導の下、今年の党と国家の最重要建設政策課題に策定され、成功裏に推進されてきた連浦温室農場の建設が意義深い朝鮮労働党創立77周年に際して立派に完工した。

大規模野菜栽培拠点である連浦温室農場の竣工式が10月10日、盛大に行われた。

朝鮮労働党総書記で朝鮮民主主義人民共和国国務委員長である敬愛する金正恩同志が、竣工式に出席した。

党中央委員会第8期第4回総会の決定によって世界屈指の大温室農場に、高い水準でオートメ化が実現した近代的な農場、朝鮮式農村文明創造の拠点にすばらしく立ち上がった連浦温室農場は、わが党が人民に与えるもう一つの愛の贈り物であり、繁栄の富であり、社会主義農村振興の新しい変革的実体である。

国の重要な工業都市、科学都市である咸興市と咸鏡南道人民の野菜供給問題をいつも重大事項として関心を寄せた敬愛する金正恩総書記は、その実現のために東部前線の空軍基地を大規模温室農場に転変させる雄大な構想を示し、自ら施工主、建設主となって建設事業を精力的に導いた。

党中央の崇高な意を体して奮い立った人民軍将兵は、連浦創造精神、連浦熱風を巻き起こし、わずか230余日間に人々が理想にのみ描き見ていた巨大な温室農場を世にこれ見よがしに打ち立てる奇跡を生み出した。

(中略)
めでたい10月の祝日に、偉大な党の人民大衆第一主義政治理念とチュチェの建築美学思想が完璧に具現された社会主義文化農場の誕生を宣布することになる竣工式場は、参加者の限りない激情と歓喜で沸き立っていた。

歓迎曲が響く中、敬愛する金正恩総書記が竣工式場に到着すると、花火が打ち上げられ、嵐のような「万歳!」の歓呼の声が天地を震撼した。

全ての参加者は、わが革命の厳しい環境下でも、人民の夢と理想を実現するための最も正確な路線を打ち出し、スケールの大きい目標と輝かしい未来を設計して活気に満ちた国家発展の新しい局面を果敢に開いていく敬愛する金正恩総書記を激情の中で仰ぎ、熱狂的に歓呼した。

金正恩総書記は、党中央の命令を立派に貫徹して果てしなく広い野原にすばらしい温室の海を広げた全ての軍人建設者に温かい祝賀と戦闘的激励を送った。

(中略)
朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員会委員である党中央委員会の趙甬元組織書記が、竣工の辞を述べた。

演説者は、敬愛する金正恩総書記の委任によって東海の海岸に人民のためのもう一つの宝の農場を立派に建設した人民軍将兵に温かい感謝と戦闘的あいさつを送ると述べ、めでたい10月の祝日とともに世界最大規模の温室野菜栽培拠点が盛大に竣工するようになったのは咸鏡南道の人民だけでない全国の喜びであり、慶事であると語った。

また、金正恩総書記は人民とした約束、人民の福利増進のための事業をどんな代償を払ってでも必ず結実をもたらすべき重大な課題に掲げ、敷地の確定と力量の編成、設計と施工、資材保障問題に至るまで、建設において提起される全ての問題を最優先的に解決してやるようにし、建設の全過程を精力的に導いたと言及した。

そして、党中央の特別命令を受けた軍人建設者が金正恩総書記が着工の鍬入れを行った場所の土を入れた赤い袋と血潮たぎる心で書いた誓書を胸に抱いて、昼夜を分かたず白熱戦を繰り広げることで、膨大な工事を成功裏に終えたことについて強調した。

演説者は、連浦温室農場の竣工は偉大な党中央と思想と志、呼吸と歩幅を共にするわが人民軍将兵の英雄的闘争とわが国家特有の国風である軍民大団結の力がもたらした輝かしい勝利であると述べ、ともにわれわれの力、われわれの手でよりよい明日を早めるために勇気百倍にして、信念に満ちて引き続き力強く闘っていこうとアピールした。

敬愛する金正恩総書記が、竣工のテープカットを行った。

真の人民の党、母なるわが党の偉大な為民献身の道程に永遠に刻まれる崇高なシーンが広げられた竣工式場に、再びとどろく「万歳!」の歓呼の声と花火が上がり、感激の波が限りなくそよいだ。

(中略)
金正恩総書記は、わずか数カ月間にこのようにすばらしい大農場地区を目の前の現実に広げたのはただ、わが人民軍だけが創造できる奇跡の中の奇跡であると重ねてたたえ、わが党の人民愛を胸に刻み付け、人民のための壮大な建造物を打ち立てる上で革命軍隊の指揮メンバーとしての任務を立派に遂行した建設部隊の指揮官を身近に呼びつけて意義深い記念写真を撮った。

金正恩総書記は、果菜温室をはじめ栽培の建物を見て回りながら、野菜品種をいっそう増やし、温室の面積を効率的に利用するなど、野菜の栽培と経営・管理の科学化水準をより高め、仲坪温室農場と栽培競争を行って実際に咸鏡南道の人民がそのおかげを被る農場になるようにすべきであると述べた。

金正恩総書記は、わが国の自然気候条件で人民に野菜を充分に供給するためには連浦温室農場のような大規模の温室農場を各道に建設し、野菜栽培の近代化、集約化、工業化を実現すべきであると強調した。

金正恩総書記は、連浦地区で共産主義農村が見られるようにすべきである、連浦温室農場をモデルにして国の全般的農村の発展をいっそう強力に、確信をもって推進しようとするのが党中央の構想であると述べ、その実現のための具体的な課題と方途を打ち出した。

金正恩総書記は、連浦戦域で限りない忠実性と決死貫徹の献身的闘争気風を発揮して、今年の党と国家の最重要建設政策課題を党が定めた期日に、党が求める高さで完璧に遂行した軍人建設者に朝鮮労働党中央委員会の名で感謝を送った。

この上ない信頼と光栄に浴した全ての軍人建設者は、「祖国と人民に奉仕する!」というスローガンをいっそう高く掲げ、連浦温室農場の建設で発揮した闘争気質と創造気概を絶えず昇華させて、祖国防衛と社会主義建設の各戦域で党の軍隊、人民の軍隊としての聖なる使命と本分を全うしていく革命的熱意に満ちていた。

連浦温室農場の竣工は、困難であるほどいっそう強烈になり、熱くなるわが党の人民に対する限りない愛と人民大衆中心の朝鮮式社会主義の真の姿、折り重なる試練の中でも世紀を先取りして全面的繁栄へと飛躍するわが国家の必勝不敗の地位を再度全世界に誇示する意義深い契機となった。
東部前線の空軍基地跡地に人民軍将兵の労働力によって建設されたリョンポ(連浦)温室農場が竣工しました。国家核武力の完成がハリネズミの如き通常戦力の削減を可能とし、浮いた土地と労働力によってリョンポの地にも社会主義文化農場としての温室農場を建設できたものと思われます。

記事中、「軍人建設者」という単語が顕著に示しているように、リョンポ温室農場の建設において人民軍将兵の労働力が大黒柱として活躍しました。先軍政治という単語が使われなくなって久しいですが、「片手に銃・もう片手にハンマー」の先軍精神、人民軍将兵が持つ無条件的な革命的軍人精神の祖国建設への活用の伝統は今もなお共和国において重要な位置づけを占めていることが分かります。

