http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20130323ddlk28040442000c.html
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体罰隠し:隠ぺい問題で高砂市教委、内部調査に課題 体罰、小中学校で33件 /兵庫
毎日新聞 2013年03月23日 地方版
文科省の公立学校体罰実態調査に対する野球部父母会の隠ぺい工作問題で、高砂市10+件教委は22日、内部調査について三つの課題を挙げ学校側を指導。同調査で市内の小中学校の体罰は計33件(2月末現在)と明らかにした。
市教委は22日の記者会見で、校長に対して、校内での父母会会長(52)や監督(33)への事情聴取(2月21日)に関し(1)会長の動機をつかんでいなかった(2)聴取対象の監督を会長への連絡係にした(3)詳細な聴取が必要との認識が欠けていた、と指導したとした。
指導を受けた校長はこの日、会長に動機の説明を求め、会長は「数人の(父母会)役員と話をし(実行し)た」と答えたという。
会見と並行して開かれた市議会文教厚生常任委では、監督の教育態度が問題視された。「興奮しすぐたたく」など、生徒の声が紹介された。市教委はすでに県に事実関係を報告。毎日新聞取材に「監督らの処分が必要と考え意見を付けた」とした。【高橋一隆】
〔播磨・姫路版〕 <<<
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2013/03/22/kiji/K20130322005452850.html
>>>これぞムラ! これほど分かりやすい例は他にないでしょう。
高砂市教育長、口止め影響認める…「体罰あり」実際は7件
兵庫県高砂市の体罰に関するアンケートに対し、市立中学校の野球部の父母会役員が、体罰はなかったと回答するよう保護者に口止めを働き掛けていたことが22日、市教育委員会への取材で分かった。問題発覚後に、学校が再調査したところ「体罰があった」とする回答は当初の1件から7件に増えた。
円尾喜世司教育長は同日の記者会見で、口止めの影響があったとの認識を示した上で「あってはならないことで遺憾」と述べた。
市教委によると、アンケートは文部科学省の通知に基づき実施。2月中旬に市内約15の小中学校の保護者らにアンケート用紙を配布したが、兵庫県教委に匿名で口止めについての情報提供があり、市教委が聞き取りを進めていた。
口止めは父母会役員らが発案し、他の保護者に電話やメールで「監督やほかの顧問の関与はなかった」と回答するよう要請。部の監督を務める教諭らは関与していないとするが、校長は一部の保護者からのクレームで問題に気付いていた。
市教委によると、7件の体罰のうち4件は監督の教諭、残り3件は部顧問の教諭1人と臨時講師2人によるもの。頬をたたいたり、脚を蹴ったりしたなどの内容で、生徒にけがはなかった。
また、1度目の調査で体罰があったと答えた保護者を父母会役員が把握し「体罰のあった時期をアンケートが対象とする期間から外してほしい」と求めていたことも判明。アンケートは昨年4月以降の体罰の有無を尋ねていた。
円尾教育長は「学校側からは(回答内容は)漏れてない。生徒同士の話から知られた可能性がある」と述べた。
[ 2013年3月22日 18:51 ] <<<
「こんなトンでもない集団、いますぐにでも権力的に叩き潰さねばならぬ」というご意見の方もいらっしゃるかもしれません。その気持ちは良く分かります。しかし、そんなに息巻く必要もないでしょう。なぜならば、3月4日付『「棲み分け」と「見えざる手」』でも触れましたが、被害者の人権を守るためには、「退路」を確保する必要があります。しかし、「退路を確保する」ということは、すなわち、「参入と退出の自由化をすすめる」ということです。「参入と退出」が自由であるかぎり、長期的には「完全競争市場」と同様に「見えざる手」が働くと考えられます。
もちろんケインズが指摘したように、「長期的には我々は皆死んでいる」。それゆえ、まったくの自然淘汰に任せるべきではないとも思います。しかし、自然淘汰の力も軽視することはないでしょう。また、世の中には変わった人たちが居るもので、シゴキ・シバキが大好きな
また、今でこそこの手の集団は「トンデモ」扱いですが、人々の価値観の動向次第では、将来的には、この手のトンでもない集団のほうが主流派になることもあるかもしれません。しかし、もし今の価値観を基に権力的な秩序形成が執行されたらどうなるのか。権力的に形成された秩序は、現実に生きる人々の志向から離れて「一人歩き」しやすい上に、往々にして変更に時間がかかります。つまり、将来の新しい価値観に対応した新しい秩序形成が権力の「干渉」によってスムーズに行かないかもしれない、「今は良くても将来困る」かもしれないのです。人々の価値観の動向にあわせてスムーズに社会秩序は変化してゆくべきだと思います。硬直的で「一人歩き」しやすい権力的な秩序形成は可能な限り避けるべきであり、同様の効果がありながらも、より柔軟で、現実に生きる人々に密着した方法があるのならば、そうした方法をとるべきだと思います。
その点では、間違えて「魔境」に入り込まないように正確な情報を広報すること(「この学校ではシゴキ・シバキが横行していて、それに耐えられない人にはお勧めできない」など)や、一度は方法に賛同して「参入」したものの、やっぱり「退出」したい人と思った人がスムーズに「退出」できるようにすることといった「人為的」な「手入れ」は不可欠ですが、逆に言えば、そういった「手入れ」さえあれば、あとは放置しておいて大丈夫だし、放置した方が良いのではないかとも思います。
「見えざる手」が正常に作用するように「庭師」のように「手入れ」をする。「棲み分けの原則」と「柔軟で現実的な秩序形成」という視点にたてば、それで十分だと思います。