2023年09月22日

「ここが踏ん張りどころ」とするのではなく現状否認の方向に話を持って行ってしまう「人間の弱さ」

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e4d4b69554f1fab7eb32d11458faefe1e1782e4
異例の首脳欠席・目立つ空席…ゼレンスキー氏 対面演説で団結訴えるも“結束”程遠く
9/20(水) 23:30配信
テレビ朝日系(ANN)

国連総会で各国の首脳らによる一般討論演説が行われました。

ウクライナ侵攻後、何度も聞かれるようになった「国連の機能不全」という言葉。それでも、ようやく訪れた本格的な対面外交復活です。

(中略)
繰り返された「人間の尊厳」という言葉。ウクライナ侵攻を念頭においたものですが、さまざまな国への配慮から、それ以上、踏み込めなかったというのが現実のようです。

この日、5つの常任理事国で首脳が出席したのは、アメリカのみ。
アメリカ・バイデン大統領:「紛争の平和的解決のための国連総会が、今年も戦争という暗い影に覆われました。ロシアは、世界が疲れれば、ウクライナ対して残虐行為ができると考えています。しかし、ここで問いたい。我々が侵略者をなだめることを諦めたら、皆さんは、守られていると安心できますか。ロシアから、あなたの国の主権が守られるでしょうか。その答えは『ノー』でしょう」

ウクライナ侵攻後、初めて国連を訪れたゼレンスキー大統領。対面演説でも温度差が表れていました。
ウクライナ・ゼレンスキー大統領:「私は断言します。我々は団結することで、各国に平和を約束し、団結することで戦争を防げるはずです。ロシアの欺瞞と侵略を許せば、この会場の多くが空席になるかもしれません。どんな戦争も最終戦争につながりかねません。侵略戦争が二度と起きないよう
、我々が団結するしかないのです」

自国が名指しで批判されているにもかかわらず、ロシアのポリャンスキー国連次席大使がスマホの画面を見せると、隣に座る女性は、大笑い。ポリャンスキー国連次席大使は記者に「ゼレンスキー氏が話しているのに気づかなかった」と答えたそうです。

演説中の会場を見てみると、他国も空席が目立つのがわかります。新興国の中には、ウクライナをめぐるアメリカとロシアの対立に巻き込まれたくないと、出席をためらった国もあったものとみられます。

侵攻開始から半年ほどしかたっていなかった去年は、特例でビデオ演説が認められたゼレンスキー大統領。その演説の時間に合わせて、各国が続々と集まるほどでした。

(中略)
今年、ポーランドのように“団結”に応じる国も多くいたのですが、常任理事国の4カ国の首脳は不在。欠席理由ですが、フランスのマクロン大統領は、国内政治に忙しく、国連総会デビューとなるはずだったイギリスのスナク首相は「来月予定している保守党の党大会に備えるため」とも報じられています。

193カ国が参加する国連総会に、あまり価値は見出されていないようです。

(以下略)
コメ欄。
服部倫卓
北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター教授

これは、ウクライナに対する支援の気運の衰えを示すものではなく、国連総会という場の軽視の表れなので、やむをえない面があるだろう。
ニュースの中では、英仏の首脳が出席しなかったことが取り上げられているが、彼らはゼレンスキーと直接会い、率直に意見を交わし合う機会もあり、ウクライナへの連帯を表明する上で、国連総会という場にはこだわらなかったとしても、不思議はない。

(以下略)
これは流石に苦しすぎるのではw最近、日本では「国連の機能不全」が頻繁に話題になり国連軽視論が勢いを増していますが、依然として世界的には国連は権威を持ち続けています。

ちなみに、読売新聞が「ロシアの孤立が際立っている」という趣旨の下記記事を上梓していますが、もし服部教授の言うとおりであれば、読売の見立ては失当ということになるでしょう。国連総会が軽視されているのならば、安保理など無意味・無価値の下らない組織以外の何者でもないはずで、参加者たちはマトモに話など聞いていないでしょう。出席した約60か国からロシアを擁護する声はほとんどな」かったとしても何ら不思議はないということになりますw
https://news.yahoo.co.jp/articles/afa5fca9cc9503cde79a33b52b595a36d9fae588
ゼレンスキー氏、安保理で露大使と対峙…露の反発に議長「解決策はロシアが戦争をやめることだ」
9/22(金) 6:54配信
読売新聞オンライン

 【ニューヨーク=金子靖志、池田慶太】20日の国連安全保障理事会は、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が、敵国であるロシアのワシリー・ネベンジャ国連大使と同じテーブルで向かい合う異例の機会となった。ゼレンスキー氏は侵略の不当性を突きつけ、日本や米欧は対露非難を展開。出席した約60か国からロシアを擁護する声はほとんどなく、国際社会での「孤立」が際立った。

(以下略)
久しぶりに遭遇した「プロパガンダどうしの矛盾」。世論の関心が低下している昨今、NHKを筆頭とする報道各社は以前ほど精力的にはこの戦争を報じなくなってきているので、「プロパガンダどうしの矛盾」に遭遇する機会も減ってきていたところでした。

「そろそろ止めにして欲しい」という本音は日増しに強まっています。当事者以外は厭戦機運が蔓延しているのが現実なのです。「だからこそ、ウクライナ応援団としては、ここが踏ん張りどころなんだ!」という方向に話を持っていくべきところ、「ウクライナに対する支援の気運の衰えを示すものなんかじゃないもんね! ぜったい違うもんね!」という現状否認の方向に話を持って行ってしまう服部教授人間の弱さってこういうことなんでしょうかね。


鈴木一人
東京大学教授/地経学研究所長

国連総会のハイレベル会合では空席が目立つのが当たり前で、昨年のビデオ演説の時は戦時の大統領が何を言うかを聞きたいという人たち(多くは国連代表部のスタッフ)が集まったが、戦争が長引き、対面で参加出来るようになったことは、昨年のような熱気を伴わないものになったとしても当然だろう。

(以下略)
国連総会のハイレベル会合では空席が目立つのが当たり前」とはいうものの、「戦争が長引き、対面で参加出来るようになったことは、昨年のような熱気を伴わないものになったとしても当然」とする鈴木教授。つまり、「去年と比べて一気に関心が落ちた」ということであり、記事の内容を追認しているといえるでしょう。
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2023年09月18日

朝露接近と朝日関係

http://www.uriminzokkiri.com/index.php?lang=jpn&ptype=cforev&stype=2&ctype=3&mtype=view&no=49507
朝露関係発展の新たな里程標をもたらした出来事的契機
金正恩国務委員長がボストーチヌイ宇宙発射場でロシアのプーチン大統領と歴史的な対面

【平壌9月14日発朝鮮中央通信】朝鮮労働党総書記で朝鮮民主主義人民共和国国務委員長である敬愛する金正恩同志が9月13日、極東地域のアムール州に位置しているボストーチヌイ宇宙発射場でロシア連邦のウラジーミル・V・プーチン大統領と歴史的な対面を行った。

世代と世紀をまたいで歴史の検証の中で打ち固められた朝鮮民主主義人民共和国とロシア連邦の伝統的な友好関係は、金正恩国務委員長とプーチン大統領の厚い親交と格別な友誼の中で不敗の戦友関係、百年の計の戦略的関係により一層昇華、発展している。

立派な歴史と伝統を誇る朝露友好・協力関係の新たな拡大・発展のためにロシア連邦を公式親善訪問する敬愛する金正恩国務委員長を迎えるようになるボストーチヌイ宇宙発射場は、熱い歓迎の雰囲気に包まれていた。

(以下略)
http://www.uriminzokkiri.com/index.php?lang=jpn&ptype=cforev&stype=2&ctype=3&mtype=view&no=49503
金正恩国務委員長がプーチン大統領と会談

【平壌9月14日発朝鮮中央通信】朝鮮労働党総書記で朝鮮民主主義人民共和国国務委員長である敬愛する金正恩同志が9月13日、ロシア連邦のウラジーミル・V・プーチン大統領と会談した。