国家核武力の完成により金城鉄壁の祖国防衛を維持しつつ人民の福利増進のための事業をも推進できるようになったのです。人民の福利が増進することは間違いなく非常に良いことです。朝鮮労働党第7次党大会で路線化された並進路線の偉大な勝利です。
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2022年10月09日

イーロン・マスク氏の「ウクライナは勝てない」発言に対する日本世論の反応から見えてくるもの

イーロン・マスク氏の「ウクライナは勝てない」発言が波紋を呼んでいます。波紋というよりも困惑というべきでしょうか。ロシアによる侵攻直後にウクライナをテクノロジーの面から支えたマスク氏がこのように発言。同じようなことを継続して発言し続けている鈴木宗男氏に対するバッシングとは明らかに違います。

いま日本世論は、米欧諸国の軍事支援を受けたウクライナが大きく前進しているのに対して、ロシアは戦場においても戦争指揮においても混乱と混迷を深めているという状況把握が主流です。そんな中での≪This is highly likely to be the outcome in the end – just a question of how many die before then≫と予見するマスク氏「勝っているのになぜ? それもマスクさんが」といった反応が多く見られます

マスク氏なりに冷静に情勢を整理した結果の「ウクライナは勝てない」なのでしょう。マスク氏のツイートはあまりにも短く断定的なので、どういう見立てでこの結論に至ったのかは不明ですが、ウクライナは米欧諸国、とりわけアメリカからの支援なくして戦争継続はまったく望めないところ、最近、対米関係においても温度差が目立ちつつあるように私には見受けられます(ここから述べることは私の見解です)。マスク氏の見立ては、まったく理解できないものではないと考えます。

今回はまず、マスク氏の提起を受けて最新の情勢分析をしたうえで、マスク氏発言に対する日本世論の反応について取り上げる2本立てとしたいと思います。

■戦争継続の可否に直結するウクライナと米欧諸国との温度差の拡大
米欧諸国はウクライナに対して巨額の軍事支援を実施し、それを活用してウクライナ軍は反撃を強めています。米欧諸国の支援なくしてウクライナは戦争遂行はまったく不可能です。しかし以前から指摘されているとおり、米欧諸国は実際にはウクライナが求めている武器等をオンデマンドには支給して来ず、戦争は「管理」されています。つい先日もハイマースを追加で4台供与すると米政府は表明しましたが、納入は何と数年後。米当局は在庫を切り崩して直ちに供与するのではなく、新たに調達したものをウクライナに供与する方針だといいます(「米、ウクライナにハイマース18基など11億ドル支援 納入には数年」9/29(木) 6:30配信 朝日新聞デジタル)。ウクライナと米欧諸国との温度差が目立ちます。

ここ最近飛び込んできたニュースにおいても注目したいものがあります。アレクサンドル・ドゥーギン氏の子女であるダリヤ・ドゥーギナ氏暗殺事件についてアメリカ当局が「ウクライナの犯行」であると断定したとリークされた件、そしてこのことが、従米国家ニッポンの国策報道番組であるNHK「ニュース7」で早速報じられた(10月6日放送)件です。

CIAはもちろん職務としてダリヤ・ドゥーギナ氏暗殺事件を調査するでしょうが、その調査結果を必ず公にしなければならないわけではありません。何らかの意図があってリークされ公になったものと考えるべきです。ましてそれを日本のような極東辺境国家にまで「遍く」報道させることには、さらに意図があると考えなければなりません。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6db19ffc532995556079a4d11c27f90718cbc280
米当局、ロシア思想家の娘の「爆殺」がウクライナの仕業と断定
10/6(木) 16:30配信
Forbes JAPAN

ニューヨーク・タイムズ(NYT)は10月5日、プーチン大統領の盟友とされる極右思想家の娘ダリヤ・ドゥーギンが8月にモスクワ近郊の自動車爆弾テロで死亡した事件で、米国の情報機関は、ウクライナがこの攻撃に関与したと考えていると報じた。ロシアは、この攻撃がウクライナのシークレットサービスの犯行だと非難していたが、ウクライナはそれを否定していた。

米国はこの攻撃に関与しておらず、ウクライナの当局が攻撃を許可したことを非難しているという。NYTは、匿名の政府関係者の証言として、この攻撃に関する情報が先週、米政府内で共有されたと報じた。

(以下略)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221006/k10013850511000.html
ロシア思想家の娘死亡“ウクライナ政府の一部が関与か”米報道
2022年10月6日 20時42分

プーチン大統領の「頭脳」とも呼ばれるロシアの著名な思想家の娘が、ことし8月に車の爆発で死亡した事件で、アメリカのメディアは、ウクライナ政府の一部が事件に関与していたとアメリカの情報機関がみていると伝えました。

ことし8月、ロシアの首都モスクワ郊外で走行中の乗用車が爆発し、プーチン大統領の外交政策に影響を与えてきたとされる思想家、アレクサンドル・ドゥーギン氏の娘でジャーナリストのダリア氏が死亡しました。

アメリカの有力紙のニューヨーク・タイムズは5日、この事件について、複数の当局者の話として、アメリカの情報機関はウクライナ政府の一部が爆発物による暗殺計画を許可したとみていると伝えました。

そのうえで複数の当局者はアメリカは事前に暗殺計画を把握しておらず、支援もしていないとしていて、事件のあとにはアメリカがウクライナ側に対し忠告をしたとも話しているということです。

また、当局者は暗殺計画の標的が実際はドゥーギン氏だった可能性があると話しているということです。

そして、伝統的に他国の秘密工作は明らかにされないとしたうえで、当局者はウクライナによる危うい行動を抑えなければならないと考えていると伝えています。
(以下略)
ウクライナの人権監察官として、今般の戦争にけるロシアによる戦争犯罪を幾つも告発してきたリュドミラ・デニソワ氏がロシア兵による性暴力事件を捏造したとしてウクライナ議会から解任された(「Ukraine Official Fired Over Handling of Russian Sexual Assault Claims」BY ADAM STATEN ON 5/31/22 AT 1:28 PM EDT Newsweek)とき、「ニュース7」を筆頭とする日本メディアはほぼ完全に黙殺したものでした。ダリヤ・ドゥーギナ氏暗殺事件の扱いが異例であることが際立ちます。ここにもウクライナと米欧諸国との温度差を感じざるを得ません

そして昨日、クリミア大橋で大規模な爆発があった件についてゼレンスキー・ウクライナ大統領は「これは始まりだ」などと述べたとされます(「ウクライナ側「これは始まりだ」 クリミア大橋炎上でプーチン氏が原因調査を指示」10/8(土) 17:50配信 テレビ朝日系(ANN))。クリミア大橋への攻撃がこれまで一切攻撃がなかった背景には、アメリカがそれを厳に禁じてきたからだとされています。そんなクリミア大橋に攻撃があった模様です。

