2013年02月09日

発送電分離問題と「官か民か」の不毛な二分法

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130208-00000104-mai-bus_all
>>> <発送電分離>2018〜20年に実施 小売り自由化16年

毎日新聞 2月8日(金)21時29分配信

 経済産業省の有識者会議「電力システム改革専門委員会」(委員長・伊藤元重東大教授)は8日、電力制度改革の報告書をまとめた。大手電力会社の発電部門と送配電部門を分社化する「発送電分離」については、5〜7年後の18〜20年に実施する。家庭が自由に電力会社を選べる電力小売り全面自由化も16年に実施。電力大手による「地域独占」を解消し、競争を活性化させて電気料金引き下げを促す。経産省は、改革の実施時期を盛り込んだ電気事業法改正案を今国会に提出する。

 改革は3段階で進める。まず15年をめどに、電力大手の営業エリアを超えて電力需給を調整する機能を持つ「広域系統運用機関」を設立。電力が余っている地域から不足している地域に送配電するよう電力会社間の調整を図るほか、全国的な送配電網の整備計画を作る。自由化の進展に伴い電力不足などが生じないようにする。

 16年には、これまで大手しか販売できなかった一般家庭やコンビニなどへの電力販売を自由化する。一般家庭でも、他地域の大手電力や、既に法人向けに参入している「新電力」などから、自由に電力会社を選べるようになる。今まで事業規模などに応じて電力会社ごとに与えていた免許制度も、発電、送配電、販売など事業別に与えるよう改める。

 ただ、家庭向け料金では、発電に必要なコストを積み上げる「総括原価方式」を当面維持する。値下げに向けた競争環境が整ったと判断した時点で、料金規制も撤廃する。

 最終段階では、電力会社の発電部門と送配電部門を別会社にする。大手が保有する送配電網を別の電力会社が自由に使えるようにし、発電分野で新規参入を促す狙いだ。具体的には、送配電部門を分社化する「法的分離」方式を採用。現在も、新規事業者は大手の送配電網を借りられるが、「大手が自社の安定供給を理由に、競合する新規事業者への送配電網の利用を制限していないか」などの不満があった。分離して送配電会社に中立性を持たせ、親会社と新規事業者を公平に扱うようにする。

 政府は当初、17〜19年をめどに発送電分離を実施する方向で調整していた。しかし、システム構築に時間がかかることなど大手電力の事情を配慮し、1年先延ばしした。【小倉祥徳】

 ◇電力業界は難色 改革後退の可能性も

 経済産業省の有識者会議「電力システム改革専門委員会」が8日、報告書をまとめ、電力制度改革の道筋を示した。小売りの全面自由化が実現すれば、一般家庭が大手電力会社、特定規模電力事業者(新電力)から自由に契約先を選ぶことができるようになる。しかし、改革のカギを握る発送電分離には電力業界が難色を示しており、改革が順調に進むかは予断を許さない状況だ。

 電力小売り全面自由化により、新電力は一般家庭にも電力を販売できるようになり、顧客獲得のチャンスが生まれる。報告書案には、余った電力を取引する「卸電力取引所」の活性化策も盛り込まれた。大手電力などに、電力需要に対する供給余力が前日で8%、当日は3〜5%を超える場合、超過分を原則すべて取引所に売るよう求め、新電力が電力を調達しやすくする狙いだ。

 すでに00年から大口の事業所などに順次小売りは自由化されているが、大手電力が保有する送電網を使うには、新規事業者が高いと主張する使用料を払う必要があり、結果として新電力の市場シェアはわずか3.5%。競争を促すため、送電網を大手電力から切り離す発送電分離の議論が進んだ。

 分離形態は、大手電力の送電部門を分社化する「法的分離」を採用する。本体と送配電会社には資本関係が残るため、送配電会社には、本体からの人事異動を制限する▽意思決定へ本体の影響力を行使することを禁じる▽新電力を差別的に扱うことを禁じる−−などの制限を設ける方針だ。

 しかし、発送電分離は電力各社にとって「業界秩序を揺るがしかねない劇薬」(西日本の大手電力幹部)。電気事業連合会は小売り完全自由化などで譲歩の姿勢を示す一方、発送電分離には抵抗感を示している。「エネルギー政策や原子力リスクが不透明な中で組織形態の見直しを判断するのは経営に多大な影響があり、安定供給にも影響が及び得る」。電事連は8日、専門委に発送電分離に的を絞った意見書を提出した。組織変更に伴う不測の事態を防ぐため、原発再稼働などで供給力が回復するまで待つべきだとの主張だ。法的分離を認めれば、将来的に資本関係まで断ち切る「所有分離」に道を開きかねず、各社は今夏の参院選後の巻き返しを見据え、与党議員の説得活動に入っている。

 それでも政府が電力改革に踏み切るのは、参院選を控えて「電力会社寄り」との印象を持たれるのを避けたい思惑もある。政府は原子力規制委員会が安全性を確認した原発は速やかに再稼働を進める方針だけに、経産省首脳は「システム改革も緩め、再稼働も進める『両取り』はできない」と、改革断行の意思を強調する。

