2013年01月20日

レアアース問題とチュチェの原理

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130112-00000008-scn-bus_all
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もはやレアアースで日本の首を締めることはできず=香港

サーチナ 1月12日(土)10時52分配信

 中国のレアアース(希土類)が大きく値下がりしている。「レアアースは中国固有の資源」と誤解する中国人は少なくないが、香港メディアの鳳凰網は11日、なぜ中国のレアアースは値下がりしたのかと題する記事を掲載した。

 トウ小平がかつて「中東に石油あり、中国にレアアースあり」と述べたとおり、レアアースを戦略的資源と位置づけてきた中国は2010年まで世界のレアアース生産量の約97%を握っていた。こうした事実によって、一部の中国人の「レアアースは中国固有の資源」との誤解につながったわけだが、実は中国のレアアース埋蔵量は世界のわずか3割に過ぎない。

 レアアースはハイブリッド車や電気自動車の駆動モーターをはじめ、各種電機製品に必要不可欠な材料だ。日本も2010年9月までは国内需要量の約9割を中国からの輸入に依存してきたが、尖閣諸島(中国名:釣魚島)で海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件が発生すると、中国は日本への報復措置としてレアアースの輸出を制限した。

 その結果、11年上半期には中国のレアアース価格は前年比10倍以上にまで高騰、日本もレアアースの調達で困難に直面した。

 しかし、その後は一部レアアースを除き、高騰したレアアース価格は一気に値下がりし、中国国内の一部レアアース企業は減生または停止を余儀なくされている。

 報復措置として行った輸出制限によって、逆に中国のレアアース価格が下落したのは、レアアースにおける脱中国が進んだことが原因だ。日本は中国の輸出制限後、官民一体となってレアアース調達先の開拓に動いたほか、レアアースのリサイクル技術などを大きく進展させた。

 12年上半期に日本が中国から購入したレアアースは、10年上半期のわずか25%にまで減少した。中国が外交の切り札として利用してきたレアアースだが、著名な投資家からは「レアアースではもはや、日本の首を締めることはできない。日本は早くからレアアースを備蓄し、代替技術も次々と発明している」との声があがった。(編集担当:及川源十郎)
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過去数千年間、「帝国」として君臨して来、そして過去数十年間は、「共産主義」の「鎖国体制」に引きこもってきた中国としては、「はじめての経験」かもしれませんね。

でもこれが普通なんですよ。独占的な地位を誇示して尊大な態度をとることができるなんてのは、「自主性、創造性、意識性をもった人間」によって構成される「市場競争社会」においては、そうザラにあるわけではないのです。

市場競争の効用については、いまさら私が何か言う必要もないでしょうから、この記事では「自主性、創造性、意識性をもった人間」についてご紹介しようと思います。この定義は、チュチェ思想の人間に対する定義です。キムジョンイル総書記は、『チュチェ思想について――金日成同志誕生70 周年記念全国チュチェ思想討論会に寄せた論文』(1982 年3 月31 日)において次のように述べています。
>>> (前略)
人間が世界から離れては生きられず、世界のなかにあって生存し活動することはいうまでもありません。

自然は人間の労働対象であり、人間生活の物質的源泉であり、社会は人間が生活し活動する集団です。自然環境や社会的条件は人間の活動に大きな影響を及ぼします。自然環境の善し悪し、とくに社会の政治体制、経済体制が進歩的か反動的かによって、自然改造と社会発展をめざす人間の活動には有利な条件がつくられることもあり、それが制約され束縛されることもあります。

しかし、人間は環境や条件にただ順応するのではありません。人間は自らの自主的で創造的で意識的な活動をつうじて自己の要求にそわないものはそうように改め、古くて反動的なものは新しくて進歩的なものに変えながら、自然と社会をたえず改造していきます。これが世界をいっそう人間に奉仕する世界に改造し変革していく人間の活動であり闘争です。

(後略)<<<
私はかつて毛沢東を、ごくごく簡単にですが勉強したことがあります。その記憶を掘り起こすと、毛沢東――さらにいえばその教祖たる、マルクスやレーニン――は、人間と周囲の環境・条件との関係性、とくに周囲の環境・条件の人間への影響については(今となっては誤りも含めて)色々と書き残していますが、主体としての人間「そのもの」については、そこまで深く探究しているわけではないと思います。とくに毛沢東くらいまで時代が下がると、良くも悪くも「分かりやすく」なっています(弁証法なんて、かなり「分かりやすく」なっていますよね)。

それに対してチュチェ思想は、さまざまな動機が混在していますが、その創始動機のひとつとして、「従来の革命理論」が、人間そのものに対してあまり深く探求されていない点を問題視したという経緯があります。

私のように、チュチェ思想の発想が、自分自身の思考にいくらか影響している人間には、中国共産党政権の「兵糧攻め」は、まさにチュチェの原理と市場競争原理によって、遠からず破られるだろうと思っていましたが、もし中国共産党政権がそんなことを夢にも思っていなかったら、それはまさに「人間そのもの」に対する理解が足りなかったといわざるを得ないでしょう。

もちろん、13億人を独裁的に統治するという超人間業を持っている中国共産党のトップが、全く気がついていなかったというのは、彼らをバカにしすぎではないかと自分でも思います。しかし、「ちょっと見くびっていた」くらいはあるだろうと思っています。そういう話です。

社会科学系の人たちは、どうにも「人間そのもの」について、そこまで深く探求しないで理論構築や実践活動をしているように思います。しかし、キムイルソン主席は「人間があらゆるものの主人であり、すべてを決定する」と述べています。そうであるならば、ますます「人間そのもの」について触れずして、理論も実践もないでしょう。本件は、単にいわゆる「チャイナリスク」を示しただけではなく、「人間そのもの」についての探究をベースにした社会動学理論を構築する必要があるということを端的にあらわした好例であるという見方もできると思います。

私についてましても、まだまだ浅学の身でありますが、そういう観点と立場に立って、移転後のブログ運営をしてゆく所存であります。
posted by 管理者 at 14:09| Comment(0) | TrackBack(1) | 時事 | 更新情報をチェックする
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