アメリカのことなので、自らは手を汚さず手下にやらせるという可能性も絶無ではないものの、アメリカは「ロシア・ウクライナ両国ともに勝ち過ぎず負け過ぎず」の原則の下に戦争を「管理」してきており、アメリカがこの戦争の「終わらせ方」について方針転換したという兆候は見られません。そんな中でのクリミア大橋での大爆発とゼレンスキー大統領の匂わせ発言。ウクライナと米欧諸国との温度差がますます顕著になってきたように思われます。

なお、米欧諸国同士での温度差についてはもはや改めて論じるまでもないでしょう。

■ロシアからのメッセージ
ロシアについても「混乱」を描写する中から一つの可能性が見えてきています。

ペスコフ・ロシア大統領報道官は、併合したヘルソン州・ザポロジエ州とウクライナとの「国境」について「地域住民と協議を続ける」という不可思議な説明をしたといいます(「露、4州併合も「国境」説明できず 動員でも混乱」10/5(水) 21:54配信 産経新聞)。10月3日づけ「戦争の落としどころを歴史的に考えて」でも述べたとおり、これはメッセージとして捉えるべきでしょう。

また、いままで「周りをイエスマンで固めた裸の皇帝:プーチンが誇大妄想に駆られて始めた個人的戦争」として構図化されてきたこの戦争について、「強硬姿勢の私兵部隊と正規軍の対立鮮明に」という見方で報じられるようになってきました(「苦戦続くロシア軍 強硬姿勢の私兵部隊と正規軍の対立鮮明に」10/5(水) 18:44配信 毎日新聞)。プーチン大統領が独善的独裁的に采配をふるっているのではなく、フォロワーシップに配慮しつつリーダーシップを発揮しているという構図に修正され始めました。戦争はいまのところエスカレーションはしていません。強硬派の戦争拡大を望む破滅的な主張をプーチン大統領が抑えているという見方が出てきています。「プーチン政権下での停戦・終戦」という方向に構図が修正され始めているように見受けられます。

マスク氏の情勢整理が如何なる理由によるものかは分かりませんが、こうした現実の展開を総合的に踏まえたとき、まったく理解できないものではないでしょう。

■もっとも合理的・打算的に行わなければならない戦争において合理的な計算を疎かにしている
それではここからは、マスク氏の発言に対する反応を取り上げてみたいと思います(読みづらいコメントがあるので適宜、編集として改行を加えています)。

マスク氏がウクライナの「和平プラン」ツイート、大統領ら強く反発」(10/4(火) 12:08配信 Bloomberg)のコメ欄。
ビジネスや経済視点から考えればそうなんだろうが

さすが他人の感情が分からない天才ならでは、だ
マスク氏「和平案」に反発 侵攻終結の持論一蹴 ウクライナ大統領」(10/5(水) 14:15 配信 時事通信)のコメ欄。
マスク氏は経済人。経済的な視点はある一線を超えた場合は意味はないと思う。

ウクライナ市民がロシア軍に戦闘終了後に虐待や拷問の挙句に殺害されている状況下で停戦合意がウクライナ国内で承認されるだろうか?先ず、無理です。
では国際世論から言ったらどうか?
これも良い出せる国はいないと思う。
少なくともG7は今回のロシアへの併合を非難しており、停戦合意に向けて話なんかしないと思う。

更に、考えたくはありませんが、ウクライナ軍がヘルソンやセベロドネツクを奪還し、もしブチャやイジュームの様なことが発覚したら?
国際社会は更にロシアへの反発とウクライナ支援に向かうのではないか。
もとより戦闘行為を伴う戦争というものは政治的目標を達成するための一手段なのだから、非常に合理的・打算的に行わなければならないものです。マスク氏の主張を「金銭的合理性に偏重している」などとして批判する上掲2コメントは、奇しくも自らについて「合理性を捨象している」と自白していますw

「採算」が取れないなら戦闘行為を伴う戦争はしない、これは当然のことです。もっとも合理的・打算的に行わなければならない戦争において、「ビジネスや経済視点」だの「経済的な視点はある一線を超えた場合は意味はない」だのとマスク氏に唾を吐きかけるような非常に危険な発想。戦争というものの基本的な位置づけがそもそも日本においてはズレていることを示しているように思われます。

■実現可能性の問題に善悪・当為の問題として答えている
マスク氏「ウクライナ勝てない」 ツイッターに投稿、反発の声も」(10/5(水) 9:35 配信 共同通信)のコメ欄。
そういう問題ではない。
ロシアのこの侵略モデルが成功したらどんな地域でも無法者が統治する国ではこれを参考に戦争を起こすことが出来るということが問題。
ウクライナは勝てないではなく勝たなくてはならないなのだ。
勝つには勝つなりの支援をしなければならないし、どうせ支援するならウクライナ軍が取り返した領土にNATO軍を警備に駐留させるくらいのことはやった方がいい。この大動員は空白地帯から歩兵だけを送り込む作戦なのかも知れないから。戦闘地域での奪還はウ軍にやってもらえばいい。取られていない、奪還したところはNATOに防衛させる。
ご立派な大演説ですが、マスク氏の≪This is highly likely to be the outcome in the end – just a question of how many die before then≫という主張に対して「ウクライナは勝てないではなく勝たなくてはならないなのだ」や「勝つには勝つなりの支援をしなければならない」は、反論になっていません

「できるの?」「すべきなんだ!」「いや、だから『できるの?』って聞いているの」という不毛なやり取り。マスク氏の見立てが必ずしも正しいとは言い切れない(私には分からない)ところです。しかし、落ち着いて考えれば「話が嚙み合っていない」と直ちに分かるはずのところ、反論として成り立っていない上掲コメントを投稿・いいねクリックしてしまうあたり、一部世論は「冷静さを失っている」とはいえそうです。

■拙速にも一回の戦争ですべてを解決しようとしている
マスク氏「和平案」に反発 侵攻終結の持論一蹴 ウクライナ大統領」(10/5(水) 14:15 配信 時事通信)のコメ欄。
確かに今和平すればこれ以上の犠牲は出ないし財政的支援も終わりです、経済も回復するでしょう、第三者的見方ですね、ウクライナとしては自国を蹂躙され罪なき民間人が拷問等で多数殺害された、貴方が当事者ならどうする、この様な侵略者を勝利者にして良いのか、マスクさんの意見は自分の経済のみの意見だが、地球は国際法で決着をつけないと力の暴力が絶えないのではないか。
マスク氏「ウクライナ勝てない」 ツイッターに投稿、反発の声も」(10/5(水) 9:35 配信 共同通信)のコメ欄。
マスク氏の言い分は基本的に鈴木宗男氏などの親ロシア派の考えと変わらない。

自分には関係ない他人事であり、自身のビジネス環境を考えれば、戦争の長期化は避けたいという思惑。そこに自由や祖国を守るというマクロ理念、侵略のそもそもの意味を考える事も無い。

仮に自分達が侵略される立場であっても、新たな支配者に迎合して上手く立ち回る自信があるし、それが賢いと考える人達。確かに、こういった人達というのは、そういった能力に長けており、マクロな理念理想とは縁遠い存在。

この戦争の行方がどうなろうと、自身の考えを省みる事は無いのだろうと思う。降伏と言う和平を選択すれば自身の主張通りになるし、ウクライナ勝利でも多数の犠牲者を生み出した結果に論点をずらせばいい訳が成り立つ。