 今通常国会での提出を目指す改正電気事業法案には、発送電分離を進める税制上の優遇措置の構築など、必要な事務作業が間に合わず、自由化や発送電分離の実施時期は付則に記載するにとどめる。必要な法改正は来年以降に順次行う必要があるが、自民党内の「電力族」には、発送電分離などに慎重論が根強い。今後業界と一体となって巻き返しを図れば、法案提出が妨げられたり、改革内容が後退する可能性も依然残っている。【丸山進、宮島寛、和田憲二】

 ◇電気料金とは

 電気料金は既に自由化され電力会社が顧客と個別に交渉して決める「企業向け」と、国の規制のもと電力会社が管内に一律適用する「家庭向け」に分かれる。家庭向けは、電力会社が燃料費や人件費など電気事業に必要な「原価」を積み上げ、一定の利益を加えた額をもとに算出する「総括原価方式」で決まる。値上げには経済産業相の認可が必要で、東京電力は昨年、原発停止を補う火力発電の燃料費増を理由に32年ぶりの値上げを申請した。総括原価方式を巡っては、過大な広告宣伝費や社員専用の飲食施設の維持管理費なども「原価」に含まれていることが判明し、これらを原価から減額したうえで認可された。現在、関西電力と九州電力も値上げ審査を受けている。
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話題の発送電分離です。地域独占を打破し、電気市場を競争的にすること自体は、大変結構なことだと思います。ただ、その方法が「発送電分離」というのは、一定の条件が必要でしょう。というのも送電部門は、インフラ保守産業に共通することですが、「顧客の目」が「仕事の内容」にまで届きにくい上に、座っていてもカネが入ってくるので、手抜きしやすいという構造的な問題を抱えているからです。

近年、特にここ最近、インフラの保守・点検業務のイイカゲンさを身にしみて感じる事態が多いかと思いますが、それと構造的には同じです。通常の産業は、仕事(サービス)の内容に対する「顧客の目」が光っているので、各社は顧客に逃げられないよう日々、努力を重ねています。さらに、自分から積極的に営業に打って出ないと、いずれ顧客は他社に流れてしまいます。そして当たり前ですが、生産活動をやめたら(ラインを止めるとか)直ちに売り上げがなくなります。

しかし、インフラ保守産業の保守・点検業務は、顧客からすればサービスの内容は目に見えては分かりませんし、インフラだけあって、そう簡単に顧客は他社を選択することはできません。また、たとえば週3回の点検を週2回に減らしたところで、直ちに施設が壊れて収入が途絶えるということはないでしょう(もちろんモノにもよると思いますよ)。それゆえ、手を抜いたところで直ちに売り上げに影響しにくく、次第に手抜きが激化してゆく危険性があるのです。

また、発電部門と比べて収益を上げにくいという点もあります。発電部門は発電すればするだけ売り上げが伸びますが、送電部門は保守をがんばったところで、そんなに劇的に売り上げが伸びるわけではありません。むしろ、より多くの送電線使用料を手に入れるためには新規投資が必要ですが、その結果、手に入った送電線使用料の増加分の大部分は、その新規投資を回収するために消えることでしょう。もちろん、全く新しい送電ネットワークを作ったというのならば話は別(そういうインセンティブを付与するというメリットはあるかもしれない――お役所企業には、そんなことするインセンティブは乏しい――ので、発送電分離を一概に否定するつもりはありません)ですが、おそらく費用も膨大になるので、そう簡単にできるものではないでしょう。

さらに、発電と送電を分離することは、果たして電力供給システムを不必要に分断することにならないかという問題もあるでしょう。なんでも細分化すればよいというものではなく、ある程度のまとまりがあったほうが、システムとして円滑に動作するということもあります

かつてイギリス国鉄が、鉄道システムを「列車運行部門」と「線路保守部門」とに分離したがゆえに、線路使用料にあぐらをかい線路保守部門が保守・点検業務をおざなりにし、その結果として大事故を起こした教訓は、産業は違えども、電力業界に対しても示唆に富んでいると思います。

イギリス国鉄分割の失敗に関する書物『折れたレール〜イギリス国鉄民営化の失敗』に対する、ある方の書評を、勝手ながらご紹介させていただきたいと思います。
http://www.geocities.jp/aichi200410/broken_rails.html

とても参考になる内容なので是非ともご一読を薦めたいと思いますが、若干の意見を付け加えるとすれば、単純に「『公営ならいい』というわけでもない」という点については述べておきたいと思います。既に述べたように、インフラ保守産業は構造的に「手抜き」しやすい産業であるという点は決して見逃すべきではありません。「手抜き」は、官民を問わないのです