金正恩国務委員長とプーチン大統領は、会談に先立って朝露両国の国旗を背景に意義深い記念写真を撮った。

朝鮮労働党総書記で朝鮮民主主義人民共和国国務委員長である敬愛する金正恩同志とロシア連邦のウラジーミル・V・プーチン大統領の会談が行われた。

(中略)
全員会談に続いて、金正恩国務委員長とプーチン大統領との単独会談が行われた。

敬愛する金正恩国務委員長は、朝露両国の関係が友好と善隣、相互尊重の原則に基づいて両国人民の志向と念願に即して良好に発展していることについて高く評価した。

朝露首脳たちは、強大な国家建設の戦略的目標を実現するための政治、経済、軍事、文化の各方面で収められている注目に値する成果と建設的な協力の経験、国家繁栄と両国人民の福利のための今後の発展方向に対する深みのある意見を交わした。

また、人類の自主性と進歩、平和な生を侵奪しようとする帝国主義者の軍事的威嚇と挑発、強権と専横を粉砕するための共同戦線で両国間の戦略・戦術的協同を一層緊密にし、強力に支持、連帯しながら力を合わせて国家の主権と発展利益、地域と世界の平和と安全、国際的正義を守っていく上で提起される重大な問題と当面の協力事項を虚心坦懐に討議し、満足な合意と見解一致を遂げた。

会談は終始、同志的かつ建設的な雰囲気の中で行われた。
朝露急接近。その理由は「人類の自主性と進歩、平和な生を侵奪しようとする帝国主義者の軍事的威嚇と挑発、強権と専横を粉砕するための共同戦線で両国間の戦略・戦術的協同を一層緊密にし、強力に支持、連帯しながら力を合わせて国家の主権と発展利益、地域と世界の平和と安全、国際的正義を守っていく上で提起される重大な問題と当面の協力事項を虚心坦懐に討議し、満足な合意と見解一致を遂げた」というくだりに濃縮されているといえるでしょう。

ちなみに、朝鮮語版記事≪조로관계발전의 새로운 리정표를 마련한 사변적계기 조선로동당 총비서이시며 조선민주주의인민공화국 국무위원장이신 경애하는 김정은동지께서 워스또츠느이우주발사장에서 로씨야련방 대통령 울라지미르 울라지미로비치 뿌찐동지와 력사적인 상봉을 하시였다≫及び≪경애하는 김정은동지께서 로씨야련방 대통령 울라지미르 울라지미로비치 뿌찐동지와 회담하시였다≫では、7月のショイグ・ロシア国防相訪朝のときと同じくプーチン大統領について≪뿌찐동지≫(プーチン同志)という呼称を使っています。以前にも指摘したとおり、中国やベトナムといった社会主義同志国の指導者たちに「同志」という呼称を用いることは通常ですが、社会主義国ではない国の指導者に「同志」という呼称を用いることは非常に稀なことです。プーチン大統領について申せば、前回チュチェ108(2019)年4月の訪露報道では「プーチン大統領」という呼称で統一されていました(チュチェ108年4月26日づけ≪김정은위원장 로씨야대통령과 상봉≫、同日づけ≪김정은위원장 로씨야대통령과 회담≫、同日づけ≪김정은위원장을 환영하여 로씨야대통령이 연회≫、同27日づけ≪김정은위원장 로씨야련방 울라지보스또크시를 출발≫)。

今回、共和国は単にロシアに接近しただけではなく、かなり緊密な連携を目指し、その方向性を確立したものと考えます。具体的・実務的にどのような朝露連携の形になるのかは、今後の推移を慎重に見守る必要があります。

プーチン大統領は、公式食事会で次のように挨拶したといいます。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ed4d3924deba1078354e0d68f3de33aafca07c3a
ロ朝関係、日本打倒で構築 「共闘」演出 プーチン氏
9/13(水) 20:42配信
時事通信

 ロ朝関係は、日本との戦いで築かれた―。

 ロシアのプーチン大統領は13日、極東アムール州のボストーチヌイ宇宙基地で、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記一行との公式食事会を催した。

(中略)
 プーチン氏はあいさつで「両国関係は1945年、ソ連兵と朝鮮兵(抗日パルチザン)が共闘して日本の軍国主義者を打倒する中で築かれた」と主張。正恩氏の祖父・故金日成主席が同じ極東ハバロフスク地方を拠点とする抗日パルチザンだったことを念頭に置いた可能性がある。
(以下略)
念のため、ロシア大統領府が公開している公式テキストをチェックしておきましょう。
http://www.kremlin.ru/events/president/news/72266
Официальный обед в честь Председателя Государственных дел КНДР Ким Чен Ына

13 сентября 2023 года12:20Амурская область

В.Путин: Уважаемый товарищ Председатель! Дорогие друзья!

Позвольте ещё раз сердечно поприветствовать дорогих гостей, товарища Ким Чен Ына, всех корейских коллег.

(中略)
В этом году Россия и КНДР отмечают значительный юбилей – 75 лет [установления] дипломатических отношений. Советский Союз первым признал молодую Корейскую Народно-Демократическую Республику. Наши отношения были заложены ещё в ходе борьбы Кореи за свободу в 1945 году, когда советские и корейские солдаты плечом к плечу громили японских милитаристов.

Мы и сегодня стремимся крепить узы товарищества и добрососедства, действуем во имя мира, стабильности и процветания в нашем общем регионе.

(以下略)
たしかに言っています(ついで申し添えると、プーチン大統領も「同志キム・ジョンウン」と呼んでいます)。

プーチン大統領が、祖国解放戦争での朝ソの共同戦線について触れなかったのには、何らかの意味がある可能性があります。たとえば、朝鮮人民軍兵士のウクライナ派兵問題などと結び付けて勘ぐられるのを避けたいとか、あるいは、ウクライナとの戦争を勝利のうちに終わらせたいプーチン大統領としては、帝国主義との戦いの先例として、まだ終わっていない祖国解放戦争の話よりも完全な勝利として終わった日本帝国主義者との戦いを引き合いに出したいとか、そういった可能性を想定できるでしょう。

それはさておき、この一連のやりとりを見ると、日本の対共和国外交交渉の道がほぼ完全に閉ざされたと言わざるを得ないものと思われます。

6月26日づけ「岸田首相の対話呼び掛けに即座に反応があったからといって、拉致問題が日本当局の望む方向に動く展望はないと言わざるを得ない」で取り上げましたが、今年6月に日本政府関係者は、岸田首相の対話呼び掛けに共和国が即座に反応したことについて「これまでと違う反応だ」だの「首相の発言が響いている」だのと勝手に盛り上がり、時事通信が異例の長文記事で「拉致解決へ首相訪朝はあるのか」などと書き立てたものでした。

日本政府関係者の牽強付会な解釈に対して共和国は、直ちに日本研修所研究員の談話として否定しました。6月28日づけ「「現時点においては岸田内閣を相手にしない」と言っていると思しきリ・ビョンドク共和国日本研究所研究員の談話について」で取り上げたとおり、共和国は「「被害者全員帰国」が実現しなければ拉致問題の解決などあり得ないと強情を張るのは、死んだ人を生かせというふうの空しい妄想にすぎないということを日本は銘記すべきである」とまで言い切ったことで、日本当局者の淡い期待を完膚なきまでに粉砕しました。

「困ったときの拉致問題頼み」という魂胆がミエミエだった岸田首相は、これを受けて「脈なし」と見たのか、ここ最近は拉致問題に対する言及を控えてきたように見受けられますが、9月8日発売の『文藝春秋』最新号に飯島勲氏の10年前の訪朝手記が掲載されるなど、また少し動きがみられるようになりました。

ここ20年あまりの朝日交渉を振り返るに、「拉致問題は解決済み」という立場を一貫してとってきた共和国を再び交渉のテーブルに呼び戻すためには、相当の見返りが必要だと言わざるを得ません。しかし、今回の元帥様の訪露とプーチン大統領の歓待ぶりを見るに、共和国が当面必要とする技術や物資がロシアから導入できる道筋が見えてきました。そうなると、もはや日本に割って入る余地はほとんどないと見なすべきでしょう。

共和国が反帝自主の旗印を掲げるにあたってロシアと連携を深めることは重要な契機になります。その意味では重要なニュースです。他方、朝日関係の改善を願うものとしては、朝日の離間が深まることは非常に残念なことだと思います。今やほぼ悪魔化されているロシアと、悪の権化として描かれて久しい共和国の連携は、勧善懲悪的世界観に凝り固まった日本人には非常に分かりやすい事態。染みついた差別意識も相まって、ますます共和国を彼岸化してしまうことでしょう。
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2023年09月14日