上手く立ち回る能力に自信があるのだろうが、彼の本質を見透かす人間も少なくはないだろう。
またしても反論になっていませんが、あえて彼らの問題提起に応えるとすれば、「この一戦で決着をつける必要があるのか」という問いを更に立てる必要があるでしょう。

4月15日づけ「本当に国のことを思うということは如何なることであるか、同志愛と革命的義理の在り方はどうあるべきか:キム・イルソン同志生誕110周年」で取り上げましたが、若きキム・イルソン主席は、祖国を日帝から取り戻すためにこそ「志遠」を掲げつつ断腸の思いで中国・満州に渡り、満州を根拠地として朝鮮解放の戦いを20年にわたって展開されました。当該記事でも述べましたが、首領様の決断を踏まえると一所懸命的な徹底抗戦、死守戦が祖国防衛のための唯一の道といわんばかりの言説は、事実に反する凝り固まった思い込みであるように思えてなりません。

マスク氏は、このままアメリカがウクライナ支援を継続・拡大し続けるとは見通さず、≪This is highly likely to be the outcome in the end – just a question of how many die before then≫としています。もしこの見通しが正しいとすれば、ウクライナは臥薪嘗胆して捲土重来を期する他に道はありません。「マクロな理念理想」を追い求めればこそ、「この様な侵略者を勝利者にして良いのか(そうするべきではない)」を貫徹すればこそ、「この一戦で決着をつける必要はない」と発想を転換し、ロシアを「百年千年の敵」と位置付けて対決を続ける以外に道はないものと思われます。

■21世紀になっても最終的な担保は「力」だが、「力と力の対決」を貫徹しきれていない
マスク氏「ウクライナ勝てない」 ツイッターに投稿、反発の声も」(10/5(水) 9:35配信 共同通信)のコメ欄。
例えばドネツク、ルハンシク州の一部をロシアに切り取られた状況で停戦合意したとして、確かに短期的には「平和」は訪れる。しかし、侵略して他国の領土を奪うことに成功したという事実は更なる侵略に繋がる。クリミア侵略が今回に繋がったことは明らかなように。だからこそウクライナは闘い続けている。

短期的な平和は経済不安のリスク軽減に繋がるし安全な他国でマネーゲームをしている人間が求めるのは当然だが、まさに命懸けで祖国や子孫のために闘うウクライナ人に対しそれを押し付けるのはあまりに利己的ではないか。目先の安定を求めたがために災いが何倍にもなって降りかかってくるなんて話は第二次
世界大戦でもあった。
これもまたご立派な演説ですが、徹底的に抗戦を続けて勝ち目はあるのかというのがマスク氏の問いなのです。

クリミア侵略が今回に繋がったことは明らかなように」というコメ主。たしかに一理ある主張ではありますが、ならば一旦停戦して時間を稼ぎ、その間に今度こそ金城鉄壁の国防を固めればよい話でしょう。今回の一戦だけで決着をつける必要はありません。

マスク氏、ロシアとの「和平案」提示 ウクライナ大統領ら反発」(10/4(火) 10:04 配信 AFP=時事)のコメ欄。
>ロシア編入の是非を問う住民投票の国連監視下でのやり直し、クリミア半島でのロシアの主権承認、ウクライナの中立国化を含む和平案

この人的には、停戦合意によってマーケットが始動し、核攻撃などの可能性が減り、自分の企業と資産の価値が下がらなければ、他はどうであれ問題無いんだよ。それが経営者というものなんだろうね。

ただしこの案は国家というものが領土と国民からなる、というのを無視しちゃってて、これがまかり通れば少数民族紛争のある国は外国勢力の軍事侵攻を招いて占領さえさせれば住民投票で独立できる、ということになっちゃう。

企業としての経営や経済的には誰がどこの国籍だろうと、どの国がどこを併合しようと交戦状態でなければ正常な市場として機能する、という事なんだろうけど、まぁあくまでこれは計算上の論理だし、嫌味を言えば戦争や交戦によって得をする人の事すら考えてないってことになるね。
これがまかり通れば少数民族紛争のある国は外国勢力の軍事侵攻を招いて占領さえさせれば住民投票で独立できる、ということになっちゃう」・・・仮に今回ウクライナがロシアを撃退できたとしても、力の信奉者たるロシアには「2022年の我々は弱かったから敗退した」という「教訓」しか残らないでしょう。まさかコメ主が期待するような道徳的な改心は望めないでしょう

イーロン・マスクの「ロシア寄り」の和平提案に非難が殺到」(10/4(火) 16:00 配信 Forbes JAPAN )のコメ欄。
それを認めたらウクライナの完全敗北だね。それが認められないからウクライナは戦って抵抗することを選択したんだから、認めてしまったらそれを守るために戦って命を落とした兵士と国民が完全に無駄だったことになってしまう。

それに戦争をしたら現状を変えることができるという実績ができてしまうので、ロシアに続いて戦争を仕掛ける国が多発し、結局は世界中で戦争を発生させる原因となることだろう。つまり戦争を収めようとしたことが、さらなる戦争を生み出すことになる。
認めてしまったらそれを守るために戦って命を落とした兵士と国民が完全に無駄だったことになってしまう」→だから戦争をやめられない・・・どつぼに嵌り込んだ人の典型的な発想。日帝も最後はこれで身動きが取れなくなったものでした。

戦争をしたら現状を変えることができるという実績ができてしまう」ともいいますが、それは既にアメリカの手によってアフガニスタンやイラクで実践済みのものです。ロシアがウクライナに対してやっていることは、アメリカがアフガニスタンやイラクでやっていることと大差ないと見るべきです。

そもそも今の「国際社会」は第二次世界大戦という「力ずくの現状変革」の上に成り立っているものです。また、東西冷戦は、両陣営が「力ずくで現状維持」したからこそ全面戦争には至らなかったものです。第二次世界大戦後に拵えられたさまざまな建前すべてを剥ぎ取れば、結局のところ依然として「力」が厳然として存在しています。つまり「何を今更」なのです。

戦争を収めようとしたことが、さらなる戦争を生み出す」ともいいますが、このままズルズルと戦争を続けるよりも、いったん停戦して時間を稼ぎ、その間にウクライナをハリネズミのような高度国防国家に改変して二度とロシアが手を出せないようにするという道もあるでしょう。何もこの戦争一回で決着をつける必要はないように思われます。「力と力の対決」であるからこそ、不利なときには何とかして時間を稼いで実力を養う必要があります。

最も合理的・打算的に行わなければならない戦争が泥沼化してゆく最も典型的な展開。「今日のウクライナ戦争は明日の台湾・沖縄有事」という見方に則れば、何としてでも北東アジア情勢が「台湾・沖縄有事」にいきつく前に事態を落ち着かせなければならないでしょう。この国は、ひとたび戦火の火蓋が切って落とされれば留まることを知らないからです。

結局、21世紀になっても最終的な担保は「力」なのです。このコメントを筆頭に日本世論は色々と御託を並べていますが、この根本的な原理を十分に理解していないように見受けられます。ときどき、理想主義的な願望・動機が見え隠れしているのが気になります・・・

