2013年02月10日

「科学真理教」

http://twitter.com/inosenaoki/status/299210245509632000
>>> 天気予報は科学なのに責任に対する心理に支配され歪んでいる。成人の日に外れたので過剰に積雪量を2度も見積もった。多めに先読みすれば責任逃れができるとする姿勢がもし3度目にあったら責任を追及します。狼少年は許さない。気象庁の自己保身のためにどれだけの組織、人が迷惑を与えられたか。 <<<

http://mainichi.jp/select/news/20130209k0000m040066000c.html
>>> 猪瀬知事:気象庁を批判 6日の「大雪」予報が外れ

毎日新聞 2013年02月08日 20時39分(最終更新 02月08日 23時03分)

 6日に首都圏が大雪になるとした気象庁の予報について、東京都の猪瀬直樹知事は8日の定例記者会見で「(気象庁は積雪を)多めに言ったと思っている」と述べ、大雪になった成人の日(1月14日)の予報を外したため、その後は積雪を過剰に見積もったとの見方を示した。都心部では、成人の日に8センチの積雪を記録したが、気象庁が雪になると予報した先月28日と今月6日は積雪がゼロだった。

 会見で猪瀬知事は「2度も続けて外れるのはおかしい。(予報官が)心理的にぶれたと思う」と指摘。過剰な予測の根拠として「個人的だが(前日の)深夜に空を見ても雪が降る気配が全くなかった。気温も下がらなかった」と述べた。

 猪瀬知事は30万人以上のフォロワー(閲覧者)がいるツイッターでも天気予報を「歪(ゆが)んでいる」「気象庁の自己保身」などと非難している。

 これに対し、気象庁の横山博予報課長は「前回外れたから今回こうしよう、というのはない」と断言し、「科学的根拠に基づいている」と心理的影響も否定。もし成人の日に大雪が降らなかったとしても、6日の予報は全く変わらなかったという。【清水健二、池田知広】
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「天気予報は科学なのに大ハズレだった! これは予報官が心理的にためらったからだ!」だそうです。よくある科学主義、私に言わせれば「科学真理教」の域に達しつつある言説だといえるでしょう。

むしろ、天気予報は「人間の科学」だからこそ、予報に揺らぎが生じると捉えるべきなんじゃないかと思います。キーワードは「科学の限界」。人間の情報収集能力と情報分析能力は有限(たとえば、どんなスーパー・コンピューターでも演算可能な桁数は有限)ですが、天気を司る一連のメカニズムは、決定論的ではあるものの、無限の相互連関をしており、わずかな違いにも敏感に反応します。ですから、そもそも観測の主体が人間である限りにおいては「ブレる」のが原理的に当たり前。逆に、確率を使って「ブレさせる」からこそ、結果的に正確性が増すくらいです。

かつて、某左翼政党関係者の相手をしてきた頃から思っていたことですが、やっぱり未だに19世紀レベルというか、古典的な科学信仰って根強いんですねえ。たしかに科学の進歩によって明らかになったてことは沢山ありますし、我々の今日の生活が科学文明の上に成り立っていることは決して否定できるものではありません。しかし、科学が進歩したからこそ、科学の限界が見えてきているのが20世紀以降の今日なんじゃないでしょうか。いろいろと無理難題を吹っかけられても、科学にだって出来ることとできないこと、分かることとわからないことがあるんですよ。

こういうナイーブな科学信仰を見ていると、もしかするとまた何十年かすると、「原発神話」みたいなものが復活したり、あるいは甚だしくは「計画経済」を復活させる動きが出てくるかもしれないと少々恐ろしくも感じています。原発のことは専門外過ぎるので良く分かりませんが、計画経済について少しコメントすれば、計画経済が失敗した大きな理由は、ハイエクが「経済計算論争」で指摘したように、人間の情報収集能力と情報分析能力が、本質的に客観的な把握に馴染まないプライベートな情報によって構成されており、かつそれらの情報が複雑に絡み合っているという現実の経済システムに対応できなかったところにあります。簡単に言うと、まさに「科学の限界」。「官僚と軍部の腐敗」とか「インセンティブの不足」というのももちろん大きな要素としてあるとは思いますが、そもそも経済の動向を科学的に予測すること、それ自体に本質的で重大な困難性があるわけです。

ちなみに、いまや「市場社会主義」を主張している某左翼政党ですが、知り合いの党関係者に、そのあたりについて意見交換してみると、さすがに計画経済こそ主張しませんでしたが、その「経済活動への政府の介入」については、「科学信仰」に裏打ちされたプランを想定しているのかなという感想を持たざるを得ませんでした。「経済活動への政府の介入」というのも、経済動学的に見ると、タイミングを誤れば(そして、まさに「科学の限界」ゆえに、誤りやすい)、むしろ経済を不安定化させる効果があります。平成バブルの生成と崩壊をめぐる政府の財政・金融政策は、そういう見方もできると思います。そういう意味では、やっぱり左翼は計画経済、そしてその背後に潜む「科学信仰」から完全に脱却しきれていないのかなと思いましたが、何のことはない、左翼以外にも結構、そういう考え方に親和的な人たちっているんだと今回、思い知らされました。むしろ左翼的な科学信仰・理性信仰が大衆レベルにまで浸透していると見るべきか?

ところで、ちょっと検索してみると、カオス理論を根拠に猪瀬氏を批判するコメントが見受けられます。たしかに、カオス理論の説明で用いられる「バタフライ効果」は、まさに「気象条件におけるカオス」でありますが、「バタフライ効果」が示しているものは、正確には「長期予報の困難性」です。

たとえば、カオスを発生させる関数系として有名なロジスティック写像(差分方程式モデル)をつかって、係数が3.9のものと3.90001のものを、50期にわたって比較してみましょう。エクセルを使いました。
chaos.jpg
グラフから明らかなように、カオスの代表的な特徴(ちなみに、カオスの厳密な定義って無いんですけどね)である「初期値鋭敏性」は、短期的には大きな影響を与えないことが分かります。それゆえ、猪瀬批判としてカオス理論を持ち出すのは、ちょっとズレているのかなと思います。一般に、天気予報でカオスの影響が懸念されるのは10日から2週間程度、先からの話(台風の進路みたいにもう少しピンポイントな話だと4日くらい先かな?)です。

ただ、両者がまったく無関係というわけではないでしょう。短期的予測の失敗と長期予報におけるカオス発生の原因を「科学の限界」に見い出せば、両者は同じ原因をもとにしているといえるのではないかと思います。そもそも、長期予報においてカオスを発生させる原因である「初期値鋭敏性」だって、人間が「神通力」を持っていれば、何の不自由も無く予測できるはずなんですから。でも人間は神ではないのです。

編集後記
今回も「主体としての人間」にスポットライトを当てた記事で、例によって「チュチェ思想」のタグをつけようかと思ったんですが、「そういえばチュチェ思想ほど理性信仰な思想は無かったなあ」と思って、どうしようかと考えている次第ですwww結局つけたけど。チュチェ思想の理性信仰な所は、ちょっと付いて行けないんだよなあ。。。
posted by 管理者 at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事 | 更新情報をチェックする
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