いの一番に責任追及及びその回避に鎬を削る日本世論

https://news.yahoo.co.jp/articles/ed9a8a1269e6302aeddcfabd4eaf469c2f5f2a79
2歳置き去り死「保護者に出欠確認しなかった保育園」に向かった批判の矛先、「救えていたかもしれない?」園の責任を考える
9/14(木) 10:11配信
弁護士ドットコムニュース

岡山県津山市で9月9日、祖母の車の中に置き去りにされた男の子(2歳)が亡くなった。祖母は保育園に送り忘れたといい、死因は熱中症だった。

報道によると、この保育園では、朝の出欠が確認できない場合、保護者に連絡する規則があったとされるが、今回は連絡していなかったようだ。

いたましい事件は防げたのかもしれないとして、一時は「保育園のせい」というワードがSNSのトレンドに上がった。保育園側の責任をどのように考えればよいのか。

この問題も含めて、保育園の法的問題を整理した著作のある吉永公平弁護士は「保育園には出欠確認の法的な責任はない」という考えを示している。吉永弁護士に聞いた。

(以下略)


コメ欄。
保護者への出欠確認があれば、確かに救えていたかもしれない。
だけども本来は、欠席するなら保護者が園に連絡すべきことであって、確認はあくまで親切。
保護者は欠席するときに連絡を忘れることもあるのに、こういうときだけ園に責任転嫁するのはお門違い。

(以下略)
さすがニッポン世論! 一般社会は刑事裁判の法廷ではないのだから「再発防止のため、どのような重層的なチェック体制を築くべきか」を考えるべきであるにも関わらず、責任問題(犯人捜し)に真っ先に思考が向いてしまっています。日本社会は本質的に狭く陰湿なムラ社会なので、「いかにして責任追及を回避、犯人捜しをやり過ごすか」が生き延びるために死活的に重要なことになります。染みついた悪癖が見事にまでに現れているコメントです。

ちなみに記事中にもあるとおり、「朝の出欠が確認できない場合、保護者に連絡する規則があったとされるが、今回は連絡していなかったようだ」とのこと。内規を根拠に刑事立件などできるわけがありませんが、園が基本所作を怠っていたことは事実であるようです。基本所作を無視することは、組織人として極めて重大な問題だと言わざるを得ないでしょう。

また、日本社会は狭く陰湿なムラ社会だからこそ、本来は再発防止策を策定すべくしっかりと経緯を整理すべきところ、波風を立てないことを優先して中途半端な総括に終わりがちなものです。

「いまの保育園に出欠確認に割くマン・パワーはない!」という抗弁も見受けられますが、ならば、そうするのに十分な人員の割り当てを要求すれば宜しいのでは? あるいは、何のためのIT化・DXなのでしょうか? 普通に考えてそうですよね? 現状に不満があるにもかかわらず「現状はどうしようもなく仕方ないのだ」などと合理化している世論動向です。

さしづめ、現状に対して不満を募らせたところで自分自身はそれを打開する展望を持ちえないが、そのことを直視することは自分自身の惨めな無力無能を直視することになるので、「現状は、たとえ声を上げたり努力したりしたところで改善しないんだ。だから声を上げたり努力したりする無駄なんだ。何もしていない自分は正しいんだ・・・」などと考えているのでしょう。

かくして、再発防止策の策定を十分行うことができず、同じことを何度も何度も繰り返すニッポン社会。あまりにも捻くれており惨め。救いようが思いつきません・・・

マン・パワーを云々するような人たちは、いまだに出欠確認と言えば点呼であり、保護者への連絡といえば架電であると思考が凝り固まっている旧世代であると私は推測します。時の経過がより合理的で重層的なヒューマンエラーチェックにシフトしてゆくことを心から願っています。
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2023年09月12日

「北朝鮮の脅威」を煽ることで共和国のマッドマン・セオリーにアシストしている「有識者」

https://news.yahoo.co.jp/articles/b711f2ed981ef57cc9530f950c1b95e38f0e9ee2
北朝鮮 建国75年の軍事パレード報じる 金正恩総書記は娘とともに出席
9/9(土) 0:44配信
TBS NEWS DIG Powered by JNN

北朝鮮の建国75年で軍事パレードです。

きょう、建国75年の記念日を迎えた北朝鮮。

国営の朝鮮中央テレビなどは首都平壌で行われた式典の様子を報じました。

また、民間防衛組織のパレードも行われ、金正恩総書記は娘とともに出席しました。

(以下略)
オーサーコメント。
山口亮
東京大学先端科学技術研究センター特任助教

補足9月9日の「朝鮮民主主義人民共和国創建記念日」で行われるパレードでは、「全民武装化」と「軍民が団結して敵と戦う」という好戦的なメッセージが込められている。
■キーワード性をまったく踏まえず字面だけで理解している可能性
全民武装化は、チュチェ51(1962)年に提唱された四大軍事路線(全軍現代化、全軍幹部化、全民武装化、全国要塞化)で謳われた方向性のひとつであります。これは、キューバ危機を巡るソ連の弱腰や中国による度重なる内政干渉的策動など受けて、「いざというときにはソ連や中国は頼りにならないかもしれない」という危機感(当時は、祖国解放戦争停戦からまだ10年も経っていなかった)ゆえの自衛政策を意味するキーワードです。軍民一致は、人民の支持を得てこそ戦争を完遂することができるという抗日武装闘争以来の伝統であり、また、国防と経済建設を軍が中心として行うという先軍革命の伝統をも纏っているキーワードです。いずれも字面だけでは真意を捉えられない、まさしくキーワードであるわけですが、山口亮・東大特任助教はどこまで把握した上で上掲引用部分のように主張しているのでしょうか? 「好戦的なメッセージ」などと判断しているのを見るに、山口特任助教はキーワード性をまったく踏まえず字面だけで理解している可能性が高いように思われます。

■「北朝鮮の脅威」を際立たせる日本当局者は、自ら墓穴を掘っている
もし、「北朝鮮の脅威」を際立たせるため、分かっているのに敢えて書き立てているとすれば、日本当局者は墓穴を掘っていると言えるでしょう。こうやって「好戦的な北朝鮮」像を描くことで得するのは、何よりも共和国だからです。

共和国自身が重々承知していることですが、日米「韓」と軍事的に正面衝突すれば共和国の人民政権は間違いなく滅びてしまいます。核ミサイルの乱射で日米「韓」を道連れにしたり、山岳地帯の寒村でゲリラ部隊として生きながらえたりすることはできても、ピョンヤンで政治権力を握り続け社会主義建設を続けることは不可能です。それゆえ、共和国が日米「韓」に対して先制攻撃を仕掛けるという可能性は限りなくゼロに近いものです。元帥様は以前、「我々の主敵は戦争そのもの」と言明されました(「核武力強化の背景と目的 C「力と力の激突」を回避する道2022年06月15日 09:55 朝鮮総聯機関紙『朝鮮新報』)が、これは本心からのお言葉であります。共和国が先制攻撃を仕掛ける理由は、ほぼありません。日米「韓」の政変、すなわち、日本革命・アメリカ革命・南朝鮮革命は、もとより共和国の軍事力によって行われるべきものではなく、日本人民・アメリカ人民・南朝鮮人民によって主体的に行われるべきものであります。

これに対して日米「韓」にしてみれば、軍産複合体の都合次第では、先制攻撃も取り得る選択肢の一つとなり得ます。どれほどまで損失を織り込むか計算して決断できれば、その圧倒的な軍事力及び経済力によって共和国を屈服させることは可能だからです。

損失計算においては世論動向は重要な要素になります。国民が「必要な流血」だと認めれば計算は成立するわけです。このとき、「敵」の好戦的姿勢は重要な判断基準になります。敵に戦意が乏しければ抵抗も乏しいと思われるので、自軍の損失も少なくなると期待でき、開戦のコストは低く抑えられます。敵の戦意が高ければ、合理性度外視の抵抗があり得、自軍の損失が増えると予想されるので、開戦のコストは高まります。「好戦的な敵国」は非常に厄介であり、できれば相手にしたくないものです。