■総括
もっとも合理的・打算的に行わなければならない戦争において合理的な計算を疎かにして善悪・当為の問題に拘泥すること、拙速にも一回の戦争ですべてを解決しようとすること、そして「力と力の対決」を貫徹しきれていないこと・・・イーロン・マスク氏の「ウクライナは勝てない」発言から相変わらずの世論反応が見えてきています。
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2022年10月03日

戦争の落としどころを歴史的に考えて

https://news.yahoo.co.jp/articles/b7cd6c7ffd28d1616586ee84b8c9ec19f4300448
ロシア軍、ウクライナ東部の要衝から撤退 「併合」宣言の翌日
10/2(日) 10:08配信
CNN.co.jp

ウクライナ・キーウ(CNN) ロシア国防省は1日、ウクライナ東部ドネツク州の要衝リマンからロシア軍が撤退したと発表した。ロシアのプーチン大統領は前日に、ドネツク州を含むウクライナ4州をロシアに「併合」すると宣言したばかりだった。

国防省はSNS「テレグラム」を通し、「包囲の脅威」が生まれたことに関連して、部隊がリマンから「より有利な戦線」へ撤退したと述べた。

国営放送「ロシア24」は撤退の理由として、ウクライナ側が欧米製の兵器や北大西洋条約機構(NATO)の情報を使ったためと伝えた。
■ロシアにとって言い逃れできない政治的大打撃
併合宣言の翌日に、当の併合地に含まれる要衝から撤退を余儀なくされる・・・スペインのミリタリーサイト:revistaejercitos.comの日次レポート(Ukraine War – Day 220)によると、≪It is still unknown whether the number of Russian soldiers, Cossacks and militiamen captured or killed is high. Although according to some sources the number of defenders could be several thousand, we still believe that most of them have been able to escape≫とのこと。撤退したこと自体は軍事的観点からは正しいのでしょうが、政治的な観点から見れば大打撃なのは間違いないでしょう。

ようやくウクライナ側が政治的に意味のあるアクションを取ることができました。

先に、ロシアの4州併合宣言に対抗してウクライナ・ゼレンスキー大統領は「極めて重要な決定がなされる」と予告しました(「ゼレンスキー氏「極めて重要な決定がなされる」緊急の国防会議へ…ロシアの「条約」調印受け」9/30(金) 12:39配信 読売新聞オンライン)が、蓋を開けてみれば「NATO加盟申請」・・・「ウクライナの中立化」というロシアの要求に対する拒否回答という意味で抗戦継続の意思を改めて示したとはいえますが、しかし、ロシアにしてみれば「ならば引き続き、力づくで」となります。「極めて重要な決定」という割には、意味の薄いものでした。そして、アメリカはほとんど即座に「別の機会に検討されるべき」と返答(「ウクライナのNATO加盟申請、「別の機会に検討されるべき」 米高官」10/1(土) 17:00配信 CNN.co.jp)。

領土をむしり取られた対抗措置が「NATO様、助けて!」ではあまりにも情けないと言わざるを得ません。また、折からのハルキウ方面での大攻勢は軍事的に象徴的ではありましたが、戦争というものは政治的目標を達成するために領土を取ったり取られたりしながら進行するものなので、ハルキウでの軍事的な大攻勢が持つ政治的な意味合いはそれほど高いとは言えないものです。

今回の戦争においてロシアは「ドンバスの解放」といった「控え目」な戦争目標しか設定していなかったので、キーウ攻略失敗において典型的に見られたように、作戦が上手くいかなくても言い逃れすることができたものでした。今般の「4州併合」についても、先日の記事で述べたとおり、「ノヴォロシア連邦」の野望と比して遥かにショボい規模に留まりましたが、またしても言い逃ることができました。

これに対して今回のウクライナによるリマン自力奪還は、ロシアの勝利宣言と言い得る「4州併合」の翌日に、それも肝心要のドンバス地方で発生したという意味で、戦争目標に直接関わるロシアにとって言い逃れできない政治的大打撃です。ここまで局地的・軍事的な勝利はあっても大局的・政治的には負けっぱなしだったウクライナが文句なしの政治的な勝利を獲得したわけです。これは堂々と誇れる戦果です。

とはいえ、ロシアが「4州併合」という政治的儀式を執り行ったことの意味は動かし難いものがあります。これを帳消しにするとすれば、ゼレンスキー・ウクライナ大統領は「クリミアも取り戻す」と自らハードルを上げているので、相当の出血が必要になるでしょう。また、リマン自力奪還は対ロ大打撃であるとはいえ依然としてロシア占領地は広大であり決定的打撃とまでは言えません。ウクライナにとってはかなり痛い政治的状況にあり続けています

■ロシア国防省自ら「撤退」と表現した意味とは
興味深いことに、リマンからの撤退をロシア国防省自ら「撤退」と表現したそうです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d66958d48ba084fe808b592b1f0c151a24c092c7
ウクライナ、東部拠点を奪還 ロシアは原発所長拘束 弾薬不足、改めて露呈
10/2(日) 7:00配信
時事通信

 【ワルシャワ時事】ウクライナ軍は1日、ロシア軍の占領下にある東部ドネツク州リマンをほぼ包囲し、市街地に突入した。

 リマンはロシア軍の後方支援・輸送拠点。兵士5000人以上が退路を断たれたとされていたが、ロシア側がその後「撤退」を発表した。9月30日にドネツクを含むウクライナ東・南部4州併合を宣言したばかりのプーチン政権にとっては、大きな痛手となる。

 ロシア国防省のコナシェンコフ報道官は「包囲の恐れが高まったことから、部隊はより有利な戦線へ撤退した」と述べた。ただ、撤退という用語を使うのは異例。9月上旬に北東部ハリコフ州イジュムから撤退した際は「配置転換」と説明していた。

(以下略)
イジュームからの撤退時には、かつての皇軍や今春のウクライナ軍よろしく「配置転換」と言い張っていたロシアが「撤退」という言葉を使った意味合いに注目する必要があるでしょう。

4州併合の翌日に当の併合地を奪い返されるという政治的大打撃たる事態が発生したわけで、当然、ウクライナ側は士気を高めています。方やカディロフ・チェチェン首長は、リマン方面を担当していたラピン司令官を罵ったり、「小型核を使え」などと怒りに任せて言いたい放題しています(「Рамзан Кадыров обвинил в потере Лимана генерал-полковника Александра Лапина. И призвал к кардинальным мерам − вплоть до использования ядерного оружия」00:23, 2 октября 2022=2022年10月2日 00:23)。そんな最中、ロシア国防省は、いままで断固として使いたがらなかった「撤退」という弱気の言葉を使い、ウクライナの士気を益々高めることにアシストをしています。わざとアシストしているのではないかとさえ思えるものです。

このことについては、2通りの解釈が可能だと思われます。

第一には、わざと「撤退」という弱気の言葉を使うことで、「領土を脅かされている」として核の使用ハードルを下げているという可能性もあります。

この場合、更に2つの可能性がありえます。ひとつは本気の警告であるということ、もうひとつは、国内強硬派に対するガス抜きであるということです。最近は日本メディアでさえ「プーチンを突き上げるロシア国内の強硬派」の存在を無視できなくなってきています。こういった勢力への配慮として核の使用ハードルを下げているという可能性もあります。

