>>> 桜宮高元顧問の寛大処分求め、1100人嘆願書「寛大な処分」の嘆願だそうです。学校関係者は、「あの程度で自殺するほうが特殊。ヤワすぎる。どうかしている」というのがホンネなんでしょう。少なくない国民にもそういう考えの人はいると思います。大声ではとても言えないでしょうけどね。たぶんこの状況で、かかる主張を堂々とできるのは、戸塚宏氏くらいでしょう。
大阪市立桜宮高校バスケットボール部の体罰問題で懲戒免職処分となった同部元顧問の小村基・元教諭(47)について、部員や卒業生、保護者ら約1100人が「寛大な処分」を求める嘆願書を市教委に提出していたことが分かった。
嘆願書の署名は2月8日から4日間で集められ、元教諭の処分決定前の12日朝に提出された。署名したバスケ部員の父親(45)は元顧問について、「熱心に指導してもらった。彼を慕って入学した生徒や保護者の意見も聞いてもらいたかった」と話した。
市教委は「嘆願書は受け取ったが、外部監察チームの報告書で認定された事実を基に処分を決めた」としている。
(2013年2月14日20時06分 読売新聞) <<<
誤解を恐れずに言えば、たしかに「特殊」だったかもしれません。なぜならば、ああいうシゴキは日本中、津々浦々で長年行われてきましたが、だからといってシゴキを受けた生徒がガンガン自殺していたかといえば、決してそんなことはなかったからです。人ひとりの死を「統計数値」として見ることに対して批判的な方も多いかと思いますが、やはり、そういわざるを得ないことも事実です。
しかし、ここで重要なのは、「深刻さの度合いは『受け手』次第である」ということです。本件における元教諭擁護者において決定的に欠如しているのは、そこでしょう。たしかに、「世間平均」からみれば「特殊」かもしれませんが、こういう問題は本質的に「深刻さの度合いは『受け手』次第である」なわけです。「ヤワすぎる」とかいったとしても、そもそもそんな主張は無意味なのです。
もちろん「スポーツマンたるもの、あの程度で音を上げるようではダメだ。もっと根性をすえるべきだ」というのは、まあそれもそれで一つの意見、理想像かもしれません。しかし、あなたの理想像だけで物事を語られてしまっては困ります。「現実がオカシイんだ、理想社会に向けて革命だ!」といって、急進的に社会を改造しようとして大失敗した「共産主義の思考・方法」となんら変わるところがありません。
もし、「スポーツマンたるもの、あの程度で音を上げるようではダメだ。もっと根性をすえるべきだ」というのであれば、それ自体は結構ですから、せめて現実、スタートラインを見据えてください。その上で、理想を実現するための方法を考えてください。「現実がオカシイ!」というのは、そうかもしれません。しかし、良くも悪くもそれが「現実」なんです。2月4日の記事で、「重要なのは、「我々の主体(チュチェ)は何処の誰なのか」「主体はどういう状態にあるのか」という視点だと思います。「到達点」と「参考資料」はその次に持って来るべきものでしょう。観点と立場が定まらないうちから「到達点」も「参考資料」もあったもんじゃありません。」と書きましたが、改めてそう申し上げたいと思うのであります。
その点では、「指導か暴力かの基準づくり」というのも、少し危ない考えかもしれません。おそらくそれは、何らかの「世間平均」の設定になることでしょう。しかし、繰り返すように、そもそもこの問題は画一的にどうこうすべき問題ではないのです。画一的な基準を設定している限り、「世間平均」からの「外れ値」が問題になる可能性はあり続けるでしょうね。