■「向こう見ずな好戦狂とは関わりたくないな」という日本世論を喚起できれば、戦争回避・体制存続が至上命題たる共和国にとって勝利
日本にとって共和国は間違いなく敵国です。そんな共和国が「好戦的なメッセージ」を展開する国だと書き立てるのは、日本が「北朝鮮」と一戦を交えるときには国民意識において懸念材料となることでしょう。「向こう見ずな好戦狂とは関わりたくないな」という世論を喚起することになるでしょう。戦争回避・体制存続が至上命題たる共和国にとっては願ってもない展開、棚ぼた的僥倖です。

■ここ20年あまりの「北朝鮮脅威論」が掘り進めてきた墓穴
ここ20年あまり、日本社会は共和国をサンドバッグにしてきました。ソ連崩壊後、これといった仮想敵国が存在しない日本にとって、国交のない共和国は仮想敵国として打ってつけでした。「北朝鮮の脅威」を扇動すれば、戦後なかなか口実を設けるのが難しかった軍備拡張を体よく展開できるという汚い魂胆です。ソ連と違って共和国の国力は非常に小さいので、「北朝鮮の脅威」を扇動したところでパニックが起こる可能性はほぼありません。拉致問題を引き合いに出せば、北朝鮮など幾ら悪魔化して叩いてもまったく問題はないという世論動向もあって、およそ考え得る限りの罵倒と嘲笑が共和国に対して浴びせかけられました。折しも時代は新自由主義経済政策最盛期。社会経済的鬱憤の少なくない部分が共和国を捌け口とされたものと思われます。

しかしその結果、権力者どもには予想外だったかもしれませんが、日本世論において共和国は「貧乏で異常な国」という位置づけが定着したものと私は考えます。これは、日本政府にとっては読み違いがあったものと思われます。日本政府が「北朝鮮の脅威」を煽るストーリーは「北朝鮮は貧乏だから、ソ連ほどの脅威にはならないが、安心しきることもできないから念のために警戒しておこう」といった程度のモノだったと思われますが、日本国民は「北朝鮮とは、やけっぱちのキチガイである」として受け止め、「あの貧乏で非合理的な連中は、今や何をしでかすか分からない」と認識したわけです。一種のマッドマン・セオリーの効果が期せずして現れているのです。「向こう見ずな好戦狂とは関わりたくないな」という厭戦的な国民意識が期せずして醸成されてしまったのです。

共和国は決して「やけっぱちのキチガイ」などではありません。もしそうだとすれば、ソ連よりも長い歴史を刻むことなどできなかったはずです。時代の流れを機敏にとらえることができるからこそ、国際環境の荒波を時に瀬戸際外交的方法を使ってでも潜り抜けてこられたのです。この9月9日で共和国は建国75年を迎えたわけですが、共和国の75年間の歴史は、人民政権が極めて合理的に意思決定してきたことの動かぬ証拠であります。

この点、悪魔として描いてきた「北朝鮮」像に自分たちが恐れおののいている日本世論の醜態が際立ちます。今回の山口特任助教のコメントもまた、ここ20年あまりにわたって展開されてきた「北朝鮮は、やけっぱちのキチガイ」という描写の延長線上に位置するものです。我々の主敵は戦争そのもの(だから、たとえ虚勢を張ることになったとしても何としてでも戦争だけは回避しなければならない)」という共和国の情報戦にアシストしている山口特任助教なのです。キーワードも分からないくらいだから、自覚はないだろうけど
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2023年09月09日

人類史において貴重な経験としての朝鮮民主主義人民共和国の75年間

http://www.kcna.kp/jp/article/q/540dc0ba8ea28820b3fa1ac21667411e.kcmsf
朝鮮民主主義人民共和国創建75周年慶祝中央報告大会
金正恩総書記が報告大会に参加

【平壌9月9日発朝鮮中央通信】偉大な党の指導に従って全人民が強大で尊厳あるわが国家の地位を全世界にとどろかし、自分の偉業の正当性と不敗さに対する確信に満ちて社会主義強国建設の新しい発展の局面を力強く開いている激動の時期に、全国は栄えあるわが祖国の誕生日を意義深く祝っている。

(中略)
朝鮮民主主義人民共和国創建75周年慶祝中央報告大会の報告を、朝鮮労働党中央委員会政治局常務委員会委員で朝鮮民主主義人民共和国国務委員会副委員長である金徳訓内閣総理が行った。

金徳訓総理は、朝鮮民主主義人民共和国の創建が世界に宣布された歴史のその時刻とともに朝鮮労働党の卓越した指導と人民政権の不敗の生命力によって、主権を自分の手に握りしめた人民の英雄的闘争によってわが祖国が短い歴史的期間に強国への偉大な飛躍を遂げたし、尊厳と栄光によって輝く75星霜の不滅の道程で今日のような強大な国家が生まれるようになったと語った。

また、非常に上昇してきた共和国の国力と地位はわが党の思想と政策、わが人民政権と朝鮮式社会主義体制の勝利であると同時に、その正当性と優越性、不敗の生命力をしっかり守り抜いたわが人民の強い自尊心と強靭性の勝利であり、金正恩総書記に従って革命を行ってきたこれまでの10余年の闘いがこれを立派な結実として証明していることに言及した。

そして、共和国政府はわが党の主体的な国家建設思想と路線を徹底的に具現して人民主権を一層打ち固め、全般的国力をあらゆる面から強化し、いかなる危機の下でも人民の運命と生活に最後まで責任を持って人民の権益を実現する自己の神聖な本分に限りなく忠実であろうと強調した。

金徳訓総理は、全ての人民と人民軍将兵が党の指導の下、繁栄する強国の理想に向けて一心同体となって突き進んできたわれわれの信念と努力を偉大な新しい勝利でつなぐ今日の歴史的な闘いでみんなが偉勲の創造者、栄誉ある勝利者になろうと熱烈に呼びかけた。

百戦百勝の朝鮮労働党が導く自主、自立、自衛の道、社会主義の道に沿って真の人民共和国の誇るべき歴史と伝統をしっかり守って輝かし、全面的国家発展の新しい地平を切り開く人民の大きな栄誉と自負で満ちた報告は、参加者を限りなく感動させた。

全ての参加者は、偉大な領袖の卓越した思想と指導があり、党中央の周りに固く結集した人民大衆の団結した力があるので、わが共和国の前途には誇らしい勝利と栄光、限りない繁栄が開かれるという確信を再び深く刻み付けた。

朝鮮民主主義人民共和国創建75周年慶祝中央報告大会は、偉大な金正恩総書記の思想と指導にいちずな心で忠実に従ってわが国家第一主義の旗印高く社会主義朝鮮の尊厳と国力を一層打ち固めて輝かし、チュチェ強国の明るい未来を早めていくという全ての人民と人民軍将兵の革命的気概を力強く誇示した。−−−

www.kcna.kp (チュチェ112.9.9.)
■ソ連を超え、ベトナムに続く2番目に長い歴史を持つ社会主義国となった共和国
朝鮮民主主義人民共和国創建75周年の日を迎えました。革命政権樹立から74年(正式な建国からは69年)で消滅したソビエト連邦よりも長い歴史を共和国は刻むに至っています。実は共和国は中華人民共和国よりも1年早く建国しており、現在のベトナム社会主義共和国の前身である旧ベトナム民主共和国(北ベトナム。1945年9月2日建国)に続く2番目に長い歴史を持つ社会主義国であります。

ついにソビエト連邦よりも長く、2番目に長い歴史を持つ社会主義国となった共和国。この生命力はいったい何処にあるのかと考えたとき私は、徹底的に人民に依拠した国である点であると考えます

■対内的な固い結束の歴史としての共和国の75年
徹底的に人民に依拠した国としての共和国の75年は、まず、対内的な固い結束の歴史として総括することができるでしょう。

たとえば、建国前の土地改革。「ほかに類例を見ることができないほどのスピード」(キム・ソンボほか著『写真と絵で見る 北朝鮮現代史』、コモンズ、p30)で進んだ当該事業は、「土地改革に対する熱望が大きかったからこそ可能なこと」(同)でした。祖国解放戦争によってすべてが灰燼に帰した後の戦後復興。活用し得る資源と言えば人民大衆の労働力しかなかったところ、停戦からわずか3年後には戦争前の生産水準を回復したものでした。そしてチュチェ45(1956)年12月に提唱されたチョルリマ(千里馬)運動がありました。

こうした歴史的事実においては、党や国家と人民大衆との非常に密な関係性があったことを指摘せずにはいられません。農業生産における「チョンサルリ(青山里)方法」、工業生産における「テアン(大安)の事業体系」は、党や国家が人民大衆の上に君臨して指令を下すのではなく、大衆とともに問題解決を探る革命的な大衆路線でありました。蓋し、ソビエト連邦が硬直的な中央集権的な指令経済に堕して瓦解の道を歩んで革命74年で幕を下ろしたのに対して、共和国がそれよりも長い歴史を刻み続けてこられたのは、このような革命的大衆路線に拠るところが非常に大なのではないでしょうか?