■戦争の落としどころを探っている米欧諸国にロシアが呼応した?
真逆の解釈も可能でしょう。ウクライナの背後に控えるアメリカおよび西欧諸国が「ロシア・ウクライナ両国とも勝ち過ぎず負け過ぎず」の原則の下、戦争の落としどころを探っているのにロシアが呼応したという見方です。

ロシアは明らかに停戦を欲しています。しかし、ハルキウ方面でウクライナ側が象徴的な軍事的勝利を収めたとはいえロシアが「4州併合」という政治的儀式を行い、その戦争目標に合致した戦果を維持し続けている状況、ウクライナが「負けっぱなし」の状況では戦争を終わらせることはできません。そんなことをしてしまえば「ロシアの完全勝利」ということになってしまい、プーチン大統領及び将来のロシア指導者たちに誤った成功体験を植え付けることになるからです。

とはいえ、ロシアを追い詰めすぎるわけにも行かないとも考えているものと思われます。もし今回ロシアを完全に敗北させてしまうと、ロシアはますます米欧に対して怨念を深めるでしょう。ロシアのウクライナに対する「執着」を見るに、ロシアの「粘着質」な気風にはゾッとするものがあります。そのためか、ロシアが掲げた戦争目標のうち米欧諸国が主導的に関与できる「ウクライナの中立化」すなわち、ウクライナのNATO加盟問題については、特にアメリカがロシアに非常に配慮していると見做せる対応を取っています。

「ロシア・ウクライナ両国とも勝ち過ぎず負け過ぎず」を考えたとき、現状においてはウクライナがある程度、政治的次元で巻き返すことが戦争の落としどころであるわけです。

■ロシア・ウクライナ戦争の落としどころを第4次中東戦争の歴史と比較して考える
どのように戦争の落としどころを見出すかという難題を考えたとき、私はふと、第4次中東戦争を歴史として思い出しました

第1次から第3次までの中東戦争において、アラブ側はイスラエルに政治的にも軍事的にも「負けっぱなし」だったところ、第4次戦争において奇襲を成功させて一矢報いました。態勢を立て直したイスラエル軍の反撃により軍事的にはまたしてもイスラエルが勝利したものの、緒戦における奇襲成功の政治的インパクトは動かし難く、アラブ側が戦争目標を達成して終結しました。戦争前、既にイスラエルとの対決を止めたがっていたエジプトに対してアメリカのキッシンジャーは「勝者の分け前を要求してはならない」とし、アラブ側が「負けっぱなし」のままではイスラエルとの和平交渉の仲介はできないと示唆していたといいます。時は1970年代。もはや絶滅戦争の時代ではないので、キッシンジャーそして当時のアメリカ政府の見解は正しかったと言えます。

翻って現代。ロシア・ウクライナともに軍事的に相手を圧倒することはもはや困難でしょう。ロシアについては言うまでもなく苦戦が顕著です。ウクライナについて申せば、revistaejercitos.comの日次レポートには必ず記事の最後にウクライナ全図を色分けした戦況地図が掲載されるのですが、8月31日づけ記事の地図と10月2日づけ記事の地図とを比べると、ハルキウ方面ではウクライナ軍は大きく前進したものの、依然としてウクライナのかなりの土地をロシア軍は占領しつづけており、最近は都市・集落レベルでの前進にとどまっています。ウクライナ全図から見るとあまり変化が視覚的に把握できない状況にとどまっているのです。ウクライナは願望ほどは現実的に前進できていません。ウクライナの「パトロン」である米欧諸国の対ウクライナ支援は絶妙な匙加減で管理されています。

もはや絶滅戦争の時代ではないのはロシア・ウクライナ戦争も同じです。また、ロシア・ウクライナともに軍事的に相手を圧倒することはもはや困難です。以前から私はソビエト・フィンランド間の冬戦争との比較を提唱してきましたが、戦争の落としどころを見出すにあたっては、併せて第4次中東戦争の歴史を先例として比較することは無意味ではないと考えます。

■歴史の見方について
少々脱線しますが、歴史の見方について述べさせていただきたいと思います。

以前私は、「歴史的に考えるということは単に『過去にこういうことがあったら、今度もきっとこうなる』という単純な比較ではなく、過去と現在の環境の異同を踏まえたうえで予測することだ」と述べました。この意味において現代日本では、前近代社会である戦国時代や江戸幕末で活躍した偉人豪傑伝を現代資本主義社会のビジネスに生かそうといった具合のバカバカしい雑誌記事をよく見るものですが、まったく非科学的なものです。

今もその基本は変わらないのですが、最近、人間は必ずしも科学的に状況を分析して対応するものではなく「過去にこうしてこうなったから、今回もこうすればこうなるだろう」という次元、いわば「前例踏襲」で物事を考え行動に移しがちなので、「『中東戦争がこうだったからロシア・ウクライナ戦争もこうなるかも』と為政者が思い込んで、上手くいくかどうかは別として、そう実践する」という可能性はあり得るのではないかと思うようになりました。

もちろん、それが上手くいく保証などどこにもありません。中東戦争をめぐる状況とロシア・ウクライナ戦争をめぐる状況には多くの違いがあるからです。しかし、政治家は必ずしも科学に通暁はしておらず、よって政治は必ずしも科学の則って行われるわけではありません。政治家が科学者であれば、第4次中東戦争があのように終結したからといって今般のロシア・ウクライナ戦争が同じように終わるとは限らないと考えるでしょう。しかし、政治家は科学的思考ににおいて劣るところがあるので、「第4次中東戦争があのように終結したから、今回も同じように終わらせられるのでは?」と安易に考え、その方向で調整する可能性は大いにあり得るでしょう。そして、まぐれ当たり的にそうなる可能性もゼロではありません。

特にウクライナ最大の支援国であるアメリカが、以前の記事でご紹介したとおり、岡田英弘氏著『歴史とはなにか』において指摘されるような大雑把なアナロジー的理解で未来予想をしがちであることを踏まえると、ますますその可能性はあり得ると考えます。

このことは、私の従来からの持論である「過去と現在の環境の異同を踏まえたうえで予測する」は歴史科学の次元であり、「前例踏襲」は政治の次元と整理することもできるかもしれません。

なんでこんなことを書いたのかというと、時間はかなりかかるとは思うのですが、ぜひ科学的かつ主体的な歴史観を定立したいと思っているからです。チュチェ思想関連でちょっとずつ当ブログでも書いていければと思っています。

■総括
先日の記事でも述べたとおり、ロシアは「ノヴォロシア連邦」の野望と比して遥かにショボい「4州だけ併合」を急ぎました。「4州を併合した」はロシアが戦争目標を一定程度達成したことを意味しますが、ロシアの野望ベースで考えたとき「4州しか併合できなかった」わけであり、このことはロシアにとってはかなり痛い政治的挫折として位置づけることができます。ここで重要なのは、誰もロシアに4州併合を急ぐよう求めてはいなかったのにロシアは自ら4州だけを併合したということです。ロシアが挫折を自作自演したわけです。このことに注目すべきです。

