http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPTK835242120130319
>>> ベネズエラ大統領選、チャベス氏後継のマドゥロ暫定大統領が大幅リード=世論調査チャベス氏の「方法」を私なりに整理すると、3点挙げられると思います。すなわち、(1)せっかくの天然資源を単に費消するだけで後に残るような使い方――つまり産業振興――をしていない典型的な後進資源国の方法、(2)ビジネスに対する厳しい規制が、イデオロギー的なレベルにまで染み付いている典型的な後進社会主義国の方法、そして(3)民衆のための独裁、です。「21世紀の社会主義」などと称していますが、あまり「21世紀」の要素が感じられないのが正直な感想です。
2013年 03月 19日 13:26 JST
[カラカス 18日 ロイター] ベネズエラのチャベス前大統領の死去後初めて発表された世論調査によると、4月14日に行われる大統領選で、出馬を表明しているマドゥロ暫定大統領(50)の支持率が、野党のカプリレス・ミランダ州知事(40)を14%ポイントリードしている。
この日、バークレイズ銀行のリサーチノートに掲載されたDatanalisisの調査では、得票率はマドゥロ氏が49.2%、カプリレス氏が34.8%となる見通し。
以前の調査でも、マドゥロ氏の着実なリードが示されている。
マドゥロ氏は元バス運転手という経歴の持ち主。ビジネスに対する厳しい規制と手厚い社会保障プログラムによる国家主導経済というチャベス路線の継続を表明している。
バークレイズは「選挙期間が短いことを考慮すると、チャベス氏の死去を受けた同情効果、報道規制、(大統領選と地方選で野党が敗北したことによる)野党の求心力低下を背景に、依然マドゥロ氏が優位に立っている」と述べた。
昨年は、大統領選でカプリレス氏がチャベス氏に敗北したほか、州知事選でも23州中20州で与党候補が当選した。 <<<
念のために言っておきますが、チャベス氏の「志」と「動機」は大変結構なものだと思っています。たしかにチャベス以前の中南米は押しなべて格差と貧困が蔓延していたのは事実であり、チャベス流のヒューマニズムは立派なものだと思います。そして、チャベス氏の政策によって「ある程度」の格差是正・貧困削減が進んたのも事実です。その功績を私は正しく評価すべきだと思います。
しかし、チャベス氏の成果は「ある程度」でしかありませんでした。そして、「今後の持続性」も危惧されます。なぜならば、冒頭に述べた「特徴」のためです。こうした特徴をもっているベネズエラ経済は、あれだけ豊かな資源がある割には低いパフォーマンスに留まっていますし、チャベス路線の方法は、天然資源情勢が少しでも変われば、すぐに行き詰るでしょう。つまり、「チャベス氏の志と動機を生かし、彼の功績を発展させるためには、抜本的な方法論的転回が必要だ」ということなのです。
まずは「典型的な後進資源国の方法」から脱する必要があるでしょう。石油依存経済からの脱却が必要です。必ずしも「工業化」が正しいとは限りませんが、国家の経済的自主性を確立するのに必要なだけの技術力は不可欠であり、それを養うためには工業化が手っ取り早い方法です。天の創造力(天然資源)に依存するのではなく、自らの創造力(科学技術力)に依拠した主体的な経済的建設が必要です。いまでこそ石油資源をネタに、先進工業国に対して一定の発言力を持っているベネズエラですが、エネルギー情勢が変われば一気に従属国に逆戻りするでしょう。
そして、そうした工業化・自立化のためにも、「典型的な後進社会主義国の方法」からの完全な脱却が必要です。残念ながら、自力更生にもとづく工業化には相当な困難があることが既に歴史的に判明しています。外資導入は避けられないでしょう。しかし、それは外資に対して白旗をあげて応援を要請することとは異なります。「典型的な後進社会主義国の方法」の信奉者は、そのイデオロギーゆえに現実を「階級的視点」にたって認識し、その結果、「外資導入はすなわちブルジョワジーに対する降参である」と断じ、「革命の推進」を理由に、よりによって外資導入を厳しく「規制」してしまいます。
たしかに階級的視点というのもある面においては大切なものかもしれません。一切放棄せよというつもりはありません。しかし、たとえはキムジョンイル総書記は、『民族主義にたいする正しい認識をもつために』(2002,p1)において次のように指摘しています(太字化は当方による)。
>>> 人々は各階級、各階層の構成員であると同時に、その民族の構成員でもあり、したがって階級性とともに民族性を有しています。階級性と民族性、階級的要求と民族的要求は、不可分の関係にあります。もちろん、民族を構成する各階級、各階層はかれらの相異なる社会的経済的地位からして、階級的要求と利害関係が異なります。しかし、各階級、各階層の利害を超越して民族の自主性と民族性を固守し、民族の隆盛と発展を遂げることに関しては民族の構成員全体が共通の利害関係をもっています。それは、民族の運命はすなわち民族構成員の運命であり、民族の運命そのものに個人の運命があるからです。 <<<つまり、ブルジョワジーに対しては「呉越同舟」の立場で臨まねばならぬということです。ちなみに、日本ではあまり報じられていませんが、共和国では、なんだかんだ言いながら外資導入が進みつつあります(ただし現時点ではピョンヤン市内に限る)。韓国資本はもちろん、それ以外の外国資本も徐々に入り込みつつあります。外国資本はもちろん、前掲論文の「民族性」や「民族主義」とは関係ありませんが、おなじ領域内で経済活動しあう仲という点においては、「擬似民族」といってよいのではないかと思います。