革命的大衆路線は、1960年代と1990年代、そして新型コロナウイルス禍の困難を乗り越える原動力になったものと考えます。東西冷戦と中ソ対立がともに激化していた1960年代、共和国は著しい内憂外患に直面しました。このとき共和国は、首領を中心とする抗日遊撃隊方式を建国以後の革命的大衆路線の経験によってアップデートしたもので事態を突破しました。首領と人民の関係は、首領が一方的な指示や要求などをする垂直型であったというよりは、制限はあるものの相互同意的な要因が作用したものと考えられます(前掲書p193)。1990年代のいわゆる「苦難の行軍」は非常に苦しいものでしたが、革命的軍人精神をはじめとする先軍政治の方法で乗り切りました。「建国以来の大動乱」とされた新型コロナウイルス禍においても、首領・党・人民大衆が一丸となって防疫大戦を戦い抜きました。このことは、クレーマーと駄々っ子の無い物ねだりが横行した日本と比べると非常に際立っています。西側の連中は数十年来あれこれ書き立てて来ましたが、共和国がソ連よりも長い歴史を持っているのは紛れもない事実であり、また、共和国が近いうちに瓦解する兆しはありません。日本のような国であればもう何度も政権崩壊しているような苦難を共和国はすべて克服してきました

こうした経験を踏まえて発表されたのがキム・イルソン主席の『思想活動において教条主義と形式主義を一掃し、主体性を確立するために』(チュチェ44・1955年12月28日)であり、この労作を重要契機とするチュチェ思想の体系であります。キム・ジョンイル総書記は、不朽の古典的労作『チュチェ思想について』において、「思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛」が自主性を具現するための原則であると言明されています。

革命的大衆路線は、もともとはマルクス・レーニン主義の朝鮮における適用の一環として始められたものですが、時代が下がるにつれてその創造的側面が強くなりました。当ブログがかねてより魅力として注目してきた社会政治的生命体論――朝鮮式社会主義の本質的特徴――は、革命的大衆路線の発展形態として位置づけることができるように考えます。

チュチェ109(2020)年5月29日づけ「社会政治的生命体論の魅力と論理の飛躍について」などで論じたとおり、社会政治的生命体論においては、人間どうしは同志愛と革命的義理心に基づいた道徳義理的団結によって結び付けられています。これは「自由と平等」を前提としつつそれよりも一段高みにある関係性であり、社会的存在としての人間が幸福に生きるための人生観の基礎です。また、社会政治的生命体論は、「首領・党・人民大衆が三位一体的な統一体を構成することで革命の主体が形成され、そうした統一体が主体として運動を展開することで人類史が前進する」という見解に立っていますが、この見方はミクロとマクロを一体化させたシステム的な主体の定義となっており、社会主義理論において人間を革命の主体として復権させた正しい理論であるとも考えています。

■同志愛と革命的義理心に基づいた道徳義理的団結を取り結ぶことが如何に社会の強靭さを培うのか
社会的存在としての人間が幸福に生きるための人生観の問題は、現代日本において非常に深刻な問題となっています。より正確に言えば、人生観問題が社会的な問題として提起されてすらいないという危機的な状況にあります。人間が社会的存在として如何なる生を送るべきかという「生きる」ということの根本的な問題が議題にすら上がっていないのです。

そうした社会情勢の典型的な表れのひとつが、東京新宿歌舞伎町で展開される「トー横キッズ」の存在でしょう。いよいよサンケイでさえ「最近では地方にまで存在が知られ、家庭や学校に居場所を見いだせない若者らが、同じ境遇の「仲間」らを求め、この地を目指す聖地化が加速する実態もあるとされる」(「夏休み「トー横」にたむろする若者、聖地化に潜む危険」2023/7/28 07:00)と認めるまでに至っています。

居場所の問題は、つまるところ個人と集団との関係性の問題に行きつきます。個人として単独で生きていくのか、集団の輪に加わって共に生きていくのかという問題です。トー横キッズたちの存在は、人間は、集団の輪に加わって共に生きていくことを求めるものであり、そこにこそ人間としての幸福があることを示しているものと考えます。人間どうしが同志愛と革命的義理心に基づいた道徳義理的団結を取り結ぶことの必要性を現代日本社会は示しているものと考えます。

朝鮮民主主義人民共和国は日本と比べて非常に経済規模が小さく、その点においては「貧しい」国です。このことは否定できないことです。一見して日本が共和国から学ぶことなど何もないように思われるかもしれません。しかし、現代日本社会における人生観問題・人間関係問題を考えるにあたっては、朝鮮式社会主義の本質的特徴としての社会政治的生命体論から学べることは非常に多いと私は考えます。前述のとおり、日本のような国であればもう何度も政権崩壊しているような苦難を共和国は経験してきましたが、それらすべてを団結によって克服してきたわけです。なおかつ、居場所問題など共和国ではまったく議題には上がっていません。固い団結があるのです。同志愛と革命的義理心に基づいた道徳義理的団結を取り結ぶことが如何に社会の強靭さを培うのかを、朝鮮民主主義人民共和国の75年間は示しています

■対外的自主性の勝利の歴史としての共和国の75年
徹底的に人民に依拠した国としての共和国の75年は、また、対外的自主性の勝利の歴史としても総括することができるでしょう。

朝鮮半島はその地政学的な位置から、常に周辺大国の影響を強く受けざるを得ませんでした。その結果、朝鮮の精神史においては事大主義という悪しき「伝統」が受け継がれてきたものでした。20世紀前半の初期共産主義運動においても、コミンテルンの承認を得ることに粉骨砕身する朝鮮人共産主義者の姿が記録されています。

キム・イルソン主席はこうした事大主義を徹底的に排して、朝鮮の革命はあくまでも朝鮮人が自主的・主体的に推し進めるべきだという見解を定立し、それを生涯にわたって徹底なさいました。米欧帝国主義諸国の軍事的圧迫と経済的封鎖のみならずソ連や新中国の覇権主義的な干渉にも徹底的に対抗することで「朝鮮革命の主人は朝鮮人である」という立場を今日に至るまで固く守り抜いています。

■ここ最近のアフリカの旧フランス植民地諸国で相次ぐ政変が示すこと
ある国・民族が他国の支配や干渉から独立して自主的に生きるためには、「思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛」というチュチェ思想の基本テーゼを実現する必要があります。ここ最近、アフリカの旧フランス植民地諸国で相次ぐ政変は、チュチェ思想の基本テーゼに沿った推移であると言えます。これらの国では、CFAフランを通貨とすることで金融を通した経済のフランス支配が続いてきました。そしてそれに伴い政治的にもフランスへの従属を余儀なくされてきました。軍事的にも、イスラム過激派対策の必要性からフランスの軍事力に頼らざるを得ないのがこれらの国々でした。そしてその結果、アフリカの旧フランス植民地諸国は、独立から60年経ってもなおフランスの強い影響下に置かれざるを得ませんでした。これらの国々の人々は、あいかわらず富をフランスに吸い取られてきたのです。

そうしたフランスの新植民地主義的支配に風穴があいたのが、ごく最近の一連の政変です。直接のイデオロギー的な関連性は乏しいものと思料されますが、対外的自主性を何よりも重視する共和国の姿勢と結果的に通ずるものがあるとは言えます。フランスの新植民地主義的支配に風穴をあけたアフリカ人民による最近の闘争は、朝鮮民主主義人民共和国が75年間にわたって実践してきたものと非常に近しいわけです。