また、ペスコフ・ロシア大統領府報道官は「ヘルソン(Kherson)州とザポリージャ(Zaporizhzhia)州の領土については明確にする必要があり、直ちには答えられない」とも言いました(「ロシア、併合予定のウクライナ2州の境界「明確にする必要あり」」9/30(金) 21:31配信 AFP=時事)。私は、両州の「代表」を招いて併合式典をする以上は何らかの方法でヘルソン・ザポロジエ両州全域を強奪する決意なのだろうと思っていましたが、ロシア自ら必ずしもそうではないことを示唆したわけです。このことにも注目すべきです。

そして、異例的な「撤退」発言。ロシアへの併合式典翌日に当の併合地の一部をウクライナ奪還されるという言い逃れできない政治的大打撃について、お得意の「配置転換」という言葉を使わず、ウクライナの政治的勝利の印象を高め、かつ同軍の士気の高まりをアシストするような表現を自ら選択して口にしたわけです。「いつものロシア」なら敗北に敗北を重ねるような不用意な発言は絶対にしないはずです。

前回記事で私は「4州だけ併合」は「4州で手を打つから終わりにしよう」というメッセージではないかと述べました。そして、4州の中でもヘルソン・ザポロジエ両州について必ずしも全域を強奪する決意ではないことが見えてきました。引き続きこの線に沿えば、あえて「撤退」という弱気の言葉を使うことで、「アメリカそしてNATO皆さん、ウクライナも政治的に一矢報いた体になったわけだし、第4次中東戦争のときのように、このあたりで手打ちにしましょうや」というメッセージを引き続き発しているという解釈ができそうです。

ロシアとしては完全勝利ではないが完全敗北でもない結果、ウクライナについても完全勝利ではないが完全敗北でもない結果になります。ウクライナにしてみれば「冗談じゃない!」ところでしょうが、ウクライナは米欧の支援なくして戦争を続けることはできません。血を流すのはウクライナ人ですがその決定権は米欧諸国にあります(その意味でウクライナは真の意味で自主的な国家とは言い難いでしょう・・・まあ、日本が他人様のことをとやかく言えませんが)。ロシアは当初からそのことを見抜いています。戦争を戦況レベルだけでなく政治レベルで見ること、すなわち軍事行動の政治的意味を踏まえること、そして歴史を踏まえて見ることがますます重要になってきています。
ラベル:国際「秩序」
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2022年10月01日

消費者がアーティストを搾取し芸術界に株式会社形態が侵食する反面、分配をめぐる自然発生的な問題提起が上がり初期協同社会を構想するにあたって人類史的な意義を持つ労働者協同組合が歴史的な日を迎えている・・・時代は着実に前進している

https://news.yahoo.co.jp/articles/479ae897ef8829f0b6420ec55ae7a47f1c0b7c53
音楽サブスクは地獄≠ネのか 川本真琴が怒りの発信「このシステムを考えた人は地獄に堕ちてほしい」 一方で宣伝≠ニ割り切る尾崎世界観
9/30(金) 17:00配信
夕刊フジ

「愛の才能」や「1/2」などのヒット曲で知られるシンガー・ソングライター、川本真琴(48)の「サブスクを考えた人は地獄に堕ちて」とした発言が波紋を広げている。音楽業界からも賛否の声が飛び交うが、音楽サブスクの実態に迫る―。

(中略)
定額の料金を支払うことで聴き放題になる音楽のサブスクは多くのユーザーに親しまれる一方、音楽業界ではかねてその普及を危惧する声も出ていた。レコード会社の社員は語る。

「サブスクの運営会社によってまちまちですが、おおむね楽曲の1再生数あたり0・3〜1円の印税が発生します。ただ、これはトータルの売り上げであって権利者やレコード会社などの取り分を除くと、アーティスト本人の収入はもっと低く、川本さんの言うように0・01円以下になることもざらです。これがCDだと、1000円のシングルでもアーティストの取り分は1%の10円程度。作詞や作曲もしていればそれぞれ3%ずつがプラスされます」

相対的な話だが、CDと比較するといかに単価の安いサブスクがアーティスト泣かせなのかは見えてくる。

こうした背景もあり、過去には山下達郎(69)も「表現に携わっていない人間が自由に曲をばらまいて、そのもうけを取ってるんだもの。それはマーケットとしての勝利で、音楽的な勝利と関係ない」とインタビューで語るなど、サブスクには否定的だ。

その一方で近年は多くのアーティストがサブスクに楽曲を提供しており、昨年は「B’z」がサブスクを解禁して話題となった。

「川本さんの今回の発言については同意する声も業界内には多いです。とはいえ、世界的に見ても音楽ユーザーたちの間で魅力的なサービスとしてここまで定着してしまった以上、もはや人気アーティストといえども、その存在を無視することはできないでしょう」(前出のレコード会社社員)

ひと昔以上に歌手一本で食べていくのが難しい時代がすでに到来しているのである。
■マルクスの搾取論と構造的に類似した問題意識が自然発生的に出てきた
この話題を見てふと思い出したのが、マルクスの搾取論でした。

労働者に支払われる賃金は、「労働の価値」ではなく「労働力の価値」であるというのがマルクスの指摘です。すなわち、生産物の価値(商品の売価)とその生産物を生み出した労働力の価値(労働者に支払われる給与・賃金)は異なるということです。マルクスは労働価値説に立脚しているので、「労働力の価値」すなわち、労働者に支払われる給与・賃金とは労働者の生活の維持に必要な生活手段の価値に等しいものであると言えます。

それゆえ、たとえば、時給1000円の労働者が1時間あたり材料費1000円を使って市価5000円の商品を生産できたとします。このとき、材料費と給与費を除いた残額3000円は、私有財産制度においては利益として企業の所有物になります。何らかの原因によって(材料費・給与費が不変のまま)自社商品の評判だけが上がって売価を6000円に1000円値上げすることができたときも、私有財産制度においてはプラス1000円を丸々利益として持ってゆくことが可能です。もちろん現実的には、企業業績の向上に伴って昇給や賞与といった形で労働者に「還元」することは多々ありますが、それはあくまでも経営判断の問題であり、必ず昇給等があるわけではありません幾ら商品が高く売れたとしても、原理的には労働者に支払われる給与・賃金とは直接は関係ないのです。

マルクスの指摘によると、生産が増大し、資本の有機的構成が高度化するにつれて相対的過剰人口が増大し、階級(集団)としての労働者の発言力が低下してゆくとされています。熱心に働けば働くほど新技術が開発されることで労働力需要が減少するので、賃金が低下します。労働者個人同士の「椅子取り合戦」の競争も激化します。そうなると、生活を維持するために労働者個人は、労働需要が減っている中で自らの労働力をますます「薄利多売」しようとするので、ますます自らの首を絞めてゆくわけです。個人的に超人的な「稼ぐ力」を持つ労働者がいても、一時的に雇用を維持することはできても長期的には多勢に無勢です。