まとめたいと思います。先ほど少し触れましたが、「全く新しい送電ネットワークを作る」というインセンティブを付与するという点においては、発送電分離には一つの可能性があると思います。他方で、既に述べてきたように、デメリットもある。最大のデメリットは、「手抜きしやすい」ことであり、これは官民を問わない致命的な問題です。それゆえ、この問題は、「官か民か」のような旧式な二分法で考えることは不適当であり、危険であるとすらいえると思います。

手抜きさせないためには、「顧客の目」が何よりも大切でしょう。私はここで敢えて「国民の目」と「顧客の目」を区別したいと思います。区別の基準は「政治」と「経済」です。「国民の目」(政治的パワー)は、必ずしも企業に影響を与えられるとは限りません。東京電力をはじめとして、多くの巨大企業に対する国民の「無力さ」を見れば明らかだと思いますし、政治的に何らかの義務を課されたとしても、利益追求の抜け道はいくらでもあります。それに対して、「顧客の目」(経済的パワー)は、競争的な市場である限り、巨大な企業であっても致命的に作用することがあります。利益追求にダイレクトに、そしてスピーディ(政治の場合は意見集約に加えて民主的な討議と議決が必要だが、個々人の経済行動に議決は不要)ぶつかるからです。政治的パワーに比べて経済的パワーの方が発動させやすいのです。

ちょっと脱線するかもしれませんが、そもそも、市場メカニズムはある種の「投票行為」であります。通常の(政治的な)投票が「一人一票」の平等な影響力であるのに対して、「市場における投票」は、財力に比例した影響力である点は大きく異なりますが、自らの選好(好みや価値観)にあわせて自由に「候補者」(売り手)を選択でき、選択されなかった「候補者」は、市場から「落選」(淘汰)されるという点においては、類似していると思います。

なお、このあたりの詳しいことについて取り急ぎ知りたい方は、「経済計算論争」に始まる市場経済体制の計画経済体制に対する優位性なども、ご参考のひとつにしてください。だいぶ大きなレベルの話なので、語りつくそうと思うと大脱線してしまうので。もちろん、機会があれば取り上げたいと思います。

そういう意味では、ついさっき「「官か民か」のような旧式な二分法で考えることは不適当」といったばかりですが、どちらかというと、いわゆる「民」のほうが何かと動かしやすいのかな、とも思います。もちろん、繰り返しになりますが、「手抜き」は、官民を問わないので、安心はできません。また、冒頭にも述べたように、「顧客の目」がインフラ保守産業の仕事内容にまで届きにくい現在の構造を改善しなくてはならず、そのためには、官の監督が必要だとも思います。つまり、この問題は官民を問わない問題が根底に横たわっており、そして、その解決のためには従来型の官民の区別を乗り越えた方法で取り組まなければならないのではないかということなのです。その点、そこらへんの民営化論者と一緒にしないでいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

ところで、少し変わって「発電」の話になりますが、「発送電分離によって発電が市場に委ねられるようになるので、供給が不安定化する恐れがある!」という意見をしばしば聞きます。なんとなく分からないでもない主張ですが、電力以外の我々の生活必需品(そのほとんどは市場に供給を委ねています)の供給は、言うほど不安定化しているでしょうか?

もちろん、個別企業レベルでは、供給がストップしたりすることはあるかもしれません。しかし、その場合、我々は他の会社から購入しています。現状の電力システムがどういう風になっているのか詳しくは存じ上げませんが、テクノロジーの組み合わせ次第では、主契約のA社からの発電がストップしたとしても、予備契約のB社からの電力に自動切換えできるのではないかと思います。

むしろ私なんかは、一つの発電会社に全てを任せるという方が、危なっかしい気がする次第です。独占企業なんてやりたい放題じゃないですか。それに対する政治的パワーの弱弱しいこと、弱弱しいこと。前掲のような主張を聞くたびに、「民間はアテにならないけど、御国は頼りになる」といったような意識が見え隠れします。しかし、我々の生活の大部分を支えているのは、実は「アテにならない」と言われている「民間」であります。もちろん、先にも述べたように官の適切な監督は不可欠ですが、「我々の生活の大部分を支えているのは『民』である」というのは、ゆめゆめ忘れてはいけないと思います。

昨今は、「官か民か」という選択を迫られることが多いように思います。しかし、この問題をはじめとして、「官でも民でも同様の問題がある」という場合もあるのではないでしょうか。また、伝統的な「官民選択」は、「産業間の二分法的な棲み分け」を暗黙の前提としており、「この産業は官営であるべきだ」「いや民営でいけるはず」といったような議論が延々と繰り広げられていたように思います。しかし果たしてそういう二分法的な棲み分けでいいのか。公共部門の要素と民営部門の要素を混合したような官民合作形態もあるのではないか。どうも、「世論」を見ていると、そういう風に思えて仕方ないのであります。旧ブログの頃から色々な場面で述べてきたことですが、二者択一的な選択は、その設問自体が誤っていると思います。新しいものは、二者択一の片方ではなく二者択一の融合体から生まれることの方が多いと思う次第です
posted by 管理者 at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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