■総括
対内的な固い結束の歴史としての朝鮮民主主義人民共和国の75年は、同志愛と革命的義理心に基づいた道徳義理的団結を取り結ぶことが如何に社会の強靭さを培うのかを示すものであると言えます。また、対外的自主性の勝利の歴史としての朝鮮民主主義人民共和国の75年は、フランスの新植民地主義的支配に風穴をあけたアフリカ人民による最近の闘争に先駆けるものであると言えます。この75年間に朝鮮民主主義人民共和国が苦労に苦労を重ねて実践・実現してきたことは、人類史において貴重な経験なのです。

朝鮮民主主義人民共和国の建国75周年をお祝い申し上げます。
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2023年09月07日

しっかりとした比較・評価基準を自分の内面に確立していないから、売り言葉に買い言葉的な意地の張り合いをしてしまう

https://news.yahoo.co.jp/articles/ca5e39c8e34459d472c3d319085779bdf57bb3be
アメリカがウクライナへの劣化ウラン弾供与を発表
9/7(木) 3:40配信
テレビ朝日系(ANN)

アメリカはウクライナへの新たな軍事支援を発表し、攻撃力が高い劣化ウラン弾の供与を初めて盛り込みました。

 劣化ウラン弾は鉄や鉛よりも密度が高く、戦車の装甲を貫く破壊力を持っています。

 湾岸戦争やイラク戦争でも使われましたが、炸裂した際に飛び散る放射性物質が人体や環境に悪影響を及ぼす恐れが指摘されています。

 アメリカ国防総省は6日、ウクライナへの1億7500万ドル=約260億円相当の新たな軍事支援を発表し、その中に劣化ウラン弾の供与を初めて盛り込みました。

(以下略)
コメ欄。
問題の有無はわからないが、そもそも貫通力の観点から、劣化ウラン弾は多くの兵器の標準弾頭に採用されている。
様々な意見はあるものの、わざわざ威力が少ない弾頭を供与するのもおかしな話とも言える。
何より、ロシア軍も採用している。
供与の是非を云々するなら、ロシア軍が対人地雷やナパーム弾、白リン弾など、どれほど制限なく使用しているかを考えていただきたい。
劣化ウラン弾の健康被害を否定するならまだしも、「ロシアが対人地雷等々を大々的に使っているから、ウクライナが劣化ウラン弾を使っても問題ない」? この手の人たちによるとロシアは「極悪侵略国家」なんだそうですが、そんな国を比較・評価基準にするのはそもそも大間違いなのでは・・・? ましてウクライナにとっての戦場は自国領内なのだから。

劣化ウラン弾使用の是非は、やはりその人体への影響にかかる科学的見地に基づくべきであると私は考えます。ロシアが残虐非道な兵器を使っているかどうかとウクライナの劣化ウラン弾使用の当否はまったく関係なく、それを比較・評価基準にするべきではありません

本来、比較・評価基準とすべきでない要素を引き合いに出す上掲ヤフコメは、これもある種の「主体の未確立」と言えると私は考えます。しっかりとした比較・評価基準を自分の内面に確立していないから、売り言葉に買い言葉的な意地の張り合いをしてしまうのでしょう

しばしば子どもは、親に叱られたときに「誰々君だってやっているのに!」といった口答えをするものですが、上掲ヤフコメは同じレベルだと言わざるを得ません。子どもは、自己の内面にしっかりとした比較・評価基準、つまり主体が未確立なので仕方ない面がありますが、いい大人が臆面もなく「ロシアの方が・・・」と言ってのけるのは恥ずべきことでしょう。しかし、このような抗弁が割と罷り通っているのが日本という国であります。
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2023年09月04日

関東大震災朝鮮人虐殺は決して過去の問題ではない

https://chosonsinbo.com/jp/2023/09/02-112/
〈関東大震災朝鮮人虐殺100年〉東京・横網町公園で追悼行事
2023年09月02日 12:51
“政府は責任から逃れることはできない”

1923年9月1日、関東地方をマグニチュード7.9の大地震が襲った。この大地震が、約10万人の犠牲者を出した「関東大震災」を引き起こす中、各地では朝鮮人虐殺が横行した。

当時の政府は、「朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於て爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり」などと電報で流言を垂れ流し、軍部が全権限を握る戒厳令を発令したことが決定的な影響力を発揮し、政府・軍・警察・自警団という日本の国家および民衆が、一斉に朝鮮人狩りに乗り出した。約6千人の朝鮮人を殺害した国家的ジェノサイドである。
(以下略)
「国家的ジェノサイド」という位置づけに私は異論はないのですが、軍部がいくら扇動発信したとしても、それを受け取る民衆の側が、その情報を信憑性の高いものと見なさなければ虐殺には至らなかったという考え方もできます。「軍部のフェイク・ニュースを民衆が真に受けた」という理解が重要だと考えます。

人間は訳もなく暴走・暴発するものではありません。暴走・暴発には必ず経緯・理由があります。その点、「不逞鮮人ならこの混乱乗じて何かやりかねない」という共通認識が当時の日本民衆の間にあったことものと推察できます。

このことはつまるところ、当時の日本民衆は、朝鮮半島を出自とする人たち(朝鮮人)に恨まれる自覚があったということなのでしょう。自分たちの振る舞いは朝鮮人の恨みを買うのに十分なほどだという自覚があるから、震災という非常事態に乗じて「仕返し」されかねないと考えたのでしょう。もっと言えば、日本人は、非常事態に乗じて日頃の恨みを晴らしかねない国民性だともいえるでしょう。「自分だったらそうするから、相手もそうするに違いない」というわけです。

人間の文化的性根は、100年程度では正されないものと私は考えます。関東大震災朝鮮人虐殺は決して過去の問題ではないと考えます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b1b73b78463b5ac51f079c95216703a2e67008fd
小池知事、今年も追悼文送らず 関東大震災の朝鮮人慰霊式典 東京
9/1(金) 15:35配信
時事通信

(中略)
 小池氏は同日の定例記者会見で、理由について「毎年(都慰霊協会が営む)大法要において、都知事として犠牲となった全ての方々への哀悼の意を表している」と述べた。
自然災害での不可抗力的な死と、デマ(フェイク・ニュース)に基づく殺人を一緒くたにする小池知事。8月15日正午の「戦没者に黙祷をささげましょう」よりも酷い。本気で言っているとすれば、この程度の知能しかない人物が「東京都知事」という重責を担っていることに驚きを隠し得ません。

小池百合子という人物には、たいした政治的信念はないと言わざるを得ません。そのことは、彼女の所属政党遍歴が示しています。ハッキリとした動機があっての移籍は「志士」として賞賛すべきことですが、小池氏についてはそういう志の存在は確認できません。政治的信念に関する著作や演説も特筆すべきものは存在しておらず、信念をもって政治に取り組んでいるとは言い難い人物です。彼女にとっての政治とは「食い扶持」という他ないと私は見ています。それゆえ、このことも保守票目当てのポーズ以外の何者でもないと言わざるを得ません

無知と差別で飯を食う。人間として一番恥ずべき生き方だと私は考えます。
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一転してストを好意的に報じる日経の魂胆:ますます気が抜けない時代になってきた

そごう・西武労組のストライキ決行について取り上げたいと思います。世論及び報道の論調が、概ねストライキに理解を示すものばかりだったのが印象的でした。そして同時に労働者階級の立場・利益を重視する者として危機感を覚えました。

■世論及び報道の論調が、概ねストライキに理解を示すものばかりだった
たとえば8月30日(スト前日)のNHK「ニュース7」及び「ニュースウオッチ9」は、20代前半と思しき女性の「ストライキが起きるぐらいの理由があったのなら仕方がない」や、60代以上と思しき男性の「大切だと思う 労働者が声をあげることは」、そして中学生くらいの子どもを連れた母親と思しき女性の「不便はあるが それよりその結果がどうなるか」というインタビューを放映しました。スト当日(31日)の「ニュース7」は、60代夫婦の「労働者の権利なので」、70代男性の「働いている人がこういう形で意思表明した。そのことがすごく大切」という声を放映しました。同日の「ニュースウオッチ9」は、「今回の売却手続きにおいて労組の同意は不要だが、ストが起こったという事実は重く、従業員の理解を得ることの重要性を再認識させた」とか「働く人の思いや生活もある」といったストライキに一定の理解を示す発言が相次ぎました