ここにおいて生活防衛のための賃上げ闘争・経済闘争としての労働運動が重要になってきます。マルクス主義の立場からは、単なる経済闘争を超える政治闘争、そして資本主義の枠内での政治闘争を超えて資本主義経済を根本的に改める社会革命のための階級闘争も浮上してきますが、とりあえず、資本主義を乗り越えて新社会を目指すべきかどうかは別問題として脇に置きましょう。まずは労働者の生活の問題が重要です。階級としての労働者の発言力が低下してゆく中では、少なくとも経済闘争は欠かせないでしょう。資本主義国家が取り組んでいる各種の社会政策には、労働者による経済闘争の激化、そして経済闘争が政治闘争に転化し資本主義制度を脅かすことを防ぐという狙いもあるものです(社会政策本質論争)。

なお、古典的なマルクス経済学は労働価値説に立脚していましたが、いまや労働価値説に立脚せず効用価値説を採用したとしても搾取論が展開できるようになってきました(マルクスの基本定理)。

音楽サブスク、すなわち定額制音楽配信サービスは、音楽という生産物の販売量に関わらずそれに支払われる対価が一定であることを意味します。消費者は一定期間定額で音楽という生産物から好きなだけ効用を引き出すのに対して、生産者としてのアーティスト個人に入ってくる金銭は一定ということになります。幾ら音楽の再生数が上がったとしても、アーティストに支払われる対価は必ずしも増えるわけではありません。「定額聞き放題」に釣られてサービス加入者が増え、サブスク事業者の業績が向上したとしても、原理的にはアーティスト個人に支払われる対価とは直接は関係ないのです。

「サブスクのおかげで、知らないアーティストの音楽にも手を出しやすくなった。CD時代にはなかなかできなかったことだ。このことは、新人アーティストにとってプラスではないか」や「サブスクを広告として割り切って自分の固定ファンを獲得するしかない」という意見もあるでしょうが、これはまさにサブスクによって競争が激化し、アーティストにしてみれば薄利多売を強いられるということです。むしろアーティスト個人に支払われる対価が減ることになります。

この構図、企業が労働者を安くて働かせ売上の分配をお手盛りにするのと同様、消費者がアーティストに安く音楽を創作させて作品からの効用を好きなだけ引き出している点において、消費者がアーティストを搾取していると言えないでしょうか? 生活防衛のための経済闘争なくしてサブスクという制度自体を維持することは困難であると思われます。

アーティスト側への還元率の低さ――サブスクをめぐって昔から指摘されてきたことが当面の問題であるように思われます。放っておいても自ずから自らを取り巻く環境・自己の運命は改善されないのです。生活防衛のために主体的な取り組みが、いかなる分野においても重要なのです。

■ブルジョア思想の侵食?
少々話は変わりますが、このテーマにおいて興味深いコメントがありました。
CD全盛の時代でもある程度売れないとビジネスとして成り立たなかった。
それでもある程度ファンがつけば、ニッチなジャンル音楽性でも成り立っていた。

サブスクはさらにビジネス性を加速させ、薄利多売の方向になった。
つまり、制作者は以前よりもさらに『自分の表現』よりも『再生数を稼げる楽曲』にシフトしなければ食べていけない状況になった。
前奏や間奏がなくなってきているのはその表れだろうね。

自分の中のから0から1を作り出す芸術分野とは相性が悪いように思う。

音楽ビジネスとしては拡大できるけれど、音楽としてはより無難な方向に画一化していくと思う。
芸術が商売から一線を画しているのは、あまりにも商売に接近しすぎると「売れるものを作る」ことにばかりシフトしかねないからでしょう。歴史上、芸術作品は後世の人々に「発見」されることも珍しくはありませんでした。創作された時代においてはそれほど注目されなかった作品が、後の時代の社会感情に合致して人気を博することがあるのです。

少し前のことですが、日本テレビ系「世界一受けたい授業」でピアニストの反田恭平氏がオーケストラ楽団を株式会社として立ち上げたことが取り上げられていました。その中で、ヨーロッパ諸国を含めてオーケストラ楽団は公益財団法人形態を取っているのがほとんどであるところ、株式会社形態を採用したことを「珍しいこと」として取り上げていました。株式会社形態であるかどうかは当該番組のテーマではなかったので、あまり深堀されませんでしたが、違和感を禁じ得ないものでした。

反田氏の試みは興味深いとは思いますが、株式会社発祥の地であるヨーロッパにおいてオーケストラ楽団が公益財団法人形態を取っていることがほとんど。このことが示すことは多いように思われます。オーケストラ楽団と株式会社は相性があまりよくないのでしょう。そこで敢えて株式会社形態を採用するに至った反田氏の発想が気になります。

もちろん、何をするにもまず食えなければ続けられません。資本主義という社会制度は各個人にとっては所与のものであり適応して生き抜いてゆく必要があります。特に日本はお世辞にも文化事業にカネを使う国であるとは言い難いところです。オーケストラ楽団を株式会社形態で運営することは、好意的に捉えれば、「自力更生」の一種として位置付けることもできるでしょう。

他方、もし「自分の能力を商材にして何が悪い」だけだとすれば、株式会社形態に対して何らの疑問も感じていないということになり、ブルジョア思想が文化事業にも深く侵食していることを示していると言えるでしょう。

■時代は着実に前進している
さて、本日10月1日をもって労働者協同組合法が施行されました(「労働者協同組合法施行で可能になった「協同労働」 「雇わず雇われない」働き方って? 課題は?」2022年10月1日 06時00分 東京新聞)。既に実践に移されている協同労働が、労働者協同組合(労協・ワーカーズコープ)として法的に整理されて位置づけられました。

個々の労働者が労協に合流する理由はそれぞれでしょう。従事してみたい仕事の求人をたまたま近所の労協が好条件で募集していたというケースがもっとも多いものと思われます。政治闘争や社会革命のための階級闘争どころか、経済闘争としてでさえない可能性は十分にあります。また、労働者協同組合が株式会社を駆逐して主流に取って代わる展開を、私が生きているうちに目撃するという展望しかねるところです。

しかしながら、非常に長期的であるものの協同労働が人類の未来を切り拓くものであると私は確信しており、労協の存在はその第一歩になるものと考えています。私有財産制度に基づく社会は、好況時においては「平和」的であっても、ひとたび不況に陥り個人間の生存競争が展開されるようになるや否やたちまち敵対的な社会になります。キム・ジョンイル同志が『社会主義は科学である』において指摘したように、「人民大衆の自主性を実現するためには、個人主義にもとづく社会から集団主義にもとづく社会、社会主義・共産主義へ移行しなければならないというのが、人類社会発展の歴史的総括」なのです。

集団主義にもとづく社会は、究極的には社会主義・共産主義社会であると私も考えます。しかし、物事は過程を踏んで進展するものです。社会主義・共産主義社会の前段階の社会として、まずは初期協同社会を構想する必要があるでしょう。ここにおいて私は、労協の試みが人類史的な意義を持つものと確信しています。

サブスクリプションという非常に資本主義的な商売をめぐって、マルクスの搾取論と構造的に類似した問題意識が自然発生的に出てきました。また、初期協同社会を構想するにあたって人類史的な意義を持つ労働者協同組合が歴史的な日を迎えました。時代は着実に前進しています

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