「典型的な後進社会主義国の方法」は、こうした「呉越同舟」の視点が欠けてしまいがちという欠点があります。もちろんチャベス路線が「外資の否定」まではしていなかったことは認めます。しかし、もう少し「警戒」を緩めても良いのではないか。決してそれは「ブルジョワジーに国富を売り渡す」というわけではなく「(不本意ながらも、目的達成のために)ブルジョワジーとともに歩む(お互い利用しあう?)」ということなのです。
また、たとえ「階級的視点」にたったとしても、実際の方法が「規制」しかないわけではないでしょう。北欧では「階級」を意識しながらも、「規制」ではなく「調整」と「誘導」によって望ましい経済システムをデザインしています。そういった方法論は大いに参考にすべきです。
次に「民衆のための独裁」について考えてみたいと思います。チャベス氏関連の日本語ニュースのコメント欄を見ていると、チャベス氏の「民衆のための独裁」を評価するコメントをしばしば目撃します。ベネズエラ本国においてもチャベス氏の強引な政権運営手法に対する懸念や批判は年々、強まりながらも、最後までチャベス人気は衰えることはありませんでした。
こうした「独裁」ないしは「強権」の容認は、どういうことなのでしょうか? 「スターリンや毛沢東の強権・独裁は、国民生活の水準を低下させ貧困を蔓延させるので認められない強権・独裁だが、チャベス氏の強権・独裁は国民生活の水準を向上させ貧困を削減するので認められる強権・独裁だ」ということなのでしょう。たとえば以下のページはそうした心情を正直に告白しています(太字化は当方による)。
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Bushwar/venezuela_coup.htm
>>> この映像を見終わって、もう一度考えてみる。チャベス政権は、はたして「独裁政権」なのだろうかと。憲法があり、大統領は選挙で選ばれ、議会や裁判所があり、オンブズマン制度があっても、そして、かつてなく多くのベネズエラ国民の政治的関心を目覚めさせたとしても、アメリカと特権層の利害に反する政策を採る限り、チャベス政権は「独裁政権」であるとして、その転覆が画策され続けるであろう。しかし、そうした策動は、きっと今回のように、チャベス政権に結集した人々とそれを支持する軍の連帯によって打ち砕かれ、富の公正な分配を目指す運動が進展していくであろう。そう、たしかにチャベス政権はベネズエラの貧しい民衆達の「独裁政権」である。ただし、それは一握りの富める人々に対する圧倒的多数の貧しい人々の人民の「独裁」なのである。 <<<こういうことを言っているのがまだ居るというのが私には誠に恐ろしいことであります。まず何よりも、独裁はどんな大義名分をかけたとしても、独裁以外の何者でもなく、独裁は例外なく認めるべきではありません。権力に例外を認めるとロクなことにならないのは、歴史において枚挙に暇がありません。
また、「民衆の権力」とか「民主主義」に過剰な期待をかけるべきでもありません。参加人数が多ければ正しい決定がなされるといった保障はないし、そもそも「民主主義」は「ムラの寄り合い」に転化しやすいからです。民主主義の不完全性、不安定性に対する認識がどうも甘いような気がしてなりません。
さらに、こういう思考は「前衛主義」――エリートが庶民の利益になるように正しく導いてやるから黙って付いて来い――とも親和的です。しかし、人間にとって最も大切なのは「自主性」、つまり「自己決定」です。たとえば、(すこし別の話題による例示になってしまいますが)障害者福祉が、「保護的処遇」から「ノーマライゼーション」にパラダイム・シフトしたことは、人間にとって「正しい路線を歩んで利益を得ること」と同等かそれ以上に大切なこととして「自己決定」が位置づけられていることを明らかにしていると思います。もっとも、ベネズエラの場合は「直接参加」が柱になっているので、前衛主義とは一線を画していると思いますが、日本国内のチャベス信奉者のなかには、結構、前衛主義との「掛け持ち」をしている人がいるので、一応指摘しておこうと思います。
まあいずれにせよ、こうした「民衆のための独裁」をよしとする思考がベネズエラのような新興国のみならず、日本のような先進国においても見られるというのは、悩ましいことです。橋下文化大革命を支持する思考も、この系列に列せられるものかもしれませんね。
果たして次期大統領はどういう路線を歩むのか。チャベス路線の「継続」を表明しているとは言いますが、どの程度なのか。