8月31日づけのNHKニュース「【詳しく】そごう・西武労組 異例のストライキ実施も売却決議」(2023年8月31日 19時24分)は次のように報じています。
専門家「社会的な意義大きい」
労使関係に詳しい立教大学の首藤若菜教授は、今回のストライキについて、「企業再編で、労働条件が低下しても、労働者側がのんできたケースが多い中で社会的な意義は大きい」と話しています。

首藤教授によりますと、日本でも1970年代半ばまではストライキが多く実施されてきましたが、労使ともに負担が大きく、その後は、事前に話し合いで解決する協調的な労使関係が構築されてきたということです。

そごう・西武の労働組合も百貨店の経営が苦しいことを踏まえ、経営側と協議して雇用が守られることを前提に、経営側の考えを受け入れてきた協調的な労働組合だとして、今回のストライキは、売却前に組合側が納得できる形で十分な話し合いが行われてこなかった結果だとしています。

首藤教授は、「1社の事例ではあるが、十分な話し合いがされず、強引に企業再編を進めようとすると、大きなリスクになりえることを示したという意味で、ほかの企業の経営層にとってもインパクトは大きかったのではないか。労働者にとっても、労働条件に納得できない場合に声を上げて行動に移した組合の 動きに勇気づけられた人も多かったのではないか。企業再編で労働条件が低下しても労働者側がそれをのんできたケースが多い中で、社会的な意義は大きい」と話していました。
そごう・西武労組の肩を持っているといっても過言ではない解説。もちろん私は、この解説こそが事実を的確に説明している、つまり今回のストライキは非常に正当なものだと考えているので全く異論はないのですが、クレームを恐れるあまり「両論併記」でお茶を濁しがちな昨今のメディアにしては随分とハッキリとモノを言っています

読売新聞は「61年ぶり大手百貨店でスト「日本でびっくり」「雇用確保してあげて」」(8/31(木) 13:02配信 読売新聞オンライン)を配信しました。日本最大の発行部数を誇る保守商業紙の論調には注目する必要があります。

■おバカ部門代表のサンケイ新聞さえも・・・
おバカ部門代表のサンケイ新聞は、表向きはストライキは労働者の権利であると報じる(「そごう・西武 Q&A ストライキ 実施されれば、大手百貨店で約60年ぶり」8/28(月) 18:23配信 産経新聞)ものの、「そごう西武、31日スト突入で池袋本店全館休業 セブンは売却決議」(8/30(水) 12:19配信 産経新聞)で「消費者や取引先に迷惑をかけてまで時間稼ぎをする」などと書いてしまったり、「そごう・西武消滅の危機、対岸の火事ではない百貨店業界」(8/31(木) 17:27配信 産経新聞)で、さしたる根拠もなく「今回のような労働争議が頻発すれば、百貨店の業態転換のハードルは上がる」などと書いてしまい地金が出てしまいました。サンケイの本音は思ったとおりでしたが、しかし、そんなサンケイでさえ表向きは取り繕わざるを得なかったことは特筆すべきことでしょう。それだけ世論が今般のストライキに理解を示していたわけです。

ちなみにサンケイは、「そごう・西武、ストでも止められない百貨店売却 「伝家の宝刀」威力に限界」(8/29(火) 14:46配信 産経新聞)なる記事を配信し、その中で今回のストライキを「米投資会社への売却阻止闘争」としてのみ描いていますが、そんな話ではないと私は考えます。スト決行によって「そごう・西武の従業員は会社の方針に唯々諾々と付き従うものではない」ことが示されました。このことは、米投資会社やそのパートナーとされるヨドバシカメラに対してのメッセージにもなります。上掲8月31日づけ「ニュースウオッチ9」などが「今回の売却手続きにおいて労組の同意は不要だが、ストが起こったという事実は重く、従業員の理解を得ることの重要性を再認識させた」などとストライキに一定の理解を示す発言を放映したのは、そういう広い視野を持ってのものだったと考えられます。やっぱりサンケイは詰めが甘いw

■日経新聞の不気味な論調転換
ブルジョア機関紙というべき日経新聞の反応についても見ておきましょう。当ブログ8月28日づけ「そごう・西武労組、ストライキ決行へ!」で取り上げたとおり、28日の時点で日経新聞は「ストは消費者への影響が出るほか、社会的な企業イメージの悪化にもつながる」だのと、ストライキに至った経緯を無視してその責任を労働者側に一方的に押し付けたり、木曜日一日限定のストライキについて「池袋駅の乗降客が不便を被ったり、人流が変わったりするなど街に対する影響は避けられない」だのと、根拠薄弱でほとんど中傷と言うべきことを書き立てていました。これに対して9月1日の社説「[社説]そごう・西武ストが投じたM&Aの課題」は打って変わって次のように主張しました。
セブンがそごう・西武を買収したのは06年。消費者が利用しやすいグループを目指したのが理由だ。しかしリストラが中心で成長させることはできなかった。このためフォートレスと事業パートナーであるヨドバシホールディングスに任せた方が百貨店にとっても最善策と判断した。今後の戦略を考えると売却は間違っていない。

しかしその後の反発は全く想定できていなかった。地元の豊島区長や池袋本店の不動産の一部を保有する西武ホールディングスが街の多様性が失われることに懸念を示した。百貨店事業は街の顔でもあり、住民にとっての価値は大きい。事前の説明などが足りず、批判を高めてしまった。

社員への配慮も不足していた。確かにそごう・西武は財務基盤が脆弱で、セブンの信用力がこれまでの事業継続を可能にした。しかし百貨店市場が縮小し、旗艦店の池袋本店が縮むことへ社員は危機感を高め、スト決行の事態を招いた。組合側も売却そのものに反対しているわけではない。早期に社員に丁寧な説明をしていれば、状況は違っていたかもしれない。

今後も小売業に限らずM&Aは増えるだろう。日本企業が活力を高めるうえでM&Aは重要な経営の選択肢であり、経済全体の活性化にもつながる。事業再編を円滑に進めるためには、人的資産やステークホルダーへの配慮が企業価値の向上に欠かせないことを改めて肝に銘じる必要がある。そごう・西武のストを教訓にしたい。
思いがけず世論がストライキに理解を示したことを受けて急遽軌道修正しつつ、後述のとおり、労働者のストライキからブルジョア的利益を引き出す糸口を目敏く見つけ出したのでしょう

日経新聞と深い関係にあるテレビ東京系「ワールドビジネスサテライト(WBS)」は、28日以降は連日トップニュース扱いで本件を報じてきたものの、事実を端的に報じるだけで論評は避けていました。世論動向を注視し余計なことを言わないようにしていたものと思われます。29日の放送では、「ルイ・ヴィトン」などを展開するLVMHモエヘネシー・ルイヴィトン・ジャパンのノルベール・ルレ社長の独占インタビュー(「【独自】ルイ・ヴィトン ヨドバシ改装案「承認しない」」8/29(火) 20:03配信 テレ東BIZ)を取り上げた流れで「テナントの意向も重要なポイントとなるかもしれません」と大江麻理子アナウンサーが原稿を読み上げ、コメンテーターの滝田洋一・日経新聞編集委員が頷くに留まりました。30日の放送ではノルベール・ルレ社長の独占インタビューの追補として「池袋本店だけで1日数千万円の売り上げがある。なので影響は大きい。ただ、ストには理解している。働く側が改装案の説明がないことに不満をもつことは当然のことだ。セブン&アイには、全体のプランをもう一度考え直してほしい」という追加取材内容を報じました。ほとんど誹謗中傷レベルだった28日の日経新聞記事と比べると「日経地上波版」というべきWBSの報じ方は大きく異なり非常に慎重になっていたというべきでしょう。

