http://www.jcp.or.jp/akahata/aik12/2013-02-18/2013021801_04_1.html
>>> 内部留保活用で賃上げ可能旧ブログの記事においても少し触れましたが、共産党の主張と、いわゆる「アベノミクス」は、共産党が「ストックを原資とし、それを切り崩すことによる賃上げ」を主張している(ついでに言えば、「大企業は決して経営危機ではない!」とまで言ってのけましたね、さすがにパナソニックが火の車になったときには黙りましたが)のに対して、アベノミクスは「業績が回復したら」、すなわち「恒常的なフローを原資にした賃上げ」を主張している点において、まったく違います。
党主張にメディア関心広がる
“大企業はまず一歩先に出て”
内部留保のほんの一部を給与にまわせば、ほとんどの大企業で賃上げが実現する―。日本共産党が主張してきた政策にメディアの関心が広がっています。折しも日本共産党は“賃上げ・雇用アピール”を発表。国会論戦を通じて政治を動かしつつあります。
「賃上げ春闘 追い風 首相異例の要請」―「読売」15日付夕刊は社会面でこう報じました。日本共産党の笠井亮衆院議員が求め、安倍晋三首相がそれにこたえて財界トップに賃上げを要請したことをとりあげたのです。笠井氏は、連結内部留保500億円以上を持っている企業グループ約700社を調べ、内部留保の1%を活用するだけで8割の企業で月1万円以上の賃上げが可能だと迫りました。
「実は内部留保に着目をずっとしてきたのは共産党なんですよ。共産党の主張と麻生(太郎)さん(=財務相)の言っていることがほぼ似てきてしまったというのは、非常に面白い現象でね」。1月30日放送のテレビ朝日系「モーニングバード!」ではコメンテーターの萩谷順氏(ジャーナリスト)がこう紹介。「内部留保をもっている大企業はまず一歩先に出てほしい。政府と大企業の役割・任務というのは非常に大きな時代になってきた」と主張しました。
朝日新聞社が発行する現代用語事典『知恵蔵』(2013年版)は「内部留保」の項目でこう書きます。「当初は共産党や労組が主張していたが、雇用不安が深刻になった08年末〜09年にかけて、政府閣僚からも同調する声が相次ぎ、雇用維持の財源として論じられるようになった」
昨年末のフジテレビ系「新報道2001」では、その09年の笠井氏と麻生氏(当時首相)の質疑の模様を流し、内部留保の活用を特集しました。いまでは、内部留保活用論は立場の違いを超え、多くのエコノミストも指摘するようになりました。
日本経済研究センターの前田昌孝主任研究員は「日経電子版」(13日付)のコラムで、一時金で対応するとした日本経団連の米倉弘昌会長の発言を「やや腰が引けた感じが否めない」と批判。内部留保と賃金の相関グラフも示し、「産業界は発想を切り替え、賃上げを基点にして景気の好循環を引き起こすぐらいの戦略性をもってもいいのではないか」と提起しています。 <<<
そして、恒常的なフローを原資とするアベノミクスの賃上げ論には、「期待」(=経済の先行き予想)という面からその有効性が推察できますが、ストックを原資にする共産党の賃上げ論の有効性に対してはは疑問符をつけざるを得ません。なぜならば、賃上げしたところで、その原資がいつかは枯れ果てると「期待」される「ストック」に依存している限り、消費者の財布の紐は固いままだからです。賃上げ分が恒常的に入ってくる「恒常フロー」であると「期待」できるようになって初めて、消費者の財布の紐は緩むのです。「所得が増えれば消費も増える」なんてのは、原始的なケインズ主義の教義にすぎません。その間に「期待」が重要なファクターとして存在するのです。そのためには、恒常的に給与が入ってくるための体制づくり、確信を持って期待を形成できる体制作り、すなわち「成長戦略」が必要になるわけです。
私は決して、需要さえ増えればサイクルが好転するだなんて楽観的な見通しをもてません。人口減少がそろそろ手遅れになってきている昨今においては、サプライ・サイドへのテコ入れが必要だと思います。結論を先取りして言ってしまえば、「内部留保はそのまま分配するのではなく、今一度、生産的投資に回してから分配すべきであり、そのためには企業の投資・生産活動の実行とそれを支える成長戦略が必要」なのです。そして、そうした方策を採るのであれば、政府が直接、収奪に「乗り出す」のべきではなく、投資環境の整備というカタチで「政策誘導」するので十分だし、そうするべきです。
※内部留保が全額キャッシュではないのは承知しております。また、共産党自身が、内部留保260兆円が全額キャッシュだなんて言っていないことも承知しています。ここでいう内部留保は、過剰な流動性としての内部留保、内部留保全体のうち、キャッシュとして手元に残っているごく一部について述べています。この記事の目的は、巷でよく繰り広げられている「キャッシュとしての内部留保があるかないか」「その内部留保は分配に耐えうるものなのか」といった論争ではなく、「キャッシュとしての内部留保があり、分配できるとして、それを単純に切り崩して分配するだけで良いのか」という点にあります。
※ケインズ本人の名誉のために述べておくと、『一般理論』は決して「期待」を軽視していません。むしろ、ケインズほど「期待」の重要性に着目した経済学者は珍しいと思います。問題は、「ケインズ主義」つまり「教科書のマクロ経済学」です。ここには「期待」は影もありません。
にもかかわらず、共産党は、アベノミクスが「期待」の改善に取り組む姿勢を示していることに対して「国民の気持ちのせいにし、反省のない姿勢」(『赤旗』2月6日づけ)などというトンチンカンな批判を展開しています。繰り返しになりますが、「期待」というのは「経済の先行き予想」です。その期待が低迷したら、当然、財布の紐は固くなります。アベノミクスの言わんとしていることは「明るい未来をデザインしてやろう」ということであって、「国民の気持ちのせい」なんかにはしていない、それどころか前衛意識すら見え隠れする、ある種、傲慢な政策なんですよ(その点、私はアベノミクスに少々懐疑的なところがあります。おいおい、述べてゆきたいと思います)。
そのあたりの大きな違いに気づかない赤旗編集部ですが、相当嬉しかったんでしょう。「共産党の主張と麻生(太郎)さん(=財務相)の言っていることがほぼ似てきてしまったというのは、非常に面白い現象」という萩谷氏のコメントを嬉々として掲載しています。でも、これきっと、からかいあるいは新手の自民党に対するネガキャンですよ。だって、麻生氏が首相だった頃、彼は「定額給付金」などと称して「霞ヶ関の内部留保」をバラまきましたが、何とも評価しがたい中途半端な結果(まったく効果が無かったわけではないが、言うほどの効果でもなかった)だったじゃないですか。あまりレッテル貼りみたいなことはやりたくないのですが、麻生氏は原始的なケインズ主義に近いお考えだと見受けられます。原始ケインズ主義仲間で意気投合していてどうするんですか。
また、安倍政権の支持率は高水準をキープしています。マスコミ的には気に食わないところでしょう。「ほらほら国民の皆さん、自民党は公共事業型の『古い政治』に戻そうとしている上に、ついに共産党みたいなことを言い始めましたよ、次の参議院選挙では民主党へ!」といった魂胆なんじゃないですか? あんなにメディアの反共攻撃だとか大騒ぎしていたのは、わずか2ヶ月前ですよ? この2ヶ月でメディアが容共派に転向したとでも言うんですか? むしろ共産党を利用しての自民党に対するネガキャンと考え方が自然なんじゃないですか?
ところで、最近になって「内部留保活用」を指摘する声が以前よりは増えたことは事実です。しかしそれは、リーマン・ショック以来の不景気が少し緩和されたからに他なりません。つまり、状況が変わった。共産党のように、「何があってもカネよこせ」ではないのです。一緒にされるエコノミストの皆さんにしてみれば、いい迷惑でしょう。私だって後述するように、使途によっては内部留保活用もまた有効な一策だと思っていますが、共産党の言うような原始ケインズ主義的な方法は採るべきではないと思っています。一緒にしないでくださいね。
さて、どうしても大企業の内部留保を収奪したいのならば、これも前掲記事の末尾にも書きましたが、収奪した資金をもとに殖産興業に励み、恒常的なフローに転化させて初めて、持続可能な経済政策と言い得るものになります。アベノミクスが「成長戦略」を掲げるのは、単にストック(内部留保)を切り崩して分配するだけでは持続可能な賃上げにならないことが分かっているからです。もちろん、成長戦略だけで万事上手くいくというわけでもありません。「マーシャルの鋏」というように、デマンド・サイド(所得政策)、サプライ・サイド(成長戦略)へのテコ入れが同時に執行され、お互いが相互作用的に影響を与え合うことが必要なのです。アベノミクスは曲りなりにも相互作用関係を理解しており、その過程で、件の「要請」を出したのです。これは正しいと思います。それに対して共産党にその理解があるのか、はなはだ疑問です。
ことあるごとに引っ張り出してきて恐縮ですし、決して「信者」だとは思わないで頂きたいのですが、左翼が憧れて止まない北欧の福祉国家は、手厚い福祉の反面、彼らが泡を吹いて卒倒するような「新自由主義的な経済政策」を採っています。その取り組みを全て列挙するわけには行きませんが、簡単に言ってしまうと「デマンド・サイドとサプライ・サイドへのテコ入れを同時に、お互いが相互作用的に影響を与え合うように執行されているがゆえに、経済と福祉の好循環が生じている」と言えます。また、福祉のための負担を受け入れてもらう為に企業インセンティブに配慮した「綿密な環境整備・制度設計(政策的誘導)」を行っています。ストックの切り崩しのような単純で「原始ケインズ主義的な給付中心の福祉政策」だったら、社会的責務の名の下に個別企業のインセンティブを飛び越える階級闘争的な「雑な制度設計」だったら、これほどまでに持続的で安定的な好循環は生み出せなかったでしょう。
興味深いことに、1990年代初頭に済危機に見舞われたスウェーデンでは、福祉水準よりも経済再建を一時的に優先させたという経緯があります。もちろん、「経済再建」の目標は、どこかの島国と違って「福祉水準」のためですけど。このことは、殖産興業が国民の生活水準・福祉水準にとっても、相当に重要な意味合いを持っていることを示していると思います。
また、「福祉のための負担を受け入れてもらう為に企業インセンティブに配慮した綿密な環境整備・制度設計(政策的誘導)」についても大いに注目すべきです。この記事における私の主張は、端的に言ってしまえば、「内部留保はそのまま分配するのではなく、今一度、生産的投資に回してから分配すべき」ということです。論ずるまでも無く、投資・生産の主体は民間企業です。民間企業の投資と生産がストックを恒常的なフローに変換させる以上は、彼らの投資と生産を促進させる必要がありますが、それは決して収奪では実現しませんし、する必要もありません。なぜならば、恒常的なフローの産出に成功するような企業があった場合、政府がどこかの黒字主体から収奪して資金供給せずとも、その黒字主体が自らの意志で投資するはずだからです。恒常的フローを産出しうる資金需要の関する情報、端的に言ってしまえば「儲かる話」というのは、政府よりも商売屋の方が敏感であるはずです。政府は環境整備・制度設計に注力し、収奪の実行・暴力装置の発動ではなく、政策的誘導による投資・生産促進を行うべきです。政府は動き始めました。1月25日づけ日経新聞は、「「眠れる資産」活用促す 企業の内部留保を投資へ」という記事で2013年度予算案について報じています。もちろん、完璧な環境・制度を「設計」することなど出来ません。理性への過信です。しかし、修正を加えながら「それらしいもの」を形成していく努力は怠るべきではないと思います。
このように、「企業の社会的責任を問う」といっても、実際の方法論的なレベルにおいて、日本共産党の掲げる政策とかなり違う方法を取らねばならないと言わざるを得ません。ちなみに、以前にも申し上げましたが、私の知る共産党関係者が、やたら北欧をマンセーするもんですから「現実」を幾つか教えて差し上げたところ、それ以来、ピタッとマンセーを止めてしまわれましたww
それはさておき、「殖産興業のための内部留保活用」のためには、どの程度の内部留保まで取り崩してよいのかという定量的な問題があります。「内部留保の1%」というのは、定量的にどの程度のプラス・マイナスの効果があるのか。前掲旧ブログ記事にも少し書きましたが、かつて新日本出版社の『経済』は、ある程度の計算じみたものを掲載していましたが、「2000年代前半」という「牧歌的資本主義」の時代を基準にしていて閉口した覚えがあります。
以上のように、「内部留保活用」論が出てきたとはいえ、共産党の「手柄」とは到底いえない状況にあるわけです。関係者の皆さんにおかれましては、決して喜んでいる場合ではないと思います。「企業の社会的責任を問う」という哲学は、私としてもとても納得いくものです。しかし、哲学と方法は直結しないと思うのです。
しかしついに共産党も、事実上の原始ケインズ主義政党になったかあ〜
まあ、財源論になると「収奪者がたちが収奪される」路線になるけど、それって「ゴネているだけ」とも言えるし。。。
【編集情報】
チュチェ102(2013)年2月18日 初版
チュチェ102年7月21日〜24日 ちょこちょこ加筆
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チュチェ102年7月24日『CSSの変更と過去ログへの加筆のご報告』