http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130222/trl13022203240002-n1.htm
>>> 【主張】明石事故判決 検審否定に結びつけるなまったくそのとおりだと思います。
2013.2.22 03:22
兵庫県明石市で平成13年、花火大会の見物客11人が死亡した歩道橋事故で、神戸地裁は、業務上過失致死傷罪で強制起訴された明石署元副署長に免訴を言い渡した。
公訴時効(5年)の成立を理由としたもので、事実上の無罪判決といえる。平成21年に創設された強制起訴制度で起訴された被告の1審判決は4件目だ。有罪判決はこれまで、科料9千円が言い渡された徳島県の暴行事件があるのみである。
この事実だけをもって、検察審査会(検審)による強制起訴制度を否定すべきではない。
強制起訴制度は、検察が独占してきた起訴権限に民意を反映させることを目的に導入された。検察が不起訴とした事件について、国民から選ばれた検審が2度、「起訴すべきだ」との結論を出せば強制的に起訴される。
元副署長の議決で検審は「審査会の立場は検察官と同じではなく、公開の裁判で事実関係や責任の所在を明らかにし、事故の再発防止を望む」と言及した。
その公判を通じて、警備計画のずさんさも明らかになった。判決後、裁判長は元副署長に「事故を風化させないよう伝えていく道義的責任がある」と説諭した。
生活の党代表の小沢一郎氏が強制起訴された政治資金規正法違反事件でも無罪が確定したが、公判は、政治家本人の罪を問うことが極めて難しい規正法の不備をえぐり出した。
いずれも、検察官による不起訴で終わっていれば浮き彫りにはならなかった。被告にかかる過重な負担や、審査会に対する法的助言のあり方など、克服すべき課題は多い。それでも強制起訴の意味合いは認められるべきだろう。
検察官が起訴した被告の有罪率は99%を超す。これに対し、小沢氏を強制起訴した起訴議決は「検察官だけの判断で有罪となる高度の見込みがないと思って起訴しないのは不当」とした。強制起訴は「検察官が起訴を躊躇(ちゅうちょ)した場合、いわば国民の責任において刑事裁判の法廷で黒白をつける制度である」とも述べた。
多少乱暴ながら、民意を反映させるということの本質を表している。有罪率に差が出るのは当然であり、起訴に異なる基準ができることになる。社会はこれを受容すると同時に、法の不備は正していかねばなるまい。 <<<
旧ブログの頃から私の主張をごらんくださっている方のなかには、私が再三、「庶民感覚」の怪しさ、いい加減さ、危険性を指摘してきた点から、強制起訴制度(あるいは裁判員制度)といった国民の声を反映させてゆく諸制度に対して否定的な考えをもっているとお考えになるかもしれません。しかし、今一度、過去ログを慎重に読み返していただきたいと思いますが、実は制度そのものについては、「同業者ムラ」に風穴を開けるという点において結構なことであると考えています。問題は、いくら「同業者ムラ」に風穴を開けるといっても業界のことを何も知らないド素人が、思いつきレベルの正義感で介入してくるのは困るし、「被害者感情万能」の風潮では、同業者ムラを牽制することはできてもド素人の側を牽制できる勢力が皆無であるがゆえに危険であるということを申し上げたかったのでありました。それゆえ私は、「中学・高校教育段階において基本的な法律的な考え方を身につけさせる」ことや「被害者の声を絶対視しない」ことを主張して来、それが出来ないなら強制起訴制度や裁判員制度はやらないほうがマシだ、としてきたのであります。あくまで「それが出来ないなら」です。
たしかに被告人の負担が大きいという問題点については、早急に対応が必要だと思います。しかし、「被告人の負担が大きい」からといって「じゃあ廃止」とすべきかといえば、それは「善悪二元論思考」的であると言わざるを得ません。
では現状は如何なのか。強制起訴制度について申し上げれば、まだ裁判例が少ないので何とも言いがたく、もう数年待つ必要があると思います。類似した主旨の制度である裁判員制度については、良い変化も見られていると思いますが、昨年7月の「社会秩序の維持」を名目にアスペルガー症候群の被告人に対して下されたトンでもない厳罰判決(大阪地裁、判決に関する産経新聞報道)を見る限り、「ああやっぱりダメなんじゃないかな」とも思っているところであります。あの1件だけで全てを決めてしまうのはどうかと思いますので、もう少し情勢を見守りたいと思いますが。。。
私は決して「エリートに任せれば社会は上手く回ってゆく」とは考えません。いくらエリートといっても「情報」が無ければ正確な判断は出来ませんが、計画経済の失敗が明らかにしているように一部のエリートと言えども意思決定に必要な情報を全て集めることは出来ません。また、エリートもまた普通の人間ですから、「同業者ムラ」を形成してしまうリスクは十分にあります。その点、私は「反エリート主義」の立場に立っていますが、ド素人に任せて国が崩壊するくらいなら、まだエリートに任せたほうがマシなんじゃないかとも思います。その点において、まことに苦しい選択を迫られており、「国民がもう少し賢くなる」「国家の主人として相応しい水準になる」という方法を以って、この問題を発展的に解消したいところです。