とはいえ、そこはやはりWBS。原田亮介・日経新聞論説主幹は30日の放送で次のように述べていました。
会社というのは、3つのとても重要な利害関係者に支えられていて、ひとつは株主(中略)もうひとつ従業員(中略)もうひとつ、お客さんですよね。池袋の駅前の一等地で何を売るのか。家電を売るのか高級ブランドを売るのか、どうやって売るのか、見えない主役であるお客さんが最終的に決めるということになるんじゃないでしょうかね
なにやら深奥なことを言っているのかと思いその真意を探ってみたものの、それほど深みのある発言ではないようです。おそらく、本心では28日づけ日経新聞のように罵倒したかったが、思いのほか世論がストライキに理解を示しているのでそれができず、ルイヴィトン・ジャパンまでストに理解を示したので、下手なことは言わない方がいいと判断したのでしょう。しかし、何か一言でも言わずには腹の虫が収まらないので「ヨドバシ出店反対だ何だとゴチャゴチャ言っているが、最終的には客が決めるんだよ。労働者風情がいい気になるな」というニュアンスを込めてこのように吐き捨てたのでしょう

「最終的には客が決める」――そのとおりです。それが商売というものです。だからこそ、企業経営者は顧客動向を見極めながら利益と雇用を確保する必要があります。そして労働者は自分たちの立場と利益に基づいてストライキを含む要求活動を展開するのです。「最終的には客が決める」のは百も承知だからこそ、顧客の動向を注視して雇用維持の方向性を加味した経営上の対策を求めて声を上げたのが今回のストライキの本質なのです。こんなことはちょっと考えれば直ちに分かること。原田論説主幹が言っていることは一見して深奥な哲学的含蓄がありそうですが、かくも薄っぺらい点を鑑みるに、何か一言でも言わずには腹の虫が収まらないので出て来た捨て台詞であると言わざるを得ないと私は考えます。

ブルジョア機関紙というべき日経新聞の論説主幹に捨て台詞を吐かせた、そごう・西武労組。時代は大きく変わったものです。感慨深い。

8月31日(スト当日)は、山川龍雄・日経ビジネス編集委員が「30年来日本人の賃金が上がらなかった一つの要因が、労働側の立場があまりにも弱かった」「日本経済のためにもストライキは起こってしかるべき」などとまるで掌を反すようなスト評価の発言を展開。ストに至った経緯についても、セブン・アンド・アイホールディングスとそごう・西武労組との間でのコミュニケーション不足としたうえで、「セブン・アンド・アイには労働組合がないので、ストライキを前にどうすればいいのか混乱している」とか「物言う株主の圧によって売却を急いでいる」などと解説。気持ち悪いほどの転向ぶりを見せつけました。

■報道論調の軌道修正はいつ起こったのか
ここからは「軌道修正」という観点から、1日単位で各社各局の報道の変遷を振り返ってみたいと思います。一体いつ論調が固まったのかということです。

先に槍玉にあげた日経新聞の中傷まがい記事は28日づけでしたが、NHKも28日深夜配信の「そごう・西武労組 経営側にストライキの実施を通知」(2023年8月28日 23時43分)で「60代の会社員の女性は「経営側と組合側のそれぞれに考えていることはあると思いますが、客が置いてきぼりだなという気持ちです」と話していました」と報じていました。旧国鉄のストライキに関する記憶・イメージが残っている人には訴求力のある発言です。おそらく、NHKもそれを念頭に報じていたものと思われます。しかし、上述のとおりNHKはストライキ突入前日の30日には、ストライキに理解を示す発言を集中的に報じるに至り、スト当日の31日にもストライキに一定の理解を示す発言を放映しました。どうやら、ストライキ決行の見込みが報じられた翌日の29日ごろに風向きが変わったようです。

テレ東系WBSが30日の放送で「見えない主役であるお客さんが最終的に決める」と捨て台詞を吐いたと上述しましたが、31日には打って変わってスト評価の論調に転向しました。このことを踏まえるに、労働者の権利行使としてのストライキを好ましく思っていない手合いの一部は、ストライキ前日である30日になってもまだ割り切れず捨て台詞を吐きたくなる心理状況だったが、31日までには転向したと言えるでしょう。

このことは、一義的には世論が意外にスト容認だったことがあげられると思われますが、私はもっと疑り深く経過を見るべきと考えます。ブルジョアは非常にしたたかで災いを福に転ずる能力が非常に高いからです。

■ストを好意的に報じる日経の魂胆――ますます気が抜けない時代になってきた
スト前日まで捨て台詞を吐いていた「日経地上波版」というべきWBSがスト当日には打って変わってストライキを評価する言説を放映したことが引っかかります。労働者のストライキがブルジョアにとっての利益に繋がるという糸口を見いだせたからこそ、彼らが掌返しのようにストライキ評価の論調を張るに至ったのではないかと考えます。それだけ狡賢く恥を知らない連中ですからね、奴らは。

私は、8月30日のフジテレビ系「FNN Live News α」がブルジョアの新たな魂胆を自白したものと考えます。当該番組ではエコノミストの崔真淑氏が登場したのですが、彼女は、「ジョブ型雇用浸透しているアメリカでは企業が従業員を切りやすいだけではなく労組の活動が非常に活発になっている」としつつ、「日本においても雇用の流動性を高めようという動きがある中で、それに伴い労組の動きが活発になる可能性がある」としました。いまひとつ話に一貫性のない謎コメントでしたが、断片的な内容を繋ぎ合わせるとブルジョアの狙いが見えてきます。

ブルジョアたちは今、解雇規制をはじめとする労働法制を「岩盤規制」などと中傷してその破壊を目論んでいます。現行の労働法制は不十分な点が多々あるものの、ブルジョア連中のやりたい放題から労働者の立場と生活を守るにあたって重要な役割を果たしています。それゆえ、単に労働法制を破壊しただけでは労働者の立場か弱まるだけ。日本の労働者がいくら「おとなしい」とはいえ、流石にそれを唯々諾々と受け入れるほどお人好しではないでしょう。労働法制に変わる何かそれっぽいモノを形だけでも拵える必要があります。そういった事情から、労働法制にとって代わるものとして、ある程度の労組活動を容認することで「法律ではなく自分たちで雇用を守ろう!」という風潮を形成しようとしている可能性があるのです。日本の労働市場をアメリカナイズしようとするブルジョアの蠢動において、ある程度の労組運動の活発化はプラスになり得ます。崔真淑氏のコメントはあまりにも正直です。

もとより労働者はかつて無産階級と言われたように、生産手段を私有しておらず自身の労働力を切り売りすることによってのみ日銭を稼ぐことができる存在です。このことは、いくら仕事内容がクリエイティブなもの・知識労働化したとしても変わりありません。ハッキリ言えば、雇ってもらえなければ飢え死にするほかない立場に立っています。これに対して投資家(資本家)や企業家は、必ずしも特定の分野にこだわる必要はありません。投資家は儲かれば事業内容は何でもよく、企業家も日ごろから経営多角化に腐心しているので、不採算部門をリストラすることも吝かではないものです。

ミクロ経済学に「価格弾力性」という概念(価格変化に対する需要または供給量の変化率)がありますが、価格弾力性が高い経済主体は、価格弾力性が低い経済主体に対して弱い立場に立つことになります。価格弾力性は本質的に、その市場に対する「しがみつき度」と言い換えることが可能です。要するに、自らの生活をその業界に全賭けしている人は、ちょっとくらい市場価格が変化したくらいでは「やーめた」とは言えない(価格弾力性が低い)のに対して、どっちでもいい人は、市場価格の変化に敏感に反応して「あ、もういいや」と言える(価格弾力性が高い)のです。このことを労働市場に当てはめると、とくに現代経済は高度に知識化・専門化されているので、個々の労働者は「しがみつき度」が高いと言えます。これに対して投資家(資本家)や企業家は、必ずしも特定の分野にこだわる必要はありません。ミクロ経済学的に考えたとき、労働者の価格弾力性は低く、投資家(資本家)や企業家は高いと言えます。労働市場において投資家(資本家)や企業家の方が立場が強いわけです。

そうした労働市場のミクロ経済的な分析を踏まえるに、無産階級たる労働者による労使交渉がブルジョア・メディアにおいて持て囃されることは、非常に不気味なものを感じ取らざるを得ません。ますます気が抜けない時代になってきたと言わざるを得ないでしょう。

こうした憂いを打破するためには、やはり労働者階級が経営に食い込むことが必要だと改めて訴えたいと思います。

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posted by 管理者 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする